闇夜の梅

三遊亭圓朝

鈴木行三校訂





 エヽ講談の方の読物は、多く記録、其の古書とう、多少よりどころのあるものでござりますが、浄瑠璃や落語人情噺に至っては、作物さくぶつが多いようでござります。段々種を探って見ると詰らぬもので、の浄瑠璃で名高いお染久松のごときも、実説では久松が十五、お染が三歳みッつであったというから、うしても浮気の出来よう道理がござりませぬ。久松が十五の時、主人の娘お染を桂川のほとりで遊ばせて居るうちに、ついあやまってお染を川の中へ落したから御主人へ申訳がない、何うかして助けにゃならぬと思ったものか、久松も続いて飛込むと、游泳およぎを知らなかったからついそれ切りとなった。これを種にしてお染久松という質店しちみせの浄瑠璃が出来ましたものでござります。又大阪の今宮という処に心中があった時に、ある狂言作者がたくみにこれをつゞり、標題をなんとしたらかろうかと色々に考えたが、何うしても工夫が附きませぬ、そこで三好松洛みよししょうらくもとへ行って、
 「なんとこれ迄にこしらえたが、外題げだいを何とつけたらよかろう」
 「いやお前のように、そんなにっちゃアいけませぬ、いっそ手軽く『心中話たった今宮』と仕たらようござりましょう」
 「成程」
 とすぐに右のとおりの外題にしてると大層に当ったという話がある。その真似をして林家正藏はやしやしょうぞうという怪談師が、今戸いまどに心中のあった時に『たった今戸心中噺』と標題を置き拵えた怪談はなしたいして評がかったという事でござります。この闇夜の梅と題するお話は、戯作物などとは事違い、全くわたくしが聞きました事実談でござります。
 えゝ、浅草に三筋町みすじまちと申す所がある。是も縁で、三筋町があるから、其の側に三味線堀というのがあるなどは誠におかしい、それゆえ生駒いこまというおやしきがあるんだなんぞは、あとから拵えたものらしい。下谷したやがあるから上野があって、側に仲町なかちょうがありまして上中下じょうちゅうげそろってる。縁というものは何う考えても不思議なもので、腕尽うでずくにも金尽かねずくにも及ばぬものだというが、これは左様かも知れませぬ、まア呉服屋などで、不図ふと地機じばたい、お値段も恰好かっこう反物たんものを見附けたから買おうと思って懐中ふところへ手を入れて見ると、金子かねが少々足りないから、一旦立ち帰り、金子きんすの用意をして再び来ると、誠にお気の毒様でござりますが、貴方あなたがお帰りになると、直に入らしったお方が見せて呉れとおっしゃいまして、到頭とうとう其の方の方へ縁附えんづきになりました。いやそれは残念な事をした、もうあゝいうのはありませぬか。へい、あれは二百反のうち二反だけ別機べつばたであったのですから、もうほかにはござりませぬ。それでは仕方がない、縁がなかったのだろう。と諦めてしまうと、時ってから不意と田舎などから、自分が買いたいと思った品とそっくりな反物を貰う事などがある。又お馴染なじみの芸者でも、生憎あいにく買おうと思った晩外にお約束でもあれば逢う事は出来ませぬ。又金子かねを沢山懐中ふところに入れて芝居を観ようと思って行っても、爪も立たないほどの大入おおいりで、這入はいどころがなければ観る事は出来ませぬ。だから縁の無い事は金尽にも力尽にもいかぬもので、ましてや夫婦の縁などと来ては尚更なおさら重い事で、人間の了簡で自由に出来るものではござりませぬ。
 えゝ浅草の三筋町――俗に桟町さんまちという所に、御維新ごいっしん前まで甲州屋と申す紙店かみやがござりました。主人あるじは先年みまかりまして、お杉という後家が家督あとを踏まえてる。お嬢さんは今年十七になって、名をお梅と云って、近所では評判の別嬪べっぴんでござります。番頭、手代、小僧、下女、下男等数多あまた召使い、何暗からず立派に暮して居りました。すると子飼こがいから粂之助くめのすけというもの、今では立派な手代となり、誠に優しい性質うまれつきで、其の上美男びなんでござります。嬢さんも最早妙齢としごろゆえ、むこがあったらば取りたいものと、おっかさんは大事がって少しも側を離さないようにして置きましたが、どうも仕方がないもので、ある晩のことお母さんが不図目を覚まして見ると娘が居ない。
 「はてな、何処どこへ行ったか知らん、手水ちょうずに行ったならもう帰りそうなものだが」
 と思ったが何時いつまで経っても戻って来ない。
 母「はてな嬢ももう年頃、外に何も苦労になる事はないが、店の手代の粂之助は子飼からの馴染ゆえ大層仲がいようだが、事によったら深い贔屓ひいきにでもしていはせぬか知ら」
 とお母さんが始めて気が付いたけれども、気の付きようが遅かったから、もう間に合いませぬ。これが馬鹿のお母さんならすぐに起き上って紙燭ししょくでもともし、から/\方々を開け散かして、「此のは何うしたんだよ」なんて呶鳴って騒ぐんだが、沈着おちついた方だから其様そん蓮葉はすはな真似はしない、いきなり長羅宇ながらう煙管きせる灰吹はいふきをポン/\と叩いた。深夜のことゆえピーンと響いたから、お嬢さんはびっくりいたし、そっと抜足ぬきあしをして便所へ参り、ギーイ、バタンと便所から出たような音ばかりさせて、ポチャ/\/\と水をかけて手を洗い、何喰わぬ顔をして其の晩は寝てしまった。翌朝よくあさになると、お母さんが直に鳶頭かしらを呼びにやって、右の話をいたし、一時いちじ粂之助のひまを取って貰いたいと云う。鳶頭も承知をして立帰った後で、
 主婦「粂や、粂」
 粂「へい」
 主婦「あのお前のう、ちょいと鳥越とりこえの鳶頭の処まで行ってくんな、用はきさえすれば解る………私がそういったから来ましたといえば解るんだよ」
 粂「へいかしこまりました」
 何だか理由わけは解らぬが、粂之助は直にかゝえの鳶頭の処へやって来まして、
 粂「へい今日こんちは」
 鳶「いや、おあがんなさい、いからまアお上んなさい、ずうっと二階へ、梯子はしごが危のうがすよ、おいおたみ、粂どんに上げるんだからい茶を入れなよ、なに、何か茶うけがあるだろう、羊羹ようかんがあった筈だ、あれを切んなよ、チョッ不精な奴だな、おりふたの上で切れるもんか、爼板まないたを持って来なくっちゃアいかねえ、厚く切んなよ、薄っぺらに切ると旨くねえから、おれが持って来いてったら直に持って来な、いか、話の真最中まっさいちゅうはんまな時分に持って来ちゃアいけねえぜ」
 トン/\/\と梯子をあがって、
 鳶「へ、今日こんちは」
 粂「んだかね鳶頭、お内儀かみさんが、鳶頭の処へきさえすれば解るから、行って来いと仰しゃいましたから参りました」
