一九三三年六月二十日、K村にて
こつちへ來てから、もう二十日になる。それだのに、まだ何も仕事をしないで、散歩ばかりしてゐる。この頃の散歩道としては、あのM病院の向うの、小川に沿つた一本道がそれはいい。アカシアの花がいま眞つ盛りだ。何ともかんとも云へぬ好い香りがして、その下を歩いてゐるとぞくぞくしてくるくらゐだ。そこでM博士らしいものを見かける。いつもパイプをくはへて、生墻(病院の裏)の方へ身をこごめながら、注意深さうにその枝などを調べてゐる。野薔薇が一めんに蕾をつけてゐるんだ。いまにも咲きさうだ。今朝も、そこへ行きがけに、まだ釘づけになつてゐる教會の前を通つたら、私の知らぬ間に、眞つ白な花を咲かしてゐる、大きな木が二三本あるのに始めて氣がついた。そしてその花が風もないのにぽたりぽたりと散つてゐる下で、村の子供たちがバスケットボオルをやつてゐるところは、さながら一枚の繪はがきだつた。しばらく僕は立ち止つて見とれてゐたが、そのうち男の子の一人がするするとその木に登つていつた。すると木の下から他の子供が「嗅いでみなア……いい匂がするぜ」と叫んだので、その木の上の子供は手をのばして、花をりとつて、それを鼻へもつていつたが、「ウエッ、昨日もこんなことがあつた。夕暮、ぶらつと、ベルヴェデエルの丘の方へ行つたんだ。すると、どうだい、そんな人つ子ひとりゐない山の中を、猫が一ぴき、のそりのそり歩いてゐるぢやないか。しかし僕がもつとびつくりしたのは、ときどきその猫に向つて、何處からともなく、すうつと音もなく飛んできてほ、その背中を掠めるやうにして過ぎ去る、一羽の大きな鳥(どうも鷹らしい)がゐることだ。すぐ見えなくなつたかと思ふと、また反對の方から、すうつと飛んできては、その猫に襲ひかかつてゐる。がそれより早く、猫の方でも、きつと身構へて、その鳥に挑むやうな恰好をするんだ。ちよつとでも油斷をしたら、猫はひとたまりもなかつたんだらうね。どうなることかと僕ははらはらしてゐたが、そのうち猫は近所の空別莊の庭の中へ這入つてしまひ、それきりその鷹らしいものも姿を消してしまつたけれど、ちよつと凄かつたぜ。――おまけに、歸り途には、ひどい夕立に逢つたつけ。手近い空別莊のヴェランダに駈けこんで雨やみをしてゐたら、すつかり日が暮れてしまつた。大いに心細かつたが、なかなか面白かつた。こんな山暮らしをしてゐると、小説のやうな俗な仕事にとりかかる興味がますます無くなりさうだ。金でも來たら、氣持を換へにN湖へでも二三日行つて來ようかなと思つてゐる。「アミエルの日記」でも持つていつて讀みたいのだが、君のところに原書は無いか。無かつたらどんな版でもいいから、一部買つて送つてくれないか。この間、頼んだ「エルテル」と一緒に送つてくれると仕合はせだ。なるべく早い方がいいぜ。これから僕は晝寢だ。……
六月二十四日、K村にて
一週間ばかり雨がふつて鬱陶しかつたが、今朝はとてもいいお天氣になつたので朝飯をすますと早速散歩に行つた。そしていま腹がぺこぺこになつて歸つて來たところだ。食事の仕度の出來る間に、この手紙を書いてしまはう。今朝はサナトリウム・レエンへ行つて來たんだ。僕の好きな散歩道だが、右側は何處までも小川に沿ひ、左側には途中にサナトリウムがあるつきり、そしてそこまでは野薔薇なぞの生墻、そこから先はアカシアの竝木になつてゐる。二三日前、雨を冒してやつて來たときは、アカシアの花が眞つ盛りだつたが、今朝はもうだいぶ散つてゐた。その代り、生墻の野薔薇が一面に咲き出してゐた。川の向側にはウツギの花がこれもいま眞つ盛りだ。このへんで多く見かける小鳥は鶺鴒。今朝はその小川のほとりで二時間ばかり讀書した。この頃は雨でも降らないかぎり、とても部屋の中などにぢつとしてゐられない位に、戸外が氣持よいので、かうして讀書も大抵戸外でする。