余、さきに世間の俗論を退治せんと欲し、『
破唯物論』と題する一書を著ししが、哲学専門の学者は、これを評して非科学的となし、あるいは空想憶断となすも、世間一般の人士は、その論なお高尚に過ぎて了解し難しとなす。余、ここにおいて、『破唯物論』より一層通俗、卑近の説明を、世に紹介するの必要を感ぜり。その後、地方歴遊の際、某所において、死後霊魂の滅不滅いかんをただせらる。余、これに答えて、「よろしく『破唯物論』につきて見るべし」と。客曰く、「『破唯物論』は高尚幽玄にして、浅学の輩その意を迎うるに苦しむ。願わくは、通俗、平易に弁明せられんことを」と。余、すなわち有志の請いに応じて、一夕、霊魂の通俗談を試みたり。今、その考案を
敷衍して一冊子となし、題して『霊魂不滅論』という。世の専門学者、これを評して非科学的中の非科学的となすも、余があえて辞せざるところなり。
今日、学者をもって称せらるるもの、多くは高尚の理屈を講じて自らこれを楽しみ、その言うところ一般の人に通ぜざるをもって、かえって得意となす風あり。余はこれを学者の利己主義と名づく。いやしくも世の学者たるものは、広く世人を教化するをもってその任となすものなれば、己の知るところは、広く人をして知らしめ、己の楽しむところはまた、広く人をして楽しましめざるべからず。これ、いわゆる学者の博愛主義なり。しかるに、高尚の学理を通俗化すれば、自然に非科学的となる傾向あり。これまた、勢いの免るべからざるところなり。しかして余は、たとい非科学的なりとの批評を招くも、その利己主義に陥らざらんことを望む。請う読者、これを了せよ。
古来、人の最も深く怪しみ、かつ切に知らんことを欲するものは霊魂問題にして、その問題たるや、生死の迷いのよりて定まるところなり。ゆえに、学者もしこの迷いを定むるに至らば、実に博愛の大なるものというべし。ここにおいて、余は自ら信ずるところを通俗的に解説して、広く世の迷い人に諭すところあらんとす。もし専門の学者、いな利己的学者に対しては、他日、別に一論を草して大いに雌雄を争わんと欲す。読者、あわせてこれを了せよ。
明治三十二年二月一日
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近年、西洋学の流行に伴って、近眼の者がにわかに多くなりしは、なにびともよく承知していることなるが、肉眼ばかりの近眼でなくて、心眼までが近眼になりたるは、実に驚き入りたる次第であります。その一例は、世間の霊魂論について分かりましょう。まず、世間にて少々物知り顔を装っている連中は、十人中九人まで、霊魂は肉体とともに滅し、死後の世界は決してあるべからず、天堂地獄の説は妄談である、
六道輪廻などは
嘘八百を並べたるものである、釈迦は嘘つきの隊長、ヤソも詐偽師の親方のように言い触らし、人間は一生五十年の間さえ都合よくごまかせば、それにて足れり、宗教などは野蛮未開の遺物、愚夫愚婦の
玩弄物にほかならず等と申しています。これは全く当人の心が近眼病にかかりて、死後までを見る力を失っているからであると考えます。もっとも、その連中の仲間には俗物もあり学者もありて、俗物の方は元手なしの議論であるから、かれこれ
弁駁するまではあらざれども、学者の方はいやに
屁理屈を並べ立て、もっともそうに見せかけるから、そのままに捨て置くことはできませぬ。しかし学者は、霊魂はない、未来はないというまでにて、己の道徳、品行を乱すようなる恐れはあらざれども、俗物の方は、死後の世界も賞罰もないのを幸いとして、人間は政府の法律に触れなければ、道徳や品行などはどうでもよいと心得ているから、これまた捨て置くわけに参りませぬ。そうしてみると、学者も俗物も、ともに
一征伐せなければなりませぬ。されば、これより拙者は、俗論退治の大
団扇を心の土蔵中より取り出して、これらの
蒼蠅を一掃してやりましょう。なんと、時節がら愉快のことではありませぬか。もし拙者の
御伴するものがあるなら、
吉備団子の一つくらいは差し上げてもよろしい。
かく拙者が近眼連中を征伐するのは、あえて仏教のために弁護の労をとるわけでもなく、ヤソ教のために応援する次第でもなく、儒教のためでも神道のためでもなく、ただ拙者は、この問題たるや、国民の道徳、社会の風教に関するすこぶる重大の事件にして、国家の独立興廃にも影響する一大事なれば、決して軽々しくみすごすべからざることと思い、真理のあるところはどこまでも推し究めて、世間の俗論輩と一大決戦を試み、刀折れ矢尽くるまで相争う決心であります。まず最初は俗物、無学の連中を相手として論じ、つぎに学者、理屈家を相手として論じましょう。今、これを論ずる前に、一応お断りをいたしておきたいことがあります。それは別儀にあらず、霊魂の不滅を論ずるには、死後の世界の有無も、地獄極楽の有無も、ともに論ぜざるを得ざれども、これただ現世の道理をもって推し測るよりほかなく、到底拙者のごとき人間なみの者が、その実況をまのあたり人に示すことはできるはずはありませぬ。たといその真情を実視したる神や仏にても、人間に対してその実際を説くことは、あたかも盲人に向かって色の講釈をすると同様なれば、これまた望み難いことである。そのわけは後に説明するつもりなれども、あらかじめ承知あらんことを願います。
俗物連中の霊魂滅亡論を分析してみれば、いろいろ役にも立たぬ理屈を並べて、霊魂はこの身この体とともに滅亡するに相違ないと申しております。その一つの理屈は、人の死後、果たして霊魂の滅せざるものならば、必ず音信のあるべき道理である。しかるに、古来いまだかつて、亡霊亡魂よりなんらの便りを得たる例ありしを聞きませぬ。これ、霊魂の存せざる明らかなる証拠であると申しますが、かくのごときは子供だましの論法にして、大人の笑い草に過ぎませぬ。ゆえにこの論に対しては、あいにく死後の世界と現在の世界との間には、鉄道も電信もなく、郵便、交通の便も開けておらざれば、音信をいたしたくも、その道がないと答えておけばよろしい。
畢竟、俗物連中は、現在の世界と死後の世界とは、その事情同一なるように考えておるから、かかる誤りたる論を立つるに相違ない。しかるに、死後の世界は全く別世界にして、現在の世界と大いにその関係を異にするを知らば、亡者よりなんらの音信なきは、あたかも色の世界の実況を、耳管だけそなえたる動物に伝うることができぬと同様にして、決して怪しむに及びませぬ。もっとも、俗物には俗物の相手がありて、その者の申すには、「亡者の通信はたしかにある。その証拠は、なにがしは死後たびたび幽霊となりて人の目に現れ、たれがしはその友人の夢に入りて通信を与えたり」等と称し、あるいは古来伝うるところの種々の感通談、奇怪談を並べ立てて、霊魂不滅論を証明せんとつとむるものがありますが、これは実に驚き入りたる次第ではありませぬか。その連中の話を聞けば、人の死するときには、その亡霊が必ず己の寺へ
参詣して、あるいは深夜、人なきに戸を開き鐘をたたき、あるいは他人の
臥したる上を圧し、あるいは自ら知己、朋友を
訪うなど、途方
途轍もなき俗説を述べ、霊魂不滅の証拠なりなどといいふらすには、実に迷惑千万と申さねばなりませぬ。よしや現に幽霊を見たる人ありとするも、そのものは真の幽霊ではない。真の幽霊は目に見えぬ道理である。もし目に見えるものならば、幽霊といわずに顕霊と申すはずである。幽の語たるや、不可見を義とすることを知りませぬか。それゆえに、右ようの俗説は、一として霊魂不滅の証拠でなく、かえって邪魔物であります。要するに、人の霊魂は死後永く存在するも、耳目等の感覚世界を脱して、精神の本境に入るものなれば、我人再び目をもって見るべからず、手をもって触るるべからず、いわんやその世界より通信を得んとするがごときは、到底望むべきことではありませぬ。
また俗物輩の申すには、死するは夜は入りて眠りに就くと同様である。眠りはなおさむることあるも、死は永くさむることなく、睡眠中はなお身体の活動を有するも、死後は全くその活動を失うこと明らかなれば、人の死するは眠るよりも、一層、不覚無識の境遇に入るに相違ない。換言すれば、人の死後はその霊魂永く暗黒に帰し、土石と同様に意識の光明を失うに相違ない。さすれば、霊魂は肉体とともに滅亡すと断言してよろしいと論ずるものあれども、これ決して霊魂滅亡論の証拠にはなりませぬ。もっともその論は、前の俗論に比すれば、一歩を進めたるものなれども、学術上の立論とする価値のなきものであります。第一に、人の死するときには、霊魂は意識の光明を失って暗黒に帰すとするも、霊魂そのものは依然として存する道理でありましょう。例えば、電気灯がときどきその光を失うことあるも、電気そのものの滅したるわけではないと同様である。もし、人の死を睡眠に比することを得るならば、ひとたび暗黒界に入りたる霊魂が、再び
醒覚して意識の光明を発すべしと考うることもでき、古代、人間の一生を夢に比し、死は夢のさむるときなりと申したる論も成り立ちましょう。かつ、たとい死時にはひとたび不覚の境界に入ろうとも、再び醒覚するときなしと断言することはできませぬ。ことに拙者なども、霊魂は死後、一時不覚の状態に帰するものと信じております。ただ、一定の時間を経過したる後、再び醒覚することあるべきを信ずる次第であります。その理由は後に譲りて、ここでは説明しませぬ。
また俗物連中は、人間の一生は煙の現じ雲の浮かぶがごとく、その死するは煙の滅し雲の散ずるがごとく、死後の霊魂は肉体とともに朽ち去りて滅亡するに相違ないと申します。これ別段理由も道理もなく、ただ一場の
比喩に過ぎませぬ。その上にこの論は、かえって霊魂不滅を証拠立つることになります。なんとなれば、雲煙はひとたび散じてその形を失うも、決して真に散じたるにあらざれば、他日さらにその形を現ずることがあります。ゆえに、もし霊魂をこれに比するを得ば、死後再びこの世界に、その作用を現ずることありと断言してよろしい。かつ俗物連中も、世界の事々物々は一として真に滅するものでないことは、万々承知しておらるるに相違ありませぬ。その証拠は、己の財布に十円札を入れておきたるに、翌朝その中に見えざる場合には、なんと申しますか。必ず人に盗まれたるに相違ない、なぜなれば、いったんありしものが、なくなる道理はないからと申しましょう。これ、ひとり財布の中の金ばかりでなく、一切の事物に通じている規則であります。もし、これを学術上の言葉にて申せば、有を転じて無となすべからず、無を化して有となすべからずということになります。この規則は、あらゆる学術のもとづくところの大道理なれば、いかに俗物の人たちが集まりてかれこれ申したとて、この道理を動かすことはできませぬ。たとい鴨川は北に向かって流れ、太陽は西より出ずることがあろうとも、この道理だけは決して変わる気遣いはない。そうして見れば、霊魂は不滅なるに相違ありませぬ。なぜなれば、霊魂とは人の精神のことにして、精神は生時に実在していることは、だれも疑うものはありますまい。そのひとたび実在したるものが、死とともに滅するならば、これ有が変じて無となる道理なれば、宇宙の大規則にもとるではありませぬか。実に不都合千万の断言と申さねばなりませぬ。俗物連中が、財布の方にはこの規則を当てはめながら、霊魂の方にはこれを当てはめぬのは、俗物の俗物たるゆえんかは知らざれども、あまり目のない判断のように考えます。ゆえに、拙者は宇宙の大規則に従い、人の死するや、霊魂はひとたび散じて雲のごとく煙のごとく消滅し去ろうとも、その消滅すと申すは、人目に触れぬを意味するまでにて、決して真に消滅する道理なしと確信するものであります。もっとも、哲学上にては唯物派と名づくる一派がありて、人の生時ですらも、物質の作用を離れて精神なしと論ずるものがありますが、この論は、生時においてすでに精神の実在を許さぬものなれば、死後に霊魂の実在を許さぬは、無を化して有となすべからざる規則にもとづくものと考えてよろしい。ゆえに、これは俗物輩の論とは同日の比ではありませぬ。今、左にその両者の別を列すれば、
俗物輩は、人の生時に精神ありて、死後に霊魂なしという。これ、有を転じて無となすべからざる道理に反す。唯物派は、人の生時に精神なく、死後に霊魂なしという。これ、有を転じて無となすべからざる道理に反せず。
右ようの相違があるから、唯物論の方は一理ありと許すも、俗物論の方は気の毒ながら、決して許すことはできませぬ。しかし、唯物論も不合理の俗論なることは、後に至りて説明するつもりであります。
これと同じ道理にて、俗物連中がつねに、霊魂は肉体とともに滅亡すと申すけれども、肉体は死後、朽ちて土となろうとも、焼けて灰となろうとも、決して滅することはありませぬ。これも、有を転じて無となすべからざる大原則にもとづくものにして、ただ年をへ、時を
経る間に、その状態を変ずるまでであります。もし、霊魂は肉体とその存否をともにするものならば、肉体の不滅なること明らかなる以上は、霊魂また不滅と申さねばなりませぬ。その論理は左のとおりであります。
霊魂は肉体とともに生ず。
しかるに、肉体は死後永く不滅なり。
ゆえに、霊魂もまた死後永く不滅ならざるべからず。
要するに、俗物の霊魂滅亡論は、かえって不滅論を証明することになりますから、俗物の人たちに向かって、御苦労千万の一言を呈さねばなりますまい。
俗物連中の霊魂説も、だんだん進みて多少理屈めきたる論を立つるものがありますが、その一つは、人の死するときに精神すなわち霊魂の滅するは、あたかも灯火の滅すると同様であると申します。この論によれば、人の生時にありて身体中に精神の存するは、あたかも灯心に油を注げば、灯火の光を発するがごとく、人の死時に精神の滅するは、あたかも油尽きて灯火の滅するがごとく、精神はこれを灯火に比し、肉体はこれを灯心に比する説であります。この説は前に述べたるものよりは、一歩も二歩も進みたる論にして、さきのいわゆる有を転じて無となすべからざる原則に背きておりませぬから、俗物輩の立論としては、あっぱれの上出来と申してよろしい。しかしながら、その論は唯物論を根拠とし、精神を物理作用と同一視したる論なれば、不合理の立論たることはいうまでもありませぬ。第一に、人体の精神におけるは、灯心の灯光におけるがごとしというは、一種の
比喩に過ぎざれば、さらに一方の理を推して他を測ることができるゆえんを証明せねばなりませぬ。もし、その証明のなき限りにおいては、彗星の見ゆるは国乱の兆しなりと判断する百姓論法と、同一種のものであります。たといその証明は効力あるものと許すも、灯心と油とを合すれば火を発する力あることは、灯光の明滅にかかわらず、その理は依然として存するに相違なきがごとく、肉体の組織ひとたび破るるとともに、精神ひとたび滅するも、肉体の組織再び成るとともに、精神再び生ずべき理は、必ず存することと定めねばなりませぬ。もし、他の例に徴するに、木と木とを
揉み合わすれば、火を発すること実事なる以上は、その相合せざるときにも、火を発すべきゆえんの理を具することは、打ち消されぬ道理である。これと同じく、肉体の組織相合するときに精神作用を現ずる以上は、その組織破れて各部分の分解するに至るも、精神作用を生ずべき理は、依然として存するに相違ないと考えます。しかし、このことは唯物論に対する答弁なれば、後に学者相手に論ずるときまで見合わせる方がよろしい。
俗物輩の霊魂論は、一般にひとり死後の存否のみを論じて、そのよってきたる本源を窮めざる風がありますが、これは俗物の俗物たるゆえんと申せば致し方なけれども、決して道理上の説明とはいわれませぬ。およそなにごとでも、その道理を窮めんと思わば、まずその本源を知り、さらにさかのぼりて本源の本源を明らかにせねばならぬわけであるから、霊魂の問題も死後のいかんよりは、人のはじめて生まるるときに、いずれより来たり、いかにして生じたるかを知ることが肝要であります。もし、われわれの霊魂は父母から伝わるとすれば、父母の霊魂はいずれより湧き出でたるや、父母の父母はいかん、そのまた父母はいかんなどとさかのぼりて、結局、人間の祖先はもちろん、天地万物の本源、実体いかんを究め尽くさねば、霊魂問題は分からぬことになります。ゆえに、その問題は宇宙の大問題でありて、鹿島の
要石と同じく、底の知れない問題である。いな、要石の底は知れても、この問題だけは知ることがむつかしい。かかる広大の問題たるにもかかわらず、俗物連中は一、二の比喩を挙げ、一言半句で説き去りて、大いに分かりたるようにきめこんでおるのは、
諺にいわゆる「盲人蛇におじず」と申すものでありましょう。もし、果たしてそのくらいにたやすいことでこの問題が分かるようなら、東西の学者が数千年の久しき、思いを労し心を苦しむるはずはない。必ずや、早い昔に分かってしまうはずであります。俗物連中も、定めて孔子の言葉を記憶しておりましょうが、「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」といわれました。実にその言のごとく、死後のことを知る前に、生時のことが分からねばなりませぬ。しかるに、生時のことの分からない連中に、死後のことが分かる道理がありましょうか。これらの連中は、みな孔子様のおしかりを受けるに相違ない。
また、俗物の人たちが申すには、「死後のことはわれわれの力で分からぬなら、霊魂の有無ともに分からぬ道理である。もし、有無ともに分からぬならば、その結果霊魂なしときめても別に差し支えはない。かつ、死後霊魂の復活あると定めても、その復活世界にありては、現在世界のことは全く分からぬに相違ない。もし、そのことが分かるならば、仏教にては過去世界のあることを説きますが、現在世界において前世のことが知れるはずである。しかるにその知れざるは、未来にありて現在のことが分からぬ証拠である。そのように霊魂は三世の間に不滅でありても、意識および記憶の連絡が全くないなら、現世の霊魂は肉体とともに一代限りのものと定めて、
毫も不都合はありませぬ」と。これまた一理あるようなれども、その実、似て非なるものであります。
第一に、われわれの力で死後の境遇いかんを明らかに知ることはできないけれども、霊魂は三世にわたりて不滅なるべき道理は必ず分かります。また、死後にありて今世のことが知れるか知れぬかは別問題にして、最初に不滅問題を決して、後に論ずべきものなれば、霊魂滅亡論の口実とはなりませぬ。もし、記憶の連絡の有無を論ずるに至りては、なんぞ現在世界と未来世界との間のみでなく、現世一代の間にも記憶の連絡はおぼつかない。われわれの記憶中には、十歳以前の幼時のことは暁天の星のごとく、かすかに二、三を想起するに過ぎませぬ。いわんや五歳以前のことに至りては、全く無記憶と申してよろしい。今より幼時を回想すれば、子供の間は年中眠りてばかりいて、二、三年目にわずかに一、二度くらい目をさませしかのごとくに考えられます。これ拙者ばかりでなく、だれも同様であろうと思います。世間にて仏教の三世説に対する俗難中に、過去世界の存せざる証拠には、己の心中をなにほど尋ねてみても、さらに前世の記憶を見いださぬではないかと申しますが、拙者はこれに対して、己の記憶に考えて知れないことは、すべてないものときめてよろしいならば、一、二歳の赤子のころ、および母の胎内にありしときのことは、記憶上に覚えがないから、余は母の胎内に宿りしことはない、一、二歳の赤子のときもなく、空中より急に飛び出して、すぐに五、六歳以上の童子になりたるに相違ないと定めてよろしい道理であると答えております。これは三世の実在についての問答でありますが、その論点は、人間一生中ですらも、記憶の連絡はおぼつかないのに、現世と来世との間の連絡は、むろんおぼつかないと申す立論であります。この理を推して考うれば、記憶の連絡がないから霊魂は一代限りのものと定めてよろしいと申すのは、不道理なることが分かりましょう。換言すれば、記憶の有無にかかわらず、霊魂そのものが不滅である以上は、決して滅亡論と同一視すべからざるは、むろんのことと考えます。
またここに一論ありて、死後の世界の有無は、いまだいずれとも決し難ければ、これをありとして余計の心配するよりは、むしろこれをなしとして安心する方がよろしいと申しますが、これも俗物論の一つである。まず、その論の不都合なる点は、人の安心は死後の世界の存するによりて得らるるか、なきによりて得らるるか、拙者はこれをなしとする方、かえって人に不安心を与うることと考えます。もっとも、悪人は来世のない方を喜びましょうが、いやしくも寸善尺徳をなしたる記憶あるものは、来世の存するを聞きて安心するに相違ない。よしその問題は別論として考うるも、未来世界の有無いまだ判然せざるに、強いてこれをなしと定めたならば、かえって不安心となりて、余計の心配を引き起こし、もし、これをありと定めたならば、必ず安心することができましょう。その例は、晴雨の判然せざる日に旅行するに、これを雨天と定めて雨具の用意して出ずると、晴天と定めてその用意なきと、いずれが安心なるやと問わば、だれも雨天と定めたる方安心なりと申すに相違ない。今はこれと同じ道理であります。
以上、数回を重ねて述べたるところは、俗物連中の「盲人蛇におじず」的の論法をもって、死後の世界を否定し、霊魂の滅亡を主唱する要点を挙げて、一とおりの
弁駁を試みたるつもりであります。今、その点を一括して示さば、
第一は、死後、亡者よりなんらの音信なきこと。
第二は、人の死するは、夜に入りて眠りに就くがごとく不覚無識となること。
第三は、霊魂は雲のごとく散じ煙のごとく消すべきこと。
第四は、人の死は灯火の滅するがごとくなること。
第五は、霊魂の有無は人力をもって知るべからざること。
右の五カ条に帰しましょう。よって拙者は、これに対する一応の答弁は述べましたれども、だんだんその論を推し究むれば、学術上のいわゆる唯物論となりて、今日の学者間に行わるる霊魂滅亡論と一致するようになりますから、くわしき答弁は後に至りて述べましょう。その他、俗物連中より未来世界の地獄極楽説に関しては、いろいろの盲評を与うるものあれども、その価二束三文にも当たらざれば、いちいち答弁する必要はありませぬ。その一例を示さば、地獄の鬼はみな虎の皮の
褌を締めているが、その皮はいずこより得てきたか、地獄の
釜はいずこにて造りしか、
閻魔の衣服はシナ風なるはいかん、極楽の仏は池中の
蓮華の上に座するが、もし、蓮華が折れて池中へ落ちたならばいかん等の愚論でありますが、かかる愚論は多少知識のある者のとらざるところなれば、その言うとおりに任せておきて差し支えはありますまい。もっとも、従来の仏教家はこの愚論にいちいち答弁して、かえって愚論に愚論の上塗りをしているのは、実に
憫然の次第に思われます。すべて地獄極楽の
荘厳形容にわたりたることは、その苦楽の一端を知らしむるために、われわれの感覚に訴えたるものに過ぎざれば、これもとより枝末のことにして、これをかれこれ評するものも、またその愚評を相手として弁明するものも、ともに愚論の仲間に入ることになります。ただ、ここに一問題として争うべきは、死後の世界に地獄極楽のごとき苦楽の両界が、果たしてあるべきやいなやの一論でありましょう。ここにおいて、霊魂問題が二様に分かれます。
