本物語は謂わば家庭的に行われたる霊界通信の一にして、そこには些の誇張も夾雑物もないものである。が、其の性質上記の如きところより、之を発表せんとするに当りては、亡弟も可なり慎重な態度を採り。霊告による祠の所在地、並に其の修行場などを実地に踏査する等、いよいよ其の架空的にあらざる事を確かめたる後、始めて之を雑誌に掲載せるものである。
霊界通信なるものは、純真なる媒者の犠牲的行為によってのみ信を措くに足るものが得らるるのであって、媒者が家庭的であるか否かには、大なる関係がなさそうである。否、家庭的なものの方が寧ろ不純物の夾雑する憂なく、却って委曲を尽し得べしとさえ考えらるるのである。
それは兎に角として、また内容価値の如何も之を別として、亡弟が心を籠めて遣せる一産物たるには相違ないのである。今や製本成り、紀念として之を座右に謹呈するに当たり、この由来の一端を記すこと爾り。
[#改丁]
霊界通信――即ち霊媒の口を通じ或は手を通じて霊界居住者が現界の我々に寄せる通信、例を挙ぐれば Gerldine Cummins の Beyond Human Personality は所謂「自動書記」の所産である。此書中に含まるる論文は故フレデリク・マイヤーズ――詩人として令名があるが、特に心霊科学に多大の努力貢献をした人――が霊界よりカムミンスの手を仮りて書いたものと信ずる旨をオリバ・ロッヂ卿、ローレンス・ヂョンス卿が証言した。(昨年十二月十八日の
The Two Words
所掲)
カムミンスの他の自動書記は是迄四五種ある。其文体は各々相違して居る。又彼の自著小説があるが、是は全く右数種の自動書記と相違している。心霊科学に何等の実験がなく、潜在意識の所産などなどと説く懐疑者の迷を醒ますに足ると思う。
小櫻姫物語は解説によれば鎌倉時代の一女性がT夫人の口を借り数年に亘って話たるものを淺野和三郎先生が筆記したのである。但し『T夫人の意識は奥の方に微かに残っている』から私の愚見に因れば多少の Fiction は或はあり得ぬとは保障し難い。
しかしこれらを斟酌しても本書は日本に於いては破天荒の著書である。是を完成し終った後、先生は二月一日突然発病し僅々三十五時間で逝いた。二十余年に亘り、斯学の為めに心血を灑ぎ、あまりの奮闘に精力を竭尽して斃れた先生は斯学における最大の偉勲者であることは曰う迄もない。
私は昨年三月二十二日、先生と先生の令兄淺野正恭中将と岡田熊次郎氏とにお伴して駿河台の主婦の友社来賓室に於て九條武子夫人と語る霊界の座談会に列した。主婦の友五月号に其の筆記が載せられた。
日本でこの方面の研究は日がまだ浅い、この研究に従事した福来友吉博士が無知の東京帝大理学部の排斥により同大学を追われたのは二十余年前である。英国理学の大家、エレクトロン首先研究者、クルクス管の発明者、ローヤル・ソサィティ会長の故クルックス、ソルボン大学教授リシエ博士(ノーベル勲章受領者)、同じくローヤル・ソサィティ会長オリバ・ロッヂ卿……これら諸大家の足許にも及ばぬ者が掛かる偉大な先進の努力と研究とのあるを全く知らず、先入が主となるので、井底の蛙の如き陋見から心霊現象を或は無視し或は冷笑するのは気の毒千万である。淺野先生が二十余年に亘る研究の結果の数種の著述心霊講座、神霊主義と共に本書は日本に於ける斯学にとりて重大な貢献である。
[#改丁]
――本書を繙かるる人達の為に――
淺野和三郎
本篇を
集成したるものは
私でありますが、
私自身をその
著者というのは
当らない。
私はただ
入神中のT
女の
口から
発せらるる
言葉を
側で
筆録し、そして
後で
整理したというに
過ぎません。
それなら
本篇は
寧ろT
女の
創作かというに、これも
亦事実に
当てはまっていない。
入神中のT
女の
意識は
奥の
方に
微かに
残ってはいるが、それは
全然受身の
状態に
置かれ、そして
彼女とは
全然別個の
存在――
小櫻姫と
名告る
他の
人格が
彼女の
体躯を
司配して、
任意に
口を
動かし、
又任意に
物を
視せるのであります。
従ってこの
物語の
第一の
責任者はむしろ
右の
小櫻姫かも
知れないのであります。
つまるところ、
本書は
小櫻姫が
通信者、T
女が
受信者、そして
私が
筆録者、
総計三
人がかりで
出来上った、一
種特異の
作品、
所謂霊界通信なのであります。
現在欧米の
出版界には、
斯う
言った
作品が
無数に
現われて
居りますが、
本邦では、
翻訳書以外にはあまり
類例がありません。
T
女に
斯うした
能力が
初めて
起ったのは、
実に
大正五
年の
春の
事で、
数えて
見ればモー二十
年の
昔になります。
最初彼女に
起った
現象は
主として
霊視で、それは
殆んど
申分なきまでに
的確明瞭、よく
顕幽を
突破し、
又遠近を
突破しました。
越えて
昭和四
年の
春に
至り、
彼女は
或る
一つの
動機から
霊視の
他に
更に
霊言現象を
起すことになり、
本人とは
異った
他の
人格がその
口頭機関を
占領して
自由自在に
言語を
発するようになりました。『これで
漸くトーキーができ
上がった……』
私達はそんな
事を
言って
歓んだものであります。『
小櫻姫の
通信』はそれから
以後の
産物であります。
それにしても
右の
所謂『
小櫻姫』とは
何人か?
本文をお
読みになれば
判る
通り、この
女性こそは
相州三浦新井城主の
嫡男荒次郎義光の
奥方として
相当世に
知られている
人なのであります。その
頃三浦一
族は
小田原の
北條氏と
確執をつづけていましたが、
武運拙く、
籠城三
年の
後、
荒次郎をはじめ一
族の
殆んど
全部が
城を
枕に
打死を
遂げたことはあまりにも
名高き
史的事蹟であります。その
際小櫻姫がいかなる
行動に
出たかは、
歴史や
口碑の
上ではあまり
明らかでないが、
彼女自身の
通信によれば、
落城後間もなく
病にかかり、
油壺の
南岸、
浜磯の
仮寓でさびしく
帰幽したらしいのであります。それかあらぬか、
同地の
神明社内には
現に
小桜神社(
通称若宮様)という
小社が
遺って
居り、
今尚お
里人の
尊崇の
標的になって
居ります。
次に
当然問題になるのは
小櫻姫とT
女との
関係でありますが、
小櫻姫の
告ぐる
所によれば
彼女はT
女の
守護霊、
言わばその
霊的指導者で、
両者の
間柄は
切っても
切れぬ、
堅き
因縁の
羈絆で
縛られているというのであります。それに
就きては
本邦並に
欧米の
名ある
霊媒によりて
調査をすすめた
結果、ドーも
事実として
之を
肯定しなければならないようであります。
尚お
面白いのは、T
女の
父が、
海軍将校であった
為めに、はしなくも
彼女の
出生地がその
守護霊と
関係深き
三浦半島の一
角、
横須賀であったことであります。
更に
彼女はその
生涯の
最も
重要なる
時期、十七
歳から三十三
歳までを
三浦半島で
暮らし、四百
年前彼女の
守護霊が
親める
山河に
自分も
親しんだのでありました。これは
単なる
偶然か、それとも
幽冥の
世界からのとりなしか、
神ならぬ
身には
容易に
判断し
得る
限りではありません。
最後に一
言して
置きたいのは
筆録の
責任者としての
私の
態度であります。
小櫻姫の
通信は
昭和四
年春から
現在に
至るまで
足掛八
年に
跨がりて
現われ、その
分量は
相当沢山で、すでに
数冊のノートを
埋めて
居ります。
又その
内容も
古今に
亘り、
顕幽に
跨り、
又或る
部分は一
般的、
又或る
部分は
個人的と
言った
具合に、
随分まちまちに
入り
乱れて
居ります。
従ってその
全部を
公開することは
到底不可能で、
私としては、ただその
中から、
心霊的に
観て
参考になりそうな
個所だけを、
成るべく
秩序を
立てて
拾い
出して
見たに
過ぎません。で、
材料の
取捨選択の
責は
当然私が
引受けなければなりませんが、しかし
通信の
内容は
全然原文のままで、
私意を
加へて
歪曲せしめたような
個所はただの一
箇所もありません。その
点は
特に
御留意を
願いたいと
存じます。
(十一、十、五)
[#改ページ]
修行も
未熟、
思慮も
足りない
一人の
昔の
女性がおこがましくもここにまかり
出る
幕でないことはよく
存じて
居りまするが、
斯うも
再々お
呼び
出しに
預かり、
是非くわしい
通信をと、つづけざまにお
催促を
受けましては、ツイその
熱心にほだされて、
無下におことわりもできなくなって
了ったのでございます。それに
又神さまからも『
折角であるから
通信したがよい』との
思召でございますので、
今回いよいよ
思い
切ってお
言葉に
従うことにいたしました。
私としてはせいぜい
古い
記憶を
辿り、
自分の
知っていること、
又自分の
感じたままを、
作らず、
飾らず、
素直に
申述べることにいたします。それがいささかなりとも、
現世の
方々の
研究の
資料ともなればと
念じて
居ります。
何卒あまり
過分の
期待をかけず、お
心安くおきき
取りくださいますように……。
ただ
私として、
前以てここに
一つお
断りして
置きたいことがございます。それは
私の
現世生活の
模様をあまり
根掘り
葉掘りお
訊ねになられぬことでございます。
私にはそれが
何よりつらく、
今更何の
取得もなき、
昔の
身上などを
露ほども
物語りたくはございませぬ。こちらの
世界へ
引移ってからの
私どもの
第一の
修行は、
成るべく
早く
醜い
地上の
執着から
離れ、
成るべく
速かに
役にも
立たぬ
現世の
記憶から
遠ざかることでございます。
私どもはこれでもいろいろと
工夫の
結果、やっとそれができて
参ったのでございます。で、
私どもに
向って
身上噺をせいと
仰ッしゃるのは、
言わば
辛うじて
治りかけた
心の
古疵を
再び
抉り
出すような、
随分惨たらしい
仕打なのでございます。
幽明の
交通を
試みらるる
人達は
常にこの
事を
念頭に
置いて
戴きとう
存じます。そんな
訳で、
私の
通信は、
主に
私がこちらの
世界へ
引移ってからの
経験……つまり
幽界の
生活、
修行、
見聞、
感想と
言ったような
事柄に
力を
入れて
見たいのでございます。
又それがこの
道にたずさわる
方々の
私に
期待されるところかと
存じます。むろん
精神を
統一して
凝乎と
深く
考え
込めば、どんな
昔の
事柄でもはっきり
想い
出すことができないではありませぬ。しかもその
当時の
光景までがそっくりそのまま
形態を
造ってありありと
眼の
前に
浮び
出てまいります。つまり
私どもの
境涯には
殆んど
過去、
現在、
未来の
差別はないのでございまして。……でも
無理にそんな
真似をして、
足利時代の
絵巻物をくりひろげてお
目にかけて
見たところで、
大した
価値はございますまい。
現在の
私としては
到底そんな
気分にはなりかねるのでございます。
と
申しまして、
私が
今いきなり
死んでからの
物語を
始めたのでは、
何やらあまり
唐突……
現世と
来世との
連絡が
少しも
判らないので、
取りつくしまがないように
思われる
方があろうかと
感ぜられますので、
甚だ
不本意ながら、
私の
現世の
経歴のホンの
荒筋丈をかいつまんで
申上げることに
致しましょう。
乗りかけた
船とやら、これも
現世と
通信を
試みる
者の
免れ
難き
運命――
業かも
知れませぬ……。
私は――
実は
相州荒井の
城主三浦道寸の
息、
荒次郎義光と
申す
者の
妻だったものにございます。
現世の
呼名は
小櫻姫――
時代は
足利時代の
末期――
今から
約四百
余年の
昔でございます。もちろんこちらの
世界には
昼夜の
区別も、
歳月のけじめもありませぬから、
私はただ
神さまから
伺って、
成るほどそうかと
思う
丈のことに
過ぎませぬ。四百
年といえば
現世では
相当長い
星霜でございますが、
不思議なものでこちらではさほどにも
感じませぬ。
多分それは
凝乎と
精神を
鎮めて、
無我の
状態をつづけて
居る
期間が
多い
故でございましょう。
私の
生家でございますか――
生家は
鎌倉にありました。
父の
名は
大江廣信――
代々鎌倉の
幕府に
仕へた
家柄で、
父も
矢張りそこにつとめて
居りました。
母の
名は
袈裟代、これは
加納家から
嫁いでまいりました。
両親の
間には
男の
児はなく、たった
一粒種の
女の
児があったのみで、それが
私なのでございます。
従って
私は
小供の
時から
随分大切に
育てられました。
別に
美しい
程でもありませぬが、
体躯は
先ず
大柄な
方で、それに
至って
健康でございましたから、
私の
処女時代は、
全く
苦労知らずの、
丁度春の
小禽そのまま、
楽しいのんびりした
空気に
浸っていたのでございます。
私の
幼い
時分には
祖父も
祖母もまだ
存命で、それはそれは
眼にも
入れたいほど
私を
寵愛してくれました。
好い
日和の
折などには
私はよく二三の
腰元どもに
傅れて、
長谷の
大仏、
江の
島の
弁天などにお
詣りしたものでございます。
寄せてはかえす七
里ヶ
浜の
浪打際の
貝拾いも
私の
何より
好きな
遊びの
一つでございました。その
時分の
鎌倉は
武家の
住居の
建ち
並んだ、
物静かな、そして
何やら
無骨な
市街で、
商家と
言っても、
品物は
皆奥深く
仕舞い
込んでありました。そうそう
私はツイ
近頃不図した
機会に、こちらの
世界から一
度鎌倉を
覗いて
見ましたが、
赤瓦や
青瓦で
葺いた
小さな
家屋のぎっしり
建て
込んだ、あのけばけばしさには、つくづく
呆れて
了いました。
『あれが
私の
生れた
同じ
鎌倉かしら……。』
私はひとりそうつぶやいたような
次第で……。
その
頃の
生活状態をもっと
詳しく
物語れと
仰っしゃいますか――
致方がございませぬ、お
喋りの
[#「お喋りの」は底本では「お諜りの」]序でに、
少しばかり
想い
出して
見ることにいたしましょう。もちろん、
順序などは
少しも
立って
居りませぬから
何卒そのおつもりで……。
先ずその
頃の
私達の
受けた
教育につきて
申上げてみましょうか――
時代が
時代ゆえ、
教育はもう
至って
簡単なもので、
学問は
読書、
習字、
又歌道一と
通り、すべて
家庭で
修めました。
武芸は
主に
薙刀の
稽古、
母がよく
薙刀を
使いましたので、
私も
小供の
時分からそれを
仕込まれました。その
頃は
女でも
武芸一と
通りは
稽古したものでございます。
処女時代に
受けた
私の
教育というのは
大体そんなもので、
馬術は
後に
三浦家へ
嫁入りしてから
習いました。
最初私は
馬に
乗るのが
厭でございましたが、
良人から『
女子でもそれ
位の
事は
要る』と
言われ、それから
教えてもらいました。
実地に
行って
見ると
馬は
至って
穏和しいもので、
私は
大へん
乗馬が
好きになりました。
乗馬袴を
穿いて、すっかり
服装がかわり、
白鉢巻をするのです。
主に
城内の
馬場で
稽古したのですが、
後には
乗馬で
鎌倉へ
実家帰りをしたこともございます。
従者も
男子のみでは
困りますので、
一人の
腰元にも
乗馬の
稽古を
致させました。その
頃ちょっと
外出するにも、
少くとも四五
人の
従者は
必らずついたもので……。
今度はその
時分の
物見遊山のお
話なりといたしましょうか。
物見遊山と
申してもそれは
至って
単純なもので、
普通はお
花見、
汐干狩、
神社仏閣詣で……そんな
事は
只今と
大した
相違もないでしょうが、ただ
当時の
男子にとりて
何よりの
娯楽は
猪狩り
兎狩り
等の
遊びでございました。
何れも
手に
手に
弓矢を
携え、
馬に
跨って、
大へんな
騒ぎで
出掛けたものでございます。
父は
武人ではないのですが、それでも
山狩りが
何よりの
道楽なのでした。まして
筋骨の
逞ましい、
武家育ちの
私の
良人などは、三
度の
食事を一
度にしてもよい
位の
熱心さでございました。『
明日は
大楠山の
巻狩りじゃ』などと
布達が
出ると、
乗馬の
手入れ、
兵糧の
準備、
狩子の
勢揃い、まるで
戦争のような
大騒ぎでございました。
そうそう
風流な、
優さしい
遊びも
少しはありました。それは
主として
能狂言、
猿楽などで、
家来達の
中にそれぞれその
道の
巧者なのが
居りまして、
私達も
時々見物したものでございます。けれども
自分でそれをやった
覚えはございませぬ。
京とは
異って
東国は
大体武張った
遊び
事が
流行ったものでございますから……。
衣服調度類でございますか――
鎌倉にもそうした
品物を
売り
捌く
商人の
店があるにはありましたが、さきほども
申した
通り、
別に
人目を
引くように、
品物を
店頭に
陳列するような
事はあまりないようでございました。
呉服物なども、
良い
品物は
皆特別に
織らせたもので、
機織がなかなか
盛んでございました。
尤もごく
高価の
品は
鎌倉では
間に
合わず、
矢張りはるばる
京に
誂えたように
記憶して
居ります。
それから
食物……これは
只今の
世の
中よりずっと
簡単なように
見受けられます。こちらの
世界へ
来てからの
私達は
全然飲食をいたしませぬので、
従ってこまかいことは
判りませぬが、ただ
私の
守護しているこの
女(T
夫人)の
平生の
様子から
考えて
見ますと、
今の
世の
調理法が
大へん
手数のかかるものであることはうすうす
想像されるのでございます。あの
大そう
甘い、
白い
粉……
砂糖とやら
申すものは、もちろん
私達の
時代にはなかったもので、その
頃のお
菓子というのは、
主に
米の
粉を
固めた
打菓子でございました。それでも
薄っすりと
舌に
甘く
感じたように
覚えて
居ります。
又物の
調味には、あの
甘草という
薬草の
粉末を
少し
加えましたが、ただそれは
上流の
人達の
調理に
限られ、一
般に
使用するものではなかったように
記憶して
居ります。むろん
酒もございました……
濁っては
居りませぬが、しかしそう
透明ったものでもなかったように
覚えて
居ります。それから
飲料としては
桜の
花漬、それを
湯呑みに
入れて
白湯をさして
客などにすすめました。
斯う
言ったお
話は、あまりつまらな
過ぎますので、
何卒これ
位で
切り
上げさせて
戴きましょう。
私のようなあの
世の
住人が
食物や
衣類などにつきて
遠い
遠い
昔の
思い
出語りをいたすのは
何やらお
門違いをしているようで、
何分にも
興味が
乗らないで
困ってしまいます……。
やがて
私の
娘時代にも
終りを
告ぐべき
時節がまいりました。
女の一
生の
大事はいうまでもなく
結婚でございまして、それが
幸不幸、
運不運の
大きな
岐路となるのでございますが、
私とてもその
型から
外れる
訳にはまいりませんでした。
私の
三浦へ
嫁ぎましたのは
丁度二十歳の
春で
山桜が
真盛りの
時分でございました。それから
荒井城内の十
幾年の
武家生活……
随分楽しかった
思い
出の
種子もないではございませぬが、
何を
申してもその
頃は
殺伐な
空気の
漲った
戦国時代、
北條某とやら
申す
老獪い
成上り
者から
戦闘を
挑まれ、
幾度かのはげしい
合戦の
挙句の
果が、あの三
年越しの
長の
籠城、とうとう
武運拙く
三浦の一
族は、
良人をはじめとして
殆んど
全部城を
枕に
打死して
了いました。その
時分の
不安、
焦燥、
無念、
痛心……
今でこそすっかり
精神の
平静を
取り
戻し、
別にくやしいとも、
悲しいとも
思わなくなりましたが、
当時の
私どもの
胸には
正に
修羅の
業火が
炎々と
燃えて
居りました。
恥かしながら
私は一
時は
神様も
怨みました……
人を
呪いもいたしました……
何卒その
頃の
物語り
丈は
差控えさせて
戴きます……。
大江家の
一人娘が
何故他家へ
嫁いだか、と
仰せでございますか……あなたの
誘い
出しのお
上手なのにはほんとうに
困って
了います……。ではホンの
話の
筋道だけつけて
了うことに
致しましょう。
現世の
人間としては
矢張り
現世の
話に
興味を
有たるるか
存じませぬが、
私どもの
境涯からは、そう
言った
地上の
事柄はもう
別に
面白くも、おかしくも
何ともないのでございます……。
私が
三浦家への
嫁入りにつきましては
別に
深い
仔細はございませぬ。
良人は
私の
父が
見込んだのでございます。『たのもしい
人物じゃ。あれより
外にそちが
良人と
冊くべきものはない……』ただそれっきりの
事柄で、
私はおとなしく
父の
仰せに
服従したまででございます。
現代の
人達から
頭脳が
古いと
思われるか
存じませぬが、
古いにも、
新らしいにも、それがその
時代の
女の
道だったのでございます。そして
父のつもりでは、
私達夫婦の
間に
男児が
生れたら、その
一人を
大江家の
相続者に
貰い
受ける
下心だったらしいのでございます。
見合いでございますか……それは
矢張り
見合いもいたしました。
良人の
方から
実家へ
訪ねてまいったように
記憶して
居ります。
今も
昔も
同じこと、
私は
両親から
召ばれて
挨拶に
出たのでございます。その
頃良人はまだ
若うございました。たしか二十五
歳、
横縦揃った、
筋骨の
逞ましい
大柄の
男子で、
色は
余り
白い
方ではありません。
目鼻立尋常、
髭はなく、どちらかといえば
面長で、
眼尻の
釣った、きりっとした
容貌の
人でした。ナニ
歴史に八十
人力の
荒武者と
記してある……ホホホホ
良人はそんな
怪物ではございません。
弓馬の
道に
身を
入れる、
武張った
人ではございましたが、八十
人力などというのは
嘘でございます。
気立ても
存外優さしかった
人で……。
見合の
時の
良人の
服装でございますか――
服装はたしか
狩衣に
袴を
穿いて、お
定まりの
大小二腰、そして
手には
中啓を
持って
居りました……。
婚礼の
式のことは、それは
何卒おきき
下さらないで……
格別変ったこともございません。
調度類は
前以て
先方へ
送り
届けて
置いて、
後から
駕籠にのせられて、
大きな
行列を
作って
乗り
込んだまでの
話で……
式はもちろん
夜分に
挙げたのでございます。すべては
皆夢のようで、
今更その
当時を
想い
出して
見たところで
何の
興味も
起りません。こちらの
世界へ
引越して
了へば、めいめい
向きが
異って、ただ
自分の
歩むべき
途を一
心不乱に
歩む
丈、
従って
親子も、
兄弟も、
夫婦も、こちらではめったにつきあいをしているものではございません。あなた
方もいずれはこちらの
世界へ
引移って
来られるでしょうが、その
時になれば
私どもの
現在の
心持がだんだんお
判りになります。『そんな
時代もあったかナ……』
遠い
遠い
現世の
出来事などは、ただ一
片の
幻影と
化して
了います。
現世の
話は
大概これで
宜しいでしょう。
早くこちらの
世界の
物語に
移りたいと
思いますが……。
ナニ
私が
死ぬる
前後の
事情を
物語れと
仰っしゃるか……。それではごく
手短かにそれだけ
申上げることに
