雑感

折口信夫




一 へるまあの喜劇「人形の家」


久しぶりで又、「人形の家」が、町の話題に上つてゐる。松井須磨子の初演以来、今度が、幾度目になるのか、ちよつとには考へ浮ばぬ年月である。いつまでも素人抜けのせぬ様に言はれて来た新劇の人々も、随分鳥居の数は潜つて来てゐるのである。だから存外此戯曲なども、漠とした賑やかな印象ほどには、然ういろんな劇団で、とりあげて来て居なかつた様にも考へられる。何分新劇の興行年表も持たずに書く私だから、心細いものである。順序から言つて二度目ののらは、近代劇協会の衣川孔雀ではなかつたかしら――。あんまり「人形の家のおつかさん」と言ふのに適切過ぎる気のする無邪気なのらであつた記憶が深い。其と、も一つ久しい印象となつて居るのは、其時の日疋重亮のくろぐすたつとであつた。
須磨子ののらに対するくろぐすたつとは、島村抱月の解釈の為か、いつも敵役の性根で演出せられて居た様に思ふ。が、日疋のを見て、なるほどと腑におちた気がした。今はどうして居るか知らぬが、其頃の日疋は、若いに似合はず巧者で、其かはり随分ぢゞむさい役者だつた。而も、さう言ふ型の人が大成すると、必、這入る型の、芸の虫と謂はれさうな予感を起させる行き方をして居た。
日疋のくろぐすたつとだと、のらを威嚇して居る間に、ゐたけ高な感情をすつかり消磨し尽して、すご/\とひきとつて行く可哀さうな男になつてしまふのであつた。
年も若かつたし、教養と言つた所で、中学を完全にすましてゐたかどうか位で、藁店の俳優学校を出た程度だから、全く勘の優れた人だつたに相違ない。今度なども、見た人は感じたであらうが、全くあのいやな奴で、見物をしんみりさせたのは、日疋だけではなかつたかと思ふ。併しさう言ふ行き方が果して、正当なくろぐすたつとの性格かと言ふことになると、問題は亦自ら別になる。
くろぐすたつとが、其ほど生活内容を持つた男として演出せられると、のらへるまあにあるべき重量の感じが、幾分か、そつちへ傾く訣になる。
舞台を幾つかの人生の交錯する所と見てよければ、真の意味の自然主義演劇になるのである。さうした企図が許されるものとすれば、中心が主役・副役――仮りにさう予想せられた――その他何れへ移動して行つても、さし支へがない筈である。だが技巧本位の戯曲や演劇では、主役以外に焦点を移すことは出来る訣がない。さう言ふ行き方からすれば、日疋の性根の掴み方は、確かに邪道である。だが近代劇には、理論としては正しく考へられてよい自然主義である。唯いぶせんの社会劇は、もつと技巧的なものであることが事実なのである。

一体……くろぐすたつとの出現その事が、如何にも敵役々々してゐる。が、此位の赤面は、歌舞妓芝居でなくとも、出て来るのに不思議はない。
却て日疋の表現や、其を感心した私などの見方が、歌舞妓の人情に囚はれてゐたので、社会劇――問題劇を解釈しようとしたのではないかと言ふ気がせぬでもない。
勿論、人形の家の持つてゐるてまからすれば、一種の冷徹な家庭喜劇――若し、こんな浅浮な用語が許されゝば――を描けば、其でよいので、こんな性格問題などは、あの理論劇には、実は関繋のないことのやうである。
私はそんなこんな問題とは別に、今後起つて来る国民演劇の行き方に、かう言ふ方面の考へも含めて行つて貰ひたいと言ふ気がする。最初から主役其他をきめてかゝる一般の作劇術からは、ほんたうに自由な戯曲があつてもよい。あゝしたのほゝんな出たとこ勝負と謂つた形の多い、歌舞妓の伝統の末にある、自然主義の舞台が出現してもよいのではないかと思ふ。
舞台の上に現れて来る数人の運命が放射しあひ、集注しあつて来る。さうして其処に、自ら其等を統合する稍大きな運命が決定せられる。かう言ふ戯曲なり、劇なりが見たいものである。だから、此種の劇が実現すれば、其統合者であり、運命の主流となるものが、必しも常に、又誰の場合にも一致する訣ではない。さう言ふ劇があつてもよいのではないか。其が、実際の浮世の実相に最近い形なのではあるまいか。事実においては、さうした事が、度々あつて、さうしておのづから、何処かへ傾いて解決のついてゐるのを、見物や、読者や、殊に役者すらが悟らずじまひになつてゐると言ふことも多いのではあるまいか。さうして、芝居のも一つ手前にある浮世舞台――いやな語だが――は、いつも其で、経過して行つて居る――。

