道化役

豊島与志雄




 村尾庄司が突然行方をくらましてから、一年ほどたって、島村陽一は意外なところで彼に出会った。島村は大川を上下する小さな客船が好きで、むかし一銭蒸汽と云われていた頃には、わざわざ散歩の途をその船の中まで延したこともあるし、近頃でも、たまに何かの機会があると、少し廻り道をしても乗ってみた。街路が舗装で固められ、建物が直角の肩を並べ、交通機関が速力を増してくる、その中にあって、商家のお上さんや番頭などをのせ、川波にゆられながらのろのろと走る小蒸汽は、都市の煉瓦や石やコンクリートの中に穿たれてる一種の通風孔みたいに思われるのだ。殊に夕方がよかった。太陽は建築物の肩に隠れて、その残照が明るく河面に漂い、油をぬったような空と水との反映を受けて、微妙な紫じみた雰囲気をかもし出し、両岸の家々は平面がぼやけ、輪廓だけがくっきりと際立ち、泊りを求めて帰る大きな荷足船の中からは、細そり煙が立っている。そういう時、船体全部に響くこの小蒸汽の機関の音は、何かしら小気味よい笑いのように聞えた。永代橋のたもとからこれに乗りこんだ島村は、久しぶりの楽しい気持で、暫く外に立って眺めていたが、二つばかりの橋の下をくぐると、いかめしい鉄骨の橋架に頭を押えられる気がして、船室の中にはいった。客がまばらで、ひっそりしていた。片隅の腰掛にかけて、うす汚れのした硝子窓から覗くと、船はすぐ河岸近くを進んでいたので、広い眺望を求めて反対側に席を移そうとした時、向うの、子供を膝に抱いてる女の先に、こちらを見ていたらしい顔をそむけて、水面に視線を落してる男の姿が、眼にとまった。黒いソフトをまぶかにかぶって、窓によりかかるようにしてるその横顔が、どう見ても村尾だった。島村は物にこだわらない呑気な性質から、一年間の年月も種々な事件もとびこして、その方へ歩み寄っていった。数歩のところで、村尾は彼を意識していたようにひょいと顔をあげて、彼の方を見た。彼はそれを笑顔で迎えた。
「やあ、暫くだね。」
 村尾は黙っていて、真向いに腰を下す島村の様子を、じっと見ていた。反感はないが、冷い眼付だった。古ぼけた紺の背広から、白い襯衣の襟をのぞかせて、毛襦子らしいネクタイを無雑作にむすんでるその様子が、以前よりも更に痩せている蒼白い顔にしっくり合って、若くなったようにも見える。そして黒のソフト帽だけだが、昔の通りだった。
「どうしたんだい、あれから……。」
 その時、村尾は曖昧な微笑を浮べて、島村の手をとって握りしめた。力のこもったその握手が、以前の村尾と異ったものを島村に伝えた。
「あなたに……逢いたいと思っていたんですが。」
 そして村尾はこんどは、何だか恥しそうな微笑をした。感情や言葉がどこか調子があっていないようだった……。
 ――ところで、これから先の二人の話を跡づける前に、以前の出来事を茲に物語るとしよう。そしてこの物語は可なり曖昧で複雑だから、村尾自身が島村に書き送った手記を骨子とし、筆者の註釈や補足を附して、出来る限り誤りなからんことを期したい。

 ……私はどうしても信子を愛することが出来なかった。なぜだか、いくら自分に尋ねても分らない。顔立も、教養も、私にとっては過ぎているくらいで、もし彼女と結婚するとしたら、幸福な家庭が営まれる筈だった。殊には、彼女の父と私の母とは従兄妹に当っていたし、家庭のこともよく分っていたので、私はどの女によりも彼女に最も信頼出来る筈だったし、彼女の家は富有で、私自身いろいろ世話になったこともあるので、結婚によって物質的な援助も得られるわけだった。それでも、私は彼女に対して何等の愛情も持つことが出来なかった。その原因としては、私にはつまり分ってることは、ただ一つあるきりだった。それは彼女の耳だ。
 彼女の耳朶は、上部は普通だが、後部のなかほどが、欠けたように凹み縮れて、下部が醜く反り返っていた。ただそれだけであるが、それが私の眼には、彼女の体躯の不具的欠陥とも云えるほどに拡大されて映った。而もなおいけないことには、その不具的欠陥は何か内部的な例えば内臓にでも関係ありそうに思えるのだった。一体人間の肉体的欠陥には、単にそれだけとして止って、それが他の部分の健全な美を一層引立てるような、愛すべきものもある。然しそれが他の内臓的関係までありそうに思わせるものは、ひどく醜悪になる。私は信子の耳にそうした醜悪さを感じた。と云っても彼女は、健康な若々しい娘だった。ああ、彼女はどうしてあの致命的な醜悪な耳を持って生れたのだろう。私の運命の狂いは、大半は彼女のその耳から由来したと云ってもいい。
 彼女に逢っていると、私はその耳から反撥させられた。彼女は意識的にかどうか分らないが、その耳をなるべく隠すような、少し老けた洋髪に結っていたが、秘密を知ってる私の意地悪い眼は、そんなことにごまかされはしなかった。見まいと思っても、髪の毛をかきわけてまで見つけ出すのだった。腸に穴があいて四ヶ月も病院にはいっていた時、彼女は時々見舞に来てくれたが、私はベットに寝たまま無言のうちに、じっと彼女の耳に眼をつけていて、彼女が振り向くと、はっと顔を赤らめたこともある。そんな時、私は口を利くのが嫌になって、早く帰ってくれればいいと念じることさえあった。母の葬式の時、祭壇の前に立並んでる親戚一同のうちで、彼女の耳だけがしきりに私の意識にからまってきた。前日通夜の折に、お母さんもせめて庄司さんの結婚式までは生きていたかったんでしょうねえと、信子の母が他の人に話してた言葉を、私はふと聞きかじり、私の母が私の妻へと望んでいたのが信子であることを知っていたので、私はそのとっさに、信子の耳を思い浮べて、嫌な気がしたものだった。
 私がばかばかしく千代次に惚れこんでいって、乱脈な生活に陥ってしまったのも、一半の責任は信子の耳にあるように思われる。千代次は薄い素直な耳朶を持っていた。薄倖そうな可憐な耳朶が島田の鬢からのぞいてるのを、私は彼女の頼り無い存在の象徴のように思った。彼女が私の名を叫びながら二階から落ちて死んだ、その声の彼方に、私はいつも彼女の薄い素直な耳朶を思い出すのである。
 ――茲で一寸註釈をつければ、ここのところはどうも手記の誇張らしい。信子の耳のことから、その耳を中心に筆が滑っていったもののようである。