致しましょう。
今度こそ、いよいよそれっきりでおしまいでございます……。
足掛三
年に
跨る
籠城……
月に
幾度となく
繰り
返される
夜打、
朝駆、
矢合わせ、
切り
合い……どっと
起る
喊の
声、
空を
焦す
狼火……そして
最後に
武運いよいよ
尽きてのあの
落城……四百
年後の
今日思い
出してみる
丈でも
気が
滅入るように
感じます。
戦闘が
始まってから、
女子供はむろん
皆城内から
出されて
居りました。
私の
隠れていた
所は
油壺の
狭い
入江を
隔てた
南岸の
森の
蔭、そこにホンの
形ばかりの
仮家を
建てて、一
族の
安否を
気づかいながら
侘ずまいをして
居りました。
只今私が
祀られているあの
小桜神社の
所在地――
少し
地形は
異いましたが、
大体あの
辺だったのでございます。
私はそこで
対岸のお
城に
最後の
火の
手の
挙るのを
眺めたのでございます。
『お
城もとうとう
落ちてしまった……
最早良人もこの
世の
人ではない……
憎ッくき
敵……
女ながらもこの
怨みは……。』
その
時の一
念は
深く
深く
私の
胸に
喰い
込んで、
現世に
生きている
時はもとよりのこと、
死んでから
後も
容易に
私の
魂から
離れなかったのでございます。
私がどうやらその
後人並みの
修行ができて
神心が
湧いてまいりましたのは、
偏に
神様のおさとしと、それから
私の
為めに
和やかな
思念を
送ってくだされた、
親しい
人達の
祈願の
賜なので
[#「賜なので」は底本では「賜なのて」]ございます。さもなければ
私などはまだなかなか
済われる
女性ではなかったかも
知れませぬ……。
兎にも
角にも、
落城後の
私は
女ながらも
再挙を
図るつもりで、
僅ばかりの
忠義な
従者に
護られて、あちこちに
身を
潜めて
居りました。
領地内の
人民も
大へん
私に
対して
親切にかばってくれました。――が、
何を
申しましても
女の
細腕、
力と
頼む一
族郎党の
数もよくよく
残り
少なになって
了ったのを
見ましては、
再挙の
計劃の
到底無益であることが
次第次第に
判ってまいりました。
積もる
苦労、
重なる
失望、ひしひしと
骨身にしみる
寂しさ……
私の
躯はだんだん
衰弱してまいりました。
幾月かを
過す
中に、
敵の
監視もだんだん
薄らぎましたので、
私は
三崎の
港から
遠くもない、
諸磯と
申す
漁村の
方に
出てまいりましたが、モーその
頃の
私には
世の
中が
何やら
味気なく
感じられて
仕ょうがないのでした。
実家の
両親は
大へんに
私の
身の
上を
案じてくれまして、しのびやかに
私の
仮宅を
訪れ、
鎌倉へ
帰れとすすめてくださるのでした。『
良人もなければ、
家もなく、
又跡をつぐべき
子供とてもない、よくよくの
独り
身、
兎も
角も
鎌倉へ
戻って、
心静かに
余生を
送るのがよいと
思うが……。』いろいろ
言葉を
尽してすすめられたのでありますが、
私としては
今更親元へもどる
気持ちにはドーあってもなれないのでした。
私はきっぱりと
断りました。――
『
思召はまことに
有難うございまするが、一たん
三浦家へ
嫁ぎました
身であれば、
再びこの
地を
離れたくは
思いませぬ。
私はどこまでも
三崎に
留まり、
亡き
良人をはじめ、一
族の
後を
弔いたいのでございます……。』
私の
決心の
飽まで
固いのを
見て、
両親も
無下に
帰家をすすめることもできず、そのまま
空しく
引取って
了われました。そして
間もなく、
私の
住宅として、
海から二三
丁引込んだ、
小高い
丘に、
土塀をめぐらした、ささやかな
隠宅を
建ててくださいました。
私はそこで
忠実な
家来や
腰元を
相手に
余生を
送り、そしてそこでさびしくこの
世の
気息を
引き
取ったのでございます。
落城後それが
何年になるかと
仰ッしゃるか――それは
漸く一
年余り
私が三十四
歳の
時でございました。まことに
短命な、つまらない一
生涯でありました。
でも、
今から
考えれば、
私にはこれでも
生前から
幾らか
霊覚のようなものが
恵まれていたらしいのでございます。
落城後間もなく、
城跡の一
部に
三浦一
族の
墓が
築かれましたので、
私は
自分の
住居からちょいちょい
墓参をいたしましたが、
墓の
前で
眼を
瞑って
拝んで
居りますと、
良人の
姿がいつもありありと
眼に
現われるのでございます。
当時の
私は
別に
深くは
考えず、
墓に
詣れば
誰にも
見えるものであろう
位に
思っていました。
私が
三浦の
土地を
離れる
気がしなかったのも、つまりはこの
事があった
為めでございました。
当時の
私に
取りましては、
死んだ
良人に
逢うのがこの
世に
於ける、
殆んど
唯一の
慰安、
殆んど
唯一の
希望だったのでございます。『
何としても
爰から
離れたくない……』
私は一
図にそう
思い
込んで
居りました。
私は
別に
婦道が
何うの、
義理が
斯うのと
言って、
六ヶしい
理窟から
割り
出して、
三浦に
踏みとどまった
訳でも
何でもございませぬ。ただそうしたいからそうしたまでの
話に
過ぎなかったのでございます。
でも、
私が
死ぬるまで
三浦家の
墳墓の
地を
離れなかったという
事は、その
領地の
人民の
心によほど
深い
感動を
与えたようでございました。『
小櫻姫は
貞女の
亀鑑である』などと、
申しまして、
私の
死後に
祠堂を
立て
神に
祀ってくれました。それが
現今も
残っている、あの
小桜神社でございます。でも
右申上げたとおり、
私は
別に
貞女の
亀鑑でも
何でもございませぬ。
私はただどこまでも
自分の
勝手を
通した、一
本気の
女性だったに
過ぎないのでございます。
気のすすまぬ
現世時代の
話も
一と
通り
片づいて、
私は
何やら
身が
軽くなったように
感じます。そちらから
御覧になったら
私達の
住む
世界は
甚だたよりのないように
見えるかも
知れませぬが、こちらから
現世を
振りかえると、それは
暗い、せせこましい、
空虚な
世界――
何う
思い
直して
見ても、
今更それを
物語ろうという
気分にはなり
兼ねます。とりわけ
私の
生涯などは、どなたのよりも一
層つまらない一
生だったのでございますから……。
え、まだ
私の
臨終の
前後の
事情がはっきりしていないと
仰っしゃるか……そういえばホンにそうでございます。では
致方がございません、これから
大急ぎで、
一と
通りそれを
申上げて
了うことに
致しましょう。
前にも
述べたとおり、
私の
躯はだんだん
衰弱して
来たのでございます。
床についてもさっぱり
安眠ができない……
箸を
執っても一
向食物が
喉に
通らない……
心の
中はただむしゃくしゃ……、
口惜しい、
怨めしい、
味気ない、さびしい、なさけない……
何が
何やら
自分にもけじめのない、さまざまの
妄念妄想が、
暴風雨のように
私の
衰えた
躰の
内をかけめぐって
居るのです。それにお
恥かしいことには、
持って
生れた
負けずぎらいの
気性、
内実は
弱いくせに、
無理にも
意地を
通そうとして
居るのでございますから、つまりは
自分で
自分の
身を
削るようなもの、
新しい
住居に
移ってから一
年とも
経たない
中に、
私はせめてもの
心遣りなる、あのお
墓参りさえもできないまでに、よくよく
憔悴けて
[#「憔悴けて」は底本では「悴憔けて」]了いました。
一と
口に
申したらその
時分の
私は、
消えかかった
青松葉の
火が、プスプスと
白い
煙を
立て
燻っているような
塩梅だったのでございます。
私が
重い
枕に
就いて、
起居も
不自由になったと
聞いた
時に、
第一に
馳せつけて、なにくれと
介抱に
手をつくしてくれましたのは
矢張り
鎌倉の
両親でございました。『
斯うかけ
離れて
住んで
居ては、
看護に
手が
届かんで
困るのじゃが……。』めっきり
小鬢に
白いものが
混るようになった
父は、そんな
事を
申して
何やら
深い
思案に
暮れるのでした。
大方内心では
私の
事を
今からでも
鎌倉に
連れ
戻りたかったのでございましたろう。
気性の
勝った
母は、
口に
出しては
別に
何とも
申しませんでしたが、それでも
女は
矢張り
女、
小蔭へまわってそっと
泪を
拭いて
長太息を
漏らしているのでございました。
『いつまでも
老いたる
両親に
苦労をかけて、
自分は
何んという
親不孝者であろう。いっそのことすべてをあきらめて、おとなしく
鎌倉へ
戻って
専心養生につとめようかしら……。』そんな
素直な
考えも
心のどこかに
囁かないでもなかったのですが、
次ぎの
瞬間には
例の
負けぎらいが
私の
全身を
包んで
了うのでした。『
良人は
自分の
眼の
前で
打死したではないか……
憎いのはあの
北條……
縦令何事があろうとも、
今更おめおめと
親許などに……。』
鬼の
心になり
切った
私は、
両親の
好意に
背き、
同時に
又天をも
人をも
怨みつづけて、
生甲斐のない
日子を
算えていましたが、それもそう
長いことではなく、いよいよ
私にとりて
地上生活の
最後の
日が
到着いたしました。
現世の
人達から
観れば、
死というものは
何やら
薄気味のわるい、
何やら
縁起でもないものに
思われるでございましょうが、
私どもから
観れば、それは一
疋の
蛾が
繭を
破って
脱け
出るのにも
類した、
格別不思議とも
無気味とも
思われない、
自然の
現象に
過ぎませぬ。
従って
私としては
割合に
平気な
気持で
自分の
臨終の
模様をお
話しすることができるのでございます。
四百
年も
以前のことで、
大変記憶は
薄らぎましたが、ざっと
私のその
時の
実感を
述べますると――
何よりも
先ず
目立って
感じられるのは、
気がだんだん
遠くなって
行くことで、それは
丁度、あのうたた
寝の
気持――
正気のあるような、
又無いような、
何んとも
言えぬうつらうつらした
気分なのでございます。
傍からのぞけば、
顔が
痙攣たり、
冷たい
脂汗が
滲み
出たり、
死ぬる
人の
姿は
決して
見よいものではございませぬが、
実際自分が
死んで
見ると、それは
思いの
外に
楽な
仕事でございます。
痛いも、
痒いも、
口惜しいも、
悲しいも、それは
魂がまだしっかりと
躯の
内部に
根を
張っている
時のこと、
臨終が
近づいて、
魂が
肉のお
宮を
出たり、
入ったり、うろうろするようになりましては、それ
等の一
切はいつとはなしに、
何所かえ
消える、というよりか、
寧ろ
遠のいて
了います。
誰かが
枕辺で
泣いたり、
叫んだりする
時にはちょっと
意識が
戻りかけますが、それとてホンの一
瞬の
間で、やがて
何も
彼も
少しも
判らない、
深い
深い
無意識の
雲霧の
中へとくぐり
込んで
了うのです。
私の
場合には、この
無意識の
期間が二三
日つづいたと、
後で
神さまから
教えられましたが、どちらかといえば二三
日というのは
先ず
短い
部類で、
中には
幾年幾十
年と
長い
長い
睡眠をつづけているものも
稀にはあるのでございます。
長いにせよ、
又短かいにせよ、
兎に
角この
無意識から
眼をさました
時が、
私たちの
世界の
生活の
始まりで、
舞台がすっかりかわるのでございます。
いよいよこれから、こちらの
世界のお
話になりますが、
最初はまだ
半分足を
現世にかけているようなもので、
矢張り
娑婆臭い、おきき
苦しい
事実ばかり
申上げることになりそうでございます。――ナニその
方が
人間味があって
却って
面白いと
仰っしゃるか……。
御冗談でございましょう。
話すものの
身になれば、こんな
辛い、
恥かしいことはないのです……。
これは
後で
神様からきかされた
事でございますが、
私は
矢張り、
自力で
自然に
眼を
覚ましたというよりか、
神さまのお
力で
眼を
覚まして
戴いたのだそうでございます。その
神さまというのは、
大国主神様のお
指図を
受けて、
新らしい
帰幽者の
世話をして
下さる
方なのでございます。これにつきては
後で
詳しく
申上げますが、
兎に
角新たに
幽界に
入ったもので、
斯う
言った
神の
神使、
西洋で
申す
天使のお
世話に
預からないものは
一人もございませんので……。
幽界で
眼を
覚ました
瞬間の
気分でございますか――それはうっとりと
夢でも
見ているような
気持、そのくせ、
何やら
心の
奥の
方で『
自分の
居る
世界はモー
異っている……。』と
言った、
微かな
自覚があるのです。
四辺は
夕暮の
色につつまれた、いかにも
森閑とした、
丁度山寺にでも
臥て
居るような
感じでございます。
そうする
中に
私の
意識は
少しづつ
回復してまいりました。
『
自分はとうとう
死んで
了ったのか……。』
死の
自覚が
頭脳の
内部ではっきりすると
同時に、
私は
次第に
激しい
昂奮の
暴風雨の
中にまき
込まれて
行きました。
私が
先ず
何よりつらく
感じたのは、
後に
残した、
老いたる
両親のことでした。
散々苦労ばかりかけて、
何んの
報ゆるところもなく、
若い
身上で、
先立ってこちらへ
引越して
了った
親不孝の
罪、こればかりは
全く
身を
切られるような
思いがするのでした。『
済みませぬ
済みませぬ、どうぞどうぞお
許しくださいませ……』
何回私はそれを
繰り
返して
血の
涙に
咽んだことでしょう!
そうする
中にも
私の
心は
更に
他のさまざまの
暗い
考えに
掻き
乱されました。『
親にさえ
背いて
折角三浦の
土地に
踏みとどまりながら、
自分は
遂に
何の
仕出かしたこともなかった!
何んという
腑甲斐なさ……
何んという
不運の
身の
上……
口惜しい……
悲[#ルビの「かな」は底本では「かは」]しい……
情けない……。』
何が
何やら、
頭脳の
中はただごちゃごちゃするのみでした。
そうかと
思えば、
次ぎの
瞬間には、
私はこれから
先きの
未知の
世界の
心細さに
慄い
戦いているのでした。『
誰人も
迎えに
来てくれるものはないのかしら……。』
私はまるで
真暗闇の
底無しの
井戸の
内部へでも
突き
落されたように
感ずるのでした。
ほとんど
気でも
狂うかと
思われました
時に、ひょくりと
私の
枕辺に
一人の
老人が
姿を
現しました。
身には
平袖の
白衣を
着て、
帯を
前で
結び、
何やら
絵で
見覚えの
天人らしい
姿、そして
何んともいえぬ
威厳と
温情との
兼ね
具った、
神々しい
表情で
凝乎と
私を
見つめて
居られます。『一
体これは
何誰かしら……』
心は
千々に
乱れながらも、
私は
多少の
好奇心を
催さずに
居られませんでした。
このお
方こそ、
前に
私がちょっと
申上げた
大国主神様からのお
神使なのでございます。
私はこのお
方の
一と
方ならぬ
導きによりて、
辛くも
心の
闇から
救い
上げられ、
尚おその
上に
天眼通その
他の
能力を
仕込まれて、ドーやらこちらの
世界で
一人立ちができるようになったのでございます。これは
前にものべた
通り、
決して
私にのみ
限ったことではなく、どなたでも
皆神様のお
世話になるのでございますが、ただ
身魂の
因縁とでも
申しましょうか、めいめいの
踏むべき
道筋は
異います。
私などは
随分きびしい、
険しい
道を
踏まねばならなかった
一人で、
苦労も
一しお
多かったかわりに、
幾分か
他の
方より
早く
明るい
世界に
抜け
出ることにもなりました。ここで
念の
為めに
申上げて
置きますが、
私を
指導してくだすった
神様は、お
姿は
普通の
老人の
姿を
執って
居られますが、
実は
人間ではございませぬ。つまり
最初から
生き
通しの
神、あなた
方の
自然霊というものなのです。
斯う
言った
方のほうが、
新らしい
帰幽者を
指導するのに、まつわる
何の
情実もなくて、
人霊よりもよほど
具合が
宜しいと
申すことでございます。
私がお
神使の
神様から
真先きに
言いきかされたお
言葉は、
今ではあまりよく
覚えても
居りませぬが、
大体こんなような
意味のものでございました。――
『そなたはしきりに
先刻から
現世の
事を
思い
出して、
悲嘆の
涙にくれているが、
何事がありても
再び
現世に
戻ることだけは
協わぬのじゃ。そんなことばかり
考えていると、
良い
境涯へはとても
進めぬぞ! これからは
俺がそなたの
指導役、
何事もよくききわけて、
尊い
神さまの
裔孫としての
御名を
汚さぬよう、一
時も
早く
役にもたたぬ
現世の
執着から
離れるよう、しっかりと
修行をして
貰いますぞ!
執着が
残っている
限り
何事もだめじゃ……。』
が、その
場合の
私には、
斯うした
神様のお
言葉などは
殆んど
耳にも
入りませんでした。
私はいろいろの
難題を
持ち
出してさんざん
神様を
困らせました。お
恥かしいことながら、
罪滅ぼしのつもりで一つ二つここで
懺悔いたして
置きます。
私が
持ちかけた
難題の
一つは、
早く
良人に
逢いたいという
註文でございました。『
現世で
怨みが
晴らせなかったから、
良人と
二人力を
合わせて
怨霊となり、せめて
仇敵を
取り
殺してやりたい……。』――これが
神さまに
向ってのお
願いなのでございますから、
神さまもさぞ
呆れ
返って
了われたことでしょう。もちろん、
神様はそんな
註文に
応じてくださる
筈はございませぬ。『
他人を
怨むことは
何より
罪深い
仕業であるから
許すことはできぬ。
又良人には
現世の
執着が
除れた
時に、
機会を
見て
逢わせてつかわす……。』いとも
穏かに
大体そんな
意味のことを
諭されました。もう
一つ
私が
神様にお
願いしたのは、
自分の
遺骸を
見せて
呉れとの
註文でございました。
当時の
私には、せめて一
度でも
眼前に
自分の
遺骸を
見なければ、
何やら
夢でも
見て
居るような
気持で、あきらめがつかなくて
仕方がないのでした。
神さまはしばし
考えていられたが、とうとう
私の
願いを
容れて、あの
諸磯の
隠宅の
一と
間に
横たわったままの、
私の
遺骸をまざまざと
見せてくださいました。あの
痩せた、
蒼白い、まるで
幽霊のような
醜くい
自分の
姿――
私は
一と
目見てぞっとして
了いました。『モー
結構でございます。』
覚えずそう
言って
御免を
蒙って
了いましたが、この
事は
大へん
私の
心を
落つかせるのに
効能があったようでございました。
まだ
外にもいろいろありますが、あまりにも
愚かしい
事のみでございますので、
一と
先ずこれで
切り
上げさせて
戴きます。
現在の
私とて、まだまだ一
向駄眼でございますが、
帰幽当座の
私などはまるで
醜くい
執着の
凝塊、
只今想い
出しても
顔が
赭らんで
了います……。
兎に
角神様も
斯んなききわけのない
私の
処置にはほとほとお
手を
焼かれたらしく、いろいろと
手をかえ、
品をかえて
御指導[#ルビの「ごしどう」は底本では「ごしだし」]の
労を
執ってくださいましたが、やがて
私[#ルビの「わたくし」は底本では「くわたくし」]の
祖父……
私より十
年ほど
前に
歿りました
祖父を
連れて
来て、
私の
説諭を
仰せつけられました。
何にしろとても
逢われないものと
思い
込んでいた
肉親の
祖父が、
元の
通りの
慈愛に
溢れた
温容で、
泣き
悶えている
私の
枕辺にひょっくりとその
姿を
現わしたのですから、その
時の
私のうれしさ、
心強さ!
『まあお
爺さまでございますか!』
私は
覚えず
跳び
起きて、
祖父の
肩に
取り
縋って
了いました。
帰幽後私の
暗い
暗い
心胸に一
点の
光明が
射したのは
実にこの
時が
最初でございました。
祖父はさまざまに
私をいたわり、
且つ
励ましてくれました。――
『そなたも
若いのに
歿なって、まことに
気の
毒なことであるが、
世の
中はすべて
老少不定、
寿命ばかりは
何んとも
致方がない。これから
先きはこの
祖父も
神さまのお
手伝として、そなたの
手引きをして、
是非ともそなたを
立派なものに
仕上げて
見せるから、こちらへ
来たとて
決して
決して
心細いことも、
又心配なこともない。
請合って、
他の
人達よりも
幸福なものにしてあげる……。』
祖父の
言葉には
格別これと
取り
立てていうほどのこともないのですが、
場合が
場合なので、それは
丁度しとしとと
降る
春雨の
乾いた
地面に
浸みるように、
私の
荒んだ
胸に
融け
込んで
行きました。お
蔭で
私はそれから
幾分心の
落付きを
取り
戻し、
神さまの
仰せにもだんだん
従うようになりました。
人を
見て
法を
説けとやら、こんな
場合には
矢張り
段違いの
神様よりも、お
馴染みの
祖父の
方が、
却って
都合のよいこともあるものと
見えます。
私の
祖父の
年齢でございますか――たしか
祖父は七十
余りで
歿りました。
白哲で
細面の、
小柄の
老人で、
歯は一
本なしに
抜けて
居ました。
生前は
薄い
頭髪を
茶筌に
結っていましたが、
幽界で
私の
許に
訪れた
時は、
意外にもすっかり
頭顱を
丸めて
居りました。
私と
異って
祖父は
熱心な
仏教の
信仰者だった
為めでございましょう……。
話が
少し
後に
戻りますが、この
辺で
一つ
取りまとめて
私の
最初の
修行場、つまり、
私がこちらの
世界で
真先きに
置かれました
境涯につきて、
一と
通り
申述べて
置くことに
致したいと
存じます。
実は
私自身も、
初めてこちらの
世界に
眼を
覚ました
当座は、
只一図に
口惜しいやら、
悲しいやらで
胸が一ぱいで、
自分の
居る
場所がどんな
所かというような
事に、
注意するだけの
心の
余裕とてもなかったのでございます。それに
四辺が
妙に
薄暗くて
気が
滅入るようで、
誰しもあんな
境遇に
置かれたら、
恐らくあまり
朗かな
気分にはなれそうもないかと
考えられるのでございます。
が、その
中、あの
最初の
精神の
暴風雨が
次第に
収まるにつれて、
私の
傷けられた
頭脳にも
少しづつ
人心地が
出てまいりました。うとうとしながらも
私は
考えました。――
『
私は
今斯うして、たった
一人法師で
寝ているが、一たいここは
何んな
所かしら……。
私が
死んだものとすれば、ここは
矢張り
冥途とやらに
相違ないであろうが、しかし
私は三
途の
川らしいものを
渡った
覚えはない……
閻魔様らしいものに
逢った
様子もない……
何が
何やらさっぱり
腑に
落ちない。モー
少し
光明が
射してくれると
良いのだが……。』
私は
少し
枕から
頭部を
擡げて、
覚束ない
眼つきをして、あちこち
見
したのでございます。
最初は、
何やら
濛気でもかかっているようで、
物のけじめも
判りかねましたが、その
中不図何所からともなしに、一
条の
光明が
射し
込んで
来ると
同時に、
自分の
置かれている
所が、
一つの
大きな
洞穴――
岩屋の
内部であることに
気づきました。
私は、
少なからずびっくりしました。――
『オヤオヤ!