第一は、霊魂は不滅なりやいなや。
第二は、もし不滅とすれば、地獄極楽のごとき苦楽の両界存すべきやいなや。
この二題に関係して、仏教のいわゆる
三界流転、
六道輪廻説の一問題も起こりましょう。以上、相合すれば都合三問題となりますが、拙者はこれより学理上、霊魂不滅を説きて、ようやくその第二、第三問題に及ぼすつもりであります。
従来、仏者が俗物相手に弁護するところを見るに、実に
捧腹にたえざることが多い。その一例は、ただいまの第二問題につきては、越中の立山に火気を噴出する場所あるは、地下に地獄の存する証拠なりといい、
在昔何国のなにがしは、いったん絶命して再び蘇生する間に、あるいは極楽を見、あるいは地獄を
訪うて帰れりといい、また第三問題に対しては、死したる子供を葬るときに、その足に
墨を印しておけば、必ずそのつぎに生まるる子の足に同じ印を持している。これは再生の証拠なれば、人間は幾回もこの
娑婆に生まれてくるに相違ない。六道輪廻もこの例によりて分かるといい、奇々怪々の妄談を集めきたりて、弁護するように見受けられまするが、これはかえって仏教のために迷惑千万の次第であると考えます。ゆえに拙者は、ただいまの第一問題はもちろん、第二、第三に答うるにも、すべて今日の学理に照らして弁明するつもりであります。
これまで述べきたりしことは、俗物連中の不学無識輩の難問に答えたるまでなれば、格別の理論も説かざりしも、これより学者連の屁理屈に対して弁明するはずなれば、多少の理屈を並べなければなりますまい。さて、今日わが国にありて自ら学者、大家をもって任ずる人たちは、過半どころではなく、十人中九人までは霊魂滅亡論者ならんと考えます。もっとも、霊魂の解釈いかんによりては、不滅論に帰する人もあろうかなれども、神道や仏教やヤソ教のごとき、古来の宗教上にて立つる霊魂説に対しては、みな反対論者ならんと察します。しかして、その論の詳細に至りては、十人十色なるべきをもって、これを一概し難しといえども、もし、その多数の傾向を見れば、唯物無心論にもとづくと申してよろしい。よって、最初に唯物論の一端を説明せねばなりませぬ。
さきに述べたるがごとく、俗物論と唯物論とは往々一致するところあれども、また大いに異なるところあれば、左にその異同表を示しましょう。
第一に、甲(俗物論)は不学無識の俗物連の唱うる霊魂滅亡論にして、乙(唯物論)は多少の知識学問を有する学者の唱うる無心論なるの別あり。
第二に、甲は生時に精神の実在を許して、死後に霊魂の不滅を否定し、乙は生時、死後ともに肉体の構造組織を離れて、精神、霊魂の存在を否定するの別あり。
第三に、甲は単に死後霊魂の滅亡を説くのみにて、毫もその起源由来につきて論ぜず、乙は唯物無心の原理より、広く万般のことを論ずるの別あり。
かくして、まず唯物論の大要を述ぶれば、この世界には物と心と並び存することは、だれも承知しているところなるが、この物と心との二者ともに実在せりと立つる論を、哲学上にては物心二元論と申します。通俗の霊魂不滅論者はもちろん、俗物の人たちはみな二元論者に相違ない。たとい霊魂滅亡論を唱うるにもせよ、生きている間は肉体と精神とともに存することを許す以上は、二元論の仲間であります。しかるに、この物心二元の本源、実体、および二者の関係を論ずるに当たり、だんだん推し究めたる結果、ついに二元ではなく一元であると申す論が起こりました。その一元論中にも、細別すれば幾とおりの学説もありて、あるいは神をもって二者の本源とし、あるいは
真如をもってその実体とし、あるいは物質をもって精神の本拠とし、あるいは精神をもって物質のおおもととする等、いちいち数え尽くすことはできませぬ。しかして、この物質をもって精神の本拠とする論を唯物一元論と称して、物質のほかに精神なく、精神は物力の変態に過ぎざるように申します。これに反して、精神をもって物質のおおもととする論を唯心一元論と称して、精神のほかに物質なく、物質は精神の現象に過ぎずと申します。
この唯物論と唯心論とは古来の大敵手にして、互いに相争ってやまざるは、決して今日の自由党と進歩党との争いの比ではありませぬ。今、わが国に伝来せる神、儒、仏三道は、唯物とも唯心とも判定し難きも、やや唯心論に近き方にて、なかんずく仏教は一種の唯心論と申してよろしい。しかして、拙者も唯心論の一派なれば、唯物論とは積年の敵味方の間柄であります。よって、拙者は神、儒、仏三道の諸君とともに、あくまで力をあわせて唯物論の内閣を打ちこぼち、唯心内閣を造らねばなりませぬ。なかなかその困難は、
藩閥内閣を打ちこぼつよりは一層むつかしかろうと思います。なぜなれば、今日の唯物論はその本城を西洋の学術社会に置き、百科の理学を己の砲台としてその根拠を守る上に、わが国の中等以上の少々学問
髯の生えたる連中は、多くその方に味方しておることなれば、これを攻撃するの困難はいうまでもなきことであります。しかれども、いかなる
勁敵たりとも、
毫も恐るるに足らざることなれば、これより手に
唾して、唯物論者のとるところの無心論を退治してやりましょう。
およそ敵を倒すに二とおりの倒し方がありて、己の武器をもって敵を倒すは、倒し方の拙なるものにして、敵の武器を奪ってこれを倒すは、上乗の方であります。よって拙者は、唯物論者の武器を奪って、その根拠から打ち破ろうと思います。まずその武器を考うるに、彼は理化学の実験を本城とし、理学一般の原理たる物質不滅と勢力恒存との二大則は、その唯一の武器としてたのむところなるに相違ない。物質不滅とは、さきに述べたる有を転じて無となすべからずと申す規則とその意を同じくし、一切の物質は外面上にてはいろいろの変化を示し、固体は転じて液体となり、液体は化して気体となり、気体また変じて液体、固体となるも、その実、一分子、一元素たりとも、決して真に消滅することなしとの規則であります。また勢力恒存とは、物質の固有せる勢力も、あるいは運動となり、あるいは熱力となり、あるいは運動力となりて、いろいろの変化を呈するも、同じく不滅なりとの規則であります。しかして、勢力と物質との関係につきては、前者は後者に付属しているように考えておるのが、唯物論者の立て方であります。そのほか、唯物論者は物質の変化を論ずるには、必ず因果の規則を応用するをもって、因果相続の理法もその武器の一つなるに相違ない。よって拙者は、物質不滅、勢力恒存、因果相続の三大則をもって、唯物論のたのむところの唯一の武器なり砲台なり軍艦なりと定め、この三道具を取り出して唯物論を攻撃するつもりであります。
右、攻撃の進軍
喇叭として、前もって唯物論の誤解の一、二を述ぶれば、その論者、口を開けばすぐに物質のほかに精神なしと論ずれども、精神なくしていかにして物質の存在を知るであろうか。論者自ら徹頭徹尾、精神の光明の中にありて論じおるにあらざるか。その自ら物質として認めておるものは、精神の表象にあらざるか。それらの点につきてはさらに考察を下さずして、ただ物質より精神を現ずる一方のみを守りておるのは、
諺にいわゆる「頭かくして尻かくさざる」間抜け議論と申さねばなりませぬ。かつまた唯物論者は、最初より物質は実在せる真体なりと仮定し、その点につきてはさらに証明をも与えず、自証自明の真理のごとくにあがめ奉りておるのは、一種の拝物教と名づけてよろしい。唯物論者は今日の高等の宗教を排斥しながら、己は上古未開時代の拝物教の同類であるとは、さてもさても驚き入りたる次第ではありませぬか。その他、唯物論の不都合なる点は、すこぶる数多いことなれども、そは拙者の別に講述せる『破唯物論』の方に譲りましょう。
拙者などの唯心的眼光をもってみれば、われわれは生まれてより以来、精神の光気の中にこの世界、この物質を認めていることは、決して争われぬ真理である。もし、精神をほかにして世界を知らんとするは、己の手で己の体をあげんとするより、なお困難であると考えます。そうして見れば、唯物論者は、物質の前に精神の実在を認めておかねばならぬ道理である。しかるに、物質をもって精神の実在を否定するは、頭上へ靴をいただき、脚下に帽をうがつがごとく、上下転倒の立論たるを免れませぬ。かくのごとく、己の立論の不都合なるにもかかわらず、人の精神は脳髄中のどこに存するかを知らんと欲し、脳髄を分析していろいろ吟味すれども、物質、分子、元素のほか、さらに精神の存するを認めず。これ、物質のほかに精神なきゆえなりなどと断定するに至りては、一驚はおろか、百驚を喫せざるをえざる次第であります。そもそも精神は無形無質のものなれば、理学上の分析や試験で耳目に触るるはずはない。もしそれが分かるなら、鼻をもって音声を聞き分け、耳をもって香臭を
嗅ぎ分けることもできるはずである。もしまた、精神の所在を知ろうと思うなら、これを外に求めずして内に顧みればすぐに分かります。その精神の所在をたずねている御主人様が、すなわち精神であることが分かりませぬか。しかるに、他人の脳髄などを解剖して知らんと欲するがごときは、ある寝ぼけおやじが己に眼鏡をかけていることを知らずして、しきりに自分の左右を見回して眼鏡をたずねていると同様であります。唯物論者も、そのように寝ぼけていては困ったものではありませぬか。
さてこれより、唯物論の第一則たる物質不滅の理法につきて論ずるに、拙者は決してその理法を攻撃するどころではなく、かえってこれによりて霊魂説を立て、あわせて唯物論を排するつもりでありますから、唯物論者は物質のほかに精神なしと申すなら、仮にその説を真理と許して考うるに、物質すでに不滅なる以上は、われわれの肉体は生前と死後とにわたりて、
毫も増減生滅のあるべきはずはない。さすれば、その論はやはり霊魂不滅論となりましょう。なぜなれば、たとい精神は物質の作用にもせよ、物力の変態にもせよ、われわれの生時にありて精神作用の存することは、決して否定することができますまい。そうすると、物質の解釈の仕方によりては、精神は物質中に存するように考えてもよろしい。しかして物質全体が不滅ならば、その中に存する精神もまた不滅と考えて差し支えない。かく申さば、唯物論者は必ず答えて、「人の生時の精神は、別に一種の精神分子のごときものあるにあらずして、物質の作用に過ぎざれば、死時肉体が活動作用を失うと同時に、精神は滅するものである。いずくんぞこれを不滅と許すべけんや」というに相違ありませぬ。しからば、しばらくその説に従い、精神は物質の作用に過ぎずとして考うるも、物質の組織そのよろしきを得るに至れば、必ず精神作用を生ずることと定めねばなりますまい。すでにかく定めたる上は、人の死時ひとたび物質の組織破れて、精神の作用を現ぜざるに至るも、他日再び物質が適当の組織を有するに至らば、再び精神作用を現ずるに相違なく、もし前時と寸分も異なることなき組織を有するときは、前時と
毫もたがわざる精神作用を発するに相違ないと考えます。果たしてしからば、肉体死して精神ひとたび滅するも、これ真に滅するにあらずして、一時その作用を休止したるまでなりと解して差し支えない。換言すれば、いやしくも物質相集まりて精神作用を生ずる事実ある以上は、物質その体の中に常に永く精神作用を生ずべき理は、依然として存するに相違ない道理であります。よってこの説も、霊魂不滅論の一種と定めてよかろうと思います。たとい霊魂は不滅なりと申すも、永き年月の間常にたえず働くわけではなく、ときどき休止中絶するものと定めて差し支えない。すでに人の一生中にても、夜中熟眠のときはもちろんのこと、その他おりおり精神の作用を中絶することあるも、なお一生中は精神不滅なりと申すではありませぬか。さすれば、死後永くその作用を中絶することあるも、やはり不滅といってよろしいと考えます。かつ、ここに一例を挙げて示さば、若干の柱と石と壁と瓦とを結合すれば、一棟の住家ができる以上は、これを分解すると同時に住家の形を失うも、なおその若干の柱、石等の中には、一棟の住家を現ずる理は依然として存するに相違なく、他日これらを集めて再び結合すれば、再び同一の住家を見るに至る以上は、その理は永く柱、石の中に存すと申してよろしい。これと同じく、物質そのものの中に精神を再現する理を具する以上は、精神不滅の理は物質中に永く存すと申して差し支えなかろうと考えます。
唯物論者はさらにこれに答えて、「われわれの肉体はひとたび不滅に帰する以上は、決して再びその形を結ぶことなし」と申すかも知れませぬ。しかれども、仮に人身は甲元素何
匁、乙元素何匁、丙丁各何匁ずつ集まりてできるものと定むるに、無限の歳月、無窮の時間の間には、これと同一の割合をもって、各元素の結合することなしとは申されまい。これを天地自然の進化に一任するも、必ずかかる割合あるべき道理と考えます。例えば、シナの文字の五万も十万も数多き中から、二十八字を取り出せば、「月落烏啼
[#「烏啼」は底本では「鳥啼」]霜満
レ天、江楓漁火対
二愁眠
一、姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到
二客船
一。」(月落ち
烏啼いて、霜、天に満つ。
江楓漁火、愁眠に対す。
姑蘇城外、寒山寺。夜半の鐘声、客船に至る)の詩ができるとすれば、これを自然に任せても、無数回かかりて二十八字ずつ取り集むれば、必ず再びこれと同じき詩ができるに相違ない。この例に照らして、人の精神の再現を知ることができます。
唯物論にて物質より精神を現ずることを説くも、われわれの精神は器械的に造り出すことはできない。たといなにほど巧妙を究めたる技術師ありても、物質分子を集めて人間を製造することはできない。必ず親、祖先ありて、子々孫々の間に相伝えなければなりませぬ。そうして見ると、唯物論の主義を立つるには、まず物質中に精神作用を初めて現ぜし太古にさかのぼりて考うることが肝要である。ここにおいて、人間の先祖調べが始まります。かくして先祖の先祖を尋ぬるに、近来は一般に進化論をもって説明するようになりましたから、唯物論はむろん進化論を取るに相違ない。もし、進化論によりて考うれば、人獣動物は同一の先祖より分派したりと申すから、精神のおおもとは動物初発のときにさかのぼらなければなりませぬ。しかるにまた、動物と植物とその祖先一なりと申すから、生物全体の起源にさかのぼらざれば、精神の本家本元は知れない。かくして生物の本元に達すれば、さらに唯物論者は、「生物と無生物とはその起源一なり」と申すから、精神の本籍調べは、ついに太古未開の無生的物質中に考えざるを得ざることになります。かくして、精神は太古の物質中に存するを知れば、無生的物質の中に精神の
胚胎することが分かりましょう。もし、その胚胎なしとすれば、次第に進化開発してある程度に至り、精神を現出するはずはない。今、その進化の順序を表によりて示せば、
┌無機
原始的物質┤ ┌無感(植物)
└有機(生物)┤ ┌無知(動物)
└有感┤
└有知(人類)
右のとおりでありますが、果たしてこの順序を開発したるものとすれば、原始的物質の中には、精神も生活も感覚も知力も具存している道理である。さなければ、無より有を生ずるがごとき不都合が起こり、物質不滅の原理までに傷をつけるようになります。これによりて考うれば、人間の生死に関せず、物質中には常に精神を具することが分かり、これと同時に精神不滅のことが分かります。
かく申すと、唯物論者はさらに負け惜しみを言い出し、物質中に精神を具するという道理はない。物質進化すれば、途中より偶然精神作用を現出することあるのみと申すに相違ない。拙者はこれに答えて、梅の
種子が発育すれば、ある程度より葉を現じ、さらに花をあらわすを見て、この葉と花とは、最初の種子の中には具しておらないものとするか、しかるときは、無より有を生ずることになります。もし、無より有を生じ得らるるものならば、桜の種子にても大根の種子にても
芥子の種子にても、これを発育してその中より梅の葉や花を現ぜしむることができそうのものであるのに、そのできざるは、梅の葉や花は梅の種子の中に具していて、桜や大根の種子の中には具せざるゆえであります。この理を推しひろめて申せば、原始の物質中に精神を具していることは疑いありませぬ。かくして、原始の物質に精神を具することを知れば、今日の物質にも具する道理である。なぜなれば、原始の物質と今日の物質とは、物質そのものに不同がないからであります。また、物質不滅の理を推せば、原始の物質は原始より存在すといわねばならぬと同時に、その中に具する精神も、無始より存在すといってよろしい。なぜなれば、無始以来、太古の祖先より子々孫々相伝えて今日に至れる精神が、われわれの一生を限りとして滅亡するならば、始めなきものに終わりあることになり、物質不滅の規則に背くわけになるからであります。これを要するに、物質不滅の理確実なれば、これと同時に精神不滅の論が立つに相違ありませぬ。
かくのごとくだんだん論じきたれば、物質そのものはなにものなるやを究むることが、かえって先決問題となります。よって、ここに物質問題を提出いたしましょう。これを決するに、記名投票でも無記名投票でも構いませぬから、なるべく日程を変更して早く議してもらいたい。これを議されては、定めて唯物論は困るに相違なけれども、霊魂論を立つるには、ぜひこれが先決問題であります。唯物論者は最初より、物質は正真確実のものにして、一点の疑いをいれざるように信仰していますけれども、拙者などの唯心的方面よりこれをみれば、物質は奇々怪々、不確不実のものと考えます。そのゆえは、唯物論者に物質のいかんを尋ぬれば、若干種の分子もしくは元素より成ると答うるも、その元素たるや奇々怪々、不確不実のものにして、そのなんたるやはだれも知らざるところなれば、その形はいかに微小なるも、大怪物であります。そのものたるや、有形なるか無形なるかも明らかに知れませぬ。これを仮に有形とすれば、それ以上の分析もできる道理にて、元素の元素があるはずなれども、元素の元素に至りては一層分からぬに相違ない。しかし、その体なお有形とすれば、さらに分析分割のできる道理である。なぜなれば、有形とは広延を有するゆえんにして、いやしくも広延あれば、分割のできる道理であります。かくして再三再四、分割の上にさらに分割して、無数回の終わり最小至微の極点に達し、また分析することあたわざるに至れば、広延なきものとなりましょう。しかして、広延なきものは物質とはいわれぬから、その体、非物質性となります。そのわけは、物質の特性は広延を有するにほかならざれば、すでに物質にして分析の極み、広延なきに至れば、非物質となるよりほかなきはもちろんであります。しかるに、精神は本来広延なきを特性とするものなれば、物質にして広延なきに達すれば、精神と相分かつことあたわざるに至ります。これを換言すれば、物質分析の極み、精神と同じく無形に帰し、物心の二者その別を見ざるに至り、物質不滅の規則は変じて、精神不滅の規則となります。
かく論じきたるときは、唯物論者は必ずこれに答えて、「物質はなにほど分析しても、決して無広延に達する道理はない」と申しましょう。さすれば、その点はしばらく預りおきて、他の点より論ずるも、同じ断案に達します。そもそも物質の物質たるゆえんは、色、声、香、味、触の五種の性質を具するによることは、唯物論者も否定することができますまい。しかして、この五種の性質は、目、耳、鼻、舌、身の五種の感覚より生ずることは、また決して疑われませぬ。例えば、ここに一幅の絵画ありとせんに、その絵画は墨朱等の絵の具彩色より成るものなれば、彩色を離れて絵画はないと同様であります。果たして物質は五種の感覚の上に現立するを知り、感覚を離れて物質なきを知るに至れば、物質そのものに広延なきことが分かりましょう。かくのごとくだんだん推し究むれば、物質と精神との区別も判然せざるようになります。
かように論じ詰めても、なお負け惜しみの強い唯物論者は、「物質は広延なきに達しても、精神とは大いに性質上の相違がある。なぜなれば、精神はただ無広延であるのみならず、意識、思想をその特性とするものである」と申しましょう。この点に達すれば、物質問題は一変して勢力問題となります。ここにおいて、拙者は勢力恒存の規則にもとづきて、さらに霊魂不滅を論じましょう。
唯物論者は、精神は勢力の変態、あるいは勢力の進化のように説き、生活も感覚も意識も思想も、みな勢力の分化のように唱えますが、これに対しては古来いろいろの難問があるにかかわらず、とにかく一理ありと許すも、なお大いに解し難いことがあります。いったい唯物論者は「わが田へ水引く」流儀にて、元来物質崇拝宗なれば致し方はなけれども、勢力は物質の奴隷か臣僚のごとくに考え、なにもかも物質の本尊様へ結び付けようといたします。しかるに物質と勢力とは、その間は相離るべからざる関係ありて、物質を離れて勢力なく、勢力を離れて物質なしとは、実に理学の格言なれば、そのうちいずれが主人とも
居候とも下女下男とも申されませぬ。つまり、同等同権でありましょう。拙者の考えでは、この二者はその相離るべからざる点よりは同等同権なるべきも、もしその位次を論ずれば、勢力の方かえって主人にして、物質はこれに付随せるものと思います。これを
喩うるに夫婦の関係とひとしく、勢力は亭主にして主人の位置に立ち、物質は女房にしてこれに付随するものでありましょう。なぜなれば、だんだん物質を分析して見れば、結局、宇宙の大勢力の上にその形を現ずるに過ぎざることが分かります。そのことは、ただいまくわしく述べかぬるから、別に拙著『破唯物論』を見るがよろしい。その説によれば、宇宙の大勢力が活動して、この天地万物を開発するようになりたることが知れます。かくのごとく考えきたらば、肉体の死活によりて精神に生滅あるべき理なく、精神の本体たる勢力とともに、不生不滅なることは疑いありませぬ。たといそのように大仕掛けにして考えざるも、今日すでに勢力恒存の格言ある以上は、精神も勢力の一種なれば、これまた不滅といって差し支えありますまい。
しかし、拙者がかく申すときは、たちまち反対論を引き起こすに相違ない。そもそも精神は勢力の一種に過ぎざれば、勢力全体において不滅なるも、その一部分たる精神においては生滅する道理である。例えば、宇宙の進化上勢力分化して、ある程度より意識、思想を開顕するに至れば、これを指して精神と申すものなれば、その思想にして作用を止むるときは、すなわち精神の滅したるときであるという難問が起こりてきます。しかし、その難問は少しも恐るるに足りませぬ。元来、外観上目に触るるときは精神の実在を許し、触れざるに至れば消滅したるものと判断するは、極めて浅薄なる皮相の見解であります。世間にて、人間は木のまたから不意に出てきたとか、地から突然
