言語の用語例の推移

折口信夫




言語の用語例の推移の問題は、今よりももつと盛んに研究せられてよいことゝ思ふ。凡どんな語にも、語原又は第一義にとゞまつてゐると言ふのは見られないのが、事実である。
我々の国に、語彙の撰述がはじまつてから、随分長い年代を経てゐる。殊に明治以後は、外国の辞書編纂の方法などが参考せられて、相応な効果があがつて来てゐる。だが其等の本に、語々の意義を発生的に記したものと見られるものがあるだらうか。第一義から、正しく順を逐うて、並べてあると思はれぬものが多い。其と今一つ、辞書記述の上には表し難いことだが、略語について、一往の反省をしてもよいと思はれるふしが多い。此は必しも辞書に限つたことではない。一般の語意研究の上にも、語の中に或は、語の裏に張りついて、消極的な表現をしてゐる場合が、よほどのぶあひを持つてゐる。却て句や文章の省略などになると、其を通過せぬことには、解釈がつかぬことになるので、曲りなりにも、省略法など言ふ語で、この消極表現を言うてゐることがある。
併し実は、そんな稀にしか現れて来ないと謂つた現象ではない。あまりあり過ぎて、話しながら不注意に通つて居る。その間に、其等の省略せられた形だけに添うて、其なりの別殊の妥当性を抽き出して遣つてゐる。すると逆に語原を追求して、其らしいものに想到して、仮りの安定状態を得てゐると言つたことが多い。此為に、――語原学方面はまづよいとして――解釈学の方面では、相当な失敗を重ねて来てゐる。
正確な比較研究に立つて言ふのではないが、此略語作用と言ふべきものが、日本語には殊に激しいやうであり、日本語発達の径路に、其が不思議な単純化性能を表したり、表現を自由・柔軟にしてゐる所が多いと言ふことが出来る。

私は、日本語の副詞表情に、気をとられて凡半生を過して来た。旧来の思慕の情調を湛へた日本の文章・詞章の、国人の心をおびく美しさも、之にかゝつてゐることが多いと信じてゐる。自分で書く章段も、副詞表情を発揮することに費されて来た気がする。まして古代・中世の文学・非文学を通じて、文体の中心になつて居るものは、副詞句――副詞状・形容詞状の叙述語句をこめて――だと考へられて、久しくこの方面に注意だけはして来た。私よりも若い日本言語学者の誰かのさゝやかな出発点にでもなればよいと思ふのである。

うたたと言ふ語は、漢字「転」の訳語として、今も文語の上には、命の破片のやうなものを残してゐる。が、之をも一度近代訳することになると、骨の折れる語になつてしまつてゐる。新撰字鏡には載つてゐない。類聚名義抄には、カヒログ以下十四訓ほどの註がある。其中、マハス・カハル・ウツル・メグルなどは、今日我々の使用例と違はない。クルベクなどは、我々には遠くなつて居るが、器物や地理の名にあるから、なる程と思はれる。トコカヘリは輾転反側をさう訳したので、歴代の支那字典には出て来るのだから、之を容れてゐるのも、をかしくはない。アク・ヨム(転読の要約訓か)などは、何字書によつたものか、私などにはわからない。マヱフ(?)と見えるのは、目酔ふと解したものか、眩く(めくるめく)のまよふであらう。ウクツタ(ク?)と思はれる註がウタカタの誤写ならば、此からの話とも関聯があるのだ。が、恐らく此は、驟を訓むウタツクと同義があるからとも思はれる。此外に、イヨヽヽ・ウタヽが出てゐる。此序に近い行を見ると、輒輒にもタチマチ・スナハチ・ホシイマヽなどある中に、こゝにもウタヽと言ふ註が交つてゐる。どう考へても、さう言ふ訓の出る理由がない。恐らく写字の錯誤ではなからうか。
色葉字類抄には、転にウタヽイヨヽヽと訓じた次に、云重詞也とあつて、後は解し難い数字がある。其次に、倍同[#「同」は小書き]とある。さすれば、此もイヨヽヽ・ウタヽと訓じてよい訣だ。転・倍共にイヨヽヽと註するのは、当然である。仮りにずつと降つて、嘉慶の平他字類抄を見る。其にも、転(ウタヽテン)、とある。