私は
不思議な
所に
居る……
私は
夢を
見ているのかしら……それとも
爰は
私の
墓場かしら……。』
私は
全く
途方に
暮れ、
泣くにも
泣かれないような
気持で、ひしと
枕に
噛りつくより
外に
詮術もないのでした。
その
時不意に
私の
枕辺近くお
姿を
現わして、いろいろと
難有い
慰めのお
言葉をかけ、
又何くれと
詳しい
説明をしてくだされたのは、
例の
私の
指導役の
神様でした。
痒い
所へ
手が
届くと
申しましょうか、
神様の
方では、いつもチャーンとこちらの
胸の
中を
見すかしていて、
時と
場合にぴったり
当てはまった
事を
説ききかせてくださるのでございますから、どんなに
判りの
悪い
者でも
最後にはおとなしく
耳を
傾けることになって
了います。
私などは
随分我執の
強い
方でございますが、それでもだんだん
感化されて、
肉身のお
祖父様のようにお
慕い
申上げ、
勿体ないとは
知りつつも、
私はいつしかこの
神様を『お
爺さま』とお
呼び
申上げるようになって
了いました。
前にも
申上げたとおり
私のような
者がドーやら一
人前のものになることができましたのは、
偏にお
爺さまのお
仕込みの
賜でございます。
全く
世の
中に
神様ほど
難有いものはございませぬ。
善きにつけ、
悪しきにつけ、
影身に
添いて、
人知れず
何彼とお
世話を
焼いてくださるのでございます。それがよく
判らないばかりに、
兎角人間はわが
侭が
出たり、
慢心が
出たりして、
飛んだ
過失をしでかすことにもなりますので……。これはこちらの
世界に
引越して
見ると、だんだん
判ってまいります。
うっかりつまらぬ
事を
申上げてお
手間を
取らせました。
私は
急いで、あの
時、
神様が
幽界の
修行の
事、その
他に
就いて
私に
言いきかせて
下されたお
話の
要点を
申上げる
[#「申上げる」は底本では「申上ける」]ことに
致しましょう。それは
大体斯うでございました。――
『そなたは
今岩屋の
内部に
居ることに
気づいて、いろいろ
思い
惑って
居るらしいが、この
岩屋は
神界に
於いて、そなたの
修行の
為めに
特にこしらえてくだされた、
難有い
道場であるから、
当分比所でみっしり
修行を
積み、
早く
上の
境涯へ
進む
工夫をせねばならぬ。
勿論ここは
墓場ではない。
墓は
現界のもので、こちらの
世界に
墓はない……。
現在そなたの
眼にはこの
岩屋が
薄暗く
感ずるであろうが、これは
修行が
積むにつれて
自然に
明るくなる。
幽界では、
暗いも、
明るいもすべてその
人の
器量次第、
心の
明るいものは
何所に
居ても
明るく、
心の
暗いものは、
何所へ
行っても
暗い……。
先刻そなたは三
途の
川や、
閻魔様の
事を
考えていたらしいが、あれは
仏者の
方便である。
嘘でもないが
又事実でもない。あのようなものを
見せるのはいと
容易いがただ
我国の
神の
道として、一
切方便は
使わぬことにしてある……。そなたはただ
一人この
道場に
住むことを
心細いと
思うてはならぬ。
入口には
注連縄が
張ってあるので、
悪魔外道の
類は
絶対に
入ることはできぬ。
又たとえ
何事が
起っても、
神の
眼はいつも
見張っているから、
少しも
不安を
感ずるには
及ばぬ……。すべて
修行場は
人によりてめいめい
異う。
家屋の
内部に
置かるるものもあれば、
山の
中に
置かるる
者もある。
親子夫婦の
間柄でも、一
所には
決して
住むものでない。その
天分なり、
行状なりが
各自異うからである。
但し
逢おうと
思えば
差支ない
限りいつでも
逢える……。』
一
応お
話が
終った
時に、
神様はやおら
私の
手を
執って、
扶け
起こしてくださいました。『そなたも
一つ
元気を
出して、
歩るいて
見るがよい。
病気は
肉体のもので、
魂に
病気はない。これから
岩屋の
模様を
見せてつかわす……。』
私はついふらふらと
起き
上りましたが、
不思議にそれっきり
病人らしい
気持が
失せて
了い、
同時に
今迄敷いてあった
寝具類も
烟のように
消えて
了いました。
私はその
瞬間から
現在に
至るまで、ただの一
度も
寝床の
上に
臥たいと
思った
覚えはございませぬ。
それから
私は
神様に
導かれて、あちこち
歩いて
見て、すっかり
岩屋の
内外の
模様を
知ることができました。
岩屋は
可なり
巨きなもので、
高さと
幅さは
凡そ三四
間、
奥行は十
間余りもございましょうか。そして
中央の
所がちょっと
折れ
曲って、
斜めに
外に
出るようになって
居ります。
岩屋の
所在地は、
相当に
高い、
岩山の
麓で、
山の
裾をくり
抜いて
造ったものでございました。
入口に
立って
四辺を
見ると、
見渡す
限り
山ばかりで、
海も
川も
一つも
見えません。
現界の
景色と
比べて
別に
格段の
相違もありませぬが、ただこちらの
景色の
方がどことなく
浄らかで、そして
奥深い
感じが
致しました。
岩屋の
入口には、
神様の
言われましたとおり、
果たして
新しい
注連縄が
一筋張ってありました。
一と
通り
見物が
済むと、
私達は
再び
岩屋の
内部へ
戻って
来ました。すると
神様は
私に
向い、
早速修行のことにつきて、
噛んでくくめるようにいろいろと
説きさとしてくださるのでした。
『これからのそなたの
生活は、
現世のそれとはすっかり
趣が
変るから一
時も
早くそのつもりになってもらわねばならぬ。
現世の
生活にありては、
主なるものが
衣食住の
苦労、
大概の
人間はただそれっきりの
事にあくせくして一
生を
過して
了うのであるが、こちらでは
衣食住の
心配は
全然ない。
大体肉体あっての
衣食住で、
肉体を
棄てた
幽界の
住人は、できる
丈早くそうした
地上の
考えを
頭脳の
中から
払いのける
工夫をせなければならぬ。それからこちらの
住人として
何より
慎まねばならぬは、
怨み、そねみ、
又もろもろの
欲望……そう
言ったものに
心を
奪われるが
最後、つまりは
幽界の
亡者として、いつまで
経っても
浮ぶ
瀬はないことになる。で、こちらの
世界で、
何よりも
大切な
修行というのは
精神の
統一で、
精神統一以外には
殆んど
何物もないといえる。つまりこれは一
心不乱に
神様を
念じ、
神様と
自分とを一
体にまとめて
了って、
他の一
切の
雑念妄想を
払いのける
工夫なのであるが、
実地に
行って
見ると、これは
思いの
外に
六ヶしい
仕事で、
少しの
油断があれば、
姿はいかに
殊勝らしく
神様の
前に
坐っていても、
心はいつしか
悪魔の
胸に
通っている。
内容よりも
外形を
尚ぶ
現世の
人の
眼は、それで
結構くらませることができても、こちらの
世界ではそのごまかしはきかぬ。すべては
皆神の
眼に
映り、
又或る
程度お
互の
眼にも
映る……。で、これからそなたも
早速この
精神統一の
修行にかからねばならぬが、もちろん
最初から
完全を
望むのは
無理で、
従って
或る
程度の
過失は
見逃しもするが、
眼にあまる
所はその
都度きびしく
注意を
与えるから、そなたもその
覚悟で
居てもらいたい。
又何ぞ
望みがあるなら、
今の
中に
遠慮なく
申出るがよい。
無理のないことであるならすべて
許すつもりであるから……。』
漸く
寝床を
離れたと
思えば、モーすぐこのようなきびしい
修行のお
催促で、その
時の
私は
随分辛いことだ、と
思いました。その
後こちらで
様子を
窺って
居りますと、
人によりては
随分寛やかな
取扱いを
受け、まるで
夢のような、
呑気らしい
生活を
送っているものも
沢山見受けられますが、これはドーいう
訳か
私にもよく
判りませぬ。
私などはとりわけ、きびしい
修行を
仰せつけられた
一人のようで、
自分ながら
不思議でなりませぬ。
矢張りこれも
身魂の
因縁とやら
申すものでございましょうか……。
それは
兎も
角も、
私は
神様から
何ぞ
望みのものを
言えと
言われ、いろいろと
考え
抜いた
末にたった
一つだけ
註文を
出しました。
『お
爺さま、
何うぞ
私に
一つの
御神鏡を
授けて
戴き
度う
存じます。
私はそれを
御神体としてその
前で
精神統一の
修行を
致そうと
思います。
何かの
目標がないと、
私にはとても
神様を
拝むような
気分になれそうもございませぬ……。』
『それは
至極尤もな
願いじゃ、
直ちにそれを
戴いてつかわす。』
お
爺さまは
快く
私の
願いを
入れ、ちょっとあちらを
向いて
黙祷されましたが、モー
次ぎの
瞬間には、
白木の
台座の
附いた、一
体の
御鏡がお
爺さまの
掌に
載っていました。
右の
御鏡は
早速岩屋の
奥の、
程よき
高さの
壁の
凹所に
据えられ、
私の
礼拝の
最も
神聖な
目標となりました。それからモー四百
余年、
私の
境涯はその
間に
幾度も
幾度も
変りましたが、しかし
私は
今も
尚おその
時戴いた
御鏡の
前で
静座黙祷をつづけて
居るのでございます。
参考の
為めに
少し
幽界の
修行の
模様をききたいと
仰っしゃいますか……。
宜しうございます。
私の
存じていることは
何なりとお
話し
致しますが、しかし
現界で
行るのと
格別の
相違もございますまい。
私達とて
矢張り
御神前に
静座して、
心に
天照大御神様の
御名を
唱え、
又八百万の
神々にお
願いして、できる
丈きたない
考えを
払いのける
事に
精神を
打ち
込むのでございます。もとより
肉体はないのですから、
現世で
行るような、
斎戒沐浴は
致しませぬ。ただ
斎戒沐浴をしたと
同一の
浄らかな
気持になればよいのでございまして……。
それで、
本当に
深い
深い
統一状態に
入ったとなりますと、
私どもの
姿はただ
一つの
球になります。ここが
現世の
修行と
幽界の
修行との一ばん
目立った
相違点かも
知れませぬ。
人間ではどんなに
深い
統一に
入っても、
躯が
残ります。いかに
御本人が
心で
無と
観じましても、
側から
観れば、その
姿はチャーンと
其所に
見えて
居ります。しかるに、こちらでは、
真実の
精神統一に
入れば、
人間らしい
姿は
消え
失せて、
側からのぞいても、たった
一つの
白っぽい
球の
形しか
見えませぬ。
人間らしい
姿が
残って
居るようでは、まだ
修行が
積んでいない
何よりの
証拠なのでございます。『そなたの、その
醜るしい
姿は
何じゃ! まだ
執着が
強過ぎるぞ……。』
私は
何度醜るしい
姿をお
爺様に
見つけられてお
叱言を
頂戴したか
知れませぬ。
自分でも、こんな
事では
駄目であると
思い
返して、一
生懸命神様を
念じて、
飽まで
浄らかな
気分を
続けようとあせるのでございますが、あせればあせるほど、チラリチラリと
暗い
影が
射して
来て
統一を
妨げて
了います。
私の
岩屋の
修行というのは、つまり
斯うした
失敗とお
叱言の
繰りかえしで、
自分ながらほとほと
愛想が
尽きる
位でございました。
私というものはよくよく
執着の
強い、
罪の
深い、
女性だったのでございましょう。――この
生活が
何年位続いたかとのお
訊ねでございますか……。
自分では一
切夢中で、さほどに
永いとも
覚えませんでしたが、
後でお
爺さまから
伺いますと、
私の
岩屋の
修行は
現世の
年数にして、ざっと二十
年余りだったとの
事でございます。
現世的執着の
中で、
私にとりて、
何よりも
断ち
切るのに
骨が
折れましたのは、
前申すとおり
矢張り、
血を
分けた
両親に
対する
恩愛でございました。
現世で
何一つ
孝行らしい
事もせず、ただ
一人先立ってこちらの
世界に
引越して
了ったのかと
考えますと、
何ともいえずつらく、
悲しく、
残り
惜しく、
相済まなく、
坐ても
立っても
居られないように
感ぜられるのでございました。
人間何がつらいと
申しても、
親と
子とが
順序をかえて
死ぬるほど、つらいことはないように
思われます。
無論私には
良人に
対する
執着もございました。しかし
良人は
私よりも
先きに
歿なって
居り、それに
又神さまが、
時節が
来れば
逢わしてもやると
申されましたので、そちらの
方の
断念は
割合早くつきました。ただ
現世に
残した
父母の
事はどうあせりましてもあきらめ
兼ねて
悩み
抜きました。そんな
場合には、
神様も、
精神統一も、まるきりあったものではございませぬ。
私はよく
間近の
岩へ
齧りついて、
悶え
泣きに
泣き
入りました。そんな
真似をしたところで、一たん
死んだ
者が、とても
現世へ
戻れるものでない
事は
充分承知しているのですが、それで
矢張り
止めることができないのでございます。
しかも
何より
困るのは、
現世に
残っている
父母の
悲嘆が、ひしひしと
幽界まで
通じて
来ることでございました。
両親は
怠らず、
私の
墓へ
詣でて
花や
水を
手向け、
又十
日祭とか、五十
日祭とか
申す
日には、その
都度神職を
招いて
鄭重なお
祭祀をしてくださるのでした。
修行未熟の、その
時分の
私には、
現界の
光景こそ
見えませんでしたが、しかし
両親の
心に
思っていられることは、はっきりとこちらに
感じて
参るばかりか、『
姫や
姫や!』と
呼びながら、
絶え
入るばかりに
泣き
悲しむ
母の
音声までも
響いて
来るのでございます。あの
時分のことは
今想い
出しても
自ずと
涙がこぼれます……。
斯う
言った
親子の
情愛などと
申すものは、いつまで
経ってもなかなか
消えて
無くなるものではないようで、
私は
現在でも
矢張り
父は
父としてなつかしく、
母は
母として
慕わしく
感じます。が、
不思議なもので、だんだん
修行が
積むにつれて、ドーやら
情念の
発作を
打消して
行くのが
上手になるようでございます。それがつまり
向上なのでございましょうかしら……。
躯がなくなって、こちらの
世界に
引移って
来ても、
現世の
執着が
容易に
除れるものでない
事は、すでに
申上げましたが、
序でにモー
少しここで
自分の
罪過を
申上げて
置くことに
致しましょう。
口頭ですっかり
悟ったようなことを
申すのは
何でもありませぬが、
実地に
当って
見ると
思いの
外に
心の
垢の
多いのが
人間の
常でございます。
私も
時々こちらの
世界で、
現世生活中に
大へん
名高かった
方々にお
逢いすることがございますが、そうきれいに
魂が
磨かれた
方ばかりも
見当りませぬ。『あんな
名僧知識と
謳われた
方がまだこんな
薄暗い
境涯に
居るのかしら……。』
時々意外に
感ずるような
場合もあるのでございます。
さてお
約束の
懺悔でございますが、
私にとりて、
何より
身にしみているのを
一つお
話し
致しましょう。それは
私の
守刀の
物語でございます。
忘れもしませぬ、それは
私が
三浦家へ
嫁入りする
折のことでございました、
母は
一振りの
懐剣を
私に
手渡し、
『これは
由緒ある
御方から
母が
拝領の
懐剣であるが、そなたの一
生の
慶事の
紀念に、
守刀としてお
譲りします。
肌身離さず
大切に
所持してもらいます……。』
両眼に
涙を一ぱい
溜めて、
赤心こめて
渡された
紀念の
懐剣――それは
刀身といい、
又装具といい、まことに
申分のない、
立派なものでございましたが、しかし
私に
取りましては、
懐剣そのものよりも、それがなつかしい
母の
形見であることが、
他の
何物にもかえられぬほど
大切なのでございました。
私は一
生涯その
懐剣を
自分の
魂と
思って
肌身に
附けて
居たのでした。
いよいよ
私の
病勢が
重って、もうとても
難しいと
思われました
時に、
私は
枕辺に
坐って
居られる
母に
向かって
頼みました。『
私の
懐剣は
何卒このまま
私と一
緒に
棺の
中に
納めて
戴きとうございますが……。』すると
母は
即座に
私の
願を
容れて、『その
通りにしてあげますから
安心するように……。』と、
私の
耳元に
口を
寄せて
力強く
囁いてくださいました。
私がこちらの
世界に
眼を
覚ました
時に、
私は
不図右の
事柄を
想い
出しました。『
母はあんなに
固く
請合ってくだされたが、
果して
懐剣が
遺骸と一
緒に
墓に
収めてあるかしら……。』そう
思うと
私はどうしてもそれが
気懸りで
気懸りで
耐らなくなりました。とうとう
私はある
日指導役のお
爺様に一
伍一什を
物語り、『
若しもあの
懐剣が、
私の
墓に
収めてあるものなら、どうぞこちらに
取寄せて
戴きたい。
生前と
同様あれを
守刀に
致し
度うございます……。』とお
依みしました。
今の
世の
方々には
守刀などと
申しても、
或は
頭に
力強く
響かぬかも
存じませぬが、
私どもの
時代には、
守刀はつまり
女の
魂、
自分の
生命から二
番目の
大切な
品物だったのでございます。
神様もこの
私の
願を
無理からぬ
事と
思召めされたか、
快くお
引受けしてくださいました。そして
例のとおり、ちょっと
精神の
統一をして
私の
墓を
透視されましたが、すぐにお
判りになったものと
見え『フムその
懐剣なら
確かに
彼所に
見えている。
宜しい
神界のお
許しを
願って、
取寄せてつかわす……。』
そう
言われたかと
見ると、
次ぎの
瞬間には、お
爺さまの
手の
中に、
私の
世にも
懐かしい
懐剣が
握られて
居りました。
無論それは
言わば
刀の
精だけで、
現世の
刀ではないのでございましょうが、しかしいかに
査べて
見ても、
金粉を
散らした、
濃い
朱塗りの
装具といい、
又それを
包んだ
真紅の
錦襴の
袋といい、
生前現世で
手慣れたものに
寸分の
相違もないのでした。
私は
心からうれしくお
爺様に
厚くお
礼を
申上げました。
私は
右の
懐剣を
現在とても
大切に
所持して
居ります。そして
修行の
時にはいつも
之を
御鏡の
前へ
備えることにして
居るのでございます。
これなどは、一
段も二
段も
上の
方から
御覧になれば、やはり一
種の
執着と
言わるるかも
存じませぬが、
私どもの
境涯では、どうしてもまだ
斯うした
執着からは
離れ
切れないのでございます。
岩屋の
修行中に、モー
一つちょっと
面白い
話がございますから、
序でに
申上げることに
致しましょう。それは
私が、こちらで
自分の
愛馬に
再会したお
話でございます。
前にもお
話し
致しましたが、
私は
三浦家へ
嫁入りしてから
初めて
馬術の
稽古をいたしました。
最初は
馬に
乗るのが
何やら
薄気味悪いように
思われましたが、
行って
居ります
内にだんだんと
乗馬が
好きになったと
言うよりも、
寧ろ
馬が
可愛くなって
来たのでございます。
乗り
馴らした
馬というものは、それはモー
不思議なほど
可愛くなるもので、
事によると
経験のないお
方には、その
真実の
味いはお
判りにならぬかも
知れません。
私の
愛馬と
申しますのは、
良人がいろいろと
捜した
上に、
最後に、これならば、と
見立ててくれたほどのことがございまして、それはそれは
優さしい、
美事な
牡馬でございました。
背材はそう
高くはございませぬが、
総体の
地色は
白で、それに
所々に
黒の
斑点の
混った
美しい
毛並は
今更自慢するではございませぬが、
全く
素晴らしいもので、
私がそれに
乗って
外出をした
時には、
道行く
者も
足を
停めて
感心して
見惚れる
位でございました。ナニ
乗者に
見惚れたのではないかと
仰っしゃるか……。
御冗談ばかり、そんな
酔狂な
者は
只の
一人だってございません。
私の
馬に
見惚れたのでございます……。
そうそうこの
馬の
命名につきましては、
良人と
私との
間に、なかなかの
悶着がございました。
私は
優さしい
名前がよいと
思いまして、さんざん
考え
抜いた
末にやっと『
鈴懸』という
名を
思いついたのでございます。すると
良人は
私と
意見が
違いまして、それは
余り
面白くない、
是非『
若月』にせよと
言い
張って、
何と
申しても
肯き
入れないのです。
私は
内心不服でたまりませんでしたが、もともと
良人が
見立ててくれた
馬ではあるし、とうとう『
若月』と
呼ぶことになって
了いました。『
今度は
私が
負けて
置きます。しかしこの
次ぎに
良い
馬が
手に
入った
時はそれは
是非鈴懸と
呼ばせていただきます……。』
私はそんなことを
良人に
申したのを
覚えて
居ります。しかしそれから
間もなく、あの
北條との
戦闘が
起ったので、
私の
望みはとうとう
遂げられずに
終りました。
とに
角名前につきては
最初斯んないきさつがありましたものの、
私は
若月が
好きで
好きで
耐らないのでした。
馬の
方でも
亦私によく
馴染んで、
私の
姿が
見えようものなら、さもうれしいと
言った
表情をして、あの
巨きな
躯をすり
附けて
来るのでした。
落城後私があちこち
流浪をした
時にも、
若月はいつも
私に
附添って、
散々苦労をしてくれました。で、
私の
臨終が
近づきました
時には、
私は
若月を
庭前へ
召んで
貰って、この
世の
訣別を
告げました。『
汝にもいろいろ
世話になりました……。』
心の
中でそう
思った
丈でしたが、それは
必らず
馬にも
通じたことであろうと
考えられます。これほど
可愛がった
故でもございましょう、
私が
岩屋の
内部で
精神統一の
修行をしている
時に、ある
時思いも
寄らず、
若月の
姿が
私の
眼にはっきりと
映ったのでございます。
『
事によると
若月は
最う
死んだのかも
知れぬ……。』
そう
感じましたので、お
爺さまにお
訊ねして
見ますと、
果してこちらの
世界に
引越して
居るとの
事に、
私は
是非一と
目昔の
愛馬に
逢って
見たくて
耐らなくなりました。
『
甚だ
勝手なお
願いながら、一
度若月の
許へ
連れて
行ってくださる
訳にはまいりますまいか……。』
『それはいと
易いことじゃ。』と
例の
通りお
爺さまは
親切に
答へてくださいました。『
馬の
方でもひどくそなたを
慕っているから一
度は
逢って
置くがよい。これから一
緒に
連れて
行って
上げる……。』
幽界では、
何所をドー
通って
行くのか、
途中のことは
殆んど
判りませぬ。そこが
幽界の
旅と
現世の
旅との
大した
相違点でございますが、
兎も
角も
私達は、
瞬く
間に
途中を
通り
抜けて、
或る
一つの
馬の
世界へまいりました。そこには
見渡す
限り
馬ばかりで、
他の
動物は
一つも
居りません。しかし
不思議なことには、どの
馬もどの
馬も
皆逞ましい
駿馬ばかりで、
毛並みのもじゃもじゃした、イヤに
脚ばかり
太い
駄馬などは
何処にも
見かけないのでした。
『
私の
若月も
爰に
居るのかしら……。』
そう
思い
乍ら、
不図向うの
野原を
眺めますと、一
頭の
白馬が
群れを
離れて、
飛ぶが
如くに
私達の
方へ
馳け
寄ってまいりました。それはいうまでもなく、
私の
懐かしい、
愛馬でございました。
『まァ
若月……
汝、よく
来てくれた……。』
私は
心から
嬉しく、しきりに
自分にまつわり
附く
愛馬の
鼻を、いつまでもいつまでも
軽く
撫でてやりました。その
時の
若月のうれしげな
面持……
私は
覚えず
泪ぐんで
了ったのでございました。
しばらく
馬と一
緒に
遊んで、
私は
大へん
軽い
気持になって
戻って
来ましたが、その
後二
度と
行って
見る
気にもなれませんでした。
人間と
動物との
間の
愛情にはいくらかあっさりしたところがあるものと
見えます……。
岩屋の
修行中に
誰かの
臨終に
出会ったことがあるか、とのお
訊ねでございますか。――それは
何度も
何度もあります。
私の
父も、
母も、それから
私の
手元に
召使っていた、
忠実な
一人の
老僕なども、
私が
岩屋に
居る
時に
前後して
歿しまして、その
都度私はこちらから、
見舞に
参ったのでございます。
何れあなたとしては、
幽界から
観た
臨終の
光景を
知りたいと
仰ッしゃるのでございましょう。
宜しうございます。では、
標本のつもりで、
私の
母の
歿った
折の
模様を、ありのままにお
話し
致しましょう。わざわざ
査べるのが
目的で、
行った
仕事ではないのですから、むろんいろいろ
見落しはございましょう。その
点は
充分お
含みを
願って
置きます。
機会がありましたら、
誰かの
臨終の
実況を
査べに
出掛て
見ても
宜しうございます。ここに
申上げるのはホンの
当時の
私が
観たまま
感じたままのお
話でございます。
それは
私が
歿ってから、
最うよほど
経った
時……かれこれ二十
年近くも
過ぎた
時でございましょうか、ある
日私が
例の
通り
御神前で
修行して
居りますと、
突然母の
危篤の
報知が
胸に
感じて
