若手歌舞妓への期待

折口信夫




歌舞妓びとも、殆完全に交替してしまつた。若手と言はれる人たちの輝き出したのは、同慶である。その輝きは、其人たちの遥か背後から照すものが多い。世間は、其為に見に行くのである。かう言つても、役者を軽んじるのではない。悲観するのも早計だし、自負するのも考へが足らぬ。今の役者自身の力だけではないと言ふことだ。
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最近見て来た演舞場の舞台を例にとつて話して行くのが便利である。「青砥稿花紅彩画(あをとさうし・はなのにしきゑ)――弁天小僧」は歌舞妓の伝統を百年以来位に限つて見る人には、なる程、最喜ばれる狂言である。歌舞妓といへば、こんなものだと考へる人が多いのである。
だが一方、そんな平易な様式で卑俗な美ばかり感じる人だけが居る訣でもない。いつも此等の人から抽象論ではあるが、異論が出て来る。こんな古風で無意義な芸が存在してよいものか。歌舞妓を抹殺する勢ひで喚き立てるが、時が立つと必静まつて来た。併しいつか此が「地」の声になつてしまふ時が来る。其時への備へに、今からでも変化して行く外はないのである。
此は歌舞妓役者ばかりにせめてよいことではない。何よりもまづ戯曲を与へる気にならねばならぬ。此ほど貧弱な台本の演出を積み/\して、ともかくも見られる数十種の劇は、今も伝つてゐる。伝統の意味がこゝにある。歌舞妓がともかく見られるのも此故である。
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此様に今後も生きる戯曲があり、見物大勢が支持してゐるからと言つて、其に安心してはゐられない。弁天小僧の通し狂言などは、まことにわれ人共にひそかな愉楽に耽つてゐるもので、あれで見物はちつとも進歩して行かないのである。落語寄席と芝居とは違ふ。気楽でちつとも頭を使はないでよいと言ふやうな芝居は、段々下積みにして行くのが、適当な歌舞妓の生き方であらう。
中等学歴を経た海老蔵君や梅幸君、松緑君など、あれを演じて、気をよく感じてゐることも訣るが、同時に何だかむづ/\する、そぐはないものを感じてゐるだらうと考へると、人事でない気がする。此は見物の責任に属する部分も相当に重いからである。
梅幸君の赤星十三など、さう言ふ冷やかな反省が、聡明な彼の頭を始終掠めてゐると見えて、如何にもしにくさうに見えたのは、ひが目ではなからう。役者が恥しがるやうな芝居は、させないやうにするのが、文化興行者の見識である。
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弁天小僧の芝居は、見てゐて楽しいが、全体が茶番狂言の腹で行つた書き物である。古くてもよい戯曲の持つ「人生」がない。何から何まで浅くはぐらかして行く。里神楽のもどき(ひよつとこ)にからかはれてゐるやうなものである。
さう言つても、「浜の真砂と五右衛門が歌によんだるぬすつとの……」と厄払ひ口調のつらねが初まると、一返にむが夢中になつて了ふ我々自身である。併しさうした筋立てにも、科白にも、何の人生も写つてゐない。虚仮コケな生活に引きずりこまれた十数分を反省して、冷汗を流さない人ばかりはあるまい。これが若い人々に「生」を甘く見る習慣をつける。
あれだけの人物――ともかく芝居の上の英雄――が、呉服屋の小番頭如きに眉間を割られる大事件、何よりもあの美しい偶像がこはされた代償として――底にからくりがあつたにしても、二十や三十両の金を得て、帰つて行く、――さう言ふ感情の刹那々々の繋りすら度外視した、浅はかな笑劇とは、早く別れを告げることである。之を、暮れの浜町・春の演舞場と二度続けて見るといふ人すら――其一人は確かに私であつた――ある。さう言ふことが情ない。
無意義劇と本格劇との篩ひ分けをして、正しい劇へ導くことも、此からの歌舞妓役者の為事の一つにして行きたいものである。





底本:「折口信夫全集 22」中央公論社
   1996(平成8)年12月10日初版発行
底本の親本:「時事新報」
   1952(昭和27)年1月14日
初出:「時事新報」
   1952(昭和27)年1月14日
※初出時の署名は「釈迢空」です。
※底本の表題の下に書かれている「昭和二十七年一月十四日「時事新報」」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:酒井和郎
2021年8月28日作成
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