西洋人情話英国孝子ジョージスミス之伝

三遊亭圓朝

鈴木行三校訂・編纂




     一

 御免を蒙(こうむ)りまして申上げますお話は、西洋人情噺(にんじょうばなし)と表題を致しまして、英国(えいこく)の孝子(こうし)ジョージ、スミスの伝、これを引続いて申上げます。外国(あちら)のお話ではどうも些(ち)と私(わたくし)の方にも出来かねます。又お客様方にお分り難(にく)いことが有りますから、地名人名を日本(にほん)にしてお話を致します。英国のリバプールと申しまする処で、英国(いぎりす)の竜動(ろんどん)より三時間で往復の出来る処、日本(にっぽん)で云えば横浜のような繁昌(はんじょう)な港で、東京(とうけい)で申せば霊岸島(れいがんじま)鉄砲洲(てっぽうず)などの模様だと申すことで、その世界に致してお話をします。スマイル、スミスと申しまする人は、彼国(あちら)で蒸汽の船長でございます。これを上州(じょうしゅう)前橋(まえばし)竪町(たつまち)の御用達(ごようたし)で清水助右衞門(しみずすけえもん)と直してお話を致します。其の子ジョージ、スミスを清水重二郎(じゅうじろう)という名前に致しまして、其の姉のマアリーをおまきと云います。エドワルド、セビルという侠客(おとこだて)がございますが、これを江戸屋(えどや)の清次郎(せいじろう)という屋根屋の棟梁(とうりょう)で、侠気(おとこぎ)な人が有ったというお話にします。又外国(あちら)では原語でございますとジョン、ハミールトンという人が、ナタンブノルという朋友(ともだち)の同類と、かのスマイル、スミスを打殺(うちころ)しまして莫大(ばくだい)の金を取ります。このナタンブノルを井生森又作(いぶもりまたさく)と致しジョン、ハミールトンを前橋の重役で千二百石取りました春見丈助利秋(はるみじょうすけとしあき)という者にいたしてお話を此方(こちら)のことに直しましただけの事で、原書をお読み遊ばした方は御存じのことでございましょうが、これは或る洋学先生が私(わたくし)に口移しに教えて下すったお話を日本(にほん)の名前にしてお和(やわら)かなお話にいたしました。そのおつもりでお聴きの程を願います。徳川家が瓦解(がかい)になって、明治四五年(しごねん)の頃大分(だいぶ)宿屋が出来ましたが、外神田松永町(そとかんだまつながちょう)佐久間町(さくまちょう)あの辺には其の頃大きな宿屋の出来ましたことでございますが、其の中に春見屋(はるみや)という宿屋を出しましたのが春見丈助という者で、表構(おもてがまえ)は宏高(こうこう)といたして、奥蔵(おくぐら)があって、奉公人も大勢使い、実に大(たい)した暮しをして居ります。娘が一人有って、名をおいさと申します。これはあちらではエリザと申しまするのでお聞分(きゝわけ)を願います。十二歳になって至って親孝行な者で、その娘を相手にして春見丈助は色々の事に手出しを致したが、皆失敗(しくじ)って損ばかりいたし、漸(ようよ)うに金策を致して山師(やまし)で威(おど)した宿屋、実に危(あぶな)い身代で、お客がなければ借財方(しゃくざいかた)からは責められまするし、月給を遣(や)らぬから奉公人は暇(いとま)を取って出ます、終(つい)にはお客をすることも出来ません、適(たま)にお客があれば機繰(からくり)の身上(しんしょう)ゆえ、客から預かる荷物を質入(しちいれ)にしたり、借財方に持って行(ゆ)かれますような事でございますから、客がぱったり来ません。丁度十月二日のことでございます。歳はゆかぬが十二になるおいさという娘が、親父(おやじ)の身代(しんだい)を案じましてくよ/\と病気になりましたが、医者を呼びたいと思いましても、診察料も薬礼(やくれい)も有りませんから、良(い)い医者は来て呉れません。幸い貯えて有りました烏犀角(うさいかく)を春見が頻(しきり)に定木(じょうぎ)の上で削って居ります所へ、夕景に這入(はい)って来ました男は、矢張(やはり)前橋侯の藩で極(ごく)下役でございます、井生森又作という三十五歳に相成(あいな)りましてもいまだ身上(みのうえ)が定(さだま)らず、怪しい形(なり)で柳川紬(やながわつむぎ)の袷(あわせ)一枚で下にはシャツを着て居りますが、羽織も黒といえば体(てい)が好(い)いけれども、紋の所が黒くなって、黒い所は赤くなって居りますから、黒紋の赤羽織といういやな羽織をまして[#「まして」は「きまして」の誤記か]兵児帯(へこおび)は縮緬(ちりめん)かと思うと縮緬呉絽(ちりめんごろう)で、元は白かったが段々鼠色になったのをしめ着て、少し前歯の減った下駄に、おまけに前鼻緒(まえばなお)が緩(ゆる)んで居りますから、親指で蝮(まむし)を拵(こしら)えて穿(は)き土間から奥の方へ這入って来ました。
又「誠に暫(しばら)く」
丈「いや、これは珍らしい」
又「誠に存外の御無音(ごぶいん)」
丈「これはどうも」
又「一寸(ちょっと)伺(うかゞ)わなけりゃならんのだが、少し仔細(しさい)有って信州へ行って居りましたが、長野県では大(おお)きに何も彼(か)もぐれはまに相成って、致し方なく、東京までは帰って来たが、致方(いたしかた)がないから下谷金杉(したやかなすぎ)の島田久左衞門(しまだきゅうざえもん)という者の宅に居候(いそうろう)の身の上、尊君(そんくん)にお目に懸(かゝ)りたいと思って居て、今日(きょう)図(はか)らず尋ね当りましたが、どうも大(たい)した御身代で、お嬢様も御壮健でございますか」
丈「はい、丈夫でいるよ、貴公もよく来てくれたなア」
又「いやどうも、成程これだけの構えでは奉公人なども大勢置かんならんねえ」
丈「いや奉公人も大勢置いたが、宿屋もあわんから奉公人には暇(いとま)を出して、身上(しんしょう)を仕舞おうと思って居(い)るのさ」
又「はてね、どういう訳で」
丈「さア色々仔細有って、実に負債(ふさい)でな、どうも身代が追付(おっつ)かぬ、先(ま)ずどうあっても身代限(しんだいかぎり)をしなければならぬが、身代限をしても追付かぬことがある」
又「そりゃア困りましたな、就(つい)ちゃア僕がそれ君にお預け申した百金は即刻御返金を願いたい、直(すぐ)に返しておくんなさえ」
丈「百円今こゝには無い」
又「無いと云っては困ります、僕が君に欺(あざむ)かれた訳ではあるまいが、これをこうすればあゝなる、この機械を斯(こ)うすれば斯ういう銭儲(ぜにもう)けがあると、貴君(きくん)の仰(おっし)ゃり方が実(まこと)しやかで、誠に智慧(ちえ)のある方の云うことだから、間違いはなかろうと思って、懇意の所から色々才覚をして出した所が目的が外(はず)れてしまって仕方がないが、百円の処は、是だけは君がどうしても返して呉れなければ、僕の命の綱で、只今斯(か)くの如き見る影もない食客(しょっかく)の身分だから、どうかお察し下さい」
丈「返して呉れと云っても仕方がないわ、それに此の節は勧解沙汰(かんかいざた)[#「勧解」に欄外校注:裁判官が説諭して示談にせしむること]が三件もあり、裁判所沙汰が二件もあるし、それに控訴もあるような始末だから、何と云っても仕方がない」
又「裁判沙汰が十(とお)有ろうが八つ有ろうが、僕の知ったことではない、相済まぬけれども是だけの構えを一寸(ちょっと)見ても大(たい)したものだ、それに外を廻って見ても、又座敷で一寸茶を入れるにも、それその銀瓶(ぎんびん)があって、其の他(ほか)、諸道具といい大した財産だ、あの百金は僕の命の綱、これがなければ何(ど)うにも斯(こ)うにも方(ほう)が付かぬ、君の都合は僕は知らないから、此の品を売却しても御返金を願う」
丈「この道具も皆抵当になっているから仕方がないわさ」
又「御返金がならなければ止(や)むを得んから、旧来御懇意の君でも勧解(かんかい)へ持出さなければならぬが、どうも君を被告にして僕が願立(ねがいた)てるというのは甚(はなは)だ旧友の誼(よし)みに悖(もと)るから、したくはないが、拠(よんどころ)ない訳だ」
丈「今と云っても仕方が無いと申すに」
又「はて、是非とも御返金を願う」
 と云って坐り込んで、又作も今身代限(しんだいかぎ)りになる訳でいると云うから、身代限りにならぬうちに百円取ろうとする。春見は困り果てゝ居ります所へ入って来ましたのは、前橋竪町の御用達の清水助右衞門という豪家(ごうか)でございます。此の人も色々遣(や)り損(そこ)なって損(そん)をいたして居りますが、漸々(よう/\)金策を致しまして三千円持って仕入れに参りまして、春見屋へ来まして。
助「はい、御免なさいまし、御免下さいまし」
丈「どなたか知らぬが、用があるならずっと此方(こっち)へ這入っておくんなさい」
助「御免を蒙(こうむ)ります、誠に御無沙汰しました、助右衞門でございます」
丈「おゝ/\、どうもこれはなつかしい、久々で逢った、まア/\此方(こっち)へ、いつも壮健で」
助「誠に存外御無沙汰致しましたが、貴方様(あなたさま)にも何時(いつ)もお変りなく、一寸(ちょっと)伺いたく思いやすが、何分にも些(ち)と訳あって取紛(とりまぎ)れまして御無沙汰致しましたが、段々承れば宿屋店(やどやみせ)をお出しなすったそうで、世界も変れば変るもので、春見様が宿屋になって泊り客の草履(ぞうり)をお直しなさるような事になって、誠にお傷(いた)わしいことだ、それを思えば助右衞門などは何をしても好(い)い訳だと思って、忰(せがれ)や娘に意見を申して居ります、旦那様もお身形(みなり)が変りお見違(みち)げえ申す様(よう)になりました、誠にまアあんたもおふけなさいました」
丈「こう云う訳になって致方(いたしかた)がない、前橋の方も尋ねたいと思って居たが、何分貧乏暇なしで御無沙汰になった、よく来た、どうして出て来たのだ」
助「はい、私(わし)も人に損を掛けられて仕様がねい、何かすべいと思っていると、段々聞けば県庁が前橋へ引けるという評判だから、此所(こゝ)で取付(とりつ)かなければなんねいから、洋物屋(ようぶつや)をすれば、前には唐物屋(とうぶつや)と云ったが今では洋物屋と申しますそうでござりやすが、屹度(きっと)当るという人が有りますから、此処(こゝ)で一息(ひといき)吹返(ふきかえ)さなければなんねいと思って、田地(でんじ)からそれにまア御案内の古くはなったが、土蔵を抵当にしまして、漸々(よう/\)のことで利の食う金を借りて、三千円資本(もとで)を持って出て参ったでがんすから、宿屋へ此の金を預けて仕入(しいれ)をするのだが、滅多に来(き)ねえから、馴染(なじみ)もねえ所へ預けるのも心配(しんぺえ)だから、身代の手堅い処がと、段々考(かんげ)えたところが、春見様が宿屋店(やどやみせ)を出しておいでなさると云うから、買出(かいだ)しするにも安心と考(かんげ)えてまいりました、当分買出しに行(ゆ)きますまで、どうか御面倒でも三千円お預かり下さるように願います」
丈「成程左様か」
 と話をしていると、井生森又作は如才(じょさい)ない狡猾(こうかつ)な男でございますから、是だけの宿屋に番頭も何もいないで、貧乏だと悟られて、三千円の金を持って帰られてはいけないと思って、横着者(おうちゃくもの)でございますから直(す)ぐに羽織を脱いでそれへ出てまいり。
又「お初にお目に懸りました、手前は当家の番頭又作と申すもので、旦那から承わって居りましたが、ようこそお出(い)でゞ、此の後(ご)とも幾久しく宜(よろ)しゅう願います、えゝ当家も誠に奉公人も大勢居りましたが、女共を置きましたところが何かぴら/\なまめいてお客が入りにくいから、皆一同に暇(いとま)を出して、飯焚男(めしたきおとこ)も少々訳が有って暇(ひま)を出しまして、私(わたくし)一人(いちにん)に相成りました、どうかお荷物をお預けなすったら、何は久助(きゅうすけ)は何処(どこ)へ行ったな」
助「横浜でも買出しをして、それから東京でも買出しをして、遅くもどうかまア十一月中頃までに帰(けえ)ろうと、こう心得まして出ました」
丈「成程、それでは兎も角も三千円の金を確かに預かりましょう」
助「就(つ)きましては、誠に斯様(かよう)な事を申しては済みませんが、私(わし)の身に取っては三千円は実に大(たい)した金で、今は大(でか)い損をした暁(あかつき)のことで、此の三千円は命の綱で大事な金でがんすから、此方(こちら)にお預け申して、さア旦那様を疑ぐる訳じゃ有りませんが、どうか三千円確かに預かった、入用(にゅうよう)の時には渡すという預(あずか)り証文を一本御面倒でも戴きたいもので」
丈「成程これはお前の方で云わぬでも当然の事で、私の方で上げなければならん、只今書きましょう」
 と筆を取って金(きん)三千円確かに預かり置く、要用(よう/\)の時は何時(なんどき)でも渡すという証文を書いて、有合(ありあわ)した判をぽかりっと捺(お)して、
丈「これで好(い)いかえ」
助「誠に恐入ります、これでもう大丈夫」
 とこれを戴いて懐中物の中へ入れます。紙入(かみいれ)も二重になって居て大丈夫なことで、紙入も落さんようにして、
助「大宮から歩いて参りまして草臥(くたび)れましたから、どうかお湯を一杯戴きたいもので」
又「誠に済みませんが、※(たが)反(は)ねましてお湯を立てられません、それに奉公人が居りませんから、つい立てません、相済みませんが、此の先(さ)きに温泉がありますから、どうかそれへお出(い)でなすって下さい」
助「温泉というと伊香保(いかほ)や何かの湯のような訳でがんすか」
又「なアに桂枝(けいし)や沃顛(よじいむ)という松本先生が発明のお薬が入って居りまして、これは繁昌(はんじょう)で、其の湯に入ると顔が玉のように見えると云うことでございます」
助「東京へは久しぶりで出てまいって、それに又様子が変りましたな、どうも橋が石で出来たり、瓦(かわら)で家(うち)が出来たり、方々(ほう/″\)が変って見違えるように成りました、その温泉は何処(どこ)らでがんすか」
又「此処(こゝ)をお出(い)でになりまして、向うの角(かど)にふらふ[#「ふらふ」に傍点]が立って居ります」
助「なんだ、ぶら/\私(わし)が歩くか」
又「なアに西洋床(せいようどこ)が有りまして、有平(あるへい)見た様(よう)な物が有ります、その角に旗が立って居りますから、彼処(あすこ)が宜しゅうございます」
助「私(わし)はこれ髻(まげ)がありますから、髪も結(ゆ)って来ましょうかねえ」
又「行って入らっしゃいまし、残らず置いて入らっしゃいまし」
丈「証書の入った紙入を持って行って、板の間に取られるといけないよ」
助「板の間に何が居りますか」
丈「なアに泥坊がいるから取られてはいけん」
助「これはまア私(わし)が命の綱の証文だから、これは肌身離されません」
主「それでも湯に入るのに手に持っては行(ゆ)けないだろう」
助「事に依(よ)ったら頭へ縛り付けて湯に入ります、行ってめえります、左様なら」
又「いって入(いら)っしゃいまし……とうとう出掛けたが、是は君、えゝどうも、富貴(ふうき)天に有りと云うが、不思議な訳で、君は以前お役柄(やくがら)で、元が元だから金を持って来ても是程に貧乏と知らんから、そこで三千円という大金を此の苦しい中へ持って来て、纒(まとま)った大金が入るというのは実に妙だ、それも未(まあ)だ君にお徳が有るのさ、直(す)ぐ其の内を百金御返金を願う」
丈「これさ、今持って来たばかりで酷(ひど)いじゃアないか」
又「此の内百金僕に返しても、此の金(かね)は一時(じ)に持って往(ゆ)くのじゃない、追々(おい/\)安い物が有れば段々に持って往く金だから、其の中(うち)に君が才覚して償(つぐの)えば[#「償(つぐの)えば」は底本では「償(つくの)えば」]宜しい、僕には命代(いのちがわ)りの百円だ、返し給え」
丈「それじゃア此の内から返そう」
 と百円包(づゝみ)になって居るのを渡します。扨(さて)渡すと金が懐へ入りましたから、気が大きくなり
又「どうだい、番頭の仮色(こわいろ)を遣(つか)って金を預けさせるようにした手際(てぎわ)は」
 まア愉快というので、お酒を喫(た)べて居りますとは清水助右衞門は少しも存じませんから、四角(よつかど)へまいりまして見ると、西洋床というのは玻璃張(がらすばり)の障子(しょうじ)が有って、前に有平(あるへい)のような棒が立って居りまして、前には知らない人がお宮と間違えてお賽銭(さいせん)を上げて拝みましたそうでございます。助右衞門は成程有平の看板がある、是だなと思い、
助「御免なさいまし、/\、/\、此処(こちら)が髪結床(かみゆいどこ)かね」
 中床(なかどこ)さんが髭(ひげ)を抜いて居りましたが、
床「何(なん)ですえ、広小路(ひろこうじ)の方へ往(ゆ)くのなら右へお出(い)でなさい」
助「髪結床は此方(こちら)でがんすか」
床「両国の電信局かね」
助「こゝは、髪結う所か」
 と云っても玻璃障子(がらすしょうじ)で聞えません。
床「何ですえ」
助「髪を結って貰いたえもんだ」
床「へいお入(はい)んなさい、表の障子を明けて」
助「はい御免、大(でけ)い鏡だなア、髪結うかねえ」
床「此方(こちら)は西洋床ですから旧弊頭(きゅうへいあたま)は遣(や)りません…おや、あなたは前橋の旦那ですねえ」
助「誰だ、何うして私(わし)を知っているだ」
床「私(わっし)やア廻りに歩いた文吉(ぶんきち)でございます」
助「おゝそうか、文吉か、見違(みちがえ)るように成った、もうどうも成らなかったが辛抱するか」
文「大辛抱(おおしんぼう)でございます旦那どうもねえ、前橋にいる時には道楽をして、若い衆の中へ入って悪いことをしたり何かして御苦労を掛けましたから、書ければ一寸(ちょっと)郵便の一本も出すんでげすが、何うも人を頼みに往(ゆ)くのもきまりが悪くて、存じながら御無沙汰をしました、宜(よ)く出てお出(い)でなすった、東京見物ですかえ」
助「なアに、当時は己(おれ)も損をして商売替(しょうべいげえ)をしべいと思って、唐物(とうぶつ)を買出しに来たゞが、馴染(なじみ)が少ないから横浜へ往って些(ちっ)とべい[#「些(ちっ)とべい」は底本では「些(ちっ)っとべい」]買出しをしべいと思って東京でも仕入れようと思って出て来た」
文「へい、商売替(しょうばいがい)ですか、洋物(ようぶつ)は宜(よ)うがすねえ、これから開(ひら)けるのだそうでげすなア、斬髪(ざんぱつ)になってしまえば、香水(こうずい)なども売れますぜ、お遣(や)りなさい結構でげすな、それに前橋へ県が引けると云うからそうなれば、福々(ふく/\)ですぜ、宿屋は何処(どこ)へお泊りです」
助「馬喰町(ばくろちょう)にも知った者は有るが、家(うち)を忘れたから、春見様が丁度彼所(あすこ)に宿屋を出して居るから、今着いて荷を預けて湯に入(は)いりに来た」
文「何(な)んでげす、春見へ、彼処(あすこ)はいけません、いけませんよ」
助「いかねえって、どうしたんだ」
文「あれは大変ですぜ、身代限りになり懸って、裁判所沙汰が七八つとか有ると云って、奉公人にも何(なん)にも給金を遣(や)らないから、皆(みん)な出て行ってしまって、客の荷でも何でも預けると直(す)ぐに質に入れたり何(なに)かするから、泊人(とまりて)はございません、何か預けるといけませんよ」
助「それは魂消(たまげ)た、春見様は元御重役だぜ」
文「御重役でもなんでも、今はずう/″\しいのなんて、米屋でも薪屋(まきや)でも、魚屋でも何でも、物を持って往(ゆ)く気づかいありません」
助「そりゃア知んねえからなア」
文「何か預けた物がありますか」
助「有るって無(ね)えって、命と釣替(つりげえ)の」
 と云いながら出に掛ったが、玻璃(がらす)でトーンと頭を打(ぶっ)つけて、慌(あわ)てるから表へ出られやしません。
文「玻璃戸が閉っていて外が見えても出られませんよ、怪我(けが)をするといけませんよ」
助「なに此の儘(まゝ)では居(い)られない」
 と云うので取って返して来て、がらりと明けて中へ這入って。
助「御免なせえまし」
 と土間から飛上って来て見ると、其処(そこ)らに誰も居りませんから、つか/\と奥へ往(ゆ)きますと、奥で二人で灯火(あかり)を点(つ)けて酒を飲んでいたが、此方(こちら)も驚いて。
丈「やアお帰りか」
助「先刻(さっき)お預け申しました三千円の金を、たった今直(す)ぐにお返しを願います」
 と云うから番頭驚いて。
又「あなたは髪も結わず、湯にもお入りなさらんで何うなさいました」
助「髪も湯も入りません、今横浜に安い物が有るから、今晩の中(うち)に往って居(お)らなければならんから、直ぐに行(ゆ)くから、どうか只今お預け申しました鞄(かばん)を証書とお引換(ひきかえ)にお渡しを願います」
 と紙入から書付を出して春見の前へ突付けて。
助「どうか三千円お戻しを願います」
丈「それは宜(い)いが、まア慌てちゃいけん、横浜あたりへ往って、あの狡猾世界(こうかつせかい)でうか/\三千円の物を買えば屹度(きっと)損をするから、慌てずにそういう物があるか知らぬけれども、是から往って物を見て値を付けて、そこで其の内を五百円買うとか二百円買うとか仕なければ、固(もと)より慣れぬ商売の事だから、慌てちゃアいかん、何ういう訳だかまア緩(ゆっく)りと昔話も仕たいから、まア泊(とま)んなさい」
又「只今主人の申します通り、横浜は狡猾な人の多く居ります所だから、損をするのは極(きま)って居りますゆえ、三千円一度に持って往って損をするといけないから、まア/\今晩は緩(ゆる)りとお泊りなさいまし、して明日(みょうにち)十二時頃からお出(い)でなすって、品物を見定めて、金子も一時(いちじ)に渡さずに、徐々(そろ/\)持って往って、追々とお買出しをなすった方が宜しゅうございます」
助「それは御尤様(ごもっともさま)でございますが、親切な確かな人に聞いた事でございます、今夜の内に何うしても斯うしても横浜まで往(ゆ)かなければ成らぬ、売れてしまわぬ前に私(わし)が往(ゆ)けば安いというので、確かなものに聞きました、どうかお願いでございますからお返しなすって下せい、成程文吉の云った通り是だけの大(でか)い家(うち)に奉公人が一人も居ねいのは変だ」
丈「何を」
助「へい、なに三千円お返し下さい」
丈「返しても宜しいけれどもそんなに慌てゝ急がんでも宜(い)いじゃないか、先(まず)其の内千円も持って行ったら宜(よ)かろう」
助「へい急ぎます、金がなければならぬ訳でがんすから、何うかお渡し下さい」
 と助右衞門は何うしても聞き入れません。こゝが妙なもので、三千円のうち、当人に内々(ない/\)で百円使い込んで居(い)るとこでございますから、春見のいう言葉が自然におど付きますから、此方(こちら)は猶更(なおさら)心配して、
助「さアどうかお返しなすって下せえ、今預ったべいの金だから返すことが出来ないことはあんめい」
丈「金は返すには極(きま)って居る事だから返すが、何ういう訳だか慌てゝ帰って来たが、お前が損をすると宜(よ)くないからそれを心配するのだ」
又「只今主人のいう通り、慌てずに緩(ゆっく)りお考えなさい」
助「黙ってお在(い)でなせい、あんたの知ったことじゃアない、三千円の金は通例の金じゃアがんせん、家蔵(いえくら)を抵当にして利の付く金を借りて、三千円持ってまいります時、婆(ばゞあ)や忰(せがれ)がお父(とっ)さん慣れないことをして又損をしやすと、今度は身代限りだから駄目だ、止(よ)した方が宜(よ)かろうと云うのを、なアに己(おれ)も清水助右衞門だ、確かに己が儲けるからと云って、私(わし)が難かしい才覚を致してまいった三千円で、私が命の綱の金でがんすから、損を仕ようが、品物を少なく買おうが多く買出ししようが私の勝手だ、あなた方の口出しする訳じゃねえから、どうか、さア、どうか返して下さい」
丈「今は此処(こゝ)にない蔵にしまって有るから待ちなさい」
 と云いながら往(ゆ)こうとすると逃げると思ったから、つか/\と進んで助右衞門が春見の袖にぴったりと縋(すが)って放しませんから。
丈「これ何をする、これさ何をするのだ」
助「申し、春見様、私(わし)が商法をしまして是で儲かれば、貴方(あなた)の事だからそりゃア三百円ぐらいは御用達(ごようだ)てますが、今は命より大事の三千円の金だからそれを返して下さらなけりゃア国へ帰(けえ)れません」
 と云うので、一生懸命に袖へ縋られた時には、是は自分の身代の傾いた事を誰かに聞いたのだろう、罪な事だが是非に及ばん、今此の三千円が有ったら元の春見丈助になれるだろうと、有合(ありあわ)せた槻(けやき)の定木(じょうぎ)を取って突然(いきなり)振向くとたんに、助右衞門の禿(は)げた頭をポオンと打ったから、頭が打割(ぶちわ)れて、血は八方へ散乱いたして只(たっ)た一打(ひとうち)でぶる/\と身を振わせて倒れますと、井生森又作は酷(ひど)い奴で、人を殺して居る騒ぎの中で血だらけの側にありました、三千円の預り証文をちょろりと懐(ふところ)へ入れると云う。これがお話の発端でございます。

