さてこれは
外題を
心眼と
申す心の
眼といふお話でござりますが、物の色を
眼で見ましても、
只赤のでは
紅梅か
木瓜の花か
薔薇か
牡丹か
分りませんが、ハヽア
早咲の
牡丹であるなと心で受けませんと、五
色も
見分が
付きませんから、
心眼と
外題を致しましたが、
大坂町に
梅喜と
申す
針医がございましたが、
療治の
方は
極下手で、病人に
針を打ちますと、それがためお
腹が痛くなつたり、頭痛の所へ打ちますと
却て
天窓が痛んだり致しますので、あまり
療治を
頼む者はありません。すると
横浜の
懇意な人が親切に
横浜へ
出稼ぎに
来るが
宜い、
然うやつてゐては
何時までも貧乏してゐる事では
成らん、
浜はまた
贔屓強い
処だからと
云つてくれましたので、
当人も
参る気になりましたが、
横浜へ
参るには
手曳がないからと自分の弟の
松之助といふ者を
連れまして
横浜へまゐりまして、
野毛の
宅へ
厄介になつて
居り、せめて半年か今年一年
位稼いで
帰つて
来るだらうと、
女房も待つて
居りますと、
直に三日目に
帰つてまゐりました。鼻の
尖頭へ汗をかき、
天窓からポツポと
煙を出し、
門口へ
突立つたなり物も
云ひません。女房「おやお
前お
帰りか。梅「い……今
帰つたよ。女房「おや
何うしたんだね、まア
何うも
余り早いぢやアないか、
浜へ
往つて
直ぐに
帰つて
来たの。梅「
直ぐにたツて
居られねえもの、どうも
幾許居たくつても
居られません、あまり
馬鹿馬鹿しくつて
口惜しいたツて
口惜しくねえたツて
耐らないもの……。と
鼻息荒く思ふやうに口もきけん様子。女房「
何うしたんだねえ、まア
何だね。梅「
何うしたつて、フン/\あの
松ン
畜生め……。女房「
松さんが
何うしたんだえ。梅「
彼奴が、
己を
置去りにして先へ
帰りやアがつたが、
岩田屋さんは親切だから
此方へ
来な、
浜は
贔屓強えから
何でも
来ねえと
仰しやるので、
他に
手曳がねえから
松を
連れていくと、六
畳の
座敷を
借切つてゐると、
火鉢はここへ
置くよ、
烟草盆も
置くよ、
土瓶も
貸してやる、
水指もこゝに
有るは、
手水場へは
此処から
往くんだ、こゝへ
布巾も
掛けて
置くよ、この
戸棚に
夜具蒲団もあるよと
何から
何まで
残らず
貸して
下すつてよ、
往つた
当座だから
療治はないや、
退屈だらうと思つて
岩田屋の
御夫婦が
来て、
四方山の話をして
居ると、
松が
傍で
土瓶をひつくりかへして
灰神楽を
上げたから、
気を
附けろ、
粗忽をするなつて
他人さまの
前だから
小言も
云はうぢやアねえか、すると
彼奴が
己にむかツ
腹ア
立つて、よく
小言をいふ、
兄振つたことを
云ふな、
己が手を
曳いてやらなけりやア
何処へも
往かれめえ、
御飯の
世話から
手水場へ
往くまで
己が
附いてツてやるんだ、
月給を取るんぢやアなし、
何んぞと
云ふと
小言を
云やアがる、
兄もねえもんだ、
兄(
狸)の
腹鼓が聞いて
呆れると
吐しやアがるから、やい
此ン
畜生、
手前は
懶惰者でべん/\と遊んでゐるから、
何処へ
奉公に
遣つたつて置いてくれる者もないから、
己が
養つて置くからには、
己の手を
曳くぐらゐは
当然だ、
何を
云やアがるつて
立上つて
戸外へ出たが、
己も
眼が見えないから
追掛けて出ても
仕様はなし、あんな
奴にまで
馬鹿にされると腹を立つのを、
岩田屋の
御夫婦が心配して、なに
松さんだつて
家へ
帰れば
姉さんに
小言を
云はれるから、
帰つて
来るに
違ひない、なに
彼奴は
銭を
持つてゐる
気遣ひは
有ませんから、
