行く春の記
堀辰雄
三月のはじめから又僕は病氣でねてゐました。漸つと快方に向ひ、この頃は庭に出られるやうになりました。もう春もだいぶ深く、牡丹の蕾が目に立つてふくらんで來てゐます。去年の春はその牡丹が咲き揃つてゐる間中、僕はよくその前で一人で長いこと怠けてばかりゐたものでした。「しばらくありて眞晝の雲は處かへぬ園の牡丹の咲き澄みゐること」そんな利玄の歌などを口ずさみながら。――その牡丹は、けふもまだあちこちに咲き殘つてゐる椿、木瓜、海棠、木蓮、蘇芳などと共に、花好きの妻の母が十年近くも一人で丹精した大事な植木です。實は去年の春先、この母の家にあまり無人なので僕達も鎌倉の住居を引き拂つて移つて來たばかりなのでした。それなのに、その花のあるじの母は去年の冬亡くなりました。主去つて一しほおもひで深い庭となりましたが、いまかうして此處で時間を過してゐても、能なしの僕にも、妻にも、哀傷の歌ひとつ作れません。
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