七つの手紙

或女友達に

堀辰雄





一九三七年九月十一日、追分にて
 お手紙を難有う。私達の仲間のものはもう殆ど此村から引き上げて行きました。さうしてこれからは、この小さな村の何もかも、みんな私が一人占めです。
 夏の間、みんなでよくおしやべりをしにいつたあの栗の木、――さういふ私達の午後のために涼しい木蔭をつくつてゐてくれた、あの栗の木の下に、私は二三日前から、一人でもつて本や紙を一かかへ抱へていつては、そこで山蟻などを殺しながら、本を讀んだり、手紙を書いたりしてゐます。こんな事を一週間ほども續けてゐるうちに自分の考へをやをら仕事の方へ向けて行かせようといふのが、私のいつもの手。――きのふの午後も、今かうやつて貴方に手紙を書いてゐるこの木蔭に寢ころびながら、私はアベラアルとエロイィズの手紙の事を書いた本に讀みふけつてゐました。あのエロイィズの純粹な場合、――既にもうアベラアルとの間に一人の子までなしながら、妻たらんよりは、戀人たらんことを欲して、アベラアルの求婚を一時斥けようとまでしたエロイィズの心意氣、――それからさういふ二人の戀が世間から攻撃の的となり、遂に別れ別れに修道院に入つてから、數年後再び二人が取りかはすやうになつた手紙の中の、相手を思ひ切らせて神のみに仕へようとしながら、しかも自ら相手を思ふのを禁じ得ずして惱みもだえる彼女の切なげな姿、――さういふエロイィズの歎かひが、數世紀後、その中に再び同種の小禽の叫びのやうに認められる、あの葡萄牙尼の苦しげな手紙、――そんな昔の不幸な戀人たちの殘していつた手紙だとか、或は日記だとかを、私はこの頃その一つを殆ど身から離さない位にしてまで讀みふけつてゐるのです。
 實を云ふと、私はこんどの仕事には、さういふ手紙や日記を殘していつた昔の不幸な戀人たちの一人を取り上げて見たいのです。さう、まあ王朝時代のものなら申分ありませんが、その頃の不幸な婦人たちの殘していつた多數の日記や家集のうちに、それを私がちよつと換骨奪胎しただけでそのまま私の好みの物語になつて呉れるやうなものがありはしないか知らん? そんな日記や家集の中で、彼女たちの涙ぐましさの中からぢつと我々を見つめてゐるやうな、そしてそれをしばしば手にすることもあつた學者達はそんなまなざしには少しも氣づかなかつたので、反つて我々には、さういふ彼女たちの歎かひがそつくりそのまま、見知らぬ小禽の叫びにも似て、一節々々くつきりと認められると云つたやうなものが、かういふ私のために殘つてゐて呉れさうな氣もします。これから一つさういふ日記やら家集やらを漁るつもりです。(大體もう二つ三つ見當をつけてはゐるのですが……)
 末筆ながら、私の健康のことをいつも御心配下すつて難有う。しかし、山梔子くちなし孃の手紙に貴方が身體の弱いのに無理ばかりしてゐるといつて氣づかつて來ましたが、かうやつて山の中で氣ままにしてゐる私はともかくも、本當に貴方こそ無理をなすつてはいけませんね。何處か靜かなところへでも行つて、しばらく御養生なさるといい。弟さん達によろしく。そのうち空氣銃でもつて雉子でも打つたらお送りすると言つて下さい。


九月二十三日、追分にて
 貴方は本當に好いときにお手紙を下さいました。貴方が何處かの海邊に行つていらつしやるとの事、一週間ばかり前に山梔子くちなし孃からいただいた手紙で知つては居ました。誰にもその行先を知らさずに、何處かへすうつと行つてしまつてゐるなんて、いかにも貴方のなさりさうな事だとは思ひましたけれど、こんな山にゐる私なんぞ位にはすぐ其處からお便りを下すつても好かりさうなものだと、けふも思つてゐたところでした。
