一
むかし、
顔長の長彦は、体がやせて細く、少しも力がありませんでしたが、たいそう知恵がありました。そして、京の都からやって来て、そこに隠れ住んでいる、年とったえらい先生について、いろいろなことを学んでいました。
顔丸の丸彦は、知恵はあまりありませんでしたが、体がまるまるとふとって、たいそう力があり、むじゃきな
このふたりの兄弟は、いたって仲がよく、互いに
ある年の夏、ひどいひでりがして、琵琶湖の水が一メートル半程もへりました。そのひでりのため、米や
「米や
それはよい考えだと、みんな賛成しました。そしてお金を出しあったので、たくさん集まりました。
ところが、遠い北の国まで、米や芋を買いにいくのは、たやすいことではありません。まだぶっそうな世の中で、途中でどんな悪者にあうかわかりません。これはぜひとも、力のつよい顔丸の丸彦に、行ってもらおうということになりました。
そこで、顔丸の丸彦は、湖水の岸に多くの船をしたて、おおぜいの水夫たちをひきつれ、刀をさし、鉄づくりの
この一隊は、
すると、思いがけなく、湖水の上で
顔丸の丸彦は、さすがに、刀と鉄の
そして丸彦は、兄に今までの出来事をくわしく話してから、いいました。
「申しわけのために、私は死んでおわびをします、あとのことは、よろしくお願いします」
顔長の長彦は、だまって聞いていましたが、しずかに答えました。
「生きるも死ぬるも、まあ私にまかせておきなさい。そしてまず、水夫たちにてあてをしてやって、待たせておきなさい」
それから顔長の長彦は、二日二晩考えつづけました。そして弟にいいました。
「こんどのことは、もうどうにもしかたがない。けれど、私たちには責任があるし、死んだからとて、その責任をはたせるわけのものではない。このうえは私たちだけで、できるだけのことをしてみよう。元気を出しなさい」
そこで、長彦と丸彦はいろいろ相談して、失敗のとりかえしをすることになりました。
まず
そうした旅を三度くりかえしました。そして米や
それを見て、心配していた人たちは、ようやく安心して、喜びあいました。
二
みんなが喜んでるうちに、ひとり、
大津の町で借りあつめたお金は、はじめ相談した人たちが出しあったお金よりも多かったほどですが、
そこで、顔長の長彦は、三日三晩、考えつづけて、弟にいいました。
「たくさんの貧しい人たちのためになることだから、私は決心をした。大津の町のお金持で、この
顔丸の丸彦は、野原や山をとびまわることがすきで、家や
「そうです。お金にかえておしまいなさい。またあとで、買いもどせばよろしいでしょう」
それで、すぐに話はきまりましたが、ただ[#「ましたが、ただ」は底本では「ましたが。ただ」]一つ、困ったことがありました。
その屋敷の庭のかたすみに、大きな
「あの梅の木は、とてもたいせつな木です。それですから、もしもよそへひき移るようなことがありましたら、あの木だけはかならず、ほかの人にたのまず、あなたたちふたりで、よく掘りおこして、枯れないようにして、持って行かなければいけません。これは、なくなったお父さんと私とふたりで、あなたたちに、くれぐれもいい残すことですから、忘れないようになさい」
その梅の木が、ちょうどいま、花を咲かせておりました。それを掘りおこして、あらたな小さい家の庭へもっていくのは、なんだかかわいそうでたまりませんでした。しかし、両親からいい残されたことですから、守らねばなりませんでした。
「だいじょうぶです。私が掘りおこしてみましょう」
顔丸の丸彦は、すぐに庭へおりていって、その強い力で、梅の木の根のまわりを、深く掘りはじめました。
梅の花がはらはらとちりました。顔長の長彦は、その花をじっと眺めていました。
がちりと、何か
大きな箱の中には、金銀や宝ものがいっぱいつまっていたのです。
それで、ふたりは助かりました。
こうして、
顔丸の丸彦は、法螺の貝をたいへんうれしがって、野原や山を吹きならして歩きました。顔長の長彦は、紫檀の机に寄りかかって、庭の梅の木を見ながら、なにかしきりに考えていました。
三
堅田の顔長の長彦が、庭の梅の木をながめながら考えましたのは、亡くなった両親のありがたい心のことでした。両親があとあとのことにまで気をつけて、梅の木の根もとにたくさんの財産を残しておいてくれましたので、じぶんたちも助かり、近所の人たちも助かったのです。
そのありがたい心を、なんとか記念にしておきたいものと、顔長の長彦は、四日四晩、あれこれと考えました。そして、よいことを考えつきました。