停車場へ
往つたツて切符を買ふ
手当もありませんから、いまに
帰りませうと待つたが、
帰つて
来ねえ、
処で悪い顔もしず、
御飯の
世話から
床の
揚下しまで
岩田屋さん
御夫婦が
為て
下さるんだが、
宜い
気になつて
其様なことがさせられるかさせられねえか考へて見ねえ、とてもそれなりに
世話に
成つてもゐられねえから
帰つて
来たのよ。女房「
本当に困るぢやアないかね、
私も
義理ある
間だから
小言も
云へないが、たつた一人の
兄さんを
置去りにして
帰つて
来るなんて……なに
屹度早晩にぶらりと
帰つて
来るのが
落だらうが、
嚥腹が立つたらうね。梅「腹が立つたつて立たねえツてえ、
詰らねえ
事を腹ア立てやアがつて、たつた一人の血を分けた兄の
己を
置去りにしやアがつてよ、
是れと
云ふのも
己の
眼が悪いばつかりだ、あゝ
口惜しい、
何うかしてお
竹や
切めて
此の
眼を
片方でも
宜いから明けてくんなよ。女房「明けてくんなと
云つて、
私ア
医者ぢやアなし、そんな無理なことを
云つたツて
私がお
前の
眼を
明る
訳にはいかないが、苦しい時の
神頼みてえ事も有るから、二人で
信心をして、一生懸命になつたら、また
良いお
医者に
出会ふことも有らうから、夫婦で
茅場町の
薬師さまへ
信心をして、三七、二十一
日断食をして、
夜中参りをしたら
宜からう。と
是から一生懸命に
信心を始めました。すると
一心が
通りましてか、
満願の日に
梅喜は疲れ果てゝ
賽銭箱の
傍へ
打倒れてしまふ
中に、カア/\と
黎明告る
烏諸共に
白々と
夜が明け
離れますと、
誰やらん
傍へ
来て
頻りに
揺り
起すものが有ります。×「
梅喜さん/\、こんな
処に
寐て
居ちやアいけないよ、
風え引くよ……。梅「はい/\……(
眼を
擦り
此方を見る)×「おや……お
前眼が
開いたぜ。梅「へえゝ……
成程……
是は……あゝ(
両手を
合せ
拝み)
有難う
存じます、
南無薬師瑠璃光如来、お
庇陰を
以ちまして
両眼とも
明かになりまして、誠に
有難う
存じます……
成程ウ
是は手でございますか。×「
然うよ。梅「へえゝ
巧く
出来てゐますね。×「お
前何うして
眼が
明いたんだ。梅「へえ
実は二十一
日断食をしました、一
心が
届いたものと見えます。×「ムヽウ、まゝ
此位な
目出度い事はないぜ。梅「へえ誠に
有難う
存じます……あなたは
何方のお
方で。×「フヽヽ
何方だつて、お
前毎日のやうに
宅へ
来てえるぢやアねえか、
大坂町の
近江屋金兵衛だよ。梅「へえ、
是は
何うも誠にへえゝ……あなたは
其様なお顔でございましたか。近江屋「フヽヽ
其様なお顔と
云ふものもねえもんぢやアねえか、
何にしても
眼の
明いたは共に
悦ばしい、ま
結構な事で。梅「へえ
有難う
存じます、毎度また
御贔屓になりまして……これは
何です、一
体にかう
有るのは……。近江屋「
成程な、
眼のない人が始めて
眼の
明いた時には、
何尺何間が
解らんで、
眼の
前へ一
体に
物が
見えると
云ふが、
妙なもんだね、
是は
薬師さまのお
堂だよ。梅「へえゝ、お
堂で、
是は……。近江屋「お
賽銭箱。梅「
成程皆ながお
賽銭を
上げるんで手を
突込んでも取れないやうに…
巧く
出来て
居ますなア…あの
向うに二つ
吊下つて
居ますのは…。近江屋「あれは
提灯よ。梅「
家内などが
夜点て歩きますのは
彼れでげすか。近江屋「なに、それはもつと小さい丸いので、ぶら
提灯といふのだが、あれは
神前へ
奉納するので、
周囲を
朱で
塗り
潰して、
中へ
墨で「
魚がし」と書いてあるのだ、