 千代次というのは、村尾が馴染んでいた芸妓で、初めはロマンチックな気持から深入りしたものらしいが、彼が勤めていた商事会社の社長と関係があるとかないとかで、一時切れがちになって、其後、彼の母の死後、どうしたわけか、どちらからも急に深くなっていった。千代次の方はそれでも、商売気をはなれたところへまで陥りはしなかったが、村尾は自暴自棄かと見えるほどに打ちこんでいって、めちゃくちゃに借金を拵えた。そして面白いことには、彼は千代次の前で表面は、いつ別れてもいいし、またいつ一緒に死んでもいいというふうな、さりげない態度を装いながら、影では、彼女に夢中になって、夜遅くその辺を彷徨して彼女の動静を探ったりした。彼女は誰かにつけ狙われてるような不気味な恐怖を覚え初めたが、或る夜、村尾と気まずい別れ方をして、ほかのお座敷で酔っ払って帰ってくると、自分をつけ狙ってるのが実は村尾であることを見て取り、なお二階から覗いてその姿を物色しているうち、村尾の本当の心情がひしと身にこたえ、のりだして彼の名を呼んでるうちに、酔ってるせいもあって、二階の窓枠が折れて、下へ落ちて死んだ。だがこの話は、本物語と大した関係はないから省略するとして、ただ、村尾はこのことのために悲壮な決心をしたことは事実で、また彼の生活が甚しい窮迫に当面していたことも事実である。
 それからなお、注意に価すると思われる一事をつけ加えておくが、村尾は千代次とのことに関連して、さあらぬ体で、一般に芸者たちの情交について面白いことを云ったことがある。――「そのことについては、僕の頭には、いつも不思議な連想が浮ぶ。金貸の室を思い出すのだ。金貸の室ほどさっぱりしてるものはない。座布団が一二枚、机が一つ、時とすると片隅に卓子が一つ、掛軸と額、どちらも大抵名士の書だ。そして鹿の角だとか水牛の角だとか、そんなものが一つ、ぽつりと柱にかかっている。それだけで、他に何にもない。花は固より、花瓶さえない。余分な調度は一つもない。机の上に硯箱があり、机か卓子かの抽出に印刷した紙がはいっている。極端に簡素な室だ。そしてこの簡素さは、ただ事務という一事に集中される。こういう金貸の室に、芸者たちの情交は類似しているんだ。それはただ簡素な事務に過ぎない。金貸の室に、どこに人間味が見出されるか。芸者たちの情交に、どこに真心が見出されるか。僕はそれを長い間疑ってきた……。」
 右の言のうち、芸者たちという複数の言葉を単数に置換えると、村尾と千代次のことになるらしい。そして村尾は、恐らく金貸の室に人間味は見出さなかったろうが、千代次のうちに真心を見出した、或は見出したと思った。而もそれは千代次の死――過失の死には違いなかったが、その死によって見出したのである。彼の悲壮な決心がどういうものであったかは、大凡想像がつく。
 なお続けて彼の手記を辿ってみよう。

 私の生活は偶然事に左右されることが多かった。これは偶然を必然にまで統御するほどの旺盛な生活力が欠けていたからかも知れないが、それよりも私は、偶然の作用について宿命的な感じをさえ懐いていた。偶然が作用する場合、それは機会という言葉に飜訳される。浜田ゆき子に出逢った時、機会がいけなかったのだ。
 会社の退出まぎわの時間だったが、給仕が私に、浜田さんという女の面会人を取次いできた。その名前は私の記憶になかったが、とにかく応接室に通さしておいて、出て行ってみると、はっきり覚えがあった。いつのまにか忘れて、而も一目ではっきり凡てが思い出せるという、そういう女に対しては、一寸甘い感情が伴うことも許されるだろう。
「あたしだってこと、お分りになりましたの。」
 彼女は一寸お辞儀をしてから、微笑みながら私を眺めてそういった。少し小首を傾げ、乱視めいた眼付で、口をとがらした、その笑顔は、昔の通りだった。だがずっとけて、ふとっていた。
「まるで分らなかった。浜田さんなんていうもんだから……。」
「お訪ねして、いけなかったかしら。」
「いいえ、ちっとも……。」
 私の心は不思議なほど落付いていた。彼女も落付き払ってるようだった。金紗の着物も縫紋の羽織も、もう何度か水をくぐったらしい萎びかたをしていたが、その粗末なみなりがしっくり身体につくほど、彼女は肥って世帯じみていた。あれから名古屋に帰って、暫く小さな店を出してみたが、思わしくないので、今では姉の家に厄介になってるとか、ちょっと用があって東京に出て来たので、どうなすってるかと思って、お訪ねしてみたのだとか、そんなことを彼女は微笑みながら云うのだった。その微笑みから、またその様子から、七八年前の彼女が淡く浮んできた。神田の裏通りの小さなバーにいて、その頃半年ばかりの間、月に二三回、私は彼女を外に連れ出したことがあった。公然とそういうことが出来るバーだったし、彼女も公然と振舞っていたし、他に幾人も男の客があることも分っていたし、凡てが明るい取引だったので、私は却って気が安らかだった。彼女が名古屋に帰りたがってるのを知って、百円ばかりの金を助けてやった私には、何等の私心もなかった。あの時お世話になったきりで……などと彼女は云って、煙草の煙の間から微笑みかけたり、まだ独身おひとりですかなどと、まじめくさった聞き方をしたりした。そうして対座していると、次第に、彼女のとがった口付に愛嬌が出て来、乱視めいた眼付に色艶が出て来て、それと共に、太い頸筋が目立ち、しゃがれた声がなおかすれて、この二三年すっかり堅くしてるという、その肥った世帯じみた様子に、何か濁った汚ならしいものが浮んできた。私は何だか気が引けて、後で逢う約束をして、彼女を帰らした。それから室に戻って、平然と事務を片付け、なるべくゆっくりと会社を出た。そして彼女と待合せる場所が、なるべく会社から遠いというとっさの思いつきで、浅草の雷門前の仲店の通りということにきめたのを、自分で苦笑したのである。
 その頃、私は特殊な気持で生きていた。一方では、千代次の死後、その真心の幻を守り続けると共に、もう何如なる女にも心惹かれないという自由な朗かな自信とも決心ともつかないものを持っていて、それが逆に、あらゆる男女関係を軽蔑させていた。要するに、清濁を超えた宙に浮んだ気持なのである。それからまた一方では、経済的にひどく窮迫していて、何かしら漠然たる反抗心が湧いていた。もう浪費することもなく、また浪費しようにも出来なかったが、方々にたまってる不義理の借金や金貸からの負債などは、時間が経過するほど益々重くのしかかってきて、それを一挙に整理するために信子の父に頼んでみたのだが、千代次との過去のことが知れ渡っていたためか、手痛い警告をされた上に断られて、全く整理の見当がつかなくなっていた。以前、杉浦や西田などと交際して、社会問題や被搾取階級の問題などを論じ合い、小さな運動グループを拵えかけていた頃のことが、遠い過去のように思い出され、別種な熱い憤慨が身内に沈潜していた。