二 新劇「銀座復興」


早い話が、先頃の「銀座復興」である。友人の書き物に対して、甚、不真実な話であるが、脚本を連載した三田文学は、何かの都合で、飛び読みですまして居た。其結果、舞台では、肝腎の箇所を見はぐつた。報いは覿面と言ふ所である。久保田万太郎さん等の言はれる所では、あの戯曲の主役は、稲村老人――舞台上の河原崎権十郎役――を予期して書いたものださうである。さう聞けば、舞台だけで見ても、そんな俤は見えた。
然るに、劇としては、正に菊五郎君の「はち巻」主人野口文吉が、主役になりきつて居る。此は作者側の最初の計画にとつては、菊五郎君が正しく、横車を押しとほした形に見えるのだけれど、又一方考へれば、作者だの役者だのといふ分解的な立ち場からせず、演劇其物の上から見れば、此があるべき姿なのだとも言へる。近代では、作者の企図だとか、役者の間の伝来とかで、自ら狂言々々の主役以下の役割はきまつて居る。が、京阪・江戸における歌舞妓創始期の物を見ると、やはり主役・副役の固定せぬものが、相当にある。

今では、殆、日の目を見ることもない、歌舞妓正本類を見ても、考へさせられることだが、この狂言は果してどれが主役になるのだらうと思ふやうなのが、相応にある。又さう言ふ物の中に幸ひ今も、演出者が伝承せられて居て、時々舞台にのぼつてゐる戯曲などのあることがある。其類の物にも、やはり元の本では、中心になる役とも思はれぬものが、現に主役として立て者役者の演じてゐる、と謂つたものもある。何かの行きがゝりから出たことが習慣になつて、果てはさう固定するに到つたとしか思はれぬのが、随分ある訣だ。そこで、菊五郎君に相談したいやうな気が起つて来た。「はち巻」のおやぢが脇役に廻つて、始中終、舞台廻しを以て任じて居てくれては、どうだらうと言ふことである。「稲村さん」に限つたことではない。(こゝで少し訂正。――稲村さんを一曲の主役といふ風に見える書き方を私のしたのは、わるい書き方であつた。此役は、最後の幕を切る役の意味に書いたつもりに見てほしい。)場毎の登場者数人の人々、其誰彼が、その場での主役らしくふるまふ――、其を丁寧に助けて行く――、かう言ふ形で、いかれぬものか知ら――。譬へば尾上松緑のつとめた瀬越さん――株屋とも見えるし、芝居者と言ふ感じが更に出過ぎた。其なら其で、よく出来たと謂はれる。――さう言ふ風に書かれて居るものだと信じて見て居たが、どうも其にしては、思想を持ち過ぎてゐると思つた。やつぱり作者の計画はさうでなかつたのである。劇のこしらへ、着つけ・物ごし・発音すべてが、人柄らしくなかつた。此役なども、主役にもなれゝば、幕も切れる訣だ。大詰を、稲村さんのこなしなり、せりふなりでかあてんにしたところで、菊五郎主役の形で進んで来た幾場の印象が、どんでん返しになる訣でもあるまい。
ともかく「酔ひつぶれて、へた/\となる。合図で幕」など言ふ行き方は、新劇ではない。歌舞妓としても、困つた仕様である。脇役でも主役でも、どちらでもよい――昔かたぎの役者社会では、此をしも、どうでもよいなどゝは、以ての外だと思ふだらうが――舞台廻しを菊五郎がする、さう言ふところに、此狂言にこもる作者の思ひの深さが、人に迫つて来るのである。菊五郎君は、それの訣らぬ役者でもなし、さうした作者の思ひを、舞台の思ひとして実現することは、寧、何もしないで居て出来る人である。何を苦しんで、終幕に近づく程、魚宗や、赤垣の性根を、出して来なければならなかつたのであらう。此人らしくない役者気を出したものである。此点では、「演劇界」一月号に見えた友人小島政二郎さんの「非すたあ・しすてむ」を破つたものとした抗議に腹一杯賛意を表する。
其と、も一つ、此だけの役者にしても、かうまでもと思ふ程、歌舞妓役者の世間狭さが見える。「世界」や「性根」に対する、此までの芝居のひきだしの少さから来るものであらう。つまり新劇だつて何だつて、世界や、性根にかはりがあるものかと考へてかゝつた誤算があるのではないか。歌舞妓芝居の薬味ヤクミ箪笥の限られたひき出しだけには、しまつてないものが、沢山あるのだと言ふことを、菊五郎君は考へたかどうか。此が、私の気になる。