参ったのでございます。
斯うした
場合には
必らず
何等かの
方法で
報知がありますもので、それは
死ぬる
人の
思念が
伝わる
場合もあれば、
又神様から
特に
知らせて
戴く
場合もあります。その
他にもまだいろいろありましょう。
母の
臨終の
際には、
私は
自力でそれを
知ったのでございました。
私はびっくりして
早速鎌倉の、あの
懐かしい
実家へと
飛んで
行きましたが、モーその
時はよくよく
臨終が
迫って
居りまして、
母の
霊魂はその
肉体から
半分出たり、
入ったりしている
最中でございました。
人間の
眼には、
人の
臨終というものは、ただ
衰弱した
一つの
肉体に
起る、あの
悲惨な
光景しか
映りませぬが、
私にはその
外にまだいろいろの
光景が
見えるのでございます。
就中一
番目立つのは
肉体の
外に
霊魂――つまりあなた
方の
仰っしゃる
幽体が
見えますことで……。
御承知でもございましょうが、
人間の
霊魂というものは、
全然肉体と
同じような
形態をして
肉体から
離れるのでございます。それは
白っぽい、
幾分ふわふわしたもので、そして
普通は
裸体でございます。それが
肉体の
真上の
空中に、
同じ
姿勢で
横臥している
光景は、
決してあまり
見よいものではございませぬ。その
頃の
私は、もう
幾度も
経験がありますので、さほどにも
思いませんでしたが、
初めて
人間の
臨終に
出会た
時は、
何とまァ
変怪なものかしらんと
驚いて
了いました。
最う
一つおかしいのは
肉体と
幽体との
間に
紐がついて
居ることで、一
番太いのが
腹と
腹とを
繋ぐ
白い
紐で、それは
丁度小指位の
太さでございます。
頭部の
方にもモー一
本見えますが、それは
通例前のよりもよほど
細いようで……。
無論斯うして
紐で
繋がれているのは、まだ
絶息し
切らない
時で、
最後の
紐が
切れた
時が、それがいよいよその
人の
死んだ
時でございます。
前申すとおり、
私が
母の
枕辺に
参りましたのは、その
紐が
切れる
少し
前でございました。
母はその
頃モー七十
位、
私が
最後にお
目にかかった
時とは
大変な
相違で、
見る
影もなく、
老いさらぼいて
居りました。
私はすぐ
耳元に
近づいて、『
私でございます……』と
申しましたが、
人間同志で、
枕元で
呼びかわすのとは
異い、
何やらそこに
一重隔てがあるようで、
果してこちらの
意思が
病床の
母に
通じたか
何うかと
不安に
感じられました。――
尤もこれは
地上の
母に
就いて
申上げることで、
肉体を
棄てて
了ってからの
母の
霊魂とは、むろん
自由自在に
通じたのでございます。
母は
帰幽後間もなく
意識を
取りもどし、
私とは
幾度も
幾度も
逢って、いろいろ
越し
方の
物語に
耽りました。
母は、
死ぬる
前に、
父や
私の
夢を
見たと
言って
居りましたが、もちろんそれはただの
夢ではないのです。つまり
私達の
意思が
夢の
形式で、
病床の
母に
通じたものでございましょう……。
それは
兎に
角、あの
時私は
母の
断末魔の
苦悶の
様を
見るに
見兼ねて、一
生懸命母の
躯を
撫でてやったのを
覚えています。これは
只の
慰めの
言葉よりも
幾分かききめがあったようで、
母はそれからめっきりと
楽になって、
間もなく
気息を
引きとったのでございました。すべて
何事も
赤心をこめて一
心にやれば、
必らずそれ
丈の
事はあるもののようでございます。
母の
臨終の
光景について、モー
一つ
言い
残してならないのは、
私の
眼に、
現世の
人達と
同時に、こちらの
世界の
見舞者の
姿が
映ったことでございます。
母の
枕辺には
人間は
約十
人余り、
何れも
眼を
泣きはらして、
永の
別れを
惜んでいましたが、それ
等の
人達の
中で
私が
生前存じて
居りましたのはたった
二人ほどで、
他は
見覚えのない
人達ばかりでした。それからこちらの
世界からの
見舞者は、
第一が、
母よりも
先きへ
歿った
父、つづいて
祖父、
祖母、
肉身の
親類縁者、
親しいお
友達、それから
母の
守護霊、
司配霊、
産土の
御神使、……一々
数えたらよほどの
数に
上ったでございましょう。
兎に
角現世の
見舞者よりはずっと
賑かでございました。
第一、
双方の
気分がすっかり
異います。一
方は
自分達の
仲間から
親しい
人を
失うのでございますから、
沈み
切って
居りますのに、
他方は
自分達の
仲間に
親しき
人を
一人迎えるのでございますから、
寧ろ
勇んでいるような、
陽気な
面持をしているのでございます。こんな
事は、
私の
現世生活中には
全く
思いも
寄らぬ
事柄でございまして……。
他にも
気づいた
点がまだないではありませぬが、
拙な
言葉でとても
言い
尽せぬように
思われますので、
母の
臨終の
物語は、
一と
先ずこれ
位にして
置きましょう。
第一
期の
修行中に
経験した、
重なる
事柄につきては、
以上で
大体申上げたつもりでございますが、ただもう
一つここで
是非とも
言い
添えて
置かねばならないと
思いますのは
私の
守護霊の
事でございます。
誰にも
一人の
守護霊が
附いて
居ることは、
心霊に
志す
方々の
御承知の
通りでございますが、
私にも
勿論一人の
守護霊が
附いて
居り、そしてその
守護霊との
関係はただ
現世のみに
限らず、
肉体の
死後も
引きつづいて
[#「引きつづいて」は底本では「引きついゞて」]、
切っても
切れぬ
因縁の
絆で
結ばれて
居るのでございます。もっとも、そうした
事柄がはっきり
判りましたのはよほど
後の
事で、
帰幽当時の
私などは、
自分に
守護霊などと
申すものが
有るか、
無いかさえも
全然知らなかったのでございます。で、
私がこちらの
世界で
初めて
自分の
守護霊にお
目にかかった
時は、
少なからず
意外に
感じまして、
従ってその
時の
印象は
今でもはっきりと
頭脳に
刻まれて
居ります。
ある
日私が
御神前で、
例の
通り
深い
精神統一の
状態に
入って
居た
時でございます、
意外にも
一人の
小柄の
女性がすぐ
眼の
前に
現われ、いかにも
優さしく、
私を
見てにっこりと
微笑まれるのです。
打見る
所、
年齢は
二十歳余り、
顔は
丸顔の
方で、
緻致はさしてよいとも
言われませぬが、
何所となく
品位が
備わり、
雪なす
富士額にくっきりと
黛が
描かれて
居ります。
服装は
私の
時代よりはやや
古く、
太い
紐でかがった、
広袖の
白衣を
纏い、そして
下に
緋の
袴を
穿いて
居るところは、
何う
見ても
御所に
宮仕えして
居る
方のように
窺われました。
意外なのは、この
時初めてお
目に
懸ったばかりの、
全然未知のお
方なのにも
係らず、
私の
胸に
何ともいえぬ
親しみの
念がむくむくと
湧いて
出たことで……。それにその
表情、
物ごしがいかにも
不思議……
先方は
丸顔、
私は
細面、
先方は
小柄、
私は
大柄、
外形はさまで
共通の
個所がないにも
係らず、
何所とも
知れず
二人の
間に
大変似たところがあるのです。つまりは
外面はあまり
似ないくせに、
底の
方でよく
似て
居ると
言った、よほど
不思議な
似方なのでございます。
『あの、どなた
様でございますか……。』
漸く
心を
落つけて
私の
方から
訊ねました。すると
先方は
不相変にこやかに――
『あなたは
何も
知らずに
居られたでしょうが、
実は
自分はあなたの
守護霊……あなたの
一身上の
事柄は
何も
彼も
良う
存じて
居るものなのです。
時節が
来ぬ
為めに、これまで
蔭に
控えて
居ましたが、これからは
何事も
話相手になって
上げます。』
私は
嬉しいやら、
恋しいやら、
又不思議やら、
何が
何やらよくは
判らぬ
複雑な
感情でその
時初めて
自分の
魂の
親の
前に
自身を
投げ
出したのでした。それは
丁度、
幼い
時から
別れ
別れになっていた
母と
子が、
不図どこかでめぐり
合った
場合に
似通ったところがあるかも
知れませぬ。
何れにしてもこの一
事は
私にとりてまことに
意外な、
又まことに
意義のある
貴い
経験でございました。
激しい
昂奮から
冷めた
私は、もちろん
私の
守護霊に
向っていろいろと
質問の
矢を
放ち、それでも
尚お
腑に
落ちぬ
個所があれば、
指導役のお
爺様にも
根掘り
葉掘り
問[#ルビの「と」は底本では「か」]いつめました。お
蔭で
私の
守護霊の
素性はもとより、
人間と
守護霊の
関係、その
他に
就きて
大凡の
事が
漸く
会得[#ルビの「えとく」は底本では「えと」]されるようになりました。――あの、それを
残らず
爰で
物語れと
仰っしゃるか……
宜しうございます。
何[#ルビの「なに」は底本では「なこ」]も
御道の
為めとあれば、
私の
存じて
居る
限りは
逐一申上げて
了いましょう。
話が
少し
堅うございまして、
何やら
青表紙臭くなるかも
存じませぬが、それは
何卒大目に
見逃がして
戴きます。
又私の
申上げることにどんな
誤謬があるかも
計りかねますので、そこはくれぐれもただ一つの
参考にとどめて
戴きたいのでございます。
私はただ
神様やら
守護霊様からきかされたところをお
取次ぎするのですから、これが
誤謬のないものだとは
決して
言い
張るつもりはございませぬ……。
成るべく
話の
筋道が
通るよう、これからすべてを一と
纏めにして、
私が
長い
年月の
間にやっとまとめ
上げた、
守護霊に
関するお
話を
順序よく
申上げて
見たいと
存じます。それにつきては、
少し
奥の
方まで
溯って、
神様と
人間との
関係から
申上げねばなりませぬ。
昔の
諺に『
人は
祖に
基き、
祖は
神に
基く』とやら
申して
居りますが、
私はこちらの
世界へ
来て
見て、その
諺の
正しいことに
気づいたのでございます。
神と
申しますのは、
人間がまだ
地上に
生れなかった
時代からの
元の
生神、つまりあなた
方の
仰っしゃる『
自我の
本体』
又は
高級の『
自然霊』なのでございます。
畏れ
多くはございますが、
我国の
御守護神であらせられる
邇々藝命様を
始め
奉り、
邇々藝命様に
随って
降臨された
天児屋根命、
天太玉命などと
申す
方々も、
何れも
皆そうした
生神様で、
今も
尚お
昔と
同じく
地の
神界にお
働き
遊ばしてお
出でになられます。その
本来のお
姿は
白く
光った
球の
形でございますが、
余ほど
真剣な
気持で
深い
統一状態に
入らなければ、
私どもにもそのお
姿を
拝することはできませぬ。まして
人間の
肉眼などに
映る
気づかいはございませぬ。
尤もこの
球の
形は、
凝とお
鎮まり
遊ばした
時の
本来のお
姿でございまして、一たんお
働きかけ
遊ばしました
瞬間には、それぞれ
異なった、
世[#ルビの「よ」は底本では「せ」]にも
神々しい
御姿にお
変り
遊ばします。
更に
又何かの
場合に
神々がはげしい
御力を
発揮される
場合には
荘厳と
言おうか、
雄大と
申そうか、とても
筆紙に
尽されぬ、あの
怖ろしい
竜姿をお
現わしになられます。一つの
姿から
他の
姿に
移り
変ることの
迅さは、
到底造り
附けの
肉体で
包まれた、
地上の
人間の
想像の
限りではございませぬ。
無論これ
等の
元の
生神様からは、
沢山の
御分霊……つまり
御子様がお
生れになり、その
御分霊から
更に
又御分霊が
生れ、
神界から
霊界、
霊界から
幽界へと
順々に
階段がついて
居ります。つまりすべてに
亘りて
連絡はとれて
居り
乍ら、しかしそのお
受持がそれぞれ
異うのでございます。こちらの
世界をたった一つの、
無差別の
世界と
考えることは
大変な
間違いで、
例えば
邇々藝命様に
於かれましても、一
番奥の
神界に
於てお
指図遊ばされる
丈で、その
御命令はそれぞれの
世界の
代表者、つまりその
御分霊の
神々に
伝わるのでございます。おこがましい
申分かは
存じませぬが、その
点の
御理解が
充分でないと、
地上に
人類の
発生した
径路がよくお
判りにならぬと
存じます。
稀薄で、
清浄で、
殆んど
有るか
無きかの、
光の
凝塊と
申上げてよいようなお
形態をお
有ち
遊ばされた
高い
神様が、一
足跳びに
濃く
鈍い
物質の
世界へ、その
御分霊を
植え
附けることは
到底できませぬ。
神界から
霊界、
霊界から
幽界へと、だんだんにそのお
形態を
物質に
近づけてあったればこそ、ここに
初めて
地上に
人類の
発生すべき
段取に
進み
得たのであると
申すことでございます。そんな
面倒な
手続を
踏んであってさえも、
幽から
顕に、
肉体のないものから
肉体のあるものに、
移り
変るには、
実に
容易ならざる
御苦心と、
又殆んど
数えることのできない
歳月を
閲したということでございます。一
番困るのは
物質というものの
兎角崩れ
易いことで、いろいろ
工夫して
造って
見ても、
皆半途で
流れて
了い、
立派に
魂の
宿になるような、
完全な
人体は
容易に
出来上らなかったそうでございます。その
順序、
方法、
又発生の
年代等に
就きても、
或る
程度まで
神様から
伺って
居りますが、
只今それを
申上げている
遑はございませぬ。いずれ
改めて
別の
機会に
申上げることに
致しましょう。
兎に
角、
現在の
人間と
申すものが、
最初神の
御分霊を
受けて
地上に
生れたものであることは
確かでございます。もっとくわしくいうと、
男女両柱の
神々がそれぞれ
御分霊を
出し、その二つが
結合して、ここに一つの
独立した
身魂が
造られたのでございます。その
際何うして
男性女性の
区別[#ルビの「くべつ」は底本では「へべつ」]が
生ずるかと
申すことは、
世にも
重大なる
神界の
秘事でございますが、
要するにそれは
男女何れかが
身魂の
中枢を
受持つかできまる
事だそうで、よく
気をつけて、
天地の二
神誓約の
段に
示された、
古典の
記録を
御覧になれば
大体の
要領はつかめるとのことでございます。
さて
最初地上に
生れ
出でた
一人の
幼児――
無論それは
力も
弱く、
智慧もとぼしく、そのままで
無事に
生長し
得る
筈はございませぬ。
誰かが
傍から
世話をしてくれなければとても三
日とは
生きて
居られる
筈はございませぬ。そのお
世話掛がつまり
守護霊と
申すもので、
蔭から
幼児の
保護に
当るのでございます。もちろん
最初は
父母の
霊、
殊に
母の
霊の
熱心なお
手伝もありますが、だんだん
生長すると
共に、ますます
守護霊の
働きが
加わり、
最後には
父母から
離れて
立派に一
本立ちの
身となって
了います。ですから
生れた
子供の
性質や
容貌は、
或る
程度両親に
似て
居ると
同時に、
又大変に
守護霊の
感化を
受け、
時とすれば
殆んど
守護霊の
再来と
申しても
差支ない
位のものも
少くないのでございます。
古事記の
神代の
巻に、
豐玉姫からお
生れになられたお
子様を、
妹の
玉依姫が
養育されたとあるのは、つまりそう
言った
秘事を
暗示されたものだと
承ります。
申すまでもなく
子供の
守護霊になられるものは、その
子供の
肉親と
深い
因縁の
方……つまり
同一系統の
方でございまして、
男子には
男性の
守護霊、
女子には
女性の
守護霊が
附くのでございます。
人類が
地上に
発生した
当初は、
専ら
自然霊が
守護霊の
役目を
引き
受けたと
申すことでございますが、
時代が
過ぎて、
次第に
人霊の
数が
加わると
共に、
守護霊はそれ
等の
中から
選ばれるようになりました。むろん
例外はありましょうが、
現在では
数百年前乃至千
年二千
年前に
帰幽した
人霊が、
守護霊として
主に
働いているように
見受けられます。
私などは
帰幽後四百
年余りで、さして
新らしい
方でも、
又さして
古い
方でもございませぬ。
こんな
複雑った
事柄を、
私の
拙い
言葉でできる
丈簡単にかいつまんで
申上げましたので、さぞお
判りにくい
事であろうかと
恐縮して
居る
次第でございますが、わたくしの
言葉の
足りないところは、
何卒あなた
方の
方でよきようにお
察しくださるようお
願い
致します。
岩屋の
修行中に
私が
自分の
守護霊と
初めて
逢ったお
話を
申上げたばかりに、ツイ
斯んな
長談議を
致して
了いました。
斯んな
拙い
話が
幾分たりともあなた
方の
御参考になればこの
上もなき
僥倖でございます。
序に、その
際私と
私の
守護霊との
間に
行われた
問答の一
部を一
応お
話し
致して
置きましょう。
格別面白くもございませぬが、
私にとりましてはこれでも
忘れ
難い
想い
出の
種子なのでございます。
問『あなたが私の守護霊であると仰っしゃるなら、何故もっと早くお出ましにならなかったのでございますか? 今迄私はお爺様ばかりを杖とも柱とも依りにして、心細い日を送って居りましたが、若しもあなたのような優さしい御方が最初からお世話をして下さったら、どんなにか心強いことであったでございましたろう……。』
答『それは一応尤もなる怨言であれど、神界には神界の掟というものがあるのです。あのお爺様は昔から産土神のお神使として、新たに帰幽した者を取扱うことにかけてはこの上もなくお上手で、とても私などの足元にも及ぶことではありませぬ。私などは修行も未熟、それに人情味と言ったようなものが、まだまだ大へんに強過ぎて、思い切ってきびしい躾を施す勇気のないのが何よりの欠点なのです。あなたの帰幽当時の、あの烈しい狂乱と執着……とても私などの手に負えたものではありませぬ。うっかりしたら、お守役の私までが、あの昂奮の渦の中に引き込まれて、徒らに泣いたり、怨んだりすることになったかも知れませぬ。かたがた私としては態とさし控えて蔭から見守って居る丈にとどめました。結局そうした方があなたの身の為めになったのです……。』
問『では今までただお姿を見せないという丈で、あなた様は私の狂乱の状態を蔭からすっかり御覧になっては居られましたので……。』
答『それはもちろんのことでございます。あなたの一身上の事柄は、現世に居った時のことも、又こちらの世界に移ってからの事も、一切知り抜いて居ります。それが守護霊というものの役目で、あなたの生活は同時に又大体私の生活でもあったのです。私の修行が未熟なばかりに、随分あなたにも苦労をさせました……。』
問『まあ勿体ないお言葉、そんなに仰せられますと私は穴へも入りたい思いがいたします……。それにしてもあなた様は何と仰っしゃる御方で、そしていつ頃の時代に現世にお生れ遊されましたか……。』
答『改めて名告るほどのものではないのですが、斯うした深い因縁の絆で結ばれている上からは、一と通り自分の素性を申上げて置くことに致しましょう。私はもと京の生れ、父は粟屋左兵衞と申して禁裡に仕えたものでございます。私の名は佐和子、二十五歳で現世を去りました。私の地上に居った頃は朝廷が南と北との二つに岐れ、一方には新田、楠木などが控え、他方には足利その他東国の武士どもが附き随い、殆んど連日戦闘のない日とてもない有様でした……。私の父は旗色の悪い南朝方のもので、従って私どもは生前に随分数々の苦労辛酸を嘗めました……。』
問『まあそれはお気の毒なお身の上……私の身に引きくらべて、心からお察し致します……。それにしても二十五歳で歿なられたとの事でございますが、それまでずっとお独身で……。』
答『独身で居りましたが、それには深い理由があるのです……。実は……今更物語るのもつらいのですが、私には幼い時から許嫁の人がありました。そして近い内に黄道吉日を択んで、婚礼の式を挙げようとしていた際に、不図起りましたのがあの戦乱、間もなく良人となるべき人は戦場の露と消え、私の若き日の楽しい夢は無残にも一朝にして吹き散らされて了いました……。それからの私はただ一個の魂の脱けた生きた骸……丁度蝕まれた花の蕾のしぼむように、次第に元気を失って、二十五の春に、さびしくポタリと地面に落ちて了ったのです。あなたの生涯も随分つらい一生ではありましたが、それでも私のにくらぶれば、まだ遥かに花も実もあって、どれ丈幸福だったか知れませぬ。上を見れば限りもないが、下を見ればまだ際限もないのです。何事も皆深い深い因縁の結果とあきらめて、お互に無益の愚痴[#ルビの「ぐぢ」はママ]などはこぼさぬことに致しましょう。お爺様の御指導のお蔭で近頃のあなたはよほど立派にはなりましたが、まだまだあきらめが足りないように思います。これからは私もちょいちょい見まわりにまいり、ともども向上を図りましょう……。』
その
日の
問答は
大体斯んなところで
終りましたが、
斯うした
一人のやさしい
指導者が
見つかったことは、
私にとりて、どれ
丈の
心強さであったか
知れませぬ。その
後私の
守護霊は
約束のとおり、しばしば
私の
許に
訪れて、いろいろと
有難い
援助を
与えてくださいました。
私は
心から
私のやさしい
守護霊に
感謝して
居るものでございます。
私の
最初の
修行場――
岩屋の
中での
物語は
一と
先ずこの
辺でくぎりをつけまして、これから
第二の
山の
修行場の
方に
移ることに
致しましょう。
修行場の
変更などと
申しますと、
現世式に
考えれば、
随分億劫な、
何やら
どさくさした、うるさい
仕事のように
思われましょうが、こちらの
世界の
引越しは
至極あっさりしたものでございます。それは
場所の
変更と
申すよりは、むしろ
境涯の
変更、
又は
気分の
変更と
申すものかも
知れませぬ。
現にあの
岩屋にしても、
最初は
何やら
薄暗い
陰鬱な
処のように
感ぜられましたが、それがいつとはなしにだんだん
明るくなって、
最後には
全然普通の
明るさ、
些しも
穴の
内部という
感じがしなくなり、それに
連れて
私自身の
気持もずっと
晴れやかになり、
戸外へ
出掛けて
漫歩でもして
見たいというような
風になりました。たしかにこちらでは
気分と
境涯とがぴッたり
一致しているもののように
感ぜられます。
ある
日私がいつになく
統一の
修行に
倦きて、
岩屋の
入口まで
何とはなしに
歩み
出た
時のことでございました。ひょっくりそこへ
現われたのが
例の
指導役のお
爺さんでした。――
『そなたは
戸外へ
出たがっているようじゃナ。』
図星をさされて
私は
少しきまりが
悪く
感じました。
『お
爺さま、
何ういうものか
今日は
気が
落付かないで
困るのでございます……。
私はどこかへ
遊びに
出掛けたくなりました。』
『
遊びに
出たい
時には
出ればよいのじゃ。
俺がよい
場所へ
案内してあげる……。』
お
爺さんまでが
今日はいつもよりも
晴々しい
面持で
誘[#ルビの「さそ」は底本では「さを」]って
下さいますので、
私も
大へんうれしい
気分になって、お
爺さんの
後について
出掛けました。
岩屋から
少し
参りますと、モーそこはすぐ
爪先上りになって、
右も
左も、
杉や
松や、その
他の
常盤木のしんしんと
茂った、
相当険しい
山でございます。あの、
現界の
景色と
同一かと
仰ッしゃるか……
左様でございます。
格別異っても
居りませぬが、ただ
現界の
山よりは
何やら
奥深く、
神さびて、ものすごくはないかと
感じられる
位のものでございます。
私達の
辿る
小路のすぐ
下は
薄暗い
谿谷になって
居て、
樹叢の
中をくぐる
水音が、かすかにさらさらと
響いていましたが、
気の
故か、その
水音までが
何となく
沈んで
聞えました。
『モー
少し
行った
所に
大へんに
良い
山の
修行場がある。』とお
爺さんは
道々私に
話[#ルビの「はな」は底本では「はなし」]しかけます。
『
多分そちの
気に
入るであろうと
思うが、
兎も
角も一
応現場へ
行って
見るとしようか……。』
『
何卒お
願い
致します……。』
私はただちょっと
見物する
位のつもりで
軽く
御返答をしたのでした。
間もなく一つの
険しい
坂を
登りつめると、
其処はやや
平坦な
崖地になっていました。そして
四辺にはとても
枝ぶりのよい、
見上げるような
杉の
大木がぎッしりと
立ち
並んで
居りましたが、その
中の一
番大きい
老木には
注連縄が
張ってあり、そしてその
傍に
白木造りの、
小さい
建物[#ルビの「たてもの」は底本では「てもの」]がありました。
四方を
板囲いにして、
僅かに
正面の
入口のみを
残し、
内部は三
坪ばかりの
板敷、
屋根は
丸味のついたこけら
葺き、どこにも
装飾らしいものはないのですが、ただすべてがいかにも
神さびて、
屋根にも、
柱にも、
古い
苔が
厚く
蒸して
居り、それが
塵一つなき、
飽まで
浄らかな
環境としっくり
融け
合って
居りますので、
実に
何ともいえぬ
落付きがありました。
私は
覚えず
叫びました。
『まァ
何という
結構な
所でございましょう!