 折角お貸ししたが、そんなものを讀んでくれるかどうかと思つてゐたユウジェニイ・ド・ゲランの「日記」、そちらへ持つていつて毎日讀んでいらつしやる由、大變うれしく、「この日記には思想も感情も苦痛もこんなにある。何んと人を夢みさせ、反省させ、生活させるものではないか。いはば、忘れてゐる或メロディに何故かしら胸がゆすぶられて來るやうに、それは自分の裡に郷愁のやうなものを起させる」といふ、アミエルから貴方がお手紙の中に引いて來られた言葉は、いかにもこの日記に向はれてゐる貴方自身の靜かな姿を私に偲ばせてくれましたが、私はこの日記にはもう一種の愛讀者のある事――その愛する弟モオリスのために彼女自身は空しい生涯を送るのにも甘んじたこの美しい魂に對して思はず羨望の聲を洩らしたリルケのごときもののゐる事をも、貴方にお知らせして置きたい。最近機會があつて、この日記に就いて書いてゐるリルケの手紙を讀みましたが、その晩年の苦しい年月の間、彼を支へるべく彼のために生きてくれるやうな、そしてその人の許に彼の孤獨な生を避難させてゐられるやうな者を求めてやまなかつたリルケにとつて、この日記がどんなに貴重なものに思はれたか、――私自身はまだ孤獨なんぞと云ふものがいかに手きびしいものだかは殆ど知らぬも同樣でせうが――そのリルケの羨望に近い氣もちは私にもいささか分かるつもりです。
 それはさて、貴方がその弟思ひの聖女の日記に親しまれてゐる間、私は私でそれとはおよそ反對な運命の下におかれた、女としての苦しい思ひのありつたけをした一人の女の日記のために心を奪はれてゐました。それはこの前の手紙でお話したやうな、こんどの仕事のために、私がやつとあまたの王朝時代の日記の中からこれこそと思つて選んできた「蜻蛉日記かげろふのにき」といふ、さういふ古い日記の中でも最も古いとされてゐるものの一つです。
 私の前に現はれたその「蜻蛉日記」といふのは、あの「ぽるとがるぶみ」などで我々を打つものに似たものさへ持つてゐる所の、――いはば、それが戀する女たちの永遠の姿でもあるかのやうに――愛せられることは出來ても自ら愛することを知らない男に執拗なほど愛を求めつづけ、その求むべからざるを身にしみて知るに及んでは、せめて自分がそのためにこれほど苦しめられたといふ事だけでも男に分からせようとし、それにも遂に絶望して、自らの苦しみそのものの中に一種の慰藉を求めるに至る、不幸な女の日記です。
「唯生きて生けらぬと聞えよ」――さう、生きた空もないやうな思ひで男に訴へつづけた歎かひにも拘らず、彼女があの葡萄牙尼同樣に、「いと物はかなく、兎にも角にもつかで」、いたく年老ゆるまで生きながらへてゐたらしい事、しかし彼女らの死後さういふ皮肉を極めた運命をも超えて、彼女らのいのちのはげしかつた一瞬のいつまでも赫きを失せないでゐる事、常にわれわれの生はわれわれの運命より以上のものである事、――「風立ちぬ」以來私に課せられてゐる一つの主題の發展が、思ひがけず此處において可能であるかも知れないのを見、私は何か胸がわくわくするのを覺えてゐる位です。
 が、それだけにまた一層悔やまれるのは、この仕事を前にして、私の身體がいまあまり好いコンディションに置かれてない事です。恐らく氣候の變り目のせゐで、こんなに元氣がないのでせう。きつと氣候が落着いたら、すぐ恢復することと思ひます。こんないくぢのない自分を元氣にさせるためにも、貴方の手紙は本當に好いときに來てくれました。それからそれと一緒にあのユウジェニイ・ド・ゲランの「日記」も。いま、貴方がそれを讀んでいらつしやると聞いて、急に自分の傍にも生き生きと蘇つてきたやうな氣のするあの「日記」の筆者みたいな、さういふ好い姉をたとへ自分がもたずとも、さういふ人のこの世に居たといふ事だけでも、何かそれに似たものにまで私を郷愁させ、それだけでも暫くなりと私を支へてくれるものがありますからね。


十月二十三日、追分にて
 お手紙を難有う。それから、あの大好きなマロン・グラセなど、いろいろとおいしいお菓子を。