 鳶「それはうもお忙がしい処をお呼び立て申して済みませんね、粂どん実はういう話だ、今朝ねお内儀さんから私へお人だ、何だろうと思ってすぐに出掛けてってお目にかゝると、奥の六畳へ通して長々と昔噺が始まったんだ、鳶頭お前がまだ年のかねえ時分から当家うち出入でいりをするねと仰しゃるから、左様でござえます、なげえ間色々お世話になりますんで、なに其様そんな事は何うでもいが、旦那が死んで今年で四年になるし、私も段々年を取るし、お梅ももう十七になる、来年は歳廻りがいから何様どんな者でも聟を取ったらよかろうと話をすると、いつでも娘がいやがる、他人様ひとさまから、斯ういうい聟がありますと申込んでも厭がるもんだから、他人ひとが色々な事を云って困る、妙齢としごろの娘が聟を取るのを厭がるには、何か理由わけがあるんだろう、なにそれは店の手代に粂之助というい男があるから事にったらあの好い男と仔細わけでもありはしないか、と云いもしまいが、ひょっとして其様なことを云われた日には、世間の口にゃア戸がてられねえ、ねえ鳶頭、と斯うお内儀さんがいうのだ、してみると何かお前さんとお嬢さまとあやしい情交なかにでもなっているようにわしの耳には聞えるんだ、うがすかい、それから、誠に何うもそれは御心配なことでというと、お内儀さんの仰しゃるには、粂之助も小さい時分から長く勤めて居たから、く気心も知れて居るが、何分今すぐうという訳にもかず、すてて置いて失策しくじりでも出来るといけねえから、一と谷中やなかあにさんの方へ連れて行って、時節を待ったら宜かろう、其のうちにはまた出入をさせる事もあるじゃアねえか、と斯う仰しゃるのだ、うむ、それから、なんだ斯ういう事も云った、何分うちの奉公人や何かの口がうるせえから、一時いちじそういう事にするんだが、仮令たとえ他人ひとなんといおうと、私の為にはたった一人の娘だから、同じ取るなら娘の気に入った聟を取って、初孫ういまごの顔を見たいと云うのが親の情合じょうあいじゃアねえか、娘がってあれでなければならないといえば、私には気に入らんでも、娘の好いた聟を取って其の若夫婦に私は死水しにみずを取って貰う気だが、鳶頭何うだろう、と仰しゃるのだ、お内儀さんの思召おぼしめしでは、一時おめえさんに暇を出して、世間でぐず/\いわねえようにしちまって、それから良い里を拵えて、ずうっと表向きおまえさんを聟にして、死水を取って貰おうてえお心持があるんだから、粂どん早まっちゃアいけねえよ、宜うがすか、お内儀さんには、色々ふけえ思召があるんだから、わっしも大旦那のおわけえ時分、まだ糸鬢奴いとびんやっこの時分から、甲州屋のお店へ出入りをしてえて、おめえさんとも古い馴染だが、今度来やアがった番頭ね、彼奴あいつが悪い奴なんだ、いろ/\胡麻をりやアがって仕様がねえからお内儀さんも心配をしていらっしゃるんだが、ねえ粂どん」
 粂「ヘエ、承知いたしました」
 鳶「でね、なんにもいわず、少し兄の方に用事が出来ましたからおいとまを願います、長々御厄介ごやっけえになりました、とういってかどをいわずにおひまを取っちまう方がい、いろ/\くど/\しくわびなんぞを仕ちゃアけねえよ」
 粂「ヘエ、かしこまりました、何うも誠に面目次第もござりませぬ」
 とおろ/\泣きながら、粂之助が帰りまして、
 粂「ヘエ、只今」
 内儀「あい粂か、此方こっちへお這入り、好いよ遠慮をしないでも………先刻さっき、鳶頭が来たから四方山よもやまの話をして置いたが、何うだいくお前の胸に落ち入ったかい、何もれという越度おちどの無いお前に暇を出すといったら、如何いかにもひどい主人のようにお思いかも知らないが、これはお前の為だよ、お前も小さい時分にいたから、何だか私も子のような心持がして誠に可愛かわゆく思うが、何分世間の口が面倒だから暇を出すのだけれども、又縁があれば一旦主従しゅうじゅうとなったのだもの、出入の出来ないことは無いから、まあ/\気を長く、あにさんの処におとなしくしているが好い、軽はずみな心を出して、こんな淋しいお寺なんぞにいられるものかって、ふいと何処どこかへ姿を隠すような事でもあられると、どんなに案じられるか知れないから、ようく心を落着けて時節を待ってゝ呉れなくちゃア私が困るよ」
 粂「ヘエ、有難うございます、誠に何うも面目次第もございませぬ」
 内儀「さ、早く行くが好い、何時までも此処こゝにいると面倒だから、谷中のお寺へ行ったら能く兄さんのいう事を聴いて、身体を大事にして時節の来るのを待っていなよ」
 粂「ヘエ有難う存じます」
 とたもとから手拭てぬぐいを取出し、涙を拭いながら店へ出て来ると、番頭は粂之助がいとまになって好い気味だと喜んで居る。
 粂「えゝ、番頭さん、私は唯今おいとまになりまして谷中の兄の方へ参りますから、何分お店の事をよろしく願います」
 番頭「左様じゃげな、ねっからちっとも知らんかったが、何う云う理由わけで粂之助がお暇になりますかと云うて、わしも色々言葉を尽してお詫をしたが、なか/\お聴きれがない、お前方が知ったこっちゃない、此様こないに云われるで何うにも仕ようがないじゃて、しかし何うも気の毒なこっちゃな、ねっから、全体商人あきんどはお前の性分に合わぬのじゃから、かえって谷中のお寺へきなはった方が心が沈着おちついていやろう」
 粂「ヘエ有難う、何うも長々お世話さまでございました、お店の方も段々忙しくなりますから、人がえなければならぬ処を少なくなるんですから、何分よろしくお頼み申します、あの定吉さだきちどんは何処どっかへきましたか」
 番頭「いや今其処そこに居ったッけ、定吉イ定吉」
 定「おや粂どん、今お前さんを探しに表へ出ましたが、貴方あなたはおひまになりましたてえから、何ういう理由わけだろうと聞いても解らないんですが、本当に何うもお気の毒さまで」
 粂「お前と私とは別段仲がかったから、お前に別れるのは誠に辛いけれども、よんどころない事があってお暇になったのだが、私が居なくなると番頭さんに無理な小言をいわれても、誰も詫びてくれるものがないから、お前も能く気を附けて叱られないように御奉公を大事にするんだよ」
 定「ヘエ有難う、お前さんがさがるくらいなら私も下った方がようございます、幾ら私がいる気でも、ほかの者は、みんな意地が悪くって居られませぬもの、ん中でも、新次郎しんじろうどんなどは、しんねりむっつりの嫌な人で、私が寝てえると焼芋の皮なんぞをわざと置いて、そうしてお内儀さんが朝暖簾のれんとこから顔を出して、さ、みんな起きなよと仰しゃる時に新どんの意地悪が、あの昨晩定吉が寝ながら焼芋を食べましたなんて嘘ばかりいて人を叱らせるんですもの、そうすると番頭さんが私の尻をまくって、定規板でピシャ/\なぐるんですもの、痛くてたまりゃアしませんや、此間こないだ宿下やどおりの時おっかさんにそういったんです、お内儀さんもお嬢さんも粂どんもみんない方だけれども、ほかの者は残らず意地が悪くって辛抱が出来ないてえと、そんな事をいうものじゃアない、それが身の修行しゅうぎょうだから、我慢をしなくっちゃアいけないと云われますから、粂どんがおいでなさる間は辛抱が出来る、粂どんは大層私を可愛がっておくんなすって、何かおいしい物があると、お蔵の棚へ内証ないしょうで取っといておくんなすって、ちょいと出し物があるから蔵まで一緒に行っておくれって連れてって、さ、お食べってカステラ巻だのなんだのを食べさせて下すったり、お小遣をおくんなすったりして、本当に優しくして下さるよとういったら、母親おふくろが涙ぐんで、あゝ有難いことだ、そういうお方がらっしゃるのはお前が奉公の出来る瑞相ずいそうだから、何でもその方をしくじらないようになくっちゃアけない、その方の御機嫌を損ねるとお店にはいられないから、どんな無理なことを仰しゃってもいう事を聴くんだよといいました」
 粂「早く彼方あっちへお出で、何時までも此処こゝにいると又叱られるから」
