萬物を動かす者の榮光
我は

これわれらの智、己が願ひに近きによりていと深く進み、追思もこれに
しかはあれ、かの聖なる王國たついてわが記憶に
あゝ
今まではパルナーゾの一の
願はくは汝わが胸に入り、かつてマルシーアをその身の
あゝいと聖なる
汝はわが汝の
父よ、
ペネオの
それ小さき火花にも大いなる焔ともなふ、おそらくは我より後、我にまさる馨ありて
世界の
出づれば、その道まさり、その伴ふ星またまさる、
かしこを
この時我見しに、ベアトリーチェは左に向ひて目を日にとめたり、鷲だにもかくばかりこれを
第二の光線常に第一のそれよりいでゝ再び昇る、そのさま歸るを願ふ異郷の客に異ならず 四九―五一
かくのごとく、彼の
わが目のこれに
しかして忽ち晝晝に加はり、さながらしかすることをうる者いま一の日輪にて天を飾れるごとく見えたり 六一―六三
ベアトリーチェはその目をひたすら
かれの姿を見るに及び、わが

天を
慕はるゝにより汝が無窮となしゝ運行、汝の
日輪の焔いとひろく天を
是においてか、我を知ることわがごとくなりし淑女、わが亂るゝ魂を
いひけるは。汝
汝は汝の信ずるごとく今地上にあるにあらず、げに己が處を出でゝ
わが第一の疑ひはこれらの
我即ち
是においてか彼、一の
いふ。
諸

わがいふ秩序の中に自然はすべて傾けども、その
是故にみな己が受けたる本能に導かれつゝ、存在の
火を月の方に送るも
またこの弓は、たゞ
かく萬有の次第を立つる神の攝理は、いと
今やかしこに、己が射放つ物をばすべて樂しき
されどげに、材
これを地に向はしむれば、その
わが
汝
かくいひて再び顏を天にむけたり 一四二―一四四
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あゝ聽かんとて
立歸りて再び汝等の岸を見よ、沖に浮びいづるなかれ、恐らくは汝等我を見ずしてさまよふにいたるべければなり 四―六
わがわたりゆく水は人いまだ越えしことなし、ミネルヴァ
また數少きも、天使の
水の
イアソンが
ベアトリーチェは
我は
その美しさに
日に照らさるゝ金剛石のごとくにて、光れる、
しかしてこの不朽の眞珠は、あたかも水の分れずして光線を受け入るゝごとく、我等を己の内に入れたり 三四―三六
一の量のいかにして他の量を
肉體なりしならんには、神入相結ぶ次第を顯はすかの至聖者を見んとの願ひ、愈

信仰に
我答ふらく。わが淑女よ、我は人間世界より我を移したまへる者に、わが
されど告げよ、この物體にありて、かの下界の人々にカインの物語を
彼少しく
げに汝今驚きの矢に刺さるべきにはあらず、諸

されど汝自らこれをいかに思ふや、我に告げよ。我。こゝにてわれらにさま/″\に見ゆるものは、思ふに體の粗密に由來す。 五八―六〇
彼。もしよく耳をわが反論に傾けなば、汝は必ず汝の思ひの全く虚僞に
それ第八の天球の汝等に示す光は多し、しかしてこれらはその質と量とにおいて各

もし粗密のみこれが
力の異なるは諸

さてまた粗なること、汝の
さらずば一の肉體が
もし第一の場合なりせば、こは日蝕の時、光の
されどこの事なきがゆゑに、殘るは第二の場合のみ、我もしこれを打消すをえば、汝の思ひの誤れること知らるべし 八二―八四
もしこの粗、
しかしてかしこより日の光の

是においてか汝はいはむ、奧深き方より
汝等の學術の流れの
汝三の鏡をとりて、その二をば等しく汝より離し、殘る一をさらに離してさきの二の間に見えしめ 九七―九九
さてこれらに
さらば汝は、遠き方よりかへる光が、量において及ばざれども、必ず等しくかゞやくを見む 一〇三―一〇五
今や汝の智、あたかも雪の下にある物、暖き光に射られて、はじめの色と
失ふごとくなりたれば、汝の目にきらめきてみゆるばかりに強き光を我は汝にさとらしむべし ―一一一
それいと聖なる平安を保つ天の中に一の物體のめぐるあり、これに包まるゝ
その次にあたりてあまたの光ある天は、かの存在を頒ちて、これを己と分たるれども己の中に含まるゝさま/″\の本質に與へ 一一五―一一七
他の諸


かゝればこれらの宇宙の機關は、上より受けて下に及ぼし、次第を
汝よく我を視、汝の求むる眞理にむかひてわがこの處を過ぎ行くさまに心せよ、さらばこの後
そも/\諸天の運行とその力とは、あたかも

しかしてかのあまたの光に飾らるゝ天は、これをめぐらす奧深き心より
また汝等の
かの天を

さま/″\の力その
悦び多き
光と光の間にて異なりと見ゆるものゝ
己が徳に從つてかの明暗を生ずる物なる。 ―一五〇
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さきに愛をもてわが胸をあたゝめし日輪、
されば我は、わがはや誤らず疑はざるを自白せんため、物言はんとてほどよく
このとき我に現はれし物あり、いとつよくわが心を

われらの
我また語るを
かの顏を見るや、我はこれらを物に
されど何をも見ざりしかば、再びこれを前にめぐらし、うるはしき導者――彼は
彼我に曰ふ。汝の思ひの
その常の如く汝を
是故に彼等と語り、聽きて信ぜよ、彼等を安んずる
我は即ち最も
あゝ
汝の名と汝等の
我等の愛は、その門を正しき願ひの前に閉ぢず、あたかも己が
我は世にて尼なりき、汝もしよく記憶をたどらば、昔にまさるわが美しさも我を汝にかくさずして 四六―四八
汝は我のピッカルダなることを知らむ、これらの聖徒達とともに我こゝに置かれ、いとおそき球の中にて
さてまたわれらの情は、たゞ聖靈の
しかしてかくいたく
是においてか我彼に。汝等の
たゞちに思ひ出るをえざりき、されど汝の我にいへること今我をたすけ我をして汝を認め
他の魂等とともに彼まづ少しく
兄弟よ、愛の徳われらの
我等もしさらに高からんことをねがはゞ、われらの願ひは、われらをこゝと定むる者の
もし愛の中にあることこゝにて肝要ならば、また汝もしよくこの愛の
げに常に神の
されば我等がこの王國の諸天に分れをる
天のいづこも天堂にて、たゞかしこに至上の善の
されど人もし一の
我も姿、
彼我に

彼等はかくしてかの
かの淑女に從はんため我若うして世を
その後、善よりも惡に親しむ人々、かのうるはしき僧院より我を引放しにき、神知り給ふ、わが生涯のこの後いかになりしやを 一〇六―一〇八
またわが右にて汝に現はれ、われらの天のすべての光にもやさるゝこの一の
わが身の上の物語を己が身の上の事と知る、彼も尼なりき、また同じさまにてその

されど己が願ひに

こはソアーヴェの第二の風によりて第三の風即ち最後の
かく我に語りて後、かれはアーヴェ・マリーアを歌ひいで、さてうたひつゝ、深き水に重き物の沈む如く
見ゆるかぎり彼のあとを追ひしわが目は、これを見るをえざるに及び、さらに大いなる願ひの
全くベアトリーチェにそゝげり、されど淑女いとつよくわが目に
わが問これがために
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かくの如く、二匹の
是故に、二の疑ひに
我は默せり、されどわが願ひとともにわが問は言葉に明らかに現はすよりもはるかに強くわが顏にゑがゝる 一〇―一二
ベアトリーチェはあたかもナブコッドノゾルの怒り(彼を殘忍非道となしたる)をしづめし時に當りてダニエルロの
即ち曰ふ。我は汝が二の願ひに引かるゝにより、汝の思ひむすぼれて言葉に出でざるを
汝
この二こそ汝の思ひをひとしく
セラフィーンの中にて神にいと近き者も、モイゼもサムエールもジョヴァンニ(汝いづれを選ぶとも)も、げにマリアさへ 二八―三〇
今汝に現はれし

これらのこゝに現はれしは、この球がその分と定められたるゆゑならずしてその天界の
汝等の才に
是においてか聖書は汝等の
聖なる寺院は、ガブリエール、ミケール、及びかのトビアを
ティメオが魂について
即ち魂が、自然のこれに肉體を司らしめし時、己の星より分れ出たるものなるを信じて、彼はこの物再びかしこに歸るといへり 五二―五四
或は彼の説く所、その
もしそれこれらの天にその影響の
この原理誤り
汝を惱ますいま一の疑ひは毒少し、そはその邪惡も、汝を導きて我より離すあたはざればなり 六四―六六
われらの正義が人間の目に不正とみゆるは即ち信仰の
されど汝等の知慧よくこの眞理を
もし
そは意志は自ら願ふにあらざれば滅びず、あたかも火が
是故に意志の屈するは、その多少を問はず、
彼等が自由となるに及び、この意志直ちに彼等をしてその強ひられて離れし路に再び
汝よくこれらの言葉を心にとめてさとれるか、さらばこの後汝をしば/\惱ますべかりし疑ひは、はや必ず解けたるならむ 八八―九〇
されど汝の
我あきらかに汝に告げて、
後汝はコスタンツァがその

兄弟よ、人難を
アルメオネが父に
かゝる場合については、請ふ思へ、
絶對の意志は惡に
さればピッカルダはかく語りて絶對の意志を
一切の眞理の源なる泉よりいでし聖なる流れかくその波を
我即ち曰ふ。あゝ第一の愛に愛せらるゝ者よ、あゝいと聖なる淑女よ、汝の
されどわが愛深からねば汝の
我よく是を知る、我等の智は、かの
智のこれに達するや、あたかも洞の中に
是故に疑ひは眞理の根より芽の如くに生ず、しかしてこは峰より峰にわれらを促し
淑女よ、この事我を誘ひ我を勵まし、いま一の明らかならざる眞理についてうや/\しく汝に問はしむ 一三三―一三五
請ふ告げよ、人その破れる誓ひの爲、汝等の
ベアトリーチェは愛の光のみち/\しいと聖なる目にて我を見き、さればわが
我は目を
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われ世に
こは全き視力――その認むるに從つて、認めし善に進み入る――より出づるがゆゑにあやしむなかれ 四―六
われあきらかに知る、見らるゝのみにてたえず愛を燃す
もし他の物汝等の愛を迷はさば、こはかの光の名殘がその中に
汝の知らんと欲するは、
ベアトリーチェはかくこの
それ神がその
即ち意志の自由なりき、知慧ある被造物は皆、またかれらに限り、昔これを受け今これを受く 二二―二四
いざ汝
そは神と人との間に契約を結ぶにあたりては、わがいふ如く貴きこの寶
されば何物をもて
汝既に要點を
汝なほ
心を開きて、わが汝に示すものを受け、これをその中に收めよ、聽きて
それ二の物相合してこの
後者は守るにあらざれば消えず、但しこれについては我既にいとさだかに述べたり 四六―四八
是故に
前者即ち汝に材とし知らるゝものは、これを他の材に
されど黄白二の
かつ取らるゝ物が置かるゝ物を
是故に己が
人よ誓ひを
守りてしかしてまされる惡を爲さんより、彼は
さればイフィジェニアはその
汝等に舊約新約あり、寺院の牧者の導くあり、汝等これにて己が救ひを得るに足る 七六―七八
もし邪慾汝等に他の
己が母の乳を棄て、
わがこゝに
その沈默と
しかしてあたかも
われ見しに、かの天の光の中に入りしとき、わが淑女いたくよろこび、かの星自らそがためいよ/\輝きぬ 九四―九六
星さへ變りてほゝゑみたりせば、己が
しづかなる清き池の中にて、魚もしその餌とみゆる物の
千餘の輝われらの方にはせよりき、おの/\いふ。見よわれらの愛をますべきものを。 一〇三―一〇五
しかして各

讀者よ、この物語續かずばその先を知るあたはざる汝の苦しみいかばかりなるやを思へ 一〇九―一一一
さらば汝自ら知らむ、これらのものわが目に明らかに見えし時、彼等よりその
あゝ

信心深きかの靈の一我にかくいへるとき、ベアトリーチェ曰ふ。いへ、いへ、
我よく汝が己の光の中に
されど尊き魂よ、我は汝の誰なるやを知らず、また他の光に蔽はれて人間に見えざる天の
さきに我に物言へる光にむかひて我かくいへり、是においてかそのかゞやくこと前よりはるかに強かりき 一三〇―一三二
あたかも日輪が(
かの聖なる姿は、まさる悦びのため己が光の中にかくれ、さてかく全く
次の
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コスタンティーンが鷲をして天の運行に
二百年餘の間、神の鳥はエウローパの
かしこにてその聖なる翼の陰に世を治めつゝ、手より手に移り、さてかく變りてわが手に達せり 七―九
我は
未だこの
されど至高の牧者なるアガピート尊者、その言葉をもて我を正しき信仰に導けり 一六―一八
我は彼を信じたり、しかして今我彼の信ずる所をあきらかに見ることあたかも汝が一切の
われ寺院と歩みを合せて進むに及び、神はその
武器をばわがベリサルに委ねたりしに、天の
さて我既に第一の問に答へ終りぬ、されどこの答の
こは汝をしていかに深き
パルランテがこれに王國を與へんとて死にし時を始めとし、見よいかなる徳のこれをあがむべき物とせしやを 三四―三六
汝知る、この物三百年餘の間アルバにとゞまり、その終り即ち
また知る、この物サビーニの女達の禍ひよりルクレーチアの憂ひに至るまで七王の代に
知る、この物秀でしローマ人等の手にありてブレンノ、ピルロ、その他の君主等及び共和の國々と戰ひ、いかなる
(是等の戰ひにトルクァート、己が
アンニバーレに從ひて、ポーよ汝の源なるアルペの岩々を越えしアラビア
この物の
後、天が全世界を己の如く
ヴァーロよりレーノに亘りてこの物の爲しゝことをばイサーラもエーラもセンナも見、ローダノを滿たすすべての
ラヴェンナを出でゝルビコンを越えし後このものゝ爲しゝ事はいとはやければ、
士卒を
そが出立ちし處なるアンタンドロとシモエンタ、またかのエットレの
そこよりイウバの
次の旗手と共にこの物の爲しゝことをば、ブルートとカッシオ地獄に
うれはしきクレオパトラは今もこの物の爲に泣く、彼はその前より逃げつゝ、蛇によりて
かの旗手とともにこの物遠く紅の
されどわが
そはこの物彼の手にありしとき、我をはげます生くる正義は、己が怒りに
いざ汝わが
またロンゴバルディの齒、聖なる寺院を
今や汝は、わがさきに難じし如き人々の何者なるやと
ギベルリニをして行はしめよ、他の旗の
またこの新しきカルロをして己がグエルフィと共にこれを倒さず、かれよりも強き獅子より皮を奪ひしその爪を恐れしめよ 一〇六―一〇八
子が父の罪の爲に泣くこと古來例多し、彼をして神その紋所を彼の百合の爲に變へ給ふと信ぜしむる
さてこの小さき星は、進みて多くの

しかして願ひ斯く路を誤りてかなたに昇れば、
されどわれらの
生くる正義はこの事によりてわれらの情をうるはしうし、これをして一
さま/″\の聲下界にて

またこの眞珠の中にはロメオの光の光るあり、彼の美しき大いなる
彼を陷れしプロヴェンツァ
ラモンド・ベリンギエーリには
是においてか老いて貧しき身をもちて彼去りぬ、世もし
(今もいたく
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オザンナ、萬軍の聖なる神、己が光をもてこれらの王國の惠まるゝ火を上より照らしたまふ者。 一―三
しかしてこれもその他の者もみなまた舞ひいで、さていとはやき火花の如く、忽ちへだゝりてわが目にかくれぬ 七―九
われ疑ひをいだき、心の中にいひけるは。いへ、いへ、わが淑女にいへ、彼甘き
されどたゞ「ベ」と「イーチェ」のみにて我を
ベアトリーチェはたゞ
わが
されど我は速に汝の心を
それかの生れしにあらざる人は、己が益なる意志の
是においてか人類は、大いなる迷ひの中に、幾世の間、病みて下界に
その
いざ汝わが今語るところに心をとめよ、己が造主と
眞理の道とおのが
是故に合せられたる
されどこれを受けし者、かゝる性をあはせし者の
されば一の
今や汝はさとりがたしと思はぬならむ、正しき罰後にいたりて正しき
されど我は今汝の心が、思ひより思ひに移りて一の

汝いふ、我よくわが聞けるところをさとる、されど我は神が何故にわれらの
兄弟よ、智もし愛の焔の中に熟せざればいかなる人もこの
しかはあれ、この
それ己より一切の
是より直に
是より直に
かゝるものは最も是に
しかしてこれらの
人の自由を奪ひ、これをして至上の善に似ざらしめ、その光に照らさるること從つて少きにいたらしむるものは罪のみ 七九―八一
もしそれ正しき刑罰を不義の
汝等の
淺瀬の一を渡らずしては、いかなる道によりても再びこれを得るをえざりき(汝よく思ひを
淺瀬とは、神がたゞその
いざ汝力のかぎり目をわが詞にちかくよせつゝ、
そも/\人は、その限りあるによりて、
上らんとせし高さに應ずる
是故に神は己が道――即ちその一かまたは二――をもて、人をその完き生に
されど行ふ者の行は、これがいづる心の善をあらはすに從ひ、いよ/\悦ばるゝがゆゑに 一〇六―一〇八
宇宙に
また
そは神は人をして再び身を
神の子己を
さて我は今、汝の願ひをすべてよく滿たさんため、
汝いふ、我視るに、地水火風及びそのまじりあへるものみな滅び、永く
しかるにこれらは
兄弟よ、諸

汝の

造られしはかれらの物質、造られしはかれらをめぐるこの諸

諸


至上の慈愛は、たゞちに汝等の
さてまたこの
人の肉體のいかに造られしやを思ひみば
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世は、その危ふかりし頃、美しきチプリーニアが第三のエピチクロをめぐりつゝ痴情の光を放つと信ずる
されば
またディオネとクーピドをも崇めて彼をその母とし此をその子とし、かついへり、この子かつてディドの膝の上に坐しきと 七―九
かれらはまた、日輪に或ひは
かの星の中に登れることを我は知らざりしかど、その中にありしことをば、わが淑女のいよ/\美しくなるを見て、かたく信じき 一三―一五
しかして火花焔のうちに見え、聲々のうちに
我はかの光の中に、他の多くの光、輪を成して

見ゆる風や見えざる風の、冷やかなる雲よりくだる
尊きセラフィーニの中にまづ始まりし舞を棄てつゝ我等に來るを見たらん人には、たゞ靜にて遲しと思はれむ 二五―二七
さて最も先に現はれし者のなかにオザンナ響きぬ、こはいと
かくてその一われらにいよ/\近づき來り、
われらは天上の君達と圓を一にし、

汝等
われ目をうや/\しくわが淑女にそゝぎ、その思ひを
再びこれをかの光――かく大いなることを約しゝ――にむかはせ、
われ語れる時、新たなる喜び己が喜びに加はれるため、かの光が、その量と質とにおいて、
さてかく變りて我に曰ふ。世はたゞしばし我を
わが身のまはりに輝き出づるわが喜びは我を汝の目に見えざらしめ、我を隱してあたかも己が絹に卷かるゝ蟲の如くす 五二―五四
汝深く我を愛しき、是また
ローダノがソルガと
バーリ、ガエタ及びカートナ
はやわが
またエウロに最もわづらはさるゝ灣の
かの美しきトリナクリアは、カルロとリドルフォの
民の心を常に
またわが兄弟にして豫めこれを見たらんには、カタローニアの慾と貪とをはやくも避けて、その禍ひを自ら受くるにいたらざりしなるべし 七六―七八
そはげに彼にてもあれ
物惜しみせぬ
わが君よ、我は汝の
信ずるがゆゑに、その喜びいよ/\深し、我また汝が神を見てしかしてこれをさとるを
汝我に悦びをえさせぬ、さればまた教へをえさせよ(汝語りて我に疑ひを起さしめたればなり)――
我かく彼に、彼即ち我に。我もし汝に一の眞理を示すをえば、汝は汝の
汝の昇る王國を
また諸

是故にこの弓の射放つものは、みな
もしこの事
しかしてこはある事ならじ、もし此等の星を動かす諸

汝この眞理をなほも明かにせんと願ふや。我。
彼即ちまた。いざいへ、世の人もし一市民たらずば禍ひなりや。我答ふ。然り、その
人各

かく彼論じてこゝに及び、さて結びていふ。かゝれば汝等の
是故に
人なる蝋に印を

是においてかエサウはヤコブと
もし神の攝理勝たずば、生れし
汝の
それ
しかして下界もしその心を自然の
しかるに汝等は、劒を腰に帶びんがために生れし者を
是においてか汝等の
[#改ページ]
美しきクレメンツァよ、汝のカルロはわが疑ひを解きし後、我にその子孫のあふべき
されどまた、默して年をその移るに任せよといひしかば、我は汝等の禍ひの後に正しき歎き來らんといふのほか何をもいふをえざるなり 四―六
さてかの聖なる光の
あゝ迷へる魂等よ、不信心なる被造物等よ、心をかゝる善にそむけて
時に見よ、いま一の光、わが方に進み出で、我を悦ばせんとの願ひを
さきのごとく我に注げるベアトリーチェの目は、うれしくもわが願ひを
我
是においてか未だ我に知られざりしかの光、さきに歌ひゐたる處なる
いと高しといふにあらねど一の山の
我とこれとは一の根より生れたり、我はクニッツァと呼ばれにき、わがこゝに輝くはこの星の光に勝たれたればなり 三一―三三
されど我今喜びて自らわが命運の
われらの天の中のこの光りて貴き
この第百年はなほ
さるにターリアメントとアディーチェに圍まるゝ
されどパードヴァは、その民
またシーレとカニアーンの落合ふ處は、或者これを治め、頭を高うして歩めども、彼を捕へんとて人はや網を造りたり 四九―五一
フェルトロもまたその非道の牧者の罪の爲に泣かむ、かつその罪はいと惡くしてマルタに入れられし者にさへ
己が黨派に忠なることを示さんとてこのやさしき僧の與ふるフェルラーラ
これを
諸

かくいひて
名高き者とはやわが知りしかの殘りの喜びは、日の光に當る
上にては悦びによりて、強き光のえらるゝこと、世にて笑のえらるゝ如し、されど下にては心の悲しきにつれて魂黒く
我曰ふ。福なる靈よ、神萬物を見給ひ、汝の目神に入る、是故にいかなる願ひも汝にかくるゝことあらじ 七三―七五
もしそれ然らば、六の翼を緇衣となす信心深き火とともに歌ひてとこしへに天を樂します汝の聲 七六―七八
何ぞわが諸

このとき彼曰ふ。地を卷く海を
我はこの溪の
そのかみ己が血をもて湊を熱くせしわが
わが名を知れる人々我をフォルコと呼べり、我今
そはシケオとクレウザとを
包める頃のアルチーデも、
しかはあれ、こゝにては我等
こゝにては我等、かく大いなる
されどこの球の中に生じゝ汝の願ひ
汝は
いざ知るべし、ラアブこのうちにやすらふ、彼われらの組に加はりその印をこれに捺すこと他に
人の世界の投ぐる影、
左右の
そは彼ヨスエを聖地――今やこの地殆ど法王の記憶に觸れじ――にたすけてその最初の榮光をこれにえさせたればなり 一二四―一二六
はじめて己が
これがために福音と諸

これにこそ法王もカルディナレもその心をとむるなれ、彼等の思ひはガブリエルロが翼を
されどヴァティカーノ、その他ローマの中の選ばれし地にてピエートロに從へる
この姦淫より直ちに釋放たるべし。 一四二―一四四
[#改ページ]
言ひ難き第一の力は、己が子を、彼と此との
心または處にめぐるすべての物をば、いと
讀者よされば目を擧げて我とともに天球にむかひ、一の運行の他と
よろこびて師の
見よ諸

もしかれらの道
またもし直線とこれとの
いざ讀者よ、未だ疲れざるさきに疾く喜ぶをえんと願はゞ、汝の椅子に殘りて、わが少しく味はしめしことを思ひめぐらせ 二二―二四
我はや汝の前に置きたり、汝今より自ら
自然の
わがさきにいへる處と合し、かの
我この物とともにありき、されど登れることを覺えず、あたかも思ひ始むるまでは思ひの起るを知らざる人の如くなりき 三四―三六
かく一の善よりこれにまさる善に導き、しかして己が爲す事の、時を占むるにいたらざるほどいと早きはベアトリーチェなり 三七―三九
わが入りし日の中にさへ色によらで光によりて現はるゝとは、げにそのものゝ自ら輝くこといかばかりなりけむ 四〇―四二
たとひわれ、才と技巧と練達を呼び求むとも、これを語りて人をして心に描かしむるをえんや、人たゞ信じて自ら視るを願ふべし 四三―四五
またわれらの想像の力低うしてかゝる高さに到らずとも
尊き父の第四の
ベアトリーチェ曰ふ。感謝せよ、

人の心いかに畏敬の念に傾き、またいかに喜び進みて己を神に棒げんとすとも 五五―五七
これらの
されど怒らず、いとうつくしく
われ見しに多くの生くる
空氣

そも/\天の王宮(かしこより我は歸りぬ)には、いと貴く美しくして王土の
これらの光の歌もその一なりき、かしこに飛登るべき羽を備へざる者は、かなたの
これらの燃ゆる日輪、かくうたひつゝわれらを

かれらはあたかも踊り終らぬ女等が、新しき
かくてその一の中より聲いでゝ曰ふ。
汝の
己が
汝はこの
我はドメーニコに導かれ、迷はずばよく
右にて我にいと近きはわが兄弟たり師たりし者なり、彼はコローニアのアルベルトといひ、我はアクイーノのトマスといへり 九七―九九
このほかすべての者の事を汝かく

次の焔はグラツィアーンの笑ひより出づ、彼は天堂において
またその
われらの中の
そがなかにはいと深き知慧を受けたる尊き心あり、眞もし眞ならば、智においてこれと並ぶべき者興りしことなし 一一二―一一四
またその
次の
さてわが
そがなかには、己が
このものゝ追はれて出でし肉體はいまチェルダウロにあり、己は殉教と
その先に、イシドロ、ベーダ及び想ふこと人たる者の上に出でしリッカルドの
また
これぞ
かくてあたかも神の
一部他の一部を、
我は榮光の輪のめぐりつゝ、喜び限りなき處ならでは知るあたはざる和合と美とにその聲々をあはすを見たり。 一四五―一四七
[#改ページ]
あゝ人間の
さていづれの靈もかの圈の中、さきにそのありし處に歸れるとき、動かざることあたかも燭臺に立つ
しかしてさきに我に物言へる光、いよ/\あざやかになりてほゝゑみ、内より聲を出して
われ
汝はさきにわが「よく
汝の
それ
かの
心を安んじかつ彼にいよ/\
その
我その
トゥピーノと、ウバルド尊者に選ばれし丘よりくだる水との間に、とある
(この山よりペルージアは、ポルタ・ソレにて暑さ寒さを受く、また坂の
この坂の中
是故にこの處のことをいふ者、もし
昇りて久しからざるに、彼は早くもその大いなる徳をもて地に
そは彼若き時、ひとりだに悦びの戸を開きて迎ふる者なき(死を迎へざるごとく)女の爲に父と爭ひ 五八―六〇
而して己が靈の
それかの
かの女が、アミクラーテと
かの女が、
されどわが物語あまりに
かれらの和合とそのよろこべる姿とは、愛、驚、及び敬ひを、聖なる思ひの
かゝれば尊きベルナルドは第一に
あゝ未知の
かくてかの父たり師たりし者は己が戀人及びはや
またピエートロ・ベルナルドネの子たりし爲にも、
王者の如くインノチェンツィオにその
貧しき民の彼――そのいと
さて彼殉教に渇き、
民心熟せず、
テーヴェロとアルノの間の
彼を選びてかゝる
正しき
かくして尊き魂は、かの女の
いざ思へ、
是ぞわれらの教祖なりける、かゝれば汝は、およそ彼に從ひてその命ずる如く爲す者の者の、
されど彼の
しかして彼の羊遠く迷ひていよ/\彼を離るれば、いよ/\乳に乏しくなりて
げにその中には害を恐れ牧者に近く身を置くものあり、されど
さてもしわが言葉
汝の願ひの一部は
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かの福なる焔

しかしてその未だ
この歌は、かのうるはしき笛よりいで、さながら元の
イウノネその
(
世の人々をして、神がノエと立て給ひし契約にもとづき、世界にふたゝび洪水なきを
かくの如く、これらの不朽の薔薇の二の
喜びの舞と尊き大いなる
あたかもその好むところに從つて共に閉ぢ共に開かざるをえざる目の如く、時と意志とを同うしてともに靜になりし後 二五―二七
新しき光の一の
いふ。我を美しうする愛我を促して
いと高き價を拂ひて武器を新にしたるクリストの軍隊が、旗の
さきにいはれしごとく
若葉をひらきこれをもてエウローパの
かしこに、クリストの信仰を慕ふ戀人、味方にやさしく敵につれなき聖なる
かれの心はその造られし時、
彼と信仰の間の
かれに代りて
しかして彼の
彼即ちドメーニコと呼ばれき、我は彼をば、クリストにえらばれその園にてこれをたすけし農夫にたとへむ 七〇―七二
げに彼はクリストの
かれの

あゝ彼の父こそ
人々が今、かのオスティア
彼は程なく大いなる師となり、葡萄の園――
彼が法座(正しき
六をえて二三を
汝をかこむ二十四本の
かくてかれは教理、意志、及び使徒の
勢
この後さま/″\の流れ彼より出でたり、カトリックの園これによりて
聖なる寺院が自ら
殘の輪――わが來らざるさきにトムマのいたく
されどこの輪の
彼の
しかしてかくあしく耕すことのいかなる
しかはあれ、人もしわれらの
されどこはカザールまたはアクアスパルタよりならじ、かしこより來りてかの
さて我はボナヴェントゥラ・ダ・バーニオレジオの
イルルミナートとアウグスティンこゝにあり、彼等は紐によりて神の友となりたる最初の
ウーゴ・ダ・サン・ヴィットレ彼等と
豫言者ナタン、
ラバーノこゝにあり、また豫言の靈を授けられたるカーラブリアの僧都ジョヴァッキーノわが
フラア・トムマーゾの燃ゆる
かつ我とともにこれらの侶を動かしたりき。 一四五―一四七
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わが今視し物をよくさとらむとねがふ人は、心の中に描きみよ(しかしてわが語る間、その描ける物を
空氣いかに密なりともなほこれに勝つばかりいと
われらの天の
またかの車軸――第一の輪これがまはりをめぐる――の
即ちこれらのもの己をもてあたかもミノスの
一はその光を他の一の内に保ち、かつ相共にめぐりつゝ一は
さらば
そはこれがわが世の

かしこにかれらの歌へるはバッコに
歌も舞も終りにいたれば、これらの聖なる光は、その心をわれらにとめつゝ、彼より此と思ひを移すを悦べり 二八―三〇
かの神の貧しき人の
曰ふ。一の穗碎かれ、その實すでに
汝思へらく、己が
槍に刺され、一切の罪の重さにまさる
この二を造れる
是故に汝は、さきに我汝に告げて、かの第五の光につゝまるゝ
いざ目を開きてわが答ふるところを望め、さらば汝は汝の思ひとわが
それ滅びざるものも滅びうるものも、みな愛によりてわれらの主の生みたまふ觀念の
そはかの
自ら
さてこの光線こゝより降りて最も


またかゝる物の蝋とこの蝋を整ふるものとは一樣にあらず、されば觀念に印せられてその中に輝く光或ひは多く或ひは少し 六七―六九
是においてか類において同じ木も
蝋もし全く備はり、天の及ぼす力いとつよくば、印の光みなあらはれむ 七三―七五
されど自然は常に乏しき光を與ふ、即ちそのはたらくさまあたかも
もしそれ熱愛材をとゝのへ、第一の力の
さればこそ土は
是故に人たるものゝ
さて我もしさらに説進まずば、汝はまづ、さらばかの者いかでその
されど
わがいへるところ
天上の
第一の
是故に汝もしさきにわがいへることゝ此事とを思ひみなば、わが
またもし明らかなる目を興りしといふ
かく
汝この事をもて常に足の鉛とし、汝の見ざる
そは輕々しく事を斷ずれば誤り
眞理を
パルメニーデ、メリッソ、ブリッソ、そのほか行きつゝ
サベルリオ、アルリオ及びあたかも劒の如く聖書を
されば人々餘りに安んじて事を判じ、さながら
そはわれ
また船が
ドンナ・ベルタもセル・マルティーノも、
恐らくは彼起き此倒るゝことあらむ。 一四二―一四四
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トムマーゾのたふとき
こは彼の
いまひとつの眞理をばこの者求めて根に到らざるをえず、されど聲はもとより未だ思ひによりてさへこれを汝等にいはざるなり 一〇―一二
またもし殘らば、請ふ告げよ、汝等が再び見ゆるにいたる時、その光いかにして汝等の目を
たとへば輪に舞ふ人々が、悦び増せば、これに
かの二の聖なる圓は、急なるうや/\しき願ひをきゝて、その

およそ人の天に生きんとて地に死ぬるを悲しむ者は、永劫の雨の
さてかの一と二と三、即ち
かの諸

我また小き
その答ふる所にいふ。天堂の樂しみ續くかぎり、我等の愛光を放ちてかゝる衣をわれらのまはりに現はさむ 三七―三九
その
尊くせられ
是故に至上の善が我等にめぐむすべての光、われらに神を視るをえしむる光は増さむ 四六―四八
是においてか
されど炭が焔を出し、しかして白熱をもてこれに勝ちつゝ己が姿をまもるごとく 五二―五四
この耀――今われらを包む――は、たえず地に
またかく大いなる光と雖、われらを疲れしむる能はじ、そは肉體の諸

いと
またこの願ひは恐らくは彼等自らの爲のみならず、
時に見よ、一樣に
また日の
我はかしこに多くの新しき靈ありて、かの二の輪の
あゝ聖靈の
されどベアトリーチェは、記憶の及ぶあたはざるまでいと美しくかつ
わが目これより力を受けて再び自ら擧ぐるをえ、我はたゞわが淑女とともにいよいよ尊き救ひに移りゐたるを見たり 八二―八四
わがさらに高く昇れることを定かに知りしは、常よりも
我わが心を盡し、
しかして
そは多くの輝二の光線の中にて我に現はれ、あゝかくかれらを飾るエリオスよとわがいへるほど
たとへば銀河が、大小さま/″\の光を
かの光線は、星座となりつゝ、火星の
さて
されど己が十字架をとりてクリストに從ふ者は、いつかかの光明の中に

己を
或ひは
また
かしこに

されど我よくそが尊き讚美なるを知りたり、そは
わが愛これに燃やされしこといかばかりぞや、げに是時にいたるまで、かくうるはしき
恐らくはわがこの
されど人もし一切の美を


わが
これまたその登るに從つていよ/\清くなればなり 一三九―一四一
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慾を惡意のあらはすごとくまつたき愛をつねにあらはす善意によりて 一―三
かのうるはしき琴は
そも/\これらの靈體は、我をして彼等に請ふの願ひを起さしめんとて皆
靜なる、清き、
位置を變ふる星と見ゆれど、たゞその燃え立ちし處にては失せし星なくかつその永く保たぬごとくに 一六―一八
かの十字架の右の
またこの
アンキーゼの魂が
あゝわが
かの光かく、是に於てか我これに心をとめ、
そは我をしてわが目にてわが
かくてかの靈、聲姿ともにゆかしく、その初の
但しこは彼が、好みて我より隱れしにあらず、
しかしてその熱愛の弓冷えゆき、そがためその
わがさとれる第一の事にいふ。
また續いて曰ふ。白きも黒きも變ることなき大いなる
子よ汝はこれをこの光(我この
汝信ずらく、汝の思ひは第一の思ひより我に移り、その
さればこそわが誰なるやまた何故にこの樂しき
汝の信ずる所正し、そは大いなるも
されど我をして目を
恐れず
我はベアトリーチェにむかへり、この時淑女わが語らざるにはやくも聞きて、我に一の
我即ち曰ふ。第一の
これ熱と光とをもて汝等を照らしかつ暖めし日輪が、これに
されど人間にありては、汝等のよく知る
是故に人間の我、自らこの不同を感ずるにより、父の如く汝の
我誠に汝に
あゝわが葉よ。汝を待つさへわが喜びなりき、我こそ汝の根なりけれ。彼まづかく我に答へ 八八―九〇
後また

我には子汝には
それフィオレンツァはその昔の城壁――今もかしこより第三時と第九時との鐘聞ゆ――の内にて平和を保ち、かつ
かしこに
まだその頃は
かしこに人の住まざる家なく、
まだその頃は汝等のウッチェルラトイオもモンテマーロにまさらざりき――今その
我はベルリンチオーン・ベルティが
またネルリの
あゝ
ひとりは目を
ひとりは絲を
ラーポ・サルテレルロの如き者その頃ありしならんには、チンチンナートやコルニーリアの今における如く、いと
かく
マリア――唱名の聲高きを開きて――我を加へ給へり、汝等の昔の授洗所にて我は
わが兄弟なりし者にモロントとエリゼオとあり、わが妻はポーの
後われ皇帝クルラードに
我彼に從ひて出で、牧者達の過のため汝等の領地を
かしこにてかの
殉教よりこの平安に移りにき。 一四八―一五〇
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あゝ人の
我
げに汝は短くなり
ローマの第一に許しゝ
少しく離れゐたりしベアトリーチェは、
我
いと多くの流れにより嬉しさわが心に
さればわが愛する
請ふ告げよ、
たとへば炭風に吹かれ、燃えて焔を放つごとく、我はかの光のわが媚ぶる
しかしてこの物いよ/\美しくわが目に見ゆるに從ひ、いよ/\
我に曰ひけるは。アーヴェのいはれし日より、今は聖徒なるわが母、子を生み、
この火は五百八十囘己が獅子の處にゆき、その足の下にてあらたに燃えたり 三七―三九
またわが先祖達と我とは、汝等の年毎の競技に
わが列祖の事につきては汝これを聞きて足れりとすべし、彼等の誰なりしやまた
その頃マルテと
されど今カムピ、チェルタルド、及びフェギーネと
あゝこれらの人々皆
またはシーニアの賤男(
もし世の最も
かの今フィレンツェ
モンテムルロは今も昔の
人々の入亂るゝことは、食に食を重ぬることの肉體における如くにて、常にこの
汝もしルーニとウルビサーリアとがはや滅び、キウーシとシニガーリアとがまたその
そも/\汝等に屬する物はみな汝等の如く
しかして月天の運行が、たえず
我はウーギ、カテルリニ、フィリッピ、グレーチ、オルマンニ、及びアルベリキ等なだゝる市民のはや倒れかゝるを見 八八―九〇
またラ・サンネルラ及びラルカの
今新なるいと重き罪を積み置く――その重さにてたゞちに船を損ふならむ――かの門の
ラヴィニアーニ住み居たり、
ラ・プレッサの
「ヴァイオ」の柱、サッケッティ、ジユオキ、フィファンティ、バルッチ、ガルリ、及びかの桝目の爲に赤らむ
カルフッチの出でし木の根もまた既に大なりき、シツィイとアルリグッチとは既に
かの己が
汝等の寺院の
逃ぐる者をば龍となりて追ひ、齒や財布を見する者には
既に興れり、されど
カーポンサッコは既にフィエソレを出でゝ
今我信じ難くして而して
トムマーゾの祭によりて名と徳とをたえず
騎士の位と殊遇とを彼より受けき、たゞ
グアルテロッティもイムポルトゥーニも既に榮えき、もし彼等に新なる

その
汝はじめてこの
フィオレンツァはその平和終る時、
我はフィオレンツァにこれらの

またこれらの
分離の爲紅に變ることもなかりき 一五四
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今
我また彼の如くなりき、而してベアトリーチェも、また先にわがために處を變へしかの聖なる
是故に我淑女我に曰ふ。汝の願ひの焔を放て、そが汝の心の
されどこは汝の
あゝ愛するわが根よ(汝いと高くせられ、あたかも人智が一の三角の内に二の鈍角の
われヴィルジリオと

わが

是故にいかなる
さきに我に物言へる光にむかひて我かくいひ、ベアトリーチェの望むごとくわが願ひを
諸

明らかにいひ定かに語りてかの父の愛、己が
それ
されど映ずるが爲にこの事必ず起るにあらず、船流れを下りゆけどもそのうつる目の然らしむるにあらざるに似たり 四〇―四二
この永遠の目より汝の行末のわが目に入り來ることあたかも樂器よりうるはしき和合の音の耳に入り來る如し 四三―四五
イッポリートが無情邪險の
いと深く愛する物をば汝
しかして最も重く汝の肩を
かれら全く恩を忘れ狂ひ
かれらの
汝の第一の
彼汝に
己が
人々未だこの者を知らじ、そはその年若く諸天のこれをめぐれることたゞ
されどかのグアスコニア
その諸

汝彼と彼の
汝また彼の事を心に記して
後加ふらく。子よ、汝が聞きたる事の
されど汝の
かの聖なる魂
あたかも疑ひをいだく者が、智あり徳あり愛ある人の教へを
わが父よ、我よく時の我に打撃を與へんとてわが
是故にわれ先見をもて身を
後また光より光に移りつゝ天を
されど我もし眞理に
かのわが寶のほゝゑむ姿を包みし光は、まづ日の光にあたる
かくて答ふらく。己が罪または
しかはあれ、一切の
汝の聲はその
汝の叫びの爲す所あたかも
是故にこれらの天にても、かの山にても、またかの
そは例を引きてその根知られずあらはれず、
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我を神のみもとに導きゐたる淑女いひけるは。思ひを變へよ、一切の
我はわが
これ我自らわが
かの
ベアトリーチェを直ちに照らせる
一の
情もし魂を悉く占むるばかりに強ければ、目に現はるゝことまゝ世に
かくの如く、我はわがふりかへりて見し聖なる光の輝の中に、なほしばし我と語るの意あるを認めき 二五―二七
このものいふ。頂によりて生き、常に實を結び、たえて葉を失はぬ木のこの第五座に 二八―三〇
福なる諸

是故にかの十字架の
ヨスエの名いはるゝや、我は忽ち一の光の十字架を傳ひて動くを見たり、げに
尊きマッカベオの名とともに、我はいま一の光の

またカルロ・マーニョとオルランドとの呼ばれし時にも、我は心をとめて他の二の光を見、
後またグイリエルモ、レノアルド、
かくて我に物言へる魂、他の光の間に移り
われ身をめぐらして右に向ひ、ベアトリーチェによりて、その
姿
また善を行ふにあたり心に感ずる喜びのいよ/\大いなるによりて、人己が徳の進むを日毎に自ら知るごとく 五八―六〇
我はかの

しかして色白き女が、その顏より
われ
我見しに、かのジョーヴェの
しかしてたとへば岸より立ちさながら己が
諸


かれらはまづ歌ひつゝ己が
あゝ
願はくは汝の光をもて我を照らし我をして彼等の
さてかれらは七の五倍の母字子字となりて顯はれ、我はまた一部一部を、その言顯はしゝ次第に從ひて、心に
かくて第五の
我またMの頂の處に他の諸

かくてあたかも燃えたる薪を打てば數しれぬ火花出づる(愚者これによりて
かしこより千餘の光出で、かれらを燃す日輪の定むるところに從ひて、或者高く或者少しく昇ると見えたり 一〇三―一〇五
しかして各その處にしづまりしとき、我はかの飾れる火が一羽の鷲の
そも/\かしこに畫く者はこれを導く者あるにあらず、彼自ら導く、かれよりぞ巣を作るの
さて他の聖者の
あゝ麗しき星よ、世の正義が汝の飾る天の力にもとづくことを我に明らかならしめしはいかなる珠いかばかり數多き珠ぞや 一一五―一一七
是故に我は汝の
血と殉教とをもて築きあげし
あゝわが視る天の
昔は
されど汝、たゞ消さんとて
うべ汝は曰はむ、たゞ獨りにて住むを好み、かつ
我は漁夫をもポロをも知らずと 一三六―一三八
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うるはしき樂しみのために悦ぶ魂等が相結びて造りなしゝかの美しき
かれらはいづれも小さき
しかしてわが今述べんとするところは、聲これを傳へ、墨これを
そは我見かつ聞きしに、
いふ。正しく慈悲深かりしため、こゝにはわれ今高くせられて、願ひに負けざる榮光をうけ 一三―一五
また地には、かしこの惡しき人々さへ
たとへば數多き
是においてか我直に。あゝ
請ふ語りてわが大いなる
我よく是を知る、神の正義天上の他の王國をその鏡となさば、汝等の王國も亦
汝等はわが聽かんと思ふ心のいかばかり深きやを知る、また何の疑ひのかく長く我を饑ゑしめしやを知る。 三一―三三
鷹その
神の
かくていふ。宇宙の
己が
しかして
されば彼に劣る一切の
是故に、萬物の中に滿つる
その
かゝれば汝等の世の享くる視力が無窮の正義に入りゆく
目は
生くる正義を汝に
汝
人間の理性の導くかぎり、その思ふ所
たゞ

聖書汝等の上にあらずば、げに我とともに事を究めんとつとむる者にいたく疑ふの
あゝ地上の動物よ、
凡て物の正しきはこれと和するの如何による、造られし善の中これを己が許に引く物一だになし、この善光を放つがゆゑにかの善生ず。 八八―九〇
餌を雛に與へ終りて
いと多き
さてめぐりつゝ歌ひ、かつ曰ふ。汝のわが歌を
ローマ
かの者またいふ。クリストが木に
されど見よ、クリスト、クリストとよばゝる人にて、
かゝる
汝等の王達の汚辱をすべて
そこにはアルベルトの
そこには
そこにはかのスコットランド
スパニアの王とボエムメの王(この人
イエルサレムメの
アンキーゼが
またかれのいみじき小人なるをさとらせんため、その記録には略字を用ゐて、
またいと
またポルトガルロの王とノルヴェジアの王とはかの
あゝ重ねて虐政を忍ばずばウンガリアは福なる哉、取卷く山を
またこの事の契約として、ニコシアとファマゴスタとが今既にその獸――他の獸の
嘆き叫ぶを人皆信ぜよ。
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全世界を照らすもの、わが半球より、遠くくだりて、晝いたるところに盡くれば 一―三
さきにはこれにのみ
かゝる天の
そはかの諸

あゝ

第六の光を飾る諸

我は清らかに石より石と傳ひ下りて己が源の
しかしてたとへば
かの鷲の
さてかしこに聲となり、かしこよりその嘴を過ぎ言葉の
我に曰ふ。わが身の一部、即ち物を見、かつ地上の鷲にありてはよく日輪に堪ふるところを今汝心して視るべし 三一―三三
そはわが用ゐて形をとゝなふ諸

今彼は、己が歌の徳――己が思ひよりこの歌のいでたるかぎり――をば、これにふさはしき
輪を造りて我眉となる五の火の中、わが
今彼は、クリストに從はざることのいかに貴き價を拂ふにいたるやを知る、そは彼この
またわがいへる圓のうちの
今彼は、
次なる者は、牧者に讓らんとて(その志善かりしかど結べる
今彼は、その善行より出でたる惡の、たとひ世を亡ぼすとも、己を
弓形
今彼は、天のいかばかり正しき王を慕ふやを知り、今もこれをその輝く姿に表はす 六四―六六
トロイア
今彼は、神の
まづ歌ひつゝ空に漂ふ
しかしてかしこにては我のわが疑ひにおけるあたかも

己が
かくてかの
我見るに、汝がこれらの事を信ずるは、わがこれを言ふが爲にてその所以を知れるに非ず、されば事信ぜられて猶隱る 八八―九〇
汝はあたかも物を名によりてよく
それ天の王國は、熱き愛及び生くる望みに侵さる、これらのもの
されどその
さて眉の中なる第一と第五の
かれらはその肉體を出るに當り汝の思ふ如く異教徒なりしに非ず、
即ちその

この生くる望みこそ、彼の甦りその思ひの移るをうるにいたらんため神に捧げまつれる祈りに力をえしめたりしなれ 一〇九―一一一
信じつゝ
また
その愛を世にてこと/″\く正義に向けたり、是故に
是においてか彼これを信じ、其後異教の
汝がかの右の輪の
あゝ
また汝等人間よ愼みて事を斷ぜよ、われら神を見る者といへども
而して我等かく
かくかの神の
しかしてたとへば巧みに琵琶を
(憶ひ出づれば)我は鷲の語る間、二のたふとき光が言葉につれて焔を動かし、そのさま
時
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はやわが目は再びわが淑女の顏に
この時淑女ほゝゑまずして我に曰ふ。我もしほゝゑまば、汝はあたかも灰となりしときのセーメレの如くになるべし 四―六
これ
われらは擧げられて第七の輝の中にあり、こは燃ゆる獅子の胸の下にてその力とまじりつゝ今下方を照らすもの 一三―一五
汝
我わが思ひを變へしそのとき、かのたふとき姿のうちにわが目いかなる喜びをえしや、そを知る者は 一九―二一
世界のまはりをめぐりつゝその
我は一の
我また

自然の
後或者は
むらがり降れるかの
しかして我等にいと近く止まれる光
されど
是時淑女、萬物を見る者に照らして、わが
我即ち曰ひけるは。わが功徳は我をして汝の答を得しむるに足らず、されど問ふことを我に許す淑女の故によりて請ふ 五二―五四
己が悦びの中にかくるゝ尊き
また天堂の

