祭りの夜

豊島与志雄




 政代の眼は、なにかふとしたきっかけで、深い陰を宿すことがあった。顔は美人というほどではないが整っていて、皮膚は白粉やけしながら磨きがかかっており、切れの長い眼に瞳がちらちら光り、睫が長く反り返っていて、まあ深みのない顔立なのだが、ちょっと瞬きをするとか、ふと考えこむとか、なにかごく些細なきっかけで、眼に深い陰が宿るのである。以前は芳町の芸妓で、戦争になって花柳界閉鎖後も、政界に暗躍してる八杉の世話になり、東京近くのこの町にのんびり暮している彼女のこととて、眼に宿るその陰に、特殊の意味があるのではない。感傷とか焦燥とか慾望とか、そういうはっきりした色合があるのでもない。謂わば、一片の雲が湖水に影を落すように、睫がその影を眼の中に落すのでもあろうか。眼の中がふーっとかげってくる。そのかげりが、暗くはないが、へんに深々とした感じで、人の心を誘い込む。三十五歳ほどの女性の肉体の魅惑が、その底に潜んでるとも言える。――そのような印象を、私は受けた。
 いつ頃からのことなのか、考えてみても、私には分らない。初めは全然気付かなかった。だが一度気付くと、二度三度と、彼女の眼の中の陰は次第に深くなってゆく、そんな工合だった。そして今では、底知れぬ深いものとなって、私を引きずり込もうとしているようでもある。
 それも然し、言葉のつぎほや沈黙のあいまの、ごく暫しの間のことで、拭うように消えてしまうのだ。
「今日は、ゆっくり、北京の話を聞かしてね。」
 その眼はもう平明で、笑みをさえ含んでいた。
 だが、なぜまた北京の話なのだろう。いつもいつも北京の話ばかりだ。もっとも、政代の朋輩で、北京の料理屋に行ってた者があるとか。戦争前のことで、二三度便りがあったきり、こちらから手紙を出しても返事は来ず、それきり今に至るまで、全く消息が絶えてしまってるそうである。然し私は、北京には三年ばかりいたきりで、大して面白い話を持ち合わせてもいない。紫金城、万寿山、天壇、公園、市場、芝居、槐の並木……そんなことばかりで、それももう話しつくし、その他に何を彼女に話すことがあろう。それよりも、今、私がその事務を取扱っている仕事、製材のことや建築のことなら、いろいろな話もあるが、そういう話には彼女は興味も関心も持たないらしい。
「北京の女のひとは綺麗だそうですね。どんな風に綺麗なんでしょう。」
 どんな風にと、その説明はつけにくい。
「傾国の美人てのも、いるそうですね。」
「傾国の美人……。」
 繰り返して、杯を挙げるより外はない。ぐっと飲み干すと、それに誘われたように、遠い太鼓の音が耳に伝わってくる。屋台の踊りなどまだ続けられているらしい。
 三月とはいえ、まだ大気は冷々しているのに、町では祭礼なのだ。神社のお祭りでもあり、復興のお祭りでもあり、敗戦のお祭りでもあるらしい。軒に提灯を出してる家はちらりほらりだが、桃や藤の造花は殆んど軒並にさげられている。神社の裏庭には、小さなサーカスの一団がジンタの囃を響かせており、大通りには、樽御輿がかつぎまわされ、お稚児姿の子供達がその後に続く。四辻や広場には、高い屋台が組み立てられて、演芸会が催され、音頭踊りがなされる。然しその全体の雰囲気はへんにちぐはぐで、気勢が揚がらず、裏町が目立って淋しい。橋のたもとで、浮浪児めいた子供が四五人、飴をしゃぶりながらメンコを闘わせているのを、赤い鉢巻をした祭礼着の子供達が、指をくわえて眺めていた。夕陽の流れてる上空には鳶がたくさん舞っていた。――私は町を少しぶらついて、それからカストリをひっかけて、家に帰り、※[#「魚+昜」、360-24]に焼酎でがまんしながら、毛布の中に寝そべって書物を読んだ。
 裏口の戸がいきなり開いて、お留さんが顔を出した。
「うちでしたか。丁度よかった。奥さんが、遊びにいらっしゃいと言っていますよ。お酒も御馳走もありますよ。お祭りだというのに、河野さん、勉強ですか。いらっしゃいよ。すぐにね。」