周囲は
真ツ
赤中は
真ツ
黒。梅「へえゝ
真ツ
赤……
真ツ
黒旨く
名けましたな、
成程真ツ
赤らしい色で……
彼れは。近江屋「
彼家は
宮松といふ
茶屋よ。梅「へえゝ……これは
甃石でございませう。近江屋「おや/\よく
解つたね。梅「へえ
是は
下駄を
履いて
通ると、がら/\音がしますから
解りますが、
是は
盲人が歩きいゝやうに
何処へでも
敷いて
有るのでせう。近江屋「なアに
社内ばかりだアね、そろ/\
出掛けようか。梅「へえ
有難う
存じます、
只今杖を持つてまゐりませう。近「もう
杖も
要らねえから
薬師さまへ
納めて
往きな。梅「へえ誠に
有難う
存じます……へえゝ
何うも
日本晴れがしたやうだてえのは、
旦那さま
此事でございませう、本当に
有難いことで。近「まア
芽出度かつた。梅「
旦那々々これは
何でげす。近「
生薬屋の
看板だよ。梅「あれは……。近「
糸屋の
看板だ。梅「へえゝ……あれは。近「人が見て笑つてるに、
水菓子屋だ。梅「へえゝ……あ
彼処に
在る
円いものは
何です、かう
幾つも
有るのは。近「あれは
密柑だ。梅「あの色は
何と
云ふんです。近「
黄色いてえのだ。梅「へえゝ……
密柑には
異つたのが
有りますなア、かう
細長いやうな。近「フヽヽあれは
乾柿だ。梅「
乾柿、へえゝ
彼は。近「第一の銀行よ。梅「
成程噂には聞いて
居りましたが
立派なもんですね……あれは。近「橋だ、
鎧橋といふのだ。梅「へえゝ
立派な
物ですね
何うも……あの向うへ
往きますのは
女ぢやアございませんか。近「
然うよ。梅「へえゝ
女てえものは
綺麗なものですなア、
男が
迷ふな無理もありませんね。近「あれは
何処かの
権妻だか
奥さんだか知れんが、
人柄で
別嬪だのう。梅「へえゝ
綺麗なもんですなア、
私共の
家内は、
時々私が
貴方の
処へお
療治に
参つて
居ると
迎ひに
来た事もありますが、
私の
女房は今のやうな
好い
女ですか。近「ウフヽヽ、アハヽヽ
梅喜さん
腹ア
立つちやアいけないよ、お
前ん
処のお
内儀さんは
失敬だが
余り
器量が
好くないよ。梅「へえゝ
何んな
工合ですな。近「フヽヽ
何んな
工合だツて……あ
彼処へ
味噌漉を
提げて
往く
何処かの
雇ひ
女が
有るね、
彼よりは
最う少し色が
黒くツて、ずんぐりしてえて
好くないよ。梅「
彼より
悪うございますと、それは
恐入りましたな、
私は美人だと思つてましたが、
器量の
善悪は
撫たツて
解りません……あ……
危えなア、
何んですなア……
是は……。近「
人力車だ。梅「へえゝ
眼の見えない
中は
却つて
驚きませんでした、
何うでも勝手にしねえと
云ふ
気が
有りましたから、
眼が
明いたら
何だか
怖くツて
些とも歩けません。近「それぢやア
車に
乗せよう、
然うして
浅草の
観音さまへ
連れて
往う。と
是から
合乗りで、
蔵前通りから
雷神門の
際で
車を
下り、近「
梅喜さん、
是が
仲見世だよ。梅「へゝえ
何処ウ……。近「なアにさ、ここが
観音の
仲見世だ。梅「
何かゞございませう
玩具店が。近「べた
玩具店だ。梅「どれが……。近「あの
種々なものを
玩具と
云ふのだ。梅「へえゝ……
種々な
物が
有りますな、
此間ね
山田さんの
坊ちやんが
持つていらしつたのを
私が
握つたら、
玩具だと
仰しやいましたが、
成程さま/″\の
物が
有りますよ、
此方も
玩具……
彼方も
玩具、
其の
隣も
玩具、あゝ
玩具を
引張つて
伸して
居ります。近「フヽヽあれは
飴やだよ。梅「へえゝ
成程、
此方は。近「
人形屋。梅「
向うのは。近「
