ヨーロッパから西アジヤにかけて、方々にちらばつてる一つの民族があります。何かの職業について、一つ
そのジプシーのうちに、エミリアンといふ少年がありました。両親に死に別れて、たつた一人で、方々をわたり歩いてゐました。どこか気に入つたところに
この少年エミリアンの旅の話を少し致しませう――
フランスの東部の山の中の小さな町に、
夜なかすぎになると、市の
そのしいんとしたなかで、夜明近い
三人の盗賊は、めいめい大きなピストルをもつて、裏口の戸をこじあけて中にはいり、
一番終が、エミリアンの室でした。
ぐつすり眠つてゐたエミリアンが、ゆりおこされて、
「なんだ、子供か」と一人の男がいひました。「だが、金を持つてるだらう。出してしまへ」
エミリアンはじろじろ三人の様子を
「君たちは、何だい」とエミリアンは尋ねてみました。
「盗賊さまだ」と一人の男が答へました。「ぐづぐづいはずに、金を出せ」
「ほう、
「何だと!
「それだつて、ピストルなんかでおどかすのは、へたくそのしんまいだ。
三人の盗賊は顔を見合せました。エミリアンはかまはずに話しだしました。
「その、とてもずるい三人の
そしてエミリアンは、すつかり服をきてしまひました。三人の盗賊は寝台のふちに腰をかけて、ピストルを
「
そのうちに、百姓はふと振向いて、山羊がゐないのに気がついた。びつくりして、驢馬からとびおりて、驢馬をそこにつないで、山羊をさがしに、後にひつかへしていつた。ところが、山羊はどこにも見つからない。がつかりして、
そこへ、第三の泥坊が通りかゝつた。何を泣いてるんですかと尋ねると、立派な山羊と立派な驢馬とがゐなくなつた、といふんだらう。で泥坊はかういつてやつた。――それぢやあ、
百姓はひどく喜んで、井戸のところへ連れていかれた。泥坊は井戸の中をのぞきこんで、おーい、おーい、と呼ぶと、底の方から、はーん、はーん、とこだまする。あゝ
その話を、盗賊どもは面白がつてきいてゐました。エミリアンはにこにこしていひました。
「どうだい、すてきな泥坊だらう。ところで、その三人のうち、
「
「俺は第二の
「いや、俺は第三のだと思ふ」と三人目の盗賊がいひました。
そして三人で、議論をはじめました。
「なるほど、君たちにはわからないだらう」とエミリアンはいひました。「まだへたくそのしんまいだからなあ。その三人のうちで
「この窓からか」
「さうだよ。飛びおりれば音がするし、壁をすべりおりても音がする。それを、音がしないやうに、そつとおりるんだよ」
盗賊たちは窓をあけて、外を見ました。
「どうだい、出来ないだらう」とエミリアンはいひました。
「それぢやあ、お前に出来るか」と盗賊の一人がいひました。
「出来るとも」
「ぢやあやつてみろ」
「よし、やつてみせよう。だが、
エミリアンは
「いゝものがある。このバイオリンを持つておりよう。すぐに音がするだらう。それを、音のしないやうにするんだ」
そして彼はバイオリンを取りあげました。
「あゝ、こゝにリスの
そして彼はリスの籠をとりあげました。
「こんどは、何か重いものはないかなあ」
「これをかしてやらう」と一人の盗賊が、面白がつて、大きなピストルを差出しました。
「これは重いぞ」とエミリアンは受取つていひました。
「
「大丈夫だい」
エミリアンは、自分のバイオリンと
「音がしたぞ、音がしたぞ」と盗賊どもは窓から叫びました。
けれどエミリアンは、もう音がしようがどうしようがかまひませんでした。返事もしませんでした。盗賊どもをだまして、自分の荷物をもちだし、おまけにピストルまで一つ奪つたのです。樋から滑りおりると、そのまゝ身をかくして、建物にそつて逃げだしました。
エミリアンは町の中に出ました。どの
エミリアンは珍しさうに、盗賊のピストルをひねくりまはしました。六連発の大きなものでした。その六つの
それから幾日かの後、エミリアンがフランスの南部のある村を通りかゝりますと、村中の人が集つて、大騒ぎをしてゐました。村で一番の金持らしい大きな
――何事が
エミリアンは立ちどまつて、首をかしげました。
その道ばたに、白い
「何事かあるんですか」
お爺さんは顔をあげて、エミリアンの様子をじろじろ
「お前さんは旅の者だな。それぢやあ知らないわけだ。……まつたく、不思議なことが起つたものさ」
「どんなことですか」
お爺さんはパイプの灰をはたいて、話してきかせました。それによると――
三日前のことです。夜なかに、この村一番の金持の家の
それから、次の夜にも、また同じことが起りました。
