鵠が音

島の消息

釋迢空




硫黄を発掘する人々の外に、古加乙涅を栽培する数家族が、棲んでゐた。其人々を内地に移した。さうしてそこに、後から/\送つた兵隊で、島は埋まれてしまつたと言ふあり様であつた。春洋と、春洋の所属する「膽二十七玉井隊」の一大隊が上陸したのは、昭和十九年の七月であつた。食糧なども、前からゐる隊のやうに、すら/\と渡らなかつたらしい。――これは後に聞いた話である。
みんな一度は、ぱらちぶすに罹り、島の硫黄泉で、腹を損じた。
そんな間に、手紙やはがきを、よこした。極端に変化のない生活の間に、書き知らせる事件を見つけることすら、なか/\容易でなかつたことゝ思ふ。
其でも、長短二十通に及ぶ島のおとづれを、送つて来てゐる。
此は、唯その一部、島に渡つて四度目の手紙と、その外の数通のうちから、抜き書きしたものである。
○第四回目の通信です。月に二回と限られてゐるので、今頃になつて、やつと、……
○この頃、しきりに以前の旅行の記憶が、身に沁みて来ます。
 琉球などでも、今行けば、あんなに楽しい所ではないでせう。併し、あれだけの広さと言ふことゝ、あれだけの古い人生のあることゝは、そこに暮すあぢきない日々にも、何かなごやかな気持があることでせう。
○こゝは、殺風景なものです。人生らしいものは見られず、跡はあつても、昨日あつたといふばかりの新しい歴史にもなつてゐないものゝ痕跡しかない――自然と言へば、あまり自然に近い、この島の姿は、われわれの様な教養の偏した心には、さびしくて堪へられないものです。
○寝ても、覚めても、銭一文遣ふ方法のない生活です。財布はすつかり、守り袋に変つてしまひました。これが自在に使へるならまだしもいゝのだがと、そんなことを考へることもあります。道ばたにも、何一つあるではなし、唯与へられる食物を、事務的に消化してゆくばかり。
○水に恵まれぬといふことは、人間、何より苦しいことだ、と今度といふ今度、身に沁みて思ひ知りました。
○時々、風のやうに聞えて来る、独逸の狭まつて行く戦況なども、皆の心をさびしくします。
○東京には、議会がはじまつてゐるとのこと。あわたゞしい世の中の様子も、真の姿がわからないから、兵隊なども、時々やるせない気がするやうです。
○学校の方なども、すつかり変つてしまつたことゝ思ひます。かう言ふ世の中に、どう押しきつて行くか、国学院と言ふものゝ持つ歴史の「力」が、見つめてゐたい気がします。
 われ/\の様に、単純な任務に入つてゐると、批判も何もなく、唯なり行くまゝの世の中の、真実を知ることにうちこんでゐるだけです。――一つの科学者とおなじだ、といふ気がします。
○もつと、人生のある大きな大地ダイチに渡つて行つてゐたなら、何とか心の満足する様なことも出来るのだらうのに。あゝ、何にしても、こゝはあまり単調です。
 空に飛び立つ若人たちがふるひたつて、敵をほふり尽す日まで、之を育てあげる責任者の方々が、果して深い自信を持つて、戦つて居てくれるか、と言ふことが気がゝりになつて来ます。此こそ、前線の皆々の持つてゐる不安ではなからうかと思ひます。
○幾日たつても、同じ太陽が、おなじ色どりの阿旦アダン科の叢に、明々と照つてゐるのが、すつかり、今年の夏を、平凡に過させてしまひました。
○ほんたうに、われ/\が日本人としての力をふるひ起す時は、東京あたりも、相当不安な状態にある時でせう。こんなことは決して、ある筈のないことだと、深い信頼を、日本の誰も/\が、持つてゐる筈なのですが――。

        ※(アステリズム、1-12-94)

