政談月の鏡

三遊亭圓朝

鈴木行三校訂編纂




        一

 政談月の鏡と申す外題(げだい)を置きまして申し上(あぐ)るお話は、宝暦(ほうれき)年間の町奉行で依田豐前守(よだぶぜんのかみ)様の御勤役中に長く掛りました裁判でありますが、其の頃は町人と武家(ぶげ)と公事(くじ)に成りますと町奉行は余程六(むず)ケしい事で有りましたが、只今と違いまして旗下(はたもと)は八万騎、二百六十有余頭(かしら)の大名が有って、往来は侍で目をつく様です。其の時の江戸の名物は、武士、鰹、大名小路、広小路、茶見世、紫、火消、錦絵と申して、今の消防方は四十八組有って、火事の時は道路が狭いから大騒ぎです、焼出(やけだ)されが荷を担(かつ)いで逃げ様とする、向(むこう)からお町奉行が出馬に成る、此方(こっち)の曲角からお使番が馬で来る、彼方(あちら)から弥次馬が来る、馬だらけに成りますが、只今は道路の幅が広くなりずーッと見通せますが、以前は見通しの附かんように通路(とおりみち)が迂曲(うねっ)て居りましたもので、スワと云うと木戸を打ち路次を締める、少しやかましい事が有ると六(む)ツ限(ぎり)で締切ります、此の木戸の脇に番太郎がございまして、町内には自身番が有り、それへ皆町内から町内の家主(いえぬし)(差配人さん)がお勤めに成って、自身番の後(うしろ)の処が屹度(きっと)番太郎に成って居たもので、番太郎は拍子木を打って夜廻りを致す丈(だけ)の事でスワ狼藉者だと云っても間に合う事はない、慄(ふる)えて逃げて仕舞い、拍子木を溝(どぶ)の中へ放り出して番屋へ這込(はいこ)むなどと云う弱い事で、冬になると焼芋や夏は心太(ところてん)を売りますが、其の他(た)草履草鞋を能(よ)く売ったもので、番太郎は皆金持で、番太郎は越前から出る者が多かったようで、それに湯屋の三助は能登国(のとのくに)から出て来ます、米搗(こめつき)は越後と信濃からと極って居ました、江戸ッ子の番太郎は無い中に、長谷川町(はせがわちょう)の木戸の側(わき)に居た番太郎は江戸ッ子でございます、名を喜助(きすけ)と云って誠に酒喰(さけくら)いですが、妙な男で夜番(よばん)をする時には堅い男だから鐘が鳴ると直(すぐ)に拍子木を持って出ます、向うの突当(つきあたり)までちゃんと行って帰って来ます。大概の横着者は、チョン/\チョン/\と四つ打って町内を八分程行くと、音さえ聞えれば宜(い)いんで帰って来ますが此の男は突当りまで見廻って来ないと気が済まないと云う堅い人で、ボンチョン番太と綽名(あだな)が有る位で何(ど)う云う訳かと聞いて見ると、ボーンと云う鐘とチョンと打出す拍子木と同じだからボンチョン番太と云う、余程堅い男だが酒が嗜(す)きで暇(ま)さえあれば酒を飲みます、女房をお梅と云って年齢(とし)は二十三で、亭主とは年齢が違って若うございますが、亭主思いで能く生酔(なまえい)の看護(もり)を致しますので、近所の評判にあの内儀(かみ)さんは好(い)い女だ喜助の女房には不釣合だと云われる位ですが、誠に貞節な者で一体情の深い女でございますから、本当に能く亭主の看護を致して、嗜(すき)な物を買って置き、
 梅「寒いから一杯お飲(た)べかえ、沢山飲むといけないよ、二合にしてお置よ、三合に成ると少し舌が廻らなくなる、身体に障(さわ)るだろうと思って案じられるから」
 喜「うむ寒いな、霜月に這入ってからグッと寒く成った何(ど)うしても寒くなると飲まずにゃ居られねえな」
 梅「寒いたって、寒い訳だよ、朝から飲んでるからもう酔い醒(ざめ)のする時分だからさ、町代(まちだい)の總助(そうすけ)さんが来て余り酒を飲ましちゃアいけない、あれでは身体が堪(たま)るまいと被仰(おっしゃ)って案じておいでだよ、皆様(みなさん)が御贔屓(ごひいき)だから然(そ)う云って下さるんだよ」
 喜「もう是れ限(ぎ)り飲まねえから、よう宜(い)いからもう一本燗(つ)けなよ」
 梅「燗けなってお酒が無いんだよ」
 喜「無けりゃア買って来ねえな、おい」
 梅「もう今日はこれだけにしてお置きな」
 喜「熱い時分ならそれで宜いが、寒い時分には二合じゃア足りねえ、ようお前(めえ)能く己(おれ)の面倒を見て可愛がって呉んな、其の代り己がお前を可愛がって遣(や)る事もあらア」
 梅「お戯(ふざ)けでないよあのお店(たな)から酒の下物(さかな)にしろって台所の金藏(きんぞう)さんが持って来た物があるよ」
 喜「彼奴(あいつ)め下物だって鮭の頭位だろう、あゝ有難い持つべきものは女房か、有難いな、何(ど)うしたっても好(い)い酒は四方(よも)へ行かなければ無(ね)えな」
 とクビーリ/\飲んで居る、其の時店先へ立止りました武士(さむらい)は、ドッシリした羅紗(らしゃ)の脊割羽織(せわりばおり)を着(ちゃく)し、仙台平(せんだいひら)の袴(はかま)、黒手(くろて)の黄八丈(きはちじょう)の小袖(こそで)を着(き)、四分一拵(ごしら)えの大小、寒いから黒縮緬の頭巾を冠(かぶ)り、紺足袋(こんたび)日勤草履(にっきんぞうり)と云う行装(こしらえ)の立派なお武士、番太郎の店へ立ち、
 武「これ此処(こゝ)に有る紙を一帖(いちじょう)呉れんか」
 喜「へいお入来(いで)なさいまし是は何うも御免なさいまし、誠に有難う、其処(そこ)に札が附いてます、一帖幾らとして有りますへい半紙は二十四文で、駿河(するが)半紙は十六文、メンチは十個(とお)で八文でげす、藁草履は私(わっち)の処が一番安いのでございます、有難う誠に何うも、其処へ行くんですが、ちょいと銭を箱の中へ放り込んで一帖持って行って下さいまし、札が附いてますから間違えは有りません」
 武「なに貴様は余程酒が嗜(す)きだな、私(わし)が此処(こゝ)を通る度(たび)に飲んで居(お)らん事はないが、貴様は余程(よっぽど)酒家(しゅか)だのう」
 喜「ヘイ嗜きです、お寒くなると朝から酒を飲まねえと気が済みませんな」
 武「酒家(さけのみ)は妙なものだな、酒屋の前を通ってぷーんと酒の香(におい)が致すと飲み度(た)くなる、私(わし)も同じく極(ごく)嗜(すき)だが、貴様が飲んで居(い)る処を見ると何となく羨(うらやま)しくなる」
 喜「え、殿様もお嗜きで、極(ごく)好(い)い酒が有ります、私(わっち)ゃア番太郎ですが江戸ッ子の番太郎は余り無(ね)えんです、極好い酒が有りますから、誠に失礼ですが一つ召上れ」
 武「それは辱(かたじけな)いなア」
 梅「あらまア御免遊ばせ酔って居りますから、お前さん何と云う事だよ、お武家様を番太郎の家(うち)などへお上げ申す事が出来ますものかね」
 喜「いや嗜きじゃア堪らねえ、ねエ殿様、此方(こちら)へお上(あが)んなさい、長い刀(もの)を一本半分差して斯(こ)ういう家(うち)に上ると身体を横にしなければ這入れませんよ」
 武「是は御家内か、私(わし)も酒が嗜きでな、此処を通る度に御亭主が飲んで居る、今一寸(ちょっと)買物をして見ると矢張(やっぱり)飲んで居て羨しく遂(つい)やる気になりました」
 梅「でも汚ない此んな狭い処へ」
 喜「宜(い)いから黙ってろ、殿様此女(これ)の里は白銀町(しろかねちょう)の白旗稲荷(しらはたいなり)の神主の娘ですが、何うしたんだか、亭主思いで、私(わたくし)が酒を飲んでは世話を焼かせますが、能く面倒を見ます」
 梅「お止(よ)しよ」
 武「では一盃(いっぱい)戴こうか」
 喜「お酌をして上げな、大きい盃(もの)で」
 武「これは御内儀(ごないぎ)痛み入りますな、お酌で」
 梅「誠に何うも召上る物が有りませんで」
 武「いや心配してはいかん、却(かえ)って是が宜しい成程是は何うも余程好(い)い酒を飲むな」
 喜「えゝ四方(よも)で、彼家(あすこ)では好い酒を売ります、和泉町(いずみちょう)では彼家ばかりで、番頭が私(わっち)を知ってるので、私が買いに行(ゆ)くと長谷川町の番太が来たって別に調合を仕ないで、一本生(いっぽんぎ)の鬼殺しを呉れますが、酒は自慢で」
 武「うむ是は堪らん、では近附(ちかづき)の為に一盃(いっぱい)」
 と喜助に差しました。喜助は頭(かしら)を下げ。
 喜「へー有難う、おいお梅此処(こゝ)へ来い酌をして呉れ手前(てめえ)は己に能く酒を飲むな/\てえが立派なお武家様がこんな汚い家(うち)へ這入って来て番太郎と酒を飲合(のみあ)い、殿様のお盃(さかずき)を私(わし)が飲んで其の猪口(ちょく)を洗(そゝ)ぐのは水臭いって殿様が直(すぐ)に召上ると云うのは酒の徳だ」
 武「酒には上下の差別をしてはいけない」
 喜「洒落(しゃれ)た好い殿様だ、何卒(どうぞ)毎日来て下さいまし、殿様私(わっち)の為めには大切のお店の番頭が私を贔屓で去年の暮に塩辛を呉れましたが、好い鯛の塩辛で、それと一緒に雲丹(うに)を貰ったんですが、女房(かゝあ)は雲丹をしらねえもんだから、鬼を喰うと間違えました、是は※(からすみ)
 武「是は何うも皆(みんな)酒家(さけのみ)の喰う物ばかりで」
 梅「何かお肴を」
 喜「鰻でも然(そ)う云って来ねえよ」
 梅「上(あが)るかえ」
 喜「上っても上らなくっても宜(い)い、鰌(どじょう)の抜きを、大急ぎで然う云って来や、冷飯草履を穿(は)いて往(い)け殿様彼(あれ)は年は二十三ですが、器量が好(よ)うございましょう、幾ら器量が好くたって了簡が悪くっちゃア仕様が無(ね)えが、良い了簡で私(わっち)を可愛がりますよ」
 武「是は恐入った、馳走に成るからお前のうけ[#「うけ」に傍点]も聞かなければならんが、貴様は酒が嗜きだと云う処から初めて私(わし)が来て馳走に成り放(ばな)しでは済まんから、少し譲り難い物を遣(や)ろうか、是は容易に得難い酩酒で有る、何(いず)れで出来るか其処(そこ)は聞かんが、是は何か京都の大内から将軍家へ参って、将軍家から御三家御三卿方へ下されに成って、たしない[#「たしない」に傍点]事で有るから其の又家来共に少しずつ之を頂戴致させるんだが、何うも利き目が違って、其の酒の中へぽっちり、たらりと落して、一合の中へ猪口(ちょく)に四半分もポタリと落してやると何(なん)とも云えん味(あじわ)いのものだ、飲む気が有るなら遣ろうか」
 喜「是は何うも、何(なん)ですかえ…夫(それ)は有難うございます…此盃(これ)へ何卒(どうぞ)…是は何うも頂く物は、えへゝゝ大きな物へ」
 武「余り大きな物へ入れちゃア困る、徳利が小さいから、これへ入れてやろう」
 風呂敷を解いて小さい徳利を取出(とりいだ)して、栓(くち)の堅いのを抜きまして、首を横にしてタラ/\/\と彼是(かれこ)れ茶椀に半分程入れて、
 武「実は私(わし)も親類共へ些(ちっ)と遣り度(た)いと思って提(さ)げて来たのだが、馳走に成って何も礼に遣る物がないから」
 喜「有難う存じます、おゝお梅、行って来たか」
 梅「あゝ行って来たよ」
 喜「今な、禁裏さまや公方様が喰(くら)って、丁寧な事(こた)ア云えねえが、御三家御三卿が喰(くら)う酒で番太郎風情が戴ける物じゃねえんだが、殿様が遣ると仰しゃって戴いた」
 梅「夫(それ)はまア有難い事で、何もございませんが、召上るか召上らないか存じませんが、只今鰌の抜(ぬき)を云い付けて参りましたから」
 武「何も構って呉れちゃア困る」
 喜「宜(い)いから彼方(あっち)へ行ってろ、夫(それ)から香物(こう/\)の好いのを出しな」
 武「夫(それ)を直接(じか)に飲んではいけない、何(ど)んな酒家(さけのみ)でも直接にはやれない」
 喜「なに旦那私(わし)は泡盛でも焼酎でもやります」
 とグイと一口飲みました。
 武「此奴(こいつ)ア気強(きつ)い」
 喜「ムヽ、是は何うも酷(ひど)いな、此奴ア、ムヽ、脳天迄滲(し)みるような塩梅(あんばい)で」
 武「なか/\えらいな、それを二タ口と飲む者はないよ」
 喜「なに二タ口、訳アございません、薩摩の泡盛だって何(な)んでもない、ムム」
 梅「何う仕たんだよ」
 喜「なに宜(い)いよ、ム、ム大変だ、頭が割れるような酷いもので、此奴(こいつ)を公方様が喰(くら)うかね」
 武「酒を割ってやらんければいかん、残りは大切(だいじ)に取って置きな」
 喜「ヘエお梅是を何処(どっ)かへ入れて置きな」
 武「ポッチリ酒に割って飲むのだ、私(わし)は少し取急ぐで、是を親類共に持って行ってやらんければならん、又此の頃に来る」
 喜「只今抜きが直(じ)きに参りますが…左様ですか…御迷惑で、誠に失礼を致して恐入ります」
 武「大きに厄介で有った、御家内誠に世話に成りました」
 と丁寧にお武家が家内にも挨拶をして落着き払って、チャラリ/\雪駄(せった)を穿いて行(ゆ)く後影(うしろかげ)を木戸の処を曲るまで見送って、
 喜「有難うございました、どうぞ殿様此の後(のち)も寄ってお呉んなさい、へえへえ有難う、おい嬶(かゝ)ア、大切(たいせつ)に取って置きな、御三家御三卿が喰(くら)うてえんだが、旨くも何共(なんとも)ねえものを飲むんだな、香の物の好(い)いのを出して呉れ、酒家(しゅか)は沢山(たんと)の肴は要らない、香の物の好いのが有ればそれで沢山だ、併(しか)し酷(ひど)い酒を飲(のま)せやアがったなあゝ痛(いて)え、変な酒だな、おいお梅一寸(ちょっと)来て呉んな、ウ、ウ、腹が痛えから一寸来て呉れ」
 梅「極りを云ってるよ、お前飲み過(すぎ)だよ、※癪(せんしゃく)に障るんだよ」
 喜「彼(あ)ン畜生変な物を飲ましやアがって、横ッ腹(ぱら)を抉(えぐ)るように、鳩尾骨(みぞおち)を穿(ほじ)るような、ウヽ、あゝ痛え」
 梅「何うしたんだよ」
 喜「アヽ痛え、ア痛たゝゝ、お、お梅、脊中を押して呉れ、脊中じゃアねえ、肩の処を横ッ腹を」
 梅「何処(どこ)だよ」
 喜「其処(そこ)じゃアねえ、此方(こっち)の足の爪先だ、膝だ、あゝ肩だ」
 ともがいて居ます、恐ろしいもので、節々(ふし/″\)の痛みが夥(おびたゞ)しく毛穴が弥立(よだ)って、五臓六腑悩乱(のうらん)致し、ウーンと立上るから女房は驚いて居ると、喜助は苦しみながら台所へ這い出してガーと血の塊を吐いて身を震わして居る。お梅は恟(びっく)りして、
 梅「家(うち)の良人(ひと)が何うか為(し)ましたから誰方(どなた)か来て下さいよう、總助さん/\」
 總「何うした/\、きまりだ、吐血だ、だから酒を飲んじゃア宜(い)かねえと云うのだ、何う云うものだこれ喜助確(しっか)りしろ、喜助/\」
 喜「ウーン」
 それなりに相成りました。
 總「何う云う訳だ」
 と云うとお梅は涙ながら、これ/\斯(こ)う云う訳で御酒(ごしゅ)を割って飲まなければ宜(い)けないと云うのを家(うち)の良人(ひと)が直接(じか)に飲みましたから身体に障ったのでございましょう。
 總「夫(それ)は怪(け)しからん事だ、何しても御検視を願わなければならん」
 と云うので、御検視到来に相成りお医者も立会って調べると、是は全く酒の毒だが、尋常(たゞ)の死にようではない、余程効能(きゝめ)の強い毒酒ではないかと、依田豊前守様の白洲へ持出したが御奉行が其の酒を段々お調べに成り、医者を立会(たちあわ)して見ると、一ト通りならん処の毒薬で、何でも是は大名旗下(はたもと)の中(うち)に謀叛(むほん)之(こ)れ有る者、お家を覆(くつがえ)さんとする者が、毒酒を試しに来たに相違ないと云うので、女房に其の武家の顔を知って居(お)るかと尋ねると、これ/\斯(こ)う云う姿の武家体(てい)と申し上げたので、人相書を作り八方十方へお手配(てくば)りに成り箱根の前まで手が廻る事に成ったが、知れません。お梅は貞節な婦人ゆえ泣いてばかり居ります。里方で引取ろうと云うと、
 梅「私(わたくし)はお願いだから、あの武士(さむらい)が毒を試しに来て、始めから何うも様子が訝(おか)しいと思ったが、顔を知って居るのは私(わたし)ばかり、此の長谷川町を再び通る気遣いは有るまいから、人の盛(さか)る処へ行ってあの侍を見付けて、亭主の敵(かたき)を強いお上(かみ)に取って貰わなければならないから、何うぞ私(わたくし)を吉原へ女郎に売って下さい、格子先へ立つ人の中にあの武家に似た人が有ったら騙(だま)して捕まえて亭主の敵を討つ」
 と云い張り、幾ら留めても肯(き)かず遂に江戸町(えどちょう)一丁目辨天屋(べんてんや)の抱えと成って名を紅梅(こうばい)と改め、彼(か)の武士(さむらい)の行方を探すと云う亭主の敵討(かたきうち)の端緒でございます。