答へて我に曰ふ。汝の耳は目の如く人間のものなるがゆゑに、ベアトリーチェの
聖なる
またわが
たゞ我等をば宇宙を治め給ふ
我
されど何故に汝の
わが未だ
かくして後そのうちの愛答ふらく。我を包む光を貫いて神の光わが上にとゞまり 八二―八四
その力わが
この見ることこそ我を輝かす悦びの
されどいと強く天にかゞやく魂も、目をいとかたく神にとむるセラフィーノも、汝の願ひを滿すをえじ 九一―九三
これ汝の尋ぬる事は
汝歸らばこれを人の世に傳へ、かゝる
こゝにては光る心も地にては
これらの言葉我を
イタリアの二の岸の間、汝の
一の峰を成す、この峰カートリアと呼ばれ、これが下にはたゞ
かの者
默想に心を
昔はかの僧院、これらの天のため、
我はかしこにてピエートロ・ダミアーノといひ、アドリアティコの岸なるわれらの淑女の家にてはピエートロ・ペッカトルといへり 一二一―一二三
餘命
チエファスの來るや、聖靈の大いなる
しかるに
かれらまたその
かくいへる時、我は多くの焔が
かくてかれらはこの焔のほとりに來り止まりて叫び、世に
されど我はその
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この時淑女、あたかも
我に曰ふ。汝は汝が天に
かの叫びさへかくまで汝を動かせるに、歌とわが笑とは、汝をいかに變らしめけむ、今汝これを
もしかの叫びの祈る所をさとりたりせば、汝はこれにより、汝の死なざるさきに見るべき刑罰を、既に知りたりしものを 一三―一五
そも/\天上の
されど汝今身を
彼の好むごとく我は目を向け、百の小さき球の
我はさながら過ぐるを恐れて願ひの刺戟を
かの眞珠のうちの
かくて聲その
されど汝が、待つことにより、たふとき
坂にカッシーノある山にては、
しかして我等をいと高うする眞理をば地に
またいと深き
さてこれらの火は皆默想に心を寄せ、聖なる花と實とを生ずる熱によりて
こゝにマッカリオあり、こゝにロモアルドあり、またこゝに足を僧院の内に止めて道心
我彼に。我と語りて汝が示す所の愛と汝等のすべての焔にわが見て心をとむる
わが信頼の念を伸べ、そのさま日の光が薔薇を
是故に父よ汝に請ふ、われ大いなる
是においてか彼。兄弟よ、汝の尊き願ひは最後の球にて
かしこにては
そはこれ場所を占むるにあらず、軸を
族長ヤコブその頂の高くかしこに到るを見たり、こはこれがいと多くの天使を載せつゝ彼に現はれし時なりき 七〇―七二
然るに今はこれに登らんとて地より足を離す者なし、わが
僧坊たりしむかしの壁は巣窟となりぬ、
げに不當の高利といふとも、神の
そは寺院の
そも/\人間の肉はいと弱し、されば世にては、善く始められし事も、
ピエルは金銀なきに、我は祈りと
汝これらのものゝ
しかはあれ、神の
かく我に曰ひて後、かれその侶に加はれり、侶は互に寄り近づけり、しかして全衆あたかも旋風の如く上に昇れり 九七―九九
うるはしき淑女はたゞ一の
また人の
讀者よ(願はくはかの聖なる凱旋にわが歸るをえんことを、我これを求めて屡

わがかの金牛に續く天宮を見てその内に入りしごとく早くは汝
あゝ榮光の星よ、大いなる力滿つる光よ、我は汝等よりわがすべての才(そはいかなるものなりとも)の出づるを認む 一一二―一一四
我はじめてトスカーナの空氣を吸ひし時、一切の滅ぶる
後ゆたかなる
汝等にこそわが魂は、これを己が
ベアトリーチェ曰ふ。汝は汝の目を
されば汝が未だこれに入らざるさきに、
これ凱旋の
われ目を戻して七の天球をこと/″\く望み、さてわが球のさまを見てその劣れる姿のために
しかしてこれをばいと賤しと判ずる心を我はいと善しと認む、思ひを他の物にむくる人はげに
我はラートナの
イペリオネよ、こゝにてわが目は汝の子の姿に
次に父と子との間にてジョーヴェの
しかして
われ不朽の雙兒とともにめぐれる間に、人をしていと
かくて後我は目をかの美しき目にむかはしむ 一五四―一五六
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物見えわかぬ
かれらの慕はしき姿を見、かつかれらに
時ならざるに梢にいたり、曉の生るゝをのみうちまもりつゝ、燃ゆる思ひをもて日を待つごとく 七―九
わが淑女は、
されば彼の待ち
されど彼と此との二の時、即ちわが待つことゝ天のいよ/\
ベアトリーチェ

淑女の顏はすべて燃ゆるごとく見え、その目にはわが語らずして
我は
しかしてかの光る者その生くる光を貫いていと
あゝベアトリーチェわがうるはしき慕はしき導者よ、彼我に曰ふ。汝の視力に勝つものは、防ぐに
こゝにこそ、
たとへば火が雲の
わが心はかの諸

いざ目を

我はあたかも忘れし夢をその名殘によりて心に浮べんといたづらに
たとひポリンニアとその姉妹達とがかれらのいと甘き乳をもていとよく養ひし諸

我を助くとも、聖なる
是故に天堂を描く時、この聖なる詩は、
されど
この勇ましき
汝何ぞわが顏をのみいたく慕ひて、クリストの光の
かしこに薔薇あり、こはその

ベアトリーチェかく、また我は、その
日の光
かくの如く、燃ゆる光に上より照らされて輝く者のあまたの
あゝかくかれらに
あさなゆふなわが常に呼びまつる美しき花の名を聞き、我わが魂をこと/″\くあつめて、いと大いなる火をみつむ 八八―九〇
しかして下界にて秀でしごとく天上にてもまた秀づるかの生くる星の質と量とがわが二の目に描かれしとき 九一―九三
天の奧より冠の如き
世にいと
かの美しき
われはこれ天使の愛なり、われらの願ひの
我はめぐらむ、天の淑女よ、汝
めぐりつゝかくうたひをはれば、他の光はすべてマリアの
宇宙の諸天をこと/″\く蔽ひ、神の
その
冠を戴きつゝ己が子のあとより昇れる焔に、わが目ともなふあたはざりき 一一八―一二〇
しかしてたとへば、乳を吸ひし後、愛燃えて
これらの光る火、いづれもその焔を
かくてかれらはレーギーナ・コイリーをうたひつゝわが
あゝこれらの
こゝにはかれらそのバビローニアの
こゝにはいと大いなる榮光の鑰を保つ者、神の、またマリアの尊き子の
その
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あゝ尊き
神の
心をかれのいと深き願ひにとめ、少しくかれを露にて
ベアトリーチェかく、またかの喜べる魂等は、動かざる軸の
しかして

これらの球は、或は速く或は遲くさま/″\に舞ひ、我をしてかれらの富を
さていと美しと我に見えし球の中より一の火出づ、こはいと福なる火にて、かしこに殘れる者一としてこれより
この火歌ひつゝベアトリーチェの
是故にわが筆

あゝかくうや/\しくわれらに請ふわが聖なる姉妹よ、汝の燃ゆる愛によりて汝は我をかの美しき球より解けり。 二八―三〇
かの福なる火は、止まりて後、
この時淑女。あゝわれらの主がこの
彼善く愛し善く望みかつ信ずるや否や、汝これを知る、そは汝目を
されどこの王國が民を得たるは
あたかも學士が、師の問を
我はかゝる問者に答へかつかゝる告白をなすをえんため、淑女の語りゐたる間に、一切の
いへ、良き
後ベアトリーチェにむかへば、かれ直に我に示してわが心の泉より水を注ぎいださしむ 五五―五七
我曰ふ。大いなる
かくて續いて曰ふ。父よ、汝とともに、ローマを正しき路に就かせし汝の愛する兄弟の、
信仰とは望まるゝ物の基見えざる物の
是時聲曰ふ。汝の思ふ所正し、されど彼が何故にこれをまづ基の中に置き、後
我即ち。こゝにて我にあらはるゝもろ/\の奧深き事物も、全く下界の目にかくれ 七〇―七二
かしこにてはその在りとせらるゝことたゞ信によるのみ、人この信の上に高き望みを築くがゆゑに、この物即ち基に當る 七三―七五
また人
是時聲曰ふ。凡そ教へによりて世に知らるゝものみなかくの如く
かくかの燃ゆる愛
されどいへ、汝はこれを己が財布の中に
この時、かしこに輝きゐたるかの光の奧より聲出でゝいふ。一切の徳の
そも/\いづこより汝の
これが
聲
我。この眞理を我に現はす所の

聲我に答ふらく。いへ、これらの業の行はれしを汝に定かならしむるものは誰ぞや、他なし、自ら
我曰ふ。奇蹟なきに世キリストの教へに
そは汝、貧しく、
かくいひ終れる時、尊き聖なる

しかして
重ねて曰ふ。汝の心と
我は出でしものを
我曰ふ。あゝ聖なる父よ、墓の
汝は我にわがとくいだける信の本體をこゝにあらはさんことを望み、かつまたこれがゆゑよしを問ふ 一二七―一二九
わが答は是なり、我は
しかして、かゝる信仰に對しては、我に物理哲理の

及び汝等即ち燃ゆる靈に淨められし後
我また
わがいふところの奧深き神のさまをば、福音の教へいくたびもわが心に印す 一四二―一四四
是ぞ源、是ぞ火花、後延びて強き炎となり、あたかも
己を悦ばす事を聞く
かの使徒の光――我に命じて語らしめし――は、わが默しゝ時、直ちに歌ひて我を祝しつゝ、三
わが
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年久しく我を
かしこに
その時我は變れる聲と變れる毛とをもて詩人として歸りゆき、わが
そは我かしこにて、魂を神に知らすものなる信仰に入り、後ピエートロこれが爲にかくわが
クリストがその代理者の
わが淑女いたく悦びて我にいふ。見よ、見よ、かの
鳩その

我はひとりの大いなる貴き君が他のかゝる君に迎へられ、かれらを
されど
是時ベアトリーチェ
望みをばこの高き處に響き渡らすべし、汝知る、イエスが、己をいとよく
この勵ます

汝をしてこの王宮の
その望みの何なりや、いかに汝の心に咲くや、またいづこより汝の許に來れるやをいへ。第二の光續いてさらにかく曰へり 四六―四八
わが翼の羽を導いてかく高く飛ばしめしかの慈悲深き淑女、是時我より先に答へていふ 四九―五一
わが軍を
是故にかれは、その
さて
我是を彼に
あたかも弟子が、その
我曰ひけるは。望みとは未來の榮光の
この光多くの星より
かれその聖歌の中にいふ、
かれの
わが語りゐたる間、かの火の生くる

かくていふ。
我に
我。新舊二つの
イザヤは、かれらいづれも己が
また汝の兄弟は、
かくいひ終れる時、スペーレント・イン・テーまづわれらの上に聞え、舞ふ者こと/″\くこれに和したり 九七―九九
次いでかれらの中にて一の光いと強く輝けり、げにもし巨蟹宮に一のかゝる水晶あらば、冬の
またたとへば喜ぶ
かの輝く光は、己が燃ゆる愛に應じて圓くめぐれる二の光の
かくてかしこにて歌と節とを合はせ、またわが淑女は、
こは昔われらの
わが淑女かく、されどその
瞳を定めて、日の少しく
わがかの最後の火におけるもまたかくの如くなりき、是時聲曰ふ。汝何ぞこゝに在らざる物を視んとて汝の目を
わが肉體は土にして地にあり、またわれらの
二
かくいへるとき、焔の舞は、三の
さながら水を掻きゐたる
あゝわが心の亂れいかなりしぞや、そは我是時身を
見るをえざりければなり ―一四一
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わが視力の盡きしことにて我危ぶみゐたりしとき、これを盡きしめしかの輝く焔より一の聲出でゝわが心を惹けり 一―三
曰ふ。我を見て失ひし目の
さればまづ、いへ、汝の魂
そは汝を導いてこの聖地を過ぐる淑女は、アナーニアの手の
我曰ふ。
さてこの王宮を
目の俄にくらめるための恐れを我より取去れるその聲、我をして重ねて語るの意を起さしむ 一九―二一
その
我。哲理の論ずる所によりまたこゝより降る權威によりて、かゝる愛は、我に
これ善は、その善なるかぎり、知らるゝとともに愛を
されば己の外に存する善がいづれもたゞ己の光の一
この
我に凡ての
汝も亦、かの尊き
是時聲曰ふ。人智及びこれと相和する權威によりて、汝の愛のうちの
されど汝は、神の
クリストの鷲の聖なる思ひ隱れざりき、
即ちまたいひけるは。齒をもて心を神に向はしむるをうるもの、みなわが愛と結び合へり 五五―五七
そは宇宙の存在、我の存在、我を活かしめんとて彼の受けし死、及び凡そ信ずる人の我と等しく望むものは 五八―六〇
先に述べし生くる認識とともに、我を
我
鋭き光にあへば、物視る靈が、膜より膜に進み入るその輝に馳せ向ふため、眠り覺まされ 七〇―七二
覺めたる人は、判ずる力己を助くるにいたるまで、己が俄にさめし次第を知らで、その視る物におびゆるごとく 七三―七五
ベアトリーチェは、千
我は是時前よりもよく見るをえて、第四の光のわれらとともにあるを知り、いたく驚きてこれが事を問へり 七九―八一
わが淑女。この光の中には、第一の力のはじめて造れる第一の魂その
たとへば風過ぐるとき、枝はその
我は彼の語れる間、いたく
曰ひけるは。あゝ熟して結べる
我いとうや/\しく汝に
獸包まれて身を
かくの如く、第一の魂は、いかに悦びつゝわが望みに添はんとせしやを、その
かくていふ。汝我に言現はさずとも、わが汝の願ひを知ること、およそ汝にいと明らかなることを汝の知るにもまさる 一〇三―一〇五
こは我これを
汝の聞かんと欲するは、この淑女がかく長き
これがいつまでわが目の樂なりしやといふ事、大いなる
さて我子よ、かの大いなる
我は汝の淑女がヴィルジリオを
また地に住みし間に、我は日が九百三十回、その道にあたるすべての光に歸るを見たり 一二一―一二三
わが用ゐし言葉は、ネムブロットの
そは人の好む所天にともなひて改まるがゆゑに、理性より生じてしかして

わが未だ地獄に降りて苦しみをうけざりしさきには、我を
その後
かの波の上いと高く
第六時に次ぐ時までの間なりき。 ―一四四
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父に子に聖靈に榮光あれ。天堂
わが見し物は宇宙の
あゝ樂しみよ、あゝいひがたき歡びよ、あゝ愛と平和とより成る
わが目の前には
かつその姿を改めぬ、
わが聞ける
わが地位、わが地位、わが地位(神の子の
わが
是時我は、日と
しかしてたとへばしとやかなる淑女が、心に
ベアトリーチェは
かくてピエートロ、
抑

我に
我を印の

こゝ天上より眺むれば、牧者の衣を着たる
カオルサ
されど思ふに、シピオによりローマに世界の榮光を保たしめたる尊き攝理、直ちに助け給ふべし 六一―六三
また子よ、汝は肉體の重さのため再び下界に歸るべければ、口を
日輪天の
我はかの飾れる精氣より、さきにわれらとともにかしこに止まれる
わが目はかれらの姿にともなひ、
是においてか淑女、わが仰ぎ見ざるを視、我にいふ。目を

我見しに、はじめわが見し時より
さればガーデのかなたにはウリッセの
日輪もし一天宮餘を

たえずわが淑女と契る
げに自然や
すべて合はさるとも、わが彼のほゝゑむ顏に向へるとき我を照らしゝ聖なる樂しみに此ぶれば物の數ならじと見ゆべし 九四―九六
しかしてかく見しことよりわが受けたる力は、我をレーダの美しき巣より引離して、いと
これが各部皆いと強く輝きて高くかつみな同じ
されど淑女は、わが願ひを見、その顏に神の悦び現はると思ふばかりいとうれしくほゝゑみていふ 一〇三―一〇五
中心を
またこの天には
一の圈の光と愛これを容るゝことあたかもこれが他の諸

またこれが運行は他の運行によりて
されば時なるものが、その根をかゝる鉢に保ち、葉を他の諸

あゝ慾よ、汝は人間を深く汝の下に沈め、ひとりだに汝の波より目を
意志は人々のうちに
信と純とはたゞ
片言をいふ間母を愛しこれに從ふ者も、
かくの如く、
汝これを
されど第一月が、世にかの百

待ちに待ちし嵐起りて、
かくてぞ花の後に
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我をして心を天堂に置かしむる淑女、
我はあたかも、見ず思はざるさきに己が
玻

人の如く(記憶によりて思ひ出づれば)、かの美しき目即ち愛がこれをもて
かくてふりかへり、人がつら/\かの天のめぐるを視るとき常にかしこに現はるゝものわが目に觸るゝに及び 一三―一五
我は鋭き光を放つ一點を見たり、げにかゝる光に照らされんには、いかなる目も、そのいと鋭きが爲に閉ぢざるをえじ 一六―一八
また世より
また是は第二の輪に、第二は第三、第三は第四、第四は第五、第五は第六の輪に卷かる 二八―三〇
第七の輪これに續いて
第八第九の輪また然り、しかしていづれもその

また清き火花にいと近きものは、これが
わがいたく思ひ
見よこれにいと近き輪を、しかして知るべし、その

我彼に。宇宙もしわがこれらの輪に見るごとき次第を
されど官能界にありては、諸

是故にこの
汝の指かゝる
わが淑女かく、而して又曰ふ。もし飽くことを願はゞ、わが汝に告ぐる事を聽き、才を鋭うしてこれにむかへ 六一―六三
それ諸

徳大なればその生ずる
是においてか己と共に殘の宇宙を悉く
是故に汝の
汝はいづれの天も、その天使と――即ち大いなるは優れると、小さきは劣れると――
ボーレアがそのいと
さきにこれを曇らせし霧拂はれ消えて、天その隨處の美を示しつゝほゝゑむにいたる 八二―八四
わが淑女がその明らかなる答を我に與へしとき、我またかくの如くになり、
しかしてその

火花は各

我は彼等がかれらをその常にありし處に保ちかつ
淑女わが心の中の疑ひを見て曰ふ。
かれらのかく速に己が絆
かれらの

汝知るべし、一切の智の休らふ處なる
かゝれば
また、見る事の
同じくこの
この組の中には
次で

これらの位みな
さてディオニージオは、心をこめてこれらの位の事を思ひめぐらし、わがごとくこれが名をいひこれを別つにいたりたり 一三〇―一三二
されどその後グレゴーリオ彼を離れき、是においてか目をこの天にて開くに及び、自ら顧みて
またたとひ人たる者がかくかくれたる
他の多くの
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ラートナのふたりの子、白羊と
天心が
ベアトリーチェは、わが目に勝ちたるかの一點をつら/\視つゝ、
かくて曰ふ。汝の聞かんと願ふことを我問はで告ぐ、そは我これを一切の處と時との集まる點にて見たればなり 一〇―一二

時を

またその先にも、爲すなきが如くにて休らひゐざりき、そはこれらの水の上に神の動き給ひしは、
形式と物質と、或は合ひ或は離れて、あたかも
しかして光が、

かの
また時を同じうしてこの三の物の間に秩序は造られ立てられき、而して純なる作用を授けられしもの宇宙の頂となり 三一―三三
純なる勢能
イエロニモは、天使達がその餘の宇宙の造られし時より幾百年の久しきさきに造られしことを
わがいふ
また理性もいくばくかこの

今や汝これらの愛の、いづこに、いつ、いかに造られたりしやを知る、されば汝の願ひの中
その餘の天使は、殘りゐて、汝の見るごとき

墮落の
またこゝに見ゆる天使達は、
汝疑ふなかれ、信ぜよ、
汝もしわが
されど地上汝等の諸

我さらに語り、汝をして、かゝる教へにおける言葉の明らかならざるため下界にて
そも/\これらの者は、神の
是故にその見ること新しき物に
されば世にては人眠らざるに夢を見つゝ、或は
汝等世の人、
されどこれとても、神の
かの
各

ひとりいふ、クリストの受難の時は、月
またひとりいふ、こは光の自ら隱れしためなり、されば
ラーポとビンドいかにフィオレンツァに多しとも、
是故に何をも知らぬ羊は、風を食ひて牧場より歸る、また己が禍ひを見ざることも彼等を罪なしとするに足らじ 一〇六―一〇八
クリストはその最初の弟子達に向ひ、往きて
この礎のみぞかれらの
今や
されど帽の
是においてかいと
聖アントニオは(
されど我等主題を遠く離れたれば、今目を
それ天使は
汝よくダニエールの現はしゝ事を思はゞ、その幾千なる
彼等はかれらをすべて照らす第一の光を受く、但し受くる

是においてか、情愛は
見よ今
一たるを失はざること始めの如くなればなり。 一四五―一四七
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第六時はおよそ六千
いたれば、いや高き天の
かくて日のいと
己が包むものに包まると見えつゝわが目に勝ちし一點のまはりに
次第に消えて見えずなりき、是故に何をも見ざることゝ愛とは、我を
たとひ今にいたるまで彼につきていひたる事をみな一の讚美の中に含ましむとも、わが
わが見し美は、
げに
そは日輪の、いと弱き視力におけるごとく、かのうるはしき微笑の記憶は、わが心より心その物を掠むればなり 二五―二七
この世にはじめて彼の顏を見し日より、かく視るにいたるまで、我たえず歌をもてこれにともなひたりしかど 二八―三〇
今は歌ひつゝその美を追ひてさらに進むことかなはずなりぬ、いかなる藝術の士も力盡くればまたかくの如し 三一―三三
さてかれは、かく我をしてわが
この光は智の光にて愛これに
汝はこゝにて天堂の
俄に

生くる光わが身のまはりを照らし、その

この天をしづむる愛は、常にかゝる
これらのつゞまやかなる言葉わが耳に入るや否や、我はわが力の常よりも増しゐたるをさとりき 五五―五七
しかして新しき視力わが
さて我見しに、河のごとき形の光、
この流れよりは、諸

かくて香に醉へるごとく再び
汝が見る物のことを知らんとて今汝を燃しかつ
されどかゝる
さらに加ふらく。河、入り出る諸

こはこれらの物その物の
常よりもいと遲く目を覺しゝ
目をば
しかしてわが
かくてあたかも
花も火もさらに大いなる悦びに變り、我はあきらかに二組の天の
あゝ
かしこに光あり、こは
その
そが見ゆるかぎりはみな、プリーモ・モービレの頂より
しかして
すべてわれらの
そのいと低き
わが
近きも遠きもかしこにては加へじ
ベアトリーチェは、あたかも物言はんと思ひつゝ言はざる人の如くなりし我を
見よわれらの都のその
かの大いなる座、即ちその上にはや置かるゝ冠の爲汝が目をとむる座には、汝の未だこの
尊きアルリーゴの魂(下界に帝となるべき)坐すべし、彼はイタリアを直くせんとてその備へのかしこに成らざる先に行かむ 一三六―一三八
汝等は無明の慾に迷ひ、あたかも死ぬるばかりに
しかして
されど神がこの者に聖なる
かのアラーエア

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クリストの己が血をもて
されど殘の
蜂の一
かのいと多くの
かれらの顏はみな生くる焔、翼は
席より席と花の中にくだる時、かれらは脇を
またかく大いなる
そは神の光宇宙をばその功徳に準じて
この安らけき樂しき國、
あゝ
未開の人々、エリーチェがその
ローマとそのいかめしき
人の世より神の世に、時より永劫に、フィオレンツァより、正しき
しかして巡禮が、その誓願をかけし
我は目をかの生くる光に馳せつゝ、諸

神の光や己が


おしなべての天堂の形をわれ既に悉く認めたれど、未だそのいづれのところにも目を
かくて新しき願ひに燃され、我はわが心に疑ひをいだかしめし物につきてわが淑女に問はんため身をめぐらせるに 五五―五七
わが
目にも頬にも仁愛の悦びあふれ、その姿は、やさしき父たるにふさはしきまで慈悲深かりき 六一―六三
彼
汝仰ぎてかの
我答へず、目を擧げて淑女を見しに、
人の目いかなる海の
わが目の
あゝわが望みを強うする者、わが救ひのために忍びて己が
わが見しすべての物につき、我は
汝は
汝の
我かく
聖なる翁曰ふ。汝の
目を
またわが全く燃えつゝ愛する天の女王、われらに一切の
わがヴェロニカを見んとて
これが示さるゝ間、心の中にていはむ、わが主ゼス・クリスト
彼曰ふ。
されば諸

われ目を擧げぬ、しかしてたとへば
我は目にて(溪より山は行くかとばかり)
またたとへば、フェトンテのあつかひかねし車の
かの平和の
しかしてかの
われたとひ想像におけるごとく言葉に富むとも、その樂しさの
ベルナルドは、その燃ゆる愛の
わが目をしていよ/\見るの願ひに燃えしむ 一四二―一四四
[#改ページ]
愛の目を己が悦びにとめつゝ、かの
マリアの
第三の座より成る列の中、この女の下には、汝の見るごとく、ラケールとベアトリーチェと坐す 七―九
サラ、レベッカ、ユディット、及び己が
列より列と次第をたてゝ下に坐するを汝見るべし(我その人々の名を擧げつゝ
また第七の
そは信仰がクリストを見しさまに從ひ、かれらはこの聖なる

またこなたには、天の淑女の榮光の座とその下の諸

彼の下にフランチュスコ、ベネデット、アウグスティーノ、及びその他の人々
いざ見よ神の
また知るべし、
汝よくかれらを見かれらに耳を傾けなば、顏や
今や汝

そは汝の視る一切の物、
されば急ぎて
いかなる願ひも敢てまたさらに望むことなきまで大いなる愛と悦びのうちにこの國をを
己が樂しき
しかしてこは定かに明らかに聖書に
是故にかゝる
さればかれらは、己が
世の未だ新しき頃には、罪なき事に加へてたゞ
第一の世終れる後には、
いざいとよくクリストに似たる顏をみよ、その輝のみ汝をしてクリストを見るをえしむればなり。 八五―八七
我見しに、諸

げに先にわが見たる物一としてこれの如く驚をもてわが心を奪ひしはなく、かく神に似しものを我に示せるはなし 九一―九三
しかしてさきに彼の上に降れる愛、
天の
あゝ
かのいたく喜びてわれらの女王の目に見入り、燃ゆと見ゆるほどこれを慕ふ天使は誰ぞや。 一〇三―一〇五
あたかも朝の星の日におけるごとくマリアによりて美しくなれる者の教へを、我はかく再び
彼我に。天使または魂にあるをうるかぎりの
そは神の子がわれらの荷を
されどいざわが語り進むにつれて目を移し、このいと正しき信心深き帝國の大いなる
かの高き處に坐し、皇妃にいと近きがゆゑにいと
左の方にて彼と並ぶは、
右なるは、聖なる寺院の古の父、この
また槍と釘とによりて得られし美しき
これが傍に坐し、左の者の傍には、恩を忘れ心
ピエートロと
また
されど汝の睡りの時
目を第一の愛にむけむ、さらば汝は、彼の
しかはあれ、汝己が翼を動かし、進むと思ひつゝ或ひは
汝を助くるをうる淑女の
かくいひ終りて彼この聖なる祈りをさゝぐ 一五一―一五三
[#改ページ]
人たるものを
汝の胎用にて愛はあらたに燃えたりき、その
こゝにては我等にとりて汝は愛の
淑女よ、汝いと大いにしていと強し、是故に
汝の厚き志はたゞ請ふ者をのみ助くるならで、自ら進みて求めに先んずること多し 一六―一八
汝に慈悲あり、汝に
今こゝに、宇宙のいと低き沼よりこの處にいたるまで、靈の三界を
伏して汝に請ひ、
また彼の見んことを己が願ふよりも深くは、己自ら見んと願ひし事なき我、わが祈りを悉く汝に捧げかつその足らざるなきを祈る 二八―三〇
願はくは汝の祈りによりて
我またさらに汝に請ふ、思ひの成らざるなき女王よ、かく見まつりて後かれの心を永く
願はくは彼を護りて世の雜念に勝たしめ給へ、見よベアトリーチェがすべての聖徒達と共にわが諸

神に
後
また我は凡ての望みの
ベルナルドは、我をして仰がしめんとて、
そはわが目明らかになり、本來
さてこの後わが見しものは人の言葉より大いなりき、言葉はかゝる姿に及ばず、記憶はかゝる大いさに及ばじ 五五―五七
我はあたかも夢に物を見てしかして醒むれば、餘情のみさだかに殘りて他は心に浮び來らざる人の如し 五八―六〇
そはわが見しもの殆んどこと/″\く消え、これより生るゝうるはしさのみ今猶心に
雪、日に溶くるも、シビルラの託宣、輕き
あゝ至上の光、いと高く人の思ひを超ゆる者よ、汝の現はれしさまをすこしく再びわが心に貸し 六七―六九
わが舌を強くして、汝の榮光の
そはいさゝかわが記憶にうかび、すこしくこの詩に響くによりて、汝の勝利はいよ/\よく知らるゝにいたるべければなり 七三―七五
わが堪へし
想ひ出れば、我はこのためにこそ、いよ/\心を
あゝ我をして視る力の盡くるまで、
我見しに、かの光の奧には、
實在、偶在、及びその特性相
萬物を
たゞ一の
さてかくわが心は全く奪はれ、固く
かの光にむかへば、人甘んじて身をこれにそむけつゝ他の物を見るをえざるにいたる 一〇〇―一〇二
これ意志の
今やわが
わが見し生くる光の中にさま/″\の姿のありし爲ならず(この光はいつも昔と變らじ) 一〇九―一一一
わが視る力の見るにつれて強まれるため、たゞ一の姿は、わが變るに從ひ、さま/″\に見えたるなりき 一一二―一一四
高き光の奧深くして
その一はイリのイリにおけるごとく他の一の光をうけて返すと見え、第三なるは
あゝわが
あゝ
同じ色にて、その内に、人の
あたかも力を盡して圓を
我はかの
わが翼これにふさはしからざりしに、この時一の光わが心を射てその願ひを滿たしき 一三九―一四一
さてわが高き想像はこゝにいたりて力を缺きたり、されどわが願ひと思ひとは

日やそのほかのすべての星を動かす愛に。 一四五―一四七
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註
(地、は『神曲(地獄篇)』。淨、は『神曲(淨火篇)』。天、は『神曲(天堂篇)』の略)ダンテ、ベアトリーチェとともに第一天(月)にむかひて昇り、みちすがら淑女の教へを聽く
一―三
〔動かす者〕神(淨、二五・七〇及び『コンヴィヴィオ』三・一五・一五五以下參照)
〔一部に〕神の榮光はいたらぬくまなし、されど受くる者の力に從ひその受くる光に多少あり
四―六
〔天〕エムピレオの天(ダンテがカン・クランデに與ふる書四三八行以下參照)
〔知らず〕知らざるは忘るればなり、えざるは言葉及ばざれはなり(同上、五七三―五行參照)
七―九
〔己が願ひ〕神。我等の智その終極の目的なる神に近きがゆゑに神を見、神を知らんとて奧深く進み入るなり
一三―一五
〔アポルロ〕アポロン、ゼウスとレトの間の子(淨、二〇・一三〇―三二註參照)、こゝにては詩の神として
〔愛する桂〕アポロン、河神ペネウスの女なるニンファ、ダフネを慕ひてこれを追ふ、ダフネその及ばざるを見、救ひを己が父に請ひ遂に化して桂樹となる。アポロン即ちその枝を抱き樹に

一六―一八
地獄、淨火の二篇においてはムーサの助けのみにて足りしかど、天堂篇においてはこれに加へてさらにアポロンの助けを借らざるべからず、これ詩題のいよ/\聖にしていよ/\難きによりてなり
〔一の巓〕パルナーゾ(パルナッソス)(淨、二・六四―六註參照)に二の峯あること神話に見ゆ(『メタモルフォセス』一・三一六以下等)されどダンテがその一をムーサの、他をアポロンのとゞまる所とせしは、やゝ中古の傳説と異なれり
一九―二一
マルシュアスに勝ちし時のごとき美妙の樂をダンテに奏せしめよとの意。「
〔マルシーア〕フリュギアのサテュロス、マルシュアス。アテナの棄てし笛を拾ひてこれを吹き、遂にアポロンと技を競べんことを求む。アポロン琴を彈じ歌をうたひてこれに勝ち、その僭上を
二二―二四
〔汝我をたすけ〕原、「汝己を我に貸し」
二五―二七
〔詩題と汝〕詩題の崇高と汝の祐助
二八―三〇
〔チェーザレ〕皇帝。桂はまた凱旋のしるしとして、皇帝武將等の冠となれり
〔人の思ひの〕人、俗情に役せられ、かゝる榮冠をうるにいたること甚だ
三一―三三
〔ペネオの女の葉〕桂の葉。ペネオはペネウス。
〔デルフォの神〕アポロン。デルポイ(デルフォ)はパルナッソスの麓の町にてアポロンの聖地なり。スカルタッツィニ曰く、「詩は形さま/″\なれどおしなべて人間の慰藉となるものなれば、悦び多しといへるなり」と(?)桂冠を望み求むるものあれば、アポロンの喜び愈

三四―三六
〔小さき火花に〕ダンテの詩に勵まされてダンテよりもさらに大いなる詩人いで、アポロンの助けにより、さらによく天堂の歌をうたふことあるべきをいへり
〔チルラ〕アポロン。但しパルナッソスの二の峯の名一定せざれば、ダンテがキルラ(チルラ)をその一と見做してかく曰へるか、或ひはパルナッソスより程遠からぬキルラの町(同じくアポロンの聖地)を指して曰へるか明らかならず
三七―三九
〔世界の燈〕太陽。四時の變遷に從つて地平線上多くの異なる點よりあらはる
〔四の圈〕春分に至れば太陽は四の圈即ち地平線、黄道、赤道、及び二分徑圈相交叉して三の十字を造る一點よりいづ(ムーア『ダンテ研究』第三卷六〇頁以下參照)
註釋者或ひは曰。四の圈は四大徳(淨、一・二二―四註參照)の象徴にて三の十字は教理の三徳の象徴なりと
四〇―四二
〔道まさり〕春日は四季を通じて最も樂しく麗はしければ
〔星〕白羊宮の星。そのまさるは地上に及ぼす影響の善きをいふ、天地の創造せられし時、太陽は白羊宮にありてその運行を始めしなり(地、一・三七―四五註參照)
〔世の蝋〕太陽が光熱によりてその力を世に及ぼしこれに活力を與へこれを幸ならしむることの愈

四三―四五
〔かしこ〕野火
〔こゝ〕わが世界
〔殆ど〕太陽白羊宮にあれども、はや春分(三月二十一日)を過ぎて北に向へるがゆゑにかくいへり(今は四月十三日)
〔かの半球〕南半球。今は淨火の正午
〔その他〕北半球。イエルサレムの夜半
ダンテが樂園にエウノエの水を飮みしは正午の事なり(淨、三三・一〇三―五)、しかして水を飮みて後直ちに月天に向へるなり(スカルタッツィニ註參照)、さればこの一聯の前半は單に日出時の太陽の位置をいへるものにて天に昇らんとするの時をいへるものにはあらず
ダンテは日暮れて後(絶望を表はす)地獄に入り、夜の明くる頃(希望を表はす)淨火に達し、正午(完全を表はす)に天に向ひて登れり(ムーアの『ダンテ研究』第二卷二六五頁參照)
四六―四八
〔左に〕東(淨、二九・一〇―一二、同三二・一六―八參照)より轉じて北に。南半球正午の太陽は東にむかふ者の左にあり
〔鷲〕その眼よく太陽を直視すと信ぜられたればなり
四九―五一
第一の光線は投射線にて第二の光線は反射線なり。光線光澤ある物體に當り反射して元に還ることあたかも目的地に達しゝ旅客の再び郷に歸るに似たり
五二―五四
ベアトリーチェが太陽を見しことダンテの同感に訴へ、ダンテまたこれに做ふにいたりたれば、前者の動作より後者のそれの生れしこと、なほ反射線の投射線より生るゝ如し
五五―五七
地上の樂園は神が永遠の幸福の契約として人類に與へ給ひし處なれば(淨、二八・九一―三參照)、かの地特殊の神恩により、北半球の世界にては人の爲し能はざる事にて樂園に爲すをうること多し。ダンテが太陽を直視しえしもその一例なり、こはいふまでもなく人の罪淨まりてよく神恩の光を仰ぐをうるの意を寓す
六一―六三
光の俄に増したるは既に樂園を離れて急速に昇りゐたればなり
〔者〕神
六四―六六
〔永遠の輪〕諸天
六七―六九
ダンテ未だ長く太陽を見るをえざれど、ベアトリーチェの姿を通じて神恩彼の上に注ぎ、彼を超人の境に入らしむ
〔グラウコ〕グラウコス。エウボイアの漁夫、嘗て海濱に置きたる魚が、あたりの草に觸るゝとともに俄に勢を得躍りて海に入るを見て自らまたその草を噛みしに、是時性情忽焉として變じ、續いて海に入りて海神となれり(『メタモルフォセス』一三・八九八以下參照)
七〇―七二
〔是故に〕神恩によりて他日かゝる超人の經驗を自ら有するにいたる人々今はたゞこのグラウコスの例をもて足れりとすべし
七三―七五
〔愛〕神
〔我は〕我はたゞわが靈魂のみにて天に昇れるか、
〔最後に造りし〕形體既に成りて後、神の
〔聖火〕ベアトリーチェの姿に映じゝ神恩の光
七六―七八
〔慕はる〕諸天の永遠に運行するは神を慕ひ、神と相結ばん爲なり(『コンヴィヴィオ』二・四・一九以下參照)
〔調〕運行によりて諸天の間に生ずる美妙の音調。ダンテは主としてキケロの説に據れり。頒つは諸天の間に頒つなり、整ふは各天各種の音をよく和合せしむるなり
七九―八一
註釋者曰。ダンテ既に火焔界に達したるが故に光の天に漲れるを見たりと。されどこの一聯によるも次に見ゆるベアトリーチェの説明によるも、ダンテが果して火焔界を意味せるや或ひはたゞ昇ること早く從つて太陽に近づくこと早きがゆゑにかくいへるや明らかならず、パッセリーニ(G.L.Passerini)註參照
八五―八七
〔我の未だ〕原文、「我の問はんとて(わが口を啓かざる)さきに」
九一―九三
〔己が處〕火焔界
〔これに〕汝の處に、即ち天に。人の魂天よりいでゝ天に歸るをいふ
九七―九九
〔輕き物體〕空氣と火
一〇三―一〇五
宇宙萬物は皆その間に秩序を有す、この秩序ありてこそ萬物調和し、はじめて茲に完全なる神の姿を現はすなれ
一〇六―一〇八
天使や人類の如き被造物は、この秩序において、神の大能及び大智の印跡を認む
〔目的と〕この秩序の終極の目的は神にあり、即ち萬物を神の如くならしむるにあり
一〇九―一一一
かゝる秩序の中に、凡ての被造物は皆その
一一二―一一四
萬物皆同じ程度において神に近づく能はず、その本能に導かれて各

〔存在の大海〕空間
一一五―一一七
この本能あるによりて火は地球と月との間なる火焔界に向ひて昇り、これあるによりて理智なき動物(滅ぶる心)もその生を營み、これあるによりて地球はその各部相結合して離るゝことなし(『コンヴィヴィオ』三・三・五―一三參照)
〔相寄せて〕重力によりて中心に向ふをいふ
一一八―一二〇
この本能(弓)は理智なきものにのみその作用を及ぼすに非ず、理智あるものにもこれを及ぼす
一二一―一二三
〔一の天〕エムピレオの天、至高充全の天にして動かず。いと疾くめぐる天はプリーモ・モービレ即ち第九天なり
一二四―一二六
〔的〕
〔弦の力〕本能の力
〔定れる場所〕安住所と定まれるところ
一二七―一二九
たとへば彫刻などにて、美術家の意匠すぐるともその用ゐる材がかゝる意匠を現はすに適せざるため、出來ばえ思はしからぬごとく
一三〇―一三五
神を求むる自然の傾向はなほ美術家のすぐれたる意匠の如し、僞りの快樂に誘はれて人その
〔かく促さる〕本能に促されて人自然に天を望めど
〔最初の刺戟〕即ち本能の刺戟。自由の意志の濫用によりて人を地に向はしむ
〔火〕電光。火本來の性質に背き、上昇せずして降下するなり
一三九―一四一
〔障礙〕罪の(淨、三三・一四二―五參照)
〔火〕火焔界以外にありては火の靜なる事なし。以上ベアトリーチェの言、多くトマス・アクイナスの『神學大全』の所説と一致す、今一々引照せず
第一天(月)に達し、ベアトリーチェまづダンテの爲に月面の斑點に關する原理を説く
一―三
天堂篇の充分なる理解は他の二篇に此し科學並びに宗教上さらに大いなる豫備知識を要求するがゆゑにダンテはこの曲最初の六聯において讀者に警戒を與へたり
四―六
汝等の知識の範圍内に汝等の研究の歩をとゞめ、それより先に進むなかれ、恐らくは力足らざるため汝等この天堂の歌をさとるをえじ
七―九
〔わがわたりゆく水〕我よりさきに天堂の歌をうたへる人なし
〔ミネルヴァ〕知慧の女神にて學藝の守護者たり。氣息を嘘くはその徳を風として船を進むるなり
一〇―一二
〔天使の糧〕この語ヴルガータに見ゆ(詩篇七七・二五)。靈の糧即ち眞の智の義なり(『コンヴィヴィオ』一・一・五一以下參照)。靈界の知識は世人の
〔項を擧げ〕心を向け
一六―一八
〔イアソン〕(地、一八・八五―七並びに註參照)、イアソン、コルキスにいたり、金の羊毛を與へんことを王アレイエテスに請ふ、王まづ彼をして焔の
〔勇士等〕アルゴナウタイ遠征隊に加はれる人々
一九―二一
〔神隨の〕deiforme 神に似たる。中山昌樹氏の譯語に據れり、神隨の王國はエムピレオの天なり
〔本然〕本能の力によりて慕ふ心
二二―二四
〔弦〕noce 弩弓の一部にて彎き張れる弦の當るところ
「止まる」目標に中りて止まるをいふ。原文、逆に「止まり、飛び、弦を離る」とあるは、いづれが早きかわけがたき程なるを表はせるなり、天、二二・一〇九―一一に、原文「指を引きて火に入れんや」とあるに同じ
二五―二七
〔奇しき物〕月球
二八―三〇
〔第一の星〕宇宙の中心にある地球より數へて第一に當る星、即ち月
三七―四二
ダンテもし肉體のまゝにて月球に入り而して月面に罅隙を生ぜざりしとせばこは全く不思議の現象にほかならず、二個の物體が同時にかつ同處に存在すること能はざるは是物理の通則なればなり、故にダンテはこの通則より推して、キリストの兼備へ給へる神人兩性の事に及び、これを見、これを知るの願ひ愈

四三―四五
神人の合一等すべて世上の人のたゞ信仰によりて
〔第一の眞理〕人智のおのづから眞と認むるもの、生得の觀念に照して眞と知るもの、自明の眞理
四九―五一
〔カイン〕月の斑點に關するカイン物語(地、二〇・一二四―六並びに註參照)
五二―五七
〔官能の〕官能の力によりて知るをえざる事物においては人思ひ誤るともあやしむに足らず、理性もしたゞ官能に信頼せば、超官能の現象に對しその作用を伸ぶること能はざれはなり
五八―六〇
月面に見ゆる斑點の原因を物質の粗密に歸しゝ説。『コンヴィヴィオ』に出づ(二、一四・六九以下)
六四―六六
〔第八の天球〕恒星天。この天にある多くの星(光)は、その光の色も度もさま/″\にして一ならじ
六七―六九
もし物體の粗密以外に光の異なる原因なしとせば、これらの星の地上に及ぼす影響はその程度に於て或ひは不同ならんもその性質においては皆同一ならむ
恒星天に光異なる種々の星あるは、月天の光の一樣ならざるに似たり、故にベアトリーチェは後者の事を説かんため例を前者にとれるなり
七〇―七二
しかるに恒星天の諸星は皆その與ふる影響の性質を異にす、知るべし光の異なる原因物體の粗密のみにあらざることを
〔形式の原理〕Principii formali 物の類別性と勢能とを構成するもの。複數を用ゐしは、たゞ一のみならざればなり
〔一〕同原理の一なる粗密
七三―七八
斑點もし體の粗なるにもとづくとせば、光の暗き處にては、(一)粗質月球を貫通するか、さらずば(二)粗と密と相重ならむ
〔肉體〕同一の肉體の中に脂肪と筋肉とあるごとく、月の中に、質の粗なる部分と密なる部分と層を成して相接すべし
〔書〕紙の重なりて書册となるを、層の重なりて月球となるにたとへしなり
七九―八一
粗質月球を貫通すとせば、日蝕の時、日光その部分を射貫き、世人の目に見ゆるにいたらむ
八五―八七
粗質月球を貫かずは、粗が密の爲に路を遮られて、さらに進む能はざるところ換言すれば粗終りて密始まるところ、即ち粗密相接するところあり
九一―九三
〔奧深き〕月面より反射せずして月球の内部より反射するがゆゑに、反射の光微かにして斑點爲に生ずと
一〇三―一〇五
中央にありて遠き鏡の反射する光は左右の鏡の反射する光よりその量劣れどこれと質を同うす、されば月球の内部より反射すともその光何ぞ斑點となりてあらはるゝにいたらむ
一〇六―一一一
汝の智既に謬見を去りその名殘をも止めざるにいたりたれば、我今汝にかの斑點の眞の原因を説示すべし
〔下にある物〕雪に蔽はれゐたる地、但し原語 suggetto を實體(雪の)と解する人あり
〔色と冷さ〕雪の。ベアトリーチェの言を日光に、ダンテの智を土に、謬見を土の假の色なる白色に、その結果を冷さにたとへしなり
〔光〕眞理の光
一一二―一一四
〔天〕エムピレオの天
〔一の物體〕プリーモ・モービレの天。この天に包まるゝ諸天及び地球がその秩序安寧を保つは、この天がエムピレオの天より受けて有する力による(『コンヴィヴィオ』二・一五・一二二以下參照)
一一五―一一七
恒星天はプリーモ・モービレより受けし力をその中にある(恒星天の中 あれどもこの天と同一ならずして種々の特性を有する)多くの星に傳ふ
〔光〕vedute 目に映ずる物。星
〔本質〕恒星。各

一一八―一二〇
〔目的と種〕穀物の成長し實を結びて其目的を果し、その實また種となりて實を結ぶにいたるごとく、恒星天の下なる七の天はその上より受けし力によりて己が特性をとゝのへ己が特殊の存在を保ちつゝさらにその力を下に及ぼす、故にその衷に有する力は
一二一―一二三
〔宇宙の機關〕諸天
〔上より受け〕その上なる天より力(影響)を受け
〔次第を逐ひ〕第八天より第一天まで
一二四―一二六
〔我を〕異本、「今」
〔汝の求むる〕わがかく論じつゝ月の斑點の眞の原因に到達する次第に注意すべし、さらばこの後わが助けを借らずして自ら眞理を認むるをえむ
一二七―一二九
〔動者〕天使(『コンヴィヴィオ』二・五・四―八、及び地、七・七三―五並びに註參照)
一三〇―一三二
かの恒星天を見よ、この天はこれを轉らす奧妙の智即ちこの天を司どる天使よりその力を受け、これをその中なる諸

例を恒星天にとれるは類想によること前述のごとし
一三三―一三五
汝等の肉に宿る魂たゞ一なれども、視聽及びその他の官能に應じ肢體の各部に亘りてさま/″\の
一三六―一三八
第八天を司る天使一なれども、この天の中の星多く、特性異なれば、これらの星に及ぶ天使の力一ならじ
〔天を司るもの〕inteligenza(了智)聖智、即ち天使
一三九―一四一
諸天を司る諸天使の力相異なるが故に、これらの異なる力がその轉らす諸天と合して生ずる結果同じからず
〔生命の〕人の生命肉體と結ばる如く
一四二―一四四
力かく一樣ならざれどもいづれも皆悦び多き神の

一四五―一四八
斑點の原因はこの
力の相違は一天と他の天(星と星)との間に存するのみならず、同一の天のうちにてもまたこれを見るをうべし、月の斑點は月の各部における力の相違にてこの相違は各部その完全の度を異にし天使の力の及ぶこと從つて異なるに基づく
ダンテ月天にあり、誓ひを全うせざりし者の魂にあふ、その一ピッカルダ・ドナーティ、ダンテに己が身の上の事と皇妃コンスタンツェの事とを告ぐ
一―三
〔さきに〕世にて(淨、三〇・三四以下參照)
〔日輪〕ベアトリーチェ
一六―一八
〔人と泉〕泉に映れる己が姿を戀慕へるナルキッソスの傳説を指す(地、三〇―一二七―九註參照)
〔誤りの裏〕ナルキッソスは影を實物と思ひ誤り、ダンテは實物を影と思ひ誤れり
二二―二四
〔光〕目の
二五―二七
〔汝の足は〕汝の思ひは眞理を基礎とせず、たゞ官能に信頼するがゆゑに誤り易し
二八―三〇
〔こゝに〕聖徒はすべてエムピレオの天にあり、たゞその受くる福の一樣ならざるをダンテに示しかつこれに天上の眞を教ふる便宜上かりに諸天にわかれて詩人の目に現はれしに過ぎず(天、四・二八以下參照)
〔長の〕影ならぬ
三一―三三
〔光〕神。眞の光を離るとは眞そのものにまします神を離れて眞にあらざることをいふ義
三四―三六
〔最も切に〕俗縁の關係上(淨、二三・四六―八註參照)
〔魂〕フォレーゼ及びコルソ・ドナーティ(淨、二四・八二―七註參照)の姉妹ピッカルダ
〔願ひ〕ダンテにおいてはピッカルダと語るの願ひ
三七―三九
〔甘さ〕天上の悦び
〔永遠の生命の光によりて〕神の光を仰ぎ見て
四三―四五
〔己が宮人達〕すべて天堂に福を受くる者
〔等しきをねがふ〕愛は神の愛なり。神は愛にましまし天堂擧りて己の如く愛に燃えんことを願ひ給ふ
四六―四八
〔尼〕vergine sorella(童貞尼)聖キアーラ(九七―九註參照)派の此丘尼
四九―五一
〔球〕月天。古説によれば最小の天にしてその運行最遲し
五二―五四
我等はたゞ神がその
六四―六六
〔さらに多く見〕さらに多く天上の福を見かつその福をうくる魂のうちに友をうるを求むること
但し、pi


