牧場の音楽師

北條民雄




 夕方になると、私はなんとなくじつとしてゐられないので、定つて散歩に出る。ぐるりとこの病院内を一巡りするのであるが、一体もう幾度同じ所を同じやうに巡つたことだらう。気分の重い時や、腹立たしい時は、何時も見て知つてゐる風景ばかりなのでひどくうんざりしてしまひ、空に流れてゐる白い雲にまで毒づいてみたくなる。高い所へでも登つて見ない限り山も見えず、海は勿論、清らかな小川の流れさへも眺めることの出来ないここでは、ただ一面の雑木林と畑地と空とだけが、何時でも視界の全部なのである。毎日平均一回づつ巡るとしてみると、一年には三百六十五回になる。たいていうんざりせざるを得ぬ。
 しかし、それでも、自分の思はくがうまい工合にはこんだり、書いてゐるものが思ひ通りに書けて、快い疲れに頭がつつまれたりしてゐる時には、空の変化がひどくなつかしいものになり、林の梢に鳴る風の音に、ほのぼのとあこがれを感じたりする。
 とりわけ夏の夕暮れは良い。空が赤く焼けて、燃えるやうな雲がたな引き、地上には木々の青葉があからんで、林の深さを思はせ、その中を吹き出して来る風が胸の中に流れ込んで来る。さういふ時には私は激しい意欲を感じて、足に力を入れながら歩いて見る。遠く雑木林の果にむくむく盛り上つて来る夕立雲の内部で、稲妻が飛び始めると、あたりはだんだん暗がつて来る。
ああ月の座の雲の銀
……雲はまばゆく奔騰し
  野原の遠くで雷がなる……
……樹は中ぞらの巻雲を
  二本ならんで航行する……
……樹は天頂の巻雲を
  悠々として通行する……
(宮澤賢治)
 などと口ずさんでみたくなるのだ。

 コースはたいてい定つてゐるが、その牧場も私のコースのうちにあつて、私はいつも柵の横を通るのである。牧場といふとひどく大げさであるが、牛は六七頭しかゐない。みなホルスタイン系の乳牛で、その乳は重病室の患者達に飲まされてゐる。この中には東洋一と折紙のついてゐる名牛もゐるさうで、名前は、ジョハナ・インカー・メー・バートルハイム号、ホルスタイン純血だと牛舎の人達は誇つてゐる。
 二三日前の夕方、納骨堂のあたりで暫く雲を眺めてからそこを通ると、Y君が私を呼んで、牛乳を振舞うてくれた。冷いのを、私は湯呑にすくつてがぶがぶと飲んだ、その時彼は、夕陽を浴びながら草を食んでゐる牛を指して、
「あの中でどの牛が一番好いかね。」
 と訊くのであつた。私は牛のことなど勿論判らないので、一番毛並の良く、艶の優美なのを指してみた。すると彼は、
「あれがジョハナ・インカー・メー・バートルハイムだよ。」
 と教へてくれた。やつぱり名牛になると、どんな素人にも判るのに違ひない。
 Y君は通称を「楽長」と呼ばれてゐる院内の音楽家で、病気は神経型のやうである。
 彼の部屋は、いつでも牛糞の臭ひが溜つてゐるが、這入つて見ると、あちらに手風琴が転がつてゐるかと思ふと、こちらにはバイオリンが転がつてゐるといふ風で、なんとなく埋づもれた名音楽家を感じさせられる。
 昼間は作業に追はれて、楽器を手にする暇もないらしいが、仕事が終ると、プラタナスの青葉の下に造つた手製の露台の上で、手風琴を鳴らせ、バイオリンをひく。十七世紀を思は……
(未完)





底本:「定本 北條民雄全集 下巻」東京創元社
   1980(昭和55)年12月20日初版
入力:Nana Ohbe
校正:伊藤時也
2010年9月12日作成
2011年4月15日修正
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