生者と死者

堀辰雄




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閑古鳥



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 或る夏、一つのさるすべりの木が私を魅してゐた。ホテルの二階の窓から、私は最初その木を認めた。其處からは、丁度物置かなんぞらしい板屋根ごしにその梢だけが少し見えてゐたので、私はそれをホテルの木だとばかり思つて、ときどき何といふこともなしにそれへ空虚な目をやつてゐただけだつた。……或る日、ホテルの裏の水車の道の方へ散歩に行つて歸つてきた私はいつものやうに裏木戸から這入らうとすると、その日はどうしてだかそれが閉つてゐたので、仕方なく、いつもあまり通つたことのない、ホテルの横の、ギヤレエヂや運送店などのある、狹い横町を拔けて行かうとした時、私はふと道ばたに置かれてある一臺の空の荷馬車の傍らに、一本の美しい樹木の立つてゐるのに氣がついた。はじめにその根かたにいくつとなく眞つ白な花が散らばつてゐて、それが何とも云へぬ好い匂を漂はせてゐるのに氣がついて、それから漸つと注意深く見上げてみると、その青い葉ばかりに見えてゐた樹木は點々とその眞つ白な花を咲かせてゐた。それはこんな山間の村には珍らしい種類のさるすべりだつた。その上、その葉の茂みを透かしながら、籬の向うのホテルの物置小屋ごしに、私の部屋の窓が見えてゐた。私はこんなところにあらうとは思はなかつたこの美しいさるすべりの木を、それまで物置の隅に立つてゐる何の變つたところもない木だとばかり思つてゐたのだつた。……私はさるすべりの木がホテルのものとも、前の運送店のものとも、又その筋向うの煙草屋のものともつかず、三方でそれを自分のところのものだと主張してゐる擧句の果、いまだにそんなところに打ち棄てられたままにされてゐるのだと云ふ話を聞いたのは、夏ももう末近くなつてからだつた。それは私にはいかにもこの村らしい――それまで昔の俤もないやうな廢驛になり果ててゐたのが、近頃急に避暑地として發展し出してゐるこの村らしい插話の一つに思へたものだつた。……さういふ噂はともかくとして、その日からと云ふもの、一夏ぢゆう、その木は私を魅してゐた。毎日、私は少年時の思ひ出に充ちた小説を書き續けながら、ときどき筆をおいては、窓の中から、絶えず花をつけてゐるその木を物置小屋ごしにぼんやりと眺めてゐた。さうしてときをりその木の下をギヤロツプで通り過ぎる馬の足音に驚かされるのだつた。やがて木の蔭から、籬ごしに、眞つ白な乘馬服をきた少女が快活に馬を驅つてゆく姿が見え出した。そのうしろからは、いつもきまつて二三人、色とりどりなジヤケツトをきた青年達が自轉車に乘つて、何やら叫びながら、ついて行つた……

          *

 そんな風にしてはじめてその木を見つけたその數年前と同じ場所に、恐らく殆ど誰からも氣づかれずに、一夏ぢゆうこつそり咲いてゐるそのホテルの裏のさるすべりの木の傍らに、以前とはすつかり變つて、もう三十にもなつた私は、或る七月の雨上りの夕方、その滑らかな木肌に觸れんばかりにして立つてゐた。數年前と同じやうにその木はいくつも眞つ白な花をつけながら、又、いくつかの花は既に散りながら……しかし、嘗つてその木の下を愉しさうに馬に乘つて通り過ぎたあの少女はこの二三年前からぱつたりその姿を消してしまつた。その他、私がこの村でよく見かけたいくたりかの少女もその後絶えてこの村に姿を見せない。……私がそこでひと夏小説を書きながら過ごしたあのホテルの部屋は相變らず木の上に見える。唯、前よりか少しけばけばしい色でペンキを塗られて。さう云へば、部屋全體も前よりかいくぶん見えにくくなつてゐるやうだが。これで、この老木はまだ少しづつ大きくなつてゐるのだらうか? ……あの部屋で私の書いた小説に出てくる私の少年時代の戀人は、私の知らない間に、結婚をして、さうして若い母になつて、しばらくして死んで行つたと云ふことを、私が聞き知つてからもう大ぶになる。が、いま、この懷しいさるすべりの木の傍らに立つてゐるうちに、私ははじめて、私の失つたものが何であつたか、私は自分の少年時の掛け換へのない戀人を失つたのであることを、胸が痛くなるほどはつきりと感じ出した。私の失つたもの? ……さう、さう云へば、なんでも長い間アメリカに留學してゐた彼女の姉は去年の夏からここの隣り村にある或るミツシヨン・スクウルのコツテエヂに舍監として來てゐるといふやうなことを何かで聞いたけれど、一度私は其處へ訪れて見たいものだ。あのいつも眞面目に勉強して、誰からも尊敬されてゐた、あの姉さんはいまどんなになつてゐるだらう? 恐らくはいま會ひに行つても、私の求めるやうなものは彼女からは何一つ得られないやうになつてゐるかも知れない。……だが、いまは彼女だけが私を私の失つたものに結びつけてくれる、生きた、まだ若い唯一のものだ。どんな風にだつていいから、いまのうちに一度彼女に會つて置きたい……と、そんな考へをとつおいつし出しながら、私はいつとはなしにそのさるすべりの木を背後にしてゐた。