 定「ヘエ、今行きます」
 粂「清助せいすけどんは何うしたえ」
 定「今物置にまきを積直して居ましたっけ」
 粂「ちょいと清助どんにも暇乞いとまごいをして行こう」
 定「じゃア私も一緒に行きましょう」
 粂「清助どん、何うも長々お世話になりました」
 清「おゝ粂どんか、今ねおれが聞いたんだ、おさきどんがの話に、今日急に粂どんがおいとまになったてえから、己ハアほんとうに魂消たまげただ、何でもこれは番頭野郎の策略にちげえねえ、彼奴あいつは厭に意地が悪くって、何かお前様めえさまを追出させるようにたくんだに違ええだ、本当にあのくれえ憎らしい野郎も無えもんだ、ちょいと何一つくれるんでもおめえさんと番頭とではこう違うだ、こんな物はおらきれえだ、おめえも嫌えかも知れねえが喰うなら喰ってくんろ、勿体ねえからっておめえさんはうめえ物をくれるだが、番頭野郎は自分がそれ程に好かねえもんでも惜しがってくれやアがるだ、此間こねえだ他処よそから法事の饅頭が来た時、お店へも出ると彼奴は酒呑だからあめえ物は嫌えだろう、それだのにさ、清助われがに饅頭をくれてやる、田舎者だから此様こんな結構な物は食ったことは有るめえ、汝がのような奴に惜しいもんだけんど、汝がに食わすと、ぬかしやがるだ、己もあんまり腹が立ったから、何うかして意趣返いしゅげえしをしてやろうと思って、此間こねえだ鹿角菜ひじき油揚あぶらげのおさいの時に、お椀の中へそっと草鞋虫わらじむしを入れて食わせてやっただ、そんな事は何うでもいが、おめえさんがおいとまになるならんにもたのしみがえからおらさがろうか知ら、下らばすぐ故郷くにけえるだよ、おれは信州飯山いいやまぜえでごぜえますから、めったに来る事もあるめえが、善光寺へ参詣にでも来ることが有ったら是非寄って下せえまし、田舎のこッたから、何も外に御馳走の仕ようがえから、鹿でもって御馳走しべいから、何だか馴染の人に別れるのはつれえもんだね、うかまア成るたけ煩らわねえように気い付けて、いかね」
 粂「有難う」
 娘のお梅に逢いたいは山々だが、お内儀さんのお言葉添えもあるから、その儘いとまを取って、これから谷中の長安寺へ参り、いまにい便りがあるだろうと待って居りました。此方こちらはお梅、あれきり何の便りもないが、もしや粂之助の了簡が変りはしないかと、娘心にいろ/\と思い計り、こらえ兼ねたものか、ある二歩金にぶきんで五十両ほどをぬすみ出して懐中いたし、お高祖頭巾こそずきんかむり、庭下駄を履いたなりで家を抜け出し、上野の三橋さんはしの側まで来ると、夜明よあかしの茶飯屋が出ていたから、お梅はそれへ来て、
 梅「御免なさいまし」
 爺「ヘエおいでなさいまし、此方こちらへお掛けなさいまして」
 梅「はい、あの谷中の方へは何う参ったらよろしゅうございましょう」
 爺「えゝ谷中は何方どちらまでお出でなさるんですい」
 梅「あの長安寺と申す寺でございますがね」
 爺「えゝ仰願寺こうがんじをくれろと仰しゃるんですか、えへゝ仰願寺なら蝋燭屋ろうそくやへおいでなさらないじゃアございませぬよ」
*「小さき一種のろうそく江戸山谷の仰願寺にて用いはじめしより云う」
 梅「いえあのお寺でございますがね」
 爺「なんですいおけらの虫ですと」
 梅「いゝえ長安寺というお寺へ参るのでございますが」
 すると小暗い所にいた一人の男が口を出して、
 男「えゝ、もし/\お嬢さん、その長安寺というのはわっちが能く知ってますよ」
 と云いながらずっと出た男の姿なりを見ると、紋羽もんぱの綿頭巾をかむり、裾短すそみじか筒袖つゝそでちゃくし、白木しろき二重廻ふたえまわりの三尺さんじゃくを締め、盲縞めくらじまの股引腹掛と云う風体ふうてい
 男「まア御免なさい、わっちアこんな形姿なりをしてえますが、その長安寺の門番でげす」
 梅「おや/\、それじゃア貴方あなたにお聞きをしたら分りましょうが、あの粂之助はやっぱり和尚様のお側に居りますか」
 男「えゝ、粂之助さんは、おいででござえます、あなたはなんぞ御用でもあるんでげすか」
 梅「はい、あの、粂之助はわたくしどもに長らく勤めて居ったものですが、少し理由わけがありまして先達せんだっていとまを出しましたが、それきり何の沙汰もございませんで、あんまり案じられますから出て参りましたのでございます」
 男「ヘエー左様でございますか、じゃアまアわっしと一緒においでなさい、どうせ彼方あっちへ帰るんですからお連れ申しましょう、其の代りお嬢様に少しおねげえがあるんでげす、毎度私は和尚様から殺生をしてはならねえぞとやかましく云われるんでげすが、すきな道はめられず、毎晩うやって、どんどんへ来ては鰻の穴釣あなづりをやってるんでげすが、どうぞお嬢さま私が此処こゝで釣をした事は和尚様に黙ってゝおくんなさい」
*「三橋の側にあった不忍池の水の落口」
 梅「御不都合の事なら決して申しは致しませぬ」
 男「おい老爺じいさん」
 爺「へい」
 男「あのね、此のお嬢様は己の方へ来るお方だから、己が御案内をしてくんだ、さ、喰ったでえ此処こゝへ置くぜ」
 爺「あなた、これは一分銀で、お釣はござりませぬが」
 男「なに釣は要らねえ、おめえにやっちまわア」
 爺「それは何うも有難う存じます、左様ならが更けて居りますから、お気を附けあそばして」
 男「なに大丈夫でえじょうぶだ、己が附いてるから」
 と怪しの男がお梅を連れて、不忍弁天しのばずべんてんの池のほとりまでかゝって参りました。


 えゝ引続ひきつゞきのお梅粂之助のお話。何ういう理由わけ女子おんなの名を先に云って男子おとこの名をあとで呼ぶ。お花半七とか、お染久松とか、夕霧伊左衞門とかいうような訳で、実に可笑おかしいものでござります。さて日本も嘉永かえいの五年あたりは、まだ世の中がひらけませぬから、神信心かみしんじんるとか、易占うらないに見て貰うとかいうような人が多かったものでござります。丁度嘉永の六年に亜米利加船あめりかぶねが日本へ渡来をいたしてから、諸藩共に鎖国攘夷などという事を称え出し、そろ/\ごたつきはじめましたが、町家ちょうかではちっとも気が附かずに居ったことでござります。
 の浅草三筋町の甲州屋の娘お梅が、粂之助のあとを慕って家出をいたす。何程なんぼ年が行かぬとは申しながら、実に無分別極まった訳でござります。左様な事とはすこしも知らぬ粂之助が、丁度お梅が家出をした其の翌朝よくあさのこと、兄の玄道げんどうが谷中の青雲寺まで法要があって出かけた留守、竹箒を持ってしきりに庭を掃いていると、表からずっと這入って来た男は年頃三十二三ぐらいで、色の浅黒い鼻筋の通ったちょっと青髯あおひげの生えた、口許くちもとの締った、利口そうな顔附をして居ますけれども、形姿なりを見るとごく不粋ぶすいこしらえで、艾草縞もぐさじま単衣ひとえに紺の一本独鈷いっぽんどっこの帯を締め、にこ/\笑いながら、
 男「え、御免なさいまし」
 粂「はい、お出でなさい」
 男「えゝ、長安寺というのは此方こちらですか」
 粂「ヘエ、左様でございます」
 男「あの此方に粂之助さんというお方がおいででござりますか」
 粂「ヘエ、粂之助はわたくしでございますが…」
 男「ア左様でげすか、是は何うも…左様ならちょいと表まで顔を貸してお貰い申したいもので」