漢字典の記載法を思ふと、解説者の、用語例に関する限界が、時には近過ぎたり、遠ざかり過ぎてゐることが多い。同じ用語例にあるものを、わざ/\意義の別なものゝやうに分割して説明する場合が、尠くないのである。たとへば、イヨヽヽ・マスヽヽを、ウタヽと言ふ日本語で、其を訳し分けて訓をつけると、全く別の用語例にあるものと見える。だが実は、ウタヽとイヨヽヽとの間には、其ほどの区別はないのである。倍の字が、イヨヽヽの意義を持つてゐることは言ふまでもない。而も同時にウタヽと訓むだけの内容を持つてゐる事も知れる。即、ウタヽとイヨヽヽとがある時期には、一つの意義をめぐる隣接語だつたのである。
其は殆同じ内容の新旧並行の同義語だつたり、又階段を異にしてゐると言ふだけの近義語の場合もあり、其から又、飛び離れた意義の語でありながら、ある一つの語に対して、同じ位置に据ゑられることがある。とすると、本来の意義の中から、似よりの方面を分化して、右の語に関係して行く。「うたゝ」と「いよ/\」とは、同義語でないかも知れぬ――さう見る方が適切らしいが、仮りにかう言ふ風に考へて――が、ある時期において、ある種の叙述的な語句に接する時には、非常に近義を発揮したのだと言へる。うたての方から言へば、いよ/\と殆同じ用語例に入ることになる。
併し此語の用語例は、積極・消極の両方面がある。嫌悪の情を表す場合が相当にあつたのを、文章語の上では次第に忘却して行つた。さうして積極的とも言ふべき愈益イヨヽヽマスヽヽと同義の方面に進んで行く中に、古典語となつてしまつて、主として漢籍に固定した訓法ばかりに用ゐられるやうになつた。さうして、ウタヽ以外に、あつた形のことなどは忘られてしまつた。此が今日も尚多くの場合意味不明な訓読法の一つとして、漢文の訳読に残つた転の字の訓なのである。
ところが一方、同一の語であつて、書き物には寧其よりも古く、形が見えて居り、後に音韻分化によつて、うたゝを派出したと思はれるうたてがある。うたてがまづあり、後に至つて、うたてうたゝ並行せられ、其が又岐れて、うたゝは漢文訳語に附属して、古典語化して残存し、うたては、律文・散文に通じて用ゐられ、後長く口語の上に保存せられて、方言には今も遣ふ地方がある、と謂つた風に、別々の道を通つて来てゐる。方言うたては、うたていと形容詞に扱はれて、大抵は嫌悪倦怠感を起させる対象に向つての表情となつてゐる。近代の用語例は、やはり其と同じで、形はうたてしを思はせるうたていの外に、うたてのうたてななどがある。中世の初め――平安期の日記・物語・短歌類にあるものは、うたてありが標準形で、うたてしと言ふ形は、卑俗な感じを持たせたものらしい。ところが極めて微力な用語例だが、うたゝありと言ふ形が、稀に用ゐられてゐる。此が、うたてうたゝ並行時代で、とりたてゝ用語例に区別がないやうだ。「花と見て折らむとすれば、女郎花うたゝあるさまの名にこそありけれ(古今)」「思ふことなけれど濡れぬ我が袖はうたゝある野べの萩の露かな(後拾遺)」「さらぬだに雪の光りはあるものをうたゝありあけの月ぞやすらふ(式子内親王集)」古今以後の短歌に、うたゝありが標準形のやうにとられて、うたてありが本格的でないやうに見え――唯うたてだけを副詞のやうに据ゑたものは、相応にある――るのは、なぜだらう。平安期を通じ、更に中世中期と言ふべき鎌倉期にも、まだ生きて――擬古文用の語としてゞなく――散文には、多く遣はれてゐるのは、平常語としては、勢力があつても、文学語・学術語――即、古典語――としては、位置をうたゝありに譲つて行つたことを示してゐるのではないか。