スカルタッツィニは amici を前後に通はしめ、前者を舊友と再會する意に、後者を新らしき友を得る意に解せり
七〇―七二
〔愛の徳〕愛は嫉まず(コリント前、一三・四)
七六―七八
〔性〕聖徒を完全に神意と適合せしむるものは愛なり
七九―八一
〔一となる〕神の
八二―八四
〔諸天〕di soglia in soglia(soglia=soglio)座より座に、即ち天また天と
〔王〕神。われらの
八五―八七
神の直接または間接(即ち自然を通じて)に造り給ふ宇宙萬物は、その終局の目的、福祉の本源(平和)なる神を望み神に合せんとして進む、ゆゑに神はさながら諸水の四方より注ぎ入る大海に似たり
八八―九〇
いかなる天にある者もみな福を受く、たゞ己が功徳に從ひ、そのうくる福に多少あるのみ
九四―九六
〔姿、詞に〕動作と言葉とにより。ピッカルダに、その教へを垂れしを謝し、かつ新なる教へを請へり
〔いかなる機を〕その全うせざりし誓ひの何なるやを聞かんとて
九七―九九
〔淑女〕聖キアーラ(一一九四―一二五三年)。アッシージの人、同郷の出、聖フランチェスコの高徳を慕ひて遁世しかつその助言を受けて一二一二年童貞院の基を開きその規約を定む
一〇〇―一〇二
〔新郎〕キリスト(マタイ、九・一五等)。これと起臥を倶にするは、晝夜のわかちなくキリストに奉仕するなり
一〇三―一〇五
〔また〕またその嚴正なる規約を守りて一生を送らんと誓ひたり
一〇六―一〇八
〔人々〕ドナーティ家の人々、特にピッカルダの兄弟コルソ
古註によれば、コルソは他の人々と共に尼寺の中に忍び入りてピッカルダを奪ひ、これをフィレンツェの人ロッセルリーニ・デルラ・トーザに
一〇九―一一一
〔すべての光〕月天にて最強き光。月天の諸靈のうち徳最も大いなればなるべし
一一二―一一四
〔聖なる首


一一五―一一七
〔良き習〕比丘尼の還俗を許さざる
〔心の面

一一八―一二〇
〔ソアーヴェ〕シュヴァーベン、ドイツ西南の一州。ホーエンシュタウフェン王家こゝより出づ
〔第二の風〕ホーエンシュタウフェン王家の第二の君即ちハインリヒ六世。第一の風はフリートリヒ一世にて第三の風はフリートリヒ二世なり。ブランク(L.G.Blanc)の説によればこれを風といへるはシュヴァーベン家の諸帝の權力猛くして而して永く續かざることあたかも一陣の暴風に似たるがゆゑなり、但し異説多し
〔最後の威力〕威力は皇帝の意なるべし、最後といへるは、その後皇帝なきにあらざりしも實これにともなはざればなり
〔コスタンツァ〕コンスタンツェ。シケリアの最初の王ロージエーロ(ルツジエーロ)の末女、一一五四年に生れ、同八五年皇帝ハインリヒ六世の妃となりてフリートリヒ二世を生み、一一九八年に死す
傳説に曰。コンスタンツェ尼となりて久しく尼寺のうちにあり、皇帝フリートリヒ一世これをわが子ハインリヒ六世の妃とし、この結婚によりてシケリアを己が帝國の領土に加へんため、密かに謀りて強ひて尼寺を去らしむ云々、但しこの説今は虚構と認めらる(ムーア『ダンテ研究』第二卷二七六頁參照)
一二一―一二三
〔アーヴェ・マリーア〕(マリアよ
一二四―一二六
〔願ひの目的〕ベアトリーチェ
ダンテの二の疑ひに對し、ベアトリーチェは、人の魂星に歸るといふ古説の非を辯じ、かつ意志の自由を説く、ダンテまたさらに一の疑ひを擧げて淑女の教を乞ふ
一―三
トマス・アクイナスの『神學大全』(一、二、一三・六)に據れり。ピッカルダの言は二つの疑問をダンテの心に起し、等しくその解答を求めしがゆゑにダンテ選擇に惑ひて問ふこと能はざりきとなり、次聯の例また同じ、オウィディウスの『メタモルフォセス』(五・一六四以下)に饑ゑたる虎の譬へあるなど思ひ合はすべし
〔自由の人〕自由の意志を有し、いづれをも選ぶをうる人
四―六
〔犬〕何れを逐ふべきか知らずして
一三―一五
〔ナブコッドノゾル〕ネブカドネザル。バビロニアの王なり、嘗て夢の爲に心をなやまし、所の智者等を召して夢とその
ベアトリーチェがダンテの言を俟たずしてその疑ひを知りかつこれを解きてその心をしづめしこと、猶ダニエルが王に問はずしてその夢を知りかつこれをときあかしてその怒りをなだめしごとし
一九―二一
誓ひを果さんとの意志だに變らずば、たとひ他人の暴虐にあひてその志を全うせずとも、罪その人に歸せざるに似たり
二二―二四
プラトンの言に、人の魂は星より出でゝ肉體に宿り、死とともに再び星に歸るとあり、汝も現に魂星にあるを見て、この言を或ひは正しかるべしと思へり
二五―二七
〔毒多き〕キリスト教の信仰に反すれば
二八―三〇
〔セラフィーン〕(複數)セラピム、諸天使中最も高貴なるもの(イザヤ、六・二參照)
〔モイゼ〕モーセ。舊約時代の偉人(地、四・五・五―六三參照)
〔サムエール〕サムエル。ヘブライ民族最後の士師にてヘブライ王國の建設者たり(サムエル前、一・二〇以下)
〔いづれを〕キリスト十二弟子の一なるヨハネにてもパブテスマのヨハネにても
三一―三六
諸天使諸聖徒皆エムピレオの天にあり、福の度異なれども、存在の永遠なるは一なり
〔永遠の聖息〕神よりいづる福。福の度異なるはこれを享くる者の力異なるによる
四〇―四二
〔かく〕具體的に
〔後智に〕人は靈的事物を直に智に訴へてさとり難し、その事物まづ具體化して官能に訴へ官能はこれが印象を想像に想像はこれを智に傳へ智はたらきてはじめてさとる
〔官能の作用〕sensato 官能的物象即ち官能の捉ふる物象の義
四三―四五
〔手と足〕或ひは神の手(歴代志略下三〇・一二等)といひ或は神の足

四六―四八
〔ガブリエール〕ガブリエル。天使の長(ダニエル、八・一六及びルカ、一・一九等)
〔ミケール〕ミケル。同天使の長(地、七・一〇―一二註參照)
〔トビアを癒しゝ天使〕敬虔なるイスラエル人トビアの目を癒しゝ天使の長ラファエル(トビア、三・二五)
四九―五一
〔ティメオが〕プラトンがその『ティマエウス』と題する對話篇に
ティマエウス(ティメオ)はピュタゴラス派に屬するギリシアの哲人にてプラトンの友なり
ダンテ時代にカルチディオのラテン譯ありきといふ、恐らくはダンテこれによりて『ティマエウス』を知りゐたるならむ
〔似ず〕月天に現はるゝものは靈界の眞理の具體的表示にて、ティマイオスの意はその詞の文字通りなりと思はるれば
五八―六〇
もし星に歸るものは魂その者に非ずして、その星の影響の譽や毀なりとの意ならば、換言すればもし諸

〔矢〕原、〔弓〕
六一―六三
〔この原理〕星の影響の
〔ジョーヴェ、メルクリオ〕神話の神々の名、人々星辰の影響を過重視するの餘り、その信ずる神々の力、星にありとし、その名を星に附するにいたれり。たとへば火星に武徳ありとしてこれに軍神アレス(マルテ)の名を附し金星に戀愛の徳ありとしてこれに戀愛の女神アプロディテの名を附しゝがごとし
〔名づけしむ〕或星をジョーヴェ、或星をメルクリオ、或星をマルテと
六四―六六
〔我〕神學の象徴としてのベアトリーチェ、即ち
六七―六九
神の正義(審判)は奧妙にして量るべからず(ロマ、一一・三三)されば人間の目に不正とみゆとも、こは寧信仰に進むの一階段にて異端に導くの道にあらず、何となれば、不正と見ゆるは奧妙不測のしるしにて、奧妙なりと知るは信仰に入るの
〔われらの〕天上の
〔過程〕argomento 今スカルタッツィニの註解にもとづきて假にこの語を用ゐたり、異説或は「
七三―七五
七六―七八
〔火が〕火はいく度これを下方に向はしむともその本然の力によりて必ずまた上方に向ふごとく
七九―八一
〔聖所〕尼寺。身は強ひて聖所より引離さるとも、意志だに屈せずは、他人の抑壓を脱するとともに再び聖所に歸るべきなり、歸るをえて而して歸らざるはその意志の屈せるなり、罪茲にあり。但しいつ、いかに歸るをえしやは明ならず
八二―八四
〔ロレンツォ〕聖ラウレンティウス。皇帝ヴァレリアヌスの迫害の犧牲となりて鐡架の上に燒かれ自若として死せる(二五八年)ローマの殉教者
〔ムツィオ〕ローマの一青年カイウス・ムキウス・コルドゥス・スカエヴォラ。エトルリア王ポルセナを殺してローマの危急を救はんとせしも果さず、その失敗の罪を己が右手に歸し、王の目前にて自らこれを燒けり(『コンヴィヴィオ』四、五・一一五以下參照)
八八―九〇
〔疑ひは……解け〕原、「論は消滅し」
九一―九三
〔路〕困難
九四―九六
〔あきらかに〕天、三・三一―三
〔第一の眞〕眞の源なる神
九七―九九
〔聞きたる〕天、三・一一五―七
〔されば〕聖徒は僞らず是故にピッカルダの言すべて眞なり、然るにピッカルダはコンスタンツェが尼寺を離れし後も心に尼となりゐたりといひ、我は今かれらの意志
一〇三―一〇五
〔アルメオネ〕アルクマイオン。父アンピアラオスの仇を報いんとて母エリピュレを殺せる者(淨、一二・四九―五一註參照)
〔父に請はれ〕もし戰ひに死せばエリピュレを殺せと豫めその子に命じ置きしなり
アルクマイオンは父の命に背くことを母を殺すことよりもさらに大なる罪と思ひたればなり
一〇六―一〇八
〔暴意志と〕人の
一〇九―一一一
絶對の意志は暴に屈せず、たゞ相對の意志之に屈す、即ちもし屈せずして飽まで抵抗せばさらに大いなる禍ひに陷るあらんを恐れてこれに屈するなり
一一二―一一四
コンスタンツェの意志は絶對に暴に屈せるならねば此丘尼の生涯を慕へるは事實なれども、恐怖の念に左右せられて相對にこれに屈せるなり、ピッカルダは絶對の意志を指して屈せずといひ我は相對の意志を指して屈せりといふ、彼此兩立す
一一五―一一七
〔泉〕神
〔流れ〕ベアトリーチェ
一一八―一二〇
〔愛に〕原、「愛する者に」。神に
〔潤し……暖め〕水の潤や太陽の熱によりて草木の生き出づるごとく
一二一―一二三
〔これに應へ〕わが爲に汝の
一二四―一二六
〔眞〕神
一二七―一二九
智は自然に眞を知るを求む、すべて自然に生ずる願ひは空ならじ、是故に眞を知ること可能なり、しかして智眞に達すれば悦びをその中にうることあたかも走り疲れし獸がしづかに己が洞窟の中に休むに似たり(コルノルディ、G.M.Cornoldi)
一三〇―一三二
人かく自然に眞を求むるがゆゑに一知はさらに一疑を生じ、眞より眞に進みて次第に終極の眞(神)にむかふ
一三三―一三五
〔この事〕以上わがいへる凡ての事
一三六―一三八
〔汝等の天秤〕天上の
〔汝等に〕天に對して
ベアトリーチェは誓ひの神聖なることゝこれに易ふるをうる物のことを論じてダンテの疑ひを解き、後相倶に水星天にいたる
一―三
〔愛〕神の愛。神の光ベアトリーチェに反映するなり
四―六
〔全き視力〕ベアトリーチェの。視力完全なるがゆゑに神の光に接するも眩暈せずかへつて愈

スカルタッツィニの引用せる出エジプト記(三四・二九以下)に、モーゼ神と物言ひて山を下りし時、イスラエルの民その顏光を放つを視、恐れてこれに近づかざりしこと見ゆ
七―九
〔永遠の光〕神の光。神の光は一たびこれを視る者をして永久に己を愛せしむ(『コンヴィヴィオ』三、一四・五一以下參照)
一〇―一二
〔その中に〕迷はす物の中に。世に屬する空しき幸をも人誤り見て眞の幸となしこれを追ひ求むるなり(淨、一六・八五―九三參照)
一三―一五
〔論爭〕法廷の論爭、即ち神の正義に對し己が爲に論辯すること。これを免るゝは誓ひを果さゞりし罪の釋かるゝなり
一六―一八
〔この曲をうたひいで〕第五曲の始めにベアトリーチェの言葉を載せしをかくいへり
一九―二一
〔造りて〕creando 創造の時の義
二二―二四
創造の始めより今に至るまで凡て了知ある被造物即ち諸天使及び人類はこの意志の自由(淨、一六・六七以下參照)を與へらる
二五―二七
〔人肯ひて〕人約束を立て、神これを嘉し給ひ
二八―三〇
〔寶〕自由意志。誓ひを立つるは自由意志そのものゝ作用によりて自由意志を神に獻ぐるなり
三一―三三
是故にいかなる善事も、破約の罪を贖ふに足らず、意志の自由を一たび神に獻げつゝ、後その自由を用ゐて他の善を爲さんとするは、これ※[#「貝+藏」、U+8D1C、231-6]物をもて善を行はんとするに等し
三四―三六
〔要點〕誓約そのものはいかなる善行によりても贖はるべきにあらざること
四三―四五
誓約の要素に二あり、一はその材(誓約の對象なる童貞、斷食等)、他はその形式(神に約して己が自由意志を獻ぐる事)なり。以下ベアトリーチェの言を摘記すれば左の如し
(一)誓約は破るべからず、故に果すに非ざれば消えじ、たゞ獻ぐる物その物は或はこれを變ずるを得(四六―五四行)
(二)物を易ふるに當りては必ずまづ寺院の許諾を受けざるべからず、かつ易へて獻ぐる物前に獻げし物よりも尚大ならざるべからず(五五―六三行)
(三)是故に誓ひを立つるにあたりては人これを輕視せず必ず充分の注意をこれに拂ふを要す(六四―八四行)
四九―五一
〔希伯來人〕モーゼの律法に從ひ誓約の
〔如何により〕獻物の中には易へうべき物あり(レビ、二七・一一以下等)易へうべからざる物あり(同二七・九―一〇等)
五五―五七
何人も寺院(即ち聖職にありてかゝる權能を有する者)の許諾を俟たずたゞ己が意志に從つて誓約の材を變ふるをえず
〔黄白二の鑰〕僧侶の權能及び技能の象徴なる金銀の鑰(淨、九・一一五以下參照)
五八―六〇
〔六の四に〕單に大小を表はせるにて數字上の比較にあらず、モーゼの律法にては五分の一を加ふべしとあり(レビ、二七・一三等)
六一―六三
是故に供物の價値甚大にしてこれに相當すべき物他にあらざるときはいかなる善行を以てすとも交換を許さず、童貞の誓ひの如きこの種に屬す
六四―六六
〔イエプテ〕イエフタ。ガラードの勇士にて後イスラエル人の士師となれる者。イスラエル人の爲にアンモン人と戰ふに當り神に誓ひて曰ふ、汝もし敵をわが手にわたし給はゞ、わが歸らん時わが家の戸より出で來りて我を迎ふる者わが燔祭の獻物となるべしと、しかるにその勝ちて歸るや、彼を迎へし者はわが獨子なる
〔最初の供物〕ヴルガータに「最初に出で來る者」とあるによれり
〔輕々しく〕bieci(目を
誓ひを守るに忠なるはよし、されどこれを立つるに當りては熟慮を要す
六七―六九
〔守りて〕即ちその女を殺して。輕々しく誓約を立つれば、守りてかへつて守らざるよりも大いなる惡に陷ることあり
〔ギリシア人の大將〕アガメムノン。トロイア役におけるギリシア軍の主將たり、トロイアに渡らんとすれども順風を得ず空しくアウリスに止まるを憂へ、もしこれを得ばその年生るゝものゝ中最も美しきものをアルテミスに獻ぐべしと誓ひし爲、遂にわが
七〇―七二
〔かゝる神事を〕かく
七三―七五
〔身を動かし〕こゝにては誓約を爲すこと
〔いかなる水も〕誓約の履行をたやすく免ぜられうべしと思ふ勿れ
七六―七八
聖書の教へを守り寺院の導きに從はゞ救ひを得む、漫りに誓ふはこれを得るの道にあらず
七九―八一
己の慾のため誓願をなすの念起らば、汝等これに盲從せず、人間としてこれに逆へ、さらずば汝等の中に住するユダヤ人等(即ち舊約の律法に從つて誓約を神聖視する)汝等キリスト教徒が誓約に對して思慮なきを笑はむ
八二―八四
〔母の乳を〕聖書の教へや寺院の導きを離るゝ者は乳を離るゝ羔の如し
〔自ら己と戰ふ〕ただ獨りにて狂へる如くはねまはるをいふ
八五―八七
〔處〕太陽もしくは赤道。但しいづれにても上方の事
八八―九〇
〔變れる〕高く登るに從つてベアトリーチェの姿いよ/\美しく、いよ/\強く輝けばなり
九一―九三
〔第二の王國〕水星天
九七―九九
〔いかなるさま〕いかなる印象(喜びや悲しみの)をも受け易き
一〇三―一〇五
〔輝〕世の榮譽を求めし人々の靈
〔ますべきもの〕ダンテを指す。われらの愛は、かれの疑ひを解くによりて現はれ、現はるゝによりて愈

一〇五―一一〇七
あゝ福を享けんが爲に生れ、未だ死せざるさきに神恩によりてエムピレオの天を視るを得る者よ
〔戰〕地上の生命(ヨブ、七・一參照)
一一八―一二〇
〔光〕神の恩愛の光
一二一―一二三
〔靈の一〕ユスティニアヌス(天、六・一〇―一二參照)
〔神々〕誤らず僞らざる(ヨハネ、一〇・三四―五參照)
一二四―一二六
〔巣くひ〕包まれ
一二七―一二九
〔他の光〕日光。ダンテは『コンヴィヴィオ』の中に、水星は最小の星にしてかつ他のいづれの星よりも太陽の光に多く蔽はるといへり(二、一四・九一以下)
一三〇―一三二
〔前よりはるかに〕光の増すは悦の増すなり
一三三―一三五
日の
〔幕〕原、「和らぐること」
月天にては諸靈の姿そを包む光の爲に微かに見え、水星天にてはこの光なほ増して、近づかざれば光のみ見ゆ、(喜び常よりも大いなる時姿全く見えざることユスティニアヌスの例にて知らる)、また金星天にては光さらに増して聖徒の姿全く見えず、太陽天火星天と天の次第に高きに從つてかれらの光いよ/\強し
皇帝ユスティニアヌスの靈水星天にてダンテに己が身の上の事と「ローマの鷲」の事とを告ぐ
一―三
〔コスタンティーン〕コンスタンティヌス一世(地、一九・一一五―七註參照)。三二四年帝國の首都をローマよりビザンティウム(今のイスタンブール)に移せり
〔鷲〕ローマ帝國の
〔天の運行に逆はしめし〕西より東に移らしめし
〔ラヴィーナ〕ラウィニア王ラティノスの女にてアエネアスの妻となれる者(地、四・一二四―六參照)
〔昔人〕アエネアス(地、一・七三―五並びに註參照)。トロイア沒落の後アエネアス、イタリアに赴けり、帝業の基を起せる者なるがゆゑに、鷲これにともなひて天の運行と同じく東より西に行けりといへるなり
四―六
〔二百年餘〕三二四年より五二七年(ユスティニアヌス即位の年)まで
或ひは曰。ダンテはブルネット・ラティーニの記録に從ひ、遷都を三三三年、ユスティニアヌスの即位を五三九年の事とせるなりと
〔神の鳥〕鷲
〔エウローパの際涯〕ヨーロッパの東端にあるビザンティウム。トロイアを距ること遠からず
〔山々〕トロイア地方の山々。鷲さきにアエネアスにともなひてこの山々よりいでたり
七―九
〔手より手に〕皇帝より皇帝に
一〇―一二
〔ジュスティニアーノ〕ユスティニアヌス一世(四八二―五六五年)。ヴァンダル族及びオストロゴート族と戰ひて武名を揚ぐ、されどその最も世に知らるゝにいたれるはかのローマ法の編成によりてなり
〔第一の愛の聖旨により〕聖靈にはげまされ
一三―一五
〔一の性〕神性。キリストにおいて、人性は神性中に沒しその存在を失へりとなすエウチキオ(三七八―四五四年)一派の異端。但しユスティニアヌスの妻テオドラはこの派の熱心なる信仰者なりしもユスティニアヌスはかゝる信仰を懷きしにあらず、ダンテ或ひはブルネット・ラティーニの言によりてかく録せるにあらざるかと註釋者いふ
一六―一八
〔アガピート〕アガペトゥス一世(五三五年より翌六年まで法王たり)。オストロゴートの王テオダトゥスの爲にユスティニアヌスと和を謀らんとてコンスタンティノポリスに赴き、かしこに死す、その間彼は皇帝に説きて異端者を罰せしめきと傳へらる
一九―二一
〔信ずる所〕キリストにおける神人の兩性
〔一切の矛盾〕肯定眞なれば否定僞りに、否定眞なれば肯定僞りなり。明かなる見易き事の一例として擧ぐ
二二―二四
〔寺院と歩みを合せ〕寺院の教義と説を同じうしてキリストの兩性を信ずるに及び
二五―二七
〔ベリサル〕ベリサリウス。ユスティニアヌス部下の名將(五六五年死)
〔天の右手〕天佑によりて彼多くの勝利をえたれば、その武運のめでたきを見て、我は自ら平和の事業(即ち律法の編成)にたづさはることの天意に從ふ所以なるを知れり
二八―三〇
〔第一の問〕我は汝の誰なるやを知らず(天、五・一二七)
〔性に〕鷲の物語をなしかつ身は昔皇帝なりしを告げたることに
三一―三三
〔深き理によりて〕反語、理不盡にも
〔我有と〕これを獨占して一黨の利を圖らんとするギベルリニも、これに敵抗するグエルフィも
三四―三六
〔パルランテ〕パルラス。エヴァンドロ(ギリシアのアルカディアの人にて、ラチオに來りその一部の王となれる者)の子なり、アエネアスを助けてツルヌス(地、一・一〇六―八註參照)と戰ひ、これに死す(『アエネイス』八―一〇卷)。パルランテはローマ帝國建設の犧牲者なればかくいへり
〔徳〕ローマの諸英雄の武徳
この一聯の中 e cominci



三七―三九
〔アルバ〕アルバ・ロンガといへるラチオの町(ローマの東南アルバーノ湖附近)。傳説によれば、アエネアスの子アスカヌスの建てしものにて、アエネアスの子孫こゝを治むること三百年餘なりきといふ
〔三人の三人と〕アルバ・ロンガとローマとの爭ひを指す。アルバのクリアティウス(Curiazi)家の兄弟三人とローマのホラティウス家の兄弟三人と相爭ひしが、ローマ方遂に勝ちてアルバの主權を奪ひたり
傳説に曰。ローマはアルバの王女シルウィアの子ロムロスの建てしところにて、アルバと分立し王政を布きゐたるが、その第三の王オスチリオの代にこの爭ひありてアルバ倒ると(『デ・モナルキア』二、一一・二二以下參照)
〔さらにこれがため〕今一度旗のため、これ以前にも爭ひたればさらにといへり
四〇―四二
〔サビーニの女達の禍ひ〕王政の始めといふ如し。ロムロスの代に、ローマ人等その近隣の一族サビーニの女子を奪ひて妻とせりと傳へらる
〔ルクレーチアの憂ひ〕ルクレーチアがセクストゥスに辱められしこと(地、四・一二七―三二註參照)。ローマ最後の王タルクイニウスがローマを逐はれしもわが子クストゥスの惡行その一因となれるなり、故にルクレーチアの憂ひは王政の終りを表はす
〔七王〕ロムルス、ヌーマ、ツルヌス、アンクス・マルキウス、タルクイニウス・プリスクス、セルウィウス・ツルリウス、タルクイニウス・スペルブス
四三―四五
〔ブレンノ〕ブレンヌス。ガルリア人の大將、前四世紀の末ローマに押寄せ火を放つてこれを攻む、ローマの人フーリオ・カミルロ不意に起ちて敵を破り、故國をその難より救ふ
〔ピルロ〕エピロス(ギリシアの)王。ピルロス前三世紀の後半二囘に亘りてイタリアを攻めしも成らずして去る(地、一二・一三三―八註參照)
〔共和の國々〕collegi或は、同盟の君主等
四六―四八
〔トルクァート〕ティトゥス・マンリウスといへるローマ人にてトルクァートはその異名なり、ガルリア人及びラチオ人と戰ひてこれに勝つ(前四世紀)
ラチオ人と戰へる時己が子軍令を犯しゝかばこれに死刑を宣せりといふ(『コンヴィヴィオ』四・五・一一八以下參照)
〔クインツィオ〕ルキウス・クインティウス。ローマの人、鋤を棄て執政となりて敵を破り(前五世紀)任滿ちてまた耕作に從事す(『コンヴィヴィオ』四・五・一三〇以下參照)。キンキナトゥス(縮毛)の異名あり
〔デーチ〕父子三代に亘りて(その名をいづれもプブリウス・デキクス・ムースといへり)祖國の爲敵手に死せる(前四―三世紀)ローマ人(『デ・モナルキア』二、五・一二八―三〇參照)
〔ファービ〕ローマの名門。著名のローマ人多くこの一門より出づ、就中最著名なるは第二ポエニ戰爭の際(前三世紀)所謂遲延戰略を用ゐてカルタゴの驍將ハンニバルを惱ましゝクイントゥス・ファビウス・マクシムスなり
〔甚く尊む〕mirro(沒藥を塗る)藥品を用ゐて腐敗を防ぐ如く、永く尊びて忘れざるをいふ、天上に妬なければなり
四九―五一
〔アンニバーレ〕ハンニバル。カルタゴの名將、第二ポエニ戰爭の始め(前二一八年)ポー河の水源地なる西方アルピの連峰を越えてイタリアに闖入し連戰連勝優勢なりしが、後利を失ひてアフリカに歸れり
〔アラビア人等〕カルタゴ人等。ダンテ時代には北アフリカの住民をおしなべてアラビア人と呼びなせり、カルタゴ人をアラビア人といへるは、地、一・六八にウェルギリウスの父母をロムバルディといへるごとく一種の時代錯誤なり(ムーアの『用語批判』三四二頁參照)
五二―五四
〔シピオネ〕プブリウス・コルネリウス・スキピオ。ローマの名將、未だ丁年ならざるにハンニバルとチチーノ及びカンネに戰ひ二十歳にしてイスパニアを征服し、三十三歳にしてザマ(地、三一・一一五―七註參照)にハンニバルを破れり
〔ポムペオ〕大ポムペイウス。年少の頃既にシルラを助けてマリウスの徒黨と戰ひ、後各地に轉戰して勝利を得たり、ローマが彼の爲に凱旋式を擧げしはその二十五歳の時(前八一年)の事なりき
〔山〕フィエソレの山、ダンテの生地フィレンツェその下にあり(地、一五・六一―三註參照)
〔酷し〕ローマ人がフィエソレを攻落しゝこと
五五―五七
天上の平和を地上にも及ばしめんと神の思召し給へる時に、換言すれは、キリストの降臨に近き頃ローマの民及び議會の意に從ひ、ユーリウス・カエサルこの旗を手に取れり
ダンテ思へらく、帝國の建設は世界平和の曙光なり、カエサルはなほヨハネの如く救世主の爲にその道を備へし者なりと(『コンヴィヴィオ』四、五・一六以下參照)
五八―六〇
以下七二行までユーリウス・カエサルの事蹟を擧ぐ
〔ヴァーロよりレーノに亘りて〕ガルリア・トランサルピーナ(アルピ外のガルリア)にてといふ如し。ヴァール(ヴァーロ)はフランスの東南端の河にて古、外ガルリアと内ガルリアとの境を劃し、レーノ即ちライン河は古、外ガルリアとゲルマニアとの境を劃せり。鷲の旗がカエサルの手にありてこの地方にあげし功績を、その沿道の諸水見たりといへるなり
〔イサーラ〕今のイゼール。フランスのローヌ河に注ぐ河の名
〔エーラ〕同じくローヌに注ぐサオン河
〔センナ〕パリを貫流するセーヌ河
六一―六三
〔ラヴェンナを出で〕ガルリア征服の後カエサルがラヴェンナより出でゝ内亂を平定せること(地、二八・九七―九註參照)。ルビコン河は昔ガルリア・チサルピーナ(アルピ内のガルリア)とイタリアとの境を劃せり
六四―六六
〔スパーニアに〕内亂鎭靜の後イスパニアに行きてポムペイウス一味の者を攻めし事(淨、一八・一〇〇―一〇二參照)
〔ドゥラッツオ〕アドリアティコの東岸にあるギリシアの町。カエサルこゝにてポムペイウスの軍に圍まる
〔ファルサーリア〕テッサリアの町。この附近にてカエサル大いにポムペイウスを破る(前四八年)
〔ニーロ〕エジプトのナイル河。ファルサリア役の餘波エジプトに及びてかの地の禍ひとなれるをいふ。ポムペイウス、ファルサリアに敗れてエジプトに逃れ、身を國王プトレマイオス十二世に寄せ、かへつてその殺す所となれり
六七―六九
ファルサリアの戰ひの後、イロイア頽廢の跡を見んとてカエサル、小アジアに赴けることルカヌスの『ファルサリア』(九・九五〇以下參照)に見ゆ
〔アンタンドロ〕フリジア海濱の一高地にある町。アエネアスこゝより舟出してイタリアにむかへり(『アエネイス』三・五以下參照)
〔シモエンタ〕(Lat.Simois)トロイア附近を流るゝ川(『アエネイス』一・一〇〇參照)
〔エットレ〕トロイア王プリアモスの長子(地、四・一二二)。エットレの墓の事『アエネイス』(五・三七一)に見ゆ
〔禍ひ〕カエサルがエジプト王プトレマイオスを廢して王の姉妹クレオパトラを立てしこと
七〇―七二
〔イウバ〕マウリターニアの王ポムペイウスに與せる爲カエサルの攻むる所となりて自殺す
〔汝等の西〕イタリアの西に當るイスパニア。こゝにポムペイウスの二子及びその黨與猶餘勢を保ちてカエサルに抗せしが、ムンダの戰ひに敗れ(前四五年)、内亂遂に平定す
七三―七五
〔次の旗手〕オクタウィアヌス・アウグストゥス。フィリッピの戰ひに敵を敗り、敵將プルート及びカッシオこれに死す(前四二年)
〔地獄に證す〕(地、三四・六四以下參照)カエサルを弑せし非道の
〔モーデナ〕(フィレンツェの北六十餘哩)オクタウィアヌスこの町の附近にてマルクス・アントニウスを破れり(前四三年)
〔ペルージヤ〕(ウムブリア州、テーヴェレ右岸の町)アントニウスの兄弟ルーチオこゝにてオクタウィアヌスに虜へらる(前四一年)
七六―七八
〔クレオパトラ〕地、五・六一―三註參照
〔その前より〕アクティクムの海戰にマルクス・アントニウスとともに敗れて(前三一年)
七九―八一
〔紅の海邊〕紅海の岸。オクタウィアヌスのエジプト征服を指す
〔イアーノの神殿〕イアーノはローマの神話に見ゆる古イタリアの神の名にてその神殿ローマに多し、而してその
八二―八七
ティベリウスの代に起れることの重大なるに比ぶれは、この代の以前及び以後に於ける帝國の偉業も物の數ならじ
〔これに屬する世の王國〕ローマの領土といふごとし
〔第三のチェーザレ〕皇帝ティベリウス(一四年より三七年まで皇帝たり)
八八―九〇
正義の神はティベリウスの代に、キリストの死によりて、アダムの罪に對する神の怒りを和ぐるの譽をばローマ人に與へ給へり
〔我をはげます〕我を動かしてかく汝と語らしむる
〔これに〕ローマの權能の下にキリストの磔殺行はれたればなり
九一―九三
〔反復語〕vendetta(復讎、刑罰)が二重に用ゐられしこと、即ち前者は(邦譯にて)アダムの罪に對する刑罰にてキリストの死を意味し、後者はキリストの死に對する刑罰にてイエルサレムの沒落を意味す
但し原語 replico を單に「答ふる」、「附加する」等の意に解する人あり
〔ティト〕イエルサレムを毀てる者(淨、二一・八二並びに註參照)
〔昔の罪の〕天、七・一九以下に委し。神の正義に從つてこの二重の刑罰を行へるは即ちローマの權能の象徴なる「鷲」の偉業に外ならじ
九四―九六
〔ロンゴバルディ〕六世紀の後年イタリアに侵入しその北部に強國を建てしゲルマン族、寺院を噛むはローマの寺院を迫害するなり
シャルルマーニュ、(地、三一・一七)は法王ハドリアヌス一世の請を容れ、ロンゴバルディを攻めてその最後の王デジデーリオを廢せり、但しこは七七四年の事にて、法王レオ三世(七九五年より八一六年まで法王たり)がシャルルに帝冠を戴かしめしは八〇〇年の事なり、戴冠以前に溯りて鷲の翼の下といふこと可ならざるに非ざれども、『デ・モナルキア』(三、一一・五)にシャルル、ハドリアヌスより帝冠を受くとあるより見れば、ダンテのこの記事を年代錯誤によるとなすの説また理なきにあらじ
この一聯及び以下數聯に於ける出來事はユスティニアヌスの治世以後の事なり、皇帝の靈はウェルギリウスの如く、よくその死後の世のありさまを知りゐたり
九七―九九
〔さきに〕三一―三行
一〇〇―一〇二
グェルフィ黨はフランス(グェルフィの首領なるプーリア王シャルル二世)の力を藉りて帝國に反抗し、ギベルリニ黨は私黨の利慾の爲にこれを我有となす、二者倶に非なり
〔黄の百合〕フランス王家の紋章、青地に三の金の百合
〔公の旗〕全帝國の旗なる「鷲」
一〇三―一〇五
ギベルリニは己が野心を滿たすに當りて鷲の旗を用ゐるべからず、この旗は正義を世に布く爲の物なれば、ギベルリニの如く不正不義の爲にこれを用ゐるは、即ちその神聖を汚すなり
一〇六―一〇八
シャルルはその率ゐるグエルフィと共にローマの帝業を地に倒さんとするごとき非望を抱かず、彼シャルルよりもさらに強き君主等を征服したる帝國の力を恐るべし
〔新しきカルロ〕アプリア王シャルル(カルロ)二世(淨、二〇・七九―八一註參照)。新しといへるは九六行のシャルルマーニュ(カルロマーニオ)に對してなり
〔爪〕鷲の爪即ち帝國の力
一〇九―一一一
〔子が〕彼その非行を改めずは
〔紋所〕鷲の。この紋所は神がその定め給ふところによりて地上平和の使命を帶ぶる帝國の
〔變へ〕「鷲」廢れて「百合」のみ殘ること、即ち帝國の大權シャルル一家に移ること
一一二―一一四
〔小さき星〕水星(天、五・一二七―九註參照)
一一五―一一七
人その最大の目的を離れて地上の榮耀を望む時は、神の愛必ず減ず。眞の愛とは神に對する愛を指す
一二一―一二三
われらは神の過不足なき應報を知るが故に、情清く、さらに大いなる福をえんと願ひまたはこれを受くる者を嫉むが如きことたえてなし
一二四―一二六
〔下界にて〕gi

〔さま/″\の座〕天上の福に種々の階級あり、階級によりて諸靈の音異なれども皆よく相和して一美妙の調を成す
スカルタッツィニは、こは思ふに諸天の和合音〔天、一・七六―八參照)を指せるならんといへり、樣々の福はさま/″\の天に現はさるればなり
一二七―一二九
〔眞珠〕さきには月を指してかくいへり(天、二・三四)。水星
〔ロメオ〕註釋者曰。ロミュー・ド・ヴィルヌユーヴ(ロメオ)の實説左の如し、ロミューはプロヴァンスの伯爵レーモン・ベランジェ四世の執事なり、一二四五年レーモン死せる時その領地を司どりて伯の末女ベアトリス即ちシャルル・ダンジュー一世の妻となりし(淨、七・一二七―九註參照)者の後見となり、一二五〇年プロヴァンスに死す。されどダンテ時代の傳説(特にヴィルラーニの記録)によればロミューは生れ賤しき一巡禮者なり、彼レーモン伯の徳を傳聞してこれに事へその擢拔を受けて財政を整理し他の收入大いに増加す、彼また伯の四人の女をして悉く王妃とならしめ誠心誠意その主の爲を謀れるもプロヴァンスの貴族等の讒にあひて伯の許を去る、而して何人もその
ロミューが何故に水星天にあるやは明かならず、スカルタッツィニは謙讓による功名家(umili ambiziosi)の一例なるべしといへり
一三〇―一三二
〔笑〕ロミューを陷るゝも何等利する所なきをいふ、プロヴァンスは温和なるレーモンの手より苛酷なるシャルル・ダンジュー一家の手に移りたればなり(淨、二〇・六一以下並びに註參照)
〔他人の〕或は、「他人の善行を己が禍ひに轉ずる(人の善行を見妬み誹りて自ら罪に陷る)者は」
一三三―一三五
〔王妃〕長女マルグリットはフランス王ルイ九世に、次女エレオノールはイギリス王ヘンリー三世に、三女サンシヤは同ヘンリーの兄弟にてローマ人の王となれるリチャードに、末女ベアトリスはシャルル・ダンジュー一世に嫁す
〔賤しき〕或は、「謙讓の」
〔放客〕註釋者曰。romeo は巡禮者特にローマへの巡禮者の意なれば、このロメオを巡禮者となすの説出でしなりと(岩波文庫版ダンテ『新生』一〇〇頁參照)
一三六―一三八
讒者の言によりてロミューの誠實を疑ひ、收支の決算を求む、しかるに決算に及びその資産のかへつて膨脹しゐたるを知れり
一四二
〔ほむべし〕衣食の爲に志を屈せず逆境に處して亂れざる。ダンテが自己の境遇にひきくらべ、ユスティニアヌスの口を藉りてかくいへることいふまでもなし
ユスティニアヌスの靈去りて後、ベアトリーチェはダンテの爲に、キリストの死、十字架の贖、及び靈魂の不滅を論ず
一―三
〔オザンナ〕神を讚美する語
〔火〕諸天使及び諸聖徒
四―六
〔二重の光〕神の光と己が光(一―三行)。或ひは曰、皇帝と立法者との光を指すと
〔聖者〕sustanza(主要の本質即ち靈)、ユスティニアヌスの靈を指す
一〇―一二
〔甘き雫〕眞理の滴
一三―一五
されどたゞ淑女の名の一部を聞きてさへわが心に湧く畏敬の念はわが
一六―一八
〔火の中〕(淨、二七・五二以下參照)
一九―二一
〔正しき罰〕ユスティニアヌスのいへること(天、六・八八―九三)
二五―二七
〔生れしにあらざる〕神の直接に造り給へる人即ちアダム
〔己が益なる〕意志の銜(禁斷の
二八―三〇
〔迷ひ〕正路を失ふこと
〔幾世の間〕淨、三三・六一―三並びに註參照
〔神の語〕キリスト(ヨハネ、一・一以下)
三一―三三
〔その永遠の〕たゞ聖靈のはたらきにより(魔女の懷胎に於ける)
〔性〕人性
三四―三六
〔己が造主と〕キリストのうちなる人性は、個性としては、創造時の如く至純至善なりしも
三七―三九
全人性の上より見れば、始祖の禍ひを受けて刑罰に價す
〔眞理の道と〕眞の道眞の生命なる神を離れ
四〇―四五
キリストの中なる人性は罰すべし、神牲は犯すべからず
四六―四八
さればキリストの磔殺といふ一の行爲よりこの結果生じたり、(一)神は人類の罪の贖はるゝによりてこれを喜び給ひ、ユダヤ人は己が怨みのはれしによりてこれを喜べり、前者は正義にもとづき後者は嫉みにもとづく、而してこの死によりて地は震ひ(マタイ、二七・五一)、天は聖者の爲に開けぬ
四九―五一
〔正しき法廷〕ティト。イエルサレムを毀ちて仇をユダヤ人に報いしがゆゑにかくいへり(淨、二一・八二以下並びに註、及び天、六・九一―三並びに註參照)
五二―五四
〔

五五―五七
〔方法〕キリストの死
五八―六〇
經驗によりて神の愛を知りよく天上の事物に通ずる者にあらざれば、奧妙なる贖罪の理をさとる能はじ
六一―六三
〔目標〕贖罪の教理
六四―六六
〔嫉み〕livore 愛に反する凡ての情を指す
〔あらはす〕その徳を一切の被造物の中にあらはす
六七―六九
直接に神の善より滴るもの即ち神が自然を介せずして直接に造り給へる物は永遠に存在す、これ神の御手の
七〇―七二
神の直接に造り給へる物はまた全く自由なり、これ神以外のものゝ影響に從屬せざるによる
〔新しき物〕第二原因(第一原因なる神に對して)、變化するがゆゑに新しといへり
但しこゝに所謂直接の被造物のうちには、天、二九・三四にいづる「純なる勢能」を含まずと見ゆ
七三―七五
神の直接に造り給へる物は神に最も近きがゆゑにまた最も神意に適ふ
〔聖なる焔〕即ち神の善、神の慈愛の光
七六―七八
〔これらの〕不死、自由、神に似ること
七九―八一
〔自由を奪ひ〕惡を行ふ者は罪の奴隷なり、自由なし(ヨハネ、八・三四)
八二―八四
〔空處を〕、罪の爲に失へるものを再び得るに非ざれば
八五―八七
〔種子〕祖先、即ち始祖アダム
九一―九三
〔淺瀬〕罪より神恩に歸る道。この道二あり、(一)神がたゞその慈愛によりて赦し給ふか、(二)人自らその罪を贖ふか、是なり
九四―九六
〔永遠の〕神慮の奧深きところを見よ
九七―一〇二
人が神の如くならんと(創世、三・五)欲して神命に背けるは是無限の僭上なり、無限の僭上は無限の謙遜によりてはじめて贖はる、しかるに人は有限にして不完全なる者なるがゆゑに、いかなる謙遜いかなる從順を以てすとも始祖の僭上始祖の悖逆を償ふに足らず、從つて自らその罪を贖ふの力なし
一〇三―一〇五
〔己が道〕慈悲と正義の二道
〔その一か〕慈悲のみによるか
一〇六―一一一
すべて行爲はその源なる心の善を現はせばあらはすほど他の者を悦ばすがゆゑに、宇宙萬物に愛の光を注ぎ給ふ神は、汝等人間をば昔の尊さに歸らせんため、その道を盡すをよしとし給へり
一一二―一一四
世の始め(最始の晝、即ち神が光を造り給へる日)より世の終り即ち最後の審判にいたるまでの間に、贖罪の如く尊き
一一五―一一七
〔神は〕神は人類をその墮落より救はんため人の肉體に宿りて苦しみを受け給ひ
一一八―一二〇
〔正義に當るに〕神の正義にふさはしき贖ひをなすに
一二一―一二三
以下滅するものと滅せざるものとの別を説く
〔溯りて〕六七―九行にいへること
一三〇―一三五
諸天及び天使は今現にあるごとき完全なる状態において直接神に造られしものなれば滅びず、されど地水火風の四原素及びその化合より成る一切の物は他の力によりて形成せらるゝものなるがゆゑに滅ぶ
〔造られし力〕神の直接に造り給へる力、第二原因、星辰の影響
一三六―一三八
地水火風の材となる物質、及びこの四原素の周圍を

〔とゝのふる力〕virt


一三九―一四一
〔聖なる光〕星辰
〔これとなりうべき原質〕complession potenziata 星辰の影響により、集合して禽獸草木の魂と成るの可能性を有する物質
一四二―一四四
汝等人間の魂は神の直接に造り給へる物なれば滅びじ、而して神はこの魂に神を愛するの愛を與へ、これをして常に神と結ばんことを求めしむ(淨、二五・七〇以下及び『コンヴィヴィオ』三、二・五六―九參照)
一四五―一四八
神の直接に造り給へる物は不滅なりとの原則より推して、人の肉體の甦をも信ずるをえむ、神がアダム、エヴァを造り給へる時はその肉體をも直接に造り給へるなれば(創世、二・七)、たとひ罪の爲死とともに滅ぶとも最後の審判の日至れば再び魂と結ばれてその不朽の衣とならむ
ダンテ、ベアトリーチェと金星天にいたり、世にて戀の炎に燃えし多くの靈を見る、その一カール・マルテル、ダンテを迎へこれと語りて人の性情の相異なる所以を陳ぶ
一―三
〔危ふかりし〕異教の神々を奉じ、永遠の刑罰を蒙るの恐れありし昔
〔チプリーニア〕戀の女神アプロディテ(ウェヌス・ヴェーネレ)、キュプロス島に生立ちしよりこの異名あり。金星
〔エピチクロ〕大圈の周邊に中心を有する小圈。プトレマイオスの學説によれば諸遊星は東より西にめぐる外、二の固有の運動を有す、その一は即ちその軌道の周邊(その天の赤道)に小圈を畫きつゝ西より東に

七―九
〔ディオネ〕オケアヌとテティス(共に古の神の名)の間の女。アプロディテはゼウスとディオネの間の女なり
〔クーピド〕エロス。アプロディテの子にて戀の神なり
〔ディドの膝〕『アエネイス』一・六五七以下に、ヴェーネレ(アプロディテ)がアエネアスに對する戀の火をディド(地、五・六一―三註參照)の胸に燃さんとて、まづわが兒クーピド(エロス)をアエネアスの子アスカニウスの姿に變へ、ディドの膝に抱かしめしこと見ゆ
一〇―一二
〔或ひは後或ひは前〕宵の明星となりて現はるゝ時は日沒後なれば後といひ、
〔星の名〕金星をヴェーネレと名づく
一三―一五
〔いよ/\美しく〕ベアトリーチェは天より天と、神の
一六―一八
〔一動かず〕一音に變化なく、一音に震動高低の變化あるとき
一九―二一
〔かの光〕光る星、金星
〔多くの光〕諸聖徒
〔永劫の視力〕永遠に神を視ること。

二二―二七
〔見ゆる風〕電光
〔冷やかなる雲〕アリストテレスの説に曰く。熱くして乾ける氣上昇し、冷やかなる雲に當りて空氣を亂し風を生ずるにいたると、又曰く、電光とは單に風の燃燒によりて見ゆるにいたるものの謂と(ムーアの『ダンテ研究』第一卷一三二―三頁參照)
〔セラフィーニ〕諸天使中最高貴なるもの(天、四・二八―三〇註參照)
〔舞を棄て〕エムピレオの天にてセラフィーニと共に舞ひゐたる諸靈ダンテに現はれんとて降り來れるなり。一九―二一行にいへる舞はエムピレオの天にて始まれるものなるがゆゑにまづといふ
三一―三三
〔その一〕カール・マルテル(カルロ・マルテルロ)。シャルル・ダンジュー二世の長子、一二七一年に生れ、一二九〇年ハンガリアの王冠を受け(されどその實權は分家なる三世の手にありき)、一二九五年に死す。註釋者曰、カールはフランスより歸り來れるその兩親に會はんため、一二九四年の始めナポリよりフィレンツェに赴き少時かしこに滯在せることあればその際ダンテと相識るにいたりしならんと
三四―三六
〔君達〕principi 天、二八・一二五にいづる principati と同じ天使諸階級の一にして金星天を司る者
〔圓を一にし〕共に圓を畫きて轉ること、空間を表はす
〔