 粂「ヘエ………あの生憎あいにく兄が居ませぬで、何うもうちからにして出る訳には参りませぬから、なんぞ御用がおあんなさるなら庫裏くりの方へおあがんなすって」
 男「左様でげすか、じゃア御免なせえまし」
 粂「さ、何卒どうぞ此方こちらへ」
 男「へい」
 紺足袋の塵埃ほこりを払って上へあがる。粂之助は渋茶と共に有合ありあい乾菓子ひがしか何かをそれへ出す。
 男「いえ、もうお構いなせえますな、へい有難う、え、貴方あなたにはお初にお目にかゝりますが、わっち千駄木せんだぎの植木屋九兵衞くへえという者でございまして」
 粂「へえへえ」
 九「実ア其の、昨夜ゆうべ、お嬢さん突然だしぬけわっちん処へおいでなすったんで」
 粂「え、嬢さんと仰しゃるのは……………」
 九「へえ鳥越桟町とりこえさんまちの甲州屋のお嬢さんで」
 粂「へえー、何ういう理由わけで貴方の処へお嬢さんが……」
 九「いや、これは解りますめえ、ういう理由なんでげす、あのお嬢さんが二歳ふたつの時に、わっし母親おふくろがお乳を上げたんで、まアほかに誰も相談相手が無いからって、訪ねておいでなすったから、母親もびっくりして、まアお嬢さん、今時分何ういう理由わけで入らしったてえと、犬に吠えられたり何かして、命からがらようようの事でお前のとこへ来た理由は、誠に乳母ばあや面目ないが、長らくうちに勤めて居た手代の粂之助というものと、人知れずねんごろを通じて夫婦約束をした、処がおっかさんが世間の口がうるさいから一時いちじうはするものゝ、のちには必ず添わせてやると仰しゃって、粂之助にいとまを出してしまったあとで、ほかから聟を取れと仰しゃる、それじゃアどうも粂之助に義理が済まないから、私は斯うやって駈出したんだと仰しゃるんです、そうするとわっしの母親はきもをつぶしてね、堅気かたぎだから、なか/\合点がってんしねえ、それはお嬢さん飛んでもない事で、お店の奉公人や何かと私通いたずらをするようなお嬢様なら、私の処へは置きませぬ、った今出ておいでなせえというから、わっしが仲裁をして、まアおっかア待ちねえ、そうおめえのように頑固かたくななことばかりいっちゃアしょうがねえ、折角頼りに思っておいでなすったお前まで、そんな邪険な事を云ったら娘心の一筋に思い詰め、此家こゝから又駈出して途中散途さんとで、何様どんな軽はずみな心を出して、間違まちげえがねえとも限らねえ、まア/\己のいう通りにして居ねえといって、それからお嬢様を此方こっちへ呼んでおふくろはあんな事を云いますが、おまえさんは何処どこまでも粂之助さんと添いたいという了簡があるなれば、わっしがまア何うにでもしてお世話を致しましょう、貴方はおうちを勘当されても、粂之助様と添遂げるという程の御決心がありますかてえと、屹度きっと遂げます、一旦粂之助も私と夫婦約束をしたのですもの、たしかに私を見捨てないという事もいいましたし、又そんな不実な人ではありませぬ、じゃアうがすが、何処かく所がありますかと云うと、何処も目的あてがねえ、こう云うからわっちも困って、兎も角粂さんに逢ってからの事に仕ましょうといって、今日けさわざ/\おめえさんのとこへ訪ねて来たんですが、お前さんも矢っ張お嬢様と何処までも添い遂げるという御了簡があるんですか、ないんですか、一応貴方の胸を聴きに来たんでげす」
 粂「それは何うもしからぬ事です、あの時お内儀様かみさんが色々と御真実に仰しゃって下すったから、わたくしうやって何処へもかずに辛抱をして居ますのに、お嬢さんに聟を取れと仰しゃるような、そんな御了簡違いのお方なら、私は何処までもお嬢様を連れて逃げまして、何様どんな真似をしたって屹度添い遂げます」
 九「それでわっちも安心をしたが、お前さん何処どっか知ってる所がありますか」
 粂「わたくしは別に懇意なうちもありませぬ」
 九「そりゃア困るね、何所どこかありませぬか」
 粂「ヘエ、何も」
 九「何も無いたって困るねえ、じゃまアうしよう、下総しもふさ都賀崎つがざきと云う所に金藏きんぞうという者がある、わっちとは少し親類あいの者だから、これへ手紙を附けて上げるから、当人に逢って、く相談をして世帯しょたいを持たせて貰いなさるがい、しか彼方あっちくだけの路銀と世帯を持つだけの用意はありやすか」
 粂「金と云っては別にございませぬが、兄が此間こないだわたくしにしまって置けと預けた金がございます、それは本堂再建さいこんのため、世話人しゅのお骨折で、八十両程集りましたのでございます」
 九「イヤ八十両ありゃア結構だ、三十両一ト資本もとでと云うが、何様どんな事をしても五十両なければ十分てえ訳にはかねえが、其の上になお三十両も余計な資金ものがあれば、立派にそれで取附けますが、其の金をお前さん取れますか」
 粂「へえ、用箪笥ようだんす抽斗ひきだしに這入っていますからすぐに取れます、そうしてのちにお宅へ出ますが何方どちらです」
 九「あの千駄木へお出でなさると右側に下駄屋があります、それへ附いて広い横町を右へ曲ると棚村たなむらというお坊主の別荘がある、其のうしろへ往って植木屋の九兵衞といえばじきに知れます」
 粂「じゃア、今晩兄が帰ったらすぐに出ます」
 九「今晩といってもなるたけ早い方がうがすよ」
 粂「ヘエ日暮までにはどんな事をしても屹度きっと参ります」
 九「じゃア其のつもりで何分お頼み申します」
 粂「ヘイ宜しゅうございます」
 九「左様なら」
 プイと表へ出てしまう。其の跡で粂之助が、無分別にも不図ふと悪心を起し、おのれが預りの金子八十両をぬすみ出し、此方こなたへ出て見ると今の男が証拠に置いて行ったものか、かねて見覚えあるお梅の金巾着かねぎんちゃく其処そこほうり出してあった、取上げて見ると中に金子が三両ばかり這入っている。
 粂「はてな、是はあの人が置いて行ったのか知ら、ア、そう/\、これを置いてくからはん中へ八十両の金子かねを入れて来いという謎かも知れない」
 と右の女夫巾着めおとぎんちゃくの中へ金子かねを入れ、しっかり懐に仕舞って、そろ/\出かけようかと思っている処へ兄の玄道が帰って参り、それより入替り立代り客が来るので、何分出る事が出来ませぬ。
*「せなかあわせにくッついている巾著」
 お話は二つに分れまして鳥越桟町の甲州屋方では大騒ぎ、昨夜ゆうべ娘のお梅が家出をいたした切りかいくれ行方が解りませぬから、家内中うちじゅうの心配大方ならず、おみくじを取るやら、卜筮うらないてもらうやら、大変な騒ぎをして居る処へ、不忍弁天の池に、十六七の娘の死体が打込んであるという噂を聞込んで来て、知らせた者があるから、母親おふくろは仰天して取るものもとりあえず来て見ると、お梅に相違ないから早々人をもって御検視を願い、段々死体を調べて見ると、くびり殺して池の中へ投込んだものらしく、ことには持出した五十両の金子きんすが懐にないから、おおかた物取ものどりであろうと、事が極って検視済の上死骸を引取り、ようやく日暮方に死骸を棺桶へ収めることになった。処へ鳶頭かしらが来まして、
 鳶「ヘエ唯今、あのなんでげす、八丁堀さんと、それから一番遠いのが麻布あざぶの御親類でげすが、それ/″\みんな子分を出してお知らせ申しました」
 番頭「あ、それはどうも大きに御苦労/\」