        二

 今日(こんにち)の処は、長谷川町の番人喜助の続きとお話が二途(ふたみち)に分れますが、後(のち)に一つ道に成る其の前文でありますからお聴き悪(にく)い事でございましょう、扨(さて)築地(つきじ)の本郷町(ほんごうちょう)と小田原町(おだわらちょう)、柳原町(やなぎはらちょう)と町内が繋(つな)がって居りますが、小田原町の家主(やぬし)に金兵衞と申す者がございまして、其の頃は家号(いえな)を申して近江屋(おうみや)の金兵衞と云う処から近金(ちかきん)と云われます、年齢(とし)は四十二に成りますが、真実な人で、女房をお蓮(れん)と云って三十八に成ります、家主(いえぬし)の内儀(かみ)さんは随分権式(けんしき)ぶったものでございますが至って気さくなお喋りのお内儀さんで、夫婦寄ると子が無いので其の噂ばかりして居ります。
 蓮「旦那え/\、もう何(ど)うも何(な)んですね、夫婦の中に子の無い位心細いものは無いと思って居ます、お互に年齢(とし)を取って、来年はお前さんは四十三だよ」
 金「年齢(とし)の事を云うと心細くなるから其んな事を云うな」
 蓮「だってさ、夫婦養子をしても気心の知れない者に気兼(きがね)をするのも厭(いや)だし、五人組の安兵衞(やすべえ)さんなどは、無い子では泣きを見ないから寧(いっ)そ子の無い方が宜(い)いと云う側から子が出来て、今度ので十二人だてえます」
 金「あの人は子福者(こぶくしゃ)だのう」
 蓮「其の癖お内儀さんは痩ぎすで子は無さそうだのに」
 金「お前(めえ)などはポッチャリ肥満(ふと)ってゝお尻も大きいから子は出来そうだが」
 蓮「授かりものですね、子がなければ夫婦養子を仕なければ成りませんが、夫婦養子と云うよりも私の考えじゃア一人娘を貰って置いて、お前様(さん)には甥(おい)だが竹次郎(たけじろう)を宅(うち)へ入れる積りですが、当人が厭だと云うかも知れませんが、お前様の血統(ちすじ)だから是非此の家(や)を継(つが)せるより仕方は無いが、嫁が悪いといけないよ、それが本当の子で無いから私が心細いよ、お前さんには身内だから竹は宜(い)いが嫁の根性が悪いと竹さんまで嫁に捲(まか)れて仕舞って、訝(おか)しな了簡に成って親不孝をされた日にア大変だよ、お前さんが長生きをしてお呉んなされば宜いが若(も)し眼でも眠った後(あと)は大変だよ、だから嫁の宜いのが欲しいね」
 金「欲しいたって無いよ、縁ずくだから」
 蓮「裏に居る売卜者(うらないしゃ)の浪人の娘は好(い)い器量だね」
 金「うむ、彼(あれ)は何(ど)うも無いのう、品格と云い、親孝行でな、彼(あ)の娘(こ)に味噌漉(みそこし)を提げさせるのは惜しいものだ、お父(とっ)さんはヨボ/\してえるがまだ其んなに取る年でもないようだが、寒さ橋(ばし)の側へ占いに出るのだが可哀想だのう」
 蓮「あの娘(こ)を貰い度(た)いもんだね」
 金「貰い度いたって先方(むこう)も一人娘だから」
 蓮「其処(そこ)を工夫してさ」
 金「工夫たって一人子(ひとりっこ)だから呉れないよ」
 蓮「私に宜(い)い工夫が有るんです、先方(さき)は大変に困って居る様子だから、可愛がって店賃(たなちん)を負けておやんなさいよ」
 金「店賃を負けるてえ訳にはいかない、地主へ遣(や)らなくっちゃアならないから」
 蓮「成る丈(た)け催促をしないようにおしなさい」
 金「催促するのも、少しは遠慮をして居るのよ」
 蓮「彼(あ)んな親孝行な娘(こ)は有りませんね、浪人ぐるみ引取っても構やアしない」
 金「親付きでか」
 蓮「親付きだって、あの浪人者なら宜いよ、あの浪人者を呼んで、お前さんね、親一人子一人だが、良い子を持ってお仕合せだ、どうせ宅(うち)へ養子をするのだが、甥の竹と云う者が奉公先から下(さが)って来れば宅の養子に成る身の上だが、彼(あれ)に添わしたいように思うが、お前様(さん)も一人子(ひとりご)だから他(ほか)へ呉れる理由(わけ)にも行(ゆ)くまいから、一緒こたにお成んなさいと云って御覧なさい」
 金「馬鹿ア云え、そんな事が云えるものか、あの浪人は堅い男だ、毎朝板の間へ手を突いて、お早うと丁寧に厳格(こつ/\)した人だが、そんな篦棒(べらぼう)な事を頭を禿(はげ)らかして云えるものか」
 蓮「じゃア斯(こ)う仕ましょう宅(うち)へみいちゃんだのおしげさんだのが綿(わた)摘みの稽古に来ますから、あの娘(こ)にも綿を摘む内職を成さいと云って呼寄せ様じゃアありませんか、幸いすうちゃんが休んで桶が明いてるから」
 金「あゝ云う遠慮深い人だから身装(なり)があの通りだからって寄越すめえ」
 蓮「それは此方(こちら)で貸して手間で差引くといって悉皆(そっく)り私の物を貸して遣って習いに来ればもう占めたもので、内職が出来ても出来なくても、あの娘(こ)のは光沢(つや)が好(よ)くって評判が宜(い)い、是丈(これだけ)揚(あが)ったって手習丈の物はなくても宜いから無闇に手間賃を出してお遣んなさいよ」
 金「夫(それ)は大変な散財だな」
 蓮「夫から段々覚えて来たから前貸だと気を附けてお金子(かね)を貸してやって、ホイ/\云って子の様に可愛がって遣ってお父(とっ)さんが留守の内は私の側に置いて娘(こ)のようにして可愛がって、段々馴染(なじみ)が深く成るうち一年が二年と年月(としつき)がたつ内に、三年経つと竹が年期が明いて来ますから、丁度宜いねえ二人差向いに成ったら気を利かしてお外(はず)しなさいよ、私はお参りに行(ゆ)くよ、二人置いて行(ゆ)けば、冬なら炬燵(こたつ)が有るから当人同志で旨く成って仕舞い、当人が来たいと云えば宜いじゃアないか」
 金「夫じゃア無理無体にか、併(しか)しあの浪人は堅いから寄越すか知らん、おゝ噂をすれば影だ、ピー/\風でさむさ橋に出て居ても、見て貰い人(て)もないかしてもう帰って来た、帰り際に早いから屹度(きっと)寄るぜ」
 浪「えゝ御免を」
 金「はい」
 浪「留守中誠に有難う存じました、えゝ只今帰りました、清左衞門で」
 金「まア一寸お上(あが)んなさいよ」
 蓮「ちょいとお這入んなさい」
 浪「はい御免を、誠に何(ど)うも両三日(さんにち)は引続いてお寒い事で、併しながら何日(いつ)も御壮健(おたっしゃ)な事で」
 金「其んな堅い事を云わないでも宜(よろ)しい、お茶を煎(い)れて羊羹(ようかん)でも切んなさい、なに無く成ったえ、何か切んなよ」
 蓮「切んなって切るものは無いよ」
 金「じゃア最中(もなか)でも出しなよ」
 浪「えゝ御内室(ごないしつ)様私(わたくし)が出ますると娘一人を残しまして一日留守に致し何かと御厄介勝で、夫(それ)にお隣の麹屋のお内儀(かみ)さんが誠に御真実になすって一通りならんお目をお懸け下され誠に有難い事でございます、お礼にも都度(つど)/\上(あが)り度(と)う存じますが何分貧乏暇なしで遂々(つい/\)御無沙汰勝に相成って済みません」
 金「其んな堅い事には及びません、裏の方の屋根が少し損じたから其の内に修繕(なお)させます、お前さんは能く毎日寒さ橋へお出(で)なさる、此の寒いのに名さえ寒さ橋てえんだから嘸(さ)ぞお寒かろう、ピュー/\風で、貴公(あなた)はお幾歳(いくつ)です」
 清「いえ何(ど)うも誠に多病の人間で、大きに病魔(やまい)の為(た)めに老けて見られますんですが、未だ四十六歳で」
 金「御壮(ごさか)んですな」
 浪「いえ甚(ひど)く弱むしに成りまして困ります、貴方(あなた)は何日(いつ)も御壮健ですな」
 金「マお茶をお喫(あが)んなさい」
 清「是は有難う存じます、頂戴致します、結構なお茶で、手前は茶が嗜(すき)で素(もと)より酒が嫌いだから、好(よ)い菓子も買えません、斯(か)くの如く困窮零落しては菓子も喫(た)べられません、斯様(かよう)な結構なお茶、結構なお菓子を、イエ/\是は戴きますまい是は娘に持って行って遣(つか)わしましょう」
 金「今お前様(さん)処(とこ)のお嬢さんのお噂をして居たのだが、実に私は鼻が高い、私の長屋にあゝ云う親孝行の娘が居れば私は何(ど)の位鼻が高いか知れない、お前さんはお仕合せだと云ってお噂ばかりして居ます、お前さんが留守でも隙間(ひま)なく働いて、長屋の評判も好(よ)し、ちょいと宅(うち)へ来ても水を汲みましょうか、買い物はありませんかといって気を附けてお呉れで、御品格と云い、御器量と云い実に申し分が有りませんね」
 清「イエ何う致しまして誠に不束者(ふつゝかもの)で、屋敷育ちで頓(とん)と町家(まちや)の住居(すまい)を致した事がないので様子合(あい)を一向に心得ませんから皆様に不行届勝ちで、夫(それ)に一体無口で」
 金「イエ余りペラ/\喋るのは宜(い)けません、年の行(ゆ)かん娘などがお世辞を云うのはいかんもので、今ね其の家内がお噂をして居ましたので、お宅で何か内職でもおさせですかえ」
 清「イエ恥入ります、碌(ろく)な事も出来ませんが少々ばかり鼻緒を縫ったり致して居ります」
 金「鼻緒も宜(よ)うございましょうが、家内が綿を紡(つ)むことを覚えて近所の娘子(むすめこ)に教えるので、惠比壽屋(えびすや)だの、布袋屋(ほていや)だの、通り四丁目の棒大(ぼうだい)や何かから頼まれましてお店(たな)の仕事ばかり為(し)ますが余程宜(い)い手間で、立派な男の手間位には成ります、処が此の節おすみと云う娘(こ)が休んでて桶が明いてますから、教えて上げ度(た)いが、甚(はなは)だ失礼で何うしたら宜かろうなんて、家内(これ)が云いますから、なに失礼な訳は無い、覚えてお父(とっ)さんのお手助けに成れば結構だ、鼻緒を縫ってお在(い)でのようだが、夫(それ)も時々休みが有るようだ、夫から見れば是は毎日の仕事だから少しはお父さんのお手助けに成るかも知れんと考えたんで」
 清「夫は御親切に有難い事で、実は娘も好(よ)い内職を皆さんが御当家へ来て成さるが、何うかして私(わたくし)もあゝいう内職を覚え度(た)いと申して居りますが、何分立派なお嬢さん方の入らっしゃる中へ」
 蓮「いえそんな事を心配してはいけません、尤(もっと)も宅(うち)へ参る娘達(むすめたち)は可なりの処の娘(こ)ですから其ん中へ這入るのだからとお思いなさるのは御尤ですが、私の着物が明いてますから、碌なのじゃアありません私が若い時分に着たので、今は入りませんから上げちまっても宜(よ)いが、失礼ですからお貸し申します、其の内に手間が取れゝば又拵(こしら)えて上げるように為(し)ますが、是は若い時分に締めた帯で、宅には娘はなし、親類にも女の児(こ)がないから取って置いても仕様が有りませんから」
 金「何か上げなよ、失礼だが半纒(はんてん)を、誠に失礼で御立腹か知らんが襦袢(じゅばん)なども上げなよ」
 蓮「どうぞ不用なのですから、赤いのも今は土器色(かわらけいろ)に成ったんです」
 金「細帯も附けて上げなよ」
 清「是は何(ど)うも恐れ入ります、残らず拝借致しても他の物と違いまして、瀬戸物や塗物は瑾(きず)を付けた位で済みますが、着類(きるい)は着れば切れるもので」
 金「宜しい切れても、仕舞って置いたって折切(おりき)れます、誰(たれ)にも遣る者はなし詰らんわけだから着せて下さい、綺麗な身装(なり)をして出入(ではい)りをして下されば私も鼻が高い、今だって汚くも何(なん)ともない、私の綿入羽織が有ったろう、お前さんの身装を軽蔑(けなす)んじゃアございませんが是は古くって一旦染(そめ)たんで、一寸(ちょっと)余所(よそ)へ行(ゆ)く時に之を着て出て下さると私(わたくし)は鼻が高い、然(そ)うして姉(ねえ)さんは是非寄越して下さいよ」
 清「是は何共(なんとも)何(ど)うも御親切千万有難う、親子の者が窮して居りまするのを蔭ながら御心配下され、着物がなければ貸して遣ろうと仰しゃる思召(おぼしめ)し、千万辱(かたじけな)い事で、御親切は無にいたしません、然(しか)らば拝借を願います」
 蓮「姉さんを屹度(きっと)お寄越しなさいよ」
 清「何(ど)のようにも是は願わなければ成りません、筆も嘸(さ)ぞ悦びましょう」
 金「お筆さんと云いますか、私は始めてお名を覚えました宜しく」
 清「左様なら拝借を致します」
 と清左衞門悉(こと/″\)く悦んで、ニコ/\しながら家(うち)に帰って来ました、娘お筆は、寒さの取附(とっつき)だと云うにまだ綿の入った着物が思うように質受(しちうけ)が出来ず、袷(あわせ)に前掛だけで短い半纒に幅の狭い帯を締てお筆は頻(しきり)に働いて居ります。
 筆「おやお帰り遊ばせ」
 清「今日は風が吹くんで往来も繁くないから早く帰って来た」
 筆「私がお迎いに出ようと思って居りました処で、大層にこ/\笑って在(いら)っしゃいますね」
 清「お家主(いえぬし)さんが御親切に色々仰しゃって下さり、それにあのお内儀さんは綿を紡む内職が名人だそうで近所の娘達も稽古に来るからお前も遣(よこ)したら宜かろうと、色々と御親切に仰しゃって衣類まで貸して下さり、此の通り私(わし)に綿入羽織にしろと被仰(おっしゃ)ってこれを貸して下すった実に御親切な事で恐入った訳で、仇(あだ)に思っては成りませんぞ、実に仕合せな事で、何(ど)うか一生懸命に覚えて呉れるかね」
 筆「お父様(とうさま)、私(わたくし)は一生懸命に神信心をして上手に成ってお父様のお手助けをいたし度(と)うございますから御心配なく、来年の夏迄には屹度(きっと)一人前に成りますから」
 清「然(そ)う早くも覚えられまいが其の心得で居れば宜(よ)い」
 と直(すぐ)に貰った着物を着せて礼に遣ると此方(こちら)は嫁に仕様と思うのでございますから、ちやほや致し是から綿紡みを教えまして出来ても出来なくても、あゝ能く出来た、お前のはお店(たな)の受けが好(よ)い是は光沢(つや)が別だと云うので手間を先へ貸して呉れるように致して万事に気をつけて呉れるから大仕合(おおじあわ)せで、其の内暮になると何か手伝いをして遣り度(た)いと思って居る処へ清左衞門が礼に参りました。
 清「エヽ御免を蒙(こうむ)ります」
 金「おやお出(いで)なさい斯(こ)うなって近々(ちか/″\)お出でになるに、然(そ)うお前さんの様に窮屈で悪固(わるがた)くっては困る」
 清「何うも私は武骨者で困ります、段々とお世話様に相成り何共(なにとも)お礼の申し上げようが有りません、先達(せんだって)は又出来もせんものに、前以(まえもっ)てお給金を頂戴致し、中々今からお手間などを戴けるわけのものでは有りません」
 蓮「なアにお前さん何日(いつ)でも旦那と噂をして居るの、大層お店(たな)の受けが宜(よ)い事、ちょいとお前さん早くお出しなさいよ」
 金「あれはね其のどうせ来年の三月迄の手間賃で、私が上げる訳じゃアない、店(たな)から来たんだから遠慮をしてはいけない、是はね私の心許(こゝろばか)りのお歳暮でお筆さんに上げます、家内がお年玉をって、今から年玉を上げるのも可笑(おか)しいが、どうせ上げる物だからお歳暮と一緒に預かって置いて下さい」
 清「是は何うも暮の二十八日にお年玉を、是は千万辱(かたじけ)ない事で」
 蓮「それから正月のうちはね、女子供は皆(みんな)美(よ)い身装(なり)をして来るから、貴方もお筆さんに着せ度(た)くお思いでしょう、また追々(おい/\)春の手間で差引きますが、年頃の娘の事ですから皆の身装を見たら羨(うらやま)しくも思いなさろう、仮令(よし)其様(そん)な気がないにもせよ、お筆さんばかり悪い身装をして来る訳にもいきますまい、是は台なしに成って今は不粋(ぶいき)ですが、荒っぽい小紋が有るんです、好(い)いンじゃアないんですが、お筆さんは人柄だけに小紋の紋付はお似合いだろうと思って、仕立屋へ遣ったんではないので、家(うち)で縫ったんですよ、夫(それ)に帯は紫繻子(むらさきじゅす)が宜かろうと、斯(こ)う云う訳で、赤い物が交(まじ)って気に入らないかも知らないが、朱(しゅ)の紋縮緬(もんちりめん)と腹合せにしてほんのチョク/\着るように、此の前掛は古いのですが、二度ばかりっきゃア締めないんで、此の簪(かんざし)は私が若い時分に買ったんですが、丸髷(まるまげ)には差せないから、不粋(やぼ)なもんですが…」
 金「貴方にお歳暮に羽織を上げましょう」
 清「是は何うも斯うは戴けません、其んなに無闇と然(そ)う下さる訳のものではない、又人様に無闇と戴くべき道理がない、然う御贔屓下さいますと却(かえ)って褪(さ)めるもので、何うか末長く幾久しく」
 金「其んな堅い事を云わずに取ってお置きなさい、只上げやアしません、後で差引きますよ」
 清「こんなに何うも何共(なんとも)ハヤ千万有難う、親子の者が助かります、彼(あれ)は誠に孝行致して呉れ、親思いでワク/\致して呉れますが、才覚(はたらき)の無い親を持って不便(ふびん)とは思いながら、何一つ買って与える事も出来ませんが御当家(こちら)へ内職に上(あが)るように成ってから、結構な櫛を戴いたり、食物(たべもの)まで贈って下さり、何(なん)たる御真実の事か実に何(ど)うも此の御恩は決して忘却は致しません、千万辱ない事で有難う、折角の思召ゆえ当季拝借致しましょう」
 と悦んで包みに致し小脇に抱えて宅(たく)へ帰って話すと娘は飛立つ程の嬉しさ、是から僅(わずか)な物を持って娘が礼に参るような事で、其の年も果てゝ宝暦三年となりましたが、職を致す者は大概正月廿日(はつか)迄は休みますので、此の金兵衞の宅(うち)の内職も十七日迄休みでございます、丁度六日お年越しの朝早く起きて金兵衞は近辺に年始に出ました、此方(こちら)はお筆が昼飯(ひるめし)を喰(た)べましたから、かねて近金から貰った小紋の紋付に紫繻子の帯を締めて出ると一際目立つ別嬪(べっぴん)でございます、時々金兵衞の家内とお湯に行(ゆ)きますから誘いました。
 筆「お内儀(かみ)さんお湯に入(いら)っしゃるならお供を致しましょう」
 蓮「私は今御年始客が有るから先へ行ってお呉れ、直(すぐ)に後から行(ゆ)くから、柳原町のお湯だろうね」
 筆「はい」
 娘は一人でお湯に参りましたのが一つのお話になりますことで、お筆がそこ/\に湯から上りましたがまだお内儀さんが来るようすがない、何か御用が出来てお手間が取れるのか、お迎いに行(ゆ)こうかと、手拭を小桶で絞って居ると、最前から板の間で身体を洗って居た婆さんは、年の頃六十四五で、頭の中央(まんなか)が皿のように禿げて居り、本郷町の桂庵(けいあん)のお虎と云うもので、
 虎「ちょいと姉(ねえ)さん、待ってお呉れよ……おい姉さん」
 筆「はい」
 虎「お前ね、今此処(こゝ)に居る人は一人か二人しか居ないよ、小紋の紋付に紫繻子の帯を締めて良(い)い処(とこ)のお嬢さんのふりをして、大胆な女じゃアないか人の金入(かねいれ)を取りやアがって、あの巾着にゃア金は沢山(たんと)入ってやアしないよ、三両一歩入ってるの、此方(こっち)へ返えせ、此の前(めえ)も此方ア銘仙の半纒が失(なくな)ってらア、疾(と)うから眼を注(つ)けて居たんだ、近所で毎度顔を見て知ってるぞ、左の袂(たもと)に入ってるから出しなよ、何(なん)だ利いた風な阿魔女(あまっちょ)だ」
 と口穢(くちぎた)なく罵(のゝし)るのを此方(こちら)は何を云われても只おど/\して居ると、お虎婆アは無闇に来てお筆の袂から巾着を引出して、
 虎「それ見やアがれ此の通りだ、此の阿魔女め」
 と小桶を取って投(ほう)り付けると小鬢(こびん)に中(あた)って血が出る。娘だけに他(はた)が大騒ぎで、
 番「外へ立っちゃアいけません、板の間稼ぎでも何でもない物の間違でげす」
 と云って居る所へ、人を掻分けて近江屋金兵衞が参り、
 金「何だ/\」
 番「是は大屋さん入らっしゃいまし、相手は帰りましたが、本郷町の桂庵婆(ばゞあ)のお虎てえいけない奴で」
 金「何か取ったのか」
 番「婆アが取ったんじゃア有りませんが、貴方の店子(たなこ)で、それ浪人で売卜(うらない)に出る人が有りましょう」
 金「ア、ア」
 番「あの綺麗な娘が有りますな」
 金「ア、お筆さんと云うのだが、何(なん)だえ、何(ど)う云う間違いなんです」
 番「婆アが云いますには嬢さんが巾着を取ったって、嬢様(さん)が着物を着て了(しま)い、手拭を絞ってる所へ婆アが板の間から飛んで来て嬢さんの袂へ手を入れると、辷(すべ)り込んだのでゞも有りますか巾着が出ましたお嬢様(さま)が他人(ひと)の物を取るようなお子様じゃア有りませんが」
 金「なにー、篦棒めえ、貴様は何だ」
 番「湯屋の番頭で」
 金「何だって番をして居るのだよ」
 番「番はして居ましたが、袂から巾着が出たので」
 金「出たって他人(ひと)の物を取るようなお筆さんじゃアねえのに、そんな悪名(あくみょう)を付けられて堪(たま)るものか、己の店子に間違いが有っちゃア此の儘に捨置かれねえ、何処(どこ)までも詮議を為(し)なけりゃアならねえ、他(ほか)の事とは違う、婆アは何処に居る、姉さんは何処に居る」
 番「お虎婆アは先刻(さっき)帰りましたが、何(なん)でも是は姉さんに恨(うらみ)が有って仕た事でしょう、姉さんは間が悪いとでも思ったか、裏口から駈け出した限(き)り行方が知れません」
 金「夫(それ)は大変だ」
 と汗をダク/\かいて宅(たく)へ帰って参り、
 金「おい/\何故お前(めえ)お筆さんと一緒に湯に行(い)かねえんだ」
 蓮「だって尾張町の夫婦が子供を連れて来て漸(ようや)く帰して仕舞うと又彌兵衞(やへえ)さんが来たのだもの」
 金「今本郷町の桂庵婆アがお筆さんに泥棒をしたって悪名(あくみょう)を附けやアがった」
 蓮「お前さん黙って居たかえ」
 金「己は跡から行ったのだから様子が分らねえ」
 蓮「お前さん何(なん)の為に行ったんだねえ」
 金「知らずに行ったのよ、板の間だと云う騒ぎなんだがお前さえ附いて行(ゆ)けば其んな事ア有りアしねえんだ」
 蓮「私は宅(うち)の片付け物をして居らアねお前さんこそブラ/\遊んでばかり居る癖に」
 金「遊んでやアしない、己が今湯屋の前を通り掛ると人が立って居るから、何うしたんだてえと、浪人者の姉さんがなコレ/\てえから慌てゝ帰(けえ)って来た…おゝ清左衞門さんか、此方(こっち)へお這入り、大変な事が出来た」
 清「へえー何う云うお間違いで」
 金「今家内に小言を云ってる処ですが、お筆さんと湯へ行(ゆ)く約束をしてお筆さんが誘って下さると、丁度客が来て居たもんですから、お筆さん一人で柳原町(やなぎはらまち)の湯へ行くと、本郷町の桂庵の婆ア、意地の悪そうな奴で妾の周旋(しゅうせん)をしたり何(なに)かしていけない奴です、其奴(そいつ)がお筆さんに己の巾着を取ったって、板の間から直(すぐ)に上(あが)って来てお筆さんの袂へ手を突ッ込んでお筆さんの袂から巾着を引出すと、僅かな金でも……腹ア立(たっ)ちゃアいけない、取ったと云うのではない、是には何か理由(いりわけ)の有る事だろうと思うが、今帰って、家内(これ)へ厳(やかま)しく小言を申して居る処で、お筆さんを奥へ連れてってなだめて居る内に、お筆さんが居なくなったのだが、桂庵婆アに突合(つきあわ)して掛合えば何うでもなるが、何ういう理由(わけ)だか薩張(さっぱり)理由が分らねえ、恨を受けるような事は有りゃアしませんか、姉さんは他人(ひと)に憎まれるような事は有るまいと思うが何か有りませんか」
 清「何処(どこ)へ参りました」
 金「何処へ行ったか分りません、世間へ対して面目なくお前さんに叱られると思って何処(どっ)かへ行ったのでしょう」
 清「はい私(わたくし)は斯(か)く零落を致して裏家(うらや)住いはして居っても人様の物を一厘一毛でも掠(かす)めるような根性は有りません、殊(こと)に御当家様から多分に此の春は戴き物をして何一つ不足なく餅も搗(つ)き明日(あす)は七草粥でも祝おうと存じて居ましたに、人様の物を取りますなんて」
 金「取ったか取らないか未だ分らない、なにお筆さんが人の物を取る訳はないが、お前さん何か本郷町の桂庵の婆アに恨を受けるような覚えは有りませんか」
 清「桂庵の婆ア、あの何(なん)ですか、色の黒い肥満(ふとり)ました…」
 金「左様」
 清「あの豊胖(でっぷり)肥満ました、頭の禿(はげ)た」
 金「左様」
 清「うゝむ、あの婆ア」
 金「ほら何か有るに違(ちげ)えねえんだ」
 清「昨年の十月頃から再度参り、お前の処の娘を他(わき)で欲しがる番頭とか旦那とか有るから世話を致そうと申しますが、私(てまえ)取合いませんでした、すると昨年の暮廿九日に又私(てまえ)方へ参りまして、三十金並べまして、お前さんはお堅いけれ共三十金は容易(たやす)い金じゃアない、殊に暮ゆえ百金にも向うじゃアないか、此の金(きん)を取ってお嬢さんを他家(わき)の妾にしなさればお前さんの為めになる、悪い事は勧めないと申しますから、私(わたくし)は立腹致して、不埓至極な婆(ばゞあ)だ、仮令(たとい)浪人しても武士だ、一人の娘を見苦しい目掛手掛に遣れるものか、何(なん)と心得て居る、そんな事を云わずにと申して又金を出しましたから、私(わたくし)は立腹の余り婆の胸倉を捕(と)って戸外(おもて)へ突出して、二度と再び参る事はならんと云って、唾(つばき)を横ッ面へ吐ッ掛けて遣(つか)わしました」
 金「それだ、何しろ嬢さんの行(い)きそうな処は有りませんか」
 清「左様、何処(どこ)と云って尋ねて参る処も有りませんが、小日向(こびなた)水道町に今井玄秀(いまいげんしゅう)と申す医者が有ります、其の娘と手習朋輩で前々(まえ/\)懇意に致した事が有りますが、手紙の贈答(やりとり)を致すと云う事を聴いて居ましたが夫(それ)へは多分参りますまいと思います」
 金「だから何処か行きそうな処は有りませんか」
 清「中番町(なかばんちょう)で外村金右衞門(とのむらきんえもん)と云う是はその直参(じきさん)と申しても小普請(こぶしん)で居ります、母方の縁類と云う訳でも何(なん)でも有りませんが極(ごく)別懇に致しまして、両度程連れて行(ゆ)きましたが夫へは多分参りますまい」
 金「だから何処か行きそうな処は有りませんか」
 清「谷中(やなか)日暮(ひぐらし)に瑞応山(ずいおうざん)南泉寺(なんせんじ)と云う寺が有ります、夫に宮内健次郎(みやのうちけんじろう)と云う者が居ますが、夫へは多分参りますまい」
 金「行かない処ばかり云っては困る」
 清左衞門は唯おど/\して何処を探そうと云う目途(めあて)もなく心配致して居ります。翌朝(よくちょう)に成って、
 金「清左衞門さん私(わし)の家(うち)へお出(いで)なさい、一緒に七草粥を祝おうじゃアないか」
 と云うので是から諸方へ手分けをして迷子を捜し大川筋を尋ねさせましたが知れません、今七草粥を祝おうと箸を取って、喰(たべ)に掛ると表をバラバラ人が通り、
 ○「何(ど)うした/\」
 □「浪除杭(なみよけぐい)に打付(ぶっつ)かった溺死人(どざえもん)は娘の土左衛門で小紋の紋付を着て紫繻子の腹合せの帯を締めて居る、好(い)い女だが菰(こも)を船子(ふなこ)が掛けてやった」
 △「行って見ろ/\」
 金兵衞も清左衞門も之を聞くと等しく慌てゝ茶椀と箸を持(もっ)たなりで戸外(おもて)へ飛出したから見物人は驚きました。
 ○「何を丼鉢(どんぶりばち)を振廻すのだ」
 清「そ其の土左衛門は何処に居ります」
 金「旦那土左衛門は何処に居ります」
 ○「何を為(し)やアがるんだ、見ねえ、どうも気違(きちげ)えだ、人に飯を打掛(ぶっか)けて」
 金「何(なん)と心得て居る、町役人(ちょうやくにん)だぞ、ど何処だ/\」
 ○「土左衛門へは船子が菰を掛けてやって、ブッカリ/\彼方(あっち)へ流れて行きました」
 と云われて両人は気脱(きぬけ)のした様になり箸と茶椀を持ったなりで帰って来て、
 清「はあー娘は面目ないので身を投げたか」
 金「いや昨夜(ゆうべ)飛込んだものが然(そ)う急に浮く訳のものじゃアない、似た人は世間に幾らも有る、お筆さんはよもや死んなさりゃアしまい、心配なさんな」
 清左衞門は実に呆然(ぼんやり)して、娘は盗賊(どろぼう)の汚名を受けこれを恥かしいと心得て入水(じゅすい)致した上は最早世に楽(たのし)みはないと遺書(かきおき)を認(したゝ)め、家主(いえぬし)へ重ね/″\の礼状でございます、其の儘浪宅をさまよい出(い)で諸方を探したが知れん。不図(ふと)気附いたは高奈部(たかなべ)の家の姪(めい)は放蕩無頼の女で、十六位から浮気心が有って、只今は女郎に成って居ると云う事だが、折々先方から手紙が来て、私(わし)に知らさんように手紙の贈答(やりとり)をして居ったが、万一(ひょっと)したら行(い)き宜(い)いから左様な処へでも行きはしまいかと、是から吉原へ這入って彼処此処(あちこち)を探して歩行(ある)いたが分りません。店先を覗(のぞ)きながら段々来て、江戸町一丁目の辨天屋の前まで来ました。
 娼「ちょいと喜助(きすけ)どん、あの格子先に立って居るお客さんに会いたいから、そら覗いて居る人だよ」
 喜「えへゝ旦那/\」
 清「はい」
 喜「華魁(おいらん)が貴方にお目に掛りたいと仰しゃいますんで」
 清「左様でございますか、何処(どれ)へ出ます」
 喜「何うか籬(まがき)の方へお出(いで)を願います」
 其の内華魁が上草履(うわぞうり)を穿(は)いて跡尻(あとじり)から廻って参りますのを見て。
 清「お前さんかえ、すっかり忘れてしまった、極(ごく)年の行かん時分に会ったのだから」
 娼妓はいきなり清左衞門の胸倉を固く捕(と)り、声を振立て、
 娼「此の武家(さむらい)だよ、私の亭主に毒を飲まして殺した奴は」
 清「何をする………」
 其の中(うち)に若者(わかいもの)が多勢(おおぜい)にて清左衞門を取押えて大門(おおもん)の番所へ引く事に成りました。是れから直(すぐ)に町奉行所へ出て、依田豊前守のお調べに成りましたが、此の下河原(しもがわら)清左衞門は人違いか、全く彼(か)の毒を盛った武家(さむらい)か、是れは後篇に申し上げることにいたします。