          *

 とある朝、深い霧のなかを私は隣りの驛まで汽車に乘り、そこからまた空つぽのバスに乘つて、山の麓に散在してゐる二三の古い小さな部落を通り過ぎながら、だんだん霧が晴れあがり出した時分に、そのO村に着いた。桑やキヤベツの畠の間に二十ばかりの農家が散らばつてゐるきりのその村の中程から、村の人に教へられた通りに、私は北を向いて、無數の落葉松に掩はれた山腹の方へしばらくの間爪先上りに上つて行つた。二つ三つ薄暗い林を拔けて、すこしそこいらが明るくなつたところに、更らに何處までも續いてゐさうに思へる落葉松林を背負ひながら、一つの丸木造りのコツテエヂが認められた。が、そのコツテエヂの入口がだんだん近づいてくるにつれて、私はどうも普通の訪問のやうにして行くのは工合が惡いやうに思ひ出しながら、急にその中にはひつて行くのを躊躇しはじめた。彼女に會はないで、このままこの村に來ただけで、歸つてしまふのもいい。……さうだ、さうしよう。私は一人でこのあたりの林の中を歩いて見よう。會つたつてどうせこれまでも私とあまり打解けて話し合つたことのない彼女を當惑させる位が落ちだらう……そんなことを考へつづけながら、私は急に足を早めてそのコツテエヂの前を素通りして行つた。さうしてそのコツテエヂが再び木立の蔭に隱れてしまつたのを確かめると、私はそれまで私の心をしめつけてゐた妙な息苦しさから釋放されると同時に、何んだか取返しのつかないことをしてしまつたやうな悔いに近い氣持もしだした。私はますます足早にその林の中を上つて行つた。しかし、どこまで行つても同じやうな落葉松の林だつた。私は引つ返しだした。とうとう他の道を見出せなかつた私は、やむを得ず、再びコツテエヂの前を通つてゐる先刻の道を下りて行つた。再び心臟をしめつけられながら。……そのコツテエヂが否應なしに近づいてくるのを見ると、今度はその前の坂を利用して、二人の女學生が自轉車の練習をし合つてゐた。彼女達は山を下りてくる私の姿には氣づいてゐるらしかつたが、私の方へは一度も目を向けずにゐた。私はそのまま默つてその傍を素通りしてから、丁度そこがコツテエヂの入口になつてゐるのを認めると、不意に彼女達の方へふりかへつて、何氣なささうに、
「C……さんはいらつしやいますか?」といかにも親しい者の名前を言ふやうに訊いた。
「ええ、いらつしやいます」彼女達の一人が、即座に、まるでその問ひを豫期でもしてゐたかのやうに、私の方へは顏も向けずに、無愛想に答へた。
 しかし私は、さう訊いただけで、それだけで滿足したやうに、中へは這入らうともせずに、寧ろ前よりも足を早め氣味に、そのコツテエヂから離れて行つた。