料理茶屋萬梅といふのだ。梅「あら/\。近「
見ともねえなア、大きな
声であらあらと
云ひなさんな。梅「あれは。近「
絵草紙だよ。梅「へえゝ
綺麗なもんですな、
撫て見ちやア
解りませんが、
此間池田さんのお
嬢さまが、
是は
絵だと
仰しやいましたが
解りませんでした。梅「おゝ
突当りやがつて、
気を
附けろい、
盲人に
突当る
奴が
有るかい。近「
眼が
明いて
居るぢやアないか。梅「ヘヽヽ
今日明きましたんで、
不断云ひ
慣けて
居るもんですから。と
云ひながら
両手を
合せ、梅「
南無大慈大悲の
観世音菩薩……いやア
巨きなもんですな、人が
盲目だと思つて
欺すんです、
浅草の
観音さまは一
寸八
分だつて、
虚言ばツかり、
巨きなもんですな。近「そりやア
仁王門だ、
是から
観音さまのお
堂だ。梅「
道理で
巨きいと思ひました……あゝ……
危い。と
驚いて
飛下る。近「フヽヽ
何だい、
見ともない、
鳩がゐるんだ。梅「へえゝ豆をやるのは
是ですか……
鳩がお
辞儀をして
居ますよ。近「なに豆を
喰つてゐるんだ。梅「
異つたのが
居りますね、
頭の
赤い。近「あれは
鶏鳥だ……ま
此方へお
出で、こゝがお
堂だ。梅「へえゝ
成程、十八
間四
面とは聞いてゐましたが、
立派なもんですな。近「さ
此の
段々を
昇るんだ。梅「へえ
何だか
何うも
滅茶でげすな……おゝ/\
大層絵双紙が
献つてゐますな。近「
額だアな、
此方へお
出で、こゝで
抹香を
供るんだ、
是がお
堂だよ。梅「へえゝ
是が
観音さまで……これは
何で。近「お
賽銭箱だ。梅「
成程先刻も
薬師さまで見ましたが、
薬師さまより
観音さまの
方が
工面が
宜いと見えてお
賽銭箱が大きい……
南無大慈大悲の
観世音菩薩、
今日図らず
両眼明かに
相成りましてございます、誠に
有難き
仕合に
存じます……。近「
梅喜さん、
此方へお
出でよ。梅「へえ……こゝに
大層人が立つてゐますな。近「なに
彼りやア
此方の人が
映るんだ、向うに大きな
姿見が立つてゐるのさ。梅「
此方の人が向うへ……(
前後を
見返り)え
成程近江屋さん
貴方が向うに立つてゐますな、
成程能く
似てゐますこと。近「
似てゐる
筈よ、
鏡へ
映るんだから、並んで見えるだらう。梅「
私は
何方で。近「
何方だツて二人並んで
居るだらう。梅「へえ……。首を動かし見て、「
成程此方で首を
振るやうに向うでも
振り、
舌を出せば
彼方でも出しますな。近「
止しねえ、
見ともねえから。梅「ムヽウ
私は
随分好い
男ですな。近「ウン……。梅「
私は
此の
位な
器量を
持つてゐながら、
家内は
鎧橋で
味噌漉を
提げて
往つた
下婢より悪いとは、ちよいと
欝ぎますなア。近「
其様なことを
云つたつて
為やうがない、さアこゝは
奥山だ。梅「へえ……。ときよろ/\してゐる中に、
近江屋の
旦那を
見失つてしまひました。梅「
金兵衛さアん……
近江屋さアん……。と大きな
声を出して
山中呶鳴り歩きます
中に、
田圃の
出口の
掛茶屋に腰を
掛けて
居ました
女は
芳町辺の
芸妓と見えて、お
参りに
来たのだから
余り
好い
装では
有りません、
南部の
藍の
萬筋の
小袖に、
黒縮緬の
羽織、
唐繻子の
帯を
〆め、小さい
絹張の
蝙蝠傘を
傍に置き、
後丸の
のめりに
本天の
鼻緒のすがつた
駒下駄を
履いた
小粋な
婦人が、女「ちよいと
梅喜さん、ちよいと。梅「へえへえ
何処ウ……(
彼方此方を
見廻す)女「
何だよう、
私が
先刻から見てゐると、お
前がこゝを
往つたり
来たりしてえるが、
眼が
開いて
居るから