        三

 えゝ引続きの依田政談で依田豊前守御勤役中には少しお六(むず)ケしい事があると吟味与力に任して置かず直々(じき/\)の御裁断がありまして、先(ま)ず重罪なるものは罪を軽(かろ)くいたすようなお情深いお奉行で余程お調べに仁恵(じんけい)がありました事でございます、其の中でも吉田監物(よしだけんもつ)の家の事に付いて豊前守様から曲淵甲斐守(まがりぶちかいのかみ)様へお引継になり、両奉行の誉(ほまれ)になったというお話でございます。宝暦の三年下河原清左衞門という浪人者が築地小田原町に裏家住いを致して居る中(うち)に、家主(いえぬし)金兵衞が、娘の孝心から誠に気の毒だというので、目を掛けましたから大きに親子の者も貧苦を免(まぬか)れ幸(さいわい)を得て喜んで居る甲斐もなく、翌年宝暦四年正月の六日年越しの晩に娘の行方が知れなくなったので、父の下河原清左衞門が娘を探しに吉原に懇意に致す婦人が遊女になって居ると云う話だから、相談をしようと云うので、事によったら娘が懇意に致した婦人があるから、其の遊女の所へ尋ねて往(ゆ)きはしないかと、吉原へ参って格子先を覗いて歩くと、辨天屋祐三郎(ゆうざぶろう)という江戸町一丁目の大籬(おおまがき)の次位大町(だいまち)小見世(こみせ)というべき店で、此の家(や)の紅梅という女が籬まで廻って呉れというので、娘が居た事と心得て籬へ廻ると、紅梅が下(おり)て来まして突然(だしぬけ)に清左衞門の胸倉を取って、私の亭主に毒酒を盛(もっ)た侍が通ったらば知らせて呉れ、と若い者にも頼んであるから、四五人の若い者が来て左右を取巻き会所へ連行(つれゆ)くというので、清左衞門は会所へ引かれて、是から田町(たまち)の番屋へ廻され、一通り調べがあって依田豐前守役宅の砂利の上に坐る様な事になったから、人という者は災難のあるもので、此の毒酒の事に就(つい)て依田様は余程心配をなすって居たと見えて、直(すぐ)に白洲へお呼出(よびいだ)しに相成り、辨天屋の遊女紅梅、祐三郎代(だい)かや、附添の者が皆出て居ります、清左衞門縄に掛って御町(おまち)奉行へ呼出される、依田様は八ツ時の御下城から直に御出席に相成りまして、じっと下河原清左衞門の顔を見て居りましたが、人は見掛けに依らんものと見えて柔和温順の人に悪人があったり、或(あるい)は人殺しでもしそうな強(こわ)い顔色(がんしょく)の者に却(かえ)って誠の善人がある、解らんものでございますから名御奉行は皆向うの云う事を聞きますに、心に蟠(わだかま)りがあると言葉に濁りがあるから、目を眠って裁判を致されたと申しますが、依田様も吟味中は目を眠って先の云う事を聞かれました。
 豐「新吉原町江戸町一丁目辨天屋祐三郎抱え紅梅、祐三郎代かや附添の者罷(まか)り出(い)でたか」
 かや「皆出でましてございます」
 豐「うむ、紅梅何歳に相成る」
 紅「はい二十七なんです」
 豐「うむ、其の方昨年十一月三日亭主番人喜助に毒酒を盛ったる侍を取押えた由、是なる浪人清左衞門は其の方の夫喜助に毒を盛ったる者に相違ないか」
 紅「はい、間違いやアしません、何も女郎になりたい事はありませんので、一生懸命に何(ど)うかして亭主の敵(かたき)が討ちたいと思って親類の止るのも聞かずに泥水の中に這入り、苦海(くがい)の中(うち)に居ても万一(ひょっと)して敵を尋ぬる手掛りにもなろうと思ったから、此んな処へ這入って居るので、察してお呉んなさいよ」
 なんと云う。お奉行様は少しお考えで、
 豐「夫(それ)に相違ないな」
 かや「かやが申し上げますが、もう紅梅が勤めて居りまして皆(みんな)是々(これ/\)だと打明けて話しました、店の若い者や何かに皆(みんな)頼んでありますから、網を張って待って居た処へ、あの侍が来たというので一時(いちどき)に取押えましたから、まア容易(たやす)く縄に掛けて会所へ廻し、此の度(たび)御奉行様の御厄介に成りましたどうか何分宜しくお願い申します」
 豊「うむ、浪人下河原清左衞門」
 清「はゝア」
 と残念そうな顔をしてずっと首を擡(あ)げました。
 豐「其の方は何歳だ」
 清「四十九歳に相成ります、へえ…」
 豐「昨年十一月三日八ツ半時(どき)と申す事じゃが、番人喜助方へ参って小さい徳利(とくり)を持ち銘酒だと云って喜助に毒を飲ませたに相違あるまい、真直(まっすぐ)に白状致せ」
 清「恐れながら手前毛頭覚えがございません、はい何故(なにゆえ)に毒を盛りましょうか、何等(なんら)の人違いか、頓と解りません、侍でござる、仮令(たとえ)浪人しても汚名は厭(いと)います事で、如何にも残念に心得まする、何故斯様(かよう)な事を申すか頓と相解りません、神に誓い決して人を毒殺いたすなどゝいうは毛頭覚えのない事、御推察下さるように」
 豐「其の方何様(いかよう)に陳じても、是なる遊女紅梅は貞節なる心から致して夫(おっと)の敵が討ちたいばかりで遊女になり、其の侍を取押えて上(かみ)に厄介を掛けても亭主の仇(あだ)を討ちたいという精神から致して漸く尋ね当てた事である、迚(とて)も逃(のが)れる道はない、さア何方(いずかた)に於(おい)て毒薬調合致したか、それを申せ」
 清「はい、どうも思い掛けない事で、毒薬調合などというは容易ならん事で、医者としては、仮令(たとい)君父(くんぷ)の命たりとも毒薬調合はせぬのが掟(おきて)、夫故(それゆえ)医者に相成る時は、其の師匠へ証文を差出(さしいだ)すと然(さ)る医に承りて承知致して居ります、何故(なにゆえ)に拙者が毒を盛りましょう、毛頭覚えない事、拙者に能く似た者が有って必ず人間違いでござろう、毛頭覚えはございません」
 豐「亭主の敵を討ちたいという心掛の女が、毒を盛った者と他(た)の者と取り違えようか、如何に陳ずるとも迚も免(のが)れん処、其の方天命は心得て居(お)るだろうな」
 清「存じて居ります、存じては居りますが、決して覚えはございません」
 豊「上(かみ)を欺くな」
 清「いえ欺きません、殺して置いて殺さんと云えば上を欺き、殺しませんものを殺したというも上を欺く事でございます、どのような強い責(せめ)に遭いましても覚えない事は白状いたされません、はい如何にも残念な事で、御推察下され」
 とどうも言葉の様子に曇りもなく、毒を盛るような侍ではないなと云う事がお目に触れたから、
 豊「然(しか)れば其の方は前々(ぜん/\)は何処(いずく)の藩中である、主名(しゅめい)を申せ」
 清「主名は申されません、主家(しゅか)の恥辱(はじ)に相成る事、どのようなお尋ねがあっても主人の名前は申されません、仮令(たとい)身体が砕けましょうとも、骨が折れましても主名を明かしましては武士道が立たんから決して申し上げられません」
 豐「其の方出生(しゅっしょう)は何処(いずく)だ」
 清「天地の間でございます」
 豐「黙れ、其の方奉行を嘲弄(ちょうろう)いたすな」
 清「いえ/\、何(ど)ういたして、天下のお役人様、殊に御名奉行と承り承知致して居ります、甚(はなはだ)恐れ多い事で、決して嘲弄は致しませんが、主名を申すと主(しゅう)の恥辱(はじ)に相成るから申し上げられんと云うので、又々生れ処をお問がありましても是を申し上げればおのずから主名を明すような事で、故に天地の間と申し上げましたが、何はやお上を軽蔑いたすような申し分で重々恐れ入ります、だが何(ど)のように仰せられ肉がたゞれ骨を砕かれても決して申し上げられません、毛頭覚えはございません」
 と更に恐るゝ気色(けしき)なきに御奉行も言い様がない。主名は明されん、武士道が立たんというに、
 豐「吟味中入牢(じゅろう)申し付ける」
 と此の下河原清左衞門が入牢を申し付けられたのは実に災難な事で、なれども斯ういう柔和の人が或(あるい)は毒を盛ったか解りません、是から何(いず)れも念に念を入れ、吟味与力も骨を折って調べたがいっかな云わん、誠に薄命の事で。是からお話が二つに分れまして、又娘のお筆は、どうも身に覚えのない濡衣(ぬれぎぬ)で袂(たもと)から巾着が出て板の間の悪名(あくみょう)を付けられたからは、お父(とっ)さんが物堅いから言訳を申しても立たない、誰(たれ)にも顔を合されないから寧(いっ)その事一と思いに死のうというので、湯屋の裏口から駈出して小日向に参りましたのは、祖父(じゞ)祖母(ばゞ)の葬ってある寺は小日向台町(だいまち)の清巌寺(せいがんじ)で有りますから参詣を致し、夫(それ)から又廻り道をして両国へ掛って深川霊岸(れいがん)の寺中(じちゅう)永久寺(えいきゅうじ)へ参り、母の墓所へ香華(こうげ)を手向(たむ)けて涙ながら、
 筆「もしお母様(っかさん)、誠に私(わたくし)は不孝者でございます、お母(っか)さんには早くお別れ申して何一つ御恩も送らず小さい時から御養育をうけました大恩のある一人のお父(とっ)さんを捨(すて)て、先立つ不孝は済まぬ事ではございますが、どうもお父さんの前へ面目なくってお顔が合わせられませんから、お父さんに先立って今晩入水(じゅすい)致し相果てます、草葉の蔭にお在(いで)なさるお母様にお目に掛りまして不孝のお詫を致しますから、どうぞお免(ゆる)し下さい」
 と生(いき)たる母にもの云う如く袖を絞って泣き伏して居ますのがやゝ暫くの間で、其の中(うち)に最(も)う日が暮れかゝりましたから霊岸を出て、深川の木場を廻り夜(よ)の更(ふけ)るを待(まっ)て永代橋(えいたいばし)へ掛りました。其の時空は少し雪模様になってひゅう/\と風が吹き往来(ゆきゝ)も止った様子、当今なれば巡査がポカアリ/\廻られて居るから飛込む事は出来ませんが、人通りのないのを幸(さいわい)欄干に手を掛けて、
 ふで「南無阿弥陀仏/\」
 と唱えながら覚悟を極めましてぽかり飛込みました。するとすーッと浮くもので、飛込むと丁度足が下へ着くとずっと浮く、夫(それ)から又沈んでまた浮く、其の中(うち)にがぶ/\水を飲んで苦しむので断末間(だんまつま)の苦(くるし)みをして死ぬのだと云う事で、沈着(おちつ)いた人は水へ落ちても死なぬと申します、彼(あれ)は慌(あわ)てると身体が竪(たて)[#「竪」は底本では「堅」]になるので沈みますので身体が横になると浮上るものです、心の静(しずか)な人は川へ落ちても、あー落ちたなと少しも騒がないで腕を組んで下迄すーっと沈むと又ずっと浮いて来る、処で水をかけば助かるというのですが、然(そ)う旨くは行(ゆ)かん者で、お筆は二度目にずッと浮上った処へ、永代の橋杭(はしぐい)の処へずッと港板(みよし)が出て何(なん)だか知りませんがそれと云って船頭が島田髷を取って引上げました。
 船頭「まだ宜(よ)うござえやす息があります」
 客「まだ事は切れない、もう少し此方(こちら)へ入れてくんな、濡(ぬれ)てゝも宜(よ)い、大方然(そ)うだろうと思ったが全く死後(しにおく)れたに違いない、彌助(やすけ)お前其処(そこ)を退(ど)きな、何か薬があったろう、水を吐かせなければならん」
 と大騒ぎ、大勢寄って集(たか)って介抱したから、お筆は漸(やっ)と気が付いて見ると屋根船の中(うち)でございます、それに皆知らん人許(ばか)りでござりました、見ると其の儘泣伏しますを見て共に涙を拭います客は、夫婦連れと見えて、
 主「やア是はおとみじゃアない」
 妻「おや/\私は着物や帯の模様が似て居たから必然(てっきり)おとみだと思ったら、着物の紋が違って居る」
 主「おゝ然(そ)うだ、誠に何(ど)うも…まあ気が付いて宜かった、何しろ気の毒な事だ、もし姉(ねえ)さんお前何ういう訳だえ」
 筆「はい、何うぞお見逃しなすって下さい」
 主「見逃せたって何う見殺しになるものか、船の港板端(みよしばた)へ、どぶんと音を聞いたから船頭に引揚げて貰って介抱した処が気が付いたので安心致しましたが、もし姉さんまアお聞きよ、そりゃ能々(よく/\)の事だから身を投げたのであろうが、見逃すという訳には往(い)かん、まア私の家(うち)は浅草の福井町(ふくいちょう)だから…何う云う事か家へ帰って緩(ゆる)りと事柄を聞きましょう…あれさ然(そ)んな事を云っても姉さん打捨(うっちゃ)って置く訳にはいかぬ」
 筆「それでもどうぞお見逃しなすって」
 主「そんな事を云わずに姉さんまア心を落着けなさい」
 筆「はい、是には種々(いろ/\)訳があって死なねばなりませんので」
 主「夫(それ)は種々訳もあろうけれど兎に角、そんな事を云っても誰でもそんなら死ぬが宜いと手を放して見す/\飛込ませる訳にはいかん」
 妻「まア一旦私の家(うち)へお出でなさい、気を沈めて此のお薬を服(の)んで」
 と夫婦の介抱で漸く気は落着きましたが、
 筆「何うも生きて居(お)られません深い訳の有ります事故(ゆえ)何卒(どうぞ)助けると思召(おぼしめ)して殺さして下さいまし」
 主「助けると思って殺させる者はない、其の訳は緩(ゆっく)り聞こうから兎も角私(わし)と一緒にお出でなさい」
 と漸くに船を急がせ石切(いしきり)河岸へ船を附けて、浅草福井町の米倉屋孫右衞門(よねくらやまごえもん)と申して奉公人の二三人も使って居ります可なりの身代の人でございますが、自分の家(うち)へ連れて参りました。
 孫「これ何を呼びなよ、あの金太(きんた)をそうして表へ錠を下(おろ)すのだよ」
 奉「へい夫(それ)でも駈出すといけませんから」
 孫「駈出す気遣(きづかい)はない、大丈夫だよ、さア姉さん此処(こゝ)へお出で…あのおよしや御仏前へ線香を上げてなアもうお線香が立たない様だから、香炉の灰を灰振(はいふる)いで振(ふる)ってお呉れ…見れば誠にお人柄の容姿(みめ)形も賤しからん姉さんだがお屋敷さんか、どういう処にお在(い)でゞ、何ういう訳があって身を投げたか、それを聞かせて下さい、親御も嘸(さぞ)案じて居ましょう、能く考えて見なさい、両親を残してお前様(さん)、先立って死ぬというのは無分別と申す者で、同胞(きょうだい)衆も御親類でも何(ど)んなに心配するか知れん、何ういう事があるかは知らんが、何(なん)の死なゝいでも宜(よ)い事と人に笑われる事の有るもの、歳の行(ゆ)かん内は分別なしで困るものさ、実にそれは後(あと)に残る御両親のお心根をお察し申します、其の歎(なげ)きは何(ど)の位だか知れませんよ」
 筆「はい、何うも御親切に有難う存じますが是には種々深い訳がありまして、名前住所(ところ)は申し上げられません、どうぞお慈悲と思召してお見逃しなすって下さい」
 妻「まア然(そ)んな事を云わずに何うか其の訳を聞かせて下さい、私も娘の行方が知れなくなって、それがまア実は家(うち)に居た手代の金次郎(きんじろう)という者と、まア誠にお恥かしい事だけれども悪い事をして、親にも申し訳がないというので死ぬ気になったと見え、二人共家を出で昨日(きのう)まで行方が知れません、処が金次郎の死骸だけは分って鉄砲洲(てっぽうず)で引揚げましたから金次郎の親の家が芝(しば)の田町(たまち)で有りますから旦那と私と行って是々と話すと先方(むこう)でも一方(ひとかた)ならん歎(なげき)ではありましたが、まだ私の娘の死骸が分りませんので諸方へ手分(てわけ)をして捜している内、何処其処(どこそこ)へ斯(こ)ういう死骸が流れて来たなどゝ人の噂を聞き、船で彼方此方(あちらこちら)捜して永代の橋の処まで来ると、今飛込んだ娘があるというから、実は自分の娘と思って慌てゝ船頭に頼んで引揚げて貰った処が、お前さんまア歳頃といい私共の娘と同じ形(なり)の小紋の紋附帯も矢張(やっぱり)紫繻子必定(てっきり)我子(わがこ)と思いましたが、顔を見れば違っているから、実は落胆(がっかり)しましたが、娘を持つ親の心持は同じ事で、嘸(さぞ)お前さんの親御も案じてお在(い)でだろうから、何事も打明けて仰しゃいまし」
 と親切に言われて、お筆は唯泣いて居りました。