          *

 突然、私の前には數本の大きな古い樅に取圍まれた小さな墓場が現はれ出した。私がそこに達したとき、それが更らに大きな墓地の一部にしか過ぎないことが分かつた。私は構はずにその中にはひつて行つた。その墓地はその村ぢゆうをずつと見渡せるやうな小高い場所にあつた。その村の丘は、その森や桑畑と共に、ずつと向うの谷間らしいところまで下つて行つてゐた。其處からまた大地は、大きな森に掩はれながら、再び丘をなして高まつてゐた。私はさういふ思ひがけず展けた風景を見渡しながら、しばらくぼんやりとして佇んでゐた。
 先刻、私はコツテエヂから村への下り道を來るときとは異つたのを撰んでゐるうち、その見知らない道は反對にだんだん上り氣味になつてきたので、これは間違つたかと思つて、すこしその道を續けることを躊躇しかけてゐたとき、私は一人の村の者らしい男とすれちがつた。その男は私とすれちがひながら、村の言葉で、慣れ慣れしく私に挨拶して行つた。その見知らない道で少しまごまごしてゐた私にはそれがいかにも異樣に聞えた。……途端に、その林のすべてのものが不意に私には何か前から親しみ深いもののやうに思へ出した。それから私は構はずにその見知らない道をよく知り拔いてゐる道でも歩くやうに歩いてゐるうちに、それがますます不安なくらゐ草深くなり出したと思ふ間もなく、突然、そんな墓場が私の前に現はれ出したのだつた……
 あつちにも一かたまり、こつちにも一かたまりといふ風に、家々の墓をそれぞれ取圍むやうにしながら、大きな下枝をすこし垂れ氣味にさへ擴げてゐる古い樅の上方で、私の知らない小鳥たちが私にも恐れずに啼きながら、しきりに枝移りしてゐるのに半ば注意しながら、私は半ば足もとの、それらの多くは墓とは名ばかりのやうな石塊に注意してゐた。何といふ冷たさ! 何といふ靜けさ! 私はそれを快げに味ひながら、自分でも知らずに自分がそれまでかなり上氣してゐたことに氣がついた。……私は遂に墓地の一番奧の、四五本の古い樅の間に、苔の生え、蔦のからまつた、腕の折れた、小さな佛像がいまにも倒れさうになつてゐるところまで行つて見た。それはあたりの墓を守つてゐると云ふよりも、それ自身がもつと忘れ去られた墓ででもあるやうに見えた。が、さういふすべてのものは私には少しも異樣に感ぜられなかつた。さうして以前から私はこんなことを夢みてゐたのであつて、いまはただそれを現實でやつてゐるだけだといふやうな氣さへされ出してゐた。さうして私は、何度も何度もすつかり文字の摩滅した墓石の前にそれに何かの意味が見出せでもしはしないかといふやうに、いつまでもぢつと佇みながら、さうやつてゐる努力のうちに自分の生命を僅かに感じてゐた。
 その墓地を縁どつた、一列の栂の木の彼方には、太陽の下にずつと桑畑がゆるやかに傾きながら擴がつてゐた。その眞ん中を一本の道が向うの落葉松林の中から横切つてゐた。その桑畑の南側にすこしばかりクロヴアなどの生ひ茂つた墓地があつて、それに數本の栂の木が快ささうな日蔭をつくつてゐた。疲勞といふよりも、一種の快さの豫覺が私をその木蔭に寢ころばせた。私は組み合はせた兩腕を枕にして、半ばあたりの風景に、半ば自分の裡のさまざまな思ひに、しばらくは放心したやうな状態になつてゐた。
 それは長い沈默だつた。それから自分にも何のことやら分らなかつたやうな私自身の私語、それからまた沈默。……ときどき私は目をつぶりながら、或る少女の顏のびつくりするやうな青白さ、その放心してちつとも目じろがない目つきを空に浮べた。そんな幻像イメエジは一分位續いた。それから私は何かしきりに片言のやうなものを口ごもつてゐる。やつと私自身でそれに氣がついて、それまで絶えず繰り返してゐたにちがひないその文句に、はじめて自らそれに耳を傾ける……