 私がもし相当に金を持っているか、或は遊蕩の気分でも濃かったら、浜田ゆき子などには一瞥も与えなかったろう。
 雷門前の仲町の人通りの中に、小間物屋の前に佇んで、花笄などを眺めてる彼女の姿を、私は遠くから見分けて、再び苦笑を洩した。頸が太く、背が低く、皮膚が荒れ、三十近い年配よりももっとけ、吾妻下駄なんかをはいて、小さな風呂敷包をもってる彼女の姿は、人中に目立った。そして私は自分の洋服姿を気にしながら、私の方へ縋りつくような眼付をあげる彼女をつれて、その辺の安価な牛肉店にはいり、酒をのみ飯をくい、ぐずぐずに時間がたち、今晩は帰らなくともいいなどと云いだした彼女と共に、懐中の紙入の中を胸勘定しながら、公園裏に安価な宿所を求めたのだった。
 置床と餉台とで僅かに恰好をつけて、昼間の光で見たら方々に汚点が浮出してそうなその室で、私は酒をのみながら、彼女を珍らしげに眺めた。この頃姉の家の手伝いをしてると云って、私にさわらしたその手は、皮膚がかたくざらざらしていた。あれから幾年になるかしらと云って、胸の中で指折り数えて、この頃あなたのことをよく思い出すわと、乱視めいた眼で昔のような可愛い笑い方をした。この頃酒はたってるんだけどと云いながら、平気で私の相手になっていて、その声は昔よりずっとかすれていた。田舎めいた臙脂の襟元がくずれて、化粧の香りよりも体臭の方が――実状はともかく――目立っていた。そして私も彼女も、淡い一脈の昔の夢の名残だけの親しみに満足して、お互にいろいろ訊ねあおうともせず、口先だけの言葉をかわして、二匹の動物みたいに対座していた。
 その夜のことが……。
 ――手記にはいきなり「その夜のことが……。」と続けられているが、茲に不思議なのは、初め信子についてあんなに重く取扱われていた耳のことが、一言も云われていない。恐らく浜田ゆき子の耳は、云うに価しないほど至極平凡なものだったのであろう。或は信子について耳を重要視したのは、無意識的にせよ何かの口実だったのであろう。そして「その夜のこと」の内容について、手記の先の方に暗示的な一節がある。それをここに引用しておこう。
 社員の殆んど全部と社長の懇意な人々とが集っていた。社長の誕生日の招待といっても、年に一度のこうした集会は、依田商事会社の記念会とも云えるものだった。そしてこの記念会だけから見ると、この商事会社は着実な発展をなしてるようだった。招待された人々は、社員を除いて、一年毎に社会的地位も上り、人柄の重みも増してるようだった。新たに知名の人も一二出席していた。万事略式でそして粗餐ということだったが、それらの人々が大抵、ネクタイピンを光らし、ズボンの折目も正しく、中にはモーニングを着込んだものもあって、東洋軒の広間で、白布の上に花を飾った食卓をとりまいて、礼儀正しく食事をしてるところは、如何にも立派だった。私は末席の一つにいて、足高の酒杯になみなみとつがれてる白と赤との葡萄酒が、電気の光にてりはえるのを眺めながら、日本酒をのんでいたのであるが、側の二人の同僚が小声で、俺たちも誕生日にはこうした盛宴を張りたいものだが、一体今日の入費はどれほどだろうかなどと、感歎とも皮肉ともつかない調子で囁きあってるのを、小耳にはさんだのがもとで、僅かな金の工面にも齷齪してる自分の身が顧みられて、うら淋しい気持になった。それが私を更につき落して、浅草公園裏の安宿へ浜田ゆき子を連れこんだ時のことを思い起した。それは幻影に近かった。そして私は考えた。あの時の私の姿を今この席にいる私と置きかえたらどうだろう。私は遂い出されるであろうか。いや、ここにこうして鹿爪らしく控えてる立派な連中にも、人中にもち出せない生活の暗い隅はあるにちがいない。誰だって、何処でどんなことをするか分らない。ただ、こういう立派な紳士たちは、自分で汚らわしいと感ずるようなことは、出来てもしないかも知れない。だが私は、自分で汚らわしく惨めだと感ずるようなことを、平然とやってのけた。これは一体どうしたことだ。
 こういう事柄は、大勢の宴会の中などで考えるべきことではなかったろう。然し私は変に執拗にあの夜の幻影を追った。声がかすれ息が濁って、ふとることが荒れすさむことになるような、そういう彼女の肉体を、両手に裸体像を取上げて眺めるような風に、私はもてあそんだ。もう美醜の問題もなく、感情の問題もなかった。自分自身をも相手をも踏みにじってやれということもあるにはあったが、それよりも、ずるずると陥ってゆくどん底はどこだという、そうした漠然たる気持の方が大きかった。たとえ千代次が生きていて、私が彼女に夢中になっていたとしても、私はやはり同じことをしただろう。翌朝、勘定の残りの五十銭銀貨を幾つか彼女の手に握らせ、円タクにとび乗る私を見送ってる彼女のしょんぼりした姿をちらと見、その時だけは、温い心で彼女の肩を抱いてやりたいと思ったのが、私の唯一の人間味であったろう。私は自分を惨めに思い、彼女を哀れに思った。そしてこの華かな宴席の紳士たちを、反抗的に、呪いもし、軽蔑もした。

 経済的に生活の立直しをするため、信子の父の緒方久平氏に歎願したことは、前に一寸述べておいたが、その時私は逆に意見をされただけだった。人の好意を常に当にし、それに甘えてつけ上った要求をもち出すのは卑劣だ、というのが緒方氏の意見だった。実際私は彼に二三度金を借りたことがあったし、母も生存中何かと世話になったのだった。彼は私に二つの問いを出した。川に溺れてる者があって、飛びこんで助けようとすれば、こちらも必ず溺れ死ぬときまってる場合、君はそれでも飛びこむか、どうだというのである。ばかげた問いだと私は思った。一人死ねばよいのに、何で二人死ぬ必要があろう。ところが、それが親子夫婦の間だったらどうだ、それでも……とすぐに云い切れるか、との再度の問いになった。私が黙って考えていると、君は世の中の人をみな親子夫婦の間柄と同様に思ってる、それが君のそもそもの考え違いだ、とそう結論された。そして彼はなお云い続けた。