あまり不思議なので、何か悪者が村のなかをうろついてるのではないか、といふことになつて、三日目の夜には、村の若者たちが、
不思議なことだ、とみな考へました。すると、これは悪魔が来たんぢやないか、といひだす者がありました。黒い羽のはえた
そこで、まあとにかく、神父さまにお
「珍しいことだ」とお爺さんは話しをはつていひました。「わたしはもう七十になるが、この節では、悪魔なんてものは話にもきいたことがない。それが、ひよつこりこの村に出てきたとなると、まつたく珍しいことだ」
「
「あゝいゝとも。名高いありがたい神父さまだ。よく拝んでおきなさい」
もうそのお祷りが始まるときでした。エミリアンはお爺さんにつれられて、
やがて、金持の家の主人に導かれて、神父さまが出てきました。金線にかざられた黒い四角な帽子をかぶり、
香の煙が幕のなかにいつぱいひろがり、
お祷りが終りますと、村人たちはみなほつとして、それぞれ
エミリアンはお爺さんの家へついていきました。
「あれで、もう大丈夫でせうか」
「え、鵞鳥のことかね。悪魔のしわざだつたとしたら、もう大丈夫さ」
それでも、お爺さんはまだ何だか気がかりらしい様子でした。
その晩、エミリアンはお爺さんの家に泊めてもらひました。ところがどうでせう、その夜なかに、やはり鵞鳥が鳴きだしました。金持の家から始まつて、村中のが、があがあ鳴きたてました。村人たちはみな起上りました。朝まで眠れませんでした。
四日もつゞいたことですから、鵞鳥ばかりでなく、村人たちも眠りがたりなくて、頭がぼんやりしてきました。神父さまのお祷りも
五日目の夜には、村の若者たちはまた夜警を始めました。エミリアンもお
エミリアンは、あの盗賊から奪つた大きなピストルを持つて、怪しい
夜はだんだんふけていきます。村の
どーんと、大きな音が響きわたりました。と不思議にも、鵞鳥の
夜警の人たちがかけつけてきました。エミリアンはたゞ笑つてゐました。いまいましいからピストルを打つてみたんだと、すましてゐました。けれど不思議にも、鵞鳥はもう鳴きやんで、夜が明けるまで一声もたてませんでした。
それを聞いて、お爺さんはうなづきました。
「さうだ、お前さんはなかなか利口だ。ピストルの音をきいて、鵞鳥はびつくりして、それで鳴きやめたに違ひない。今夜もその通りやつてみるんだな」
それで、次の夜も、エミリアンはピストルを持つて、金持の家の庭にひそみました。夜なかに、鵞鳥はまた鳴きだしました。エミリアンはどーんとピストルを打ちました。鵞鳥はぴたりと鳴きやみました。
その次の夜も、同じでした。
ところで、どうして夜なかに鵞鳥が鳴きだすか、それが
エミリアンは眠りがたりなくて、ぼんやりしながら、
エミリアンがほつと
――おや、あいつ病気かな。
エミリアンは何の気もなく立上つていきました。すくんでる一羽の鵞鳥は、エミリアンが近づいても逃げようともしません。エミリアンはそつとその背中をなでてやりました。鵞鳥はじつとしてゐます。あんまり
エミリアンはびつくりしました。
それまでじつとしてゐた鵞鳥は、手当がすむと、エミリアンの顔を見上げて、お礼をでもいふやうに一声高く鳴いて、それから大きく羽ばたきをして、急に元気に、仲間の
エミリアンも何だか
ところがどうでせう、その夜は、鵞鳥がちつとも鳴きません。
村人たちは、さつぱり訳が分りませんでした。けれどとにかく鵞鳥が鳴きやんだので、ほつと安心しました。
エミリアンは一人で笑ひました。お爺さんに、鵞鳥の
「なるほどね。その鵞鳥が、夜なかに
「おかげで
「はゝゝ……」と二人は声をそろへて笑ひました。
そして、もう鵞鳥も鳴きやみましたので、エミリアンはお爺さんに別れ、
イタリヤの
気持よく晴れたよい天気でした。エミリアンは籠のリスをあやしながら、口笛をふいて歩いてゐました。すると、彼のそののんきな様子を耳にとめたのでせう、同じ道を歩いてた三人の
「どうかお恵みを……。わたくし共はごく貧乏で、その上みんな
なるほど、三人ともほんたうの盲人で、みすぼらしい服装をしてゐました。
エミリアンはその時、あまりお金を持つてゐませんでしたから、施しを
「よろしい。こゝに金貨が一枚あるから、これを君たち三人にあげよう」
「おう神さま!」と三人の盲人は叫びました。「有難うございます」
三人とも一度に手を差出しましたが、やがて、
エミリアンは、三人の盲人がそれからどうするかと思つて、そつと後をつけました。
盲人たちは元気な様子で、お祭のある町の方へ歩いていきました。