われは死者をもてど、彼等をして去るがままにす……

 さう、さうだとも、――死者達は私達から靜かに立ち去つて行くがままにさせよう。彼等の裡に生への郷愁のやうなものを掻き立てて、私達の悲しみや苦しみに立ち入らせることがいかに罪深いことか! ……もう三十にもなつた私は、人生といふものが男達にとつてよりも女達にとつていかにより悲劇的であるかを漸く知り出してゐる。が、私はそれと同時に、さういふ偏つた人生をも素直に受け入れてゐる女たちのあることを知り得た。……私が少年時に偶然に出會つて、無邪氣に自分の戀人のやうに仕立ててゐた、少女もさういふ一人だつたのだらう。私達が別れ別れになつてしまつてからも、私はときどき誰からともなく聞いて知つてゐた。彼女が長いこと病氣をしてゐたことを、それから彼女が結婚をしたことを、それから間もなく母になり、そのうちまた病氣が再發して、長いこと患つてとうとう身まかつたことを。……まだ若い彼女には母になることが恐らく無理だつたのだらう。が、彼女は默つてその長い、困難な仕事に堪へた、さうしてその母の仕事を仕上げぬうちにあへなくも死んで行つたのだ。……それもまた、そのままで、何とも美しい、小さな人生であるのではないか? ……さうやつて靜かに、誰にも知られずに、その長い仕事に勵みながらそれを完成し得ずに、しかもいささかも心殘りなく死んで行つた者を、いま私が再び自分の生にまで呼び戻して、何か心殘りのやうなものを彼女自身にも感ぜしめようとしたのは何といふ罪深いことだつたらう! ……さういふお前自身よりもお前についてはよく知つてゐるかも知れないお前の姉のところに、かうやつて私が會ひに來ながら、しかも會はずに歸つて行くのは、私達には一番自然なことだつたのかも知れない。さう、それは大層よいことであつたかも知れないのだ……

 クツクウ、クツクウ……向うの林で閑古鳥が啼き出した。その啼き聲は一層高くなつたかと思ふと、不意にそれは消えた。
 私は半ば身を起してみた。そのとき、私は向うの林の中から、一人の少女が自轉車を走らせながら、桑畑の中を突つ切つてくるのを認めた。
 彼女は快活さうに唄つてゐた。彼女は私を認めると、急に默つた。が、私からすこし遠ざかると、再び唄ひ出した。
 私はやつと立ち上がつた。さうしてときをり思ひ出したやうに閑古鳥の啼いてゐる林の方へ最後の一瞥を與へながら、思はず溜息をしながら、いまの少女が自轉車を走らせていつた道を村の方へゆつくりと下りて行つた。もう眞晝に近いらしかつた。村には全く人氣が絶え、火山砂の村道ばかりが白じらと光つてゐた。私がその村道へ出かかつた途端、突然けたたましい爆音を立てて、大きな荷を載せた一臺のトラツクが一面に埃りを上げながら、まるで空虚な村でも通り拔けるやうに、傍若無人に疾走して行つた。私はいそいで道ばたの栗の木蔭へ身を避けながら、そのトラツクの立てた埃りを行き過ごさうとした。さうしてその栗の木に手をかけたままで、しばらくじつとしてゐると、その埃りのまだ消え去らぬ間に、また何處か遠くの方で閑古鳥の啼くのが聞えてきた。
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山茶花など

山茶花の莟こぼるる寒さかな  龍之介


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 私はこの夏田舍で「閑古鳥」といふ小さな物語を書いたが、これはその續きといつても好いやうな、もう一つのささやかな人生と、もう一つの墓地との物語である。