湧き出たとか申す話があるが、五、六歳の小児はこれを聞いて、もっともとして信ずれども、少々物事の道理が分かるようになれば、なかなか承知いたしませぬ。もし、精神は人の生きている間だけ存在して、死したるときは目に触れぬから滅したに相違ないと申さば、五、六歳の小児相手の話に類するように考えます。すでに宇宙の勢力中に精神を開発すべき作用を有する以上は、すでに開発し終わりたる後も、なおその内部に精神の原力を有するに相違ない。今、物理学の用語をかりて申さば、勢力に潜力、顕力の二力ありて、外部に開顕せるものを顕力といい、内部に潜在せるときを潜力といいますが、人の生時は精神の顕力となりたる場合にして、その死時は潜力に帰したる場合でありましょう。かく解釈するにあらざれば、勢力恒存の理法の立たざるはもちろん、有を転じて無となすべからざる原則に背くこととなります。ゆえに拙者は、生活も精神もともに勢力の一種といえる説には、あえて反対するにあらざれども、勢力ひとたび分化して、生活なり精神なりを開発する以上は、その開発なきときにおいても、やはりこれを潜力として、その胎内に包有することを信ずるものであります。もし、この理を推して考うれば、われわれの精神は、太古宇宙の初めて活動したりしとき、すでにその胎内に潜在し、また他日われわれの死滅に帰し、世界の破壊する後にもその胎内に潜在し、無始の始より無終の終まで、無限の時間を経て決して滅せざることが分かり、仏教のいわゆる「
久遠劫来、
尽未来際」(久遠劫から、未来の
際の尽くる)まで、不生不滅なることが知れます。実に愉快も愉快も、このくらいの愉快は、空間を極め時間を尽くして、決してなかろうと考えます。
前述の道理が唯物論者に分かりかぬるのは、彼は平素、世界をもって、死物すなわち無生的物質の一塊と信ずるからである。よって、宇宙の活物たり霊体たるゆえんを説き示すことが肝要ならんと考えます。さて、唯物論者も、この宇宙が進化してこの世界を現じたることは、定めて疑いますまい。しかるに進化は、ほかよりゴッドのごとき怪物が来たりて促したるではなく、宇宙自らその体に固有せる大勢力によりて活動したるものである。換言すれば、自活自動の開発であることも必ず承知でありましょう。果たしてしからば、これを活物と名づけずしてなんと称するであろうか。死物たる点はいずれにあるか、目や鼻や耳があるばかりが活物霊体ではない。いやしくも己に活動の力を具して、自ら開発することを得る以上は、みな活物たるに相違ない。もし手近く例を取りて示さば、人間、動物は活物である。この活物はゴッドが造出したとせざる以上は、必ず宇宙自体より産生したとせねばなりますまい。すなわち、宇宙自体はわれわれ活物の親である。子が人間ならば親も人間、子が猿ならば親も猿であると同様に、子が活物なれば親も活物なることは、これまた決して疑われぬ道理である。そうして見れば、宇宙の活物なることは分かりきったことではありませぬか。すでにこれを活物としてさらに考察を下せば、活物中の霊体たることが分かります。人間はこれを動物に比すれば、霊体と称してよろしい。その霊体を産み出したる親は、一層の霊体に相違ない。ゆえに、宇宙は霊物中の最上完美の体と申さねばなりませぬ。かつ、われわれは天地万物を望むに、自然に霊妙の光景に接し、絶美の感想を起こすは、宇宙そのものの霊妙絶美と申すものでありましょう。また、われわれの精神の内を顧みるも、やはり
爽快絶妙の理想を蓄うることが分かります。これまた、宇宙そのものの真相たるに相違ない。かく内外より深く観察するときは、宇宙は最大の活物たるのみならず、絶妙の霊体たることは明らかであります。
すでに宇宙の活物霊体たるを知れば、それ自体に最大至高の精神を具することはもちろんなれば、われわれが有する精神は全くその一部分、一分子たることは、また疑われませぬ。これをわれわれの親として考うるも、われわれの精神はその一部分を賦与せられたるものと考えねばなりませぬ。この点につきては、われを推してかれを知り、かれを推してわれを知ることができます。果たしてしからば、われわれの目前に接触するところの天地の美観は、この大精神の光気なりと解するも差し支えありますまい。しかして、わが精神もその大精神の分子なれば、天地の美観は精神と精神との対合照応なりと心得てよろしい。さすれば、
妍々たる花容も
囀々たる
鶯声も、みな宇宙の大精神の照応にして、仏書にいわゆる「古松談
二般若
一、幽鳥弄
二真如
一。」(古松は
般若を談じ、幽鳥は
真如を
弄ぶ)とあるも、「渓声便是広長舌、山色豈非
二清浄身
一。」(渓声すなわちこれ
広長舌、山色あに
清浄身にあらざらんや)とあるも、「青青翠竹尽是真如、鬱鬱黄華無
レ非
二般若
一。」(青々たる
翠竹はことごとくこれ真如にして、
欝々たる
黄華は般若にあらざるはなし)とあるも、みなこの理を詠じたるものなることが分かりましょう。かくのごとく宇宙を観察しきたらば、人生五十年の歳月は、観天楽地の間に
雀躍抃舞して送ることを得、貧苦も病患もともに相忘れて、いながら極楽界中の人となることを得るに相違ない。この楽とこの味とは、世界を死物視する唯物連中には、決して分かるはずはありますまい。同じく人間に生まれて両眼を具しながら、この美観をみることのできない
輩は、これを評して明き盲人と申さねばなりませぬ。なんと気の毒千万ではありますまいか。
宇宙そのものは常に大精神を具し、たえず活動開発して、霊妙の光気をわれわれに与うることを知らば、その一部分たるわれわれの精神は仮に生滅ありとするも、精神そのものの本体に至りては、決して生滅なきことは明瞭であると考えます。そうして見れば、われわれの死は、宇宙の大精神より分派したる小精神が、その本家本元へ帰りたる道理にて、いわゆる故郷に還帰したると同様なれば、滅亡したどころではなく、大々的精神となりて永く活動を継続するに相違ないから、精神の不滅はいうまでもありませぬ。
拙者は数年前よりだんだんこの理を研究して、宇宙には本来一大勢力の永存せるありて、世界万物はその活動より生ずる現象なることを発見いたしました。しかして、その大勢力は本来、精神的意識性のものなれども、活動の影響として勢力の海面に無類の波を
湧かし、その波の固着したるものが物質となりたるものと考えます。これを
譬うるに、本来透明なる清水の表面に、氷を結びて不透明になりたるがごとく、本来、意識性の勢力の海面に、物質性の氷を結びて無意識になりたりと見てよろしい。あるいは透明性の海面に、泡を湧かして不透明になりたりと譬えてもよろしい。しかし、
譬喩ばかりならべたところで、その道理を述べざれば承知する人もあるまいけれども、その論は実に古今の大議論なれば、到底、一朝一夕の弁明のよく尽くすところではない。よってそのことは、拙著『破唯物論』および近日別に著述する一、二の書に譲りましょう。かく譲りてばかりいては、唯物連中の揚げ足取りは、必ず逃げ口上のように評する恐れあれば、今ここに一言だけ述ぶることにいたします。
西洋に、唯物論に反対して唯心論があります。この唯心派の説によれば、その中に多少の異同あるにかかわらず、世界万物はみなわれわれの精神の鏡面に現ずる影像にして、心外に一物なく、万物ただこれ一心なりと申します。この理を証明するに、あるいはこれを感覚の上に帰し、あるいはこれを思想の中におさめ、あるいは時間空間の方に奪いくる等、これまた一様ではありませぬ。これに反して、唯物論の方に宇宙進化論を唱うるものがありますから、拙者は以上の両説を結び付けてさらに一考したれば、精神的勢力の活動開発の道理のみ、ひとり真理なることを発見するに至りました。古来、西洋にて唯物論と唯心論とは、互いに東西の両
関のごとく相争いきたれるも、これを一統することに意を注ぐもの、いたって少ない。それゆえに、両者各一方に偏するの弊を免れませぬ。しかるに、拙者は元来、唯心論者にして、唯物派は毒蛇悪竜のごとく嫌う方なれども、宇宙観、世界観に至りては、唯心論の骨格に唯物論の皮肉を付けて組み立てました。それゆえに、いかに強情の唯物連中も、ただ一概にかぶりばかり振るわけには参りますまい。
かくして、宇宙の上に大観を放ちて静思黙念すれば、われわれ人類は、うえ王公貴人より、しも乞丐賤民に至るまで、広大無辺なる宇宙の一隅に出没し、あるいは浮かびあるいは沈み、無始の昔より無終の末まで転変窮まりなきは、全く宇宙本来の大勢力活動のしからしむるところなるを知り、これと同時に、われわれの一生は決して五十年ないし百年の短歳月ではなく、
久遠劫より
未来際を尽くして永存することを知り、かつ、その死するは真の死にあらずして、かえって永世不死の門に入ることを知り、はじめてわが迷情中に安心の光明を認むることを得るは、人々みな同感ならんと信ず。その当時の心情は、あたかも暗夜に灯光を認め、地獄にて仏に逢いたるときの
嬉しさと、決して異なりますまい。ひとたびかかる安心の光明を認めたる上は、われわれの精神上に一大活気を開発し、百難の前路に横たわることあるも、百苦の身上に集まることあるも、よくこれをおしひらきて、古今の大業を成就するに至るに相違ない。けだし、人世にありて真の勇気は、この安心の光明中より発することを忘れてはなりませぬ。
かくだんだん論じくればくるほど、宇宙の霊妙不可思議なることが分かりて、実に老を忘れ、貧を忘れ、苦を忘れ、病を忘れ、死を忘るるほどに愉快であります。拙者の聞くところにては、人間一生中、最上の愉快は婚礼のときなりと申すも、この愉快は、婚礼に千倍万倍する大愉快であります。しかるに、唯物論者のごとく世界を死物視する盲目連中には、到底この愉快の万分の一も分かるはずはありませぬ。拙者は年来、東西両洋の哲学および宗教を研究して今日に至るものなるが、よく明らかにこの興味を説きてわれわれに示したるものは、決して仏教のほかに存せざることを保証いたします。しかして、仏教がこの興味をわれわれに与うることを得たるは、全くその教理の唯心的なるによることは明らかであります。それにつきては、通俗にはやや了解し難き恐れあれども、ここに仏教の唯心に関する二、三の語を抜粋して示しますから、なるべく再三再四繰り返して読み去り読みきたり、もってその妙旨を
玩味せられんことを望みます。
『輔教編』に曰く、「心や大なるかな至れり。幽は鬼神に過ぐ。明は日月に過ぐ。博大は天地を包み、精微は隣虚を貫く。幽にして幽ならず、ゆえに至幽なり。明にして明ならず、ゆえに至明なり。大にして大ならず、ゆえに絶大なり。微にして微ならず、ゆえに至微なり。日よりも精に、月よりも精に、鬼よりも霊に、神よりも霊にして、しかして天地三才よりも妙なり」と。
『興禅護国論』に曰く、「大なるかな心や、天の高き極むべからず。しかして心は天の上に出ず。地の厚き測るべからず。しかして心は地の下に出ず。日月の光は踰ゆべからず。しかして心は日月光明の表に出ず。大千沙界は窮むべからず。しかして心は大千沙界の外に出ず。それ太虚か、それ元気か、心はすなわち太虚を包みて、元気をはらむものなり。天地われをまちて覆載し、日月われをまちて運行す。四時われをまちて変化す。万物われをまちて発生す。大なるかな心や、われ、やむをえずして強いてこれに名づけて、これを最上乗と名づく、また第一義と名づく、また般若実相と名づく、また一真法界と名づく、また無上菩提と名づく、また楞厳三昧と名づく、また正法眼蔵と名づく、また涅槃妙心と名づく」と。
この、いわゆる一心の体はすなわち
真如と称し、世界万物の本体であると申します。ゆえに、『
六斎精進経記』の序文に述ぶるところは、左のとおりであります。
心源に心あり、その名を真如という。不思議を体となす。これ、縁すればすなわち慮亡し、議すればすなわち言喪す。寥たり廓たり、沖漠希夷たり、窈たり冥たり、妙明離微たり、はるかに迷悟凡聖の際を出でて、生死涅槃の域をこゆ。際を出ずるをもってのゆえに、よく迷悟に入り、よく凡聖に入る。域をこゆるをもってのゆえに、よく生死に堕し、よく涅槃に堕す。迷悟、凡聖これよりして起こり、生死、涅槃ゆえなくして分かる、云云。
かくのごとく、我人の有する一心は奇々妙々にして、その中より一切の世間を現出するゆえに、『
華厳経』と申す経文の中に、左のとおり説きてあります。
心は工なる画師のごとく、種々の五陰を造る。一切世界中、法として造らざるはなし。
また、『
羽翼原人論』の序に、真如一心の本性広大にして、応用自在なることを形容して申すには、
その道は無始無終、常恒不変にして、よく万象の主となり、真にして寂、霊々照々、幽邃玄通、応用自在なり。天地風雲、山川国土、水火人物、草木瓦礫より、色、声、香、味、触、法の微に至るまで、みな遮那法性の胸中より流出現顕せざるはなし。
とあります。その他、これに類する一心の作用につきての説明は、いちいち抜粋して示すことはできませぬ。また、今引証したる文句中には、通俗に解し難きところあるべきも、拙者の目的は仏書を講義するのでなければ、どうぞ各宗の和尚さん方に質問なさるるように願います。また、この唯心の道理を証明したるものは、西洋の哲学書中に最も多く見るところなれども、ここにいちいち説き尽くすこと難ければ、ただちに西洋哲学につきて読まんことを望みます。
以上、物質不滅および勢力恒存の理法に従って霊魂不滅を論じたれば、これより因果相続の理法に考えて、その不滅なるゆえんを説かねばなりませぬ。そもそも天地万物の変化は、一として因果の規則によらざるはない。一片の雲の動くも、一滴の水の落つるも、みな因果のしからしむるところであります。もし、これを推して太古にさかのぼらば、今日今時の千変万化の原因は、幾億万年の昔にありて存することが分かります。なぜなれば、今日の原因は昨日にあり、昨日の原因は一昨日にあり、今年の原因は昨年にあり、昨年の原因は一昨年にありとして、五年、十年、百年、千年と次第次第に古代にさかのぼらば、天地未開のときに、すでに今日の原因の定まりおる道理であります。かかる太古より因果相続して今日に至り、その間一髪だもいれざることが分かったなら、われわれの一生は今日今時にできたるにあらずして、世界
開闢の当時にありて存することも分かりましょう。これと同時に、われわれの精神も今日今時に生じたるにあらずして、世界開闢の昔に存することが分かります。かくして無始以来、不断相続して今日に至れるを知らば、これを将来に考うるも、世界の終わりまで不断相続することが分かります。ゆえに、われわれが今死するも、決してそのときに霊魂の滅するはずなく、永く相続して
尽未来際に及ぶ道理であります。そうして見れば、因果相続の理法に考うるも、霊魂不滅なることは、なんと明瞭ではありませぬか。
ここにまた、唯物論者は必ず拙者の所見を
駁して、「因果の規則は物質上に存するも、精神上に応用すべからず」と申すに相違ない。拙者はこれに答えて、「これ、けしからぬ
詰問である。唯物論者は一元論か二元論か、もし二元論ならば、物には物の規則あり、心には心の規則あるはずなれば、物の規則をもって心を論ずるは不都合なるも、唯物論は元来一元論であることなれば、かかる問いを起こすは最も不都合」と申さねばなりませぬ。かつ、これを実際に考うるに、われわれの精神作用は、内外の感覚、思想が原因となりて種々の変化を起こし、一念一思といえども決して偶然に生ずることなく、みな因果相続の道理によるは、物質の変化と別に変わることはない。ただ、物質は表面においてその規則に従い、精神は裏面においてその規則に従うだけの相違であります。かく申すと、また必ず唯物論者は疑いを起こして、「唯心論の方では物質は因果の規則に従うも、精神はその規則の外に立ちて自由である。すなわち、意志は自由なりというではないか」と難じましょう。これに対して、唯心論者中には多少意見の不同あれども、拙者のとるところは、意志の自由とは表面の物質に対して比較上の自由にして、意志そのものは全く因果の規則の独立するわけではない。ただ、これを物質の不自由に比すれば、多少の自由を有するのみであります。しかし、この問題は心理学の上に考え、いちいち精神作用を分析して説明せざるを得ず、かつ、直接に霊魂不滅に関係なきことなれば、その説明は他日に譲ることにいたしましょう。
かくして、精神そのものが因果の規則に従って変化する以上は、因果そのものが不断相続すると同時に、精神そのものも不断相続する道理である。換言すれば、精神は不滅であるということになります。もしまた、拙者のいわゆる大勢力活動説に考うるも、因果はその活動の規則なれば、勢力恒存とともに因果の規則は無窮に相続し、したがって精神をして不滅ならしむるわけであります。
もし純然たる唯心論の観察によれば、この世界の日月星辰より山川草木に至るまで、一切の事物はみな一心の所現となり、時間も空間も一心より投げ出したるものとなるから、霊魂の上に滅不滅を論ずるまでもなく、一口に精神そのものは絶対的に不滅なりといわねばならぬ。しかれども、今一歩を譲りて、われわれ生存上、内には精神あり、外には物質あり、また、わが一身は肉体と精神との二者より成り、われわれの寿命は五十年ないし百年と定めて、普通の観察の上に考うるときは、わが精神作用は死時全くやみて、無感覚、無意識となることは、種々の実験に照らして明らかである。たとい他日復活するものと想像するも、本来不滅なる精神がその作用を失うはいかん。かつ、その場合には精神はいかようなる状態を有し、また、いずれの日に復活するものなるや等の疑問は、必ず起こるに相違ない。しかして、この問いに答うるには、ぜひ因果の規則によらねばなりませぬ。しかしその前に、古来の霊魂説の立ち難きことにつきて一言いたしましょう。
古来の霊魂説は、この肉体のほかに別に一団の精神ありて、自在に出入のできるように考え、その精神が肉体中に入れば生活を現じ、肉体を去れば死滅に帰すと唱えたるも、今日の実験にては、そのように霊魂と肉体と全く相離れて、自由に出入することのでき難きを知りたれば、霊魂説も自然に一変するに至りました。拙者をはじめとし、その他の霊魂不滅説を唱うるものは、大抵、霊魂は肉体と全く相離れたるものにあらずして、むしろ肉体に連結してその裏面に存するものと考えます。その裏面の精神が、物質の集合より成れる肉体の上に作用を現ずる間を生時と名づけ、退きて裏面に潜むときを死ということになります。この点まで論定するには長い説明を要すれば、これまた『破唯物論』およびその他の著書に譲り、ただここに、精神が物質の裏面に潜むときには、意識を失って無知覚となるか、もし無知覚となるならば、いかにして再び知覚を生ずることになるかを説明せねばなりませぬ。
拙者の考えにては、精神が死してひとたび休むときは、必ず無知覚、無意識になるに相違ない。そのしかるゆえんは、精神本来の性は知覚性、意識性なるも、この世界は宇宙の大勢力の表面に無意識的物質の波を湧かし、その波の余勢を精神上に及ぼし、精神自体の意識性をして明暗相継ぎ、断続相交わるように至らしめたるものと考えます。これ全く、因果の規則に伴って習慣性の存するゆえであります。習慣性とは、物理上のいわゆる惰性とその意を同じくし、ひとたび精神が世界活動のために波動を起こせば、永くその勢いを保たんとする傾向あることを申します。ここにおいて、人の死時、精神ひとたび知覚を失うに相違ない。しかしながら、一時の後に精神固有の意識性を再起することあるは、因果および習慣の道理によりて分かります。しかして、その説明も『破唯物論』に譲ることにいたしましょう。もし、『破唯物論』に証明せるがごとく、人の精神は肉体の構造より生ずるにあらずして、精神の自体に本来固有せる種々の原因と習慣とが、物質の上に働きて肉体の構造ができる。すなわち、われわれの身体は精神の作用によりてできるということになります。さらに換言すれば、精神が原因にして、身体は結果なりということに帰します。この説によれば、われわれが一生の間、身、口、意の上になしたる一言、一思、一行が原因となりて、その死するときに精神中に遺伝して、その惰力すなわち影響を伝え、他日に至り精神再び物質の上に作用を起こして、その原因に適当せる身体を構造し、もって再び精神の意識性を開顕するに至る道理であります。この理は、唯物の
眼鏡を外して眺めなければ、決して分かるはずはありませぬ。
以上の道理はあまり込み入りて分かりにくいから、一口に説明することはとてもできるわけでなけれども、今少々述べておきましょう。いったい唯物論の見解にては、物質ありてのち勢力あり、肉体ありてのち精神ありの説なれども、だんだん世界の本源にさかのぼりて考うるときは、勢力ありてのち物質あり、精神ありてのち肉体あることになります。その証拠は、物質そのものを分析して見れば、結局一種の勢力となり、これに古来の唯心論を当てはめて考うれば、たちまち精神的大勢力より、天地万物一切の物質の現出せることが分かります。すでに前にも述べたるとおり、拙者の主論は、全くこの点にもとづきて宇宙勢力論を唱えています。しかし、この点は唯心論をよく研究せなければ、決して分かるはずはありませぬ。ただ憂うるところは、唯物論者が、唯心論と聞けばあたまから空想とみなして、振り返りて見ることをせない、
諺にいわゆる「食べず嫌い」という始末であります。唯心論が空想なら、唯物論は十倍も百倍も増している空想である。すなわち、空想に空想の上塗りをしたる空想である。なぜなれば、唯物論の本拠たる物質は、唯心論の本拠たる精神そのものによりて認められたるものではありませぬか。かく双方で空想空想とばかりいい張りてにらみ合いしていても、猫の
喧嘩のようで際限もないことなれば、その一段は拙著『破唯物論』その他の著書に譲ることにいたしましょう。とにかく、宇宙間に精神的一大勢力ありて、その体内に無始以来の種々雑多の原因事情をおさめ、その結果によりて、この世界もわれわれも、みなその形を結ぶようになりたることを承知してもらいたい。これを仏教にては前世の宿因、業報、業感等と申し、これを進化論にては遺伝と申します。かくして、われわれがこの世に生まれきたりて、他日また老い去るも、やはりわが勝手にてしかるにあらずして、生まれし以前、永い間の原因の引き続きなるに相違ないと同時に、われわれ一代の間になしたる一切の言行が、善にあれ悪にあれ、またみなその原因を助けて、死後再び身を結び生を現ずるようになり、未来無限の時間の間には、幾回となく生々滅々する道理であります。この道理は拙者が勝手に申すのではなく、勢力恒存、因果相続の理法が拙者に教えてかく言わしむることなれば、もしその説を不都合と思う御方は、この理法につきて、よく尋ねてみるがよろしい。この理法は無我無欲であるから、別に入門料や
束脩の心配はいりませぬ。拙者も幸いにその理法の指導によりて、人間の死は真の死にあらずして、一時の眠息なることを知ると同時に、他日再び
醒覚するときあることが分かり、はじめて数十年来かつ迷いかつ苦しみいたる胸中が、一時に
郭然として開け、万里雲晴れて、月まさに中するがごとき心地するようになりました。そうして見ると、睡眠に大小の二種ありて、毎夜の睡眠は小眠にして、六時間か八時間の間のことなれども、死するときの睡眠は大眠にして、いかに長き年月を経て醒覚するかは、われわれの想像の及ばざるところなれば、ただ、われわれは勢力と因果との理法のわれを欺かざるを信じて、他日必ず再起するときあることを疑いませぬ。
