手習鑑評判記

折口信夫




その写実主義が、意外に強靭であり、理論的に徹したところのあるものだといふことを、こんどの幸四郎の舞台に見て、しみ/″\快く感じた。日本の自然派のまだ現れなかつた明治三十年前半の写実主義時代から、ともかくこれを貫いて来たのは、この人だけであらう。そのことが、喜寿の賀を舞台の「白太夫」とともに受ける今日になつても、彼の芸の自由を奪ひ、空想を失はせ、何処か完成感の足らぬものにしてゐる理由だとする考へに変りはないが、ともかくも指導者団十郎亡き後、これで今におしとほしてゐることを思へば、一見必然性の乏しい彼の芸に、理論がついて来るわけである。かれの写実主義の自由な発露を、日本の興行舞台が、常に拒んで来たための未完成の大きな偶像に対する心で、幸四郎を改めて熟視した。
だが事実はやはり写実欲を棄てたと見える「撞木刀シユモクガタナ」のくだりがよかつたし、伝授・道明寺二場の菅相丞クワンシヤウジヨウを通じて、前後の「身替天神」の件が優れてゐた。これこそ近代「無双の天神」といふことが出来よう。幸四郎ももう、常識的な技巧を超越する時が来たのである。
伊予染めの胴に夢のやうな藤紫の肩当て、暖簾を分けて立つた桜丸の姿――これが菊五郎かと思ふほど、うちけぶる風情フゼイがあつた。落入りまでまことに行儀正しい桜丸だつた。その点若手役者たちの指標たるべきものである。たゞおれだから、この限界まで行く、若い者には危いといふやうな指導意識を、後続者に対して、このごろ頻りに示す傾きが見えるのはよくない。たとへば八重――梅幸役――の為処シドコロハヅさせ、「きつぱり」するところを避けさせたりするのは、どうしたものだ。新梅幸は未熟であつても、それほど愚昧な質でないことは、彼自身知つてゐる筈だ。門口に立つた八重が、納戸口を見返つて、夫を発見した驚き――これを驚きらしく表すことを避けさせてゐるやうである。切腹の間、その夫に対する纏綿する愛惜を、肉体を以て示す動作すらちつとも顕されることがなかつた。これも彼の指導に出たものと見る外はない。じやらつき過ぎるなど、まさか考へてゐるのでもなからうが、さうだつたら、彼が此までよい八重を見てゐないといふことになる。まだ息子には出来ないといふのだつたら、放胆なる親獅子よ、子獅子は谷に蹶落されるのを待つてゐると注意したい。
松王は正に完成品。但、解釈になほ行き違ひが固執せられてゐる。彼はいふだらう。「何が面白くて明るい顔をするのだ」と。だが一幕「鬱々たる松王丸」でとほすのは、菊五郎などが変改してよい時代なのではないか。病気と言ふ擬態を守るのだといふ通念もよくなかつたのだ。立者タテモノの故意に粧ふ物々しさや、安易な解釈から脱け出して、もつと明快な松王に還る気はないか。素人の臆面ない諫言を菊五郎が聴くなら、今更めて真女形修業に入つて貰ひたいと思ふ。輝国の白く塗つた豊満な肉躰は、彼自身を若女形や女芝居の幻想に陥れる。私は真の「兼番附カネルバンヅケ」は、その後にして、彼の前に開かれるものと信じてゐる。この松王に、吉右衛門の源蔵を並べて見る実検前後の幸福感――まことに日月いまだ地にちず、歌舞妓の王土亡びずの愉悦の情を深く覚えた。自ら彼を小さく見せた神経質な演出や、発声法がのぶとく整うて来たことを覚える。思ひなしか、松王・源蔵を並べて見ると、源蔵の方に幾分か寸の高さを感じた。長い見物の経験の悪癖は、この二人の歌舞妓の大人タイジンを、大人タイジンとは思ひながら小柄に見えて為方のなかつたものである。さうした成長を貪り望む目にふと映じた姿である。吉右衛門の為に祝ひたい。こんどほど道化役のむづかしさを思つたことがない。コフを経た吉之丞の希世の動きが律動的に行かなかつたために、眼目の臨書・伝授のくだりが、かき乱された。小芝居の小味はあつても、檜舞台の豊けさは散逸した。宿禰太郎――吉右衛門――おもしろさは十分、殊に若い世代に歌舞妓の味を理会させるには、この役などが適当な手ほどきになる。が、この役の第一要件といふべききつぱり――印象鮮明したところのなかつたのは、大疵である。
覚寿・千代。近頃花車方クワシヤガタ好評続きの宗十郎である。杖折檻が省かれたので、芸格を見せるだけの役になつた。でもこの覚寿がなかつたら、大分道明寺の格が落ちたらう。彼も重要な人となつたのである。でも、け役の履歴が浅いのだから、なほ技術的に発揮することが望ましい。こくは十分、味附アヂツケ不足といふところがある。千代は本役。最初持つた少しの不安もすぐ消えて、信頼しきつて愉しんで見た。いかつた肩も、いきみ声も、少し女武道に傾くが、武家女房の常型と見てよい。殊に寺子屋と賀の祝で行き方をはつきり違へたのも、親しみが感じられた。三津五郎の梅王は、築地の梅王(染五郎)・車引の梅王(海老蔵)の後だから、若手には気の毒乍ら、やはり美術品だといふ気がした。桃太郎に見える虞れはあつても。車引を若手に持たせたので、発揮する所を失つた。宅内――三津五郎――を大きな役にした歌舞妓の悪洒落ももうよい加減に清算するがよい。肌自慢の立て者もない時代は、水奴の裸を見せても、意味のない数へ文句を繰り返して見ても、歌舞妓のたのしさにはならないのである。
松緑の松王、調子はよいが、も少しばすを出す工夫が必要だと思ふ。それにもつと、顔の輪廓が三人兄弟のうち一番落ちる。生得シヤウトクで為方がないとあきらめないでくれ給へ。十六代目羽左衛門の桜丸、同じく輪廓において劣るところのあるのがこんどは美しく見えた。たゞ市村家の人としては、女形で行かず、和事腹で演ずべきではないか。
このほかに、時蔵のつゝましやかな戸浪がある。この人の歌舞妓顔も、段々さびれて来た。もつと美しさを発散してはどうだらう。播磨屋に沁みついた芝居町の旧気風はいぶせさに堪へられぬものがある。これをさつぱり洗ひあげてほしい。歌六以来の芸の虫それ自体みたいな感じは却て芸を荒涼たるものにする。それが顔に出ようとしてゐるのだ。注意を望む。吉右衛門においてすら、さうした陰翳が幽霊の如く伴うてゐる。ことさらにこれを言はうとする所以である。





底本:「折口信夫全集 22」中央公論社
   1996(平成8)年12月10日初版発行
底本の親本:「かぶき讃」創元社
   1953(昭和28)年2月20日発行
初出:「スクリーン・ステージ 第一号」
   1947(昭和22)年6月20日発行
※初出時の表題は「菅原評判記」です。
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十二年六月「スクリーン・ステージ」(月刊)第一号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:酒井和郎
2020年9月28日作成
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