仕事にはまだちつとも手をつけないでゐるが、若し出來たら、かうして戸外で書いて見ようかなどと空想してゐる。しかし仕事と言へば、何を書いたものやら、まだ見當すらつかない。僕が君に書くと言つてゐた奴、あれはもう諦めた。あれを書くことが僕に過去の苦痛を蘇らせさうだからぢやない。あれにはもうてんで氣が向かなくなつたんだ。こんなにも冷淡になれるものかと思ふ位だ。それほど、僕はこの頃の田舍暮らしに恍惚としてゐるのさ。こんないまの僕の氣持に似合ひさうなパストラアルめいた物語の筋も二つ三つ考へて見たが、どうもうまく出來さうもない。もう仕樣がなかつたら、「ボタンをつけたりはづしたりするのが厭になつて自殺した」といふあの英吉利人みたいになりかけてゐた男が、こんな花だらけの高原に逃げてきて、そこで再び生に對する興味をとりもどしてゆく状態を丹念に描いて見ようかと思ふ。それなら今の僕には一番自然に書けさうだ。――ああ、腹がへつた。御飯がやつと來たんだよ。もうこんなに蠅がぶんぶんいつてゐる。左樣なら……。六月三十日、K村にて
今日もまた雨だ。あんまり氣がむしやくしやするので、ちよつとした晴れ間を見て、水車の道の方へ散歩に出かけた。さうしたらチェッコスロヴァキア公使館の別莊の中から快活なピアノの音が聞えてきた。僕はその隣りの別莊の庭にはひつて、しばらくそれに耳を傾けてゐた。バッハのそれからもう一つの僕の欲望が、今度の作品を、さういふ音樂に近いものにさせたがつてゐるんだ。この前の手紙で僕は、いつか君に話した題材はすつかり諦めてしまつたやうに書いたけれど、實はまだあれにもすこし未練がある。ただ、それを直接に描きたくないのだ。その點で、僕は音樂家が非常に羨ましくなつてゐる。音樂はそのモチイフになつた對象なり、感情なりを、すこしも明示しないで、表現できるんだからね。だから今度の作品をそんな音樂に近いものにして、僕のそんな隱し立を間接にでも表現が出來たら、とてもいいと思ふんだ。しかしこれはなかなか難しさうだ。
この高原へ來てから、もう三ヶ月になります。……
六月のはじめは、この村はまるつきり人氣がなくて、何處もかしこも、花だらけだつた。臆病な小鳥たちも、まだ人を恐れないで、よく私になついてゐたものだ。
或る日、まだ釘づけになつてゐる別莊の、入口の柵を押し開けて、無斷で、その草深い庭の中へはひり、白く塗つてある鐡のベンチに腰をかけながら、ぼんやりアンデルセンのコントを讀んでゐると、まるでその物語の中からのやうに、いきなり
私はその空別莊から出しなに、その柵にぶらさがつてゐる木札にやつと氣がついて、見てみると、それに拙劣な日本字で、かう書いてある――
「無用の者入るべからず、マッコイ」
七月にはひると、この村も、だんだん人間くさくなつて來た。私もだんだん、それまで私になついてゐた小島たちのことを、忘れて行つた。さうして或る日のこと、散歩の時にいつも私の着ることにしてゐた、ジャケットの、丁度腕のところがいつ
八月になる。郵便局の横つちよの、村の掲示場には、こんな廣告が貼り出されて。
「お天狗樣附近で、コリイ種の仔犬を紛失す。それを發見された方は一七二番アンドリュウス方まで屆けられたし。相當の謝禮をお上げします。」
