外に出た友

北條民雄




「二三年、娑婆の風にあたつて来るよ。」
 退院するY――を見送つて行くと、門口のところで彼はさう言つて私の手を握つた。
「うん、体、大切にしろ、な。」
 と言つて、私はYの手を握りかへしてやつた。それ以上は何も言ふことがなかつた。手を放すとYは柊の垣に沿つて駅の方へ歩いて行つた。
 Yの姿が見えなくなると、私はその足で眼科へ出かけた。Yとは、私はもう二年近い交遊をもつてゐる。彼は三年をこの病院で暮したが、病気の工合は余り良いやうではなかつた。私は彼の右腕の神経が小指ほどにも脹れ上つてゐるのを知つてゐる。眼科へ着くまでの間、私は彼が神経痛を始めて苦しみはせぬかと心配した。病院を出てはナルコポンやパントポンも思ふやうには注射出来ないに違ひない。
 眼科は医局の中ほどで外科と隣接してゐる。這入つて行くともう十四五名もが自分の番の来るのを待つてゐた。眼帯をかけたり、さうでないものは充血した赤い眼をしたりして、誰もまぶしさうに下を向いてゐた。半数は盲人で、他は盲目の一歩手前を彷徨してゐる人達である。私はそこで長い間待つた。
 私は右眼が充血して兎の眼のやうになつてゐたので、なるべくその眼は閉ぢてゐるやうにしてゐた。二三回ローソクの火でものを書いたりしたのがいけなかつたのである。私はひどく憂鬱であつた。
 番が来ると、私は暗室の中へ這入つて行つた。不用意に開いてゐた右眼に、強烈な電光がさして来て、私は急いで瞼をおろした。眼が痛んだ。
「ははあ、少し無理をしましたね。」
 と若い医者は言つて、瞼をひつくり返すと、二三滴、薬をした。そして四五日休みなさいよと言つてくれた。たつた二三夜無理をしただけでもう充血したりするとすれば、私の眼もどうやら暗い方へ近づき始めたのであらう。盲目の世界がどつと眼の前に現はれて来たやうに思つた。眼帯をかけて貰ふと、私は片目になつて暗室を出て来た。
 部屋へ帰つて来ると、何時ものやうに机の前に坐つてみた。目ぐすりがしみて来て痛んだ。本を読むことも書くことも出来ないのでそのまま横になつたが、私はそろそろ退屈になつて来だした。バットを抜いて一本つけてみたが、煙はにがく咽喉にさして頭が重くなつた。
 飯を食へば机の前に坐り、書けなくとも昼まではじつとしてゐ、昼食後ちよつと散歩をしてまた机の前に坐つて夜まで過す、これが私の毎日の生活の全部だつたが、この単純な生活の中で本を読んだり書いたりしてはいけないとなると、私の生活は大きな穴になつた。私は部屋を出ると、花園の中などを歩いてみたが、空虚だつた。花は少しも美しくなかつた。立体的な肉感がちつともなく、凡てが平面的に見えた。花びらは、青や赤や黄の色彩だけが浮いて見え、何時もより小さく暗かつた。
 この病院へ入院してからの二年近くを思ひ浮べた。それも真暗な穴のやうに思はれる。片目になつたから何もかもがそんな風に暗く思はれるのだらうか――。しかし私はまだ明るさといふものを知らない。闇の夜に、強い風の中で私は幾度もマッチをすつて提燈の火をつけようとしたことがある。あれはまだ私が十四五の時であつた。マッチはシュシュと燃え上るとすぐ風に盗られて消えた。またすつてみるがまた消されてしまふ。それは風が消すといふよりも闇そのものが消すやうだつた。あんな可憐な光りでは、あの深くたくましい暗黒に対しては力が無いのであらう。シュシュと飛ばす火の子も悲鳴に近い。闇は平気で呑み込んでしまふのだ。
 しかし、考へてみると私は一生涯あの時のやうにマッチをすり続けるのであらう。消されても消されても、私は全力を尽してその小さな光りを守りとほさうと努力するのであらう。その二年近くの日々もやはりさういふ風であつた。私は幾度かその光りを見た。一瞬、私は私の眼にその焔を映した。しかしその度毎に私は更に一段と深い闇を識つた。小さな光りはあとかたもなく闇の奥に消え去つてしまふのだ。
 私は更に未来の自分を描いて見た。真夜中にふと眼をさましたやうな思ひであつた。ジジジジジジーと鳴るあの耳鳴り、花園の中でその耳鳴りが聴えて来た。あれは黒い闇そのものの音であらうか。いやあれは、闇が私の肉体を食ふ音である。水の中で徐々に※爛ばいらん[#「雨かんむり/誨のつくり」、60-3]して行く物質のやうに、黒闇に融解して行く私の肉体の音なのだ。私は闇を見た、闇を。私は昏迷し、花びらを※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)ぎ取らうとしたが、片目になつた私の手は見当が狂つた。私は空しく空間を掴んで顫へる自分の手を見た。
 退院したYの姿を思ひ出した。水面に落ちた油のやうに、癩を有つた彼は人間社会から遊離させられるであらう。
 果してさうであつた。
 三日たつてYからの手紙が着いた。
――牢獄を背負つて歩いてゐるやうなものです。かつて親しかつた人も、病院にゐた頃に同情を示してくれた人もみな敵です。敵は自分の体内にゐるといつた兄のお言葉も正しいが、しかしまた体外にもゐるのです。内も外も、みな敵ばかりです。癩者はボロ靴のやうに療養所といふごみ箱に捨てるのが人類の正しい発展となるのでせう。自分がボロ靴であることを意識しました――
 眼帯をはづして、私はその手紙を読んだ。充血した眼は、読み終るとジンジンと痛んだ。散歩に出ると、柊の垣の外を覗きながらYの手紙を反芻した。