「有難いめにあふものだ」と一人がいひました。「金貨が一枚あれば、これから町へ行つて、すぐに
「なるほど、それがいゝ」と他の二人も賛成しました。「金貨一枚あれば、たいしたものだ」
「御主人、わたしたちはみすぼらしいなりはしてるが、決して心配はいりませんよ。金は持つてゐます。そこで、室を一つかりて、そこで食事をして、泊りたいんですが、どうでせう」
かういふみすぼらしい服装の盲人で、金をたくさん持つてゐることがよくありますので、主人は彼等を信用して、大勢いつしよの広間でなく、別な室に案内しました。
「こゝなら落付けるでせう。ゆつくり召上つて下さい」
盲人たちは食卓につきました。パンや肉や魚が出されました。うまい
エミリアンは、
盲人たちはおそくまで眠つて、
「昨晩はいゝ気持でした。ところで、勘定ですが、金貨ですから、おつりを下さい」
「はい、承知しました」
「さあ、金貨を出せよ」と一人の盲人がいひました。
「
「
「ぢやあ、お前だらう」
「いゝや。お前が持つてるだらう」
「とんでもない。お前だらう」
「俺は持つてないよ」
「誰が持つてるんだ」
「お前だ」
「いや、お前だ」
三人でそんな風にいひ争つてるものですから、主人は怒りだしました。
「早く出せよ。ぐづ/\してると、なぐつちまふぞ」
「まあ待つて下さい。ぢきに払ひますから」
そして三人のいひ争ひがまた始まりました。
「お前だらう、金貨を
「いやお前だらう、一番後にゐたんだから……。早く出せよ」
「俺は知らないよ。ぢやあお前だらう、
「いやお前だ」
きりがないので、主人はなほ怒りました。
「お前たちはひとをばかにしてるんだな。ごまかさうたつて、さうはいかないぞ。おーい、誰か棒を持つてこい」
さういふ有様を、エミリアンはわきから
「まあお待ちなさい。さう怒るものではありません。この人たちの勘定は
そして彼は盲人たちにいひました。
「昨日、あの道の真中で、金貨をあげようといつたのは、僕なんだよ。だが、あげるまねをしただけだ。君たちも随分そゝつかしいね。だけど、
盲人たちは、見えない
エミリアンは、昨日からのことを主人に話しました。主人もをかしがつて笑ひだしました。
「ところが、困つたなあ……」とエミリアンは頭をかきました。「あの人たちの分まで払ふほど、僕はお金を持つてゐないんです。これから、町の広場にいつて、このバイオリンと
主人はじろ/\エミリアンの様子を
「町の広場で……さうかせげるものぢやないよ。一体お前さんは、どんな芸が出来るんだい」
「どんな芸でも出来ますよ」
「ふーむ……。そんなら、一つやつてみないかね。うまくいつたら、賞金が
「どんなことですか」
そこで主人は、話してきかせました。――このお祭の
エミリアンは
「とにかく、様子をみにいつてきませう」
そして彼は、時間をはかつて、その公園へ出かけていきました。
公園の広場には大きな舞台が出来てゐて、たくさんの人がつめかけてゐました。いろんな芸人が集つて、賞金を得ようと、一生懸命に競技をやつてゐました。
そのうちに、一人の道化者が舞台に立ちました。そして首を打振りながらいひました。
「さて、わたくしは、ほんたうに珍しい、新しい、をかしい芸を、御覧にいれまする。種々さま/″\な芸当のあとで、一向にはえないものかも存じませぬが、そこは、珍しい新しい、をかしいといふところに、御注意を願ひあげまする」
ところで彼は、たゞ一人きりで、何の道具も持たず、介添人もゐませんでした。そして舞台の
道化者は一つ
道化者はマントから顔を出しました。それを見ると、見物人たちは、少しあやしいと思ひました。四五人舞台にかけ上つて、彼のマントを調べました。彼の
さうだと分ると、
賞金が彼に渡されることになりさうでした。
その時、見物人の中にまじつてゐたエミリアンが、大きな声でいひました。
「へたくそだ。
人々は驚いてエミリアンの方を
その晩エミリアンは、宿屋の主人に頼んで、黒い大きなマントを
主人はエミリアンに勝たせたいと思つて、気をもんでゐました。
「一晩くらゐ鳴き声を練習したつて……それで大丈夫かね」
エミリアンはたゞ笑つてゐて、練習もなんにもせずに、ぐつすり眠りました。
翌日になると、エミリアンは、バイオリンと
公園の舞台の前には、前日よりもなほたくさんの人が集まつてゐました。子豚の鳴きまねの競争といふのが、をかしくて面白かつたのです。
時間になると、道化者とエミリアンとは、黒い大きなマントを着て、並んで舞台に立ちました。そして道化者から先に始めました。マントを頭からかぶつて、ブウー、ブウー、ブウー……と、子豚の鳴き声をまねました。