        四[#「四」は底本では「三」と誤記]

 お筆は漸々(よう/\)顔を上げまして、
 筆「御親切は有難う存じますが、是には深い訳がございまして、親共に顔向の出来ない事で、何卒(どうぞ)お見逃し下さい、親共は堅い気性でございまして、此の儘帰れば手打に相成ります、それも厭(いと)いませんが却(かえ)って憖(なまじ)い立腹をさせるよりは今一思(ひとおも)いに死んだ方が宜いと存じますから……」
 孫「そんな解らん事を云って困るよ、お父(とっ)さんが手打にするというのは夫(それ)はほんの嚇(おど)しで、能く然(そ)んな事をいう者だが、私共のような者でも一人娘が時々心得違いの事でもあると、只(たった)一人の娘でも叩き出すというが、お侍が手打にするというのと同じ事で、決して本当に手打にしたり、叩き出したり出来る訳の者ではない……これ時藏(ときぞう)[#「時藏(ときぞう)」は底本では「由藏(よしぞう)」と誤記]は帰ったか何うも知れないか」
 時「へえ、王子(あちら)の方でも、何うも彼方(あちら)へ入(いら)っしゃいませんそうで彼方でもお驚きで、何(いず)れ此方(こちら)からお訪ね申すという事で」
 孫「夫は困ったなア、あの瀧二郎(たきじろう)は帰って来たか」
 瀧「へえ、只今帰りました」
 孫「何をマゴ/\して居るのだ早く此方(こっち)へ来て知らせて呉れないでは困るなア、何うだのう、知れないか」
 瀧「へえ、伊皿子台(いさらこだい)の方へもお出でがないって、何うもお驚きで誠に飛んだ事でお仕合せな事でと斯(こ)う申しました」
 孫「何がお仕合せだ、何(なん)だか解らん口上ばかり云って……まアも一度本気になって迷児(まいご)を尋ねに出て貰いたい」
 瀧「迷児どころではない、もう十八になった娘でございますから迷親(まいおや)で」
 孫「誰だ、そんな悪口(わるくち)をいうのは」
 御主人は立腹致す、大騒ぎで、是から八方へ手を分けて尋ねまする中(うち)に、築地の方へ流れて来た死骸は是々だというから直(すぐ)に行って見ると全く娘の死骸でございますから、直に検視を願って漸く家(うち)へ引取って、野辺の送りを致すやら実に転覆(ひっくりかえ)るような騒ぎ、それで段々延々(のび/\)になって彼(か)の娘の事をきく間(ま)もないほどの実に一通りならん愁傷で、先(まず)初七日(しょなぬか)の寺詣りも済みましたが、娘は駈出そうと思っても人が附いて居るから、又駈出して愁傷の処を騒がせて厄介を掛けては気の毒と思ったから、奥の狭い処へ這入って只此処(こゝ)の親達の心を察しは[#「察しは」は「察しては」の誤記か]泣き、自分の親も嘸(さぞ)案じて居るだろうと心配しては泣き、見るにつけ聞くにつけても涙ばかり、漸く二七日(にしちにち)も済みましたから、
 孫「どうも大きに御苦労だった、今度は変死の事だから寺詣りも何も派手には行(ゆ)かず、碌々他に何も致さんが、何(いず)れ仏の為には功徳をする積りだ……あのなに何(なん)とか云った、あの娘(こ)の名よ」
 妻「まだ申しませんよ」
 孫「困るのう、何とか云って呉れゝば宜(い)いに、何うしても云わんかえ、是へ呼んでおくれ、婆さんお前に昨夜(ゆうべ)云った事を得心するだろうか、まア姉さん此処(こゝ)へお出で、泣かなくっても宜(よ)い、実に私が泣きたい位だ、少し察しておくれ」
 筆「はい嘸段々お淋(さむ)しゅうございましょう」
 孫「いやもう只(たっ)た一人の娘を失(なく)してまるきり暗夜(やみ)になったようで、お前さんを見ると思い出します、然(しか)しまア私の娘の方は事が分って、斯(こ)うやって二七日(ふたなぬか)も済ましたが、遂々(つい/\)娘の事ばかり思って居て、お前様(さん)の事を聞くのも段々延びたが、何うかお前さんの身の上を打明けて呉れないと困る、ねえ二十日も三十日も人の娘を只預かってお前様の親御に申訳ない、只駈出した訳でない、何(いず)れ仔細あって出た事であろうから親御の心配と云う者は一方ならん事で、お前が明らさまに云って呉れないと何うも困るねえ」
 筆「はい」
 孫「何卒(どうぞ)云って下さい、ねえ私も斯(こ)うやって愁傷の中だから心配を掛けて下さるな」
 妻「本当に旦那の云う通り、して若い中(うち)から余り丈夫でないから今年五十四になって、殊におとみが彼(あ)アいう訳になってから、なお/\ヨボ/\して来てねえ、然(そ)うしてお前のお父(とっ)さんの処へ送り届けなければならないと心配して居ますが、只(たっ)た一人の娘を失(なく)したから何(なん)ならお前さんを家(うち)の娘に貰いたい位で、何しろ話して下さいな」
 とだん/\親切に夫婦が尋ねますからお筆は、胸に迫り、繻絆(じゅばん)の袖で涙を拭きながら、
 筆「はい、はい、誠に御心配を掛けて済みません、それでは申上げますが私(わたくし)は築地小田原町に居りまする下河原清左衞門と申す浪人ものゝ娘でございます」
 孫「なに下河原、フム御浪人だね、築地小田原町で……お母(っか)さんもお達者かえ」
 筆「いえ、私(わたくし)が四つの時に亡なりまして、親父の丹精で是までに成長致しました」
 孫「おゝそれでは尚更案じて居ましょう、早くお知らせ申さなければいけない、これよ時藏や」
 時「へえ」
 孫「えー築地小田原町で何(なん)とか云ったのう、うむ下河原清左衞門と云うお方だ、其の娘でな……お名前は何とお云いだね」
 筆「ふでと申します」
 孫「まアおふでさんかえ……お前一つ下河原さんへ行って、実はお娘子(むすめご)のおふでさんが永代橋から身を投げた処を助けた処が、何(ど)うしても名前を云わないでお届け申す事が出来ず、其の中(うち)私(わたくし)の方でも愁傷の中(なか)で取紛れて、存じながらお訪ね申さなかったが、段々とお尋ね申した末に、漸くお名前も知れたから早速お知らせ申すが、御無事でお在(いで)だから御心配をなさるな、明日(みょうにち)此方(こちら)からお娘子を連れて参るから前以てお知らせ申すと早く行って来な、あゝ申しお家主の名は何(なん)と申しますえ」
 筆「はい金兵衞さんと申します」
 孫「町役人(ちょうやくにん)は金兵衞様(さん)というのだよ、大急ぎでなア」
 時「へえー」
 奉公人は駈出して参りましたが暫らく経って夜(よ)に入(い)って帰って参りました。
 時「へえ只今行って参りました」
 孫「あゝ御苦労だった、分ったかえ」
 時「へえ解りました」
 孫「親御様(さん)も嘸(さぞ)案じて居たろう」
 時「それが其の親御がお娘子を捜しに出たきり行方が知れませんというので」
 妻「此の姉さんのお父(とっ)さんが」
 時「へえ、家主(おおや)さんが大変に案じてお在(い)でゞ、其のお父さんが、只(たっ)た一人の娘を失(なく)し今まで知れないのは全く死んだに違いない、最早楽しみもないから頭を剃って廻国(かいこく)するという置手紙を残して居なくなって仕舞い、諸道具も置形見にして行きましたと云って家主様(おおやさん)も大変心配して居た処へ、此方(こちら)から知らせたので夫婦共に大喜びで、どうも有難い、決してお出でには及びません、私(わたくし)の方から引取に出でます、今晩遅くとも上(あが)りますという事でございます」
 孫「それは/\親切の家主(いえぬし)さんだ」
 筆「えゝ夫(そ)れではお父様(とっさま)は剃髪して廻国にでもお出(いで)になりましたか」
 と泣倒れます。
 孫「それだから早くお前さんが然(そ)う云えば宜(い)いのに、今になって然(そ)んな事を云っても仕方がない、家主が引取に来ると云うから、御酒(ごしゅ)の一盞(ひとつ)も上げなければならないから其の支度をして置きなさい、肴も何か好(よ)い物を取って置くが宜(よ)い…、なに然う泣いて居てはいけない、お父様(とっさん)が頭を剃って廻国をすると云って行方知れずになり、お母様(っかさん)も親類もなくお前さん一人に成って、他に兄弟衆もなく心細くもあろうから、私の処へ居て、是も何(なん)ぞの因縁と思って家(うち)の娘に成って下さい、まア然んな不自由もさせないから、お前を貰って堅い養子を貰いたいが、私の子に成って何うか死水(しにみず)とって貰いたい、築地のお家主にも話を仕ようが、どうか得心して下さいな」
 妻「私(わたくし)も然う思って居ますよ、ねえ姉さん此の儘にずるずるベッタリ家(うち)の娘に成ってお呉れなら養子をして安心を致しますから、何卒(どうぞ)然うして貰い度(と)うございます」
 孫「まア女は女どしだからお前の処へ連れて行って緩(ゆっく)り話をしなさい」
 妻「はい、さアお前此方(こちら)へお出で」
 と孫右衞門の妻が是から次の間へ連れて行って種々(いろ/\)娘に迫るから義理にも厭(い)やとは言われません。
 筆「はい、いずれ考えまして御挨拶を申しましょう」
 と云う内に参りましたのは築地の家主金兵衞で、
 家「御免下さい」
 奉公人「誰方(どなた)だえ」
 家「築地小田原町の町役人山田金兵衞と申す者で」
 奉「入(いら)っしゃいまし、此方(こちら)へお上(あが)りなすって何うか、旦那小田原町のお家主金兵衞様(さん)が入っしゃいました」
 孫「おゝ夫(それ)はまア、此方へどうか」
 家「へい始めまして、えゝ家主山田金兵衞で至って不調法者で不思議な御縁でお目に掛ります、幾久しくお心安く願います」
 孫「はい、始めまして米倉孫右衞門と申す疎忽者(そこつもの)でお心安う願います、これ布団を出しな、烟草盆にお茶を早く…さア何卒(どうか)此方へ/\」
 金「もうお構い下さいますな、誠に此の度(たび)はどうも御親切に有難う存じます、私(わたくし)も心配致して居りましたが店子(たなこ)の者で親子二人暮して居りますが、其の娘が至って孝行者で寝る目も寝ないで孝行をして居るを気の毒に存じ他の店子と違って私も丹精を致して居りました処でまア詰らん事の災難で……全く其のお筆と云う者が桂庵の婆(ばゞア)の巾着を盗(と)った訳では有りません、実はその婆が妾奉公に世話をしてやると云ったのを、お筆の親が侍の事で物堅いから、怪(け)しからん不礼(ぶれい)な婆だと悪口(あっこう)を申して帰しましたのを遺恨に思って、企(たく)んでされたと云う事も直(すぐ)に分って、決して人様の物を取る様な娘ではないので誠にどうも飛んだ災難で、お筆は一途(いちず)に残念に思いました処から、駈出して入水致したを、お助け下さいました趣(おもむ)きで有難う存じます、それに亦(また)お宅の嬢様も御逝去(おなく)なりと承りましたが嘸(さぞ)御愁傷で、七日(なぬか)の朝築地の波除杭(なみよけぐい)の処へ土左衛門が揚ったと云うので、私(わたし)も思わずお筆の死骸と存じまして跣足(はだし)で箸と茶碗を持って駈出す様な事で、行って見ると小紋の紋附に紫繻子の帯を締めまして赤い切(きれ)を頭へ掛けて居りまして、お筆ではないかと存じましたが、それが此方のお嬢様の御死骸と只今承る様な事で」
 孫「成程それは/\誠にどうも」
 金「えゝ其のお筆が居りますなれば私(わたくし)が逢い度(た)いもので、是へ何卒(なにとぞ)お呼びなすって」
 孫「誠に間が悪がって、貴方にお目には掛れないと云って居ります」
 家「なに然(そ)んな事は有りません、これお筆さんや何(なん)でお前どうも困るじゃアないか」
 孫「まア其様(そんな)に大きな声をなすっては却っていけません、これ婆ア此処(こゝ)へ連れてお出で/\」
 妻「さア此処へお出で」
 と孫右衞門の妻に連れられてお筆は面目なげに泣きながら出て参りまして、顔も上げ得ませんで泣伏して居ります。
 家「お前まア、何(ど)ういう訳でそんな軽率(かるはずみ)な事をしたのだえ、無分別の事ではないかえ、私に言い悪(にく)ければ家内にでも云って呉れゝば此様(こん)な事にはならないものを、親父さんは一人の娘が入水を致したからは此の世に何一つ楽(たのし)みはないと置手紙をして世帯道具も其の儘置去りにして行方知れず、だが又帰る事もありましょうから親御の帰るまで私の家(うち)へお帰り、面目ない事は少しもありませんよ、何時迄も此方(こちら)にお世話になって居ては済まん事で、さア、私(わし)と一緒に帰んなさい」
 筆「はい」
 孫「あゝ申し、就きまして貴方に折入ってお願(ねがい)がございますが、此のお筆さんは今は親の無い身の上で何処(どこ)へ参ると云う見当(あて)もない事で、親御の御得心の無い者を私の娘に貰い度(た)いとも申されませんが、お前様(さん)が御承知下されば何(ど)うも此の娘(こ)を私の娘(むすめ)にし度いと思いますが、是が深い縁があって助けたのだと家内も申して居りますので、私は他に子供がないから、何卒(どうか)此の娘(こ)を貰って養子を仕様と云う積りで、親の承知の無い者をお貰い申すと云う訳ではないが、貴方から下さる様に茲(こゝ)は貴方が親御に成って下されば宜(よ)いが、手前(てまい)此の娘子(むすめご)に決して不自由はさせません積りで、へい奉公人も大勢使って居りますが其の中に好(よ)い心掛の者がありますから是を養子に貰おうと存じて居りました処、一人の娘が彼(あ)アいう事に成りましたので此の娘(こ)を助けて連れて帰りましたが、僅(わずか)内に居ります間も誠に親切にして真(まこと)の親子の様にして呉れまして、何(なん)だか可愛(かわゆく)てなりませんで、是も何(なん)ぞの縁でございましょうから、どうか貴方が親御に成って此の娘を下さる様な訳には行(ゆ)きませんか」
 家「成程至極御尤(ごもっとも)の儀ではございますが、別段私(わたくし)が其の親から頼みを受けたということもなし、世帯道具を残らず置いて娘の行方を尋ねに参った事で又帰る様な事に成りましょうから、何(ど)うも私(わたし)が得心の上で差上げる訳にも成りません、手前の方でも又少し夫(それ)はねえ、もしお筆さん、夫もあるものだから直(すぐ)に此方(こちら)の娘と云う訳にも行(ゆ)きますまいと存じます、是はどうも然(そ)う参りませんなア」
 孫「左様ではござりましょうが、ねえお筆さん私が折入ってお願だがどうかね、是も何かの約束と思ってまア、私の娘に成って下さいなね、夫婦とも子のない身の上でどうか願いたいが、のう婆さん」
 妻「どうかねえ貴方が御得心で親御の行方が分る迄も此方(こちら)へ居て貰うよう願い度(た)いものでね」
 と夫婦が種々(いろ/\)に折入って頼みますが、金兵衞は其の実はお筆を連れて帰り、自分の甥の嫁に致したい心底ですから困りまして、
 金「でもございましょうが何(なん)でございます、其の事に付いて種々訳のある事で、私も一通りならん心配を致しましたから一旦連れて帰って家内に面会させまして其の後(のち)の事に致しましょう」
 孫「夫は至極御尤の事でございます、が何(ど)うかまア御無理だが是非願い度い、せめて親御のお帰り迄お預け置き下さい、此の子も御縁あって私の処へお出でに成ったのですから親父さんがお帰りになりましてから其の時お帰し申しても又御承知の上で此方(こちら)へ更(あらた)めて戴くと云う様な事に致し度いもので、どうかなア其処(そこ)は貴方が御承知を願い度いものでございます」
 金「その一体其の何(どう)も私共が兎や角と云う訳ではないが、私の店子でございまして店子と申せば子も同様の者でございますから実は其の私の方で引取るのが当然の訳で清左衞門の文面の様子でも帰る様な事で見れば、又帰りました上で清左衞門へ話も致しますが今晩の処は連れて帰ります」
 孫「さようでは有りましょうが兎も角親御のお帰りまで貴方御得心でお預け下さいます様に願い度いもので」
 金「夫(それ)は何(ど)うもねえ、お筆さん其処(そこ)は当人の了簡も聞かなければなりませんが、私が兎や角拒む訳はないが、へえお筆さん、どうしたもので」
 孫「もう夫は家内と確(しっ)かり相談して見ると親兄弟もない身の上だから然(そ)う云う事にして呉れゝば私も命を助けられた恩返しに孝行を致したいと此の娘(こ)も申します」
 金「それは然うあるべき訳でございますけれども、私も随分お筆様(さん)を丹精致した事は中/\貧苦のなに貧乏と申す訳ではありませんが、まア困って居る処を私が余程肩を入れて内職を教えたり種々(いろ/\)にして、まア斯(こ)う云う訳に成ったので、どうも私一人が得心する訳にも行(い)かんからお筆様、お前が是を確(しっか)りして此の挨拶をしてお呉れ、私の家内にも一旦相談して見なければならないがお前さんはまアどう云う心持だえ」
 筆「誠にもう何(なん)とも申訳はございません、貴方のお家(うち)へも済みませんが、此方様(こなたさま)でも命をお助け下さったのみならず種々(しゅ/″\)御心配を掛け、殊には私と同じ様なお嬢様(さん)も入水を成さって相果て、此方(こちら)の御両親のお心持をお察し申しますと誠にお気の毒様で、どうも是程に不束(ふつゝか)な私を、あゝ仰しゃって下さりますものを無にも致されませんから、それに大恩のあるお両人(ふたり)様でございますから親父の帰る迄此方様(こちらさま)の御厄介に成って私も居ります積りでござりますから左様思召して下されまし、何(いず)れ其の中(うち)御家内様へお目に掛ってお詫を致しますから、どうか貴方から宜しゅう仰しゃって下さいまし」
 と涙を拭きながら申しますから
 金「どうも然(そ)う云う訳ですかなア、じゃア、まアお暇(いとま)致しましょう」
 と金兵衞もお筆が申すので仕様がないから、ブツ/\云いながら立帰りました。是が縁で此のお筆が此の家(いえ)の娘になりましたが、誠に不幸の人で再び大難に遇(あ)う条(くだり)一寸(ちょっと)一息つきまして。