唯物論者は、人の死するときにひとたび精神作用を失いたる以上は、再び精神作用を起こす道理は、決してあるべからざるように考えますが、これは全く有形の物質をみる目ありて、無形の精神をみる目を有せざるによると評するよりほかはありませぬ。しかして、人の精神の不生不滅なることは、物質の不生不滅なると同様なれば、外見上に精神の一生一滅を見るは、物質上に生滅の変化を見ると同様に心得てよろしい。例えば、水の集まりて地上にあるは人の生時の精神に比し、その蒸発して空中に散ずるは死後の精神に比し、ひとたび散じたるものが再び結びて雨露となりて、もとのごとく地上に集まるは、精神の再生に比して考うれば、定めていくぶんの了解はできるでありましょう。
とかく世間の人は、その見るところあまり狭きをもって、精神の真相が分かりませぬ。唯物論者も、ヤソ教家が世界の
開闢を
僅々六千年前と認めたるを見て、これを打ち破りたる手際は称すべきも、なお宇宙の開発につきて、時間と空間との無限なるがごとく、世界の無限にして、世界の進化、退化のともに無限なることが分からぬから、精神不滅の理がのみ込めませぬ。それゆえに、人の死したるときは火の滅したると同様であるのに、死後霊魂なお存すというがごときは、火の滅したる後なお火存すというようなるものにて、狂人の寝言に近いなどと評します。拙者はあえてかくのごとき浅見者を相手として、あくまで争うつもりにあらざれば、しばらくその言に従い、人の死すると火の滅するとは同様なりとするも、火のひとたび生ずるには、必ずこれをして生ぜしむる原因があるに相違ない。またその滅するも、滅せしむる原因がありましょう。すでに原因によりて生滅する以上は、他日これと同様の原因に会すれば、また同様の火の再現する道理であります。これと同じく人の死も、他日これをして復活せしむる原因に会すれば、再起する道理ではありませぬか。また唯物論者は、肉体の構造組織がそのよろしきを得たる場合に精神の作用を現じ、その組織に多少の損所を生じたる場合に精神作用を失うわけである。しかるに、死後精神再び生ずるとなすときは、同一の構造組織の再び生ずるわけなるも、かくのごとき場合、決してあるべからず等と申します。
されども第一に、将来無限の時間の間に、無限の世界において、無限の変化ある以上は、同一の構造組織を組み立つる機会は、決してなしと断言はできませぬ。唯物論者、よくこの無限ということに気を付けて考うるがよろしい。これを自然の作用に任じても、同一の構造組織を生ずる機会あるべきに、もし精神が物質の上に働きて肉体を組織するものと考うるときは、死後幾回も同一の構造を組み立てて、精神の再現あるべき道理であります。たとい精神は死後無意識の境遇に入るも、その中に再び現出せんとする原因、習慣を存するをもって、その力が無意識中に働きて、意識再現の機会を生ずるようになります。あたかも
蜘蛛が巣を作り、
蟻が塔を造ると同じく、雨風や人力をもってこれを取り払っても、蜘蛛、蟻は己の無意識的作用によりて、再び造出するに比して見れば、いくぶんか分かりましょう。あるいはまた、庭の草に
譬えてもよろしい。庭掃除のときに草を刈りても、その根までことごとくみな取りはらわぬ間は、幾遍となく生い繁りてもとの草となります。たとい冬分になりて霜雪のために枯死しても、いやしくもその根の残れる間は、翌年になりて再び生ずるに相違ない。これは、その根に持てる無意識的生力が物質の上に働き、四囲の物質的分子元素をその体に取り集めて、もとどおりの草の形を結ぶに至るからであります。かくして、人の精神が無意識より起こりて肉体を組織せるに至りし以上は、再び内外の事情によりて死滅に帰するは、あたかも草が霜雪のために枯死したると同様であります。ゆえに、他日再び物質の上に働きて、再現するときがあることは疑われませぬ。かく申したならば、唯物論者は、「人の死するときは精神の根までみな朽ち去るものなれば、復活の見込みなし」といいましょうが、精神の根は宇宙の大勢力の中に存することなれば、決して死滅に帰せしむることのできる道理は万々ありませぬ。これらの点をよくよく考えきたらば、霊魂不滅はもちろん、仏教のいわゆる
三界流転、
六道輪廻ですらも、いくぶんか分かるようになりましょう。
さて、霊魂不滅論をだんだん進めてここに至れば、仏教の三界流転、
六道輪廻説をも弁明せねばならぬことになりました。唯物論者はいうまでもなく、仏教家の一部の人は自らこの輪廻説を疑い、世間に対して
喋々することをはばかるものがありますが、因果説を推し立てて行けば、必ず輪廻を説かねばなりませぬ。ただ、学理上よりこれを説くと、従来民間にて唱えきたれるものとは、大体は変わらざるも、細かい点に至りていくぶんか相違するところができます。
仏教は唯物論の正反対たる唯心論でありて、物質世界は精神界上にあらわれたる現象にして、精神のほかに別に物質の実体はなしと立てます。しかして、その精神上に物質世界を現ずるゆえんは、精神体内に遺伝してきたれる過去の業因より起こると申します。すなわち、この精神がいまだこの世界を現ぜざる過去世において、すでになしたる身、口、意の諸業が原因となり、次第に相続して今世に至り、その結果を現じたるものといたします。第一に、われわれがこの人間界に生まれてきたりしも、
貴賤貧富の別あるも、生老病死の無常なるも、みなこの業因業感のしからしむるところと説き、われわれが人間となりてこの世にあるは、おのおの人間となるべき原因を修めたるゆえであり、銘々の境遇、運不運の同じからざるは、人間に生まるべき原因を修めたるうち、多少異なるところを有するゆえであると申します。ちょっと聞いたところでは不都合の説に感ぜらるるも、とくと考えてみれば、その説の大いに道理あることが分かります。しかしこの理は、唯心的観察をもって、この世界は精神海面の表象なることを会得せざれば、了解し難いに相違ない。もし、この世界を唯心の世界とし、精神中に包有する原因に従ってわれわれの境遇の起こることを知らば、われわれの死するときは、わが一生中の言行と、前世の業因とが相合して、その精神中に
熏伝し、他日、精神再起の暁にその結果を開き、あるいは人間界、あるいは天上界等に、さらに一生を現ずることが分かりましょう。これ、すなわち六道輪廻説であります。もし、六道の状態等につき、これまで細説せるもののごときは、学理の関せざるところにして、想像上、その理を補いたるものと考うるより、弁明の致し方はありませぬ。ただ、学理上にて講究し得る点は、精神的因果の規則によりて、ひとたび死したる精神が再生復活する以上は、原因の異なるに応じて、結果また異なるべき道理なれば、つぎに現ずる世界は、これまでの世界と異なるはもちろん、銘々同一の世界に出ずること難く、再三再四生々滅々して、いわゆる三界六道ないし無数の世界の間に、転生輪廻することであります。この道理は、研究すれば研究するほどおもしろく感ぜられ、仏教を研究する興味は、おそらくはこの点にあらんかと考えます。
さらに、この輪廻説を根本から説き起こせば、元来仏教は唯心一元論にもとづきて、
真如一元説を立つるものであります。しかして真如とは、世界万有の本源、実体に与えたる名目である。その真如の大海に波を生じたるが、この事々物々、千差万別の世界である。その世界は生々滅々、変々化々してやまざるをもって、これを生滅界と申します。よって、真如の体は水の静かなるがごとく、生滅の世界は波の起伏して一様ならざるがごとく、その波ひとたびしずまれば、本来の真如に帰するはずなれども、因果および習慣の規則に従い、ひとたび生じたる波動は永く継続せんとする性ある上に、われわれがさらにこれに動勢を加え、ついに生滅界に永く浮沈せざるを得ざるようになり、三界六道の間に窮まりなく流転するに至ると説くのが、仏教の輪廻説であります。もとより仏教の目的は、生滅界を脱して真如界に入るにあれども、もし一飛びにここに達することあたわずとすれば、永く三界六道の間に出没して無数の山河を
跋渉し、無数の風月を眺望するも、また一興ではありますまいか。もっとも、人間界よりだんだん下界に
沈淪するは迷惑なれども、上界に昇進することは、日本見物や西洋見物よりも、はるかに勝りておもしろかろうかと察します。かく申すと、仏教の本旨には背くけれども、もし、いよいよ上界に昇進することが明らかに分かるなら、極楽へ参る前に、せめて二、三界を見物してみたいことはありませぬか。
輪廻説に関係して、善悪因果と地獄極楽との仏説も、一応弁明しておかねばなるまいと考えます。仏教にては善因善果、悪因悪果と申して、因果の規則に善悪を配当して説きますが、この点は唯物派連中の大いに攻撃するところであります。しかし、仏教の立て方を根本から了解すれば、よく分かるはずである。その立て方は、真如の理法を世界の本源、実体と定め、その海面に波を起こして、ますます真如の本性に遠ざかるように傾きて行く方の原因を悪とし、これと反対の方向を取りて、本来の真如にかえらんとする方の原因を善とします。要するに、仏教の善悪は、真如に向かうと背くとによりてわかれます。かくして、真如に遠ざかる方の原因を修むれば、ますますこれに遠ざかる結果をきたし、近づく方の原因を修むれば、ますますこれに近づく結果をきたすことを名づけて、善因善果、悪因悪果と申します。しかして、真如の反対すなわち生滅界に向かう方の因果を迷いの因果とし、生滅界を離れて真如界に達する方の因果を悟りの因果といたします。今、これを進化論に比すれば、宇宙の目的は進化にありとするも、内外種々の事情、関係によりて進化の原因を生ずることもあり、また、退化の原因を起こすこともありましょう。しかして、進化の原因は進化の結果をきたし、退化の原因は退化の結果をきたすに相違ない。もし、その進化の因果を善とし、退化の因果を悪とすれば、進化論もやはり善因善果、悪因悪果の規則を用うることとなります。このように考えてみたならば、
毫も仏教の善悪因果を怪しむには及びませぬ。
かくして善悪因果を立つる以上は、善果の最上と悪果の至極との両端があるべきはずなれば、その善果の方を極楽とし、悪果の方を地獄としたるものなるが、これ、もとより当然のことと考えます。いやしくも真如界と生滅界とを論ずる以上は、善悪因果を説かねばならず、善悪因果を説く以上は、地獄極楽を立てねばならぬことは、自然の道理の教ゆるところにして、決して不合理、非論理たるわけではありますまい。ただ、地獄の鬼や
釜の話、極楽の
蓮華や音楽の話は道理以外のことにして、もし宗教外よりこれをみれば、苦楽の状態を形容したるに過ぎざることになります。換言すれば、これ、信仰上の問題にして、道理上の問題ではありませぬ。
以上述ぶるところ、これを一括して示さば、仏教にては最初真如の世界に生滅の波を湧かして、真如界と生滅界との別を生ずるに至り、表面に生滅界をあらわして、裏面に真如界を開きたるが今日の世界であります。しかるに、われわれは生滅界にありて生滅の波間に浮きつ沈みつして、三界六道の間に迷いつつあるものなれば、今よりこの生滅界を離れんと欲すれば、善因善果の規則にもとづき、これを遠離せんとする志を起こし、種々の善因を修めて真如界に向かうことをつとめねばなりませぬ。しかるに、われわれは無始以来、生滅界の迷い子となりてここにあるものなれば、いわゆる遺伝、習慣の性力によりて、すぐに真如界に飛び込むことができぬから、やむをえず漸々徐々と生を重ね死を繰り返して、一段ずつ上界に昇進し、最後に裏面の真如界に達するようになります。これを成仏と名づけて、迷界を離れて悟界に入りたる場合であります。もしこれに反し、生滅界に執着する情禁じ難くして、我慢を募り妄念をほしいままにするときは、悪因悪果の規則によりて、漸々徐々、下界に
沈淪し、結局、地獄に堕在すと申します。これみな善悪因果の規則にもとづきたるものなれば、別に怪しむに足らざるように考えます。
霊魂不滅論と仏教の
輪廻説、因果説とは、よほど密接の関係あるように感じたるをもって、仏教の立て方も一とおり申し述べました。しかるに、唯物論者は必ずこの説明を聞きて、「一応の道理あるに似たれども、さらに実験に徴することなく、事実に訴うることなく、己の心の中から無理に練り出したるように見えて、いちいちみな空想妄断のごとくに考えらるる」と申しましょう。たといそのことたる、実験に照らすことあたわざるも、いやしくも道理ある以上は、これを妄断とするがごときは、決して受け取ることはできませぬ。もし、これを評して空想というならば、空想にはいろいろ意味の取り方があるから、ある意味においては差し支えありますまい。そもそも実験はわれわれの感覚にもとづくものなれば、その力の及ぶ区域はいたって狭きものにして、宇宙の広大なる、時間、空間の無限なる、到底実験の究め尽くすところではありませぬ。よって霊魂不滅問題のごときは、もとより実験の及ばざるところなれば、ただ道理をもって推測するより致し方はなかろうと考えます。ゆえに、もし実験の及ばぬところは、みなこれを空想というならば、霊魂不滅問題はもちろん空想であります。しかして、空想中に道理あるものと道理なきものと二様あるが、拙者が霊魂につきて論じたるところは道理ある空想なれば、これを理想と名づけます。これに反して、道理なき方を妄想といいます。
もし、唯物論者が道理の有無にかかわらず、すべて空想を排するならば、唯物論そのものも空想を免れぬから、第一にこれを排し、人間の毎日毎夜思うこと信ずることみな空想なれば、すべてこれを排せねばならぬことになります。拙者のみるところにては、人間は空想的動物にして、空想の空気中に生活しておると考えます。まず、少年のときにありては、生涯の事業につき非常の空想をいだき、日本はおろか世界中に名をとどろかし得るように考え、人生五十の寿命が過ぐれば、なおその上に百年も百五十年も生きらるるように思い、たまたま病気にかかりて全治おぼつかなきようになりても、全快を空想して安心し、家貧なれば富を空想し、身
賤しければ貴を空想し、百姓は豊作を空想し、商人は景気を空想して満足する等、みな空想の極み、妄想を描きて、暗夜に金を拾わんことを願うと同様のありさまであります。けだし、唯物論者のごとき、平素もっぱら実験を唱え、空想を排するものでも、その生存する間は、日夜この空想は免れまい。ゆえに拙者は、人間万事空想の世の中と申しております。また、唯物論者が霊魂滅亡論を唱えて、肉体を離れて精神はない、死後の世界はない、復活再生は決してないと断言することも、やはり空想であります。唯物論者は神か仏でなき限りは、死後の世界の有無が分かるはずはない。しかるに、自らその有無を実験せずして断じてなしと定むるは、空想といわずしてなんと申しましょうか。すべて実験の力の及ばざるところは、これをなしとするもありとするも、みな空想に相違ない。よって、唯物論者が唯心論を空想と評することすらも、やはり空想であります。もし、空想の点より比較すれば、唯心も唯物も、いずれも負けず劣らずの空想と申してよろしい。それのみならず、実験上の事実も精密に論ずれば、これまた空想の臭味を脱しますまい。例えば、従来の経験によりて、明朝六時に太陽は必ず東天に再現すると定めても、その一夜のうちに天体上に不時の変動あらわれて、明朝六時に日の出を見ざることになるかも期し難いとすれば、これも空想となります。また、目を開きて紙を見て白いと判断するも、視覚の不完より、かかる色を現ずるであろうと思えば、その判断もまた空想となります。ゆえに、ただ一概に空想はいけないとして排斥することはできませぬ。
世俗はもちろん、学問上にも空想を要するゆえんは、世界の事物、いちいち人知をもって知り尽くすことあたわざるを見て、なお一層よく分かりましょう。今、これを証明するために、世界に可知的と不可知的との二とおりあることを申さねばなりませぬ。とかく世間の人は、宗教上の問題をことごとく道理をもって説き尽くさんと思っているようなれども、これは大いなる了見違いにして、元来、宗教は不可知的をもととし、学術は可知的をもととするの別あることを知らないに相違ない。しかるに、往々、宗教問題を可知的の方面より論ずることあるも、これただ一部分に過ぎませぬ。ゆえに、これまで述べたりし霊魂不死の説明は、可知的の半面より解釈したるまでなれば、なおそのほかに不可知的の一面あることを知らねばなりませぬ。ここにおいて、拙者は宇宙間に不可知的の真に存するゆえんを述べましょう。
哲学上にて、人知は相対かつ有限にして、宇宙は絶対かつ無限であると申しますが、有限の
枡をもって無限の水を量ること難く、相対の人知をもって絶対の宇宙を知ることはむつかしい。将来なにほど人知が進みても、月の世界や星の世界へ旅行することができないと同様に、宇宙間の事物の道理を尽くすことはできませぬ。今日、理学の実験は宇宙の事物の道理を究め尽くしたるように考うるは、かえって
素人の想像にして、古代において分からざりしことは、今日においてもやはり分かりませぬ。例えば、人の精神の本源、実体の一段に至りては、古代の学者にても不可知的、今日の実験にても不可知的でありて、将来もやはり不可知的であるに相違ない。そのゆえは、精神の問題は結局、精神をもって精神を知ることになり、己の目をもって己の目を見んとし、己の手をもって己の体をあげんとすると同様なれば、いつまでかかりても、決して分かろうはずはありませぬ。また、宇宙の本体いかんのごときも、いにしえも今も、やはり不可知的というに至りては同じことであります。しかのみならず、水や空気のごときですらも、そのなにものたるやは、すでに分かりたるようで、いまだ決して分かっておりませぬ。例えば、水は水素、酸素の二元素より成るということだけは分かっておれども、水酸二素はいかんと推し詰めると、結局分からぬということになります。また、理学上にて引力、重力の説は一般に唱うるところなれども、その力のよって起こる原因に至りては、やはり分かりませぬ。また、光線の説明にエーテルと名づくる一種の精気の存在を仮定するも、そのもののいかんは、今もってよく知れませぬ。かくのごとくだんだん推し窮めてみると、この世界の表面の一部分だけがわずかに知れているのみにて、その他はみな不可知的であります。もし、この世界は不可知的なりとして考うれば、われわれの笑うのも泣くのもみな不可思議にして、
鴉のガーガー、
雀のチューチュー、花紅柳緑、水
碧山青に至るまで、不可思議なることが分かり、なにを見ても美しく見え、なにを聞いてもおもしろく感じ、愉快も愉快も大愉快に思われます。拙者などが
茅屋破窓の下に眠りて、貧苦多患の境遇にありながら、毎日毎日
満腔の愉快をもって日を送るのは、全くこの天地、この万物の不可思議なることを悟りて、朝夕その味を心中に感ずるからであります。世間にて楽を買うには
莫大の金がいるけれども、この拙者の楽だけは一文半銭もいらずして、しかもその楽は、金で買い入れたる楽に百倍も千倍もまさりております。ことに先年来、自ら妖怪学を研究して、一層この不思議の妙味を感ずるようになり、爾来、妖怪を神のごとく
崇め奉りて喜んでおります。仏教にては、多くこの世の中を苦界悪所のように説きますが、拙者のごとき、この世界を不思議霊妙の境遇と悟り上げたるものには、苦界悪所どころでなく、楽界善所を通り越して、極楽至安の国土となりて見えます。もし、世に不幸、不平のために心思を苦しむるものあらば、来たりてわが門に入り、もって楽天観を試みられてはいかん。決して遠慮には及びませぬ。
かくのごとく、世界に有限にして可知なる部分と、無限にして不可知なる部分と二とおりありて、学術はその可知的部分を本領とし、宗教はその不可知的部分を本拠とするの別があります。しかして、哲学は可知的、不可知的の両方に関係するも、可知的より不可知的に及ぼす方針を取り、宗教はこれに反して、不可知的より可知的に及ぼす方針を取るの相違があります。しかしこの二者は、ともに不可知的に関係するをもって、双方互いに助け合うことが肝要である。よって仏教のごときは、半面は宗教、半面は哲学より成り、二者兼備の宗教となりております。されば拙者はここに、哲学と宗教と互いに提携する必要につきて一言いたしましょう。
人の性質に感性、悟性、理性の三とおりあることは、ある哲学者の申すところでありますが、拙者もこの名目を用いて、まずその解釈を述ぶれば、感性とは感覚性のことにして、耳目の感ずる作用をいい、悟性とは理解力のことにして、普通の実験論理によりて事物の道理を了解する作用をいい、理性とは前二者の上に位して、到底実験も人知もはるかに及ばざる絶対無限の境遇に、体達超入する作用をいいます。ゆえに、理性はわれわれの思想中、最も高尚深遠なる超理的想像、すなわち理想にして、わが心と不可知的との関係は、全くこの性力の上に存するに相違ない。しからざれば、われわれの心中に無限絶対、不可知的等のことが分かるはずはありませぬ。よって拙者は、この理性を無限的心力と解し、哲学と宗教との二者を結合する心力であると考えます。
今日の実験および普通の道理は、人の悟性に満足を与うることができても、理性には満足を与うることができませぬ。しかるに、われわれの心中には悟性のほかに理性をそなえているから、いかに理性を抑えて有限可知的の範囲内にとどまらんとするも、心源最も深き所より
湧くがごとく
衝くがごとく刺激を伝えきたり、到底とどまることあたわざれば、実験以外道理以上にさかのぼりて、絶対無限に体達せんとするようになります。ゆえに、唯物論者などが霊魂不滅論を指して空想
妄断なりと評するも、霊魂の本源、実体を発見するにあらざれば、ちかってわれわれの理性に満足を与うることができませぬ。もし、理性に不満足を与うるに至らば、われわれは生涯不満足、不愉快を抱き、ついに理性上の快楽を知らずして、むなしく永眠の境につかねばならぬ、なんと遺憾の次第ではありませぬか。悟性は有限性なれば、その快楽もまた有限なれども、理性は無限性なれば、その快楽もまた無限であります。かつ、悟性の一部分は動物なおこれを有するも、理性に至りては人間特有の性質にして、その快楽は人間独占の快楽であります。ああ、同じく人間に生まれて、この独占の快楽を知らずして一生を送るは、残念至極に感ぜらるることはありますまいか。願わくは、心源最も深き所より理性の霊気を開発して、その無限の風光、無限の快楽中に一身を処し、世海の狂風激浪の間に立ち、
悠然として閑歳月を楽しまんことを。これ、拙者ばかりでなく、
貴賤貧富の別を論ぜず、人間一般の希望ならんと考えます。かくして、拙者は年来、古今東西の哲学および宗教を研究したるも、無限絶対の不可知的を開示して、われわれに理性上の満足と快楽とを与うるものは、仏教の右に出ずるものなきを知り、爾来、もっぱら仏教を研究して、日常世事
紛々、百苦千患の間にありながら、無限の快楽を心頭に浮かぶることを得たるは、誠に望外の大幸であります。