 鳶「何だなア、定さん、男の癖におい/\泣くのは止しねえ、お内儀様かみさんは女でこそあれ、あゝいう御気象だから、涙一滴こぼさぬで我慢をしていらっしゃるのだ、それだのにお前が早桶の側へ行って、おい/\泣くもんだから不可いけねえよ」
 定「泣くなってそれは無理でございます、何だか此の早桶の側へ来ると哀しくなるんですもの、お嬢さんは別段に可愛がって呉れましたから、私は哀しくなるのです」
 鳶「まア泣いちゃア不可ねえ、えゝお内儀様唯今」
 内儀「あい、鳶頭大きに色々お骨折ほねおりで、何ももお前のお蔭で行届ゆきとゞきました」
 鳶「どう致しまして、きまして麻布さんの方へお嬢さんが家出をなすった事を知らせにやりまして、金太きんたがようやく先方むこうへ着いたくらいの時に、又ういう変事が出来ましたから、おっかけて人を出し、これ/\でおなくなりになったてえ事をお知らせ申しましたら、大層にお驚きなすったそうでげす」
 内儀「そうであったろう、もう麻布のが一番あれを可愛がってくれたから、誠に有難う、万事お前のお蔭で行届きました、が斯うなるのもみんな因縁事と諦めて居ますから、私は哀しくも何ともありませぬよ」
 鳶「いえ、うも御気象な事で、まアどうもお嬢さまがお小さい時分、確か七歳なゝつのお祝の時、わっしがお供を致しまして、鎮守様から浅草の観音様へめえりましたが、いまだに能く覚えております、往来の者がみんな振返って見て、まアどうも玉子をいたような綺麗なお嬢さんだ、可愛らしいおだって誰でも誉めねえものはえくれえでげしたが、幼少ちいせい時分からのお馴染ゆえ、此の頃になってお嬢さんが高慢なことを仰しゃいましても、あなた其様そんな事をいったッていけませぬ、わたしの膝の上で小便をした事がありますぜてえと、あら鳶頭幼少せい時分の事をいっちゃア厭だよなんて、真紅まっかにおなりでしたが、何とも申そうようはござえませぬ」
 内儀「はい、お前も久しい馴染ゆえお線香でも上げてやっておくれ」
 鳶「へえ、有難う………えゝ番頭さん、誠に何うも飛んでもねえ事で」
 番頭「いや鳶頭大きに御苦労であった、まア此方こっちへ来なさい、何うもお内儀さんの思召おぼしめしを考えて見るとお気の毒で何うもならぬ、ならぬが当家うちのお嬢さんを殺したのは誰じゃという事は大概お前も感付いておるじゃろうな」
 鳶「いゝえ、ちっとも知りやせぬよ、何だか物取だろうってえ評判なんで」
 番「いゝや物取ではない、何でも是は粂之助の仕業しわざに相違ないというわたいかんがえだ」
 鳶「ハ、飛んでもねえ事をいいますね、其様そんなおめえさん……ナなんぼ粂どんが憎いたって、無暗むやみ人殺ひとごろしに落したりなんかして、どうしておまえさん粂どんは其様な悪い事をするような人じゃアねえ」
 番「いやそれはいかぬ、お内儀いえはんういう最中で争論いさかいをしては済みまへんが、一寸ちょっとこれにいておはなしがあるんでおす、一昨夜おとついわたいが一寸用場へ参りまして用をしてから、手を洗うていると、ほんのりと星光ほしあかりで人影が見えるで、はてナと思うて斯うすかして見ておると、垣根の外へ廻って来たのが粂之助でおす、するとお嬢さまがこっちゃから声を掛けて粂之助やないかというと、はいわたくしでございますと低声こゞえでいいましたわい、まア粂之助よう来ておくれた、はいようようの事で忍んで参りました、お前に逢いとうて逢いとうてどうもならぬであった、わたいも逢いとうてならぬから、漸うの思いで参りました、わたいもそう長う寺に辛抱しては居られまへぬ、あんたはんもわたいのような者でも本当に思うてくだはるなら、いっそ手に手を取って此所こゝを逃げまひょう、そうしてあんたと二人で夫婦になって、深山みやまの奥なりとんで暮したいが、それに就いてもせめ金子かねの五六十両も持ってお出でやというと、おゝ左様さよか、そんなら屹度きっと明日あすの晩持ってぬという事を確かに聞いた」
 鳶「へえ、それから」
 番「どうも変やと思うていると、あんたお嬢さんが莫大のお金をって逃げやはった、それ故何うもわたいの思うには粂之助がお嬢さまを殺して金子かねを取って、其の死骸を池ン中へほうり込んだに違いないとう考えるのでおす」
 鳶「おう、おう番頭さん、詰らねえ事を云っちゃアいけねえぜ、おめえ全体ぜんてえ粂どんを憎むからう思うんだが、まアよく考えて見ねえ、粂どんが人殺をするような人だか何だか、ソヽ其様そんな解らねえ事をいったって仕様がねえじゃアねえか」
 番「イヤ真実まったくの事だ、証拠があるぜ」
 鳶「しょう、な何が証拠だ」
 番「定吉い、ちょっと此処こゝへ来い、えゝめろ/\泣くな」
 定「何です番頭ばんつさん、泣くなたってお嬢様が死んで哀しくってたまらないから、泣くんです」
 番「えゝい、おのれがお嬢様を殺したもおんなじこった」
 定「あゝいう無理な事ばかりいうんだもの、どういう理由わけで」
 番「おのれ一昨日おとといこの店で帯を締め直す時に落した手紙は、お嬢さんに頼まれて粂之助の処へ届けようとしたのじゃないか」
 定「あら………仕様がないな、彼所あすこに持っているのだもの、道理で無いと思った」
 番「此様こんなものをお嬢様から頼まれるのが悪いのだ」
 定「頼まれるのが悪いたって………仕様がないナ………その頼まれたのはなんでございます………仕様がないな………あの……それはお嬢さんが、定や、ちょいとお出でてえから、はいてってお居間へ行ったんです、うするとお前何所どこくんだと仰しゃるから、わたくしは谷中の方へ参るんですといったら、そんならお前これを粂どんに届けてお呉れって、お手紙を私の懐へ入れたから持って行ったんです」
 番「ウム、持って行って何うした」
 定「何うしたって……しようがないな」
 番「おのれ度々たび/\粂之助のとこへ寄るから悪いのじゃ」
 定「ナニ寄る気でもないんですが、近いから、あのお寺の前を通ると曲角まがりかどのお寺だもんですから、よく門のとこなんぞをいてゝ、久振ひさしぶりだ、お寄りなてえから、ヘイてんでもと朋輩ほうばいだから寄りますね」
 番「道理でいつ使つかいが長いのや」
 定「ナニ別に長い訳もないんですが、今お葬式とむらいが来てお饅頭を貰った、それをお前に上げるから、お待ちてえから待ってたんです」
 番「えゝい、くらい物の事ばかり云うてる。おのれが取次をするから此の様な間違が出来でけたのや、サ是を御覧、此の手紙が何よりの証拠や、わたいはお前に逢いとうて逢いとうてならぬから、家出をしてお前のとこく、何卒どうぞ末長く見捨てずに置いておくれと書いてあるやないか、是が何よりの証拠や」
 鳶「証拠だッて、そんな事はわっしア知りやアしねえ」
 番「知りやせぬと云うてまアよく考えて見なはれ、当家うちのお内儀様いえはんはこないに諦めのえお方やから、涙一滴こぼさぬが、鳶頭が仲へ這入って口を利き、もう甲州屋のうちへは足踏をさせぬと云い切って引取ったのやないか、それじゃのに、又此処こゝへ粂之助が忍んで来て、お嬢さんを誘い出すような事になったのは、大方鳶頭も内々ない/\知ってるのではないか、粂之助と共謀ぐるになってお嬢様を誘い出し、金額かねを半分ぐらい取ったのではないかアと思われても是非がないやないか」
 云うとおこったの怒らないの、もと正直な人だから、額へ青筋を出して、
