芝居見の芝居知らず

折口信夫




月々、多かれ少かれ芝居は見る。子どもの時からの癖が、まるで脅迫観念になつてゐる様だ。芝居茶屋や、出方に頼んだ頃は、少々いらぬ入費もかゝつたが、扨其が改良せられた今の興行法では、一度の見物にも、手数がかゝつて為方がない。前売り切符だの、ぷれいがいどなどは、便利に見えるのは、金のかゝらぬと言ふ点だけで、却て手数が多くかゝる様になつた。幾十年興行者の為に御奉公してゐても、特別の関係のない私どもには、からだを動かさねば、よい場を占めることが、愈むつかしくなつて来る。そんな苦労をしながら見るほどの芝居ばかりでもないに拘らず、土間の椅子に腰をおろすと、何だか、世間や家の生活と違うた安堵が湧いて来る。性根場になるまでは、舞台から目を外してゐると言つた通人には勿論なれない。幕開きの「しだし」の出入り・せりふを聞き外しても残念に思ふ位だ。だから、年をとる程、芝居の見物が、勉強の重荷になつて来た。其でも、見に行く。金の乏しい自分も、見たさを唆る狂言の出る時や、安心して見られる役者の出し物がある場合などは、とりわけ却て行きたくなる。
役者をひいきすると言ふ事も、いろ/\あるが、ぱとろんとしての誇りをヒケラかすことも出来ず、又、好色に泥んで縁の下の力持ちをする気にもならぬ。さう言つた役者びいきが随分あると思ふ。ある役者の芸に対する鑑賞法が、自分に出来てゐると感じる場合である。従うて其役者の芸能は、何時も失望なく、わが生活にとりこまれると言ふ予期と信頼とが持てる。かうした役者が、数名も揃うてゐる場合には、どんなに幸福な気持ちを、まづ持つか知れない。さうした役者の一人が出る興行にも、やはりその専任の一場に望みをかけて行く。さうした役者が、もう頽齢になつてゐると、一度でもよく心に印象して置きたいといふ気になる。

その意味で、私は源之助・仁左衛門・鴈治郎を見に行く。先年郷里へカヘつた時、本蔵下屋敷を中車(本蔵)が出してゐた時、中車よりも、若狭助の鴈治郎よりも、私の見物心を唆つたのは、雀右衛門の三千歳姫であつた。既に健康の危まれてゐた時だつたからである。だが、残念なことに、見はぐれて帰つた。其から二三日して、聞いた。本蔵と伴左衛門とを左右にして、さはりにのつてゐる中途で仆れたといふ報知である。此時は、後悔といふよりも、深いものを感じた。
私は思ふ。七十に出入した役者には、一年に一度は、必一世一代の「出し物」をさせることだ。其は役者の為にも、見物の為にも、又歌舞妓芝居の記録を作る為にも、喜ぶべきことである。
仮りに源之助を例にとると、此人の没後失はれるものゝ多いことが思はれる。第一に、其せりふまはしである。第二に、其気分的表現である。此は、記録にも、伝授にもいかぬことだ。第三に、其風姿である。ある役処に最妥当な、うごき・服装である。第四に、最案じられる或種の役柄と、その性根とである。

