これでもう山小屋に雨に降りこめられてゐること一週間。――「雨の輕井澤もまたいいです」などと友達に手紙を書いてゐた女房も、きのふあたりから少し氣が變になつてゐはしないかと思ふ位。
――何しろ、樅の木なんぞの多い山のなかの一軒家だものだから、雨の音が騷がしいほど大きく、それがまた絶えずさまざまな物音に變化して聞える。
子供の頃聞き慣れた支那語の唄がとぎれとぎれになつて聞えてくるなどと女房が不意に言ひ出したりするので、けふなんぞは、私までも一日中なんだか家の外ばかり氣にして見てゐて、仕事に手がつかない位。
かうして二人つきりでゐると、相手の神經衰弱などすぐうつると見える。――いまも、黄色の小さなゴム毬のやうなものが草の中をぴよんぴよん跳ねてゐるのに、をかしい程びつくりして見たら、それはこんな林の奧まで水溜りを傳つてきたらしい二羽の黄鶺鴒。……
やつと雨があがつた。ひさしぶりに二人で散歩に出る。途中で、鶴屋の主人に逢つて立話。――「今年はどうも葉ばかり多くて、花が少い」と氣の毒がるやうに云ふ。それでも少しは花もあらうかと村を一巡して見た。
なるほど、今年は無殘、グリイン・ゲエブルスといふ、緑の
それからまだ躑躅の花の乏しく咲き殘つた原へ出たら急に霧がまいてきて、目の前を何羽か啼いてよぎつた尾長の姿さへ見えなかつた位。やつと其處を突きぬけて、ふと振り返ると、まだ、その原は霧の中。
合同教會の裏の、或外人の別莊の前に、野薔薇の木がめづらしく五六輪の花をつけてゐたので、何氣なく近よつて見ると、その茂みの中に一羽の小鳥が不安さうにあちこちと枝移りしてゐる。をかしいと思つたら、小さな鳥の巣があつた。