 言うだけ言っておいて、返事もきかずに、お留さんは帰っていった。――いつも、たいていそうなんだ。私に対してだけかも分らないが、あまり返事など聞こうとしない。田岡政代の家で働いてる四十歳余りの女で、政代のことを奥さんと呼び、政代は彼女を、お留さんと呼んでいるが、二人がどういう関係か私は知らない。
 私は煙草を吸い、焼酎をのみ、帯をしめなおし、そんなことで時間を少しつぶして、出かけていった。裏口から出て、すぐそこの竹垣の木戸をあけると、政代の家の勝手口で、風呂場をまわってゆけば、縁側に出る。もとは或る呉服商の隠居所だったとかで、石や植込の多い庭にだかれてるしゃれた平家だ。
 政代は薄化粧して、炬燵にあたっていた。梅の大模様を散らした炬燵布団に、手先だけをちょっと差入れて、くりこしの深い着物に更に肩すべりに羽織をひっかけ、洋髪の襟足をすっきりと見せて、片膝くずしに坐ってる彼女は、奥さんともつかず、お妾さんともつかず、お上さんともつかない中途半端な感じだった。長火鉢にはお燗の湯が沸いており、食卓には魚類を主にした料理の皿が幾つか並んでいた。
「今日は、つまらないことになったの。東京から、友だちが二人、お祭りを見に来ることになってたのに、急に来られなくなったと、電報なんかよこすでしょう。待ちぼうけさせられちゃった。」
「僕がその代理の役ですか。」
「不服なの。二人とも相当にいけるたちだから、たくさんあがってもいいわ。あら、もういくらかはいってるんでしょう。」
 私は炬燵にはいって、杯を受けた。遠慮はもうなかったのだ。姉というか、若い叔母というか、それに近い気持になじんでいたのである。
「一人で、お詣りしてきたわ。これ、ごらんなさい。ためしに、おみくじをひいてみたら、大吉なのよ。」
 帯の間から彼女は紙片を取り出した。大吉の説明のむずかしい文句と文字から、私がふと眼を挙げると、庭の夕闇を眺めていたらしい彼女の視線が、僅かばかり揺らぎ動いて、私の方へ向いてきた。その眼に、深い陰がいつもより一層深々と宿っている。私は、自分の方が虚を衝かれた思いで、黙って紙片を彼女に返した。
「お留さんて、まけない気で、わたしも大吉を引いてくると、出かけていったんですが、何があたるかしら。」
「まあ半吉というところでしょうね。」
 彼女は立ち上って、電燈をつけ、勝手元から台布巾を持って来た。――その立姿は、あまり立派でなかった。背が低い、というよりは足が短いので、腰から上と下との均合がとれていない感じなのだ。芸者でお座敷着の裾でも引いておれば、それもごまかせるだろうが、どういうものか、彼女はいつも裾短かに着物をつけていて、臀から下が寸のつまったずん胴をなしている。それが私には嫌だった。私にあんなに親切にしてくれる、姉か、叔母なら、すらりとした背恰好であることが望ましいである。
 それでも、私は彼女とそう長い識り合いではない。
 終戦後、北京から帰国してきた私は、孤独な自分を見出した。心頼りにしていた姉一家は、戦災に全滅したようだし、他には力になってくれる身内もなく、自分は引揚者の例として、僅かな荷物以外に何の財産もなかった。一時は途方にくれたが、丁度この町に、やはり北京からの引揚者の沖本がいて、数人の仲間を集め、ささやかな建築社を拵えていたので、そこを訪れてみると、よく来てくれたというわけで、否応なく仲間に入れられてしまった。次には住宅に困った。事務所はほんの間に合わせのバラックで、とても寝泊りできるものではない。沖本はふと思いついたように、まあ用心棒にでも住込むか、と言って笑った。田岡政代とお留さんとが二人きりで、旦那の八杉はめったに来ず、無用心だというようなことを、小耳にはさんでいた。早速当ってみてくれた。返事は案外で、室の都合などは問題でなく、ただ、女ばかりだから却って、男のひとは……というわけ。逆に警戒されたのだ。それにも拘らず、彼女たちの口利きで、裏口がすぐ隣り合わせになってる谷口家の、六畳の室を世話してくれた。母屋と仕切られてちょっと出張ってる室だが、物置を改造したともいえるような、薄暗い所だった。その代り押入などは充分すぎるほどあった。