〔渇を一にし〕神を慕ふ心、衷なる情を表はす
三七―三九
〔汝等了知をもて〕『コンヴィヴィオ』第二卷の始めに出づる第一カンツォネの起句、この解同書二・六・一五一以下に見ゆ
但し、金星天を司る天使、『コンヴィヴィオ』にては principati に非ずして troni なり(天、二八・九七―九註參照)
〔少時しづまるとも〕神の愛と同胞の愛との相矛盾せざることを表はす(フィラレテス Philalethes)
四〇―四二
ダンテはかの靈と語らん爲その許をば目にてベアトリーチェに請へるなり
四三―四五
〔約しゝ〕三二―三行
四六―四八
〔新たなる喜び〕問者に答へてこれに滿足を與へ己が愛を現はすをうるの喜び(天、五・一三〇以下參照)
四九―五一
〔もし〕我もし長命なりしならば、今より後に起らんとする多くの禍ひは、未發に防ぐをえたりしものを
カーシーニ曰く。こゝにいふ禍ひは、ラーナの説によれは貪慾なるロベルトの惡政を指し、オッチモの説に從へばアンジュー方とアラゴン方とのシケリア爭奪戰を指す、されど恐くはダンテは或る一の確たる事實を指せるにあらで、シャルル二世及びロベルトの
五二―五四
光のわが身を隱すこと、繭の蠶をかくすごとし
五五―五七
〔葉のみに〕さらに深き根強き愛を表はせるならむ
ダンテはマルテルに對し深き敬愛と大いなる希望とを懷きゐたりと見ゆ、されど兩者の關係については定かなること知り難し、マルテルが金星天にある理由も恐くはたゞダンテのみよくこれを知れるならむ
五八―六〇
〔左の岸〕プロヴァンス。ローン河の東にある伯爵領地、ソルガはアヴィニオン附近にてローンに合する小川の名
プロヴァンスはカルロ一世の代にナポリ王の所領となれるものなれば(淨、七・一二四―六註及び淨、二〇・六一―三註參照)シャルル二世の死後は當然マルテルに屬すべきなりき
〔時に及びて〕シャルル二世は一三〇九年に死せり、マルテル早世してこの時を見ず
六一―六三
ナポリ王國もまたマルテルの君臨を望みゐたり
〔バーリ〕アドリアティコ海邊の町
〔ガエタ〕チルレーノ海邊の町
〔カートナ〕カーラブリア州の南端の村
〔際涯を占め〕s'imborga カーシーニの説に、borghi は中古、市の境に列なれる家屋の意に用ゐたればこゝにてはこれらの町々がナポリ王國の際端にあるをいへるならんとあるに從ひてかく
〔トロント〕マルケとナポリとの境を流れてアドリアティコ海に注ぐ河
〔ヴェルデ〕ガリリアーノ河のこと(淨、三・一三―三二註參照)
〔アウソーニア〕イタリアの古名(ウリッセの子アウソネに因みて呼べる)。アウソーニアの
マルテル一男二女を殘し父に先立ちて死す、而してシャルル二世の死後、マルテルの弟(即ちシャルルの第三男)ロベルトはマルテルの子カルロ・ロベルト(一三四二年死)を斥けてナポリ王國の權を握れり(一三〇九年)
六四―六六
マルテルがハンガリア王冠を戴けること
マルテルの母マリアはハンガリア王ラヂスラーオ四世の姉妹なり、一二九〇年ラヂスラーオ死して嗣子なくマルテルその王冠を受く
〔ダヌービオ〕ダニューブ。ドイツより起りてハンガリアを貫流する大河
六七―七五
我またシケリアに君たりしならむ、この國惡政に苦しみてその主權に背き、遂にフランス人の覊絆を脱するにいたらざりせば
〔灣〕カターニア灣。東風(エウロ)最も多し
〔パキーノ〕シケリア島東南端の岬、今カーポ・パッサーロといふ
〔ペロロ〕同東北端の岬、(今のカーポ・ファーロ)
〔ティフェオ〕或ひはティフォ(地、三一・一二四)、ゼウスの電光に撃たれシケリアに葬られし巨人、その頭エトナ山下にありて口より火焔を吐出す(オウィデウス、『メタモルフォセス』五・三四六以下參照)
〔トリナクリア〕Trinacria シケリアの古名(三の岬あるより呼べるギリシア名、三の岬とは前出パキーノ、ペロロの二と、島の西方にあるリリベオ即ち今のカーポ・マルサーラの岬とを指す)
〔カルロとリドルフォ〕父(或は祖父)のカルロと外舅ルドルフの子孫我より生れて
マルテルの妻クレメンツァは皇帝ルドルフ(淨、七・九四―六參照)の女なり
〔虐政〕アンジュー家の
〔パレルモ〕シケリアの首都にて、かの有名なるシケリアの虐殺(一二八二年)の始まれるところ。この虐殺の後シケリアはアンジュー家を離れてアラゴン家に歸せり
〔死せよ〕フランス人に對する群集の叫び
七六―七八
〔わが兄弟〕弟ロベルト(ルイ)シャルル二世自由の身となりし時(淨、二〇・七九―八一並びに註參照)、その第三子ロベルト(ルイ)は兄のルドヴィコ(ルイ)と共にアラゴン
〔豫めこれを〕虐政の臣民に及ぼす結果如何を、王位に即かざる先に知りたらんには
マルテルはロベルト即位後の非政及びその結果を豫知してかくいへるなり
七九―八一
〔彼にても〕ロベルト自身かまたはその親戚知友等
〔荷の重き彼の船〕ロベルトの貪欲の爲既に重き負擔に苦しむかの三國
〔さらに荷を〕廷臣等の貪慾によりてその負擔をさらに重くする莫らん爲
八二―八四
〔物惜しみせぬ性〕父シャルル二世の。シャルル二世がその女ベアトリスをフェルラーラの君に與へて莫大の金をえしこと淨火篇(二〇・七九―八一)に見ゆ、さればこゝにては單にその子ロベルトと此していへるか、或はシャルルに貪慾と寛仁の相混れる性あるをいへるか明ならず、なほ言者がシャルルの子なるを思ふべし(ムーアの『ダンテ研究』第二卷二九三―四頁參照)
八五―九〇
汝の言の我に與ふる喜びは汝自らの(これを神の鏡に

〔一切の善の〕一切の善の本末なる神によりて
九一―九三
〔苦き物〕良き種より惡しき果の生ずる如く、良き父より惡しき子の生るゝをいふ
九四―九六
〔顏を〕顏を向くるはその事、前に現はれて知るゝなり、背をむくるは後にかくれて知れざるなり
九七―九九
生るゝ者の性情はたゞ生む者の性情によるのみならず、また諸天の力を受くるものなる事をいはん爲、以下一一一行まで、神の攝理が星辰の力となりて萬物にその影響を及ぼし、神の豫め立て給ふ
〔善〕神。神は諸天運行の本にてまたその悦びの始なり
〔大いなる物體〕神の攝理は諸天において一種の力となり、この力諸天を通じて人間及び他の被造物にその影響を及ぼす
一〇〇―一〇二
神はたゞ自然の諸物の存在を定め給ふのみならず、またその安寧をも定め給ひ、諸物皆秩序を保ち健全にかつ永續して神の立て給ふ
〔自ら完き意〕神意。被造物の完きは自ら完きに非ず、神によりて完きなり
一〇三―一〇五
諸天の影響は神の豫め定め給へる
一〇六―一〇八
若し諸天の影響にかゝる目的なくその働き偶然ならば、その結果萬物の間に調和なく美なく、自然は渾沌に歸するあるのみ
一〇九―一一一
諸天の働きもしかく盲目的なりとせば、こは諸天を司る諸天使(諸ての智)の不完全に歸せざるをえず、諸天使もし不完全なりとせば、こは彼等を不完全なる者に造り宇宙の秩序を保つに堪へざらしめし神の不完全に歸せざるをえず、而してこはありうべき事ならじ
一一二―一一四
〔自然〕諸天の働き
一一五―一一七
以下一二六行まで、神の攝理が世人の福祉と一致すること。即ち人は皆社會の一員なれば、各

〔一市民たらずは〕一社會を形成して互ひに扶助することをせず孤獨の生を營まば
〔問はじ〕問はずして明らかなれば
一一八―一二〇
〔汝等の師〕アリストテレス。『倫理學』及び『政治學』の諸處に(『コンヴィヴィオ』四・四・四四以下參照)
一二一―一二三
〔業の根〕行爲の本なる性情傾向
一二四―一二六
〔ソロネ〕ソロン。有名なるアテナイの立法家にしてギリシア七賢の一なり(前七世紀)
〔セルゼ〕ペルシアの武將(淨、二八・七〇―七二並びに註參照)
〔メルキゼデク〕舊約時代の祭司長(創世、一四・一八)。サレム王メルキゼデクが祭司の典型として重きをなす所以ヘブル書(七・一以下)に見ゆ
〔わが子を失へる者〕工匠の典型としてダイダロスを擧ぐ(地、一七・一〇六以下並びに註參照)わが子は即ちイカルスなり
一二七―一二九
以下一三五行まで、諸天の影響はよく人界に及びてさま/″\の性向を生ずれども種族家系等の區別を立てざるが故に父子同じからざることあり、要するに是皆神の攝理にもとづくものなるを論ず
一三〇―一三二
〔エサウはヤコブと〕エサウとヤコブ(ジャコッベ)とは共にイサクの子にて
〔クイリーノ〕(槍を揮ふ者、勇士の義)、神に祭られし後のロムロスの一名。ローマの建設者なるロムロスの父は身分賤しき者なりしゆゑ、人々軍神マルテ(ギリシアにてはアレス)をばその父なりと稱するにいたれり
一三三―一三五
神の攝理諸天星辰の影響となりて世に及ぶにあらずば、子は親と全くその性を同うすべし
一三六―一三八
〔汝の後に〕九四―六行參照
〔表衣となさん〕最後に
一三九―一四一
人もしその性向に逆ひその本分にあらざる業をなし職を選べは、地の利を得ざる種の如く(『コンヴィヴィオ』三・三・二一以下參照)決して良き結果にいたらじ
一四二―一四四
〔自然の据うる基〕諸天の影響より生ずる性向
ダンテなほ金星天にありて暴君エッツェリーノ・ダ・ローマーノ三世の姉妹クニッツァ及びマルセイユのフォルコと語る
一―三
〔クレメンツァ〕クレマンス。カール・マルテルの女、一二九〇年頃生れ、一三一五年フランス王ルイ十世に嫁す、その死はダンテの後にあり
一説に曰く、こはマルテルの妻クレメンツァ(天、八・六七―七五註參照)の事にてその女クレメンツァの事にあらずと。前説後説何れにも難あり、「美しきクレメンツァよ、汝のカルロ」といへる言葉の上より見れば妻たる者に適はしく子たる者に適はしからず(スカルタッツィニの『ダンテ事典』參照)、されどマルテルの妻は一二九五年に死したればこれに向ひてかく呼びかくること穩當ならず、今しばらく前説に從ふ
〔欺罔〕特にマルテルの子ロベルトがナポリの王位を叔父ロベルトに奪はれしこと(天、八・六一―三註參照)
四―六
〔汝等の禍〕汝等カルロの子孫の受くる禍ひ。カルロ・ロベルトのうくる虐はとりもなほさずその一家その姉妹等の禍ひなればかくいへり
〔正しき歎〕虐ぐる者その虐の爲に正しき罰を受くること。但し王ロベルトの受くる罰とはたゞ一般にアンジュー王家の衰頽を指していへるなるべし
七―九
〔生命〕カール・マルテルの靈
〔日輪〕神。神は至上の善にましまし、萬物にその力に應じて福を與へ給ふ、かくの如くかの靈もまた神より眞の福を受く
一六―一八
〔さきのごとく〕カール・マルテルと語るの許を請へる時の如く(天、八・四〇―四二參照)
一九―二一
〔速に〕わが問を待たずして我に答へ、汝が神の鏡に映してよくわが心の中を見るを得との
二二―二四
〔さきに歌ひゐたる〕天、八・二八―三〇參照。深處とは光の内部をいふ
二五―二七
邪惡の國イタリアの一部なる
〔リアルト〕ヴェネツィア市の一部を形成する島の名、ヴェネツィア市を代表す
〔ブレンタ〕アルピより出でゝヴェネツィア附近に注ぐ河(地、一五・七―九參照)
〔ピアーヴァ〕アルピより出で、ヴェネツィア市の東北に當りてヴェネツィア灣に注ぐ河
マルカ・トリヴィジアーナはヴェネツィア(南)とアルピの峰(北)の間にあり
二八―三〇
〔山〕ローマーノ山、山上に「エッツェリーニ」家の城ありき
〔炬火〕エッツェリーノ・ダ・ローマーノ三世。傳説に曰く、その母夢にマルカ・トリヴィジアーナの全土を燒盡せる一炬火を生むと見て彼を生めりと。エッツェリーノは第七獄第一圓にあり(地、一二・一〇九以下參照)
三一―三三
〔一の根〕同父母。父はエッツェリーノ二世、母はその第三の妻アデライデ・デーリ・アルベルティ
〔クニッツァ〕エッツェリーノ二世の末女、性放縱にして情人多く三たびその夫を更ふ、されど晩年フィレンツェに住して改悔の歳月を送り慈善の行爲多かりきといふ(十三世紀)
〔この星の光に〕金星の影響を受けて多情なりしため
三四―三六
我はかの多情の罪の爲に今わが心を惱まさずかへつて喜びをもてこれに對することをう、これ汝等世俗の人の解し難しとするところならむ
戀愛の情は一たび淨まれば即ち神にむかひて燃ゆる愛の火となる、クニッツァ改悔によりて濁れる愛を
〔命運の原因〕在世の日の罪、即ちクニッツァをしてさらに高き天の福を受けざらしめしもの。まづ神に赦され而して後自ら赦すなり
三七―三九
〔珠〕フォルコの靈(九四行以下參照)
四〇―四二
〔第百年は〕定數五百年を不定數多年の意に用ゐたり
〔第二の生〕死後世に殘る美名
四三―四五
〔ターリアメントとアディーチェ〕マルカ・トリヴィジアーナをその東(ターリアメント)西(アディーチェ)の境にある二の河にてあらはせるなり
〔これ〕善行によりて美名を竹帛に垂るゝこと
〔撃たる〕エッツェリーノ及びその他の暴君の壓制を受けて苦しめども
四六―四八
以下六〇行まで、己が郷國に關するクニッツァの豫言
〔パードヴァ〕註釋者曰く。一三一四年カン・グランデが皇帝の代理としてヴェツェンツァのギベルリニを助け、パードヴァのグェルフィを破りて沼(即ちバッキリオネ河がヴェツェンツァの附近にて造る沼)の水を紅に染めしをいふと
カーシーニの引用せるアンドレーア・グローリア(Andrea Gloria)の説に曰く。こは一三一一年以降におけるパードヴァ、ヴェツェンツァ兩市の爭ひをいへり、ヴェツェンツァ人水の缺乏によりてパードヴァ人に勝たんと欲しバッキリオネ(即ちヴェツェンツァを經てパードヴァに流るゝ河)の河水を他に轉流せしむ、パードヴァ人すなはち疏水工事によりてブレンタの河水の一部を導き、水なきバッキリオネの流域に流れ入らしむ(一三一四年)、ダンテの所謂水を變ずとは是なり、沼(palude)とはブルセガーナ附近の名にてブレンテルラの細流バッキリオネに落合ふところなり、パードヴァ人工事を施してこの細流を延長しかつ廣大ならしめ、由て以てブレンタの水を引けりと
四九―五一
〔落合ふ處〕トレヴィーゾ。シーレ、カニアーノの兩河こゝにて落合ふ
〔或者〕リッカルド・ダ・カーミノ。淨、一六・一二四に出づるゲラルドの子にてニーノ・ヴィスコンティの女ジョヴァンナ(淨、八・七〇―七二)の夫なり、一三一二年怨みを受けて不意に殺さる
ゲラルドの死は一三〇六年なれど一三〇〇年頃リッカルド既に實際の政治にたづさはりゐたりと見ゆ
〔網〕regna(島を捕ふる網)網を造るは殺害を企つるなり、傳へ曰ふ、リッカルド己が邸内にて將棊を差しゐたる時、相手の客、リッカルドの家僕と示し合せてこれにその主を殺さしむと
五二―五四
〔フェルトロ〕(フェルトレ)トレヴィーゾの北にある町
〔牧者〕アレッサンドロ・ノヴェルロ。一二九八年より一三二〇年までフェルトレの僧正たり、一三一四年七月フェルラーラの君にてグエルフィ黨なるビーノ・デルラ・トーザの請に應じ、己の許に保護を求めし多くのフェルラーラ人(ギベルリニに屬する)をこれに渡し、かれらを死に致らしむ
〔マルタ〕僧侶を罰する一牢獄の名として最有力なるは、(一)ボルセーナ湖畔の「マルタ」、(二)ヴィテルボの「マルタ」なり。されどダンテがこの中何れを指せるや或はまた他の「マルタ」を指せるや明ならず
近時このマルタをもて一般牢獄の名となすの説あり(一九二〇年一月二日發刊「タイムス」文藝附録トインピー博士寄書參照)、但しダンテがこゝに、重罪を罰する一牢獄の名もしくは一種の牢獄の名としてマルタの語を用ゐたりと見なす方語氣に力を添ふるに似たり、しはらく後日の研究に俟つ
五五―六〇
〔黨派〕グエルフィ
〔かゝる贈物〕かく恐ろしき贈物も、背信非道の行の盛なるマルカ・トリヴィジアーナの慣習としてはめづらしからじ
六一―六三
クニッツァは己が豫言の的確なるを記せんとてかく曰へり
〔上方〕エムピレオの天
〔寶座〕第三位の天使。直接に神の光を受けてこれを諸聖徒に傳ふるがゆゑに鏡といふ
〔審判の神〕神の審判は皆この天使を通じて我等に啓示せらるゝがゆゑにわが言眞なり
六四―六六
〔さきのどとく〕天、八・一九―二一參照
六七―六九
〔知りし〕クニッツァの言によりて(三七行以下參照)
〔喜び〕聖徒
七〇―七二
天上の喜びは聖徒の強き光に現はれ、地上の悦は人間の笑に現はる、たゞ地獄にては魂の内部の悲外部の黒さにあらはるゝのみ
七三―七五
〔目神に入る〕よく神を見るをいふ、聖徒達は神を見、その鏡に照してまたよく萬物を視るなり
〔いかなる願ひも〕言葉に現はれざる願ひも
七六―七八
〔火〕セラフィーニ(天、八・二二以下參照)。輝くが故に火といふ、六の翼あり(イザヤ六・二)
七九―八一
〔もしわが〕わが心の中を汝の知る如く汝の心の中を我知らば、換言すれば、我もし汝なりせば、問はるゝを待たで答ふべし
八二―八四
〔地を卷く海〕大洋
〔を除きては〕Fuor di フラティチェルリの説に從ふ。「より出でゝ」と解する人あり
〔最大いなるもの〕地中海
八五―八七
〔相容れざる〕discordanti 南北の反對面にある意の外、ヨーロッパとアフリカとの政教習俗等相異なる意をも含めしならむ(ムーアの『ダンテ研究』第三卷一二六頁脚注參照)
〔日に逆ひて〕西より東に
〔さきに天涯と〕西瑞[#「西瑞」はママ](ガデス)より見て天涯なる圈は東端(イエルサレム)より見て天心なり。西端の日出は東端の正午に當る、換言すれば、東西の兩端相距ること九十度なり
地中海の延長は四十二度に過ぎざれども、ダンテはその時代の謬見に從つて約九十度と見做しゝなるべし
さきにといへるは單に測定の出發點としての時を指せるにて先後あるにあらず、人もし地中海の一端より忽ち他端に到るをえば、西端にて地平線上に見えし太陽は東端にて子午線上に見ゆべしとの意なり(トーザー H.F.Tozer)
八八―九〇
〔エブロとマークラ〕イスパニアのエブロ河とイタリアのマーグラ河(ルーニジアーナにあり)。フォルコの郷里マルセイユは即ちこの兩河の間にあり
〔短き〕マーグラは六四キロメートル程の小河なる上、昔トスカーナとゼーノヴァ兩共和國の堺を劃せるはその一部に過ぎざりき
九一―九三
〔己が血をもて〕ブルートゥスがカエサルの命を受けてマッシリア(マルセイユ)の海戰に勝ち殺戮を行へる時(前四九年)の事を指す
〔ブッジェーア〕アフリカの北岸アルゼリアにあり、中古の要港(特にマルセイユとの通商上)としてこゝに擧ぐ、マルセイユと略その經度を同うするが故にかく
九四―九六
〔フォルコ〕(或はフォルケット)、ゼーノヴァよりマルセイユに移住せる商人の子、十二世紀の後半に生れ、トロヴァドル派の詩人となり、情事多し、後無常を觀じて僧となり、一二〇五年トロサ(フランスの南にある町)の僧正に任ぜられ、アルビジョア派(十二世紀に起れる異端派)の人々をいたく迫害し、一二三一年に死す
〔象を〕フォルコの象を捺すはその光を金星天に輝かすなり、金星天の象を捺せるはその影響によりて戀の火を燃せるなり
九七―一〇二
〔ベロの女〕ディド(地、五・六一―三註參照)、チュルス(聖書ツロ)王ベルスの女。アエネアスを慕ひて、亡夫スュカエウス及びアエネアスの先妻クレウザの靈を虐げしなり
〔ロドペーア〕フュルリス。トラキア王シトネの女、ロドペ山(トラキアにあり)の附近に住めるよりこの異名あり、傳説に曰、テセウスの子デモポオーン(デモフォーンテ)これを娶らんと約してその郷里アテナイに赴き期に至れども歸らざりしかば、フュルリス欺かると思ひて縊死すと
〔アルチーデ〕ヘラクレスの異名、ヘラクレス、テッサリア王エウリュトスの女イオレを愛して、その妻ディアネイラの嫉妬を招きネッソスの毒に感じて死す(地、一二・六七―九註參照)
〔齡〕pelo(毛)老ゆれば白くなるによりて齡の義あり、齡に適はしき間とは若き時の續く間をいふ
一〇三―一〇五
〔再び心に〕レーテの水に洗ひ去られて
〔定め、整ふる力〕星辰の影響を人に與へつゝ(定め)、遂に救に到らしめ給ふ(整ふる)神の力
一〇六―一〇八
我等は天地萬物を
〔かく大いなる神業〕創造の御業
異本、「かく大いなる愛をもて」
〔天界に下界を治めしむる〕或ひは torna を轉らしむ(下界のまはりを)の意に解する人あり
異本、「下界を天界に向はしむる」
一一五―一一七
〔ラアブ〕ラハブ。エリコの遊女、ヨシュアの遣はしゝ二人の間者をかくまひ、その徳によりて己が一家災を免かる(ヨシュア、二、同六・一七、ヘブル、一一・三一、ヤコブ、二・二五)
〔やすらふ〕永遠の救ひをえ完き平和を樂しむをいふ
〔その印を〕その光をもて我等を照らす、而してその光は我等の中の最強き光なり
一一八―一二〇
詩人時代の天文學によれば地球の投ぐる圓錐状の影は金星にまで及ぶ(ムーアの『ダンテ研究』三卷二九―三〇頁參照)
註釋者曰く。是下方の三天においてダンテに現はるゝ諸靈が世に屬する種々の汚點をその生涯にとゞめし意を寓すと
〔クリストの凱旋〕天、二三・一九―二一參照
一二一―一二三
〔左右の掌にて〕合掌して。祈りをもて
〔勝利〕ヨシェア(ジョスエ)がエリコにて得たる
或曰く。左右の掌は釘にて打たれし左右の手即ちキリストの十字架にて勝利はキリストの勝利なり、中世ラハブは寺院の典型と見なされ、その家の窓に結びつけし赤き紐(ヨシュア、二・一八)はキリストの血の象徴と見なされたればかくいへりと、委しくはスカルタッツィニの註を見よ
一二四―一二六
〔法王の〕法王ボニファキウス八世が聖地をサラセン人の蹂躙に任じて顧みざりしこと(地、二七・八五以下並びに註參照)
〔最初の榮光〕最初の軍功即ちエリコの奪略
一二七―一二九
聖地と法王との事をいへるに因みて、以下寺院に屬する者の貪欲を責む
〔者〕惡魔。人類の幸福を嫉み、これを誘ひて罪に陷れ、歎きの本なる禍ひを殘せり(地、一・一〇九――一一參照)
〔汝の邑〕フィレンツェ。貪慾嫉妬のはびこれる處(地、六・四九、一五・六七――九參照)なれば惡魔これを建つといへり
一三〇―一三二
〔詛ひの花〕フィレンツェの金貨即ちフィオリーノ。その一面に百合の花形あれば花といひ(地、三〇・八八―九〇註參照)、僧侶等これを貪るあまりに人を正しく導かずしてかへつてこれを迷はしむれば詛ひといへり。羊羔とは老若を問はずすべて牧者の保護の下にある信徒を指す
一三三―一三五
〔これがために〕この貨幣を貪るによりて
〔大いなる師〕聖父の教へ
〔寺院の法規〕Decretali おしなべて寺院の法典を指す。僧侶等聖書及びこ高僧の著作を棄てゝひとりこの書に熱中するは單にこれによりて名譽地位從つて金錢を得んと欲すればなり
〔紙端に〕紙端に種々の書入れをなすをいふ
一三六―一三八
〔これに〕貨殖に
〔ナツァレッテ〕ナザレ。キリストの郷里にて、天使ガブリエルが處女マリアに神子の降誕を告げ知らしゝところ(ルカ、一・二六以下)。こゝにては聖地パレスティナを代表す
一三九―一四二
〔ヴァティカーノ〕ローマの名所にて聖ペテロの墓及びその宮殿のあるところ
〔選ばれし地〕神に選ばれて神聖となれる場所
〔軍人等〕ペテロの例に傚へる殉教者
〔姦淫〕キリストの新婦(寺院)の。姦淫より釋放たるとは貪慾の爲に亂れし寺院の政治を離るゝをいふ
但しこの解放の豫言明ならず、註釋者或ひはこれをボニファキウス八世の死(一三〇三年)とし、或は法王廳のアヴィニオンに移れる(一三〇五年)事とし、或ひはハインリヒ七世のイタリアに來れる(一三一一年)こととし、或ひは地、一・一〇〇以下及び淨、二〇・一三以下に出づる獵犬と同じとす
ダンテ導かれて太陽天にいたれば、哲人及び神學者の靈集まりてこれをかこむ、その一トマス・アクイナス、ダンテと語り、かつこれにその十一の侶の名を告ぐ
一―六
父なる神はその子キリスト及び聖靈によりて天地萬物を創造し給へり、而してこれらの被造物の間には極めて美妙なる秩序あるがゆゑにこれを觀これを思ふ者必ず神の大能を窺ひ知るにいたる
〔第一の力〕父なる神
〔愛〕聖靈。父と子とより出づ
神學上の一論爭點なり、ダンテはトマスその他所謂
〔うちまもり〕父なる神が子を通じて宇宙を造り給へるをいふ
〔心または處〕心に現はるゝものは靈に屬する物、空間に存在するものは物質に屬する物
〔これを〕この秩序を
七―九
〔ところ〕晝夜平分點。即ち黄道(太陽の年毎の運行)と赤道(太陽の日毎の運行)との截點(一三――五行註參照)
一〇―一二
〔師〕神
〔目を〕神はその創造の
一三―一五
〔圈〕獸帶。即ち冬至線を南に、夏至線を北にし、黄道に沿ひて西より東に進み、春分秋分に至りて斜に赤道を截斷する想像の大圈
〔呼求むる〕せは獸帶の諸星のさま/″\なる影響を要するを指す
〔かしこ〕かの赤道の一點
一六―一八
もし獸帶かく傾斜せずして赤道と平行せば、星の影響に變化なく同一の影響同一の場所にのみ及び、他に及ばざるが故に(多くは空し)、さま/″\の影響によりて活動する下界はその活力の大部分を失ふにいたらむ
一九―二一
獸帶の南北に傾斜する度今より多きか少き時は、温度、季節、晝夜の長短、風雨霜雪の分布等悉く今と異なるにいたり、地上の秩序爲に亂れむ、地上の秩序の亂るゝは天の秩序の亂るゝなり
〔上にも下にも〕天にも地にも
或は二一行の mondano を地球上の意とし「上下」を南北兩半球と解する人あり、されど一七―八行に nelciel と qua gi

二二――二四
〔疲れざる〕求むるのみにて得ざれば疲る
〔椅子に殘り〕研究の爲に殘りて
〔少しく味はしめしこと〕「師の技」につきてわがこゝに少しくいへること
二五―二七
〔食む〕思ひめぐらしてさとること
〔わが筆の〕我わが長き詩題に驅られこれに心專なる爲、今茲に詳かにこの一の事を述べがたし
二八―三〇
〔僕〕太陽
〔天の力を〕その上なる諸天よりうけし力を世界に與へ
〔己が光をもて〕即ちその

三一――三三
〔處〕前記の截點にあたる處にて、この處と合すといふはなほ白羊宮の星と列るといふ如し、太陽はこの時既に截點を過ぎて北に進みゐたればなり
太陽春分にいたりて白羊宮に入り、秋分にいたりて天秤宮に入る、神曲示現の時は春なれば、こゝにては前者を指せり
〔螺旋〕東より西に

〔早く〕春分以降夏至にいたるまで太陽北に進むに從つて日は次第に夜よりも長し
三四―三六
〔我この物と〕我は太陽天に入りたり、されどあまりに早くして、登り行けることを知らず
〔思ひ始むるまでは〕思ひはからずも心に生じて、思ひのあることを知れどもその生じゝ次第を知らざる
三七―三九
〔善よりこれにまさる〕一天より、さらに高き一天に導き
四〇―四二
〔色によらで〕太陽と色の異なるによりてその天の中に明かに見ゆるにあらで、光のこれにまさるによりてしか見ゆるとは
〔そのもの〕太陽天にてダンテに現はるゝ賢哲の諸靈
四三―四五
〔信じ〕人たゞかく強き光あることを信じ、いつか天堂にて自らこれを成るを願ふべし
三七行より四五行に亘る三聯ムーア本にては「あゝ己が爲す事の、時を占むるにいたらざるほどいと早く、一の善より、まされる善に移りゆく(愈

四六―四八
人は未だ太陽よりも強き光を見しことなければ、かゝる光を想像し能はざるも宜なり
四九―五一
〔尊き父の〕神の第四の族、即ち第四天(太陽天)の諸靈
〔氣息を嘘く〕
五二――五四
〔天使の日〕見えざる靈の日即ち神
六一――六三
ベアトリーチェは己が忘られしことを怒らずかへつて滿足の微笑を見せたれば、その目の輝は、專ら神に向ひゐたるダンテの心を呼戻し、彼をしてその身邊の事物を見るにいたらしむ
六四―六六
〔勝るゝ〕太陽の光よりも
〔われらを〕ダンテとベアトリーチェとを取卷き、かれらを中心として一圓形を畫けるなり
六七――六九
月のまはりに
〔暈り〕水蒸氣を多く含み
〔暈となるべき糸〕暈となるべき光の糸
〔ラートナの女〕月。ゼウスとラートナの間の女ヂアーナを月と見なせるなり(淨、二〇・一三〇――三二並びに註參照)
七〇―七二
〔王土の外に〕王土内ならでは知るに由なき。言葉にては傳へ難き
註釋者曰く。繪畫彫刻等極めて貴重なる美術品類の國外輸出を禁ずることあるより、この此喩出づと
七三―七五
〔光〕諸靈
〔かしこに〕自ら天堂に到るべき準備をせずして天上の美を知らんとするも何ぞよくその望を達せむ
七六―七八
〔日輪〕靈
〔極に近き星の如く〕極に近き星が極を中心とし常に同一の距離を保ちてめぐる如く、諸の靈はベアトリーチェとダンテとを中心としてめぐれり
七九―八一
註釋者曰く。こは譬へを舞の歌(ballata)にとれるなり、
八二―八四
〔その一〕「燃ゆる日輪」の一
〔恩惠の光〕神恩の光。
八五―八七
〔また昇らざる〕一たび天上の幸福を味へる者はたとひ地上に歸るとも僞りの快樂に迷はず道心堅固なるがゆゑに死後必ずまた天に登る(淨、二・九一――三並びに註參照)
〔階〕天より天と昇る階
八八―九〇
教へをもて汝の求知の念を滿足せしめざる者は、その自然の性を枉ぐる(自由ならざる)こと海に注がざる水の如し
水は皆低きにつきて海に流れ入らんとする自然の性を有する如く、我等は皆汝の願ひを滿さんとする性向を有す
九一―九三
〔花圈〕ベアトリーチェとダンテとをまろく圍める一群の靈。ダンテはこれらの靈の誰なるやを知らんと願へるなり
九四―九六
我は聖ドミニクス派の僧なりき
〔迷はずばよく肥ゆ〕世の誘惑に從はずは高徳に達す(天、一一・二二以下參照)
九七―九九
〔兄弟〕宗教上の
〔アルベルト〕アルベルトゥス・マグヌス。中古最も卓越せる哲學者兼神學者の一、一二〇六年シェヴァーベン(天、三・一一八―二〇註參照)のラウインゲンに生れ、一二八〇年ケルン(レーノ即ちライン河畔の町)に死す、彼がドメニコ派の人となれるは一二二二年の頃にてそれより二十幾年の後ケルンにて教へを授く、著作多し、その學識のいかに博かりしやは百學の師(Doctor universalis)の名あるによりて知りぬべし
〔トマス〕トマス・アクイナス。アクイーノ(ローマとナポリの中間モンテ・カシノの附近にある町)の伯爵家の出、一二二五年の頃父の領地ロッカセッカに生る、初めナポリの大學に學び、一二四三年ドメニコ派の僧となり、後ケルンに赴きてアルベルトゥスに師事しまた彼と共にパリに到る、一二四八年以降ケルン、パリ、及びナポリの各地にてその業を授け、一二七四年リオンの宗教會議に連らんためナポリを出で途にて病をえて死す(淨、二〇・六七――九並びに註參照)
トマスは中古の大知識にて著作多し、就中その『神學大全』(Summa theologiae)は今猶ローマ寺院の寶典たり、ダンテの神學説に甚だ顯著なる影響を與へしもこの書なり
一〇三―一〇五
〔グラツィアーン〕グラティアヌス。有名なるイタリアの寺院法學者、十二世紀の人、その編纂せる(一一四〇年頃)寺院法即ち所謂「グラツィアーノの寺院法」として世に知らるゝものは、聖書の本文、使徒の信條、宗教會議の法規、法王の令旨並びに諸聖父の拔萃文より成り、僧俗二法の調和をはかれる(二の法廷を助けし)ものなりといふ
一〇六―一〇八
〔ピエートロ〕ペトルス・ロムバルドゥス。(ロムバルディアなるノヴァーラ地方の生れなればこの名ありといふ)。十二世紀の始めに生れ、一一六〇年に死す、その編成せる教法集四卷(Sententiarum Iibri IV)はアウグスティヌス及びその他の諸聖父のキリスト教理に關する論説を集めしものにて實に寺院の寶と稱すべく、爾後この書の研究者註釋者甚だ多く、ペトルスは爲に教法先生(Magister sententiarum)の名にて廣く世に知らるゝにいたれりといふ
〔貧しき女〕二個の小錢を神に獻げし寡婦(ルカ、二一・一以下)
こは教法集の序詞に「かの貧しき女の如く、我等の貧窮の中より
一〇九―一一一
〔第五の光〕ソロモン。ソロモンはダヴィデ王の子にてイスラエルの王なり
〔その消息〕ソロモンの魂の救はれしや否や(列王上、一一・一以下參照)は神學者間にとかくの議論ありし點なりければ(ヴァーノン『天堂篇解説』第一卷三五四―五頁參照)その眞の消息を聞かんと切に願ふなり
〔戀より〕特に「雅歌」の作者として
一一二―一一四
〔眞もし眞ならば〕眞その物なる聖書にして誤りなくば
〔これと並ぶべき者〕「我汝に賢き聽き心を與へたり、されば汝の先に汝の如き者なかりき、また汝の後に汝の如き者興らぎるべし」(列王上、三・一二)
一一五―一一七
〔光〕ディオニュシオス(デオヌシオ)。使徒パウロの教へを聽きてキリスト教徒となりしアレオパーゴの法官(使徒、一七・三四)。かの有名なる諸天使階級論(De caelesti Hierarchia)はディオニュシオスの作(實は後代の作)と見なされたれば天使の性云々といへるなり
一一八―一二〇
〔小さき光〕オロシウス(但し異説あり委しくはムーアの『批判』四五七頁以下を見よ)。イスパニアの高僧なり(四―五世紀)、聖アウグスティヌス(天、三二・三四――六註參照)の勸めに從ひキリスト教に對する異教徒の非難を論駁せんとて排異教徒史七卷を著はす。小さしといへるはその著作第一位にあらざればなるべし
〔用ゐに供へし〕アウグスティヌスの勸め及び助言に從つてかの書を著はし、アウグスティヌスをして自ら筆を執るに及ばざらしめし意
〔信仰の〕原文、「キリスト教時代の」
一二四―一二六
〔聖なる魂〕アニキウス・マンリウス・セヴェリヌス・ポエティウス、イタリアの政治家兼哲學者、紀元四八〇年頃ローマに生れ、五一〇年ローマのコンスルとなる、ゴート人の王テオドリクス、ボエティウスがゴート人の手よりローマを救ひ出さんと謀れるを疑ひこれをパヴィアに幽閉し後死刑に處す(五二五年)、その獄中に著はせる『哲學の慰め』(De consolatione philosophiae)はダンテの愛讀書の一なり(『コンヴィヴィオ』二、一三・一四――六參照)
〔一切の善〕神
一二七―一二九
〔チェルダウロ〕パヴィアなる聖ピエートロの寺院にてボエティウスの墓所
〔殉教〕異教徒の苛責の下に死せるがゆゑに寺院は彼を殉教者となせり
一三〇―一三二
〔イシドロ〕イシドールス。シヴィリア(イスパニアの)の僧正、六三六年に死す、博學にして著作多し
〔ベーダ〕イギリスの高僧兼史家(七三五年死)、著作多し、就中『英國寺院史』最もあらはる
〔リッカルド〕リシャールス。コットランド人にてパリ附近なる『聖ヴィクトル』僧院の院主なり(一一七三年頃死)、ダンテはカン・グランデに與ふる書の中(五五三――四行)にてその著『瞑想論』を擧げたり。人なる者云々とは彼の所論の神秘的超人的なるをいふ
一三三―一三八
〔死の來るを〕瞑想によりて世の無常を觀じ、解脱の道を死に求むるなり
〔藁の街〕(Fr. rue du Fouarre)パリの街の名、哲學の諸學校この街にありきといふ。藁の街にて教ふといふはなほパリ大擧の教授となれりといふ如し(カーシーニ)
〔嫉まるゝべき〕己が説の爲に敵をつくるの謂ならむ、但しその如何なる説なりしやは明ならず、註釋者曰く。
シジエーリ、パリの宗教裁判所にて異端の罪を受け、抗辯の爲イタリアのオルヴィエート(その頃ローマの法廷ありし處)にいたり、かしこにて一僧侶の手に斃ると(スカルタッツィニ註參照)
〔シジエーリ〕シジエーリ・ド・ブラバンテ。ベルギーの人にてアヴェルロイス系の哲學者なりといふ、傳不詳(十三世紀)
一三九―一四四
〔神の新婦〕寺院。新郎はキリスト
〔朝の歌を〕mattinar なる語は元來戀人等(男)がわが戀ふる女の家の前にてあさまだき歌をうたふ意なりといふ、かれらがかゝる歌をうたひて戀人の愛を得んとするを、寺院の會集が禮拜し祈祷して神の恩寵を受けんとするに譬へしなり
〔時〕早朝
〔時辰儀〕めざまし時計の一種なるべし、曳きかつ押すとは齒車の一が小槌を曳きかつ押して
〔神に心〕敬虔なる信徒の心を、神を愛するの愛にて
一四五―一四八
〔輪〕十二聖徒の輪
トマス・アクイナス、聖フランチェスコの物語をなす
一―三
〔推理〕天上の福は人間至上の欲望なるべきに、人の理性完からねば推理を誤り、地上の物をもて人間至上の欲望となす
四―六
〔醫〕aforismi(箴言)名醫ヒッポクラテス(地、四・一四三)の著書『箴言』に因みて醫學の意に用ゐたり
〔僧官〕神に事へん爲ならで富に事へんため。
〔詭辯〕他を欺きて
一三―一五
〔いづれの〕前曲に出づる十二の靈のいづれも。トマスの語れる間舞をやめし十二の靈、再び舞ひつゝベアトリーチェとダンテのまはりを一周し、後又再び止まれるなり
一六―一八
〔光〕トマスの
〔いよ/\あざやかに〕天、五・一〇三以下參照
一九―二一
わが輝は神より出づ、かくの如く我は神を視て(即ち神の鏡にうつして)汝の疑ひの本を知る
二二―二七
〔さきに〕天、一〇・九六
〔また〕天、一〇・一一四。但し surse(興る)と nacque の(生る)との差あり(オックスフォード版)
學會本、前後同じ(ムーア『用語批判』四六〇頁以下參照)
三一―三三
〔新婦〕寺院。新郎はキリストなり
〔大聲によばはり〕十字架上に(マタイ、二七・四六及び五〇等)
〔血をもて〕「主の寺院、即ち主が己の血をもて買給ひし寺院を」云々(使徒、二〇・二八)
〔愛む者〕新郎キリスト
三四―三六
「左右の」一は智をもて導き、一は愛をもて導く、次聯註參照
三七―三九
〔熱情〕フランチェスコの愛の強きをいへり、セラフィーノは愛に然ゆる天使なり
〔知慧〕ドミニクスの智の深きをいへり、ケルビーノは智に富む天使なり
愛は新婦をしていよ/\夫に忠實ならしめ、智はこれをして安んじて(異端邪説等の恐れなく)夫の許に往かしむ
四〇―四二
〔一人〕フランチェスコ
〔目的は一〕寺院の保護指導
四三―四五
まづフランチェスコの生地アッシージの地勢を陳ぶ
〔トゥピーノ〕アペンニノより出で、アッシージの南を流れ、キアーシオと合してテーヴェルに注ぐ小川の名
〔ウバルド尊者〕ウバルド・バルダッシーニ。一一二九年より一一六〇年までグッビオの僧正たり、その以前グッビオ諸山の一なるアンシアーノ山に卜居しゐたりといふ
〔選ばれし〕ウバルドは後再びかの地に隱遁してその一生を送る意圖ありしも果さゞりきといふ
〔水〕キアーシオ河。アンシアーノ山より出でアッシージの西を流れてトゥピーノと合する小川
〔高山〕スパーシオ山(アペンニノの分脈)。アッシージはこの山の西の腰にあり
〔肥沃の〕葡萄、橄欖の産地なれば
四六―四八
〔ペルージア〕アッシージの西の方約十五マイルにある町
〔ポルタ・ソレ〕アッシージに面するペルージアの門をかく呼べることありといふ。スバーシオの山々は夏期日光を反射し冬期雪に蔽はるゝが故に寒暑の影響をペルージアに及ぼすといへり
〔ノチェーラとグアルド〕スバーシオ山の後方即ち東(アッシージの東北)にある二邑
〔重き軛〕grave giogo ペルージアに從屬してその壓制に苦しめるをいふ
或曰く。こは「不毛の山地」の義にて、東方の地の急坂多く耕作の利なきをいひ、四五行の fertile costa と對照せしめしものなりと
四九―五一
〔嶮しさの〕山坂の急ならざる處より
〔日輪〕イタリアの高僧聖フランチェスコ(一一八二―一二二六年)
〔これ〕我等の居る處なるこの太陽
〔をりふし〕常に同じ地點より出づるにあらねばかくいへり。この太陽が夏期最強の光を放ちて東の方インドのガンジス河口より現はれ出づる如く
五二―五四
〔アーシェージ〕Ascesi アッシージ(Assisi)の古名
五五―五七
〔地に〕彼の例に傚ひて徳に進むの念を世人に起さしめしなり
五八―六〇
〔女〕貧(七三――五行)
〔父と爭ひ〕貧を選べる爲父の不興を蒙れること
この頃フランチェスコ衣類と馬とを賣りて得たる價を一寺院に喜捨し、爲に父の譴責を受けしことありといふ
六一―六三
〔己が靈の法廷〕アッシージの僧正の法廷。フランチェスコはこの僧正と父との前にて父の財産を繼がじと誓ひたり
六四―六六
〔最初の夫〕キリスト(七〇――七二行註參照)
六七―六九
〔アミクラーテ〕アミュクラス、ダルマーチアの貧しき漁夫、一茅屋と一艘の舟とはその全財産たり、カエサル對ポムペイウス戰亂の餘波を受けて略奪盛に行はれ人心恟々たりし時アミュクラス獨り赤貧と親しみ臥するに戸を閉づることなし、一日カエサル、アドリアティコ海を渡りてイタリアに赴かんためその茅屋に至れるに彼さらに驚かず、客のカエサルなるを知りて猶容易に船を出すを肯はざりき(『コンヴィヴィオ』四、一三・九七以下參照)
〔益なく〕かの女の益とならざること。世人はかゝる物語を聞くとも貧を愛するにいたらざれはなり
七〇―七二
〔マリアを〕ヨハネ傳一九・二五參照
〔クリストとともに〕キリストは貧に生れて貧に死し給へり、「狐に穴あり、
七三―七五
〔長き言〕五八―七二行にいへること
七六―七八
フランチェスコが清貧と親しみ深くこれを愛せることは世の教訓となり、人多くその例に傚ふにいたれり
〔愛、驚、及び敬ひ〕世人は愛と驚嘆と畏敬とをもてかれらの和合喜悦を見、遂に自ら聖なる思ひを懷くにいたれり
七九―八一
〔ベルナルド〕ベルナルド・ダ・クワンタヴァルレ。アッシージの富豪、フランチェスコの最初の弟子となりてその産を貧者に分與す
〔沓をぬぎ〕師の例に傚ひ素足にて歩むこと
〔大いなる平安〕清貧の生活
八二―八四
〔未知の〕清貧は世人未知の富、裕に果を結ぶ(眞の福の果を)寶なり
〔エジディオ〕アッシージの人(一二七二年死)、その著 Verba aurea(金言)今に傳はる
〔シルヴェストロ〕アッシージの僧
〔新郎〕フランチェスコ。新婦は貧
八五―八七
フランチェスコがその派の規定に對して法王インノケンティウス三世(一一九八年より一二一六年まで法王たり)の准許をえん爲、貧(戀人)と弟子達(家族)とを伴ひローマに赴けること
〔卑しき紐〕フランチェスコ派の僧侶が帶となせる節多き細紐(地、二七・九一―三註參照)
八八―九〇
〔ピエートロ・ベルナルドネ〕フランチェスコの父にてアッシージの富める商人。フランチェスコはその生れの貴からざるをも、その姿のみすぼらしきをも恥とせず
九一―九三
〔嚴しき〕フランチェスコ派の規定の峻嚴にして容易に守り難き意を含む
〔最初の印〕フランチェスコがインノケンティウス三世より假准許を受けしは一二一〇年頃の事なりといふ
九四―九六
〔天の榮光の中に〕地上の僧達に歌はれん(フランチェスコ派の人々その師の生涯を合唱にて歌ふ習ひありたれば)よりは天にて諸天使諸聖徒にうたはれんかた
但しトマス自ら天にてかの聖者の一生を歌へるものなるがゆゑに異説多し
九七―九九
〔永遠の靈〕聖靈。神の恩寵ホノリウスを通じて准許をフランチェスコに與へ、その聖なる志を遂げしむ
〔オノリオ〕法王ホノリウス三世(一二一六年より一二二七年まで法王たり)。フランチェスコが彼より正式の准許を受けしは一二二三年の事なり
〔法主〕archimandrita 群羊の
一〇〇―一〇二
年代順よりすれば九三行に續く。一二一九年フランチェスコは十二の高僧と共に十字軍に從つてエジプトに赴き、この地のサルタンを改宗せしめんためその目前にてキリストの教へを宣べたりといふ
〔從者等〕使徒及びその他の聖者達
一〇三―一〇五
〔草の實〕宣教の收穫
一〇六―一〇八
〔粗き巖〕テーヴェルの上流とアルノの上流との間即ちカセンティーノにあるアヴェルノ山。傳へ曰ふ、フランチェスコこゝにて四十日の斷食をなせりと
〔最後の印〕
一〇九―一一一
〔かゝる幸に〕聖傷の痕を身に受くるほどの恩惠を下し給ひし神
一一二―一一四
〔女〕貧
一一五―一一七
〔他の〕貧の懷以外の。傳に曰く、死の近づくを知るやフランチェスコはその愛する寺院なるサンタ・マリア・デーリ・アンジェリに移るを願ひ、かしこにて貧に對する最後の愛を表はさんため衣を脱し地上に臥してその生を終ふと
一一八―一二〇
聖フランチェスコの人となりより推して、これとともに寺院指導の任に當れる聖ドメニコの人となりを知るをえむ
〔ピエートロの船〕寺院。異端邪説迫害殉教等の浪荒き大海を渡りて
一二一―一二三
〔教祖〕ドミニクス派の基を起せる聖ドミニクス
〔良貨を〕ピエートロの船といへるに因みて。高徳の人となりて寶を天上に貯ふること
一二四―一二六
〔群〕ドミニクス派の僧侶等
〔新しき食物〕名譽地位ある僧職
〔山路〕salti 山や林の間の牧地
一二七―一二九
〔乳〕教への糧
一三〇―一三二
〔牧者に近く〕教祖の教へに從つてその派の戒律を守るをいふ
一三三―一三五
〔微〕朧にて解し難きこと
一三六―一三九
〔願ひの一部は〕疑ひの一は解くべし
〔削られし木〕わが削り取れる木片(迷はずは云々といへる言葉)の元木(出處即ちドミニクス派の僧の墮落)。但し異説多し
〔革紐を纏ふ者〕ドミニクス派の僧(この派の僧は革紐を帶とす)即ちわれトマス
異本、「非難」。これに從へば「迷はずばよく肥ゆるところといへる言葉の中の非難をさとるべければなり」
トマス語り終れる時、ダンテとその導者とを圍み繞れる他の一群の靈あり、其一ボナヴェントゥラ・ダ・バーニオレジオ聖ドミニクスの物語をなす
一―三
〔焔〕トマス・アクイナス
〔碾石〕ベアトリーチェとダンテとを圍める十二の靈。天、一〇・九二にこれを