私のジャケットの破れ目がだんだん大きくなつて來たのと一緒に、こつちへ來るとき新しく買つたばかりの、私の靴も、毎日の散歩のため、いつの間にやら、その底に大きな孔があきだした。それから氣がついて見ると、私のソフト帽も、こいつはずゐぶん使ひ古した代物だが、今にもその折目がやぶれかかつてゐる。そこで私は先づ、老眼鏡をかけた村の靴屋のところへ、靴を修繕にやつてゐる間、ズックの運動靴を買つて、それを穿いてゐることにした。それから、あいにく金がなかつたので、私は帽子のうちでも一番安いピッケ帽を買つた。するとその翌日、或る雜誌社からひよつくり原稿料が屆いた。今度はジャケットを買ふ番だつた。私はとある運動具店へはひつて、ついうかうかと眞白いジャケットを買つて、店を出てきた。さて、それらのものをみんな身につけると、私はまるでテニスの選手かなんぞのやうに、身も心も輕々となつた。これぢや、私の顏つきも、もつと彼等のやうに快活さうにしてた方がよささうだな。私の顏つきなんかどうにだつてなるんだから。――と、こんな風にして、私はラッケットこそ手に持たないが、村のパブリック・コオトの傍を通るときなどは、ともすると人々から選手の一人に間違へられさうだつた。
來週から、ここのパブリック・コオトでは、テニスのトオナメントが始まるので……
九月にはひつてから、私はやつとその村から歸つてきた。一束の原稿を大事さうにかかへて。さうして私はその村に惜しげもなく殘してきた、三四枚のレコオド(バッハとスカルラッチと、ラモオと、それからプウランクの……)と一緒に、孔のあいたジャケットと、運動帽と、運動靴とを。まるで私の拔殼のやうに。
さうして私は再び都會の眞ん中で暮らさうと思つた。
しかし私は、まるで憑き物でもしたやうに仕事をした後だつたので、私の心には大きな孔が穿たれてゐた。さうしてそれを他人にうまく隱すことが出來なかつたので、私は誰にも會ひたくなかつた。で、どうしたらこんな都會の眞ん中に一人でゐられるかと、私はその方法を搜し出した。さうしてやつと發見したのは、私の家の、ながいこと使はない仕事場だつた。それは今では物置小屋同然になつてゐた。私は其處をひとりで片づけて、その中に小さなテエブルを持ち込んだ。私がその上に頬杖をついてゐると、ちやうど私の頭の上には、天井からスキイの道具がぶらさがつてゐた。それから、すぐ目の前の棚の上には、埃だらけの鹽酸の壜だのが載つてゐた。さうして私の足許からは、護謨靴やタイヤのにほひがして來た。
そんな隱れ家がすこぶる私の氣に入つた。其處に私は毎日のやうに入り浸つてゐた。さうして私の友人たちは、私のことを旅行中だと思つてゐた。
そんな隱れ家で、私はゲエテばかり讀んでゐた。丁度私の手許にあつた飜譯を片つ端から讀んでいつた。こんな時には、ゲエテの言葉が私の心に一番よく利くのを知つてゐたからだ。
とうとう『ファウスト』まで辿り着いた。第一部を讀み畢ると、私は何んだか寒氣がした。さうしていくぶん不安さうに、第二部に這入つていつたが、すると、私の心は急に明るくなりだした。――ファウストが、疲れ果てて、不安らしく、草花の咲いた野に横はつてゐると、何處からともなく、
身は細けれど胸廣きエルフの群は
救はれむ人ある方 へ急ぐなり。
聖 にもせよ、惡しき人にもせよ、
幸なき人をば哀とぞ見る。
救はれむ人ある
幸なき人をば哀とぞ見る。
といふアリエルの歌が聽え、それと共に、可愛らしい精靈の一群が空に漂ひ出す第一幕劈頭の「優雅な地方」、それから又、「澤山褒められもし、毀されもしたヘレネがわたくしです」といふ有名なヘレネの獨白で始められる第三幕などを、私は心臟をときめかせながら讀んだ。
それから私は『詩と眞實』に移つて行つた。さうしてやつとその最後の章まで來かかつたとき、突然、ゲエテが
そのうちに私はやつとのことで平靜になり出した。そして今はもう、何事もなかつたやうな、靜かな氣持で、この本の原稿を出版者の手に委ねることも出來さうだ。
いまの私には、唯一つの懸念が殘つてゐるばかりだ。しかし、それももう構はない。若し私が二三の知人の同意を得ないで、むしろその意に抗つて、これを出版した廉で、彼等から非難されるやうなことがあつても……私は知らん顏をして、ただ『詩と眞實』の一句を口ずさんで居ればいい。
「私がお前を愛して居たからつて、それはお前に何んの關係があるんだ」