たとへば、彼の没後、「女団七」「蟒お由」「鬼神のお松」は、形骸だけにならう。「女定九郎」「切られお富」は、とりわけ、その狂言に肝腎の洒落気と、嫌がらせと、すつきりした気分をうけつぐ者がなくなるだらう。「妲妃のお百」になると、憑き物・因果律の存在の信仰の上に演じ得る人がない。下婢から芸者・お部屋と言つた変化も、今後、自然な過程として、納得させる役者が出ない筈である。梅幸が、美しい態度で、聴きとつたといふ「切られお富」も、結局梅幸なればこそ呑みこめたが、尚、色気が過ぎ、律気が勝つた。これは、合理化を思ふ心が、全場面を統一したからである。
源之助が、太功記の皐月を演じてほめられた。輝虎配膳の越路もよいものとせられた。栄御前なども、わるくは言はれぬ様になつた。だが、何だか、空々しさがある。遂には、遣手のおかやまでも、引きうける様になつた。お石や、操は、見方によつて優れたものだつたが、評者の先入主が、不相応と定めた。一層花園・定高などをした方が、烈女との解釈以外の確執心を出すことが出来よう。今の源之助の位置では望めぬが、昔度々見ることの出来た重の井・政岡などもさせて見たい。
書き卸し物又は、其に近い世話物ばかりを主とした為、時代物のよさを発揮せずに了ふのは、惜しいことだ。最近第一に望みたいのは、岩藤である。草履打ち場だけでもよい。女形としての梅幸、加役の中車などよりは、遥かに歌舞妓芝居の岩藤である。尚望めば、加役としての側によいものがあつた。板倉内膳・松平伊豆・大岡越前など、上下又は長上下をつける役は、現今、風采において他に比類がない。又、三尺物には却て適しないが、御家人風の遊冶郎には、蘭蝶・栄之丞・左門(勢力富五郎)など、先代菊五郎型をその儘継いで居る、と言へる。
私の望みの第二は、「女定九郎」である。第三は、「天一坊」の大岡である。第四以下は、其々の事情に任せるとして、今一つ加へて見ると、「四谷怪談」「皿屋敷」などの菊五郎伝来の幽霊物である。
田之助を粉本とし、その系統の立役なる菊五郎の相手になつてゐる内に、彼の芸は一面にばかり向いて来たが、まじめなものを感じさせる真黒な瞳がある。壮時、長く道頓堀に居た関係から、上方芝居のこつをも心得てゐる。今日、鴈治郎・仁左衛門の舞台にまじつて、一等矛盾を感じないのは、此人である。紙治のおさん・桂川のお絹・鰻谷のおつまなどは、必、よいものであらう。殊に朗らかな芸風が、喜劇風な物に成功すると見えて、茶屋の花車などには、大阪の魁車の外には、ちよつと相手がない。「女大杯」「女河内山」などの光る部分は其である。
まづ、源之助である。次は、もう大阪に求めても、本蔵程度の位のものしか居ない。出し物のない古老の大名題は、結局源之助一人といふことになる。此が、特殊な伝統芸と、個性モチアヂを持つた人を遇する道であらうか。

松竹は、京都の芝居を亡した。更に大阪の並び櫓を、活動小屋化した。東京では、歌右衛門統制を、羽左衛門に移したと見えるだけで、変化のない様だが、此先、芝居小屋は、段々へるだらう。活歴の富者時代が過ぎて、題目は、無知・現実の世界に向いて来た。此為の黙阿弥ばやりであり、南北流行であつた。羽左衛門も、左団次も、皆其に向うてゐる。かうした間に、喜劇味を含んだ世話物や演出法の異なる時代物を加へることも、特殊な見物を呼ぶ手段になる。
更に言ふべきは、利益関係を超越した芸を見せるのも、新しい興行者としての紳士道であらう。菊五郎が道成寺を踊り、左団次が番町皿屋敷をうち、常にくり返してゐる間に、保守家以外の卒業した見物は、曾我廼家に行く様になる。役者本位から、芸題を立てず、芸題の為に、新しい演出を見ようとする気はないか。其には、まづ源之助などを、今一応働かして見ることだ。

若女形の時代から、娘役はわりに演じる事の少かつた彼は、いつまでも、娘から出た女郎や年増役を本領の様にしてゐた。だから、彼には、ふけ役は、立役をするよりも、興味がないに違ひない。興行者には、この点の理会が必要だ。役者の本領を殺してまで、年齢相当の役をふるのは、役者を殺すと共に、見物の日本演劇に対する理会を見くびることになるのだ。
歌舞妓の世界は広い。特殊な演劇知識を欲する見物の為に、名高い狂言を出すと共に、多く知られぬ芝居を見知らせるのも、見物の持つおなじ希望を叶へることになる。

歌舞妓芝居の見物(連中として義理見物する者の外)は、存外役者を見てゐる。連中を持たない為に、出し物の出来ぬ位置の低下した役者の中に、古い歌舞妓の精神を発見してゐる。忠臣蔵・加賀見山・妹背山などの知識を欲する旁、役者のしぐさせりふから、曾てあり、未発見の生活をとりこんでゐる。さうして其に喜びを感じること、文学に対すると同じである。かうした役者が、幾人も居ぬのだから、此試みは、毎興行くり返さないですむのだ。





底本:「折口信夫全集 22」中央公論社
   1996(平成8)年12月10日初版発行
※底本のテキストは、著者自筆原稿によります。
入力:門田裕志
校正:酒井和郎
2021年8月28日作成
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