 充血はなかなか散らなかつた。私は終日重い頭で暮した。片目になると太陽の光りまでも半分になつて、昼間でも夕暮の中を歩いてゐるやうな感じが抜けなかつた。私は苛々して眼帯を幾度もむしり取つた。その度に赤くなつた眼は光線におびえて涙を垂らした。
 私は幾度も鏡の前で瞼をむいて眼球を調べて見た。黒球たまの中までも赤くにじんで、ただれてゐるやうに見えた。夜になつて床に就くと、私は眠るのが恐しくなつた。眠つてゐるまにもう見えなくなつてしまつてゐるかも知れないからである。細い糸を引いて天井からぶら下つて来た蜘蛛を、その時私は見つけた。薄暗い部屋の空間で、支へるものもなく揺れてゐる。じつと見てゐて、ぞうつと私の背すぢは冷くなつた。私は空中にぶら下つた縊死体を連想したのだ。私の精神は疲れてゐた。

 Yからの通信はその後なかつた。彼のことを思ひ出すと、私の心は曇つた。
 私は根気よく眼科へ通つた。ある日、久しく会はなかつたC子に出合つた。彼女は待合室のベンチに盲人達と並んで腰かけてゐた。彼女の眼は両眼とも、私の眼よりも赤くただれてゐた。
「どなた?」
 こつこつと彼女の肩を叩くと、彼女は私の方を振向かうともしないで、さう言つた。彼女の眼はもう光りを失つてゐるのであらうか、下を向いた瞼に、ガーゼを当ててじつとしてゐる。
「僕だよ。」
 彼女は驚いたやうに貌をあげると、
「まあ。」
 瞼を押へたガーゼをつて私を見た。まだ幾分かは見えるのであらう。私はそこで初めて彼女のただれた眼を見たのである。
 私が初めて彼女に会つたのは二年前である。私はまだここへ入院して間もなかつた。その最初の印象は烙印のやうに黒ずんだ焼痕を残してゐる。驚愕と悲嘆とに傷ついたその頃の私の神経は、深淵の底に坐つた少女の美しさに打たれたのだ。
 すすけた羽目と破けた障子がある。黝ずんだ天井は低く垂れ下つて、糸のあらはな畳の上に彼女は坐つてゐた。彼女と並んで六人の女の子が坐り、彼女等はみな各々めいめいが小さな罨法鍋を前にしてゐた。C子の眼はこの頃から既に光りを失ひ始めてゐたのである。彼女等は背を丸くして……
(未完)





底本:「日本の名随筆28 病」作品社
   1985(昭和60)年2月25日第1刷発行
   1996(平成8)年2月29日第16刷発行
底本の親本:「定本・北條民雄全集 下巻」東京創元社
   1980(昭和55)年12月発行
入力:遠藤貴
校正:今井忠夫
2001年1月22日公開
2006年4月5日修正
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