     二[#底本では脱落]

 清水助右衞門は髪結(かみゆい)文吉の言葉を聞き、顔色変えて取ってかえし、三千両[#「三千円」の誤記か]の預り証書を春見の前へ突き出し、返してくれろと急の催促に、丈助は其の中(うち)已(すで)に百円使い込んで居(い)るから、あとの金は残らず返すから、これだけ待ってくれろと云えば仔細は無かったのだが、此の三千円の金が有ったなら、元の如く身代も直り、家も立往(たちゆ)くだろう、又娘にも難儀を掛けまいと、むら/\と起りました悪心から致して、有合(ありあ)う定木(じょうぎ)をもって清水助右衞門を打殺(うちころ)す。側にいた井生森又作は、そのどさくさ紛(まぎ)れに右三千円の預り証書を窃取(ぬすみと)るというお話は、前日お聞きになりました所でござりますが、此の騒ぎを三畳の小座敷で聞いて居りましたのは、当年十二歳に相成るおいさと云う孝行な娘でございますから、お父様(とっさま)は情(なさけ)ない事をなさる、と発明な性質ゆえ、袖を噛んで泣き倒れて居ります。春見は人が来てはならんと、助右衞門の死骸を蔵へ運び、葛籠(つゞら)の中へ入れ、血(のり)の漏(も)らんように薦(こも)で巻き、すっぱり旅荷のように拵(こしら)え、木札(きふだ)を附け、宜(い)い加減の名前を書き、井生森に向い。
丈「金子を三百円やるから、どうか此の死骸を片附ける工風(くふう)はあるまいか」
又「おっと心得た、僕の縁類(えんるい)が佐野(さの)にあるから、佐野へ持って往って、山の中の谷川へ棄てるか、又は無住(むじゅう)の寺へでも埋めれば人に知れる気遣(きづかい)はないから心配したもうな」
 と三百円の金を請取(うけと)り、前に春見から返して貰った百円の金もあるので、又作は急に大尽(だいじん)に成りましたから、心勇んで其の死骸を担(かつ)ぎ出し、荷足船(にたりぶね)に載せ、深川扇橋(ふかがわおうぎばし)から猿田船(やえんだぶね)の出る時分でございますから、此の船に載せて送る積りで持って往(ゆ)きました。扨(さて)お話二つに分れまして、春見丈助は三千円の金が急に入りましたから、借財方(しゃくざいかた)の目鼻を附け、奉公人を増し、質入物(しちいれもの)を受け出し、段々景気が直って来ましたから、お客も有りますような事で、どんどと十月から十二月まで栄えて居りました。此方(こちら)は前橋竪町の清水助右衞門の忰(せがれ)重二郎や女房は、助右衞門の帰りの遅きを案じ、何時(いつ)まで待っても郵便一つ参りませんので、母は重二郎に申付(もうしつ)け、お父様(とっさま)の様子を見て来いと云うので、今年十七歳になる重二郎が親父(おやじ)を案じて東京へ出てまいり、神田佐久間町の春見丈助の門口(かどぐち)へ来ますと、二階には多人数(たにんず)のお客が居りますから、女中はばた/\廊下を駆(か)けて居ります。
重「御免なせい/\、/\」
女「はい入らっしゃいまし、まア此方(こちら)へお上(あが)んなさいまし」
重「春見丈助様のお宅は此方でございやすか」
女「はい春見屋は手前でございますが、何方(どちら)から入(いら)っしゃいました」
重「ひえ、私(わし)は前橋竪町の清水助右衞門の忰(せがれ)でござりやすが、親父(おやじ)が十月国を出て、慥(たし)か此方(こちら)へ着きやんした訳になって居りやんすがいまだに何(なん)の便(たよ)りもございませんから、心配して尋ねてまいりましたが、塩梅(あんべい)でも悪くはないかと、案じて様子を聞きにまいりましたのでがんすと云って、どうかお取次を願いていもんです」
女「左様でございますか、少々お控えを願います」
 と奥へ入り、暫(しばら)くして出てまいり。
女「お前さんねえ、只今仰(おっ)しゃった事を主人へ申しましたら、そう云うお方は此方(こちら)へはいらっしゃいませんが、門違(かどちが)いではないかとの事でございますよ」
重「なんでも此方へ来ると云って家(うち)を出やんしたが…此方へは来(き)ねえですか」
女「はい、お出(い)ではございません宿帳にも附いて居りません」
重「はてねえ、何(ど)うした事だかねえ、左様なら」
 と云いながら出ましたが、外(ほか)に尋ねる当(あて)もなく、途方に暮れてぶら/\と和泉橋(いずみばし)の許(もと)までまいりますと、向うから来たのは廻りの髪結い文吉で、前橋にいた時分から馴染(なじみ)でございますから。
文「もし/\其処(そこ)へお出(い)でなさるのは清水の若旦那ではありませんか」
重「はい、おや、やア、文吉かえ」
文「誠にお久し振でお目にかゝりましたが、見違(みちげ)えるように大きくお成んなすったねえ、私(わっち)が前橋に居りやした時分には、大旦那には種々(いろ/\)御厄介(ごやっかい)になりまして、余り御無沙汰になりましたから、郵便の一つも上げてえと思っては居りやしたが、書けねえ手だもんだから、つい/\御無沙汰になりやした、此間(こないだ)お父(とっ)さんが出ていらっしゃいやしたから、お前さんも東京を御見物に入らしったのでございやしょう」
重「親父(おやじ)の来たのを何うしてお前は知っているだえ」
文「へい、先々月お出でなすって、春見屋へ宿をお取んなすったようで」
重「宅(うち)へもそう云って出たのだが、余(あんま)り音信(おとずれ)がないから何処(どこ)へ往ったかと思っているんだよ」
文「なに春見屋で来(こ)ねえって、そんな事はありやせん、前々月(せん/\げつ)の二日の日暮方(ひくれかた)、私(わっち)は海老床(えびどこ)という西洋床を持って居りますが、其処(そこ)へ旦那がお出(い)でなすったから、久し振でお目にかゝり、何処(どこ)へお宿をお取りなさいましたと云うと、春見屋へ宿を取り、買出しをしに来たと仰しゃるから、それはとんでもない事をなすった、あれは身代限(しんだいかぎり)になり掛っていてお客の金などを使い込み、太(ふて)い奴でございます、大きな野台骨(やたいぼね)を張っては居りますが、月給を払わないもんだから奉公人も追々(おい/\)減ってしまい、蕎麦屋でも、魚屋でも勘定をしねえから寄附(よりつ)く者はねえので、とんだ所へお泊りなすったと云うと、旦那が権幕(けんまく)を変えて、駈け出してお出(い)でなさったが、それ切りお帰りなさらないかえ」
重「国を出た切り帰(けえ)らねえから心配(しんぺい)して来たのだよ」
文「それは変だ、私(わし)が証拠人だ、春見屋へ往って掛合ってあげやしょう旦那は来たに違いねえんだ、春見屋は此の頃様子が直り、滅法景気が宜(よ)くなったのは変だ」
重「文吉、汝(われ)一緒に往って、確(しっか)り掛合ってくれ」
文「さアお出(い)でなさい」
 と親切者でございますゆえ、先に立って春見屋へ参り。
文「此間(こないだ)は暫(しばら)く、あの清水の旦那が此方(こちら)へ泊ったのは私(わっち)が慥(たし)かに知ってるが、先刻(さっき)此の若旦那が尋ねて来たら、来(こ)ねえと云ったそうだから、また来やしたが、此の文吉が証拠人だ、なんでも旦那は入らしったに違いないから、お取次を願います」
女「はい一寸(ちょっと)承って見ましょう」
 と奥へまいり、此の事を申すと、春見はぎっくり胸に当りましたが、素知らぬ顔にもてなして、此方(こっち)へと云うので、女中が出てまいり、
女「まア、お通りなさいまし」
 と云うから、文吉が先に立ち、重二郎を連れて奥へ通りました。
丈「さア/\此方(こちら)へお這入(はい)り」
重「誠に久しくお目にかゝりませんでございました」
丈「どうも見違えるように大きくおなりだねえ、今女どもが取次をしたが、新参で何も心得んものだから知らんが、お父(とっ)さんは前々月(せん/\げつ)の二日に一寸(ちょっと)私の所へお出(い)でになったよ」
重「左様でございますか、先刻(せんこく)お女中が此方(こちら)へ来(き)ねえと云いましたから、はてなと思いやしたのは、宅(うち)を出る時は春見様へ泊り、遅くも十一月の末には帰ると云いましたのが、十二月になっても便(たよ)りがありやせんから、母も心配して、見て来るが宜(い)いというので、私(わし)が出て参りまして」
丈「成程、だが今云う通り一寸(ちょっと)お出でになり、どう云う訳だか取急ぎ、横浜へ買出しに往(ゆ)くと云って、直(す)ぐ往(ゆ)こうとなさるから、久振(ひさしぶり)で逢って懐かしいから、今晩一泊なすって緩々(ゆる/\)お話もしたいと留(と)めても聞入れず、振り切って横浜へいらしったが、それっ切り未(ま)だお宅(たく)へ帰らんかえ」
重「へい、そんなら親父(おやじ)は来たことは来たが、此方(こちら)には居ねえんですか困ったのう、文吉どん」
文「もし旦那、御免なせえ、私(わっち)は元錨床(いかりどこ)と云って西洋床をして居りました時、此方(こちら)の二階のお客に旧弊頭(きゅうへいあたま)もありますので、時々お二階へ廻りに来た文吉という髪結(かみゆい)でございます」
丈「はアお前が文吉さんか、誠に久しく逢いませんでした」
文「先々月の二日清水の旦那が此方(こちら)へお泊りなすって、荷物をお預け申して湯に入(は)いるって錨床へ入(い)らしったところが、私(わっち)が上州を廻っている時分御厄介になった清水の旦那だから、何御用でというと金を持って仕入れに来たが、泊る所に馴染(なじみ)がねえから、春見屋へ泊ったと仰(おっ)しゃったから、それはとんでもねえ処へ、いえなに宜(よ)い処へお泊りなすったという訳でねえ」
丈「一寸(ちょっと)お出(い)でにはなったが、取急ぎ横浜へ往(ゆ)くと云ってお帰りになった」
文「もし先々月の二日でございますぜ」
丈「左様(そう)よ」
文「あの清水の旦那が金を沢山(どっさり)春見屋へ預けたと仰しゃるから、それはとんだ処へ、いえなにどうも誠にどうもねえ」
丈「来たことは来たが、お連(つれ)か何か有ると見え、いくら留(と)めても聞入れず、買出しの事故(ゆえ)そうはいかんと云って荷物を持って取急いでお帰りになったが、それ切り帰られないかえ」
文「それ清水の旦那が荷をお前さんへ預け、床へ来ると私(わっち)がいて、旦那どうして此方(こちら)へ出ていらしったと云うと、商売替(しょうべいげえ)をする積りで、滅法界(めっぽうけい)金を持って来て、迂濶(うっか)り春見屋へ預けたと云うから、それはとんだ、むゝなに、一番宜(よ)い処へお預けなすったという訳で、へい」
丈「今もいう通り直(す)ぐに横浜へ往(ゆ)くと云って、お帰りなすったよ」
文「ふん、へい、十月二日に、旦那が此方(こっち)へ……」
丈「幾度云っても其の通り来たことは来たが、直(す)ぐにお帰りになったのだよ」
重「仕様がありませんなア」
文「だって旦那え、まアどうも、…へい左様なら」
 と取附く島もございませんから、そとへ出て重二郎は文吉に別れ、親父(おやじ)が横浜へ往ったとの事ゆえ、横浜を残らず捜しましたが居りませんので、また東京へ帰り、浅草、本郷と捜しましたが知れません。仕方がないから重二郎は前橋へ立帰りました。お話跡へ戻りまして、井生森又作は清水助右衞門の死骸を猿田船(やえんだぶね)に積み、明くれば十月三日市川口(いちかわぐち)へまいりますと、水嵩(みずかさ)増して音高く、どうどうっと水勢(すいせい)急でございます。只今の川蒸汽(かわじょうき)とは違い、埓(らち)が明きません。市川、流山(ながれやま)、野田(のだ)、宝珠花(ほうしゅばな)と、船を附けて、関宿(せきやど)へまいり、船を止めました。尤(もっと)も積荷(つみに)が多いゆえ、捗(はか)が行(ゆ)きませんから、井生森は船中で一泊して、翌日は堺(さかい)から栗橋(くりはし)、古河(こが)へ着いたのは昼の十二時頃で、古河の船渡(ふなと)へ荷を揚(あ)げて、其処(そこ)に井上(いのうえ)と申す出船宿(でふねやど)で、中食(ちゅうじき)も出来る宿屋があります。井生森は其処へ入り、酒肴(さけさかな)を誂(あつら)え、一杯遣(や)って居りながら考えましたが、これから先人力(じんりき)を雇って往(ゆ)きたいが、此の宿屋から雇って貰っては、足が附いてはならんからと一人で飛出し、途中から知れん車夫(くるまや)を連れてまいり、此の荷を積んでどうか佐野まで急いでやってくれと、酒を呑ませ、飯を喰わせ、五十銭の酒手を遣(や)りました。車夫(しゃふ)は年頃四十五六(しじゅうごろく)で小肥満(こでっぷり)とした小力(こぢから)の有りそうな男で、酒手(さかて)を請取(うけと)り荷を積み、身支度をして梶棒(かじぼう)を掴(つか)んだなり、がら/\と引出しましたが、古河から藤岡(ふじおか)までは二里余(よ)の里程(みちのり)。船渡を出たのは二時頃で、道が悪いから藤岡を越す頃はもう日の暮れ/″\で、雨がぽつり/\と降り出しました。向うに見えるは大平山(おおひらさん)に佐野の山続きで、此方(こちら)は都賀村(つがむら)、甲村(こうむら)の高堤(たかどて)で、此の辺は何方(どちら)を見ても一円沼ばかり、其の間には葭(よし)蘆(あし)の枯葉が茂り、誠に物淋しい処でございます。車夫(しゃふ)はがら/\引いてまいりますと、積んで来た荷の中の死骸が腐ったも道理、小春なぎの暖(あたゝか)い時分に二晩(ふたばん)留(と)め、又打(うち)かえって寒くなり、雨に当り、いきれましたゆえ、臭気甚(はなはだ)しく、鼻を撲(う)つばかりですから、
車「フン/\、おや旦那え/\」
又「なんだ、急いで遣(や)ってくれ」
車「なんだか酷(ひど)く臭(くさ)いねえ、あゝ臭い」
又「なんだ」
車「何だか知んねえが誠に臭い」
 と云われ、又作はぎっくりしましたが、云い紛(まぎ)らせようと思い、
又「詰(つま)らん事をいうな、此の辺は田舎道だから肥(こい)の臭(にお)いがするのは当然(あたりまえ)だわ」
車「私(わし)だって元は百姓でがんすから、肥(こい)の臭(くさ)いのは知って居りやんすが、此処(こゝ)は沼ばかりで田畑(でんぱた)はねえから肥の臭(にお)いはねえのだが、酷(ひど)く臭う」
 と云いながら振り返って鼻を動かし、
車「おゝ、これこれ、此の荷だ、どうも臭いと思ったら、これが臭いのだ、あゝ此の荷だ」
 と云われて又作愈々(いよ/\)驚き、
又「何を云うのだ、なんだ篦棒(べらぼう)め、荷が臭いことが有るものか」
車「だって旦那、臭いのは此の荷に違いねえ」
又「これ/\何を云うのだ」
 と云ったが最(も)う仕方がありませんから、云いくろめようと思いまして、
又「これは俗に云う干鰯(ほしか)のようなもので、田舎へ積んで往って金儲けを仕ようと思うのだ、実は肥(こい)になるものよ」
車「肥(こい)の臭(にお)いか干鰯の臭いかは在所の者は知ってるが、旦那今私(わし)が貴方(あんた)の荷が臭いと云った時、顔色が変った様子を見ると、此の中は死人(しびと)だねえ」
又「馬鹿を云え、東京から他県へ死人(しびと)を持って来るものがあるかえ、白痴(たわけ)たことを云うなえ」
車「駄目だ、顔色を変えてもいけねい、己(おれ)今でこそ車を引いてるが、元は大久保政五郎(おおくぼまさごろう)の親類で、駈出(かけだ)しの賭博打(ばくちうち)だが、漆原(うるしはら)の嘉十(かじゅう)と云った長脇差(ながわきざし)よ、ところが御維新(ごいっしん)になってから賭博打を取捕(とっつかめ)えては打切(ぶっき)られ、己も仕様がないから賭博を止(や)め、今じゃア人力車(くるま)を引いてるが、旦那貴方(あんた)は何処(どこ)のもんだか知んねえが、人を打殺(ぶっころ)して金を奪(と)り、其の死人(しびと)を持って来たなア」
又「馬鹿を云え、とんでもない事をいう、どう云う次第でそんな事を云うのだ」
車「おれ政五郎親分の処にいた頃、親方(おやぶん)が人を打殺(ぶちころ)して三日の間番をさせられた時の臭(にお)いが鼻に通って、いまだに忘れねえが、其の臭いに違(ちげ)えねいから隠したって駄目だ、死人(しびと)なら死人だとそう云えや、云わねえと己(お)れ了簡(りょうけん)があるぞ」
又「白痴(たわけ)た奴だ、どうもそんな事を云って篦棒(べらぼう)め、手前(てめえ)どう云う訳で死人(しびと)だと云うのだ、失敬なことを云うな」
車「なに失敬も何もあるものか、古河の船渡で車を雇うのに、値切(ねぎり)もしずに佐野まで極(き)め、其の上五十銭の祝儀もくれ、酒を呑ませ飯まで喰わせると云うから、有(あ)り難(がて)い旦那だと思ったが、唯(たゞ)の人と違い、死人(しびと)じゃ往(ゆ)けねえが、併(しか)し死人だと云えば佐野まで引いて往ってくれべいが、隠しだてをするなら、後(あと)へ引返(ひきけえ)して、藤岡の警察署へ往って、其の荷を開(ひら)いて検(あらた)めて貰うべい」
又「馬鹿なことを云うな、駄賃は多分に遣(や)るから急いで遣れ」
車「駄賃ぐらいでは駄目だ、内済事(ねえせえごと)にするなら金を弐拾両(にじゅうりょう)よこせ」
又「なに弐拾両、馬鹿なことを云うなえ」
車「いやなら宜(い)いわ」
 と云いながら梶棒を藤岡の方へ向けましたから、井生森又作は大(おお)きに驚き慌てゝ、
又「おい車夫(くるまや)、待て、これ暫(しばら)く待てと云うに、仕様のない奴だ、太(ふて)え奴だなア」
車「何方(どっち)が太(ふて)えか知れやしねえ」
又「そう何もかも手前(てめえ)に嚊(か)ぎ附けられては止(や)むを得ん、実は死人(しびと)だて、就(つい)ては手前(てま)[#「てまえ」あるいは「てめえ」か]に金子二拾両遣(や)るが、何卒(どうぞ)此の事を口外してくれるな、打明けて話をするが、此の死骸は実は僕が権妻(ごんさい)同様のものだ」
車「それなら貴方(あんた)の妾か」
又「なに僕の妾というではない、去る恩人の持ちものだが、不図(ふと)した事から馴れ染め、人目を忍んで逢引(あいびき)をして居ると、その婦人が懐妊したので堕胎薬(おろしぐすり)を呑ました所、其の薬に中(あた)って婦人は達(たっ)ての苦(くるし)み、虫が被(かぶ)って堪(たま)らんと云って、僕の所へ逃出(にげだ)して来て、子供は産(うま)れたが、婦人は死んでしまった所密通をした廉(かど)と子を堕胎(おろ)した廉が有るから、拠(よんどころ)なく其の死骸を旅荷に拵(こしら)え、女の在所へ持って往(ゆ)き、親達と相談の上で菩提所(ぼだいしょ)へ葬(ほうむ)る積りだが、手前(てまえ)にそう見顕(みあら)わされて誠に困ったが、金を遣(や)るから急いで足利在(あしかゞざい)まで引いてくれ」
車「そう事が定(きま)れば宜(い)いが…なんだって女子(おんなッこ)と色事をして子供を出かし、子を堕胎(おろ)そうとして女が死んだって…人殺しをしながら惚気(のろけ)を云うなえ、もう些(ちっ)と遣(よこ)しても宜(い)いんだが、二十両に負けてくれべい、だが臭(くせ)い荷を引張(ひっぱ)って往(ゆ)くのは難儀だアから、彼処(あすこ)の沼辺(ぬまべり)の葦(よし)の蔭(かげ)で、火を放(つ)けて此の死人(しびと)を火葬にしてはどうだ、そうして其の骨を沼の中へ打擲(ぶっぽ)り込んでしまえば、少しぐれえ焼けなくっても構った事はねえ、もう来月から一杯(いっぺい)に氷が張り、来年の三月でなければ解けねえから、知れる気遣(きづか)えはねえが、どうだえ」
又「これは至極妙策、成程宜(い)い策だが、ポッポと火を焚(た)いたら、又巡行の査官(さかん)に認められ、何故(なぜ)火を焚くと云って咎(とが)められやしないか」
車「大丈夫(でいじょうぶ)だよ、時々私(わし)らが寒くって火を焚く事があるが、巡査(おまわり)がこれなんだ、其処(そこ)で火を焚いて、消さないか、と云うから、へい余(あんま)り寒うございますから火を焚いて※(あた)って居りますが、只今踏消して参りますと云うと、そんなら後(あと)で消せよと云って行(ゆ)くから、大丈夫(だいじょうぶ)だ、さア此処(こゝ)へ下(おろ)すべい」
 と之(こ)れから車を沼の辺(へり)まで引き込み、彼(か)の荷を下(おろ)し、二人で差担(さしかつ)ぎにして、沼辺(ぬまべり)の泥濘道(ぬかるみみち)を踏み分け、葭(よし)蘆(あし)茂る蔭(かげ)に掻(か)き据(す)えまして、車夫は心得て居りますから、枯枝(かれえだ)などを掻き集め、燧(まっち)で火を移しますると、ぽっ/\と燃え上る。死人(しびと)の膏(あぶら)は酷(ひど)いから容易には焼けないものであります。日の暮れ方の薄暗がりに小広い処で、ポッポと焚く火は沼の辺(へり)故(ゆえ)、空へ映(うつ)りまして炎々(えん/\)としますから、又作は気を揉(も)み巡査は来やしないかと思っていますと、
車「旦那、もう真黒(まっくろ)になったろうが、貴方(あんた)己(おれ)がにもう十両よこせよ」
又「足元を見て色々な事を云うなえ」
車「足元だって、己(お)れはア女の死骸と云って己(おれ)を欺(だま)かしたが、こりゃア男だ、女の死骸に□□[#底本2字伏字]があるかえ」
 と云われて又驚き、
又「えゝ何を云うのだ」
車「駄目だよ、お前(めえ)は人を打殺(ぶちころ)して金を奪(と)って来たに違(ちげ)えねえ、もう十両呉れなけりゃア又引き返そうか」
又「仕方がない遣(や)るよ、余程(よっぽど)狡猾(こうかつ)な奴だ」
車「汝(わ)れ方(ほう)が狡猾だ」
 と云いながら人力車(くるま)の梶棒を持って真黒になった死骸を沼の中へ突き込んでいます。又作は近辺(あたり)を見返ると、往来はぱったり止まって居りますから、何かの事を知った此の車夫(しゃふ)、生(い)けて置いては後日(ごにち)の妨(さまた)げと、車夫の隙(すきま)を伺(うかゞ)い、腰の辺(あたり)をポオーンと突く、突かれて嘉十はもんどり切り、沼の中へ逆(さか)とんぼうを打って陥(おちい)りましたが、此の車夫は泳ぎを心得て居ると見え、抜手(ぬきで)を切って岸辺へ泳ぎ附くを、又作が一生懸命に車の簀蓋(すぶた)を取って、車夫の頭を狙(ねら)い打たんと身構えをしました。是からどういう事に相成りますか、一寸(ちょっと)一息(ひといき)致しまして申上げましょう。