こんどはエミリアンの番です。エミリアンは頭からマントをかぶりました。そしてマントの下に隠してゐた子豚の耳を、急にひつぱりました。子豚はびつくりして鳴きました。が
「道化者の方が上手だ」と人々は叫びました。
「道化者の方が上手だ。その少年を追ひ出してしまへ」
するとエミリアンは、マントをぬぎすてゝ、子豚を出してみせました。
「皆さんは、本物の子豚の鳴き声よりも、その鳴きまねの方が上手だと、さう思つてゐらつしやるのですか」
人々はあつけにとられて、何と返事をしてよいか分らないで、ぼんやりエミリアンと子豚とを
「えこひいきな判断をなすつてはいけません」とエミリアンはいひました。「けれど、わたくしが
そして彼は、子豚の腹から背中に大きな
それと同時に、エミリアンはバイオリンをとつて、子豚の鳴き声と笑ひ声と歩きつぷりとに合せて、更に奇妙な音楽をひきだしました。見物人たちはもうたまらなくなりました。腹をかゝへたりころげたりして笑ひながら、涙をだしたり息をつまらしたり、叫び声をあげたり、たいへんな騒ぎでした。
エミリアンがバイオリンをひきやめ、リスを籠に入れ、子豚をひきとめても、まだ笑ひ声や
エミリアンが帰つてゆくと、大勢の人がはやしたてながらついてきました。宿屋の主人は大喜びで、みんなに
あまりもてはやされるので、エミリアンは閉口しました。そして逃げるやうに立去りました。主人から引止められるのを断つて、三人の
バイオリンとリスの
エミリアンはその前に立止つていひました。
「
盲人たちは
「
旦那さまといはれて、エミリアンは笑ひました。
「宿屋のことなんか、どうだつていいよ。それよりも、金貨をあげるといつてだましたのは、僕が悪かつた。僕ね、少し金まうけをしたんだよ。だからこんどは、ほんとに、金貨を一枚づつあげよう。手を出してごらんよ」
盲人たちは信じかねて、
盲人たちは、手を引つこめて、
「あゝ、ほんたうの金貨だ。神様、有難うございます。旦那さま、有難うございます」
道の
がその時には、エミリアンはもう、愉快さうに口笛をふきながら、歩き去つてゐました。
その姿が、日の照つた明るい道の上を、向うへだん/\小さくなつていきました。
イタリヤのある小さな港町に、ふしぎな
ところが、ある旅の坊さんが通りあはせて、その悪魔を
丁度イタリヤを旅してゐたエミリアンは、その
地中海にのぞんだ小さな町でした。悪魔を洞穴に封じこんだお坊さんのことを尋ねると、すぐに分りました。
「あゝ、ポリモス
町を出はづれたところに、海につきでた岩山があつて、その
エミリアンはしばらくためらつてから、開いてる窓の方へいつて、バイオリンをひきはじめました。波の音に調子を合せて、美しい海の曲をひきました。
一曲ひきをはつて、窓の方を見ますと、そこに、人が立つてゐました。五十歳くらゐな男で、赤い髪を長くのばし、
「あの、ポリモス上人さまに、お目にかゝりたいんですが……」とエミリアンはいひました。
「ポリモスといふのはわたしだが……お前さんは?」
「エミリアンといふ者です」
「エミリアン?」
「旅をしてあるいてるんです」
「ほう、なるほど……」
エミリアンの身の上がもうすつかり分つたかのやうに、その人ははれやかな微笑をうかべました。そして表の戸を開いて、エミリアンをなかに通しました。
ポリモス上人は、エミリアンに向ひあつて
「そして、お前さんは、わざ/\わたしに
「さうです。それから、悪魔が封じこめられてる洞穴も見たいんです」
「あゝ、その悪魔のことだがね……」
いひかけて、ポリモス上人はしばらく何やら考へこみました。
「お前さんは、方々旅してあるいてるから、ずゐぶん、面白いことにもであつただらうね。そして
エミリアンはなんと答へていゝか分らないで、黙つてゐました。
「ところで、わたしが一つ、面白い話をきかせてあげよう。秘密な話だよ。それから、お前さんも少し
エミリアンはびつくりして目をみはりました。
「実は、わたしは一人でどうしたらいゝか、まつたく困つてゐたところだ」
そしてポリモス上人は、その面白い秘密な話といふのを、はなしてきかせました。それは――
ポリモス上人といふのは、実は、えらいお坊さんではなく、たゞの旅の人です。いろんなことをしつくしたあとで、世の中がつまらなくなつて、旅に出て、なにか珍しいもの、ふしぎなもの、びつくりするやうなものを、探しまはつてゐました。だが、そんなものはどこにもなく、旅もつまらなくなつてきました。ところが、ふと、イタリヤで、小さな港町の悪魔の