「溺れてる者を助ける普通の場合にせよ、その者が、後で必ず何度も水に落込むと分ってる場合、君はそれでもその度毎に飛び込む勇気があるかね。または、始終その者を監視して水に落込まないようにしてやるだけの好意があるかね。そんなことはばかばかしいと思うだろう。僕から見れば、君は好んで何度も水に落込む男だ。君の暮し方は、笊に水をつぎこむようなものだ。もし君がその笊に目張りをして水がもらないようになったら、その時は僕も相談にのってやろう。君のお母さんも君のそういう性質を心配しておられた。よく考えて覚悟してみ給え。」
 私はもう覚悟を、別種の覚悟をしていたので、彼の前から黙って辞し去った。その頃私は実際ひどく若しかった。どうしても払わねばならぬ義理の悪い借金があったし、金貸への利息払いに追われていたし、その上、古賀に無理に頼まれて連帯保証に立ってた借金を、田舎の土地を売って来るからといって出発した古賀からいつまでも便りがないので、全部私が負担しなければならないような破目に陥っていた。私はそういう一切のことを信用金融制度の穽だと考えた。利用したのはこちらが悪いが、穽に陥るまで利用さしたのは向うが悪い、と考えた。そしてもし全体の整理が出来たら、私は一人身だから、少しずつ払っていける確信はあった。だがその整理も出来ないような面倒くさい世の中なら、御免を蒙っていいと思っていた。笊から水がもらないようにするには、目張りをするのが先ず必要だった。そして私が知ったことは、目張りをすることが最も必要な時に、目張りをすることが最も困難だということである。
 こうした気持からくる私の態度は、緒方氏に印象を残し、ひいてはその家庭での話題となったものらしい。少くとも、信子は私の家に来る時、母親から何等かの注意か依頼かを受けたもののように、私には考えられる。第一、私の母の命日だからとて花なんか持って来たのがおかしい。嫁いで間もなく先方を飛びだしてきて、二十五の今日まで家でぶらぶら日を送り、文学だの音楽だのをなまかじりしてる彼女のことだから、時々私のところへ遊びに来ることもあったが、母の仏壇へ花をもって来るなどとは、余りに殊勝すぎた。
 日曜日の午後のことで、暖い春の日差を受けてる縁側で、私たちは話をした。八つ手や檜葉や躑躅などが植ってる何の風情もない狭い庭に、青い雑草があちらこちら生え出していた。女中に草を取らしたらいいじゃないの、と彼女は云った。私はただ苦笑したが、その時ふと、反対のことを考えた。庭に雑草を生えるまま茂らしたら面白いだろう。名も知れぬ小さな白や赤の花が咲いたらどうだろう。いろんな虫もとんでくるだろう……。そういう想像を私は、自然に逆らわないで生きるという形式で述べた。すると、彼女は軽蔑したように鼻の先で笑った。雑草の繁茂なんかの中に自然を見出すのは、なげやりのだらしない生活の口実にすぎない、と云うのだった。そういう自然は意志の喪失を意味するのだと。私は或はそうかも知れないと考えてみて、いやな気がした。そっと窺ってみると、彼女の眼は青葉の反映を受けて無邪気にちらついていたが、中高の先の尖った鼻が如何にも高慢そうで、お召銘仙の着物と羽二重の帯のじみな服装に、帯留の珊瑚と指輪のオパールとがいやに落付払っていた。私はとりつき場がなくて、軽くウェーヴした髪に半ば隠れてる耳を、あの醜い耳を、しつっこく探し出し取出さねばならなかった。
「意志の喪失でも、間違った自然でも、そんなことはどうでもいいんです。ただ、雑草を生えるままに生えさしたい、それだけのことで、それが今では胸にぴったりくるんです。」
 私はそう云って涙ぐんでいた。
 だが、その言葉もその涙も嘘ではなかったが、不思議にも、そんなことを云ってそんな風に涙ぐみたいという気持があった。信子に対する私の態度としては珍らしいことだった。
 私たちはなおいろんなことを話した。私の室の書物を見て彼女は、も少し詩や小説を読むがいいと勧めた。寂しい家の中を見廻して、蓄音機を買えと勧めた。その蓄音機がばかに贅沢なもののようにその時私には思われた。彼女は私の家の中を、生活状態を、偵察してるようだった。私は何もかも投げ出した気持で、少しも逆らず、ただ、時々意識的に、彼女の欠け縮れた醜い耳を探し求めた。彼女は私の机の前に坐って、どうしようかと迷ってるような素振で、バットを一本とりあげて眺めた。その時私はマッチを自分で取るつもりだったが、机の上になげ出されてる彼女の左手を、そっと握った。
 私も半ばは意外だったが、彼女は全く意外だったらしく、全身でびくりとしたが、次の瞬間、私はその滑かな手を強く握りしめていたし、彼女はそれを私に任せて、窓の外にぼんやり眼を向けていた。やがて彼女は煙草をそのまま投げすてた。私は彼女の手を離した。
「まあ、蝶々がとんでるわ。」
 彼女はびっくりしたように立上って、軒先をかすめて飛んでゆく白い蝶を眺めた。私も立上ってそれをみた。それから天気のことや郊外のことを話した。そして暫くたって彼女が帰っていく時、私たちはこんどは友だち同士のように笑いながら朗らかな握手をした。
 つまらないことだったが、この冒険が、次の事件の機縁だったのである。そして私にこんな冒険をさしたのは、浜田ゆき子とのあんなことがあったからだと思われる。私が手を触れたのは、彼女の手へではなく、彼女の醜い耳へだったようだ。私は自分がいやになっていた。
 ――茲に一寸註を入れたい。村尾はこう話したことがある。「僕と信子との間柄では、手を握りあうことぐらいは何でもないようだった。それで、もし僕が彼女に愛か憎しみを感じたとすれば、彼女を抱きしめるか殴りつけるか、そういう激しい表現にならなければならない筈だった。が僕にはなかなかそれが出来なかった。卑怯だったのだろう。」
 この言を真実だとすると、彼が冒険という言葉を使った意味も分るようだし、その「つまらないこと」のいきさつを長々とこまかく述べているのも、単なる手記上の技巧だけとも思われない。そしてこの次に、可なり長く感想風な文章が続いているが、妙に筆致が浮いてるところを見ると、彼は何か云いたいことが充分に云えない焦躁を感じたらしい。そこをとばして、先へ進んでみよう。

