「貝の穴に河童がゐる」
堀辰雄
僕は讀んでゐるうちに何かしら氣味惡くなつてくるやうな作品が好きだ。そんな作品はめつたにあるものではないが。――
去年のいま頃である。
僕は「古東多万」第一號に載つた泉鏡花の「貝の穴に河童がゐる」と云ふ短篇を讀みながら、どうも氣味惡くなつて來てしかたがなかつた。
こんな筆にまかせて書いたやうな、奔放な、しかも古怪な感じのする作品は、あまりこれまで讀んだことがない。かう云ふ味の作品こそ到底外國文學には見られない、日本文學獨特のものであり、しかもそれさへ上田秋成の「春雨物語」を除いては他にちよつと類がないのではないかと思へる。
僕はこの短篇を讀んで氣味が惡くてならなかつたと云つた。すると僕の友人の中にこの短篇を「なんと色つぽいのだらう」と云つてゐる者があつた。僕はそれを聞いてちよいと虚を衝かれたやうな氣がした。そして自分の見落してゐた大きな要素に氣がついた。
萩原朔太郎さんが嘗つて僕にかう云つたことがある。「自分は怪談と云ふものを好まない。ちつとも怖いと思つたことがない。しかし。さう云ふ怪談にエロチックな要素が這入つてくると、それが妙に怖くなり出す。だから『牡丹燈籠』のやうな怪談だけは好きだ。」さう云ふ萩原さんの説は獨特なものかも知れぬ。しかし僕も、鏡花の作品に關するかぎり、その説の信奉者になるだらう。
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