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その時からまた、又の七年目がり來ようとしてゐる。私には最早、歸るべき家も妻も子もないのである。さうして私は尚この上に永久に、この寒い雪の多い北國の島國を、當もなく涯から涯へと彷徨ひ歩かねばならぬのであつた。……
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その最初の結婚とは二十年經つてゐる。前に引いた文章にもあるやうに、この前の「雪をんな」は十九で結婚しての七年目だから二十七の歳だつたらしい。その時分から私の生活が始まつたと云ふものであらうか。
それからの足掛三年間、妻子を捨てての、寒い雪の多い島國の、放浪と云ふことを想像してもらひたい。
私は前の「雪をんな」にも云つてゐるやうにどれほど妻や子の許に歸りたかつたでせう。私はまだしも「雪をんな」の重い子を抱いて吹雪の中に凍え死ぬことを希つたが、それすら許されなかつたのである。宿命のなき赤き鳥よ! 私の爲に歌つてほしい、祈つてほしい――さう思つたことは幾度びでせう。――
そんなら私は、
だが、二十年經つてしまつた。
私には、最早歸るべき妻も子もないのである。
雪國のことで、私は幾度かさうした
私は前の「雪をんな」の場合は、空知川の上流ぱん溪川より溯つた百個村それから深山五六里を雪の山路をは入つたやうなところを、背景にしたやうなつもりだつたのだが、あんなお伽噺みたいなものだつたから讀む方ではさうはゆきませんでしたね。歌志内から雪の山越えをして、また吹雪の中を歌志内まで歸つてきた。毛布も外套も、東京の鹽鮭のやうに凍えてしまひ、積つた雪が股を越えた場合のことをもう一度想像して呉れ給へ。私は未だ妻を捨てての十九歳の少年と云つていい年だつた。「雪をんな」が出て來ないと云ふのは不思議ぢやないか、私の幻覺としても、さういふものがあつたらうと思ふ。私は其前に、少年時代に一二度生命の危險におかされたことはあるけれども、その夜の「雪をんな」の驚異ほどに會つたことがない。
それからの二十年だ。私は彼女のことを決して思うとは思はないその時分の一人の子が確にある筈である。彼女はどんな風にして育てゝゐて呉れるのか私は知らない。當年十九歳の青年が今や三十九歳になつた。色々なうつりかわりが其處にある。何と云ふ女であらうと、私は時々思ひ出す。潮の流れ、渡り鳥、夏春冬に
さう云つたやうな、懷疑的なものが、私を多分に占領したと見える。私はさう云つた意味では、その當時は幸福だつたかも知れない。私は働く必要がなかつた。私は學問する必要がなかつた。また家族的に何等の負擔責任を負ふ地位に居なかつた。大袈裟に云へば、花も咲き鳥も歌つてゐる山園屋上の人であつた。……
私はこの港では、彼れ是れ十年暮した。私はぱん溪の方の仕事では可なり懲りたらしい。私は再び山の親方の誘惑にかからなかつた。砂川の砂金人夫、つまり山の仕事もさう云つたやうな條件だつたのだが、行つてみると所謂監獄部屋だつた。私は深く深く、この北海道の勞働が厭やになつた。私も一度釧路の方へまで行つたのだつたが、矢張り監獄部屋だつた。かうした間には、或は二三の女には會つたかもしれないが私としては、何も云ひ度いことはない。それほどに、私の生活も亂れてゐたので、多少さう云つた女もあつたやうにも思ふ。……
島へ來てからの生活と云ふものは、ほんとに話の外だ。私が「雪をんな」を見た――何と云ふよりかは、私は何時も雪をんなと一緒に暮してゐた。だがそんなものは何處にも有りはしないんだ。
彼女と――私はしば/\釣を垂れた。彼女とは……。
私等の釣りするところは、深い内海になつて居つて、湖水のやうに海の水は靜かで、私等は何時も其處の岩の上から糸を垂れたのである。夏八月の海のこととて、水も穩であり、殊にそんな湖水のやうな入江であつたので釣り糸の下の海草の搖ぐさままでも
私はしば/\彼女と、岬を越えた外海に出た。北ながらに太平洋を吹いてくる風である。私は岩づたひに荒い浪の魚を釣り歩いたりしたが、それよりも、何よりも私には太平洋を渡つてくる北の風が懷しかつた。荒つぽい青い海草、北の海特有の貝類、鴨――さう云つたものさへ人を恐れずによつてきた。
雪は割合に尠い。吹雪のやうではあるけれども雪は割合に尠い。私はその島の北國で、カソリツクの尼さんのAさんに救はれたのでせう。Aさんは、私の下宿を訪ねて呉れた。日本人同樣な言葉が出來た。『Sさん、まだお休み、もうお起きなさい』かう云つてそのAさんは毎朝起しに來て呉れた。
『Aさん、そんなに云つてもいけませんよ、私にはあなたのやうな信仰がない。私はあなたを隨分愛してゐるし、また神のことも愛せるかも知れないけれども、私には信仰はない。私はあなたを、大變好きになつたらどうしますか?』
『そんなことはないSさん! あなたのやうな人は神樣に救はれません。神樣のお救ひを頼みなさい』
私はその時分、對岸の一寸とした道普請に働いてゐたのだつた。深い熊笹の籔を開いたりしての新道を造る、さう云つた勞働に、私は朝の三時頃に起されて蒸氣の曳船の艀に乘つて、大ぜいの人夫達と仕事に出掛けたものだつた。春から夏の終りまでの季候は、實に私には適した。私はこの島で一生涯を終ることを、いいと思ふほどにこの島と、彼のカソリツクのAさんに親しみを持つたのだつた。
私のやうに罪深く、救はれない剛情な性質の持主に、曖昧ながらにも、神と云ふ、一種の觀念を植ゑ附けて呉れた人は、やはりAさんぢやないかしら。
おゝ神よ! 私はいろんな意味からの運命の行きづまりの場合に、最後に心から出てくるものは何だ、やはりこのAさんの神よ! ではないではないか。神とは、あまりにも縁遠き言葉である。さり乍ら神と云ふ言葉が出てくるといふことは、私には不思議な氣さへする。
神よ神よ、すべてのことを許してほしい。――さう云つた氣持でもあるんだが。……
私はその町を遁げたのだ。私にはどうしやうもなかつたのだ。私は霧の深い朝早く、其處から更に遠い島へ渡る小さな汽船に乘つてしまつたのだ。Aさんの其後のことは知らない。
Aさんが、その時分、やはり四ヶ月の身重であつたと云ふことを、私はその島で風の便りのやうに聞いた。が、彼女とは其後一度も會つてゐない。あの小柄な、優しい顏した、黒い衣を着たAさんが、神樣エス樣――さう云つて落魄時代の私を、目を醒しに來て呉れたり、少年の夢の消えなかつた私の少年の終りの時代に、夢を與へて行つて呉れたあのAさんよ! 私は北國の浪うつ音と共に彼女を忘れないであらう。
彼女は今尚ほ、あの北の國のあの感じのいい僧院の中で天主尼さんとして働いて居ることでせう。
それにしても、如何に私は罪深いことでせう――。
――終り――
(大正十四年六月)