取り交ぜて

水野葉舟




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 高橋五郎たかはしごろう氏に聴いた話である。同氏の親戚の某氏が、或る晩に甥の某氏と同じ部屋に寝た。その時分に親戚に病人が有った。その病人がその晩に、夢に某氏を尋ねて来て、快談かいだんして帰った。翌朝眼が醒めたから、某氏は甥の某氏にその夢の話をした。すると甥もそれと同じ夢を見たと云った。
 病人は、それから三四日って死んだ。通夜の晩に、その病人を看護した看護婦がまた不思議な夢を見たことを話した。丁度ちょうど某氏が同じ夢を見た晩と同じ晩の同じ時刻に、その病人が『今、自分は、色んな人にあって、色んな愉快な話をして来たので、心持こころもちになった』と言った夢を見た。

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 足、その地を踏んだでもなく。でその地の景色を見たでも何でも無いのに、始終、夢にある地の景色を見る。一日いちじつ不図ふと或る道へ出た。するとその道は夢に、その或る景色を見に行く道に寸分たがわぬ。あまりの不思議さにその道を辿っていったら、果然、夢に見馴れた景色のその土地に到着した。これは自分の友人が親しく実見じっけんした奇話である。
 弘治こうじ二年に戦没した先祖の墓は幾百年の星霜せいそうて、その所在地は知られなかった。すると或る晩に、その墓は五輪の塔で、こういう木の下にうずまっていると夢に見たので、その翌日檀那寺だんなでらへ行って、夢に見た通りがすとはたして見付めっかった。これも友人が最近に見た正夢まさゆめである。

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 十時頃にならねば眼が醒めぬという朝寝坊の友人が実見じっけんした事柄である。眼の醒める時分に眼を醒ますと、いつでもとこに若い女の顔が見える。しばらくして始めて消える。しかもその顔は、かつて一度も見たことのない顔である。また、これとはかわって、毎晩、恐ろしい男の顔を見る友人があった。その友人は、つい辛棒しんぼう仕切れなくなって、夜になると、友人の下宿へ行って寝た。

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 鹿児島の高等学校に行っておる自分の従弟が先日来ての話である。
 夜中にその室の襖が開く、そうすると次の室が見え透く。不思議に思って翌朝その事を次の室の友人に話すと、※(「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57)そんなことは知らぬという。その翌晩には友人がその室に寝たら、矢張やはり前夜の通り、襖が開いてその次の室が見え透いた。そこで、その翌晩は二人がその室に寝たら、一人は矢張やはり前晩の通り見たが、一人は非常にうなされた。

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 熊谷くまがいのさる豪農に某という息子があったが、医者になりたいという志願であったから、こうの某家に養子にった。医師の免状も取って、ぎょうも開き、年頃の娘を持つくらいの年になってから、重症にかかって、ながらく病床に呻吟しんぎんした。
 その養父というのが、仲々なかなか飲酒家のんだくれで、もとより資産の有る方ではないから、始終家産は左向ひだりむきであった。熊谷ではもしも養父が亡くなったら、相当な資産はるといっていた。某もそれをたのしみにしていたのである。
 或る日のこと、熊谷の家、鴻の巣で寝ているはずの某が訪ねて来た。女の衣服きものの上へ法衣ころもていた。まことに異装であった。でも別にいぶかることもなく、色々と話をまじえた。それから、ず寝転んで休むがいと隣のへ導いて、二度目に行ったら最早もう見えなかった。で、聞き合わせてみようと思っていると死去の電報が来た。なお通夜の晩の話を聞いてみると、某は、生前懇意にしていた尼僧のもとへも行っていた。時刻は、熊谷の実家をうたのより、少し前であった。尼僧に御無沙汰挨拶をして、それから、法衣ころもを借してくれと云った。尼僧も別に怪しいと思わず貸してったら、女衣服おんなぎの上にそれを着て出て行った。少し時間をた時分に、用事を済ませて来た、ありがとうとその法衣ころもを返したから、尼僧はそれをとこにおいた。死去の電報を手にした時に、法衣ころもはと見たら、矢張やはり返された時のままにとこに置いてあった。
 女衣服おんなぎを着せたのは、ながの病気に、重きはえられまじ、少しでも軽くしてやろうと、偶然にもその日それを着せたのである。この話は死んだ某氏の娘がしたしく話したのを聞いた人から自分が聞いたのである。

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 これは学友某の実見じっけんである。夜中になると戸棚から、今まで見た事もない素敵な美人が出て来て、辰雄たつおさん、此方こちら光来いらっしゃいなと無理に誘い出す。翌朝になると、屹度きっと蚊帳かやの外へ半身を出している。しかもその友は辰雄という名ではないのである。





底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
   2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
   1911(明治44)年12月
初出:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
   1911(明治44)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月25日作成
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