京の都の、名高い
そのことが、すぐにあちこちへ知れわたりました。ありがたい心がこもっている観音様というので、お
するうちに、ふしぎなことがおこりました。ある夜、その観音様がなくなってしまったのです。
だれか、悪者が、盗んでいったのでしょうか。
顔長の長彦と顔丸の丸彦は、方々さがしまわり、たずねまわりましたが、観音様の
ところが、またふしぎなことには、その
それとともに、ふしぎなうわさが、ぱっとひろまってきました。――
そういううわさといっしょに、おおぜいの人たちが、お
顔長の長彦と顔丸の丸彦は、お詣りに来た人たちから、そのうわさをきいて、びっくりしました。そしてともかくも、観音様の足をしらべてみますと、足のうらには、泥がいっぱいついていました。
その足の泥を、じっさいに見た人もたくさんありますので、うわさは確かなこととなって、ますますひろまるばかりでした。そしてお詣りに来る人も、ますます多くなりました。
顔長の長彦は、腕をくんで考えこみました。木でできている観音様の像が、七日のあいだ、あちこちまわり歩かれたということは、どうもほんとうとは思われませんでした。これはきっと、悪者どもが、なにかたくらんで、観音様を七日のあいだ盗み出し、足に泥をぬってもとにもどし、そしてふしぎなうわさをいいふらしたにちがいありません。
「用心しなければいけないよ」と長彦はいいました。
「悪者がいるとすれば、私がひとつとらえてみせます」と丸彦は答えました。
けれども、その悪者はなかなかわかりませんでしたし、お詣りに来る人はふえるばかりでした。
ありがたい
そのおさいせんが、だんだんたまってきました。大きな木の箱にいっぱいになりました。それは、観音様の前にそなえておいて、また新たにおさいせん箱をこしらえねばなりませんでした。
するうちに、またふしぎなうわさがつたわってきました。――
そのうわさといっしょに、また、近くや遠くからお詣いりに来る人がふえました。
「いよいよ用心しなければいけないよ」と、長彦はいいました。
「ええ、充分に気をつけます」と、丸彦は答えました。
四
さて、堅田の顔丸の丸彦は、
しかし、悪者の手がかりさえ得られませんでしたし、第一、観音様についてのふしぎなうわさも、どこから出たものやらさっぱりわかりませんでした。
ところが、ある日のことです。山奥の方をしらべあるいて、そして夕方になってから帰りますと、山の
その男は、背中にけものの毛皮をつけ、足にわらじをはき、
それが、草の上にあぐらをかいて、
なお
顔丸の丸彦は、その男のそばに立ちどまって、じっと男を見つめました。もしやこの男が、へんなうわさをいいふらしてあるく悪者ではないかと、そんな気がしてなりませんでした。
男はじろりと丸彦を見あげましたが、だまって酒をのみました。
丸彦はそこにかがんで、だまったまま[#「だまったまま」は底本では「だまってまま」]、男の茶碗をとって、徳利から酒をついで、ぐっと一口にのみほしました。そして男をじっと見ました。
こんどは男が、茶碗に酒をついで、一口にのみほして、そしてじろりと丸彦を見ました。
丸彦はまた、茶碗をとって、酒をついで、一口にのみほして、そして男をじっと見ました。
男もまた、茶碗に酒をついで、一口にのみほして、丸彦をじろりと見ました。
ふたりとも、ひとことも口をききませんでした。
やがて、丸彦は立ちあがって、馬のそばにいき、そのみごとな姿をじろじろながめました。
男はあぐらをかいたまま、だまって丸彦の方を見ていました。
その時、丸彦はとつぜん、右手の大きな
馬はおどろいてとびあがり、男はおこって、
丸彦は一足よけて、鉄づくりの
丸彦は、はははと笑いました。けれどやがて、笑いやめて、法螺の貝で
「しまった。あの男は
しかしもう、馬も男も、どこかへいってしまって、姿は見えませんでした。
丸彦は、そそっかしいことをしたとくやみながら、家の方へかえっていきました。
野原をよこぎり、小さな丘をこえて、川づたいに帰っていきますと、その川の岸の柳のこかげに、なにか大きなものがつっ立っていました。もう、うす暗くなっていましたが、よく見ると、それが、さっきの馬だったのです。道に迷って、川岸にぼんやり立ちどまっているのです。
男の姿はどこにも見えませんでした。
「せめて、馬でもつかまえてやろう」
丸彦はそういって、しずかに歩みよって、まんまと馬をつかまえました。
つかまえてみると、なおさらりっぱな馬でした。これほどの馬は、どこをさがしても見つかりそうもありませんでした。
