余は、数年来研究せる四百余種の妖怪を八大部門に分かち、一昨年一年間を期して講述し、一時その筆記を印刷して有志諸氏に配布したりしが、その後、四方より続々購読を望まるるものありとて、
この緒言中に述ぶるがごとく、余、独力をもって日業の余暇、妖怪研究に従事することここに十年、その間、自ら四百余種の書類をさぐり、人より四百余項の通知をかたじけのうし、これに加うるに、全国六十余州を漫遊して実地に見聞したるもの、またすこぶる多し。ゆえにその材料、決して乏しというべからず。しかるに、そのうち事実として取るべきものわずかに十分の一に過ぎざれば、これによりて好結果を得ることはなはだ難しとす。ことに、これらの事実を抽象概括して一学科を組織するがごときは難中の難事にして、余輩不肖、遠く及ぶところにあらず。ただその端緒を今日に開かんと欲して、拙劣を顧みず、『妖怪学講義』を世に公にするに至る。こいねがわくば、四方の博覧達識の士、余が微志を助けて好材料を寄送し、もしくは参考書を指示せられんことを。郵書は東京市本郷区蓬莱町二十八番地、哲学館へ向け投函あらんことを請う。まず一言を題して、懇請することかくのごとし。
また、左に初版『妖怪学講義』第一冊に題せしものを掲ぐ。
余の「妖怪学講義録」を発行せんとするや、世人あるいは、好奇のあまりに出でて無用の閑言語を弄すとなすものあり。それ奇を好み閑言語を弄するがごときは、余の不肖といえども、またあえてなさざるところなり。そもそも余のここに及ぶゆえんのもの、実にやむをえざるものありて存すればなり。余、常におもえらく、わが国明治の鴻業 、一半すでに成りて一半いまだ成らず、政治上の革新すでに去りて、道徳上の革新いまだきたらずと。方今、天下法律いよいよ密にして道徳日に衰え、郷曲無頼の徒、名を壮士にかり、もって良民を虐するものあり。不学無術ほしいままに時事を議し、詭譎 陰険至らざるなく、居然政事家をもって任ずるものあり。黄口少年、乳臭いまだ乾かず、わずかに数巻の西籍を読み、生呑活剥 、儼然 学者をもっておるものあり、利をむさぼりてあくなきものあり。節義の風、廉恥の俗、蕩然 地をはらう。これ、あに一大革新なくして可ならんや。しかして、これを革新するの道、教育、宗教をおいて、はたいずれにか求めん。これ、余が生を宗教界にうけながら身を教育界に投じ、日夜孜々 として国恩の万一に報ぜんとするゆえんなり。しかるに世人の教育、宗教をまつゆえんのもの、余うらみなきあたわず。けだし心中の迷雲、知日の光を隠すによらずんばあらず。余、近年日本全国を周遊して、ますますこのことに感ずるあり。おもうに、世に妖怪多しといえども、要するに一片の迷心にほかならず。その迷心を去れば、道徳革新の功、またおのずから期すべし。これ、余がさきに哲学館を設け、もって教育家、宗教家を養成し、今また『妖怪学講義』を発行し、有志諸君とともに講究せんと欲するゆえんなり。その種目は、もとより本館教授するところの学科による。もし館外員諸君にして、「講義録」に載するところのほか、さらに疑義の解し難きあらば、よろしく本館内に開設せる妖怪研究会に向かいて質問すべし。その説明は、あるいは「講義録」の余白に載せ、あるいは直接に回答せんとす。もし、なお不明に属するものは、先年大学内に開設したる不思議研究会員につき、各専門家の意見を付して回答することあるべし。
明治二十九年五月
講述者 誌