地唄

折口信夫




地唄とは、ろおかるの唄と言ふこと。上方の人々が、江戸の唄に対して、土地の唄と言ふ意味でさう名付けた。江戸から言へば、上方唄と言ふことになる。
上方では、長唄・清元・常磐津など、それにもつと古く這入つた唄や、江戸浄瑠璃の類を括めて、江戸唄と言つてゐた。其等は、法師がいてうたふと、差別なく、皆一つものになつて了つた。明治以後、東京から次第に其道の人々が、上方へ来る様になつて、其人々が遊廓を中心に弟子を取る様になり、段々に差別がついて来たが、もとは皆、上方では、法師や、その亜流のマチ師匠などがうたつて、何もかも、一つに響いたものである。
明治以後、一番先に、江戸唄らしいものゝ、大阪へ這入つて来たのは、新内であつた。京都も多分、そんなことだつたらう。かう言つてしまふと、少しの間違ひが見のがされてゐることゝなる。実は上方で暫らく絶えてゐた祭文節が来てゐた。舞台や高座と関係なく、袖乞ひする旅芸人が持つて来たものであつた。これが、江戸で言へば職人階級と言ふべき人たちに移されて、寄席や、貸し席で、芸披露をするまでに出世してゐた。其後、何度目かに来たのが新内ぶしで、此は色町をとほして場末の町々のどうらく若い衆が習ふやうになつた。床屋の親方などで、新内の師匠を兼ねたものが、我々の記憶に残つてゐる。明治二三十年頃のあり様である。その外のものは、師匠が、東京から居を移して来なかつたから、本筋のものは伝はらなかつた訣である。従つて長唄・常磐津・清元などは、長く京阪には行はれなかつた。
とにかく、それ等は、一括して江戸唄と言ひ、中には、江戸の方で消えたものが残つてゐる。其等、江戸唄の本は、上方では、別にまとめられて、枕本マクラボンの形で残つてゐるものが、幾つかある。地唄は、法師が、謂はゞ家元である。もと/\、家元制度の行はれたのは、江戸であつて、之に当るべきものは、上方にはない。江戸政府の社会政策の結果に出来た癌であつて、指導権といふやうなものがあり、其が地唄は、法師がするのが本格のものであつて、法師以外がするのは、正式なものではないと考へられてゐた。琴や三味線を楽器として、唄をうたふ。もとは琴であつて、くだけたものが、三味線である。両方共通のものもある。
富崎春昇と言ふ人は、もう東京へ来て、かれこれ二十年にもならうか。面白い様な面白くない様な、変なものだ。
地唄に包含してゐるものは広い。大体の区劃は、長うたと端うたとに分れてゐる。長うたとは、形の長い短いによるのではなく、其流に於ける本格のものがさう言はれる。由緒正しいものを言ふ。勿論、琴にも三味線にもひく。はでと言ふ語は、今は、豪華なことに言ふが、端うたの場合の如く、もとは、本格をはづれた、変格のものを言ふ。まう一つ、小唄と言ふ部類があるが、厳格には言はない。民謡を三味線に取り上げて、改調したもので、以上が、地唄の大体の区分と言つてよい。普通は、本調子・二上り・三下り等の調子で分類するか、或は、検索に便利な様に、題目の字数で分けたりしてゐる。
長うた・端うた・小うたと言ふ分類は、江戸に移つてゐる。江戸では、音楽の中心は遊廓にはなく、芝居小屋にあつた。劇場に音楽の本流があつた。其劇場が、正式の音楽を持つた頃からあると言ふ訣で、杵屋の長唄が、長唄の名を専らにした。つまり正式の劇場音楽と言ふ名である。其に対して変格のものが端うたであるが、後には、その極一部の、歌沢節を端唄と言つた。歌沢節は、喧しく言へば小うたである。つまり、江戸と上方とでは、芸謡の名称は同じでも、内容は違つてゐる。
「歌曲時習考」は、歌曲さらへかうと訓む。昔の人は、今の人が会と言ふ処を講と言つた。さらへかうは、それをもぢつて、「考」としたのである。此外に、「糸のしらべ」と言ふ本があつて、地唄は普通、此二種である。しかし、歌の数は同じ「時習考」を名とするものでも、段々に増えて行くので、幾通りもの、厚さをもつた本がある。しまひには、四寸程の厚さにまで達してゐるが、「糸のしらべ」の方は更に増えて、二冊に分れる程に、なつてゐる。
「時習考」の方は、厚くなつてゐる一方のは、三味線唄ばかり集めたものであるが、まう一つ別に、琴唄ばかり集めたもので、三分の一程の分量を持つてゐるものがある。稽古本に過ぎぬから、いくら種類があつても、校訂には役に立たぬが、並べて変遷をみるのは面白い。

         ○

きつね火 まへうた
本てうし
つきはつれなや。はやあかつきのかねのこゑ。(合)さらば/\の こゑもたえゆく小田の原。(合)おくりかへせば、ひえのやまかぜ身にしみて、(合)なたねの花のうらがれ。けさのわかれに、つきをたもとに残いて(合)あるかなきかの、しゆびを思ふがいのちさ。(合)恋のをぐるま、まはるをのこのあれかし。(合)心をのせてあはうに。(合)かぎりある身のかぎりをしらで(合)かひもなきよをうちなげき、なんのいんぐわに、しやばにきて、いきてそはるゝ身ではなし(合)月を見ばやとちぎりし人も(合)こよひそでをや しぼるらん(合)――歌曲時習考