 もう御元氣になられて東京でお暮らしの由、結構でした。私は相變らずこちらで仕事に沒頭してゐます。こちらは今、とてもすばらしい秋日和です。本當にこんな立派な秋を一人占めにしてゐるのは何んだかもつたいないやうだと思つてゐましたら、一週間ばかり、女子大の生徒たちが十四五人でヒュッテにやつて來ました。まさかその中にくちなし孃がゐるとは思はなかつたので、私は少年みたいに首まであるジャケットなんぞ着込んで仕事をしてゐましたら、或日、突然みんなで押しかけてきて私に油屋ぢゆうを案内させました。私はまるで自分の家みたいに、ジャケット姿のまんま、昔殿樣の泊つた上段の間だの、遊女の名なんぞ一ぱい落書してある壁だのを見せて歩きましたが、一番最後に、いま私の使つてゐるお小姓のに案内したところ、部屋中一ぱい散らかした本だの、書きかけの原稿だのをみんな珍らしがつて、いつまでも見てゐられたのには冷汗を掻きました。貴方の送つてくれたマロン・グラセがまだ箱の中に二つ三つ殘つてゐるのまで覗き込んでゐたやうでしたが。――すでに追分のこの秋のすばらしさ、それから私の精進ぶりなど、くちなし孃が歸京して逐一貴方にも報告してゐるとは思ひますが……
 私の仕事、まあどうにか一通りは出來上りかけてゐますが、いまになつて、私のこんな長い間の努力が或ひは空しかつたのではないかと云ふ氣がし出してゐてなりません。しかし、どつち途、もう遲い。――大體、こんどの仕事のテキストとした「蜻蛉日記」なるものは、一讀過の印象は、いかにもひたむきな作者の痛々しげな姿にもかかはらず、何か變にくどくどとしてゐて、いつもおなじ歎きばかり繰り返してゐるやうに見え、どちらかと云へばあまり感じのいいものではないのです。そこでもつて、私はこの日記の本質的にもつてゐる好いもの、例へばあの「ぽるとがる文」などのそれにも似たもの――さう云ふ切實なものだけをそつくりそのまま生かしながらその日記全體をもつと簡潔にして、それに一種の小説的秩序を與へ得たら、恐らくずつと我々に近いものになるだらうと信じてゐたのですが、私はその代償としてこの日記そのものの獨自性をも危險にさらさなければならぬ事には、さまで深く思ひ及ばなかつたのです。――ところで、この「蜻蛉日記」に於いては、作者はその折々の苛ら苛らした氣もちをその折々の氣もちのままに構はずに誇張し、その前後の記事などに少し辻褄の合はない事があつても一向意に介さない、――言つて見れば、この日記の作者はすべてを論理的秩序(logical order)によつては書かずに、心理的秩序(psychological order)によつてのみ書いてゐる、――其處にやはりこの日記獨自のちやんとした統一がおのづからあつて、それをも生かさうとすると、もはや私の手を入れる餘地なぞは何處にもない位なのです。いつも同じ弟のモオリス、同じ花、同じ小鳥、同じ神樣の事を、それをまたいつも同じやうに靜かな調子で語つて倦かうとはしなかつた、あのユウジェニイ・ド・ゲランの「日記」にもその點似て、不幸な女の涙ぐましさ、執拗さ、根氣よさそのものの中に、寧ろこの日記を永遠的なものにさせてゐるものがあると云つていいのかも知れません。――そんな事にどうして私ともあらうものが、今まで氣づかずにゐたのか、この頃になつてつくづくと、何んだか取り返しのつかない事をしたと思ふやうになりました。
 が、さういふ矛盾に苦しみながら、一方この仕事が最後に近づけば近づくほど、ますますそれに私を沒頭させ出してゐるのは、この作品の結末において漸つとその手に負へない女主人公が、私のものになり出したやうに見える事です。――その女主人公が男のために絶えず苦しんだ餘り、いつかその苦しみなしには自分が生きてゐられぬかと思へるほどになつてゐる、そんなにまで自分にとつてはもはや命のかてにも等しく思へるほどな貴重な苦しみを、男は自ら與へながらそれには一向氣づかうともしない、そんな情知らずをいまは反つて男のために氣の毒な位に思ふ、――さういふ一種の浪漫的反語とでも言へば言へないこともなささうな、自分を苦しめた男をいまは反つて見下ろしてゐられるやうな、高揚した心の状態を、私がその苦しい女主人公のために最後に見つけてやつた事は、この作品を私のものとして世に問ふ唯一の口實ともなりませう。……