 私は信子に対して一種の芝居をしていたようでもある。一人でいると、彼女を思いきって軽蔑してやりたい気持になったが、彼女の前に出ると、妙にうちしおれて元気がなくなった。そういう私を昂然と見下すのが、彼女には嬉しかったらしい。この頃芸者遊びをするかと尋ねて、彼女は笑った。友人にはどんな人がいるかと尋ねて、親友にはよい人を選ばなければいけないと忠告した。私が会社の不平を云うと、現在の職業をいつでも投出すだけの勇気のある人こそ、ほんとにその職務を立派にやってゆける人だと説いた。そして彼女は世間話のような調子で、父になにか相談されたそうだが、どれほどの金があったらすむのかときいて、私が素直に、二三千円でいいだろうと答えると、それだけなのと軽蔑したように聞き流した。また彼女は私を音楽会や芝居に誘ったが、私はもうそんなところへは行きたくない気持だった。彼女は蓄音機とレコードを持ってきてやると云ったが、それは空言に終った。それからまた、頭の中で考えてる小説の筋などを話して、私の批評を求めたが、私の意見などは実はどうでもよく、ただ話してきかせるという調子だった。然し私から見れば、その小説なんか甘いつまらないものばかりだった。そして私はひそかに、彼女の醜い耳を意識してやるのだった。
 或る時、彼女は風呂敷包みを開いて、大きな封筒を取出し、それを私の前に差出した。中には、百円の勧業債券が十八枚と二十円のが十枚はいっていた。
「いつか、父にお頼みなすったものよ。」
 そして彼女は注意をした。それを担保に金が借りられる筈だが、彼女たちでは少し工合が悪いから、私自身で私の会社から借りるようにして貰いたい。債券の番号をすっかり記入した預り証を取っておかなければいけない。こんどの抽籤の時もし二千円当ったら、それで金を払って債券を戻せばよい。
「お約束して下さらなくちゃ困るわ。あなたの会社で融通して貰って、二千円当るまでは、決して売ったりなんかしないと……。」
 彼女は口許に笑みを含んで、私の方へ手を差出した。
 二千円の籤に当るという甘い空想を快く聞き流すだけの余裕を、私は持っていた。そして紙面の精巧な模様印刷を眺めていたが、とっさに尋ねた。
「お父さんも御存知のことですか。」
 猶予を与えない鋭い調子だったらしい。だが彼女は高慢な平静さを失わないで答えた。
「知らないことになっています。」
 その明確な答えが私の胸を刺して[#「刺して」は底本では「剌して」]、私を非常に惨めな境地につき落した。私は反抗的に、差出されてる彼女の手を執った。
 夜のことで、一つきりない二階の室だった。母の死後、書斎を母の居室だった階下に移して、後を客間としていたのだが、めったに客もなかったし、調度の類も揃っていなかったので、寂しくて落付がなかった。電燈の光だけがいやに明るく目立った。楢の円卓の上で私に手先を任してる彼女は、いたずららしく眼を動かした。
「きっと籤に当るわ。」
 それは、千代次にならふさわしい言葉だった。そして室の佗しさは、ゆき子とのあの安宿に似ていた。この突飛な連想……というよりも寧ろ本能的な印象は、私を道化者になした。私は彼女の手を離さず、真心からのやさしい力を掌にこめ、そのまま身体をずらして、彼女の前腕の上に顔を伏せ、しみじみと涙ぐんだ。長い時間がたった。
「村尾さん……。」
 低い調子だったが、私は次の言葉を待たないで、もう顔を挙げていた。彼女は明かに、私の感動の様子のために感傷的になっていた。頬をかるく赤めて、眼を伏せた。電燈の光をあびてる艶やかな髪の影に、中高な尖った理智的な鼻が白く、その横顔の真中に、欠け縮れた醜い耳があった。私は心でその耳をふみにじりふみにじり、そして涙を浮べながら、のび上って彼女の肩を抱いた。彼女は冷く固くなっていた。私はその石像の唇を求めた。瞬間に、石像は肉塊になった。その肩の堅さと腕の強さとを私は知った。だが、つぶっていた眼を彼女が薄く開きかけた時、私は身を引いて、卓子の上につっ伏して、こんどはほんとの涙を流した。私は彼女の耳に内臓的な関係までありそうに思えるほど醜いその耳に、足の下にふみにじった気でいるその耳に、唇を押しあてたかったのである。それが出来なかった。彼女に対しても、また自分自身に対しても、そこまでの残忍さは出来なかった。感傷的な涙は止らなかった。
「泣いちゃだめよ。もっともっと、悲しいことがあるかも知れないから……。」
 その言葉と、背中に添えられてる手とを、私は煩わしいものに感じた。涙を拭いて身を起すと、彼女の理智的な高慢な鼻が真正面に私の方を向いていた。冷たく澄んだ眼がちらと外らされて宙に据った。頬からは少し血の気が引いて、唇がふるえたが、もう彼女は何も云わなかった。
「許して下さい。」
 私はそう云ってまた涙ぐんだが、おかしなことに、胸の底は冷く、その言葉も彼女に届かないで自分に戻ってくる気持だった。
 ――手記に現われてるこの場面には、少し作為があるようである。それは実際の情景の記述と見るよりも寧ろ、村尾自身の心理解剖と見るべきであろう。心理解剖というやつは、何かを見落すのが常であって、見落すことによって整理する。
 手記のずっと先の方に、次のような一節がある。
 私は実際、男女関係に於ても、何ものにも囚われない自由な朗かな心境にあることを、自ら喜んでいた。然しこの考えは或は間違っていたかも知れない。私がもし恋をしているか、恋でなくとも何等か一つの愛情を持っていたならば、ゆき子にも信子にも、また他の誰にも、ああいう態度は取らなかったろう。そしてこんな惨めなところに落込むことはなかったろう。極端に云えば、独身でいたのがいけなかったのかも知れない。然しながらまた、自由に遊蕩出来るだけの金を持っていたら、問題はおのずから異る。要するに、貧乏でそして愛人がなかったのがいけないのだ。とはいえ、今は寧ろそのことを感謝したい気持である。
 ――この一節を考え合せると、前の場面から何かが見落されてるように思われるのである。村尾はまたこういうことも云った。「僕が彼女の醜い耳に誘惑されたことのうちには、実は自分の理性に対する反抗もあったかも知れない。」

 結局は自分自身を惨めになすに過ぎなかった信子との事柄は、二千円の勧業債券に対して私を無頓着ならしめた。私はそれについて、大して感謝もしなかったし、また大して躊躇もしなかった。それに元来私は、金銭のことは水量みたいなもので、水準の高い方から水準の低い方へ水が流れこむのは当然のことで、こちらの水準が高くなればこんどは他へ流してやると、そういう呑気な考え方をしがちだった。その上、緒方久平氏が知っていながら、勧業債券なんかを持って来たのは、抽籤という他愛ない僥倖を考えての母と娘の策略だと、大目に見過すことも出来たし、また、会社から借りる方が支払いに便宜だとも考えた。
