四葉の苜蓿

堀辰雄





 夏に先立つて、村の會堂の廣場には辛夷こぶしの木に眞白い花が咲く。まだ會堂に閉されてゐて、その花の咲いてゐる間、よくその木のまはりで村の子供たちが日曜日など愉しさうに遊んでゐる。その花が散つて、すつかり青葉になつた頃、その村に夏を過しに來た人々がその會堂に出たりはひつたりしはじめる。
 その頃から、こんどは村の古いホテルの裏の塀に沿つて、村で一番美しいと云はれるさるすべりの木がこれも眞白い花を咲かせる。ホテルではその木を昔からホテルのだと云ひ、その木と道ひとつ隔てた便利屋では昔から自分の家のだと云ひ張つて、雙方讓り合はうとしないものだから、もう十年ばかりもホテルの塀の外に、便利屋の鼻つ先きに、どつちつかずの目立たない場所に、村でも一番美しいさるすべりの木だのに人々からもあまり氣づかれずに、そのためかへつて一層そのつつましい美しさを増させながら、いつも夏のはじめになると咲き續けてゐた……。


 英吉利の片田舍にでもありさうな inn と云つた感じの、家具なども古くて底光りのしてゐたやうなその村の古いホテルが、とうとう廢業して人手に渡つたといふ話を聞いたのは去年の夏のはじめだつた。
 買手はベッドや他の家具類はすつかり競賣にして建物だけをよそへ持つていつて工場に直してしまふ積りだとか。それもまた已むを得まい。だが、それにしても、ちよつと惜しいホテルだつた。私はそのホテルで一夏厄介になつて、「麥藁帽子」といふ小説を書いたこともあつた。又、そのときの日記を小品風に書いたりした。その翌年の夏も私はよくそのホテルに食事をしに行つたが、そのとき私は懇意になつた年よりのボオイから冬になつて村が雪に埋まり出す頃、外人たちがクリスマスをしにやつてきて、このホテルが又一ぱいになるといふ話を聞いて、ちよつと羨ましかつた。そこで私はその年の冬、わざわざクリスマスの前の日に東京からやつて來た。が、その年の冬が温かかつたのか、こんな山の中にも雪はまだ少しもなく、そしてホテルに著くと全然人氣がなくてひつそりしてゐた。それでも案内を乞ふと、やつと奧の方からおかみさんが出て來て、今は休んでゐますからと無愛想に斷わられた。いかにも休んでゐることは事實らしいので、私はしかたなしにそのホテルを出て、雪がなくても寒いだけは一人前に寒い村のなかをつまらなさうに歩いて見てから、又夕方の汽車に乘つて、隣りのO村へ行つて懇意な宿屋に泊めて貰つた。そこで聞くと、その村には先頃から疑獄事件が起つて、村長以下だいぶ村の顏役たちが上げられてゐる最中ださうだつた。そのホテルの主人もその一人だつたのだ。――
 いかにも樂しさうなクリスマスの話を聞いてせつかく東京から出て來ても、その年はそんな具合で自分も馬鹿な目を見せられたが、考へて見ると、その頃から此のホテルは影が薄くなつてゐたものと見える。けふからそのホテルで家具の賣立てがあるといふことをちよつと聞き込んだので、私はつまらなさうにパイプを吹かしながら、その村のまん眞中にありながら今はもうすつかり見棄てられたやうなホテルの中にはひつて行つた。又しても私はたぶらかされたのか。ホテルは賣立どころか、全然人氣がないのだ。留守番をしてゐる男どもも、いまホテルには居合はさぬらしかつた。ただその男どもが其處で寢起きしてゐるのか、昔私が人生の絨毯の一部を見て樂しんだホテルの廣間には、ベッドやら臺所道具やらが足の踏み場もないくらゐに散らかつてゐた。私はいくら案内を乞うても返事がないので、構はずに勝手知つた食堂の方へその食器類などを跨ぎながら歩いて行つて見た。大きな食堂は、あんなにあつたテエブルも椅子も一體何處へ片づけてしまつたのか、一つも無くなつて、無氣味なほどがらんとしてゐた。なんだか何處となく暗い感じがすると思つたら、西の窓を掩つてゐた藤棚が全部崩れ落ちて、建物に倒れかかつた儘、窓をすつかり塞いでしまつてゐたからだつた。私はその空虚な食堂のなかを、かへつて明るい北向きの窓に沿ひながら、そつちの方へ過ぎつて行つた。
 その食堂では、昔はよく土曜日の夜になると、踊好きな外人たちが主になつて自分たちのテエブルを片づけさせて、蓄音器をかけさせながら質素な舞踏會を催した。年老いた外人夫婦が相擁しながらいつまでも踊り續けたり、母と息子らしいのが緩つくりと踊つたり、姉妹らしいのが敏捷に舞つたりした。ときどき容易しさうなワルツか何かの曲がはじまると、日本人の若い人達がそれに控へ目に加はるやうな事があつた。その中にはいつも眞白な衣をした少女がゐたが、その少女の踊りたるや、まるで活溌な散歩をしてゐるやうだつた。
 私はいつも藤棚の下のテラスに出て、その頃はまだすこし氣取つてパイプを吹かしながら、そんな和氣靄々とした踊りを眺めてゐた。テラスの下まで攻め寄せてきてゐる一群の雜草の中には、もう秋の蟲がすだいて啼いてゐた。ときどきレコオドのワルツの曲なんぞが全然聞えなくなつてしまふほど、その蟲の音が喧しくなることさへあつた。……そんな瞬間、窓の中には踊つてゐる人達が一組づつ音もなしにまるで心象イメエジのやうに浮んでは消えたりしてゐたが、そんな窓の中に眞白い衣をした少女が上氣したやうな顏をして立ち現はれるときは、私はおもはずさういふ少女の姿から目を外らさずにはゐられなかつた。彼女はあまりにも幸福に赫いてゐるやうに見えた。そしてそれが氣の小さな私を何かはらはらさせるほどだつたのだ。……
 さう云へば、その白衣の少女ばかりではない、私の知つてゐた昔の少女といふ少女が、今の少女とは比べものにならない位、少女自體であつて、それ以上でもなく、以下でもなく、ただ少女だけの知ることのできる幸福をみんなそれぞれに知つてゐたやうな氣がするが、昔の少女たちよ、君たちはどう思ふか? ……。昔の少女の一人を思ひ出すと、それと一しよになつて昔私の知つてゐた少女といふ少女が殘らず浮んでくる、――さういふ少女を一人だけ切り離しては思ひ出せられないので、私はそれ等の少女たち全部に呼びかけながら、私は昔は得意さうにしてゐたパイプをこの頃はいかにもつまらなさうに啣へたまま、倒れてゐる藤棚の下をくぐり拔けて庭の中へ下りて行つた。物凄く草が茂つてゐた。どうかすると私の胸先き位のところまで伸びてゐるので、私はパイプを口からはづしながら、そこを掻き分けて進んで行かなければならなかつた。やつと一めんに苜蓿うまごやしだけの生えてゐる小高いところに出られた。