町の宿屋でたづねてみますと、じつさい、いろ/\なことが起つてゐました。――暗いところを通つてゐると、ふいに、帽子をはねとばされた……。なにものからとも知れず、鋭い
「ほんたうに悪魔だつたら、面白いんだが……」
ポリモスはさうつぶやいて、ふしぎなことが起るといふ
悪魔といふものは、いろんなふしぎな術を知つてゐます。それを教はつたら、すてきなことになります。たゞ、悪魔はその術を教へるかはりに、人の魂をほしがります。――それでも構ふものかと、ポリモスは考へました。どうせもう世のなかがつまらないんだ。悪魔に魂をうりわたして、そのかはりに、ふしぎな術を教はらう……。
月のない暗い夜でした。波の音がざー、ざーつとひゞいてゐます。遠くにもやつた船の
ポリモスはあてがはづれて、がつかりしました。海につきでた岩山の
そしてポリモスが、なんだかへんな気持で、夢ともうつゝともなく、ぼんやり目をあけた時のことです。ぼーつと白んだうす
「悪魔だつたかしら……。さうかも知れない」
さう
「悪魔よ悪魔よ、おれの魂をあげるから、ふしぎな術を教へてくれ!」
洞穴のなかはしーんとしてゐます。ポリモスはも一度くりかへしました。が、なんのこともありません。ポリモスは
「悪魔よ悪魔よ、おれの魂をあげるから、ふしぎな術を教へてくれ!」
けれど、なんの返事もなく、なんにも出てきません。いくら待つてもだめでした。もう夜があけて、東の空には赤い雲がたなびいてゐます。
ポリモスは腹がたつてきました。もしあれが悪魔だつたとしたら……。大好きな魂をやるといふのに、出てこないとは、よほど
「どちらにしても、この洞穴のなかにはいつていつたことは確かだ。昼間はこゝにひそんでるのだ。一つ
ポリモスはそこで、朝日の光がさすまで見張つてゐて、それから町へいつて、金網をたくさん買ひこみ、大きな
ポリモスが岩山の
「悪魔をとぢこめたのです」とポリモスはじようだんに答へました。
町の人たちはをかしく思ひました。悪魔は金網を通りぬけることができないのかとたづねました。
「お祈りをして、悪魔の術をきかなくしたのです」とポリモスは笑ひながら答へました。
町の人たちはびつくりしました。ところが、実際、ポリモスのいつた通りでした。その夜は、海岸の淋しいところにも、なんの怪しいことも起りませんでした。次の夜も、その次の夜も、さうでした。
午後から夜にかけて、洞穴のところに番をしてるポリモスは、ポリモス上人さまとなりました。ポリモス上人さまが、お祈りの力で、悪魔を洞穴のなかに封じこんでおしまひなすつたと、たいへんな評判になりました。
片手のきかない病人が、ポリモス上人さまのところへやつてきました。そしてお祈りをしてもらつて、ほどなくなほりますといはれて、家にかへつてきますと、今までしびれてゐた手が、自由に動くやうになりました。
さうなつてきますと、町の人たちはさわぎだしました。――あんな有難い上人さまを、町の宿屋なんかにおいとくのはもつたいない。第一、もし上人さまがよそへ行つてしまはれたら、悪魔がまた洞穴からとびだして、どんな害をするか
そこで、町の人たちは、洞穴のそばに、大急ぎで
困つたのはポリモスです。じようだんにいつたのがほんたうとなつて、悪魔は彼の祈りのために洞穴に封じこまれたことになり、彼はえらい上人さまになつてしまひました。それはよいけれど、洞穴のなかにゐるのが、果して悪魔かどうかも分りません。町の人たちが持つてきてくれる魚などを、そつと金網のなかに差入れておくと、いつしか食ひあらされてるので、何かがなかにゐることは確かですが、それがなんだか分りません。
それよりもなほ困るのは、
ポリモスは、できるだけ
そこへエミリアンがやつて来たのです。
「どうかして逃げだせる工夫はあるまいかね」
ポリモスは頼むやうにしてエミリアンへさういひました。
ポリモスの話をきいて、エミリアンは面白さうに笑ひました。そしていひました。
「逃げだすことなんか、わけはありません。わたしに任して下さい。その代りに、
「あげるとも。そんなものに用はないんだ。もうこりこりした」
そこでエミリアンは、さつそく町の方へいつて、大きな
その夜、おそくなつてからのことです。もう町の方もみな寝しづまつて、あたりがしいんとしてる
洞穴のなかは、ぼーつと明るくなつて、それから煙でいつぱいになつてきました。今にきつと、悪魔か何かが、くしやみをしながら出てくるにちがひないと、エミリアンは待ちかまへました。
ところが、なんにも出てきません。そしてエミリアンの方がくしやみをはじめました。煙にまかれて、けむたくてむせつぽくて、とてもたまらなくなりました。エミリアンは外に逃げだしました。