七―九
〔笛〕靈の樂器即ち諸聖徒の聲
〔元の輝が〕直接に照らす光線が反射する光線よりもつよく輝く如く
〔われらのムーゼ〕世の詩人。
〔われらのシレーネ〕世の
一〇――一二
〔侍女〕イリス。タウマスの女(淨、二一・五〇)、虹の女神にて神話の神々特にヘラの使者たり
〔二の弓〕二重の虹
一三―一五
〔外の弓〕二重の虹の中、外の大なる虹は内の小さき虹の反映なりと信ぜられたればかく
〔流離の女〕ニンファ・エーコ(反響)。空氣と地の間の女、の嫉みによりて言語の自由を失ひ、たゞ人の物言ふを聞きてその最後の言葉を繰返すに過ぎず、このニンファ、ナルキッソス(地、三〇・一二八)を見これを戀ふれども及ばず、形體全く憔悴してたゞ骨と聲のみ殘り、後骨は岩に變じ、聲のみ今に生くといふ(オウィディウスの『メタモルフォセス』三・三三九以下參照)。流離はニンフェの常なり、(淨、二九・四―六參照)
外部の虹の、内部の虹より生るゝを、反響の、聲より生るゝにたとへしなり
一六―一八
〔契約〕ノア(ノエ)の洪水の後、神がノアとその全家及びこれと共にありし鳥獸と契約を立て、世に再びかくの如き洪水あらしめじと言ひ給ひしこと(創世、九・八以下)、虹はその契約の
一九―二一
〔薔薇〕二重の圓を作れる諸聖徒
〔相適ひ〕歌をも舞をも合せしをいふ
二二―二四
〔祝〕諸靈が倶に歌ひ互ひに照らしてその福を表はすこと
二八―三〇
〔星を指す針〕北極星を指す磁針 磁針は一二一八年既にイタリアの航海者に知られたり、一三〇二年に至りフラーヴィオ・ジョイアこれを完成す(パッセリーニ)
三一―三三
〔我〕ボナヴェントゥラ(一二七――九行註參照)
〔彼の爲に〕聖ドミニクスの偉大なるをあらはさんため(天、一一・四〇―四二、一一八―二〇參照)
三四―三六
〔一のをる處には〕ひとりの事のいはるゝ時には他のひとりの事もいはれ
三七―三九
〔軍隊〕信徒等。これをアダムの罪より救ひ、これが陣立を新ならしめんとて救世主血を流し給へり
〔旗〕十字架
〔遲く、怖ぢつゝ、疎に〕遲きは熱心の足らざるなり、怖るは異端の爲に信仰の動搖するなり、疎なるは數少きなり
四〇―四二
神はかく覺束なき信徒の名をはかり給ひ
四三―四五
〔さきに〕天、一一・二八以下
〔己が新婦〕寺院。「神の新婦」(天、一〇・一四〇)
四六―四八〔西風〕即ち春風
〔ところ〕イスパニア
四九―五一
〔浪打際より〕グァスコーニア灣(ビスケー灣)より
〔時として〕夏至の頃。太陽は南に向ふに從つてかの灣に遠ざかるが故にかくいへり、長くは日の長きをいふ
〔萬人の〕南半球には住む人なければ
五二―五四
〔カラロガ〕カスティールの町(今のカラホルラ)。聖ドミニクス(ドメニコ)の生地なれば幸多きといへり
〔從ひ從ふる獅子〕城に從ひ城を從ふる獅子。カスティール王家の紋所は二頭の獅子と二個の城より成る、即ちその半には獅子城の下にあり(從ふ)、半には獅子城の上にあり(從ふる)
五五―五七
〔クリストの〕キリスト教の熱愛者
〔敵につれなき〕一〇〇―一〇二行參照
〔剛者〕イスパニアの高僧聖ドミニクス(一一七〇―一二二一年)
五八―六〇
〔豫言者〕夢によりてわが兒の常人ならざるべきを判ぜるなり。傳へ曰ふ、ドミニクス未だ胎内にありし時、その母夢に一匹の小犬を生む、これに黒白の斑あり、口には燃ゆる
六一―六三
〔聖盤〕洗禮の水を容るゝ
〔相互の救ひ〕ドミニクスは信仰の有力なる保護者となり、信仰はドミニクスを永遠の福祉に導く
六四―六六
〔女〕教母。小兒に代りて授洗僧に答へ、儀式を
〔嗣子等〕その派の僧達
〔眠れる間に〕教母は小兒の額の中央に光明燦かなる一の星あるを夢に見たり、これ彼が世の光となり諸民を導いて永遠の救ひに到らしむべき瑞相なりき
六七―六九
名を實に
七〇―七二
〔その園〕寺院
七三―七五
〔第一の訓〕「汝完からんと思はゞ、往て汝の所有を賣りて貧者に施せ」(マタイ、一九・二一)第一のは主なるの義。トマスも清貧をキリストの
聖ドミニクスは未だ若かりし時、書籍やその他の
七〇行より七五行に亘る二聯にキリストといふ語三たび出づ、これ押韻の際ダンテは他の韻語を決してこれに配せざればなり、天、一四・一〇三以下、同一九の一〇三以下及び同三二・八二以下にもこの例あり
七六―七八
〔目を醒し〕ドミニクスはその幼兒屡

〔このために〕安逸を棄てゝ神に
七九―八一
〔フェリーチェ〕Felice の(幸運なる)、かゝる子を生みたる彼の父は誠にその名の如く福なり
〔ジョヴァンナ〕Giovanna(主の惠の義といふ)
〔若しこれに〕ヘブライの原語の意義明らかならざればかく曰へり
ダンテはこれらの言葉によりて、天上の聖徒の知識のなほ不完全なるを示せるか(天、四・四九以下參照)、或ひはその自ら言はんと欲する所これらの言葉に現はれしなるか、明らかに知り難し
八二―八四
今の世の人法學または醫學に走りて世の榮達を求むれども、彼は然らず、たゞ靈の糧を求め
〔オスティア人〕オスティアのカルディナレ及び僧正なりしエンリーコ・ディ・スーザ(一二七一年死)。寺院法に精しくその註疏及びその他の著作あり
〔タッデオ〕タッデオ・ダルデロット(一二九五年――或曰、一三〇三年――死)。フィレンツェの人にて名醫の聞え。高かりし者、醫學に關する著作多し
〔世の爲〕世に屬する利慾のため
〔まことのマンナ〕キリストのまことの教へ。マンナについては淨、一一・一三―五註參照
八五―八七
〔葡萄の園〕寺院。園をめぐるは寺院を保護するなり
〔白まむ〕白むは縁の色あせて枯るゝなり、牧者其人をえざれば寺院の敗頽するにたとふ
八八―九〇
〔法座〕法王を指す。ドミニクスが法王インノケンティウス三世の許をえんとてローマに赴けるは一二〇五年の事なり
〔これに坐する〕法王の位その物の罪に非ずして法王其人(特に神曲示現當時の法王ボニファキウス八世)の罪なり
九一―九三
〔六をえて〕不正所得を求むること(即ちその三分一または二分一を善用する條件にて)
〔最初に〕
〔什一〕什一を私用に供すること。人々所得の十分一を獻じ、これを貧者の用に供する例あり、モーゼの律法にもとづく(申命、一四・二八以下參照)、これを什一といふ
以上は皆當時の僧侶の貪り求めし物なれば特に記して彼等の非を擧げしなり
九四―九六
〔二十四本の草木〕二個の輪を作りてダンテとベアトリーチェとを圍める二十四の靈
〔種〕信仰。聖徒は信仰の
〔迷へる世〕眞の信仰を離れて踏迷へる異端の徒、特にフランスのアルビジョンより起れるアルビジョアの異端
九七―九九
〔使徒の任務〕法王(インノケンティウス三世)の彼に與へし權
ドミニクスは異端者と戰はんため、プレディカトリ派を起しこれが准許を法王インノケンティウス三世に乞ひ辛うじてその口頭の許を得たり(正式の准許を得たるは一二一六年にて、時の法王ホノリウス三世よりなりき)
一〇〇―一〇二
〔處〕アルビジョアの勢力最盛なりしトロサ(フランスの南部にあり)地方
一〇三―一〇五
〔さま/″\の流れ〕種々の分派(プレディカトリ、ヴェルディーニ・モナスチーケ、テルチアーリ)
一〇六―一〇八
〔内亂〕同宗間の爭ひ、即ち異端
〔一の輪〕聖ドミニクス
一〇九―一一一
〔殘の輪〕聖フランチェスコ
〔トムマ〕聖トマス
一一二―一一四
されどフランチェスコ派の僧侶等その祖師の歩める道を踏み行かず、さきに善ありし所に今惡あり
〔良酒〕gromma 樽に附着する洒のかたまり。良酒を貯ふればこのかたまり生じ、惡酒を容れおけば黴生ず
一一五―一一七
〔家族〕フランチェスコ派の僧侶等
〔指を踵の〕フランチェスコが踵を踏めるところに彼等指を置く、即ち祖師の歩める道を逆行す
一一八―一二〇
〔莠は穀倉を〕多くの悖れる僧侶は寺院より逐はるべけれはなり。一三〇二年法王ボニファキウス八世が精神派(一二四―六行註參照)を異端視し、彼等をしてフランチェスコ派のみならずまた寺院より分離するにいたらしめしことを指せり
一二一―一二三
フランチェスコ派に屬する者をひとり/″\調べなば、今も昔の如く此派の戒律を正しく守る者あるを見む
一二四―一二六
かく優良なる人々はフランチェスコ派の中の過激派にも緩和派にも屬せじ、この兩派のその宗律に處するや、一(後者)はこれを和げ、他(前者)はこれを嚴くす
〔カザール〕ピエモンテの町。こゝよりウベルティーノ・ダ・カサーレ(一三三八年死)出づ、過激派(所謂精神派 Spirituali)の首領にて宗規を極度に嚴守せり
〔アクアスパルタ〕ウムブリアの町。こゝよりマッテオ・ダクアスパルタ(一三〇二年死)出づ、一二八七年フランチェスコ派の長となりて規約の緩和を是認せり
〔文書〕フランチェスコ派の宗規
一二七―一二九
〔ボナヴェントゥラ・ダ・バーニオレジオ〕名をジョヴァンニ・フィダンツァといふ、ボナヴェントゥラ(幸運)はその異名なり、一二二一年ボルセーナ湖附近のバーニオレジオ(今バーニオレア)に生れ、一二五六年フランチェスコ派の長となり、一二七四年リオンに死す、神學上の著作多し、また聖フランチェスコの傳を著はす、前曲に見ゆるフランチェスコの物語多くこの傳に據れり
〔世の〕原文、「左の」。註釋者の引用せる『神學要論』(トマスの)に曰く、知識及びその他の靈的財寶は右に屬し、一時の營養は左に屬すと
一三〇―一三二
〔イルルミナートとアウグスティン〕ともにフランチェスコの最初の弟子なれば最初の素足の貧者といへり
〔紐〕この派の僧の帶とせる細紐(地、二七・九一―三註參照)
一三三―一三五
〔ウーゴ・ダ・サン・ヴィットレ〕ユーグ・ド・サン・ヴィクトル。名高き神秘派の神學者、パリなる「聖ヴィクトル」僧院に入り、一一四一年に死す、著作多し、十曲に見ゆるリシャール(一三一行)及びペトルス・ロムバルドゥス(一〇七行)は彼を師とせりと傳へらる
〔ピエートロ・マンジァドレ〕ペトルス・コメステル。(マンジァドレ――多食者――は異名なり、書を嗜むによりてこの名ありといふ)フランスの神學者、十二世紀の始めイロワイエに生れ、一一六四年パリ大學に長たり、後、「聖ヴィクトル」僧院に退き一一七九年に死す、著書數卷あり、就中寺院史(Historiascholastica)最もあらはる
〔ピエートロ・イスパーノ〕ペドロ・ユリアーニといふ、リスボン(ポルトガルの)の人なり、一二七六年ハドリアヌス五世の後を承けて法王となりヨハンネス二十一世と稱す、翌七年ヴィテルポなる法王宮の一部崩潰しペドロ爲に壓死す、その著作に論理綱要十二卷あり
一三六―一三八
〔ナタン〕王ダヴィデの罪を責めしヘブライの豫言者(サムエル後、一二―一以下)
〔クリソストモ〕ヨハンネス・クリソストムスといふ、クリソストモ(黄金の口)はその能辯を表はせる異名なり、三四七年の頃アンテオケアに生れ、三九八年コンスタンティノポリスの大僧正となり、後廢せられて流竄の中に死す(四〇七年)
註釋者曰く。クリソストムスが皇帝アルカディウスの罪を責めしことナタンがダヴィデを責めしに似たればこゝにこの兩者を配せるなりと
〔アンセルモ〕聖アンセルムス。一〇三三年の頃ピエモンテのアオスタに生れ、一〇九三年イギリス王の知遇をえてカンターベリーの大僧正となり、一一〇九年に死す、著作多し
〔ドナート〕アエリウス・ドナートゥス。ローマの文法學者、四世紀の人にてテレンチオ及びウェルギリウスの註疏の外ローマの文法書を編纂す、この書長く教科書として世に用ゐられきといふ。第一の學術とは三文四數(地、四・一〇六――八註參照)の中の第一にあるもの即ち文法の義
一三九―一四一
〔ラバーノ〕ラバヌス・マウルス・マグネンティウス。ドイツのマインツの人、八四七年この地の大僧正となり、八五六年に死す、神學特に聖書に關する著作多し
〔ジョヴァッキーノ〕カラブリア州チェリコの人、フローラの僧院(コセンツァの附近にあり)の院主たり、一二〇二年に死す、豫言の靈云々は當時豫言者として知られたればかく言へるなり
一四二―一四四
〔フラア・トムマーゾ〕トマス・アクイナスが聖列に入れるはダンテの死後(一三二三年)の事なれば、「サン」といはずして「フラア」といへり
〔武士を競ひ讚め〕ドミニクス派のトマスが聖フランチェスコを激稱せるを聞き、フランチェスコ派の我またこれに劣らず聖ドミニクスを稀讚せんとの念を起し
一四五
〔侶を〕わが十一の侶を動かしてかつ舞ひかつ歌はしめたり
トマス・アクイナス再び語りいで、ソロモン王の智とアダム及びキリストの智との關係を論ず
一―三
以下一八行まで、讀者もしかの二十四人の聖徒の靈が二個の圓をつくり光を放ちて舞ひめぐるさまを知らんと欲せば、天の諸處に現はるゝ光強き十五の星と大熊星の七星及び小熊星の二星と、合せて二十四個の星が二の圓形の星座を造り大小二重の圓をゑがきつゝ相共にめぐりゆく
四―六
〔勝つ〕濃厚なる大氣を貫いてその光を放つをいふ
七―九
〔われらの天〕北半球の天。その懷をもて足れりとするは常に北半球の天にありて沒せざるなり
〔轅をめぐらし〕囘轉し
一〇―一二
小熊星における諸星の按排はその状曲れる角の如し、故に角笛といふ。車軸は諸天運行の軸にてその端は即ち天極なり
〔第一の輪〕諸天運行の本なるプリーモ・モービレの天
〔端より起る〕角の尖端極めて北極に近きが故にかく
〔口〕他の一端、即ち角笛にたとふれば聲の出づるところ。小熊星七個の中の二個の星を指す
一三―一五
以上の二十四星相集りて二個の圓形の星宿となり
〔ミノスの女〕アリアドネ。テセウス(地、一二・一六――八註參照)に棄てられし後バッカスの憐みをうく、その死するやバッカスこれが冠を天に送り化して星宿(徴號)となす(オウィディウスの『メタモルフォセス』八・一七四以下參照)。
一六―一八
〔一は先に〕一導き一從ふ、即ち歩調を合せて同じ方向に
一九―二一
〔眞の星宿〕二十四の靈
二二―二四
前聯の意を承けて、明かに認むる能はざる理をあぐ
〔最疾きもの〕プリーモ・モービレ
〔キアーナ〕アレッツオ地方の河。沼澤多き地を過ぐるが故にダンテの時代にてはその水の流るゝこと甚だ遲かりきといふ(地、二九・四六―五一註參照)
但し、舞の早さをいへるに非ず、諸靈の光や美が人の想像以上なるをあらはせるのみ
二五―二七
〔バッコに〕異教徒がバッカスやアポロンの如き昔の神々を讚美せるに對して
〔ペアーナ〕アポロン神を
〔一となれる〕キリストにおいて
二八―三〇
〔思ひを移す〕歌や舞より心を轉じてダンテの願ひをかなへんとすること
三一―三三
〔光〕聖フランチェスコの物語をなせるトマス
〔聖徒〕numi 元來神々の義、神の如き二十四の靈
三四―三六
わが言葉によりて汝の疑ひの一(迷はずば云々についての)は解け、汝よくその
三七―三九
アダムの胸にも
〔女〕エヴァ。禁斷の
〔肋骨を〕神がアダムより取りたる一本の肋骨をもてエヴァを造り給へるをいふ(創世、二・二一―二)
四〇―四二
キリストの胸にも
〔槍に刺され〕ヨハネ、一九・三四
〔あとさきに〕あとは槍に刺されし後、換言すればその死によりて、さきは刺されざりし先、換言すればその苦しみ多き生涯によりて
四三―四五
〔威能〕神の
〔光〕知識の
四六―四八
〔さきに〕天、一〇・一四二―四
〔福〕福なるソロモンの靈
〔異しむ〕アダム、キリストを措き、ひとりソロモンの智をもて古今に絶すとなすをあやしむなり
四九―五一
〔わが言〕即ちさきに言へること
五二―五四
一切の被造物は皆三一の神より出づる觀念(神の
五五―五七
〔活光〕子
〔源の光〕父
〔愛〕聖靈
子なるキリストは父なる神及び聖靈とともに萬物を造り給へり
五八―六〇
〔自ら永遠に〕子の
〔九の物〕原文、「九の實在」。九個の天を司る九級の天使
三一の神のはたらき神の
六一―六三
〔最も劣れる物〕ultime potenze(最後の勢能)、potenza は現に在るに非ず、たゞ在りうべき物
〔業より業〕子の
〔苟且の物〕contingenze 在ることをえ在らざることをうる物即ち滅び失すべき被造物
六四―六六
〔種により〕動植物等。種によらざるものは礦物の類
六七―六九
かゝる産物の原料と、この原料を用ゐて諸物を形成する諸天の力とはいづれも一定不變ならざるが故に、物として神の光(觀念の光)を受けざるはなけれど、その受けて輝く光に多少あり(天、一・一―三並びに註參照)
七三―七五
材料もし凡ての點において備はり、かつこれに及ぼす天の影響極めて強くば、神の觀念の光皆顯はれむ(その物完全ならむ)
七六―七八
〔自然〕飼造の機關たる自然(諸天)
〔乏しき〕神の光を完全に傳ふる能はざるなり
七九―八一
されど三一の神直接にその
〔熱愛〕聖靈。とゝのふるは印をうくるに適はしからしむるなり
〔第一の力〕父
〔燦かなる視力〕(智)即ち子
註釋者曰く。五二―四行にては父を主とし、五五行以下にては子を主とし、こゝにては聖靈を主として創造の働を言現はせり、是三者の働に過不足なきを示せるなりと
八二―八四
かく直接なる神の働により、土(即ちアダムの肉體となれる)は生物(即ち人)を極めて完全ならしむるに適はしき材となり、また同じ働により處女マリアはキリストを身に宿したり
八五―八七
〔如くに〕如く完全に
八八―九〇
〔かの者〕ソロモン
九一―九三
〔求めよといはれし〕神に(列王上、三・五)。神夢にソロモンに現はれ給ひ、その求むる所を問へるに、ソロモンこれに明君たるの資格をえさせ給へと乞ふ、神は彼が自己一身の爲に長壽富貴を求むることをせず、たゞひたすら父ダヴィデの位を辱めざらんと希ふにより、その願ひを嘉し給へり(同三・五――一二)
九四―九六
〔わがいへる〕我明らかにソロモンの名をいはざりしかど、猶わが言葉と聖書の記事とを照らし合せて
九七―九九
神學や論理に通ぜん爲にあらず
〔動者〕諸天の運行を司る天使
〔必然と偶然〕二前提の中、一必然にして一偶然ならばその結論必然なるを得るや否や
一〇〇―一〇二
哲學や數學に達せん爲にもあらず
〔第一の動〕他の動より生ぜざる動
一〇三―一〇五
〔わが謂ふところの〕原文、「わが思の矢の中る」
一〇六―一〇八
〔興りし〕Surse この動詞(sorgere)には、出る、生る、の意の外、立上るの意あれば王者が臣民の上に立つを現はすといへるなり
一〇九―一一一
〔別ちて〕ソロモンの智は王者の智を指し、その智即ち古今の王者に卓越せるの意なること、またアダムとキリストの智はかゝる制限を有せざること
〔信仰〕アダム(第一の父)並びにキリスト(われらの愛する者)の智の完全なるを信ずる(三七行以下)
一一二―一一四
汝この轍に鑑みてこの後また輕々しく事を斷ずる勿れ
〔足の鉛〕andar c


一一八―一二〇
〔情また〕自説にかたよるの情、智を妨げて眞理を見るにいたらざらしむ
一二一―一二三
その備なくして眞理を求むるは寧ろ求めざるの優れるに若かず、そはその人、求むる所の眞理を得ざるのみならず、求めざる所の誤謬を得るにいたればなり
〔出立つ時と〕魚を捕へんとして而して
一二四―一二六
以下一二九行まで、眞を求めて誤を得し人々の例を擧ぐ
〔パルメニーデ〕パルメニデス。名高きギリシアの哲人、エレア學派に屬す、前五世紀
〔メリッソ〕メリッソス。同エレア學派の哲人にてパルメニデスの弟子なりといふ、前五世紀
〔ブリッソ〕ブリュソン。古代ギリシアの哲人
これらはいづれもアリストテレスの難じゝ人々なればこゝにあげたり、前二者の事『デ・モナルキア』(三・四・二六以下)にも見ゆ
一二七―一二九
〔サベルリオ〕サルベリウス。神の三一を否定せる三世紀の異端者(アフリカのペンタポリスに生る)
〔アルリオ〕アリウス。三―四世紀の人(リビアに生る)にてキリストの神性を否定せる異端者
〔聖書を〕聖書を誤解してその眞義(直き顏)を枉ぐることあたかも劒がその
一三〇―一三二
以下人の魂の救ひや滅びに關しても輕々しく判ずまじきよしを述ぶ、こは前論の一例に屬するのみならず、またソロモンの救ひの事に關すればなり
一三九―一四一
〔ドンナ・ベルタも〕ベルタ女史もマルチーノ先生も。ダンテ時代にてはこれらの名を
〔神の審判〕原文、〔神の
一四二
盜みする者悔いて救ひを得、喜捨する者罪を犯して滅びにいたることあらむ
ベアトリーチェの請に應じ、一靈ダンテの爲に肉體復活後における聖徒の状態を説く、かくてダンテその導者と共に第五天(火星)にいたれば、こゝには教へに殉じ又は信仰の爲に戰へる者の靈あり、十字架の形を作りて神を讚美す
一―九
圓形の
一〇―一二
〔この者〕ダンテ
〔思ひによりて〕ダンテの疑ひはたゞ起らんとせしのみなれば、よく心の中を視る聖徒と雖も知る能はざりしなり
一六―一八
〔再び見ゆるに〕最後の審判を經て靈魂再び肉體と合する時。目は即ち肉眼
二二―二四
〔急なる〕トマスの言につゞきて直ちにいひあらはせる(スカルタッツィニ)
〔新たなる悦び〕天、八・四六――八並びに註參照
二五―二七
人地に死するは天に生きん爲なり、地に死あるによりて歎き悲しむ者は天の福のいかに大いなるやを知らざる者なり
〔永劫の雨〕神恩の雨かぎりなく聖徒の上に
〔かしこに〕我の如く天にて
二八―三〇
三一の神を
〔一と二と三〕一は父、二は父と子、三は父と子と聖靈
〔限られず〕淨、一一・一―三參照
三四―三六
〔神々しき光〕ソロモンを指していへるならむ(天、一〇・一〇九參照)、されどダンテが何故に特に彼を選べるやは明らかならず
〔天使〕ガブリエル(淨、一〇・三四以下參照)
三七―三九
〔衣〕光の
四〇―四二
〔視力〕神を視る力
〔是また〕神を視る力の多少は神の恩惠の多少に準じ、恩惠の多少は各人の功徳の多少に準ず。いかなる高徳の人といへどもその功徳以上に受くる神恩あるにあらざれは神を視るをえざるなり
四三―四五
〔備はる〕靈肉倶に(地、六・一〇六以下並びに註參照)
〔いよ/\めづべき〕光も美もまさり、いよ/\完きにいたるをいふ
四六―四八
〔光〕神恩の
五二―五七
炭焔を放てども焔の爲にかくれずしてその形を現はす如く、甦れる肉體はその光の爲にかくれず、これを貫いて見ゆるにいたらむ
五八―六〇
以上第一問に答へて、天上の聖徒は永久に光り輝くのみならず肉體の復活とともにいよ/\その美を増すをいひ、またこゝにては第二問に答へて、復活後の肉體はその諸機關極めて完全なればかゝる光を視るも目を害ふことなきをいへり
六四―六六
〔父母その他〕彼等は父母及び在世の日に睦び親める親戚知己等もまた靈肉の結合によりて天上の榮えを全うしかれらと相見るにいたらん事を願ふなり
六七―六九
〔かしこにありし〕即ち二群の聖徒のかなたにて
新しき一の光はさきの諸靈と同じく哲理神學に精しき靈の一群より出づる光にて、一樣に燦かなるはその群の中なる諸聖徒の光いづれも同じ
〔輝く天涯〕日出近き時の地平線
七〇―七二
日の暮初むる頃、多くの星空に現はるれど、名殘の日光に妨げられて、あるかなきかに見ゆる如く
七三―七五
〔かしこに〕かの光の中に
七六―七八
〔聖靈の〕聖靈の閃き聖徒の光となりて現はる
七九―八一
〔記憶の及ぶあたはざるまで〕原文、「記憶に伴はざる
八二―八四
〔これより〕ベアトリーチェの姿より
〔いよ/\尊き救ひ〕さらに大いなる福即ち第五天
八五―八七
〔星〕火星。常よりも赤きは世に見るよりも赤き意
火星の赤き美しき光に接して後はじめて高く昇れるを知る、昇ること極めて早ければなり
八八―九〇
〔萬人の〕萬人共通の言葉、即ち心の聲
〔燔祭〕olocausto 犧牲の全部を神に獻ぐること、こゝにては眞心こめし感謝
九一―九三
〔供物の火未だ〕感謝の未だ終らぬさきに
九四―九六
〔輝〕信仰の戰士等。
〔二の光線〕十字形の(一〇〇――一〇二行參照)
〔エリオス〕Eli

九七―九九
〔賢き者〕銀河の何物なるやは古來賢哲の間の一疑問なりしをいふ
ダンテは『コンヴィヴィオ』(二、一五・四五―八六)において「かの銀河については哲人間に異説あり」と前提し、ピュタゴラスやアリストテレス等の諸説を擧げ、後者に關しては「その古譯に從へば銀河は肉眼にて判別し能はざるほど小さき無數の恒星に外ならず」云々といへり
一〇〇―一〇二
〔星座となり〕銀河の如く大小の光を列ね
〔深處〕表面に對して内部をいふ
〔象限相結びて〕圓を四等分する二直徑交叉して。
〔貴き標識〕十字架
一〇三―一〇五
〔わが記憶〕われ思ひ出づれども才足らざれは記し難し
一〇六―一〇八
キリストの教へに從ひよく信仰の爲に戰ふ者、天に登る時いたりて、かの十字架上に現はれ給ひしキリストの姿を見ば、筆の力の及ばざるを知り、、我を責むることなからむ
一〇九―一一一
〔桁〕corno
〔きらめけり〕まさる喜びの爲
一一二―一二七
〔陰〕種々の工夫を施せる物(たとへは窓硝子の
一二四―一二六
〔起ちて勝て〕註釋者曰く。キリストの甦りて死に勝ち給へるをいふと、但し特に指せる聖歌ありや不明なり
一三〇―一三二
〔目〕ベアトリーチェの
〔かろんじ〕歌を聞くの喜びがベアトリーチェの目を見るの喜びにもまさるごとく聞えしめ
一三三―一三五
〔生くる印〕諸天。諸物はこれが力によりてその秩序を保つが故に一切の美を捺すといふ。生くといへるはその運行及びその與ふる影響によりてなり
〔高きに從つて〕天は高きに從つて愈


一三六―一三九
〔辯解かんため〕輕率とみゆる言葉に對し
〔自ら責むるその事〕ベアトリーチェの目を未だ火星天にて見ざりしこと。これを見ずといふはかの言葉に對する辯解にして同時にまた新たなる自白なり
〔我を責めず〕下方の諸天にまさりて火星天の顯はす美がまづダンテの心を奪ひ、爲に淑女の目を見ざらしめたりとて彼を責めず
〔眞を〕歌について、即ち一二七―九行にいへる事
〔聖なる樂しみ〕ベアトリーチェの目を見る樂しみ
〔除きて〕火星天の美をあぐるは即ちベアトリーチェの美のまされるを間接に言ふにほかならじ
ダンテの祖カッチアグイーダ、火星天にて詩人を迎へ、これにフィレンツェの昔を語り、また己が事を告ぐ
一―六
〔あらはす〕或は、溶くる。即ち慾の溶けて惡意となる如く、正しき愛溶けて善意となる義
〔まつたき〕原文、「正しく吹出づる」
〔善意〕ダンテにその願ひを言現はさしめんとの
〔琴〕第五天にて歌ふ聖徒の群
〔弛べて締むる〕天の右手即ち神が音を調へ給ふなり。絃は諸聖徒。しづまるは運動をやむるなり
一〇―一二
〔この愛〕聖徒の現はすまつたき愛
〔歎く〕地獄にて
一三―一五
〔火〕晴れし夕空に見ゆる流星(淨、五・三七――九參照)
〔目を〕人の。人驚きてこれを見るをいふ
一九―二一
〔星座〕十字架の中に輝く聖徒の群
二二―二四
〔珠〕二〇行の「星」即ち馳下れる聖徒。紐は十字架
〔雪花石の〕輝く十字架を傳ひ下る聖徒の光の見ゆることさながら雪花石(光りて透明なる)の
二五―二七
〔アンキーゼ〕アンキセス。『アエネイス』(六・六八四以下)にアンキセスがわが子アエネアスの歩み來るを見直ちに手を伸べ涙を流してこれを歡び迎へしこといづ
〔エリジオ〕異教徒の説に、善人の魂のとゞまる處
〔ムーザ〕(詩神)『アエネイス』の作者ウェルギリウス(淨、七・一六―八に見ゆるソルデルロの言參照)
二八―三〇
カッチアグイーダの詞、この一聯すべてラテン語より成る
〔二度〕今と死後と
註釋者或はかの使徒パウロ(地、二・二八―三〇參照)が生前と死後と二たび天堂に入りたる例を引きて種々の議論をなせども、思ふにカッチアグイーダはたゞ大體の上よりかく曰ひしまでにて一二の例外に重きを置かざりしならむ、パウロの場合とダンテの場合とはもとより同一に非ざれども(カーシーニ註參照)、その差別によりてこの一聯を判ずること自然ならじ
三一―三三
〔二重〕一方にては一靈がダンテを己が血族と呼べるに驚き、他方にてはベアトリーチェの美の著しく増しゐたるに驚けるなり
三四―三六
〔天堂の底〕天上の幸福の
四〇―四二
〔我より隱れ〕わが悟る能はざることをいひ
四九―五一
われ未來の出來事を神の鏡に映しみて汝のこゝに來るを知り、長くその日を待侘びゐたり
〔大いなる書〕神の全智の
五二―五四
〔この光のなかにて〕即ちわが
〔淑女〕ベアトリーチェ
五五―五七
〔第一の思ひ〕一切の思ひの本源なる神
〔一なる〕一なる數、發して他の凡ての數となり、他の凡ての數皆一に歸す、ゆゑに一を知るは他の凡ての數を知るなり。かくの如くわれら聖徒は絶對の一にして一切の思ひの源なる神を視るにより、よく人の思ふ所を知るをうるなり
〔五と六〕一以外の數をいふ、定數をもて不定數を表はせるなり
六一―六三
〔大いなるも〕天上の聖徒達はその享くる福に多少あれども、いづれも神(鏡)によりて、人の思ふ所を知る
六四―六六
わが聖なる愛は我をしてたえず神を視しめ、また常に善き願ひを起さしむ、汝問はざるも我既に汝の疑ひを知り、汝謂はざるも、愛我をして答へしむ、されど汝口づから汝の願ひを言現はさばわが愛是によりていよ/\滿足するにいたらむ
七〇―七二
〔一の徴を與へ〕オックスフォード版によれり、異本「ほゝゑみて肯ひ」
七三―七五
以下八四行まで、天上にては智よく情に伴ひ思ひを言現はすこと自由なれども、人間にありては然らず、ゆゑにカッチアグイーダに對し言葉の感謝をさゝぐる能はざるよしをいへり
〔第一の平等者〕神。その力、知慧、愛皆無限なり
〔汝等に現はるゝや〕汝等天堂にて神を見るに及び
七六―七八
〔日輪〕神。愛の熱にて暖め智の光にて照らしたまふ
七九―八一
〔理由〕人間にかゝる制限ある理由は地上の我等の知らざるところ
八五―八七
〔寶〕十字架
九一―九三
〔家族の名〕アリギエーリ
〔第一の臺〕淨火の第一圈、即ち傲慢の罪を淨むるところ
〔百年餘〕ダンテの曾祖父アリギエーロ(アルディギエーロ)の死より一三〇〇年までの間
されどアリギエーロが一二〇一年の八月に猶生存しゐたるてと記録に存すといへば、ダンテ自ら彼の死せる年を知らざりしなるべし
〔者〕前記アリギエーロ
九四―九六
〔業〕祈り。汝彼の爲に祈りてはやく天に昇るの福をえしめよ(淨、一一・二四―六參照)
九七―九九
以下昔のフィレンツェの平安にして幸福なりし有樣を告ぐ
〔昔の城壁〕ローマ時代の城壁。これが改築は一一七二年頃の事なりといふ
〔鐘〕城壁に接して「バディーア」と稱するベネデクト派の僧院あり、その鐘時を報じたるなり、ダンテの時代にては城壁は改まりたれども僧院はなほ舊の處にありきといふ
第三時(午前六時より九時まで)の鐘はその終り即ち午前九時に鳴り、第九時(正午より午後三時まで)の鐘はその始め即ち正午に鳴りしなり、ゆゑに淨、二七・四にはnonaを正午の意に用ゐたり。但しこの二つの時に限れるにはあらず
一〇〇―一〇二
〔索〕catenella 金銀等の鎖にて頸飾りに用ゐしもの
〔冠〕corona 金銀眞珠の類を用ゐて作れる頭飾
〔飾れる沓を穿く〕contigiate 或ひは、「はなやかに飾れる」
一〇三―一〇五
〔その婚期その聘禮〕ダンテ時代にては女甚だ若くして嫁しかつ莫大なる持參金を要せりといふ
一〇六―一〇八
〔人の住まざる家〕家族小なるに關はらず、虚榮の爲、みつばよつばに殿づくりすること
〔サルダナパロ〕サルダナパロス。前七世紀のアッシリア王、奢侈柔弱を以て名高し。彼の來らざるはかゝる惡風未だフィレンツェに入らざるなり。「室の内にて爲らるゝこと」とは室内に金銀珠玉を列ね綺羅を飾ること
一〇九―一一一
當時フィレンツェはその華美なるにおいてローマに
〔ウッチェルラトイオ〕フィレンツェ附近の山。ボローニアより來る旅客こゝに到りてまづフィレンツェを望む
〔モンテマーロ〕今、モンテ・マーリオ。ローマ附近の山。ヴィテルボより來る旅客こゝに到りてまづローマを望む
一一二―一一四
〔ベルリンチオーン・ベルティ〕フィレンツェの貴族ラヴィニアーニ家の人にてかの「善きグアルドラーダ」(地、一六・三七)の父なり(十二世紀)
〔骨〕締金用の骨
一一五―一一七
〔ネルリ、ヴェッキオ〕倶にフィレンツェの貴族
〔皮のみの衣〕pelle scoperta(蔽はぬ皮)、表や裏を附けずして皮そのまゝを衣とせるもの
〔麻〕pennecchio 麻、羊毛等すべて竿にかけて紡ぐもの
一一八―一二〇
〔その墓に〕黨派の爭ひ等により追放せられて異郷の土に葬らるゝの恐なきをいふ
〔フランスの〕通商貿易のため夫異國に旅して妻獨り空閨を守ること
特にフランスを擧げたるは、十三・四世紀の頃フィレンツェの人々おもにかの國に行きて交易したればなり(カーシーニ)
一二一―一二三
〔言〕小兒の言語。親は子供の
乳母なく侍女なく、名門の主婦自ら搖籃の傍にありてその幼兒を愛撫する質素の美風を擧げしなり
一二四―一二九
〔トロイア人、フィエソレ、ローマ〕いづれもフィレンツェ市の起原に密接の關係あれば、特によろこびてこれらの物語を聞きたるならむ。フィエソレについては地、一五・六一――三註參照
〔チアンゲルラ〕ダンテと時代を同うせるフィレンツェの女。惡女の典型としてこゝに
〔ラーポ・サルテレルロ〕不徳なるフィレンツェの状師、ダンテと同時代の人にてかつ彼と同時にフィレンツェより追放されし者
〔チンチンナート〕クインティウス(天、六・四六―八註參照)、質樸誠實の典型
〔コルニーリア〕グラックス兄弟の母(地、四・一二七――三二註參照)
〔いと異しと〕その頃惡人の極めて少かりしこと今善人の極めて
一三三―一三五
〔マリア〕わが母産の苦しみに臨み聖母の名を唱へてその助けを求め(淨、二〇・一九―二一參照)、我を生みたり
〔昔の授洗所〕聖ジョヴァンニの洗禮所(地、一九・一六―二一參照)。その起原は七八世紀の昔に遡るといふ
〔カッチアグイーダとなり〕洗禮を受けてキリスト教徒となると同時にカッチアグイーダと名づけられしなり
『神曲』以外カッチアグイーダの事蹟を傳ふるものなし
一三六―一三八
〔モロントとエリゼオ〕傳不詳
〔ポーの溪〕フェルラーラ(ポー河附近の町)のアルディギエーリ家のことなりといふ、されど異説ありて明らかならず
一三九―一四一
〔クルラード〕ホーエンシュタウフェン家のコンラッド三世(一一五二年死)。一一四七年フランス王ルイ七世とともに第二十字軍を率ゐて聖地に入りしが軍利あらずして國に歸れり
一四二―一四四
〔牧者達の過のため〕法王等意を用ゐざるため(天、九・一二四―六參照)
〔汝等の領地〕當然キリスト教徒に屬すべき聖地
〔人々〕サラセン人
〔律法〕宗教
カッチアグイーダ、ダンテの請ひに應じてさらにフィレンツェの昔譚をなす
一―九
ダンテはカッチアグイーダの物語を聞きその祖先にかくの如き人あるを知りて自ら誇りを感じたれば、即ちこゝにこれを自白しかつ氏素姓その物の價値甚だ少きことをいへり
〔情の衰ふ〕世人の情は健全ならず弱くして迷ひ易し、ゆゑに眞に愛すべきものを愛せず、その誇りを氏素姓の如きに求む。
〔逸れざる〕虚僞の幸に向はず、常に眞の幸を求むる
迷ひなき天たありてさへ、われこの
〔衣〕
一〇―一二
〔ヴォイ〕複數代名詞の voi(汝等)を單數代名詞 tu(汝)の代りに用ゐて敬意をあらはす。ローマ人がかく一人に對して複數代名詞を用ゐしことはまことは三世紀に始まれるなれど、かれらがカエサルに對してかゝる敬語を用ゐしをその濫觴とすとの説中古一般に信ぜられきといふ
前曲にてはダンテ、カッチアグイーダにむかひて tu の變化なる te(八五行)を用ゐたり。また『神曲』中ダンテがこの敬語(即ちヴォイ)を用ゐし例はブルネット・ラティーニ及びベアトリーチェに對せる場合に見ゆるのみ、但しこの語の變化を用ゐし例はその他にもあり
〔その族の中にて〕註釋者曰。他のイタリアの市民間にはこの複數の敬語今猶多く用ゐらるれどもローマの市民最も多く tu を用ふと
一三―一五
〔ジネーヴラ〕ギニヴァー(地、五・一二七以下參照)
〔女〕王妃ギニヴァーの侍女。ランスロットと王妃の戀を知り、
但し「最初の咎」の意明らかならず、ダンテが讀みたりと信ぜらるゝ『ランスロット物語』Lancelot du Lac によれば侍女の咳せしは王妃とランスロットとの睦言に對してなり(トインビー博士の『ダンテ考』Dante Studies and Researches にフランスの原文とその英譯と出づ)、されどダンテの記憶に誤りありきとも
一六―一八
〔汝〕原文には voi の語三たび出づ
一九―二一
〔多くの流れにより〕汝の言を聞き、さま/″\の原因により
〔壞れず〕人間の受くるをうる悦びには限りありて、その度を超ゆればかへつて心亂るゝ習なるに、今かゝる嬉しさに堪へて敢て壞れざるは即ち心其物の強き證左なれば心自らこれをよろこぶ
二二―二四
〔汝童なりし時、年は〕汝は何年に生れたりや
二五―二七
〔聖ジョヴァンニの羊の圈〕フィレンツェ、バプテスマのヨハネの守護の下にありたればかく(地、一三―一四二―四並びに註參照)。圈の大いさを問ふはその人口を聞くなり
二八―三〇
〔輝く〕問に答ふる喜びのため
三一―三三
〔近代の〕カッチアグイーダはその時代のフィレンツェの言葉を用ゐしと見ゆ
三四―三六
以下三九行まで第二問の答
〔アーヴェのいはれし日〕天使が聖子の降誕を聖母に告知しゝ日、換言すればキリストの降誕、よりわが生れし日までに。アヴェ(幸あれ)は天使ガブリエルの會釋の詞(淨、一〇・三四以下參照)
三七―三九
千九十年餘の歳月を經たり
〔この火〕火星。プトレマイオスの説に從へば火星は六百八十七日弱にてその一周を終ふ、故にその五百八十周を年數に換算すれば千九十一年餘となり、カッチアグイーダの生れし年千九十一年を得(ムーアの、『ダンテ研究』第三卷五九―六〇頁參照)
〔己が獅子の〕獅子宮に入ること。特にこの天宮を指せるは火星即ち軍神マルテに猛獸を配せんためなり、兩者の性向相通ずるがゆゑに己がといへり
四〇―四二
以下四五行まで第一問の答
〔年毎の競技〕バプテスマのヨハネの祭日(六月二十四日)に行はれし競馬
〔區劃〕sesto 昔フィレンツェ市を六區に分てるが故に各區を sesto(sestiere)といふ。最後の區劃は競馬の決勝點に最も近き處にてこの區をポルタ・サン・ピエーロといへり
註釋者日く。競技者は西方より町を横切りてその東端ポルタ・サン・ピエーロにいたる、さればこの區の中競技者の最初に見る處は即ちその西境なり、こゝはエリゼイ家の邸宅ありしところなればアリギエーリ家とエリゼイ家(天、一五・一三六)と親戚なりしこと知らると
四三―四五
〔これを〕エリゼイ家の邸宅ありしあたりはフィレンツェの舊家の多かりし處なれば、かしこに住めることを聞きて
〔言はざるを〕言ふは誇る所良なれは
四六―四八
第三問の答。常時フィレンツェの人口は一三〇〇年における同市の人口の五分一なりしを告ぐ
〔マルテと洗禮者との間〕マルテ(ギリシアにてはアレス)の像あるポンテ・ヴェッキオ(地、一三・一四五―七並びに註參照)と聖ヨハネ(ジョヴァンニ)の洗禮所との間。當時のフィレンツェ市をその南北の城壁によりて表はせり
〔今住む者〕現住者にして武器を執るを得る者
註釋者曰く。一三〇〇年にはフィレンツェの人口約七萬(この中武器を執るを得る者三萬)なりき、故にカッチアグイーダの頃には約一萬四千(兵たりうべき者六千)なりきと
四九―五一
以下末まで第四問の答
〔カムピ、チェルタルド、及びフェギーネ〕フィレンツェの附近にありてこの市に屬しゝ小さき町の名。カムピはビセンチオの溪に、チェルタルドはエルザの溪に、フェギーネはアルノの溪にあり
〔純なり〕これらの町より人々出でゝ市に移住するにいたれるまでに市民の血全く純なりき
五二―五七
これらの民各

〔ガルルッツォとトレスピアーノ〕前者はフィレンツェの南二哩にある村、後者は同市の北三マイルにある村。昔の市領の境
〔汝等の境〕フィレンツェ領の境
〔アグリオン〕ペーザの溪の城
註釋者曰く。アグリオンの賤男とはメッセル・バルド・ダグリオネ即ちダンテと同時代の人にてフィレンツェ市に權勢を振ひ、かつ市の記録に關し淨、一二・一〇三―五(註參照)に見ゆる不正行爲ありし者を指すと
〔シーニア〕フィレンツェの西七マイルにある町
註釋者曰く。シーエアの賤男とはメッセル・ファーチオ・デーイ・モルバルヂニとて同じく市に權勢をふるひし汚吏の事なりと
五八―六〇
〔最も劣れる人々〕法王僧侶等寺院に屬する人々
〔チェーザレと
寺院が皇帝を敵視せるより政道その宜しきを失ひて爭亂止まず、市外の民難を避けて市内に入來り、市に秩序なく安寧なきに至れるをいふ、以下その例を擧ぐ
六一―六三
〔ひとりの人〕不明
〔物乞へる〕andava………a la cerca おもに僧侶の托鉢するをいふ
〔シミフォンテ〕エルザの溪にありし城。この城一二〇二年フィレンツェ人に毀たる
六四―六六
〔モンテムルロ〕ピストイアとプラートの間の城。この城もとグイード伯爵家の所有なりしがピストイア人の難に堪へずしてこれをフィレンツェ人に賣りたり(一二四五年)
〔チェルキ〕この一家はもとアーコネ(シエーヴェの溪にあり)の寺領なるモンテ・ディ・クローチェ城に住みしがこの城フィレンツェ人に奪はれし時(十二世紀の年頃)市に移住せり
〔ボンデルモンティ〕ブオンデルモンティ。グレーヴェの溪なるモンテブオーニの城主。一一三五年フィレンツェ人この域を奪ふ
七〇―七二
〔盲の牡牛〕體大にして智伴はざるを市の膨脹して而して治まらざるに譬ふ
〔五〕數多くして用ゐ難きを人口多くしてかへつて活動を缺くにたとふ。五はさきに五分一といへるに應ず
七三―七五
〔ルーニ〕昔の町の名〔地、二〇・四六―八註參照)
〔ウルビサーリア〕マルカ・ダンコナの昔の町の名
〔キウーシ〕トスカーナ州の南端にてヴァルディキアーナ(地、二九・四六―五一註參照)にある町の名
〔シニガーリア〕マルカ・ダンコナの町の名
八二―八四
〔渚をば〕潮の
八八―九〇
〔ウーギ、カテルリニ〕その他こゝに出づるものは皆カッチアグイーダの時代におけるフィレンツェ屈指の舊家なりしかど既にその頃より衰運に向ひゐたるなり
九一―九三
〔ラ・サンネルラ及びラルカ〕その他こゝに出づるものはみな名立たる舊家にてカッチアグイーダの時代においてはなほ盛なりしかどその後衰ふるにいたりたり
九四―九六
〔門〕ボルタ・サン・ピエーロ(聖ピエートロの門)。一三〇〇年の頃チェルキ家(六四―六行)この門のあたりに住みゐたり、「チェルキ」は白黨の首領となりて「ドナーティ」と爭ひ、フィレンツェ全市を爭亂の渦中に投じゝものなれば新なる罪を積むといへり
船はフィレンツェなり、チェルキ一家を容れてこれに權勢を得しめしため、フィレンツェの受くる禍ひ甚大なるをいふ
九七―九九
〔ラヴィニアーニ〕フィレンツェの名門。ボルタ・サン・ピエーロの
〔伯爵グイード〕ラヴィニアーニの家長なるベルリンチオーネ・ベルティ(天、一五・一一二―四參照)の女グアルドラーダと老グイードとの結婚(地、一六・三七―九註參照)によりて多くのグイード「ラディニアーニ」より出づ、故に伯爵グイードとは老グイードの子孫なるグイーディの一門を指せるなるべし、地、一六・三八にいづるグイード・グエルラはその一人なり
〔名を襲げる者〕グアルドラーダの姉妹二人の中一はドナーティ家に嫁し、一はアーディマリ家に嫁したれば、その子孫にしてベルリンチオーネの名を襲げる者多かりき
一〇〇―一〇二
〔ラ・プレッサ〕フィレンツェの名門。「治むる道を知り」たるは大官となりゐたるなり
〔ガリガーイオ〕「ガリガーイ」家は同じくフィレンツェの名門にてギベルリニ黨に屬し勢甚だ盛なりしが後零落して見る影なきに至れりといふ
〔黄金裝の〕劒の柄に黄金を用ゐることは騎士にのみ許されしなり、故にかゝる劒を持てりとは騎士となりゐたる意
一〇三―一〇五
〔ヴァイオの柱〕フィレンツェの名門ピーリ家の事。vaio は栗鼠族の動物の名、紋章の語にてはその皮模樣を紋所に現はすをいふ、ピーリ家の家紋はヴァイオの一縱線(即ち柱)を赤地にあらはしゝものなれはかく言へり
〔サッケッティ、ジュオキ〕等フィレンツェの舊家名族を擧ぐ
〔赤らむ家族〕「キアラモンテージ」家。その一人鹽を市民に賣るに當りて不正の利益を貪れることあり(淨、一二・一〇三―五並びに註參照)
一〇六―一〇八
〔木の根〕「ドナーティ」家。この一門分れてドナーティ、カルフッチ、ウッチェルリーニ等の諸家となれり、特にカルフッチを擧げしはその早く頽廢したるによりてなるべし
〔シツィイとアルリグツチ〕いづれもその頃高官を得て時めきゐたるフィレンツェの家族
〔貴き座〕curule 美しく裝飾せる倚子にて昔ローマの高官の座に用ゐしもの
一〇九―一一一
〔家族〕フィレンツェ屈指の名族なりしウベルティ家。この一家の浮沈については、その出にて、「地獄を嘲けるに似た」るファリナータの條參照(地、一〇・三一以下並びに註)
〔黄金の丸〕フィレンツェの名族ラムベルティ家。その紋章青地に黄金の丸を現はせるによりてかくいへり、かのブオンデルモンテ殺害の事に與りしモスカ(地、二八・一〇六參照)は即ちこの家の出なり
一一二―一一四
〔人々〕ヴィスドミニ、トシンギの兩家の人々。フィレンツェ僧正領地の監督者たり、僧正の倚子
〔相集ひて〕stando a consistoro コンシストロとは法王とカルディナレ等高位の僧との會議もしくは會議の場所をいふ。こゝにては彼等の如く相會して、寺領の收入を處理する意
〔父〕祖先
一一五―一一七
〔族〕アーディマリ家。その分家に「アルゼンティ」(地、八・三一―三註參照)あり
一一八―一二〇
〔ウベルティーン・ドナート〕ベルリンチオーネ・ベルティの婿のウベルティーノは、舅ベルリンチオーネがその第三女をアーディマリ家の者に與へて(九七―九行註參照)彼(ウベルティーノ)をば彼等(アーディマリ家)の縁者たらしめしを喜ばざりき
一二一―一二三
〔カーボンサッコ〕カーボンサッキ家はフィエソレよりフィレンツェ舊市場(Mercato Vecchio)のあたりに移りしものにて十二世紀の頃市の高官この家族より出でたり
〔ジウダとインファンガート〕ジウディ、インファンガーティの兩家。いづれも十二世紀の頃に榮えしフィレンツェの家族
一二四―一二六
フィレンツェの昔の城壁の門の一なるペルッツァ門(Porta Peruzza)が「ラ・ペーラ」即ちペルッツィ(Peruzzi)一家の名に因みて名づけられしものなりとは(今は亡びて知る人もなき「ペーラ」の一家が城壁の門に名を與ふるほど昔盛なりしとは)誰か信ぜむ
一二七―一二九
〔領主〕皇帝オットー三世の代理者としてフィレンツェに任せるフーゴ侯爵
フーゴは一〇〇六年聖(使徒)トマスの祭日(十二月二十一日)に死せり、人々これをバディーア僧院に葬り、かつ年々この日において記念の祭典を行へり
〔紋所〕紅白七條の縱線。但しこの紋を用ゐし騎士の家族によりて多少の變更あり、故に「分け用ゐる」といへり
一三〇―一三二
〔騎士の〕フーゴはプルツィ、デルラ・ベルラ、ジャンドナーティ等フィレンツェの諸家族に騎士の位と貴族の殊遇とを與へたり
〔卷くもの〕ジヤーノ・デルラ・ベルラ。十三世紀の末、庶民の味方となりて權門勢家に反抗し、遂に郷國を棄てゝフランスに走れり。デルラ・ベルラ家の紋はフーゴの紋の周圍を細き金線にて卷けるもの
一三三―一三五
〔グアルテロッティ、イムポルトゥーニ〕ともに一時盛なりしフィレンツェの家族
〔隣人等〕モンテブオーニ城よりフィレンツェに移住せるブオンデルモンティ家(六四―六行註參照)
〔ボルゴ〕ボルゴ・サンチ・アポストリ。グアルテロッチとイムポルツーニの住みしところ、後ブオンデルモンティこの兩家の隣に住めり
一三六―一三八
〔家〕アーミデイ家。アーミデイ、ブオンデルモンティ兩家の爭ひについては地、二八・一〇六―八註參照。爭ひの始めは破約者に對するアーミデイ家の怒りなれば義憤といへり、この怒りのためブオンデルモンテ殺害せられ、兩家の爭ひはひいて全市民の爭ひとなり、多くの人々血を流し、市その平安を失へり
一三九―一四一
〔人の勸〕ドナーティ家の一婦人己が娘をブオンデルモンテに
一四二―一四四
〔神汝を〕汝もしエーマ川に溺死してフィレンツェに入來らざりせば
〔エーマ〕ヴァル・ディ・グレーヴェなる小川の名。モンテブオーニよりフィレンツェに來るものこの川を過ぐ但しモンテブオーニの沒落は一一三五年にて、ブオンデルモンテの殺害は一二一五年の事なれば、一四〇行のブオンデルモンテは破約者を指せるに非ずしてその家族を指せるもの、また「汝はじめて」といへるはこの家族(即ち被害者の父祖)がはじめてフィレンツェに移り來れるをいへるならむ
一四五―一四七
〔缺石〕破損したるマルチの像にてポンテ・ヴェッキオの一端にありしもの(地、一三・一四五―七註參照)。ブオンデルモンテの殺されし處は即ちこの像の下なりき、故に被害者を指してマルテの
一五一―一五三
〔百合〕フィレンツェの旗(一五四行註參照)
〔倒に〕中古敵の旗を奪ふ時は竿を倒さにして戰場を引

