草双紙と講釈の世界

折口信夫




飜案物と言へば、少し茫漠とするが「書き直し物」で通つてゐる種類の脚本がある。歌舞妓根生ひにでなく、他の読み物・語り物・謡ひ物から題材の出てゐる狂言を言ふ語なのだが、歌舞妓の性質から、も一つ特殊な分類を示す語にもなつてゐる。曾我物・浅間物・伊達物などと言ふ風に、一つ題材の狂言をくり返してゐるものは、其主要な事件や、人物を据ゑ置いて、脚色を替へると言ふ方法が行はれてゐた。
今度昼夜に分けて舞台にかけられる「時鳥侠客御所染ホトトギスタテシユノゴシヨゾメ」――曾我綉侠モヤウタテシユノ御所染――が其であり、「吉様参由縁音信きちさままゐるゆかりのおとづれ」が其である。御所染は小説の書き直しであり、由縁の音信は講釈の焼き直しであつて、両方とも河竹黙阿弥の作る所である。
前者は、柳亭種彦の読本――之を仮名書きにした草双紙合巻ガフクワンの方が、広く行はれた。浅間嶽面影草紙及び後輯逢州執着譚アフシウシユヂヤクモノガタリの書き直しである。原作と違ふ点は、今度出る――久しく上場せられなくて、今度出ることになつた時鳥殺しの場の敵役である。浅間巴之丞の奥方瞿麦ナデシコが毒酒を盛つて、悪瘡を発した愛妾を菖蒲咲く八橋ヤツハシにひき出してなぶり殺しにする。其が狂言では、後室百合の方となつて居て、おなじ嫉妬ながら、少し風変りに書かれてゐる。中将姫における岩根御前のやうな継母めいた残忍性を持たしてゐる訣で、其為時鳥のあはれさが一層清純化せられて来ることになるのである。
書き卸しには、百合の方と五郎蔵とが小団次の持ち役になつてゐた。別に深い理由はなく、老女の方が小団次の為勝手シガツテだつたに過ぎないから、さうした新しい性根を持たしたのだと言ふまでゞあらう。其替り、自分の困るやうな工夫をつけてくれと小団次に望まれて、五郎蔵切腹の後、尺八を吹きおなじく自害した杜鵑花サツキ――皐月――が、胡弓を合せて死んで行くと言ふ筋をつけた黙阿弥であつた。こんな皮肉な案を立てたところにも、作者と役者との美しい誼みの見られるのが快いことでもある。
近年芝居にかゝるのは、五郎蔵皐月の縁きりに星影土右衛門が絡んで来る部分だけなので、逢州殺しなども、一向痛切味を持つて、人を悲しませない。浅間の旧臣須崎角弥と言ふ五郎蔵の前身を思はせるやうな内訌した性格描写が度を過ぎて、逢州殺し以前にもう悲劇になつてゐる五郎蔵を演ずる役者などもある。若手芝居に期待してよいのは、さう言ふ新しい理解と、感覚とが、行き詰つた性格描写をつき抜いて、爽やかなものを創造して来る点にあるだらう。小団次から音羽屋系統へ伝承せられて来た行き方に、こゝらで一つの飛躍点を見せてほしいものだ。(初演年紀。江戸市村座、元治元年二月)
乾坤坊良斎の講釈「小堀家騒動」を本筋として、八百屋お七の世界に持ちこんで所謂実録物らしく為立シタてた狂言である。謂はゞ旗本小堀家の私事で、国持ち大名のお家物とは違ふのだが馴れた筆つきに、やはりお家物々々々した重くるしさを離れてゐない。見物は舞台よりも数等低い武家の家庭を周る小世間を想像して居ればよいのである。作者は「お七吉三」と言ふ風に、何処までも並べて見たい世間の甘い感傷をつき放すやうな残酷さで書いてゐる。美しい恋の連名からはみ出した吉三は、市井の小悪党になつてゐるが、此が髪結新三が「お駒才三」の偶像破壊の企てゞあるやうな、おなじ皮肉を含んだ愛敬だつたのだ。が、元来、実録の吉三は悪党で、お七の放火を知つてゐて、八百屋の一家を嚇しては、金をとつて居たと言ふ噂話が別に伝つて居た処から、思ひついた脚色である。
其と言ふのが、八百屋お七歌祭文以来、江戸生粋の事件が、浄瑠璃・歌舞妓・小説類に何百遍となくくり返されて、江戸人にとつては、何にも替へ難い誇りであつた。お七だけは神女の様に天人のやうに穢すことなくそつとしておいて、何か「オツ」な工夫はと言ふ洒落気が、とう/\こんな茶気満々たる書き物を作ることに導いたのである。其「天人お七」の実兄が、湯灌場吉三であつて、其が又天人香の看板の前で、天人もどきに横になつて見せる――「よう御趣向――」と叫ばせて見よう、と言ふ茶番めいた気分が、この作に行き渉つてゐることを思うて見物するのでなければ、意味がない。
かうした軽演劇的な要素が、ちらと姿を見せては過ぎる、其をまじめな芝居の間に、ちら/\と見て、やつぱり自分たちは市井の世間を離れずに居るのだと言ふ安心のやうな心持ちに慰撫せられながら、見物する。――さう言つた見物気分が、「由縁音信」などには、濃厚に残つてゐる。其にまう一つ、吉三や、弁秀や、湯島のおかんなどが、入り乱れ掻き廻してだんまりもどきに出没する舞台を見てゐると、何が善やら、悪やらわからなくなる。唯いせいのよいのが善で、時に鼻のシンを辛くさせるのがひゆうまにちいだといふ位のことしか判断の出来なかつた八百八街の、罪も報いもない市民の生活が極めてまじめに、だが、思ひがけない形に漫画化せられて出て来る、謂はゞ今では貴重な古ふいるむの一つが此芝居である。(初演年紀。中村座、明治二年七月)





底本:「折口信夫全集 22」中央公論社
   1996(平成8)年12月10日初版発行
底本の親本:「新橋 六月興行大歌舞伎」
   1949(昭和24)年6月1日発行
初出:「新橋 六月興行大歌舞伎」
   1949(昭和24)年6月1日発行
※初出時の署名は「釈迢空」です。
※底本の表題の下に書かれている「昭和二十四年六月「新橋 六月興行大歌舞伎」」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:酒井和郎
2021年1月27日作成
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