「銀座復興」は、舞台だけで考へても、島末新聞記者・大須賀先生・稲村さん・牟田君・瀬越乃至ははち巻女将おとくにも、その場毎の主役は、移すことが出来さうである。舞台上に、放射し、相聯関する役々の運命の主流に、どの役及び役者が立つか、此は一つに、其戯曲についての、解釈力――役者の――が問題であり、又技術の問題にもなつて来るが、過不足の適度に対する敏感が、非常にものを言ふのではないかと思ふ。はち巻主人のして化も、かう言ふ意味ならばよかつた。唯技術を以てひた押しにおして行つたところに、解釈力の不足と適量の目算を欠いて居た。菊五郎をさう言ふ解釈におとし込んだ責任は、台本にもないことはない。あまり「はち巻」のおやぢを、銀座復興の責任者らしく感じさせ過ぎてゐる。菊五郎君が「銀座の英雄」を描いたのも、無理のない所はある。序に言はして貰ふのだが、役者菊五郎君に物を言ひかける機会などは、再廻つて来る事などはあるまいから――。音羽屋系の生酔ひ狂言が幾種かあり、其上、他家にも、酒呑み芝居がうんとあり、酔形容の写実には、随分努めて来た歌舞妓芝居である。女の酒乱や、能狂言の書き直しまで加へて、其こそ「※(「酉+倍のつくり」、第4水準2-90-38)バイカウ十趣」を選出することなどは、易々たるものである。なぜ新手の酔形容を以て「銀座復興」を解釈しなかつたのであらう。「※(「酉+倍のつくり」、第4水準2-90-38)香十趣」に這入つたのでは、其こそ、元の黙阿弥劇に逆戻りしてしまふ。
固より、新歌舞妓として、自信をも持ち、希望をもかけて、菊五郎君が、あの芝居を演じ、演出したことは、其談話でも訣つてゐる。新劇などに分類せられては、寧迷惑だと言ふかも知れぬ。だが、菊五郎ほどの人に、「新劇なざあ、あめいもんだ」と言ふ様な考へを持たれては困る。今までも、幾度か、新劇の畠へ鍬を入れて、相当な成績をあげて来た人なのだから、此際よく考へて貰ひたい。先代菊五郎がざんぎり物やすぺんさあの風船乗りを演じたのと、同じ心構へで居て貰うては困ることを言ひたい。其とも一つ、あゝした明治時代の歌舞妓の延長舞台と、新劇畠の書き物とは、余程趣きが違ふと言ふこと――、此は、菊五郎君のサトさを蔑視するやうな訣り過ぎた話だ。が、例のあり来りのひき出しで間に合せるヘイと言ふのもある。だから訣りきつたことも、重ねて言はねばならぬ。
たとひ理化学研究所の、所謂理研酒でも、科学者があれを醸成する為の、味覚の上の苦心経営は、縄暖簾に立ち呑みのかん酒の即興呑みとは、一つには出来ぬのである。幾らうまく出来ても、すぺんさあちやりねの物真似は、最まづい時代の「人形の家」や「沈鐘」の舞台をさへ凌ぐことは出来ぬのである。前者は茶番であり、後者は如何に見るに堪へぬと言つても、ともかくも演劇であつたのだ。

