淺間は晴れた青空を背景にして、麓まで眞つ白になつて聳えてをり、その眞つ白な斜面の上を、日に照らされた噴煙の影が薄黄いろく這つてゐるのが、陽炎の搖曳の如く見えるのも、その下の方のそこここに群生してゐる落葉松の梢が、或る種類の灌木帶の芽立を思はせるやうに赤つぽく煙つて見えるのも、大氣の中には春がすでに動いてゐるからであらう。
しかし、地上の冬の頑固なこだはりは、ここいらでは思つた以上にまだ執つこく、少くとも積雪の分量は標高の大小には因らないものと見え、われわれの列車が次第に佐久平を下の方へ降つて行くにしたがつて雪消の度合は却つて少く、小諸あたりまでは、輕井澤附近と同じやうに、畑の畝が目だつほどに雪が薄くなつて、ところどころ土の肌さへ見えてゐたのに、もつと降つて上田邊へ來ると、畑も田も深深と雪に埋もれて、どれが畑だか、どれが田だかも、わかちかねる有樣だつた。家家の屋根にも、垣根にも、木の枝にも、雪が厚く殘つてゐた。
けれども、その間からも、やはり、ちよつとした物の片隅に、また、ちよつとした物の動きに、すでに春のきざしの始まつてゐるのを見のがすことはできなかつた。戸倉の温泉を左に見て、千曲川の川縁を走つてをる時であつた。ふと氣がつくと、青く淀んだ川水と雪に蔽はれた
やがて汽車は川から離れた。私は明日の講演の材料にしようと思つて持つて來た本を開いてゐた。そのページの上に、ときどき小鳥の影が落ちては急速に過ぎ去つた。左側の窓からは、もうどうしても春以外のものとは思へない陽光が一ぱいに流れ込んで、どこからまぎれ込んだのか蠅が一匹、ガラス窓にとまつたり私の手にとまつたりしてうるさかつた。
長野で山崎氏に迎へられ、それから長野電鐵で、
この天候の急變は、ちよつと私を面くらはしたが、考へて見ると、私自身の身體が一時間約三十キロの速度で或る天候區域から他の天候區域へ運ばれて來たことを忘れてゐたのである。それで山崎氏に聞いて見ると、この邊では朝から雪もよひの空だつたといふことである。して見ると、私の通つて來た佐久平や小縣盆地では、今ごろはやはり西日の中でまだ雪が少しづつ溶けてゐるのかも知れなかつた。
そんなことを思ひながら運ばれて行く電車の窓の前には、今まで見たどこよりも雪が深く、殊に白く蔽はれた水田の中のここかしこに、褐色の
電車はやがて湯田中へ着き、そこからタクシで、町つづきの安代へ、安代から澁へと、雪で持ち上つた狹い道路を、温泉宿の軒とすれすれによろめき登つて、得中閣に着いた。
三階の修竹堂と銘を打つた部屋に通されて、下を見おろすと、磧の雪の間を川水が青くせせらいで流れてをり、向ふの山の側面の冬木立の下をば上林行のバスが通つてゐた。床の間には果亭の淺絳山水の幅が懸かつてあるので、それを眺めてをると、この家は兒玉果亭の後だといふことを山崎氏は説明した。
湯殿へ下りて見ると、驚いたことには窓は締め切つてあるにもかかはらず、浴槽の上の窓框にも仕切の横木にも雪が積もつてをり、天井からは小さい氷柱が下つてをる。どうもをかしいと思ひながら、湯の中へ飛び込んで仔細に觀察すると、湯氣が隙間から吹き込む冷たい風に凍つて、湯の上で雪となつたり、氷柱となつたりしてをるのであつた。その雪のくつ附く物を探しださない奴は、小粒の綿毛の如く私の頭にも降りそそいだ。
ほうほうの體で逃げだして部屋へ戻ると、櫓の上に膳を載せた炬燵が、もうぽかぽかと暖まつてゐて、いかにも北信の冬籠らしい情景をつくりだしてゐた。
私は半日にして春から冬の底へ投げ返された今日の不思議な旅を興じながら箸を取つた。