私、こんなところで
暮しとうございます……。』
するとお
爺さんは
満足らしい
微笑を
老顔に
湛へて、
徐ろに
言われました。――
『
実はここがそちの
修行場なのじゃ。モー
別に
下の
岩屋に
帰るにも
及ばぬ。
早速内部へ
入って
見るがよい。
何も
彼も一
切取り
揃えてあるから……。』
私[#ルビの「わたくし」は底本では「たわたくし」]はうれしくもあれば、また
意外でもあり、
言わるるままに
急いで
建物の
内部へ
入って
見ますと、
中央正面の
白木の
机の
上には
果して
日頃信仰の
目標である、
例の
御神鏡がいつの
間にか
据えられて
居り、そしてその
側には、
私の
母の
形見の、あのなつかしい
懐剣までもきちんと
載せられてありました。
私はわれを
忘れて
御神前に
拝跪して
心から
感謝の
言葉を
述べたことでございました。
大体これが
岩屋の
修行場から
山の
修行場へ
引越した
時の
実況でございます。
現世の
方から
見れば一
片の
夢物語のように
聴えるでございましょうが、そこが
現世と
幽界との
相違なのだから
何とも
致方がございませぬ。
私どもとても、
幽界に
入ったばかりの
当座は、
何やらすべてがたよりなく、
又飽気なく
思われて
仕方がなかったもので……。しかしだんだん
慣れて
来ると
矢張りこちらの
生活の
方が
結構に
感じられて
来ました。
僅か
半里か一
里の
隣りの
村に
行くのにさえ、やれ
従者だ、
輿物だ、
御召換だ……、
半日もかかって
大騒ぎをせねばならぬような、あんな
面倒臭い
現世の
生活を
送りながら、よくも
格別の
不平も
言わずに
暮らせたものである……。
私はだんだんそんな
風に
感ずるようになったのでございます。
何れ、あなた
方にも、その
味がやがてお
判りになる
時が
参ります……。
山の
修行場へ
移ってからの
私は、
何とはなしに
気分がよほど
晴れやかになったらしいのが
自分にも
感ぜられました。
主なる
仕事は
矢張り
御神前に
静座して
精神統一をやるのでございますが、ただ
合間合間に
私はよく
室外へ
出て、
四辺の
景色を
眺めたり、
鳥の
声に
耳をすませたりするようになりました。
前にも
申上げた
通り、
私の
修行場の
所在地は
山の
中腹の
平坦地で、
崖の
上に
立って
眺めますと、
立木の
隙間からずっと
遠方が
眼に
入り、なかなかの
絶景でございます。どこにも
平野らしい
所はなく、
見渡すかぎり
山又山、
高いのも
低いのも、
又色の
濃いのも
淡いのも、いろいろありますが、どれも
皆樹木の
茂った
山ばかり、
尖った
岩山などはただの
一つも
見えません。それ
等が
十重二十重に
重なり
合って
絵巻物をくり
拡げているところは、
全く
素晴らしい
眺めで、ツイうっとりと
見とれて、
時の
経つのも
忘れて
了う
位でございます。
それから
又あちこちの
木々の
茂みの
中に、
何ともいえぬ
美しい
鳥の
音が
聴えます。それは、
昔鎌倉の
奥山でよくきき
慣れた
時鳥の
声に
幾分似たところもありますが、しかしそれよりはもッと
冴えて、
賑かで、そして
複雑った
音色でございます。ただ
一人の
話相手とてもない
私はどれ
丈この
鳥の
音に
慰められたか
知れませぬ。どんな
種類の
鳥かしらと、
或る
時念の
為めにお
爺さんに
伺って
見ましたら、それはこちらの
世界でもよほど
珍らしい
鳥で、
現界には
全然棲んでいないと
申すことでございました。
尤も
音色が
美しい
割に
毛並は
案外つまらない
鳥で、ある
時不図近くの
枝にとまっているところを
見ると、
大さは
鳩位、
幾分現界の
鷹に
似て、
頚部に
長い
毛が
生えていました。
幽界の
鳥でも
矢張り
声と
毛並とは
揃わぬものかしらと
感心したことでございました。
もう
一つ
爰の
景色の
中で
特に
私の
眼を
惹いたものは、
向[#ルビの「むか」は底本では「む」]って
右手の
山の
中腹に、
青葉がくれにちらちら
見える
一つの
丹塗のお
宮でございました。それはホンの三
尺四
方位の
小さい
社なのですが、
見渡す
限りただ
緑の
一色しかない
中に、そのお
宮丈がくッきりと
朱く
冴えているので
大へんに
目立つのでございます。
私の
心は
次第に、そのお
宮にひきつけられるようになりました。
で、ある
日お
爺さんが
見舞われた
時私は
訊ねました。――
『お
爺さま、あそこに
大そう
美しい、
丹塗のお
宮が
見えますが、あれはどなた
様をお
祀りしてあるのでございますか。』
『あれは
竜神様のお
宮じゃ。これからは
俺にばかり
依らず、
直接に
竜神様にもお
依みするがよい……。』
『
竜神様でございますか?』
私は
大へん
意外に
感じまして、
『一
体それは
何ういう
神様でございますか?』
『そろそろそちも
竜神との
深い
関係を
知って
置かねばなるまい。よほど
奥深い
事柄であるから、とても一
度で
腑には
落ちまいが、その
中だんだん
判って
来る……。』
お
爺さんはあたかも
寺子屋のお
師匠さんと
言った
面持で、いろいろ
講釈をしてくださいました。お
爺さまは
斯んな
風に
説き
出されました。――
『
竜神というのは
一と
口に
言えば
元の
活神、つまり
人間が
現世に
現われる
前から、こちらの
世界で
働いている
神々じゃ。
時として
竜の
姿を
現わすから
竜神には
相違ないが、しかしいつもあんな
恐ろしい
姿で
居るのではない。
時と
場合でやさしい
神の
姿にもなれば、
又一つの
丸い
球にもなる。
現に
俺なども
竜神の
一人であるが、そちの
指導役として
現われる
時は、いつも
斯のような、
老人の
姿になっている……。ところで、この
竜神と
人間との
関係であるが、
人間の
方では、
何も
知らずに、
最初から
自分一つの
力で
生れたもののように
思って
居るが、
実は
人間は
竜神の
分霊、つまりその
子孫なのじゃ。ただ
竜神はどこまでもこちらの
世界の
者、
人間は
地の
世界の
者であるから、
幽から
顕への
移りかわりの
仕事はまことに
困難で、
長い
長い
歳月を
経て
漸くのことでモノになったのじゃ。
詳しいことは
後で
追々話すとして、
兎に
角人間は
竜神の
子孫、
汝とても
元へ
溯れば、
矢張りさる
尊い
竜神様の
御末裔なのじゃ。これからはよくその
事を
弁えて、あの
竜神様のお
宮へお
詣りせねばならぬ。
又機会を
見て
竜宮界へも
案内し、
乙姫様にお
目通りをさしてもあげる。』
お
爺さんのお
話は、
何やらまわりくどいようで、なかなか
当時の
私の
腑に
落ち
兼ねたことは
申すまでもありますまい。
殊におかしかったのが、
竜宮界だの、
乙姫様だのと
申すことで、
私は
思わず
笑い
出して
了いました。――
『まァ
竜宮などと
申すものが
実際この
世にあるのでございますか。――あれは
人間の
仮構事ではないでしょうか……。』
『
決してそうではない。』とお
爺さんは
飽まで
真面目に、『
人間界に
伝わる、あの
竜宮の
物語は
実際こちらの
世界で
起った
事実が、
幾分尾鰭をつけて
面白おかしくなっているまでじゃ。そもそも
竜宮と
申すのは、あれは
神々のおくつろぎ
遊ばす
所……
言わば
人間界の
家庭の
如きものじゃ。
前にものべた
通り、こちらの
世界は
造りつけの
現界とは
異り、
場所も、
家屋も、
又姿も、
皆意思のままにどのようにもかえられる。で、
竜宮界のみを
竜神の
世界と
思うのは
大きな
間違で、
竜神の
働く
世界は、
他に
限りもなく
存在するのである。が、しかし
神々にとりて
何よりもうれしいのは
矢張りあの
竜宮界である。
竜宮界は
主に
乙姫様のお
指図で
出来上った、
家庭的の
理想境なのじゃ。』
『
乙姫様と
仰ッしゃると……。』
『それは
竜宮界で一
番上の
姫神様で、
日本の
昔の
物語に
豐玉姫とあるのがつまりその
御方じゃ。
神々のお
好みがあるので、
他にもさまざまの
世界があちこちに
出来てはいるが、それ
等の
中で、
何と
申しても一
番立ち
優っているのは
矢張りこの
竜宮界じゃ。すべてがいかにも
清らかで、
優雅で、そして
華美な
中に
何ともいえぬ
神々しいところがある。とても
俺の
口で
述べ
尽せるものではない。そちも
成るべく
早く
修行を
積んで、
実地に
竜宮界へ
行って、
乙姫様にもお
目通りを
願うがよい……。』
『
私のようなものにもそれが
協いましょうか……。』
『それは
勿論協う……イヤ
協わねばならぬ
深い
因縁がある。
何を
隠そう
汝はもともと
乙姫様の
系統を
引いているので、そちの
竜宮行は
言わば一
種の
里帰りのようなものじゃ……。』
お
爺さんの
述べる
所はまだしッくり
私の
胸にはまりませんでしたが、しかしそれが
一ト
方ならず
私の
好奇心をそそったのは
事実でございました。それからの
私は
絶えず
竜宮界の
事、
乙姫様の
事ばかり
考え
込むようになり、
私の
幽界生活に
一の
大切なる
転換期となりました。
が、
私の
竜宮行きはそれからしばらく
過ぎてからの
事でございました。
順序として、これからポツポツ
竜宮界のお
話を
致さねばならなくなりましたが、もともと
口の
拙ない
私が、
私よりももっと
口の
拙ない
女の
口を
使って
通信を
致すのでございますから、さぞすべてがつまらなく、一
向に
多愛のない
夢物語になって
了いそうで、それが
何より
気がかりでございます。と
申して、この
話を
省いて
了えば
私の
幽界生活の
記録に
大きな
孔が
開くことになって
筋道が
立たなくなるおそれがございます。まあ
致方がございませぬ、せいぜい
気をつけて、
私の
実地に
観たまま、
感じたままをそっくり
申上げることに
致しましょう。
ここでちょっと
申添えて
置きたいのは、
私の
修行場の
右手の
山の
半腹に
在る、あの
小さい
竜神の
祠のことでございます。
私は
竜宮行をする
前に、
所中そのお
祠へ
参拝したのでございますが、それがつまり
私に
取りて
竜宮行の
準備だったのでございました。
私はそこで
乙姫様からいろいろと
有難い
教訓やら、お
指図やら、
又おやさしい
慰めのお
言葉やらを
戴きました。お
蔭で
私は
自分でも
気がつくほどめきめきと
元気が
出てまいりました。『その
様子なら
汝も
近い
内に
乙姫様のお
目通りができそうじゃ……。』
指導役のお
爺さんもそんなことを
言って
私を
励ましてくださいました。
ここで
私が
竜神様のお
祠へ
行って、いろいろお
指図を
受けたなどと
申しますと、
現世の
方々の
中には
何やら
異様にお
考えになられる
者がないとも
限りませぬが、それは
現世の
方々が、まだ
神社というものの
性質をよく
御存じない
為めかと
存じます。お
宮というものは、あれはただお
賽銭を
上げて、
拍手を
打って、
首を
下げて
引きさがる
為めに
出来ている
飾物ではないようでございます。
赤心籠めて一
生懸命に
祈願をすれば、それが
直ちに
神様の
御胸に
通じ、
同時に
神様からもこれに
対するお
応答が
降り、
時とすればありありとそのお
姿までも
拝ませて
戴けるのでございます……。つまり、すべては
魂と
魂の
交通を
狙ったもので、こればかりは
実に
何ともいえぬほど
巧い
仕組になって
居るのでございます。
私が
山の
修行場に
居りながら、
何うやら
竜宮界の
模様が
少しづつ
判りかけたのも、
全くこの
難有い
神社参拝の
賜でございました。もちろん
地上の
人間は
肉体という
厄介なものに
包まれて
居りますから、いかに
神社の
前で
精神の
統一をなされても、そう
容易に
神様との
交通はできますまいが、
私どものように、
肉体を
棄ててこちらの
世界へ
引越したものになりますと、
殆んどすべての
仕事はこの
仕掛のみによりて
行われるのでございます。ナニ
人間の
世界にも
近頃電話だの、ラヂオだのという、
重宝な
機械が
発明されたと
仰っしゃるか……それは
大へん
結構なことでございます。しかしそれなら
尚更私の
申上げる
事が
[#「事が」は底本では「事か」]よくお
判りの
筈で、
神社の
装置もラジオとやらの
装置も、
理窟は
大体似たものかも
知れぬ……。
まあ
大へんつまらぬ
事を
申上げて
了いました。では
早速これから
竜宮行の
模様をお
話しさせて
戴きます……。
こちらの
世界の
仕事は、
何をするにも
至極あっさりしていまして、すべてが
手取り
早く
運ばれるのでございますが、それでもいよいよこれから
竜宮行と
決った
時には、そこに
相当の
準備の
必要がありました。
何より
肝要なのは
斎戒沐浴……つまり
心身を
浄める
仕事でございます。もちろん
私どもには
肉体はないのでございますから、
人間のように
実地に
水などをかぶりは
致しませぬ。ただ
水をかぶったような
清浄な
気分になればそれで
宜しいので、そうすると、いつの
間にか
服装までも、
自然に
白衣に
変って
居るのでございます。
心と
姿とがいつもぴったり一
致するのが、こちらの
世界の
掟で、
人間界のように
心と
姿とを
別々に
使い
分けることばかりはとてもできないのでございます。
兎も
角も
私は
白衣姿で、
先ず
御神前に
端坐祈願し、それからあの
竜神様のお
祠へ
詣でて、これから
竜宮界へ
参らせて
戴きますと
御報告申上げました。
先方から
何とか
返答があったかと
仰っしゃるか……それは
無論ありました。『
歓んであなたのお
出でをお
待ちして
居ります……。』とそれはそれは
鄭重な
御挨拶でございました。
竜神様のお
祠から
自分の
修行場へ
戻って
見ると、もう
指導役のお
爺さんが、そこでお
待ちになって
居られました。
『
準備ができたらすぐに
出掛けると
致そう。
俺が
竜宮の
入口まで
送ってあげる。それから
先きは
汝一人で
行くのじゃ。
何も
修行の
為めである。あまり
俺に
依る
気になっては
面白うない……。』
そう
言われた
時に、
私は
何やら
少し
心細く
感じましたが、それでもすぐに
気を
取り
直して
旅仕度を
整えました。
私のその
時の
旅姿でございますか……。それは
現世の
旅姿そのまま、
言わばその
写しでございます。かねて
竜宮界は
世にも
奇麗な、
華美なところと
伺って
居りますので、
私もそのつもりになり、
白衣の
上に、
私の
生前一
番好きな
色模様の
衣裳を
重ねました。それは
綿の
入った、
裾の
厚いものでございますので、
道中は
腰の
所で
紐で
結えるのでございます。それからもう
一つ
道中姿に
無くてはならないのが
被衣……
私は
生前の
好みで、
白の
被衣をつけることにしました。
履物は
厚い
草履でございます。
お
爺さんは
私の
姿を
見て、にこにこしながら『なかなか
念の
入った
道中姿じゃナ。
乙姫様もこれを
御覧なされたらさぞお
歓びになられるであろう。
俺などはいつも一
張羅じゃ……。』
そんな
軽口をきかれて、
御自身はいつもと
同一の
白衣に
白の
頭巾をかぶり、そして
長い
長い一
本の
杖を
持ち、
素足に
白鼻緒の
藁草履を
穿いて
私の
先きに
立たれたのでした。
序でにお
爺さんの
人相書をもう
少しくわしく
申上げますなら、
年齢の
頃は
凡そ八十
位、
頭髪は
真白、
鼻下から
顎にかけてのお
髭も
真白、それから
睫毛も
矢張り
雪のように
真白……すべて
白づくめでございます。そしてどちらかと
云へば
面長で、
眼鼻立のよく
整った、
上品な
面差の
方でございます。
私はまだ
仙人というものをよく
存じませぬが、
若し
本当に
仙人があるとしたら、それは
私の
指導役のお
爺さんのような
方ではなかろうかと
考えるのでございます。あの
方ばかりはどこからどこまで、きれいに
枯れ
切って、すっかりあくぬけがして
居られます。
山の
修行場を
後にした
私達は、
随分長い
間険しい
山道をば、
下へ
下へ
下へと
降ってまいりました。
道はお
爺さんが
先きに
立て
案内して
下さるので、
少しも
心配なことはありませぬが、それでもところどころ
危つかしい
難所だと
思ったこともございました。
又道中どこへ
参りましても
例の
甲高い
霊鳥の
鳴声が
前後左右の
樹間から
雨の
降るように
聴えました。お
爺さんはこの
鳥の
声がよほどお
好きと
見えて、『こればかりは
現界ではきかれぬ
声じゃ。』と
御自慢をして
居られました。
漸く
山を
降り
切ったと
思うと、たちまちそこに
一つの
大きな
湖水が
現われました。よほど
深いものと
見えまして、
湛えた
水は
藍を
流したように
蒼味を
帯び、
水面には
対岸の
鬱蒼たる
森林の
影が、くろぐろと
映って
居ました。
岸はどこもかしこも
皆割ったような
巌で、それに
松、
杉その
他の
老木が、
大蛇のように
垂れ
下っているところは、
風情が
良いというよりか、
寧ろもの
凄く
感ぜられました。
『どうじゃ、この
湖水の
景色は……
汝は
些と
気に
入らんであろうが……。』
『
私はこんな
陰気くさい
所は
厭でございます。でもここは
何ぞ
縁由 のある
所でございますか?』
『ここはまだ
若い、
下級の
竜神達の
修行の
場所なのじゃ。
俺は
時々見
わりに
来るので、
善うこの
池の
勝手を
知っている。
何も
修行じゃ、
汝もここでちょっと
統一をして
見るがよい。
沢山の
竜神達の
姿が
見えるであろう……。』
あまり
良い
気持は
致しませんでしたが、
修行とあれば
辞むこともできず、
私はとある
巌の
上に
坐って
統一状態に
入って
見ますと、
果して
湖水の
中は
肌の
色の
黒っぽい、あまり
品の
良くない
竜神さんでぎっしり
填っていました。
角のあるもの、
無いもの、
大きなもの、
小さなもの、
眠っているもの、
暴れているもの……。
初めてそんな
無気味な
光景に
接した
私は、
覚えずびっくりして
眼を
開けて
叫びました。――
『お
爺さま、もう
沢山でございます。
何うぞもっと
晴れやかな
所へお
連れ
下さいませ……。』
しばらく
湖水の
畔を
伝って
歩るいて
居る
中に、
山がだんだん
低くなり、やがて
湖水が
尽きると
共に
山も
尽きて、
広々とした、
少しうねりのある、
明るい
野原にさしかかりました。
私達はその
野原を
貫く
細道をどこまでもどこまでも
先きへ
急ぎました。
やがて
前面に、やや
小高い
砂丘の
斜面が
現われ、
道はその
頂辺の
所に
登って
行きます。『
何やら
由井ヶ
浜らしい
景色である……。』
私はそんなことを
考えながら、
格別険しくもないその
砂丘を
登りつめましたが、さてそこから
前面を
見渡した
時に、
私はあまりの
絶景に
覚えずはっと
気息づまりました。
砂丘のすぐ
真下が、えも
言われぬ
美しい
一ツの
入江になっているのではありませぬか!