 昭和十九年十一月下旬到着
○最近、東京も時々、B29機の来襲がある様子ですが、どうぞ、気をおつけ下さい。敵機は、爆弾の外に、機銃をよくつかひますから。無蓋の物に退避することは、その点から、あぶないと申さねばなりません。それに、爆風と言ふのが、相当にひどいものなのです。
○「鵠が音」、ありがたう御座います。われ/\の様なものゝ歌集が、この時代に出ることさへ、勿体ないのに、其がすつかり、先生の手でこしらへあげて頂けることを、唯しづかな心で、考へて居ります。

        ※(アステリズム、1-12-94)

 十二月上旬
つぎ/″\に闇をたちつゝ 爆音の遠ざかり行くが、涙ぐましき
この機みな マタくかへれよ。螢火の遠ぞく闇を うちまもり居り
爆撃機 朝の光りとゞろきて、還りぐなり。島の空高く
○私のからだの現状を、はつきり申しあげておきます。最近、内地送還になつた矢部健治といふもの――私の小隊の伍長だつた――が、ひよつとすると、電話を大森の宅へかけることがあるかと思ひます。感情の美しい青年ゆゑ、何とかして、彼自身の生命を守らしたいと思つたのですが、幸か不幸か、飛行機事故で、負傷しましたので、適当にはからひましたが、先日立つて行きました。無事に帰りつくかどうか、彼の運は神に任せる外はありません。此が、宅へゆけば、くはしい様子を申すはずです。……

        ※(アステリズム、1-12-94)

 十月二十四日以後
をち方の明けくらがりに 飛行機のえんじん 高く鳴りはじめたり
あまりにも月明ければ、草の上に まだ寝に行かぬ兵とかたるも
搬船を日ねもす守り、海に浮く 駆逐艦見れば、涙ぐましも
○向きて(「北」か)石を積みたる兵の墓。照りしむ海に ひつそり対す
あけ一時イツトキ 蝿の唸りのいちじるく、上をうづめ 黒々のぼる

あまり、周囲や、気持が変り過ぎて、歌が容易には、心に乗つて来なかつたやうである。此外にも、伏せ字にした多くがあつて、折角流動して来るものが、堰きとめられてゐる様に、読む側からは感じられる。作者として春洋はその間、実にもどかしかつたことであらう。併し文字の上の文学がなくとも、頭に文学を活して行くことが出来たから、わりあひせつなく感じなかつたかも知れぬ。また、さう言ふ歌人で、彼があつたことを、記憶しておいて頂きたい。
幾度も私は、考へて見た。併しその期間の歌は、どれもこれも完成してはゐない。完成させようと言ふ意思は十分にあつても、併し彼の日夜の生活が、其をさせなかつた。彼の周囲には、小人数ながら、彼の命令のまゝ、死んで行かうとしてゐる清い魂があつた。この魂を見つめることが、彼の最高のつとめであり、意義ある詩を生んでゐることになつてゐたのであらう。歌人である彼が、歌を作ると言ふことで、第一義の生活をすることが出来なかつた時代である。さう、私は思つてゐる。かう言ふ風に、彼の心を思ふ時、私はかあいさうでたまらなくなる。
だが昔風の宿命を背負うてゐた――戦争以前の日本人は、皆さうだつたのである。
もう数首、未完成の歌の中から拾つておく。
沙浜に 沙を盛りたる墓ありて、○○○○の空近く照る
幕舎近○○○の残骸ありて、このきびしさの、夜々を身にしむ
まざ/″\と 地上にえし○○○のおびたゞしきに、心うたれつ
朝つひに命たえたる兵一人 木陰に据ゑて、日中をさびしき
ぬかづけば さびしかりけり。たこのかげ、莚の下に 亡骸を据う
島の上に照る日きびしき 日ごろなり。夏すでに過ぐと思ふ むなしさ

彼自身、歌の息のいよ/\細つて行くのを見つめてゐる間に、あめりか兵は、上陸して来たのである。





底本:「鵠が音」中公文庫、中央公論社
   1978(昭和53)年8月10日発行
※表題は底本では、「たづ」となっています。
入力:和田幸子
校正:ミツボシ
2022年1月28日作成
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