 のみならず、私は漸つとかうして自分のものになり出したこの不幸な女主人公を、このまま手離したくはない位なのです。私は出來れば引き續きこの續篇を書いて見たく思ひます。さいはひ私がこんどの仕事に使つたのはこの日記の三分の二ばかりで、まだその三分の一がそつくり手をつけずに殘つてゐるし、それにその部分の方が小説的なことはずつと小説的ですから、それを大いに役立てて、――こんどの仕事ではいささか物足らなかつた私の小説的欲求をその方で充分滿足させてやらうかと思つてゐます。
 この二三日前からといふもの、村中のありとあらゆる木といふ木が、殆ど小止をやみもなしに落葉しつづけてゐます。もう一週間もしたら、本當にこの小さな村はすつかり裸かになつてしまひさうな位。――私はときどき仕事に疲れると、その原稿をもつて近くの林の中へそれを讀みにゆきます。そしてしきりに落葉してゐる中に坐つて、それを讀みふけりながら、頭上でさらさらと落葉の立ててゐる音を聞くともなしに聞いてゐるのは、私には何とも云へない refreshment になるのです。


十一月二十五日、輕井澤にて
 本當に飛んだ目に逢ひました。こんな山の村で火事に出逢はうなどとは、およそゆめにも思はなかつた事です。此あぶらや一軒の火事のために、この村ばかりでなく、近在の村々までそれは大騷ぎをしました。しかし晝火事だつたので、怪我人も出ず、僕なんぞは着のみ着のまま燒け出されたものの、身體には別状ありませんでしたから、御安心下さい。數日前からこちらに來てゐた立原君も野村君も、同じやうに燒け出されました。しかし、運よく「かげろふの日記」だけは脱稿して、雜誌社へ送つてしまつた後だつたので、まあ好かつたやうなものの、その續きを書くためにいろいろ取つておいたノオトや、書き入れをした本や、それから澤山のリルケの本など、何もかも一ぺんに失つてしまつたのはいかにも殘念ですが、まあ、この冬中うんと仕事をして、取り返せるものだけでも取り返して見せませう。
 いま輕井澤の旅舍に避難してをりますが、この冬ぢゆう或知人の別莊を借りられる事になりましたので、あすからそちらへ引き移ります。一しよに燒け出された野村君も、たぶん僕とこの冬をこちらで過す事になるでせう。いまちよつと東京へ歸つてをりますが。――僕はどうもこんなジャケット姿ですごすご上京するのも癪ですから、このままこちらに居殘つて、小さな仕事を二つ三つ片づけることにしました。
 就いては、お言葉に甘えて、貴方に本を一册御無心します。矢代幸雄氏の「受胎告知」といふ本(この夏、僕のもつてゐたのを貴方もごらんになつたでせう)を何處かの古本屋で見つけて送つてくれませんか? ほら、夏、僕がその本の插畫を見せながら話したことのあるのを覺えてゐませんか、村の娘マリアへの告知の天使ガブリエルの不意の訪れ、――そんなのを輕井澤みたいな山村を背景にして、ちよつと書いて見たいんだなどと、冗談のやうに話してゐたのを? ――あいつなら、こんな時でも、造作なくちよつと書けさうな氣がするので、もう一度あの本でも見てやらうかと思ふのです。
 十二月になつて、それでも書けたら、二三日ぐらゐ上京するかも知れません。少くともクリスマス頃にはきつと上京します。さうしたら貴方がたにもお會ひできますね。
 この夏やはり追分に來てゐた友達の一人から「この夏の美しかつたものがすべて失くなつたとは、そのためにすべてが美しかつたやうで悲しい氣もちです」などと書いてよこしました。本當に僕もそんな氣もちになる位。……
 けさもちよつと追分の燒跡へいつて來ました。燒け出されたあぶらやの人達、みんな割合に元氣です。來年の夏までには何とか小さなバラックでも建てて是非みなさんに又來て貰ふなどと言つてゐました。しばらく燒跡に立つて僕は、あの火事の日にも吹いてゐたやうな、西から強く吹きつける、寒い風に吹かれて居りました。そんな風の中に「かげろふの日記」の下書の燒け殘りなんぞがまだひらひらと飛んでゐました。