茶番のつもりであつたものが、段々真の写実劇になつた例は、殆すべての歌舞妓劇を例にとることが出来る。本人は茶番だと思つて居たものが、何時かまともな芝居になつて居た殷鑑――と言ふのは、失礼だが――は、手近過ぎるが、新派芝居の最適切な一例だつたことは、まだ誰でも知つてゐる。角藤ストウ川上の壮士芝居などは、役者自身まづ、演劇とは考へて居なかつた筈である。其が、数年出ぬ間に、見物の方から芝居として見、次に役者が、芸的自覚を発するに到つたのである。
其よりも、時代は古いが、関繋は近い、成田屋・音羽屋その他の家々に伝承して来た芸も、よい加減溯れば、多くは茶番類似のものが、其位の自覚しか持たぬ人々の手で行はれて居たのであつた。だから歌舞妓芝居は、此発生様態の悪臭を洗ひおとす必要が、今でもある。ざんぎり物なども、世話狂言の引き続きと言へば、正統的なものと考へられさうだが、世話物の中でも、殊にあてこみ・場当り・一夜漬けの傾向の甚しく残つて見えるものである。殊に、自然主義で行かねばならぬ写実劇に、最不調和なせりふまはしや、こなしの問題が、江戸芝居のまゝに、今までも持ち越して来た。そんな中にも、名優の練り上げた型が、不調和や不自然を幾分滑りよくして、其程噴き出さずにすまして居られる程度に見えるものもあるが、此も馴れから来たしびれに過ぎない。言はゞ芸の恍惚味を与へる所に達したものではない。
七五調のせりふが厄払ひになつたり、ぎつくりばつたり、きまつたりすると、此年まで見馴れた私どもは、親類の気違ひを守るやうに、恥しくて穴へ入りたい気がする。若し菊五郎君が、かう言ふものと、「銀座復興」とを、一並びの物と見て居るなら、其は大変な見当違ひ、と言ふものである。芸の達人としての、鋭い勘は、口では同一視した物言ひをしても、内実はきちんと、区劃してゐるに違ひない。又さうでなければ、あれほどの古い芝居町の住民としては、理智的に芸を考へてゐる菊五郎君らしくはないのである。
その親父の島鵆シマチドリや、水天宮や、十字辻筮ジフジノツジウラなどは、まだ新歌舞妓と言ふ境地にも達して居なかつた、唯の歌舞妓の一変種に過ぎぬものであり、そゝりや茶番の延長でもあつた。菊五郎君は「銀座復興」を新歌舞妓としてとり扱つたと言ふ言ひ方を、好んでゐる。さう言つてもさし支へはない。併しそんなやゝこしい表現から超越してしまつた方が、天下の菊五郎らしい。それに、「菊五郎は、歌舞妓の手法を以て、近代劇をなぞらうと思ふのだ」と言ふだらうし、又さう思うて居ることも事実だらう。

故人左団次は、寧、近代劇の手法を以て、逆に歌舞妓をなぞらうとしたと謂へる。併し、さうかつきりと行かなかつた所に、芸の深い意義も思はれ、人生の妙も感じられるのである。いたましい事だが、まだ左団次では、そこまでは行けなかつた。併し姑らくさう言うて置く方が、却て菊五郎君及び故人の間の差違をはつきりさせる事も出来る。左団次の新歌舞妓に身を投じた時は、身についた歌舞妓味は、まだ幾らもなかつたと言うてよい。先代左団次が、彼の為に遺産を残さなかつたやうに――、小米――莚升時代では、殆芸らしいものを納得する年限がなかつた。さうして直に新左団次となつた。
身についた芸と言つては、却て自由劇場における新劇の芸歴であらう。綺堂と提携して、うち続けて行つた所謂新歌舞妓に、新劇の手法を見出すことはまづなかつたと謂へる。若干の新劇的解釈と、歌舞妓の初歩へ出直した演出とが見られるのであつた。謂はゞ、自由劇場における彼の新劇が、素劇の優等なものであつたやうに、一方の新歌舞妓は、白人シロウトの歌舞妓芝居といふ素直な情熱が、大分彼の芸を救うてゐた。其に綺堂の脚本がさうである。「修禅寺物語」でも、「鳥辺山心中」でも、「佐々木高綱」でも、論より証拠、教養の少しある劇団が白人興行するのに、如何に適切なものかと言ふ現実からでも知れる。此は故人をいたはらぬ批評になつたが、左団次の芝居は左団次の人間の味で行つたのであつた。所謂新歌舞妓の範囲から少し離れると、彼はむやみに臆病であつた。
純粋な歌舞妓に不必要なほど、古典的擬装に身を調へた――。「毛抜」「鳴神」其から「忠臣蔵五段目」、其と同列を行く「謎帯一寸徳兵衛」――。芸目の選択が既にさうであつた。演出から、扮装すべて、歌舞妓古典に忠実であつた。而も古典的に真摯だといふことは、公然と近代的演技法から遠ざかると言ふことであつた。こゝに彼の擬装があり、彼の人気の所在は、此奇怪なる古典性の牽引力に集つたのだ。彼の舞台は、彼の知識であつて、感情ではなかつた。だから流露するものが欠けてゐることが多かつた。彼の演出には殆誤算なく、戯曲に対する理会は、同時代の儕輩を抜いて正しかつた。
菊五郎君の場合も、故人と幾分似よりを持つて居て、亦大いに違うてゐる。彼は、錦絵に拠り所を求める必要を感じなかつた。江戸軟文学書から応援を傭うて来ることもしなかつた。左団次が外から得ようとしたものを、彼は多く内に備へて居た。彼に必要なのは、若干の努力であつた。内に備へてゐるものを整頓して置くだけの多くの理知であつた。此為には、彼は出し過ぎる程の力を致してゐる。理づめに彼の組織した理論が、常に物を言うてゐる。さうして、彼は亦、その理論に物を言はし過ぎてもゐる。彼の舞台における「菊五郎の感情」は、決して彼の準備した理論に囚はれて居ない。こなしや、せりふにひき出されて、凡正しく流露する。さうして、理づめな彼の芸風を、彼自身の意表の外に、滑らかならしめる。