ポリモスが、洞穴の外で笑つてゐました。
「なあに、今に出てきます。出てこなかつたら、なんにもゐないんだ」とエミリアンはいひました。
そしてしばらくすると、ゐました。出てきました。大きなまつ黒いものがいきなりとびだしてきて、金網にぶつかつて、はねかへつて、またばた/\やつてゐます。それと見ると、エミリアンは中にとびこんで、その上から鳥籠をおつかぶせて、まんまと
それが、よく見ると、大きな
「なあーんだ」
「あゝ、蝙蝠か」
二人は顔を見合せました。エミリアンはいひました。
「
「町の人たちが、引きとめはしないかしら……。なにしろ、ポリモス上人さまだからね」
「なに、もう大丈夫ですよ」
そして二人は、夜のうちにすつかり仕度をしました。
夜があけると、エミリアンは町中にふれてあるきました。――ポリモス上人さまがたうとう悪魔を
その
洞穴の金網はすつかりとりはらはれてゐました。
やがて、ポリモスは悪魔の籠を持ち、エミリアンは例の
町の人たちは、悪魔の籠をこはがつて、遠くからながめてる者もあれば、上人さまをしたつて、おしよせてくる者もありました。そしていよ/\ポリモスが船に乗る時になると、みんな別れををしみました。
エミリアンは船の甲板に立つて、バイオリンで別れの曲をひきました。
エミリアンはしばらく船の旅をつゞけました。その船は地中海の沿岸をまはるごく旧式の小さなもので、おもに貨物や家畜をのせ、乗客は
乗客のなかには、ごくやせた人が幾人もありました。さういふ人たちの一人に顔を合はせると、彼はすぐに肥つてるのをじまんしました。朝ですと、かういひました。
「あなたはやせてゐますね、いけませんよ。わたしとわたしの羊たちとをごらんなさい。よく肥つてゐるでせう。今日の日をありがたいと思ひますよ」
食堂では、かういひました。
「あなたはやせてゐますね、いけませんよ。わたしとわたしの羊たちとをごらんなさい。よく肥つてゐるでせう。ごちそうを食べるのを
夜になると、かういひました。
「あなたはやせてゐますね、いけませんよ。わたしとわたしの羊たちとをごらんなさい。よく肥つてゐるでせう。神さまのお
面とむかつてさういはれると、やせた人たちはふんがいしました。――やせてるのは、何も自分たちが悪いからではない。ただぶくぶく肥つてるのが、何がじまんになるものか。それを、あてつけがましくいろんなことをいふのは、失礼せんばんだ。
そして
肥つた男はそりかへつて、ゆつたりと食堂にはいつてきて、何も知らずにいつもの席につきました。そしてその重い
「不都合きはまる。
ボーイは仕方なしに、二人前の食事をだしました。彼はそれをうまさうにたべてしまつて、そばのやせた人にいひました。
「いかがです、肥つてるのはよいことでせう。たゞで二人前のごちそうが食べられます」
やせた人たちは、それでなほふんがいしました。そしてこんどは、甲板に小麦の袋をぐらぐらにつみかさねて、そのそばにすまして立つてゐました。
肥つた男がゆつたりとやつて来ました。そして立止つて、
肥つた男は真赤になつて立上りました。そして船員をどなりつけました。
「
船員は仕方なしに、小麦を一袋かついで、彼の羊たちに食べさせにいきました。彼はやせた人たちにいひました。
「いかゞです、肥つてるのはよいことでせう。たゞで羊たちにもごちそうが出来ます」
やせた人たちは、なほふんがいしました。肥つた男はたゞころげるだけで、
すると、そのうちの一人が、エミリアンのことを思ひつきました。大人よりもかへつてああいふ少年の方が、うまいことを考へつくかも知れないし、ことにエミリアンは、イタリヤで何かえらいことをしたといふやうなうはさが、船のなかにつたはつてゐました。そこでみんな、エミリアンの
エミリアンはやせた人たちの話をきいて、しばらく考へてから答へました。
「わたしはあの肥つた人に、恩も
「あなたは、たいへん立派な羊をたくさん連れていらつしやるさうですが、その羊を見せて下さいませんか」
肥つた男は、喜んでエミリアンの方をふりむきました。今まで、いくらじまんをしても、その羊を見せてくれなどといはれたことがなかつたのです。
「あゝいゝとも、見せてあげますとも。こつちへいらつしやい」
そして彼は先にたつて、エミリアンを案内しました。中甲板におりて、少しいくと、そのかたすみの広い
「どうです、立派なものでせう。わたしも羊のやうに肥つてるが、羊もわたしのやうに肥つてゐます」
「ほんとに、立派な羊ですね」