能く
似た人が
有ると
思つてゐたら、
矢張梅喜さんなんだよ、ま
何うしたえ。梅「へえ、
今日眼が
開きました。女「
眼が
開いたえ……だから
馬鹿には
出来ないものだよ、
本当に
神さまの
御利益だよ、
併しまア
見違へるやうな
好い
男になつたよ。梅「へえ、あなたは
何処のお
方で。女「いやだよ、
大概声でも知れさうなもんだアね、
小春だよ。梅「え……
小春姐さんで、
成程……
美しいもんですなア。小春「いやだよ、
大概におし。梅「へゝゝお
初にお
目に
懸りました。小春「
何だね、お
初ウなんて。梅「いえ、お顔を見るのはお
初ウで。小春「お
前は
眼が
開いてちよいと
子柄を
上げたよ、
本当にまア
見違いちまつたよ、一人で
来たのかい、なに
近江屋の
旦那を、ムヽ
失れて、
然うかい、ぢやア
何処かで
御飯を
食べたいが、
惣ざい
料理もごた/\するし、
重りする
処も
忌だし、あゝ
釣堀の
師匠の
処へ
往かうぢやアないか。梅「へえゝ
釣堀さまとは。小「
何だね
釣堀だね。梅「
有難い……
私は二十一
日御飯を
食べないので、
腹の
空つたのが
通り
過ぎた
位なので、小「ぢやア
合乗りで
往かう。と
是から
釣堀へまゐりますと、
男女の
二人連ゆゑ
先方でも
気を
利かして
小間へ
通して、
蜆のお
汁、お
芋の
転がしで
一猪口出ました。小「さ、お
喫べよ、お
前の
目が
開いて
芽出度いからお
祝ひだよ、
私がお
酌をして
上げよう……お
猪口は
其処に
有らアね。梅「へえゝ
是がお
猪口……ウンナ……手には
持慣けて
居ますが、
巧く
出来てるもんですな、ヘヽヽ、
是はお
徳利、
成程此ン
中からお
酒が出るんで、
面白いもんですな。小「
何だよ、
猪口の中へ指を
突つ
込んでサ、もう
眼が
開いて
居るから、お
酒の
覆れる
気遣ひはないは。梅「へゝゝ
不断やりつけてるもんですから……(一
口飲んで
猪口を下に置き)
有難う
存じます、どうも……。小「
冷ない
中にお
吸ひよ、お
椀を。梅「へえ
是がお
椀で……お
箸は……これですか、
成程巧く
出来て
居ますな……ズル/\ズル/\(汁を吸ふ音)ウン
結構でございます……が、どうもカ
堅くつて……。小「ホヽいやだよ
此人は、
蜆の
貝ごと
食べてさ……あれさお
刺身をおかつこみでないよ。梅「へえ……あゝ
好い
心持になつた。と
漸々盞がまはつて
参るに
従つて、二人とも
眼の
縁ほんのり
桜色となりました。小「
梅喜さん、
本当にお
前男振を
上げたよ。梅「へえ
私は
随分好い
男で、
先刻鏡でよく見ましたが。小「お
前に
去年私が
寸白で
引いてゐる
時分、
宅へ
療治に
来たに、
梅喜さんの
療治は
下手だが、
何処か
親切で
彼様な
実の
有る人はないツて、
宅の
小梅が
大変お
前に
岡惚れをしてゐたよ、あれで
眼が
有つたら
何うだらうと
云つたが、
眼が
開いたから
誰でも
惚れるよ、
私は本当に
岡惚れをしたワ。梅「えへゝゝゝ
冗談云つちやアいけません、
盲人にからかつちやア困ります。小「
盲目だつて
眼が
開いたぢやアないか、
冗談なしに
月々一
度位づゝ遊んでおくれな、え
梅喜さん。梅「あなた、そりやア本当でげすかい。小「本当にも
嘘にも
女の口から
此様なことを
云ひ出すからにやア一生懸命だよ。梅「え……本当なれば
私ア
嬶を追ひ出しちまひます、へえ
鎧橋の
味噌漉提げより
醜いてえひどい顔で、
直ぐにさらけだしちまひます、あなたと三
日でも
宜いから一
緒に
成り
度いね。と
云つて
居りますと、
突然後の
襖をがらりと
開けて
這入つて
来た
