流儀の定め

觀世左近




 御承知のやうに能樂には觀世、寶生、金春、金剛、喜多の五流があつて、それ/″\獨特の流風を具へて、互に其の妍を競うて居る。そして謠の曲節も舞の型も流儀に依つて、各々ことなつて居る。よく謠は何流が一番よいとか、型は何流に限るとかいふやうなことを口にする人があるが、それは本當に能の判らない人の言である。各流とも皆獨自な長所を具へて居るので、どの流儀が一番よいなどと輕々しく論斷できるものではない。
 それもその筈であらう。各流とも長きは五百年、短くても三百年以上の長い年月の間、研鑽に研鑽を重ね鍛錬に鍛錬を重ねて現在に及んで居るのである。いま我々が演ずる所の能の形式は全く幾多の先人の努力の結晶なのである。
 であるから我々は先づ自流の精神の底に徹し、自流の定むる所に從つて精進を續けて行くべきで、かりそめにも自分の工夫を混へたり、または他流の流風に化せられたりする事は許さるべきことではない。
 この點は同じ古典藝術でも歌舞伎劇などとは著しく趣きを異にして居るのである。例へば或る青年俳優が「本朝二十四孝」の八重垣姫を演るのに、ある部分は成駒屋の型で演じ、また他の部分は、故人梅幸の型で演じたとしても、誰も怪しみもしないし、非難もしはしない。然し、我々能樂師にはそういふ勝手な眞似は、流風を紊すものとして、固く禁ぜられて居るのである。
 かういふと今の若い諸君は「何だ。能樂といふものはそんな固苦しい藝術なのか。それではまるで藝術家の個性といふものを沒却して居るではないか。藝術家の個性を沒却するやうな藝術が果して眞の意味での藝術であらうか」と疑はれるであらうと思ふ。然しそれは餘りに人間の個性といふものに對して認識の淺い議論だと思ふ。
 人間の個性といふものは如何なる場合にも、如何なる條件のもとにも燦然として其の光彩を放つものである。例へば越後で取れた籾と尾張で取れた籾とを取り寄せて同じ田に蒔いて見給へ。同じ樣に肥料を與へ、同じ樣に手入れをしても取れた米の味は決して同じではなからう。まして複雜な人間の性情の事である。たとへ同一の條件のもとに置いても同じ姿をとり同じ光を放つであらうか。
 例へば同じ流儀を汲む二人の能樂師があつて、同じ扮裝をして同じ型で同じ能を舞つても、恐らく見る人の眼には全然別個のものと映ずるであらう。これは敢へて能樂のみとは言はない。凡ての藝術に於いてさうであらう。
 流儀の精神と能樂師と渾然と融和した時はじめて能樂の妙味が發揮されるのである。かくして能藝術の花は色とり/″\に咲き亂れるのである。
 話が妙な方に脱線してしまつたが、とにかく各流とも自流の定めを尊重し、自分一個の工夫や嗜好に依つて之れを枉ぐる事は固く禁ぜられて居る。
 かういふと一般の人々は恐らく斯う言はれるであらう。そんな流儀なんていふ小さな殼を脱け出して、もつと自由な道を歩む方が藝術に對して一層忠實であるのではなからうか。例へば他流の型でも傑れたものはドシ/\之れを取り入れて自家藥籠中のものとする事は少しも差支へのない事である。それを流儀なんていふケチな觀念に束縛されて敢行し得ないのは畢竟能樂師の頭が古いからだと。
 然し能樂師の社會といへども必ずしも頭の古い偏狹な人間の寄り集りではない。我々が流儀の定めなるものを尊重するのは然るべき理由があるのである。
 といふのは能樂に於いては各流とも夫れ/″\自流獨特の藝術に對する主張を持ち、その基礎の上に流儀といふものが建設されて居るのである。であるから流儀の型といふものは凡べて流儀の主張に依つて統一され、固定されて居るものである。即ち觀世流の型は凡べて觀世流の主張に依つて統べられ定められて居るのである。言いかへれば流儀の型といふものは流儀の主張の具體化されたものなのである。然るに他流の型が面白いからといつて、それを取り來つて、自流の型の中に嵌め込むが如きは取りも直さず藝術としての統一を破壞するもので、正しく邪道へ一歩を踏み出すものと言はねばならない。
 イソツプの中に次のやうな寓話がある。烏が孔雀の羽の美しさを羨んで、孔雀の羽を一つ拾つて來て、尻尾に結びつけて得意になつて居た。然し誰れ一人ふり向いて見るものもなく、却つて馬鹿な奴だと嘲笑つたばかりだつた。
 この話は我々に大きな暗示と反省とを與へるものである。他流の好い型を取り入れる事は全く此の愚な烏の所行に類するもので、心ある者は必ずやその愚昧を笑はずには居ないであらう。
 抽象的な話で解り難いだらうから、具體的な例を取つて話さう。京都の片山家の二代目に幽室といふ人があつた。なかなか藝の達者な人であつたらしい。この人の型附が關西地方には隨分廣く流布して居る。いま坊間に流布して居る「能樂蘊奧集」なるものは實は此の片山幽室の型附なのである。この型附の卷頭に數ヶ條の遺訓がある。その中に「他流の型といへども、好きはこれを用ふべし」といふ意味のことが書いてある。この一句が關西の能樂界をどの位かき亂したかは全く局外者の想像も及ばない事であらう。この爲に關西地方の觀世流といふものは滅茶苦茶に混亂し、全くの無規律、無秩序に陷つてしまつたのである。十年以前の京阪地方の觀世流の能を見て居られる方は思ひ當られる事があらうと思ふが、實に珍型續出で噴飯に堪えないものが少くなかつた。これは全く幽室の「他流の型といへども、よきは之れを用ふべし」の一言に災されたものであると思ふ。
 以上主として型に就いて述べて來たが、謠の曲節に就いても勿論同樣な事が言へる。
 自分は他の藝術の事は知らない然し苟しくも能樂師がかゝる誤れる觀念に捉はれたなら、その人が忽ち墮落の底へ轉落するのは勿論他の人々を毒する事少からぬものがあるといふ事を斷言して憚らない。
 なほ御誌の「能樂欄」も非常に結構であるが、今少し愼重に書いて頂きたいものである。





底本:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社
   1935(昭和10)年1月1日発行
初出:「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社
   1935(昭和10)年1月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:sogo
校正:植松健伍
2020年2月21日作成
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