一五四
〔紅に〕市の昔の紋章は赤地に白の百合なりしが一二五一年グェルフィこれを變へて白地に赤の百合となせり
カッチアグイーダさらにダンテの問いに答へてその行末の事を豫言し、これに流刑の憂さつらさを告げ、かつその冥界の見聞を忌憚なく世に傳へんことを勸む
一―三
〔者〕パエトン(フェトン)。父アポロン(日)に請ひその許をえて火車を轉らせるため慘死す(地、一七・一〇六―一四註參照)、これ世の父たる者をして子の請ふ所に戒心せしむる一教訓なり
〔クリメーネ〕クリュメネー。パエトンの母。エパポス(ゼウスとイノの間の子)なる者パエトンを罵り汝は母のたゞ言を信じて父ならぬ父に誇るといふ、パエトン即ち母の許に行き己が父の果して日の神なるや否やを
四―六
〔彼の如く〕パエトンがエパポスの言を聞きて眞を知らんと欲するの情切なりし如く、ダンテは己が未來に關しファリナータ(地、一〇・七九以下)、ブルネット(地、一・六一以下)、クルラード(淨、八・一三三以下)、オデリジ(淨、一一・一三九以下)等の豫言を聞きて眞を知るを求むるの情切なりしなり
〔燈〕カッチアグイーダ。ダンテを迎へん爲火星の十字架の右の桁より柱脚に馳せ下れること前に出づ(天、一五・一九―二一)
一〇―一二
〔増さん爲ならず〕神によりて汝の願ひを知るがゆゑに
〔渇〕願ひ
〔飮ます〕mesca(
一三―一五
〔板〕piota 芝土の義より轉じて根即ち祖先
〔知るごとく〕知る如く精確に
一六―一八
〔點〕神。神は現在の如く過去と未來とを現給ふ
一九―二一
〔山〕淨火の
〔死の世界〕地獄
二八―三〇
〔光〕カッチアグイーダ
三一―三三
〔神の羔〕キリスト(ヨハネ、一・二九)
〔昔〕キリスト以前即ち異教時代に
〔朧〕異教の神々の託宣の如く曖昧ならず
三四―三六
〔父の愛〕慈愛深きわが祖先
〔己が微笑の〕光に包まれて見えざれどもその先によりて己が喜びを表はしつゝ
三七―三九
神は汝等の世に起る凡ての事を知り給ふ
〔物質の書より外に〕事の偶然に生ずるは(即ち人間自由の行動に歸着する種々の出來事あるは)たゞ物質界においてのみ、靈界においては事皆必然の理より生ず(天、三二・五二―四參照)
四〇―四二
〔船流れを〕船流れを下るが故に人見てこれが下るを知る、されど人目に映ずるが故に船動くに非ず、かくの如く神は全智によりて世の出來事を豫如し給へど、豫知し給ふこと原因となりてその事必ず起るにあらず
四六―四六
〔イッポリート〕ヒッポリュトス。テセウスの子。その繼母パエドラの讒にあひ、父の怒りに觸れてアテナイを逐はる(『メタモルフォセス』一五・四九三以下參照)
四九―五一
〔處〕ローマ。僧官、及びその他靈界に屬する物の日々賣買せらるゝところ
〔思ひめぐらす者〕ダンテを虐げんと思ひ

ダンテの追放されしは一三〇二年なれど、一三〇〇年即ちダンテがフィレンツェのプリオレたりし頃、彼は法王の處置畫策に反抗し既にその怨みを買ひゐたるなり
五二―五四
罪の汚名は敗者に
〔刑罰〕白黨追放(一三〇二年)の後フィレンツェに起れる種々の災害、法王及びその一味の者の不運等を總括していへり
〔眞の爲の〕正しき刑罰は眞にもとづき、眞に罪ある者に下る、故に「眞」はその
五五―五七
〔愛する物〕郷土、家族、親戚、知己等
五八―六〇
郷土を逐はれて他家に寄寓し他人の憐によりてその食卓に就くのつらさを汝經驗して知るにいたらむ
六一―六三
最も大いなる苦痛を汝に感ぜしむる者は汝と倶に追放の憂目を見る白黨の人々なるべし
六四―六六
〔汝に背かむ〕追放されし白黨はフィレンツェの黒黨に對して屡

〔顏〕原語、「顳

七〇―七二
〔第一の〕一人一黨となりて後最初の
〔ロムバルディア人〕バルトロムメオ・デルラ・スカーラ(一三〇四年三月死)。アルベルト・デルラ・スカーラ(淨、一八・一二一―三註參照)の長子にて父の死後ヴェロナ(ロムバルディアの)に君たり、その家紋は金の梯子の上に黒鷲のとまれるもの
七三―七五
〔いと遲きもの〕爲すこと即ち與ふること。他の人々は乞はれて後に與ふれども、彼は然らず、汝の乞はざるさきに自ら進んで衣食を給せむ
七六―七八
〔強き星〕火星。この星の影響の下に生るゝ者武勇を好む
〔者〕カン・グランデ・デルラ・スカーラ。アルベルトの第三子。一二九一年三月に生れ、一三一一年兄アルポイノとともにヴェロナを治めかつ相ともに皇帝ハインリヒ七世の代理者となり、アルポイノの死(翌十二年)後ひとりヴェロナに君たり、一三二九年七月トレヴィーゾに死す。ダンテ及びその當時の人々、皇帝とギベルリニとの權勢の復興者としていたくこれに望みを囑せり
八二―八四
〔グアスコニア人〕法王クレメンス五世(地、一九・八二―四註參照)。ハインリヒ七世を、友としてイタリアに迎へ、その來るに及びて敵となれり。「欺かざるさき」とは一三一二年(即ちハインリヒがローマに帝冠を戴ける年)以前といふ如し
〔銀をも疲れをも〕富を求めず戰ひの疲れを厭はざること
九一―九三
〔信ずまじき〕己が目前に起るを見ん人もなほ信ずまじき異常のことゞも
九四―九六
〔聞きたる事〕地獄淨火にて聞きたる豫言(四―六行註參照)
〔年〕原、「囘轉」(太陽の)
九七―九九
〔隣人〕同郷人。その勝誇るを妬むなり
〔汝の生命は〕かれらは罪の報を受けて亡び、汝は永く美名に生くべし
一〇〇―一〇二
〔織物〕物語。これが
一〇六―一〇八
〔思慮なき人に〕備へず慮らずして命運の打撃を受けなばその、痛いよ/\甚だしからむ
一〇九―一一一
〔最愛の地〕フィレンツェ
〔その他の地〕流寓の地(複數)
〔わが歌の爲に〕我もし忌憚なく歌はゞ、その詩、人の怨みを招きて寄寓すべき處さへなきにいたるの恐れあり
一一二―一一四
〔淑女の目〕天、一・六四以下參照
一一五―一一七
〔光より光〕星より星
〔辛かるべし〕agrume は昔葱、
一一八―一二〇
されどまたもし實を語らずば、名を後の世に殘すをえざらむ
一二一―一二三
〔寶〕カッチアグイーダ
一二四―一二六
〔己が罪または〕罪己にあるかさらずば己が親戚知友等にありて心その爲にやましき者は
一二七―一二九
〔瘡ある處は〕汝の言を聞きて苦痛を感ずるだけの弱みある人には苦痛を感ぜしむるがよし
一三三―一三五
山高ければこれを撃つ風いと強し、かくの如く、汝の歌の中なる人はいづれもその名世に聞えまたは現に時めき榮ゆる者のみなればそを叱咤する汝の聲は強かるべし、而してかゝる者をもたゞ眞理に從つて恐れず憚らず攻める事は即ち攻める人の價値をば遺憾なく表はす所以なり
一三九―一四二
〔その根知られず〕例の出處なる(即ち例として擧げらるゝ)人物が世に知られず
〔明らかならざれは〕適切なる例を缺く爲、具體的に證明し難きなり
〔安まらず〕滿足せず
カッチアグイーダの告ぐる所によりてダンテは火星の十字架の中なる多くの靈の名を知りて後、ベアトリーチェと共に第六天(木星)にいたり、正義を地上に行へる者の眞の相連りて種々なる形をその光に現はすを見る
一―三
〔鏡〕カッチアグイーダ。聖徒は神の光を受けてこれを
〔思ひ〕verbo(
カッチアグイーダ語り終りて默しつゝ天上の祝福を思ふ樂しき思ひに歸ればダンテはまた己が思ひに耽りつゝその美名に關する豫言の喜びをもて追放その他行末の非運に關する豫言の悲しみを和げゐたるなり
四―六
〔一切の虐を〕正義に從つて賞罰を行ひ給ふ神(ロマ、一二―一九參照)
七―九
〔慰藉〕ベアトリーチェ
一〇―一二
〔導く者なくば〕神恩特に下るにあらざれば
一三―一五
〔わが情は〕天上の愛ベアトリーチェの目に輝きてダンテの心の中なる一切の雜念を逐ひ拂へるなり
一六―一八
〔永遠の喜び〕聖徒の永遠の喜びなる神の光
〔第二の姿〕反映せる光。ダンテは神の光を直接に見しに爲らず、ベアトリーチェの目によりて見しなれば
一九―二一
〔身を轉して〕カッチアグイーダを見てその言を聽け
二八―三〇
〔木〕天堂。世にある木は根によりて生き、
〔第五座〕第五天
三一―三三
〔ムーザ〕詩人。いかなる大詩人にも良き材料を供給するほど
三四―三六
〔今〕異本、今の字なし
〔その疾き火〕雲の火即ち電光
三七―三九
〔ヨスエ〕ヨシュア。モーゼに次いでイスラエル民族を導ける舊約の偉人、その事蹟ヨシェア記に委し
〔言と爲と〕名のいはるゝと動くと
四〇―四二
〔マッカベオ〕ユダス・マッカベウス。ヘブライ人の自由の爲にシリアの暴君と爭へるもの(『マカベ』前第三章以下)
〔獨樂〕paleo 棒の先に糸をつけ、それにて打ちてまはす獨樂。糸の爲に獨樂の

四三―四五
〔カルロ・マーニョとオルランド〕キリスト教の信仰の爲、異教徒と戰へる勇者として(地、三一・一六―八註參照)
〔目〕鷹匠の
四六―四八
〔グイリエルモ、レノアルド〕フランス中古の物語に名高きオレンジ伯ウイリアム及びこれに從ひてサラセン人と戰へりといふリノアルド(ルヌアール)
〔ゴッティフレーディ〕ゴットフレード・ド・ブイヨン(一一〇〇年死)。第一十字軍の指揮者として名高し
〔ルベルト・グイスカールド〕(一〇八五年死)、プーリア及びカーラブリアの君となりてサラセン人を逐へる者(地、二八・一三―八註參照)
四九―五一
〔我に示せり〕カッチアグイーダはこの時他の諸靈に加はりて歌ひいでたればなり
五二―五四
〔言または〕ベアトリーチェがその言葉または身振によりて、わが爲すべき事を我に示すならむと思ひて
五五―五七
〔最終の時〕七行以下にいへる
六一―六三
ベアトリーチェの美を増すを見て我等がさらに高き天に達せることを知り得たり
昇れるを昇ることによりて知るならずその結果として淑女の美の増すによりて知る、なほ徳の進むを進むことによりて知るならずその結果として喜びの増すによりて知るごとし
〔天とともに〕諸天は皆たえず


〔弧〕天は高きに從つて大なり、故に木星天は火星天よりもそのゑがく弧大なり
六四―六六
羞恥の爲赤くなりたる女の顏が、その念消ゆるとともに元の白色に返るごとく
六七―六九
〔わが見るもの〕火星の赤色より木星の白色に移りたれば
〔温和なる〕火星の熱さと土星の寒さとを、この二星の間にありて和らぐるが故にかく言へり(『コンヴィヴィオ』二・一四・一九四以下參照)
七〇―七二
〔ジョーヴェの燈火〕木星
〔愛の煌〕愛の光を放つ諸聖徒
〔われらの言語〕我等の用ゐる文字
七三―七五
〔己が食物を〕岸より立てる群鳥が、食物あるを見て、互に祝しあふごとく歌ひつゝ、相連りて
七六―七八
〔忽ちD〕九一―三行參照
八二―八四
〔ペガーゼア〕ムーサ。但し一をもて凡ての詩神を代表せしめしものなるか或ひは特にその一(多くの註釋者はカルリオペを指せりとす)を指していへるか明ならず
ペガソスといへる馬ムーサイに屬し、かつヒッポクレネの泉(ムーサの山エリコナにあり)はこの馬の蹄の跡なりとの傳説に因みてムーサをペガーゼーと呼ぶにいたれり
〔その生命を長うす〕これに不朽の名をえしむ
〔才が〕才は汝の助けにより諸國諸邑の事を歌ひてかれらの名を永く後の世に傳ふ
八五―八七
〔彼等の象〕諸

〔短き〕句數に限りあれば
八八―九〇
〔一部一部を〕象の變化するにつれ、文字重なりて音となり音加はりて
九一―九三
〔Diligite iustitiam, etc.〕地を
九四―九六
〔M〕この文字に特殊の寓意あるか、或ひは單に最後の文字にてかつ鷲の形を顯はすに便なればとてこれを選べるか明らかならず
寓意説にてはこれを mondo(世界)の第一字なりとも、または monarchia(帝國)のそれなりともいふ
〔金にて〕諸靈は金の如く輝き、木星は銀の如く光れり
九七―九九
〔頂〕ダンテ時代に用ゐしM字即ちゴシック形の首字は、一縱線の頂より二線彎曲して左右に垂れしものなりき
〔降り〕エムピレオの天より
〔善〕神。かの光(諸靈)をしてその心を神に向はしむ
一〇〇―一〇二
〔占をなす〕古註曰く。人爐邊にて薪の燃えさしを打ち、火花の出づるを見て、これぞわが羔わが仔豚わが金貨の數なるなどいひて樂しむ習ありきと
一〇三―一〇五
〔かしこより〕かの頂より
〔日輪〕神
一〇六―一〇八
〔鷲〕淨、三二・一一二にジョーヴェ(ゼウス)(ジョーヴェ及び木星の兩意に通ず)の鳥といへるもの。鷲はローマ帝國の旗章にて、ダンテの治國説に從ひ、地上に行はるべき正義を代表す
一〇九―一一一
かの鷲の
〔巣を作る〕自然の中なる創造の力を、鳥が巣を造る例にて言現はせるならむ。鳥は自然にその巣を造る智を有す、而してこの智また神より出づ。特に巣を擧げしは鷲に因みてなり
一一二―一一四
さきに
〔百合となり〕Mは中古の紋章に用ゐし百合の花形に似たればかく言ふ。「エムメにて百合となる」とはエムメの文字をゑがきて百合の形を成しゐたる意
〔印象を〕鷲全體の形を。エムメの中央の縱線は身、左右の屈線は翼なり、これに一〇三―八行の首と頸とを加ふれば紋章状の一羽の鷲となる
一一五―一一七
〔星〕木星
〔汝の飾る天〕汝木星を飾の寶石とする第六天
〔明らかならしめ〕靈の表はしゝ文字と形とによりて、地上の正義が木星天の影響の結果なることを知れり
〔珠〕光り輝く諸聖徒
一一八―一二〇
〔力〕地上に及ぼす影響
〔汝の光を害ふ烟〕木星の光即ち正義を塞ぐ罪特に貪慾
〔處〕ローマ(天、一七・四九―五一參照)
一二一―一二三
〔血〕異本、「休徴」(即ち奇蹟)
〔神殿〕寺院を指す
〔いま一たび〕キリストかつてイエルサレムの神殿より、その中にて賣買する者共を逐出し給へること聖書に見ゆ(マタイ、二一・一二以下等)
一二四―一二六
〔視る〕今地上より心の眼にて仰ぎ見る
〔天の軍人等〕木星天の諸靈
〔惡例〕法王僧侶等の
一二七―一二九
〔麺麭〕靈の糧即ち神恩。これを奪ひて戰ふは破門、懲戒を武器とし、その職權を惡用して不正の利得を貪るなり
一三〇―一三二
〔汝〕ダンテが『神曲』のこの部分を記しゝ時法王たりしヨハンネス二十二世(一三一六年より一三三四年まで法王たり)
〔消さんとて録す〕後取消して報酬を得ん爲に懲戒破門の令旨を發する
〔葡萄園〕寺院(天、一二・八六).身を殺して寺院の建設につとめし聖ペテロと聖パウロ(共にローマにおいて教へに殉ぜり)とは今も天堂に在りて汝の爲す所を見るを思へ
一三三―一三六
かく曰はゞ汝は答へむ、「我は洗禮者ジョヴァンニ(の
〔獨りにて〕荒野に(ルカ、一・八〇)
〔一踊のため〕ヘロディアス(ヘロデ)の娘の(マタイ、一四・一以下)
〔漁犬〕聖ペテロ
この語淨、二二・六三にも見ゆ、されどウェルギリウスは「人を
〔ポロ〕Polo パオロ(Paolo)の俗用體にて、こゝにては「漁夫」と同じく特に敬意を缺くを表はす。(パオロはパウロ)
木星天の諸靈ダンテの爲に神の正義を論じかつ當時の王達の例を引きて名實相伴はざるキリスト教徒の罪を責む
一―三
〔象〕鷲の(天、一八・九七以下)
一〇―一二
〔その聲の〕嘴より出づる聲は鷲を象どれる凡ての靈の聲なれどもわれらといはずしてわれといふ、これ數多けれどもその言ふ所一なればなり
一三―一五
〔願ひに負けざる〕一切の願ひにまさる(天、三二・六一―三參照)
但し「願ひによりて獲得し難き」(天上の榮光はたゞ願ひ求むるのみにて得べからず、この願ひに適はしき善行によりて初めて得べし)と解する人あり
一六―一八
〔鑑〕storia 物語に殘る諸靈の善行
一九―二一
〔愛〕靈。神を愛するの愛に燃ゆ
二二―二四
〔薫〕聲。聖徒を花に譬へしがゆゑに斯く
二五―二七
〔斷食〕求知の念。この疑ひの何なるやはダンテ自ら言はず、諸聖徒の答の中に現はる(七〇行以下)
二八―三〇
〔他の王國〕
三四―三六
〔被物〕狩場への途中鷹が光を見て騷がざるためその首にかむらす革製の頭巾
〔翼を搏ち〕はたゝきして喜ぶこと
〔願〕飛立たんとする
三七―三九
〔讚美〕聖徒達。かれらは神恩の、生くる讚美即ちその尊さを表はすものなり(地、二・一〇三參照)
四〇―四二
〔宇宙の極に〕あたかもコムパスをもて圓を劃く如く宇宙の範圍を定め、われらの知る物知らざる物を遍くその内に分布し給へる神
四三―四五
神の力は全宇宙に及ぶ、されどいかなる被造物も完全無缺ならざるがゆゑにその受くる神の力に限度あり、かゝれば聖智(己が言)ははるかに一切の被造智に超越す
四六―四八
前聯の意を證明せん爲魔王ルチーフェロのことを擧ぐ
〔長〕淨、一二・二五―六參照
〔光を待たざる〕神恩の光に浴するの日を待たざる(天、二九・五五―六三參照)
〔熟まざる先に〕彼もし
四九―五一
〔己をもて己を量る〕神は至上の善にして他に
〔器あまりに小さき〕ルチーフェロにして猶かつ充分に神の善神の力を受けざりし事を思はゞその他の被造物がさらに少き善を受くるに過ぎざる事また明らかならむ
五二―五四
〔我等の視力〕われらの智。異本、「汝等の視力」(人智)
五五―五七
我等の智いかに力むともその自然の性としてこれが源なる神意を知るをえず、否知るに近しとさへいふをえず
〔己に見ゆるもの〕われらの智に映ずるところ。眞の聖意はわれらの智に映ずる聖意よりなほ遙に先にあり
五八―六〇
〔汝等の世の享くる視力〕人智
六四―六六
六七―六九
〔隱所〕人智の充全ならずして、奧妙なる神の定を窺ひ知る能はざること
七〇―七二
〔インド〕インドの西北を流るゝ河。インドの岸は異教のアジアを代表す
七九―八一
〔スパンナ〕「パルモ」(地、三一・六五)に同じ、約九吋
〔席〕法廷の
八二―八四
聖書なくば人神の正義を疑ふも宜なり、故に聖書あるにその教を信ぜずして疑ふは愚なり
〔聖書汝等の〕聖書嚴として汝等の上にあり、神の正義の疑ふべからざるを教ふ(默示録一六・七等)、もしこれなくば
〔我とともに事を〕meco s'assottiglia 我と(語り)勉めてその才を用ゐ(て神の正義を解せんとす)る
八五―八七
〔おのづから〕他の善を受けて善なるにあらざる
〔第一の意志〕神意
〔離れ〕神意は常に至善にして變ることなし
八八―九〇
〔凡て物の〕物の正しきと然らざるとはそが神意に適ふと適はざるとによりて知らる、神意に適ふこと正義の唯一の標準ならば神意の正しきは言ふまでもなし(『デ・モナルキア』二、二・五〇―六一參照)
〔造られし善の〕被造物の善まづ神意を動かすに非ず、謝意の放つ至善の光元となりて他の善生ず。たとへばキリストを知る民は知らざる民より福なれども是その民の徳にもとづきて知るに至れるならざる如し、その民にいかなる徳ありともこはすべて神より出でしものなればなり
以上、神の正義に關することは極めて深遠微妙にて人智のよく悟り得べき所にあらず、たゞ信仰により聖書の教へを信ぜよといひ、ダンテの疑ひを解かずして疑ひを起すの非なるを述べしなり(ロマ、九・二〇以下參照)
九四―九六
〔いと多き議に〕鷲を象れる諸靈の意志に。與へし者も受けし者も共に喜ぶ
一〇〇―一〇二
〔徴號〕鷲の象
〔聖靈の光る火〕愛に燃ゆる聖徒等
一〇三―一〇五
人信仰によらざれば救はれざるをいへり
〔前にも後にも〕キリスト以前にてはキリストの降臨すべきを信じ、その以後にては降臨せるキリストを信じ
一〇六―一〇八
以下一一四行まで、名ありて實なきキリスト教徒が異教能よりもかへつて罪深きを述ぶ
〔クリスト、クリストと〕マタイ傳七・二一以下參照
一〇九―一一一
〔エチオピア人〕異教徒を代表す
〔罪に定めむ〕マタイ傳二一・四一―二參照
〔二の群〕マタイ傳二五・三一以下參照
〔富み〕富むは神恩の裕かなるをいひ、貧しきはこれを缺くをいふ
一一二―一一四
〔汝等の王達〕キリスト教國の諸王
〔書〕審判の日に開かるゝ
〔ペルシア人〕異教徒を代表す
〔何をか〕いかなる非難の言葉をか
一一五―一一七
以下廣く例をキリスト教國の君主にとりて、かれらが專ら正義を施すべき地位にありながらかへつて憎むべき罪惡を行ふことを難ず
〔そこには〕かの書の中には
〔アルベルト〕皇帝アルブレヒト一世(淨、六・九七一九註參照)。一三〇四年軍をボヘミアに進め、その同士を蹂躙す
〔筆〕神の筆(生命の書に書き入るゝ)
〔プラーガの王國〕プラーグ。プラーガを首都とする王國即ちボヘミア
一一八―一二〇
〔者〕フランス王フィリップ四世(淨、七・一〇九―一一註參照)。嘗て獵場にあり、一匹の野猪その馬を突く、王地に倒れ、日ならずして死す(一三一四年)
〔貨幣〕フィアンドラとの戰ひの頃(淨、二〇・四六―八註參照)軍費に窮して粗惡なる貨幣を鑄造す
〔センナの邊〕セーヌ(センナ)河の流るゝ都即ちパリ。王こゝにかの貨幣を發し、民その禍ひを被れり
一二一―一二三
〔スコッランド人〕一三〇六年より同二九年までスコットランド王たりしロバート・ブルースの事ならむ
〔イギリス人〕イギリス王エドワード二世(一三〇七年より一三二七年まで王たり)の事ならむ。但しエドワードとロバート・ブルースとの爭ひは一三〇〇年より後の事なれば異説あり
〔渇〕領土の慾
一二四―一二六
〔スパニアの王〕カスティール王フェルナンド四世(一二九五年より一三一二年まで王たり)
〔ボエムメの王〕ヴェンチェスラウス四世(淨、七・一〇〇―一〇二並びに註參照)やボエムメはボヘミア。
一二七―一二九
〔跛者〕アプリア王シャルル二世(淨、二〇・七九―八一並びに註參照)。生來の不具者にてかつは名のみながらイエルサレムの王なりければ、嘲りてイエルサレムの跛者といへり
〔一のI〕かの生命の書に善をI(即ち一)と記し惡をM(即ち千)と記す、惡ありて善なきを表はせるなり
但しこの一の善をシャルルの物惜みせぬこと(天、八・八二―四並びに註參照)と解する人あり、疑はし
一三〇―一三二
〔火の島〕シケリア。名高きエートナの火山あるによりてかく。『アエネイス』によれはアエネアスの父アンキセスはこの島の西海岸の町なるトラパーニ(古名 Drepanum)にて死せり(三・七〇七以下)
〔治むる者〕シケリア王フェデリコ二世(淨、七・一一八―二〇參照)シャルル・ダンシューと長くシケリアの主權を爭ひゐたりしが一三〇二年賤むべき契約の下にこれと和してその女を娶れり
皇帝ハインリヒ七世の死後フェデリコは勤王派の望みを負ひてピサの主權を希、ギベルリニの首領たらんとせしも、かしこに到るに及び、かの徒黨をば共に事を爲すに足らずとして棄てたり、ダンテも彼に望みを囑せる一人なればかゝる卑しき行爲を見てこれを憎むの念愈

一三三―一三五
かゝる小人の罪業を一々生命の書に録して、徒に場所を塞ぐことなからむ
一三六―一三八
〔叔父〕フリートリヒの叔父にてバレアロス諸島イスパニアの王なるハイメ(一二四三―一三一一年)
〔兄弟〕アラゴン王ハイメ(ヤーコモ)(淨、七・一一八―二〇並びに註參照)。二の冠はバレアロスとアラゴンの王冠
一三九―一四一
〔ポルトガルロの王〕ディオニシオ(一二七九年より一三二五年まで王たり)。貪婪の
〔ノルヴェジアの王〕ハーコン七世(一二九九年より一三一九年まで王たり)。ノルヴェジアはノルウェー。
〔ラシアの王〕ラシア(近代のセルヴィアの一部なる中古の王國)王ステファーノ・ウーロス二世(一三〇七年死)
〔貸幣を見〕ヴェネーツィア(ヴェネージア)の貨幣を見てこれを模造し、汚名を殘すにいたれる意
一四二―一四四
〔ウンガリア〕一二九〇年カール・マルテル、ハンガリアの王冠を受けしも實際に政治を行へる者はアンドレア三世(一三〇一年死)なりき(天、八・三一―三註參照)、一三〇一年にいたりマルテルの子ロベルト(一三四二年死)王位を繼げり、アンドレアは良王なればこゝに重ねてといひてその以前の諸王の惡しかりしを示せるなり。ウンガリアはハンガリア。
〔ナヴァルラ〕ナヴァールもしその北方を圍むピレネイ諸山を固めとしてフランスの軛を防がば福ならむ
ナヴァール王アンリ一世の女ジョヴァンナ父についで王國を治め、一二八四年フィリップ四世に嫁して後も猶自らこれを治めしが、一三〇四年その死するやその子ルイこれを繼ぎルイ、フランス王(ルイ十世)となるに及びてこの國フランス王家に歸せり
一四五―一四八
〔この事の〕ナヴァールについていへる事(即ち自國を固めてフランス王の侵入を防ぐべきこと)の眞なるを豫め知らしむる例として
〔ニコシアとファマゴスタ〕キュプロス島の二都。一三〇〇年の頃フランスのアンリー二世ルニジアーノ家のキュプロス王としてこゝに虐政を布く。獸とは即ちこの王の事なり
〔他の〕こゝに掲げし如き他のキリスト教國の諸王とその歩調を倶にして同じく惡を行ふ
第六天の鷲その目に輝く六の靈の誰なりしやをダンテに告げ、かつその中なるトラヤヌス及びリフェオの救ひに關してダンテの懷ける疑ひを解き、永遠變らざる神の定のはるかに人智に超ゆるを述ぶ
四―六
〔一の光〕日光。諸星はいづれも太陽の光を受けて輝くといふ昔の學説に從へるなり(『コンヴィヴィオ』二・一四・一二四―六參照)
七―九
〔導者達〕帝王等
〔徴號〕即ち鷲
〔わが心に〕太陽沒して諸星輝くを鷲默して諸靈歌ふにたとへたり
一三―一五
〔微笑の衣を纏ふ〕法悦の光に包まるゝ
〔愛〕神を愛するの愛 この愛諸靈を悦の光に包むなり
〔笛〕歌ふ諸靈。吹入るゝ
異本、〔火衣〕
一六―一八
〔第六の光〕木星。これを飾る珠は即ち諸靈
一九―二一
〔源〕原、「頂」(即ち山の
二二―二四
二八―三〇
〔わがこれを〕こはわが聞かんと願ひゐたりし言葉なれば我よくこれを心に記して忘れじとの意
三一―三三
〔一部〕即ち目
〔地上の〕原、「死すべき」(天上の鷲の不死なるに對して)
〔日輪に堪ふる〕天、一・四八並びに註參照
三四―三六
〔形〕鷲の
〔火〕輝く諸聖徒
〔凡ての位〕同じく鷲を象どる諸靈の中にてもその尊さに差別あるを示す
三七―三九
〔聖靈の歌人〕イスラエル王ダヴィデ(淨、一〇・五五以下參照)。神の靈感によりて歌ひたれば「聖靈の」といへり
〔匱〕神の匱。ダヴィデこれをアビナダブの家よりオベド・エドムの家に移し後又これをイエルサレムに移せり(サムエル後、六・一以下)
四〇―四二
〔己が思ひより〕ダヴィデの詩は王自身の思ひ(自由意志)と靈感とより成る、前者の徳は王に歸し後者の徳は聖靈に歸す
四三―四五
〔嘴にいと近き〕皇帝トラヤヌス
一寡婦の請を容れてその子の爲に復讎を約しゝ事前に出づ(淨、一〇・七三―九三)
四六―四八
〔この麗しき〕天堂の幸福と地獄の苦痛とをともに經驗し、キリストを信ぜざる者がいかなる憂目を地獄に見るに至るやを知る
トラヤヌスがグレゴーリウスの祈りの功徳によりて地獄の苦を脱しゝ事に就ては一〇六行以下及び淨、一〇・七三以下並びに註參照
四九―五一
〔圓〕四三行の「輪」
〔彼に續くは〕ユダ王ヒゼキヤ。病みてまさに死せんとせし時神に祈り求めしかば神即ちこれに十五年の齡を加へ給ひたり(列王下、二〇・一―七等)
〔眞の悔〕註釋者の曰へる如く、恐らくはダンテの記憶の誤りならむ、歴代下(三二・二六)に王その心の
五二―五四
〔永遠の審判に〕神眞實の祈を嘉納し、けふと定めしことをあすに延べ給ふともその審判その正義は依然として變らじ(淨、六・二八―三九參照)
五五―五七
〔次なる者〕皇帝コンスタンティヌス一世(地、一九・一一五―七並びに註參照)
〔牧者に讓らんとて〕ローマの領地を法王シルヴェステル一世にさゝげんとて
〔律法及び我〕律法と鷲(武)とをギリシア化するは、ローマ帝國の首都をビザンティウム(ギリシア人の建設せる)に移し文武の諸權を彼地より出づるにいたらしむるなり(天、六・一―三並びに註參照)
〔己を〕皇帝自らビザンティウムに赴けること
五八―六〇
〔世を亡ぼす〕ダンテ思へらく、遷都と寺院の富とはローマ帝國の衰頽を來し、ひいて全人類の不幸を招くにいたれりと
六一―六三
〔グリエルモ〕シケリア及びアプリアの王グリエルモ二世(一一五四―一一八九年)。一一六六年王位に即きて善政を布く
〔カルロ〕アプリア王シャルル二世(天、一九・一二七―九參照)
〔フェデリーゴ〕シケリア王フェデリコ二世(天、一九・一三〇―三五參照)
六七―六九
〔リフェオ〕リペウス。トロイア陷落の際ギリシア軍と戰ひて死せる勇士の名
リペウスの事たゞ『アエネイス』(二・三三九、三九四、四二六―七)に見ゆるのみ、アエネアスがトロイアの
〔誰か信ぜむ〕異教時代のリペウスが救ひを得て天にあらんとは
七六―七八
〔永遠の悦び〕神
〔これが願ふところに〕神意に從つて萬物は皆そのある如くなる(即ち神がかゝる物たらしめんと思ひ給ふ如くなる)にいたる
〔像〕鷲。鷲は神意にもとづく帝國の象徴なれば特に神の御手の
七九―八一
〔かしこにては〕ダンテの言葉を俟たずして、諸聖徒よくその疑ひの何なるやを知りしかど
八二―八四
〔これらの事〕わが見かつ聞きし事、即ち異教徒なるべきトラヤヌスとリペウスとが救はれて天にある事
九四―九六
〔熱き愛及び〕燃ゆる愛と強き希望とは(これなくば永遠の罰を受くべき者にありても)聖旨を動かし、これを有する者をして天堂の福を奪取することをえしむ
〔侵さる〕violenza pate マタイ傳一一・一二(ヴルガータの)に vim patitur とあるによれり
九七―九九
愛と望み聖旨に勝つは人が人に勝つ如く、強をもて弱を制するに非ず、聖旨自らその
一〇〇―一〇二
〔生命〕靈
〔天使の國〕天堂
一〇三―一〇五
〔彼は〕リペウスはキリストの降誕以前にありて救世主の贖ひあるべき事を信じ、トラヤヌスはその以後にありてかの贖ひありしことを信ぜり
〔痛むべき足〕釘にて十字架に打付けらるべき足。キリストの受難
一〇六―一〇八
〔一者〕トラヤヌスの靈
〔善意に戻る者なき〕地獄には改悔なし
〔生くる望〕グレゴリウスの。神は必ずその祈りを聽き給ふと固く信じて疑はざりしこと
一〇九―一一一
〔移るを〕改悔と信仰とに(地獄にては移る能はじ)
一一二―一二四
〔助くるをうるもの〕キリスト
一一八―一二〇
〔一者〕リペウス
〔泉〕神
一二一―一二三
〔神彼の目を開き〕リペウスの救ひに關することは皆ダンテの創意より出づ、但し野蠻の民と雖もその理性の聲に聽從する時、神恩これを救ひの道に導くことは當時の寺院の教へにあり
一二七―一二九
〔みたりの淑女〕凱旋車の右の輪の
〔一千年餘〕中古の記録に從へばトロイアの陷落は紀元前一一八四年の事なりといふ
〔彼の洗禮〕トマス・アクイナスの所謂改悔の洗禮 baptismus paenitentiae. リペウスは洗禮を受けざりしもこれに代るべき信仰と希望と愛とを有せり
一三〇―一三二
〔永遠の定〕predestinazion 人の救ひについて神の豫め定め給へること
〔第一の原因〕神
〔目〕人智
〔汝の根〕即ち神の定の
一三三―一三五
〔凡ての選ばれし者〕救はれて天上の福を享くる者の數。神の永遠の定の秘義
一三六―一三八
神の
一三九―一四一
〔神の象〕神のゑがき給へる鷲(天、一八・一〇九參照)
一四五―一四八
〔光〕トラヤヌスとリペウスの。焔を動かすは鷲の言葉がかれらの意と合するを表はすなり
〔瞬く〕二の光を二の目にたとへその運動の全く同じきを表はせり
ダンテ導かれて第七天(土星天)にいたればこゝには一の金色の梯子を降る多くの靈(默想者)あり、その一聖ピエートロ・ダミアーノ詩人に近づきてこれが問に答ふ
四―六
〔セーメレ〕テバイ王カドモスの女。ジュノネの怨みを受け、これに欺かれてゼウスの榮光を見んと願ひ、見るに及びてその身燃ゆ(『メタモルフォセス』三・二五三以下及び地、三〇・一―三註參照)
七―九
〔宮殿の階〕諸天。これを傳ひてエムピレオの天(宮殿)にいたる
〔汝の見し〕天、五・九四以下、八・一三以下等
一〇―一二
〔力〕視力、即ち智力(比喩的に)
一三―一五
〔燃ゆる獅子の〕一三〇〇年四月の頃土星は獅子宮にありしなり
〔その力とまじり〕土星の影響は獅子宮の星の影響と混りてわが下界に及ぶ
註釋者曰く。獅子宮は猛獸に因みて熱さを表はし、土星は寒さをあらはす(淨、一九・一―三註參照)、冷熱相混じ相調節してその影響温和なりと
又曰く。土星は冷かなり、ゆゑに人を冷靜ならしめ、沈鬱ならしめ、これを瞑想に導くにいたると
一六―一八
〔かれら〕即ち汝の雙の目
〔この鏡〕土星、日光を受けて輝くがゆゑにかくいふ
一九―二一
ベアトリーチェの命に從ひわれ目を淑女より
二二―二四
〔彼方と此方とを〕命に從ふの悦びと淑女を見るの喜びとを。ベアトリーチェを見るの悦びたとへん方なく大なるに、この大なる悦びをも棄てゝ目を他に移しゝことを思はゞ、命に從ふの悦びのいかに大なりしやを知らむ
二五―二七
〔その名立る導者〕世界の名立たる君主、即ち黄金時代のサトルノ王(地、一四・九四―六並びに註參照)
〔水晶〕
二八―三〇
〔樹梯〕諸靈が梯子を昇降するは心默想によりて神のみもとに達するを示す、創世記の古事によれり(天、二二・七〇以下並びに註參照)
三一―三三
〔光〕默想によりて徳より徳に進める魂
〔一切の光〕すべての星
四〇―四二
梯子を降る聖徒等はとある段に達すれば、別れ/\になりて或ひは昇り或ひは降り或ひはそこに止まるなり
四三―四五
〔我よく〕我は汝の光の増すにより、汝が愛をもて我と語りわが疑ひを解かんとするを知る
四六―四八
〔身を動かす〕言葉身振等にて示す但しこの一聯の主なる動詞原文にてはすべて現在なれば、これを他の文にあらずしてダンテの心の中の言葉の續と見る人あり
四九―五一
〔者〕神
五五―五七
〔己が悦びの〕己が悦びの先に包まるゝ尊き靈よ
五八―六〇
〔響く〕天、三・一二一―二、七・一―五、八・二八―三〇等
六七―六九
〔愛の優る〕わが侶等に
〔優るか〕この梯子にあらはるゝ聖徒達はいづれもその愛の我にまさるかさらずも我と等しき者のみにて、劣る者あらざればなり
七〇―七二
聖徒の爲す事はみな神の
〔疾き僕〕喜びて(聖旨に)從ふ者
〔尊き愛〕神を愛するの愛
〔鬮を頒つ〕各自にその爲すべき
七三―七五
〔自由の愛〕神の命じ給ふを待たず、己が衷なる神の愛に動かされて各

七九―八一
〔碾石〕の如くめぐりて喜びを現はすなり、
八二―八四
〔愛〕神の愛に燃ゆる魂
八五―八七
〔わが視力〕人は己が智力のみによりて光の源なる神を知るをえざるなり
八八―九〇
われ神を見ること明らかなればわが焔もまたこれた準じて燦かなり(天、一四・四〇―四二參照)、知るべし、わが光となる悦びは神を成るにもとづくを
九一―九三
われらかく神を成れどもわれらの中の、否天使の中のいとすぐるゝ者さへ聖意の奧を知り難し
〔セラフィーノ〕天、四・二八―三〇並びに註參照
九七―九九
〔かゝる目的に〕かく奧深き事を敢てまた究めんと力むることなからしむべし
一〇〇―一〇二
〔こゝにては〕天にては被造物の智神の光を受けて光れど地にては迷ひまた誤りの爲に暗む
〔天に容れられてさへ〕被造物の智は天に入りて後にさへかの秘義を悟りえざるに未だ地にある時に當りて何ぞこれをさとりえむ、換言すれば、天上の聖徒すらかゝる事を解しえざるに地上の人いかでこれを解しえんや
一〇六―一〇八
〔二の岸〕アドリアティコとティルレーノとの兩海岸
〔岩〕山、即ち中部アペンニノ連山を指す
一〇九―一一一
〔カートリア〕アペンニノに連なる一山にてグッビオとラ・ベルゴラの間にあり山腹に「カマルドリ」派に屬する一僧院(庵)ありき、「サンタ・クローチェ・ディ・フォンテ・アヴェルラーナ」即ち是なり、傳へ曰ふ、ダンテは一三一四年の頃足をこの僧院に止めしことありと
一一五―一一七
〔橄欖の液の〕橄欖の油のみにて味をつけし食物、即ち精進物
一一八―一二〇
道心堅固の者のみゐたるかの僧院は多くの魂をこれらの天に送りたりしに今や腐敗してこの事なし、しかしてその腐敗せる
一二一―一二三
〔ピエートロ・ダミアーノ〕ペトルス・ダミアーニ。名高き神學者、一〇〇七年頃ラヴェンナの貧家に生れ、その兄ダミアーノの厚意によりて學を終ふ(彼が自らピエートロ・ダミアーノと呼べるはこの恩を思ひてなり)、年三十にしてフォンテ・アヴェルラーナ僧院に遁れ、やがて選ばれて院主となる、一〇五八年オスティアの僧正兼カルディナレに任ぜられしも幾何もなく辭して再び僧院に歸り、一〇七二年ファーエンツァに死す、高徳大智の名僧にて神學に關する著作多し、ピエートロ・ペッカトレ(罪人ピエートロ)とはその自ら謙りて呼べる名なりといふ
〔われらの淑女の家〕僧院。註釋者曰く、こはコマッキオ(ラヴェンナの北)附近なる聖マリア・ポムポーザの僧院を指せるものにて、ピエートロ未だ一僧侶なりし時アヴェルラーナの院主の請ひによりかしこに行きて二
但しピエートロはその後年にいたりてもなほペッカトレの名を用ゐしこと明らかなればこの一聯に就て異説甚だ多し、いづれも難あり。スカルタッツィニは一二二行の前半を後半と別ちて「かしこにて我はピエートロ・ダミアーノまたピエートロ・ペッカトレといひき、我またアドリアティコの岸なるわれらの淑女の家にありしことあり」と讀めり、この解最も難なし、されど聲調の自然をそこなふ
一二四―一二六
〔帽〕カルディナレの帽
〔傳へらるゝ〕高位の僧となる人物が次第に劣りゆくをいふ
一二七―一二九
以下一三五行まで前聯の末行に因みて僧官の奢侈を難す
〔チエファス〕(ケパ)、使徒ペテロ(ヨハネ、一・四二)
〔聖靈の大いなる器〕使徒パウロ、地、二・二八に「
〔いかなる宿の〕ルカ、一〇・七參照
一三〇―一三二
〔己を〕今の僧官等は美食安佚によりてその身肥え、人の助けを借らざれは歩を運ぶ能はず、かつまた人に誇らん爲その裳裾を長くし特にこれをかゝぐる人を用ゐるにいたる
一三三―一三五
〔表衣にて〕またその
〔何の忍耐ぞ〕神の忍耐はいかに大いなる哉
一三六―一三八
〔いよ/\美しく〕ペトルス・ダミアーニの義憤の言を聞きてこれに同感を表するなり
一四二
〔雷〕強き響き
聖ベネデクトゥスがその開山の昔を語りかつ今の僧侶の腐敗を歎くを聞きて後、ダンテはベアトリーチェと共に第八天(恒星天)にいたり、七遊星と地球とを俯瞰す
一―三
〔恃處〕母(淨、三〇・四三―五參照)
一〇―一二
〔歌〕天、二一・五八以下參照
〔笑〕天、二一・四以下參照
一三―一五
〔刑罰〕牧者等の腐敗に對する神罰。恐らくはダンテの信仰にもとづく豫言にて、ボニファキウス八世の受難(淨、二〇・八五以下參照)。もしくほアヴィニオンに移れる(淨、三二・一五七以下參照)後の法王廳の屈辱等を特に指せるにはあらじ
一六―一八
〔望みつゝ〕天罰の他人に下らんことを願ふ者はその下るを遲しとし、己に下らんことを恐るゝ者はこれを速しとす
二二―二四
〔球〕光の球、即ち光に包まるゝ諸聖徒
二五―二七
〔過ぐるを〕問ふことの多きに過ぐるを
二八―三〇
〔眞珠〕輝く聖徒等
〔わが願ひ〕かの聖徒等の誤なるやを知らんと欲する願ひ
三一―三三
〔汝の思ひを〕汝の問がわれらの累とならざるを知り安んじて心の願ひを言現はさむ
三四―三六
〔たふとき目的〕神の
〔我〕聖ベネデクトゥス。四八〇年ウムブリア州のノルチアに生る、若年にして遁世し、スピアーコ(ローマの東)附近の岩窟に隱れ僅に一僧の布施を受けつゝ修すること年あり、その徳世に知られ弟子多くその許に集るに及びて十二の僧院を建つ、五二八年カーシーノ山(或ひはカッシーノ、ローマとナポリの中間にあり)に赴きアポロン(アポルロ)の宮殿を毀ちてベネデクトゥス派の僧院を起し、五四三年に死す
三七―三九
〔カッシーノ〕同じ名の山の側面にある小さき町
〔迷へる曲める人〕異教徒。アポロンを拜せんとて登山せり
四〇―四二
〔者〕キリスト、即ち福音の眞理を世人に齎し示せるもの
四六―四八
〔花と實〕思ひと行ひ
〔熱〕神を愛するの愛
四九―五一
〔マッカリオ〕聖マカリウス(四〇五年死)。アレクサンドレイアの人にて聖アントニウスの弟子なり、東方僧院の法規を定め、多くの隱者を統管す
カーシーニその他の説に據れり、異説或ひは同じくアントニウスの弟子なるエヂプト人マカリウス(三九一年死)を指すとし、或ひはダンテこれとアレクサンドレイアのマカリクスとを區別せざりしならんともいふ
〔ロモアルド〕聖ロムアルドゥス(一〇二七年死)。ラヴェンナの貴族オネスティ家の出、トスカーナなるカマルドリ僧院(淨、五・九四―六並びに註參照)の建設者にてカマルドリ派(ベネデクトゥス派の分派)の開祖なり
〔わが兄弟達〕ベネデクトゥス派の僧侶等
五二―五四
〔好き〕光によりて愛を現はす
五八―六〇
〔顯に〕隱す光なくして
六一―六三
〔最後の球〕エムピレオの天。ダンテがかの天にて聖ベネデクトゥスの姿を見しこと後に出づ(天、三二・三五)
〔わが願ひ〕ありのまゝの姿を示してダンテの望みを遂げしめんとの願ひをも含む
〔他の〕他の聖徒達の
六四―六六
〔備はり〕註釋者曰く。備はるは神を
〔かの球に〕エムピレオの天は他の諸天と異りて不動なれば、その各部決して位置を變ふることなし
六七―六九
〔場所〕かの天は他の諸天と異りて空間に超越す、またかれらの如く軸ありて轉るにあらず
エムピレオの天については『コンヴィヴィオ』二、四・一三以下參照
七〇―七二
〔ヤコブ〕ヤコブがベテルにて夢に一の梯子を見しこと創世記に出づ、「見よ地に立てる一の梯子あり、その頂天に達し神の
七三―七五
〔これに登らんとて〕世の雜念を棄てゝ思ひを天に寄する者なし
〔わが制は〕ベネデクトゥス派の法規はたゞ徒に紙を費して寫し傳へらるゝのみ、守る者なし
異本、「紙を損はんがために世に殘るのみ」
七六―七八
善人の住む習ひなりし僧院は惡人の巣となり、不徳の
七九―八一
〔高利〕高利を貪ることの神意に背くは既にいへり(地、一一・九一以下參照)
〔果〕寺の收入。これを貪りこれを私する僧侶の罪は高利を貪る罪にもまさる
八二―八四
〔民〕神の愛に訴へて施を求むる者即ち貧民
〔親戚または〕僧侶の親戚またはその妾婦等
八五―八七
〔善く始め〕たとへば僧院の如く、その建設の始めに於ては人よく法を守れども久しからずして破るにいたる
八八―九〇
〔ピエル〕使徒ペテロ(ピエートロ)は貧に安んじて福音宣傳の基を開き
〔金銀なきに〕ペテロが一跛者にむかひて「金銀は我になし」といへる(使徒、三・六)によれり
〔集〕convento その派の僧侶のみならず凡てこれに從ひその教の果を摘みて善に向ふ者の一團を指す(パッセリーニ)
九一―九三
汝先づ三者の事業をその始めに溯りて見、後この事業が彼等の末流の腐敗墮落によりていかなる状態となれるやを見ば善の惡に變れるを知らむ
九四―九六
僧侶等かく墮落して昔の面影を止めざれども、神の救ひの御手によりて再び徳に歸るの望みなきにあらず、またたとひこの事ありとも舊史に殘る奇蹟の如く不思議とすべきにあらざるなり
〔ヨルダン〕イスラエルの民をして渉らしめんため、この河の水逆流す(ヨシュア、三・一四以下)
〔海の〕紅海の水の分れしこと(淨、一八・一三三―五並びに註參照)
九七―九九
〔旋風の如く〕