四葉の苜蓿は
人の近づく跫音あしおと
耳を傾けてゐる

さう、四葉の苜蓿の方からすれば、本當にさういふ焦れつたさだらう。だが、人一倍勘の惡い私なんぞにはそんな幸福の合圖なぞには氣がつきさうもない。さう云へば、四葉の苜蓿を搜すことの上手な少女を昔知つてゐたつけが……、その少女は夭折した。しかし、その夭折さへも、そんなに彼女が四葉の苜蓿を搜すことなんぞの上手だつたことから、彼女がその死によつて何かこの世ならぬ幸福を得られたやうに考へられて、さう私達をいつまでも悲しませなかつた位だ……
 今の少女たちは四葉の苜蓿なんぞ何んとも思ふまい。それはそれでいいかも知れない。しかし私はもつと何物か知られないものへの渇望に充たされた昔の少女たちのことが忘れがたい。――私はそんな考へのうちに、いかにもその草の香をなつかしみでもするやうに苜蓿の上に腰を下ろして、パイプを再びつまらなさうに吹かし出した。


 その古いホテルも、――去年まではそんな殘骸をさらしてゐた建物も、今年はすつかり取り拂はれてしまつた。
 が、ホテルの裏の塀にくつついて立つてゐる、村で一番美しいさるすべりの木は、それがはつきりとはホテルのものともつかなかつたばつかりに、(本當に何がしあはせになるか分からない)、その儘引つこ拔かれもしないで今年も夏のはじめには眞白い花を咲かせてゐた。私が今年はじめてその前を通つて見ると、その木の下はいまはもう公然と便利屋の荷車の溜まりになつてゐて、その車の上に、匂のいい白い花がぽたりぽたりと落ちてゐた。
 私は相變らずつまらなさうにパイプを吹かしながら、その木を見上げ、それからもうその梢の向うによく見慣れてゐたホテルの建物が全然無くなつてゐることにはじめて氣がついた。それも何か當り前のことのやうに……。