     三

 さて春見丈助は清水助右衞門を打殺(うちころ)しまして、三千円の金を奪い取りましたゆえ、身代限りに成ろうとする所を持直(もちなお)しまして、する事為す事皆当って、忽(たちま)ち人に知られまする程の富豪(ものもち)になりました。又一方(かた/\)は前橋の竪町で、清水助右衞門と云って名高い富豪(ものもち)でありましたが、三千円の金を持って出た切(ぎ)り更に帰って来ませんので、借財方から厳しく促(はた)られ遂(つい)に身代限りに成りまして、微禄(びろく)いたし、以前に異(かわ)る裏家住(うらやずま)いを致すように成りました。実に人間の盛衰は計られぬものでございます。春見が助右衞門を殺します折(おり)に、三千円の預り証書を春見の目の前へ突付け掛合う中(うち)に、殺すことになりまして、人を殺す程の騒ぎの中(なか)ですから、三千円の証書の事には頓(とん)と心付きませんでしたが、後(あと)で宜(よ)く考えて見ますと、助右衞門が彼(あ)の時我が前に証書を出して、引換えに金を渡せと云って顔色を変えたが彼(か)の証書の、後(あと)にないところを見れば、他(ほか)に誰(たれ)も持って行(ゆ)く者はないが、井生森又作はあア云う狡猾(こうかつ)な奴だから、ひょっと奪(と)ったかも知れん、それとも助右衞門の死骸の中へでも入っていったか、何しろ又作が帰らなければ分らぬと思って居りましたが、三ヶ年の間又作の行方(ゆくえ)が知れませんから、春見は心配で寝ても寝付かれませんから、悪い事は致さぬものでございますが、凡夫(ぼんぷ)盛んに神祟(たゝ)りなしで、悪運強く、する事なす事儲かるばかりで、金貸(かねかし)をする、質屋をする、富豪(ものもち)と云われるように成って、霊岸島川口町(れいがんじまかわぐちちょう)へ転居して、はや四ヶ年の間に前の河岸(かし)にずうっと貸蔵(かしぐら)を七つも建て、奥蔵(おくぐら)が三戸前(みとまえ)あって、角見世(かどみせ)で六間間口の土蔵造(どぞうづくり)、横町(よこちょう)に十四五間の高塀(たかべい)が有りまして、九尺(くしゃく)の所に内玄関(ないげんかん)と称(とな)えまする所があります。実に立派な構えで、何一つ不自由なく栄燿栄華(えいようえいが)は仕ほうだいでございます。それには引換え清水助右衞門の忰(せがれ)重二郎は、母諸共(もろとも)に千住(せんじゅ)へ引移りまして、掃部宿(かもんじゅく)で少し許(ばか)りの商法を開(ひら)きました所が、間(ま)が悪くなりますと何をやっても損をいたしますもので、彼(あれ)をやって損をしたからと云って、今度は是(こ)れをやると又損をして、遂(つい)に資本(しほん)を失(なく)すような始末で、仕方がないから店をしまって、八丁堀亀島町(はっちょうぼりかめじまちょう)三十番地に裏屋住(うらやずま)いをいたして居りますと、母が心配して眼病を煩(わずら)いまして難渋(なんじゅう)をいたしますから、屋敷に上げてあった姉を呼戻し、内職をして居りましたが、其の前年(まえのとし)の三月から母の眼がばったりと見えなくなりましたゆえ、姉はもう内職をしないで、母の介抱ばかりして居ります。重二郎は其の時廿三歳でございますが、お坊さん育ちで人が良うございますから智慧(ちえ)も出ず、車を挽(ひ)くより外(ほか)に何も仕方がないと、辻へ出てお安く参りましょうと云って稼いで居りましたが、何分にも思わしき稼ぎも出来ず、遂(つい)に車の歯代(はだい)が溜(たま)って車も挽けず、自分は姉と両人で、二日(ふつか)の間は粥(かゆ)ばかり食べて母を養い、孝行を尽(つく)し介抱いたして居りましたが、最(も)う世間へ無心に行(ゆ)く所もありませんし、何(ど)うしたら宜(よろ)しかろうと云うと、人の噂に春見丈助は直(じ)き近所の川口町にいて、大(たい)した身代に成ったという事を聞きましたから、元々馴染(なじみ)の事ゆえ、今の難渋を話して泣付(なきつ)いたならば、五円や十円は恵んで呉れるだろうというので、姉と相談の上重二郎が春見の所へ参りましたが、家の構えが立派ですから、表からは憶(おく)して入れません。横の方へ廻ると栂(つが)の面取格子(めんとりごうし)が締(しま)って居りますから、怖々(こわ/″\)格子を開けると、車が付いて居りますから、がら/\/\と音がします。驚きながら四辺(あたり)を見ますと、結構な木口(きぐち)の新築で、自分の姿(なり)を見ると、単物(ひとえもの)の染(そめ)っ返しを着て、前歯の滅(へ)りました下駄を穿(は)き、腰に穢(きたな)い手拭(てぬぐい)を下げて、頭髪(あたま)は蓬々(ぼう/\)として、自分ながら呆(あき)れるような姿(なり)ゆえ、恐る/\玄関へ手を突いて、
重「お頼み申します/\」
男「どーれ」
 と利助(りすけ)という若い者が出てまいりまして、
利「出ないよ」
重「いえ乞食(こじき)ではございません」
利「これは失敬、何処(どこ)からお出(い)でになりました」
重「私(わし)ア少し旦那様にお目にかゝって御無心申したい事がありまして参りました」
利「何処からお出でゞございますか」
重「はい、私(わし)ア前橋の竪町の者でございまして、只今は御近辺に参って居りますが、清水助右衞門の忰(せがれ)が参ったと何卒(どうぞ)お取次を願います」
利「誠にお気の毒でございますが、此の節は無心に来る者が多いから、主人も困って、何方(どなた)がお出でになってもお逢いにはなりません、種々(いろ/\)な名を附けてお出でになります、碌々(ろく/\)知らんものでも馴々(なれ/\)しく私は書家でございます、拙筆(せっぴつ)を御覧に入れたいと、何か書いたものを持って来て何(なん)と云っても帰らないから、五十銭も遣(や)って、後(あと)で披(あ)けて見ると、子供の書いたような反故(ほご)であることなどが度々(たび/\)ありますから、お気の毒だが主人はお目にかゝる訳にはまいりません」
重「縁のない所からまいった訳ではありません、前橋(めえばし)竪町の清水助右衞門の忰重二郎が参ったとお云いなすって下さいまし」
利「お気の毒だが出来ません、それに旦那様は御不快であったが、今日はぶら/\お出掛になってお留守だからいけません」
重「どうか其様(そん)なことを仰(おっ)しゃらないでお取次を願います」
利「お留守だからいけませんよ」
 と頻(しき)りに話をしているのを、何(なん)だかごた/\していると思って、そっと障子(しょうじ)を明けて見たのは、春見の娘おいさで、唐土手(もろこしで)の八丈(はちじょう)の着物に繻子(しゅす)の帯を締め、髪は文金(ぶんきん)の高髷(たかまげ)にふさ/\と結(ゆ)いまして、人品(じんぴん)の好(よ)い、成程八百石取った家のお嬢様のようでございます。今障子を開けて、心付かず話の様子を聞くと、清水助右衞門の忰(せがれ)だから驚きましたのは、七年前(あと)自分のお父(とっ)さんが此の人のお父(とっ)さんを殺し、三千円の金を取り、それから取付いて此様(こんな)に立派な身代になりましたが、此の重二郎はそれらの為に斯(か)くまでに零落(おちぶ)れたか、可愛(かわい)そうにと、娘気(むすめぎ)に可哀(かあい)そうと云うのも可愛(かわい)そうと云うので、矢張(やはり)惚(ほ)れたのも同じことでございます。
い「あの利助や」
利「へい/\、出ちゃいけませんよ、/\」
い「あのお父(とっ)さんは奥においでなさるから其の方(かた)にお逢わせ申しな」
利「お留守だと云いましたよ、いけませんよ」
い「そんな事を云っちゃアいけないよ、お前は姿(なり)のいゝ人を見るとへい/\云って、姿の悪い人を見ると蔑(さげす)んでいけないよ、此の間も立派な人が来たから飛出して往って土下座したって、そうしたら菊五郎(きくごろう)が洋服を着て来たのだってさ」
利「どうも仕方がないなア、此方(こちら)へお入(はい)り」
 と通しまして直(すぐ)に奥へまいり、
利「えゝ旦那様、見苦しいものが参って旦那様にお目にかゝりたいと申しますから、お留守だと申しましたところが、お嬢さまがお逢わせ申せ/\と仰(おっ)しゃいまして困りました」
丈「居ると云ったら仕方がないから通せ」
利「此方へお入り」
重「はい/\」
 と怖々(こわ/″\)上(あが)って縁側伝いに参りまして、居間へ通って見ますと、一間(いっけん)は床の間、一方(かた/\)は地袋(じぶくろ)で其の下に煎茶(せんちゃ)の器械が乗って、桐の胴丸(どうまる)の小判形(こばんがた)の火鉢に利休形(りきゅうがた)の鉄瓶(てつびん)が掛って、古渡(こわたり)の錫(すゞ)の真鍮象眼(しんちゅうぞうがん)の茶托(ちゃたく)に、古染付(ふるそめつけ)の結構な茶碗が五人前ありまして、朱泥(しゅでい)の急須(きゅうす)に今茶を入れて呑もうと云うので、南部の万筋(まんすじ)の小袖(こそで)に白縮緬(しろちりめん)の兵子帯(へこおび)を締め、本八反(ほんはったん)の書生羽織(しょせいばおり)で、純子(どんす)の座蒲団(ざぶとん)の上に坐って、金無垢(きんむく)の煙管(きせる)で煙草を吸っている春見は今年四十五歳で、人品(じんぴん)の好(い)い男でございます。只(と)見ると重二郎だから恟(びっく)りしましたが、横着者でございますから
丈「さア/\此方(こちら)へ」
重「誠に暫(しばら)く御機嫌宜しゅう」
丈「はい/\、誠に久しく逢いません、私も此方(こちら)へ転居して暫く前橋へも往(ゆ)きませんが、お変りはないかね、お父(とっ)さんは七年前(あと)帰らんと云って尋ねて来た事があったが、お帰りに成ったかね」
重「其の後(ご)いまだに帰りませんし便(たよ)りもありませんで、死んだか生きて居るか分りません、御存じの通り三千円の金を持って出て、それも田地(でんじ)や土蔵を抵当に入れて才覚したものでござりやんすから、貸方(かしかた)から喧(やか)ましく云われ、抵当物は取られ、お母(ふくろ)と両人(ふたり)で手振編笠(てぶりあみがさ)で仕方がねえから、千住(せんじ)へまいって小商(こあきな)いを始めましたが、お母が長々(なが/\)の眼病で、とうとう眼がつぶれ、生計(くらし)に困り、無心を云う所も無(ね)えで、仕方なく亀島町の裏屋ずまいで、私(わし)は車を挽(ひ)き、姉は手内職をして居りましたが、段々寒くなるし、車を引いても雨降り風間(かざま)には仕事がなく、実に翌日にも差迫(さしせま)る身の上に成りまして、何うしようと思っていた処、春見様が此方(こっち)においでなさるという事が知れましたから、願ったら出来ようかと思って姉と相談の上で出ましたが、親子三人助かりますから、どうかお恵みなすって下さいまし」
 と泣きながらの物語に春見も気の毒千万な事に思い、せめては百円か二百円恵んで遣(や)ろうかと思ったが、いや/\※(なまじ)いに恵み立てをすると、彼(あ)の様な見苦しい者に多くの金を恵むのは変だという所から、其の筋の耳になって、七(しち)ヶ年前(ねんぜん)の事が顕(あら)われては遁(のが)れ難(がた)き我(わが)身の上ゆえ、寧(いっ)そ荒々しく云って帰した方が宜(よろ)しかろうと思いまして、
丈「重二郎さん、誠に気の毒だが貸す事は出来ない、そう云う事を云って歩いても貸す人はないよ、難儀をするものは世間には多人数(たにんず)あって、僕は交際も広いから一々恵み尽(つく)されません、そうして故(ゆえ)なく人に恵みをすべきものでもなく、又故なく貰うべきものでもなく、其の儀は奉公人にも言い付けてあることで、誠に気の毒だが出来ません、お前も血気な若い身分でありながら、車を挽(ひ)いてるようではならん、当節は何をしても立派に喰える世の中だのに、人の家に来て銭(ぜに)を貰うとは余り智慧(ちえ)のないことだお前はお坊さん育ちで何も知るまいが、人が落目(おちめ)になった所を※(なまじ)いに助ければ、助けた人も共に倒れるようになるもので、たとえば車に荷を積んで九段のような坂を引いて上(あが)って力に及ばんで段々下へ落(おち)る時、只(たっ)た一人でそれを押えて止めようとすると、其の人も共に落ちて来て怪我をするようになるから、それよりも下(くだ)り掛った時は構わないで打棄(うっちゃ)って置いて其の車が爼橋(まないたばし)まで下ってから、一旦(いったん)空車(からぐるま)にして、後(あと)で少しばかりの荷を付けて上げた方が宜(よろ)しいようなもので、今※(なまじ)いに恵むものがあってはお前のためにならん、人の身は餓死するようにならんければ奮発する事は出来ない、それでなければお前の為にならん」
重「誠にお恥かしい事でございますが、一昨々日(さきおとつい)から姉も私(わし)もお飯(まんま)を喫(た)べません、お粥(かゆ)ばかり喫べて居ります、病人の母が心配しますから、お飯があるふりをしては母に喫べさせ、姉も私も芋を買って来て、お母(ふくろ)が喫べて余ったお粥の中へ入れ、それを喫べて三日以来(このかた)辛抱して居りましたが、明日(あす)しようがねえ、何うしたら宜(よ)かろうかと思って、此方(こちら)へ出ました訳でございますから、若(も)しお恵みが出来なければ、私だけ此方(こちら)の家(うち)へ無給金で使って呉れゝば私一人(いちにん)の口が減るから、そうすれば姉が助かります、どうか昔馴染(むかしなじみ)だと思って」
丈「これ/\昔馴染とは何(なん)の事だ、屋敷にいる時は手前の親を引立(ひきた)ってやった事はあるが、恩を受けたことは少しもない、それを昔馴染などとは以(もって)の外(ほか)のことだ、一切(いっせつ)出来ません、奉公人も多人数(たにんず)居って多過ぎるから減(へら)そうと思っているところだから、奉公に置く事も出来ません帰えって下さい、此の開明の世の中に、腹の減るまでうか/\として居るとは愚を極(きわ)めた事じゃねえか、それに商業繁多(はんた)でお前と長く話をしている事は出来ない、帰って下さい」
 と云い捨て、桑の煙草盆を持って立上り、隔(へだて)の襖(ふすま)を開けて素気(そっけ)なく出て往(ゆ)きます春見の姿を見送って、重二郎は思わず声を出して、ワッとばかりに泣き倒れまして、
重「はい、帰ります/\、貴方(あんた)も元は御重役様であった時分には、私(わし)が親父(おやじ)は度々(たび/\)お引立(ひきたて)になったから、貴方を私が家(うち)へ呼んで御馳走をしたり、立派な進物も遣(つか)った事がありますから、少しばかりの事を恵んでも、此の大(でけ)え身代(しんでい)に障(さわ)る事もありますまい、人の難儀を救わねえのが開化の習(なら)いでございますか、私は旧弊の田舎者で存じませぬ、もう再び此の家(うち)へはまいりません只今貴方の仰(おっ)しゃった事は、仮令(たとえ)死んでも忘れません、左様なら」
 と泣々(なく/\)ずっと起(た)って来ますと、先刻(せんこく)から此の様子を聞いていまして、気の毒になったか、娘のおいさ[#「おいさ」は底本では「おさい」と誤記]が紙へ三円包んで持ってまいり、
い「もし重二郎さん、お腹も立ちましょうが、お父(とっ)さんは彼(あ)の通りの強情者でございますから、どうかお腹をお立ちなさらないで下さいまし、これは私(わたくし)の心ばかりでございますが、お母(っか)さんに何か暖(あった)かい物でも買って上げて下さい」
重「いゝえ戴きません、人は恵む者がある内は、奮発の附かないものだと仰(おっ)しゃった事は死んでも忘れません」
い「あれさ、そんな事を云わないでこれは私(わたし)の心ばかりでございますから、どうかお取り下さい」
 と無理に手へ掴(つか)ませてくれても、重二郎は貰うまいと思ったが、これを貰わなければ明日(あした)からお母(ふくろ)に食べさせるのに困るから、泣々(なく/\)貰いまして、あゝ親父(おやじ)と違って、此の娘は慈悲のある者だと思って、おいさの顔を見ると、おいさも涙ぐんで重二郎を見る目に寄せる秋の波、春の色も面(おもて)に出(い)でゝ、真(しん)に優しい男振りだと思うも、末に結ばれる縁でございますか。
い「どうかお母(っか)さんに宜(よろ)しく、お身体をお大切になさいまし」
 と云って見送る。重二郎も振返り/\出て往(ゆ)きました。其の跡へ入って来たのは怪しい姿(なり)で、猫の腸(ひゃくひろ)のような三尺(さんじゃく)を締め、紋羽(もんぱ)の頭巾(ずきん)を被(かぶ)ったまゝ、
男「春見君は此方(こちら)かえ/\」
利「はい、何方(どなた)ですえ」
男「井生森又作という者、七(しち)ヶ年(ねん)前(ぜん)に他県へ参って身を隠して居たが、今度東京へ出て参ったから、春見君に御面会いたしたいと心得て参ったのだ、取次いでおくんなせえ」
利「生憎(あいにく)主人は留守でございますから、どうか明日(みょうにち)お出(い)でを願いとうございます」
又「いや貧乏暇なしで、明日(みょうにち)明後日(みょうごにち)という訳にはいかないから、お気の毒だがお留守なら御帰宅までお待ち申そう」
利「これは不都合な申分(もうしぶん)です、知らん方を家(うち)へ上げる訳にはゆきません、主人に聞かんうちは上げられません」
又「何(なん)だ僕を怪しいものと見て、主人に聞かんうちは上げられないと云うのか、これ僕が春見のところへまいって、一年や半年寝ていて食って居ても差支(さしつか)えない訳があるのだ、一体手前(てめえ)妙な面(つら)だ、半間(はんま)な面だなア、面が半間だから云う事まで半間だア」
利「おや/\失敬な事を云うぜ」
又「さア手前(てめえ)じゃア分らねえ、直(す)ぐに主人に逢おう」
利「いけません、いけません」
又「いけんとは何(なん)だ、通さんと云えば踏毀(ふみこわ)しても通るぞ」
利「そんな事をすると巡査を呼んで来ますよ」
又「呼んで来い/\、主人に逢(あお)うと云うのだ、何を悪い事をした、手前(てめえ)の知った事じゃアねえ」
 と云いながら又作が無法に暴れながら、ずッと奥へ通りますと、八畳の座敷に座布団の上に坐り、白縮緬(しろちりめん)の襟巻(えりまき)をいたし、咬(くわ)え烟管(ぎせる)をして居ります春見丈助利秋の向(むこう)へ憶(おく)しもせずピッタリと坐り、
又「誠に暫(しばら)く、一別已来(いちべついらい)御壮健で大悦至極(たいえつしごく)」
丈「これさ誰(たれ)か取次をせんか、ずか/\と無闇に入って来て驚きましたわな」
又「なにさ、僕が斯様(かよう)な不体裁(ふていさい)な姿(なり)でまいったゆえ、君の所の雇人奴(やといにんめ)が大(おお)きに驚き、銭貰いかと思い、怪(け)しからん失敬な取扱いをしたが、それはまア宜(よろ)しいが、君はまア図(はか)らざる所へ御転住(ごてんじゅう)で」
丈「いや実にどうも暫(しばら)くであった、どうしたかと思っていたが、七(しち)ヶ年(ねん)以来(このかた)何(なん)の音信(おとずれ)もないから様子が頓(とん)と分らんで心配して居ったのよ」
又「さア僕も此の頃帰京いたしお話は種々(いろ/\)ありますが、何しろ雇人の耳に入っては宜しくないから、久々だから何処(どこ)かで一杯やりながら緩々(ゆる/\)とお話がしたいね」
丈「此方(こっち)でも聞きてえ事もあるから、有合物(ありあいもの)で一盞(いっぱい)やろう」
 と六畳の小間(こま)へ這入(はい)り、差向い、
丈「此処(こゝ)は滅多に奉公人も来ないから、少しぐらい大きな声を出しても聞(きこ)えることじゃアねえ、話は種々(いろ/\)あるが、七年前旅荷にして持出(もちだ)した死骸は何うした」
又「それに就(つい)て種々(いろ/\)話があるが、彼(あ)の時死骸を荷足船(にたりぶね)で積出(つみだ)し、深川の扇橋から猿田船(やえんだぶね)へ移し、上乗(うわのり)をして古河の船渡(ふなと)へ上(あが)り、人力車へ乗せて佐野まで往って仕事を仕ようとすると、其の車夫は以前長脇差の果(はて)で、死人(しびと)が日数(ひかず)が経(た)って腐ったのを嗅(か)ぎ附け、何(な)んでも死人に相違ないと強請(ゆすり)がましい事を云い、三十両よこせと云うから、止(やむ)を得ず金を渡し、死人を沼辺(ぬまべり)へ下(おろ)して火葬にして沼の中へ投(ほう)り込んでしまったから、浮上(うきあが)っても真黒(まっくろ)っけだから、知れる気遣(きづか)いないが、彼(か)の様子を知った車夫、生かして置いてはお互いの身の上と、罪ではあるが隙(すき)を窺(うかゞ)い、沼の中へ突き落(おと)し、這(は)い上(あが)ろうとする所を人力車(くるま)の簀葢(すぶた)を取って額を打据(うちす)え、殺して置いて、其の儘(まゝ)にドロンと其処(そこ)を立退(たちの)き、長野県へ往ってほとぼりの冷(さめ)るのを待ち、石川県へ往ったが、懐に金があるから何もせず、見てえ所は見、喰いてえ物は喰い、可なり放蕩(ほうとう)も遣(や)った所が、追々(おい/\)金が乏(とぼ)しくなって来たから、商法でも仕ようと思い、坂府(さかふ)へ来た所、坂府は知っての通り芸子(げいこ)舞子(まいこ)は美人揃(ぞろ)い、やさしくって待遇(もてなし)が宜(い)いから、君から貰った三百円の金はちゃ/\ふうちゃに遣(つか)い果(はた)して仕方なく、知らん所へ何時(いつ)まで居るよりも東京へ帰ったら、又どうかなろうと思い、早々(そう/\)東京へ来て、坂本二丁目の知己(しるべ)の許(もと)に同居していたが、君の住所は知れずよ、永くべん/\として居るのも気の毒だから、つい先々月亀島町の裏長屋を借り請(う)け、今じゃア毎夜鍋焼饂飩(なべやきうどん)を売歩(うりある)く貧窮然(ひんきゅうぜん)たる身の上だが、つい鼻の先の川口町に君が是(こ)れだけの構いをして居るとは知らなかったが、今日はからず標札を見て入って来たのだが、大(たい)した身代になって誠に恐悦(きょうえつ)」
丈「あれからぐっと運が向き、為(す)る事なす事間(ま)がよく、是まで苦もなく仕上げたが、見掛けは立派でも内幕は皆機繰(からくり)だから、これが本当の見掛倒しだ」
又「金は無いたって、あるたって、表構(おもてがま)えで是だけにやってるのだから大(たい)したものだねえ、時に暫(しばら)く無心を云わなかったが、どうか君百円ばかりちょっと直(すぐ)に貸して呉れ給え、斯(こ)うやって何時(いつ)まで鍋焼饂飩も売っては居(お)られんじゃないか、これから君が後立(うしろだ)てになり、何か商法の工夫をして、宜(よ)かろうと思うものを立派に開店して、奉公人でも使うような商人にして下せえな」
丈「商人にして呉れろって、君には三百円という金を与えたのに、残らず遣(つか)ってしまい、帰って来て困るから資本(もとで)を呉れろとは、負(おぶ)えば抱かろうと云うようなもので、それじア誠に無理じゃアないか」
又「なにが、無理だと、何処(どこ)が無理だえ」
丈「そんなに大きな声をしなくても宜(よろ)しいじゃねえか」
又「君が是だけの構(かまえ)をして居(い)るに、僕が鍋焼饂飩を売って歩き、成程金を遣(つか)ったから困るのは自業自得とは云うものゝ、君が斯(こ)うなった元はと云えば、清水助右衞門を殺し、三千円の金を取り、其の中(うち)僕は三百円しか頂戴せんじゃねえか、だから千や二千の資本(しほん)を貸して、僕の後立(うしろだて)になっても君が腹の立つ事は少しもあるめえ」
丈「如何(いか)にも貸しも仕ようが、見掛ばかりで手元には少しも金はねえから、其の内君の宅へ届けようか」
又「届けるって九尺弐間(くしゃくにけん)の棟割長屋(むねわりながや)へ君の御尊来(ごそんらい)は恐入るから、僕が貰いに来ても宜(よろ)しい」
丈「そんな姿(なり)で度々(たび/\)宅へ来られては奉公人の手前もあるじゃねえか」
又「さア当金(とうきん)百円貸して、後金(あときん)千円位の資本を借りてもよかろう」
丈「それじゃア貸しても遣(や)ろうが、何時迄(いつまで)もぐず/″\しても居(い)られめえから、何か商法を開(ひら)き、悪い事を止(や)めて女房(にょうぼ)でも持たんければいかんぜ、早く身を定めなさい、時に助右衞門を殺して旅荷に拵(こしら)えた時、三千円の預り証書を君が懐へ入れて、他県へ持って往ったのだろうな」
又「どうも怪(け)しからん嫌疑(けんぎ)を受けるものだねえ」
丈「いや、とぼけてもいけねえ、彼(あ)の事は君より他(ほか)に知ってる者はないのに、後(あと)で捜してもねえからよ、彼(あ)の[#「彼」は底本では「後」]証書が人の手に入れば君も僕も身の上に係わる事だぜ」
又「それは心得てるよ、僕も同意してやった事だから、露(あら)われた日にゃ同罪さア」
丈「隠してもいけねえよ」
又「隠しはしねえ、僕が真実(ほんと)に預り証書を持って居ても、これを証(しょう)にして訴える訳にはいかん、三百円貰ったのが過(あやま)りだから仕方がねえ、役に立たぬ証書じゃねえか」
丈「君が若(も)し彼(あ)の証書を所持して居(い)るなら千円やるから僕にそれを呉れたまえよ」
又「ねえと云うのに、僕の懐に若(も)し其の証書があれば、千や二千の破れ札(さつ)を欲しがって来(き)やアしねえ、助右衞門は僕が殺したのではねえ、君が殺したのだから、君が重罪で僕も同類だけれど、其の証書をもって自訴(じそ)すれば僕の処分は軽い、君と僕と遣(や)りっこにすればそうだから、証書があれば否応(いやおう)なしに五六千円の金を出さなければなるめえ、又預り証書があれば御息女のおいささんを女房(にょうぼ)に貰うか、入婿(いりむこ)にでもなって幅を利(き)かされても仕方がねえ身の上じゃねえか、貸したまえ、今千円の札(さつ)を持って帰っても、これ切り参りませんという銭貰いじゃアねえ、金が有れば遣(つか)ってしまい、なくなれば又借りに来る、是(こ)れだけの金主(きんしゅ)を見附けたのだから僕の命のあらん限(かぎり)は君は僕を見捨(みすて)ることは出来めえぜ」
丈「明後日(あさって)は晦日(みそか)で少し金の入る目的(めあて)があるから、人に知れんような所で渡してえが、旨い工夫はあるまいか」
又「それは訳(わきゃ)アねえ、僕が鍋焼饂飩を売ってる場所は、毎晩高橋(たかばし)際(ぎわ)へ荷を降(おろ)して、鍋焼饂飩と怒鳴(どな)って居るから、君が饂飩を喰う客の積(つも)りで、そっと話をすれば知れる気遣(きづかい)はあるめえ」
丈「そんなら遅くも夜の十二時頃までには往(ゆ)くから、十一時頃から待ってゝくれ」
又「百円は其の時屹度(きっと)だよ、千円もいゝかね」
丈「千円の方は遅くも来月中旬までには相違なく算段するよ、これだけの構(かまえ)をしていても金のある道理はない、七ヶ年の間皆遣(や)り繰(く)りでやって来たのだからよ」
又「じゃア飯を喰って帰(けえ)ろう」
 とずう/\しい奴で、種々(いろ/\)馳走になり、横柄(おうへい)な顔をして帰りました故、奉公人は皆不思議がって居りました。これから助右衞門の女房(にょうぼう)や忰(せがれ)が難儀を致しますお話に移りますのでございますが、鳥渡(ちょっと)一息吐(つ)きまして申上げます。