 敗戦国の孤独人、そういう感懐が、三十歳未満の私の精神に却って媚びた。昼間は沖本建築社の事務や外交に働き、夜は労働問題や経済問題の書物を読んだ。室の横手にトタンの庇を出し、その下で自炊をした。
 その自炊場が、田岡政代の家の裏口に向き合っている。私が竈の[#「竈の」は底本では「寵の」]火などを焚きつけていると、お留さんが通りがかりに、なにかと注意を与えてくれる。政代も竹垣の向うから覗いて、退屈ざましのように出て来ては、暫く立ち話をしてゆく、お留さんの注意は、実際的な役立つことばかりだ。だが政代の方は、私が煙にむせようと、炭火の火花に眼を痛めようと、そんなことには一切無関心で、下らない話ばかりだ。でも私としては、いつもなにかよい香りを身につけてる彼女と口を利くのが、ひそかな慰安でないこともなかった。
 彼女は私の雑仕夫的な仕事には無関心な代りに、いろいろな物をくれた。お留さんが持ってくる時は、奥さんからと言い漆える。自身で持って来る時は、何のこだわりもない自然な素振りと笑顔とを示して、私に辞退の気持ちなどは少しも起させない。いつしか私は、有難うと言う言葉さえも心の中では忘れがちになった。
 いろいろな物が来た。魚肉や鷄肉や野菜は度々だった。缶詰や石鹸もあった。絹のハンケチは、私も少しもてあました。美しいウイスキーグラスは私の焼酎にはちと不向きだった。三味線の古い転手ねじでわざわざ拵えさしたという象牙のパイプは、私の気に入った。純綿の単衣が、お寝間着にと届けられた時は、私はへんに惨めな気持ちになった。――私の方からは、何も彼女にしてやることがなく、時折、工事場から薪の束など持っていくぐらいなものだ。
 旦那の八杉の姿を、私は見たことがない。彼はごく稀に、ひそやかにやって来て、二三泊ほどしていくこともあるらしく、また、客を連れて来て深夜まで飲食し談合することもあるらしかった。彼も、また政代も、この土地では、なるべく人目につかないようにしているようだ。八杉は、軍部の嘗てのストック物資の不正取引に、なにか関係があるらしいと、沖本が私に囁たことがある。
 それでも、政代は人目につきやすかった。娘の三味線の手ほどきを頼まれて、数軒の家へ出稽古に行っていた。祭礼の演芸会に出てくれとも頼まれたが、それはきっぱり断わった。
「お祭りの夜は、家でお酒でも飲んでるのが、いちばん楽しいわね。こんなこと、わたし初めて知った。」
「酔っぱらって、山車にのっかって踊るのは、どうですか。」
「そんなのは、若いうちのことよ。」
 彼女の眼がともすると、深い陰を湛えそうになるのへ、私は気がひかれがちだった。
 樽神輿がまたかつぎ出されてるらしく、波のような人声がきこえてきた。それが消えると、遠い太鼓の音が続いたり絶えたりする。風が少し出てきたらしい。
 お留さんが帰ってきて、甘栗の袋をあけながら言う。
「なんだか、降りそうですよ。」
「どうだったの。」と政代は尋ねた。
「あ、あれですか。丁度よいところで、半吉ですよ。」
「半吉……あたったわねえ。」
 政代は私の顔を見て笑った。
「奥さんが大吉で、わたくしが半吉、よくしたものですよ。これがあべこべだったら、困りますからねえ。気違いのキチにしたところで、そうでございましょう。」
 彼女が半キチだとしても、奥さんの方は大キチだと、お留さんは笑いながら話すのである。――ある時、外のお風呂に行って、帰りに、吾妻下駄の鼻緒をぷつりと踏み切った。それをハンカチで結えて、そろりそろりと、重病人のように歩いていると、通りかかった医者らしい人が、どうかしましたか、と聞く。いいえ、と頭を振っても、足を指して、怪我でもなすった様子だが、と押っ被せる。下駄の鼻緒が切れたんです。はあ左様か、用心なさい。けろりとして、行き過ぎてしまった。その後で、政代は急に腹が立ってきた。下駄をぬいで足袋はだしになり、すたすた歩いてきた。片手にお湯の道具の風呂敷包みをかかえ、片手に下駄をぶらさげ、足袋はだしで、息を切らして台所口を引き開けた、その姿は、どう見ても狂人じみていた。