 今年の夏はほんたうに雨が多かつた。散歩にもなかなか出られなかつた。八月のなかばを過ぎてから、やつと雨が上がつて、晴れた日が續き出した。或日、私は散歩の途中、村の會堂の方へSの字を逆にしたやうな恰好に曲がつてゐる道のほとりで、二人の老婦人が何かしやがみながら熱心に搜し物をしてゐる後姿を見かけた。私がパイプを吹かしながらそれに近づいて行つて見ると、二人ともときどきその道で見かける品のいい老婦人たちだつたが、いつも古風な麥藁帽子をかぶつてゐる方の老婦人が道ばたの草の上に兩手をかざすやうにしながら、その上へ魔法でもかけてゐるやうに絶えず緩やかに動かしてゐた。もう一人のターバンを頭に卷いた老婦人の方はその傍でしやがんだり立つたりしながらそれを一所懸命に見てゐる。四葉の苜蓿を搜してゐるのだ。私はそんなところを何か見ては惡いやうな氣がしながら、知らん顏をしてパイプを吹かしたまま、二人の背後を通り過ぎようとした。そのときちらつと横目で見ると、不意に草の上を撫でるやうにしてゐた老婦人の手がすうつと何かに引き寄せられでもするやうに動くと、もう四葉の苜蓿を搜しあててゐた。ターバンを卷いた老婦人はそれを受取ると、にこにこ笑ひながら自分の胸のボタンの孔にそれを插し込んでゐた。……
 私はひさしぶりにそんな好ましい情景を見かけながら、しかもそれが自分の母親ぐらゐの年恰好の獨逸人らしい老婦人たち――昔の、そのまた昔の少女たち――によつて行はれてゐるのに、すつかり感動しながら、何か自分までもその傍を通つただけで彼女たちの幸福の割前にあづかることの出來さうな感じさへした。私はけふは何かいいことがあるぞ、それともけふしようと思つたことをするときつと好い結果になるぞ、とそんな好い氣分になつて、村の會堂の方へ近づいてゆくと、一臺の自轉車が柵のうちに乘り棄てられてゐて、會堂の中からヴァイオリンの調子を調べてゐるらしい、幽かな音がそれとなく洩れてゐた。私はしばらく柵に凭りかかつて、パイプを吹かしながら、それが何か私の幸福の下準備をしてゐて呉れるかのやうに、好い氣になつて聽いてゐた。
 それから二三日の間、私が夕方そこを散歩のついでに通り過ぎると、いつもきまつて同じ自轉車が置いてあつて、會堂の中からは同じやうに低いヴァイオリンの音が洩れてゐた。私はその度に、しばらく同じやうな恰好で柵に凭れ、同じやうな恰好でそれを聞きながらパイプを吹かしてゐた。