     四

 春見丈助は清水助右衞門を殺し、奪取(うばいと)った三千円の金から身代を仕出し、大(たい)したものになりましたのに引替え、助右衞門の忰(せがれ)重二郎は人力を挽(ひ)いて漸々(よう/\)其の日/\を送る身の上となりましたから、昔馴染(むかしなじみ)の誼(よし)みもあると春見の所へ無心に参れば、打って変った愛想(あいそ)づかし、実に悪(にく)むべきは丈助にて、それには引替え、娘おいさの慈悲深く恵んでくれた三円で重二郎は借金の目鼻を附け、どうやら斯うやら晦日(みそか)まで凌(しの)ぎを附けると、晦日には借金取が来るもので、お客様方にはお覚えはございますまいが、我々どもの貧乏社会には目まぐらしい程まいります。
米屋「はい御免よ、誠に御無沙汰をしました、時にねえ余り延々(のび/\)に成りますから、今日は是非お払いを願いたいものだ」
まき「誠にお気の毒さまで、毎度おみ足を運ばせて済みませんが、御存じの通り母が眼病でございまして、弟(おとゝ)も車を挽(ひ)いて稼ぎますが」
米「おい/\お母(っか)さんが眼病で、弟御(おとうとご)が車を挽く事はお前さんが番毎(ばんごと)云いなさるから、耳に胼胝(たこ)のいる程だが、姉(ねい)さんまアお母さんはあゝやって眼病で煩(わずら)ってるし、兄(にい)さんは軟弱(かぼそ)い身体で車を挽いてるから気の毒だと思い、猶予(ゆうよ)をして盆の払いが此の暮まで延々(のび/\)になって来たのだが、来月はもう押詰(おしつま)り月(づき)ではありませんか、私も商売だから貸すもいゝが、これじゃア困るじゃアないか、私は人が好(い)いから、お前方も顔向けが出来まいと察して来ないのだが、私が米を売らなけりゃお前さん喰わずに居ますかえ、それもこれだけ払うから後(あと)の米を貸して下さいと云えば、随分貸してもやろうが、間(ま)が悪いと云って外(ほか)の米屋で買うとは何(なん)の事だえ、勧解(かんかい)へでも持出さなければならない、勘定をしなさい」
ま「それでは誠に困ります」
重「あの姉さん少しお待ちなさい、貴方(あんた)の方のお払いは何程(なにほど)溜(たま)って居りやすか」
米「えゝ二円五十銭でございます」
重「此処(こゝ)に一円二十銭ありやんすが、これをお持ちなすってお帰(けえ)んなすって、あとの米を又少しの間拝借が出来ますならば、命から二番目の大事な金でございやすが、これを上げますから、あとの米を壱円(いちえん)べい送って戴きていもんでござりやす」
米「壱円弐拾銭あるのか、篦棒(べらぼう)らしい、商売だからお払いさえ下されば米は送ります」
 と金を※(あらた)め請取(うけとり)を置いて出て往(ゆ)きますと、摺違(すれちが)って損料屋(そんりょうや)が入ってまいりました。
ま「おや、又」
損「なんです、おや又とは」
ま「いえ、あの能(よ)くいらっしゃいましたと申したのでございます」
損「嘘を云いなさんな、今米屋が帰った跡へ直(すぐ)に私が催促(さいそく)に来たから、おや又と云ったのだろう、借金取を見ておや又とは甚(はなは)だ失敬だ、私も困りますから返して下さい、料銭(りょうせん)を払わないと止(や)むを得ないから蒲団を持って往(ゆ)くよ」
ま「でも此の通り寒くなって母が困りますから、最(も)う少々貸して置いて下さいまし」
損「其方(そっち)も困るだろうが私も困らアね、引続いて長い間留(と)めて置き、蒲団は汚(よご)し料銭は少しも払わず、何(ど)うにも斯(こ)うにも仕方がないから、私(わたしゃ)ア蒲団を持って往(ゆ)きますよ」
ま「何卒(どうぞ)御勘弁を願います」
損「勘弁は出来ません」
 と云いながら、ずか/\と慈悲容赦(なさけようしゃ)も荒々しく、二枚折(にまいおり)の反故張屏風(ほごばりびょうぶ)を開け、母の掛けて居りまする四布蒲団(よのぶとん)を取りにかゝりますから、
重「何をなさる、被(き)て居(い)るものを取ればまるで追剥(おいはぎ)ですなア」
損「これ何をいうのだ、私の物を私が持って往(ゆ)くのに追剥という事があるものか、料銭が溜(たま)ったから蒲団を持って往くのが追剥ぎか」
重「誠に相済みません、何卒(どうぞ)御勘弁を」
 と云っているのを、同じ長屋にいるお虎(とら)という婆さんが見兼(みかね)て出てまいり、
虎「まアお待ちなさいな、斯(こ)うやってお母(っか)さんが眼が悪く、兄(にい)さんが一生懸命に人力を挽(ひ)いて稼いでも歯代(はだい)がたまって困ると云うくらいだから、料銭の払えないのは尤(もっと)もな話だのに、可愛(かわい)そうに病人が被(き)ているものを剥(は)いで往(ゆ)くとは余(あんま)り慈悲(なさけ)ないじゃないか」
損「お虎さん、お前さんは知らないのだが、蒲団を貸して二ヶ月料銭を払わないから、損料代が四円八十銭溜って居りますよ」
重「へい、そんなになりますかえ」
損「なりますとも、一晩(ひとばん)四布(よの)が五銭に、三布布団(みのぶとん)が三銭、〆(しめ)八銭、三八(さんぱ)二円四十銭(しじっせん)が二ヶ月で四円八十銭に成りますわねえ」
虎「高いねえ、こんな穢(きたな)い布団でかえ」
損「穢い布団じゃアなかったのだが、段々此の人達が被古(きふる)して汚(よご)したので、前は新しかったのです」
虎「成程御尤(ごもっと)もですが、其処(そこ)がお話合(はなしあい)で、私も斯(こ)うやって仲へ入り、口を利いたもんだから三円だけ立替(たてか)えて上げたら、お前さん此の布団を貸してやって下さるかえ、此の汚れたのは持って帰って小綺麗(こぎれい)なのと取替えて持って来て貸して下さるか」
損「それは料銭さえ払って下されば貸して上げますともさ」
虎「それじゃア持合(もちあわ)せていますから私が立替えて上げるが、端銭(はした)はまけて置いておくれな、明日(あした)一円上げますからさ」
損「宜(よ)うございます、八十銭の損だが、お虎さんにめんじて負けて置きましょう、そんならさっぱりとしたのと取替えて来ます、左様なら」
虎「屹度(きっと)持って来ておくれ、左様なら」
 と損料屋の後姿(うしろすがた)を見送って、おまきに向い、
虎「まアおまきさん御覧よ、酷(ひど)い奴じゃないか、彼奴(あいつ)はもと番太郎で、焼芋(やきいも)を売ってたが、そのお前芋が筋が多くて薄く切って、そうして高いけれども数が余計にあるもんだから、子供が喜んで買うのが売出しの始めで、夏は金魚を売ったり心太(ところてん)を売ったりして、無茶苦茶に稼いで、堅いもんだから夜廻りの拍子木(ひょうしぎ)も彼(あ)の人は鐘をボオンと撞(つ)くと、拍子木をチョンと撃つというので、ボンチョン番太と綽名(あだな)をされ、差配人(さはいにん)さんに可愛(かわい)がられ、金を貯(た)めて家(うち)を持ち、損料と小金(こがね)を貸して居るが、尻(けつ)の穴が狭くて仕様のない奴だよ」
ま「叔母(おば)さんがお出(い)でなさらないと私(わたくし)はどう仕ようかと思いました、毎度種々(いろ/\)御贔屓(ごひいき)になりまして有り難うございます」
虎「時にねえまアちゃんや、私(わたし)ゃ悪い事は云わないから、此間(こないだ)話した私の主人同様の地主様で、金貸(かねかし)で、少し年は取っていますが、厭(い)やなのを勤めるのが、そこが勤めだから、厭(いや)でも応(うん)と云って旦那の云うことを聞けば、お母(っか)さんにも旨い物を食べさせ、好(い)いものを着せられ、お前も芝居へも往(ゆ)かれるから、私の金主(きんしゅ)で大事の人だから、彼(あ)の人の云うことを応(うん)と聞いて囲者(かこいもの)におなりよ」
ま「有り難う存じますが、なんぼ零落(おちぶ)れましても、まさかそんな事は出来ません」
虎「まさかそんな事とは何(なん)だえ、それじゃアどう有っても否(いや)かえ」
ま「私(わたくし)も元は清水と申して、上州前橋で御用達(ごようたし)をいたしました者の娘、如何(いか)に零落(おちぶ)れ裏店(うらだな)に入っていましても、人に身を任せて売淫(じごく)同様な真似をして、お金を取るのは、母もさせる事ではありませんし、私も死んでも否(いや)だと思って居ります」
虎「はい、お立派でございますねえ、御用達のお嬢さんだから喰わずに居ても淫売(じごく)同様な真似はしないと、よく御覧、近辺の小商(あきな)いでもして、可なりに暮して居るものでも、小綺麗(こきれい)な娘があれば皆(みん)な旦那取りをして居るよ、私なんぞも若い時分には旦那が十一人あったが、まだ足りなくって小浮気(こうわき)もしたことがあった位だから、お前だって大事のお母(っか)さんに孝行したいと思うならばねえ」
ま「誠に有り難う存じますが、そればかりはお断り申します」
虎「否(いや)なら無理にお願い申しませんよ、それじゃア私の金主(きんしゅ)の八木(やぎ)さんから拝借した三円のお金を、今損料屋が来てお母(っか)さんの被(き)ている蒲団を引剥(ひっぱ)ぎにかゝったから、お気の毒だと思い、立替えたが、今の三円は直(す)ぐ返して下さいな、さアお前が応(うん)とさえ云えば又旦那に話の仕様もあるが、否(いや)だと云い切っては何も気を揉(も)んで昨今のお前さんに金を貸す訳はないから返して下さい」
ま「お金がないのを見かけ、無理に立替えて返せと仰(おっ)しゃっても致方(いたしかた)がございません」
虎「そんな不理窟(ふりくつ)を云ったっていけないよ、損料屋が蒲団を持っていったら此の寒いのに病人を裸体(はだか)で置くつもりかえ、さっさと返して下さいな」
重「小母(おば)さんお待ちなすって下さい、姉(あね)さまが人さまの妾にはならないと云うのも御尤(ごもっと)もな次第、と云って貴方(あんた)に返す金はありやせんから、何卒(どうぞ)私(わし)を其の旦那の処で、姉の代りに使って下さいますめえか」
虎「おふざけでないよ、お前さんがいくら器量が好(よ)くても、今は男色(かげま)はお廃(はい)しだよ」
重「いゝえ左様ではございませぬ、どのような御用でもいたしやすから願いやす」
婆「これサ、旦那の処で一月(ひとつき)働いたって三円の立前(たちまい)は有りゃアしねえ[#「しねえ」は底本では「しえね」と誤記]、一日弐拾銭出せば力のある人が雇えるから、お前さんなぞを使うものかねえ、返して下さいよ」
 と云って中々聞き入れません。此の婆(ばゞあ)は元は深川の泥水育ちのあば摺(ず)れもので、頭の真中(まんなか)が河童の皿のように禿(は)げて、附け髷(まげ)をして居ますから、お辞儀をすると時々髷が落ちまする、頑丈(がんじょう)な婆さんですから、金がなけりゃ此れを持って往(ゆ)くと云いながら、彼(か)の損料蒲団へ手を掛けようとすると、屏風の中(うち)から母が這(は)い出して。
母「御尤(ごもっと)もでございますが、私の宅(うち)の娘は年は二十五にもなり、体格(なり)も大きいけれども、是迄屋敷奉公をして居りやしたから、世間の事を知らねえ娘で、中々人さまの妾になって旦那さまの機嫌気づまを取れる訳でもございやせん、と申して、お借り申した三円のお金は返さねえでは済みませんが、金はなし、損料布団を取られては私が誠に困りますから」
 と云いながら手探(てさぐ)りにて取出したのは黒塗(くろぬり)の小さい厨子(ずし)で、お虎の前へ置き。
母「これは私(わし)が良人(おやじ)の形見でございまして、七ヶ年前(あと)出た切(ぎ)り行方(ゆくえ)が知れませんが、大方死んだろうと考えていますから、良人の出た日を命日として此の観音さまへ線香を上げ、心持(こゝろもち)ばかりの追善供養(ついぜんくよう)を致しやして、良人に命があらば、何卒(どうぞ)帰って親子四人(よったり)顔が合わしていと、無理な願掛(がんが)けをして居りやんした、此の観音さまは上手(じょうず)な彫物師(ほりものし)が国へ来た時、良人が注文して彫らせた観音さまで金無垢(きんむく)でがんすから、潰(つぶ)しにしても大(えら)く金になると、良人も云えば人さまも云いやすが、金才覚(かねさいかく)の出来るまで三円の抵当(かた)に此の観音さまをお厨子(ずし)ぐるみ預かって、どうか勘弁して下さいやし」
ま「お母(っか)さん、とんでもない事を仰(おっ)しゃる、それを上げて済みますか、命から二番目の大切な品では有りませんか」
母「えゝ命から次の大事なものでも拠(よんどころ)ない、斯(こ)ういう切迫詰(せっぱつま)りになって、人の手に観音様が入ってしまうのは、親子三人神仏(かみほとけ)にも見離されたと諦めて、お上げ申さなければ話が落着(おちつ)かねえではないか、あゝ早く死にてい、私(わし)が死ねば二人の子供も助かるべいと思うが、因果と眼も癒(なお)らず、死ぬ事も出来ましねえ、お察しなすっておくんなさい」
 と泣き倒れまする。
虎「誠にお気の毒ですねえ、おや大層まア立派な観音さま、何(なん)だか知りませんが、まア/\金の抵当(かた)に預って置きましょう、成程丈(たけ)も一寸八分(いっすんはちぶ)もありましょう、これなれば五円や十円のものはあろう」
 と云いながら艶消(つやけ)しの厨子(ずし)へ入ったまゝ懐へ入れて帰りました。お虎婆(ばゞあ)は夜(よ)に入(い)って楽(たのし)みに寝酒を呑んでいます所へ入って来たのは、鉄砲洲新湊町(てっぽうずしんみなとちょう)に居りまする江戸屋(えどや)の清次(せいじ)という屋根屋の棟梁(とうりょう)で、年は三十六で、色の浅黒い口元の締った小さい眼だが、ギョロリッとして怜悧相(りこうそう)で垢脱(あかぬ)けた小意気(こいき)な男でございます。形(なり)は結城(ゆうき)の藍微塵(あいみじん)に唐桟(とうざん)の西川縞(にしかわじま)の半纒(はんてん)に、八丈の通(とお)し襟(えり)の掛ったのを着て門口(かどぐち)に立ち。
清「お母(っか)ア宅(うち)か、お虎宅かえ」
虎「誰だえ、おや棟梁さんか、お上(あが)んなさい」
清「滅法(めっぽう)寒くなったのう、相変らず酒か」
虎「棟梁さんは毎(いつ)も懐手(ふところで)で好(い)い身の上だねえ」
清「己(おれ)は遊人(あそびにん)じゃアねえよ、此の節は前とは違って請負(うけおい)仕事もまご/\すると損をするのだ、むずかしい世の中になったのよ」
虎「棟梁さんは今盛りで、好(い)い男で、独(ひと)り置くのは惜しいねえ、姉(あね)さんの死んだのは歳年(いくねん)に成りましたっけねえ」
清「もう五年に成るがお母(っか)アが最(も)う些(ちっ)と若ければ女房(にょうぼ)に貰うんだがのう」
虎「調子の宜(い)いことを云ってるよ」
清「女房(にょうぼ)で思い出したが、此の長屋の親孝行な娘は好(い)い器量だなア」
虎「あれは本当にいゝ娘だよ」
清「顔ばかりじゃねえ、何処(どこ)から何処まで申分(もうしぶん)がねえ女だが、あれを女房(にょうぼ)に貰いていが礼はするが骨を折って見てくれめえか、そうすれば親も弟も皆(みんな)引取っても宜(い)いが、どうだろう」
虎「いけないよ、年は二十五だが、男の味を知らないで、応(うん)とさえ云えば、立派な旦那が附いて、三十円遣(や)るというのに、まさか囲者(かこいもの)には成らないと云うのだよ、何ういう訳だか、本当に馬鹿気(ばかげ)ているよ」
清「いくら苦しくても其の方が本当だ、其のまさか[#「まさか」に傍点]と云う処が此方(こっち)の望みだ」
虎「外(ほか)の好(い)い少女(すもる)を呼んで遊んでおいでな、あんなものを□□[#底本2字伏字]て寝ても石仏(いしぼとけ)を□□[#底本2字伏字]て寝るようなもので、些(ちっ)とも面白くもなんともないよ」
清「己(おれ)はそれが望みだ、あの焼穴(やけあな)だらけの前掛けに、結玉(むすびったま)だらけの細帯で、かんぼ窶(やつ)して居るが、それで宜(い)いのだから本当にいゝのだ」
虎「棟梁は余程(よっぽど)惚(ほ)れたねえ、だが仕方がないよ」
清「己も沢山(たんと)は出せねえが、只(たっ)た一度で十円出すぜ」
虎「え、十円……鼻の先に福がぶら下(さが)ってるに、三円の金に困ってるとは、本当に馬鹿な女だ」
 と話している所へおまきが門口へ立ちまして、
ま「伯母(おば)さん、御免なさい」
虎「はい、どなたえ」
ま「あのまきでございますが」
 という声を聞き。
虎「おい棟梁、一件が来たよ、隣のまアちゃんが来たってばさア」
清「なに来たア極(きま)りが悪(わり)いなア」
虎「はい、只今明けますよ、棟梁さん早く二階へ上(あが)っておいでよ、はい今明けますよ、棟梁さん早く二階へ上ってお出(い)でよ[#「お出(い)でよ」は底本では「お出(い)よ」と誤記]…はい今明けますよ…私が様子を宜(よ)くして、あの子を欺(だま)して二階へ上げるから、お前さんが彼(あ)の娘の得心するように旨く調子よく、そこは棟梁さんだから万一(ひょっと)して岡惚れしないものでもないよ、はい只今明けますよ…あの道は又乙(おつ)なものだから…はいよ、今明けますよ…あの子の頸玉(くびたま)へ□□[#底本2字伏字]り附いて無理に□[#底本1字伏字]いておしまいよ…今明けますよ…早く二階へお上(あが)り」
 と云われ、清次は煙草盆を手に提(さ)げ二階へ上るのを見て、婆(ばゞあ)は土間へ下(お)り、上総戸(かずさど)を明け。
虎「さアお入り、まアちゃん先刻(さっき)は悪い事をいって堪忍(かんにん)しておくれよ、詰らねえ事を催促(さいそく)して、何(なん)だかお母(っか)さんの大事なものだって…お厨子入(ずしい)りの仏さまを本当に持って来なければ宜(よ)かったと思っていたが、私もつい酔った紛(まぎ)れでした事だが、堪忍しておくれよ、まア宜く来たねえ」
ま「はい、先程は折角御親切に云って下さいましたのに、承知致しませんでお腹立(はらだち)もございましょうが、まさか母や弟(おとゝ)の居ります前で結構な事でございますから、何卒(どうぞ)妾にお世話を願いますとは伯母さん、申されませんでしたが、実に今年の暮も往(ゆ)き立ちませんで、何かと母も心配して居りますから、私の様(よう)な者でも一晩お相手をして些(ちっ)とでもお金を下されば、母の為と思いまして、どの様(よう)にも御機嫌を取りましょうから、貴方(あなた)宜(よ)いお方をお世話なすって、先程母のお預け申した観音様のお厨子を返しては下さいませんか」
 と云われ、お虎はほく/\悦(よろこ)び。
虎「何かい、お前は彼(あ)のお母(っか)さんの為に…どうも感心、宜(よ)くまア本当に孝行だよ、仕方がないから諦めたのだろうが、否(いや)なお爺さんでは私も無理にとも云い難(にく)いが、鉄砲洲の屋根屋の棟梁で、江戸屋の清次さんという粋(いき)な女惚れのする人が、お前の親孝行で、心掛(こゝろがけ)が宜く、器量も好(い)いから、己(おら)アほんとうに女房(にょうぼ)に貰いたいと云ってるんだが、只(たっ)た一晩でお金を五円あげるとさ、私(わたし)ゃア誰にも云わないよ、丁度今二階に棟梁が来て居るから往って御覧、好(よ)い男だよ」
ま「それでは其のお方様に私が身を任せれば、お金を五円下さいますか、そうすれば其の内三円お返し申しますからどうか観音様を返して下さいまし」
虎「それは直(すぐ)にお厨子はお返し申しますがね、そんなら少し待っておいで」
 と婆(ばゞあ)はみし/\と二階へ上(あが)ってまいりまして。
虎「棟梁、フヽフン、彼(あ)の子も苦し紛(まぎ)れに往生して、親の為になる事なら旦那を取ろうと得心をしたよ、ちょいと今あの子も切迫詰(せっぱつま)り、明日(あす)に困る事があるのだが、拾円のお金を遣(や)っておくれな」
清「それは遣るよ」
虎「彼(あ)の子の云うには、私もねえ元は立派な御用達(ごようたし)の娘でございますから、淫売(じごく)をしたと云われては世間へ極(きま)りが悪いから、惚合(ほれあ)って逢ったようにして、□[#底本1字伏字]寝をされた事は世間へ知れない様にして下さいと云うから其の積りで、そうして棟梁も拾円遣(や)ったなんぞ[#「なんぞ」は底本では「なぞん」と誤記]と云うと、彼の娘は人が好(い)いから真赤(まっか)になって、金を置いて駆出(かけだ)すから、金の事は何も云っちゃアいけないよ、今あの子を連れて来るから、お金を拾円お出しよ」
清「さア持って往(ゆ)きねえ、したが昔ならお大名へお妾に上げて、支度金(したくきん)の二百両と三百両下がる器量を持って、我々の自由になるとは可愛(かあい)そうだなア」
虎「それじゃアあの子が二階へ上(あが)ったら私は外(はず)してお湯に往(ゆ)くよ、先刻(さっき)往ったがもう一遍往(ゆ)くよ、早くしておくれでないといけねえよ」
 と梯子(はしご)を降(お)りながら拾円の中(うち)を五円は自分の懐へ入れてしまい、おまきに向い、
虎「今棟梁に話した所がねえ、大(たい)そうに悦(よろこ)んで、己(おれ)も仕手方(してかた)を使い、棟梁とも云われる身の上で淫売(じごく)を買ったと云われては、外聞(げいぶん)が悪いから、相対(あいたい)同様にしてえと云って、お金を五円おくれたからお前もお金の事を云っちゃアいけねえよ、安っぽくなるから、宜(い)いかえ」
ま「伯母さん誠に有り難うございます」
虎「黙って沢山(たんと)貰った積りでおいでよ、人が来るといけないから早く二階へお上(あが)りよ」
ま「何卒(どうぞ)観音様のお厨子を…はい有り難うございます、拝借のお金はこれへ置きます、伯母さん何処(どこ)へいらっしゃいます」
虎「早くお上り」
 と無理に娘おまきを二階へ押上げお虎は戸を締めて其の儘(まゝ)表へ出て参りました。おまきは間(ま)がわるいから清次の方へお尻をむけて、もじ/\しています。清次も間が悪いが声をかけ、
清「姉(ねえ)さん、此方(こっち)へお出(い)でなさい、何(なん)だか極(きま)りが悪いなア、姉さんそう間を悪がって逃げてゝはいけねえ、実はねえ、私(わっち)アお前さんを慰(なぐさ)みものに仕ようと云ったのではない、お母(っか)さんが得心すれば嫁に貰っても宜(い)いんだが、女房(にょうぼ)になってくれる気はねえかえ」
 と云われて、おまきは両手を附き、首を垂(た)れ、
ま「私(わたくし)も親父(おやじ)が家出を致して、いまだに帰りませんから、親父が帰った上、母とも相談致さなければ亭主は持たない身の上でございますから、そんな事はいけません、傍(そば)へお出(い)でなすってはいけませんよ」
清「なんだなア、いけませんでは困るじゃないか、冗談云っちゃアいけねえぜ」
ま「誠に棟梁さん相済みませんが、下の伯母さんに三円お金の借(かり)がございまして、そのお金の抵当(かた)に、身に取りまして大事な観音様をお厨子(ずし)ぐるみに取られ、母は眼病でございまして、其の観音様を信じ、又親父が遺(のこ)してまいりました遺物(かたみ)同様の大事な品でございますから、是を取られては神仏(かみほとけ)にも見離されたかと申して泣き倒れて居りまして、余(あんま)り泣きましては又眼にも身体にもさわろうかと存じまして、子の身として何うも見ては居(お)られませんから、実は旦那を取りますからお厨子を返して下さいと伯母さんには済みませんが嘘をつき、五円戴(いたゞ)いた内で、三円伯母さんにお返し申し、お厨子を返して貰いましたから、弐円の金子は棟梁さんにお返し申しますから、あと三円のところは、何卒(どうぞ)お慈悲に親子三人不憫(ふびん)と思召(おぼしめ)し、来年の正月までお貸しなすって下さる訳には参りますまいか、申し何うぞお願いでございます」
清「えゝ、それは誠にお気の毒だ、お前の云うことを聞いて胸が一杯になった、三円の金に困って、お父(とっ)さんの遺物(かたみ)の守りを婆さんに取られ、旦那取(だんなどり)をすると云わなければお母(っか)さんが歎(なげ)くと云って、正直に二円返すから、あとの三円は貸して呉れろと、そう云われては貸さずには居(い)られない、色気も恋も醒(さ)めてしまった、余(あんま)り実地過(じっちすぎ)るが、それじゃア婆(ばゞあ)が最(も)う五円くすねたな、太(ふて)え奴だなア、それはいゝが、その大事な観音様と云うのはどんな観音様だえ、お見せ」
ま「はい、親父(おやじ)の繁昌(はんじょう)の時分に彫(ほ)らせたものでございます」
 と云いながら差出す。
清「結構なお厨子だ、艶消(つやけ)しで鍍金金物(めっきがなもの)の大(たい)したものだ」
 と開(ひら)いて見れば、金無垢(きんむく)の観音の立像(りつぞう)でございます。裏を返して見れば、天民(てんみん)謹(つゝし)んで刻(こく)すとあり、厨子の裏に朱漆(しゅうるし)にて清水助右衞門と記(しる)して有りますを見て、清次は小首を傾け。
清「此の観音さまは見た事があるが、慥(たし)か持主(もちぬし)は上州前橋の清水という御用達(ごようたし)で、助右衞門様のであったが、何うしてこれがお前の手に入(はい)ったえ」
ま「はい、私(わたくし)は其の清水助右衞門の娘でございます」
 と云われ清次は大(おお)いに驚きましたが、此の者は何者でございますか、次に委(くわ)しく申上げましょう。