 翌日、早速、母が大事にしていたものですけれど……と云って、社長に頼んでみた。社長は一寸額に皺をよせて考えたようだったが、別に穿鑿もせずに、その担保貸出を取計らってくれた。而も社員だというので特別に、抽籤期はまだ遠いにも拘らず、額面高の貸出をしてくれた。私は二千円の紙幣をポケットにつっこんで、その晩直ちに、急を要するところへ二ヶ所だけ廻って、支払いをすました。そして半分ほど残ったのを、不足ながらも、他の方面へどういう風に割りあてようかと考えた。そういうことが、私の性質からすれば、またこれまでの例としても、朗かに楽しく為される筈であったが、どうしたものか、こんどは却って私を憂欝にした。殆んど諦めていたところへ、思いがけなく道が開けたようなものではあったが、私の心は少しも開けずに益々欝屈してきた。
 ――茲に一言挟むが、手記にはただ右のようなことしか書いてない。然し村尾はくり返し云った。「僕はその金を、拾い物を収得して利用するような気持で使った。そうすることが、信子に対する自分の道化た態度を益々徹底させることになり、自分を益々泥の中につきこむことになるからだった。そして僕は自分の……云わば、無良心の底が知りたかったのだ。」この言葉は彼の憂欝の原因を説明してくれるようである。
 そして憂欝な気持で、翌日を過し、夕方家に戻ってくると、信子から手紙が来ていた。私はそれを、あれからすぐ名古屋に帰るといっていた浜田ゆき子からでも来たような気持で、披いてみたのだが……。
私は悲しい心でこの手紙を書かなければなりません。一日一夜、考え通してみましたけれど、やはり一切のことを申上げた方がよいと思いまして、進まぬペンを執りました。御許し下さい。私はただあなたにお力をつけてあげたい――お笑い下さいませ――あなたがどんなことをなさるか分らないと心配して、母といろいろ相談した上で、あんなことを致したのでした。そして思いがけなく、あなたの愛に接して……。あなたが私を愛していて下さることは分っていましたけれど、でも、それはちがった種類の愛だと思っておりましたの。それが、ああいうことになって……。私は今泣いています。泣きながら告白します。私には、愛する人がございます。そのためにも、私はあなたの愛を御受けすることが出来ませんの。御許し下さい。でも、あなたは屹度、この悲しみに堪えて下さいますわね。どんな悲しみにも堪えて下さいますわね。私はあなたの男としての力を信じます。私を愛して下さいますならば、この私の確信を裏切らないで下さいませ。私はたとえ泣きましても、あなたは泣かないで下さいますわね。(中略。ここに彼女は、人生はくいちがった歯車のようなものだとか、悲しみをふみくだいてゆくのが生きる途だとか、自分は過去にそうした途を辿ったが、今はただ一条の光を見つめて生きているとか、そんなことを書いていた。)あなたは今、いろいろな意味で、試練の時期にさしかかっていらっしゃると思いますの。そして力強い輝かしい未来のため、只今の試練に御堪えにならなければなりません。そうしたあなたを私は信じておりますの。私はあなたの愛を御受けすることが出来ないながらも、あなたのよきお友だちになりたいというのが、心の願いでございます。御許し下さいましょうか。(後略。ここには、あの時の約束を守って債券を最もよく役立ててほしいとの意味が述べてあった。)
 憂欝な打沈んだ私の気持は、この手紙によって、どん底までかき乱された。私は何か燃え立ってくるものを感じた。敵の虚をでも窺うように、手紙をくり返し読んでみたが、明らさまの嘘は見出せなかった。そして信子が本気で真実にそれを書いてることが分れば分るほど、私は苛立ってきた。私はあの時、彼女の唇へではなく、彼女のあの醜い耳へ、なぜ自分の唇を押しあてなかったのだろうか。私はすぐに返事を書きかけたが、そこまでは、卑怯にも、書けなかった。そして第一、茲でもはっきり説明がつかないように、自分の気持をはっきり書き現わすことが出来なかった。幾度も書箋を破き捨てた。じっとしていられないで、家を飛び出して酒を飲みにいった。そして酔っ払ってるうちに、彼女が一瞬間に矜持をすてて私に唇を許したあの時のことが、切りぬいたように浮んできた。恋人があるというのに、何ということだ。ゆき子に対する私のやり方よりも一層下劣ではないか。ざまを見ろ、と私は彼女の手紙に対して云ってやった。耳を見ろ、と私は彼女の高慢ちきな鼻に対して云ってやった。ざまを見ろ、耳を見ろ。そして私は彼女の好意によって得た金で懐がふくらんでるのをいいことにして、知らない土地で蓮っ葉な芸者を二三人よんで遊びほうけ、酔いつぶれてしまった。さんざんあばれたらしい。
 翌日私は会社を休んで、ぎんぎん頭が痛むなかで二つの計画を立てた。一つは、支払ったり使ったりしただけの金を拵え、債券を受け出し、それを信子につき返してやること。も一つは、むりにでも彼女の耳にキスしてやること。そして先ず第一の計画の実現に奔走した。少しでも見込みのありそうな友人には相談してみた。だが心の底ではだめだということをよく知っていた。
 ――註をつければ、彼は親しい友人たちにはみな、信子とのことや債券のことなどを、残らず打明けた。その調子はひどく冷淡で平静だった。そして結局、金のことは駄目だとなっても、そうだろうと思っていたが……とだけ云って苦笑した。金の必要を痛感してるとは見えなかった。出来ないことを確かめればそれでよいという様子だった。人をばかにしてるという印象を友人たちに与えた。冷静な自己曝露というものは人の同情を得はしない。後はそれを無視してかかっていた。そうした彼の心理を推察した者は殆んどなかった。それにまた、彼の当時の心理は可なり平衡を失していたようでもある。手記を辿ってみよう。
 私は自分の周囲に次第に冷かな空虚が出来るのを感じた。人間の緊密な社会的関係が私から遠のいていったのだ。私はそれを却って喜んだ。私はいつしか酒に親しむようになった。黙ってじっと人の顔を見つめる癖がついた。会社へも欠勤が多くなった。