十二月一日、輕井澤にて
「受胎告知」其他いろいろとお心盡しの品を難有う、只今受取りました。
 僕は先月二十六日、お話した例の別莊に引つ越しました。此處は Happy Valley なんぞと外人が呼んでゐる小さな谷の上にある林の中の杉皮葺きのコッテエヂ、――林の中とはいへ、いまはもうすつかり冬枯れてゐるので、裸かの枝を透いて、下方の高原とそれを四方から遠卷きにした國境の山々、更らにその山向うにもう眞白になつたいただきだけをのぞかせてゐる八ヶ岳などが、殆ど手にとるごとくに見えるやうなところです。……
 野村君が數日前やつて來るまで、僕はこんな山のなかに一人きりで暮らしてゐたんですからね、僕もなかなかがうきになつたでせう。この頃は野村君と一しよに毎日薪割りをしたり、下の井戸まで水を汲みにいつたりして、半ば自炊生活をしてゐます。正午頃村の娘さんが御飯だけを炊きに來てくれますが、あとは大抵野村君と二人で代る代るやつてゐます。何分こんな冬の山住ひにはまだ馴れないものだから、それこそ食ふ事と寒さをしのぐ事だけにすつかり氣をとられてしまつて、なかなか肝腎の賣文稼業には手が屆きかねます。それにもう一つは、大きなファイア・プレェスの中でぼうぼうと音を立てて燃えてゐる火をいい氣持になつて見守つてゐると、知らない間にずんずん驚くほど速く時間が立つてしまふのです。もつとも時計なんぞ二人とも持ち合はせてゐないので、どの位時間が立つたんだか分らないけれども……
 とにかくつひぞこれまで一度も味つたことのないやうなこんな原始的生活を、いまかうやつて二人でしてゐるのは、何とも云へず愉快です。
 しかしけさなんぞは、本當をいふと、ちよつと僕にはつらかつた。やつと十時頃、温かさうな日がちらつと差したかと思ふと、すぐ眞暗な雲に遮ぎられてしまつて、そしていまにも雪になりさうで、――いつその事さつさと雪になつてくれりあ好いのに、と佛頂面をしてゐると、そこへ思ひがけず貴方から贈物が屆いたので、急に家の中ぢゆう明るくなつたやうな氣がしました。僕がきふに愉しさうに小包をほどき出してゐるのを、傍で野村君がうらやましさうな顏をして見てゐたので、折角のお心盡しの品ですが、その中から奮發してシュテッテルの鉛筆を一本分けてやりました。それからそのついでに二人で有平糖を一しよに頬張りました。
 それから僕は早速いただいた「受胎告知」をかかへて、二階の寢室に閉ぢこもり、その本へさあつと目をやつてから、いま、この手紙を書いてゐるところです。これまでは本といつたらこの間ちよつとゐた宿屋から借りて來た聖書が一卷、傍にあるきりでした。まあ、こんな時でもなければこんなものをしみじみと味ふ機會はあるまいと思つて、リルケの愛讀してゐたと云ふ約百記なんぞを拾ひ讀みしてゐました。
 さういへば、日曜日に野村君と一しよにふらつと教會へいつて來ました。(こなひだ大雪の日に二人でその教會の雪をかぶつた美しい尖塔を見上げてゐたら、そこの神父さんにつかまつて日曜の彌撒に來なさいと云はれたので――)御存知の、あのアントニン・レイモンドの建設になる、瑞西の山間の村にでもありさうな、入口に聖パウロの像の立つてゐる小さな教會の方です。教會には獨逸人らしい中年の婦人が一人、黒いマントにうづくまつてゐたつきり、――ちよつと顏を出すだけですぐ出て來ようと思つた僕達も、入つてみるとさうもならず、小一時間ばかりも寒い思ひをして、隅つこの藁椅子にかしこまつて坐つてゐました。お彌撒がやつとすんで、その婦人が俯向きがちに懺悔室らしいのにはひつて行くのを見てから、僕達も立ち上つて神父さんにちよつと挨拶をして出て來ました。さうしたら、その日の夕方、その神父さんが僕達の山の上のコッテエヂまで、わざわざ訪ねて來たので面喰らひました。やつぱり獨逸人で、日本に來てからまだ二年目だとか、日本語をあまりよく解せないらしく、ずゐぶんとんちんかんな會話を取りかはして歸つて行きました。