菊五郎の踊りと謂はれてゐるものに、殊に其が見られる。恐らく一挙手一投足、理論づけられてゐない彼のうごきや間はない筈である。而も理づめから来るぎこちなさが、彼の踊りに現れることは、極めて稀である。殊にその手に入り過ぎたと言はれる舞踊ほど、さうである。場数をかけぬものには、どうやら理論の露出することがある。理論なくしては、安じて立ち入ることの出来ぬ性なのであらう。さうして理論の足場を外す時になつて、大いに精彩を放つと謂つた、芸質にある人なのである。つまり即興の動くこと、第一次的には稀であるが、ある階梯を過ぎて第二次に入ると、俄かに自由に感興が発露するものと言へばよからう。
菊五郎君は、若くして田村成義に指導せられ、其嗜みに叶うた範囲の芸目を反覆してゐた。其為、芸格は豊かであり、芸境は広いに繋らず、芸目は今も尚乏しいのを歎かせる。第一次的には、理論に閉されて、感情の整ひ流れること少い菊五郎君が、益乏しい芸目から出ることを億劫がる訣でもあり、彼の芸に更に広く、豊かに、大きくする道を失ふ理由になつてゐる。
彼が目して、菊五郎の新歌舞妓とするものが新劇であるのは、ホヾ誤りのない所だらう。彼は、此方面に、大いに芸目を多くして行くべきであらう。其は前に言つた理由にも由るが、尚一つ、芸目少く、芸境広からぬことを知つてゐる所から来る。古典歌舞妓に新しく著手することを大儀とする悪癖は、此方面で矯正することが出来よう。其と共に、もつと/\自由にのび/\とした芸風を開かせるに到るだらう、といふ望みを持つことが出来る。
理づめで行くことが、彼の芸の命を長からしめてゐるのは勿論だが、歌舞妓劇は、本質的に即興式なものを尊ぶことがある。かう言ふ場合、彼は多く失敗して来てゐる。故人羽左衛門と、大きく区別せられるのは、此点である。
彼の理論性は、彼が、新劇方面において、とりわけ欠くことの出来ぬものを、持つてゐることを示してゐる。誤算なき企図と、的確な演出と、適切な解釈とは、在来の国民演劇の何よりも、一番新劇役者又は指導者に求められてゐるものであるから――。





底本:「折口信夫全集 22」中央公論社
   1996(平成8)年12月10日初版発行
底本の親本:「かぶき讃」創元社
   1953(昭和28)年2月20日発行
初出:「時事新報」
   1946(昭和21)年3月9日〜15日
※初出時の署名は「釈迢空」です。
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十一年三月九日―十五日「時事新報」」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:酒井和郎
2020年6月27日作成
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