雪をんな

葛西善藏





『では誰か、雪をんなをほんとに見た者はあるか?』
 いゝや、誰もない。しかし、
『私とこのとつさんは、山からの歸りに、橋向うの松原でたしかに見た。』
『そんなら私とこの祖父さんなんか、幾度も/\見てる。』
『いや私とこのお祖母さんは、この間の晩どこそこのお産へ行つた歸り、どこんとこの屋敷の前で、雪をんなが斯う……赤んぼを抱いて、細い聲して云つてたのを確かに聽いた。これつぱかしも嘘ではない。』
 斯う私達少年等は、確信を以て言ひ合ふ。
 雪をんなは大吹雪の夜に、天からくだるのである。この世ならぬ美しさの、眞白な姿の雪をんなが、乳呑兒を抱いて、しよんぼりと吹雪の中に立つて居る。そして、
『どうぞお願ひで御座います。一寸の間この兒を抱いて遣つて下さい。』
 斯う云ふのである。しかし、抱いて遣つてはいけない。抱いて遣ると、その人の生命は、その場で絶えて了ふ。――

 私は十九の年に一度結婚した。妻は十六になつたばかしの少女であつた。が一體は私達の故郷は早婚のところなので、十九と十六の夫婦も別にをかしい程のことはなかつたのである。
 婚禮は二月の初め、ひどい大吹雪の日であつた。それに二三日も吹雪が續いて往來が途絶え、日取りが狂つて、やう/\その大吹雪の日に輿入れが出來たのであつた。
 私達は見合ひは濟ましてゐたのだが、私も恐らく彼女も、その晩に初めて見合つたやうなものであつた。
 私は彼女を美しいと思つた。彼女はまた如何にも弱々しさうで、いたいけであつた。私は眞實しんから愛した。その心持には今日でも變りがない。

 彼女は實際に弱かつた。ほつそりした撫肩の、生際の美しい、透き通るばかり白い顏してゐた。私はその晩にも、おゝ美しい、だがこの女は肺でも病みはしないだらうかと云ふやうな氣がされて、氣遣ひだつた。私は雪をんなの美しさを想つた。そしてまた彼女は素直で、靜かで、優しかつた。
 私達は樂しい日を送つた。晝が樂しく夜が樂しかつた。さうして春を迎へた。夏を迎へた。
 私は彼女の名を呼んだことがない。何時も『お嫁さん』と云つてゐた。そして終に彼女の名――民子と云つた――を呼ぶやうな時が來ずに、その夏で永久に私等のライフは終つたのであつた。
 どうして?――私は出奔したのである。その年の丁度七つき目の八月半ばに、彼女をすて家をすてゝ、逐電に及んだのである。
『あなたの爲めに生きるのです。』
 彼女はいつも斯う云つた。何故だらう? 何故にそんなことを云ふのだらう?……
 その時丁度妻は四ヶ月の身重であつたのだ。私達は屋敷續きの、廣い、林檎、葡萄の園の中に、家族達と別に棲んでゐた。私は爲すこともなく暮してゐるのであつた。彼女も主家おもや離家はなれとの往復のほかには、家事向きの用事らしい用事もなく、いつも二人はいつしよにられた。私は退屈の時には本を讀んだ。
『あなたの爲めに生きるのです。』
 彼女は斯う云つては、よく泣いた。何の爲めに? 何故にそんなことを云はなければならぬのか? 私には解らなかつた。
 義人たゞしきひと生命いのちなり――そんなら私は義人たゞしきひとでは無いのか?
 ……私はそうつと妻のそばをすり脱け、まだ幼なげの寢息をした涙に濡れたまゝの頬に、いぢらしの頬ずりをしては、八月の夜更けの外に出るのであつた。私は星闇の空を仰いだ。そして深い闇の底に愼ましくまたゝいて居る星屑を數へては、我等に屬して新しくこの惱ましの世に生れ來るであらう小さな者のために、占ひ祈るのであつた。そしてまた私の心は弱々しく、また深く、惱んだ。そして私は、いつも妻が氣が附いて迎ひに來るまで、しつとりと夜露に濡れた地面の蓆上むしろうへに身を投げてゐるのであつた。
『どうぞ御機嫌を直して下さい。わたしが惡るいのです。』
『いゝやそんな事はない。そんな事はない。』
 私達は泣くのである。いつまでも/\と、抱き合つては泣くのであつた。そして泣き足つては、傍の噴井戸の冷めたい水を、互ひに飮まし合つた。さうしてまた寢室ねまへ歸るのであつた。
 春さきには私達の園をいろ/\な小鳥が訪れた。然し夏に入つてからは、胸毛の紅い美しい小鳥のみが、いつも一羽で、いつも同じ窓外まどそとの崖寄りの林檎の苗樹に止つては、啼いてゐた。朝と夕方ときまつたやうに見えては、ひとしきり淋しさうに啼いて何處ともなく飛んで行つた。私はその朝にもその小鳥を見たのだ。
 が私はとうたう、町の銀行へ行つたきり家へ歸らなかつた。私は海を越えて、島へわたつた。