われわれの理性より発する想像は、これを理想と名づけますが、この理想は空想のようなれども、さきに述べたるごとく道理的想像にして、不合理の空想ではありませぬ。ただ絶対、無限等の問題に対しては、感覚上の経験はもちろん、普通の道理のよく及ぶところにあらざれば、すこぶる高尚深遠なる道理、すなわち理想によらねばなりませぬ。ゆえに、普通の道理ばかりを研究している人たちから見ると、なんとなく不合理の想像のように思わるるに相違ない。あたかも漢方医につきて
煎薬ばかり服したるものは、西洋医の水薬を見て、効力の少ないように思うと同様であります。かくして、神の問題、宇宙の問題、霊魂の問題等は、みなこの理想によりて研究せねばなりませぬ。
拙者が霊魂不滅論を説くに、到底実験の及ばざるところなれば、すべて理想の道理に照らして証明したるが、唯物論者などの実験ばかりを当てにしている連中には、よく会得ができぬかも知れませぬ。しかし、もしこれを唯物論者のごとく、表面一様の解釈を下し、死後の霊魂はこの作用を現ずることなければ、滅無に帰したるものとなすも、その説のごときは、悟性に満足を与うることができても、決して理性に満足を与うることはできぬに相違ない。また、下等の宗教のごとく不合理の空想、すなわち妄想をもって説明しては、やはり理性の満足はできますまい。よって、ぜひこの問題は道理的想像、すなわち理想に考うるよりほかはありませぬ。しかしてその道理は、別に理想そのものが勝手に作るわけではなく、実験の範囲内において諸学の一致するものを取り、これを実験以外に当てはむるわけであります。例えば、物質不滅、勢力恒存、因果相続等の原理のごときは、霊魂不滅論の理想上の説明には欠くべからざるものなれば、拙者は最初よりこの規則を応用しております。そのうち因果の規則のごときは、物質以内より以外に及ぼし、あらゆる世界の変化を支配するものなれば、霊魂の説には最も効力あると考えます。すべて有形無形ともに、隠れたるものを発見して行くには、因果の規則よりよきものはない。よって死後の霊魂のごときは、全く隠れかつ潜みたるものなれば、これを発見して行くは因果の規則である。ゆえに、これを暗夜の
提灯と心得てよろしい。その提灯は霊魂の所在ばかりでなく、世界
開闢の前より閉鎖の後まで照らすことができる。さてもさても広大無辺の提灯ではありませぬか。この提灯によりて照らせば、人の死後の霊魂は一時眠息の状態に入るのみならず、さらに復活再起して、何回となく無数の世界にその作用を現じ、生々滅々、滅々生々、実に窮まりなきことが分かります。これをもって、仏教にては生死
輪廻の無窮なることをわれわれに示して、
弘法大師は、「生まれ生まれ生まれて生の始めを知らず、死に死に死んで死の終わりを知らず」と申しました。けだし、われわれは生死の間に永く輪廻するは、目的とするところでなく、早く
真如、
涅槃の岸に至りて、最楽至安の地位に住する希望なれども、ひとたび生死海面に漂って波をあげたる上は、習慣性の規則によりて永くその動勢を保たんとするために、かくのごとく輪廻するわけである。これを池中に石を投じて波を起こせるに
譬うれば、その動勢を一波より他波に伝えて満面の波となり、容易に静水に帰することはできぬと同様であります。もし、その静水を真如に比し、波動を生滅に比すれば、たやすく生死輪廻の道理が分かりましょう。
仏教の生死
輪廻は全く因果の規則によることは、ただいま述べたるとおりでありますが、仏教中の
漸教と申す方では、永き年月の間生死輪廻を経て、
真如、
涅槃の世界に至ることを説けども、
頓教と申す方では、一足飛びに生滅界より真如界に至ることを説きます。この頓教、漸教ともに、この世界は多苦多患の世界なれば、早く生滅界を遠離して真如界に昇入せんことを勧むるも、拙者のごとき、この生滅界にありて楽天の悟りを開き、日々夜々雲を見、雨を聞きながら、
此土寂光の楽を得ているものには、生滅界より真如界へ一足飛びに進入するよりも、せめて二、三界ぐらいは輪廻して、いろいろの生滅界を見物し、後にまさしく彼岸に至りたいように考え、東京より京都まで汽車の力で一飛びにするよりも、静岡や名古屋辺りへは立ち寄ってみたいと思うも同様であります。かく申すと、頓教、なかんずく他力教の人たちからは、大いにしかられるに相違ない。拙者の宗旨は、元来、仏教中の他力教と名づくる方なれば、たとい生滅界は安楽の妙境であると感じても、相対上の安楽に過ぎませぬ。これに反して、他力教のいわゆる極楽は、絶対上の安楽世界なれば、同日の
沙汰でないことは万々明らかであります。つきては、拙者も欲望は人に負けぬから、一日も早く絶対的極楽界に参りたいと考えます。
今、広く世間の人を見るに、得意、気楽、満足、安心しているものは、実に暁天の星を数うるよりもなお乏しく、その他はみな不得意、不満足、不愉快、不安心でありて、憂苦患難の空気中に生活しております。そのうちには常に不幸、不運、病気、災難、貧苦のごとき惨風悲雨の間に一生を送るものも、決してすくなくはありませぬ。例えば、幼にして親を失い、老いて子に別れ、夫は家産を破りて死し、妻は乳児をすてて
逝り、昨年は病魔におかされ、本年は天災にかかり、一家挙げて飢えに泣き渇を訴うるがごとき徒に至りては、なにによりて安心の一道を営みましょうか。かかる非命薄運の人に対して、唯物論者のごとき霊魂の滅亡を説くも、なんらの効力なく、ただますます失望に失望を重ねしむるばかりであります。いやしくも世間に立ちて自ら世の風教を任ずる学者は、己の満足をもって足れりとせず、かかる悲境に
呻吟せる人を精神上より救助する道を講じなければ、学者の本分は立つまいと考えます。けだし、かくのごとき人を、肉体上より救助するは金持ちの義務にして、精神上より救助するは学者の本分でありましょう。しかるに、拙者のみるところでは、今日の学者が己一人の安心を目的として、広く社会公衆の安心には意を用いざるように思います。拙者はこれを学者の利己主義と称して、金持ちが己一人の酒色の欲にふけりて、他人を顧みざるにひとしきように考えます。まず、今日多数の学者の講ずるところを察するに、第一に不学無知の連中にはとても分からぬようなることばかり述べ立てて、よし分かりても、かえって失望せしむるようなることのみを論じているかに見受けます。しかるに、拙者は及ばずながら、己一人は朝夕安楽の天地に心を遊ばしむるも、広く社会の不幸多苦の人に、せめて精神上の満足を与えんことを祈念して、さきに妖怪の原理を説き、今また、霊魂の不滅を論ずるに至りました。これみな、悲風苦雨の暗夜を照らす灯台であります。
霊魂不滅説が、いかにして多苦多患の人に満足を与え得るかの理由は、今少し説明せねばなりますまい。もし、人がこの一生限りのもので、死後は永く滅無に帰するのであると聞いたならば、生涯不幸不運ばかりにて、この世で満足を得る見込みのないものは、自暴自棄するよりほかに道はありますまい。さすればその結局、法律に触れざる限りは、悪はなし
得、罪は作り
得と心得て、社会多数の道徳は非常に堕落するに相違なく、背徳違倫の極端に陥りましょう。もし、人みな多少の学徳を兼備し、己にかちて道を行うことを得るならよけれども、将来なにほど一般の教育が進んでも、多数の人にこの一生だけをもって満足を与うることあたわざるは明らかであると考えます。ここにおいて、霊魂不死説が一般の人に快楽を進め満足を与え、したがって世間の道徳、風教を維持するに力あることのおびただしいわけが分かりましょう。
広き世間には、平素学問もあり、知識もあり、常に楽天主義にて、死後、未来等のことはさらに頓着せず、神も頼まず仏も信ぜず、なにごとも十二分の満足を得て意気揚然たるものがありますが、それは得意のときに限り、もし不幸、災難等しきりに起こりて、なにごとも意のごとくならず、不愉快、不満足ばかりになるときは、にわかに神に請い仏に願い、
禁厭、
祈祷、
呪術等いろいろ迷い出すに至ります。実に人間は意気地のないものであります。順境にあるときと逆境にあるときと、得意の時代と失意の時代とでは、全く別人のように変わります。また、年わかくして血気さかんなるときと、老い去りて絶望したるときと、人々の決心、覚悟の上に大なる相違があります。世間にて極端の宗教嫌いの人が、極端の宗教信者となりたる例もよく聞くことなるが、唯物的観察は、多く得意の人の得意のときに起こるように考えられます。よって拙者は、かくのごとき人に、失意のときを想像して説を立てられんことを望みます。もし、己一代中には失意のときなかるべしと思わば、世間の失意の人になり代わりて考えてみるがよろしい。さなければ、己の世界観、人間観をもって、社会多数の人に満足を与うることはできませぬ。
拙者の考うるところによれば、霊魂滅亡論は得意の人の得意のときに適するも、失意の場合に適せず。これに反して、不滅論は得意の場合と不得意の場合と双方に適します。要するに、社会の貧富
貴賤、幸不幸の万般の人に満足、安心を与うる法は、霊魂不滅論に限ると信じます。なかんずく多苦多患の人には、この説をほかにして安心を営む道なきは明らかであります。なぜなれば、人間は理性的動物にして、霊魂不滅説はよくその理性に満足を与うるからであります。古来、宗教がよく人心を固結するは、全くこの点にあると考えます。
昔、
釈迦の法を説かれたるは、学者が理屈を講ずるとは大いに相違し、あまねく一切衆生に平等一味の法楽を与えんとするの目的をもって、賢愚利鈍、貧富貴賤等、異種異階の人に安心の一道を授けられたるものがまさしく仏教にして、その説は生滅門、
真如門に分かれ、生滅門にありては、
流転輪廻を立てて、転迷開悟の要路を示されたるものに相違ない。古人の句に「君看天上一輪月、無
レ限清光照
二大千
一。」(君みる天上一輪の月、限りなく清光は大千を照らす)とあるが、釈迦はすなわち一輪の月にして、無辺の清光はその口より出でたる無量の法門と見てよろしい。その法門が貴賤貧富億万の人に一味の
法益をこうむらしむるは、いわゆる大千を照らすに当たりましょう。しかるに今日の学者は、得意の境遇にある己一人の満足をもととするがごときは、到底、社会多数の人心をして、その説に帰依せしむることはできませぬ。
霊魂不滅説の実際に及ぼす影響は、前述のごとく人に満足を与うるにとどまらず、人心を強くするにあずかりて大いに力ありと思います。人間は一生五十年の浮き橋を渡るに、気の強いように見えて案外弱いものである。例えば、一事業をなさんとするに、ひとたび失敗に会すれば、ただちに落胆して再び着手する勇気がなくなり、ついに永久の失敗となりて終わります。これ、人に忍耐力の欠けるによるというも、その忍耐力を起こすところの根本があるべき道理である。すなわち、われわれの心中に霊魂不滅の決心ありて、この肉体はいかになろうとも、精神だけは決して朽ちぬと確信することが、大いに忍耐力を鼓舞するに相違ない。ことに善悪因果説が霊魂不滅説に結合して、一層人意を強くするに至ります。ゆえに、霊魂不滅は忍耐力に大いに関係ありと考えてよろしい。したがって、その説の百般の事業に関係あることが分かりましょう。
人が災難、不幸にあって失望せざるも、やはり霊魂不滅説が大いに関係することは、前すでに述べたるが、病気に当たりて人意を強くするに、また大いに助けとなるは疑いありませぬ。とかく人は病気を恐るるものにて、その恐るるは必ずしも、
疼痛のたえ難きにあらず、また貧苦のためにもあらず、ただ病気によりてその寿を短縮するかを恐れます。換言すれば、死ぬことを恐るるからであります。このように病気を恐るれば、かえって病気を重くし、寿命を短縮するよりほかなきは明らかなれども、その心に信ずるところがないと、到底その恐れを除くことはむつかしい。その信ずるところの中では、霊魂不滅を信ずることが最も力を与うるに相違ない。もし、人間がこの一生をもって限りとし、死後、不滅の門に入ることができぬとなったなら、五十年のろうそくが消えんとするほど心細きものはありますまい。なかなか安心どころか、大迷いに迷わねばならぬ。これに反して霊魂不滅と知れば、その死に就くは、毎夜眠りに就くと同じく、決して失望も落胆もするに及ばず、安心しておることができます。ゆえに、病はなにほど重くなろうとも、平気の平左衛門で、少しも迷い出しもせず、また恐れもいたしませぬ。したがって病気も軽くなり、早く平癒するようになります。
かくして、霊魂不滅説は人に決死の覚悟を与うるに最も妙であります。ゆえに、軍人教育にはその精神を固むる方、これよりよきはありますまい。わが国も将来、欧米の強国と一大戦端を開くことなしとは申されませぬが、その準備には国民全体にこの精神を与うること最も肝要であります。その他なにごとをするにも、決死の精神ほど大切のものはありませぬ。しかして、その精神は霊魂不滅説より起こるとすれば、その説こそ実に国家の独立を保護するの金城鉄壁にして、富国強兵の基礎と申してよろしい。今やようやく内外多事に向かい、東洋の天地も風雲日に増し急ならんとする折柄なれば、国民挙げて国家のために一身を犠牲にする覚悟を養わねばなりませぬ。拙者などは、今日なお微力の一寒生同様のものなれども、国家将来の廃興存亡に関しては、いささか
杞憂を抱くものなれば、もっぱら霊魂不滅の理を講究して、これを国民に伝え、もって精神上の砲台を建設せんことを望むものであります。
世間には善人もあり悪人もありて、これを制するに国家の法律あれども、その法律に漏るる罪人も必ず多いに相違ない。かつ法律は悪人を罰する方に力あるも、善人を賞する方には不足である。また、志士、仁人にして誤りて処刑の身となり、永く獄裏に
呻吟し、
蓋世の大望を抱きながら、これを
伸ぶることあたわず、むなしく涙をのんで
昊天に訴うるものも、古来決して少なくはありますまい。その中には、死後永く
冤罪をこうむり、地下にありて
瞑することのできないものもありましょう。自ら悪を犯して刑を受くるは自業自得なれども、自ら国家のために義を唱え、社会のために仁を行いながら、しかもその身は世にいれられずして獄窓に日を送るがごときは、なんと申してよろしかろうか。かかる人には、人間一代だけで決して満足を与うることはできませぬ。もっとも、この点につきては古来、子孫百世の賞罰あることを唱え、志士、仁人の誤りて世にいれられざるも、後世その人に代わりて
冤をそそぐものもあり、あるいは碑を建て史を編み、もってその名をして不朽に伝えしむるものもありて、「
天網恢々疎にして漏らさず」とは申すけれども、拙者のみるところにては、なお後人の知らずして、天網に漏るるものも多からんと考えます。唯物論者および霊魂滅亡を唱うる人たちは、いかようにこの点を解しましょうか。優勝劣敗、弱肉強食説では、かえって人をして自暴自棄せしむるよりほかはありますまい。ゆえに道徳上、人に満足を与うるには、霊魂不滅説によりて、善悪の応報は死後必ず来るものと確信せしむるが肝要である。
諺にも、「善悪もし報いなくんば、
乾坤必ず
私あらん」ともありて、われわれは天地の正理の存する限りは、善悪必ずその報いあるべしと信じて、その賞罰を死後永遠に期するものであります。しかして、天地の正理は宇宙の正理であり、宇宙の正理は善悪応報の規則でありて、その規則は全く霊魂不滅にもとづくものなれば、われわれの安心は、霊魂不滅論によらざれば達すべからざること明らかであります。
宇宙の広大無辺なるは、到底われわれ知力の及ぶところにあらざれども、われわれの理想は宇宙の規律の一定して動かざることと、因果の規則は宇宙の規律なることを知り、善悪応報もまたその正理なることを知り、一身の死後はもちろん、社会滅亡し、天地破壊する後までも、この理は厳然として行わるるものと固く信じて、獄窓の中にあるも非命の死にかかるも、いやしくもその心は社会国家に対して寸善尺徳を施したる記憶なれば、泰然として自ら安んずることができます。これ全く、われわれの本来固有する先天的良心の光明が、内に発するゆえであります。実にこの光明と宇宙の正理が、われわれの向かうところの前路を照らして、死後永く昭々霊々の世界あることを告げてくれます。しかるに今日、学術の実験は到底ここに達せざれば、われわれはただこの良心の指導に従って進むよりほかはありませぬ。われわれもし、夜静かに人定まるときにありて、一室に端座して人生を観察しきたらば、必ず五十年の寿命の一瞬一息なるを知り、人事の期し難く、社会のたのむに足らざるを知り、これと同時に、世間は暗黒にして、われわれの良心に満足を与うるあたわざるを知るに至るに相違ない。また、われわれが死期に際し、自ら臨終のきたるを知り、兄弟、妻子に永別を告ぐるに当たりては、いかなる
豪邁の士も人生のはかなきを感じ、世事の非なるを知り、必ず迷い出すに相違ない。このときにありて、この心を慰むるものは、ただ霊魂不滅の一理のみであります。この理はよくわが良心の光を助けて、死後永く前路の向かうところを示し、
尽未来際を照らして、われわれに無上の安心、満足を与うるに至ることを忘れてはなりませぬ。けだし、宗教の一世を感化して風教を
裨補する点は、全くこの一事であります。
かくして拙者は、古来、世人の最も惑いかつ聞かんことを欲する、霊魂問題につきて数回を重ねて述べたりしが、今、その要領を一括すれば、霊魂滅亡を唱うる論者に俗人と学者との二種ありて、俗人の方は別に深き考えはなく、ただ己の憶断をもって論ずるまでなれば、これを俗論派と名づけて
駁撃を加え、学者の方はもっぱら西洋の唯物論によるものなれば、これを唯物派と称してその不合理なるを弁明し、つぎに、さらに実際上より霊魂不滅論の必要なるゆえんを開陳いたしました。よって理論上および実際上、双方より一とおり説明したるつもりであります。ただ遺憾なることは、理論上の説明は宇宙全体の問題にわたり、時間、空間のなんたる、世界万有のなんたる、いちいち証明を要する次第にして、到底これを細論する余地なければ、『破唯物論』およびその他の著書に譲ることにいたしました。また、霊魂不滅論に関して、仏教の善悪因果説、生死
輪廻説、地獄極楽説をも略弁するの必要を感じ、一言を加うるに至りました。
拙者の講演の順序は大略そのとおりでありますが、これよりその論を実施する方法を述ぶるに、人は霊魂の不滅なるを知りたる以上は、時々刻々これを心頭に銘じ、業務の余暇はもちろん、業務中といえどもこれを心中に味わい、いったん人事の意のごとくならざることあらば、これによりてその心を安んじ、また不幸、災難のその身に集まることあらば、これによりてその意を強くするようにいたし、他日、国家の大事あるに当たりては、これによりて決死の精神を起こし、一朝
冤罪をこうむる場合には、これによりて良心の光明を点じ、いよいよ臨終に迫らば、これによりて安心
瞑目するように心掛くるがよろしい。かくして、平常、社会に立ちて人事を観ずるにもこれを思い、天地を望みて風月を観ずるにもこれを念じ、
造次顛沛もこの一事をして心頭を離れざらしむるに至らば、人生五十年間は幸福、愉快ばかりで日を送ることができます。苦を転じて楽となし、
禍を転じて福とする道も、けだし、このほかにはありますまい。果たしてしからば、この道理を知るものは真の知者にして、これを知らざるものは真の愚人と申して差し支えありませぬ。すでにかく安心したる上は、人間一生は肺臓と心臓の動く限り、身を労し心を
役して、百難千苦を排して進み、決してグズグズして光陰を徒費することはできぬ。どこまでも社会のために事業とともに倒るる決心を持ち、日本国民としては、世界無類の国体を、天壌無窮に伝うることを祈念せなければなりませぬ。ひとたび霊魂不滅を信ずる以上は、その決心を抱くはもちろんのことにして、もしその決心なきにおいては、断じて霊魂不滅を信ぜざるものとみてよろしい。拙者などは、微力ながら生涯事業とともに倒るる決心なれば、自ら安閑徒然としておることができぬばかりでなく、人の碁を打ち将棋を指すのを見てすらも、不愉快でたまりませぬ。そうして拙者
一己の安心は、霊魂不滅を信ずるはもちろん、山川風月を観ずるごとに、世界の幽玄高妙なるを感じ、自ら理想の楽を味わい、仏教のいわゆる
此土寂光の妙趣は、けだし、ここにあらんかと想像しております。もし、拙者が山川に対して口吟したる自得の悟道を述ぶれば、左のとおりであります。
笑いて山色を観ずれば、山もまた笑い、泣いて水声を聴けば、水もまた泣く。もししからば、泣いて聴かんより、むしろ笑いて観ぜよ。
かく申すと禅宗めきておりますけれども、人生五十年の旅路の
鬱散には、かかる人生観、世界観の必要を感じ、相対的世界にありてすらも、かくのごとき愉快ある以上は、絶対的世界すなわち真正の理想世界の愉快はいかばかりならんかと、推して想像することができます。あなかしこ。
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日本書紀神功皇后
ノ巻
ニ云
ク、神有
レ誨曰、和魂服
二王身
一而守
二寿命
一、荒魂為
二先鋒
一而導
二師船
一。
(『
日本書紀』
神功皇后の巻にいわく、「神の
誨うることありて曰わく、『
和魂は
王身に
服いて
寿命を守らん。
荒魂は
先鋒なして
師船を導かん」と)
五憲法
ニ曰
ク、古儒為
レ知也、天有
二帝神
一有
レ変、地有
二后祇
一有
レ化、人有
二魂魄
一有
レ奇、物有
二精霊
一有
レ怪、皆天有也。
(『
五憲法』に曰く、「古儒の知たるや、天に帝神ありて変あり。地に
后祇ありて化あり。人に
魂魄ありて奇あり。物に精霊ありて怪あり。みな天有なり」と)
又曰
ク、後儒
ハ謂
ク、神
ハ陰陽之霊、故
ニ罔
レ云
二常躬鎮坐
一。又謂
ク魂
ハ気血之精耳、故議
二思死魂散滅
一、是人間理量
ニシテ非
二神仙
ノ知
一、罔
二鎮坐
一、則三輪五瀬不
レ知
レ所
レ立、魂散滅則菟狭芳野云何
ソ立
ン。
(また曰く、「後儒は
謂らく、神は陰陽の霊なり。ゆえに
常躬鎮坐をいうことなし。また謂らく、魂は気血の精のみ。ゆえに死魂散滅と議思す。これ人間の理量にして、神仙の知にあらず。鎮坐することなければ、すなわち三輪五瀬立つところを知らず。魂、散滅するときは、すなわち
菟狭、芳野ここになんぞ立てん」と)
大成経
ニ曰
ク、心者理之魂也、気者理之身也、乃至其未
二天
ノ興
一先
キニ在
二常世国
一、神
ハ皆理
ノ身也、故無
レ欲無
レ迷、故無
二寿
ノ終
ル時
一、始
ノ天祖
ノ身是也云云。
(『
大成経』に曰く、「心は理の魂なり。気は理の身なり。ないし、その天のいまだ興らざる先に、
常世の国あり。神はみな理の身なり。ゆえに欲なく、迷いなし。ゆえに寿の終わるときなく、
始めの天祖の身これなり、
云云」と)
天地麗気府録
ニ曰
ク、真如界変成
二金剛宝杵
一、宝杵変成
二風気
一、風気転成
レ神、神変成
レ生、生転成
二魂魄
一、魂魄転成
二人体
一。(元元集)
(『
天地麗気府録』に曰く、「
真如界、変じて
金剛宝杵となり、宝杵変じて風気となり、風気転じて神となる。神変じて生となり、生転じて魂魄となり、魂魄転じて人体となる」と)(『
元元集』)
神代口訣
ニ曰
ク、神者嘉牟嘉美也、略云
二嘉美
一、神慮如
三明鏡之照
二万物
一、不
レ捨
二一法
一、不
レ受