婦人が
怒りの
声にて、婦人「
何だとえ。梅「え……
何処の
人だえ。婦人「
何処の
人だつて、お
前の
女房のお
竹だよ。梅「お
竹え……
是はどうも……。竹「
何だとえ、
今聞いてゐれば、
彼奴の顔は
此んなだとか
彼んなだとかでいけないから、さらけだしてしまひ、
小春姐さんと
夫婦に
成らうと
宜く
云つたな、お
前其様なことが
云はれた
義理かえ、
岩田屋の
旦那に
連れられて
浜へ
往つて、
松さんと
喧嘩アして
帰つて
来た時に
何とお
云ひだえ、あゝ
口惜しい、
真実の
兄弟にまで
置去りにされるのも
己の
眼が悪いばかりだ、お
竹や
何卒一方でも
宜いから
明けてくれ、どうかエ
然して薄くも見えるやうにして
呉れと
云ふから、
私も
医者ぢやアなし、お
前の
眼を
明けやうはないが、
夫程に思ふなら
定めし
口惜しかつたらう、
何うかして
薄くとも見えるやうにして
上げたいと思つて、
茅場町の
薬師さまへ
願掛けをして、
私は
手探りでも
御飯ぐらゐは
炊けますから、
私の
眼を
潰しても
梅喜さんの
眼を
明けて
下さるやう、
御利益を
偏へに願ひますと無理な
願掛けをして、
寿命を三
年縮めたので、お
前の
眼が
開いたのは二十一
日目の
満願ぢやアないか、
私は
今朝眼が
覚めてふと
見ると、
四辺が見えないんだよ、はてな……
私の
眼が
潰れたか知らん、
私が見えなければきつと
梅喜さんの
眼が
開いたらう、それとも無理な
願掛けを
為たから
私へ
罰が
中つて
眼が
潰れたのかと思つて、おど/\してゐる
所へ、
近江屋の
旦那が
帰つて
来て、
梅喜の
眼が
開いたから
浅草へ
連れて
往つたが、
奥山で
見失つたけれども、
眼が
開いたから
別に
負傷はないから安心して
居なと
云はれた時には、
私は本当に
飛立つ
程に
嬉しく、自分の
眼が
潰れた事も思はないでサ、早くお
前に
遇つて
此事を聞かしたいと思つたから、お
前の
空杖を
突いて
方々探して歩くと、
彼処の
茶店で
稍く
釣堀へ
往つたといふ事が
解つたから、こゝへ
来てもお
前の
女房とは
云はない。
只梅喜さんに
遇ひたうございます。
何卒遇はしておくんなさいまし、
私は
女按摩でお
療治にまゐりましたと
云つたら、
按摩さんなら
茲においで、今お
酒が始まつて
居るからと
云ふので、
私は
次の
間に
居るとも知らず、お
前は
眼が
開いたと思つて
宜くのめのめと
増長して
私を出すと
云つたね。
梅喜は
天窓を
両手で
押へ、梅「はあア誠に
面目次第もない、お
前が
次の
間に
居やうとは知らず、誠に
済まない……。
女房は
暫く
泣伏し涙を
拭ひつゝ、竹「どうも本当に
呆れちまつたね、
私は死にます……
何を
押へるんだ、
放しておくれ。と止める
手先を
振切つて
戸外へ出る
途端に、感が悪いから池の中へずぶり
陥りました。梅「おゝ……お
竹や/\。竹「
何だよ、しつかりお
為よ、
梅喜さん/\、お
起きよ。と
揺り
起され、
欠伸をしながら
手先を
掻き、梅「ハアー……おや
燈火を消したかえ。竹「
何を
云ふんだね、しつかりおしよ、お
前何か夢でも見たのかえ、
額へ汗をかいてゝさ。梅「へえゝ……お
前は
誰だえ。竹「ホヽヽ
何だよ、お
竹だアね。梅「こゝは
釣堀かい。竹「
何だね、
宅に
寐て
居るんだよ、お
前寐耄けたね、
何うか夢でも見たんだよ。梅「あ……夢かア、おや/\
盲人てえものは
妙な
者だなア、
寐てゐる
中には
種々のものが見えたが、
眼が
醒めたら
何も見えない。……
心眼と
云ふお話でございます。
(拠酒井昇造筆記)