          *

「いまからこんな事ばかり考へてゐて、私はこれからどうしたら爲合しあはせになれるのでせうか?」女はまるで獨言でも言ひ續けてゐるやうに、現在の身の上を私に打ち明けた後、急に私の方へすこし上氣したやうな薄赤い顏をもち上げながら、さういふ問ひの中にその長い話を打ち切つた。
 つい熱心にそれに耳を傾けてゐた私は、その時はじめてその女と自分とがいつか知らず識らずの裡に暖爐の方へ背中を丸めるやうにして互に身をよせてゐるのに氣がついた位だつた。それは半時ばかり前まではそれが熱すぎて何んだか邪魔つけな位に思つてゐたその暖爐の火がやうやう衰へ出した上、いましがたまで室内にどこといふことなしに差し込んでゐた日が急に翳つてしまつたためか、それとも少し嗄れた聲で話しつづけてゐたその女のだんだん低くなり出してゆくやうな言葉を聞き洩らすまいとしてゐたためであらうか? ……それがちよつと分らないほどその女の話にうつけたやうになつて聞いてゐた自分を一方では不意に鋭く意識しはじめながら、私は自分の上にさつきからぢつと物問ひたげな目を注ぎ出してゐるその女から顏をそらせて、自分の前の暖爐の中の火がだんだん衰へかけてゐるのを、しかしそれには無頓着さうに見守りながら、
「どうしたら爲合せになれようかつて、この僕に訊かうといふのかい? そんな事にはつきり答へられるやうな人間ぢやあないなあ、僕は……」と今度は私が獨言のやうに言ひ出した。「……それに君は、さういふ君自身の、何んていふかな、まあ、人生に對する覺悟のやうなものは僕に精しく話してくれたやうだが、――かうやつて君にはじめて會つてゐる僕は、君がどんな經歴の人だか、またいま何をしてゐる人だかも、君がそれに觸れようとしない以上は、何んにも知らないのだからなあ。……君はまだそんなに若い癖に、まるで四十ぐらゐの女の人の考へさうな事ばかり考へてゐる、まるで人生のからくりが何もかも分かつてしまつたやうな氣がしてしまつてゐて、それで手も足も出なくなつて、これから何をしてもつまらなさうな、到底爲合せなんぞにはなれさうもないと思ひ込んでゐる、――さういふ君の氣持そのものは、僕にだつてよく分るがね、……それはしかし、恐らく、僕はさつきも言つたやうに君の經歴は全然知らないけれど、君はまだ實際の人生を少しも知らない――といふと云ひ過ぎるやうだが、それを云はば傍觀者として見て知つてゐるだけなんだらう。さうしてそれが君にね、君のやうな傷つきやすい心をもつた者は傍觀者として一生を過すより外はないんだといふやうに思ひ込ませてゐるのさね。……そんな引込み思案をしてゐるよりも、一つ君にも爲合せになれるかどうか、一か八かで人生を賭けて見たらどうかね?」
 さう言つてから、これはどうも私なんぞの口にすべき言葉ぢやあなかつたと氣がついて、その結果を試すやうに、ひよいと女の顏をふり向くと、女は思ひがけず私の上にすこし微笑をふくんだ、可愛げのある目をぢつと注ぎつづけてゐる。私のいふことを肯定するのでもない、さうかといつて否定するのでもない、私が何を云はうとも云つてゐることには構はず、ただ私のしやべつてゐるのを理由わけもなく微笑ほほゑましい氣がしながら聞いてゐるとしか思へない容子ようすである。自分の氣のせゐかとも思ひかへして、私は
「いや、そんな助言なんぞをいふ氣もちは僕にはちつともないんだがね」と言ひ續けた。「大體、僕たち物を書いてゐる人間から、その書いた物のなか以外に、何か求めようなんていふのが心得違ひなのだ。……君は僕なんぞの書くものから苛酷な人生を見せられて、それで僕と一しよにその人生に傷つけられたやうな氣がしてゐるといつた格好だがね、それでどうしたら爲合せになれるか僕と一しよになつて考へるのが好いと思ひ込んでゐる。なるほど、好い思ひ着きかも知れない。けれども、物を書いてゐる人間なんぞといふものは、さう、リルケといふ詩人にいい言葉がある、それを聞かせて上げよう。――『物を書くことの裡にはかういふ一種の不感無覺とでもいふべき法則がある、即ち苦惱から多くのものが生れるが、それがまたその苦惱をば癒す。――それ故、いかなる苦惱を描いてもその作品の姿は靜かであるべきだ。』――まあ、さういつた意味の言葉だ。僕の書いてゐるものなんぞはそれほどのものぢやあなささうだが、まあ、それにいくらか近いもの、ちよつとばかし靜かなものだ位には考へてくれたまへ。……さうして僕の書いたものからだね、君がもし何か求めようとするなら、そこに描かれた人生そのものからでなく、ただね、それがそこで得てゐる靜かな姿、――さういふものから或る慰藉を君一人でもつて受取るやうに、君自身を仕込むことだ。……それには僕なんぞよりも、ずつとずつとえらい奴のものを、まあ、いま言つたやうなリルケの書いたものなんぞを讀んで、お手本にするがいいとも。さうして僕なんぞの書いてゐるものは、さう、君がいま僕を見ながらさうやつて微笑んでゐる……恐らくさういふ微笑は、君が僕に會ふまで、かうやつて僕に會つて話す場面をいろいろと想像してゐた間は、君には考へもつかなかつたやうなものだらうけれど、……そんな微笑を泛べながらでも讀んでくれるのが一番僕にとつちやあ有難いんだがなあ……」
 私も思はずそれに應ずるやうな微笑をし出しながら、いままで見守まもつてゐた火のますます衰へかけてゐる暖爐から目を移して、窓の外を見ると、その硝子ごしに見える黒い枝にまだ二つ三つしがみついてゐる枯葉がひらひら動きながら、窓枠の中にますます透明な青い色をしだしてゐる空の一部分を汚してゐた。