 そのような話、私にはちと意外だった。
 まだありますよと、お留さんは話すのである。――或る時、荷物があって、人力車で帰って来た。御苦労さん、と言い捨てて家にあがった。だいぶたって、お留さんが何かの用で、玄関の方へでてみると、俥屋はそこで、蹴込みに腰かけて煙草を吸っている。なにも人の家の玄関先で客待ちをしなくても、とお留さんが小言を言うと、奥さんはもうでかけないのかね、と俥屋は怪訝そうだ。聞いてみると、まだ俥賃を貰っていないが、と言う。それを政代に伝えると、笑うどころか、ひどく不機嫌に黙りこんでしまった。狂人のような不機嫌さだった。
 そのような話も、私にはちと意外だった。
「だって、みんな、こうるさくて、気が利かなくて、先廻りばかりしているんだもの、癪にさわるじゃないの。」
「おかしいなあ……。なにも怒ることはないじゃありませんか。親切……お人よしの親切というものも、買ってやらねばいけますまい。」
「とんまだから、お人よしに見えるのよ。親切というものは、わたし、そんなものじゃないと思うわ。」
 彼女のいう親切は、全く純粋無垢なものだった。人の顔を赤くさしたり、恥しい思いをさしたりするようなものは、どんな善良な気持からでたものにせよ、親切とはいえないのだ。本当の親切は、ただ自然な気持で、自然になされるものであって、相手の心に何の波も立てさせず、義務や負担はもとより、感謝の念さえも負わせないものでなければならない。――彼女の言葉を要約すればそういうことになる。そしてそれはもう、医者や俥屋のことを離れて、彼女自身のことを言ってるのだ。私に対する彼女のことを言ってるのだ。実際の事実もその通りで、私は無条件に承認しなければならなかった。――然しながら、彼女はどこでそういう親切を体得したのであろうか。
 酒をあまり飲まないお留さんは、自分だけさっさと御飯をすました。いつしか雨が降りだして、軒端にその音がしている。遠い太鼓の音もやんで、夜の深さが感ぜられる。
 私は少し図に乗りすぎたような思いが、ふっと、酔った頭にも湧いた。茶の間に上りこんで、無駄話をしたことは何度かあったが、酒食の席に長座したことは初めてだ。
 温い室の空気と炬燵と甘えきった気持ちを、無理に打ち切って席を立とうとした。
「まあ、ずいぶん現金ね。酒はまだあってよ。」
 戸棚から、新たな一升壜が持ち出される。
「お祭りだから、どうせ、飲み明しよ。中休みにハナでもしましょうか。」
 ハナなら、お留さんがたいへん好きで、また上手だ。政代はあまりうまくない。私はいちばん下手だ。然しそんなことはどうでもよい。私は雨の小野道風が好きで、そればかり狙ってるうちに、だんだん負けがこんでくる。お留さんがわざと、私に小野道風を取らせてくれることもある。だが政代は、その札をいつも私と争い、さらっていくと他愛なく喜ぶ。――二時間ほど遊ぶと、もう倦きて、また酒がほしくなる。
 お留さんは先に寝てしまった。
 風はやんだようだが、雨は強くなったり弱くなったりしている。その変化が、気持ちのせいばかりでもなさそうで、耳にはっきり聞き取れるのだ。
「へんね、東京に帰るのが、何だか怖いような気がしたりして……。」
 政代は私の顔をじっと見た。
 それはまだずっと先のことだと、私は思っていた。――東京の或る家のお上さんが、身体がわるくなったから、政代に来てくれないか、お留さんも一緒にと、それだけの話なのだ。裏口営業の料亭か何かであろう。八杉の口利きもあるらしかった。
「早く来てくれというんですか。」
「いつでもいいってことになってるんだけど。」
 彼女は銚子に酒を満たして、銅壺につきこんだ。
「河野さんは、不賛成だったわね。わたしも不賛成よ。」
 そうなると、なんだか訳が分らないのだ。――彼女が東京に帰ったがよいかどうか、私には猶更分らない。
「河野さんは、いつか、東京に出るんでしょう。」
「そんなことは、分りませんよ。ここだって東京だって、まあ同じようなものだし……。」