     五

 家根屋(やねや)の棟梁清次は、おまきが清水助右衞門の娘だと申しましたに恟(びっく)りいたしまして、
清「えゝ、清水のお嬢様(じょうさん)ですか、これはまアどうも面目次第もねえ」
 とおど/\しながら、
清「まア、お嬢様(じょうさま)、おまえさんはお少(ちい)さい時分でありましたから、顔も忘れてしまいましたが、今年で丁度十四年前(あと)、私(わっち)が前橋にくすぶっていた時、清水の旦那には一通(ひととお)りならねえ御恩を戴いた事がありましたが、あれだけの御身代のお娘子(むすめご)が、何(ど)うして裏長家(うらながや)へ入っていらっしゃいます、その眼の悪いのはお内儀(かみさん)でございやすか」
ま「はい/\七年以来(このかた)微禄(びろく)しまして、此様(こん)な裏長屋に入りまして、身上(しんしょう)の事や何かに心配して居りますのも、七年前(まえ)に父が東京へ買出しに出ましたぎり、今だに帰りませず、音も沙汰もございません故、母は案じて泣いて計(ばか)り居りましたのが、眼病の原(もと)で、昨年から段々重くなり、此の頃はばったり見えなくなりましたから、弟(おとゝ)と私(わたくし)と内職を致して稼ぎましても勝手が知れませんから、何をしても損ばかりいたし、お恥かしい事でございますが、お米さえも買う事が出来ません所から、お金の抵当(ていとう)に此処(こゝ)の伯母さんに此の観音様を取られましたから、母は神仏(かみほとけ)にも見離されたかと申して泣き続けて居りますから、どうか母の気を休めようと思い、旦那を取ると申しまして、実は伯母さんから観音様を取返したのでございます」
清「どうも誠にどうも思いがけねえ事で、水の流れと人の行末(ゆくすえ)とは申しますが、あれ程な御大家(ごたいけ)が其様(そんな)にお成りなさろうとは思わなかった、お父様(とっさま)は七年前(あと)国を出て、へいどうも、何しろお母(っか)さんにお目にかゝり、委(くわ)しいお話も伺(うかゞ)いますが、私(わっち)は家根屋の清次と云って、お母さんは御存じでございやすが、此様(こん)な三尺に広袖(ひろそで)ではきまりが悪いから、明日(あした)でも参ってお目にかゝりましょう」
ま「いゝえ、母は目が見えませんから知れません、お馴染(なじみ)ならば母に逢って、どうぞ力になって下さいまし」
清「そんなら一緒に参りましょう、とんでもねえ話だが、此処(こゝ)の婆(ばゞア)がお前さんに金を拾円上げましたかえ」
ま「いゝえ、五円戴きました、三円お金の借りを返しまして弐円残って居りますから、あなたへ弐円お返し申したのでございます」
清「太(ふて)え婆だ十円取って五円くすねたのだ仕様のねえ狡猾婆(こうかつばゞあ)だ、そんなら御一緒にお前さんの家(うち)へ行(ゆ)きましょう」
 とこれから二人連立って外へ出ると、一軒置いて隣は清水重二郎の家(うち)でございます。
ま「お母(っか)さん只今帰りました」
母「何処(どこ)へ往ったのだえ」
ま「はい桂庵(けいあん)のお虎さんの所へ参りました」
 と云いながら清次に向い。
ま「あなた、此方(こちら)へお入り遊ばしまし」
清「えい御免なせえ」
 と上(あが)って見ると、九尺二間(くしゃくにけん)の棟割長屋(むねわりながや)ゆえ、戸棚もなく、傍(かたえ)の方へ襤褸夜具(ぼろやぐ)を積み上げ、此方(こちら)に建ってあります二枚折(にまいおり)の屏風(びょうぶ)は、破れて取れた蝶番(ちょうつがい)の所を紙捻(かんぜより)で結びてありますから、前(まい)へも後(うしろ)へも廻る重宝(ちょうほう)な屏風で、反古張(ほごばり)の行灯(あんどん)の傍(そば)に火鉢(ひばち)を置き、土の五徳(ごとく)に蓋(ふた)の後家(ごけ)になって撮(つまみ)の取れている土瓶(どびん)をかけ、番茶だか湯だかぐら/\煮立って居りまして、重二郎というおとなしい弟(おとゝ)が母の看病をして居ります。
清「えゝ、お母(ふくろ)さん/\」
母「はい、何方(どなた)でがんすか」
ま「あの此の方はお虎さんの家(うち)に来ていらっしゃった家根屋の棟梁さんで、お母(っか)さんを知っていらっしゃいまして、何うしてこんな姿におなりだお気の毒な事だと云って、見舞に来て下すった、前橋にいた時分のお馴染(なじみ)だという事でございます」
母「はい、私(わし)は眼がわるくなりやんして、お顔を見ることも出来ませんが、何方(どなた)でございましたか」
清「えゝ、お内室(かみ)さんあんたはまアどうして此様(こんな)にお成りなさいました、十四年前(あと)お宅で御厄介になりやした家根屋の清次でございやす」
母「おゝ、清次か、おゝ/\まアどうもまア、思いがけない懐かしい事だなア、此様(こんな)に零落(おちぶれ)やしたよ、恥かしくって合(あわ)す顔はございやせんよ」
清「えゝ御尤(ごもっとも)でございやす、あれだけの御身代が東京へ来て、裏家住(うらやずま)いをなさろうとは夢にも私(わっち)は存じやせんでした、お嬢様も少(ちい)さかったから私も気が付かなかったが、観音様のお厨子に旦那のお名前があって分りましたが、承われば旦那には七年前(あと)お国を出たぎり帰らないとの事、とんだ訳でございやす、忘れもしやせん、私が道楽をして江戸を喰詰(くいつ)め前橋へまいって居(お)って、棟梁の処から弁当を提(さ)げて、あなたの処へ仕事に往った時、私(わっち)アあのくらいな土庇(どびし)はねえと、いまだに眼に附いています、椹(さわら)の十二枚八分足(はちぶあし)で、大(たい)したものだ、いまだに貴方(あなた)のお暮しの話をして居りますが、あの時私(わっち)ア道楽の罰(ばち)で瘡(かさ)をかいて、医者も見放し、棟梁の処に雑用が滞(たま)り、薬代(やくだい)も払えず、何うしたらよかろうと思ってると、旦那が手前(てめえ)の病気は薬や医者では治らねえから、是(こ)れから直(すぐ)に湯治(とうじ)に往(ゆ)け、己(おれ)が二十両遣(や)ると仰(おっ)しゃってお金を下すった、其の時分の弐拾両はたいしたものだ、其の金を貰って草津へ往(ゆ)き、すっかり湯治をして帰りに沢渡(さわたり)へ廻り、身体を洗って帰(けえ)って来た時、旦那が、清次、手前(てめえ)の病気の治るように此の観音様を信心して遣(や)ったから拝めと、お前様(まえさん)もそう云って他人の私を子か何かのように親切にして下さいやして、誠に有難いと思い、其の時の御恩は死んでも忘れやせん、私(わっちゃ)アこれから東京へ帰(けえ)ったが、此の時節に成りやしたから大阪へ往ったり、又少(ちっ)とばかり知る者があって長崎の方へ往って、くすぶって居て、存じながら手紙も上げず、御無沙汰をしやしたが、漸々(よう/\)此方(こっち)へ帰(けえ)り、今では鉄砲洲の新湊町に居り、棟梁の端くれをいたし、仕手方(してかた)を使う身分に成りましたから、前橋の方へ御機嫌伺いにまいりましょうと思って居りやす所へ、嬉しい一生懸命で拝んだ観音様だから忘れは仕ません、その観音様から清水様のお嬢さんという事が分り、誠に不思議な事でございます、大(たい)した事も出来ませんが、是から先は及ばずながら力になります心持(こゝろもち)でございます、気を落してはいけません、確(しっ)かりしておいでなさい、旦那は七年前(あと)東京へお出でなされ、お帰りのないのに捜しもしなさらないのかね」
母「はい、能(よ)くまア恩を忘れず尋ねておくんなさいました、今まで情(なさけ)を掛けた者はあっても、此方(こっち)が落目(おちめ)になれば尋ねる者は有りませんが貴方(あんた)も知ってる通り、段々世の中が変って来て、お屋敷がなくなったから御用がない所から、止(よ)せばえゝに、種々(いろ/\)はア旦那どんも手を出したが皆(みん)な損ばかりして、段々身代(しんでい)を悪くしたんだア、するともう一旗揚げねえばなんねえと云って、田地(でんじ)も家(いえ)も蔵も抵当とやらにして三千円の金を借り、其の金を持って唐物屋(とうぶつや)とか洋物屋(ようぶつや)とかを始めると云って横浜から東京へ買(け)え出しに出たんだよ、ところが他に馴染(なじみ)の宿屋がねえと云って、春見丈助様は前橋様(めえばしさま)の御重役で、神田の佐久間町へ宿屋を出したと云うから、其処(そこ)に泊っていて買(け)え出しをすると云って、家(うち)を出たぎり帰(けえ)らず、余(あんま)り案じられて堪(たま)んねえから、重二郎を捜しにやった所が、此方(こっち)へ来た事は来たが、直(す)ぐ横浜へ往ったが、未(まア)だ帰(けえ)らねえかと云われ、忰(せがれ)も驚いて帰(けえ)り、手分(てわけ)をして諸方を捜したが、一向に知れず、七年以来(このかた)手紙も来(こ)ねえからひょっと船でも顛覆(ひっくりか)えって海の中へ陥没(ぶちはま)ってしまったか、又は沢山金を持って居りやしたから、泥坊に金を奪(と)られたのではないかと、出た日を命日と思っていたが、抵当に入れた田地家蔵(でんじいえくら)は人に取られ、身代限りをして江戸へ来ても馴染がねえから、何をしても損をしたんだよ、貧乏の苦労をするせいか、とうとう終(しまい)に眼は潰(つぶ)れ、孝行な子供二人に苦労を掛けやんす、清次どん力になって、どうぞ子供等(ら)二人を可愛(かわい)がっておくんなさいよ」
 と涙ながらに物語りましたから、清次も貰い泣きをして。
清「へい/\それはまアお気の毒な訳で、及ばずながら、何の様(よう)にもお世話を致しますが、私(わっち)も貧乏で有りやすから大(たい)した事も出来ますめえが、あなた方三人ぐれい喰わせるのに心配は有りません」
 と云いながら、おまきに向い。
清「お嬢さん、此処(こゝ)にいらっしゃるのは御子息様でございやすか、始めてお目にかゝります」
重「私(わし)は重二郎と申しやす不調法(ぶちょうほう)ものですが、どうか何分宜しく願います」
清「へい/\及ばずながらお世話致しましょう、私(わっち)はもう帰(けえ)りやす、沢山(たんと)の持合(もちあわ)せはございませんが此処(こゝ)に金が十円有りますから、置いてまいります、お足しには成りますめえが、又四五日の内に手間料が取れると持って来ます」
重「これはどうも戴いては済みません」
 と推返(おしかえ)すを又押戻(おしもど)して。
清「あれさ取って置いて下せえ、七年前(あと)に出た旦那が帰(けえ)らねえのは不思議な訳だが、其処(そこ)へ泊って買出しをすると云った、春見屋という宿屋が怪しいと思いますが、過去(すぎさ)った事だから仕方がない、早く私(わっち)が知ったらば、調べ方も有ったろうに、えゝ仕様がねえ、何しろ私は外(ほか)に用がありますから、又近(ちか)え内にお尋ね申しやす、時節を待っておいでなさい」
母「茶はないがお湯でも上げて、何(なん)ぞ菓子でも上げてえもんだが、貧乏世帯(びんぼうじょたい)だから仕方がない、どうか又四五日内にお出(い)でなすって下さい」
清「又良(い)いお医者様が有ったらばお世話致します、お構いなすって下さいますな」
 と云いながら立上るから、誠に有難うございますと娘と忰は見送ります。
清「左様なら」
 と清次は表へ出て、誠にお気の毒だと、真実者ゆえ心配しながら、鉄砲洲新湊町へ帰ろうと思いますと、ちらり/\雪の花が降り出しまして、往来はぱったりと途絶え、夜(よ)も余程更けて居ります。川口町から只今の高橋の袂(たもと)へかゝりますと、穿(は)いて居りました下駄(げた)を、がくりと踏みかえす途端に横鼻緒(よこばなお)が緩(ゆる)みました。
清「あゝ痛(いて)え/\、下駄を横に顛覆(ひっくりけえ)すと滅法界(めっぽうけえ)痛(いた)えもんだ、これだこれじゃア穿(は)く事が出来ねえ」
 と独語(ひとりごと)を云いながら、腰を掛(かけ)るものがないから、河岸(かし)に並んで居ります、蔵の差(さし)かけの下で、横鼻緒をたって居りますと、ぴゅーと吹掛けて来る雪風(ゆきかぜ)に、肌が裂(き)れるばかり、慄(ふる)いあがる折(おり)から、橋の袂(たもと)でぱた/\/\と団扇(うちわ)の音が致しまして、皺枯(しわが)れ声で
商「鍋焼饂飩(なべやきうどん)」
 と呼んで居ります所へ、ぽかり/\と駒下駄(こまげた)穿(は)いて来る者は、立派な男で装(なり)は臘虎(らっこ)の耳つきの帽子を冠(かぶ)り、白縮緬(しろちりめん)の襟巻(えりまき)を致し、藍微塵(あいみじん)の南部の小袖(こそで)に、黒羅紗(くろらしゃ)の羽織を着て、ぱっち尻からげ、表附きの駒下駄穿き、どうも鍋焼饂飩などを喰いそうな装(なり)では有りませんが、ずっと饂飩屋の傍(そば)へ寄り。
男「饂飩屋さん一杯おくれ」
饂「へい只今上げます」
 と云いながら顔を見合わせ、
饂「え是は」
男「大(おお)きに待遠(まちどお)だったろうな、もっと早く出ようと心得たが、何分(なにぶん)出入(でいり)が多人数(たにんず)で、奉公人の手前もあって出る事は出来なかった」
饂「待つのは長いもので、おまけに橋の袂(たもと)だから慄(ふる)え上(あが)るようで、拳骨(げんこつ)で水鼻(みずッぱな)を摩(こす)って今まで待っていたが、雪催(ゆきもよお)しだから大方来なかろう、そうしたら明日(あした)は君の宅(うち)へ往(ゆ)く積りだった」
男「此間(こないだ)君が己(おれ)の宅(うち)へ、まア鍋焼饂飩屋の姿で、ずか/\入って来たから、奉公人も驚き、僕も困ったじゃアないか」
又「何(なん)で困る、君は今川口町四十八番地へあの位な構えをして、其の上春見と人にも知られるような身代になりながら、僕は斯様(こん)な不体裁(ふていさい)だ、身装(みなり)が出来るくらいなら君の処へ無心には往(ゆ)かんが、実は身の置処(おきどころ)がなくって饂飩屋になった又作だ、こゝで千円の資本(もとで)を借り、何か商法に取附(とりつ)くのだ、君も又貸したって、宜(よろ)しいじゃアねえか」
丈「それも宜(い)いが、郵便を遣(よこ)すにも態(わざ)と鍋焼饂飩屋又作と書かれては困るじゃねえか」
又「そうしなければ君が出て来(こ)ねえからだ、若(も)し来なければ態(わざ)と何本も/\郵便を遣(や)る積りだ、まア宜(い)いじゃねえか、あれだけの構(かめ)えで、千円ぐらい貸しても宜い訳だ、元は一つ屋敷に居り、君は大禄(たいろく)を取り、僕は小身(しょうしん)もの、御維新(ごいっしん)の後(のち)、君は弁才があって誠しやかに斯(こ)ういう商法を遣(や)れば盛大に成ろうと云うから、僕が命の綱の金を君に預けた所、商法は外(はず)れ、困ってる所へ三千円の金を持って出て来た清水助右衞門を打殺(ぶちころ)し……」
丈「おい/\静かにしたまえ」
又「だから云やアしないから千円の金を貸したまえと斯(こ)う云うのだ」
丈「それが有るから斯うやって金を貸す方(ほう)で、足手(あして)を運んで、雪の降るのに態々(わざ/\)橋の袂(たもと)まで来たのだから、本当に宜(い)い金貸(かねかし)をもって仕合(しあわせ)ではないか」
又「僕も金箱(かねばこ)と思ってるよ、じたばたすれば巡査が聞付けて来るように態(わざ)と大きな声をするぞ、事が破れりゃア同罪だ」
丈「静かに/\、生憎(あいにく)今日は晦日(みそか)で金円(きんえん)が入用(いりよう)で、纒(まと)まった金は出来んが、此処(こゝ)へ五十円持って来たから、是だけ請取(うけと)って置いてくれ、残金(あときん)は来月五日の晩には遅くも十二時までに相違なく君の宅(たく)まで持って往(ゆ)くから待って居てくれたまえ」
又「だから百円だけ持って来てくれというに、刻(きざ)むなア、五十円ばかりの破れ札(さつ)だが、受取って置こう、そんなら来月五日の晩の十二時までに、宜(よろ)しい心得た、千円だぜ」
丈「千円の所は遣(や)るめえもんでもないが、君、助右衞門を殺した時三千円の預り証書を着服したろうから、あれを返して呉れなければいかんぜ」
又「そんなものは有りゃアしねえが、又君が軽く金を持って来て、此の外(ほか)に百円か二百円遣(や)るからと云えば、預り証書も出めえもんでもねえから、五日の晩には待ち受けるぜ」
丈「もう宅(うち)へ帰るか」
又「五十円の金が入(へい)ったから、直(すぐ)に帰ろう、えゝ寒かった、一緒に往(ゆ)こう」
丈「君は大きな声で呶鳴(どな)るから困るじゃアないか、僕は先へ往(ゆ)くよ」
又「どうせ彼方(あっち)へ帰るんだ、一緒に往(ゆ)こう」
 と鍋焼饂飩と立派な男と連れ立って往(ゆ)きます。此方(こなた)に最前(さいぜん)から図(はか)らず立聞きを致しております清次は驚きました。最も細かい事は小声ですから能(よ)くは分りませんが、清水助右衞門を殺した時に三千円を、という事を慥(たし)かに聞いて、さては三千円の金を持って出た清水の旦那を殺した悪人は、彼等(かれら)二人(ににん)に相違ない、何処(どこ)へ行(ゆ)くかと、見え隠(がく)れに跡を附けてまいりますと、一人(ひとり)は川口町四十八番地の店蔵(みせぐら)で、六間間口(ろっけんまぐち)の立派な構(かまえ)の横町(よこちょう)の方にある内玄関(ないげんかん)の所を、ほと/\と叩くと、内から開(ひら)きを明け、奉公人が出迎えて中へ入る。饂飩屋は亀島橋を渡って、二丁目三十番地の裏長屋へ入るから、窃(そっ)と尾(つ)いて往(ゆ)くと、六軒目の長屋の前へ荷を下(おろ)して、がちりっと上総戸(かずさど)を明けて入るから、清次は心の内で、此奴(こいつ)此処(こゝ)に住んでるのか、不思議な事もあるものだ、清水重二郎様のお宅(たく)は此処から丁度四軒目(しけんめ)で、一つ長屋に敵同志(かたきどうし)が住んで居ながら、是(こ)れでは知れない筈(はず)だ、よし/\五日の晩には見現(みあら)わして、三千円の金を取返して、清水の旦那の仇(あだ)を復(かえ)さずに置くものか、と切歯(はぎしり)をしながら其の夜(よ)は帰宅致しまして、十二月五日の夜(よ)明店(あきだな)に忍んで井生森又作の様子を探(さぐ)り、旧悪(きゅうあく)を見顕(みあら)わすという所はちょっと一息(ひといき)つきまして、直(す)ぐに申上げます。