二一塵
一也、在
レ天者神、在
二万物
一者霊、在
レ人者真心也、万物之霊、人之心、清明則神也、儒書
ニ云、陽之精気曰
レ神、陰之精気曰
レ霊、又曰
ク陽精者上
レ天、陰霊者下
二根
ノ国
一。
(『
神代口訣』に曰く、「神は
嘉牟嘉美なり。略して嘉美という。神慮は明鏡の万物を照らすがごとく、一法を捨てず、一
塵を受けざるなり。天にあるは神、万物にあるは霊、人にあるは真心なり。万物の霊、人の心、清明なれば、すなわち神なり。儒書にいう、『陽の精気を神という、陰の精気を霊という』」と。また曰く、「陽の精なるものは天に上り、陰の霊は根の国に下る」と)
両部神道口決鈔
ニ曰
ク、此不生不滅本覚本来之真心、雖
二一睡一露無念無相太極之地
一不増不減、死又不
レ滅也。
(『
両部神道口決鈔』に曰く、「この不生不滅、本覚本来の真心、一睡一露、無念無相、太極の地といえども、不増不減、死もまた滅せず」と)
本居宣長曰く、「さて死すれば妻子、
眷属、朋友、家財、万事をもふりすて、
馴れたるこの世を永く別れ去りて、ふたたびかえり来ることあたわず。かならずかの
穢き
予美の国に
往くことなれば、世の中に死ぬるほどかなしきことはなきものなり。(予美と申すは地下の根底にありて、根の国、底の国とも申して、はなはだきたなく
悪しき国にて、死せる人の
罷り往くところなり)」と。また曰く、「
譬えば神は人にて、幽事は人のはたらくがごとく、世の中の人は人形にて、顕事はその人形の首手足などありて、はたらくがごとし」と。(『玉くしげ』)
平田篤胤曰く、「人の生まるる始めのこと、死にてのちの理などを
推慮にいうは、
甚も
益なき
事なれば、ただに古伝説を守りて、人の生まるることは、
天津神の
奇妙なる
産霊の
御霊によりて、父母の生みなして、死ぬれば、その
霊永く
幽界に
帰きおるを、人これを祭れば、来たり

ることと、ありのままに心得おりて、
強ちにその上を
穿鑿でもあるべきものなり」と。(『
鬼神新論』)
平田また曰く、「人死にて
神魂と
亡骸と二つに
別たる上にては、
骸は
汚穢ものの限りとなり、さては
夜見の国の物に
属く
理なれば、その骸に触れたる火に
汚のできるなり。また
神魂は骸と分かりては、なお清く
潔かる
謂れありとみえて、火の
汚穢をいみじく
忌み、その
祭祠をなすにも、
汚のありては、その
享を受けざるなり」と。(『
霊能真柱』)
『
顕幽順考論』にいわく、「死後の霊魂の在状を、凡庸とはいいながら
小智き
輩が、皇国の古伝説をはじめ、漢説、仏説、蘭説などをも
々聞きとりて、さすがに仏説などには
泥まざれども、その諸説の是非、当否を分別することあたわざるがゆえに、死後はただ寝入りたる間のごときものにして、すべて知覚なきものなるべく、心一つに思い定めたる徒、多かるよしにきこゆるは、なお漢説、仏説の染みつきたる心の
垢の清まらざればぞかし。もし、ひたすらに寝いるがごとくにして知覚なきものぞといわば、遠き神明の上司正氏が妻女のごときをいかにとする、いわんや天満宮、崇徳院、
金毘羅宮なりなどの霊験いと皓著なるをいかんとかする」と。
『
弁弁道書』にいわく、「清明なるものはその
神魂天に昇りて神明となる、邪曲無道の者はその神魂霊ならずして、降りて幽谷、山野に迷い、畜身の胎中にも入る」と。
浦田長民曰、以
レ幽為
レ宅、以
レ顕為
レ寓者魂也、魂出
レ幽而来
二於顕
一則身生、去
レ顕而帰
二於幽
一則身死、幽顕分
レ域而一魂居
レ之、生死殊
レ途而一魂渉
レ之。(大道本義)
(
浦田長民曰く、「幽をもって宅となし、顕をもって寓となすは魂なり。魂は幽より出でて顕にきたれば、すなわち身、生ず。顕を去りて幽に帰すれば、すなわち身、死す。幽顕、域を分かちて一魂これにおる。生死、
途をことにして一魂これを
渉る」と)(『
大道本義』)
『
撞賢木』に曰く、「魂はすなわち神なり。神代の神は神にして、その魂またなお神なり。人のただ魂のみ神なるごときにあらず。魂は形あるかと思えばなきがごとく、なきかとおもえばたしかにありて、奇霊まことに測りがたし。(中略)かくて生成の功なるときは、その魂天に昇る、もとにかえるなり。もしこの反なれば、
黄泉国へ追わる、これおおかたの定めになんありける」と。
『
於茂秘伝草』に曰く、「おおよそ
現身のこのわが世間に、幽顕の二道あり。顕事は掛けまくも
畏き
天皇命、これを
領し、幽事は
大物主神しろしめせり。しかればわれも
他も
生の
涯、天皇命の大御政に
服従い、天皇命の
大御意を己が
意とし、万事を
皇朝廷に
随せ奉り、さて寿尽きて
身死らば、大物主の神慮に
服従い、その神の御意を己が意とし、万事をその神の御思慮に
順わせ奉らば、さてこともなかるべきを、いかなればかこの世のほかの
憂懶を
怯れて、覚なき後の栄華を求めむずらむ」と。
『
神代教義解』にいわく、「そもそも人の生まれ出ずるもとは、
産霊大神の産霊によって神魂を降し、父母に託して生ましめ給うことにて、ないし年老い期至りて身亡びぬれば、形体は土に帰り、霊魂は天に帰る。これ、おのおのその本元に帰るにて道理のままなり。しかるに天神の御教えにそむき、人たる道に
違えば、道理のまにまに天に帰ることあたわず、その罪の形状に従いて相当たる罰を受く。その賞罰の権を
大国主は
主り給うなり」と。
黄帝曰、形靡而神不
レ化。
(
黄帝曰く、「形、
靡にして神、化せず」と)
老子
ニ曰
ク、谷神不
レ死、是謂
二玄牝
一、玄牝之門、是謂
二天地根
一。
(『
老子』に曰く、「
谷神は死せず、これを
玄牝という。玄牝の門、これを天地の根という」と)
老子述義
ニ曰
ク、神者生之本也、形者生之具也。又曰
ク、原
ルニ二我性命
一受
二化於心
一、心受
二之於意
一、意受
二之於精
一、精受
二之於神
一、形体消而神不
レ毀、性命既而神不
レ終、形体易而神不
レ変、性命化而神常然。
(『老子述義』に曰く、「神は生の本なり。形は生の具なり」と。また曰く、「わが性命をたずぬるに、化して心を受く。心これを意に受け、意これを精に受け、精これを神に受く。形体消えて、神やぶれず。性命すでにして、神おわらず。形体
易わりて、神変ぜず。性命化して、神つねにしかり」と)
孔子曰、未
レ知
レ生、焉知
レ死。
(孔子曰く、「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」と)
礼記祭法篇
ニ曰
ク、人死曰
レ鬼、此五代所
レ不
レ変也。
(『
礼記』祭法篇に曰く、「人の死するを鬼という。これ五代の変ぜざるところなり」と)
礼記祭儀篇
ニ曰
ク、人生有
レ気有
レ魂、有
レ魄気也者神之盛也、魄也者鬼之盛也、衆生必死、死必帰
レ土、此謂
レ鬼、魂気帰
レ天、此謂
レ神。
(『礼記』祭義篇に曰く、「人生、気あり魂あり魄あり。気なるものは神の盛んなるなり。魄なるものは鬼の盛んなるなり。
衆生必ず死す、死すれば必ず土に帰る、これを鬼という。魂気、天に帰す、これを神という」と)
家語云、子貢問
二於孔子
一曰
ク、死者有
レ知乎、将無
レ知乎、子曰
ク、吾欲
レ言
二死之有
一レ知、将
ニ恐
二孝子順孫妨
レ生以送
一レ死、吾欲
レ言
二死之無
一レ知、恐
下不孝之子棄
二其親
一而
上レ不葬、賜不
レ欲
レ知
下死者有
レ知与
上レ無
レ知、非
二今之急
一後自知
レ之。
(『
家語』にいう、「
子貢、孔子に問いて曰く、『死者、知ることあるか、はた知ることなきか』子曰く、『われ死の知ることありといわんと欲すれば、まさに孝子順孫の生を妨げてもって死を送らんことを恐る。われ死の知ることなしといわんと欲すれば、不孝の子のその親をすてて葬らざらんことを恐る。賜や、死者の知ることあると知ることなきとを知らんと欲せざれ。今の急にあらず。のち自らこれを知らん』」と)
墨子
ニ曰
ク、自
レ古以及
レ今、生民以来者、亦有
下嘗見
二鬼神之物
一、聞
中鬼神之声
上、則鬼神何謂
レ無乎、若莫
レ聞莫
レ見、則鬼神可
レ謂
レ有乎。又曰
ク、凡殺
二不辜
一者、其得
二不祥
一、鬼神之誅、若
レ此之※
[#「りっしんべん+僭のつくり」、U+2F8AE、379-2]※
[#「二点しんにょう+(嗽−口)」、U+906C、379-2]也、以
二若書之説
一観
レ之、則鬼神之有、豈可
レ疑哉。又曰
ク、古今之為
レ鬼、非
レ他也、有
二天鬼
一、亦有
二山水鬼神者
一、亦有
二人死而為
レ鬼者
一、云云。
(『
墨子』に曰く、「
古よりもって今に及ぶまで、
生民より以来、またかつて鬼神の物を見、鬼神の声を聞きしことあれば、すなわち鬼神なんぞなしといわんや。もし聞くことなく、見ることなくば、すなわち鬼神ありというべけんや」と。また曰く、「およそ
不辜を殺す者は、その不祥を得、鬼神の
誅せんこと、かくのごとく
※※[#「りっしんべん+僭のつくり」、U+2F8AE、379-6][#「二点しんにょう+(嗽−口)」、U+906C、379-6]なり、と。この書の説をもってこれをみれば、すなわち鬼神のあること、あに疑うべけんや」と。また曰く、「古今の鬼たる、他にあらず。天鬼あり、また山水の鬼神なる者あり、また人死して鬼となる者あり」と)
列子
ニ曰
ク、精神者天之分、骨骸者地之分、属
レ天清而散、属
レ地濁而聚、精神離
レ形、各帰
二其真
一、故謂
二之鬼
一、鬼帰也、帰
二其真宅
一、黄帝曰、精神入
二其門
一、骨骸反
二其根
一。
(『
列子』に曰く、「精神は天の
分、
骨骸は地の分。天に属するものは、清にして散じ、地に属するものは、濁にしてあつまる。精神
形を離るれば、おのおのその真に帰す。ゆえにこれを鬼という。鬼は帰なり。その真宅に帰するなり。黄帝曰く、『精神はその門に入り、骨骸はその根に
反る』」と)
荘子
ニ曰
ク、至人神矣、大沢焚而不
レ能
レ熱、河漢沍而不
レ能
レ寒。又曰
ク、死生亦大矣、而不
レ得
二与
レ之変
一。又曰
ク、其鬼不
レ祟、其魂不
レ疲、一心定而万物服。
(『
荘子』に曰く、「
至人は
神なり。
大沢焚くるも
熱くあたわず。
河漢沍れども
寒えしむるあたわず」と。また曰く、「
死生はまた大なり。しかるにこれと変ずるを得ず」と。また曰く、「その鬼
祟えず、その魂疲れず。一心定まりて万物服す」と)
左伝
ニ曰
ク、能、人生始化曰
レ魄、既生
レ魄、陽曰
レ魂、用
レ物精多、則魂魄強、是以有
三精爽至
二於神明
一、匹夫匹婦強死、其魂魄猶能馮
二依於人
一、以為
二淫
一、況良霄。
(『
左伝』に曰く、「
能くせん。人の生、はじめて化するを
魄という。すでに魂を生ず。陽を
魂という。物を用いて
精多ければ、すなわち
魂魄強し。ここをもって、
精爽にして神明に至るあり。
匹夫、匹婦も
強死すれば、その魂魄、なおよく人に
馮依して、もって
淫
をなす、いわんや
良霄をや」と)
史記黄帝本紀注
ニ曰
ク、死而不
レ亡謂
二之神
一、死而不
レ祀謂
二之鬼
一。
(『
史記』黄帝本紀の注に曰く、「死して亡びざる、これを神という。死して
祀らざる、これを鬼という」と)
賈誼曰
ク、忽然為
レ人兮、何足
二控摶
一、化為
二異物
一兮、亦何足
レ患、若
二人之形
一千変万化、未
二始有
一レ極、忽然為
レ人矣、化為
二異物
一矣。
(
賈誼曰く、「
忽然として人となり、なんぞ
控搏に足らん。化して異物となり、またなんぞ患うに足らん。人の形のごときは、千変万化、いまだ始めより極あらず。忽然として人となり、化して異物となる」と)
抱朴子曰
ク、按
二九鼎記及青霊経
一、並
ニ云
ク、人物之死
スル倶有
レ鬼也。
(『
抱朴子』に曰く、「『
九鼎記』および『
青霊経』を案ずるに、ならびにいわく、『人物の死するは、ともに鬼あるなり』」と)
文子称
二黄帝之言
一曰
ク、形有
レ靡而神不
レ化、以
二不化
一乘
レ化、其変無窮。(『弘明集』)
(
文子、黄帝の言と称して曰く、「形、
靡あれば、神、化さず。不化をもって化に乗じ、その変、無窮」と)(『
弘明集』)
淮南子
ニ曰
ク、精神
ハ天之有也、而骨骸
ハ者地之有也、精神入
二其門
一、而骨骸反
二其根
一、我尚何存。
(『
淮南子』に曰く、「精神は天の有なり。しかして
骨骸は地の有なり。精神はその門に入り、しかして骨骸はその根に
反る。われ、なおいずくにか存せん」と)
王充論衡
ニ曰
ク、夫死人不
レ能
レ為
レ鬼則亦無
レ所
レ知矣、何以験
レ之、以
二未生之時無
一レ所
レ知也、人未
レ生在
二元気之中
一、既死復帰
二元気
一、元気荒忽、人気在
二其中
一、人未
レ生無
レ所
レ知、其死帰
二無知之本
一、何能有
レ知乎。
(
王充『
論衡』に曰く、「それ死人、鬼となるあたわざる。すなわちまた知るところなし。なにをもってこれを験するや、いまだ生のとき知るところなきをもってなり。人いまだ生まれざれば、元気のうちにあり、すでに死すればまた元気に帰る。元気
荒忽、人気はそのうちにあり、人いまだ生まれざれば、知るところなし。その死、無知の本に帰す。なんぞよく知ることあるか」と)
揚子法言
ニ曰
ク、或問
レ神曰心、請聞
レ之、曰潜
レ天而天、潜
レ地而地、天地神明而不
レ測者也、乃至人心其神矣乎、操則存、捨則亡云云。
(『
揚子法言』に曰く、「あるひと、神を問う、曰く、『心』と。請う、これを聞かんと。曰く、『天に
潜しては天なり、地に潜しては地なり。天地は神明にして測られざるものなり。ないし人の心はそれ神なるか、
操るときはすなわち存し、捨つるときはすなわちなし、
云云』と)
白虎通
ニ曰
ク、魂魄者何謂、魂猶
二伝伝
一也、行不
レ休
二於外
一也、主
二於情
一、魄者迫然著
レ人、主
二於性
一也。
(『
白虎通』に曰く、「
魂魄とはなんのいいぞ。魂はなお伝伝のごとし。行きて外に休まず、情を
主る。魄は迫然として人に
著きて性を主る」と)
晋書
ニ曰
ク、阮修字宣子、好
二易老
一善
二清言
一、嘗有
下論
二鬼神有無
一者
上、皆以人死者有
レ鬼、修独以為
レ無、曰今見
レ鬼者、云着
二生時之衣服
一、若人死有
レ鬼、衣服有
レ鬼耶、論者服焉。
(『
晋書』に曰く、「
阮修、
字は
宣子、易、老を好み、清言をよくす。かつて、鬼神の有無を論ずる者あり。みなもって人の死するは鬼ありとす。修ひとりもってなしとなす。曰く、『今、鬼を見る者はいう、生時の衣服に着くと。もし、人の死して鬼あらば、衣服に鬼あるということか』論者、ここに服す」と)
韓退之曰
ク、有
レ形而無
レ声者物有
レ之矣、土石是也、有
レ声而無
レ形者物有
レ之矣、風霆是也、有
二声与
一レ形者物有
レ之矣、人獣是也、無
二声与
一レ形者物有
レ之矣、鬼神是也。
(
韓退之曰く、「形ありて声なきものは、物にこれあり、土石これなり。声ありて形なきものは、物にこれあり、
風霆これなり。声、形とあるものは、物にこれあり、人獣これなり。声と形となきものは、物にこれあり、鬼神これなり」と)
張横渠曰
ク、聚亦吾体、散亦吾体、知
二死而不
一レ亡者可
二与言
一レ性矣。又曰、気生
二於人
一、生而不
レ離、死而遊散謂
レ魂、聚而成
二形質
一、雖
レ死而不
レ散謂
レ魄。
(
張横渠曰く、「あつまりて、またわが体、散じて、またわが体、死して
亡びざるを知るは、ともに性をいうべし」と。また曰く、「気は人を生かし、生に離れず。死して遊散するを魂といい、あつまりて形質をなす。死すといえども散ぜざるは魄という」と)
程明道曰
ク、物生則気聚、死則散、有
レ声則須
二是口
一、既触
レハ則須
二是身
一、其質既壊、又安
ソ得
レ有。
(
程明道曰く、「物、生まれてすなわち気あつまり、死してすなわち散ず。声あり、すなわちこれが口をもちい、すでに触るれば、すなわちこれが身をもちう。その質すでに
壊れば、またいずくんぞあるをえん」と)
程伊川曰
ク、神与
レ性元不
二相離
一、則其死也何合之有。又曰
ク、魂謂
レ精、魄謂
レ死也、魂帰
二于天
一、消散之意。
(
程伊川曰く、「神と性とはもと相離れず。すなわちその死するや、なんぞ合うことかこれあらん」と。また曰く、「魂は精をいい、魄は死をいうなり。魂、天に帰すとは、消散の意なり」と)
程子曰
ク、聚為
二精気
一、散為
二遊魂
一、聚則為
レ物、散則為
レ変、観
二聚散
一則鬼神之情状著矣、万物之終始不
レ越
二聚散
一而已、鬼神者造化之功也。(性理大全)
(
程子曰く、「あつまるを精気となし、散ずるを遊魂となす。あつまるときは物をなし、散ずるときは変をなす。
聚散をみるときは、すなわち鬼神の情状
著わる。万物の終始、聚散を越えざるのみ。鬼神は造化の功なり」と)(『
性理大全』)
監田呂氏曰
ク、万物之生莫
レ不
レ有
レ気、気也者神之盛也、莫
レ不
レ有
レ魄、魄也者鬼之盛也。故人亦鬼神之会爾、鬼神者周
二流天地之間
一、無
レ所
レ不
レ在、雖
二寂然不
一レ動而有
二感必通
一、雖
二無
レ形無
一レ声而有
二所謂昭昭不
レ可
レ欺者
一。(性理大全)
(
監田呂氏曰く、「万物の生、気にあらざるはなし。気なるものは神の盛んなるなり。魄にあらざるはなし。魄なるものは鬼の盛んなるなり。ゆえに、人はまた鬼神の会するのみ。鬼神は天地の間に周流して、あらざるところなし。寂然として動かずといえども、感じて必ず通ずることあり。形なく声なしといえども、いわゆる昭々として欺くべからざるものあり」と)(『性理大全』)
朱子曰
ク、人鬼之気則消散而無
レ余矣、其消散亦有
二久速之異
一、人有
下不
レ伏
二其死
一者
上、所
二以既死而此気不
レ散為
レ妖為
一レ怪。
(
朱子曰く、「人鬼の気はすなわち消散して余りなし。その消散もまた久速の異あり。人、その死に伏せざる者あり。すでに死せるも、この気散ぜずして、妖をなし怪をなすゆえんなり」と)
朱子曰
ク、蓋死則魂気上升、而魄形下降。又曰、尽則魂気帰
二于天
一、形魄帰
二于地
一、而死矣、人将
レ死時熱気上出、所
レ謂魂升也、下体游冷、所謂魄降也。又曰、其魂気発
二揚于上
一。又曰、人生時魂魄相交、死則離而各散去、魂為
レ陽而散上、魄為
レ陰而降下。(朱子語類)
(朱子曰く、「けだし、死すればすなわち魂気上昇して、魄形下降す」と。また曰く、「尽くればすなわち魂気天に帰し、形魄地に帰して死す。人のまさに死せんとするとき、熱気上出す、いわゆる魂、昇るなり。下体は遊冷す、いわゆる魄、降るなり」と。また曰く、「その魂気、上に発揚す」と。また曰く、「人の生くるときは魂魄相交わり、死すればすなわち離れて、おのおの散去し、魂は陽となって散上し、魄は陰となって降下す」と)(『朱子語類』)
南軒張氏曰
ク、就
二人物
一而言
レ之、聚而生為
レ神、散而死為
レ鬼、又就
二一身
一而言
レ之、魂気為
レ神、体魄為
レ鬼。(性理大全)
(
南軒張氏曰く、「人物につきてこれをいえば、あつめて生ずるを神となし、散じて死するを鬼となす。また、一身につきてこれをいえば、魂気は神となり、体魄は鬼となる」と)(『性理大全』)
西山真氏曰
ク、以
二人之身
一論
レ之、生則曰
レ人、死則曰
レ鬼、此生死之大分也、然自
二其生
一而言
レ之則自
レ幼而壮、此気之伸也、自
レ壮而老、自
レ老而死、此又伸而屈也、自
二其死
一而言
レ之則魂遊魄降、寂無
二形兆
一、此気之屈也、及
二子孫享祀以
レ誠感
一レ之則又来格、此又屈而伸也。(性理大全)
(
西山真氏曰く、「人の身をもってこれを論ず。生くるときはすなわち人といい、死するときはすなわち鬼という。これ生死の大分なり。しからば、その生よりしてこれをいわば、すなわち幼よりして壮、これ気の伸なり。壮よりして老、老よりして死、これまた伸びて屈するなり。その死よりしてこれをいわば、すなわち魂遊、魄降、寂として形兆なき、これ気の屈するなり。子孫
享祀して誠をもってこれを感ずるに及びては、すなわちまたよく来たり
格る。これまた屈して伸ぶるなり」と)(『性理大全』)
小学
ニ曰
ク、形既朽滅
シ、神亦飃散。
(『
小学』に曰く、「形すでに朽滅し、神また
飃散す」と)
四声字音
ニ云
ク、鬼
ハ人
ノ死
スル神魂也。
(『
四声字音』にいわく、「鬼は人の死する神魂なり」と)
李屏山曰
ク、人物
ハ有形之鬼神、鬼神
ハ無形之人物。(鳴道集説)
(
李屏山曰く、「人物は有形の鬼神、鬼神は無形の人物」と)(『
鳴道集説』)
上蔡曰
ク、人死時気尽也。
(
上蔡曰く、「人、死するとき気尽くるなり」と)
何承天
ノ達性論
ニ云
ク、至
二於生
一必有
レ死、形斃神散、猶
二春栄秋落四時代換
一、奚有
二於更受
一レ形哉。(弘明集)
(
何承天の『
達性論』にいわく、「生ずるに至れば、必ず死あり。形
斃し、神散ず。なお春に栄え、秋に落ち、四時代換するがごとし。なんぞさらに形を受けることあらんや」と)(『
弘明集』)
三教平心論
ニ曰
ク、生死去来、惟意所
レ適、神通変化不
レ可
二測量
一。
(『
三教平心論』に曰く、「
生死去来、これ意の適するところ、
神通変化は測量すべからず」と)
伝習録
ニ曰
ク、蕭恵問
二死生之道
一、先生曰
ク、知
二昼夜
一即知
二死生
一、問
二昼夜之道
一、曰知
レ昼則知
レ夜、曰昼亦有
レ所
レ不
レ知乎、先生曰
ク、汝能知
二昼


而興、蠢蠢而食
一、行
テ不
レ著、習
テ不
レ察、終日昏昏、只是夢昼、惟息
モ有
レ養、瞬有
レ存、此心惺惺明明、天理無
二一息間断
一、才
ニ是能知
レ昼、這便是天徳、便是通
二乎昼夜之道
一而知、更有
二甚麼死生
一。
(『
伝習録』に曰く、「
蕭恵、死生の道を問う。先生曰く、『昼夜を知らば、すなわち死生を知らん』と。昼夜の道を問う。曰く、『昼を知らば、すなわち夜を知らん』と。曰く、『昼もまた知らざるところありや』と。先生曰く、『
汝よく昼の
々として
興き、
蠢々として食するを知るのみ。行いて著しからず、習いて
察かならず、終日
昏々として、ただこれ夢の昼なり。ただ
息も養うあり、
瞬も存することあり、この心
惺々明々として、天理一息の間断なくして、わずかにこれよく昼を知るなり。これすなわちこれ
天徳にして、すなわちこれ昼夜の道に通じて知るなり。さらに
甚麼の死生かあらん』」と)
草木子
ニ曰
ク、天主
レ神、地主
レ鬼、神主
レ伸、鬼主
レ屈、伸主
レ聚、屈主
レ散、此二者所
下以生
二万物
一死
中万物
上之大端也。又曰、鬼者人之影、死者生之終。
(『
草木子』に曰く、「天は
神をつかさどり、地は
鬼をつかさどる。神は伸をつかさどり、鬼は
屈をつかさどる。伸は
聚をつかさどり、屈は散をつかさどる。この二者は万物を生じ、万物を死せしむるゆえんの大端なり」と。また曰く、「鬼は人の影、死は生の終」と)
文海披沙
ニ曰
ク、生以
レ形運、而死以
レ神運。
(『
文海披沙』に曰く、「生は形をもって
運り、死は神をもって運る」と)
理学類編
ニ曰
ク、問人死魂魄便散否、晦菴答曰散矣。
(『
理学類編』に曰く、「問う、『人の死して魂魄すなわち散ずるやいなや』
晦菴、答えて曰く、『散ずるなり』」と)