更に溯ると、万葉に五例まであつて、いづれもうたてと訓むべきで、亦ありを伴うて居ない。菟楯(イ)・宇多手(ロ)・得田(ハ)・得田(ニ)・宇多弖(ホ)とあつて、ウタヽと訓まぬ方が正しい。「……下なやましも。(イ)この頃」(巻十、一八八九)「……見まくぞ欲しき。(ロ)この頃」(巻十一、二四六四)「(ハ)この頃恋のしげしも」(巻十二、二八七七)「(ニ)に心いぶせし」(同、二九四九)「秋といへば、心ぞいたき。(ホ)異に花になぞへて見まくりかも」(巻二十、四三〇七)。此等もありの形を下に踏んでゐると言へぬこともない。だが、さう見ないのが、此形から言つて正しいだらう。(イ)を含んだ例は、「うたて下悩ましも。この頃は」であり、(ロ)のある例は、「うたて見まくぞ欲しき。この日頃よ」である。甚悩しい・極めて見たい気がすると言つてよいところで、之を情なくも、つらくも、心憂くもなど訳するのは、さう訳してもわかると言ふだけで、かう言ふ例が、見られるとほり悲観すべき方へ偏つてゐるところから、さうした次義・三義が生じて来たのである。(ハ)は、この日頃、恋ひ心が頻繁に起つて、「うたて恋ひのしげしも」であり、「愈うたて心いぶせし」が(ニ)。「秋と言へば益うたて心ぞいたき」或は、「花になぞへて、うたて見まく欲りかも」と言ふ風に置き替へて見られるのが、(ホ)である。此中(ホ)は、うたての関聯する所が、二様に見られる。此はどちらかゞ正しいと言ふより、副詞の位置が流動してゐる為に、恰も二つの語句に繋りを持つてゐるやうになる、日本語における副詞の特別な関聯性を考へる必要がある。此等も亦、甚・極めてなど訳して当るものだ。
之を愈・益と言ひかへても誤りではない。「いよ/\甚しくなり」「ます/\極まりたる状態」に進んでゆく状態を言ふので、謂はゞ甚と愈との間を動揺してゐるものと言ふことが出来る。さうして、昔風に訳すれば、すべて嫌悪・憂鬱など言ふべき心理を表したものと言ふことも出来る。だが其は、甚又は愈或は其間に在る感情の程度か、進行を示すだけの副詞で、其自身には、如何やうの心理かは描写してゐないのである。其下にある悩まし・見まくほし・いぶせし・いたし(又は、見まくほる)など言ふ心の状態の推移や、激しさを示すだけの語に過ぎないのである。
(ホ)のうたてで考へられるやうに、副詞は、直接に即くべき語から游離し易いのが、日本語における事実である。だから、其語自身の接続すべき語との結びつきが極めて緩い。平安期以後の短歌における副詞には、殊にこの傾向が甚しい。勿論散文の上にも、其があつて、文章成分の転換の傾向を、一層激しくしてゐるものと言へる。
言語殊に文章語においては、類型表現を重ねて、なるべく独創の苦痛を避けようとする。其で新しい表情を欲することが尠く、あり来りの形ですまして置かうとする。甚たのしいことにも、愈嬉しい時にも、うたての遣はれる理由はあつても、類型表現の習慣や、類型に妥協する懶惰性が、さうはさせない。不快な心を表現する方へ偏つて行く。さうして遂には、うたて其ものが嫌悪の情調を表すものと考へられるやうになる。即、結果から言へば、叙述語に添うてゐた副詞が、肝腎の対象を失ひ、遂には、叙述語自身と見なされる職分を持つことになる。「うたて憂鬱なり」と言ふところが慣しとなつて、うたてばかりを遣つて、「憂鬱なり」と感じる様になつて来る。叙述部脱落と、副詞の游離性とから、さうした結果を生じるのである。
……地をアタラしとこそ、我が汝兄ナセの命かくしつれとり直せども、猶其悪態不止而ナホソノアシキワザヤマズシテ転。(神代記)
こゝに、大長谷王の御所に侍ふ人等白さく、宇多弖物云王子故応慎ウタテモノイフミコナレバココロシタマヘ。亦宜堅御身ミヽヲモカタメタマフベシ、と白しき。(安康記)