 或晩、村の慈善音樂會がひらかれた。その村に夏を過しにくる人々の中で毎年上手な素人の音樂家が選ばれて演奏するのだつたが、その晩、私ははじめて毎日その自轉車だけ見てゐたヴァイオリンを彈く少女を目のあたりに見た。
 眞紅のデコルテを著た、髮の黒い、目の大きな、痩身の少女は、最初、母親らしい婦人の伴奏で、タルティニの「惡魔の顫音トリロ」にその妙技を見せた。その難曲もいささかの不安もなしに易々と彈きのけた。それから續けて、ベエトオヴェンの「ロオマンス」とバッハの「G線上のアリア」を彈いた。その少女と入れ代つて、毎年見かける、一人の、大女の、胸の妙に赧らんだ老孃が出てきて、シュウベルトの「菩提樹」やなんぞを二三曲あまり上手でないアルトで唄つた。
 それから又、さつきの少女が出てきて、こんどはショオソンの「詩曲」を、それが靜かで緩つくりした曲だけ、いかにも眞劍さうな顏つきをしながら彈き出した。私はついぞこの頃少女がそんなに眞劍さうな顏つきをして何事かを仕遂げようとしてゐるところを見たことがなかつた。それほど一人の少女が完全に「少女」になりきつてゐるやうな感じを受けたことは殆どないといつて好かつた。私はそんなに夢中になつて彈いてばかりゐると、そのヴァイオリンをおさへてゐる少女の首がそのままかしいだきりになつてしまひ、背中なども永久に曲がりなりになつてしまひはせぬかと半ば氣づかひ、半ばもしさうなつてしまつたらしまつたで、それも隨分好い感じだらうと思つた。……「詩曲」はそれが彈き始められたときのやうに、靜かに彈き了へられた。その次ぎには、又、大女のアルト唄ひが出てきて、シュウマンを數曲唄つた。
 三度目に少女は登場した。心なしか、少女はもう少し疲れてゐるやうに見えた。しかし彼女にはもう輕々と彈けるやうに見える二三の小曲を殘してゐるだけだつた。彼女はふとそれが氣になるやうに神經質にヴァイオリンの調子を二三度試み、それからやつと氣がすんだやうな顏つきになつてサラサアテの「ロマンツァ・アンダルウツァ」を彈き出した。その演奏にすぐ不安を感ずるほど私の耳は敏感ではなかつたが、私の目は、お母さんのピアノの伴奏だけの節になると、その少女がヴァイオリンをちよつと肩から外して、その眞紅のデコルテを何度となく空いてゐる方の手で妙に神經質さうに直してゐるのをなんとなく異樣に見出してゐた。少女はその曲を何か上氣したやうな顏をして彈き終へた。その曲が長い延引音のうちに終らうとする刹那、突然奇妙な音がはひつた。それは聽衆には何がなし一種異樣な戰慄を與へた。……
 が、次ぎの瞬間には、何事もなかつたやうに聽衆は拍手し出してゐた。少女は何か少しうつけたやうな樣子でそれに對して禮をしてゐたが、急に何か溜まらなさうに顏をうなだれ、次ぎの曲にはひる前に、突然私達に背を向けて、演壇から退いていつた。
 伴奏者の母親はそれに氣がつくと、何かはつとしたやうに急いで立ち上がり、その娘のあとを追ふやうにして彼女自身も退いて行つた。それきり少女はもう私達の前に現はれなかつた。……
 やがて若い男が出てきて、何かしきりに陳謝し出した。「ヴァイオリンが濕氣のために音が狂つてしまつて、V孃はたいへん歎いてをりますが、もう今夜はこれ以上の演奏は續けることは出來なくなりました。」そのやうな事を云つてゐるらしかつた。聽衆は何か呆氣にとられたやうに、それを聞いてゐたが、遂に事情がはつきりすると、半ば音なしく立ち上がりながら、半ばはげしく最後の拍手をし出した。大女のアルト唄ひだけが一層赧らんだ胸をして出てきてみんなに挨拶したきりだつた。
 私は何かその少女のために胸のしめつけられるやうな氣持ちになつて、椅子から離れようとしたとき、急に自分の背後から一人の老紳士がなんだ又かといつたやうにいまいましさうに舌打ちしながら、鳥打帽を手ににぎつたまま、五六人の婦人たちのあとから、樂屋の方へづかづかと近づいてゆくのを認めた。私はその父らしい人の姿を見送つてゐるうちに、ふいと何んとない微笑の浮んでくるのを感じながら、幾分ほつとした氣分で、會堂の外へ出ていつた。暗がりのなかに出ると、すぐ私の傍を年老いた外人夫婦が、殆ど同時に、空を見上げながら、「…… little rain ……」といひいひ通り過ぎて行つた。
 なるほど、すこし雨がふつてゐた。その會堂の前のすこし雨に濡れた廣場を立ち去りがてにしながら、さつきの若い男が下手糞な英語で一所懸命に説明してゐた言葉のなかに the violin is broken といふ言葉があつたのをふと思ひ出してゐた。
 あの妙に不吉なやうな音、人の魂を慰めようとするやうにヴァイオリンの長く引きのばされた音の中に何處からか不意に飛びこんできたあの奇妙な音、(まるで最初に彈いた「惡魔の顫音トリロ」のなかからでもちよいと彈き手の心の弛んだ隙間にまぎれ込んでしまつたやうな)そんな不意打ちにすつかりおびえながら、もうそのヴァイオリンを手にとることさへ出來なくなつてしまつてゐる少女、あの髮の黒い、目の大きな、印象の深い少女、――ああ、何もごまかすことの出來ない、それほど純な少女の心……。
 私はもう少女らしい少女なんぞといふものは少くとも自分にとつては此の世に存在しないのかと考へがちであつたのに、今夜ひさしぶりに一人の少女が見事に少女そのものになつて見せてくれたことに、何よりも、彼女の音樂の妙技以上に感動しながら、すこし雨のふつてゐる中をそれさへかへつて快く感じながら、そしていつものパイプを口に啣へることさへ忘れながら、わが家の方へ歸つて行つた。
 その翌日も、私はもうそれが習慣になつたやうに、夕方のいつもの時刻になるとその會堂の前を通り過ぎたが、もう自轉車もそこには乘り棄ててなければ、又、ヴァイオリンのどんなかすかな音ももう洩れては來なかつた。だが、私はその柵にいつもと同じやうな恰好をして凭れて、パイプを吹かしてゐるだけで、すべてのものを完全に蘇らすことが出來た。いつの日か四葉の苜蓿を搜してゐた二人の老婦人の姿までが、まだありありと浮んでくる。ことにゆうべのヴァイオリンを彈いてゐた少女の姿はそれを最初から最後まで鮮やかに思ひ出させるやうな氣がする。そして私はそれをもう忘れるやうなことはあるまい。……
 さう思つて何か感動をあらたにしながら、私はしかし相變らずつまらなさうな顏をしてパイプを吹かし續けてゐた。





底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年8月30日初版第1刷発行
初出:「新女苑 第五巻第十号」
   1941(昭和16)年10月号
※初出時の表題は「繪はがき」です。
入力:tatsuki
校正:杉浦鳥見
2018年11月24日作成
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