     六

 さて重二郎は母の眼病平癒(へいゆ)のために、暇さえあれば茅場町の薬師(やくし)へ参詣(さんけい)を致し、平常(ふだん)は細腕ながら人力車(じんりき)を挽(ひ)き、一生懸命に稼ぎ、僅(わず)かな銭(ぜに)を取って帰りますが、雨降り風間(かざま)にあぶれることも多い所から歯代(はだい)が溜(たま)りまして、どうも思うように往(ゆ)き立ちません所へ、清次から十円という纒(まと)まった金を恵まれましたので息を吹返し、まア/\これでお米を買うが宜(よろ)しいとか、店賃(たなちん)を納めたが宜(よ)かろうとか、寒いから質に入れてある布子(ぬのこ)を出して来たら宜かろうと、母子(おやこ)三人が旱魃(かんばつ)に雨を得たような、心持(こゝろもち)になり、久し振で汚れない布子を被(き)て、重二郎が茅場町の薬師へお礼参りにまいりました。丁度十二月の三日の夕方でございます。薬師様のお堂へまいり、柏手(かしわで)を打って頻(しき)りに母の眼病平癒を祈り、帰ろうといたしますと、地内(じない)に宮松(みやまつ)という茶屋があります。是(こ)れは棒の時々飛込むような、怪しい茶屋ではありません。其処(そこ)から出て来た女は年頃三十八九で色浅黒く、小肥(こぶと)りに肥(ふと)り、小ざっぱりとした装(なり)をいたし人品(じんぴん)のいゝ女で、ずか/\と重二郎の傍(そば)へ来て、
女「もし貴方(あなた)はあのなんでございますか、あの清水重二郎様と仰(おっ)しゃいますか」
重「はい私(わし)は清水重二郎でございますが、あなたは何処(どこ)のお方ですか」
女「あのお手間は取らせませんから、ちょっと此の二階までいらっしって下さいまし」
重「はい、なんでがんすか、私(わし)ア急ぎやすが、何処(どこ)のお方でがんすえ」
女「いえ、春見のお嬢様でございますが、一寸(ちょっと)お目にかゝりお詫(わ)び事(ごと)をしたいと仰しゃってゞすが、お手間は取らせませんから、ちょっと此の二階へお上(あが)んなさいましよ」
重「先達(さきだっ)ては御恵(おめぐ)みを受け、碌々(ろく/\)お礼も申上げやせんでしたが、今日は少々急ぎますから」
 と云いながら往(ゆ)きにかゝるを引き留め。
女「お急ぎでもございましょうが、まアいらっしゃいまし」
 と無理に手を取って、宮松の二階へ引上げました、重二郎も三円貰った恩義がありますから、礼を云おうと思ってまいりました。
女「此方(こちら)へお這入(はい)んなさいまし」
 と云われ重二郎は奥の小座敷へ這入ると、文金(ぶんきん)の高髷(たかまげ)に唐土手(もろこしで)の黄八丈(きはちじょう)の小袖(こそで)で、黒縮緬(くろちりめん)に小さい紋の付いた羽織を着た、人品(じんぴん)のいゝ拵(こしら)えで、美くしいと世間の評判娘、年は十八だが、世間知らずのうぶな娘が、恥かしそうにちょい/\と重二郎の顔を見ては下を俯(む)いて居まして、
いさ「此方(こちら)へお這入り遊ばしまし、どうぞ/\此方へ」
重「此間(こないだ)は私(わし)お宅(たく)へ出やした時、あなたが可愛相(かわいそう)だと云って金をお恵み下され、早速(さっそく)お返し申そうと思いましたが、いまだにお返(けえ)し申す時節がまいりません、どうか遅くも押詰(おしつま)りまでには御返金致します心持ちで、お礼にも出ませんでした」
い「此間(こないだ)は折角お出(い)で遊ばしましたが、父はあの通り無愛相(ぶあいそう)ものですからお前さんにお気の毒な、まア素気(そっけ)ない事を申しましたから嘸(さぞ)お腹が立ちましたろうと、実は蔭(かげ)でお案じ申して居りましたが、今日は貴方(あなた)が薬師様へお参りに入(いら)っしゃるという事を聞きましたから、兼(かね)と二人で、のう兼」
兼「本当でございますよ。お嬢様が貴方のことを案じて、何(ど)うかして何処(どこ)かでお目にかゝりたいもんだが、何うしたら宜(よ)かろうかといろ/\私にお聞きなさいますから、私も困りましたが、貴方のお宅の近所で聞いたら、貴方は間(ま)さえあれば薬師様へお参りにいらっしゃるとの事ゆえ、今日は貴方のお参りにいらっしゃるお姿をちらりと見ましたから、駈けて帰り、宅(うち)の方は宜(よ)いようにして、お嬢様と一緒に先刻から此処(こゝ)にまいって待って居りましたが、本当に宜くいらっしゃいました、嬢さまが頻(しき)りに心配なすっていらっしゃいますよ」
い「兼や、あの御膳(ごぜん)を」
 と云えば、おかねはまめまめしく。
兼「あなたお急ぎでございましょうが、嬢さまが一(ひ)と口(くち)上げて、御膳を上げたいと仰(おっ)しゃいますから」
重「私(わしゃ)アお飯(まんま)はいけません、お母(ふくろ)が待って居ますから直(す)ぐに帰(けえ)ります」
兼「なんでございますねえ、本当にお堅いねえ、嬢様が余程(よっぽど)なんしていらっしゃいますのに、貴方お何歳(いくつ)でいらっしゃいますえ」
重「私(わしゃ)ア二十三でございます」
か「本当に御孝行ですねえ、嬢様は貴方の事ばかり云っていらっしゃいますよ、そうして嬢様はひとさわがしいがや/\した事はお嫌いで、余所(よそ)の姉(ねえ)さん達のように俳優(やくしゃ)を大騒ぎやったりする事はお嫌いで、貴方の事ばかり云っていらっしゃいますから、本当に貴方、嬢様を可愛(かわい)そうだと思って、お参りにお出(い)でのたびに一寸(ちょっと)逢って上げて下さい、此方(こっち)でも首尾(しゅび)して待って居りますから、それも出来ずば、月に三度宛(ずつ)も嬢様に逢って上げてくださるように願います」
重「とんでもない事を仰しゃいます、お嬢様は御大家(ごたいけ)の婿取(むこと)り前の独(ひと)り娘、私(わしゃ)ア賤(いや)しい[#「賤しい」は底本では「践しい」と誤記]身の上、たとえ猥(いや)らしい事はないといっても、男女(なんにょ)七歳にして席を同じゅうせず、今差向(さしむか)いで話をして居(い)れば、世間で可笑(おか)しく思います、若(も)し新聞にでも出されては私ア宜(よ)うがんすが、あなたはお父様(とっさま)へ御不孝になりやんすから、そんな事の無い内に私ア帰(けえ)ります」
兼「あなた、お厭(い)やなら仕方がありませんが、嬢様何(なん)とか仰(おっ)しゃいな、何故(なぜ)此方(こっち)へお尻を向けていらっしゃいます、宅(うち)でばかり斯(こ)う云おう、あゝ云おうと仰しゃって本当に影弁慶(かげべんけい)ですよ、そうして人の前では何も云えないで、私(わたくし)にばかり代理を務(つと)めさせて、ほんとうに困りますじゃア有りませんか、ようお嬢様」
い「誠に申しにくいけれども、どうか御膳(ごぜん)だけ召上ってください、若(も)しお厭(い)やならばお母様(っかさま)はお加減が悪くていらっしゃるから、お肴(さかな)を除(の)けて置いて、あのお見舞に上げたいものだねえ」
兼「あなた召上らんでも、お帰りの時重箱は面倒だから、折詰(おりづめ)にでもして上げましょう、嬢様お話を遊ばせ、私は貴方(あなた)のお母(っか)さんのお眼の癒(なお)るよう、嬢様の願いの叶(かな)うように、一寸(ちょっと)薬師様へお代参(だいさん)をして、お百度を五十度ばかりあげて帰ってまいって、まだ早い様なれば、又五十度上げて来ます、直(す)ぐに往って来ます」
 と仲働(なかばたらき)のお兼が気をきかし、其の場を外(はず)して梯子(はしご)を降りる、跡には若い同士の差向(さしむか)い、心には一杯云いたい事はあるが、おぼこ気(き)の口に出し兼ね、もじ/\して居ましたがなに思いましたか、おいさは帯の間(あいだ)へ手を入れて取出す金包(かねづゝみ)を重二郎の前に置き。
い「重さん、これは誠にお恥かしゅうございまして、少しばかりでございますが、お母(っか)さまが長い間お眼が悪く、貴方(あなた)も御苦労をなさいますと承わりましたから、お足(た)しになるようにと思いますが、思うようにも行届(ゆきとゞ)きませんが、これでどうぞ何かお母さんのお口に合った物でも買って上げて下さいまし、ほんの少しばかりでございますが、お見舞の印(しるし)にお持ちなすって下さいまし」
重「へい/\此間(こないだ)はまア三円戴き、それで大(おお)きに私(わし)も凌(しの)ぎを附けやしたが又こんなに沢山金を戴いては私済みやせんから、これを戴くのは此間の三円お返し申した上のことゝ致しましょう」
い「そんなことを仰しゃいますな、折角持って来たものですからどうか受けてください、お恥かしい事でございますが、私(わたくし)は貴方(あなた)を心底(しんそこ)思って居りまして済みません、あなたの方(ほう)では御迷惑でも、それは兼が宜(よ)く存じて居ります、此の間(あいだ)お別れ申した日から片時(かたとき)も貴方の事は忘れません」
 と云いながら指環(ゆびわ)を抜取りまして、重二郎の前へ置き。
い「これは詰らない指環でございますが、貴方(あなた)どうぞお嵌(は)めなすって、そうして貴方の指環を私(わたくし)にくださいまし、あなた若(も)し嵌めるのがお厭(い)やなら蔵(しま)って置いてくださいまし、私は何も知りませんが、西洋とかでは想った人の指環を持って居(お)れば、生涯其の人に逢う事がなくても亭主と思って暮すものだと申します、私はほんとうに貴方を良人(おっと)と思って居りますから、どうぞこれを嵌めてください」
 と恥かしい中から一生懸命に慄(ふる)えながら、重二郎の手へ指環を載せ、じっと手を握りましたが、此の手を握るのは誠に愛の深いもので、西洋では往来で交際の深い人に逢えば互(たがい)に手を握ります、追々(おい/\)開(ひら)けると口吸(こうきゅう)するようになると云いますが、是は些(ち)と汚(きたな)いように存じますが、そうなったら圓朝などはぺろ/\甞(な)めて歩こうと思って居ります。今おいさにじっと手を握られた時は、流石(さすが)に物堅き重二郎も木竹(きたけ)では有りませんから、心嬉しく、おいさの顔を見ますと、蕾(つぼみ)の花の今半(なか)ば開(ひら)かんとする処へ露(つゆ)を含んだ風情(ふぜい)で、見る影もなき重二郎をば是ほどまでに思ってくれるかと嬉しく思い、重二郎も又おいさの手をじっと握りながら、
重「おいさゝん、今仰(おっ)しゃった事がほんとうなら飛立(とびた)つ程嬉しいが、只今も申す通り、私(わし)は今じゃア零落(おちぶ)れて裏家住(うらやずま)いして、人力を挽(ひ)く賤(いや)しい身の上、お前さんは川口町であれだけの御身代のお嬢様釣合わぬは不縁の元、迚(とて)もお父(とっ)さんが得心して女房(にょうぼ)にくれる気遣(きづか)いもなければ、又私が母に話しても不釣合(ふつりあい)だから駄目だと云って叱られます、姉も堅いから承知しますめえ、と云って親の許さぬ事は出来ませんが、あなたそれ程まで思ってくださるならば、人は七転(ななころ)び八起(やお)きの譬(たとえ)で、運が向いて来て元の様(よう)になれんでも、切(せ)めて元の身代の半分にでも身上(しんしょう)が直ったらおいささん、お前と夫婦に成りましょう、私も女房を持たずに一生懸命に稼(かせ)ぎやすが、貴方(あなた)も亭主を持たずに待って居てください」
い「本当に嬉しゅうございます、私(わたくし)は一生奉公(いっしょうぼうこう)をしても時節を待ちますから、お身を大事に重二郎さん、あなた私を見捨てると聴きませんよ」
 と慄声(ふるえごえ)で申しましたが、嬉涙(うれしなみだ)に声塞(ふさが)り後(あと)は物をも云われず、さめ/″\とし襦袢(じゅばん)の袖で涙を拭いて居ります。想えば思わるゝで、重二郎も心嬉しく、せわ/\しながら。
重「私(わし)はもう帰(けえ)りますが、今の事を楽(たのし)みに時節の来るまで稼(かせ)ぎやすよ」
い「御身代の直るように私も神信心(かみしんじん)をして居ります、どうぞお母様(っかさま)にお目にはかゝりませんが、お大事になさるように宜(よ)く仰(おっ)しゃってくださいまし」
重「此の包(つゝみ)は折角の思召(おぼしめし)でございますから貰って往(ゆ)きます」
 と云っている処へお兼が帰ってまいり、
兼「もう明けても宜(よろ)しゅうございますか、お早ければ最(も)う一遍往ってまいります」
 と云いながら隔(へだて)の襖(ふすま)を明け、
兼「なんだかお堅い事ねえ、本当に嬢様は泣虫(なきむし)ですよ、お気が小さくっていらっしゃいますから、あなた不憫(ふびん)と思って時々逢って上げて下さいまし、あの最(も)うお帰りですか、又お参りにいらっしゃって、間(ま)さえあれば毎日でも首尾(しゅび)を見て此処(こゝ)にいますから、時々逢って上げて下さいよ、どうも素気(そっけ)ないことねえ、表は人が通りますから、裏からいらっしゃいまし、左様なら」
 と重二郎は宅(うち)へ帰りまして、母にも姉にも打明けて云われず、と云って問われた時には困りますから、其の指環を知れないように蔵(しま)う処はあるまいかと考え、よし/\と云いながら紙へくるんで腹帯(はらおび)の間(あいだ)へ挟(はさ)んで[#「挟んで」は底本では「狭んで」と誤記]、時節を待ち、真実なおいさと夫婦になろうと思うも道理、二十三の水の出花(でばな)であります。お話変って、十二月五日の日暮方(ひくれがた)、江戸屋の清次が重二郎の居ります裏長屋の一番奥の、小舞(こまい)かきの竹と申す者の宅(たく)へやってまいり、
清「竹、宅(うち)か」
竹「やア兄い、大(おお)きに御無沙汰をして、からどうも仕様がねえ、貧乏暇(ひま)なしで、聞いておくんねえ、此間(こねえだ)甚太(じんた)ッぽうがお前(めえ)さん世話アやかせやがってねえ、からどうも喧嘩(けんか)っ早(ぱえ)いもんだからねえ、尤(もっと)も金次(きんじ)の野郎が悪(わり)いんでございやさアねえ、湯屋(ゆうや)でもってからに金次の野郎が挨拶しずにぐんとしゃがむと、お前(めえ)さん甚太っぽーの頭へ尻を載(の)せたんでごぜいやす、そうすると甚太っぽーが怒って、下から突いたから前(めえ)へのめって湯を呑んだという騒ぎで、此の野郎と云うのが喧嘩のはじまりで、甚太っぽーの顳※(こめかみ)を金次が喰取(くいと)って酸(す)っぺいって吐出(はきだ)したのです、後(あと)で段々聞いて見ると梅干が貼(は)って有ったのだそうで、こりゃア酸(すっ)ぺいねえ」
清「詰らねえ事を云ってるな、少し頼みがあるが、襤褸(ぼろ)の蒲団(ふとん)と小さな火鉢(ひばち)へ炭団(たどん)を埋(い)けて貸してくれねえか、夫(それ)を人に知れねえ様に彼処(あすこ)の明店(あきだな)へ入れて置いてくれ」
竹「なんです、火でも放(つ)けるのかえ」
清「馬鹿ア云うなえ、火を放ける奴がある者か」
 小舞(こまい)かきの竹は勝手を知っていますから、明店(あきだな)の上総戸(かずさど)を明けて中へ這入(はい)り、菰(こも)を布(し)き、睾丸火鉢(きんたまひばち)を入れ、坐蒲団(ざぶとん)を布きましたから、其の上に清次は胡座(あぐら)をかき。
清「用があったら呼ぶから、もういゝや」
竹「時々茶でも持って来ようかねえ」
清「一生懸命の事だから来ちゃアいけねえ」
 と云われ、竹は其の儘(まゝ)そっと出て往(ゆ)く。隣りは又作の住(すま)いですが、未(ま)だ帰らん様子でございます、暫(しばら)くたつと、がら/\下駄を穿(は)いて帰って参り、がらりとがたつきまする雨戸を明けて上へあがり、擦附木(すりつけぎ)でランプへ火を点(とも)し、鍋焼饂飩(なべやきうどん)の荷の間から縁(へり)のとれかゝった広蓋(ひろぶた)を出し、其の上に思い付いて買って来た一升の酒に肴(さかな)を並べ、其の前に坐り、
又「何時(いつ)まで待っても来(こ)んなア」
 と手酌(てじゃく)で初める所を、清次はそっと煙管(きせる)の吸口(すいくち)で柱際(はしらぎわ)の壁の破れを突(つッ)つくと、穴が大きくなったから。破穴(やぶれあな)から覘(のぞ)いていますが、これを少しも知りませんで、又作はぐい飲み、猪口(ちょく)で五六杯あおり附け、追々酔(えい)が廻って来た様子で、旱魃(ひでり)の氷屋か貧乏人が無尽(むじん)でも取ったというようににやり/\と笑いながら、懐中から捲出(まきだ)したは、鼠色だか皮色だか訳の分らん胴巻様(どうまきよう)の三尺(さんじゃく)の中から、捻紙(こより)でぎり/\巻いてある屋根板様(やねいたよう)のものを取出し、捻紙を解き、中より書附(かきつけ)を出し、開(ひら)いてにやりと笑い、又元の通り畳んで、ぎり/\巻きながら、彼方(あちら)此方(こちら)へ眼を附けていますから、何をするかと清次は見ていると、饂飩粉(うどんこ)の入っています処の箱を持出し、饂飩粉の中へ其の書附様(かきつけよう)のものを隠し、蓋(ふた)を致しまして襤褸風呂敷(ぼろぶろしき)にて是を包み、独楽(こま)の紐(ひも)など継(つ)ぎ足した怪しい細引(ほそびき)で其の箱を梁(はり)へ吊(つる)し、紐の端(はし)を此方(こっち)の台所の上(あが)り口の柱へ縛り附け、仰(あお)ぬいて見たところ、屋根裏が燻(くすぶ)っていますから、箱の吊(つる)して有るのが知れませんから、先(ま)ずよしと云いながら、またぐび/\酒を呑んで居ます中(うち)に、追々夜(よ)が更(ふ)けてまいりますと、地主の家(うち)の時計がじゃ/\ちんちんと鳴るのは最早(もはや)十二時でございます。此の長家(ながや)は稼(かせ)ぎ人(にん)が多いゆえ、昼間の疲れで何処(どこ)も彼(か)もぐっすり寝入り、一際(ひときわ)寂(しん)といたしました。すると路地を入(は)いって、溝板(どぶいた)の上を抜け足で渡って来る駒下駄(こまげた)の音がして又作の前に立ち止り、小声で、
男「又作明けても宜(い)いか」
又「やア入りたまえ、速(すみや)かに明けたまえ、明くよ」
男「大きな声だなア」
 と云いながら、漸(ようや)く上総戸(かずさど)を明け、跡を締め。
男「締りを仕ようか」
又「別に締りはない、たゞ栓張棒(しんばりぼう)が有るばかりだが、泥坊の入る心配もない、此(かく)の如き体裁(ていさい)だが、どうだ」
男「随分穢(きたな)いなア[#底本では「穢(きた)いなア」]」
又「実に貧窮然(ひんきゅうぜん)たる有様(ありさま)だて」
男「大(おお)きに遅参(ちさん)したよ」
又「今日君が来なければ、些(ち)としょむずかしい[#「しょむずかしい」に傍点]事を云おうと思っていた」
春「大きな声だなア、隣へ聞えるぜ」
又「両隣は明店(あきだな)で、あとは皆稼(かせ)ぎ人(にん)ばかりだから、十時を打つと直(じ)きに寝るものばかりだから、安心してまア一杯遣(や)りたまえ、寒い時分だから」
春「さア約束の千円は君に渡すが、どうか此の金で取附(とりつ)いてどんな商法でも開(ひら)きなさい、共に力に成ろうから、何(なん)でも身体を働いて遣(や)らなくっちゃアいけんぜ[#底本では「いけんせ」と誤記]、君は怠惰者(なまけもの)だからいかん、運動にもなるから働きなさい、酒ばかり飲んでいてはいかんぜ、何でも身を粉(こ)に砕(くだ)いて取附かんではいかん」
又「それは素(もと)よりだ、何時(いつ)まで斯(こ)うやって鍋焼饂飩(なべやきうどん)を売ってゝも感心しないが、これでも些(ちっ)とは資本(もとで)が入(い)るねえ、古道具屋へ往って、黒い土の混炉(こんろ)が二つ、行平鍋(ゆきひらなべ)が六つ、泥の鍋さ、是は八丁堀の神谷通(かみやどお)りの角の瀬戸物屋で買うと廉(やす)いよ、四銭五厘ずつで六つ売りやす、それから中段(ちゅうだん)の箱の中へ菜を※(う)でて置くのだが、面倒臭(めんどうくさ)いから洗わずに砂だらけの儘(まゝ)釜の中へ入れるのだ、それから饂飩粉(うどんこ)を買いに往(ゆく)んだが、饂飩粉は一貫目(いっかんめ)三十一銭で負けてくれた、所で饂飩屋はこれを七玉(なゝツたま)にして売ると云うが、それは嘘だ実は九玉(こゝのツたま)にして売るのだが、僕は十一にして売るよ、花松魚(はながつお)は紙袋(かんぶくろ)へ入れて置くのだが、是も猫鰹節(ねこぶし)を細(こまッ)かに削ったものさ、海苔(のり)は一帖(いちじょう)四銭二厘にまけてくれるよ、六つに切るのを八つに切るのだ、是に箸(はし)を添えて出す、清らかにしなければならんのだが、余(あんま)り清らかでねえことさ、これでその日を送る身の上、行灯(あんどん)は提灯屋(ちょうちんや)へ遣(や)ると銭(ぜに)を取られるから僕が書いた、鍋の格好(かっこう)が宜(よろ)しくないが、うどん[#「うどん」に傍点]とばかり書いて鍋焼だけは鍋の形で見せ、醤油樽(しょうゆだる)の中に水を入れ、土瓶(どびん)に汁(つゆ)が入っているという、本当に好(よ)くしても売れねえ、斯(こ)ういう訳で、あの寒い橋の袂(たもと)でこれを売って其の日を送るまでさ、旧時(むかし)は少々たりとも禄(ろく)を食(は)んだものが、時節とは云いながら、残念に心得て居ります、処へ君に廻(めぐ)り逢って大(おお)きに力を得た、其の千円で取附(とりつ)くよ」
春「千円は持って来たが、三千円の預り証書と引替に仕ようじゃないか」
又「よく預り証書/\と云うなア」
春「隠してもいかん、助右衞門を打殺(ぶちころ)して旅荷に拵(こしら)えようとする時に、君が着服したに相違ない、隠さずに出したまえ」
又「有っても無くても兎(と)も角(かく)も金を見ねえうちは証文も出ない訳さ」
春「そんなら」
 と云いながら懐(ふところ)からずっくり取出すと。
又「有難(ありがて)え、えーおー有難(ありがて)い、是だけが僕の命の綱だ」
春「此間(こないだ)は何を云うにも往来中(おうらいなか)で、委(くわ)しい話も出来なかったが、助右衞門の死骸はどうしたえ」
又「お宅(たく)から船へ積んで扇橋へ持って往(ゆ)き、猿田船(やえんだぶね)へ載せ、僕が上乗(うわのり)をして古河の船渡(ふなと)から上(あが)って、人力を誂(あつら)え、二人乗(ににんのり)の車へ乗せて藤岡を離れ、都賀村へ来ると、ぶんと[#「ぶんと」は「ぷんと」の誤記か]死骸の腐った臭(にお)いがすると車夫が嗅(か)ぎ附け、三十両よこせとゆするから、遣(や)るかわりに口外するなと云うと、火葬にすると云って、沼縁(ぬまべり)へ引込んで、葭(よし)蘆(あし)の茂った中で、こっくり火葬にして、沼の中へ放り込んだ上、何かの様子を知った人力車夫の嘉十、活(いか)して置いては後日の妨(さまた)げと思い、簀蓋(すぶた)を取って打殺(うちころ)し、沼へ投(ほう)り込んで、それから、どろんとなって、信州で其の年を送って、石川県へ往って三年ばかり経(た)って大阪へまいった所、知(しっ)ての通り芸子舞子の美人揃(ぞろ)いだからたまらない、君から貰った三百円もちゃ/\ふうちゃさ、止(や)むを得ず立帰(たちかえ)った所が、まア斯(こ)ういう訳で取附く事が出来ねえから、鍋焼饂飩(なべやきうどん)と化けてると、川口町に春見氏(うじ)とあって河岸蔵(かしぐら)は皆(みん)な君のだとねえ、あのくれいになったら千円ぐらいはくれても当然(あたりめえ)だ」
春「金は遣(や)るから預り証書を出したまえよ」
又「無いよ、どうせ人を害せば斬罪(ざんざい)だ、僕が証書を持ってゝ自訴(じそ)すれば一等は減じられるが、君は逃(のが)れられんさ、宜(よろ)しいやねえ、まア宜(い)いから心配したもうな」
春「出さんなら千円やらんよ」
又「だって無いよ、さア見たまえ」
 と最前(さいぜん)預かり証書は饂飩粉(うどんこ)の中へ隠しましたゆえ平気になり、衣物(きもの)をぼん/\取って振(ふる)い、下帯(したおび)一つになって。
又「此の通り有りゃアしない、宅(うち)も狭いから何処(どこ)でも捜して見たまえ」
 と云われ春見も不思議に思い、あの証書を他(ほか)へ預けて金を借(かり)るような事は身が恐いから有るまいが、畳の下にでも隠して有ろうも知れぬから、表へ出してやって、後(あと)で探(さが)そうと思い。
春「まア宜(よ)い、仕方がないが、斯(こ)う家鴨(しゃも)ばかりでは喰えねえ、向河岸(むこうがし)へ往って何か肴(さかな)を取って来たまえ」
 と云いながら、懐中から金を一円取出して又作の前へ置く。
又「これは御散財(ごさんざい)だねえ千円の金を持って来た上で肴代(さかなだい)を出すとは、悪事をした報(むく)いだ」
 と云いながら出て往(ゆ)く、跡にて春見は家内(かない)を残らず探したが知れません。何処(どこ)へ隠したか、何処へ置いて来たか、穴でも掘って埋(い)けてあるのではないか、床下(ゆかした)にでも有りはしないか、何しろ彼奴(あいつ)の手に証書を持たして置いては、千円遣(や)っても保(たも)つ金ではない、遣(つか)い果して又後日ねだりに来るに違いない、是が人の耳になれば遂(つい)に悪事露顕(ろけん)の原(もと)だから、罪なようだが、彼奴を殺してしまい此家(こゝ)へ火を放(つ)け、証書も共に焼いてしまうより外(ほか)に仕様がない、又作を縊(くび)り殺し、此の家(うち)へ火を放(つ)ければ、又作は酒の上で喰い倒れて、独身者(ひとりもの)ゆえ無性(ぶしょう)にして火事を出して焼死(やけし)んだと、世間の人も思うだろうから、今宵(こよい)又作を殺して此の家(や)へ火を放(つ)けようと、悪心も増長いたしましたもので、春見は思い謀(はか)って居りますところへ、又作が酒屋の御用を連れて帰ってまいり。
又「大(おお)きに御苦労、平常(ふだん)己(おれ)が借りがあるものだから、番頭めぐず/\云やアがったが、今日は金を見せたもんだから、直(す)ぐよこしやアがった、肴(さかな)も序(つい)でに御用に持たして来たよ、大きに御苦労だった、毎(いつ)もは借りるが今日は現金だ、番頭に宜(よ)く云ってくんな」
 と云いながら上へ上(あが)り、是から四方山(よもやま)の話を致しながら、春見は又作に盞(さかずき)を差し、自分は飲んだふりをして、あけては差すゆえ、又作はずぶろくに酔(え)いました。
又「大(おお)きに酩酊(めいてい)致した、あゝ好(い)い心持(こころもち)だ、ひどく酔(よ)った」
春「君、僕も酩酊致したから最(も)う立ち帰るよ、千円の金は宜(よろ)しいかえ、確(たしか)に渡したよ」
又「宜しい、金は死んでも離さない、宜しい、大丈夫心配したもうな」
春「それじゃア締りを頼むよ」
 と云うと、又作は横に倒れるを見て、春見は煎餅(せんべい)のような薄っぺらな損料蒲団(そんりょうぶとん)を掛けて遣(や)る中(うち)に、又作はぐう/\と巨蟒(うわばみ)のような高鼾(たかいびき)で前後も知らず、寝ついた様子に、春見は四辺(あたり)を見廻すと、先程又作が梁(はり)へ吊(つる)した、細引(ほそびき)の残りを見附け、それを又作の首っ玉へ巻き附け、力に任(まか)せて縊附(しめつ)けたから、又作はウーンと云って、二つ三つ足をばた/\やったなり、悪事の罰(ばち)で丈助のために縊(くび)り殺されました。春見は口へ手を当て様子を窺(うかゞ)うとすっかり呼吸が止った様子ゆえ、細引を解(と)き、懐中へ手を入れ、先刻渡した千円の金を取返(とりかえ)し、薪(たきゞ)と木片(こっぱ)を死人(しびと)の上へ積み、縁の下から石炭油(せきたんゆ)の壜(びん)を出し、油を打(ぶ)ッ注(か)け、駒下駄(こまげた)を片手に提(さ)げ、表の戸を半分明け、身体を半(なか)ば表へ出して置いて、手らんぷを死骸の上へ放(ほう)り付けますと、見る/\内にぽっ/\と燃上(もえあが)る、春見は上総戸(かずさど)を閉(た)てる間もなく跣足(はだし)の儘(まゝ)のめるように逃出しました。する内に火は※々(えん/\)と燃え移り、又作の宅(うち)は一杯の火に成りましたが、此の時隣りの明店(あきだな)にいた清次は大(おお)いに驚き、まご/\しては焼け死ぬから、兎も角も眼の悪い重二郎のお母(ふくろ)に怪我(けが)があってはならんと、明店を飛出(とびだ)す、是から大騒動(おおそうどう)のお話に相成ります。