 土曜日の午後四時頃、私は銀座通りで信子の後をつけていた。彼女は日陰になってる人通りの少い方の側を、新橋の方へ真直に、わき目もふらず、草履の裏を見せないですっすっと歩いていた。明るい縞のお召の着物に縫紋の黒の一重羽織をつけてる後ろ姿は、肩が少しいかついが、立派な夫人姿だった。私は彼女の手紙の文句を思い浮べながら、そして胸の中の欝積を新たにしながら、二十間ばかり間をおいてつけていった。十字街にさしかかった時、彼女はストップに会って、十人ばかりの人中に立止った。私は歩き続けて彼女のそばに出た。何か光ったような感じだった。彼女の鋭い視線を正面に受けて、私は丁寧にお辞儀をした。どちらへ、と私はすまして尋ねた。一寸買物に、と彼女は答えて、なぜか顔を赤らめた。私は威圧的に云った。
「お茶でものみませんか。」
 それが、安心したような笑顔で受け容れられたので、私は気持が挫けた。少し歩いて、千疋屋の二階に落付いて、不純なものよりもと彼女が笑って、メロンと紅茶とをあつらえるまで、私はただ彼女のお伴みたいに振舞ってしまった。そして卓子の上と彼女の帯の薬玉くすだま模様とに、視線を往き来さしていた。
「私の気持、分って下すって……。」と彼女は云っていた。「御返事もないので、ちょいと、心配してたわ。」
 涙ぐんだり悲壮な顔付をしたりしたがる道化者が、自分のうちにぴくぴく動きだすのを、私は一生懸命に押えつけた。そして自分の気持を何か一口に云ってやりたかったが、言葉が見当らなかった。非常な努力をするような気で、彼女の顔を眺めた。少し骨立った額、高慢な鼻、どんな屁理屈でも饒舌りたてそうな薄い唇、そしてそれらが程よく整ってるのが、結局私の趣味に合わないらしいのを、私は初めて発見したかのように眺めた。彼女は私の方を探るように見ていたが、神経衰弱の気味がありはしないかと尋ねた。私は頭を振っただけで黙っていたが、紅茶をすする手が、煙草を持つ指先が、こまかく震えるのを意識し、その震えをとどめることが出来ないのを知った。これは危いと思った。自分は神経衰弱で、夜はよく眠れないし、昼間は頭がぼんやりしているし、食慾がなく、眩暈がする……そんなことをうっかり云い出すかも知れないし、人目がなかったならば、涙を流しながら彼女の前に跪くかも知れないし……。然しながら、私はそんなことで手が震えてるのではなかった。彼女を殴りつけ蹴とばし、思うさま踏みにじってやったら……そしてその醜い耳に唇を押しあててやるのだ、キリストの足に信者が接吻するように……。だが、あなたを愛することが出来ないのが悲しい、と私の中の道化者は云いたそうだった。私はまともにじっと彼女を眺めてやった。彼女を相手にすると、凡てが、二千円の債券も、あの晩の道化芝居も、あの手紙も、彼女の耳までが、凡てがどうしてこう重大になるのか、私には腑に落ちなかった。みんな下らないことじゃないか……。彼女は竦んだように固くなって、無理な硬ばった微笑を浮べた。
「今日は一寸急ぎますから、あした、日曜に、伺ってもよろしいの。」
 私は立上っていた。明日は用があるからまた後にして下さいと云った。
「いずれ、はっきりしてから、お知らせします。」
 それだけ私は云った。そして彼女と別れてから、掘割の油ぎった汚水を眺めながら、私は自分を嘲ってやった。何とつまらない会見だったろう。凡てのことが何とくだらないことばかりだったろう。
 ――ここで手記は、皮肉な調子の平凡な感想になっている。その感想のなかに、書くにも価しないような些事が並べられている。思うに、種々のつまらない不愉快な事柄が重っていたものらしい。待ってる手紙がいつまでも来なかったり、はんぱな時期に勘定を取りに来る商人がいたり、レインコートの釦がとれたままになっていたり、早く帰りたい時に会社の事務が長引いたり、逢いたくない知人に出逢って長々と話しかけられたり、バスの中に洋傘を置き忘れたり、煙草を吸いすぎて喉を痛めたり、用のある時に社長が来なかったり、其他いろいろなことがあった。そしてそれらの些事と同じ調子で次のようなことが簡単に書かれている。彼が事務を投り出して窓から外を眺めていると、社長から呼ばれた。この頃欠勤がちだし、事務もろくに手につかぬらしいが、どうしたのか、と尋ねられた。彼はまじめくさって、考えてることがあるからと答え、職を罷めるか罷めないかは自分の自由だが、罷めさせるか罷めさせないかは社長の自由だと云った。それからは、社長はひどく冷淡になり、彼の方を見向きもしなくなった。また或る時、会社の方へ、古賀に関する債権者がやって来たので、月末には全部始末すると云って、その月末という言葉だけを何度も繰返していると、債権者はそのまま帰って行った。また彼は、すばらしい洋服を一着拵えようと考え、その服地や縞柄から、帽子、ネクタイ、靴などのことまで、こまかく想像してみた。そういうことが、淡々と述べられていて、最後に、調子が一変して、少し以前のことであろうが、社長依田賢造の弟がロンドンの銀行に赴任する折、東京駅で彼が見送人受付係の一人となった時のことが、回想されている。その記述を辿ろう。
 名刺受[#「名刺受」は底本では「名剌受」]をのせた粗末な小卓の前に立っていると、多くの紳士淑女たちが、名刺を[#「名刺を」は底本では「名剌を」]差出して丁寧にお辞儀をしていった。名刺を[#「名刺を」は底本では「名剌を」]忘れて、名前を告げながら、顔を赤らめて恐縮してる者もあった。私は自分でも意外な或る傲然たる気位で、反身になって彼等に接した。発車五分前に、名刺の[#「名刺の」は底本では「名剌の」]整理を他の人に頼んで、私はフォームへはいっていった。わざとゆっくりと歩いてやった。車窓から頭を出してる依田の弟を中心に、大勢の見送人たちは円陣をつくっていた。すぐに汽車が動き出して、万才の叫びが起った。その声が消え、汽車が遠ざかると、今迄一つの気分にまとまっていた群集は、個人に分解されて、もう各自に他のことを考えていた。私はその中で、俄に淋しく惨めな気持になった。誰も私を気にも止める者はなかった。私は首垂れて、乗車口の方の構内へ出て行ったが、その時、おかしなことを思い出した。丁度朝の出勤時刻、大勢の人がその構内から丸ビルの方へ流れ出してる時、一陣の風がさっと来て、茶色の中折帽が一つ飛び、電車線路のところへ転っていった。その男は両手をオーバーのポケットにつっ込んだまま、三四歩よちよち駆け出し、それから両手を出して帽子を追っかけ、拾い取るが早いか、埃のついたままの帽子を慌てて頭にのせ、ハンカチで顔を一撫でして、真直に歩いていった。そこに、何かしら滑稽な体面があった。それを私は思い出して、むず痒いような気持になり、構内の高い円い天井の下で、自分の黒いソフト帽を思いきり投げてやった。落ちてくるところを宙に受けて、また投げ上げた。三度目に投げようとすると、私の腕は強く引止められた。社の一人の同僚が、腹を立てて、烈しい気勢で私を押えてるのだった。私も腹が立ったが、諦めて、帽子を頭にのせた。そんなところで帽子を投げることは許されないのであろう。