 もう二三日したらその神父さんも松本へ引き上げられる由、――あの教會がこれつきり閉されるのかと思ふと、ちよつと殘念ですが、それでもまあ吻としました。どうもあんな美しい教會が冬ぢゆう開いてゐたりされると、しよつ中そこへ出入りしたくなつてそのために僕なんぞと來たら、カトリックにだつて何だつてなりかねませんからね。
 今月五日に友人の結婚式があつて、是非僕にも出席しろと云つてきたので、一つそれへ一張羅のジャケット姿で出席してやらうかと思つたりしてゐます。それまでに何とか仕事が一つでも片づいてくれると好いのだけれど……。なんだかこの手紙を書いてゐるうちに急に、寒くなつて來たと思つたら、雪がちらちら舞ひ出してゐます。これからこの手紙を出しがてら、少々食料品を買出しに、ひとりで村まで一走りして來ます。


十二月九日、輕井澤にて
 例の友人の結婚式にちよつと顏だけ出して、翌朝またこちらへ歸つて來ました。まだ仕事が一つも片づかないので、ゆつくり貴方がたにお會ひしたりしてゐられませんでした。一人で留守番をしてゐた野村君は、すこし風邪を引き込んで元氣がなかつた由、――しかし僕が歸つたら、忽ち元氣になつて、橇でもつて僕の荷物を山の上まで運んでくれました。
 けさはとても日が温かなので、日あたりのいいヴェランダに焜爐などまで持ち出して、雪に埋つた林や谷を前にしながら、ゆうべの冷飯をバタでいためて食べました。何しろこの僕が腕に縒をかけてこしらへるのですから、そのうまい事つたら! 本當にこの味ばかりは東京なんぞにゐて寒がつてばかりゐる奴らには想像もできないでせうね。――丁度そこへ郵便屋さんが登つてきたので(大抵かうやつて食事をしてゐる最中にいつも郵便が屆くのも樂しみの一つです)紅茶を一ぱい御馳走してやりました。けさ屆けてくれた郵便の束の中には、この前貴方に書いたあの松本へ行つたカトリックの神父さんから送つてよこしたパンフレットが數册はひつてゐました。端書も添へられてあつて、これを讀んで分らない所があつたら質疑して下さい、なんぞと言つて來ました。しかし、神樣のことなんぞはもう少しお預けに願ひたいものです。……
 まあ、さう言つておかないと、ちよつと氣まりの惡い事がある――といふのは、僕は實はゆうべから信心深いポオル・クロオデルの「マリヤへのお告げ」といふ戲曲を讀んでゐるところですから。だが、それは何もこの中にあるカトリック的主題に心惹かれて讀み出してゐるわけではなく、實をいふと例の小さな仕事のために、自分のまはりに一種の宗教的雰圍氣みたいなものを人工的に製造しようとしてゐるだけなのですよ。
 一體、このクロオデルの「マリヤへのお告げ」は、その表題が表題だけに、すぐにあの「受胎告知」の畫家たちがしたやうに、天使ガブリエルが村のマリヤの許を訪れるルカ傳の一節かなんぞを戲曲化したものとお考へなさるでせうが、さうではありません。クロオデルはこの戲曲の中に唯、聖女になればなるほどいよいよ人間的になつていつた、ヴィオレエヌといふカンパアニュの或村の若い娘の姿を描いてゐるだけなのです。それではそんな表題は何を示してゐるかと云ふと、まあ、人間的なものの中への神的なものの闖入といつたやうなものが、この戲曲の主題になつてゐるからだらうと思へます。――いま僕の書かうとしてゐる小さな仕事を、こんなところへ持ち出すのはすこし烏滸がましいやうだけれど、まあ、僕の奴もさういつた氣もちで、つまりあれらの愛すべき受胎告知圖の氣もちだけを汲むやうにして、一切マリヤもガブリエルも出さずに、ただその二つのもの――人間的なものと神的なものと――の美しい挨拶を、いま僕の住んでゐるやうな高原の淋しい村での春先きの頃の小さな出來事として、一つの牧歌に歌ひ上げたいまでなのです。ひよつとしたら、そんな出來上つた作品なんかより、かうして雪に埋れた谷間の一軒家でもつて、寒さにかじかんだ手に自分の息をふきかけながら、こんな手紙を貴方に書いてゐる僕の方がよつぽどロマネスクかも知れませんね。


