七福神詣
三遊亭円朝
「元日や神代のことも思はるゝ」と守武の発句を見まして、演題を、七福神詣りとつけましたので御座ります。まづ一陽来復して、明治三十一年一月一日の事で、下谷広小路を通る人の装束は、フロツクコートに黒の山高帽子を戴き、玉柄のステツキを携へ、仏蘭西製の靴を履き、ギシリ/\とやつて参りハタと朋友に行逢ひまして、甲「イヨーお芽出たう、旧冬は何かと。乙「ヤお芽出たう存じます、相変らず、君は何所へ。甲「僕は七福神詣に行くんだ。乙「旧弊な事を言つてるね、七福神詣といへば谷中へ行くんだらうが霜どけで大変な路だぜ。乙「なアに誰があんな所へ行くもんか、まア君一緒に行き給へ、何処ぞで昼飯を附合給へ。乙「そんなら此所から遠くもないから御成道の黒焼屋の横町さ。甲「解つた、松葉屋のお稲の妹の金次が待合を出したと聞きましたが。乙「未だ僕は家見舞に行ず、年玉の義理をかけてさ。甲「好し/\。と直に松葉屋へ這入ると、婢「入らつしやい、お芽出たうございます、相変らず御贔屓を願ひます、モシ、ちよいと御家内さん、福富町の旦那が。家内「おや、旦那好くお出でなさいましたね、金吹町さんまア好く入らつしやいましたね、今年は元日から縁起が好い事ね。乙「時に昼飯の支度をしてちよいと一杯おくれ。家内「松源か伊予紋へ申付ます、おや御両人様からお年玉を有難うございます、只今直に、私は元日からふく/\です事よ。と下へ降りて行く。乙「其の福々で思ひ出したが、七福廻と云ふのは一体君は何処へ行くんだ。甲「僕の七福廻りといふのは豪商紳士の許を廻るのさ。乙「へ、へ――何処へ。甲「第一番に大黒詣を先にするね、当時豪商紳士で大黒様と云ふべきは、渋沢栄一君だらう。乙「なーる程、にこやかで頬の膨れてゐる所なんぞは大黒天の相があります、それに深川の福住町の本宅は悉皆米倉で取囲てあり、米俵も積揚て在るからですか。甲「そればツかりぢやアない、まア此の明治世界にとつては尊い御仁さ、福分もあり、運もあるから開運出世大黒天さ。乙「成程、子分の多人数在るのは子槌で、夫れから種々の宝を振り出しますが、兜町のお宅へ往つて見ると子宝の多い事。甲「第一国立銀行で大黒の縁は十分に在ります。乙「そんなら蛭子は何所だい。甲「馬越恭平君さ。乙「へー何う云ふ理由です。甲「ハテ恵比寿麦酒の会社長で、日本で御用達の発りは、蛭子の神が始めて神武天皇へ戦争の時弓矢と酒や兵糧を差上げたのが、御用を勤めたのが恵比須の神であるからさ。乙「成程、そこで寿老神は。甲「安田善次郎君よ、茶があるからおつな頭巾を冠つて、庭を杖などを突いて歩いて居る処は、恰で寿老人の相があります。乙「シテ福禄寿は。甲「ハテ品川の益田孝君さ、一夜に頭が三尺延たといふが忽ち福も禄も益田君と人のあたまに成るとは実に見上げた仁です、殊に大茶人で書巻を愛してゐられます、先日歳暮に参つたら松と梅の地紋のある蘆屋の釜を竹自在に吊つて、交趾の亀の香合で仁清の宝尽しの水指といふので一ぷく頂戴しました。乙「ダガ福禄寿には白鹿が側に居なければなるまい。甲「折々話しかを呼びます。乙「成程、ダガ此度はむづかしいぜ、毘沙門は。甲「ハテ岩崎弥之助君です、何だつて日本銀行総裁といふのだから金の利ばかりも何の位あがるか大層な事です、アノ御方の槍でも突いて立つた姿は、毘沙門天の相もあります、使者は百足だと云ふから百足が幾千疋居るか知れねえから、金の足が何の位あがるかしれねえとおもふのさ。乙「そこで布袋さんは。甲「御存生なら川田小一郎君だね、腹の膨れてゐる処から体格と云ひ、ニコヤカなお容貌と云ひ、頸が二重に成つてゐる様子はそつくりだね、何しろもう神になつちまつて仕やうがない、目下では大倉喜八郎君さ。乙「ウム何う云ふ処で。甲「ハテ、愛嬌もありなか/\大腹な仁です、布袋和尚に縁があるのは住居が悉皆寺です、殊に彼程に成るまでには、跣足で流れ川を渡る様な危い事も度々有ツたとさ、遊ぶ時には大袋を広げる事もあり、芸妓も極くお酌のから子供を多くお呼び被成るのがお好だとさ。乙「時に困るのは弁天でせう。甲「まア富貴楼のお倉さんかね、福分もあり、若い時には弁天と云はれた位の別嬪であつたとさ、宅は横浜の尾上町です、弁天通りと羽衣町に近いから、それに故人の御亭主は亀さんと云ふからさ。乙「だツて紳士程金満家にもせよ、実は弁天も男子に見立たいのさ。と云つて居ると背後の襖を開けて。浅「僕が弁天です、僕が弁天さ。甲「おや貴方は浅田正文君ではありませんか、シテ貴方が何ういふ理由で。浅田「ハテ僕は池の端に居るからぢや。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」は「/\」で表しました。