          *

 私達はそのブラフ・ホテルを出た。ついいましがた客間サロンの窓ごしに見てゐた、まだ枯葉のすこし殘つてゐる櫻の木の下を通りながら、小ぢんまりした食堂の横を拔けて、裏手へ出ていつた。草のちよぼちよぼと生えた裏道をすこし爪先上りに上つてゆくと、そこがすぐ領事館などの竝んでゐる山手通りになつてゐるのである……
「君は一體いくつなんです?」私は急に思ひ出したやうに私のあとについてくる女を振り向いた。
 女はすこしためらひながら返事をした。「二十三です」
「まだ二十三なの? ……それでもう君みたいなことを考へてゐるのかなあ」
 私はすこし驚いたやうに、若いのに似ず黒づくめのなりをして、そのせゐか心もち青いやうな顏をしながら、私の傍についてくるその女の方を見かへり見かへり、人氣のない、ひつそりとした山手通りをゆつくりした足なみで歩き出した。もう黄昏時が近くなつて、殆ど日もかげつてしまひ、あたりはかなり冷え冷えとしはじめてゐた。さうしてその時私達がその前を通りかかつた教會の光つた屋根だけがまだきらきらと日に赫いてゐた。このへんにはあまり來たことのない私がそれをまぶしさうに見上げてゐると、女も足を駐めて何の氣なささうに仰いでゐた。
 再び私達が歩き出した時、私は口を利いた。
「君みたいな、そんな二十三やそこいらで、もう人生の傷といふ傷を受けてしまつたやうな氣もちになつて、背をすくめたままぢつとしてゐるより外はないだらうかなどと考へ出してゐるやうな人は、こんな僕みたいな人間よりも、もつと單純な人間――さう、戀をしてゐるやうな女友達が君にあるかい、もしあるのなら、さういふ人にもつと接する方がいいね」
「……」女は自分の前をぢつと見つめたきり、何も答へないで、例の不思議な微笑をちらつかせてゐるばかりだつた。
 丁度その時向うから學校の歸りらしい女學生たちが一塊りになつて、私達の方へ近づいてきた。その大部分はちらつと私達の方を見やつたきりで、私達を空氣を見るやうに何氣なささうにすれちがつて行つたが、その中の一人だけは私達とすれちがつてしまふまで何か夢みるやうなまなざしでぢつと見上げてゐた。まあ、こんな私達をそんな目つきで見て何を夢みてゐるのだらう……と、そんな氣もちになりながら、私の方で今度はふり返つてその少女の後姿をちよつとの間見送つてゐた。

