私は日本の民俗の上からお話を申し上げたいと思つてゐます。譬へば、貴女方が花をお活けになる、さうした我々に芸術的感銘をお与へにならうとする花よりも、もつとうぶな花、宗教的な花の話をしてみたいと思ひます。
八月の月見、日本では月見が存外新しいことのやうに思つていらつしやるかも知れませんが、世の中の習慣は印象の深いものだから、月見が来ると花をお供へになるでせう。何故月見に花を供へるか。この花と立花・生花と、何か関係があるのではないかとお思ひになつたことはありませんか。
そして月見の行事の心の底には、昔から伝つてゐるお月様を神様と感じる心が残つてゐる。さういふ風に昔の人が、
で、つまり、婚礼ばかりでなく、宴会の時にも飾つたので、これを飾るのは、それを目あてにしてお客が来られる様に飾つておく訣なのです。普通の宴会だと前から招待して連れてくるから、別に遠くから目あてにくる必要はない。日本の宴会は大昔から行はれてゐました。さうしてその宴会の精神は元は、もつとはつきりしてゐました。昔は神を迎へたのです。さう言ふことは近代の宴会でも察せられますが、昔はずゐぶん変つてゐたのでせう。神が天から降りて来られる時、村里には如何にも目につく様に花がたてられて居り、そこを目じるしとして降りて来られるのです。だから、昔の人は、めい/\の信仰で自分々々の家へ神が来られるものと信じて、目につくやうに花を飾る訣なのです。併し、神によつて供へる花が変ります。花のない常磐木の枝や、薄の穂なども、目につくやうに立てます。場所によると人間の姿をしたものをたてなければならなくなつた処もあります。唐子や仙人、又は、獅子や狛犬の像をたてるといふ風に変つてきます。お月さんの時は昔からきまつて芒をたてる。大体芒だけでよいわけです。併し、その時に、昔程芒の中に銀紙ではつた月の形を出しておいたことがありました。つまり、島台の上にまう一つ月を飾るので、此処があなたをお迎へしてゐるところです、といふ訣です。昔は非常に素朴なものでした。江戸に吉原、京都に島原、大阪に新町といふ風に、大きな遊廓でも、時々のお祭りを農村風に行つたものです。八月の十五夜になると月見を行つてゐます。遊廓の月見は派手なもので、島台の上に芒と銀月を出した有様の絵が残つてゐます。又さう言ふ風な小唄もあります。
遊廓ですらもさうした古風な生活を残してゐたのですから、まして、田舎では古風な生活を沢山残してゐる訣です。そして、その生活を守り続けてゐるうちに、頑固に固定して、どう言ふ訣でするのかわからないものが出て来ます。その為やめてしまふといふこともある訣です。日本人がどんなものをよいとするか、善悪の標準の目処がたつて来、又美しいものゝ目処が出来たので日本人の好む美しさの標準が、芸術的な美とは別に段々と樹立して来たのです。つまり、芸術家でない人が選択し、段々拵へ上げて来た訣なのです。今まで疑ひもなく過して来た。それが、戦争によつて大きな標準が何処かへ行つてしまつた。一番悲しい事は、今迄皆相談して善い悪いを判断してゐましたのに、今では一人々々が判断しなければならなくなり、日本人の中には、全く拠りどころを失つてしまつた人もゐる訣です。併し、こゝで段々秩序が回復して参りました。どうかして我々は早く新しい秩序を復活したいものです。かうなつたら今日からでも、我々はよいもの・美しいものを子孫の為に残さねばならないので、一番善いものを標準にとらなければならないのです。それを標準として、これからの生活をたてゝゆく必要があるので、その意味に於て、華道が盛んになれば、それだけ、国民の美を欲する心が活動して来るわけです。
神さんが空から来られるまつりが、あらゆるまつりにある。まつりに招かれる月の神が、芒を飾つた――又古くは芒と銀月とを飾つた島台を目当に里の家に来られる訣でした。ほかのまつりの時も見ておいでゞせうが――、まつりの時大きな幟が立ち、又、盆の時高灯籠をたてます。盆の灯籠は今でも祖先の
日本人は神を招き寄せるに、神がいらつしやる目じるしをたてなければならぬものと思つてゐた訣です。神をして、自分と似てゐるといふ類似感を起させる為に、人形とか銀月を立て、その他に花を飾つて神の目じるしにした訣です。銀月の場合は月の姿なのです。お考へになれば、われわれの周囲に同様なことがお思ひ浮びになることでせう。祭りの時神を招き寄せる目じるしが花で、これはまつりの時にはなくてならないものなのです。だから、花の咲かないものでも、祭壇に飾るものは花と言つてゐます。このやうに、飾つた花が神と深い因縁があつたことを振り返つてみる時、立花・生花の類に、我々は美術から得る印象に似たものを感じますが、まう少し宗教的な意味を加へて考へた方が、花が生きてくるのではないかと思います。