一〇〇―一〇二
〔自然〕即ち肉體の重さ
一〇三―一〇五
〔自然に從ふ〕物質の力にのみよる
一〇六―一〇八
〔願はくは〕事の眞なるを表はす爲に用ゐらる。かの凱旋にわが歸るをえんと願ふその願ひの
〔聖なる凱旋〕天上永遠の福
一〇九―一一一
〔天宮〕雙兒宮。ダンテは第八天即ち恒星天に達しその十二宮の一なる雙兒宮に入りしなり
一一二―一一四
以下一二三行まで、ダンテは己と雙兒宮の星と因縁淺からざる次第を述べてこれが助けを求む
〔大いなる力〕雙兒宮の星はその下界に及ぼす影響によりて詩才や學才を啓發すとの古説あり、ダンテはこれらの星の影響の下に生れしがゆゑにその才をかの星の光に歸すといへるなり
一一五―一一七
わが生れし時太陽は雙兒宮にありき
注釋者曰く。一二六五年には五月十八日より六月十七日まで太陽雙兒宮にありき、故にダンテの生れし日はこの二つの時の間にありと(スカルタッツィニ註參照)
なほその日を五月の末となす説についてはスカルタッツィニ註第四卷(プロレゴメーニ)二四頁及びムーアの『ダンテ研究』第三卷五五―六頁參照
〔父なる者〕太陽。不滅の生命(人の魂)は神の直接に造り給ふものなれば滅ぶる生命の父といふ
一一八―一二〇
〔貴き天〕恒星天
一二一―一二三
〔己が許に引く〕難所が魂を引くとはダンテをしてその心を悉くこゝに集めしむるをいふ
〔難所〕天堂の旗の殘の部分即ち特に崇高にして敍し難きところ
一二四―一二六
〔救ひ〕或ひは福。終極の救ひは神なり(詩篇二七・一)
一二七―一二九
〔これに入らざる〕神の御許にいたらざる
一三〇―一三二
〔凱旋の群集〕キリストの凱旋に列る群集(天、二三・一九以下)
〔天〕etetra(精氣、轉じて天)
〔樂しみ極まる〕天上高き處にありて親しくその靈光に接し、さらに俯瞰して下界の眞相を識別す、故に心眼いよ/\瞭かに(雜念を離れ)いよ/\鋭し(徹底す)、人茲に到りて初めてよく至上の光を仰ぐを得む、樂しみ豈大いならずや
一三三―一三五
〔わが球〕原、「この球」。地球
一三六―一三八
〔他の物に〕天界の事物に
一三九―一四一
〔ラートナの女〕月(淨、二〇・一三〇―三二並びに註參照)
〔影〕ダンテは月の地球に面せざる部分を見たるなり、月面の明暗は月天の天使の力と月本來の力との結合によりて定まるが故にこの天使がその力を及ぼす部分即ち月の地球に面する部分にのみ斑點ありて、その力を受くる部分即ち面せざる部分にはなし
〔粗あり〕天、二・五八―六〇參照
一四二―一四四
〔イペリオネ〕太陽の父。ウラヌスと
ダンテはオウィディウスがその『メタモルフォセス』第四卷(一九二、二四一)に太陽を指してイペリオネの子といへるに據れり
〔マイアとディオネ〕水星と金星。いづれも母によりて子を表はせり
マイアはアトランテ神の女にてメルクリウス(水星)の母(『メタモルフォセス』一・六六九―七〇等)、ディオネはヴェーネレ(金星)の母(天、八・七―九並びに參照)
一四五―一四七
〔父〕ジョーヴェ(木星)の父サトゥルノ(土星)
〔子〕ジョーヴェの子マルテ(火星)
〔和ぐる〕火星の暑さと土星の寒さとを(天、一八・六七―九並びに註參照)
〔處をば變ふる次第〕この三つの星が或る時は太陽に近よりて見え或る時はこれより遠ざかりて見ゆる理由。運行の工合
一四八―一五一
〔住處の隔たるさま〕星と星との間の距離
一五一―一五三
〔めぐれる間に〕即ちダンテが雙兒宮にありし間に
〔小さき麥場〕人の世界。狹きによりてかく言へり、人この小さき
〔山より河口〕複數、おしなべていへるなり
〔悉く〕
この一聯かく解するも猶多少の困難あり、故に或人はこれを理想の眺望即ちダンテが全地を一望の下に視たる意に解し、またトーザー氏は tutta を全部の意に非ずして巨細にの意なりとす
一五四
〔美しき目〕ベアトリーチェの
ダンテ第八天にてキリストの凱旋を見る
一〇―一二
〔ところ〕正午の太陽のある處に當る天。太陽子午線を過ぐる時はその運行特に遲しと見ゆ(淨、三三・一〇三―五並びに註參照)
一三―一五
〔願ひに物を求め〕切に或物を得んと願ひ、未だ得ざれど、得るの望み充分なればその望みにて滿足する人の如く
一九―二一
〔凱旋の軍〕キリストの血によりて救はれし聖徒等
〔一切の實〕キリストの凱旋に列る諸聖徒は、諸天の善き影響をうけ(「これらの球の

二五―二七
〔トリヴィア〕月。ディアナ(月)の異名
〔ニンフェ〕諸

二八―三〇
〔燈火〕諸聖徒
〔日輪〕キリスト
〔わが日輪の〕星は皆太陽の光をうけて輝く(天、二〇・四―六並びに註參照)
〔星〕viste superne(上方に見ゆる物)
三一―三三
〔光る者〕キリスト
〔その生くる光〕己の射放つ強き光
三四―三六
〔防ぐに術なき〕いかなる目もよくこれに堪ふるをえざる力なり。神の力は萬物に勝つ
三七―三九
〔天地の間の路〕人が天に登るの路
〔いと久しく〕淨、一〇・三四―六並びに註參照
〔知者と力〕神の力神の知惠なるキリスト(コリント前、一・二四參照)
四〇―四二
〔火〕電光
〔性〕火炎界に向つて昇るべき本來の性質(天、一・一三〇―三五參照)
四三―四五
わが心は天上の歡樂の爲にひろがりて己(心)を離れ(法悦の爲に意識を失ひ)たればその當時の心の状態を心自ら記憶せず
四六―四八
ベアトリーチェの笑顏を見るをえざりしダンテも(天、二一・四以下參照)、キリストの凱旋を見るに及びて視力増し、これを視るをうるにいたれり
四九―五四
〔書〕記憶の
〔忘れし夢〕四七行の「諸

五五―五七
〔ポリンニア〕ムーサイの一にて聖詩を司る神
(姉妹達〕他の八柱の神々
〔乳〕淨、二二・一〇一―二にホメロスを指して「ムーゼより最も多く乳を吸ひしギリシア人」といへり
〔諸

五八―六〇
〔聖なる姿〕ベアトリーチェ自身の
この項異本に「そをいかばかり聖なる姿(即ちキリストの)の燦かにせしやを」とあり
六一―六三
天堂を敍するにあたり、言葉の及ぶ能はざる事物を省略して筆を進むることあたかも行人が小川や溝のその道を横切るを見これを跳越えて進み行く如し
〔聖なる詩〕材を聖なる事物に取れる詩
六七―六九
船は才なり、海路は詩材なり、これをわけゆくは歌ふなり(天、二・一―七參照)
七〇―七二
〔園〕聖徒の群
七三―七五
〔薔薇〕聖母マリア。寺院の祈祷文に聖母を指して Rosa mystica(
〔神の言〕キリスト(ヨハネ、一・一四)
〔百合〕使徒達。即ち自ら例を示し福音を宣傳して人を正道に導ける者
七六―七八
〔弱き眼の戰〕弱き視力をもて強き光を視ること
七九―八一
〔陰〕雲の投ぐる。身陰にあるがゆゑに日は見えねどその光に照さるゝ處見ゆ
八二―八四
〔本〕キリスト
八五―八七
〔印影を捺す〕光を注ぐ
〔慈愛の力〕キリスト
〔力足らざる目に〕ダンテの視力猶足らずして未だキリストを見るをえざれば、キリスト自ら高く昇りてたゞその光の聖徒を照らすさまを見しむ
八八―九〇
〔花〕薔薇(七三行)
〔生くる星〕強く輝く星即ちマリア
〔質と量〕光の燦かさと大きさ
九四―九六
〔燈火〕天使ガブリエル。神子の降臨を告げ知らせんとてマリアの許に來れる天使なれば(淨、一〇・三四以下參照)。今また聖母の
九七―一〇二
〔琴〕ガブリエル
〔天〕エムピレオの天
〔碧玉〕マリア
〔裂けて〕電光の爲に
一〇三―一〇五
以下一〇八行までガブリエルの歌
〔天使の愛〕愛に燃ゆる天使
〔われらの願ひ〕われらの願ひの
〔胎よりいづる〕たふとき悦びの出づるところなる胎のまはりをめぐる
一〇六―一〇八
〔至高球〕エムピレオ
一一二―一一四
以下、マリアはキリストのあとよりエムピレオに歸りてダンテの目にかくれ、殘れる聖徒達は聖母に對する愛を顯はしかつ
〔諸天〕volumi(圓または囘轉)、月天より恒星天までの八個の天。これらの天を蔽ふ衣は第九天(プリーモ・モービレ)なり、この天はエムピレオに
〔熱〕至高の天を慕ひてこれに近づかんとするの愛(『コンヴィヴィオ』二・四・一九以下參照)
〔生氣いと〕その

一一五―一一七
〔内面〕圓の内面。第八天にありて第九天を望むがゆゑにかく言へり
一一八―一二〇
〔霜を戴き〕ガブリエルの冠(九四―六行參照)を指す
〔焔〕聖母
一二七―一二九
〔レーギーナ・コイリー〕Regina coeli(天の女王)、更生祭の頃寺院に歌ふ頌詠にてその全文左の如し(但し各行アレルヤに終る、略して記さず)
天の女王よ、歡べ
適はしくも汝の生みたる者は
われらの爲に神に祈れ
歡び樂しめ、
主はまことに甦りたればなり
一三〇―一三二
これらの聖徒達が下界に積みし功徳によりて、今天上に享くる福はいかに大なる哉
〔櫃〕聖徒達
〔地〕bobolce 一區域の地(畠)をいふ。但し農婦又は種蒔く女の意に解する人あり
一三三―一三五
〔バビローニアの流刑〕地上の生活。昔ヘブライ人が虜となりてバビロニア(バビローニア)に移されし(列王下、二四―五章)ごとく、人は天の郷土を離れて地上に移り住めばなり(淨、二二・九四―六參照)
〔黄金を〕富貴を地上に求めず、惱み苦しみの中にて寶を天上に貯へしなり
一三六―一三九
〔鑰を保つ者〕使徒ペテロ(地、一九・九一―二參照)
〔舊新二つの集會〕舊新兩約の諸聖徒
聖ペテロ、ダンテに信仰の事を問ふ
一―三
〔羔〕キリスト
〔食を與へて〕神恩限なきが故に聖徒の願ひ常に滿つ
〔晩餐〕羔の晩餐の事、聖書に出づ(默示、一九・九)。キリストの備へ給ふ晩餐は即ち天上の福なり、ルカ傳一四・一五に曰く、神の國にてパンを食ふ者は福なりと
〔侶等〕聖徒達
四―六
〔落つる物〕食物の
七―九
〔願ひ〕求知の念
〔露〕知識の
〔思ふ事〕知らんと欲する事。その源は知識の泉なる神
一〇―一二
〔球〕(複數)、軸を中心として

一三―一五
〔初めの輪〕最も内部にありて最も小なるもの、その


一六―一八
〔球〕carole 圓形に舞ふ舞のこと、こゝにては舞ひめぐる諸靈の群
〔富を量る〕舞の遲速によりてその群の幸福の大小を判ず(天、八・一九―二一參照)
一九―二一
〔一の火〕使徒ペテロ
〔福なる〕福の大なるは光の強きによりて知らる
〔かしこ〕かの球
二二―二四
〔三度〕三は完全數
二五―二七
〔劈



二八―三〇
ペテロの詞
三四―三六
〔われらの主が〕地、一九・九一―二參照
〔奇しき悦び〕天堂。鑰は即ち前曲の末に「榮光の鑰」といへるもの
三七―三九
〔海の上を〕ペテロがキリストにならひて海上を歩めること(マタイ、四・二二以下)
四〇―四二
〔ところ〕神(天、一五・六一―三參照)
四三―四五
汝問はざるもよく彼の心を知る、されど信仰は人の救の要素なれば、彼をしてこれが事を語りてその尊さを顯はさしむべし
四六―四八
〔學士〕baccellier 大學の業を終へ、さらに高き學位の候補者たるを得る者。かゝる學位を得るに當り、中古の例に從ひ、まづ教師の提出する若干の問題を論證す
〔決るためならず〕提案に對する論證の主意をとりまとめて決論を下すは教師の爲す事なればなり
五二―五四
以下、ペテロ問ひダンテ答ふ
五五―五七
答ふるに當りてまづベアトリーチェの許を得
五八―六〇
〔長〕primipilo ローマ軍隊の話にて、第一隊の百夫長、戰に臨み最先に槍を揮ふ者。ピエートロは寺院屈指の
〔恩惠〕神の
六一―六三
〔ローマを正しき〕ローマ人をキリストの教へに歸せしめし
〔汝の愛する兄爲〕パウロ(ペテロ後、三・一五參照)
〔録す〕ヘブル書(パウロの筆と信ぜられし)に
六四―六六
〔信仰とは〕ヘブル書一一・一。但しダンテはヴルガータにもとづきかつこれが解釋をトマス・アクイナスの『神學大全』に採れり
七〇―七五
天上にありて今わが明に認むるを得る靈界の事物は、官能によりて知らるゝものにあらざるが故に、地上の人目にてこれを視るをえず、たゞ信仰によりてこれが存在を許容するのみ、人はこの信仰を基礎とし、その在りと信ずるものを親しく視るに至るの望み、換言すれば福祉を得るにいたるの望みをその上に築くがゆゑに信仰は即ち基に當る
七六―七八
また人は靈界の事物をば他の
七九―八一
〔凡そ教へに〕凡そ教訓によりて世人の學ぶ所のもの、汝が信仰を解する如く明確に解せられなば、詭辯者世にその才を施すの餘地なからむ
八二―八四
〔この貨幣〕信仰
〔混合物とその重さ〕合金の割合及び重さの如何によりて貨幣の眞僞を判ずる如く手落なく信仰の何たるを檢せりとの意
八五―八七
〔己が財布の〕己が心の
〔そを鑄し樣に〕贋造の疑ひなきまで(その眞なるを疑はざるほど)この貨幣(わがいだく信仰)は光りて(純にして)圓し(完し)
八八―九〇
〔珠〕信仰
九一―九三
〔舊新二種の〕舊新兩約書に注ぐ聖靈の
〔皮〕
九七―九九
〔命題〕Proposizion 三段論法における大小二の前提、こゝにては舊新兩約書、この兩書はダンテの信仰の眞なるを證するものなるが故にその決論に對する前提に等し
一〇〇―一〇二
聖書が神の言なることを證するものはこの言にともなふ奇蹟なり(マタイ、一六・二〇參照)
〔自然が〕自然の鍛へ上げ作りあげしにあらざる
一〇三―一〇五
〔自ら證を求むる者〕聖書。聖書にのみ
一〇六―一〇八
〔奇蹟なきに〕キリスト教の世に弘まれるは、とりもなほさず奇蹟の實際に行はれし證左なり、奇蹟なくしてかく弘まれりとせば、そは聖書中のすべての奇蹟を集むとも猶遙に及ばざるほど大いなる一の奇蹟なればなり。但しこの論法は昔より寺院の人の用ゐしもの
一〇九―一一一
最初キリスト教を世に宣傳へし人々が奇蹟の助けによらざればこれを弘めえざる境遇にありしをいへり
〔良木の〕良木の種を蒔くはキリスト教の信仰を植うるなり
〔葡萄〕寺院は園の如し(天、一二・八六參照)、その樹昔葡萄にて有徳の實を結びたれど今荊棘に變じて實なし
一一二―一一四
〔われら神を〕テー・デウム・ラウダームスの歌(淨、九・一三九―四一參照)
〔諸

一一五―一一七
〔枝より枝〕問より問。梢はその最後の個條
〔長〕baron 對建時代における領主の稱號より轉じて君主、偉人の義に用ゐまた聖者達の尊稱として用ゐしことあり
一一八―一二〇
〔契る〕donnea(婦人と睦びかたらふ義)、神恩と心との緊密なる關係を表はす。汝を愛し汝の心に宿りて汝を助くる神の惠み
一二一―一二三
〔出でしもの〕汝の答
一二四―一二六
〔墓の〕キリストの屍その墓に在らずと聞き、ペテロ(ピエートロ)とヨハネ共に馳せて墓に向ふ、ヨハネまづかしこに至る、されど第一にその内に入れる者はペテロなり(ヨハネ、二〇・一以下)
ヨハネ傳に「見て信ぜり」(同上八)とあるによりダンテはペテロの信仰ヨハネにまさりゐたりと解せり
〔もの〕榮光のキリスト
一三〇―一三二
〔愛と願ひと〕神を愛するの愛と、神を慕ひ神に近づかんとするの願ひとを與へて。この愛この願ひあるが故に諸天運行す(天、一・七六―七參照)
一三三―一三八
古より行はれし類別に從ひて舊新兩約書を擧ぐ、即ちモーゼの五書、豫言者の諸書及び詩篇は舊約書にて、四福音書及び使徒達の諸書は新約書なり
〔燃ゆる靈に〕聖靈の助により心に光明をえて後諸書を録せる使徒達
〔こゝより〕天より地に
一三九―一四一
〔ソノといひ〕ソノ(sono)は在りの複數形にてエステ(este*)はその單數形なり、三として複數動詞を用ゐるとも一として單數動詞を用ゐるともいづれにてもよしとの意
*esteはラテン語の est をイタリア化したるものにて當時の散文にもその用例ありといふ(フラティチェルリ及びパッセリーニ註參照)
一四二―一四四
〔福音の教へ〕マタイ傳二八・一九、ヨハネ傳一四・一六、コリント後書一三・一三等
一四五―一四七
〔是ぞ源〕神の三一を信ずることは即ち信仰の第一義にて、その他の信條皆これより出づ
聖ヤコブ、ダンテに望みの事を問ふ、その後また聖ヨハネ現はれ己が内體に關するダンテの疑ひを解く
一―六
以下一二行まで、信仰の試問を敍し終れる時ダンテはその信仰の始めを思ひて「聖ジョヴァンニの洗禮所」に及び郷土フィレンツェをしのぶあまり、たゞ一個の詩人としてかしこに歸るの望みあるを陳ぶ
〔手を下しゝ〕材を供せる。『神曲』は天上の事と地上の事とをともに歌へるものなればなり
〔圈〕フィレンツェ(天、一六・二五―七參照)
〔狼〕惡くして強き者(フィレンツェ市民の)
〔羔〕善くして柔和なる者
〔閉め出す〕殘忍なる敵の怨みを受けてフィレンツェを逐はれしこと(『コンヴィヴィオ』一、三・二〇以下參照)
〔勝つ〕この詩によりてかの市民等わが詩才を認め、詩人の譽の爲我を郷土に歸らしむることあらば
七―九
〔變れる聲〕地上の戀愛を歌はずして壯嚴なる天上の事物を歌ふ聲
〔變れる毛〕(毛は原語羊毛とあり、五行の羔に因みてなり)老いて白髮となること
〔わが洗禮の盤のほとりに〕「聖ジョヴァンニの洗禮所」にて(地、一九・一六―二一註參照)
一〇―一二
〔かしこにて〕かの洗禮所に洗禮を受けてキリスト教の信仰に入り
〔魂を神に〕人信仰に由て神に近づく事を表はす
〔これが爲に〕この信仰の爲に
一三―一五
〔初果〕聖ペテロはキリストがその最初の代理者として世に殘し給へる者
〔球〕輪を造れる聖徒の一群(天、二四・一九―二〇)
〔一の光〕使徒ヤコブ(使徒ヨハネの兄弟)
一六―一八
〔長〕barone(天、二四・一一五―七註參照)
〔ガーリツィア〕聖ヤコブはイスパニア、ガーリツィア州なるサンティアーゴ・デ・コムポステルラに葬らるとの傳説により、中古かの地に行きてその宮に詣づるもの甚だ多かりきといふ
二二―一四
〔ひとりの〕聖ヤコブ
〔他の〕聖ペテロ
〔糧〕神恩の糧(天、二四・一以下參照)
二八―三〇
〔録しゝ〕ヤコブ書(一・五、一七參照)に。ダンテはその頃行はれし説に從ひヤコブ書を聖ヨハネの兄弟なるヤコブの
三一―三三
〔響き渡らす〕ダンテと語りて
〔己をいとよく〕その神人の兩性を最もよく三人に顯はし給ひし
ヤイロの女の蘇生(マルコ、五・二二以下等)、キリストの變容(マタイ、一七・一以下等)、ゲッセマネの園の祈祷(マタイ、二六・三六以下等)の時主と共にありし者はたゞペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人のみなりき、ダンテはかゝる場合に主がかれらを教理の三徳即ち信仰(ペテロ)と望み(ヤコブ)と愛(ヨハネ)との象徴たらしめ給へりとの神學説に從へるなり
三四―三六
ヤコブの詞
〔人の世界より〕人間界より天上に登り來る者の諸官能はわれらの光に慣るゝによりて前よりも強く全きにいたる(熟す)がゆゑに後よくこれに堪ふるを得。
三七―三九
〔山〕ペテロとヤコブ。即ちさきにその強き光をもてダンテの目を垂れしめし者。山はその位の高きを表はす
四〇―四二
神はその恩寵により、汝の生きながら登り來りて諸

四三―四五
〔正しき愛〕神を愛するの愛。神に近づくをうるの望みこの愛を促すなり
四六―四八
〔汝の心に咲くや〕汝いかばかりの望みを心にいだくや
四九―五一
〔我より先に〕ベアトリーチェ、ダンテに代りて第二問に答ふ、ダンテ自ら己が望みのすぐれて大いなるをいはんは適はしき事ならざればなり
五二―五四
〔日輪〕凡ての聖徒を照らし給ふ神
〔戰鬪に參る寺院〕Chiesa militante(戰鬪の寺院)、地上の信徒。天上の聖徒をChiesa trion-fante(凱旋の寺院)といふに對す
五五―五七
是故に彼はその未だ死なざるさきに、人の世より天に來ることを許さる
〔エジプト〕昔ヘブライ人がエジプトに奴隷たりし事あるに因みて人の世をエジプトといへり(淨、二・四六―八註參照)
〔イエルサレムメ〕天堂。
五八―六〇
〔知らんとてならず〕神によりて既に知ればなり(天、一七・一〇―一二參照)
〔傳へ〕世に
六七―六九
第一問の答
〔望みとは〕ダンテはこゝにペトロス・ロムバルドゥスの教法集(天、一〇・一〇六―八註參照)第三卷に見ゆる望みの定義を譯出せり
〔先立つ功徳〕人の善まづよく神恩と合するに非ざればその望みは空にして眞の望みにあらず
七〇―七二
以下七八行まで第三問の答
〔光〕即ち望み
〔星〕聖經諸書の作者
〔最大いなる導者〕神
〔最大いなる歌人〕王ダヴィデ
七三―七五
〔爾名を〕詩篇九・一〇。但しヴルガータに據れり。神を信じ
七六―七八
〔かれの雫と〕ダヴィデの言とともに汝の言は我に望みを起さしめ
〔書のうち〕ヤコブ書には望みの事を明に言へる處なし、されど望みを起さしむべき言葉はこれあり(一・一二、二・五等參照)
七九―八一
〔かの火の生くる懷〕聖ヤコブの放つ強き光の
〔とある閃〕ダンテの答に滿足してその喜びの増すを表はす
八二―八四
〔棕櫚をうるまで〕教へに殉ずる時まで(使徒、一二・二)。棕櫚は勝利のしるし
〔戰場を出づる時〕死する時(戰場なる世を去る意)
〔徳〕望み。人天上の榮を享くればその望みすべて遂げ、またさらに望む所なし、たゞこの望みを徳としてなほこれを愛するのみ
八八―九〇
〔新舊二つの〕聖書は我に望みの
〔神が友と〕神の選び給へる魂(天、一二・一三〇―三二參照)
或はこの一行を次の一聯と連ねずして「新舊二つの
九一―九三
〔イザヤは〕イザヤ六一・七に。但しダンテはヴルガータの duplicia(二倍)を十節の衣の意を承けて二重の衣(靈と肉との受くる福)の義とし、terra sua(己が郷土)を人間の眞の郷土なる天堂の義とせり。靈肉相合して人はじめて全し、故に人の至上の幸福は死後肉體復活して靈體と合し共に天上永遠の福祉を享くるにあり、人に望みの約するものまたこの幸福に外ならず
九四―九六
〔汝の兄弟〕聖ヨハネ。默示録(七・九以下)にて
九七―九九
〔スペーレント・イン・テー〕Sperent in te(望みを汝におかむ)、詩篇九・一〇(七三―五行註參照)
一〇〇―一〇二
〔一の光〕聖ヨハネ
〔巨蟹宮に〕磨羯宮の反對面にある巨蟹宮の星は初冬の頃日出と共に入り日沒とともに出づ、故にもし巨蟹宮に聖ヨハネの如く輝く一の星(水晶)あらば冬の一個月(即ち太陽磨羯宮にある間)は夜なきにいたらむ
一〇三―一〇五
〔短處〕虚榮
一〇六―一〇八
〔愛に應じて〕愛の多少に應じて

一一二―一一四
〔われらの伽藍鳥〕キリスト。伽藍鳥は己が血を注ぎて、死せる雛を蘇生せしむとの傳説(くはしくはスカルタッツィニの引用せるブルネット・ラティーニ著『テゾーロ』の一節參照)により、キリスト即ち十字架の血にて人類を生きかへらしむる救世主の象徴として中古弘く用ゐられきといふ
〔胸に倚りし者〕聖ヨハネ。最後の晩餐の時主の胸に倚りゐたり(ヨハネ、一三・二三)
〔大いなる務〕主に代り、子としてマリアに事ふること(ヨハネ、一九・二六―七)
一一五―一一七
〔その言の〕かく言ふ間も日を移さずしてかの使徒達を見つめゐたり
一一八―一二〇
太陽の分蝕を見んと力むる人は見んとするが爲に目くらみて何物をも見る能はざるにいたる
一二一―一二三
〔最後の火〕最後に現はれし光即ちヨハネ
〔汝何ぞ〕ヨハネの詞。ダンテはヨハネが肉體を有するや否やを見んとて特にこれを
一二四―一二六
〔われらの數〕われら選ばれし者の數。神の豫め定め給へる聖徒の數の滿つるまで(默示、六・一一參照)、換言すれば最後の審判の時まで
一二七―一二九
今天に在りて靈と肉とを具備する者は、たゞキリストとマリアのみ、汝これを世人に告げてその誤りを正すべし
〔二襲の衣〕靈と肉、
〔僧院〕天堂(淨、一五・五五―七參照)
〔昇りし〕今より少しくさきにエムピレオに昇りし(天、二三・八五―七、及び一一二以下)
一三〇―一三二
〔三の〕三使徒の。聖ヨハネのさらに語りいづるに先立ち舞と歌とともにやみしこと
一三三―一三五
〔笛〕掛りの者の相圖の笛
一三六―一三九
〔福の世に〕天に在りて世の常ならぬ視力を有しつゝ
〔見るをえざりけれは〕聖ヨハネを見つめし爲その先に目くらみて淑女を見るをえざりしなり
聖ヨハネ(ジョヴァンニ)、ダンテに愛の事を問ふ、ダンテ答へ終れる時始祖アダムの靈現はれ、詩人の望みに應じて己が昔の物語をなす
一―三
〔危ぶみ〕視力の滅びしにあらざるかと
〔焔〕聖ヨハネの光
七―九
〔汝の魂〕愛の向ふところを問へり
一〇―一二
〔アナーニア〕ダマスコの人、主の命に從ひサウロ(使徒パウロ)を訪ひて手をその上におき、彼をして再び物を見るをえしむ(使徒、九・一〇以下參照)
一三―一五
〔絶えず我を〕ベアトリーチェは愛の火をもてダンテの目より入來れり、即ちダンテはベアトリーチェのけだかき美しき姿を見て愛の火に燃えしなり
一六―一八
天堂の諸聖徒を凡て滿足せしむる善即ち神こそ、愛の我に與ふる強弱一切の刺戟の始めまた終りなれ。換言すれば、わが愛といふ愛ことごとく神にむかふ
〔わが爲に讀むかぎりの文字の〕di quanta scrittura Mi legge 異説多し。スカルタッツィニ曰く、淨、二・一一二にては愛、心の中に物言ひ、同二四・五二以下にては愛、衷に口授し、こゝにては愛、衷なる文字を讀む、こは衷なる
〔アルファ、オメガ〕始め、終り。ギリシア字母の最初の文字と最後の文字(默示、一・八參照)
一九―二一
〔我をして〕次の如く我に問ひ我をして
二二―二四
さらに明細に汝の思ふ所を述べ、誰が汝をして神を愛するに至らしめしやを我に告ぐべし
二五―二七
〔こゝより降る〕天より降る權威ある言、即ち聖書に現はるゝ天の啓示。ダンテの愛の動機は人と天との二つの教へなり
二八―三〇
以下三六行までの大意左のごとし
愛の向ふ所善にあり、善いよ/\全ければ愛またいよ/\大なり、神は至上の善にまします、故にこれを愛するの愛從つて最も大いならざるべからず
〔その善なるかぎり〕即ち善と認めらるゝかぎり
〔知らるゝとともに〕智によりてその何たること悟らるゝと同時に
三一―三三
神以外の善はたゞ至上の善なる神の一顯現、その榮光の一光輝に過ぎず
三四―三六
〔この證〕萬物にまさりて神を愛すべき理由
〔眞理〕神は至上の善なること
三七―三九
〔永遠の物〕諸天、天使、及び人の魂等。これらの被造物は皆神を慕ひ神を望む
〔示すもの〕物皆その第一原因と結ばんとするの願あることを教へし哲人として註釋者多くはアリストテレスを擧ぐ。但し異説多し
四〇―四二
〔眞の作者〕その言に僞りなき者即ち神。神自らモーゼに告げて「我汝に一切の善を見すべし」(ヴルガータ、出エジプト、三三・一九)といひ自らその善の完全なるを
四三―五五
〔尊き公布〕默示録。特にその一の八に「我はアルファなりオメガなり始めなり終りなり」と言給へる全能者の言を傳へて神は一切の善の源なる意を寓し示せること
〔こゝの秘密を〕天上の秘密を聖書の他の部分にまさりて強く下界に響かしむること
四九―五一
〔幾個の齒にて〕齒にて噛むは刺戟を與ふるなり、汝の愛を神に向はしむる者理性と天啓の外に猶
五二―五四
〔クリストの鷲〕聖ヨハネ。默示録四・七に出づる鷲を望ヨハネの象徴と見なす説にもとづき、キリスト教藝術にてはヨハネを往々鷲にて表はす
〔隱れ〕我に隱れ。ダンテはヨハネの思ひのある所を直ちにさとれるなり
五五―五七
〔齒をもて〕心を神に向はしむる一切の刺戟は皆我愛と結び合ひ、我をしてわが凡ての愛を神にさゝぐるにいたらしむ
五八―六〇
天地人類の存在によりて造物主の至善を知り、人類を救はん爲キリストの死し給ひし事を思ひて神の至愛を知り、天上永遠の幸福(望むもの)を思ひて神の至恩をしのび
六一―六三
〔認識〕神は至上の善なりとの。「生くる」は確たる
〔悖れる愛〕地に屬する物の愛(淨、三一・三四―六參照)
六四―六六
〔葉〕被造物、即ち神(園丁)のしろしめす宇宙(園)に遍く滿つるもの。「隣」を愛する(マタイ、一九・一九等)の愛を指す
六七―六九
〔聖なり〕默示録四・八に出づる頌詠によりて全衆神を讚美せるなり
七〇―七二
〔物見る靈〕spirto visivo 視神經を往來して、物を見るをえしむる力、即ち視力(『コンヴィヴィオ』二・一〇・三二以下參照)
〔膜より膜に〕光は眠れる者の目の膜より膜に進み入り、目の視力はこれに向ひて進むがゆゑにその人覺む
七三―七五
〔判ずる力〕estimativa 思ひめぐらす力。この力によりて己が覺めし次第を知り、あやしまずして己が前にあるものを見るを得
七九―八一
〔第四の光〕始祖アダムの靈
八二―八四
〔第一の力〕神
〔第一の魂〕最初の人間即ちアダム
九一―九三
〔熟して結べる〕アダムは造られし時既に大人なりければかく
〔唯一の〕スカルタッツィニ曰く。エヴァはアダムの一部なれは特にいはず、アダムがアダムとエヴァの意に用ゐられし例聖書に多し(創世、三・二二―四、ロマ、五・一二以下等)と
〔新婦と〕いかなる新婦もアダムの裔なればその女に當り、アダムの裔なる男子に嫁すればその
九七―九九
〔包まれ〕衣などに
〔願ひ〕包みし物より脱るゝ願ひ。但し包みし物の動くによりてその内なる獸の願ひの表はるゝを、蔽はるゝ光の一きは輝き渡るによりてその内なるアダムの願ひ(ダンテの望みをかなへんとするの)の現はるゝに比べしのみ
一〇六―一〇八
〔鏡〕神(天、一五・六一―三參照)
〔萬物を〕萬物は皆完全に神の鏡に映ず、故に神を視る者よく萬物を視る、されど一物として完全に神を
〔己に映せど〕fa di s

但しこの項異本あり、また異説多し
一〇九―一一一
以下一一四行まで、ダンテの問四あり、(一)アダムの造られし時より今に至るまで幾年經たるや、(二)アダムは樂園に幾許の間住みしや、(三)その犯せる罪の性質、(四)その用ゐし言語
〔長き階〕諸天
〔高き園〕淨火山上の園即ち地上の樂園
一一二―一一四
〔大いなる憤〕人類に對する神の怒り
一一五―一一七
第三問の答。但し當時の神學説に據れり
〔流刑〕樂園を逐はれし事。その眞の原因は木の實を食へるその事に非ずしてこれに伴ふ不從順と傲慢となり、即ち食ひて神命に
トマス・アクイナスの『神學大全』(二、二、一六三・一)に曰く。人間の最初の罪は己が度を超えて靈の福を望めるにあり、これ傲慢に屬す、知るべし始祖の最初の罪は傲慢なりしを
一一八―一二〇
以下一三三行まで第一問の答。アダムは地に住めること九百三十年(創世、五・五)、リムボに在ること四千三百二年なり、而してキリストの死即ちアダムがリムボを出でし時より神曲示現の年までは千二百六十六年(地、二一・一一二―四並びに註參照)なればアダムの造られし時よりこの時に至るまでの間はすべて六千四百九十八年なり
ダンテは古の史家の説に從ひ、人類の創造よりキリストの死にいたるまでの間を五千二百三十二年となせるなり
〔處〕地獄のリムボ。ベアトリーチェこゝに降りウェルギリウスに請ひてダンテの急を救はしむ(地、二・五二以下參照)
〔この〕天上の諸聖徒の
一二一―一二三
〔すべての光〕太陽が一年間に通過する十二宮の星
一二四―一二六
以下一三八行まで第四問の答
〔ネムブロット〕バベルの高塔(成し終へ難き業)の建築者として(地、三一・七六―八並びに註及び淨、一二・三四―六並びに註參照)
〔悉く絶え〕ダンテは『デ・ウルガーリ・エーロクエンチアー』(一・六・四九以下)に、アダムの用ゐし言葉がバベルの高塔建築の時まで用ゐられその後もヘブライ人によりて用ゐられしこと即ちアダムの言葉はヘブライ語なりしことをいへり、こゝにてはこの説を正してかく
一二七―一二九
〔天にともなひて〕星辰の影響に從つて
〔理性より生じ〕言語もまた理性の一産物なり
一三〇―一三二
思想感情を表白するは自然の作用なれども、その方法にいたりては人間自由の選擇に屬す
一三三―一三五
われ在世の頃神は
Iの由來知り難し、恐らくはダンテの創意ならむ、アダムの用ゐし言語はすべて絶えたりといへば、ダンテの示さゞるかぎり、その意推し
この語と一三六行の EL については異本多し(委しくはムーアの『神曲用語批判』四八六頁以下及びスカルタッツィニ註參照)
一三六―一三八
〔EL〕ヘブライの古語にて強き者の義なりといふ。この語『デ・ウルガーリ・エーロクエンチアー』一、四・二九にも見ゆ、但しアダムの用ゐし語として
一三九―一四二
第二問の答
〔山〕淨火の山、こゝにてはその巓にある樂園を指す
〔第一時より〕第一時は日出時に始まる、今傳説に從ひ天地の創造を春とすれば日出は午前六時頃なり、故にアダムが樂園に在りし間は午前六時頃より正午乃至午後一時(第七時)までの間即ち六時間乃至七時間なり
〔日の象限を〕太陽が象限、即ち圓の四分の一(六時間の行程、晝夜平分時にては日出より正午まで)を轉り終りて他の四分の一にさしかゝるとき、第六時終りて第七時これに次ぐ
アダムの樂園に在りし間の時については古より種々の想像説あり、短きは數時間長きは三十四年なりき、ダンテは前説に從へり
聖ピエートロ(ペテロ)その繼承者の腐敗を嘆ず、かくて全衆みなエムピレオの天に歸れば、ダンテは俯きてわが世界を見、後ベアトリーチェと共に第九天(プリーモ・モービレ)にいたる
四―六
〔耳よりも目よりも〕天堂の歌の
七―九
〔富〕天上の聖徒達はその富即ち福を失ふの恐れなく、またその福にてすべて足るがゆゑに他に求むる物あらじ
一〇―一二
〔四の燈火〕三使徒とアダム。この中最初に來れるものはピエートロなり(天、二四・一九以下)
一三―一五
義憤の爲聖ピエートロの光赤色に變ず
〔木星もし〕木星もし火星と光を交換し、その白色變じて赤色とならば
一六―一八
〔次序と任務とを〕天上にては言ふにも默すにも動くにも止まるにも各


一九―二一
〔是等の者〕共通の情は諸聖徒をしてペテロと同じく義憤を起さしむ
二二―二四
〔わが地位〕法王の位(ペテロは地上最初の法王なればなり)。これを奪ふ者とは主として神曲示現當時の法王ボニファキウス八世を指す
〔神の子の〕その器に非ずしてその位に坐す、是即ち纂奪者也、たとひ世に法王と認めらるともキリスト、法王と認め給はじ、特にボニアァキウスは墮地獄の罪人かつは不正行爲によりて法王となれる者なれば(地、三・五八―六〇註及び地、一九・五二以下參照)位に在りとも無きに等し
二五―二七
〔わが墓所〕ローマ。傳説によれば使徒ピエートロかの地に葬らる
〔血と穢との溝〕
〔悖れる者〕ルチーフェロ。神に背きて天より逐はれし魔王は聖なるローマが罪惡の府となれるを見、地獄にありてその心を慰むるなり
二八―三〇
〔色〕赤色。オウィディウスの『メタモルフォセス』(三・一八三以下)に、衣を脱ぎしディアナの姿を敍して「對へる日の光に染みし
三一―三三
〔淑女〕身に恥づることなけれど、他人の罪を聞くに恥ぢてその顏を赤くす
三四―三六
〔此類なき威能〕キリスト。十字架上に死し給ひし時天暗くなりしこと聖書に見ゆ(マタイ、二七・四五等)。白色の光赤色に變じ、歡樂喜悦の光景悲憤のそれに變じたるを形容してかく
四〇―四二
〔クリストの新婦〕寺院。天、一〇・一三九―四一に「神の新婦」といへるもの
〔わが血及び〕われピエートロ及び初代の法王達が教へに殉じて寺院の基を起しかつこれを固めしは
〔リーン、クレート〕リーヌス、クレートゥス。いづれも一世紀にローマの僧正たりし殉教者
四三―四五
〔樂しき生〕天上無窮の幸福
〔シスト、ピオ、カーリスト、ウルバーノ〕いづれも二三世紀頃ローマの僧正たりし殉教者
四六―四八
同じ教へを奉ずる民相分れ、一は法王の右に坐してその愛顧を得、一は法王の左に坐してその憎惡を受くることはわれらの志にあらざりき
ダンテの時代における朋黨を指していへり、即ちグエルフィが法王の寵を得ギベルリニがこれに敵視せられしこと。但し左右の語は聖者より出づ(マタイ、二五・三三)
四九―五一
キリストの我に委ね給ひし天國の鑰を
十三世紀の頃法王の軍は寺院の鑰の
〔受洗者と戰ふ〕主としてボニファキウス八世がコロンナ一家と戰へるを指す、地、二七・八八に「その敵はいづれもキリスト教徒にて」といへるもの即ち是
五二―五四
法王等がわれペテロの像を表はせる印をその文書に捺してシモニアを行ひ人を僞ることもわれらの志にあらざりき
五五―五七
〔暴き狼〕強慾非道の僧侶等。この語聖書より出づ(マタイ、七・一五)
五八―六〇
聖ペテロの豫言
〔カオルサ人等〕カオルサ(南フランス)の人にて一三一六年法王となりしヨハンネス二十二世(天、一八・一三〇以下並びに註參照)及びその一味の者
〔グアスコニア人等〕フランスのガスコエアの人にて一三〇五年法王となりしクレメンス五世(地、一九・八二―四並びに註參照)及びその一味の者
〔我等の血を〕われらの血にて築き固めし寺院を横領し、その産を私せんとす
〔善き始め〕創立當時の寺院を指す
六一―六三
〔シピオ〕スキピオ。ローマの大將スキピオ、ハンニバルの軍を敗りローマをして世界の覇權を保たしむ(天、六・五二―四註參照)
六七―六九
冬の日雪花片々として地上の空より舞下る如く
〔日輪天の〕十二月より一月にかけて太陽が天の十二宮の一なる磨羯宮にある間
七〇―七二
〔飾れる精氣〕聖徒の光にて飾られし第八天
〔凱旋の水氣〕勝利の光に輝く聖徒
七九―八一
〔はじめわが見し〕天、二二・一二七以下。ダンテはかの時よりこの方東より西に九十度を

〔第一帶〕primo clima 古の地理學者は北半球を七帶に分てり、即ち日の最長限を標準として定めしものにてその幅同じからず、いづれも赤道と平行して東より西に亘る長百八十度なり、その第一帶は赤道以北十二度六分の五より二十度二分の一までの間を幅とす、ダンテの今居る處なる雙兒宮はかく地球の第一帶に當るべき天の一部にあり
〔半よりその端に〕帶の半即ちイエルサレムの子午線よりその端即ちイスパニアの子午線までの弧線(即ち九十度)。但しこはダンテが

八二―八四
西の方にてはイスパニアのかなたに大西洋見え、東の方にてはフェニキアの岸見えたり
〔ガーデ〕ガデス。ジブラルタル海峽の附近にありと想像せられし島の名
〔狂しき船路〕大西洋、即ちオデュセウスが「櫂を翼として狂ひ飛び」(地、二六・一二五)しところ
〔近く〕西の方遠く大海を望むに對して
〔エウローパ〕エウロペ。フェニキア王アゲノルの女。ゼウス牡牛に化してこれを誘ひ背に載せて去る(『メタモルフォセス』二・八三二成下參照)。地、五・四に出づるミノスは即ちゼウスとエウロペの間の子なり
フェニキアの岸はイエルサレムと殆んどその子午線を同うす、故にフェニキアの岸を見たりといふは猶イエルサレムを見たりといふ如し
八五―八七
〔一天宮餘〕ダンテは雙兒宮に太陽は白羊宮にあり、而してこの二宮の間に金牛宮あれば一天宮餘といへり、即ち太陽は三十度餘さらに西に進みゐたるなり
〔小さき麥場〕人の世界(天、二二・一五一)
〔なほ廣く〕フェニキアの岸よりもなほ東の方を
イエルサレムの先の見えざるは眼界の限られたるに非ずして日の光の及はざるなり、即ちこの時はガーデの正午イエルサレムの日沒と知るべし、ダンテは太陽より後るゝこと一天宮餘なれば註釋者或ひはその位置をイタリア(ガデスより四十五度。但しダンテの計算に從ふ)の
天、二二における俯瞰當時の太陽は即ちイエルサレムの子午線にあり、故にダンテは東の方ガンゼを見るをえ、その後二時間餘にして西の方ガデスを見るを得、さればダンテが雙兒宮にありて全地を視るに要する時間は即ちこの二時間餘なり
この項の解説概ねムーアに從ふ、委しくはその『ダンテ研究』第三卷六二頁以下を見よ(clima の解説については同書一三一頁以下參照)
八八―九〇
〔常よりも〕卑しき地球を見しによりて〈天、二二・一三六―八參照)
九一―九三
〔自然や技〕淨、三一・四九―五一參照
〔餌〕pasture(鳥を誘ふ爲の食物)美。自然は肉體に技は繪姿にその美を示す
九七―九九
〔レーダの美しき巣〕雙兒宮。レダ(レーダ)の二子カストルとポリュデウケースが雙兒宮の星となれりとの傳説に據る(淨、四・六一―三註參照)
〔いと疾き天〕プリーモ・モービレ(原動)。また全く透明なるによりて cielo Cristallino(水晶天)ともいふ(『コンヴィヴィオ』二、四・九以下參照)
一〇〇―一〇二
〔孰れを選びて〕この天のいづれの部分に我を着かしめしやを
一〇六―一〇八
宇宙の中心にある地球は靜止し諸天及びその内なる一切の被造物は運行す、これ宇宙自然の作用にてこの作用の始まるところは第九天なり
一〇九―一一一
〔處なし〕その存在する處なし。他の諸天は各