     七

 西洋の人情話の作意(さくい)はどうも奥深いもので、証拠になるべき書付(かきつけ)を焼捨(やきす)てようと思って火を放(つ)けると、其の為に大切の書付が出るようになって居りますが、実に面白く念の入りました事で、前回に申上げました通り、春見丈助は井生森又作を縊(くび)り殺して、死骸の上に木片(こっぱ)を積み、石炭油(せきたんゆ)を注(つ)ぎ掛けて火を放(つ)けて逃げますと云うのは、極悪非道な奴で、火は一面に死骸へ燃え付きましたから、隣りの明店(あきだな)に隠れて居りました江戸屋の清次は驚きましたが、通常(あたりまえ)の者ならば仰天(ぎょうてん)して逃げ途(ど)を失いますが、そこが家根屋(やねや)で火事には慣れて居りますから飛出(とびだ)しまして、同じ長家(ながや)に居(い)る重二郎の母を助(す)けようと思ったが、否々(いや/\)先程又作が箱の中へ入れて隠した書付が、万一(ひょっ)として彼(か)の三千円の預り証書ではないか、それに就(つい)ては何卒(どうか)消されるものなら長家の者の手を仮(か)りて消し止めたいと思い、取って返して突然(いきなり)又作の家(うち)を明けると、火はぽッ/\と燃上(もえあが)りまして火の手が強く、柱に縛付(しばりつ)けてあった細引(ほそびき)へ火が付きますと、素(もと)より年数の経(た)って性(しょう)のぬけた細引でございますから、焼け切れますると、彼(か)の箱が一つ竈(べっつい)へ当り、其の機(はず)みに路地へ転げ落ちましたから、清次はいや是だと手早く其の箱を抱えて、
清「竹え、長家から火事が出た、消せ/\」
 と云って呶鳴(どな)りましたから、長家の者が出てまいり揉み消しましたから、火事は漸々(よう/\)隣りの明家(あきや)へ付いたばかりで消えましたが、又作は真黒焦(まっくろこげ)になってしまいましたけれども、誰(たれ)あって春見丈助が火を放(つ)けたとは思いませんので、どうも食倒(くらいたお)れの奴を長家へ置くのが悪いのだ、大方(おおかた)又作は食(くら)い酔ってらんぷを顛倒(ひっくりけえ)したのだろう、まア仕方がないと云うので、届ける所へ届けて事済(ことず)みに成りました。左様(そん)な事と存じませんのは、親に似ません娘のおいさで、十二歳の時に清水助右衞門が三千円持って来た時、親父(おやじ)が助右衞門を殺して其の金を奪取(うばいと)り、それから取付(とりつ)いてこれだけになったのは存じて居りますし、また助右衞門の家(うち)は其の金を失ってから微禄(びろく)いたして、今は裏家住(うらやずま)いするようになったが、可愛相(かあいそう)にと敵同志(かたきどうし)でございますが、重二郎と言い交(かわ)せましたのは、悪縁で、おいさは何うかお母(っか)さんの眼が癒(なお)ればいゝがと、薬師様へ願掛(がんがけ)[#底本では「け」が脱落]をして居ります。丁度十一日の事で、娘は家(うち)を脱(ぬ)け出して日暮方(ひぐれがた)からお参りに往(ゆ)きました。此方(こちら)では重二郎が約束はしませんが、おいさが一の日(ひ)は内の首尾が出(で)いゝと云ったこともあるし、今日往ったら娘に逢えようかと思って、薬師様へまいり、お百度を踏んで居りますと、お兼という春見の女中が出てまいりまして、まア此方(こちら)へと云うので、宮松の二階へ連れて往って。
兼「誠に今日はお目にかゝれるだろうと思って来ましたが、お間(ま)が宜(よ)くって、ねえお嬢様」
重「今日は私(わし)も少しお目にかゝりたいと思っていましたが、少し長屋に騒動があって、どうも」
兼「そうですって、あなたのお長屋から火事が出ましたって、お嬢さんも御心配なさいますから、あの御近所へ出て様子を聞きましたが、それでもマア直(すぐ)に消えましたって、大(おお)きに安心しましたよ」
重「あの私(わし)も少しお話がしたい事がありますがあんたのお名は何(なん)とか申しましたっけねえ」
兼「はい私(わたくし)はかねと申しますので」
重「どうかお嬢様に少しお話がありますから、あなたは少し此処(こゝ)へお出(い)でなさらねえように願いたいもので」
兼「今度は貴方(あなた)の方からそう仰(おっ)しゃいますように成りましたねえ、今度は二百度を踏んで来ますよ」
 と云いながら出て往(ゆ)きますと、後(あと)は両人が差向(さしむか)いで
いさ「誠に此の間(あいだ)は失礼をいたしました、お母様(っかさま)のお眼は如何(いかゞ)でございます」
重「此間(こないだ)貰った十円の金と指環(ゆびわ)はあなたへお返し申しますから、お受け取りなすって下さいまし」
い「あれ、折角お母様(っかさま)に上げたいと思って上げたのに、お返しなさるって、そうして指環も返そうと仰(おっ)しゃるのは、貴方(あなた)お気に入らないのでございますか」
重「此間(こないだ)も云う通り、釣合(つりあ)わぬは不縁(ふえん)の元(もと)、零落果(おちぶれは)てた此の重二郎、が貴方(あなた)と釣合うような身代になるのはいつの事だか知れません、あなたがそれまで亭主を持たずには居(お)られますめえし、私(わし)だっても年頃になれば女房(にょうぼ)を持たねえ訳にはいきません、此間(こないだ)あんたが嬉しい事を云ったから女房にしようと約束はしたが、まだ同衾(ひとつね)をしねえのが仕合(しあわ)せだから、どうか貴方(あんた)はいゝ所から婿を取って夫婦中(なか)よくお暮しなすって、私(わし)が事はふッつりと思い切って下さらないと困る事がありますから、何卒(どうか)思い切って下さい、よう/\」
い「はい/\」
 と云って重二郎の顔を見詰めて居りましたが、ぽろりと膝へ泪(なみだ)をこぼして、
い「重さん、私(わたくし)は不意気(ぶいき)ものでございますから、貴方(あなた)に嫌われるのは当前(あたりまえ)でございますが、たとえ十年でも二十年でも亭主はもつまい、女房(にょうぼ)はもたないと云い交(かわ)せましたから、真実そうと思って楽(たのし)んで居りましたのに、貴方がそう仰(おっ)しゃれば私(わたくし)は死んでしまいますが、万一(ひょっと)許嫁(いゝなずけ)の内儀(おかみ)さんでも田舎から東京へ出て来てそれを女房になさるなら、それで宜(よろ)しゅうございますから、私は女房になれないまでも御飯炊(ごぜんたき)にでも遣(つか)ってあなたのお側にお置きなすって下さいまし」
重「勿体(もったい)ない、御飯炊(ごぜんたき)どころではないが云うに云われない訳があって、あんたを女房(にょうぼ)にする事は出来ません、私(わし)もお前さんのような実意(じつい)のあるものを女房にしたいと思って居りましたが、訳があってそう云うわけに出来ないから、どうか私が事は思い切り、良(い)い亭主を持って、死ぬのなんのと云うような心を出さないで下さい、お前さんが死ぬと云えば私も死なゝければならないから、どうか思い切って下さい」
い「お前さんの御迷惑になるような事なら思切(おもいき)りますけれど、お前さんの御迷惑にならないように死にさえすればようございましょう」
重「どうかそんな事を云わねえで死ぬのは事の分るまで待って下さい、後(あと)で成程と思う事がありますから、どうか二三日(にさんち)待って下さい、久しく居(い)るのも親の位牌(いはい)に済みませんから」
 と云いながら起(た)とうとするを、
い「まア待って下さい」
 と袖に縋(すが)るのを振切(ふりき)って往(ゆ)きますから、おいさは欄干(らんかん)に縋って重二郎を見送りしまゝ、ワッとばかりに泣き倒れました所へ、お兼が帰ってまいり、漸々(よう/\)労(いた)わり連立(つれだ)って家(うち)へ帰りました。すると丁度其の暮(くれ)の十四日の事で、春見は娘が病気で二三日(にさんち)食が少しもいかないから、種々(いろ/\)心配いたし、名人の西洋医、佐藤先生や橋本先生を頼んで見て貰っても何(なん)だかさっぱり病症が分らず、食が少しもいきませんから、流石(さすが)の悪者(わるもの)でも子を思う心は同じ事で、心配して居ります所へ。
男「えゝ新湊町の屋根屋の棟梁の清次さんという人が、あなたにお目にかゝりたいと申して参りました」
丈「なんだか知れないが病人があって取込(とりこ)んで居(い)るから、お目にかゝる訳にはいかないから、断れよ」
男「是非お目にかゝりたいと申して居ります」
丈「なんだかねえ、此間(こないだ)大工の棟梁にどうも今度の家根屋(やねや)はよくないと云ったから、大方それで来たのだろう、どんな装(なり)をして来たえ、半纒(はんてん)でも着て来たかえ」
男「なアに整然(ちゃん)とした装(なり)をして羽織を着てまいりました」
丈「それではまア此方(こっち)へ通せ」
 と云うので下男が取次(とりつ)ぎますと、清次が重二郎を連れて這入(はい)って来ましたから、重二郎を見るとお兼が奥へ飛んで来まして。
兼「お嬢様、重さんが家根屋(やねや)さんを連れて来ましたよ、此間(こないだ)あなたに愛憎尽(あいそづか)しを云ったのを悪いと思って来たのでしょう」
い「そうかえ、そんなら早く奥の六畳へでもお通し申して逢わしておくれ」
兼「そんな事を仰(おっ)しゃってもいけません、私(わたくし)が今様子を聞いて来ますから」
 と障子の外に立聞(たちぎ)きをします時、
丈「さア此方(こちら)へ/\」
清「へい新湊町九番地にいる家根屋の清次郎と申します者で、始めてお目に懸(かゝ)りました」
丈「はい始めて、私は春見丈助、少し家内に病人があって看病をしたので、疲れて居りますからこれ火を上げろ、お連(つれ)があるならお上げなさい」
清「えゝ少し旦那様に内々(ない/\)お目にかゝってお話がしとうございまして参りましたが、お家(うち)の方(かた)に知れちゃア宜(よろ)しくありませんから、どうか人の来(こ)ねえ所へお通しを願いたいもので」
丈「此間(こないだ)大工の棟梁が来て、家根(やね)の事をお話したから、其の事だろうと思っていましたが、何しろお話を聞きましょう、これ胴丸(どうまる)の火鉢を奥の六畳へ持って往(ゆ)け」
清「旦那、まアお先へ」
 と先(さ)きへ立たせて跡から重二郎の尾(つ)いて来ることは春見は少しも知りません。
丈「これよ、茶と菓子を持って来いよ、かすてらがよいよ、これ/\、何か此の方(かた)が内々(ない/\)の用談があってお出(い)でになったのだから、皆(みん)な彼方(あちら)へ往(い)って、此方(こっち)へ来ないようにするがいゝ、お連れがあるようですね」
清「重二郎さん、此方(こっち)へお這入(はい)り」
重「誠に久しくお目にかゝりませんでした」
丈「おや/\清水の息子さんか、此間(こないだ)は折角お出(い)でだったが、取込(とりこ)んでいて失敬を云って済みません、何かえ清次さんのお連(つれ)かえ」
清「旦那え、私(わっち)が前橋にくすぶって居りましたとき、清水さんの御厄介になりました、その若旦那で、今は零落(おちぶ)れて直(じ)き亀島町にお出(い)でなさるのを聞いて驚きましたから、其様(そんな)にぐず/\していないで、春見様は直(じ)き此の向うにいて立派な御身代になっておいでなさるから、お父(とっ)さんがお預け申した金を返(けえ)してお貰い申すがいゝじゃないかと云っても、若いお方ですから、ついおっくう[#「おっくう」に傍点]がってお在(いで)なさるから、今日は私(わっち)がお連れ申しましたが、どうか七年前(あと)の十月の二日にお預け申した三千円の金はお返しなすって下さい」
丈「なに三千円、僕が預かった覚えはないが、どう云う訳で重二郎殿が清次さんお前さんにそんな事を云ったのだえ」
清「へい、段々旦那も身代が悪くなって、商法を始めるのに就(つ)いて高利を借り三千円の金を持って東京へ買出(かいだ)しに出て来て、馴染(なじみ)の宿屋もねえ事ですから、元前橋で御重役をなすった貴方(あなた)が、東京へ宿屋を出してお在(いで)なさるから、彼方(あそこ)へ行って金を預けて買出しをすれば大丈夫だと、宅(うち)へ云置(いいお)いて出て来た儘(まゝ)帰って来(こ)ねえで、素(もと)より家蔵(いえくら)を抵当にして借りた高利だから、借財方(しゃくざいかた)から責められ、重さんのお母(っか)さんが心配して眼が潰(つぶ)れて見る影もねえ御難渋(ごなんじゅう)、私(わっち)も見かねて貴方(あなた)へ預けた金を取りに来やした、預けたに違(ちげ)えねえ三千円、元は大小を挿(さ)した立派な貴方、開化になっても士族さんは士族さん、殊(こと)にこれだけの身代で、預ったものを預からないと云っては御名義にも係わりますから、旦那、返(けえ)して遣(や)って下せえな」
丈「お黙んなさい、預かった覚えは毛頭ありません、何を証拠に三千円の金を、私が何(な)んで預りましょう、殊(こと)に七年あと清水さんが私の所へ参った事はありません」
重「それは些(ち)とお言葉が違いましょう、私(わし)が七年前(あと)に親父(おやじ)を捜しに来た時、成程清水助右衞門が来たと云った事があるが、貴方(あんた)はお侍さんにも似合いませんねえ」
丈「成程それは来ました、さア来ましたが、直(すぐ)に横浜へ往(ゆ)くと云うから、まア一晩泊ったら宜(よ)かろうと云ったが聞き入れず、直(すぐ)に出て往(ゆ)きなすって泊りはせんと云いました」
重「それだからさ」
清「まア黙ってお出(い)でなせえ、旦那え、今三千円の金があれば清水の家も元のように立ちやす、そうすれば貴方(あなた)も寝覚(ねざめ)がいゝから、どうか返して下せえ、親子三人、浮(うか)び上(あが)ります」
丈「浮び上るか沈んでしまうか知りませんが、七年前(あと)預けたものを今まで取りに来ない筈(はず)はありますまい、殊(こと)に十円や廿円の金じゃアなし、三千円という大金ではないか」
清「旦那静かになせえ証拠のないものは取りに来ません、三千円確かに預かった、入用(にゅうよう)の時は何時(なんどき)でも返(け)えそうという証書があります」
丈「なに証書がある、証書があれば見ましょう/\」
 と春見は心の中(うち)に思うのに、又作を殺し、家(うち)まで焼いてしまったから、証書のある筈(はず)はないと思いまして、気強く、
丈「さア見ましょう/\」
清「旦那、これにあります」
家根板(やねいた)のような物に挟んである証書を出して、春見に手渡(てわたし)にしませんで、
清「旦那これが証拠でございます」
 と云われた時は流石(さすが)の春見も面色(めんしょく)土の如くになって、一言半句(いちごんはんく)も有りません。
清「旦那え、これだけ立派な証拠があるのに、年月(としつき)が経(た)っても返(けえ)さなければ泥坊より苛(ひど)いじゃねえか、難渋(なんじゅう)を云って頼んでも理に違っちゃアこれ程も恵まねえ世の中じゃアありませんか、何故(なぜ)貴方(あなた)預かった覚えはないと仰(おっ)しゃいました」
丈「お静かにして下さい、/\、実は預かったに違いないが、清水殿が金を預けて横浜へ参り、年月(としつき)を経っても取りに来ないところから、段々僕も微禄(びろく)して此の三千円があれば元の様になれるかと思い、七年経っても取りに来ないからよもや最(も)う取りに来(き)やアしまいと心得て、人間の道にあるまじき、人の預けた金を遣(つか)い、預かった覚えはないと云ったのは重々(じゅう/″\)申訳(もうしわけ)がないが、只今早速御返金に及ぶから、何卒(どうか)男と見掛けてお頼み申すから棟梁さん内聞(ないぶん)にして呉れまいか」
清「そりゃア宜(よろ)しゅうございますが、品(しな)に寄ったら訴えなければならねえが、旦那、無利息じゃアありますまい、貴方(あなた)も銀行や株式の株を幾許(いくら)か持っていなさるお身の上だから、預金(あずけきん)の取扱(とりあつか)い方(かた)も御存じでしょうが、此の金を預けてから七年になるから、七朱(しゅ)にしても、千四百七十円になりますが、利息を付けて貰わなけりゃアならねえぜ」
丈「至極(しごく)御尤(ごもっと)もでござるから、只今直(す)ぐに上げます、少しお待ち下さい」
 と直(す)ぐに立って蔵へまいり、三千円の外(ほか)に千四百七十円耳を揃(そろ)えて持ってまいり、
丈「へい、どうかお受取り下さい」
 と出しましたから、数(かず)を改めて、
清「重さんおしまいなさい」
 と云うから、重二郎は予(かね)て用意をして来た風呂敷へ金包(かねづゝみ)を包んで腰へしっかり縛り付けました。
清「旦那金は確(たしか)に受取りましたから証書はお返し申しますが、金ばかりじゃア済みますめえぜ」
丈「三千円返して、証文の面(おもて)に利子を付けるという事はないが、此方(こちら)の身に過(あやま)りがあるから、利子まで付けて遣(や)ったが、外(ほか)に何があるえ」
清「外(ほか)に何も貰うものはねえが、此の金を預けた清水助右衞門さんの屍骸(しがい)を返して貰(もれ)えてえ」
 と云われて春見は恟(びっく)りして思わず後(あと)へ下(さが)ると、清次は膝を進ませて、
「お前さんが七年前(あと)に清水さんを殺した其の白骨でも出さなけりゃア、跡に残った女房子(にょうぼこ)が七回忌になりやしても、訪(と)い吊(とむら)いも出来やせん」
 と云いながら、ぐるりっと上(あ)げ胡坐(あぐら)を掻きましたが、此の納(おさま)りは何(ど)う相成りましょうか、次回までお預かりにいたしましょう。