        五[#「五」は底本では「四」と誤記]

 えゝ、米倉屋孫右衞門の家では、二月の十日が娘の三十五日で谷中静雲寺(せいうんじ)に於(おい)て、水死致した娘の事で有りますから、猶更懇(ねんご)ろに法事供養を致しました。すると其の年の八月此の米倉屋孫右衞門の家内おゆうが四十七歳で死去(みまかり)ました、重ね/″\の不幸のみならず、娘の入水致した時などは、余程入費も費(ついや)しました事で、引続いて種々(いろ/\)の物入(ものいり)のございましたので、身代も余程衰えて来た処へ、其の年の十一月二十九日の日(ひ)に籾倉(もみぐら)の脇から出火で福井町から茅町(かやちょう)二丁目を焼き払った時に土蔵を落して丸焼に成り、米倉孫右衞門、神田三河町に立退きまして商売替を致し、米商売を始めました処、案外の損を致しました、然(しか)るに又宝暦の六年は御案内の年代記にも出て居りますが、江戸の大火で再び焼失致しましたから遂に身代限りを致し、何(ど)うも致方(いたしかた)がないから僅(わずか)の金を借りて京橋の鍛冶町(かじちょう)へ二間間口の家を借り、娘に小間物を商なわせ、小商(こあきない)を致して居ります中(うち)に、余り心配を致したのが原因(もと)に成って孫右衞門は病の床に就(つ)きました、娘のお筆は大切に看病を致して居りますが、誠に不幸な人でございまして、死ぬ処を助けられて宜(よ)い処へ行ったと思うと其の家が零落を致し養母には間も無く死別(しにわか)れ、親父は病気に成って其の看病を致しますが、一体孝心の娘でございますから、店で商いを致しながら父の看病を怠(おこたり)なく致しまする故か、孫右衞門の病気も怠った様でございますが、頓と身体が利きません、先ず中気の様に成りました、仕方がないから家主藤兵衞(とうべえ)へ相談の上、店を仕舞って裏屋住いに成り、お筆が僅の内職を致しますが居立(いたち)の悪い親を介抱致しながらでございますから、内職を致す間(ま)も碌々ございません、親父が寝付いた間(ま)に内職を致すのだから何程の工銭(こうせん)も取れません、売り喰いに致して居りましたが、末には、何うも致方がない、読者(あなたがた)は御存じがありますまいが、貧乏人の身にある事で米薪が切れる、着物が切れる畳が切れる、其のぼろを隠すのは苦(くるし)いもので有ります。お筆はお米を買う事が出来ないから、自分が喰べずに米櫃(こめびつ)を払ってお粥にして父に喰べさせても、己(おのれ)はお腹(なか)が空いた顔を父に見せません、近処でも是を知って可哀想に思って居りますが直(じ)き其の裏に五斗俵市(ごとびょういち)と云う人がございます。茶舟(ちゃぶね)の船頭で五斗俵(ごとびょう)を担(かつ)ぐと云う程の力の人でございます、其処(そこ)の姐御(あねご)は至極情け深い人で、然(そ)う云う強い人の女房でございますから鬼の女房(にょうぼ)に鬼神(きじん)の譬(たとえ)、ものゝ道理の分った婦人で有りますから、お筆を可愛がって居ります。
 女房「おい、勘次(かんじ)や、お前あの奥のお筆さんの処へ序(ついで)に水を汲んでやんなよ、病人があるから定めし不自由だろう、何かお菜(かず)を拵(こしら)えてやろうと思うが、手一つで親の看病をしながら内職をして居るので、何もする事が出来ないとよ、可哀想だから目をかけて遣(や)んなよ」
 勘「えゝ姐さん目をかける処(どころ)じゃアない、何時(いつ)でも井戸端へ行くたア、水を汲んでやります」
 女「焼豆腐を煮てやりたいと思うが、勘次、お前出来るかえ」
 勘「えゝ出来ますとも私(わっち)が煮て上げましょう」
 女「お前に煮られる者か」
 勘「煮られなくって、七輪を此処(こゝ)へ持って来やしょう」
 女「そうだねえ、まア火を煽(おこ)してお呉れ……消炭(けしずみ)を下へ入れて堅い炭を上へ入れるのだよ、あら、鍋が空じゃアないか、湯を入れて掛けるのだアね、旨くやんねえよ」
 勘「宜(よ)うげす…それ七輪の火が煽って来た…徐々(そろ/\)湯が沸立(にた)って来たぞ御覧(ごろう)じろ今に旨く煮てやるから一寸(ちょっと)お塩梅(あんばい)をしよう」
 女「おい、お前が何も塩梅しなくっても宜(い)い、然(そ)うバタ/\七輪の下を煽(あお)がないでも宜いよ、お前のは他見(わきみ)ばかりして居るから、上の方で灰ばかり立って火が煽(おこ)りゃアしない」
 勘「なに、大丈夫だ今旨く煮て見せやす、ねえ姐さん/\」
 女「何(なん)だい」
 勘「裏のお筆さん位美(い)い女は沢山(たんと)はありませんねえ」
 女「あゝ美い嬢(こ)だねえ、人柄がいゝねえ」
 勘「女が美(よ)くって人柄が宜(い)い上に、一寸気が利いて、親孝行で、あんな好(い)い娘はありませんぜ」
 女「可哀想にあの位の器量をもって…」
 勘「ありゃア姐さん、親父(おとっ)さんが死んで仕舞うと却って助かりますぜ」
 女「そんな事を云いなさんなよ」
 勘「あの親父(おやじ)は堅いから喧(やかま)しいが親父が死んで仕舞えば旦那でも何(なん)でも取れます、あれで軟かい着物でも着せてお化粧(しまい)をさせて置いて御覧なせえ、そりゃア素敵なもんだ、親父はもう、直(じき)に死にますぜ」
 女「馬鹿な事をお云いでない、只(たっ)た一人のお父(とっ)さんが逝去(なくな)った日には本当に可哀そうだ」
 勘「なに死ねば宜(い)いや、兎も角も美(い)い嬢(こ)ですねえ」
 女「真実(まこと)に宜いのう、愛らしいこと、人※(ひとがら)恰(まる)でお屋敷さんのお嬢さん見たようで、実に女でも惚れ/″\するのう」
 勘「姐さんでも惚れますかえ」
 女「お前水を汲んでやんなよ」
 勘「汲んでやる処じゃアない、お筆さんが井戸端へ行くと跡から飛んで行って汲んでやるので、此間(こないだ)も佐吉(さきち)の野郎が水を汲んで喧嘩をしやした、恰でお筆さんは手を下(おろ)す事もないが、佐吉の野郎が助倍(すけべい)な奴で、お筆さんだと大騒ぎやって汲んでやりやアがって井戸端へ洗濯屋の婆さんが来て私にも汲んでお呉れというとね、佐吉が井戸を覗き込んでいゝ塩梅に中に水があれば宜(い)いが、と井戸に水のねえ訳はねえが現金な野郎で…何しろ好(い)い女だ、親父が死んで仕舞うと旦那を取るよ、親父が死ぬと彼方此方(あっちこっち)で世話をする者があると死んだ親父に済まないから旦那なんぞを取るのは厭だと云うねえ、それを強(たっ)て勧めるから旦那を取るけれども若い好(い)い男は取らないねえ、何(なん)でも六十三四位の金のある奴を勧めると屹度旦那に取りますぜ」
 女「どうだか知れやアしない」
 勘「なアに取りますよ、取るけれども彼(あ)ア云う気性だから旦那に金を遣わせないね、大きな家(うち)へも這入らない、新道(しんみち)で一寸八畳に六畳位の小さな土蔵でもある位な家を借りて居るね、下女は成丈(なりた)け遣わない、自分でお飯(まんま)を焚いたり何か為(し)ますそれで綺麗好だから毎朝表の格子を拭きますよ、其の時其の前を私(わっち)が通り掛ったら、何(ど)うだろう」
 女「誰(だ)れが」
 勘「私(わっち)さ、扮装(なり)を拵(こしら)えるね此様(こん)な扮装(いでたち)じゃアいけないが結城紬(ゆうきつむぎ)の茶の万筋(まんすじ)の着物に上へ唐桟(とうざん)の縞(らんたつ)の通し襟の半※(はんてん)引掛(ひっか)けて白木(しろき)の三尺でもない、それより彼(あ)の子は温和(おとなし)い方が好きですかねえ、草履より駒下駄を履いて前を通りましょうお筆さんが見ると屹度声をかけますよ、おや勘次さん、おや姉(ねえ)さんお宅は此処(こゝ)ですかえ、はア斯(こ)んな処へ来ました、まアおよんなさいよお茶を飲(あが)って行ってお呉んなさいよと先方(むこう)で云うに違いない、義理堅い娘(こ)だから、水や何か汲んでもらった廉(かど)があるからお上(あが)んなさいましよと云うねえ、此処で私(わっち)が旦那でもお在(い)でだとお邪魔に成るからと云うと、いゝえ誰も居ませんから、まアお上んなさいましよと手を取って引張るね、寄りたいけれども其の時ゃア私は我慢して、何(いず)れ又というので無理に振り払って帰るね、二度目に通る時に又おつな扮装(なり)をして今度は此方(こっち)から声を掛けると、まア上ってお呉んなさいと引張り込んでお茶を入れる、家(うち)に酒も附いて居るから一寸お一つ召し上れと私の酒好きを知っているから、気が付く子だから酒を出す、これは済みませんねえ、旦那は毎晩お出でなさるかと聞くと、いゝえ毎晩は来ません通い番頭で年を老(と)って居ますから、月に漸く三度位しきゃア来ません、時々遊びに参っても宜うございますか、宜いどころじゃアありません、どうぞ始終遊びに来て下さい、姐(ねえ)さんはお壮健(たっしゃ)ですかとお前さんを聞くよ、情愛があるから……それから屡々(ちょく/\)遊びに行って何時も御馳走に成って済まないと偶(たま)には何か奢ってやるね、度々(たび/\)行く様に成るとそこは阿漕(あこぎ)の浦に引網(ひくあみ)とやらで顕(あらわ)れずには居ない、其の番頭が愚図/\云うに違いない、然(そ)うすると私が依怙地(えこじ)に成って何を云やアがる此方(こっち)じゃア元より一つ長屋に居たんだ、確乎(ちゃん)と約束がある女だ、誰(たれ)に断って此の女を慰み者にして居ると威張るね…いや然(そ)んな事を云うと彼(あ)の娘(こ)が驚いて愛想をつかすといけねえから…なに構わない向うは歳を老(と)って居るから威(おど)して先の家(うち)へねじ込んで仕舞えば然(そ)んならばと云うので、手切れに成る」
 女「何(なん)だえお前、何でも無いのに手切れが取れるものかね」
 勘「今はまだ何でもありませんが今に成るねえ、併(しか)し然う喧(やかま)しく掛合ってもあの子が心配をするから、其処(そこ)は旨く話合いにして百両取るよ、然うしたら私(わっち)は質から出したい着物がある、そうなるとお前さんに芝居を奢りますね」
 女「勘次お前気が違ったのかよ」
 勘「だって本気です、七輪の火がおこらねえが」
 女「其の筈よ猫の尻を煽(あお)いでるぜ」
 勘「シヽヽ猫め彼方(あっち)へ行(ゆ)け、是れは恐れ入った、姐(ねえ)さん今に煮えたら直(すぐ)に持って行きましょう」
 と交々(かわる/″\)近所の者がお菜(さい)を持って往(ゆ)きますから、喰物(たべもの)に不自由はないが肝心のお米と炭薪などは買わなければなりません、段々に冬に成る程詰って参り、遂には明日(あす)のお米を買って親父にたべさせる事も出来なくなりました。

        六[#「六」は底本では「五」と誤記]

 お筆は何うしたら宜かろうと種々(いろ/\)考えましたが、斯(こ)うなっては迚(とて)も致し方がないから、能く人が切羽に詰った時には往来の人の袖に縋(すが)る事も有ると聞いた事もあるから、袖乞(そでごい)に出る気に成りましたが、あゝ恥かしい事では有るが親の為には厭(いと)う処でないが袖乞をする事がお父さんに知れたら猶御心配をかけるようなものだと種々に考えまして親父の寝付いた時分に窃(そっ)と抜け出して数寄屋河岸(すきやがし)の柳番屋の脇の処に立って居りました。寒くなると人の往来(ゆきゝ)は少のうなります、酒臭き人の往逢(ゆきあ)う寒さかなという句がありますが、たま/\通る人を見ても恵(めぐみ)を受けようと思う様な人はさっぱり通りません。お筆は手拭を冠(かぶ)って顔を隠し焼け穴だらけの前掛に結びっ玉だらけの細帯を締めて肌着が無いから慄(ふる)えて柳の蔭に立って居ると、丁度此処(こゝ)へ小田原提灯を点けて二人連れで通り掛った者がありますから、
 筆「もし貴方」
 と言掛けましたが是は中々云えんそうでございますが実に慣れないでは云えるものではない、乞食が慣れて来ると段々貰いが多くなるそうで、只今では無いが浪人者が親子連れで「永々の浪人御憐愍(ごれんみん)を」と扇へ受けまして、有難う存じます、と扇を左の手に受けて一文貰うと右の手に取って袂(たもと)へ入れる、其の間に余程手間が取れるから往々貰い損(そこな)います、少し馴(なれ)て来ると、有難う存じますと直(すぐ)に扇から掌(てのひら)へお銭(あし)を取る様に成る、もう一歩慣れたら何(ど)うなりますか、併(しか)し乞食などは余り慣れないでも宜(よ)いが、有難う存じますと扇を持って居る掌へ辷込(すべりこ)ませると申しますが、慣れない事は仕様のない者で中々その初めの中(うち)は云えん者だが明日(みょうにち)御飯(おまんま)を喰べる事が出来ないと云う境界(きょうがい)でございますから一生懸命であります、殊に命を助けて呉れた大恩のあるお父(とっ)さんに御心配をかけては御病気にも障る事で何分にも他に何を致そうと思っても手放す事が出来ず、暗夜(やみよ)の事だから人に顔を見られなければ親の恥にも成るまいと思い、もう一生懸命で怖いも何も忘れて仕舞い、
 筆「貴方お願いでございます」
 ○「アヽ、何(なん)だい突然(だしぬけ)に恟(びっく)りした、どうも此処等(こゝら)へは獺(かわうそ)が出るから……」
 筆「永々親父が煩いまして難渋致します、何卒(どうぞ)親子の者を助けると思召して御憐愍(ごれんみん)を願います」
 ○「然(そ)んなら早く然(そ)う云えば宜(よ)いのに吉田さん/\、袖乞だ一寸御覧」
 と小田原提灯の火影(ほかげ)で見ると
 「中々美(い)い女だ繻絆を着ないで薄い袷(あわせ)見た様な物を着て何(ど)うも気の毒な事だの」
 △「成程是は美い素敵だ姉(ねえ)さん親父(おとっ)さんは余程悪いかえ」
 筆「はい永い間病気で」
 ○「困るだろうねえ無尽(むじん)を取って来たから……取って来たって割返しだよ、当れば沢山(たんと)上げるが只(たっ)た六十四文ほきゃアないが是をお前に私(わし)が志しで」
 筆「有難う存じます」
 と金を貰ってしくしく泣(ない)て居りました、此の為体(ていたらく)を見て一座の男が、
 甲「アヽ、泣くよ本当に嬉しいのだ、真に喜んで泣くよ偽乞食(にせこじき)でないから、お遣りお前は小花(こばな)の鬮(くじ)が当ったから皆(みんな)お遣りよ何を愚図/\して居るのだ」
 一人の男が不承/″\に出すを受取って、
 甲「さア此の人のだ二朱と二百上げるよ」
 筆「有難う存じます/\」
 男「何うしても二朱と二百の方が礼が多い、だがね、姉さん此の男のは小花が当って余計ものですが、私のはたった六十四文でも割返しだから、丁度二十両の内に這入って居る者だから私の方は親切が深い」
 乙「そう自分許(ばか)りいゝ子になりたがらなくってもいゝぜ」
 と銭を恵んで呉れましたのは天の助けで、それから又翌晩も出て是が三日四日続くと、もう幾らか様子を覚えましたから通り掛った人の袖にすがりましてお願いでございますというと、其の人は恟りして、
 男「何(なん)だい、恟りさせやがる」
 筆「親父が永々の病気で、難渋致しますから何卒(どうぞ)お恵みを……」
 男「アヽ、美(よ)い女だ美い娘(こ)だねえ、五百やるから材木の蔭へ這入らないか」
 などという悪い奴が中には有ります、お筆は驚いて御免遊ばせと云って逃出しましたが、段々寒くなるに従って人通りがなくなり、十二月の月に這入ってヒュウ/\と云う風が烈しいから夜(よ)に入(い)ると犬の吠える許(ばか)り、往来は絶えて一人も通らんから、もう仕方がない私の様な者でも人様の云う事を聞けば五百文でもやると仰しゃるが、身を売ってもお父(とっ)さんを助けたいけれども、私が居なければ介抱をしてもなし、お父さんに御飯(おまんま)をたべさせる事も出来ないから、身を売る訳にも行(ゆ)かず、進退谷(きわ)まりまして誰(たれ)にも知れる気遣いないから、思い切って、身を穢(けが)してもお銭(あし)を貰ってお父さんに薬も飲ませ、旨い物を喰べさせて上げたいと可哀想に僅(わずか)五百か六百の銭(ぜに)の為に此の孝行の美婦人が身を穢しても親を助けようという了簡になりましたのは実に不幸の娘であります。九ツも過ぎ、芝の大鐘(おおがね)は八ツ時でちらり/\と雪の花が顔に当る処へ、向うから白張(しらはり)の小田原提灯を点けて、ドッシリした黒羅紗(くろらしゃ)の羽織に黒縮緬の宗十郎頭巾(そうじゅうろうずきん)に紺甲斐絹(こんがいき)のパッチ尻端折(しりはしおり)、紺足袋に雪駄穿(せったば)き蝋色鞘(ろいろざや)の茶柄の大小を落差(おとしざ)しにしてチャラリチャラリとやって参りました、此の武家にお筆が頼み入る処、是が又一つの災難に相成るのお話。

        七[#「七」は底本では「六」と誤記]

