長い旅から戻つて顧ると、随分、色んな人に逢うた。殊に為事の係りあひから、神職の方々の助勢を、煩すことが多かつた。中にはまだ、昔懐しい長袖らしい気持ちを革めぬ向きもあつたが、概して、世間の事情に通暁した人々の数の方が、どらかと言へば沢山であつたのには、実際思ひがけぬ驚きをした。此ならば「神職が世事に疎い。頑冥固陋で困る」など言ひたがる教訓嗜きの人々の、やいた世話以上の効果が生じて居る。而も、生じ過ぎて居たのは、案外であつた。社地の杉山の立ち木何本。此価格何百円乃至何千円。そろばん量りの目をせゝる事を卑しんで、高楊枝で居た手は、新聞の相場表をとりあげる癖がつきかけて居る。所謂「
併しながら此方面の才能ばかりを、神職の人物判定の標準に限りたくはない。又其筋すぢの人たちにしても、其辺の考へは十二分に持つてかゝつて居るはずである。だが、此調子では、やがて神職の事務員化の甚しさを、歎かねばならぬ時が来る。きつと来る。収斂の臣を忌んだのは、一面、教化を度外視する事務員簇出の弊に堪へないからと言はれよう。政治の理想とする所が、今と昔とで変つて来て居るのであるから、思想方面にはなまじひの参与は、ない方がよいかも知れぬ。
唯、一郷の精神生活を預つて居る神職に、引き宛てゝ考へて見ると、単なる事務員では困るのである。社有財産を殖し、明細な報告書を作る事の外に、氏子信者の数へきれぬ程の魂を托せられて居ると言ふ自覚が、持ち続けられねばならぬ。思へば、神職は割りのわるい為事である。酬いは薄い。而も、求むる所は愈加へられようとして居る。せめて、一代二代前の父や祖父が受けたゞけの尊敬を、郷人から得る事が出来れば、まだしもであるが、其氏子・信者の心持ちの方が、既に変つて了うて居る。田圃路を案内しながら、信仰の今昔を説かれた、ある村のある社官の、寂し笑みには、心の底からの同感を示さないでは居られなかつた。
其神職諸君に、此上の註文は、心ない業と、気のひける感じもする。けれども、お互に道の為、寂しい一本道を辿り続けて居る身であつて見れば、渋面つくつてゞも此相談は聴き入れて貰はねばならぬ。世間通になる前に、まづ学者となつて頂きたい。父、祖父が、一郷の知識人であつた時代を再現するのである。私ども町方で育つた者は、よく耳にした事である。今度、見えた神主は、どう言ふ人か。かうした問ひに対して、思ふつぼに這入る答へは、いつも「腰の低いお人だ」と言ふのであつた。明治も、二・三十年代以後の氏子は、神職の価値判断の標準を、腰が低いと言ふ処に据ゑて居た。かう言ふ地方も、随分ある。一郷を指導する知識の代りに、氏子も、総代の頤の通りに動く宮守りを望んで居たのである。
かうした転変のにがりを啜らされて来た神職の方々にとつては、「宮守りから官員へ」のお据ゑ膳は、実際百日
「神社が一郷生活の中心となる」のは、理想である。だが、中心になり方に問題がある。社殿・社務所・境内を、利用出来るだけ、町村の公共事業に開放する事、放課・休日に於ける小学校の運動場の如くするだけなら、存外つまらない発案である。結婚式場となつて居る例は、最早津々浦々に行き亘つて居る。品評会場・人事相談所・嬰児委托所などには、どうやら使はれ相な気運に向いて来た。世間は飽きつぽい癖に、いろんな善事を後から/\と計画して行く。やつとの事で、そろ/\見え出した成績が、骨折りにつり合はぬ事に気がつくと、一挙にがらりと投げ出して、新手の善事に移つて行く。一等情ないめを見るのは、方便善の一時の榜示杭になつて居たものである。神社及び神職が、さうしたみじめを見る事がなければ、幸福である。
抑亦、当世の人たちは、神慮を易く見積り過ぎる嫌ひがある。人間社会に善い事ならば、神様も、一も二もなく肩をお
信念の地盤には、どうしても学殖が横たはつて居なければならぬ。揺ぎ易い信念の氏子にすら気をかねて、諸事遠慮勝ちに、卑屈になつて行くのは、学殖といふ後楯がないからである。神に関した知識の有無は、一つ事をしても、信仰・迷信と岐れて現れる。学術的地盤に立たねばこそ、当季限りの流行風の施設の当否の判断も出来ない。よい加減に神慮を忖度するに止めねばならぬのである。人間は極めて無力なものである。無力なる身ながら、神慮を窺ひ知る道がないでもない。現在信仰の上の形式の本義を掴む事の出来る土台を、築き上げる深い歴史的の理会である。其から又、神の意志に自分を接近させる事の出来る信念である。此境地は、単純な常識や、合理風な態度では達する事が望まれない。
神道は包括力が強い。どんな新しい、危険性を帯びた思想でも、細部に訂正を施して、易々とゝり込む事の出来る大きな腹袋を持つて居る様に見える。処が世間には間々、其手段を逆に考へて、神道にさうした色々な要素を固有して居た、と主張もし賛成もする人が、段々に殖えて来た。此は平田翁あたりの弁証法の高飛車な態度が、意味を変へて現れて来たのである。さうした人々が、自分の肩書や、後押しの力を負うて、宣伝又宣伝で、どし/″\と羽をのして行く。常識から見ての善であれば、皆神道の本質と考へ込む人々の頭に、さうした宣伝が、こだはりなしにとり込まれ、純神道の、古神道の、と連判を押される事になる。元々、常識と断篇の学説とを、空想の汁で捏ね合せた代物を、ちよつと見は善事であり、其宣伝の肩に負うた目を昏ますやうな毫光にうたれて、判断より先に迷信して了ふ。源光ににらみ落されたと言ふ、如来に化けた糞鳶を礼拝して居るのだつたら、どうだらう。
此道に関しては、均しく一票を投ずる権利を持つた神職で居て、学殖が浅く、信念の動き易い処から、こんな連判のなかま入りをしたとあつては、父祖は固より、第一「神」に対して申し訣が立たない次第である。大本教ばかりも嗤はれまい。なまなかな宗教の形式を採つたが為に、袋叩きの様なめを見た右の宗旨も、皆さん方の居廻りにある合理風な新式神道と、変つた処はあまりないのである。「合理」は竟に知識の遊びである。我々の国の古代と現代との生活を規定する力を許すのは、其が、どの程度まで、歴史的の地盤に立つて居るかと言ふ批判がすんでからの事である。廉々の批判は、部分に拘泥して、全体の相の捉へられないはめに陥れる事がある。学者の迂愚は、常にこゝから出発して居る。我々の望む所は、批判に馴された直観である、糞鳶の来迎を見て、とつさに真偽の判断の出来る直観力の大切さが、今こそ、しみ/″\と感ぜられる。
合理といふ語 が、此頃、好ましい用語例を持つて来た様に思ひます。私は、理窟に合せる、と言ふ若干の不自然を、根本的に持つた語として使つて居る。此にも、今後も其意味のほか、用ゐない考へである。念の為に一言を添へました。