エミリアンはさう答へて、しばらく羊を見てゐましたが、やがていひました。
「立派ですが、世の中は広いから、ほかにもこんなのがゐないとも限りません。そこにいくと、わたしは、
「え、世の中に二匹とゐない蝙蝠だつて……」
「さうです。見せてあげませう」
そしてエミリアンは、肥つた男を自分の船室に案内しました。その室のすみに、ポリモスから
「なるほど、大きな蝙蝠だな……」
「大きいうへに、のんきで、そしてまたとても
エミリアンはもつたいらしく
「この蝙蝠が、ある時、うつかりして、
「それから二三日の後、のんきな蝙蝠は、またうつかりして、ほかの鼬の巣にとびこみました。ところが、こんどの鼬は、鳥にたいして腹をたててゐました。いきなりかけつけてきて、鳥のくせになまいきだといつて、蝙蝠を
そんな話をきいて、肥つた男は笑ひだしました。が急に笑ひやめて、いひました。
「その蝙蝠が、これだといふんですか。だが、君はいつたい
「その話を……蝙蝠が
そして二人はいつしよに笑ひだしました。それからエミリアンは、ちよつとまじめになつて、いひだしました。
「とにかく、大きなりつぱな蝙蝠です。そこで、いかがでせう、この蝙蝠とあなたの羊のどれか一匹と、とりかへて下さいませんか」
「さうだな、それも面白いかも知れない」
そこで、話がまとまりまして、エミリアンは蝙蝠を肥つた男に与へ、そのかはりに、肥つた男の羊を、どれでも好きなのを一頭、
やせた人たちは、これからが面白いんだといふエミリアンの言葉を信じて、たのしみに待ちかまへてゐました。
船がギリシヤのある港につきますと、そこで
二十頭ばかりの、みごとな羊でした。それが、うす暗いところからひきだされて、上甲板のひろびろとしたところにならんで、うれしさうに動きまはつてるので、なほさらきれいでした。
エミリアンはしばらく羊の
「これにしますよ」とエミリアンはいひました。
「よろしい」と肥つた男は答へました。
エミリアンはその一頭の羊を、甲板のふちまでつれだしました。するとほかの羊たちも、あとからぞろぞろついてきました。それを見すましてエミリアンは、自分の羊を海の方へむけて、
それを見ると、肥つた男はきちがひのやうになりました。かけまはつて羊たちをひきとめようとしました。それから叫びたてました。
「
叫びたてながらも彼は、をかしなことには、蝙蝠の
さうなると、面白がつて見てゐたエミリアンも、やせた人たちも、船員たちも、すてておけませんでした。急いで小舟をおろして、肥つた男とその羊たちを、救ひあげはじめました。
肥つた男は、頭から水をかぶつて、ずぶぬれになつたまゝ、やはり蝙蝠の籠をぶらさげてゐました。羊たちもずぶぬれになつてゐました。けれど、
羊一頭について、銀貨を一枚づつわたされました。
エミリアンはいひました。
「あなたも救つてもらつたんだから、自分のぶんとして、銀貨を一枚おだしなさい。羊とおなじに、あなたの
肥つた男はまだぼんやりしてゐて、自分の
エミリアンはシリアに上陸して、パレスチナの方へ、のんきな旅をつゞけました。
ある日の夕方、山と海とのあひだの、
「えゝ、どうぞ、自由に飲んで下さい」とお婆さんは答へました。
教はつたとほりに、家のよこてにまはりますと、ほりぬき井戸の石の
お婆さんはたゞうなづいただけで、
やがて、お婆さんはやさしくほゝゑみました。エミリアンはたづねました。
「あなたは、何かたいへん悲しいことがあるんでせう」
「いゝえ」とお婆さんはほゝゑみながら答へました。
「それでは、何か一心に考へてることがあるんでせう」
「いゝえ」とお婆さんはほゝゑみながら答へました。
エミリアンは困りました。それから、きまりわるさうにいひました。
「でも……水を飲ましてもらつたんですから、お礼に、バイオリンをひいてあげませうか」
お婆さんはうれしさうな顔でうなづきました。
エミリアンはバイオリンをとりだして、いろんな音楽をひいてきかせました。鳥の声や風の音や波の
夕日がしづんで、うすぐらくなりかけるまで、エミリアンはひきつゞけました。
お婆さんは一心にきいてゐてくれました。そんなに注意ぶかくきいてくれる者は、これまでにありませんでした。エミリアンがひきやめると、お婆さんはその両手をとつて、やさしく握りしめてくれました。
「ほんとにありがたう。うれしくきゝましたよ」
エミリアンは顔を赤らめました。
「ほんとにうれしくきゝました。こんどは、わたしの方からお礼に、ご飯をあげませう。そして、よろしかつたら、泊つておいでなさい」