     八

 引続きまする西洋の人情噺も、此の一席で満尾(まんび)になります故(ゆえ)、くだ/\しい所は省きまして、善人が栄え、悪人が亡(ほろ)び、可愛(かわ)いゝ同志が夫婦になり、失いました宝が出るという勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の脚色(しくみ)は芝居でも草双紙(くさぞうし)でも同じ事で、別して芝居などは早分(はやわか)りがいたしますが、朝幕(あさまく)で紛失した宝物(たからもの)を、一日掛って詮議(せんぎ)を致し、夕方には屹度(きっと)出て、めでたし/\と云って打出しになりますから、皆様も御安心でお帰りになりますが、何も御見物と狂言中の人と親類でも何(なん)でもないに、そこが勧善懲悪と云って妙なもので、善人が苦しむ計(ばか)りで悪人が終(しま)いまで無事でいましては御安心が出来ません。然(しか)し善という事はむずかしいもので、悪事には兎角(とかく)染(そま)り易(やす)いものでござります。彼(か)の春見丈助利秋は元八百石も領(りょう)しておりました立派な侍でありながら、利慾(りよく)のため人を殺して奪いました其の金で、悪運強く霊岸島川口町で大(たい)した身代になりましたが、悪事というものは、何(ど)のように隠しても隠し遂(おお)せられないもので、どうして彼(あ)の人があのように金が出来たろう、何(なん)だか訝(おか)しいねえ、此の頃(ごろ)こういう事を聞いたが、万一(ひょっと)したらあんな奴が泥坊じゃアないか知らんと、話しますを聞いた奴は、直(すぐ)にそれを泥坊だと云い伝え、又それから聞いた奴は尾に鰭(ひれ)をつけて、彼(あ)れは大泥坊で手下が三百人もあるなどと云うと、それから探索掛(たんさくがゝり)の耳になって、調べられると云うようになるもので、天に口なし、人を以(もっ)て云わしむるという譬(たとえ)の通りでございます。彼(か)の春見は清水助右衞門の悴(せがれ)重二郎がいう通り、利子まで添えて三千円の金を返したのは、横着者(おうちゃくもの)ながら、どうか此の事を内聞(ないぶん)にして貰いたいと、それがため別に身代に障(さわ)る程の金高(きんだか)でもありませんから、清く出しましたが、家根屋(やねや)の清次が助右衞門の死骸を出せと云うに驚き内心には何(ど)うして清次が彼(か)の助右衞門を殺した事を知っているかと思い、身を慄(ふる)わせて面色(めんしょく)変り、後(うしろ)の方へ退(さが)りながら小声になって。
丈「清(せい)さん、あゝ悪い事は出来ないものだ、其の申訳(もうしわけ)は春見丈助必らず致します、どうか此処(こゝ)では話が出来ませんから、蔵の中でお話を致します、他(た)へ洩(も)れんようにお話をいたしたいから、一緒にお出(い)でを願います」
清「蔵の中でなくても此処(こゝ)でも宜(い)いじゃアありませんか」
丈「此処でも宜(よろ)しいが、奉公人に知れんようにしたい、娘も今年十八になるから、此の事を話せば病(やまい)にも障(さわ)ろうと思って、誠に不憫(ふびん)でござる、是非お話申したい事がございますから、どうか蔵の中へお出(い)で下さい」
清「参(めえ)りやしょう/\」
丈「どうか事(こと)静かに願います、決して逃げ匿(かく)れは致しません」
 と云いながら先に立って蔵の戸をがら/\と開けて内へ入りましたから、清次は腹の中で思うに、春見は元(もと)侍だから刄物三昧(はものざんまい)でもされて、重二郎に怪我(けが)でもあってはならんと思いまして、煙草盆(たばこぼん)の火入れを火の入ったまゝ片手に提(さ)げ後(うしろ)へ隠して蔵の中へ入りましたから、重二郎も恐(おそ)る/\入りますと、春見は刀箪笥(かたなだんす)から刀を出し、此方(こちら)の箪笥から紋付の着物を出して、着物を着替え、毛布(けっと)を其処(そこ)へ敷き延べて、
丈「只今申訳(もうしわけ)を致します」
 と云って刄物を出したから、清次は切り付けるかと思い、覚悟をしていますと、春見は突然(いきなり)短刀を抜いて腹へ突き立ってがばりっと前へのめったから、清次は直(すぐ)に春見の側へ往(ゆ)こうと思ったが、此奴(こいつ)死んだふりをしたのではないかと思うゆえ、
清「言訳(いいわけ)をしようと思って腹を切んなすったかえ」
丈「さゝ人を殺し多くの金を奪い取った重罪の春見丈助、縲絏(なわめ)に掛っては、只今は廃刀(はいとう)の世なれども是まで捨てぬ刀の手前、申訳(もうしわけ)のため切腹しました、臨終(いまわ)の際(きわ)に重二郎殿、清次殿御両人に頼み置きたき事がござる、悪人の丈助ゆえ、お聞き済みがなければ止(や)むを得ざれど、お聞届(きゝとゞ)け下されば忝(かたじけ)ない、清次殿どうして貴殿(きでん)は僕が助右衞門殿を殺したことを御存じでござるな」
清「頼みと云うのはどう云う事か知れねえが、其の頼みによっては又旦那に話して聞きもしようが、言訳(いいわけ)に困って腹を切るのは昔のことだが、どうもお前さんは太い人だねえ、清水の旦那を殺し、又作という奴に悪智(あくち)を授(さず)けて、屍骸(しがい)を旅荷に造り、佐野の在へ持って往(ゆ)き、始末をつけようとする途中、古河の人力車夫に嗅(か)ぎ付けられ、沼縁(ぬまべり)へ持って往(い)って火葬にした事は、私(わっち)ゃア能(よ)く知ってるぜ」
丈「さゝゝそれがさ、天命とは云いながら、知れ難(がた)い事を御存じあるのは誠に不思議でござるて」
清「その又作という奴が、三千円の証書をもっているから、又作を殺して、それを取ろうとする謀計(たくみ)の罠(わな)を知って、実はお前さんが又作を縊(くび)り殺し、火を放(つ)けて逃げた時、其の隣の明店(あきだな)で始末を残らず聞いていたのだ、何(な)んと悪い事は出来ねえものだねえ」
丈「どうも左(さ)もなくば知れる道理はござらぬが、それが知れると云うのは天命遁(のが)れ難(がた)い訳でござる」
清「その又作が火葬にして沼の中へ放り込んだ白骨を捜し出すか、出る所へ出るか、二つに一つの掛合(かけあい)に来たのに、腹を切って私(わっち)に頼むと云うのは一体どういう頼みですえ」
丈「さればでござる、御存じの通りいさと申す手前一人の娘が、如何(いか)なる悪縁か重二郎殿を思い初(そ)めましたを、重二郎殿が親の許さぬ淫奔(いたずら)は出来ぬと仰(おっ)しゃったから、一室(ま)にのみ引籠(ひきこも)り、只くよ/\と思い焦(こが)れて遂(つい)に重き病気になり、病臥(やみふ)して居ります、斯(かゝ)る次第ゆえ、此の始末を娘が聞知(きゝし)る時は、憂(うれい)に迫(せま)り病(やまい)重(おも)って相果(あいは)てるか、願(ねがい)の成らぬに力を落し、自害をいたすも知れざるゆえ、何卒(どうぞ)此の事ばかりは娘へ内聞(ないぶん)にして下さらば、手前の此の身代は重二郎殿へ残らず差上げます、これ此の身代は助右衞門殿の三千円の金から成立(なりた)ったものなれば、取りも直さず、皆助右衞門殿が遺(のこ)された財産で、重二郎殿が所有たるべきものでござる、諸方へ貸付けてある金子の書類は此の箪笥(たんす)の引出(ひきだし)にあって、娘いさが残らず心得て居ります、敵(かたき)同志の此の家(うち)の跡を続(つ)ぐのはお厭(いや)であろうが重二郎殿、我(わが)なき後(のち)は他(た)に便(たよ)りなき娘のおいさを何とぞ不憫(ふびん)と思召(おぼしめ)され、女房(にょうぼ)に持ってはくださるまいか、いやさ敵同志の丈助の娘を女房に持たれまいが、さゝ御尤(ごもっと)もでござるが彼(かれ)は我(わが)実子(じっし)にあらず、我(わが)剣道の師にて元前橋侯の御指南番(ごしなんばん)たりし、荒木左膳(あらきさぜん)と申す者の娘の子なり」
清「ふう、それを何うしてお前さんの娘にはしなすったえ」
丈「さゝ其の仔細お聞き下され」
 と苦しき息をつきまして、
丈「今を去ること十九年以前、左膳の娘花(はな)なる者が、奥向(おくむき)へ御奉公中、先(せん)殿様のお手が付き懐妊の身となりしが、其の頃お上通(かみどお)りのお腹様(はらさま)嫉妬深(しっとふか)く、お花を悪(にく)み、遂(つい)に咎(とが)なき左膳親子は放逐(ほうちく)を仰付(おおせつ)けられ、浪々中(ろう/\ちゅう)お花は十月(とつき)の日を重ね、産落(うみおと)したは女の子、母のお花は産後の悩みによって間もなく歿(ぼっ)せしため、跡に残りし荒木左膳が老体ながらも御主君(ごしゅくん)のお胤(たね)と大事にかけて養育なせしが、其の後(ご)左膳も病に臥(ふ)し、死する臨終(いまわ)に我(われ)を枕元に招き、我(わ)が亡(な)き跡にて此の孫を其の方(ほう)の娘となし、成長の後(のち)身柄(みがら)ある家(いえ)へ縁付(えんづ)けくれ、頼む、と我師(わがし)の遺言(ゆいごん)、それよりいさを養女となせしが、娘と申せど主君のお胤なれば、何とぞ華族へ縁付けたく、それに付(つい)ても金力(きんりょく)なければ事叶(かな)わずと存ぜしゆえ、是まで種々(しゅ/″\)の商法を営(いとな)みしも、慣れぬ事とて皆(み)な仕損じ、七年前(ぜん)に佐久間町へ旅人宿(りょじんやど)を開(ひら)きし折(おり)、これ重二郎殿、君(きみ)の親御(おやご)助右衞門殿が尋ね来て、用心のため預けられた三千円の金を見るより、あゝ此の金があったなら我望(わがのぞみ)の叶う事もあらんと、そゞろに発(おこ)りし悪心より人を殺した天罰覿面(てんばつてきめん)、斯(かゝ)る最後を遂(と)げるというも自業自得(じごうじとく)、我身(わがみ)は却(かえ)って快(こゝろよ)きも、只不憫(ふびん)な事は娘なり、血縁にあらねば重二郎どの、女房に持ってくださらば心のこさず臨終(りんじゅう)いたす、お聞済(きゝずみ)くだされ」
 と血に塗(まみ)れたる両手を合(あわ)せ、涙ながらに頼みます恩愛の情(じょう)の切(せつ)なるに、重二郎と清次と顔を見合わせて暫(しばら)く黙然(もくねん)といたして居りますと、蔵の外より娘のおいさが、網戸を叩(たゝ)きまして、
い「申し、清次さん、此所(こゝ)開(あ)けて下さいまし」
清「おゝ誰だえ」
い「はい、いさでござります、どうぞ開けて、死目(しにめ)に一度逢わせてください」
 というから、清次は慌てゝ戸を開けますと、おいさは転(ころ)げ込んで父の膝に縋(すが)り付き、泣倒(なきたお)れまして、
い「もうしお父様(とっさま)、お情(なさけ)ない事になりました、生(うみ)の親より深い御恩を受けました上、斯(こ)ういう事になりましたも皆(み)な私(わたくし)を思召(おぼしめ)しての事でございますから、皆様(みなさん)どうぞ代りに私を殺して、お父様をお助けなされて下さいまし」
 と嘆(なげ)く娘を丈助は押留(おしとゞ)め。
丈「あゝこれ、お前を殺すくらいなら、彼(あ)の様(よう)な悪い事はいたさぬわい、只今も願う如く、予(かね)てお前の望みの通り重二郎殿と末長(すえなご)う夫婦になって、我が亡後(なきあと)の追善供養(ついぜんくよう)を頼みます、申し御両君(ごりょうくん)如何(いかゞ)でございます[#「ございます」は底本では「ごいざます」と誤記]」
清「ふう、どうして重二郎さんに此の家(や)の相続が出来ますものかね」
重「それに貴方(あなた)が変死した後(あと)で、お上(かみ)への届けもむずかしゅうござりましょう」
丈「その御心配には及びませぬ、と申すは七ヶ年以前、貴君(あなた)の親御より十万円恩借(おんしゃく)ありて、今年返済の期限来(きた)り、万一延滞候(そろ)節は所有地家蔵(いえくら)を娘諸共(もろとも)、貴殿へ差上候(さしあげそろ)と申す文面の証書を認(したゝ)めて、残し置き、拙者(せっしゃ)は返金に差迫(さしせま)り、発狂して切腹致せしとお届けあらば、貴殿(きでん)へ御難義(ごなんぎ)はかゝりますまい」
 と云いながら硯箱(すゞりばこ)を引寄(ひきよ)せますゆえ、おいさは泣々(なく/\)蓋(ふた)を取り、泪(なみだ)に墨を磨(す)り流せば、手負(ておい)なれども気丈(きじょう)の丈助、金十万円の借用証書を認めて、印紙(いんし)を貼(は)って、実印(じついん)を捺(お)し、ほッ/\/\と息をつき、
丈「臨終(りんじゅう)の願いに清次殿、お媒人(なこうど)となって、おいさと重二郎どのに婚礼の三々九度、此所(こゝ)で」
 と云う声もだん/\と細くなりますゆえ、二人も不憫(ふびん)に思い、蔵前(くらまえ)の座敷に有合(ありあ)う違棚(ちがいだな)の葡萄酒(ぶどうしゅ)とコップを取出して、両人(ふたり)の前へ差出(さしだ)せば、涙ながらにおいさが飲んで重二郎へ献(さ)しまするを見て、丈助は悦(よろこ)び、にやりと笑いながら。
丈「跡方(あとかた)は清次どのお頼み申す早く此の場をお引取(ひきと)りなされ」
 と云いつゝ短刀を右手の肋(あばら)へ引き廻せば、おいさは取付(とりつ)き嘆(なげ)きましたが、丈助は立派に咽喉(のど)を掻切(かきき)り、相果てました。それより早々(そう/\)其の筋へ届けますと、証書もありますから、跡方(あとかた)は障(さわ)りなく春見の身代は清水重二郎所有となり、前橋竪町の清水の家を起しましたゆえ、母は悦(よろこ)びて眼病も全快致しましたは、皆(み)な天民の作の観音と薬師如来の利益(りやく)であろうと、親子三人夢に夢を見たような心地(こゝち)で、其の悦び一方(ひとかた)ならず、おいさを表向(おもてむき)に重二郎の嫁に致し、江戸屋の清次とは親類の縁(えん)を結ぶため、重二郎の姉おまきを嫁に遣(や)って、鉄砲洲新湊町へ材木店(みせ)を開(ひら)かせ、両家ともに富み栄え、目出たい事のみ打続(うちつゞ)きましたが、是というも重二郎同胞(はらから)が孝行の徳により、天が清次の如き義気(ぎき)ある人を導いて助けしめ、遂(つい)に悪人亡(ほろ)びて善人栄えると申す段切(だんぎり)に至りましたので、聊(いさゝ)か勧善懲悪の趣意にも叶(かな)いましょうと存じ、長らく弁じまして、嘸(さぞ)かし御退屈でござりましたろうが、此の埋合(うめあわ)せには、又其の内に極(ごく)面白いお話をお聞(きゝ)に入れる積(つも)りでござりますれば、相変らず御贔屓(ごひいき)を願い上げます。

(拠若林※藏、伊藤新太郎筆記)[#地付き、地より1字アキ]



底本:「圓朝全集 巻の九」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
   1964(昭和39)年2月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の九」春陽堂
   1927(昭和2)年8月12日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼(あ)の」と「彼(あの)」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
ファイル作成:野口英司、かとうかおり
2001年1月8日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



【表記について】

/\:二倍の踊り字(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

※(たが)

※(あた)って

第3水準1-87-42
※(なまじ)いに

※(あらた)め

第3水準1-84-94
顳※(こめかみ)

第3水準1-94-6
※(う)でて

第3水準1-87-56
※々(えん/\)と

第4水準2-79-87
若林※藏

第4水準2-80-65