          *

「はひつて御覽になりますか?」
 私が通りすがりに外人墓地の門に近づいて、柵に顏をすりつけるやうにして中を覗いてゐると、背後から女が私に聲をかけた。
「ああ、はひつても好いのならはひつて見たいね……僕はまだ此處は見たことがないんだ……」
 女は通用門の方を一人でこじあけるやうにして、構はずにはひつて行つた。私もそのあとへついていつた。
「私はここへ一人で來てぼんやりしてゐるのが好きですわ」
「なるほど、此處はなかなか好いところぢやあないか?」私はその傾いたまま扇のやうな形に擴がりながら、ところどころに赤だの黄だの白だのの花環に綺麗に飾られた、多くは眞白い大理石で出來た立派な墓が整然と立ち竝んでゐる墓地の全體を一目に見下ろせるやうな一角を選んで佇みながら、しばらくそれを眺めやつてゐたが、ふと女の方をふりむいて、「これぢやあ、さつき君がそこへ入らうといふのを僕の輕蔑した修道院なんぞも案外住み心地がいいかも知れないね?」と眞面目とも冗談ともつかないやうな調子で言つた。しかし女は、私の云ふことを肯定するでも、否定するでもない、それでゐて何もかも呑み込んでゐるやうな、どちらかといへば羞しさうな微笑を浮かべながら、私の傍らに立つてゐた。
 私はさうやつてその不思議に明るい靜けさに充ちた墓地全體や、その下方に周圍の樹立の間から、それを額縁にしてその中にすつぽりと繪のやうに收まつてゐる、しかし人生そのもののやうに何ともつかないどよめきを立ててゐる下町一帶を眺めやつてゐるうちに、不意とその夏屡々訪れたことのあるO村のやはりかういふ村全帶を見下ろせるやうな小高い斜面にあつた、古いこはれかかつた墓ばかり雜然と竝んだ墓地のことを、――そこに暫くでもぼんやりしてゐると人生の後味そのものを味つてでもゐるやうな、云ひやうもなく氣の沈んでくるやうな村の墓地のことを思ひ出してゐた。同じやうな墓地にしろ、彼處あすこと此處とでは、まあ何といふ違ひだらう! 死者に對する考へ方のやうなものが私達祖先と西洋人とはこんなにも違つてゐるのだらうか? 私なんぞは、死者といふものに對する考へ方にもかなり西洋の詩人から多くの影響を受けてきたつもりだつたものの、ともすれば死者たちはもつと無に近い暗い感じのものに傾きがちだつたのだ……さう云へば、さつき私達とすれちがつた墓守りらしい男までが、明るい色のジヤケツトかなんぞ着込んで、小さな犬を先立てて、口笛を吹きながら、私達へも輕い會釋をしていつたつけ……
「この人は私と同じ年で死んでゐるわ――」一番隅つこにあつた、見すぼらしい、古い黒ずんだ墓石の上にかがみ込むやうにして、もう磨滅しかけた碑銘を讀み分けてゐた女が突然言つた。私はふと我に返つたやうに、その傍に近づいていつた。さうして私もその横たへられてある墓石の上に目をやつた。

ICI REPOSE
   JULIE P ……
    AG※(アキュートアクセント付きE)E DE 23 ANS
 D※(アキュートアクセント付きE)C※(アキュートアクセント付きE)D※(アキュートアクセント付きE)E LE 6 MARS 1871
   PRIEZ POUR ELLE
(此處にジユリイ・P……やすらふ。行年二十三歳、一八七一年三月六日歿す。彼女が爲に祈られん事を。)