 えゝ引続きまする依田政談も、久しゅう大火に就(つ)いて筆記を休んで居りましたが、跡も切目(きれめ)になりましたから一席弁じます事で、昨日(さくじつ)火事見舞ながら講釈師の放牛舎桃林(ほうぎゅうしゃとうりん)子(し)の宅へ参りました処同子(どうし)の宅は焼残(やけのこ)りまして誠に僥倖(しあわせ)だと云って悦んで居りましたが、桃林の家(うち)に町奉行の調べの本が有りまして、講釈師丈(だけ)に能く調べが届いて居る、本が有るから貸して遣ろうと云うので、私(わたくし)は借りて参りまして段々調べて読んで見ますると、依田豐前守は、依田和泉守といい町奉行の時分は僅(わずか)な間でございます、延享(えんきょう)元年の六月十一日御目附(おめつけ)から致して町奉行役を仰付けられ宝暦(ほうれき)三年の三月廿八日にはもう西丸(にしまる)の御槍奉行(おやりぶぎょう)に転じました事でございます。して見ると調べの間は長い事ではございません、其の次は曲淵甲斐守という是も名奉行で、宝暦三年四月の八日御作事奉行(おさくじぶぎょう)より転じて依田豊前守と御交代になり明和(めいわ)の六年八月十五日までお勤めに成ったという。大岡越前守、依田豊前守、曲淵甲斐守、根岸肥前守(ねぎしひぜんのかみ)などいうは何(いず)れも御名奉行と云われた方で、申し続きましたお筆のお捌(さばき)は依田豊州(ほうしゅう)公から曲淵甲州公へ御引続(おんひきつぎ)になりました一件で、錯雑(こみいり)ましてお聴悪(きゝにく)い事でございましょう左様御承知を願います、扨(さて)お筆は数寄屋河岸の柳番屋の蔭へ一夜(ひとよ)置き位に出て袖乞を致しまするも唯養父を助けたい一心で、恥しいのも寒いのも打忘れて極月(ごくげつ)ヒュー/\風の吹きまするのをも厭(いと)わず深更(しんこう)になる迄往来中(なか)に佇(たゝず)んで居て、人の袖に縋(すが)るというは誠に気の毒な事で、人も善い時には善い事許(ばか)り有りますが、間が悪くなると引続いて悪い事許り来るものでお筆などは至って親孝行にして為人(ひとゝなり)も善し屋敷育ちでは有り、行儀作法も心得て居(お)るから誰に会っても誉(ほ)められる様な誠に柔和な娘で有りますけれ共、板の間を働いたという濡衣を着て、親父に面目ないと思う処から入水致しました処を、助けられたは仕合せで有ったが、その又己れを助けて呉れた米倉屋孫右衞門が零落を致して、京橋鍛冶町の裏家住い搗(かて)て加えて長(なが)の病気というので、今は最(も)う何も彼(か)も売尽した処から袖乞いに出る様な始末、
 筆「今日も夜更けて人も通らず、したが今夜百文でも二百文でも貰って帰らなければ私の命を助けて呉れた大事なお父様(とっさん)に明日(あした)喰べさせるものを宛(あて)がう事も出来ず、と云ってお腹(なか)を空(すか)させては済まない、私は喰べなくても宜(い)いから何卒(どうぞ)お父様丈にはお粥でも炊いて上げなければ成らないから、もう詮方(しかた)がない、いやらしい事を云う人でも有ったら誠に道ならん事では有るが寧(いっ)そ此の身を任しても親の為めには替えられない」
 と、覚悟を致し、ヒューという寒風(かぜ)を凌(しの)いで柳番屋の蔭に立って居ると、向うから前(ぜん)申し上げた黒縮緬の頭巾を被り大小を落差しに致して黒無地の羽織、紺足袋という扮装(こしら)えで通りました、白張(しらはり)の小田原提灯が見えましたから、
 筆「アヽお武家で有るか、万一(ひょっと)したら少しはお恵みが有ろう」
 と思いツカ/\/\と来(きた)り、もう怖いも恥かしいも打忘れ武家の袂(たもと)に縋(すが)り、
 筆「お願いでございます」
 武家「ア…はアヽ……誰(たれ)も居らんかと思ったので大きに恟(びっく)り致したが、何(なん)だえ、女子(おなご)かえ」
 筆「はい…お父(とっ)さんが長々煩いまして其の日に追われ、何も彼(か)も売尽しましてもう明日(あした)は親どもにお米を買って喰べさせる事が出来ません、それ故誠にお恥かしい事でございますが、毎日此処(これ)へ参りましては人様のお袖へ縋って聊(いさゝ)かの御合力(ごごうりょく)を受けまして親子の者が露命(いのち)を繋(つな)いで居る者でございます、けれ共今晩斯様(かよう)に風が吹きますので薩張(さっぱり)人通りがございませんから、是迄立って居ましたが少しのお恵みも受けませず、今晩此の儘帰りましては親を見殺しに致す様なものと存じまして誠に御無理ではございますが百文でも二百文でもお恵み下さいますれば親子の者が助かります、何卒(どうぞ)殿様お願いでございます」
 武家「はい…はい、それはお気の毒な事じゃ、むー…」
 小田原提灯をこう持上げて見ますると、下を向いて袖を顔に押当て、ポロ/\泣いて居ります。眤(じっ)とその様子を見て居りましたが、軈(やが)て一掴みの金子を小菊に包んで、
 武「これを遣わすから、早う帰って親御に孝行を致せ、したが女子(おなご)の身の夜中(やちゅう)と云い、いかなる災難に遇わんとも限らんから向後(きょうこう)袖乞は止(や)めに致すがよい」
 とお筆に渡すと其の儘往って仕舞いました。お筆は嬉し涙にくれて見送って居りましたが家(うち)へ帰って包を明けて見ますと古金(こきん)で四五十両、お筆は恟(びっく)りして四辺(あたり)を見廻し、
 筆「はア…何(ど)うしたんだろう、心の迷いじゃアないか知ら、先刻(さっき)彼所(あすこ)を通り掛ったのは武士(さむらい)と思ったのが狐か何かで私を化(ばか)したのじゃアないか知らん、私がお鳥目を欲しいと思う其の気を知ってつままれたのか知らん」
 と足をギイーッと抓(つね)ったが痛いから、
 筆「夢じゃアないが、ハテ何うしたんだろう、向後袖乞に出るなと仰しゃったから、御親切な殿様で私の戸外(おもて)へ出ない様に多分にお金を下すった事か、あゝー……私の為には神さま……」
 と手を合せて伏拝み何所(どこ)の人だか知りませんから心の中(うち)で頻(しき)りと礼を云い、翌日(あした)に成りますると先(ま)ず此金(これ)でお米を買うんだと云う、其のお米を買うたって一時(いちじ)に沢山(たんと)買って知れては悪いと思いましたから、狐鼠(こっそ)り少し買い、一朱もお金を出せば薪も買えれば炭も買える、又金を一つ処へ仕舞って置いて知れると悪いと思いましたから、彼方此方(あっちこっち)へお金を片附けて仕舞って置きまして、些(ちっ)とずつ出して使い、
 筆「お父(とっ)さまはお寒かろうから暖(あった)かい夜具を着せたい」
 と夜見店(よみせ)へ参りまして古着屋から小僧さんに麻風呂敷に掻巻(かいまき)に三布蒲団(みのぶとん)を背負(せお)い込ませ、長家の者に知れない様にお父さんに半纏を着せたいと云うので段々と狐鼠(こそ)/\買物をして参りますが、世間じゃア直(すぐ)に目が着きます、或る時例の姐子(あねご)が、
 姐「おい勘次や」
 勘「えゝ」
 姐「奥のお筆さんは良(い)い旦那でも附いたのじゃアねえか」
 勘「然(そ)うでげすね、此の頃は大変様子が宜(い)いから、ね、お父さんなどは何うも少し顔色が違えやして、此の頃じゃアにこ/\して居やす、私(わっち)にも此の間手拭を呉れたね」
 姐「手拭を貰ったと、何(な)んで貰ったんだい」
 勘「何んだって度々水を汲んでやったり何(なん)かするんで大きに色々お世話に成るって呉れましたが余(あんま)り好(い)い心持だから匂いを嗅いだが、些(ち)っとも好い香気(におい)はしませんね、矢張(やっぱり)手拭の臭いがした」
 姐「あの娘(こ)なんぞに何か貰いなさんなよ、何(なん)でも旦那が附いたに違(ちげ)えねえノ」
 勘「えゝ、何(な)んだか知りませんが、其の旦那てえのが些(ちっ)とも来るのを見た事がねえ、何でも夜中(よなか)に来るんでげしょうよ何処(どこ)かへ参詣(おまいり)に行(ゆ)くって時々出え/\したが、何処か知れない処で逢ってお金を貰って来るんでげしょう、あの親父が此の間髭(ひげ)を剃りましたよ白髪交りの胡麻塩頭を結(ゆっ)て新しい半纏を引掛(ひっかけ)て坐って居ますが大きに様子が快(よ)くなって病人らしく無く成ったが、娘(ねえ)さんも襦袢に新しい襟を掛けたぜ、好(い)いもんじゃア有りやせんが銘仙か何(なん)かの着物が出来ておつな帯を締(しめ)ましたよ、宜(い)い装(なり)をすると結髪(むすびがみ)で働いて居る時よりゃア又好(よ)く見えるね、内々(ない/\)魚などを買って喰う様子でげすぜ、此の間も魚屋が来たら何が有る、鱈……それじゃア鱈をお呉れって鱈を買いやしたが病人に鱈は宜うごぜえますのかね」
 姐「そんな事を気にしなくっても宜いが何うも様子が訝(おか)しい」
 勘「私(わっち)も娘(ねえ)さんの顔が見てえから時々行(ゆ)くんです」
 此の勘次が毎日の様に来ては手伝いますから気の毒だと思って居ます処へ又来て、
 勘「お筆さん水を汲んで上げやしょう」
 筆「おや勘次さん毎度有難う」
 勘「なにどうせ幾度も汲みに行(ゆ)くんで、宅(うち)の姐さんは清潔家(きれいずき)でもって瓶(かめ)の水を日に三度宛(ずつ)も替えねえと孑孑(ぼうふら)が湧くなんてえ位で、小便にでも行くと肱(ひじ)の処から水をかけて手を洗うてえ大変なものでえへゝゝどうせ序(ついで)でげすから遠慮するにア及びやせんよ」
 筆「誠に毎度有難う」
 勘「お父さん今日は……えへゝゝ、いえ何う致しやしてどうせ序が有りやすから、何(な)んでげすねお筆さんは親孝行でお前様(さん)はお仕合せで本当に御運が好いんで、えへゝゝ」
 孫「なに然(そ)うでも有りませんのさ」
 勘「此んな好い子を持ったのは貴方の御運が宜(い)いのでさア」
 孫「なに運が善(よ)い事も有りアしません、今じゃア腰が脱(ぬ)けて仕舞って何(なん)の役にも立たなく成ってますから、併(しか)し毎度有難うございます、娘(これ)一人で何事も手廻りません処を貴方が水を汲んで下さったり、其の上御親切に姐さんが又度々気を注(つ)けて下物(おかず)を下さり、誠に有難う存じますお蔭で親子の者が助かります、貴方姐さんに宜しく仰しゃって下さいまし」
 勘「じゃア姉さん汲んで上げよう」
 と井戸端へ行って水を手桶に三杯も汲んで遣りました。
 筆「ちょいと/\勘次さん少し待って下さい」
 勘「え何(なん)です」
 筆「少し上げたいものが有りますから、手拭の貰ったのがあるんです」
 勘「又手拭をかえ……此の間も貰ったのに…」
 筆「いえ詰らんのですが持って行って下さいよ」
 是から千代紙で張(はっ)て有る可笑(おかし)な箱の蓋を取って、中から手拭を出そうとする時、巾着の紐が指に引懸って横になるとパラ/\/\と中から金子(かね)が散乱(ちらばっ)たから慌てゝお筆が之を隠し手拭を一筋(ひとつ)に一朱銀を一個(ひとつ)出して、
 筆「誠に少し許(ばか)りでございますけれども、毎度御厄介に成りますから」
 勘「何う致しまして、是は何うも、えへゝゝ何うもお気の毒で、誠に有難う」
 と礼を云いながら心の中(うち)で大層金子(かね)を持(もっ)て居やアがると斯(こ)う思いました。口々に分けては有りますが下へ落ちたが二十両許りザラ/\/\と云うのを慾張た眼で見ると五六十両も有ろうと思いました「此奴(こいつ)ア成程姐さんの云う通り何(なん)でも彼奴(あいつ)は良(い)い旦那どりをしてこっそり金を呉れる奴が有るに違(ちげ)えねえ、彼様(あん)なけちな千代紙で貼った糸屑を入れて置く箱ん中の巾着からザクリと金が出るんだからね」と此の勘次と云う奴は流山(ながれやま)無宿(むしゅく)の悪漢(わるいやつ)でございますから、心の中(うち)で親父は病気疲れで能く眠るだろうし、娘も看病疲れで寝るだろうし、能く寝付いた処へ忍込んであの金子(かね)さえ取れば、又西河岸の桔梗屋(ききょうや)へ行って繁岡(しげおか)の顔でも見て楽しむ事が出来るという謀叛(むほん)が起り、其の夜(よ)深更に及んでお筆の家(うち)の水口を開け忍込んで見ると親子とも能く寝付いて居る様子、勘次は素(もと)より勝手を知って居りますから、例の千代紙で貼った針箱同様の糸屑の這入って居る箱の中から巾着を盗み出し、戸外(そと)へ出ると直(すぐ)に駕籠に乗って飛ばして廓内(なか)へ這入り西河岸の桔梗屋という遊女屋へあがりました。
 勘「久しく様子が悪かったので来なかった」
 馴染の娼妓か、
 △「おや鼬(いたち)の道や」
 勘「なにー篦棒めえ、鼬の道だって、あのなア繁岡さんと喜瀬川(きせがわ)さんを呼んで呉んな、揚女郎てえ訳ではねえが、私(わっち)は少し義理が有るから、旨(うめ)え物を沢山(たんと)食(あが)れ、なにー、愚図/\云うな、大台(おおでえ)を……大台をよ、内芸者(うちげいしゃ)を二人揚げて呉んな」
 と金の遣い振りが暴(あら)い。
 亭主「勘次さんは大層金の遣い振りが暴いじゃアねえかのう、喜助」
 喜「へえ、何(なん)だか博奕(ばくち)に勝ったと被仰(おっしゃ)います」
 と聞いて内証では何(ど)うも様子が訝(おか)しい、知ってる人だから朝勘定でも宜(い)いんだが、金の遣振りが訝しいから宵勘定に下げて貰え。と下(さが)った金を見ますると三星(みつぼし)の刻印が打って有る、是は予(かね)て巡達(じゅんたつ)に成って居(お)る処の不正金でございますから、
 亭主「是は打棄(うっちゃっ)ちゃア置(おか)れない、直(す)ぐに……」
 と云うので、是から其の頃の御用聞を呼びまして此の事を話すと石子伴作(いしこばんさく)様と云う定巡(じょうまわ)りの旦那が、
 伴「夫(それ)は手附かずに出すが宜(い)い」
 と云うので、二日流連(いつゞけ)をさせて緩(ゆっ)くり遊興をさせ、充分金を遣わせて御用聞と話合いの上で、ズッと出る処を大門外(そと)で、
 ○「御用」
 勘「ハッ……」
 と云って恟(びっく)りする、大抵な者は御用聞が御用と云う声を掛けるとペタペタとなるといいます。直(すぐ)に縛られて田町の番屋へ引かれる、仕様の無いものでございます。
 ○「勘次汝(てめえ)の身分にしちゃア金遣いが滅法に暴(あら)えが、桔梗屋で使用(つかっ)た金はありゃア何処(どこ)から持って来た金だ」
 勘「むゝ、彼(あれ)ア、…バ……」
 伴「何を愚図/\言って居やアがるんだえ」
 勘「へい、何(な)んで、賭博(ばくち)に勝ちましたので」
 伴「なにー、博賭(ばくち)に勝ったと、馬鹿ア云え、汝(てめえ)の様なケチな一文賭博をする奴が古金(こきん)で授受(とりやり)をするかえ、有体(ありてい)に申上げろ」
 勘「マ、全く博賭に勝ったに違(ちげ)えござえません」
 伴「何処(どこ)の博賭場で勝ったんだ」
 勘「ムヽ、カ、カ、神田の牧(まき)様の部屋で何(な)んしまして、小川町(おがわまち)の土屋(つちや)の……」
 伴「黙れ、尋常に申し上げろい、幾ら隠したって役にア立たねえから、何処で盗んだか云えよ」
 勘「いえ全く其のカ、カ、勝ったんで」
 伴[#「伴」は底本では「勘」と誤記]「これ勘次、汝(てめえ)其様(そん)な事を愚図/\云ったって役にゃア立たねえ早く云っちめえ」
 勘「いえ……その…全く勝ったんで」
 伴「云わねえな、何うしても此奴(こいつ)ア云わねえから打(ぶ)て/\」
 ○「お慈悲深い旦那だから本当の事を喋って其の上でお慈悲を願え、お前(めえ)だって万更(まんざら)素人(しろうと)じゃアなし、好(い)い道楽者じゃアねえか」
 伴「ええや、しめろ/\」
 とピシーリ/\叩かれるから直(すぐ)に口が開(あ)いて、実は五斗兵衞市の処に食客(いそうろう)に居る中(うち)に裏に小間物屋孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]と云う者が居て、孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]の娘のお筆が私に礼をすると云って巾着をすべらし、金の出たのを見て不図した出来心から全く盗んだに相違ございません。と白状を致しましたから直に京橋鍛冶町の小間物屋孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]方へ踏込(ふみこみ)娘お筆が縄に掛って引かれたは何(なん)とも云えぬ災難でございます。何(ど)う云う事やら訳が分らず腰の抜けて居る孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]は大屋さん何う云うもんで。と泣いて許(ばか)り居りますから長屋の者が来ては色々に賺(なだ)めますけれども中々愚痴が止みません。五斗兵衞市の姐御は気の毒でなりませんから、
 ○「私の処へ無頼(やくざ)な食客(いそうろう)を置いたばかりで斯(こ)う云う事に成ったんだが、決してお筆さんに其様(そん)な理由(わけ)はない不正金だというが」
 孫「イエ金子(かね)などが宅(うち)に有る気遣いは有りません、何う云う災難ですか、大屋さんお筆を返して下さいませんと私(わたくし)は小便に行(ゆ)く事もお飯(まんま)を喰う事も出来ません、お願いでございますから」
 とワイ/\泣(ない)て居ったのは然(さ)もあるべき事でございます。

        八[#「八」は底本では「七」と誤記]