刷毛で
刷いたような
弓なりになった
広い
浜……のたりのたりと
音もなく
岸辺に
寄せる
真青な
海の
水……
薄絹を
拡げたような、はてしもなくつづく
浅霞……
水と
空との
融け
合うあたりにほのぼのと
浮く
遠山の
影……それはさながら一
幅の
絵巻物をくりひろげたような、
実に
何とも
言えぬ
絶景でございました。
明けても
暮れても、
眼に
入るものはただ
山ばかり、ひたすら
修行三昧に
永い
歳月を
送った
私でございますから、
尚更この
海の
景色が
気に
入ったのでございましょう、しばらくの
間私は
全くすべてを
打忘れて、
砂丘の
上に
立ち
尽して、つくづくと
見惚れて
了ったのでございました。
『どうじゃ、なかなかの
良い
眺めであろうが……。』
そう
言われて
私はやっと
自分に
戻りました。
『お
爺さま、わたくし、こんななごやかな、
良い
景色は、まだ一
度も
見たためしがございませぬ……。ここは
何と
申すところでございますか?』
『これが
竜宮界の
入口なのじゃ。ここから
竜宮はそう
遠くない……。』
『
竜宮は
矢張り
海の
底にあるのでございますか?』
『イヤイヤあれは
例によりて
人間どもの
勝手な
仮構事じゃ。
乙姫様は
決して
魚族の
親戚でもなければ
又人魚の
叔母様でもない……。が、もともと
竜宮は
理想の
別世界なのであるから、
造ろうと
思えば
海の
底にでも、
又その
他の
何処にでも
造れる。そこが
現世の
造りつけの
世界と
大へんに
異う
点じゃ……。』
『
左様でございますか……。』
何やらよくは
腑に
落ち
兼ねましたが、
私はそう
御返答するより
外に
致方がないのでした。
『さて』とお
爺さんは、しばらく
経ってから、いと
真面目な
面持で
語り
出でました。『
俺の
役目はここまで
汝を
案内すればそれで
済んだので、これから
先きは
汝一人で
行くのじゃ。あれ、あの
入江のほとりから、
少し
左に
外れたところに
見ゆる
真平な
街道、あれをどこまでもどこまでも
辿って
行けば、その
突き
当りがつまり
竜宮で、
道を
間違えるような
心配は
少しもない……。
又竜宮へ
行ってからは、どなたにお
目にかかるか
知れぬが、
何れにしても、ただ
先方のお
話を
伺う
丈では
面白うない。
気のついたこと、
腑に
落ちぬことは、
少しの
遠慮もなく、どしどしお
訊ねせんければ
駄目であるぞ。すべて
神界の
掟として、こちらの
求める
丈しか
教えられぬものじゃ。で、
何事も
油断なく、よくよく
心の
眼を
開けて、
乙姫様から
愛想をつかされることのないよう
心懸けてもらいたい……。では
俺はこれで
帰りますぞ……。』
そう
言って、つと
立ち
上ったかと
思うと、もうお
爺さんの
姿はどこにも
見えませんでした。
例によりてその
飽気なさ
加減と
言ったらありません。
私はちょっと
心さびしく
感じましたが、それはほんの一
瞬間のことでございました。
私は
斯んな
場合にいつも
肌から
離さぬ、
例の
母の
紀念の
懐剣を、しっかりと
帯の
間にさし
直して、
急いで
砂丘を
降りて、お
爺さんから
教えられた
通り、あの
竜宮街道を
真直に
進んだのでした。
その
後も
私は
幾度となくこの
竜宮街道を
通りましたが、
何度通って
見ても
心地のよいのはこの
街道なのでございます。それは
天然の
白砂をば
何かで
程よく
固めたと
言ったような、
踏み
心地で、
足触りの
良さと
申したら
比類がありませぬ。そして
何所に一
点の
塵とてもなく、
又道の
両側に
程よく
配合った
大小さまざまの
植込も、
実に
何とも
申上げかねるほど
奇麗に
出来て
居り、とても
現世ではこんな
素晴らしい
道路は
見られませぬ。その
街道が
何の
位続いているかとお
訊ねですか……さァどれ
位の
道程かは、ちょっと
見当がつきかねますが、よほど
遠いこと
丈は
確かでございます。
街道の
入口の
辺から
前方を
眺めても、
霞が一
帯にかかっていて、
何も
眼に
入りませぬが、しばらく
過ぎると
有るか
無きかのように、
薄っすりと
山の
影らしいものが
現われ、それから
又しばらく
過ぎると、
何やらほんのりと
丹塗りの
門らしいものが
眼に
映ります。その
辺からでも
竜宮の
御殿まではまだ
半里位はたっぷりあるのでございます……。
何分絵心も
何も
持ち
合わせない
私の
力では、
何のとりとめたお
話もできないのが、
大へんに
残念でございます。あの
美しい
道中の
眺めの、せめて十
分の一なりとも
皆様にお
伝えしたいのでございますが……。
しばらくしてから
私はとうとう
竜宮界の
御門の
前に
立っていましたが、それにしても
私は
四辺の
光景があまりにも
現実的なのをむしろ
意外に
思ったのでございました。お
爺さんの
御話から
考えて
見ましても、
竜宮はドウやら
一の
蜃気楼、
乙姫様の
思召でかりそめに
造り
上げられる
一の
理想の
世界らしく
思われますのに、
実地に
当って
見ますと、それはどこにあぶなげのない、いかにもがッしりとした、
正真正銘の
現実の
世界なのでございます。『
若しもこれが
蜃気楼なら
世の
中に
蜃気楼でないものは
一つもありはしない……。』
私は
心の
中でそう
考えたのでございました。
竜宮界の
大体の
見た
感じでございますが――さァ
一と
口に
申したら、それはお
社と
言うよりかも、
寧ろ
一つの
大きな
御殿と
言った
感じ、つまり
人間味が、たっぷりしているのでございます。そして
何処やらに
唐風なところがあります。
先ずその
御門でございますが、
屋根は
両端が
上方にしゃくれて、
大そう
光沢のある、
大型の
立派な
瓦で
葺いてあります。
門柱その
他はすべて
丹塗り、
別に
扉はなく、その
丸味のついた
入口からは
自由に
門内の
模様が
窺われます。あたりには
別に
門衛らしいものも
見掛けませんでした。
で、
私は
思い
切ってその
門をくぐって
行きましたが、
門内は
見事な
石畳みの
舗道になって
居り、あたりに
塵一つ
落ちて
居りませぬ。そして
両側の
広々としたお
庭には、
形の
良い
松その
他が
程よく
植え
込みになって
居り、
奥はどこまであるか、ちょっと
見当がつかぬ
位でございます。
大体は
地上の
庭園とさしたる
相違もございませぬが、ただあんなにも
冴えた
草木の
色、あんなにも
香ばしい
土の
匂いは、
地上の
何所にも
見受けることはできませぬ。こればかりは
実地に
行って
見るより
外に、
描くべき
筆も、
語るべき
言葉もあるまいと
考えられます。
御門から
御殿まではどの
位ありましょうか、よほど
遠かったように
思われます。
御殿の
玄関は
黒塗りの
大きな
式台造り、そして
上方の
庇、
柱、
長押などは
皆眼のさめるような
丹塗り、
又壁は
白塗りでございますから、すべての
配合がいかにも
華美で、
明朗で、
眼がさめるように
感じられました。
私はそこですっかり
身づくろいを
直しました。むろん
心でただそう
思いさえすればそれで
宜しいので、そうすると
今までの
旅装束がその
場できちんとした
謁見の
服装に
変るのでございます。そんな
事でもできなければ、たッた
一人で、
腰元も
連れずに、
竜宮の
乙姫さまをお
訪ねすることはできはしませぬ。
『
御免くださいませ……。』
私は
思い
切ってそう
案内を
乞いました。すると、
年の
頃十五
位に
見える、
一人の
可愛らしい
小娘がそこへ
現われました。
服装は
筒袖式の
桃色の
衣服、
頭髪を
左右に
分けて、
背部の
方でくるくるとまるめて
居るところは、
何う
見ても
御国風よりは
唐風に
近いもので、
私はそれが
却って
妙に
御殿の
構造にしっくりと
当てはまって、
大へん
美しいように
感ぜられました。
『
私は
小櫻と
申すものでございますが、こちらの
奥方にお
目通りをいたし
度く、わざわざお
訪ねいたしました……。』
乙姫様とお
呼び
申すのも
何やらおかしく、さりとて
神様の
御名を
申上ぐるのも、
何やら
改まり
過ぎるように
感じられ、ツイうっかり
奥方と
申上げて
了いました。こちらへ
来ても
矢張り
私には
現世時代の
呼び
癖がついてまわって
居たものと
見えます。それでも
取次ぎの
小娘には
私の
言葉がよく
通じたらしく、『
承知致しました。
少々お
待ちくださいませ。』と
言って、
踵をかえして
急いで
奥へ
入って
行きました。
『
乙姫様に
首尾よくお
目通りが
叶うかしら……。』
私は
多少の
不安を
感じながら
玄関前に
佇みました。
間もなく
以前の
小娘が
再び
現われました。
『
何うぞおあがりくださいませ……。』
言われるままに
私は
小娘に
導かれて、
御殿の
長い
長い
廊下を
幾曲り、ずっと
奥まれる
一と
間に
案内されました。
室は十
畳許りの
青畳を
敷きつめた
日本間でございましたが、さりとて
日本風の
白木造りでもありませぬ。
障子、
欄間、
床柱などは
黒塗り、
又縁の
欄干、
庇、その
他造作の一
部は
丹塗り、と
言った
具合に、とてもその
色彩が
複雑で、そして
濃艶なのでございます。
又お
床の
間には一
幅の
女神様の
掛軸がかかって
居り、その
前には
陶器製の
竜神の
置物が
据えてありました。その
竜神が
素晴らしい
勢で、かっと
大きな
口を
開けて
居たのが
今も
眼の
前に
残って
居ります。
開け
放った
障子の
隙間からはお
庭もよく
見えましたが、それが
又手数の
込んだ
大そう
立派な
庭園で、
樹草泉石のえも
言われぬ
配合は、とても
筆紙につくせませぬ。
京の
銀閣寺、
金閣寺の
庭園も
数奇の
限りを
尽した、
大そう
贅沢なものとかねてきき
及んで
居りますので、
或る
時私はこちらからのぞいて
見たことがございますが、
竜宮界のお
庭に
比べるとあれなどはとても
段違いのように
見受けられました。いかに
意匠をこらしても、
矢張り
現世は
現世だけの
事しかできないものと
見えます……。
ナニそのお
室で
乙姫様にお
目にかかったか、と
仰ッしゃるか――ホホホ
大そうお
待ち
兼ねでございますこと……。ではお
庭の
話などはこれで
切り
上げて、
早速乙姫様にお
目通りをしたお
話に
移りましょう。――
尤も
私がその
時お
目にかかりましたのは、
玉依姫様の
方で、
豐玉姫様ではございませぬ。
申すまでもなく
竜宮界で
第一の
乙姫様と
仰ッしゃるのが
豐玉姫様、
第二の
乙姫様が
玉依姫様、つまりこの
両方は
御姉妹の
間柄ということになって
居るのでございますが、
何分にも
竜宮界の
事はあまりにも
奥が
深く、
私にもまだ
御両方の
関係がよく
判って
居りませぬ。お
二人が
果して
本当に
御姉妹の
間柄なのか、それとも
豐玉姫の
御分霊が
玉依姫でおありになるのか、
何うもその
辺がまだ
充分私の
腑に
落ちないのでございます。ただしそれが
何うあろうとも、この
御二方が
切っても
切れぬ、
深い
因縁の
姫神であらせられることは
[#「あらせられることは」は底本では「あらせちれることは」]確かでございます。
私は
其の
後幾度も
竜宮界に
参り、そして
幾度も
御両方にお
目にかかって
居りますので、
幾分その
辺の
事情には
通じて
居るつもりでございます。
この
豐玉姫様と
言われる
御方は、
第一の
乙姫様として
竜宮界を
代表遊ばされる、
尊い
御方だけに、
矢張りどことなく
貫禄がございます。
何となく、
竜宮界の
女王様と
言った
御様子が
自然にお
躯に
備わって
居られます。お
年齢は二十七八
又は三十
位にお
見受けしますが、もちろん
神様に
実際のお
年齢はありませぬ。ただ
私達の
眼にそれ
位に
拝まれるというだけで……。それからお
顔は、どちらかといえば
下ぶくれの
面長、
眼鼻立ちの
中で
何所かが
特に
取り
立てて
良いと
申すのではなしに、どこもかしこもよく
整った、まことに
品位の
備わった、
立派な
御標致、そしてその
御物越しは
至ってしとやか、
私どもがどんな
無躾な
事柄を
申上げましても、
決してイヤな
色一つお
見せにならず、どこまでも
親切に、いろいろと
訓えてくださいます。その
御同情の
深いこと、
又その
御気性の
素直なことは、どこの
世界を
捜しても、あれ
以上の
御方が
又とあろうとは
思われませぬ。それでいて、
奥の
方には
凛とした、
大そうお
強いところも
自ずと
備わっているのでございます。
第二の
乙姫様の
方は、
豐玉姫様に
比べて、お
年齢もずっとお
若く、やっと二十一か二か
位に
思われます。お
顔はどちらかといえば
円顔、
見るからに
大そうお
陽気で、お
召物などはいつも
思い
切った
華美造り、
丁度桜の
花が一
時にぱっと
咲き
出でたというような
趣がございます。
私が
初めてお
目にかかった
時のお
服装は、
上衣が
白の
薄物で、それに
幾枚かの
色物の
下着を
襲ね、
帯は
前で
結んでダラリと
垂れ、その
外に
幾条かの、ひらひらした
長いものを
捲きつけて
居られました。これまで
私どもの
知っている
服装の
中では、一
番弁天様のお
服装に
似て
居るように
思われました。
兎に
角この
両方は
竜宮界切っての
花形であらせられ、お
顔もお
気性も、
何所やら
共通の
所があるのでございますが、しかし
引きつづいて、
幾代かに
亘りて
御分霊を
出して
居られる
中には、
御性質の
相違が
次第次第に
強まって
行き、
末の
人間界の
方では、
豐玉姫系と
玉依姫系との
区別が
可なりはっきりつくようになって
居ります。
概して
豐玉姫の
系統を
引いたものは、あまりはしゃいだところがなく、どちらかといえば
[#「どちらかといえば」は底本では「どちらかといくば」]しとやかで、
引込思案でございます。これに
反して
玉依姫系統の
方は
至って
陽気で、
進んで
人中にも
出かけてまいります。ただ
人並みすぐれて
情義深いことは、お
両方に
共通の
美点で、
矢張り
御姉妹の
血筋は
争われないように
見受けられます……。
あれ、
又しても
話が
側路へそれて
先走って
了いました。これから
後へ
戻って、
私が
初めて
玉依姫様にお
目にかかった
時の
概況を
申上げることに
致しましょう。
[#「二十四、なさけの言葉」は底本では「二十四 なさけの言葉」]
先刻も
申上げたとおり、
私は
小娘に
導かれて、あの
華麗な
日本間に
通され、そして
薄絹製の
白の
座布団を
与えられて、それへ
坐ったのでございますが、
不図自分の
前面のところを
見ると、そこには
別に一
枚の
花模様の
厚い
座布団が
敷いてあるのに
気づきました。『きっと
乙姫様がここへお
坐りなさるのであろう。』――
私はそう
思いながら、
乙姫様に
何と
御挨拶を
申上げてよいか、いろいろと
考え
込んで
居りました。
と、
何やら
人の
気配を
感じましたので
頭をあげて
見ますと、
天から
降ったか、
地から
湧いたか、モーいつの
間にやら
一人の
眩いほど
美しいお
姫様がキチンと
設けの
座布団の
上にお
坐りになられて、にこやかに
私の
事を
見守ってお
出でなさるのです。
私はこの
時ほどびっくりしたことはめったにございませぬ。
私は
急いで
座布団を
外して、
両手をついて
叩頭をしたまま、しばらくは
何と
御挨拶の
言葉も
口から
[#「口から」は底本では「口をら」]出ないのでした。
しかし、
玉依姫様の
方では
何所までも
打解けた
御様子で、
尊い
神様と
申上げるよりはむしろ
高貴の
若奥方と
言ったお
物越しで、いろいろと
優しいお
言葉をかけくださるのでした。――
『あなたが
竜宮へお
出でなさることは、かねてからお
通信がありましたので、こちらでもそれを
楽しみに
大へんお
待ちしていました。
今日はわたくしが
代ってお
逢いしますが、この
次ぎは
姉君様が
是非お
目にかかるとの
仰せでございます。
何事もすべてお
心易く、一
切の
遠慮を
棄てて、
訊くべきことは
訊き、
語るべきことは
語ってもらいます。あなた
方が
地の
世界に
降り、いろいろと
現界の
苦労をされるのも、つまりは
深き
神界のお
仕組で、それがわたくし
達にも
又となき
良い
学問となるのです。きけばドウやらあなたの
現世の
生活も、なかなか
楽なものではなかったようで……。』
いかにもしんみりと、
溢るるばかりの
同情を
以て、
何くれと
話しかけてくださいますので、いつの
間にやら
私の
方でも
心の
遠慮が
除り
去られ、
丁度現世で
親しい
方と
膝を
交えて、
打解けた
気分でよもやまの
物語に
耽ると
言ったようなことになりました。
帰幽以来何十
年かになりますが、
私が
斯んな
打寛いだ、なごやかな
気持を
味わったのは
実にこの
時が
最初でございました。
それから
私は
問われるままに、
鎌倉の
実家のこと、
嫁入りした
三浦家のこと、
北條との
戦闘のこと、
落城後の
侘住居のことなど、
有りのままにお
話ししました。
玉依姫様は一々
首肯きながら
私の
物語に
熱心に
耳を
傾けてくだされ、
最後に
私が
独りさびしく
無念の
涙に
暮れながら
若くて
歿ったことを
申上げますと、あの
美しいお
顔をばいとど
曇らせて
涙さえ
浮べられました。――
『それはまァお
気毒な……あなたも
随分つらい
修行をなさいました……。』
たッた
一と
言ではございますが、
私はそれをきいて
心から
難有いと
思いました。
私の
胸に
積り
積れる
多年の
鬱憤もドウやらその
御一言できれいに
洗い
去られたように
思いました。
『
斯んなお
優しい
神様にお
逢いすることができて、
自分は
何と
幸福な
身の
上であろう。
自分はこれから
修行を
積んで、
斯んな
立派な
神様のお
相手をしてもあまり
恥かしくないように、一
時も
早く
心の
垢を
洗い
浄めねばならない……。』
私は
心の
底で
固くそう
決心したのでした。
一と
通り
私の
身上噺が
済んだ
時に、
今度は
私の
方から
玉依姫様にいろいろの
事をお
訊ねしました。
何しろ
竜宮界の
初上り、
何一つ
弁えてもいない
不束者のことでございますから
[#「ことでございますから」は底本では「こどでございますから」]、
随分つまらぬ
事も
申上げ、あちらではさぞ
笑止に
思召されたことでございましたろう。
何をお
訊ねしたか、
今ではもう
大分忘れて
了いましたが、
標本のつもりで
一つ
二つ
想い
出して
見ることに
致しましょう。
真先きに
私がお
訊ねしたのは
浦島太郎の
昔噺のことでございました。――
『
人間の
世界には、
浦島太郎という
人が
竜宮へ
行って
乙姫さまのお
婿様になったという
名高いお
伽噺がございますが、あれは
実際あった
事柄なのでございましょうか……。』
すると
玉依姫様はほほとお
笑い
遊ばしながら、
斯う
訓えてくださいました。――
『あの
昔噺が
事実そのままでないことは
申すまでもなけれど、さりとて
全く
跡方もないというのではありませぬ。つまり
天津日継の
皇子彦火々出見命様が、
姉君の
御婿君にならせられた
事実を
現世の
人達が
漏れきいて、あんな
不思議な
浦島太郎のお
伽噺に
作り
上げたのでございましょう。
最後に
出て
来る
玉手箱の
話、あれも
事実ではありませぬ。
別にこの
竜宮に
開ければ
紫の
煙が
立ちのぼる、
玉手箱と
申すようなものはありませぬ。あなたもよく
知るとおり、
神の
世界はいつまで
経っても、
露かわりのない
永遠の
世界、
彦火々出見命様と
豐玉姫様は、
今も
昔と
同じく
立派な
御夫婦の
御間柄でございます。ただ
命様には
天津日継の
大切な
御用がおありになるので、めったに
御夫婦揃ってこの
竜宮界にお
寛ぎ
遊ばすことはありませぬ。
現に
只今も
命様には
何かの
御用を
帯びて
御出ましになられ、
乙姫様は、ひとりさびしくお
不在を
預かって
居られます。そんなところが、あのお
伽噺のつらい
夫婦の
別離という
趣向になったのでございましょう
[#「なったのでございましょう」は底本では「なつのでございましょう」]……。』
そう
言って
玉依姫には
心持ちお
顔を
赧く
染められました。
それから
私は
斯んな
事もお
訊きしました。――
『
斯うして
拝見致しますと
竜宮は、いかにもきれいで、のんきらしく
結構に
思われますが、
矢張り
神様にもいろいろつらい
御苦労がおありなさるのでございましょう?』
『よい
所へお
気がついてくれました。』と
玉依姫様は
大そうお
歓びになってくださいました。
『
寛いで
他にお
逢いする
時には、
斯んな
奇麗な
所に
住んで、
斯んな
奇麗な
姿を
見せて
居れど、わたくし
達とていつも
斯うしてのみはいないのです。
人間の
修行もなかなか
辛くはあろうが、
竜神の
修行とて、それにまさるとも
劣るものではありませぬ。
現世には
現世の
執着があり、
霊界には
霊界の
苦労があります。わたくしなどは
今が
修行の
真最中、
寸時もうかうかと
遊んでは
居りませぬ。あなたは
今斯うしている
私の
姿を
見て、ただ
一人のやさしい
女性と
思うであろうが、
実はこれは
人間のお
客様を
迎える
時の
特別の
姿、いつか
機会があったら、
私の
本当の
姿をお
見せすることもありましょう。
兎に
角私達の
世界にはなかなか
人間に
知られない、
大きな
苦労があることをよく
覚えていてもらいます。それがだんだん
判ってくれば、
現世の
人間もあまり
我侭を
申さぬようになりましょう……。』
こんな
真面目なお
話をなさる
時には、
玉依姫様のあの
美しいお
顔がきりりと
引きしまって、まともに
拝むことができないほど
神々しく
見えるのでした。
私がその
日玉依姫様から
伺ったことはまだまだ
沢山ございますが
[#「沢山ございますが」は底本では「沢山だざいますが」]、それはいつか
別の
機会にお
話しすることにして、ただ
爰で
是非附け
加えて
置きたいことが
一つございます。それは
玉依姫の
霊統を
受けた
多くの
女性の
中に
弟橘姫が
居られることでございます。『あの
人はわたくしの
分霊を
受けて
生まれたものであるが、あれが一ばん
名高くなって
居ります……。』そう
言われた
時には
大そうお
得意の
御模様が
見えていました。
一と
通りおききしたいことをおききしてから、お
暇乞いをいたしますと『
又是非何うぞ
近い
中に……。』という
有難いお
言葉を
賜わりました。
私は
心から
朗かな
気分になって、
再び
例の
小娘に
導かれて
玄関に
立ち
出で、そこからはただ一
気に
途中を
通過して、
無事に
自分の
山の
修行場に
戻りました。
前回の
竜宮行のお
話は
何となく
自分にも
気乗りがいたしましたが、
今度はドーも
億劫で、
気おくれがして、
成ろうことなら
御免を
蒙りたいように
感じられてなりませぬ。
帰幽後生前の
良人との
初対面の
物語……
婦女の
身にとりて、これほどの
難題はめったにありませぬ。さればとて、それが
話の
順序であれば、
無理に
省いて
仕舞う
訳にもまいりませず、
本当に
困って
居るのでございまして……。ナニ
成るべく
詳しく
有りのままを
話せと
仰っしゃるか。そんなことを
申されると、
尚更談話がし
難くなって
了います。
修行未熟な、
若い
夫婦の
幽界に
於ける
初めての
会合――とても
他人さまに
吹聴するほど
立派なものでないに
決って
居ります。おきき
苦しい
点は
成るべく
発表なさらぬようくれぐれもお
依みして
置きます……。
いつかも
申上げた
[#「申上げた」は底本では「申上げだ」]通り、
私がこちらの
世界へ
参りましたのは、
良人よりも一
年余り
遅れて
居りました。
後で
伺いますと、
私が
死んだことはすぐ
良人の
許に