 鳶「何をぬかしやアがるんでえ、なぐり付けるぞ、コレ頭を禿はげらかしやアがって馬鹿も休み休み云え、粂どんが人を殺して金を取る様な人か人でねえか大概てえげえ解りそうなもんだ、手前てめえの心に識別ウするから其様そんな事をぬかすんだ、己が半分取ったたア何だ、撲り付けるぞ」
 番「たいでもえ、あたいは理の当然をいうのや、お嬢さまを殺して金子かねを取ったという訳じゃないが、う思われても是非がないと云うのや」
 鳶「何が是非がないんだ、撲倒はりたおすぞ」
 清「まア/\少し待っておくれ」
 と云いながら台所より出て来たは清助というお飯炊まんまたき
 清「鳶頭まア/\貴方あんたは正直な方だから、こんな事を云われたら、さぞはアきもれてたまるめえが、己が一と通りいわねばなんねえ事があるだアから、少し待ったがえ――コレ番頭さん、此処こゝへ出ろ」
 番「何じゃ、おのれが出る幕じゃアない、汝は飯炊めしたきだから台所に引込ひっこんで、飯のこげぬように気を附けてれ、此様こないな事に口出しをせぬでもいわ」
 清「成程己はわずかなお給金を戴いて飯炊をしてえるからッて、飯せえ焦がさねえようにしていればえというもんじゃアあんめえ、当家うちへ泥坊が這入へいってお内儀様かみさん斬殺きりころしても、己が飯炊だからって、なんにも構わずにへっついめえにぶっつわってゝ宜えと思わしゃるか、われが曲った心に識別するからういう間違った事をいうだ、コレよくかんげえて見ろよ、汝は粂どんを憎むから、少しのことをかどに取って粂どんが嬢様じょうさまを殺したなんてえが、何処どこまでも汝がそんな事を頑張って殺したといわば、おら合点がってんしねえだ、粂どんが庭へ来てお嬢様と相談して、明日あしたの晩連れて逃げようてえ約束をしたのを見たと云わば、何故早く其の事をお内儀様へ知らせねえだ、粂どんがコソ/\でお嬢様を誘い出しに来やしたから、油断をしねえがうがすとちょっと知らせればそれでえだ、然うすればぐにお嬢様を他家わきへ預けるとか、もなければお内儀様が気イ附けて奉公人も皆起きてらば、何うしたって嬢様が逃げ出す気遣きづけえはねえだ、逃げなけりゃア殺されることもねえだ、それを知って居ながら黙ってゝ、嬢様が逃出してから殺されゝば、汝が殺したも同じこんだぞ、まだぐず/\何か云やアがるとっ殺しておれも死んじまうだ」
 内儀「コレ/\清助静かにしないか、番頭さんに向ってそんな事をいっては済まないじゃないか、鳶頭、お前もさぞ腹が立つだろうが、何卒どうぞ我慢をしておくれ、悉皆みんな私が呑込んでいるから、私は決して粂之助の仕業しわざとは思わないけれども、大方粂之助も此の事を知らずに谷中に居るに違いない、お前が行ってう/\と知らせたら、粂之助も定めてびっくりするだろうと思うから、お願いだが、お前ちょいと此の事を粂之助へ知らせてお呉れでないか」
 鳶「え、きますとも、半分取ったろうなんて、飛んでもねえ濡衣ぬれぎぬを着せられたんですもの、すぐに行って来ます、少し提灯ちょうちんをお貸しなすって」
 ずうっと腹立紛はらたちまぎれに飛びだして谷中の長安寺へやって来ました。
 鳶「え、御免なせえ、御免なせえ」
 粂「はい……おや/\鳶頭」
 鳶「や、粂どん……まアかった、はあ…おめえに怪しい事があれば何所どっかへ逃げちまうんだが、ちゃんと此処こゝに居てくれたんでまア宜かった、あゝ有難ありがてえ」
 粂「あのあにさん、何だか鳥越の鳶頭がおいでなさいましたよ」
 玄「いやア、鳶頭、まあ何卒どうぞ此方こちらへ誠にうも御無沙汰をして済まぬ、ちょっとお礼かた/″\お訪ね申さんければならぬのじゃが、何分にも寺用じように取紛れて存じながら大きに御無沙汰を……」
 鳶「そう長ったらしく云ってられちゃア困る、大騒動が出来たんだ、まア御挨拶はあとにしておくんなせえ、おゝ粂どん、お嬢様が昨夜ゆうべ家出をした事を知ってるかい」
 粂「いゝえ…………」
 鳶「いゝえって震えたぜ、え、おい、お嬢様が殺されちまったんだよ」
 粂「えっ、お嬢様が……」
 鳶「死骸が弁天の池から今朝上がって、御検視を願うのなんのって大騒ぎをしたんだ」
 粂「へえー……じゃア千駄木の植木屋の九兵衞さんというのは何です、全体まア何ういう理由わけなんです」
 鳶「何ういう理由の何のって、大変な騒ぎなんで、まア和尚さんきゝになって下せえまし、お嬢様は粂どんに逢いてえ一心から、莫大ばくでえ金子かねもって家出をしたから、大方泥坊にけられて途中でるの遣らねえのといったもんだから、殺されたにちげえねえんで、それを店の番頭野郎がこうぬかすんだ、んでも粂どんがお嬢様を誘い出して、途中で殺して金子を取ったに違えねえ、鳶頭も粂どんと共謀ぐるになって、其の金を二十五両ぐらい取ったろう、こう吐すんだ、わっしは腹が立って堪らねえから、余程よっぽど殴りつけてやろうとは思ったけれども、おめえさん何うもね、お内儀様かみさんが御愁傷の中だから、そんな乱暴狼籍の[#「狼籍の」はママ]真似をしちゃア済まねえと思って、こらえていたが、粂どんがなんにも知らずにうやっているから本当に宜かった、何卒どうぞすぐに行っておくんなせえ」
 玄「いや、それは重々御道理ごもっともな訳じゃ、此方こちらにも不行跡ふしだらがあるこっちゃからう云う御疑念が懸っても仕方がない、仕方がないが、然う云う場合になると、粂之助はとんと口の利けぬ奴じゃで、わしも一緒に参りましょう」
 鳶「そりゃア有難ありがてえ、なるたけ大勢の方がようがす、じゃアすぐに行っておくんなせえ」
 これから提灯をけて寺を出かけ、三人揃って甲州屋の裏口から這入って来ました。
 内儀「さア、何卒どうぞ此方こちらへ、/\」
 鳶「え、お内儀様かみさん、谷中の長安寺の和尚様も入らっしゃいましたよ」
 内儀「おや/\それは何うもまア何うぞ此方へ」
 玄「はい、御免を……唯今鳶頭から不慮の事を承りまして、何とも御愁傷の段察し入ります」
 鳶「まア、其様そんな長ったらしいくやみあとにしておくんなせえ、さ、粂どん此方こっちへ這入んなよ」
 粂「ヘエ……えゝ、お内儀様かみさんお嬢様が飛んだ事にお成りあそばしまして、さぞ御愁傷でござりましょう」
 是迄は涙一滴こぼさぬでいたが、今しも粂之助の顔を見ると、こらえかねて袖を顔へ押宛おしあてて、わっとばかりにそれへ泣倒れました。
 内儀「粂や、何うも飛んだ事になりましたよ、私はね、くれ/″\もそう云っていたのだよ、決して出ちゃアならない、今に私がいようにするから、お前心配おしでないよといって置くのに、親の言葉に背いて家出をしたものだから、たちまち親のばちがあたって、あゝいう訳になったんだから、私はもうみんなこれまでの約束ごとと諦めていたが、お前の顔を見たら何うにも我慢が出来なくなって声を出しましたが、もと/\お前の為に家出をしてこんな死様しにようをしたのだからお前何卒どうぞお線香の一本も上げて回向をしてやっておくれ」
 粂「ヘエ、何とも申そう様はございませぬ、誠に何うも重々わたくしが悪いのでございます」
 内儀「いゝえ、お前ばかりが悪い訳じゃアないよ」
 鳶「おゝ番頭さんちょいと此処こゝへ来ねえ」
 番「あい、何じゃ」