丸彦はすっかりうれしくなりました。その馬にのり、
そして丸彦は、長彦にあって、馬をいけどりにしてきたわけを話し、馬のじまんをしました。
長彦はいいました。
「なるほど、これはりっぱな馬だ。しかし、この馬をつかまえてきたことが、よいことになるか、悪いことになるか、いっそう用心しなければなるまい」
「私がひきうけます」と、丸彦はいいました。
丸彦はただ、馬のことがうれしくてたまりませんでした。そして、
五
それから、しばらくたちますと、なんとなく、
観音様にお
そして、ある夜、おそく、馬ごやの中で、馬がひどくあばれだしたようで、それからまた静かになりましたが、かねて気をつけていた顔丸の丸彦は、そっとおきあがって見まわりにいきました。
月が出ているはずでしたが、
丸彦はかけよるが早いか、男の頭を、鉄づくりの
けれど、丸彦はもうその男にかまっておれませんでした。そのすぐむこうに
やはり黒いみなりで、ひげをぼうぼうとはやした大男でした。恐れるようすもなく、丸彦の方をじっとにらみつけていました。
丸彦も大男をじっとにらみつけました。
大男は一足すすんで言いました。
「おまえは
「そうだ。おまえはなにものだ」と、丸彦はいいました。
「おれは、
そして、ふたりはしばらくにらみあっていましたが、夜叉王は、地面に倒れている男をさしていいました。
「その男をもらっていくから、こちらにわたせ」
「わたさないぞ。ほしかったら、腕ずくでとってみろ」
そういって、丸彦は
二人は、やっと組みついて、互いにあいてをねじ伏せようとしました。
丸彦はおどろきました。夜叉王の強いことといったら、まるで地面からはえぬいた岩のようで、押しても引いても手ごたえがありません。うんうんもみあっているうちに、丸彦は下におさえつけられました。
ところが、夜叉王はそれから丸彦ののどを[#「丸彦ののどを」は底本では「丸彦のどを」]しめつけようとしましたので、丸彦はそのすきをねらって、はねかえし、夜叉王の足をすくって、うまく夜叉王をおさえつけました。
丸彦はけんめいに夜叉王を押さえつけながら、頬をふくらまして、息のかぎり、
先ほどからの騒ぎと、今また、法螺の貝のまねの音を、聞きつけて、下男たちが出て来ました。
顔長の長彦も出て来ました。そしてとうとう、おおぜいで、夜叉王をしばりあげてしまいました。
気を失って倒れている男も、息をふきかえさしてしばりあげました。この男こそ、先日、野原で馬をつれて酒をのんでいたやつでした。
さて、こうなってみると、夜叉王も、さすがに覚悟がよく、すらすらと白状しました。――
ところが、
「ひどいやつだ。うち殺してしまいましょう」と顔丸の丸彦はいいました。
「いや、まちなさい 私に[#「まちなさい 私に」はママ]考えがあるから……」と顔長の長彦はいいました。
そして、
六
坂の上の朝臣は、はたして、堅田にやって来られました。堅田の顔長の長彦とは前からのしりあいでした。
朝臣は、堅田の
それについて、顔長の長彦の話を聞かれて、
あの
さて、その日になりますと、ありがたい観音様が、琵琶湖の護り主となって、水にはいられるというので、おおぜいの人たちが
まっ先に、
人々はどよめきました。
お婆さんが、地べたにかがんで、観音様をふしおがみました。船頭のおやかたが
するうちに、観音さまをせおっている夜叉王が、しだいに苦しそうな息づかいをし、汗をながしました。観音様がだんだん重くなっていくようでした。
そして船の近くまで来ると、夜叉王は心の苦しみにたまりかねて、ばったり倒れました。その時、
夜叉王はまた起きあがりました。額からはもう、赤い血が出ていました。そして、泣きながら顔長の長彦に頼みました。
「私も、観音様といっしょに、水にはいらせてください。観音様のおともをして、いつまでも、この
それは、真心のこもった言葉でした。長彦はじっと夜叉王のようすを見、深くうなずいていいました。
「今日は、そういうわけにはいかないが、お前のことは、私が考えておいてあげよう。私にまかせておくがよい」
そうして、一同はめしつかいたちを残して、船にのりこみました。
船は沖へこぎだしました。沖の深い所までいくと、そこで、観音様はしずかに水へはいられました。
鞍馬の夜叉王は、もうまったく、よい心にたちかえっていました。そして、丸彦にとらえられている手下の心も改めさせ、つづいて、鞍馬山のおくに残っていた手下どもも、心を改めさせました。
顔長の長彦は、
それから、
そのために、琵琶湖は大変便利になりました。そして、どんな