このきつね火前歌は、「歌系図」によると、作者は大石うきと言ふことになつてゐる。うきは即、大石内蔵助の廓名である。
歌系図と言ふのは、天明年間に出たもので、流石庵羽積の名が署してある。地唄の作者を調べた本である。羽積が、どう言ふ根拠でしたのかは訣らないが、私の想像では、多分、法師に聞いたのであらうと思ふ。上方唄は、法師の家に伝つたものだから、多くの想像や伝説を含んだ。併、作者は如何にも適切にあてゝある。
ともかく、地唄の作者の輪郭や想像範囲は、この本を見ると、大体訣る。中には意外な人をあげた点が、参考になる。
此書は、国書刊行会本の歌曲の部、或は日本歌謡集成に這入つてゐる。
――狐火を選んだのは、大石内蔵助作と言ふことの背景が面白い。内蔵助が遊んだと言ふ島原は、其頃は六条の廓で、そこで、自分でうたつたと言ふ。そればかりでなく、詞章もよく出来てゐる。大石うき作にはまう一つ、「里げしき」がある。此もよく出来てゐるが、此方は、江戸の芸謡の評釈書としては実際の権威を持つ「歌曲評釈」(醒雪佐々政一博士)の、一番初めの上方唄の部でしてをられるので、今は此を避けて、狐火の方を選んだ。両方とも境地が同じで、よく似てゐる。だから、或はどちらかゞ大石うき作で、他は内容によつて、類推したのかもしれぬ。
時習考では、狐火まへ歌と狐火とが別になつてをり、糸のしらべもさうだが、「大成糸のふし」は、二つが続いて一つになつてゐる。つまり法師の流派々々によつて、さう言ふ小異があつて、続けて歌ふ流儀もあつたのであらう。
大石うき作となつてゐるのは、前歌の方であるが、一続きになつてゐるものとすると、全部さう言ふ事にならう。

前歌口訳
月はそつけなくて、思ひやりのないものだ。早、暁方の様子になつて、西へ傾いて、男と別れなければならない時を告げる鐘の音が、聞えてゐる。男と女とが言ひカハす、さやうなら、また逢はうの声々も、とぎれ/\になつて、しまひには、聞えなくなつて行く廓の外の広い田圃の見わたしよ。
さて、男を送つて了ふと心寂しくなる。向うに見える比叡の山颪が身に沁みて感ぜられる。まだ、春は早い時分だのに、菜種の花が半分枯れ/″\になつてゐて、あはれは此上ない。今朝のこの別れに、空に淡々しい残月が袂にうつつてゐるが、すつかり晴れきらぬ心を持つたまゝで、ぼうとしてゐる。さうして思ふのは、かうして今度は、いつ逢へるか訣らぬ、心細い次のあひびきの機会に頼みをかけてゐるのが、せめてもの生きがひである。
恋の小車が廻る、それではないが、心のよく廻つて、こつちの心の推量のつく男が、あつて欲しいものだ。そんな男があれば、心の中の一切合切その男に任せて、逢ひ通さうと思ふのに。どうで死んで行く、限度のある筈の人の命の、その限度と言ふものが考へられないで、生きて居てもその効果もない世を歎いてゐる。
どう言ふ過去の因縁で、此世に生れて来て、生き永らへてゐるのだらう。生きてゐる間に、夫婦になつて添はれる身ではないのだし。
一緒に月を見ようと約束をしておいた人が今夜、涙を流して、袖をしぼつてをるであらう。

語釈其他
此前うたには、狐火のことは出て来ない。此時の色街は、六条の廓で、六条のはづれから、朱雀野スザカノを通つて行く。その広い光景を、背景として、考へること。
○つれなや つれなしはそつけない、自分の思ふ心と関係のないこと。○菜種の花の…… 叙景としてよく言つてゐる。此だけで、女の気持ちが、しむぼらいずされてゐる。○しゆび あと先の都合と言ふことで、男女が都合をつけて逢ふ、逢ひ曳きのこと。○いのちさ 此は、粗大な、奴詞めいた、遊女の語づかひで、捨鉢な気持ちを表してゐる。○恋の小車 実在するものではないが、歌詞として、持つて来てゐる。まはるを出してゐる。○まはる 気が先ぐりしてまはる。疑ひ深い時にも言ふが、こゝは、賞めてゐるので、心のよく届く、こつちの心を推量してくれる人。女の不満を言つてゐるので、思ふ仲でなくてもいゝから、気のよくつく人がゐたら、と思ふのだ。○限りを知らで 人の命には限度がある、と言ふことが訣らないで、と言ふのではなく、訣つてゐるが、執著した生活をしてゐることを恥ぢてゐるのだ。○添はるゝ身ではなし 此は、詠歎が出てをつて、単に終止ではない。ないしと言つたである。○月を見ばや 此処から、気分がすつかり変つて了ふ。先へ/\と伸びて行くだけで、どう言ふ事を作るかを思つてゐない。一貫した性格を書かうとしてゐるのでもない。一貫してゐるとすれば、約束して来ない人、と見てもよい。





底本:「折口信夫全集 21」中央公論社
   1996(平成8)年11月10日初版発行
底本の親本:「折口信夫全集 第十七卷」中央公論社
   1967(昭和42)年3月25日発行
※底本の題名の下に「昭和二十五年草稿」の記載あり。
入力:門田裕志
校正:フクポー
2019年5月28日作成
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