本のこと

堀辰雄




 僕は夢の中で見た本のことを話さうと思ふ。
 芥川さんに「本の事」と云ふ隨筆がある。その中に矢張り夢の中で見た本のことが書かれてある。その本と云ふのはの Quarto 版の「かげ草」である。しかしその「かげ草」には鴎外漁史の書畫の寫眞版が載つてゐたり、書簡が出てゐるのである。芥川さんは「この本こそ手に入れば稀覯書である」と云つてその Quarto 版の「かげ草」を欲しがつてゐられる。――僕もこれから話さうとしてゐる、夢の中で見た二三の本が手に入れられたら、どんなに嬉しいであらう。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 これは僕が數箇月前に見た夢である。――僕はうす暗い夜店の竝んでゐる通りをぶらぶら歩いてゐた。誰かと一緒であつた。どうもそれが川端康成さんだつたやうな氣もする。古本を竝べた店があつて十錢均一の札が出てゐたが、その時ひよいと菊半裁位の小さな本が僕の目に這入つた。昔、新潮社で出してゐたロシア物の一册らしい。何の氣なしに手にとつて見ると、矢張りドストエフスキイの飜譯小説だつた。が、そのクロオスの黒い背には明らかに「マーチン&マーチン」と云ふ題がついてゐた。
「へえ、こんな小説があつたのかなあ……」僕は川端さんの方を振り向いた。
 すると川端さんはそれを覗きながら、
「それは狐きの男のことを書いてゐる小説です」と無雜作に僕に云つた。……
 それきり夢は醒めてしまつた。「マーチン&マーチン」と云ふ小説の題はどうも變だが、僕はなんでもその夜、寢床の中で、或る雜誌を讀みながら春山行夫の詩集の廣告を見てゐた。それが「シルク&ミルク」とか云ふ題であつたので、それが夢の中でこんな風に修整されたのらしい。それからまた、僕は二三日前の或る晩、上野廣小路の夜店でアンドレ・ヂィドの「ドストエフスキイ論」の譯本を見てゐた。それは十五錢かなんかだつた。僕はそれを買はうと思ひながら、何故だかとうとう買はずにしまつたのである。僕はその本にもいくらか未練があつたのかも知れない。それもこの夢の一因であらう。――それにしても、その狐憑きの男のことを書いたと云ふドストエフスキイの小説はどうも一度讀んで見たい氣がする。

          ※(アステリズム、1-12-94)

 今度は二三年前に見た夢の話である。
 なんでも大學の文學部の教室かなんかの中らしかつた。僕のまはりには多くの學生達ががやがや話し合ひながら、教師の來るのを待つてゐる。そのうち一人の學生が僕に近づいてきて、僕に一册の洋書を見せてくれた。白いアートペエパアの表紙の本だつた。手にとつて見ると、その表紙には“P. O. P.”と云ふ横文字があるきりだつた。僕が口の中でそれを「ポップ」と發音すると、その男が「ピオピ」と僕の發音を直してくれた。なんでもその男の話によると、その本は英吉利の作家の中で一番新しい作家の書いた小説ださうである。僕はその本を開いて見て、或る一節にざつと目を通した。なるほど、僕がこれまで讀んだこともないやうな、奇拔な、なかなか新鮮な英文であつた。……ところが、その夢が醒めてからも、僕は何だか、その讀んだばかりの奇矯な英文がまだ頭の何處かに殘つてゐるやうな氣がしたので、一生懸命にそれを思ひ出して見ようとした。が、やつと思ひ出したと思ふと、それは無慘にも gentleman, try and do three と云つたやうな何の意味やら分らない文章の切れつぱしだつたり、obac と云ふ奇妙な單語だつたりしたのでがつかりした。これでは僕の貧弱な語學力を示すのみに過ぎまい。とは云へ、その夢の中で讀んだ小説の文章の妙に生き生きと美しい感じだけは、いまだに僕の腦裡を去らずにゐる。
 それは此頃のやうにジョイスの「ユリシイズ」がまだ流行しない頃であつたが、僕は物好きにもその原書を買ひ込んで、しかしろくすつぽ讀みもせずに本棚の奧に放り込んで置いたので、そんな小説を夢にまで見たのかも知れない。
(附記。僕は子供の時分によく「青寫眞」といふものを撮つて遊んだことがある。あれはたしか「ピオピ」と云やしなかつたかしら?)

          ※(アステリズム、1-12-94)

 これはもう十年前になるかも知れない。
 學生だつた僕は、或る冬の休暇に、金澤へ行つたことがある。丁度震災のために室生さんが歸郷されてゐたので、一週間ばかり其處に遊びに行つたのである。毎日のやうに雪が降つてゐるのを珍らしがつてゐたが、そんな或る晩、僕はこんな夢を見た。僕は或る雜誌の室生さんの小説を讀んでゐた。しかしその雜誌と云ふのが室生さんや僕などでやつてゐる※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)覽雜誌なのである。だから僕の讀んでゐる室生さんの小説は原稿のままだつた。どんな小説だつたかすつかり忘れてしまつたが、その小説の題は變な題だつたので、今だにはつきりと覺えてゐる。それは「細娘」と云ふ題であつた。
 僕はこれまでその「細娘」と云ふのを隨分變な小説の題だぐらゐにしか思つてゐなかつたけれど、最近になつてやつとその意味が分かつてきたやうな氣がするのである。その頃僕は金澤にゐて、室生さんや何んかと詩の同人雜誌を出す相談をしたり、室生さんに連れられてよく骨董の賣立などへ出かけたりした。勿論その頃の僕には骨董などは面白くもなかつたし、分りもしなかつたので、何處でどんなものを見たのやら少しも覺てゐないが、きつとその時いくつか能面も見てゐたにちがひない。――そんな能面の或る物に「痩女」とか「若女」とか「増髮ますかみ」と云ふやうな名稱のついてゐることは、ごく最近になつて知つたばかりであるが、「細娘」と云ふのなどはそれらの能面の名稱から僕がひとりでに聯想したものかも知れないのだ。勿論、僕はそんな夢を見た頃は能面にさう云ふ名稱のあることなどは少しも知つてはゐなかつた筈だ。だが、何かの機會にひよつとしたら、全然自分の無意識の裡に、僕もさう云ふ名稱を見てゐないとは限らない。――すこしフロイドかぶれかも知れぬが、さう云ふ自分の犯してゐる無意識的行爲が、僕には何だか恐しいやうな氣もするのである。





底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房
   1982(昭和57)年8月30日初版第1刷発行
初出:「本 創刊号」江川書房
   1933(昭和8)年2月1日
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2010年5月29日作成
2011年5月23日修正
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