ところが、今迄の話とは別に、我々はいつも花に対して(花のすきでない人は居ないでせうが)無貪著な人の語――不自然な花をつくり出すといふ非難――にも、耳を傾けなければいけません。花を我々の好みの対象として扱ふ場合、十分技術を人工的に加へてもよいと思ひますが、飽いたり嫌になるといつた飽満感を与へ過ぎるのはいけません。あまり飽満に過ぎ、崩れかゝつてゐるのは、ある点からはよいやうだが、やはりよくないことです。その花のよさといふことを、どこに標準をおいたらよいかは、我々素人の言ふ事ではありません。あなた方花に深い関心をお持ちになる方々の考へるべき事です。まづ考へられる事は、我々箱庭を拵へる、さういふ風に写真で写した通りに拵へるのが花の理想であらうかといふ事で、それは容易に否定は出来ないのですが、勿論、写真を作る事は芸術を作ることにはならないのです。さうすると、まう一つ我々の仲間ではかうした事を考へる。我々の眼に写つて来るものが全部這入つてくるのではなく、三つか、四つの眼につくものをもつて、それがとりまいてゐる全部を表すのだ。我々は花を活ける時そのつもりでゐたらよからう。花と交り合つてゐる自然を表す。言うて見れば、簡素に自然界を代表したものを作るのだと、まづ此頃の人なら考へるでせうね。花の表すものは自然界のとりまいてゐるものを表すので、種々な自然の組合せが出来てゐるのが本道の姿だといふ言ひ方が、此頃の花に対して持つてゐる考への落ち着くところだと思ひます。素人の我々の考へは間違つてゐるかも知れません。かう言ふ風に花の道の人の心を推察するのはわるいでせうか。
ところが、私はまう少しほかの事を考へて居ります。歌や俳句の上では、それと違ふ事があります。正岡子規といふ人があつて、俳句・短歌の上で大きな為事をしてゐますが、その子規が晩年になつて作つた句にかう言ふのがあります。
藤の花 長うして雨降らんとす
鶏頭の 十四五本もありぬべし
鶏頭の 十四五本もありぬべし
これには賛否両論がありましたが、どちらも本道は子規の心を掴んではゐなかつたのです。子規の眼の前で十四五本の鶏頭が秋の風景をつくつてゐるだけである。作つた肝腎の事だけを言つておけば――それを読む人が――その聯想を加へて其を中心に、その人自身の聯想の範囲において、延長なり、内容化して行き、藤の花だけ、鶏頭だけを詠んだのではないことを感じさせるといふ人が多いが、私は恐らくさうではないと思ひます。此句は、藤の花と鶏頭以外の何も言つてゐない、そこに句の面白さがあるのです。
又、芭蕉の句に次のやうなものがあります。
蜑が家は 小蝦にまじる蟋蟀 かな
芭蕉も自慢してゐた句で「蜑の家に宿つてゐると蟋蟀が鳴いてゐる。そこに小蝦が干しひろげてある。その中で鳴いてゐる蟋蟀、その蜑の家。」といふだけの事で、それに、「秋の日が照つてゐる」とか、「秋の淋しさがそく/\と身に沁みて来る。」といふ風につけ加へて説くことがあつたら、私は其はさうではないと言ふでせう。
梅 若菜 鞠子の宿のとろゝ汁
これも、「梅や若菜の時分に、東海道を旅して鞠子の宿でとろゝ汁を吸つてゐる。」といふので、梅と若菜と、とろゝ汁のたゞ三つのあるだけの小さな天地なのです。その他何もいらない。これにつけ加へて説かうとするのは間違ひである。
私はちようどこの精神――外に何物をも容れない小世界、純粋な世界、さう言ふ小世界の存在を考へる所に、日本の芸術の異色がある――が、花の場合でも同じではないかと思ひます。広い世界を暗示する考へ方ではなく、与へられた材料だけでそれ以外に拡らず、それで満ち/\たごく簡素な世界を形作つてゐる、そこにさびがあるのです。私はさびをさうした極平凡な考へ方で考へてゐます。そしてさびは今後我々の心の一つの刺戟なのですが、併し、常にさびた花ばかり考へてゐてはいけません。わびすけの椿が、あのさゝやかな莟の中に何物もなく、ひそやかにふくれてゐる――あゝ言ふ小世界――それに近いものなのです。が、ともかく、さびを感じるのは、日本人が極僅かの材料で、自分だけの世界を作る事の出来る習慣があるからだと思ふのです。それを他の人に見せて、他の人にもその小さな世界のよさを感じる様に導くといふ道があるのです。かう言ふ行き方は、生活の全面ではないが、多少でも人を教へようとしてゐる人の、時には持つことが出来なければならぬ心境だと思ひます。
花は恐らく、今後はさうした考へによつて進んで行くべきものではないかと思ふのです。さうすれば、花の道の未来も、明るいと思ふのです。若しその点、既に解決がついてゐましたならば、私の話は疎い話として笑つて貰つてよい。其にしても、何かの参考になりましたならば、幸ひだと思ひます。