性理字義
ニ曰
ク、以
二生死
一論、生者気之伸、死者気之屈、就
二死上
一論、則魂之升者為
レ神、魄之降者為
レ鬼、魂気本
二乎天
一、故騰上、体魄本
二乎地
一、故降下。又曰、天地之間亦有
二沈魂滞魄
一、不
レ得
二正命
一、而死者未
レ能
二消散
一、有
レ時或能作
レ怪、但久復自当
レ消耳。
(『
性理字義』に曰く、『生死をもって論ずれば、生は気の
伸、死は気の
屈。死の上について論ずれば、すなわち魂の
升るは神となり、魄の
降るは鬼となる。
魂気は天にもとづく、ゆえに騰上し、
体魄は地にもとづく、ゆえに降下す」と。また曰く、「天地の間、また沈魂、滞魄あり。正命を得ずして、死する者のいまだ消散することあたわざれば、時ありて、あるいはよく怪をなす。ただし、久しくしてまた
自らまさに消ゆるべきのみ」と)
南秋江
ノ鬼神論
ニ云
ク、人死而何帰、曰体魄帰
二於地
一、魂気帰
二於天
一[#「魂気帰二於天一」は底本では「魂気帰レ於天一」]、曰帰而有
レ形乎、曰鬼無形也、有
レ声乎、曰
ク鬼無
レ声也、有
レ心乎、曰鬼無
レ心也、乃至天地之気莫
レ不
二始而終、至而帰、生而死
一、而決無
二終而復始
マリ、帰而復生
ル之理
一。
(
南秋江の『
鬼神論』にいわく、「『人の死して、いずくにか帰せん』曰く、『体魄は地に帰し、魂気は天に帰す』と。曰く、『帰して形あるや』と。曰く、『鬼は形なし、声あるや』と。曰く、『鬼は声なし、心あるや』と。曰く、『鬼は心なし、ないし、天地の気、始まりて終わり、至りて帰り、生まれて死せざることなし。しかして、決して終わりてまた始まり、帰してまた生まるの理なし』」と)
林羅山曰
ク、人物之生也、皆天地陰陽之所
レ感、生者自息、死者自消、譬如
二逝川之不
一レ舎
二昼夜
一、更無
二一息之間断
一也、今年之春非
二去年之春
一、樹頭之花非
二復根之花
一。
(
林羅山曰く、「人物の生や、みな天地陰陽の感ずるところ、生は自息、死は自消。たとえば、
逝く川の昼夜を
舎かざるがごとし。さらに一息の間断もなし。今年の春は去年の春にあらず、樹頭の花はまた、根の花にあらず」と)
易曰原
レ始反
レ終、故知
二死生之説
一。由
レ之観
レ之無
二人死再生之義
一、雖
レ然聚散遅速如
二火之初滅而烟気猶鬱
一乎、故有
二鬼神之感格
一、有
二
霊之来出
一、有
二精爽之依託
一、有
二魂魄之流行
一、而其終由
二大虚
一、無
レ所
レ不
レ之、何蹤跡之遺有哉、況其人死又託胎乎、仏氏三世之説、今之果夙之因也、今之因後之果也、其要至
レ令
二人人修
レ善止
一レ悪而已、下愚庸昧不
レ悟
二此意
一、恐懼疑惑、遂以為実有
二三世
一、是必野狐耳。(神社考)
(『
易』に曰く、「始めを
原ね終わりに
反る。ゆえに死生の説を知る」と。これによってこれをみれば、人の死して再び生ずるの義なし。しかりといえども、集散遅速は火の初めて滅して、煙気なお
鬱せるがごとし。ゆえに、鬼神の感格あり、
霊の来出あり、
精爽の依託あり、魂魄の流行あり。しかも、その終わりは大虚により、
之かざるところなし。なんの
蹤跡かこれ
遺すことあらんや。いわんやその人の死して、また託胎せんや。仏氏三世の説、今の果は
夙の因なり、今の因は後の果なり。その要は人々をして善を修め、悪を
止めしむるに至るのみ。
下愚庸昧なるものは、この意を悟らず、
恐懼疑惑して、ついにおもえらく、実に三世ありとす。これ必ず
野狐のみ)(『
神社考』)
熊沢蕃山曰く、「根本天理を
稟け得て生ずるものなれば、死するとひとしく本然にかえるといえる理あれども、一度体を
稟けて霊気のあつまる所あれば、子たるものの哀慕に感じ復するにより、かえりやどれる至理
昧からずあるものなり。その子の哀慕に感じてかえるも、また天理に
順い、生々不息と相合せることわりなり」と。(『
葬祭弁論』)
物徂徠曰
ク、由
レ無而之有、謂
二之神
一、由
レ有而之無、謂
二之鬼
一、惟夫於
二其之
一也、可
三以知
二鬼神之情状
一也。又曰
ク、先正有
レ言、鬼者人之影也、人者鬼之形也、影之与
レ形相肖、人之寿百有二十、鬼之寿亦百有二十、五世而
二其主
一、其諸有
二以取
一焉乎、大人之生
二斯世
一、豈能塊然徒処也、其心志之所
二周旋
一、日夜之所
二郷往
一、後
二其死
一数十年、而其物具存、自
二体魄一淪
一知
二気之所
一レ馮、其惟于
レ茲乎、鬼与
レ物之相謀、有則倶有也、鬼乎影乎、其莫
レ有
二自運之力
一、有
三以竢
二乎養
一也耳。(徂徠集)
(
物徂徠曰く、「無よりしてこれあり、これを神という。有よりしてこれなし、これを鬼という。ただそれ、そのこれにおけるや、もって鬼神の情状を知るべし」と。また曰く、「まず正に言あり、鬼は人の影なり、人は鬼の形なり、影と形と相
肖る。人の寿は百有二十、鬼の寿はまた百有二十、五世してその主を

め、その諸、もって取るあり。たいてい人のこの世に生まるる、あによく塊然として
徒処せんや。その心志の周旋するところ、日夜の
郷往するところ、その死してのち数十年、しかもその物、具存して、
体魄一
淪より、気の
馮るところを知る。それただここにおいてか、鬼と物とこれ相謀り、あればすなわち
倶にあるなり。鬼か影か、それ自運の力あることなし。もって養うをまつあるのみ」と)(『
徂徠集』)
貝原益軒曰
ク、天地之気、人物各資而始生焉、人死則其気既消散、魂亦殫尽而無
レ余矣、只有
二子孫之気
一、相継而不
レ絶耳。(自娯集)
(
貝原益軒曰く、「天地の気、人物おのおの資してはじめて生ず。人、死すればすなわちその気すでに消散し、魂もまた
殫尽して余りなし。ただ子孫の気ありて、相継いで絶えざるのみ」と)(『
自娯集』)
新井白石曰く、「それ、水はいたりて清けれども、氷を結ぶときは明らかならず。神いたりて明らかなれども、形を結ぶときは明らかならず。氷解けては清にかえり、形散じては明にかえる。ゆえに、覚むるは霊ならずして夢は霊に、生けるは霊ならずして死せるは霊なり」と。(『鬼神論』)
佐藤直方曰
ク、魂魄合則生、離則死。又曰、神者気之伸、鬼者気之屈、気之方伸者属
レ陽、故為
レ神、気之屈者属
レ陰、故為
レ鬼、神者伸也、鬼者帰也、云云。(鬼神集説序)
(
佐藤直方曰く、「
魂魄合すれば、すなわち生まれ、離るればすなわち死す」と。また曰く、「神は気の伸、鬼は気の屈、気の方伸は陽に属し、ゆえに神となる。気の屈は陰に属し、ゆえに鬼となる。神は伸なり、鬼は帰なり、
云云」と)(『
鬼神集説』序)
山片子蘭曰く、「人の生ずるは草木の
萌生するがごとし。その死するは枯るるがごとし。また、その子あるは種実を
蒔きて生ずるがごとし。すべて一盛一衰の道理、生まれてだんだんと陽気盛んになりても、またついには衰え、命尽きて死し、消散して土に帰す。ゆえに鬼は帰なりという。春
種えて夏長じ秋収まるのことにして、これすなわち鬼神の情状なり」と。
帰正漫録
ニ曰
ク、覚
ハ昏而夢
ハ霊、生
ハ正而死
ハ神、造物之所
三以使
二人謹
一レ死也。
(『
帰正漫録』に曰く、「覚は
昏にして夢は霊、生は正にして死は神、造物の人をして死を謹ましむるゆえんなり」と)
異端弁正
ニ曰
ク、釈氏又謂、死而精魂不
レ散、復借
二父精母血
一以生
二其形体
一、如
レ此則父母之名
ハ皆仮托之具
ニシテ以啓
二天下後世不慈不孝之心
一、其忍心害理之言、亦何
ソ謬妄哉。
(『
異端弁正』に曰く、「釈氏またいう、『死して精魂散ぜず、また父精母血を借りて、もってその形体を生ず』と。かくのごとければ、すなわち父母の名はみな仮托の具にして、もって天下後世不慈不幸の心を
啓く。その忍心害理の言、なんぞ
謬妄なるかな」と)
護法資治論
ニ曰
ク、一心其源謂
二之性
一、所
二知覚
一謂
二之識
一、能応
レ物謂
二之霊
一、発
二妙智
一謂
二之神
一、離
レ形遠往謂
二之遊魂
一、統属
二一心
一、去来変化無窮無尽。
(『
護法資治論』に曰く、「一心その源は、これを性という。知覚するところは、これを識という。よく物に応ずるは、これを霊という。妙智を発するは、これを神という。形を離れて遠往するは、これを遊魂という。すべて一心に属し、去来、
変化、無窮、無尽なり」と)
大和三教論
ニ曰
ク、夫古聖人之教則君子死後昇
レ天作
レ神、故祭有
二降神
一、乃至小人則死後帰
レ地作
レ鬼、時或為
レ変。
(『
大和三教論』に曰く、『それ古聖人の教えは、すなわち君子の死後、天に昇り神となる。ゆえに、祭りて降神あり。ないし小人、すなわち死後、地に帰りて鬼となる、ときにあるいは変となす」と)
『
閑際筆記』にいわく、「池上入道祖節曰く、『儒者おもえらく、死するときはこの身朽ち滅び、神もまた
飄散して、
焼舂磨、かつ施すところなしと。しからず、夢をもってこれを試むべし。高より
堕ち、刃に
傷れて身にあずからず。しかるに、わが心に痛苦を知る。死後は
躯殻なしといえども、しかも神魂なおあり、痛苦いずくんぞ知らざらんや』と。余曰く、『夢中に痛苦を知るは、血気身にあり痛むべきの理あり。神魂これ
舎る、よく知るゆえんなり。死せる者は土木のごとし、痛むべきの理なし。この理なければこのことなし』」と。
大塩中斎曰
ク、有
二形質
一者、雖
レ大有
レ限、而必滅矣、無
二形質
一者、雖
レ微無
レ涯而亦伝矣。(洗心洞剳記)
(
大塩中斎曰く、『形質あるものは大なりといえども限りありて、必ず滅す。形質なきものは微なりといえども
涯りなくして、また伝う」と)(『
洗心洞剳記』)
大橋訥庵曰く、「かの鬼神といい、
魂魄といい、精神知覚というの類は、いかにも霊妙自在にして、擬議にも及ばざるところあれども、これはなお気に属して、気の精というまでなれば、やはり屈伸消息ありて、理の動かざるがごときにあらず、
云云」と。(『
闢邪小言』)
『
閑聖漫録』に曰く、「動植の物、死し枯るるにもその生の終にして、また死すれば生気を子に伝う。その道のほかに死道ということあるべき理なし。人は生道を尽くして足れり。死道はいうに及ばず。ゆえに、孔子も『未
レ知
レ生焉知
レ死』(いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん)とのたまえり。人道は生を知るにあるのみなり。いわんや、未来を説くは
憶度より出でたる空言にして、実事はなく人倫に益なし」と。
安井息軒曰
ク、死者有
レ知乎、我不
二得而知
一レ之也、死者無
レ知乎、我不
二得而知
一レ之也、塊然之形化為
二穢土
一、而魂気則無
レ所
レ不之乎、我不
二得而知
一レ之也、倏忽乎来、倏忽乎去、禍福糾縄、孰知
二其極
一、所
レ可
レ知者、独生人之道而已。(息軒遺稿)
(
安井息軒曰く、「死者は知ることあるか、われ得てこれを知らず。死者は知ることなきか、われ得てこれを知らず。塊然の形、化して
穢土となる。しかして魂気はすなわち
之かざるところなしか、われ得てこれを知らず。
倏忽として来たり、倏忽として去り、禍福
糾縄す。たれその極を知る。知るべきところのものは、ひとり生人の道のみ」と)(『
息軒遺稿』)
十返舎一九曰く、「無情にして有情に化するものは、腐草化して蛍となるの類、離形にして有形をなすものは、折枝を地にさすにおのずから根づくがごとし。いわんや人の魂気存して、異形を
露わし霊をなすこと、各物に着するの情
逼する故なり」と。(『
怪物輿論』)
馬琴いわく、「神は心なり、鬼は気なり。人の心気は形なし、鬼神また形なし。人の心気はよく眼目のみるところにあらず、鬼神の見がたきこれをもってしるべし。ないし、人死してその
魂魄いまだ散ぜざる間は、
冤鬼となりて人の目に見ゆることもあるべし。我俗これを幽霊という。ないし、冤鬼の人に見らるるも、その魂魄いまだ散ぜざるあいだにあるべし。その人死して
夥の年を経たらんには、魂魄すでに散滅す。魂魄散滅して冤鬼とならんと欲するともよくせんや」と。
塩尻云、人之初生以
二七日
一為
レ臘、人之初死
ス以
二七日
一為
レ忌、一臘而一魄成、故七七四十九日而七魄具矣、一忌而一魄散、故七七四十九日而七魄散矣。
(『
塩尻』にいう、「人のはじめて生まれ、七日をもって
臘をなす。人のはじめて死す、七日をもって忌をなす。一臘して一
魄なり。ゆえに七七、四十九日にして七魄
具わる。一忌して一魄散ず。ゆえに七七、四十九日にして七魄散ず」と)
『
梅園叢書』にいわく、「死して後は生まれざる前のごとし。生まれざる前われしらず。死して後われいずくんぞしらん。むべなるかな。聖人そのしるべきところをもとめて、その知るべからざるところをいわざることを」と。
長阿含
ニ云
ク、我有
二罪人
一、捉令
二釜煮蓋
一レ之、令
二人守禦
一、乃至煮死不
レ見
二神出
一、故知
ル二死無
一レ神也、是婆羅門作
二如
レ是計
一、迦葉曰、汝若睡時、神識出入、傍人見否、無也。
(『
長阿含経』にいわく、「われに罪人あり、捉えて釜煮して、これを
蓋わしめ、人をして
守禦せしむ。ないし煮死するに
神の出ずるを見ざるゆえに、死して神なきことを知るなり。これ
婆羅門、かくのごとく
計をなす。
迦葉の曰く、『
汝がもし
睡るとき、
神識出入す、傍人見しやいなや』なきなり」と)
長阿含
ニ云
ク、迦葉婆羅門不
レ信
二因果
一、死有
二地獄
一、迦葉問
テ曰
ク、何以知
レ無、曰
ク我有
二親友
一病重、看
レ之為
メニ曰
ク、若
シ死
シテ入
二地獄
一者当来相報
セヨ、至
レ今不
レ来、所
二以知
一也、迦葉曰
ク、獄囚有
レ異、何暇
アリテ能来
ン、如
二囚赴
レ市人
一、肯放帰報
二及妻子
一、況
ヤ地獄卒無情者乎。
(『長阿含経』にいわく、「迦葉婆羅門、因果を信ぜず。死して地獄にあり。迦葉問いて曰く、『なにをもってなきを知る』と。曰く、『われに親友あり、病重し。これを
看て、ために曰く、もし死して地獄に入らば、まさに来たりて相報ぜよ、と。今に至るも来たらず、知るゆえんなり』と。迦葉の曰く、『獄囚異あり、なんの暇ありてよく来たらん。囚、市に赴く人のごとくならば、あえて放し帰りて妻子に報及せん。いわんや地獄の卒、無情の者をや』」と)
心地観経
ニ曰
ク、有情輪廻生
二六道
一、猶如
三車輪無
二始終
一。
(『
心地観経』に曰く、「有情
輪廻して六道に生ずることは、なお車輪の始終なきがごとし」と)
本生心地観経
ニ曰
ク、心如
二流水
一、念念生滅、於
二前後世
一不
二暫住
一故
ニ。
(『本生心地観経』に曰く、「心は流水のごとし。念々に生滅し、前後世において、しばらくも
住まらざるがゆえに」と)
法句譬喩経
ニ曰
ク、人死神去、便
チ更
ニ受
レ形、父子因縁会
レ居、譬如
二寄客起則離散
一、愚迷縛著、計為
二己有
一、沈
二溺生死
一、唯有
レ慧者不
レ貪
二恩愛
一、勤
二修経戒
一、滅
二除識想
一、生死得
レ尽。
(『
法句譬喩経』に曰く、「人、死し
神去り、すなわちさらに
形を受く。父子因縁ありて居に会す。たとえば
寄客の
起てば、すなわち離散するごとく、
愚迷、
縛著して、己の
有となす。
生死に
沈溺し、ただ
慧ある者のみ
恩愛を
貪らず、経戒を
勤修す。識想を滅除し、生死尽くるを
得」と)
無量寿経
ニ曰
ク、生死流転無
レ有
二休止
一。又曰生死無
二窮已
一。
(『
無量寿経』に曰く、「
生死の流転、
休止あることなし」と。また曰く、「生死窮まり
已むことなし」と)
灌頂経
ニ云、阿難問
レ仏、若人造
二立墳塔
一、是人精魂在
レ中以不、仏言亦在、亦不在、阿難又問、云何亦在亦不在、仏言其魂在者、若人生時不
レ種
二善根
一、不
レ識
二三宝
一而不
レ為
レ悪、無
レ善受
レ福、無
レ悪受
レ殃、無
二善知識
一、為
二其修福
一、是以精魂在
二塚塔中
一未
レ有
二去処
一、是故言
レ在、云
二不在
一者、或其前生在世之時大修
二福徳
一、精勤行
レ道、或生
二天上人間
一受
レ福、及不
レ信
二真正
一、殺盗造
レ罪、堕
二在畜生餓鬼之中
一、備受
二衆苦
一経
二歴地獄
一、故言
レ不
レ在
二塚塔中
一也。
(『
灌頂経』にいわく、「
阿難、仏に問う、『もし人、墳塔を造立すれば、これ人の精魂の中にあるやいなや』と。仏いう、『またあり、またあらず』と。阿難また問う、『いかんが、またあり、またあらずや」と。仏いう、『その魂のあるとは、もし人の生時に善根をうえず、三宝をしらずして悪をなさざれば、善なくして福を受け、悪なくして
殃を受けん。善知識なく、その
修福をなすならば、これもって精魂
塚塔中にあり、いまだ去処するにあらず、と。このゆえに、ありという。あらずというは、あるいはその前生在世のとき、大いに福徳を修し、
精勤して道を行い、あるいは天上・人間に生まれ、福を受けん。および
真正を信ぜず、殺盗して罪をつくらば、
畜生・
餓鬼の中に堕在し、つぶさに
衆苦を受け、地獄を経歴せん、ゆえに塚塔中にあらずといわん』」と)
因果経
ニ曰
ク、一身死壊、復受
二一身
一生死無量、譬如
下尽
二天下草木
一斬以為
二籌数
一、其故身不
上レ能
二窮尽
一。
(『
因果経』に曰く、「一身
死壊して、また一身を受け、生死無量なること、たとえば、天下の草木を尽くして、
斬りて、もって
籌数となすに、そのゆえに身を
窮尽するあたわざるがごとし」と)
百喩経
ニ云
ク、外道等執
二於常見
一、便謂
二過去未来現在唯是一識無
一レ有
二遷謝
一、乃至大智諸仏教
三諸外道除
二其常見
一、一切諸法念念生滅、何有
二一識
ノ常恒不変
一。
(『
百喩経』にいわく、「
外道等
常見に
執われ、すなわちいわく、『過去、未来、現在、ただこれ一識にして
遷謝あることなし』と。ないし、大智諸仏は、もろもろの外道にその常見を除くを教え、一切の諸法は念念に生滅す、なんぞ一識の常恒不変なるあらん」と)
維摩経
ニ曰
ク、若見
二生死性
一則無
二生死
一、無
レ縛無
レ解、不
レ然不
レ滅。
(『
維摩経』に曰く、「もし
生死の
性を見れば、すなわち生死なし。
縛なく
解なく、
然せず
滅せず」と)
円覚経
ニ曰
ク、心也者沖虚妙体、炳※
[#「火+(而/大)」、U+7157、397-1]霊明、無
レ去無
レ来、冥
二通三際
一、非
レ中非
レ外、洞
二徹十方
一、不
レ滅不
レ生、豈四山之可
レ害、離
レ性離
レ相、奚
ソ五色之能盲。
(『
円覚経』に曰く、「心なるものは、
沖虚妙体、
炳※[#「火+(而/大)」、U+7157、397-3]霊明、去ることなく来たることなく、三際に
冥通し、中にあらず外にあらず、十方を洞徹し、滅せず生ぜず、あに
四山これを
害うべからんや。性を離れ相を離れ、なんぞ五色、これをよく盲せんや」と)
楞伽経
ニ曰
ク、彼生滅者是識、不生不滅者是智。
(『
楞伽経』に曰く、「かの生滅するは、これ識、不生不滅は、これ智」と)
勝鬘経
ニ曰
ク、世間言説
ノ故
ニ有
レ死有
レ生、死者諸根壊
ル、生者新
ニ諸根起
ルナリ、非
二如来蔵
ニ有
レ生有
一レ死、如来蔵
ハ離
二有為相
一、如来蔵
ハ常住不変
ナリ。
(『
勝鬘経』に曰く、「世間の言説のゆえに、死あり生あり。死とは諸根の
壊するなり。生とは新たに諸根の起こるなり。
如来蔵に生あり死あるにはあらず。如来蔵は
有為の相を離る、如来蔵は常住にして不変なり」と)
楞厳経
ニ曰
ク、一切衆生従
二無始
一来生死相続、皆由
レ不
レ知
二常住真心性浄明体
一、用
二諸妄想
一、此想不
レ真、故有
二輪転
一。
(『
楞厳経』に曰く、「一切
衆生、無始より
来かた、生死相続することは、みな常住の
真心、
性浄明の
体を知らざるにより、もろもろの妄想を
用って、この想は真ならず、ゆえに輪転あり」と)
占察経
ニ曰
ク、衆生心体従本以来不生不滅、自性清浄無障無礙猶
二虚空
一。
(『
占察経』に曰く、「
衆生の心体はもとより以来、不生不滅にして自性清浄なり。
無障無礙なること、なお
虚空のごとし」と)
十誦律
ニ云
ク、比丘疑
二火葬
一殺
二身中八万戸虫
一、仏言人死虫亦死。
(『
十誦律』にいわく、「
比丘、火葬を疑う、身中の八万戸の虫を殺さんと。仏いわく『人死すれば、虫もまた死す』」と)
婆沙論
ニ云
ク、待
レ死如
二寄客去
一、如
レ至
二大会
一、多集
二福徳
一、故捨
レ命時無
レ畏、復作
二是念
一、随
二所受
ノ身
一末後心滅為
レ死、若爾
ラバ心念念滅、皆応
レ有
レ畏、非
二但末後心滅可
一レ畏也。
(『
婆沙論』にいわく、「死を待つは寄客の去るがごとし、大会いたるがごとし。多くの福徳を集めるがゆえに、命を捨つるときは
畏れなし。またこの念をなさん、所受の身に従って、末後心滅するを死となす。もししからば、
心念念に滅すれば、まさに畏れあるべし。ただ、末後の心の滅するを畏るべきのみにあらざるなり」と)
成実論
ニ曰
ク、是心念念生滅、不
レ待
二煩悩
一、又曰
ク、是心心時
ニ即滅、未
レ有
二垢相
一、心時滅已、垢何所
レ染。又曰
ク、是相続心
ハ世諦
ノ故
ニ有、非
二真実義
一。
(『
成実論』に曰く、「この心は念念に生滅して煩悩をまたず」と。また曰く、「この心心時にすなわち滅すればいまだ
垢相あらず、心時に滅しおわらば、垢はなんの染するところぞ」と。また曰く、「この相続心は
世諦のゆえに有にして、真実義にはあらず」と)
起信論
ニ曰
ク、所謂心性
ハ不生不滅。又曰
ク、是真心常恒不変。
(『
起信論』に曰く、「いわゆる心性は不生不滅なり」と。また曰く、「これ
真心は
常恒不変」と)
智度論
ニ曰
ク、問云
ク、無
レ有
二死生因縁
一、何以故、人死帰
レ滅云云、答曰
ク、若汝謂
二身滅便無
一者、云何有
二衆生先世所
レ習憂喜怖畏等
一、如
二小児
ノ生
ルル時
一、或啼或笑、先習
二憂喜
一故、今無
二人
ノ教
フル一而憂喜続生、又如
二犢子
一、生
ナカラ知
レ趣
レ乳、猪羊之属、其生未
レ幾、便知
レ有
二牝牡之合
一、子同
二父母
一、好醜貧富聡明闇鈍、各各不同也、若無
二先世因縁
一者不
レ応
レ有
レ異、如
レ是等種種因縁
ヲ以
テ知
レ有
二後世
一。
(『
智度論』に曰く、「問いていう、『死生の因縁あることなし。なんのゆえぞや、人は死して滅に帰すればなり、
云云』と。答えて曰く、『もし
汝、身滅して、すなわち無なりといわば、いかんぞ衆生の先世に習うところの憂喜、怖畏等あらんや。小児の生まるるときのごとく、あるいは
啼き、あるいは笑うは、まず憂喜を習うがゆえなり。人の教うることなくして、しかも憂喜続生す。また
犢子は生まれながらに乳に趣くことを知り、猪羊の属はその生まれていまだいくばくならざるに、すなわち
牝牡の合あることを知る。子は父母と同じくするも、好醜、貧富、聡明、暗鈍、おのおの不同なり。もし、先世の因縁なくば、まさに異なることあるべからず。かくのごとき等の種々の因縁をもって後世あることを知る」と)
十二因縁論
ニ云
ク、如
レ是臨
二命終時
一、心識為
レ因、是故得
レ生
二後身心識
一、而彼心識、不
レ可
レ説
レ一、亦不
レ離