「そう同じね。」
 彼女は煙草をふかしかけたが、ふとそれをやめて、眼に深々と陰を宿した。表面は薄いかげりで、底にゆくほど濃くなり、そこにはもう外界の何も映らず、ただ内にあるものだけが籠ってるのだ。それが訴えるように、私の方へにじり寄ってくる。と同時に、彼女の顔の小鼻の両脇にある溝が、片方だけ深く刻まれてゆく。泣いちゃいや、と私は心の中で叫び、つぎには、東京に行っちゃいや、なに行っちまえ、と一緒に呟いた。――そのとき、私自身、不覚にも眼に涙をためていたのだ。すっかり酔っていたのであろうか。
 彼女の手が私の手をしかと捉えた。私はハンカチで眼の涙を拭き、杯に酒を受け、そして微笑んだ。
「ばかね、泣いたりして。」
「あなただって泣いたよ。」
「わたし、泣かないわよ。ただ酔っただけ。」
「僕も酔っただけだ。」
 炬燵布団に顔を伏せていると、頭の中がふらふらして、それからじいんと沈んでゆく。その淵から飛びあがるようにして、顔を挙げ、微笑んで、また飲んだ……。

 とろとろと眠っただけの気持ちで、私は眼を開いた。まるで見馴れぬ室なので、はっきり眼がさめた。電気雪洞の二ワットの淡い灯が、ぼんやりともっている。神代杉の天井、欄間や床の間、掛軸に活花……。枕頭に水差と煙草盆があったので、水を飲み、煙草を一吸いした。それから着物を着代えた。それまでははっきりしてるのだが、それから先は昨夜のことと混乱してしまうのである。
 つぎはぎだらけの粗末極まる私の襯衣がきちんとたたまれて乱籠にはいっているのに、私はたまらなく惨めな気持ちがした。彼女に連れて来られて、着物をぬがせられるのにちょっと逆らったようだが、ぬいだ襯衣類を彼女が丁寧にたたもうとするのを、私は引ったくって投げやったことを、はっきり覚えている。それでも彼女は、一々たたんでしまったのだ。もし私が立派な襯衣をつけていたら、その好意を安んじて受けたろう。――そのあと、彼女は長襦袢姿で、私のそばにすべりこんできた。
 いつのまに、どこへ、彼女は行ったのだろう。もう枕も、何の跡かたも、そこにはなかった。然し、あれは夢ではなかったのだ。
 二枚重ねのふっくらした布団の中で、そんなのに久しく馴れない私は体をもてあつかいかねた。ばかりでなく、如何に残酷に弄ばれてしまったことか。彼女はしばしば、くくくくと忍び笑いをしたようだった。
 彼女は或る坊さんの話を、私に囁ききかせた。――その坊さんは、花柳地の料理屋などによく酒を飲みに来た。彼女もひいきになった。この節はお坊さんも開けなすったのね、と言うと、彼は朗かに笑った。――君たちは葷酒山門ニ入ルヲ許サズということを、知っているか。葷酒が山門にはいったら、すべて汚れてしまう。だが、山門の外でなら、酒を飲もうと、不浄を味わうと、堕落にはならない。そうした理屈だ。君たちも、山門の貞操観があったら、男を山門の中に立ち入らせてはいけない。
 猥談めいたことだが、それを彼女の言葉に飜訳すれば、猥談とはならない。
「ねえ、あんたとは、いつまでも、清くしていたいの。」
 芸者あがりの彼女に、いつから、そんな信念が出来たのであろうか。或はそれも、私に対してだけのことだったのであろうか。とにかく私は、そのばかげた山門の壁に頭をぶっつけた。そして山門外で、私も彼女も、如何に恥知らずの快楽に耽ったことか。彼女は私を弄び、私も彼女を弄んだ。それでも、彼女に言わせれば、清い交りだった。
 私は布団の上に坐って、やたらに煙草をふかした。腹の底から湧いてくる憤怒と肉にきざみこまれてる愛着とが、一緒によれ合って燃え上ってくる。もし彼女がそこにいたら、私は彼女に飛びかかって、どんなことをしたか自分でも分らない。
 だが立ち上ると頭がふらつき、足もふらついていた。まだ酔ってたのであろうか。水をまた飲んだ。そして室を出た。それは奥の室だった。廊下伝いに台所の方へ行き、戸口の締りを探していると、はおった丹前の裾を引きずって政代が出てきた。