 鳶「おゝ粂どんはちゃんと此処にいるよ、え、おう、人を殺して金を取ったような訳なら、プイと何処どこかへ逃げちまわア、己が寺へ知らせにくまであっけらけんと居られるか、さ、何うだ、これでもまだ手前てめえは己をうたぐってやアがるか」
 番「まアあんたは、粂之助を贔屓にしておるで、そう思いなはるのじゃ、これ粂之助ちょっと此処これへ来い、おのれはまだ年は十九で、虫も殺さぬような顔附をして居るが太いやッちゃ、ていよくお嬢様を誘い出して、不忍弁天の池のふちの淋しい処でお嬢様を殺して、金を取って、死骸を池の中へほうり込んだに違いあるまい、さ、どうだ、真直まっすぐに云うてしまえ」
 う云われるともと人がいから、あんまり腹が立って口が利かれない、いきなり立って番頭の胸倉へ武者振りつこうとする途端に、ポンとちたのは九兵衞が置忘れて帰った女夫巾著みょうとぎんちゃく、番頭は早くもこれを拾い取って高く差上げ、
 番「こ、是じゃ、お内儀いえはん、是はお嬢さんが不断持って居やはりました巾着でがしょう」
 云いながら振ると、中からドサリと落ちたかたまりは五十両ではなくて八十両。


 えゝ引続いてお聴きに入れまする、お梅粂之助は互に若い身そらで心得違をいたしたるより、其の身の大難をかもしました。さての梅には四徳を具すというがうかも知れませぬ、若木を好まんで老木おいきの方を好む、又梅の成熟するをていたり、とか申して女子おなご節操みさおあるを貞女というも同じ意味で、春は花咲き、夏は実を結び、秋はの葉が落ちて枯木のようになったかと思うと、又自然に芽が出て来るは、誠に妙なものでございまして、人も天然自然に此の物を見る、あゝい景色だとか、綺麗な色だとか、五色ごしきばかりではなくの葉の黄ばんだのも面白く、又しみだらけになったのも面白い、これは唯其の人の好みによって色々になるのでございます。「心をぞわりなきものと思いぬる見る物からや恋しかるべき」で見る物も恋しく、心と云うものは別に形は無いが、善を見れば善に感じ、悪に出逢えば悪に染まる、さればおのれの好む所の境界きょうがいが悪いと其の身をはたすような事もあるのでございます。
 粂之助は奉公中主人の娘お梅に想われたのが、因果のはじまりでござりまして、自分も済まない事と観念を致したから、兄玄道の側へ参り、小さくなって、温順おとなしく時節到来を待って居ました、所へ千駄木の植木屋九兵衞というものが参り、
 九「昨晩お嬢さんがおいでになりましたから、わたくし何処どこへでもお逃し申すようにするゆえ、金子かねの才覚をして来い」
 と云うので、わざとお梅の巾着の中に三両ばかり入れた儘置いて帰った。是が九兵衞のたくみのある処でござります。此方こちらはまだ年が若いから、何の気も附かず、是は全くお梅から届けたものと心得て、前後あとさきの思慮も浅く、其の巾着の内へ、本堂再建さいこんの普請金八十両というものを盗み出して押込み、これを懐へ入れて置いたのが、立上る機勢はずみにドサリと落ちたから番頭はこゝぞと思って右の巾着を主婦あるじの前へ突付けたり、鳶頭かしらにも見せたりして居丈高いたけだかになり、
 番「さ、粂之助、此の巾着が出る上は貴様がお嬢さんを殺したに相違あるまい」
 と責めつけたから、座中の人々互に顔と顔を見合せ、鳶頭も甲州屋の家内も実に驚いて、「よもや粂之助がお梅を殺して五十両という金子きんすを取りはすまい」とは思うが、金子かねが出た。見ると五十両ではなくして八十両の包みがね表書うえには「本堂再建さいこん普請金、世話人萬屋源兵衞よろずやげんべえあずかる」と書いてあったから、誰より驚いたのは玄道和尚で、ぶる/\震えながら、
 玄「ま、これ粂之助、ま、此の金子かねは何うした」
 粂「はい/\申し訳がございませぬ」
 玄「これはまア……番頭さん、鳶頭、又御当家の御家内様まで、粂之助がお嬢様を殺して金子きんすを取ったろうという御疑念をお掛けなさるは御道理ごもっともの次第でござる、なれども、此の儀にいてはわたくしより少々粂之助へ申聞もうしきけたい事がござれど、少しく他聞をはゞかりまする故、何所どこか離れたお居間はござりますまいか、余り人様のおいでのない所を拝借いたしたいもので」
 内儀「はい/\、あの鳶頭、奥の六畳へ連れて行ったらよかろう、離れてゝ彼所あすこが一番しずかでもあり人が行かないから」
 鳶「いかね、大丈夫かえ和尚さん
 玄「いえ、決して逃しは致しませぬから、御安心なすって……さア来い」
 と粂之助の手をって引立てる。粂之助は和尚の従者ともで来たのだから今日は耳こじりを差して居る、兄玄道に引立てられ、よんどころなく奥の離座敷へ来るといきなり肩を突かれたからパッタリ畳の処へ伏しました。玄道和尚は開き直って、
*「みじかいわきざし」
 玄「これ粂、手前はまア呆れ返った奴じゃ、これ手前はな、御両親が相果あいはててからと云うものは、わしの手許に置いて丹精をしてやったのじゃないか……女子おなごの手もない寺へ引取り、十一のとしから私が丹精をして、読書よみかきから行儀作法に至るまで一通りは仕込んでやったが、何をいうにも借財だらけの寺へ住職をしたのがあやまりで、なか/\何時いつまでも手前一人に貢いでやる訳にもかぬから、不自由をこらえて御当家へ願い、住みこませると、長の歳月としつき御丹精を戴いた御主人様の大恩を忘れ、奉公人の身の上でありながら、御主人様の令嬢と不義いたずらをするとは、何と云う心得違の事じゃ、それで手前は武士のたねと云われるか、私も手前も、土井大炊頭どいおおいのかみの家来早川三左衞門はやかわさんざえもんの胤じゃないかい、私は子供の時分は清之進せいのしんと云うたが、どの人相見にせても、剣難の相があると云うたにって九歳のおりに出家をげ、谷中南泉寺なんせんじの弟子になって玄道、剃髪ていはつをしてから、もう長い間の事じゃ、其の嘉永のはじめ各藩かくばんにて種々さま/″\の議論が起り、えろうやかましい世の中になった、其の折父早川三左衞門殿には正義を主張して、それはいかぬ、ういう道理は無いと云うて殿へ御諫言ごかんげんを申上げたる処、重役の為に憎まれて遂には追放仰付けられた、お父様にはそれを口惜くやしゅう思召おぼしめしてか、やしきを出てから切腹をして相果あいはてられた、続いて母様もお逝去かくれになる時の御遺言に、お前の弟粂之助はまだ頑是がんぜもない小児しょうにほかに頼る者もないに依って何卒どうかお前、丹精をして成人させて呉れとのお頼み、そこで私が寺へ引取って、十一から三ヶ年も貴様の面倒を見てやったが、今もいう通り何分不如意ふにょいじゃに依って御当家へ願うたのも、然ういう柔弱な身体じゃから、商人あきんどに仕ようと思うた私の心尽こゝろづくしも水の泡となり、それのみならず誠に愧入はじいったのは此の八十両の金子かねじゃ、知っての通りの貧乏寺じゃが幸いにも檀家だんけの者にも用いられ、本堂が大破に及んだ、再建さいこんをせにゃなるまい、わしが世話人に成ってやる奮発せいと、萬屋も心配をして呉れて、これ見ろ、まア是だけの金子を集めて、是を資本もとで追々おい/\と再建に取掛るつもりでわざ/\源兵衞さんが一昨日おとつい持って来たに依って、すぐ手前に仕舞って置けと云うて渡した其の金子を手前が盗出ぬすみだして此所こゝへ持って来るとは何ういう了簡じゃ、此金これがなければ片時も己はあの寺にられぬという事も、手前う知ってるじゃないか、憎い奴じゃ、同じ早川の家に生れても、私は総領の身の上でありながら出家となり、又手前の兄三次郎さんじろうと云う者は、何ういう因縁か、十一二歳の頃からして盗心とうしんがあって、一寸ちょっと重役のうちへ遊びに行っても、銀の煙管じゃとか、紙入じゃとか、風呂敷とか、手拭とか云うものを盗んでたもとへ入れて来るじゃ、そこでお父様とうさまも呆れてしまい、此奴こやつが跡目相続をすべき奴じゃけれども仕方がないと云うて、十九の時に勘当をされた、丁度三人の同胞きょうだいでありながら、私は出家になり、弟は泥坊根性があり、手前は又主家しゅうかの娘と不義をしていとまを出されるのみならず、兄の身に取っては大切の金子かねまで取るという奴じゃから、何う人さんから云われても一言の申訳はあるまい、憎い奴じゃ、兄の自滅をするという事をくわしく知って居ながら、ういう不都合をするとは云おう様ない人非人にんぴにんめ」