レ彼、亦不
レ即
レ彼、云云。(大蔵一覧集)
(『
十二因縁論』にいわく、「かくのごとくして、命終わるのときに臨んで、心識を因となす。このゆえに後身心識を生ずるを得。かの心識は一と説くべからず、またかれを離れず、またかれに即せず、
云云」と)
倶舎論
ニ曰
ク、由
三眼等
ノ根
ニ有
二転変
一故
ニ、諸識転異、随
二根
ノ増損
一識明昧故、云云。
(『
倶舎論』に曰く、「眼等の根に、転変あるによるがゆえに、諸識も転異す。根の増損に隨って識に
明昧あるゆえに、
云云」と)
倶舎論
ニ曰
ク、死有
ノ後在
二生有
ノ前
一、二者中間有
二五蘊起
一、為
レ至
二生処
一故
ニ起
二此身
一、二趣
ノ中間故名
二中有
一。又曰
ク、有生死生
ハ是相続法、如何
カ間絶言
レ無
二中有
一、乃至猶如
二種果
一、是続生、種果無
二間絶
一、死生是続生、死生無
二間絶
一、云云。
(『倶舎論』に曰く、「
死有ののち、
生有の
前にありて、二者の
中間に、
五蘊の起こるあり。
生処に至らんがためのゆえに、この
身を起こす。二
趣の中間なるがゆえに、
中有と名づく」と。また曰く、「有生じ死生ずるはこれ相続の法、いかにか間絶して中有なしという。ないし、なお種と果のごとし。これ続生して種と果に間絶なし。死生これ続生、死生に間絶なし、
云云」と)
唯識論
ニ曰
ク、此識性無始時来、刹那刹那果生因滅、果生故非
レ断、因滅故非
レ常、非
レ断非
レ常、是縁起理故。
(『
唯識論』に曰く、「この識性は無始のときより
来、刹那刹那に果生ずれば因滅す。果生ずるがゆえに断にあらず、因滅するがゆえに常にあらず、断にもあらず常にもあらず、これ
縁起の理なるが故なり」と)
法華玄義
ニ曰
ク、心如
二幻焔
一、但有
二名字
一、名
レ之為
レ心、適言
二其有
一、不
レ見
二色質
一、適言
二其無
一、復起
二慮想
一、不
レ可
下以
二有無
一思度
上故、故名
レ心為
レ妙。
(『
法華玄義』に曰く、「心は
幻焔のごとくただ名字のみあり、これを名づけて心となす。たまたまそれありというも色質を見ず、たまたまそれなしというも、また慮想を起こす。有無をもって思度すべからざるがゆえに、ゆえに心を名づけて妙となす」と)
大乗義章
ニ云
ク、生死果報是有不
レ無、故名為
レ有、乃至報分始起、名為
二生有
一、命報終謝、名為
二死有
一、生後死前、名為
二本有
一、対
二死及中
一故説為
レ本、両身之間所
レ受陰形、名為
二中有
一。
(『
大乗義章』に曰く、「
生死の果報は、これ
有にして無ならず。ゆえに名づけて有となす。ないし、報分はじめて起こるを、名づけて
生有となし、
命報終謝するを、名づけて
死有となし、生後死前を名づけて、
本有となす。死および中に対するがゆえに、説いて
本となす。両身の間に受くるところの陰の形を、名づけて
中有となす」と)
宗鏡録
ニ引
二顕識経
一云
ク、識之運転遷滅往来、猶如
二風大無
レ色無
レ形不
一レ可
二顕現
一、乃至衆生身死
トキハ、識持
二受覚法界
一、以至
二他生
一、因
二父母縁
一而識託
レ之。
(『
宗鏡録』に『
顕識経』を引きていわく、「識の運転、遷滅、往来はなお風大、色なく形なく顕現すべからざるがごとし。ないし、衆生身の死ぬときは、識、受覚法界を持し、もって他生に至り、父母の縁によりて、識これに託す」と)
宗鏡録
ニ曰
ク、不
下為
二垢法
一之所
上レ染、寧為
二浄法
一之所
レ治、非
二生死之所
一レ羈、豈涅槃之能寂
センヤ、遂
ニ称
二識主
一、故号
二心王
一。
(『宗鏡録』に曰く、「
垢法のために染せられず。なんぞ
浄法のために治せらるるや。生死の
羈するところにあらず。あに
涅槃のよく寂せんや。ついに
識主と称する、ゆえに
心王と号す」と)
義楚六帖
ニ云
ク、倶舎
ニ曰
ク、漸死足斉心最後意識滅、下人天不生。断末摩水等。
(『
義楚六帖』にいわく、「『
倶舎』に曰く、『
漸死には
足と
臍と
心とに、最後に意識滅す。下と人と天は不生なり。断末摩は水等なり』」と)
安楽集
ニ曰
ク、従
二無始劫
一来、在
レ此輪廻無窮、受
レ身無数。又曰、輪
二廻六道
一、受
二苦楽二報
一、生死無
レ窮。
(『
安楽集』に曰く、「
無始劫より
来、ここに在りて
転廻窮まりなく、身を受くること無数なり」と。また曰く、「六道に輪廻して苦楽の二報を受けて、生死窮まりなし」と)
牟子理惑論
ニ云
ク、魂神固不
レ滅矣、但身自朽爛耳、身譬如
二五穀之根葉
一、魂神如
二五穀之種実
一、根葉生必当
レ死、種実豈有
二終亡
一、得
レ道身滅耳。
(『
牟子理惑論』にいわく、「魂神はまことに不滅なり。ただ身自ら
朽爛するのみ。身はたとえば、五穀の根葉のごとし。魂神は五穀の種実のごとし。根葉は生まるれば必ずまさに死すべし。種実にあに終亡あらんや。道を得て身滅するのみ」と)
法苑珠林
ニ云
ク、韓詩外伝曰、死為
レ鬼、鬼者帰也、精気帰
二於天
一、肉帰
二於土
一、血帰
二於水
一、脈帰
二於沢
一、声帰
二於雷
一、乃至呼吸之気復帰
二於人
一。
(『
法苑珠林』にいわく、「『
韓詩外伝』に曰く、『死して鬼となる。鬼は帰なり。精気は天に帰し、肉は土に帰し、血は水に帰し、脈は沢に帰し、声は雷に帰す。ないし、呼吸の気、また人に帰す』」と)
宝蔵論
ニ曰
ク、其生也人、其死也魂、相似相続。
(『
宝蔵論』に曰く、「その生ずるや人、その死するや魂、相似相続す」と)
原人論
ニ云
ク、若
シ生
ハ是稟
レ気而※
[#「炎+欠」、U+6B3B、402-13]チ有、死是気散而※
[#「炎+欠」、U+6B3B、402-13]無、則誰為
二鬼神
一乎、且世有
下鑑
二達前生
一追
中憶往事
上、則知
ル生前相続非
二稟
レ気而※
[#「炎+欠」、U+6B3B、402-14]チ有
一、又験
二鬼神霊知不
一レ断、則知
ル死後非
二気散而※
[#「炎+欠」、U+6B3B、402-14]無
一。
(『
原人論』にいわく、「もし生はこれ気を
稟けて、しかしてたちまちあり。死はこれ気散じて、しかしてたちまち無ならば、すなわち誰をか鬼神となすや。かつ、世に前生を鑑達し、往事を追憶することあり。すなわち知る、生前の相続にして気を稟けて、しかしてたちまちあるにあらず。また、鬼神の霊知断ぜざることを
験す。すなわち知る、死後気散じてたちまちなきにあらずを」と)
慧遠
ノ形尽神不滅論
ニ云
ク、夫神者何
ソ耶、精極而為
レ霊者也、精極則非
二卦象之所
一レ図、故聖人以
二妙物
一而為
レ言、云云。(弘明集)
(
慧遠の「形尽神不滅」の論にいわく、「それ神とはなんぞや。精、極まりて霊となるものなり。精極まるとは、すなわち
卦象の図るところにあらず。ゆえに聖人は妙物をもって言をなす、
云云」と)(『
弘明集』)
宋宗炳明仏論
ニ曰
ク、群生之神、其極雖
レ斉而随縁遷流、成
二
妙之識
一而与
レ本不
レ滅矣、今雖
三舜生
二於瞽
一舜之神也、必非
二瞽之所
一レ生則商均之神、又非
二舜之所
一レ育、生育之前素有
二
妙
一矣、既本立
二於未生之先
一、則知
二不
レ滅於既死之後
一矣。(弘明集)
(宋の
宗炳『
明仏論』に曰く、「群生の神は、その極は
斉しといえど、しかも縁に従って遷流し、
妙の識を成せども、しかも
本とともに不滅なり。今、
舜は
瞽より生まるといえども、舜の神は必ずや瞽の生むところにあらず。すなわち
商均の神は、また舜の育するところにはあらず。生育の前、
素より

妙あるなり。すでに本は未生の先に立てば、不滅を既死のあとに知る」と)(『弘明集』)
宋鄭道子
ノ神不滅論
ニ云
ク、夫火因
レ薪則有
レ火、無
レ薪則無
レ火、薪雖
レ所
二以生
一レ火、而非
二火之本
一、火本自
ラ在
リ、因
レ薪為
レ用耳、若待
レ薪然後有
レ火、則燧人之前其無
二火理
一乎、火本至陽、陽為
二火極
一、故薪是火所
レ寄非
二其本
一也、神形相資亦猶
レ此矣。(弘明集)
(宋の
鄭道子の『
神不滅論』にいわく、「それ、火は
薪によりて、すなわち火あり。薪なければ、すなわち火なし。薪は火を生ずるゆえんなりといえども、しかも火の
本にあらず。火の本は自らあり、薪によりて用をなすのみ。もし薪をまちてしかるのちに火あらば、すなわち
燧人の前にそれ火の理なからん。火の本は至陽なり。陽を火の極となす。ゆえに、薪はこれ火の寄るところにして、その本にはあらざるなり。神形相資するは、またなおかくのごとし」と)(『弘明集』)
広弘明集
ニ云
ク、若形即是神、神即是形、二者相資
テ理無
二偏謝
一、則神亡之日、形亦応
レ消、而今有知之神亡、無知之形在
レ此、則神本非
レ形、形本非
レ神、不
レ可
レ得
二強令
一レ如
レ一也、云云。
(『
広弘明集』にいわく、「もし、形すなわちこれ神、神すなわちこれ形にして、二者相
資けて理として偏謝することなければ、すなわち神
亡ぶるの日、形もまたまさに消ゆべし。しかも今、有知の神は
亡われ、無知の形のみここにあらば、すなわち神はもと形にあらず、形はもと神にあらずして、また強いて一のごとくならしむことを得べからざるなり、
云云」と)
倶舎麟記
ニ云
ク、鬼者帰也、謂捨
二此身
一帰
二于後際
一。
(『
倶舎頌疏麟記』にいわく、「鬼は帰なり。いう、この身を捨てて、
後際に帰す」と)
輔教編
ニ云
ク、万物有
二性情
一、古今有
二死生
一、然而死生性情未
下始不
二相因
一而有
上レ之、死固因
二於生
一、生固因
二於情
一、情固因
二於性
一、使
下万物而浮
中沈於生死
上者
ハ情為
二其累
一也。
(『
輔教編』にいわく、「万物性情あり、古今死生あり。しかりしこうして、死生、性情いまだはじめより相よらずして、しこうしてこれあるはあらず。死はまことに生により、生はまことに情により、情はまことに性による。万物をして生死に浮沈せしむるものは、情その累をなせばなり」と)
尚直編
ニ云
ク、神識猶
二屋中之人
一也、人既出
テ之
ク不
レ顧
二房屋
一、神識既出、不
レ顧
二幻身
一、晦庵所
レ謂形既朽滅、神亦飄散、雖
レ有
二
焼舂磨
一且無
レ所
レ施、是則惟見
二幻身生滅
一、不
レ知
三神識不
二消滅
一也、是猶
下惟知
二房屋傾頽
一、不
上レ知
二屋中之人先出、屋外渾無
一レ損也。
(『
尚直編』にいわく、「
神識はなお屋中の人のごとし。人すでに出でて
之くに、房屋を顧みず。神識すでに出でて、幻身を顧みず。
晦庵がいわゆる形すでに朽滅して、神また
飄散す。
焼舂磨ありといえども、かつ施すところなし。これ、すなわちひとり幻身の生滅を見て、神識の消滅せざることを知らず。これなおひとり房屋の
傾頽を知って、屋中の人、まず出でて屋外すべて損することなきを知らざるがごとし」と)
盂蘭盆経疏新記
ニ云
ク、仏教所宗人
ハ以
二霊識
一為
レ本、四大形質為
二霊識
ノ所依
一。
(『
盂蘭盆経疏新記』にいわく、「仏教所宗の人は霊識をもって本となす。四大形質は霊識の所依となす」と)
同書
ニ云
ク、儒謂
二神霊
一、即仏教
ノ識性
ナリ、霊識不
レ滅、所謂常存、儒教尚
二形生
一、事
レ死、葬及祭等
ノ礼皆為
レ重
レ形、言
レ厚
レ形者謂
ク、但行
二祭祀
一、言
レ薄
レ神者謂、不
レ厳
二去識
一、若稟
二仏教
一、則厚
レ神而薄
レ形矣。
(同書にいわく、「儒に
神霊というは、すなわち仏教の
識性なり。霊識滅せず、いわゆる常に存す。儒教は形生を
尚び、死をこととして、葬および祭等の礼、みな形を重んずることとなす。形に厚くすというは、いわく、ただ
祭祀を行うなり。神に薄くすというは、いわく、去識厳しからざるなり。もし仏教を
稟くるときは、すなわち神に厚くして、形に薄くす」と)
仏法金湯録
ニ云
ク、人得
二天地之形気
一而生、所
三以宰
二是形気
一者、心之神霊也、天地之間凡気有
レ尽、凡形有
レ滅、惟神霊不
レ属
二形気
一故無
二変滅
一、乃至天神地祇与
二人心之神霊
一、皆不
二変滅
一者也。
(『
仏法金湯録』にいわく、「人は天地の形気を得て生ず。この形気に宰たるゆえんのものは、心の神霊なり。天地の間、およそ気は尽くることあり、およそ形は滅することあり。ひとり神霊は形気に属せず、ゆえに変滅なし。ないし、
天神地祇は人心の神霊とともに、みな変滅せざるものなり」と)
仏法金湯編
ニ云
ク、袁宏以為
ラク、人死精霊不
レ滅、随復受
レ形、生時所
レ行善悪、皆有
二報応
一。(漢郊祀志)
(『
仏法金湯編』にいわく、「
袁宏おもえらく、人、死して精霊滅せず。したがいてまた形を受く。生けるとき、行うところの善悪、みな報応あり」と)(『
漢郊祀志』)
又同編
ニ云
ク、魏収撰
二仏老志
一、略
ニ曰
ク生生之類三世神識常不
レ滅也、凡為
二善悪
一必有
二報応
一、漸積
二勝業
一陶
二冶粗鄙
一、経
二無数形
一澡
二錬神明
一、乃至
二無生
一而得
二仏道
一。
(また同編にいわく、「
魏収、仏老志を撰す。略に曰く、『
生々の類、三世神識常に滅せず。およそ善悪をなせば、必ず報応あり。ようやく勝業を積みて、
粗鄙を陶冶し、無数の形を経て、神明を
澡錬し、すなわち無生に至りて、仏道を得」と)
百法問答抄
ニ云
ク、死時六識先滅、七八次死、生時
ニハ七八先
ツ生
シテ、六識次生。
(『
百法問答抄』にいわく、「死するときは六識まず滅し、七、八ついで死す。生まるるときは七、八まず生じ、六識ついで生ず」と)
秘蔵宝鑰
ニ曰
ク、生生生生暗
二生
ノ始
一、死死死死冥
シ二死終
一。
(『
秘蔵宝鑰』に曰く、「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに
冥し」と)
永覚禅師曰
ク、夫人身
ハ一天地也、天地有
二成壊
一、而為
二天地之主宰
一者未
二嘗滅
一也、故壊而復成、人身有
二生死
一、而為
二人身之主
一者、未
二嘗滅
一也、故死而復生。
(永覚禅師曰く、「それ人身は一天地なり。天地、
成壊ありて、しかも天地の主宰となるものは、いまだかつて滅せざるなり。ゆえに
壊してまた成す。人身、生死ありて、しかも人身の主たるものは、いまだかつて滅せざるなり。ゆえに死してまた生ず」と)
往生要集
ニ曰
ク、如
レ是展転作
レ悪受
レ苦、徒生徒死、輪転無
レ際、如
二経偈
ニ云
一、一人一劫中所
レ受諸身骨、常積不
二腐敗
一、如
二毘布羅山
一、一劫尚
ホ爾
リ況
ヤ無量劫
ヲヤ。
(『
往生要集』に曰く、「かくのごとく
展転して、悪を
作し苦を受け、
徒に生まれ徒に死して、
輪転して
際なし。経の
偈にいうがごとし、『一人の
一劫のなかに、受くるところのもろもろの身の骨、常に積みて腐敗せずは、
毘布羅山のごとくならん』と。一劫すらなおしかり、いわんや
無量劫をや」と)
山堂清話
ニ曰
ク、五蘊初起、名
レ之為
レ生、乃至四大分散、名
レ之為
レ死、識神随
レ業旋
二帰後有
一。
(『
山堂清話』に曰く、「
五蘊はじめて起こる。これを名づけて生となす。ないし、四大分散、これを名づけて死となす。
識神、
業に
随いて後有に旋帰す」と)
儒仏合論
ニ云、夫死者有
二再生
一、則魂神之不滅亦不
レ言而可
レ知焉、乃至魂神者又家舎之主人也、如
下家舎雖
レ及
二朽廃
一、主人不
レ与
二其朽廃
一、而別立
中生涯
上也。
(『
儒仏合論』にいわく、「それ死は再生あり。すなわち魂神の不滅、またいわずして知るべし。ないし、魂神はまた家舎の主人なり。家舎、朽廃に及ぶといえども、主人その朽廃とともにせずして、別に生涯を立つるがごとし」と)
童蒙策励
ニ曰
ク、心珠体本明、在
二五道
一而不
レ染、在
二仏地
一而不
レ浄、然則一切衆生死
レ此生
レ彼、千変万化而常不
レ出
二中道摩尼宝中
一。
(『
童蒙策励』に曰く、「心珠の体本明にして、五道にありとも染せず、仏地にありとも浄ならず。しからばすなわち、一切衆生はここに死し、かしこに生き、千変万化するとも常に中道
摩尼宝の中を出でず」と)
空華随筆
ニ曰
ク、儒家死後魂神飄散之説、弗
下違
二西天仏教
一而已
上、亦不
レ合
二日本神道
一矣。
(『
空華随筆』に曰く、「儒家の死後魂神
飄散の説、西天の仏教に
違うのみにあらず、また、日本の神道に
合わず」と)
犀浦沙弥訓
ニ云
ク、死時之心是八識無記心、非
二六識明了心
一也、既是無記乃無
レ有
二苦楽
一也。
(『
犀浦沙弥訓』にいわく、「死時の心は、これ
八識無記心にして、
六識明了心にあらざるなり。すでにこれ無記、すなわち苦楽あることなし」と)
儒仏論肝要鈔
ニ云
ク、色無
二定体
一、随
二心所変
一也、心好
二殺生
一則死堕
二地獄
一、乃至苟未
レ滅
二其心垢
一、有
二無数生死千変万化
一也、由
レ之幽霊有
二死
レ此生
一レ彼、譬如
三人之移
二易其屋廬
一。又曰
ク、周公孔子死再無
レ興、化益限
二一世
一、所
レ謂死帰
二天地
一者、只是空無而已、仏即不
レ然、欲
レ生即生、欲
レ滅即滅、不
レ能
二天覆
一、不
レ能
二地載
一。
(『
儒仏論肝要鈔』にいわく、「色は定体なし、心の所変に
随うなり。心、殺生を好むときは、すなわち死して地獄に堕つ。ないし、いやしくも、いまだその
心垢を滅せざれば、無数生死の千変万化あるなり。これによりて、幽霊ここに死し、かしこに生まるることあり。たとうれば、人のその
屋廬を移易するがごとし」と。また曰く、「周公、孔子は死して再び興ることなし、
化益は一世に限る。いわゆる死して天地に帰すというのは、ただこれ空無なるのみ。仏はすなわち、しからず。生ぜんと欲すればすなわち生じ、滅せんと欲すればすなわち滅す。天も覆うことあたわず、地も載することあたわず」と)
『
二教合璧論』にいわく、「人物の精心
往いて鬼神となる。ないし、生けるときは人物といい、死しては鬼神となる。ゆえに人物と鬼神と一にして二、二にして一なり。幽と明と隔てあるがゆえに一にして二なり。精心同じきゆえに二にして一なり」と。
『
角毛偶語』にいう、「
盧生が夢中に八十年の浮沈
行蔵あり。ないし、かくのごとき一夢の前中後、
冥顕の異あれども、盧生が身は一貫せり。生死相隔てて幽明別なれども、
神識一貫して滅せず。三世に相続して昇沈無窮なり」と。
『
叢林集』に曰く、「外教にいえる幽霊とは、
魂魄神のことなり。ないし、外には魂魄神の名あり、内には心意識の異あり、
界趣に行く者は
心王蔵識なり。五識、
心所等は身肉五根による。根身なきときはその識すなわちなし。外にいう魂神は内にいえる五臓の精なり、
云云」と。
護法漫筆
ニ云
ク、漢明帝
ノ時、仏法始入、聞
二生生之類、識神不滅之説
一、以為
二怪異奇僻
一、殊不
レ知延陵季子葬
二其長子
一、曰
下骨肉帰
二復于上
一命也、若
二魂気
一則無
上レ不
レ之
カ也、無
上レ不
レ之也云云。
(『
護法漫筆』にいわく、「漢の明帝のとき、仏法はじめて入る。
生々の類、
識神不滅の説を聞き、もって怪異
奇僻となす。ことに知らず。
延陵の
季子、その長子を
葬りて、『骨肉は上に帰復す
命なり。魂気の若きは、すなわち
之かざるなし、
之かざるなし』と
曰いし、
云云」と)
三教凡例鈔
ニ曰
ク、内教所宗
ノ人
ハ以
二霊識
一為
レ本、四大形質為
二霊識
ノ、所依
一。(識住則生、識去則死、四大形質其猶
二館舎
一焉)又曰、儒者皆執
ス、気聚
ヲ為
レ生
ト、気散
ヲ為
レ死、若気散而※
[#「炎+欠」、U+6B3B、410-1]チ無則断滅応
レ無
二鬼神
一、蓋鬼神之説儒宗許
レ有、若験
二鬼神霊知不
一レ断、則知
ル死後非
二気散而※
[#「炎+欠」、U+6B3B、410-2]無
一云云。
(『
三教凡例鈔』に曰く、「内教所宗の人は霊識をもって
本となす。四大の形質は、霊識の所依たり。(識の住すればすなわち生じ、識の去らばすなわち死す。四大の形質は、それなお館舎のごとし)」と。また曰く、「儒者みな執して気あつまるを生となし、気散ずるを死となす。もし気散じて、たちまち無ならば、すなわち断滅してまさに鬼神なかるべし。けだし鬼神の説、儒宗にあるばかり。もし、鬼神の霊知、断ぜざることを
験すときは、すなわち知る、死後、気散じてたちまち無なるにあらざることを、云云」と)
『
七帖見聞』にいわく、「煩悩、
菩提、生死、
涅槃、みなこれ本迷本悟の法門にして、始終を論ずることこれなし。諸経論中に生死に始終ありと見るは、みなこれ権教の意を帯してかくのごとくいうなり。五大院の釈にいわく、『生死海無始無終、虚空界亦復如
レ是矣』(生死海は始まりなく終わりなし、虚空界もまたかくのごとし)」と。
鼎足論
ニ云
ク、焼則灰、埋則土、何物
カ残
テ而有
レ之者、不
レ知
二心性猶
レ水去
レ此往
レ彼湛然常住
一也、凡人死而成
レ畜、畜死而成
レ人、且生
二天上
一堕
二地下
一者、在
二乎三国経史
一矣、言
二滅而無
一者何也、断見矣。
(『
鼎足論』にいわく、「焼くればすなわち灰、埋ずむればすなわち土、なにものか残りてこれあるとは、心性なお水のごとく、ここを去りかしこへ
往く、
湛然常住するを知らず。すべて人は死して畜となり、畜は死して人となる。まさに天上に生まれ、地下に堕するは、三国経史にあり。滅してなしというは、なんぞ。断見なるべし」と)
『
雪窓夜話』にいわく、「霊知
不昧の真心は、人生まれてはじめて生ずるにあらず、人死んでついに滅するにあらず。いわゆる不生不滅にして、すなわちこれ万法の根本なり。すでに
魂魄滅せず、あにただ三世のみならんや。千世、万世、無量世なるものなり」と。
『
内外明鑑』にいわく、「儒者の鬼神は陰陽の霊と立て、祭礼身にもとづきてまつる。これ、ほかに鬼神を立てざるしるしなり。和朝の神道は神にもとづいて、身の祭礼をつとむ。これ、ほかに神体を仰ぐゆえなり。ないし、儒道は一世の聖道、一身の鬼神にて、他界に
神を変ぜず、一世に理をきわめ、一期に天に帰する道なり、
云云」と。
『
鬼神俚諺鈔』にいわく、「まず、天地の間に生きとし生けるもの、
蚤、
蠅に至るまで、いずれか
霊なからんや。その霊なきものを無情、草木、
瓦石という。これにだも、なお霊あるいわれあり。いわんや人をや。わずかにその霊あるものは、その霊を失うことなし。
生をば人といい、畜生という。死をば鬼神といい、幽霊という。儒仏たがうことなし。人に
生死あることは天に昼夜あるがごとし。夜は暗しとて
日月消え失せるにあらず、云云」と。
『
沢庵雑録』にいわく、「
夫子曰く、『衆生かならず死す、死すればかならず土に帰す。これ、これを鬼という。骨肉下陰に
斃れて
野土となり、その気上に発揚して、
昭明
蒿悽愴となると、云云』衆生死して野土に帰す、これを鬼という。鬼の盛んなる、上に発揚してこれを
魄という。魂魄合してこれを神という」と。
以上、「霊魂集説」は余がかつて抄録し、かつ記憶せるものを集めたるまでなれば、なおこのほかに諸家の霊魂説多々あるべしといえども、目下多忙、捜索にいとまあらず。よって、他日再版の節、拾遺増補せんと欲す。読者請う、これを了せよ。