十二月三十一日、輕井澤にて
 しばらくお便りを差し上げませんでしたね。仕事をしてゐたものですからお許し下さい。それにクリスマス頃上京するなんていつてゐて、――とうとうこちらで野村君と二人きりで淋しいクリスマスを送つてしまひました。野村君はそれから二三日して東京に歸りました。僕だけ殘つて仕事を續けてゐましたが、漸つとそれも片がつき、きのふ送つてしまひました。これからその原稿料が屆くまで、雪の中に一人で頑張つてゐなければなりません。仕事の方は、自分でも本當に思ひがけなかつたものを書いてしまひました。「風立ちぬ」のエピロオグをなすものです。或日、友人の送つてくれたリルケの「鎭魂曲レクヰエム」を何氣なしに讀んでゐる中に急にそれが書きたくなつて殆ど一氣に書いてしまつたのです。
 これで「風立ちぬ」も二年ごしに漸つと完成したわけですが、こんどのは去年の冬、あの一聯の作品を書いてゐた當時、その最後に是非付けたいと思つてゐた、自分と共に生を試みんとしてその半ばに倒れた所の愛する死者に手向ける一篇のレクヰエムです。――實は去年の冬ぢゆう、この一篇をこそ書きたいばつかりに追分なんぞにたつた一人で暮らしてゐた位でしたが、とうとうそれが書けず、もうさういふ死者に對するレクヰエムのごときものは、自分には書けないのではないかと半ば諦めかけてゐたのでした。それがこんどの火事のおかげで、いまのやうな山小屋住ひを餘儀なくされてゐるうちに、急にそれが書けさうな氣がしてきて、いささか持て餘し氣味だつた例の牧歌の方はその儘にして、そつちを一氣に書いてしまつたやうなわけ。「雉子日記」などを殘したきりで、去年の冬ぢゆう、雪の林のなかなどにそんなレクヰエムを求めながら一人でさまよつてゐた頃の、いま思ふと自分の痛々しいやうな姿が、この冬のこんな山暮らしをしてゐる自分の裡にそつくりそのまま蘇つてきて、其處においてはじめてその形體を得た、とまあ言へないこともないでせう。――本當にいろんなものを私は火事で失つたけれど、その代りに思ひがけずそのお蔭でこの一篇のレクヰエムを得られたので、もう失つた何もかもさへ惜しくはない位、――來年の春にでもなつたら、「風立ちぬ」を一まとめにして氣に入つた本にして置きたいものだと、いまからもう樂しみにしてゐます。
 今、一仕事をしたあとの、やや空虚にさへ似た落着いた氣もちで、僕は煖爐に足をかけながら、「リルケの思ひ出」といふ本を讀んでゐるところ。この筆者のトゥルン・ウント・タクジス公爵夫人といふのは、晩年のリルケにかなり深い交渉のあつた女性で、詩人が殆ど十年もかかつて「ドゥイノ悲歌」を完成するまでの異常な勞苦をつぶさに僕達に語つてくれてゐますが、そんなものをかうやつて讀みふけつてゐると、何か自分にも努力次第でいまに好いものが書けさうな氣さへしてきて、新しい、靜かな力のやうなものが私の裡に充ち滿ちてくるのを感ぜずにはゐられません。
 それにしても、こんな雪に埋つた山の中に、自分みたいなものがよくもまあかうやつて一人つきりで平氣で居られるやうになつたものだなあ、とつくづく自分に感心もしてゐます。僕もどうやらこれで漸く一つの人生學校を卒業したのでせうかね。





底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年8月30日初版第1刷発行
初出:「新潮 第三十五巻第八号」
   1938(昭和13)年8月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「山村雑記」です。
入力:tatsuki
校正:杉浦鳥見
2020年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




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