 戸外の明るい陽光が、欄間の硝子からさしこんでいた。彼女は眩しそうな眼で、私の方を伏目がちに眺めた。その眼にまた深い陰が宿った。――私はふしぎにもその時、別な眼を思い起した。北京で、友人と同居して、あちらの女中を一人使っていたが、その家から引き払う時、前夜、私は酒に酔って、その女中の手を握った。彼女は何か考えるように、黙って眼を伏せていたが、やがてその眼に、深い陰が宿ってきたのだった。それが今、政代の眼にそっくり重なり合ったのだ。
「どうしたの。」
「もう帰ります。」
「御飯もたべないで。」
「今ほしくありません。」
「お酒は。」
「またあとで。」
 なんと平凡なそしておずおずした再会だったろう。彼女は戸口を開けてくれ、私の手をかるく握った。私はそこにある。ぺしゃんこの[#「そこにある。ぺしゃんこの」はママ]下駄をつっかけて、外に出た。冷たい空気のなかに、朝日の光りが強く、目まいがした。
 私の室は開け放しのままだった。布団を引きずりだして、もぐりこんだ。雑多な想念を無理に逐い払って、ひたすらに眠った。
 正午近くに眼をさますと、いつのまにかお留さんでも来たと見え、枕頭に大きなお盆が置いてあった。銚子が二本にちょっとした摘み物が添えてある。私は眉根に皺を寄せたが、それでも酒に手をつけた。
 親切、親切……。私は杯を置いて、コップを取り出し、冷酒をあおった。親切……昨夜のあれも、彼女の親切から出たことなのであろうか。さすがにそれを肯定する勇気はなかった。ただ惨めだった。私は酒を飲み干し、更に焼酎をひっかけた。それから頭を冷水で洗い、詰襟の作業服をつけて、外に出た。
 建築社は休むことにして、製材所の方へ行った。円鋸や帯鋸が木材を自由にたち切るのを、一時間ばかり眺めた。それから野原の方を歩き廻り、河の土手をぶらついた。――無駄ではなかった。想念は次第にまとまりかけてきた。
 葷酒をぶらさげて、山門の前をぶらつくなど、愚劣なことだ。葷酒なんか大地の上にぶちまけてしまえ。山門なんか、寺院のそれでも、女性のそれでも、蹴破ってしまえ。だが、政代のあの純粋親切というものが、どうして、私の心をこんなにしめつけるのであろうか。彼女の眼に宿る陰など、もう問題でないのに、その親切だけが、どうして心をしめつけるのであろうか。強くなれ、強くなれ。彼女も畢竟、私にとって異邦人に過ぎないではないか。
 河の土手で凧をあげてる子供たちと、私はしばらく一緒に遊んだ。それから家に帰った。銚子などはもうお盆ごと、持ち去られていた。
 私もすぐその足で、田岡政代の家へ行った。台所口から声をかけておいて、庭の縁側の方に廻った。皮肉な態度に出るつもりだ。
「昨日は、たいへん御馳走になって、すみませんでした。ちょっと、お礼に来ただけですから……。」
 室におあがりなさいとすすめるお留さんに、私はそう言った。
「まあ、お礼だなんて……二日酔いのせいじゃありませんの。」
「お礼はお礼です。もう酔ってやしませんよ。」
 私はもはや惨めな思いはしなかったが、負けだという気がした。少しも皮肉にならなかったのだ。
 政代は黙っていたが、なにかしきりに目配せしてるようだった。お留さんが台所へ立って行ったすきに、縁側にでてきた。
「なにか怒ってるの。」
「怒ってなんかいません。」
「でも……。」
「なまけたのを後悔してるだけです。」
「そう。御免なさい。」
 素直に言われると、これも私の方が負けだ。だが、後悔という咄嗟の言葉は真実だった。身体のことではない。精神がなまけていたのだ。
 私は煙草をふかしながら、自分の室へ戻って行った。





底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」未来社
   1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「日本小説」
   1948(昭和23)年4月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について