エミリアンはよろこんで承知しました。お婆さんについて家のなかにはいると、せまい家ですが、きれいに片付いてゐました。
お婆さんはうれしさうに食事の仕度をしました。そまつな食事でしたが、とてもおいしい
「これはずゐぶん古いんですよ」とお婆さんはいひました。「二百年くらゐはたつてゐるでせう。これを飲ましてあげたいと思ふやうな人を、わたしは今まで待つてゐました。お前さんは親切で、利口で、はれやかで、ちやうどその人です。お前さんに飲んでもらつたので、わたしはもう死ぬことにしませう」
エミリアンはとびあがりました。
「え、死ぬんですつて……」
「さうびつくりすることはありません。おちついておきゝなさい。話してあげませう」
そしてお婆さんは、その話をはじめました。
もう昔のことですが、わたしは相当に財産ももつてゐて、
さういふ人たちのうちに、一人の聖者がありまして、
「なんでもあなたの願ひごとを一つ、かなへさしてあげるだけの力を、わたしは神さまから授かりました。よく考へて、願ひごとを一ついつてごらんなさい」
わたしは長いあひだ考へました。そしてかういひました。
「うちの庭に、大きな
「それはまた、へんな願ひごとですね。でも、あなたがそれを望まれるからには、きつとかなへさしてあげませう」
そして聖者は行つてしまひました。もうそれきりきませんでしたから、きつと、天国に
それから幾年もたつて後、
その姿をみて、わたしはいひました。
「おや、死神ですね。長い前から待つてゐましたよ。わたしはもうこの世を去つても、少しもをしいとは思ひません。たゞひとつ、その前に、巴旦杏の実がたべたいんですが……」
「それだけのことなら、わけはない。ちよつと待つておいで」
そして死神は、庭にかけていつて、巴旦杏の木にのぼり、その実を少しつんで、おりようとしました。わたしはそれを待ちうけてゐて、命令しました。
「死神は、わたしの許しがなければ、木からおりてはいけない」
すると、命令どほりになりました。死神は、たのんだり、おどかしたり、叫んだり、騒いだりしましたが、巴旦杏の木からおりることが出来ませんでした。
それからといふものは、もう
わたしは当惑しました。死神をときはなしたら、死にたがつてる人ばかりでなく、生きたいと思つてる人までも、さらつてゆくにちがひありません。それでわたしは、死神のところへ行つて、約束をさせました。わたしが三度よぶまでは、決してわたしをさらひにきてはいけないこと、そしてわたしが巴旦杏の実を持つていつてやる人を、死にたくないのにむりにさらつていつてはいけないこと、それを誓はせました。そして死神を巴旦杏の木からおろしてやりました。
そこでまた、方々に死ぬ人が出てきました。どんなに病気で苦しんでゐても、死にたくないといふ人のことをきくと、わたしが巴旦杏の実をもつていつてやりました。するとその人は助かりました。
ところが、わたしがそんなことをしてるのをみて、いつのまにか、わたしを
もうわたしは、あまり生きすぎたのでせう。魔法使だといつて、人もあまりよりつかなくなりました。わたしは死神をよばうと思つてゐます。
そこへ、お前さんがきて、いろんな音楽をきかしてくれましたから、こんなうれしいことはありません。その
エミリアンは、そのおいしい
「いゝえ、死んではいけません。死神をよんではいけません」
夢中にそんなことをエミリアンは叫びました。それからまた、お婆さんを喜ばせるために、バイオリンをひいたり、
お婆さんはやさしくほゝゑんでゐました。その顔をみてゐると、エミリアンは眠くなりました。
夜中に、エミリアンは何度も
「死んではいけません。死神をよんではいけません」
すると、お婆さんのやさしい笑顔が、彼の方をのぞきこんでくれました。
朝早く、エミリアンが
外に出てみますと……庭の大きな巴旦杏の木の下に、
エミリアンはその
朝日の光がさしてくると、エミリアンは涙をふいて立上りました。一人ではどうすることも出来ませんから、少しはなれてる村の人たちをよびにいきました。村の人たちは、お婆さんを天の
その晩、大ぜいの人でお通夜をして、翌日、葬式をすることになりました。
その葬式の朝、ふしぎなことには、庭の巴旦杏の木がいつぱい花をひらきました。それが一日のうちに実をむすんで、葬式がすんだ夕方には、もうあまく熟してゐました。
エミリアンはその実をつんできて、みんなにたべさせました。
そしてエミリアンは、お婆さんがなくなつたあとの家に、しばらく住んでゐました。庭の大きな巴旦杏の木には、いつもあまい実がたくさんなつてゐました。