通知があったそうでございますが、
何分当時良人はきびしい
修行の
真最中なので、
自分の
妻が
死んだとて、とてもすぐ
逢いに
行くというような、そんな
女々しい
気分にはなれなかったそうでございます。
私は
又私で、
何より
案じられるのは
現世に
残して
置いた
両親のことばかり、それに
心を
奪われて、
自分よりも
先へ
死んで
了っている
良人のことなどはそれほど
気にかからないのでした。『
時節が
来たら
何れ
良人にも
逢えるであろう……。』そんな
風にあっさり
考えていたのでした。
右のような
次第で、
帰幽後随分永い
間、
私達夫婦は
分れ
分れになったきりでございました。むろん、これがすべての
男女に
共通のことなのか
何うかは
存じませぬ。これはただ
私達がそうであったと
申す
丈のことで……。
そうする
中に
私は
岩屋の
修行場から、
山の
修行場に
進み、やがて
竜宮界の
訪問も
済んだ
頃になりますと、
私のような
執着の
強い
婦女にも、
幾分安心ができて
来たらしいのが
自覚されるようになりました。すると、こちらからは
別に
何ともお
願いした
訳でも
何でもないのに、ある
日突然神様から
良人に
逢わせてやると
仰せられたのでございます。『そろそろ
逢ってもよいであろう。
汝の
良人は
汝よりもモー
少し
心の
落付きができて
来たようじゃ……。』
指導役のお
爺さんが、いとどまじめくさってそんなことを
言われるので、
私は
気まりが
悪くて
仕方がなく、
覚えず
顔を
真紅に
染めて、一たんはお
断りしました。――
『そんなことはいつでも
宜しうございます。
修行の
後戻りがすると
大変でございますから……。』
『イヤイヤ一
度は
逢わせることに、
先方の
指導霊とも
手筈をきめて
置いてある。
良人と
逢った
位のことで、すぐ
後戻りするような
修行なら、まだとても
本物とは
言われぬ。
斯んなことをするのも、
矢張り
修行の
一つじゃ。
神として
無理にはすすめぬから、
有りのままに
答えるがよい。
何うじゃ
逢って
見る
気はないか?』
『それでは、
宜しきようにお
願いいたしまする……。』
とうとう
私はお
爺さんにそう
御返答をして
了いました。
私の
修行場を
少し
下へ
降りた
山の
半腹に、
小ぢんまりとした
一つの
平地がございます。
周囲には
程よく
樹木が
生えて、
丁度置石のように
自然石があちこちにあしらってあり、そして一
面にふさふさした
青苔がぎっしり
敷きつめられて
居るのです。そこが
私達夫婦の
会合の
場所と
決められました。
あなたも
御承知の
通り、こちらの
世界では、
何をやるにも、
手間暇間は
要りません。
思い
立ったが
吉日で、すぐに
実行に
移されて
行きます。
『
話が
決った
上は、これからすぐに
出掛けるとしよう……。』
お
爺さんは
眉一つ
動かされず、
済まし
切って
先きに
立たれますので、
私も
黙ってその
後について
出掛けましたが、しかし
私の
胸の
裡は
千々に
砕けて、
足の
運びが
自然遅れ
勝ちでございました。
申すまでもなく、十
幾年の
間現世で
仲よく
連れ
添った
良人と
[#「良人と」は底本では「良入と」]、
久しぶりで
再会するというのでございますから、
私の
胸には、
夫婦の
間ならでは
味われぬ、あの一
種特別のうれしさが
急にこみ
上げて
来たのは
事実でございます。すべて
人間というものは
死んだからと
言って、
別にこの
夫婦の
愛情に
何の
変りがあるものではございませぬ。
変っているのはただ
肉体の
有無だけ、そして
愛情は
肉体の
受持ではないらしいのでございます。
が、一
方にかくうれしさがこみあぐると
同時に、
他方には
何やら
空恐ろしいような
感じが
強く
胸を
打つのでした。
何にしろここは
幽界、
自分は
今修行の
第一
歩をすませて、
現世の
執着が
漸くのことで
少しばかり
薄らいだというまでのよくよくの
未熟者、これが
幾十
年ぶりかで
現世の
良人に
逢った
時に、
果して
心の
平静が
保てるであろうか、
果して
昔の、あの
醜しい
愚痴やら
未練やらが
首を
擡げぬであろうか……
何う
考えて
見ても
自分ながら
危ッかしく
感じられてならないのでした。
そうかと
思うと、
私の
胸のどこやらには、
何やら
気まりがわるくてしょうのないところもあるのでした。
久し
振りで
良人と
顔を
合わせるのも
気まりがわるいが、それよりも一
層恥かしいのは
神さまの
手前でした。あんな
素知らぬ
顔をして
居られても、一から十まで
人の
心の
中を
洞察かるる
神様、『この
女はまだ
大分娑婆の
臭みが
残っているナ……。』そう
思っていられはせぬかと
考えると、
私は
全く
穴へでも
入りたいほど
恥かしくてならないのでした。
それでも
予定の
場所に
着く
頃までには、
少しは
私の
肚が
据ってまいりました。『
縦令何事ありとも
涙は
出すまい。』――
私は
固くそう
決心しました。
先方へついて
見ると、
良人はまだ
来て
居りませんでした。
『まあよかった……。』その
時私はそう
思いました。いよいよとなると、
矢張りまだ
気おくれがして、
少しでも
時刻を
延ばしたいのでした。
お
爺さんはと
見れば
何所に
風が
吹くと
言った
面持で、ただ
黙々として、あちらを
向いて
景色などを
眺めていられました。
良人がいよいよ
来着したのは、それからしばしの
後で、
私が
不図側見をした
瞬間に、五十
余りと
見ゆる
一人の
神様に
附添われて、
忽然として
私のすぐ
前面に、ありし
日の
姿を
現わしたのでした。
『あッ
矢張り
元の
良人だ……。』
私は
今更ながら
生死の
境を
越えて、
少しも
変っていない
良人の
姿に
驚嘆の
眼を
見張らずにはいられませんでした。
服装までも
昔ながらの
好みで、
鼠色の
衣裳に
大紋打った
黒の
羽織、これに
袴をつけて、
腰にはお
定まりの
大小二
本、
大へんにきちんと
改った
扮装なのでした。
これが
現世での
出来事だったら、その
時何をしたか
知れませぬが、さすがに
神様の
手前、
今更取り
乱したところを
見られるのが
恥かしうございますから、
私は一
生懸命になって、
平気な
素振をしていました。
良人の
方でも
少しも
弱味を
見せず、
落付払った
様子をしていました。
しばし
沈黙がつづいた
後で、
私から
言葉をかけました。――
『お
別れしてから
随分長い
歳月を
経ましたが、
図らずも
今ここでお
目にかかることができまして、
心から
嬉しうございます。』
『
全く
今日は
思い
懸けない
面会であった。』と
良人もやがて
武人らしい、
重い
口を
開きました。
『あの
折は
思いの
外の
乱軍、
訣別の
言葉一つかわす
隙もなく、あんな
事になって
了い、そなたも
定めし
本意ないことであったであろう……。それにしてもそなたが、
斯うも
早くこちらの
世界へ
来るとは
思わなかった。いつまでも
安泰に
生き
長らえて
居てくれるよう、
自分としては
蔭ながら
祈願していたのであったが、しかし
過ぎ
去ったことは
今更何とも
致方がない。すべては
運命とあきらめてくれるよう……。』
飾気のない
良人の
言葉を
私は
心からうれしいと
思いました。
『
昔の
事はモー
何とも
仰っしゃってくださいますな。あたにお
別れしてからの
私は、お
墓参りが
何よりの
楽しみでございましたが、
矢張り
寿命と
見えて、
直にお
後を
慕うことになりました。一
時の
間こそ
随分くやしいとも、
悲しいとも
思いましたが、
近頃は、ドーやらあきらめがつきました。そして
思いがけない
今日のお
目通り、こんなうれしい
事はございませぬ……。』
かれこれと
語り
合っている
中にも、お
互の
心は
次第次第に
融け
合って、さながらあの
思出多き
三浦の
館で、
主人と
呼び、
妻と
呼ばれて、
楽しく
起居を
偕にした
時代の
現世らしい
気分が
復活して
来たのでした。
『いつまで
立話しでもなかろう。その
辺に
腰でもかけるとしようか。』
『ほんにそうでございました。
丁度ここに
手頃の
腰掛[#ルビの「こしか」は底本では「こしかけ」]けがございます。』
私達は三
尺ほど
隔てて、
右と
左に
並んでいる、
木の
切株に
腰をおろしました。そこは
監督の
神様達もお
気をきかせて、あちらを
向いて、
素知らぬ
顔をして
居られました。
対話はそれからそれへとだんだん
滑かになりました。
『あなたは
生前と
少しもお
変りがないばかりか、
却って
少しお
若くなりはしませぬか。』
『まさかそうでもあるまいが、しかしこちらへ
来てから
何年経っても
年齢を
取らないというところが
不思議じゃ。』と
良人は
打笑い、『それにしてもそなたは
些と
老けたように
思うが……。』
『あなたとお
別れしてから、いろいろ
苦労をしましたので、
自然窶が
出たのでございましょう。』
『それは
大へん
気の
毒なことであった。が、
斯うなっては
最早苦労のしようもないから、その
中自然元気が
出て
来るであろう。
早くそうなってもらいたい。』
『
承知致しました。みっちり
修行を
積んで、
昔よりも
若々しくなってお
目にかけます……。』
さして
取りとめのない
事柄でも、
斯うして
親しく
語り
合って
居りますと、
私達の
間には
言うに
言われぬ
楽しさがこみ
上げて
来るのでした。
ここで
一つ
変っているのは、
私達が
殆んど
少しも
現世時代の
思い
出話をしなかったことで、
若しひょっとそれを
行ろうとすると、
何やら
口が
填って
了うように
感じられるのでした。
で、
自然私達の
対話は
死んでから
後の
事柄に
限られることになりました。
私が
真先きに
訊いたのは
良人の
死後の
自覚の
模様でした。――
『あなたがこちらでお
気がつかれた
時はどんな
塩梅でございましたか?』
『
俺は
実はそなたの
声で
眼を
覚ましたのじゃ。』と
良人はじっと
私を
見守り
乍らポツリポツリ
語り
出しました。『そなたも
知る
通り、
俺は
自尽して
果てたのじゃが、この
自殺ということは
神界の
掟としてはあまりほめたことではないらしく、
自殺者は
大抵皆一たんは
暗い
所へ
置かれるものらしい。
俺も
矢張りその
仲間で、
死んでからしばらくの
間何事も
知らずに
無我夢中で
日を
過した。
尤も
俺のは、
敵の
手にかからない
為めの、
言わば
武士の
作法に
協った
自殺であるから、
罪は
至って
軽かったようで、
従って
無自覚の
期間もそう
長くはなかったらしい。そうする
中にある
日不図そなたの
声で
名を
呼ばれるように
感じて
眼を
覚ましたのじゃ。
後で
神様から
伺えば、これはそなたの一
心不乱の
祈願が、
首尾よく
俺の
胸に
通じたものじゃそうで、それと
知った
時の
俺のうれしさはどんなであったか……。が、それは
別の
話、あの
時は
何をいうにも
四辺が
真暗[#ルビの「まっくら」は底本では「あつくら」]でどうすることもできず、しばらく
腕を
拱いてぼんやり
考え
込んでいるより
外に
道がなかった。が、その
中うっすりと
光明がさして
来て、
今日送って
来てくだされた、あのお
爺さんの
姿が
眼に
映った。ドーじゃ、
眼が
覚めたか?――そう
言葉をかけられた
時のうれしさ!
俺はてっきり
自分を
救ってくれた
恩人であろうと
思って、お
名前は? と
訊ねると、お
爺さんはにっこりして、
汝は
最早現世の
人間ではない。これから
俺の
申すところをきいて、十
分に
修行を
積まねばならぬ。
俺は
産土の
神から
遣わされた
汝の
指導者である、と
申しきかされた。その
時俺ははっとして、これは
最う
愚図愚図していられないと
思った。それから
何年になるか
知れぬが、
今では
少し
幽界の
修行も
積み、
明るい
所に一
軒の
家屋を
構えて
住わして
貰っている……。』
私は
良人の
素朴な
物語を
大へんな
興味を
以てききました。
殊に
私の
生存中の
心ばかりの
祈願が、
首尾よく
幽明の
境を
越えて
良人の
自覚のよすがとなったというのが、
世にもうれしい
事の
限りでした。
入れ
代って
今度は
良人の
方で、
私の
経歴をききたいということになりました。で、
私は
今丁度あなたに
申上げるように、
帰幽後のあらましを
物語りました。
私が
生きている
時から
霊視がきくようになり、
今では
坐ったままで
何でも
見えると
申しますと、『そなたは
何と
便利なものを
神様から
授っているであろう!』と
良人は
大へんに
驚きました。
又私がこちらで
愛馬に
逢った
話をすると、『あの
時は、そなたの
希望を
容れないで、
勝手な
名前をつけさせて
大へんに
済まなかった。』と
良人は
丁寧に
詫びました。その
外さまざまの
事がありますが、
就中良人が
非常に
驚きましたのは
私の
竜宮行の
物語でした。『それは
飛んでもない
面白い
話じゃ。ドーもそなたの
方が
俺よりも
資格がずっと
上らしいぞ。
俺の
方が一
向ぼんやりしているのに、そなたはいろいろ
不思議なことをしている……。』と
言って、
大そう
私を
羨ましがりました。
私も
少し
気の
毒気味になり、『すべては
霊魂の
関係から
役目が
異うだけのもので、
別に
上下の
差がある
訳ではないでしょう。』と
慰めて
置きました。
私達はあまり
対話に
身が
入って、すっかり
時刻の
経つのも
忘れていましたが、
不図気がついて
見ると
何処へ
行かれたか、
二人の
神さん
達の
姿はその
辺に
見当らないのでした。
私達は
期せずして
互に
眼と
眼を
見合わせました。
思い
切って
私はここに
懺悔しますが、
四辺に
神さん
達の
眼が
見張っていないと
感付いた
時に、
私の
心が
急にむらむらとあらぬ
方向へ
引きづられて
行ったことは
事実でございます。
『
久しぶりでめぐり
合った
夫婦の
仲だもの、せめて
手の
先尖位は
触れても
見たい……。』
私の
胸はそうした
考えで、一ぱいに
張りつめられて
了いました。
物堅い
良人の
方でも、うわべはしきりに
耐え
耐えて
居りながら、
頭脳の
内部は
矢張りありし
昔の
幻影で
充ち
充ちているのがよく
判るのでした。
とうとう
堪えきれなくなって、
私はいつしか
切株から
離れ、あたかも
磁石に
引かれる
鉄片のように、一
歩良人の
方へと
近づいたのでございます……。
が、その
瞬間、
私は
急に
立ち
止って
了いました。それは
今まではっきりと
眼に
映っていた
良人の
姿が、
急にスーッと
消えかかったのに
驚かされたからでございます。
『この
眼がどうかしたのかしら……。』
そう
思って、一
歩退いて
見直しますと、
良人は
矢張り
元の
通りはっきりした
姿で、
切株に
腰かけて
居るのです。
が、
再び一
歩前へ
進むと、
又もやすぐに
朦朧と
消えかかる……。
二
度、三
度、五
度、
幾度くりかえしても
同じことなのです。
いよいよ
駄目と
悟った
時に、
私はわれを
忘れてその
場に
泣き
伏して
了いました……。
× × × ×
『
何うじゃ
少しは
悟れたであろうが……。』
私の
肩に
手をかけて、そう
言われる
者があるので、びっくりして
涙の
顔をあげて
振り
返って
見ますと、いつの
間に
戻られたやら、それは
私の
指導役のお
爺さんなのでした。
私はその
時穴があったら
入りたいように
感じました。
『
最初から
申しきかせた
通り、一
度逢った
位ですぐ
後戻りする
修行はまだ
本物とは
言われない。』とお
爺さんは
私達夫婦に
向って
諄々と
説ききかせて
下さるのでした。『
汝達には、
姿はあれど、しかしそれは
元の
肉体とはまるっきり
異ったものじゃ。
強いて
手と
手を
触れて
見たところで、
何やらかさかさとした、
丁度張子細工のような
感じがするばかり、そこに
現世で
味わったような
甘味も
面白味もあったものではない。
尚お
汝は
先刻、
良人の
後について
行って、
昔ながらの
夫婦生活でも
営みたいように
思ったであろうが……イヤ
隠しても
駄目じゃ、
神の
眼はどんなことでも
見抜いているから……しかしそんな
考えは
早くすてねばならぬ。もともと
二人の
住むべき
境涯が
異っているのであるから、
無理にそうした
真似をしても、それは
丁度鳥と
魚とが一
緒に
住おうとするようなもので、ただお
互に
苦しみを
増すばかりじゃ。そち
達は
矢張り
離れて
住むに
限る。――が、
俺が
斯う
申すのは、
決して
夫婦間の
清い
愛情までも
棄てよというのではないから、その
点は
取り
違いをせぬように……。
陰陽の
結びは
宇宙万有の
切っても
切れぬ
貴い
御法則、いかに
高い
神々とてもこの
約束からは
免れない。ただその
愛情はどこまでも
浄められて
行かねばならぬ。
現世の
夫婦なら
愛と
欲との
二筋で
結ばれるのも
止むを
得ぬが、一たん
肉体を
離れた
上は、すっかり
欲からは
離れて
了わねばならぬ。そち
達は
今正にその
修行の
真最中、
少し
位のことは
大目に
見逃がしてもやるが、あまりにそれに
走ったが
最後、
結局幽界の
落伍者として、
亡者扱いを
受け、
幾百
年、
幾千
年の
逆戻りをせねばならぬ。
俺達が
受持っている
以上、そち
達に
断じてそんな
見苦しい
真似わさせられぬ。これからそち
達はどこまでも
愛し
合ってくれ。が、そち
達はどこまでも
浄い
関係をつづけてくれ……。』
× × × ×
それから
少時の
後、
私達はまるで
生れ
変ったような、
世にもうれしい、
朗かな
気分になって、
右と
左とに
袂を
別ったことでございました。
ついでながら、
私と
私の
生前の
良人との
関係は
今も
尚お
依然として
続いて
居り、しかもそれはこのまま
永遠に
残るのではないかと
思われます。が、むろんそれが
互に
許し
合った
魂と
魂との
浄き
関係であることは、
改めて
申上げるまでもないと
存じます。
良人との
再会の
模様を
物語りました
序に、
同じ
頃私がこちらで
面会を
遂げた二三の
人達のお
話をつづけることに
致しましょう。
縁もゆかりもない
今の
世の
人達には、さして
興味もあるまいと
思いますが、
私自身には、なかなか
忘れられない
事柄だったのでございます。
その
一つは
私がまだ
実家に
居た
頃、
腰元のようにして
可愛がって
居た、
香織という
一人の
女性との
会合の
物語でございます。
香織は
私よりは
年齢が二つ三つ
若く、
顔立はあまり
良くもありませぬが、
眼元の
愛くるしい、なかなか
悧溌な
児でございました。
身元は
長谷部某と
呼ぶ
出入りの
徒士[#ルビの「かぢ」はママ]の、たしか二
番目の
娘だったかと
覚えて
居ります。
私が
三浦へ
縁づいた
時に、
香織は
親元へ
戻りましたが、それでも
所中鎌倉からはるばる
私の
所へ
訪ねてまいり、そして
何年経っても
私の
事を『
姫さま
姫さま』と
呼んで
居りました。その
中香織も
縁あって、
鎌倉に
住んでいる、
一人の
侍の
許に
嫁ぎ、
夫婦仲も
大そう
円満で、その
間に
二人の
男の
児が
生れました。
気質のやさしい
香織は
大へんその
子供達を
可愛がって、
三浦へまいる
時は、一
緒に
伴て
来たことも
幾度かありました。
そんな
事はまるで
夢のようで、
詳しい
事はすっかり
忘れましたが、ただ
私が
現世を
離れる
前に、
香織から
心からの
厚い
看護を
受けた
事丈は、
今でも
深く
深く
頭脳の
底に
刻みつけられて
居ります。
彼女は
私の
母と一
緒に、
例の
海岸の
私の
隠れ
家に
詰め
切って、それはそれは
親身になってよく
尽してくれ、
私の
病気が
早く
治るようにと、
氏神様へ
日参までしてくれるのでした。
ある
日などは
病床で
香織から
頭髪を
解いて
貰ったこともございました。
私の
頭髪は
大へんに
沢山で、
日頃母の
自慢の
種でございましたが、その
頃はモー
床に
就き
切りなので、
見る
影もなくもつれて
居ました。
香織は
櫛で
解かしながらも、『
折角こうしてきれいにしてあげても、このままつくねて
置くのが
惜しい。』と
言ってさんざんに
泣きました。
傍で
見ていた
母も、『モー一
度治って、
晴衣を
着せて
見たい……。』と
言って、
泣き
伏して
了いました。
斯んな
話をしていると、
私の
眼には
今でもその
場の
光景が、まざまざと
映ってまいります……。
いよいよ
最う
駄目と
観念しました
時に、
私は
自分が
日頃一ばん
大切にしていた一
襲の
小袖を、
形見として
香織にくれました。
香織はそれを
両手にささげ、『たとえお
別れしても、いつまでもいつまでも
姫さまの
紀念に
大切に
保存いたします……。』と
言いながら、
声も
惜まず
泣き
崩れました。が、
私の
心は、モーその
時分には、
思いの
外に
落付いて
了って、
現世に
別れるのがそう
悲しくもなく、
黙って
眼を
瞑ると、
却って
死んだ
良人の
顔がスーッと
眼前に
現われて
来るのでした。
兎に
角こんなにまで
深い
因縁のあった
女性でございますから、こちらの
世界へ
来ても
矢張り
私のことを
忘れない
筈でございます。ある
日私が
御神前で
統一の
修行をして
居りますと、
急に
躯がぶるぶると
慓えるように
感じました。
何気なく
背後を
振り
返って
見ると、
年の
頃やや五十
許と
見ゆる
一人の
女性が
坐って
居りました。それが
香織だったのでございます。
『
何やら
昔の
香織らしい
面影が
残って
居れど、それにしては
随分老け
過ぎている……。』
私が、そう
考えて
躊躇して
居りますと、
先方では、さも
待ち
切れないと
言った
様子で、
膝をすり
寄せてまいりました。――
『
姫さまわたくしをお
忘れでございますか……
香織でございます……。』
『
矢張りそうであったか。――
私はそなたがまだ
息災で
現世に
暮して
居るものとばかり
思っていました。一たいいつ
歿ったのじゃ……。』
『もう、かれこれ十
年位にもなるでございましょう。
私のようなつまらぬものは、とてもこちらで
姫さまにお
目にかかれまいとあきらめて
居りましたが、
今日図らずも
念願がかない、こんなうれしいことはございませぬ。よくまァ
御無事で……
些ッとも
姫さまは
往時とお
変りがございませぬ。お
懐かしう
存じます……。』
現世らしい
挨拶をのべながら、
香織はとうとう
私の
躯にしがみついて、
泣き
入りました。
私もそうされて
見れば、そこは
矢張り
人情で、つい一
緒になって
泣いて
了いました。
心の
昂奮が一
応鎮まってから、
私達の
間には
四方八方の
物語が
一しきりはずみました。――
『そなたは一たい、
何処が
悪くて
歿ったのじゃ?』
『
腹部の
病気でございました。
針で
刺されるようにキリキリと
毎日悩みつづけた
末に、とうとうこんなことに
[#「こんなことに」は底本では「こんをことに」]なりまして……。』
『それは
気の
毒であったが、
何うしてそなたの
死ぬことが、
私の
方へ
通じなかったのであろう……。
普通なら
臨終の
思念が
感じて
来ない
筈はないと
思うが……。』
『それは
皆わたくしの
不心得の
為めでございます。』と
香織は
面目なげに
語るのでした。『
日頃わたくしは、
死ねば
姫さまの
形見の
小袖を
着せてもらって、すぐお
側に
行ってお
仕えするのだなどと、
口癖のように
申していたのでございますが、いざとなってさッぱりそれを
忘れて
了ったのでございます。どこまでも
執着の
強い
私は、
自分の
家族のこと、とりわけ
二人の
子供のことが
気にかかり、なかなか
死切れなかったのでございます。こんな
心懸の
良くない
女子の
臨終の
通報が、どうして
姫さまのお
許にとどく