 ――手記はこれで終っている。恐らく、もっと書く筈だったのが、何かのために中絶されたものらしい。普通なら、こんな尻切の手記はあるものでない。
 この手記を村尾は、島村と公然の深交を持ってる静葉に託した。もう夜の十一時すぎで、馴れない出先だったが、客からの名指しで是非にということだったので、静葉はやっていくと、すっかり酔っ払ってる村尾だった。新聞紙に包んで紐で結えたものを彼は差出して、ひどく大切なもので、郵便で出したくないし、直接島村さんに渡すのも都合が悪いから、君から手渡して下さいと、静葉に頼んだ。その用件をすますと、村尾はまたしきりに酒をのみ、島村の代りに聞けといって、静葉にはよく分らないことを饒舌りたてた。俺はこれからの生活を一新するんだが、そのためには、世の中のことは凡て下らない関係の上に成立ってるということを腹に据えてかかるんだ、と彼は云った。君たちは実に簡単明瞭な世界に暮してるから仕合せだ、と彼は云った。俺は或る女を愛したいと思ったが、どうしても愛せられなかった、と云って彼は泣いた。俺は昔ある芸者に恋したが、一度芸者なんかに恋した者はもう、頭の複雑な普通の女を愛せられなくなる、これはどうしたことだ、と云って彼は静葉につっかかってきた。俺はどんなことでも出来る、どろぼうでも人殺しでも出来る、そういうことが分ってくるのは恐ろしいことじゃないか、と云って彼は不気味な笑い方をした。要するに、ひどく酔っ払って、泣いたり笑ったりして、黙ってるのが淋しいというように饒舌りたて、静葉にはよく分らないことをいろいろ云って、それでも勘定を忘れずに済して、静葉から自動車にのせられて帰っていった。
 島村が彼の手記を読んで、訪ねていくと、彼は夜逃げ同様に移転した後だった。移転先は分らなかった。方々に迷惑をかけたまま彼は姿を隠した。然しそれは、友人たちにはひそかに恐れられていたことであり、随ってまた、さほど驚かれることではなかった。

 川蒸汽の中での一年ぶりの邂逅は、普通以上に、島村を微笑ましい落付いた気分になした。彼はしみじみと村尾の顔を眺めた。
「こんな船に、君も時々乗るのかい。」
「ゆっくりした用の時には、乗ることにしています。」村尾も落付いた調子だった。「僕の中にはまだ、こうした、ロマンチックなものが残っているんでしょう。」
 そして彼はまた、きまり悪そうな微笑を浮べた。以前の面影がそれを中心に残っていた。二人は口を噤んで、水面や岸の方を眺めやった。河岸の家並にはもう夕暮の色がかけていた。二人は吾妻橋で船から下り、ぶらぶら歩いて、公園前の一寸した家で酒にした。
「この向うの仲町だったね、名古屋から来た女と持ち合せたとかいう、君の旧跡は。」
「旧跡とはよかったですね。だけど、実際僕は市内の方々に旧跡を持ってるんですが、それが、今では、自分の旧跡ではなく、誰か他人の旧跡のような気がするんです。生活の変化というものは、何もかも遠くへ押し流してしまうんですね。あの当時、僕は心残りのことが二つありました。一つは、信子に、決して愛してるんじゃないと知らしてやらなかったことで、も一つは、会社を罷めたまま退職手当を貰いに行かなかったことです。退職手当を貰うということは、単に金銭の問題じゃなくて、長年の勤労生活の清算をすることになるんです。然し今ではもう、その二つとも、どうでもよくなりました。結局つまらないことです。」
 彼のうちに何か新らしい力強いものを感じて、島村は嬉しかった。村尾はなお当時のことを笑いながら話した。
「全く突然のことで、僕も面喰いましたよ。松浦久夫という、以前小さな或るグループを拵えていた仲間で、自由労働者上りの男ですが、僕をいきなり、あの生活から引抜いてくれました。あのままでいたら、僕はぐずぐずに腐ってしまったかも知れません。松浦はふだんはのろのろしてる男ですが、いざとなるとばかに素早いんです。僕が使い残してる金をひったくって、小さな印刷所をかり受け、それから、私の家の道具類で、入用なものはひそかに持ち出し、不用のものは売り払い、女中に暇を出し、行方が分らないようにして引越したんです。ばかに忙しくて、あの手記さえ、書き終える隙がありませんでした。僕はもう全く意志の力がなくて、松浦の云う通りになりました。考えてみると、僕は初めから、ばかげた芝居ばかりやって来たようで、ほんとに生活したことがなかったようです。只今は、松浦と二人で印刷所をやりながら、或る計画を立てていますが、いずれあなたにも御力添えを願うことになるかも知れません。そのうちに、松浦を御紹介しましょう。屹度あなたと気が合いますよ。滑稽なことには、抜目のない男ですが、私が会社から退職手当を貰っていないことには気付いていないんです。私も隠しています。知ったら、取りに行けと云い出すにきまっていますからね。」
 村尾は[#「 村尾は」は底本では「村尾は」]ずるそうに笑った。その笑いが如何にも朗かだったので、島村はそれによって彼の生活を想像し、あの手記のことを思い出して、その変化に不思議な気がした。
「僕はどうも、ばかげた空想ばかりしてるような気がすることもありますが、時によると、そのばかげた空想が役に立つようです。あの生活からぬけ出す時もそうでしたが、只今でも実生活に役立つことがあります。」
「さっきの、何か計画を立ててるとかいうのも、案外そうした空想の産物じゃないのかね。」と島村は率直に云った。
 村尾はちらと鋭く眼を光らしたが、別に抗弁はしないで、まあ飲みましょうと云った。島村はその杯をのんきに受けた。





底本:「豊島与志雄著作集 第三巻(小説3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」未来社
   1966(昭和41)年8月10日第1刷発行
初出:「中央公論」
   1934(昭和9)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年5月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について