 その時から七年經つてゐた。私はいろ/\な勞働や行商などをして、雪の多い寒い北の島國を、はてから涯へと彷徨ひ歩いた。私はすつかり放浪に慣らされてゐた。私は家のことも彼女のことも想はない。胸には何物とも知れぬ想ひが潛んでゐて、何處までも/\とさうした生活を追はしむるのであつた。
 その七年目の一月である。私はこの島での都の安宿にくすぼつてゐた。私にはぢつとして暖かい春を待つだけの貯へが無かつた。またこの島から更に北の涯なる島へ渡るには、時期を失つてゐた。で私は丁度、沙金掘人夫の收入の多いと云ふ話に釣られて行つて見たのだが、身を切らるゝやうな凍つた河水に堪へ兼ねて、都へと舞ひ戻つた處であつた。
 が、折よく、私はその安宿で、山の親方に見出された。その山と云ふのは鐵道の枕木伐採の山であつた。
 幾度も/\乘り替へして、汽車は石炭の出る山の又山の奧の町で行止つた。そしてそこから更に六里程も山奧へ這入るのであつた。
 大きな苫小屋が三棟並んで立つてゐた。小屋の中を棟なりに一間幅の土間が通つて、それが幾つかの圍爐裡を造つてゐた。兩側の莚を敷いた板の間には、何十人かの寢道具が晝間はそつくり後ろに卷かれてある。夜は大きな樹の株を燃やしながら、兩側から土間を挾んで枕を並べて寢るのであつた。
『三月いつぱいの辛抱だよ。俺もこの山だけで、斯んな荒い商賣は廢しだ。三月の末には都へ出られる。さうしたらあの近傍へ農園でも買つて呑氣に暮すことだ。それまでの辛抱だからな。』
 赤毛布の筒袖を着た巖丈な體格の、眞黒い髯のもぢや/\と生へた、赭ら顏の鼻の太い氣の好い親方は、斯う云つて帳場を任してゐた私を止めて呉れたのだが、私の心は云ふことを聽かなかつた。
 私は何かしら家が戀しくなつたのだ。棄てゝ來た妻が戀しく思はれたのだ。まだ見ぬ子供が戀しく思はれたのだ。そして私には、それ以來全く彼女等の消息を聞くことはなかつたが、彼女はまだ屹度私等の子を守り育てゝ、ひとり淋しく暮して居るであらうと言ふ氣は離れなかつたのであつた。
 冷めたく、眞白く、死のやうに沈默した山々の谷底から、私は夜更けの氷のやうに冴えた月を仰いで、自分に云ふのだ。
『然うだ! 歸るべき時だ、歸らねばならぬ時が來たのだ……』と。


『では、お前は雪をんなをほんたうに見たのか?』
 いゝや、見ない……
『では見たのではないのか?』
 いゝや見たのだ。雪をんなは大吹雪の夜に天から降つたのである。そして、
『どうぞ御願ひで御座います。一寸の間この子を抱いてやつて下さい。』
 雪をんなは斯う云つたのであつた。……

 私は親方に別れを告げて、午後の二時頃から、六里の路を炭山の町へと越した。そして途中から大吹雪に襲はれ、町の手前二里ばかしの峠へ來かゝつた時には、もう十時を過ぎてゐた。積つた雪は股を埋めた。吹雪は闇を怒り、吼へ、狂つた。そしてまたげら/\と笑つた。
『どうぞ御願ひで御座います。一寸の間この兒を抱いて遣つて下さい。』
 この時この世ならぬ美しさの、眞白な姿の雪をんなは、細い聲して斯う云つて自分に取縋つた。私は吹雪の中を轉げ※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つた。が、終に雪をんなの願ひを容れてやらなかつたのであつた。

 その時からまた、又の七年目が※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)り來ようとして居る。私には最早、歸るべき家も妻も子もないのである。さうして私は尚この上に永久に、この寒い雪の多い北の島國を、當もなく、涯から涯へと彷徨ひ歩かねばならぬのであつた。
――大正三年一月――





底本:「葛西善藏全集 第一卷」津輕書房
   1974(昭和49)年12月20日発行
底本の親本:「處女文壇 第一卷三號」
   1917(大正6)年7月1日発行
初出:「處女文壇 第一卷三號」
   1917(大正6)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林田清明
校正:フクポー
2018年12月24日作成
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