 扨(さて)お筆を段々調べて見ますと、親父が大病で商売も出来ず、衣類道具も売尽(うりつく)して仕様のない所から、毎晩柳番屋の蔭へ袖乞に出て居りますると、これ/\斯(こ)う云うお武士(さむらい)が可哀想だと仰しゃって紙に包んで下さいましたのを、お鳥目(あし)かと存じて宅(たく)へ帰り開けて見ると金子(きんす)でございました、親に御飯を喰べさせる事も出来ん様な難渋な中ゆえ、遂(つい)大屋さんに黙って使いました段は誠に恐入りますという所が、口不調法ではございますが、曲淵甲斐守様が一目見れば孝心な者で有るか無いかはお分りにも成りましょう、殊に勘次の申立(もうしたて)と符合致して居りますから遉(さすが)の名奉行にも少し分り兼(かね)ました。
 甲「全く其の侍に貰ったに相違有るまいが、是は芝赤羽根(あかばね)の勝手ヶ原の中根兵藏(なかねひょうぞう)という家持(いえもち)町人の所へ忍入り家尻(やじり)を切って盗取(ぬすみと)った八百両の内の古金で、皆此の通り三星の刻印の有る古金で有るに依(よっ)て、其方(そち)が唯貰ったでは言訳が立たぬ、全く親の為めに其方は其の日に困るに依て一時凌(いちじしの)ぎに使い、翌日町役人(ちょうやくにん)とも相談の上訴え出ようと思う折柄、勘次に盗取られたに相違有るまいな」
 と云うお慈悲のお言葉。
 筆「へえ恐入りました、夫(それ)に相違ございません」
 甲「うむ、吟味中入牢(じゅろう)申し付ける」
 とピッタリ入牢と相成りました。さア何(ど)うも近所では大騒ぎ、寄ると集(さわ)ると此のお筆の評判ばかりでございます、或る人は頻(しき)りに不承知を唱えまして何しろお上(かみ)はお慈悲だってえが大違いだ、彼様(あん)な親孝行な娘を引張ってって牢へ入れちまって、金を呉れた奴が盗人(ぬすびと)だか、武家だてえが何うしたんだか訳が分らねえ、物を人に呉れるなら名でも明して呉れるが宜(い)いんだ、何うしてお筆さんが泥坊などをする様な娘(こ)でない事は誰でも知ってる、夫(それ)に此様(こん)な事になるというのは私(わし)には些(ちっ)とも訳が分らねえ、お上は盲目(めくら)だ。というと又一人が、
 △「其様(そん)な事を云うなよ/\」
 と近所では色々噂をして居る。吉原帰りは田町の蛤(はまぐり)へ行って一盃(いっぱい)やろうと皆其の家(うち)へ参ります。
 ×「もう是で飯を喰おう」
 △「もう一本やろう」
 ×「余(あんま)り遅(おそく)なるから、丁場(ちょうば)の仕事がよ」
 △「丁場へは兼(かね)が先に行ってるからもう一本やろう」
 ×「兄いは酔っちまってる、グッと思切って続けてやんなもう充分酔ってるから飯を喰おうじゃアねえか」
 △「宜(い)いからもう一本交際(つきあ)いねえな、汝(てめえ)が二猪口(ふたちょこ)ばかりアイをすれば、残余(あと)は皆(みんな)己が飲んで仕舞わア…長い浮世に短い命だ…人は…篦棒めえ正直にしたってしなくたって同じ事だ京橋鍛冶町の小間物屋のお筆さんの事を見ても知れたもんだ」
 ×「兄い彼(あれ)を云いなさんなよ、余(あんま)りパッパと云って捕(つか)まって困った者が有るから」
 △「困ったって癪に障らア、余り理由(わけ)が分らねえじゃアねえか、親父が病気で困ってるから毎晩数寄屋河岸の柳番屋の蔭へ袖乞に出て居る処へ通り掛った武家(さむらい)が金を呉れたんだてえが、其の位の親切が有るならよ、己は何処(どこ)の何う云う武家(ぶけ)で若(も)し咎められた時にゃア己が遣ったと云えって名前でも明(あか)して置(おけ)ば宜(い)いのに、無闇に金を呉れやアがったって、情(なさけ)にも何もなりアしねえ、あの何(なん)とか云ったっけ巴(ともえ)の紋じゃアねえ、三星とか何とか云う印(いん)が押して有る古金(かね)を八百両何家(どこ)かで家尻を切って盗んだ泥坊が廻り廻って来てそれでまア、彼(あ)の親孝行な…」
 ×「おい/\悪いよ、其様(そん)な事を云って京橋辺(あたり)でも係合(かゝりあい)に成ったものが有るから止しなよ」
 △「だってよ、お上では親孝行の者に御褒美を呉れて、親に不孝をする奴は磔刑(はりつけ)に上げるてえじゃアねえか、其の親孝行の者を牢ん中へ押込んで、腰の抜けた親父一人残して置くてえ家主(いえぬし)の根性が分らねえ、お救米(すくいまい)でも願って遣るが宜いんだ、此間(こないだ)も甚公(じんこう)の野郎が涙を溢(こぼ)し乍(なが)ら、あの娘(こ)は泥坊なぞをする様な者じゃアねえ彼様(あん)な娘はねえって然(そ)う云ってた」
 ×「おー其んなことを云いなさんなよ、係合になると宜(い)けねえぜ」
 と制しても中々聞きません。すると他の一人が、
 △「係合いになるって余(あんま)り癪に障らア今度奉行が替ったか、一体奉行が理由(わけ)が分らねえ」
 ×「おい止せてえのに」
 △「云ったって宜い、なッてえ、糞放(くそったれ)め、罪もねえ者を無闇に牢の中へ放り込んで、金を呉れた盗人(ぬすっと)がふん捕(づか)まるまで、牢の中へ入れときやアがって面白くもねえ、本当に癪に障って堪らねえや、些(ち)っと風が吹くと路次は六ツ限(かぎり)に木戸を締(しめ)っちまうんで湯が早く抜けちまっても困らア職人は、彼(あ)の娘(こ)の親父は腰が抜けてるてえから己(おら)ア可哀想でならねえ」
 とシク/\泣出しました、
 ×「泣上戸(なきじょうご)だな、泣きなさんなよ、涙を零(こぼ)して見っともねえ鬼の眼に涙だ」
 △「鬼でも蛇(じゃ)でも構ア事アねえ、余(あんま)り口惜(くや)しいから云うんだ」
 ×「おい、止せてえ事よ」
 話をして居ますると衝立(ついたて)の陰(かげ)からずいと出た武家(さむらい)は黒無地の羽織、四分一拵(しぶいちごしら)えの大小、胸高(むなだか)に帯を締めて品格(ひん)の好(い)い男、年頃は廿七八でもありましょう、色白で眉毛の濃い口許(くちもと)に愛敬の有る人物が、
 武家「是は何うも大分(だいぶ)機嫌だのう」
 △「えへゝゝ是は殿様………御免なさい、隣席(となり)にお在(い)でとも存じやせんで」
 武「いや衝立の陰で先刻(さっき)から一盃やって居た、職人のお前達の話は又別段で」
 △「えへゝゝ旨く云ってらっしゃるね」
 ×「殿様御免なすってから大きな声をして、此奴(こいつ)ア少し喰(くら)い酔ってるもんですから詰らん事を云って、何卒(どうぞ)お構いなく彼方(あちら)へお出でなすって」
 武家「あはゝゝ馳走になろう、合(あい)をしよう、もう一銚子附けさせろ、身共も一盃馳走に成ろう」
 △「えへゝゝ旨く云ってらア、殿様は如才(じょさい)ねえや、巧(うめ)えや」
 武「酌を仕様」
 ×「いえ殿様、此方(こっち)でします」
 武「いや酌をしよう」
 △「えへゝゝ是は有難うございます、何(いず)れお浮れでございますな、昨夜(ゆうべ)廓内(なか)へ行って」
 武「うむ、廓内へ行って来た」
 △「えへゝゝ殿様なんざア男が好(よ)くって美(い)い扮装(なり)だからもてやすが、私(わっち)どもはもてた事はなく振られてばかり居ても行き度(た)えから別段で」
 武「何うだ猪口(ちょく)を貰おう」
 △「御免なせえまし、水を貰いましょう、おい女中茶漬茶碗へ水をよう、なッてえ、宜いから黙って居ろい」
 武「水などで灌(そゝ)いでは水臭い、其んな事をせんでも宜しい」
 ×「兄い止しなよ」
 △「宜いよ黙って居ろえ」
 武「是は何うも、酒の嗜(す)きな者は妙なものだ、が今聞いて居たが、何か其の京橋辺(へん)の数寄屋河岸の柳番屋の陰で金子(きんす)を貰った娘(むすめ)が有るとか云う話だが、それは何う云う訳だ」
 と云われた時は両人は驚きわな/\しながら。
 △「へえ」
 ×「だから止しねえと云ったんだ大きな声をしてパッパと云うから宜(い)けないんだ」
 武「何も心配な事はない何かえ夫(そ)れは」
 △「へえ………誠にどうも、喰(くれ)え酔って居まして大きに不調法を致しました、真平(まっぴら)御免なさいまし」
 武「いや不調法な事は些(ちっ)ともない、柳番屋の処へ袖乞いに出る娘に武家(さむらい)が金子を遣ったんだな」
 △「へえ、何うも明瞭(はっき)り分りませんので」
 武「いや分らん事はない、今お前が話をしたではないか、何(なん)と云う者の娘だえ夫(そ)れア」
 ×「殿様此者(これ)は喰(くら)い酔って居まして唯詰らねえことを云ってたんで出鱈まえで、唯茫然(ぼんやり)、変な話なんで、嘘を云ったんで」
 武「なに嘘のことはない、何も心配になる事はないから、私(わし)に聞かすれば宜いのだ、京橋の何処(どこ)の者だえ……」
 △「へえ」
 武「云わんか、いま貴様が云った事は衝立の蔭で聞いて居ったが、少し調べる事が有るから聞くのだ」
 ×「だから己が先刻(さっき)から、斯(こ)う云うことを云って係合に成ったものが有るから大きな声をして云うなと云うのだ」
 △「本当に殿様ア……私(わっち)ア明瞭り知らないんで」
 武「知らんたって只今云ったじゃアないか、何(なん)とか娘の名前まで云ったぞ」
 ×「へえ……」
 武「云わんか、云わんと云えば免(ゆる)さんよ、隠立てを致せば捨置かれんから両人共近所に自身番が有ろうから夫れへ連れて行(ゆ)く」
 ×「真平御免なさい」
 △「何うぞ真平御免を」
 武「謝罪(あやま)らんでも宜い、貴様達の罪じゃアない、云いさえすればよろしいのだ」
 ×「へえ、京橋……鍛冶町」
 武「うむ、京橋鍛冶町、少し待って呉れ」
 と腰から矢立を出し懐中から小菊を出(いだ)して、
 武「京橋鍛冶町で、何(なん)と云う者の娘だえ」
 「孫右衞門娘で筆でございます」
 武「孫右衞門の娘の筆か、此の月の幾日(いくか)の晩だ、うむ、成程六日の晩数寄屋河岸の柳番屋の蔭に於いて金子を貰ったのか、其の金子は幾ら有った」
 △「何だか其処(そこ)の処は明瞭(はっき)り分りません」
 武「夫(それ)を何者が盗んだと云ったな」
 △「へえ、それは五斗兵衞市の家(うち)の居候で勘次てえ奴が」
 武「五斗兵衞市てえのは名か、可笑しいな、其の家(いえ)の食客(しょっかく)に居るものだな」
 △「いえ、なに居候で」
 武「だからよ、勘次と云う者が盗み取ってそれが露見をして目下其の娘は牢に居るんだな」
 △「へえ牢に這入っちまいました」
 武「それは可哀想な事で、町役人は何と云う」
 △「町役人と云うと何(ど)う云う事で」
 武「いえさ家主(いえぬし)だよ」
 ×「家主と云うのは何んで」
 武「其の長屋の差配を致す者よ」
 △「大屋でげす」
 武「大屋てえ事はないが、まア大屋でも宜(よ)いその大屋は」
 △「へえ、と藤兵衞」
 武「藤兵衞か、宜しい、貴様の名を一寸書いて置こう、貴様は何と云う名だ」
 △「へえ御免なすって」
 武「謝罪(あやま)らんでも宜(い)い」
 ×「えゝ殿様、此者(これ)は全く喰(くら)い酔って迂濶(うっか)り云ったんで」
 武「喰い酔うも何もない名前を云え、云わんか」
 △「へえ大変だな、熊ッ子てえます」
 武「熊ッ子と云う名前はない、熊吉か熊五郎か何うだ」
 ×「へえ慥(たし)か熊五郎」
 武「慥か熊五郎と云う奴があるか、貴様は何んと云う名だ」
 ×「私(わっち)も……私(わっち)は何も云やアしません」
 武「何も云わなくとも連れだから云えよ」
 ×「何うぞ御免なすって」
 武「ゆるせと申したって連れだから貴様の名も書かなければならんよ」
 ×「へえ……私(わっち)ア、ガチャ留(とめ)と申します」
 武「ガチャ留と云う名が有るか」
 留「何(なん)だか知りませんが子供の時分から、ガチャ留ッてえます」
 武「留吉か留次郎か」
 留「其処(そこ)の処は私(わっち)どもの事ですからガチャ留でお負けなすって」
 武「負けると云う事はない、留吉か全く」
 留「えへゝゝ忘れました」
 武「自分の名をわすれる奴があるか貴様達は最(も)う宜しい」
 両人「有難う存じます」
 と両人は直(すぐ)に駈出して小田原迄逃げたと云うが、其様(そんな)に逃げなくっても宜しい。此の武家(ぶけ)は莞爾(にっこり)笑って直其の足で京橋鍛冶町へ参りました。又、親父の孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]は只おろ/\泣いてばかり居ます、家主も誠に気の毒で間(ま)が有れば時々見舞いに来ます。
 家「はい御免よ孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]さんお前然(そ)う泣いてばかり居ちゃアいけないよ、其様(そんな)にくよ/\したって仕方がない、是はお前何うもその、悪い事は悪いこと、善悪(よしあし)共にお上(かみ)は明らかにお調べなさる処だから、全体お前大金を貰った時にねえ、ちょいと私にでも話をすれば直(すぐ)に訴えて仕舞えば何も仔細ないのだ、彼(あ)の娘(こ)は他人の物を取る様な娘じゃアないが、私の長家から縄付きに成って引かれる者が有っては家主の恥辱(はじ)だが、なに彼の娘はお前を大切にして親孝行な子だから、何(ど)んなそれア穏密方(おんみつがた)が来て調べたって長い間のお前の煩いを介抱した様子から皆(みんな)世間で知って居るから早晩(いまに)彼の子も罪が免(ゆ)りて帰れようから然う泣いてばかり居ちゃアいけない、身体に障ると悪いから余(あんま)り心配をせぬがいゝ」

        九[#「九」は底本では「八」と誤記]

 親父は涙をこぼしまして、
 孫「はい、有難う、私(わたくし)は此様(こん)な業病(ごうびょう)に成りましたもんだから、彼(あれ)が私を介抱するので内職も出来ませんゆえ追々其の日に追われ、何も彼(か)も売尽して仕方がない処から、彼が私に内証で袖乞に出る様な事に成ったので、斯(こ)う云う災難に出会ったかと思いますと、私(わたし)が彼を牢へ遣った様なものでございます、然(そ)うして此の寒いのに牢の中へ這入りましては貴方彼は助かる気遣いはございません、繊細(かぼそ)い身体ですから、其の上今迄引続いて苦労ばかりして居りますので、身体が大概傷(いた)んで居ります処へ又牢へ這入り寒い思いをして、彼に万一(もしも)の事でも有りますと、私は此の通り腰が抜けて居る、他に身寄頼(たより)はなし死ぬより他に仕方がございません、お家主さん貴方何卒(どうぞ)筆がお免(ゆる)しに成って帰れる様にお願いなすって下さいまし」
 家「願うと云う訳にゃアいけない、素(もと)より家尻を切って取った八百両の内の金子(かね)だと云うから、何(いず)れ其金(それ)を呉れた奴が有るんだろうが、其奴(そいつ)が出さえすれば宜(い)いんだが、お調べが容易に届けば宜(よ)いが、調べが届きさえすれば彼(あ)の娘(こ)は帰るんだからね、是も災難だ」
 孫「災難だって此様(こん)な災難が有る訳のものじゃア有りません」
 家「お前が困るなら宅(うち)の奴も来るし、又長家の者も世話をして呉れるから然(そ)う泣いてばかり居ちゃア身体が堪らねえ」
 孫「えゝ、神も仏もないんで、此様な災難に罹(かゝ)るてえのは、あゝ私は死にたい」
 家「其様(そん)な気の弱い事を言ってはいけない、いか程死度(しにた)いからって死なれる訳のものではない」
 と頻(しき)りに宥(なだ)めて居る処へ、門口から立派な扮装(なり)をして、色白な眉毛の濃い、品格(ひん)と云い容子(ようす)と云い先(ま)ずお旗下(はたもと)なら千石以上取りの若隠居とか、次三男とか云う扮装(こしらえ)の武家がずっと這入って参り、
 武「御免小間物屋孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]さんのお宅(うち)は当家(こっち)かえ」
 家「はい、是は入らっしゃいまし、是は入らっしゃいまし」
 武家「はい、御免を」
 家「其処(そこ)は濡れて居りまして誠に汚のうございますが、サ、何(ど)うぞ此方(こちら)へ入らっしゃいまして……奥の喜兵衞(きへえ)さんが願って呉れたのだから…誠に有難う存じまして、斯(こ)ういう貧乏人の処へお出でを願いまして恐入りますが、能く来て下さいました、貴方は奥の喜兵衞さんから願いました、番町のお医者様で」
 武「なに私(わし)は医者じゃアないが、貴方は何かえ、此の長屋を支配なさる藤兵衞殿と仰しゃる仁(かた)かえ」
 藤「ヘエ/\、ヘエ」
 武「今御尊家(ごそんか)へ出たよ」
 藤「私(わたくし)の宅(うち)へ入っしゃいました、左様ですか、えゝ此者(これ)がその孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]と申す者」
 武「はい始めまして、えゝ承れば当家(とうけ)でもとんだ災難で、何かその数寄屋河岸の柳番屋の蔭へ袖乞いに出た娘に、通り掛った侍が金子(かね)を呉れて、それが不正金で親子の者が、図らざる災難を受けたというは気の毒な事で、お前は嘸(さぞ)かし御心配な事で」
 藤「へえ誠に心配致して居りますので、何うか分りますれば宜(い)いと思って居ります」
 武「いやそれは心配には及ばん、明日(あした)私(わし)が其のお筆さんと云う娘(こ)を町奉行所へ訴え出て帰れるようにして遣る、其の金は己(わし)が遣ったんだ」
 藤「へえー、左様で、それなれば何も仔細無い事で、何かお上でもお疑いがございまして、不正金とか何とか云う事を申すので困りましたが、誠にどうも殿様が下さいましたのなら何も仔細は有りません、孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]さんお前さん一寸(ちょっと)御挨拶を」
 武「はいお父(とっ)さんか始(はじめ)てお目に懸ったが実は日外(いつぞや)私(わし)が数寄屋河岸を通り掛るとお前の娘子が私(わたくし)も親の病中其の日に困り親共には内々(ない/\)で斯様(かよう)な処へ出て袖乞をすると言って涙を溢(こぼ)して袖に縋られ、誠に孝行な事と感服して聊(いさゝ)か恵みをしたのが却(かえ)って害に成って、不図(とんだ)災難を被(き)せて気の毒で有ったが、明日(あす)私が訴えて娘子は屹度(きっと)帰れる様にして上げるが、名前も明さずに金子(かね)を遣った処は誠に済まんが、明日は早々にお筆さんの帰れる様にして上げるから、金子を遣って苦労をかけた段は免(ゆる)して下さい」
 藤「何う致しまして、有難い事で、お礼を云いなよ、殿様が下さったんだから心配はない」
 孫「はい、誠に有難う、心の中(うち)で私(わたくし)は一生懸命に観音を信心致しました、どうも昨夜(ゆうべ)貴方少しうと/\致しまして夢を見て、観音様が私の枕辺(まくらべ)に立って、助けて遣るぞ助けて遣るぞと仰しゃいました、目が覚めますと矢張り宅(うち)に寝て居ったので、不断其の事ばかり思って居るから観音様の夢を見たのだ、あゝ観音様も分らねえと神や仏を恨む様な愚痴を云って居ましたが殿様が出て己(おれ)が遣ったと云って下さいますればお上に於いてもお疑いは無い事で、お筆は免されて帰れますが、少しも早く、成ろう事なら今晩帰る様に」
 武「今日は些(ちっ)と遅いから明日(あした)屹度帰す、是は誠に心ばかりだが……娘は明日屹度取戻してお前の家(うち)へ帰るようにして上げるが、此金(これ)は真(ほん)の心ばかりだ、是は決して不正金でも何(なん)でもない仔細の無い金子(かね)だから、どうか心置きなく使って下さい、私(わし)が遣ったに違いない」
 藤「誠に恐入ります、是は何うも娘を帰して下さるのみならず多分の金子(かね)を……」
 武「いや沢山(たんと)はないたった十金だから、何(なん)ぞ暖(あったか)い物でも買っておあがり」
 藤「是は恐入ります、おい孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]さん旦那様が十両下すったよ」
 孫「十両よりはお筆を早く帰して下さい」
 藤「そんな事を云うものじゃアない親父は少し取逆上(とりのぼせ)て居ますので」
 武「えゝお家主一寸自身番まで一緒に行って貰いたい」
 藤「へえ、自身番は直(すぐ)其処(そこ)で」
 武「少し御相談が有るから、じゃアお父(とっ)さん私(わし)は帰る、明日(あした)屹度お筆さんを帰すよ心配しちゃアいかん、心を確(しっ)かり持っておいで、大丈夫だから」
 藤「はい有難う存じます、又(ま)た多分のどうもお恵みで有り難う存じます」
 武「さ、行きましょう」
 藤「へえ、じゃア宜(い)いかえ孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]さん、今宅(たく)の何をよこすから、旦那と一緒に自身番まで往って来るから、此方(こちら)へ入(いら)っしゃいまし、板ががた付いて居ます、修(なお)そうと存じて居ますが、遂(つい)大金が掛りますので、何卒(どうぞ)此方へ」
 武「はい/\」
 是から路地を出て町内の角の自身番まで参り、
 藤「誠に爺嗅い処で、何うか此方へ」
 武「いやもう構ってお呉れでない心配をせんが宜(よ)ろしい、え明日(あした)私(わし)が奉行所へ出て私が金子(かね)を遣ったに相違ない事を訴えれば、仔細はない、が長屋に事の有る時は支配を致して居(い)る処のお家主の御迷惑はお察し申して居る」
 藤「へえ実は私(わたくし)も心配致して居ましたが、殿様が遣ったと仰しゃって下さいますれば何も仔細ない事で」
 武「明日は少し早く四ツ時分から腰掛へ出て居て貰い度(た)い」
 藤「へえ/\四ツ時分からへえ成程」
 武「えゝ此の近辺でなんですかえ、金満家(かねもち)は何処(どこ)ですな」
 藤「えゝ金満家と申しますと」
 武「いえさ、町内で金満家の聞えの有る家(うち)は」
 藤「左様でございますなどうも太刀伊勢屋(たちいせや)などは大層お金持だそうで」
 武「他には」
 藤「質屋で伊勢銀(いせぎん)と云うが有ります」
 武「じゃア伊勢銀の方に仕様」
 藤「是からお出でに成りますなら御一緒に参りましょうか」
 武「いや一緒に行かんでも宜しい、エ、明日お筆さんをお前が引取に来なければならんから、組合を連れて印形(いんぎょう)持参でお出(いで)を願い度(た)い」
 藤「宜しゅうございます、承知致しました」
 武「あれは天正金(てんしょうきん)で有るか無いかは明日出れば分ります、大きに御厄介で有った」
 藤「まアお茶を」
 武「いえ宜しい、左様なら」
 すうっと帰って仕舞いましたから何(なん)だか家主にも薩張(さっぱり)分りません。家主の藤兵衞はあれ程の殿様だから嘘も吐(つ)くまい、併(しか)しよもやあの人が盗賊では有るまい、それにしても何(ど)う云う事であの金が彼(あ)の人の手に這入ったか、と考えて見たが少しも分りません、まさか彼奴(あいつ)が盗賊なら私(わたくし)が泥坊でござると云って奉行所へ出る気遣いは無いが何うしよう。と町代(ちょうだい)の與兵衞(よへえ)という者と相談の上で四ツ時に町奉行の茶屋に詰めて居ります。四ツ半に成っても来ません。
 與「藤兵衞さん」
 藤「えゝ」
 與「何(なん)だかお前の云う事は当(あて)にならねえ、未(ま)だ来やアしねえ、何(な)んだか変だぜ」
 藤「だって誠に品格(ひん)の好(よ)い、色白な眉毛の濃い、目のさえ/″\した笑うと愛敬の有る好い男の身丈(せい)のスラリとした」
 與「男振や何かは何うでも宜(よ)いが是は来ないぜ」
 藤「然(そ)うですな、おやお隣町内の伊勢銀さん何うです」
 芳[#「芳」は底本では「若」と誤記]「なに盗賊が這入りまして金を二百両盗まれましたから訴えるんで、宅(うち)は大騒ぎです」
 藤「昨夜(ゆうべ)盗賊が、へえー、何処(どこ)から這入りました、家尻を切ったって、へーえ何うもそれはとんだ事でしたな、お代(だい)に芳造(よしぞう)さんですか、それはまア不図(とんだ)御災難で」
 芳「へえ、酷(ひど)い目に遭いました」
 藤「少しも知りませんでげした」
 芳「土蔵や何かは余程気を注(つ)けますんですが」
 藤「へえー」
 と話をして居ります処へ件(くだん)の武家(さむらい)が雪駄でチャラリ/\腰掛へ這入って来ました。
 藤「おや是は入らっしゃいましそれ見なせえ嘘う吐くものか入らしった、さどうぞ此方(こちら)へ」
 武「昨日(さくじつ)は色々お世話に……今日(こんにち)は早くから出ようと思ったが少々余儀ない事で友達に逢って暇乞(いとまご)いなどをして居たんで少々時刻が遅れてお待たせ申して済みません」
 武「えゝ此のお方は」
 藤「えゝ組合の名主代で」
 武「大きに御苦労」
 與「えへゝゝ町内の小間物屋の娘をお助け下さり有難う存じます」
 武「はい御奉行のお退出(さがり)までは未だ余程間(あいだ)が有ります」
 藤「えゝ殿様一体あの一件は何(ど)う云う事なんで、へゝゝ附かん事を伺います様だが、何ういう理由(わけ)かあの金子(きんす)をお上では不正金だって、三星の刻印が打って有るなどと申しますが」
 武「うむ、彼金(あれ)は芝赤羽根の中根兵藏方の家尻を切って盗んだのが丁度十二月十二日の晩でね、八百両取ったんだ」
 藤「へえー、其の盗賊が知れませんので」
 武「いや其金(それ)を取った賊は拙者だ」
 藤「えへゝゝ御冗談を、えへゝゝ」
 武「いや全くだ、何うも、悪い事を誰も知らん者は無い、賊を働くは悪い事で天道に背くとは思いながら、知りつゝ此の賊になるもねお家主、是は皆前生(ぜんせい)の約束事かと思う、悪いから止(や)めようとしても止められんね、これは妙なもので、十四の時から私(わし)は盗賊を為(し)ます」
 藤「えへゝゝ御冗談ばかり」
 武「いや冗談じゃアない、実は中国の浪士で両親共逝去(なく)なって伯母の手許に厄介に成って居(お)ったが十四歳から賊心を発(おこ)して家出をなし長い間賊を働いて居ったが是まで知れずに居ったのだがね」
 藤「へえー全く殿様が」
 武「あい、何うも止めようと思っても止められんものだね、私(わし)が取った金を遣ったんだと斯(こ)う云って出れば、お筆さんの助からん事は有るまい、私も長らく他人(ひと)の物を盗み取って旨い物を喰い好(よ)い着物も着たが、金子(かね)を沢山取った割合には夫程(それほど)栄耀(えよう)はせんよ、皆(みん)な困る者に恵んだ方が多い、可哀想だと思っては恵み、己(おのれ)の罪を重ねる道理だから止そうとは思い/\止められんと云う処が是が因果じゃな、前世の約束事で有ろう、もう天命を知りこゝらが丁度宜い死に処だ、私は廿九に成りますよ」
 藤「へえー、えへゝゝ、へえー」
 武「名乗って出てお上の御処刑を受けた跡でお題目の一遍も称(あ)げてお呉れ」
 藤「へえ、途方もない御冗談ばかり」
 武「いや冗談じゃア無い全くだ、其方(そちら)のお方は」
 藤「是は伊勢銀と申す町内の質屋の手代でげすが、昨晩盗賊が家尻を切りましたので今日(こんにち)お訴えに参って居りますので」
 というと武士(さむらい)は平気で、
 武「左様か直(すぐ)に分りますよ、昨夜お前さんの処の家尻を切ったのは私(わし)だよ」
 芳[#「芳」は底本では「若」と誤記]「え、貴方、へえー」
 武「それは気の毒千万な、お手数をかけて、全くはお家主が彼家(あすこ)は金持だとのお指図で……」
 藤「私(わたくし)は其んな事は云やアしません、驚いたなア」
 何うも沈着(おちつ)いたもので、是から八ツの御退出(おさがり)から一同曲淵甲斐守公のお白洲へ出ました、孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]の娘お筆も引出(ひきいだ)され、訴えの趣きを目安方が読上げますると甲斐守様がお膝を進められまして、
 甲「備前岡山無宿月岡幸十郎(つきおかこうじゅうろう)」
 幸「へえ」
 甲「其の方が訴え出でたる趣きは十一月廿二日の夜(よ)芝赤羽根勝手ヶ原中根兵藏方へ忍び入り、家尻を切って八百両盗み取ったる金子の内を、数寄屋河岸の柳番屋の蔭に於て是なる筆に恵み与えたるに相違なく、筆には毛頭罪なき事であればお免(ゆる)しを願い度(たき)趣を訴え出でたるが全く其の方が盗み取ったる金子を是なる筆に遣わしたに相違ないか」
 幸「えゝ先夜は私(わたくし)が柳番屋の蔭を通り掛りますると、是なる筆が私の袖に縋って涙を零(こぼ)しながら頼みます故、何故(なにゆえ)袖乞をするかと尋ねましたら、父が長らくの患い、腰が抜けて起居(たちい)も自由ならず商売も出来ませんので其の日に追われ、僅(わずか)な物も売尽して仕方がなく明日(あした)米を買って与える事が出来ませんと、真に袖を絞って泣いての頼み、真実面(おもて)に顕(あら)われましたから、あゝ感心な事じゃと存じまして、遂(つい)刻印金とは存じて居ながら、是なる娘に恵み与えました金子が却(かえ)って娘の害と成りまして、長らく病んで居ります処の親を一人残して入牢仰付(おおせつ)けられたは如何にも筆へ対して手前気の毒な思いを致しました、筆には決して科(とが)のない事でございますから何(ど)うか町役人共へお引渡しに相成りますれば有難い事に存じます」
 甲「うむ、是れなる筆に何両の金子を遣わした」
 幸「えゝ其の勘定は確(しか)と心得ませんが五十金足らずかと心得ます、唯小菊の上へ掴み出して与えました事ゆえ勘定は確とは心得ませんが、残余(あと)の使い高に依って考えますと五十金足らずかと心得ます」
 甲「うむ、此の者に貰ったに相違ないか、面体(めんてい)を覚えて居るか」
 筆「其の夜(よ)は頭巾を被って在(いら)っしゃいましたからお顔は覚えませんがお声で存じて居ります、頂いたに相違ございません」
 甲「うむ、町役人」
 藤「へえ」
 甲「此の筆なるものゝ父は長らく病中夜分(よる)もおち/\眠りもせずに看病を致して、何も角(か)も売尽し、其の日に迫って袖乞に迄出る事を支配をも致しながら知らん事は有るまい、全く存ぜずに居ったか」
 藤「遂(つい)心附かずに…」
 甲「呆(たわけ)、其の方支配を致す身の上で有りながら、其の店子(たなこ)と云えば子も同様と下世話で申すではないか、其の子たる者の斯(かゝ)る難儀をも知らんで居(お)るという事は無い、殊には近辺の評も孝心な者で有ると皆々が申す程の孝心の娘なれば、其の方心に掛けて筆を助けて遣らんければならぬ、夫(それ)が手前の役じゃ、貧に迫って難渋なれば難渋の由を上へ訴えてお救(すくい)を乞うとか何とか訴出れば上に於て御褒美も下(くだ)し置かれる、然(しか)るを打捨て置いて袖乞に出る迄の難渋をかけると云うは、其の方不取締(ふとりしまり)で有るぞ」
 藤「お……恐れ入りました」
 甲「筆其の方は見ず知らずの者より大金を貰い受け、紙を披(ひら)いて見たら多分の金子が有ったなら、早々町役人同道にて上へ訴え出なければならん処を、隠し置いて其の金を使いしは不届至極で有る、けれども其の日/\に差迫って、明日(みょうにち)は父に米を買って与える事も出来ぬ処から、其の金子を以て米薪に代えて父を救った其の孝心に依(よっ)て父を思う処から、悪い事とも心附かず迂濶(うっか)り其の金を使い是から家主と相談の上で訴え出ようと云う心得で有ったが、其の中(うち)に勘次郎という者が其の方の手許に金子の有る事を知って盗み取ったが、全く訴え出ようと心得て居(お)る内に其の金を取られたので有ろうな」
 とお慈悲な事でございます。