 と腹立紛れに粂之助の領上えりがみを取って引倒して実の弟を思うあまりの強意見こわいけん涙道るいどうなみだを浮べ、身を震わせながら粂之助を畳へこすり附ける。粂之助は身の言分いいわけが立ちませぬから、
 粂「申訳を致します……もも申訳を……何卒どうぞお放しなすって下さいまし」
 玄「さ、何う言分をする」
 粂「へい申訳は此の通りでござります」
 と自分の差して来た小短い脇差を取って抜くより早くのどへ突立てにかゝった。玄道はきもを潰して其の手をおさえ、
 玄「こ、これ待てッ」
 粂「いゝえ、お留め下さるな、申訳が有りませぬから、わたくしは自害をいたして申訳をいたします」
 玄「自害をしたってそれで済むと思うか」
 しきりに争うておる処へ、ガラリと縁側の障子を開けて這入って来た男を見ると、紋羽もんぱの綿頭巾を鼻被はなっかむりにして、結城ゆうき藍微塵あいみじん単衣ひとえものを重ねて着まして、盲縞の腹掛という扮装こしらえ、小意気ななりでずっと這入って、
 男「ま、ま、お待ちなせえ、おう詰らねえ事をするない、手前てめえは死なねえでもいや」
 粂「ヘエー」
 と顔を見ると今日朝のうちに来た、千駄木の植木屋の九兵衞だからびっくりして、
 粂「おや、貴方は千駄木の植木屋さんで……」
 九「ウム、植木屋の九兵衞だ、おめえはまア死なねえでもい……え、和尚さんわっちは、千駄木の植木屋の九兵衞と云って、此の粂之助をだまかしに行った悪党でごぜえます」
 玄「何じゃ……悪党とは」
 九「ヘエ誠に面目次第もござえませぬ、おめえさんの為には現在の弟でありながら、十九の時にやしきを出てしまいやした、それゆえ粂の顔を知らねえもんだからだまかしに行ったんです、あにさん大層まア年が寄って、お顔を見忘れちまいましたよ」
 玄「なに誰じゃ」
 九「誰でもねえ、おまえさんの弟の三次郎です」
 玄「おゝ、弟の三次郎、成程う云えば、何所どこか見覚えのある顔だ、それが何うして此所こゝへ出て来た」
 九「まア聞いてくだせえ、わっちが上野の三橋側の夜明よあかしの茶飯屋のところで、立派な身形みなり新造しんぞが谷中長安寺への道を聞いてるんで、てっきり駈落ものとにらんで横合から飛び出し、私もね、お前さんが其の長安寺の和尚さんとも知らず、粂之助が私の弟ということも知らねえもんだから、旨い金蔓かねづるに有附いたと実ア其の娘をだまかして[#「だまかして」はママ]引張出ひっぱりだし、穴の稲荷の脇で娘を殺し、巾着ぐるみ有金を引浚ひっさらい、死骸は弁天の池ン中へほうり込んだのは私の仕業だ、そればかりでなく、娘を殺すめえに、段々様子を聞くと、うちに奉公をして居た粂之助と云う者は、いとまが出て当時では谷中仲門前の長安寺と云う寺に居るんだと聞いたから、もう一仕事しようと思って粂のとこへ出かけ、旨くだまかして金子かねを持って逃げておいでなさいと云ったのは、私の入智慧いれぢえ、本堂再建の普請金八十両を盗ませたのも皆この三次郎の作略でごぜえます」
 玄「ふむー、此奴こやつ……えらい奴じゃな」
 三「でね、まアういう理由わけなんだから、鳶頭と番頭や何か残らず此所こゝへ呼んでおくんなせえ」
 玄「粂、早う呼んで来い」
 粂「誰方どなたも早く来て下さいましよ」
 と呶鳴ったから、何事かと思って鳶頭も番頭も皆揃って来ました、ずらりと大勢ならべて置いて、右の一伍一什いちぶしじゅうを三次郎が話した時には、鳶頭も番頭も驚いてしばらくは口も利けぬくらいでありました。
 三「さ、何うぞわっしに縄を掛けて引く処へ引いてお呉んなせえ、決して粂之助のとがじゃアねえ、わっち人殺ひとごろしをしたんですから……其の代りどうかあにさん粂を可愛がってやってお呉んなさい、又粂もいか、もう四十を越してる兄さんだ、く大事にして上げてくれ、よ、お前幾歳いくつになる、なに十九歳だ、うむうか、いや鳶頭、誠に何とも云いようがごぜえませぬ、おめえさんは粂を贔屓にしてお呉んなすって、やれこれ云って下すったのは、わっちからも厚くお礼を申します、実ア今日此処こゝへ忍び込んでかったら、此のどさくさ紛れに、もう一仕事するつもりで来た処が、まアういう訳になりましたから何卒どうぞ私へ縄を掛けて突出してお呉んなせえ……やい番頭、さ、己を縛れ」
 番「なに此奴こいつ……おのれが泥坊か、此のお庭へ何所どこから這入った」
 三「何所からだって這入へいるが、さ縛れ、其の代り己がくらい込めば、もう娑婆ア見る事ア出来ねえから、此の番頭手前てめえも一緒に抱いてくからう思え」
 番「そりゃアえらいこっちゃな」
 れから捨て置けませぬから、甲州屋の家内はうちから縄付なわつきを出すのも厭だと心配をしてはてしがない。そこで三次郎が到頭自訴いたして、何うしても斬首ざんしゅの刑に行わるべきであったのが、何ういう事か三宅へ遠島を仰付おおせつけられましたが、大層改悛かいしゅんの効があらわれ、のちしゃになって、此の三次郎は兄玄道の徒弟となり、修行しゅうぎょうの功を積んで長安寺の後住ごじゅうを勤めました。此の者は穴釣三次あなづりさんじと云って、其の頃下谷では名高い泥坊でござりました。又粂之助は遂に甲州屋へ貰われまして、甲州屋の跡目を相続いたし、其ののち浅草仲町の富田屋という古着商ふるぎやから嫁を貰いましたが、此の嫁も誠に心懸けの良い婦人でござりまして、母に孝行を尽したという末お目出度いお話でござります。





底本:「定本 圓朝全集 巻の一」近代文芸・資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年6月10日発行
底本の親本:「圓朝全集卷の一」春陽堂
   1926(大正15)年9月3日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「巾著」と「巾着」の混在は、底本通りです。
※「*」は注釈記号です。その内容は底本では上部欄外に書かれています。
※表題は底本では、「闇夜やみようめ」となっています。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
2000年5月10日公開
2016年4月21日修正
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