書けない原稿

北條民雄




 今日は二月の二十七日だ。夕方から雨が降り出して、夜になるとますます激しくなつて、机の前に坐つてゐると、びしよびしよと雨だれが聴えて来る。時々風が吹いて、どこか遠くの方で潮鳴りでもしてゐるやうな工合でひどく憂鬱だ。雨の音といふものは妙に淋しくなるもので、しかし考へをまとめるのにはなかなかいいものだ。それに僕は雨の多い国に生れたせゐか、どうも雨といふやつが好きでならない。夏の雨、冬の雨、春の雨、何時の雨でもその季節季節の味ひで頭を、まるで何か気持の良い温か味のある綿のやうなもので包んでくれる。だから雨の降る日には何時もの二倍くらゐ、ものが書ける。いや書けねばならない筈なのだ。
 ところが、今夜はどうだらう、丸で書けないのだ。子供といふものは僕は元来好きだし、はね廻つたり、悪戯をしたり、小さな、(二字空白)のやうな唇で生意気な大人のやうな口を利いたりするのを見ると、もう堪らなくなるくらゐだ。それだのに、何といふことだ。子供のこととなると全く何も書けないのだ。光岡君から何か書けと言はれてからもうかなり日が経つし、それに締切も近いので(おまけに都合よく雨さへ降り出したので)今夜こそは書かねばなるまいと思つて机に向つた。そこまではよかつたのだが、さてなんにも書けない。僕は独語を言ふ癖がいくらかあるので、実は、さつきから雨の音を聴きながら「弱つたなあ」「弱りましたなあ」「なあんて困つたこつたか」などと呟くばかりであるといふ始末だ。
 実際、子供のことは書けない。とりわけ癩院の子供たちを眼の前に浮べながら書くとなると、全くのところ弱つてしまふより他にどうしやうもないのだ。病み重つて行く、あの子供たちを前に置くと、或はまた、土地から直かに生え出して来たやうな子供達を、空から突然降つて来た天使のやうな女の子を前に置くと、どうにも大人といふものの間抜けたしやつ面ばかりが明瞭になつて来るといつたところで、僕にはいささかの皮肉もないのだ。といふのは、嘘のないところ、僕自身の阿呆面が見えるのだ。さういふ僕自身を見る時の、なんと空々しいことか。
 そりや、子供たちに「眼のつけどころ」を教へたり、「太陽」のお話をしてやつたりするのは、誠に立派なことであり、またこれが子供たちへの愛情であり誠意であらう。それは僕みたやうなひねくれ者にも、もう一言もない。一言もないどころか、ひそかに敬意を払つてゐるのだ。しかしながら、それならお前もさういふものを書いたらどうだ、と言はれると、どうも弱る。強ひて書け、と言はれたら、まあさしづめ、「旅心」といつた風なものを書いて、雨の音でも聴いてゐるより致方もない。といつて、僕はこんな風な自分が好きな訳では決してない。といふよりも、こんな自分が僕は大嫌ひだ。大嫌ひであつたところで、勿論どうなるものでもない。
 そこで僕も何か書かう、と息ばつて、先づ本誌の古いのを引つぱり出して見たり、童話を二つ三つ眺めて見たり、しまひには『作家の日記』まで引き出して見るといふ始末だ。ドストエフスキーは馬鹿に子供が好きであつたとみえて、日記にも小説にも至るところ子供を描いてゐる。ところで、そんなものを読み出すと、もう何か書くよりも読んでゐた方がよつぽど気持が良いといふのを発見して、ペンを持つ気も起つて来ないのだ。特に子供たちの作品を見てゐると、ふうむふうむと感心し出して、こりや俺なんかの出る幕ぢやない、と思はねばならない破目に陥つてしまふ、そして結局独言を言ひながら、ぼんやり雨の音を聴いてゐることになつてしまふのだ。
 もう止してくれ、弁解ばかりするな、と誰かに言ひさうな気がする。実際これは書けない原稿の弁解に過ぎぬ。それは私も知つてゐる。しかし弁解でない言葉を最後に一つだけ書きつけて置かう。無論僕なぞの言葉ぢやない。ドストエフスキー『カラマゾフの兄弟』の中にある言葉だ。
 ――「怒り!」「全く怒りでございますな! ちつぽけな子供の中にも偉大なる怒りがありますて。いえ、あなた方ぢやなくて、わたし共の子供でございますよ。つまり人から蔑まれてゐても、潔白な子供の心は、もう九つくらゐの年から地上の真理を知りますよ。」――





底本:「定本 北條民雄全集 下巻」東京創元社
   1980(昭和55)年12月20日初版
入力:Nana Ohbe
校正:伊藤時也
2010年9月12日作成
2011年4月15日修正
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