        十[#「十」は底本では「九」と誤記]

 お筆は漸々(よう/\)顔を上げまして、
 筆「はい左様で」
 甲「何(ど)うじゃ町役人(まちやくにん)」
 藤「全くは是から訴えようと内々(ない/\)下話(したばなし)もございましたので、処を盗み取られましたんで」
 甲「これ下話が有ったら何故(なぜ)訴えぬ」
 藤「いえ是から下話を致そうかと考えて居りましたんで」
 甲「なんだ、筆なる者は罪もなく殊に孝心な者故助け度(た)いとて訴え出でたる幸十郎は最(い)と神妙の至りで有る、筆儀(ぎ)は咎(とがめ)も申し付けべき処なれども、其の親孝心に愛(め)でゝ上に於ても格別の思召(おぼしめし)を以て此のまゝ免し遣わす、立ちませえ」
 筆「はい」
 と立とうとする途端にびいんという仮牢の錠の開く音が頭上に響いて、恟(びっく)りする中(うち)に大戸をガラ/\と開けて仮牢から引出(ひきいだ)されましたは、禿げた頭の月代(さかやき)は斑白(まだら)になりまして胡麻塩交りの髭が蓬々(ぼう/\)生え頬骨が高く尖り小鼻は落ちて目も落凹(おちくぼ)み下を向いて心の中(うち)に或遭王難苦(わくそうおうなんく)、臨刑慾寿終(りんけいよくじゅしゅう)、念彼観音力(ねんぴかんのんりき)、刀尋段々壊(とうじんだん/\え)、或囚禁枷鎖(わくしゅうきんかさ)、手足被※械(しゅそくぴちゅうかい)念彼観音力(ねんぴかんのんりき)、釈然得解脱(しゃくねんとくげだつ)、と牢の中(なか)でも観音経(かんのんぎょう)を誦(よ)んで居たが今ヒョロ/\と縄に掛って仮牢から引出(ひきだ)されるを見ますると、三年以前に別れた実父の下河原清左衞門でございますから何う云う訳で此の有様はと、はッと思いまして、
 筆「お父(とっ)さん」
 と云い掛けると清左衞門が、むゝと眼で知らせますから、
 筆「はい」
 と泣き度(た)い程悲(かなし)いのを耐(こら)えて砂利の処へぺたぺたと坐りました。明奉行(めいぶぎょう)だから早くもそれと見て取って、
 甲「筆暫く控えろ」
 筆「はい/\」
 甲「是なる浪人者を其の方は見知り居(お)るか」
 筆「はい、い、え」
 甲「隠すな、隠すと為にならんぞ、是なる浪人下河原清左衞門は、長谷川町の番人喜助を毒殺致した罪に依って長らく入牢仰せ付けられ、再度の吟味に逢うと雖(いえど)も白状致さぬ、毛頭覚えはないとのみ、然(しか)れば主名を明かせと云えば武士(さむらい)の道が立たん、士道が立ち難いに依って主家のお名前は仮令(たとえ)身体が砕けても白状を致さぬと申し張って居(お)るが、是は其の方の伯父か」
 筆「いゝえ」
 甲「父か」
 筆「いゝえ」
 甲「何故(なぜ)隠す、主家の名前を申せば免して遣わす、其の方見知りの者で有れば申せ此の者が助かる事で有るぞ、其の方は元築地辺に居って何か災難に依って入水致した処を助けられたのが只今の孫右衞門で有る由上に於て篤(とく)と其の辺は調べが届いて居(い)る、孫右衞門は養父じゃな、是なる清左衞門は其の方の実父で有ろう」
 筆「はい、……いゝえ」
 云わんと致しますると清左衞門が目で知らせるから口を開(あ)く事が出来ません。
 甲「何故言わぬ、此の者は其の方と面体恰好が能(よ)う似て居(お)るぞ、其の方が強(しい)て隠すと此の者は重き刑に行われるが、其の方の実父なれば、清左衞門の口から士道立ち難いに依(よっ)て申せまいが、其の方が申すに仔細はない、其の方の実父ならば実父だと申せば宜しい、実父と申すが悪いならば此の者の主家の名前を申せ、其の方が申すに仔細は無い事で有る、何処(どこ)までも云わんで居ると此の儘此の者を無実の罪に苦(くるし)むるは不孝で有ろうが」
 筆「はい/\申し上げます」
 側から藤兵衞が低い声で、
 藤「云いなよ/\、あゝやってお柔(やわら)かに仰しゃる事だから、云わないと宜(い)けないよ、隠し立てをしちゃア彼方(あっち)も盗賊(どろぼう)、此方(こっち)も盗賊、然(そ)う幾らも盗賊と心易(こゝろやす)くしちゃア困るから云いなよ」
 筆「はい、実は私(わたくし)の血を分けました親共でございます」
 と白状を致しました。其の時御奉行は、
 甲「うむ、然うじゃろう、何(いず)れの藩じゃ主名を申せ」
 筆「はい、巣鴨(すがも)傾城(けいせい)ヶ窪(くぼ)の吉田監物(よしだけんもつ)の家来下河原清左衞門と申す者でございます」
 甲「うむ、何故(なにゆえ)屋敷を出(いで)て浪人致した、主人の不興でも受けて追放を仰せ付けられたか何う云う事じゃ」
 筆「少々御主人様の事に就きまして親共が諫言(かんげん)を申した事がございます、其の諫言が却って害に相成りまして不興を受けてお暇(いとま)になりましたが、父は物堅い気性故、仮令(たとい)主(しゅう)でも家来でもお家の為を思う者を用いなければ止むを得んから主家(しゅか)を出る、飢死(うえじに)しても此の屋敷には居らんと、重役の者と争論(いさかい)を致しまして家出を致しまして四ヶ年程浪人致して居りました」
 甲「うむ、主家に何(ど)の様(よう)の事が有ったか其の方弁(わき)まえて居(お)るか」
 筆「深い事は存じませんが、御妾腹(おめかけばら)の」
 と云い掛けると清左衞門が顔で頻(しき)りに電光(いなびかり)をして居ります。
 甲「清左衞門控えろ、此の者が申すに仔細はない、其の方が口外致せば故主(こしゅ)の非を挙(あぐ)る事になるかもしれんが、筆の孝心より申すのじゃ仔細はない、控えて居れ、ふむ、主家の妾の腹に宿した子が有ったと」
 筆「はい、お妾の腹に出来ました鐵之丞(てつのじょう)と申します者を世に出(い)だそうというお妾の悪計(たくみ)に附きました者もございまして、御本腹の金之丞(きんのじょう)様を毒害しようと云う悪計もございましたと云う事は薄々聞きました事で」
 甲「うむ、其の方に叔父が有るか」
 筆「はい、ございます」
 甲「是なる清左衞門の兄で有るか弟か」
 筆「弟でございます」
 甲「うむ、それはまだ監物の屋敷に居(お)るか」
 筆「未だ居(お)るでございましょう」
 甲「吉田監物家来下河原清左衞門、其の方は武士道が立難いに依って身体の醢(ひしびしお)になり骨が砕けても云わんと申したが娘が親を助け度(た)いと云う孝心から此の事を申したのじゃから其の方に於(おい)て武士道の立たんと申す事は聊(いさゝか)もない、筆、叔父の名は園八郎(そのはちろう)と申すで有ろうの」
 筆「はい園八郎と申します」
 甲「能く申した今日(こんにち)は此の儘下げ遣わす、こら町役人(ちょうやくにん)筆を確(しか)と預け置くぞ、明日(みょうにち)改めて呼び出(いだ)すから左様心得ろ」
 ○「畏(かしこま)りましてございます」
 甲「双方立ちませえ」
 と云うので双方ともに起ち、下河原清左衞門は仮牢へ這入り、お筆は町役人が預かって帰りました。孫右衞門の悦びは一通りでありません。翌日になりますと、新吉原町辨天屋祐三郎抱え紅梅并(ならび)に下河原園八郎という清左衞門の弟をお呼出しに相成るという一寸一息つきまして。偖(さて)其の次の日は、吉田監物家来下河原園八郎がお呼出しに相成り、縁側の処へ上下(かみしも)無刀で出て居ります。曲淵甲州公は御席(ごせき)に就きましたが、辨天屋の抱え紅梅は白洲迄は出て居ったがまだお呼び込みにはなりません。
 甲「吉田監物家来下河原園八郎」
 園「はっ、罷出(まかりい)でました」
 甲「其の方は三ヶ年以前の十一月三日、長谷川町の番人喜助に銘酒じゃと申して徳利(とくり)を持参致して毒酒を置いて帰り候由、番人喜助の女房梅なる者より訴えに相成って居(お)るが、夫(それ)に相違有るまい、何(ど)うじゃ」
 之を聞くと園八郎は額へ青筋を出しまして顔色(かおいろ)を変え、袴の間へギュッと手を入れて肩を張らし、曲淵甲州公の顔を眤(じっ)と見詰めて居りましたが、
 園「是は怪(け)しからん仰せにござります、長谷川町の番人に毒酒を与えましたなどと云うは毛頭覚えない事でございます、怪(けし)からんお尋ねを蒙るもので」
 甲「控えろ、其の方如何様(いかよう)に陳じても天命は遁(のが)れ難い事で有る、其の方は監物の妾村(むら)と申す者と密通致し、村の腹へ宿したる鐵之丞を家督に直さんが為に、本腹の金之丞へ毒薬を授け金之丞を毒殺致して妾の腹に出来たる鐵之丞を家督に直さんという企(たくみ)を致した事は上に於て篤と調べが届いて居(お)るぞ」
 園「是は何うも思い掛けないお尋ねを蒙りますもので何故(なにゆえ)に左様な事を」
 甲「黙れ、其の方如何様に陳じてももう遁れる道はないわ、辨天屋祐三郎抱え紅梅を呼出(よびいだ)せ」
 是から紅梅が出て来ましたが娼妓などは立派に着飾って出るもので、お白洲に出るような姿ではない。前(ぜん)申し上げます通り阿古屋(あこや)の琴責(ことぜめ)の様な姿で簪(かんざし)を後光の様に差(さし)かざして居(い)るから年を取って居ても若く見えます。ずいと出まして、御奉行の方を斜(はす)に向いて坐って居ります。
 甲「辨天屋祐三郎抱え紅梅、勇之助代かや、差添(さしそ)うたか」
 かや「差添いましてございます」
 甲「其の方亭主喜助に毒酒を置いて参った侍は是なる侍で有ろう、篤と面体を見い。近う寄って面体を見い」
 ずいと来て、
 紅「あらまア何うもまア図々しいじゃア有りまへんか、あんな高い処に昇(あが)って真面目な顔をしてえて上下(かみしも)を着てえてさ、何(なん)だッて此んな悪党に上下なんぞを着せて置くんですよ、牢の中へ入れたんじゃア有りまへんか」
 甲「いや前に取押えて入牢申し付けたは清左衞門と申す者じゃ」
 是から清左衞門をお呼出しに相成りまして、
 甲「兄弟で有るから能く肖(に)て居(い)るが、能く見ろ違うて居るだろう、篤と面体を見定めよ」
 という御沙汰で、紅梅は熟々(つく/″\)両方を見較べて清左衞門に向い、
 紅「まア何うも済まない、堪忍してお呉んなはいよ、肖(に)てえるったって本当に能く肖て居るんだものを、成程貴方の方が少し老けて居りますが余(あんま)り能く肖て居るからお前(ま)はんだとばかり思って済まない事をしましたが、此ん畜生、宅(うち)の人に毒を盛って是はお上のお上(あが)りの御酒だから惜しいんだなんぞと云やアがって、そんな高い処に上げて置かずに此処(こゝ)へ下(おろ)してお呉んなはいよ、私ゃアしがみ附くよ」
 甲「控えろ、仮令(たとい)三寸不爛(ふらん)の舌頭(ぜっとう)を以て陳じても最早逃れられぬぞ、是なるは番人喜助の女房梅で有る、見覚えが有るか何(ど)うじゃ」
 と云われ流石(さすが)の園八郎も差迫って紅梅を見てこう下を向いて居ります。
 甲「何うじゃ、是にても尚陳ずるか、相違有るまい何うじゃ」
 園「え、恐入りましてございます」
 甲「縄打てえ」
 と云うとトンと縁から下へ突落(つきおと)されると直(すぐ)にバラ/\と来て縄を掛ける。最早遁(のが)れる道はない、毒薬を盛ったに相違ないと云う事が速(すみや)かに分りましたから、此の者は主(しゅう)殺しに当りますから、磔刑(はりつけ)になるべき処を、吉田監物の家が断絶になるから家事不取締りで、此の園八郎も妾(しょう)のお村も斬罪に処せられ、吉田監物は半地(はんち)に残したはお上の慈悲でございます。又下河原清左衞門が助かると云うのは、全くお筆が孝行の然(しか)らしむる処で、親子諸共に罪を免されて出る。彼(か)の月岡幸十郎は訴え出まして、残らず事柄が分りますと云うのは、彼の伊勢銀に這入りまして家尻を切って二百両の金子(かね)を取ったのも此の者で、幸十郎は後に相当のお仕置に相成りました。下河原清左衞門親子は立帰り、主家は半地にお取立てに成りましたが、奥方の耳へも此の事が這入りまして、清左衞門親子はお召返しに相成りましたから、大恩が有るというので、かの腰の抜けた孫右衞門をも屋敷へ引取り、十分介抱して之を見送り、後孫右衞門は死去(みまか)りましたが、下河原の家はお筆が養子を取って家督を致しまするというお芽出度いお話でございます。
(拠酒井昇造速記)   



底本:「圓朝全集 巻の一」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集巻の一」春陽堂
   1925(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼(あ)の」と「彼(あの)」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年5月9日公開
2003年7月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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【表記について】

/\:二倍の踊り字(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

※(からすみ)

第4水準2-93-92
※癪(せんしゃく)

人※(ひとがら)

第4水準2-13-2
半※(はんてん)

手足被※械(しゅそくぴちゅうかい)

第3水準1-85-51