第九天はエムピレオの天に蔽はるれどエムピレオは神の
〔愛〕第九天はかのエムピレオの天を慕ひその各部かの天の各部と結び合はんとして

〔降す力〕その下なる他の諸天に及ぼす力(天、二・一一二―四參照)
一一二―一一四
光と愛との滿ち充つるエムピレオの天は第九天を蔽ひ、その状あたかも第九天が他の諸天を蔽ふに似たり、而してエムピレオの天を司る者はこれを包む者即ち神のみ
一一五―一一七
〔測られじ〕弟九天は他の諸天の運行の源にて諸天にそれ/″\その運動の力を頒つものなれば、諸天運行の測定の本は第九天にあり、されど他の諸天の運行は各

〔十の〕五を二倍し二を五倍して十なる數をうる如し。但しこは單に完全なる測定の可能なるを示せるに過ぎざるならむ
一一八―一二〇
時なるものは諸天體日毎の運行にもとづきて定めらる、第九天は運行の本なり、故にまた時の本(根)なり
〔鉢〕第九天。その運行目に見えず知り難し、根のかくれて知れざる如し
〔他の諸

一二一―一二三
以下一四一行まで、ベアトリーチェはダンテの地球遠望に因み一轉して人間の私慾を難ず
一二四―一二六
人に善心の花は咲けども、惡の誘ひに惑はされて、善行の實は結はじ
〔惡しき實〕bozzacchioni 李が花より實に變る頃長雨の爲發育宜しきを失ひ蟲に冒されて食ふべからざるに至るをいふ
一三〇―一三二
人生長すれば幼時の順良を失ひ、寺院の
〔いかなる月の頃〕いかなる時、即ち斷食を守るべき時にも然らざる時にも。特に月といへるは滿月より數へて斷食の日を定むるの例あればなり
一三六―一三八
人間の性情が前記の如く善より惡に變ずるさまはあたかもその肌が年とともに幼時の美しき色を失ふに似たり。但しこの一聯異説多し
〔殘しゆくもの〕太陽
〔美しき女〕人間。天、二二・一一六に太陽を「一切の滅ぶる生命の父」といひ、また『デ・モナルキア』(一・九・六―七)にはアリストテレスの言を引用して「人は人と太陽とより生る」といへり
一三九―一四一
〔治むる者なき〕法王ありてその座空しく(二二―四行參照)、皇帝ありてその實なし(淨、六・七六以下參照)
一四二―一四四
以下偉人出現の豫言
〔百分一の〕ユーリウス・カエサルの改正暦に從へば一年は三百六十五日と六時間にて、これを實際の年に比すれば一年に約十二分即ち一日の約百分一の差あり、この差積りて百餘年に一日となる、されは幾千年の後には暦日實際の日を超えて遠く離れ第一月は冬ならずして春なるに至らむ(ムーアの『ダンテ研究』第三卷九五頁以下參照)
ユーリウス暦は一五八二年法王グレゴリウス十三世によりて改められき、ダンテの時代に暦日と實際の日との間に、八九日の差ありしもこの誤りによりてなり
但しこゝの文意は單に「久しからずして」といふごとし
一四五―一四七
〔艫を〕嵐が船の方向を變ずる如く偉人は人を惡より善にむかはしめ
〔千船〕人類
一四八
〔眞の實〕一二四―六行參照
ダンテ第九天にて、九級の天使より成る九個の輪を見、ベアトリーチェの教へを受く
一―三
〔天堂に置かしむる〕imparadisa(わが心を高めて)天堂の事を思はしむる
但し、(わが心に)天堂の悦を與ふる意に解する人あり
四―六
以下二一行まで、ダンテがベアトリーチェの目に光鋭き一點の映ずるを見、その物の何なるやを知らんとて身を轉らしゝさまを敍す
〔燈火〕doppiero 大蝋燭の一種
〔鏡〕己が前なる
七―一二
〔此と彼と〕眞と玻

一三―一五
〔めぐるを視る〕わが今視る如く。ダンテは既に超人の視力を有す。「かの天」は第九天
〔現はるゝもの〕次聯に出づ
一六―一八
〔一點〕神。分つ可からず量るべからざる「點」をもて、形體の觀念を容れざる神性を表はす
一九―二一
〔並ぶごとく〕並びて天に現はるゝ如く
二二―二四
〔水氣のいと濃き〕かゝる時は
〔これを彩る光〕暈に色彩を與ふる日月
二五―二七
〔一の火の輪〕輪形を成せるセラフィーニ(天、四・二八―三〇並びに註參照)の一團
〔運行〕第九天の
二八―三〇
〔第二の〕第二の輪はケルビーニの一團。以下第九まですべて九個の輪によりて九級の天使を表はせり(九七行以下參照)
三一―三三
〔今や〕第七の輪にいたればもはや虹もその圓内にこれを
〔ユーノの使者〕虹の女神イリーデ(天、一二・一〇―一二並びに註參照)
〔完全〕虹がたとひ完全なる圓をゑがきて現はるとも
三四―三六
〔然り〕次第に大きさを増して前の輪を卷くをいふ。
〔その數が〕第二第三と數のますに從つての義にて、一は「一點」を指すにあらず
三七―三九
〔清き火衣〕「一點」
〔これが眞に與かる〕di lei s'invera(その眞の中に入る)神性の何たるやを會得すること
四〇―四二
〔天も〕諸天及びそが下方に及ぼす影響は皆神に歸す。萬物は皆神の定め給ふ
四三―四五
〔愛〕神を慕ひ神に近づかんとてめぐるなり
四六―五一
諸天は宇宙の中心なる地球より遠ざかるに從つて



〔わが前に〕我は汝の言葉を聞きて滿足せるならむ。前に置くは食を調へて人に進むるに譬へしなり
〔諸

〔聖なる〕完全なる。神の力を安くること多きがゆゑに

五二―五四
〔神殿〕第九天
〔愛と光とを〕天、二七・一一二參照
〔我願〕第九天に生じゝ
五五―五七
〔模寫と樣式〕官能界と天使の輪(四六―五一行參照)
五八―六〇
〔試みられざるによりて〕何人も解かんとせしことなきによりて
六四―六六
物質界にありては力と大小と比例するをいへり
〔諸

〔力〕上より受けて下に與ふる力
六七―六九
力大なればその與ふる福(善き影響)もまた大に、體大なればその受けて有する福もまた大なり
七〇―七二
是故にこの最大の球、即ち他の八天を

七三―七五
是故に諸天使の輪を
七六―七八
諸天にありては體の最大なるもの最も勝れ、天使の諸群にありては神に最も近きもの最もすぐる、而して勝るゝが故に疾く



〔大いなるは優れると〕大なる天はまされる天使と
七九―八一
〔ボーレア〕北風
〔頬〕註釋者曰く。人の顏をもて風位を示す事より來れり、ボーレア口を直くして吹けば北風となり、
叉曰く。北東の風は北西の風よりも温和にて、よく空の霧を拂ふと(ヴァーノン『天堂篇解説』第二卷三八一―二頁參照)
〔半球の空〕即ち見渡すかぎりの室
八二―八四
〔霧〕roffa 空を曇らす雲霧の類
〔その隨處〕ogni sua parroffa 最後の語については異説ありてその義定かならず、今一古註により Parte(部分)の意とせり
九一―九三
〔火花は〕火花即ち諸天使はその悦を表はさん爲こゝかしこより舞ひ立ちしかど、なほ各


〔將棊を倍する〕數の多きを形容していへり。傳説に曰く、將棊の發明者ペルシア王に謁す、王、將棊を見て喜び何にても望むものを與へんといふ、發明者即ち麥の一粒を將棊盤の目の數に從ひ順次に倍して(第一目に一粒、二目に二粒、次に四粒次に八粒、十六粒、三十二粒と次々に倍して最後の第六十四目にいたる)與へよと請ふ、王その望みの小なるを笑ふ、されど侍臣をしてこれを計らしむるに及び數の莫大(二十桁)にして、約を果す能はざるを知れりと
九四―九六
〔處に〕即ち天使注が各

〔オザンナ〕天、七・一參照
九七―九九
〔疑ひ〕天使の階級に關する疑ひ、諸聖父の説一ならざれはなり
(一)セラフィーニ以下の名稱は皆聖書より出づ(各條註參照)、寺院の聖父等この名稱により天使を種々の階級に別てり、即ちすべて三の組とし組毎に三級の天使を配す、但しその排列の法聖父によりて異同あり
(二)こゝに掲ぐる分類はすべて「諸天使階級論」に據る、こはディオニュシオスの作として(天、一〇・一一五―七註參照)中古世に行はれし書なり
(三)『コンヴィヴィオ』(二・六・四三以下)に出づる分類はこの分類と同一ならず、思ふにこれダンテがかの書以後その説を改めたるによるならむ
〔セラフィニ〕セラフィーニ。イザヤ書六・二等。プリーモ・モービレを司る天使
〔ケルビ〕ケルビーニ、ケルビム詩篇八〇・一等。恒星天を司る天使
一〇〇―一〇二
〔絆〕かれらを神と結び合はす愛の絆。これに從ふは愛に動かされて

〔視る〕高き近き處より神を視るがゆゑにその高さ近さに應じて神に似るの度他にまさるなり
一〇三―一〇五
〔愛〕天使
〔神の聖前の〕直接に神の光を受けて之を諸聖徒に傳ふるがゆゑに(天、九・六一―三參照)かく
〔寶座〕コロサイ書一・一六等。土星天を司る天使
〔第一の三の〕されど何故にこれが爲「資産」と呼ばるゝや明かならず、恐らくは一〇五行の Perch

一〇六―一〇八
〔眞〕神。一切の智に休安を與ふ(天、四・一二四以下參照)
一〇九―一一一
まづ神を見、神を知りて而して後神を愛す、故に見ることは愛することに先んず(天、一四・四〇―四二參照)トマス・アクイナスの神學説によれり
一一二―一一四
神を見るの如何は功徳即ち善行の多少に準じ、功徳は神恩とこれを迎ふる善心とより生ず
〔次序を〕神恩善心相結ばりて功徳に進み、功徳知に進み、知愛に進む
一一五―一一七
〔永劫の春〕天堂の
〔夜の白羊宮も〕秋期の凋落を知らざる。秋分にいたれば日は天秤宮に入るがゆゑに夜はその反對面の天宮即ち白羊宮にあり
一一八―一二〇
〔歌ひ〕sverna(冬を出づ)冬去り春來る時、鳥の喜びて歌ふことよりこの義生る
〔喜悦の位〕即ち天使の位
一二一―一二三
〔神〕地、七・八七參照
〔統治〕コロサイ書一・一六等。木星天を司る天使
〔懿徳〕エペソ書一・二一(能力)、火星天を司る天使
〔威能〕エペソ書一・二一等。太陽天を司る天使
一二四―一二六
〔主權〕コロサイ書一・一六等。金星天を司る天使
〔首天便〕テサロニケ前書四・一六等。水星天を司る天使
〔天使〕月天を司る天使
一二七―一二九
〔上方を〕かの一點即ち神を
〔引かれしかして〕自ら神の方に引かれつゝ、その下なるものを神の方に引く。たとへばセラフィーニが神に引かれつゝケルビーニを引き、ケルビーニがセラフィーニに引かれつゝツローニを引くごとし
一三三―一三五
〔グレゴーリオ〕法王グレゴリウス一世(淨、一〇・七三―五參照)
〔彼を離れ〕天使の分類においてディオニュシオスと異なる所あるをいふ
一三六―一三九
〔人たる者〕ディオニュシオスの如く
〔見し者〕使徒パウロ(地、二・二八―三〇並びに註參照)。パウロは天上にて得し知識をばディオニュシオスに傳へたりと信ぜられしによりてかく
〔輪〕天使の輪
ベアトリーチェ天使を論ず
一―六
ベアトリーチェの默しゝ間の極めて短きを譬へにて表はせり。白羊宮は天秤宮と正反對面にあり、晝夜平分の頃日月の一白羊宮に一天秤宮にありて同時に地平線に懸ればそが天心を距ること共に相等しきが故にあたかも天心の
〔ラートナのふたりの子〕日月(淨、二〇・一三〇―三二註參照)
〔權衡を保つ〕この項異本多し、委しくはムーアの『神曲用語批判』四九五頁以下參照
七―九
〔一點〕神(天、二八・一六)
一〇―一二
〔處と時〕一切の處一切の時皆神に集まる。神の知り給はざる處なく時なし
一三―一五
以下四八行まで、天使創造の理由、時、及び處等を論ず。この一聯にては萬物の創造がたゞ神の愛より出づるこれとをいへり、神は至上の幸にいませば己が幸を増すの要なし、たゞその榮光の顯現なる被造物をして各

〔その光〕神の榮光の反映なる被造物
〔我在りといふ〕萬物各

一六―一八
〔他の一切の限〕處。萬物創造の後始めて時間空間あり
〔新しき愛〕被造物。「永遠の愛」即ち神に對して
一九―二一
創造の
〔これらの水の上に〕創世記一の二に「神の靈諸

二二―二四
純なる形式(三一―三行註參照)、純なる物質、及び形式と物質との相混ぜるもの同時に神の
二五―二七
光線が透明體を照らすとその中に入終るとは殆んど同時の作用なるごとく
二八―三〇
形式、物質及びこの二者の結合せるもの皆直ちにその存在を全うし、いづれも成り始むると成り終るとの間に時の區別なし
以上の三聯にてベアトリーチェは創造が凡て同時にかつ瞬時に行はれしことをいへり。註繹者曰く、ダンテはこの説においてアウグスティヌス、ペトルス・ロムバルドゥス及びトマス・アクイナスに從へりと
三一―三三
〔時を同じうして〕以上三つの物の造らるゝと同時に
〔純なる作用を〕作用の純なる者即ち純なる形式(諸天使)
「物その形式を有するにいたれば直ちにこれに從つて作用をあらはすが故に」トマス・アクイナスはその『神學大全』において「形式は即ち作用なり」といへり(ノルトン註參照)
〔宇宙の頂となり〕エムピレオの天に置かれ
三四―三六
〔純なる勢能〕他の作用を受くるに過ぎざる者即ち純なる物質
〔最低處〕月天の下
〔中央には〕天使と地球の間には形式と物質との固く相結ばれる者即ち他の作用を受けつゝ他に作用を及ぼす諸天(天、二・一二一―三參照)置かる
三七―三九
〔イエロニモ〕ヒエロニムス。ラテン寺院の聖父にて、その譯にかゝるヴルガータ最も著はる(四二〇年死)
〔録せる〕テモテ書一・二の註に。トマスはその『神學大全』においてヒエロニムスの説を駁せり
四〇―四二
〔眞〕天使達が殘りの宇宙と同時に造られしこと
〔作者達〕聖經諸事の作者等。但し出處明らかならず、註釋者は「エクレジアスチクス」十八の一なる「永生者時を同うして萬物を造り給へり」及び創世記一の一(トマス曰く。太初に神天地を造り給へりと創世記一の一に見ゆ、もしこれらより先に造られし物あらばこの事眞ならじ、是故に天使は形體的自然より先に造られたるにあらずと)を擧ぐ
四三―四五
〔諸

〔全からざりし〕運行すべき諸天なくば運行を司る諸天使何ぞその務を果すをえむ、務を果す能はざるはその存在の意義なきなり、全からざること知るべし
四六―四八
〔これらの愛〕即ち天使
〔いづこに〕「宇宙の頂となり」(三二―三行)といひ、かれらがエムピレオの天にて造られし意を表はせばなり
〔いつ〕その餘の宇宙と同時に(一三行以下)
〔いかに〕「純なる作用」(三三行)として
四九―五一
以下六六行まで、背ける天使と忠なる天使とについて
〔二十まで〕當時の神學説に從ひ、天使の創造とその一部の墮落とが殆ど同時なりしをいへり
〔汝等の原素〕地水火風の四原素、その中最下方に在る物は地
〔亂し〕地、三四・一二一以下參照
五二―五四
〔技〕神(一點)のまはりを舞ひめぐること
五五―五七
〔墮落〕天使の一部の
〔宇宙一切の重さに〕即ち地球の中心にありて(地、三四・一一一並びに註參照)
〔者〕魔王ルチーフェロ
五八―六〇
〔善〕神の
〔悟る〕神を
六一―六三
〔功徳〕謙りて神恩を受くること(次聯參照)
〔視る〕神を
〔意志備りて〕罪を犯す能はざるまで
六四―六六
〔恩惠を〕神恩を受くるはその事既に功徳なり、而して喜びて神恩を迎へ入るゝ情愈

六七―六九
〔集會〕天使達
七〇―七二
以下八四行まで、天使の能力について。ベアトリーチェは天使に了知及び意志あることを否定せず、されど記憶あることを絶對に否定す、即ちこの點においてやゝトマスの説と違へり
七三―七五
〔言葉の明らかならざる〕特に記憶について言ふ、即ちこの語を普通に用ゐらるゝ意義に從つて一觀念または一事實を再び心に呼起す力とする場合の如し、天使はかゝる力を有せず、有するの要なければなり
七六―八一
神は一切の事物を視給ふ、故に一切の事物皆現在なり、諸天使また絶えず神の鏡に照してよく一切の事物を視る、故に新しき物入來りてその視る力を阻むことなし、視る力
〔新しき物〕新しき物入來りて過去の事物の印象を亂す時、始めてこゝに忘るゝことあり思ひ起すの要生ず
〔想の分れたる爲〕per concetto diviso 印象心を離れ(新しき物のため)現に心に在らざるため、但し異説あり
八二―八四
〔夢を見〕眞理の基礎なき事物を想像し(天使に記憶ありといふ如き)
〔罪も恥も〕前者は夢を
八五―八七
以下一二六行まで、ベアトリーチェは當時の説教者等を難ず
〔同一の路〕眞理に達するの路
八八―九〇
〔曲げらる〕曲解せらる
九一―九三
〔血〕殉教者の
九四―九六
〔福音ものいはじ〕説教者等福音を宣べ傳へずしてかゝる雜説にのみ空しく時を費すをいふ
九七―九九
福音の眞義に關係なき雜説の例を擧ぐ
〔クリストの〕キリスト磔殺の時地上遍く晦冥となりしを(マタイ、二七・四五等)日蝕の作用に歸せんとてこの説を爲す
〔月退りて〕當時月は太陽と反對の天にあり、故に地球と太陽との中間を隔てん爲には後退すること六天宮ならざるべからず
一〇〇―一〇二
また或人は曰ふ、こは月の爲ならず太陽自らその光を隱せる爲なれば、地上の闇は西の
一〇三―一〇五
〔ラーポとビンド〕中古フィレンツェに最も多く用ゐられし名にてラーボはヤーコポの略、ビンドはヒルデブランドの略なりといふ
一〇六―一〇八
〔羊〕信徒
〔己が禍ひを〕益なき雜説を聞きて寺より歸るは無智の爲なれど、極めて肝要なる靈の糧につきてかく無智に、いかなる牧者にも信頼するは信徒自身その罪なきにあらざるなり
一〇九―一一一
〔眞の礎〕福音の眞理
一一五―一一七
〔僧帽脹る〕説教僧に自得の色あり
一一八―一二〇
〔鳥〕鬼(地、二二・九六參照)。聖靈の導によらず惡魔の靈感によりて言を發す、人もしその眞相を知らば罪の赦を得んとてかゝる僧に就くことの無益有害なるを覺らむ
一二一―一二三
〔是においてか〕教へを説く者かくの如くなるがゆゑに
〔證〕法王より赦罪の權を委ねられたりとの證。約束は即ち赦罪の約束
一二四―一二六
〔聖アントニオ〕聖アントニウス。エジプトの隱者にて僧院生活の基を起せる者(二五一―三五六年)。こゝにてはこの派に屬する僧侶等を指す、かれら施物をもて豚を飼ふ、フィレンツェ市にてもこれらの豚或ひは街路にさまよひ或ひは人家に闖入して市民の累となりしかど市民あへてその自由を妨げざりきといふ
〔贋造の貨幣を拂ひ〕無效なる赦罪を賣物として
〔これにより〕人々の愚にして信じ易きこと(一二一―三行)により
〔豚より穢れし者〕妾や墮落せる僧等
一二七―一二九
以下天使の數と天使における神の榮光の顯現とを論ず
〔正路〕天使論
〔時とともに〕この天に止まるべき時少くなりぬ、さればその少きに應じて疾くかの論を進むるをよしとす
一三三―一三五
〔ダニエール〕ダニエル書七・一〇
一三六―一三八
〔第一の光〕神の光
〔諸

一三九―一四一
神より受くる光多ければ神を見神を知ること(會得の作用)從つて多く、神を知ること多ければ神を愛することまた深し(天、二八・一〇九以下參照)、是故に神に對する諸天使の愛各

一四二―一四五
〔鏡〕天使。神はその光をかく多くの天使に分ち與へ給へどその完全なること故の如し
ダンテ、ベアトリーチェとともにエムピレオの天にいたりて天上の薔薇を見る
一―三
以下の數聯にて、諸天使の輪の次第に見えずなれるを、曙の光のため空の星の次第に消ゆるに譬へたり
〔第六時〕正午
〔六千マイル〕ダンテは地球の周圍を二萬四百マイルとなせり(『コンヴィヴィオ』三・五・八○以下參照)、ゆゑに太陽六千マイルの東にある時はその地日出前約一時なり(ムーア『ダンテ研究』第三卷五八・一九頁參照)
〔この世界の〕地球はその圓錐状の陰を殆んど水平に西に投ず
七―九
〔侍女〕曙
一〇―一二
〔己が包むものに〕神(一點の光明)はかの天使の諸群に包み圍まると見ゆれども、實際はかれらを他の一切の被造物と同じく包容し給ふ
一六―一八
〔務〕vice 彼の事を敍すべき務。但し異説あり
二二―二四
〔喜曲、悲曲〕註釋者曰く。こは廣義の喜曲悲曲にて今の所謂喜劇悲劇の意に非ず、すべて詩風詩體の甚だ崇高醇雅なる作品を悲曲といひ、そのさまでならざるものを喜曲といへる中古の例に
二五―二七
〔わが心より〕わが心の
三四―三六
ベアトリーチェの美は我にまさる詩人ならでは敍し難しとの意
〔ほどに〕ほどいと美しく
三七―三九
〔
〔光の天〕エムピレオの天
四〇―四二
註釋者曰く。幸福の三段この中にあり、(一)智の光によりて神を見、(二)見て愛し、(三)愛して法悦に入る
四三―四五
〔二隊の軍〕天使と聖徒
〔一隊を〕聖徒達は光の中にかくれず、肉體そのまゝの姿にて汝に現はれむ
〔最後の審判〕この時至れば人間の靈再び肉の衣を着ること前に出づ(地、六・九八參照)
四六―五一
天堂の強き光にあたりてダンテの視力亂れ何物をも見る能はざりしをいふ
〔物見る諸

〔いと強き物〕極めて強く輝く物。強き光の爲視力一たび亂るれば、いかに燦かなる物といへどもその印象を目に與へざるにいたる
五二―五四
ベアトリーチェの詞
〔愛〕神、即ちエムピレオの天に平安を與へ給ふ者
〔かゝる會釋〕かく強き光
〔蝋燭を〕天堂に入來る聖徒をして神を見るを得しめん爲まづ強き光に
五八―六〇
〔防ぎ〕堪へ
六一―六三
〔春〕春の花(淨、二八・四九―五一參照)
六四―六六
河は神恩の光、火(原、火花)は天使、花は聖徒なり。ブーチ曰く、生くる火花流れより出でゝ花にとゞまる、これ神恩滿ちみつる天使(たえず神の愛に燃ゆるがゆゑに火花といふ)かの神の惠みによりて常に徳を行ふ(草は善行なり)聖徒達の魂を勵ますなりと
七三―七五
汝己が求知の願ひをかなへんと欲せば、まづこの光の流れを見、これによりていかなる物をもそのあるがまゝに見るをうるまで汝の視力を強くせよ
〔日輪〕ベアトリーチェ、即ちわが智を照らすもの(天、三・一參照)
七六―七八
〔珠〕topazii(黄玉)、「生くる火」のこと
〔草の微笑〕草を飾る花
〔豫め示す象〕原、「象徴的序論」ブランクの言に從へば、序が作物の内容を示す如く、河や火はその實際のものを(即ちやがてダンテの目に明らかに見ゆべきものを)前以て示す
七九―八一
〔難き〕acerbe(未熟なる)解し難き。但し不完全なるの意に解する人あり
八五―八七
〔目を〕わが視力をなほも強からしめんとて
〔優れる〕視る者の能力を増さん爲神より出づる光なれば
八八―九〇
〔わが瞼の〕わが目この光に觸れたる刹那に
九四―九六
〔悦び〕feste 樂しき光景。花は聖徒に、火は天使に變れるなり
九七―九九
〔凱旋〕天上に凱歌を奏する天使と聖徒
一〇〇―一〇二
〔光〕さきに河と見えし光
一〇三―一〇五
〔日輪の帶〕當時信ぜられし太陽の大きさについては『コンヴィヴィオ』四・八・五一以下參照
〔圓形〕註釋者曰く。圓は始めなく終りなし、是故に昔あり今あり後ある永遠の象徴なりと
一〇六―一〇八
かく大いなる圓形の光も神よりいづる
一一二―一一四
聖徒等かの光の周圍に無數の列を造りて己をこれに
一一五―一一七
〔いと低き〕かの光に接する最小の列さへ太陽よりも大いなるに
一一八―一二〇
〔かの悦びの〕全光景を一目に視てそこに滿つる悦びの大いさ深さをすべて知りたり
一二一―一二三
〔近きも遠きも〕エムピレオの天にては距離の遠近も視力に影響を及ぼさず、遠き物近き物皆等しく明かに見ゆ
一二四―一二六
〔日輪〕神。「とこしへに春ならしむ」とはその榮光をもて永遠に天の萬軍を福ならしむること
一二七―一二九
〔白衣の群〕聖徒等白衣を着ること默示録の諸處に見ゆ(三・五、四・四等)
一三〇―一三二
〔われらの都〕所謂天上のイエルサレム(默示、二一・一〇以下參照)
一三三―一三五
〔汝の未だ〕汝の死せざるさきに。ハインリヒ七世はダンテに先立つこと八年にして死せり
〔婚筵に〕これに列りて食するは天上の福を
一三六―一三八
〔アルリーゴ〕ルクセンブルクのハインリヒ七世。一三〇八年十一月選ばれて皇帝となり、一三一三年八月死す、ダンテはイタリアの統一事業の完成につきて彼に多くの望みを囑しゐたりしなり
〔その備への〕ハインリヒの企業を妨ぐべき種々の障礙の取除かれざるさきに
一三九―一四一
皇帝(乳母)に反抗せるグエルフィ黨及び寺院の一派を主としてこゝに責めしなり
一四二―一四四
〔者〕クレメンス五世、陰に陽にハインリヒの敵となれる者(天、一七・八二―四並びに註參照)
〔その時〕ハインリヒがイタリアにいたれるは一三一一年にてその頃法王たりし者は即ちクレメンス五世なり
〔神の廳〕寺院
一四五―一四七
〔後〕ハインリヒの敵となりてその企圖を妨げし後、換言すればハインリヒの死後。クレメンスは一三一四年四月即ち皇帝の死後八ヶ月にして死せり
〔シモン・マーゴ〕地、一九・一並びに註參照
〔處〕第八獄第三嚢
〔投げ入られ〕地、一九・八二―四參照
一四八
〔アラーニア人〕ボニファキウス八世(淨、二〇・八五―七註參照)
〔愈

ベアトリーチェその榮光の座に歸り、聖ベルナルドゥスをして己に代りてダンテの最後の導者たらしむ、ダンテ即ちこの導者の言に從ひ遍く天上の薔薇を見かつ特に聖母の光明を仰望す
一―三
〔血をもて〕死によりて
四―六
〔殘の一軍〕天使達
〔ものゝ〕神の榮光と威徳とを
七―九
〔ところ〕巣。即ち働きてえたるものを甘き蜜となすところ
一〇―一二
〔愛〕神
一三―一五
註釋者或ひは曰く。この三の色は愛、智、純の表象なりと
一六―一八
諸天使花の中に降り、神より得たる平和と愛とを聖徒達に傳ふ
〔脇を扇ぎて〕翼を動かして、即ち神の
一九―二一
〔上なる物〕神の
〔目も輝も〕目(薔薇の中にある者の)が輝(神の)を見ることも輝が目に達することも
二二―二四
〔神の光〕神の光はいたらぬくまなし、たゞ多く受くるに足るもの多くこれを受け、然らざるもの少しくこれを受くるのみ(天、一・一以下參照)
〔何物も〕是故に天使達も
二五―二七
〔舊き民新しき民〕舊約新約兩時代の民
〔一の目標〕神
二八―三〇
〔星〕光。航海者の目標なる星に因みて(パッセリーニ)
〔三重の光〕一にして三なる神の光
〔嵐を〕天上の平安より思を地上の不安に致して神の祐助を祈るなり
三一―三三
〔エリーチェ〕カリスト。アルテミスに
〔愛兒〕カリストの子アルカス、同じく化して宿星となる。こゝにては小熊星を指す
〔方〕逢か北の方、即ち大熊星の下に當る地方
三四―三六
〔いかめしき業〕宏大なる建築物等
〔ラテラーノ〕ローマの昔の皇居、但し一般にローマを代表す。皇居の莊麗他に
四三―四五
〔誓願〕その神殿に詣でんとの
四六―四八
〔生くる光〕天上の薔薇の
四九―五一
〔微笑〕喜びの光
〔愛の勸むる〕愛の現はるゝ(カーシーニ)。この句を「愛に誘ふ」即ち他の者を愛に導く意となす人あり
五八―六〇
〔一人の翁〕聖ベルナルドゥス(一〇九一―一一五三年)。フランス、ブルグンティーなるフォンティーヌに生れ、パリに學び、シトーの僧院に入り(一一一三年)、後多くの僧院をクレールヴォーに建設してこれが首僧たり、聖母を愛すること極めて深し、その著作に『デ・コンシデラチオネ』あり
聖ベルナルドゥスは默想を表示す、人默想によりて神恩を受け最もよく神を視るにいたるが故にベルナルドゥス淑女に代りてダンテに三一の微妙をうかゞふをえしむ、その聖母を深く愛することもまた詩人の最後の導者となれる一理由なり(ムーア『ダンテ研究』第二卷六二頁參照)
〔榮光の民の如く〕白し(天、三〇・一二九參照)
六四―六六
〔彼何處に〕名をいはず、情迫ればなり
六七―六九
〔第三〕第一列に聖母、第二列にエヴァ、第三列にラケルとベアトリーチェ(天、三二・四以下參照)
七〇―七二
〔永遠の光〕神の光ベアトリーチェに注ぎ、
七三―七八
人間の眼千尋の海の底深く沈みてその處より仰ぎ見ることありとも、その眼と地上の大氣の
〔沈む〕s'abbandona 沈むに
七九―八一
以下九〇行まで、ダンテがベアトリーチェに語れる最後の詞にて、彼のこの淑女に對する愛と感謝と願ひとを言現はせるもの
〔地獄に〕地獄のリムボに(地、二・五二以下)
八二―八四
〔見し〕三界の歴程において
〔思惠と強さ〕我をしてかく視ることをえしめし神恩と力。これらの物はわが功徳より生るゝならで汝の力汝の徳よりいづ
八五―八七
〔奴僕の役〕罪の束縛
〔自由〕靈の
八八―九〇
〔賜〕即ち眞の自由
九一―九三
〔永遠の泉〕生命の泉、福の源なる神
九四―九六
〔願ひと聖なる愛〕ベアトリーチェのベルナルドゥスに請ひしことゝ淑女のダンテに對する愛
九七―九九
〔園〕聖徒の群(天、二三・七一參照)
〔神の光を〕神恩の光を傳ひて遂に神を見るをうべし
一〇〇―一〇二
〔天の女王〕聖母マリア
一〇三―一〇五
〔わが〕わがイタリアなる
〔ヴェロニカ〕Veronica(眞の像の義)。キリストの容貌を寫しとゞめし
傳説に曰く。キリスト十字架につけられんとてカルヴァーリにいたり給ふ、途に一婦人(或ひは曰く、ヴェロニカはこの婦人の名と)あり、主にその汗を拭はん爲汗巾を捧ぐ、主拭ひ終りて返し給へば聖顏まさしくその汗巾に寫りゐたりと。この汗巾はローマなる聖ピエートロの寺院に保存せられ(今も然り)たれば人々これを見んとて四方よりかの寺院に詣できといふ
〔クロアツィア〕今、ユーゴスラヴィアの南部の地方の名。但し一般に遠國を指す
一〇六―一〇八
〔示さるゝ間〕日を定めて人に見する例なりければ
一〇九―一一一
〔現世にて〕天上無窮の福を地上にて既に默想の中に味へる者、即ちベルナルドゥスの、聖なる愛に燃ゆる姿を見
一一八―一二〇
〔まさる〕光において
一二一―一二三
〔溪より山に〕薔薇のいと低き處よりそのいと高き列に日を移すをたとへて
〔頂〕山に
一二四―一二六
また譬へば太陽の將に現はれんとする處にては
〔フェトンテ〕地、一七・一〇六以下並びに註參照。轅は日の車の轅
一二七―一二九
〔平和の焔章旗〕マリアの座を中心とせる天の一部
オリアヒアムマ(黄金の焔の義)は古のフランス諸王の旗なり、こは天使ガブリエルがかの王達に與へしものにてその下に戰ふ者勝たずといふことなしと傳ふ
この旗は黄金地に焔をあらはし出せるものなれはダンテは光に因みてかの天の一部を焔章旗といひ、地上戰鬪の旗に對して平和の文字を冠せるなり
一三〇―一三二
〔技〕飛びめぐるさまをいふ、その異なるは遲速あるなり。カーシーニ曰く、輝の異なるは愛の同じからざるを表はし、技の異なるは悦びの同じからざるを表はすと
一三三―一三五
〔美〕マリア
一三六―一三八
〔その樂しさ〕マリアの美のたのしさ
聖ベルナルドゥス天上の薔薇における諸聖徒着座のさまをダンテに示教し、かつ彼をして聖母の温容を仰ぎ視しむ
一―三
〔己が悦び〕聖母マリア
四―六
〔庇〕罪の。マリア、キリストによりてこの庇を癒せり
〔美しき女〕エヴァ。神の直接に造り給へる者なれはいと美し。かれは禁斷の木の實をくらひて罪を犯し、かつこれをアダムに與へて子々孫々の禍ひを釀せり
七―九
〔ラケール〕ラケル。默想の生を表示す(淨、二七・一〇四並びに註參照)。またラケルのベアトリーチェと共に坐すること地、二・一〇一―二に見ゆ
一〇―一二
〔サラ〕アブラハム(地、四・五八)の妻(創世、一一・二九及び一七・一五等)
〔レベッカ〕イサク(地、四・五九)の妻(創世、二四・二以下)
〔ユディット〕ヘブライ族の勇婦(淨、一二・五八―六〇註參照)
〔歌人〕王ダヴィデ。詩篇五一(この歌 Miserere mei「我を憐みたまへ」に始まる)はダヴィデがウリアとその妻とに對する行爲を悔いて作れるものと信ぜられたればなり
〔曾祖母たりし女〕ルツ(ルツ、一・四以下)。王ダヴィデの曾祖父なるボアズ(ルツ、四・二一―二)の妻なり
一六―一八
〔花のすべての髮〕天上の薔薇のすべての花片
〔分く〕分岐線となるをいふ
天上の薔薇の花片(天、三〇・一一二―四註參照)すべて縱に二等分せらる、その一方の分岐線は最高の花片即ち最大の圓形の列より起りて最低の花片即ち光に接する最小の圓形の列に終り、他方の分岐線はこれと相對す、この二大部の中その一の上半即ち既に空席なきところにはキリスト以前の諸聖徒坐し他の一の上半即ち未だ空席あるところにはキリスト以後の諸聖徒坐す、而して下半は二大部に通じて小兒の席と定めらる、また二の分岐線の中その一即ち聖母より起るものは凡てヘブライ人の女達の席より成り、他の一即ち洗禮者ヨハネより起るものは凡て彼の事業を完うせんとつとめし聖者達の席より成る
一九―二一
〔クリストを見し〕キリストの出現を豫め信じゐたりし人々と、出現の後これを信ぜる人々とその信ずるさまの異るに從つて聖徒の列をわかつなり
二二―二四
〔全き〕原、「成熟せる」。座席のすべて塞がれるをいふ
二五―二七
〔諸


〔目を〕信仰の
三一―三三
〔ジョヴァンニ〕バプテスマのヨハネ
〔曠野〕、淨、二二・一五二參照。「殉教」、天、一八・一三五參照。「二年」、ヨハネの死よりキリストの死まで約二年の間地獄のリムボにあり
三四―三六
〔フランチェスコ〕アッシージの聖者(天、一一・四三以下)
〔ベネデット〕ノルチアの聖者(天、二二・二八以下並びに註參照)聖ベネデクトゥス。
〔アウグスティーノ〕聖アウグスティヌス。三五四年タガステ(昔のヌミディア)に生れる。ヒッポの僧正となりて四三〇年に死す、ラテン寺院の教父中最大なる者の一、ダンテよくその著作に通じ屡

三七―三九
〔園〕即ち天上の薔薇。註釋者曰く、キリスト以前は準備の時代なればその以後の如く多くの受福者を生むべきやうなし、ダンテがかく諸聖徒を均等に二分せる理由は重きをその詩的調和に置けるにありと
四〇―四五
最高の列と最低の列との中間に當りて二の分岐線を横斷する列より下はすべて稚兒の座席なり
〔他人の〕兩親の(七六―八行)
〔或る約束〕七六行以下參照
〔これらは皆〕皆理性の
四九―五一
〔異しみ〕己が功徳によらずして福を受くとせば何故にその座席(即ち福の度)に差別ありや、是ダンテの疑ひなり、ベルナルドゥス、ダンテの意中にこの疑ひあるを知り、こは奧妙深遠にして測るべからざる神意にいづと答ふ
〔鋭き思ひに〕理智より生ずる疑ひを信仰によりて解くなり
五五―五七
〔指輪は〕凡ての事皆神意と一致す
六四―六六
〔樂しき聖顏の〕淨、一六・八五―九三並びに註參照
〔この事〕人の魂には、既にその造らるゝ時に當りて、神より受くる恩惠に多少ある事。この事を知りて足れりとし、何故に神かく爲し給ふやと問ふ勿れ
六七―六九
例をエサウとヤコブの事に取れり(天、八・一三〇―三一參照)、かれらは母の胎内にて爭へる者(創世、二五・二二)
〔聖書に〕未だ胎内にある時既に神意によりて兄が弟に事ふべきこと定まれるなり(創世、二五・二三、マラキ、一・二―三、ロマ、九・一〇―一三參照)
七〇―七二
小兒等はその生時に安くる神恩の多少によりて福の度を異にす
〔髮の色〕はじめより神の與へ給ふ恩惠の度。生時に毛色の異なる如く、受くる恩惠の度異なればなり、エサウとヤコブとその色を異にせる(創世、二五・二五)に因みてかく言へり
〔いと高き光は〕神の
七三―七五
〔最初の〕神を視る最初の力の鋭さ。この生得の力は神恩によりて得らるゝものなるが故にその鋭さの異なるは即ち生時に與へらるゝ神恩の異なるなり
七六―七八
〔新しき頃〕創造以後久しからざる頃、即ちアダムよりアブラハムまでの間。割禮はアブラハムにはじまる(創世、一七・一〇以下參照)
〔信仰〕救世主の出現に對する信仰
七九―八一
〔力〕天に登るの
八二―八四
〔恩惠の〕キリスト降世の後には
〔全き洗禮〕割禮が不完全なる洗禮なるに對して
〔低き處に〕地獄のリムボに
以上稚兒の救ひに關する三聯はすべてダンテ時代の教理特にトマス・アクイナスの『神學大全』の所説に據れり
八五―八七
〔顏〕聖母の。その美その輝きにおいて最もよく聖子に似たり
〔その輝のみ〕天、三一・九七―九參照
八八―九〇
〔聖なる心〕天使
〔齎らす〕神の御許より(天、三一・一六―八參照)
九四―九六
〔さきに〕第八天にて(天、二三・九四以下)
〔愛〕首天使ガブリエル
一〇〇―一〇二
〔父〕ベルナルドゥス。「こゝに下る」は薔薇の
一〇六―一〇八
〔朝の星〕
一〇九―一一一
〔剛さ〕Baldezza 自信ありて物に動ぜぬこと
〔われらもまた〕聖徒の願ひすべて神意と一致するを表はす
一一二―一一四
〔われらの荷〕肉體の荷
〔棕櫚〕聖靈に見ゆ、神が凡ての女の中にて特にマリアを選び給へることを表はす、即ち他の女に對する勝利のしるしなり
一一五―一一七
〔高官達〕patrici(ローマの高官達)諸聖徒の中の特に
一一八―一二〇
〔ふたり〕アダムとペテロ
〔二つの根〕アダムは降臨すべきキリストを信じゝ第一の人として、ペテロは降臨せるキリストを信じゝ第一の人として
一二一―一二三
〔左〕スカルタッツィニ曰く。舊約の教への新約に比して劣るを表はすと
〔味へる〕禁斷の木の實を
一二四―一二六
〔花の二の鑰〕薔薇(即ち天堂)の二の鑰(地、一九・九一一―二參照)
一二七―一二九
〔新婦〕寺院。十字架の死によりて主の建て給へるもの
〔見し者〕使徒ヨハネ(默示録の著者として)。禍ひ多き寺院の歴史を默示によりて豫め見し者
一三〇―一三二
〔民〕イスラエルの民。神恩を忘れ恒心なく神及び導者に背けるため屡

〔マンナ〕アラビアの曠野にて食へる(出エジプト、一六・一三以下)
〔導者〕モーゼ
一三三―一三五
〔アンナ〕聖母マリアの母堂アンナ。祭司マッタンの女にてヨアキムに嫁しマリアを生めりと傳へらる
一三六―一三八
〔家長〕全人類の家長アダム
〔馳せ下らんとて〕低地に(地、一・六一參照)。日を垂るゝは恐れと失望とな表はすなり
〔ルーチア〕聖ルーチア(地、二・九七並びに註參照)
一三九―一四一
〔睡の時〕我を忘れて物を見る如くなる時、即ち天堂の事物を知る爲神の與へ給ひし時間
一四二―一四四
〔第一の愛〕神。ダンテはさきに聖靈を指してかく言へり(地、三・六及び天、六・一一)
一四五―一四七
〔己が翼を動かし〕己が力のみに信頼して
一四八―一五〇
〔淑女〕聖母
聖ベルナルドゥス、ダンテの爲聖母マリアに祈りをさゝぐ、ダンテこの祈りにより至上の光を仰ぎ望みて三一及び神人兩性の秘奧をさとり、至幸至福の境に達す
一―三
〔處女〕淨、二五・一二八參照
〔わが子〕キリスト。神としてはマリアの父、人としてはその子なり
〔己を低くし〕ルカ傳一・四八參照
〔永遠の聖旨の〕永遠變らざる神意により豫め選ばれて救世主の母たるべしと定まれるもの
七―九
〔愛〕神と人との間の愛。この愛の障礙となるものは罪なり、救世主世に降りて罪を贖ひ、愛あらたに燃ゆ
〔この花〕天上の薔薇
一〇―一二
〔亭午の〕正午の太陽に因みて光の強きをいふ。聖母は諸聖徒の愛を燃す焔なり
〔活泉〕盡きせぬ泉
一六―一八
〔求めに先んず〕淨、一七・五八―六〇註參照
二二―二四
〔宇宙のいと低き沼〕地獄
二五―二七
〔終極の救ひ〕神(天、二二・一二四參照)
二八―三〇
〔彼の〕彼をして終極の救ひを見るをえしめんとのわが願ひはその切なるにおいて、我自らこれを見んと思ふの願ひにかはらじ
三一―三三
〔汝の祈りによりて〕汝彼の爲神に祈りて
〔こよなき悦び〕神
三四―三六
〔かく見〕神を
四〇―四二
〔目〕マリアの目。父に
〔祈れる者〕ベルナルドゥス
〔示し〕微笑によりて
四三―四五
〔光〕神。光にむかふは神の許をえんが爲なり
四六―四八
〔望みの極〕神
〔熄む〕願ひの必ず成るを信じて
五二―五四
〔高き光〕神の光。たゞ神の光のみ本來眞なり、萬物の眞はこの光を頒つによりてはじめて存す
五八―六〇
天、二三・四九―五四參照
〔他は〕夢その物は
六一―六三
〔消え〕記憶より
六四―六六
事物の記憶より冷えゆくさまをさらに二の譬にて示せり
〔シビルラ〕キュマエ(ナポリの西の町)の巫女にてアエネアスを冥府に導ける者。その豫言を木の葉に録し秩序を立てゝこれを己が巖窟の内に藏す、風吹來りてこれを散らせば、散るに任せて再び顧ることなしといふ(『アエネイス』三・四四一以下參照)
七三―七五
〔勝利〕萬物に卓越して大なること
七六―七八
世の強き光は人強ひてこれを視んと力むればその目
八二―八四
〔視る力の盡くる〕わが視力の許すかぎり見るを得るまで
八五―八七
宇宙に散在する諸物諸象は一糸亂れず皆その本源なる神に合す、而してかく合せしむるものは即ち愛なり、この合一ありて諸物諸象存在の意義はじめて全し、これなくは宇宙はたゞ一渾沌のみ
八八―九〇
〔實在〕Sustanzia 自ら己が存在を保つ物
〔偶在〕accidenti 實在に附して存在する物
〔特性〕costume 特殊の作用
〔かのものは〕原、「わがいふ所のものは」
〔單一の光〕混るさまの安全なるを表はす
或ひは曰く、これ「微光」なり、即ちその混るさま極めて奧妙にして言語に盡し難ければ、わが言ふ所はわが見し物のたゞ微かなる幻影に過ぎじとの意と
九四―九六
世人が二千五百年の間にかのアルゴナウタイ遠征の事を忘れしにもまさりて我は示現の後僅か一瞬の間にかの光の事を忘れたり
〔ネッツーノ〕ポセイドン、海の神
〔アルゴ〕イアソン(地、一八・八五―七並びに註參照)の率ゐし遠征隊の乘れる船。海を渡れる最初の船なれば海神これに驚けるなり
〔二千五百年〕中古信ぜられし年代に從へばアルゴナウタイ遠征の事ありしはキリスト以前一二二三年なり
〔睡〕letargo 忘却。但し異説あり
九七―九九
意は九〇行に續く
〔熟視〕心眼をもて
一〇三―一〇五
〔この外にては〕萬物の善萬物の福は皆神より出づ、故に善の完きものたゞ神の光の中にあり
一〇六―一〇八
〔想起〕想ひいづることにつきてさへかくの如し、況んや見し物につきてをや
一〇九―一一一
以下一二六行まで三一の示現を敍す
一一二―一一四
神の姿の一樣ならざる如く見ゆるは姿その者の變るによるにあらずして見る者の目の力のかはるによるをいふ
一一五―一一七
〔三の圓〕父、子、聖靈の象徴。色異なるは顯現の異なるなり、大きさの同じきはいづれも等しく完きなり
一一八―一二〇
〔その一〕子。父より出づるがゆゑにその光の反映なりといへり
〔イリ〕イリス、虹。二重の虹のうち、一が他の反映なるごとく(天、一二・一〇―一五並びに註參照)
〔火〕聖靈(愛の火)は父と子よりいづ(天、一〇・一―三參照)
一二四―一二六
「永遠の光」より「己のみ己を知り」までは三一の神を指す、「己に知ら」るゝは子として父にさとらるゝなり、「己を知」るは父として子をさとるなり、「愛し微笑」むは聖靈のはたらき
一二七―一二九
以下一四一行まで神人兩性の示現を敍す
〔輪〕子の象徴なる輪
一三〇―一三二
〔同じ色〕原、「己が色」、即ちその輪と同じ色。この色にて人の像を畫けるは神と人と完全に結び合へることを表はす
一三三―一三五
〔圓を量らんと〕一定の圓を容積等しき方形に準じ、かくして圓を量らんと
ダンテは『デ・モナルキア』(三、三・九―一〇)にて、幾何學者がかゝる換算を知らざるをいひ、さらに『コンヴィヴィオ』(二・一四・二一七以下)にてその不可能なるをいへり
一三六―一三八
〔かの像〕人の
一三九―一四一
〔わが翼〕わが智力
〔一の光〕神恩の光
一四二―一四五
〔力を缺きたり〕心眼既に窮極の度に達し、さらに進みて天上の機微をうかゞふ能はざるをいふ
〔されど〕ダンテの思ふ所欲する所ことごとく神意と合するにいたれるをいふ
〔輪〕輪の各部相調和し、整然たる運動を保ちてめぐり進むごとく
〔愛〕神
〔動かす〕天堂の一篇「萬物を動かす者の榮光」にはじまり、「日やそのほかのすべての星を動かす愛」に終る
[#改丁]
□天界は凡て十天より成る、即ち中古の天文學による七遊星(月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星)の諸天及び恒星、プーリーモ・モービレ、エムピレオの三天是なり。エムピレオは眞の天堂にて神こゝにいまし諸天使諸聖徒また皆こゝに在り。されど諸聖徒はその享くる福の一樣ならざるを明かにし、各

□ダンテは地上の樂園を離れ、ベアトリーチェに導かれつゝ昇りゆき、地球に最も近き天より次第に遠き天にいたり、遂に至高の天に達し、ベアトリーチェの己が座席に歸るに及び、聖ベルナルドゥスの教へを受けまたその助けによりて至上の光明を仰ぎ、こゝに最後の天啓を受く。
□ダンテが天堂に費せる時間は明らかならず。