 その見棄てられたやうな、小さな墓は、他の多くの墓のやうに何んの花環もなく、しよんぼりと淋しさうに横になつてゐた。そのとき何故か、その夏O村の墓地で私の考へつづけてゐた數年前に死んだ一人の若い女の面影が急に鮮やかに私のうちに蘇つてきた。さう、さう云へば、あいつが私の知らない男と結婚したのはやつぱり二十三ぐらゐの時だつたんだなあ……
 そんな事を考へ出しながら、私は今度は、さつき私がさうやつてゐたやうにその墓地からずつと向うの谷間の町にかけて、いつかもううつすらと夕靄の立ちこめ出してゐる一帶へぼんやりと目をやつてゐるらしい女に向つて、聲をかけた。
「いま、ひよいと思ひ出したんだがね、僕はこの夏のはじめにこんな小説の主題をずつと考へてゐたんだ。……しかしかうやつて立つてばかり居ると、何だか寒いやうだから、すこし歩きながら話さう。……」
 私達は再びしづかに歩き出した。
「私がずつと若い時分に知つてゐた一人の若い女の話だがね、――さうだ、今から考へると、ことによるとその人も君のやうに人生の一歩手前にゐるうちから人生の何もかもが分かつてしまつてゐるやうな氣もちになつてゐた人だつたのだらうね。――その人は、丁度君ぐらゐの年になると、私達がまつたく意外に思つたやうな男と結婚してしまつたのだ。もつと他にその人にふさはしいやうな男だつてありさうに思へたが、やつぱりあの人にはそんな男なんぞ居さうもないやうに思ひ込んでしまつてゐたのだらうね。……ところが、その人はその結婚後、勿論そんな性の合はないやうな夫から少しも理解されない事に苦しみ拔いた擧句、いつかお母さんになつて、そのため虚弱な體を一層惡くしてしまつて、たうとうそれから一年立つか立たないうちに死んでしまつたのだ。……」
 私はそのとき私の傍らで女が深い溜息をつくのを聞いたやうな氣がした。
「しかしその人の一生は無駄だつたらうか? それも一つの美しい生涯だつたらうぢやあないか? 私はそれを信じたいのだ。……それで私はその人の物語を描くとしたら、それにかういふ結末を與へたかつたのだ。その人が死んでから、それまでその人の氣もちなんぞ少しも理解しようともしないやうな男だつたその夫が、いつか知らず識らずの裡にその人の不爲合せだつた事に氣がつき、自分が苦しめてゐたその妻をだんだん心から愛し出してそのため自らは反つて爲合せになつてゆく――と云つた、そんな心の目ざめを描きたいと思つたのだ。しかし、實際のところ、そんなむづかしい主題は僕にはまだとても扱へさうもなかつた。――が、今、かうやつてはじめて會つた君からいろいろ君ぐらゐの年頃の人の考へさうな人生の考へ方を訴へられてゐるうちに、何んだかいままでよりもその女主人公の氣もちがずつと分りかけて來たやうな氣がしてならないね。ひよつとしたら、そんな小説が僕にも近いうちに描けるかも知れない。書けたら、まあ、君のお蔭にしようぢやないか? ……」
 そんな事を立てつづけに私はしやべりながら、ひよいと女の方へ顏を向けると、女の顏には例の微笑ほほゑみのやうなものがちらりと浮かびかけたが、そのときはそのデツサンきりで、すぐ消えて行つた。
 私達はそのうちにいつか墓地の隅を一周りしてしまつて、またさつきの、ジユリイさんといふ若い女の古い小さな墓の前を通りかかつた。その時ふいと目をやると、さつきまでは何んにもなかつたその墓石の傍らに、何んかの花の莟らしいものが一片ひとひらぽつんと落ちてゐた。私が不思議さうに見上げると、その墓の背後うしろには、他の樹立のかげになりながら一本の山茶花がいくつかの目立たないやうな花をこつそり簇がらせてゐるのだつた……
 それから私がそのジユリイの墓の傍らに落ちてゐるその小さな莟を指さして、女に示すと、それには氣がついてゐるといふやうな目つきで私を見かへしながら、
「今度來るときにはジユリイさんに花を持つてきて上げたいわ」と女は獨言でも言ふやうに言つた。さう言ひながら、ぢつとその墓を見つめ出してゐるその女の目ざしのうちに、私はなぜかしら、山手通りで私達をぢつと見つめながらすれちがつて行つたあの小さな女學生の夢みるやうな目ざしに似たものが急に蘇り出したやうなのを認めずにはゐられなかつた。

          *

 それから數分後、私は再びさつきの山手通りに出て、自分の背後うしろで女が丁寧に墓地の柵をぎいと締めてゐる音を聞きながら、莨を口にくはへたまま、何度も何度も燐寸に火をつけ損つてばかりゐた。その時さうやつてはじめて氣のついたほどの、つめたい風が、いつのまにかその人けの絶えた夕暮の往來のなかを心もちよく吹き出してゐるのだつた……





底本:「堀辰雄作品集第二卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年6月30日初版第1刷発行
初出:閑古鳥「新女苑 第一巻九号」
   1937(昭和12)年9月号
   山茶花など「新女苑 第二巻第一号」
   1938(昭和13)年1月号
※中見出し「閑古鳥」の初出時の表題は「郭公」です。
入力:tatsuki
校正:杉浦鳥見
2020年11月27日作成
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