神代記の転を、宣長は「ウタテアリ」と訓んでゐる。巧妙な訓であるが、中世の臭ひがする。後にウタヽと訓まれる字が、ウタテアリに宛てられる理由はあるやうだが、まだしも逆に読み上げて「あしきわざうたてやまず」と改めた方がよい。「不止而転」といふ字面のまゝ読むと、ウタテが何にかゝつてゐる副詞やら訣らなくなる。さうしてまだ此時代には、「ウタテアリ」の形も成長せず、此語のつく叙述部のない形も出来てゐなかつた筈である。安康記の例は、「物云」にかゝつて居るやうで、少し異風だ。激しくもの言ふなど訳して見れば訣るやうだが、此も、後代風のうたてにとることは出来ない。おなじ上代の文献と言つても、万葉の歌と、古事記中の言語では、年代が違ふ。其を宣長のやうに理会しては困るのである。まして万葉期にもなかつた筈のウタテアリが、其より更に上つた時代にある訣はなく、又嫌忌する意がまだ発生して居ない筈なのに、転も宇多弖も、其に近づけて説くのは、よくない。唯、その「甚し・極めて」などが、悪しい傾向のことを言ふに傾いてゐたと言ふことは出来るかも知れぬ。併し此は今残つてゐる僅かの例や、うたてと似た意義発生径路を持つた語から見て言ふだけのことであつて、現存しない反証の出て来ることも予期せねばならぬ。まづ今の処間違ひなく言へることは、古代にも相当に夙くから、此語はあり、生得の副詞として、所謂語根のまゝのものであり、従つてなど言ふ接尾語によらずとも、十分に副詞機能を発揮したものであつた。其が類型表現の為に、憂鬱・嫌厭の甚しさを表すことが多かつた。中世の初め、略語表現が盛んに行はれた人々の間で、叙述部の為の修飾部だけを遣つて、叙述部の代理までさせる様になつた。其結果、修飾部が叙述部となつた。さうして、うたては完全に悲観・倦厭の情を示す用語例に入つてしまつた。さうなつてもまだ、此語自身の持つた運命は、など言ふ形容詞語尾を完全に持つには到らなく、却て別の形が叙述部として役に立つ為に出来て来た。其が、うたてありである。副詞の位置の自由だつた為、転倒して文末に来ることなどがあつたこと、「……行かなくに。」「……うらもとなくも。」などが、其を示してゐる。此等も皆ありをつければ、完全な叙述部として立つことが出来る。此まゝでも、事実において、叙述能力を持つてゐる。唯うたてありの場合、語尾をつけて、副詞から形容詞(ありを複合した)を構成したのである。よくありこひしくありを類推の基礎にしてゐる。さうして単に叙述部ばかりに止らず、自由な動詞状形容詞として、連体形も出来て来た。さうして、完全に悲観・嫌厭の情を専らに言ふことになつた。此頃から一方音韻分化したうたゝの形が、うたゝありともなり、悲感を表すと共に、積極感をも示すことになつたが、此は訓読専門の語となつて行つたらしく、専らうたゝと言ふ形の死語として、今日までも残つた。
うたてうたてありが並び行はれてゐる間に、うたてく・うたてき・うたてしなど言ふ不整形な語も認められるやうになつた。さうして、近代に入つては、うたての・うたてな・うたていなどが出た。さうして今も方言では、うたていとして残り、煩雑・困惑・倦怠などの情調を表す語として用ゐられる地方が、相応にある。
「うたて+……」と謂つた形の句が、うたてだけを残した脱落句となる前に、うたてが既に叙述性能を持つて来てゐるのだ。さうして、副詞である為に、其位置は自由であるが、ともかくも不整形叙述語としての力だけは持つてゐた。さうして尚も、其自身不整備形なることを忘れないでゐる為に、ありを補ふことによつて、語形を完成しようとしたのである。だがさうしても、うたてを様式上形容動詞風にして、叙述部感を完うしようとしたゞけである。此は、後に説く「あさまし」その他の場合にもくり返されることである。





底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
   1996(平成8)年3月25日初版発行
※題名の下に「昭和九年以降草稿」の表記あり。
※底本の題名の下に書かれている「昭和九年以降草稿」はファイル末の注記欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年4月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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