筈がございましょう。
何も
彼も
皆私が
悪かった
為めでございます。』
正直者の
香織は、
涙ながらに、
臨終に
際して、
自分の
心懸の
悪かったことをさんざん
詫びるのでした。しばらくして
彼女は
言葉をつづけました。――
『それでもこちらへ
来て、いろいろと
神様からおさとしを
受けたお
蔭で、わたくしの
現世の
執着も
次第に
薄らぎ、
今では
修行も
少し
積みました。が、それにつれて、
日ましに
募って
来るのは
姫さまをお
慕い
申す
心で、こればかりは
何うしても
我慢がしきれなくなり、
幾度神様に、
逢わせていただきたいとお
依みしたか
知れませぬ。でも
神さまは、まだ
早い
早いと
仰せられ、なかなかお
許しが
出ないのでございます。わたくしはあまりのもどかしさに、よくないことと
知りながらもツイ
神様に
喰ってかかり、さんざん
悪口を
吐いたことがございました。それでも
神様の
方では、
格別お
怒りにもならず、
内々姫さまのところをお
調[#ルビの「しら」は底本では「ひら」]べになって
居られたものと
見えまして、
今度いよいよ
時節が
来たとなりますと、
御自身で
私を
案内して、
連れて
来て
下すったのでございます。――
姫さま、お
願いでございます、これからは、どうぞお
側にわたくしを
置いてくださいませ。わたくしは、
昔のとおり
姫さまのお
身のまわりのお
世話をして
上げたいのでございます……。』
そう
言って
香織は
又もや
私に
縋りつくのでした。
これには
私もほとほと
持ちあつかいました。
『
神界の
掟としてそればかりは
許されないのであるが……。』
『それは
又何ういう
訳でございますか? わたくしは
是非こちらへ
置いて
戴きたいのでございます。』
『それは
現世ですることで、こちらの
世界では、そなたも
知る
通り、
衣服の
着がえにも、
頭髪の
手入にも、
少しも
人手は
要らぬではないか。それに
何とも
致方のないのはそれぞれの
霊魂の
因縁、めいめいきちんと
割り
当てられた
境涯があるので、たとえ
親子夫婦の
間柄でも、
自分勝手に
同棲することはできませぬ。そなたの
芳志はうれしく
思いますが、こればかりはあきらめてたもれ。
逢おうと
思えばいつでも
逢える
世界であるから
何処に
住まなければならぬということはない
筈じゃ。それほど
私のことを
思ってくれるのなら、そんな
我侭を
言うかわりに、みっしり
身相応の
修行をしてくれるがよい。そして
思い
出したらちょいちょい
私の
許に
遊びに
来てたもれ……。』
最初の
間、
香織はなかなか
腑に
落ちぬらしい
様子をしていましたが、それでも
漸くききわけて、
尚おしばらく
語り
合った
上で、その
日は
暇を
告げて
自分の
所へ
戻って
行きました。
今でも
香織とは
絶えず
通信も
致しまするし、
又たまには
逢いも
致します。
香織はもうすっかり
明るい
境涯に
入り、
顔なども
若返って、
自分にふさわしい
神様の
御用にいそしんで
居ります。
今度は
入れ
代って、
或る
事情の
為めに
自殺を
遂げた
一人の
女性との
会見のお
話を
致しましょう。
少々陰気くさい
話で、おききになるに、あまり
良いお
気持はしないでございましょうが、
斯う
言った
物語も
現世の
方々に、
多少の
御参考にはなろうかと
存じます。
その
方は
生前私と
大へんに
仲の
良かったお
友達の
一人で、
名前は
敦子……あの
敦盛の
敦という
字を
書くのでございます。
生家は
畠山と
言って、
大そう
由緒ある
家柄でございます。その
畠山家の
主人と
私の
父とが
日頃別懇にしていた
関係から、
私と
敦子さまとの
間も
自然親しかったのでございます。お
年齢は
敦子さまの
方が
二つばかり
下でございました。
お
母さまが
大へんお
美しい
方であった
為め、お
母さま
似の
敦子さまも
眼の
覚めるような
御縹緻で、
殊にその
生際などは、
慄えつくほどお
綺麗でございました。『あんなにお
美しい
御縹緻に
生れて
敦子さまは
本当に
仕合せだ……。』そう
言ってみんなが
羨ましがったものでございますが、
後で
考えると、この
御縹緻が
却ってお
身の
仇となったらしく、
矢張り
女は、あまり
醜いのも
困りますが、
又あまり
美しいのもどうかと
考えられるのでございます。
敦子さまの
悩みは
早くも十七八の
娘盛りから
始まりました。
諸方から
雨の
降るようにかかって
来る
縁談、
中には
随分これはというのもあったそうでございますが、
敦子さまは
一つなしに
皆断って
了うのでした。これにはむろん
訳があったのでございます。
親戚の、
幼馴染の
一人の
若人……
世間によくあることでございますが、
敦子さまは
早くから
右の
若人と
思い
思われる
仲になり、
末は
夫婦と、
内々二人の
間に
堅い
約束ができていたのでございました。これが
望みどおり
円満に
収まれば
何の
世話はないのでございますが、
月に
浮雲、
花に
風とやら、
何か
両家の
間に
事情があって、
二人は
何うあっても一
緒になることができないのでした。
こんな
事で、
敦子さまの
婚期は
年一年と
遅れて
行きました。
敦子さまは
後にはすっかり
棄鉢気味になって、
自分は
生涯嫁には
行かないなどと
言い
張って、ひどく
御両親を
困らせました。ある
日敦子さまが
私の
許へ
訪れましたので
[#「訪れましたので」は底本では「訪づれましたので」]、
私からいろいろ
言いきかせてあげたことがございました。『
御自分同志が
良いのは
結構であるが、
斯ういうことは、
矢張り
御両親のお
許諾を
得た
方がよい……。』どうせ
私の
申すことはこんな
堅苦しい
話に
決って
居ります。これをきいて
敦子さまは
別に
反対もしませんでしたが、さりとて
又成る
程と
思いかえしてくれる
模様も
見えないのでした。
それでも、その
後幾年か
経って、
男の
方があきらめて、
何所からか
妻を
迎えた
時に、
敦子さまの
方でも
我が
折れたらしく、とうとう
両親の
勧めに
任せて、
幕府へ
出仕している、ある
歴々の
武士の
許へ
嫁ぐことになりました。それは
敦子さまがたしか二十四
歳の
時でございました。
縁談がすっかり
整った
時に、
敦子さまは
遥るばる
三浦まで
御挨拶に
来られました。その
時私の
良人もお
目にかかりましたが、
後で、『あんな
美人を
妻に
持つ
男子はどんなに
仕合わせなことであろう……。』などと
申した
位に、それはそれは
美しい
花嫁姿でございました。しかし
委細の
事情を
知って
居る
私には、あの
美しいお
顔の
何所やらに
潜む、一
種の
寂しさ……
新婚を
歓ぶというよりか、
寧しろつらい
運命に、
仕方なしに
服従していると
言ったような、やるせなさがどことなく
感じられるのでした。
兎も
角こんな
具合で、
敦子さまは
人妻となり、やがて
一人の
男の
児が
生れて、
少くとも
表面には
大そう
幸福らしい
生活を
送っていました。
落城後私があの
諸磯の
海辺に
佗住居をして
居た
時分などは、
何度も
何度も
訪れて
来て、
何かと
私に
力をつけてくれました。一
度は、
敦子さまと
連れ
立ちて、
城跡の、あの
良人の
墓に
詣でたことがございましたが、その
道すがら
敦子さまが
言われたことは
今も
私の
記憶に
残って
居ります。――
『一たい
恋しい
人と
別れるのに、
生別れと
死別れとではどちらがつらいものでしょうか……。
事によると
生別れの
方がつらくはないでしょうか……。あなたの
現在のお
身上もお
察し
致しますが、
少しは
私の
身の
上も
察してくださいませ。
私は
一つの
生きた
屍、ただ
一人の
可愛い
子供があるばかりに、やっとこの
世に
生きていられるのです。
若しもあの
子供がなかったら、
私などは
夙の
昔に……。』
現世に
於ける
私と
敦子さまとの
関係は
大体こんなところでお
判りかと
存じます。
それから
程経て、
敦子さまが
死んだこと
丈は
何かの
機会に
私に
判りました。が、その
時はそう
深くも
心にとめず、いつか
逢えるであろう
位に
軽く
考えていたのでした。それより
又何年経ちましたか、
或る
日私が
統一の
修行を
終えて、
戸外に
出て、
四辺の
景色を
眺めて
居りますと、
私の
守護霊……この
時は
指導役のお
爺さんでなく、
私の
守護霊から、
私に
通信がありました。『ある
一人の
女性が
今あなたを
訪ねてまいります。
年の
頃は四十
余りの、
大そう
美しい
方でございます。』
私は
誰かしらと
思いましたが、『ではお
目にかかりましょう。』とお
答えしますと、
程なく
一人のお
爺さんの
指導霊に
連れられて、よく
見覚えのある、あの
美しい
敦子さまがそこへひょっくりと
現われました。
『まァお
久しいことでございました。とうとうあなたと、こちらでお
会いすることになりましたか……。』
私が
近づいて、そう
言葉をかけましたが、
敦子さまは、ただ
会釈をしたのみで、
黙って
下方を
向いた
切り、
顔の
色なども
何所やら
暗いように
見えました。
私はちょっと
手持無沙汰に
感じました。
すると
案内のお
爺さんが
代って
簡単に
挨拶してくれました。――
『この
人は、まだ
御身に
引き
合わせるのには
少し
早過ぎるかとは
思われたが、ただ
本人が
是非御身に
逢いたい、一
度逢わせてもらえば、
気持が
落ついて、
修行も
早く
進むと
申すので、
御身の
守護霊にも
依んで、
今日わざわざ
連れてまいったような
次第……
御身とは
生前又となく
親しい
間柄のように
聞き
及んでいるから、いろいろとよく
言いきかせて
貰いたい……。』
そう
言ってお
爺さんは、そのままプイと
帰って
了いました。
私はこれには、
何ぞ
深い
仔細があるに
相違ないと
思いましたので、
敦子さまの
肩に
手をかけてやさしく
申しました。――
『あなたと
私とは
幼い
時代からの
親しい
間柄……
殊にあなたが
何回も
私の
佗住居を
訪れていろいろと
慰めてくだされた、あの
心尽しは
今もうれしい
思い
出の
一つとなって
居ります。その
御恩がえしというのでもありませぬが、こちらの
世界で
私の
力に
及ぶ
限りのことは
何なりとしてあげます。
何うぞすべてを
打明けて、あなたの
相談相手にしていただきます。
兎も
角もこちらへお
入りくださいませ。ここが
私の
修行場でございます……。』
敦子さまは
最初はただ
泣き
入るばかり、とても
話をするどころではなかったのですが、それでも
修行場の
内部へ
入って、そこの
森とした、
浄らかな
空気に
浸っている
中に、
次第に
心が
落ついて
来て、ポツリポツリと
言葉を
切るようになりました。
『あなたは、こんな
神聖な
境地で
立派な
御修行、
私などはとても
段違いで、あなたの
足元にも
寄りつけはしませぬ……。』
こんな
言葉をきっかけに、
敦子さまは
案外すらすらと
打明話をすることになりましたが、
最初想像したとおり、
果して
敦子さまの
身の
上には、
私の
知っている
以上に、いろいろこみ
入った
事情があり、そして
結局飛んでもない
死方――
自殺を
遂げて
了ったのでした。
敦子さまは、
斯んな
風に
語り
出でました。――
『
生前あなたにも、あるところまでお
漏らししたとおり、
私達夫婦の
仲というものは、うわべとは
大へんに
異い、それはそれは
暗い、
冷たいものでございました。
最初の
恋に
破れた
私には、もともと
他所へ
縁づく
気持などは
少しもなかったのでございましたが、ただ
老いた
両親に
苦労をかけては
済まないと
思ったばかりに、
死ぬるつもりで
躯だけは
良人にささげましたものの、しかし
心は
少しも
良人のものではないのでした。
愛情の
伴わぬ
冷たい
夫婦の
間柄……
他人さまのことは
存じませぬが、
私にとりて、それは、
世にも
浅ましい、つまらないものでございました……。
嫁入りしてから、
私は
幾度自害しようとしたか
知れませぬ。わたくしが、それもえせずに、どうやら
生き
永らえて
居りましたのは、
間もなく
私が
身重になった
為めで、つまり
私というものは、ただ
子供の
母として、
惜くもないその
日その
日を
送っていたのでございました。』
[#「ございました。』」は底本では「ございました。」]
『こんな
冷たい
妻の
心が、
何でいつまで
良人の
胸にひびかぬ
筈がございましょう。ヤケ
気味になった
良人はいつしか
一人の
側室を
置くことになりました。それからの
私達の
間には
前にもまして、一
層大きな
溝ができて
了い、
夫婦とはただ
名ばかり、
心と
心とは千
里もかけ
離れて
居るのでした。そうする
中にポックリと、
天にも
地にもかけ
換のない、
一粒種の
愛児に
先立たれ、そのまま
私はフラフラと
気がふれたようになって、
何の
前後の
考もなく、
懐剣で
喉を
突いて、一
図に
小供の
後を
追ったのでございました……。』
敦子さまの
談話をきいて
居りますと、
私までが
気が
変になりそうに
感ぜられました。そして
私には
敦子さまのなされたことが、一
応尤もなところもあるが、さて
何やら、しっくり
腑に
落ちないところもあるように
考えられて
仕方がないのでした。
それから
引きつづいて
敦子さまは、こちらの
世界に
目覚めてからの
一伍一什を
私に
物語ってくれましたが、それは
私達のような、
月並な
婦女の
通った
路とは
大へんに
趣が
異いまして、
随分苦労も
多く、
又変化にも
富んで
居るものでございました。
私は
今ここでその
全部をお
漏しする
訳にもまいりませんが、せめて
現世の
方に
多少参考になりそうなところだけは、
成るべく
漏れなくお
伝えしたいと
存じます。
敦子さまが、こちらで
最初置かれた
境涯は
随分みじめなもののようでございました。これが
敦子さま
御自身の
言葉でございます。――
『
死後私はしばらくは
何事も
知らずに
無自覚で
暮しました。
従ってその
期間がどれ
位つづいたか、むろん
判る
筈もございませぬ。その
中不図誰かに
自分の
名を
呼ばれたように
感じて
眼を
開きましたが、
四辺は
見渡すかぎり
真暗闇、
何が
何やらさっぱり
判らないのでした。それでも
私はすぐに
[#「すぐに」は底本では「ずぐに」]、
自分はモー
死んでいるな、と
思いました。もともと
死ぬる
覚悟で
居ったのでございますから、
死ということは
私には
何でもないものでございましたが、ただ
四辺の
暗いのにはほとほと
弱って
了いました。しかもそれがただの
暗さとは
何となく
異うのでございます。
例えば
深い
深い
穴蔵の
奥と
言ったような
具合で、
空気がしっとりと
肌に
冷たく
感じられ、そして
暗い
中に、
何やらうようよ
動いているものが
見えるのです。それは
丁度悪夢に
襲われているような
感じで、その
無気味さと
申したら、
全くお
話しになりませぬ。そしてよくよく
見つめると、その
動いて
居るものが、
何れも
皆異様の
人間なのでございます。――
頭髪を
振り
乱しているもの、
身に一
糸を
纏わない
裸体のもの、
血みどろに
傷いて
居るもの……ただの
一人として
満足の
姿をしたものは
居りませぬ。
殊に
気味の
悪かったのは
私のすぐ
傍に
居る、
一人の
若い
男で、
太い
荒縄で、
裸身をグルグルと
捲かれ、ちっとも
身動きができなくされて
居ります。すると、そこへ
瞋の
眥を
釣り
上げた、
一人の
若い
女が
現われて、
口惜しい
口惜しいとわめきつづけながら、
件の
男にとびかかって、
頭髪を

ったり、
顔面を
引っかいたり、
足で
蹴ったり、
踏んだり、とても
乱暴な
真似をいたします。
私はその
時、きっとこの
女はこの
男の
手にかかって
死んだのであろうと
思いましたが、
兎に
角こんな
苛責の
光景を
見るにつけても、
自分の
現世で
犯した
罪悪がだんだん
怖くなってどうにも
仕方なくなりました。
私のような
強情なものが、ドーやら
熱心に
神様にお
縋りする
気持になりかけたのは、
偏にこの
暗闇の
内部の、
世にもものすごい
懲戒の
賜でございました……。』
敦子さまの
物語はまだいろいろありましたが、だんだんきいて
見ると、あの
方が
何より
神様からお
叱りを
受けたのは、
自殺そのものよりも、むしろそのあまりに
強情な
性質……一たん
斯うと
思えば
飽までそれを
押し
通そうとする、
我侭な
気性の
為めであったように
思われました。
敦子さまはこんな
事も
言いました。――
『
私は
生前何事も
皆気随気侭に
押しとおし、
自分の
思いが
協わなければこの
世に
生甲斐がないように
考えて
居りました。一
生の
間に
私が
自分の
胸の
中を
或る
程度まで
打明けたのは、あなたお
一人位のもので、
両親はもとよりその
他の
何人にも
相談一つしたことはございませぬ。これが
私の
身の
破滅の
基だったのでございます。その
性質はこちらの
世界へ
来てもなかなか
脱けず、
御指導の
神様に
対してさえ、すべてを
隠そう
隠そうと
致しました。すると
或時神様は、
汝の
胸に
懐いていること
位は、
何も
彼もくわしく
判っているぞ、と
仰せられて、
私が
今まで
極秘にして
居った、ある
一つの
事柄……
大概お
察しでございましょうが、それをすつぱりと
言い
当てられました。これにはさすがの
私も
我慢の
角を
折り、とうとう一
切を
懺悔してお
恕しを
願いました。その
為めに
私は
割合に
早くあの
地獄のような
境地から
脱け
出ることができました。
尤も
私の
先祖の
中に
立派な
善行のものが
居ったお
蔭で、
私の
罪までがよほど
軽[#ルビの「かる」は底本では「かろ」]くされたと
申すことで……。
何れにしても
私のような
強情な
者は、
現世に
居っては
人に
憎まれ、
幽界へ
来ては
地獄に
落され、
大へんに
損でございます。これにつけて、
私は
一つ
是非あなたに
折入ってお
詫びしなければならぬことがございます。
実はこのお
詫をしたいばかりに、
今日わざわざ
神様にお
依みして、つれて
来て
戴きましたような
次第で……。』
敦子さまはそう
言って、
私に
膝をすり
寄せました。
私は
何事かしらと、
襟を
正しましたが、
案外それはつまらないことでございました。――
『あなたの
方で
御記憶があるかドーかは
存じませぬが、ある
日私がお
訪ねして、
胸の
思いを
打ちあけた
時、あなたは
私に
向い、
自分同志が
良いのも
結構だが、
斯ういうことは
矢張り
両親の
許諾を
得る
方がよい、と
仰っしゃいました。
何を
隠しましょう、
私はその
時、この
人には、
恋する
人の、
本当の
気持は
判らないと、
心の
中で
大へんにあなたを
軽視したのでございます。
――しかし、こちらの
世界へ
来て、だんだん
裏面から、
人間の
生活を
眺めることが、できるようになって
見ると、
自分の
間違っていたことがよく
判るようになりました。
私は
矢張り
悪魔に
魅れて
居たのでございました。――
私は
改めてここでお
詫びを
致します。
何うぞ
私の
罪をお
恕し
遊ばして、
元のとおりこの
不束な
女を
可愛がって、
行末かけてお
導きくださいますよう……。』
× × × ×
この
人の
一生には
随分過失もあったようで、
従って
帰幽後の
修行には
随分つらいところもありましたが、しかしもともとしっかりした、
負けぬ
気性の
方だけに
[#「方だけに」は底本では「方だげに」]、
一歩一歩と
首尾よく
難局を
切り
抜けて
行きまして、
今ではすっかり
明るい
境涯に
達して
居ります。それでも、どこまでも
自分の
過去をお
忘れなく、『
自分は
他人さまのように
立派な
所へは
出られない。』と
仰っしゃって、
神様にお
願いして、わざと
小さな
岩窟のような
所に
籠って、
修行にいそしんで
居られます。これなどは、むしろ
私どもの
良い
亀鑑かと
存じます。
あまりに
平凡な
人達の
噂ばかりつづきましたから、その
埋合せという
訳ではございませぬが、
今度はわが
国の
歴史にお
名前が
立派に
残っている、
一人の
女性にお
目にかかったお
話を
致しましょう。
外でもない、それは
大和武尊様のお
妃の
弟橘姫様でございます……。
私達の
間をつなぐ
霊的因縁は
別と
致しましても、
不思議に
在世中から
私は
弟橘姫様と
浅からぬ
関係を
有って
居りました。
御存じの
通り
姫のお
祠は
相模の
走水と
申すところにあるのですが、あそこは
私の
縁づいた
三浦家の
領地内なのでございます。で、
三浦家ではいつも
社殿の
修理その
他に
心をくばり、
又お
祭でも
催される
場合には、
必ず
使者を
立てて
幣帛を
献げました。
何にしろ
婦女の
亀鑑として
世に
知られた
御方の
霊場なので、
三浦家でも
代々あそこを
大切に
取扱って
居たらしいのでございます。そして
私自身もたしか
在世中に
何回か
走水のお
祠に
参拝致しました……。
ナニその
時分の
記憶を
物語れと
仰っしゃるか……
随分遠い
遠い
昔のことで、まるきり
夢のような
感じがするばかり、とてもまとまったことは
想い
出せそうもありませぬ。たしか
走水という
所は
浦賀の
入江からさまで
遠くもない、
海と
山との
迫り
合った
狭い
漁村で、そして
姫のお
祠は、その
村の
小高い
崖の
半腹に
建って
居り、
石段の
上からは
海を
越えて
上総房州が
一と
目に
見渡されたように
覚えて
居ります。
そうそういつか
私がお
詣りしたのは
丁度春の
半ばで、あちこちの
山や
森には
山桜が
満開でございました。
走水は
新井の
城から三四
里ばかりも
隔った
地点なので、
私はよく
騎馬で
参ったのでした。
馬はもちろん
例の
若月で、
従者は
一人の
腰元の
外に、二三
人の
家来が
附いて
行ったのでございます。
道は
三浦の
東海岸に
沿った
街道で、たしか
武山とか
申す、
可成り
高い
一つの
山の
裾をめぐって
行くのですが、その
日は
折よく
空が
晴れ
上っていましたので、
馬上から
眺むる
海と
山との
景色は、まるで
絵巻物をくり
拡げたように
美しかったことを
今でも
記憶して
居ります。
全くあの
三浦の
土地は、
海の
中に
突き
出た
半島だけに、
景色にかけては
何処にもひけは
取りませぬようで……。
尤もそれは
現世での
話でございます。こちらの
世界には
竜宮界のようなきれいな
所がありまして、
三浦半島の
景色がいかに
良いと
申しても、とてもくらべものにはなりませぬ。
領主の
奥方が
御通過というので
百姓などは
土下座でもしたか、と
仰っしゃるか……ホホまさかそんなことはございませぬ。すれ
違う
時にちょっと
道端に
避けて
首をさげる
丈でございます。それすら
私には
気づまりに
感じられ、ツイ
外へ
出るのが
億劫で
[#「億劫で」は底本では「臆怯で」]仕方がないのでした。
幸いこちらの
世界へ
参ってから、その
点の
気苦労がすっかりなくなったのは
嬉しうございますが、しかしこちらの
旅はあまり、あっけなくて、
現世でしたように、ゆるゆると
道中の
景色を
味わうような
面白味はさっぱりありませぬ……。
こんな
夢物語をいつまで
続けたとて
致方がございませぬから、
良い
加減に
切り
上げますが、
兎に
角弟橘姫様に
対する
敬慕の
念は
在世中から
深く
深く
私の
胸に
宿って
居たことは
事実でございました。『
尊のお
身代りとして
入水された
時の
姫のお
心持ちはどんなであったろう……。』
祠前に
額いて
昔を
偲ぶ
時に、
私の
両眼からは
熱い
涙がとめどなく
流れ
落ちるのでした。
ところがいつか
竜宮界を
訪れた
時に、この
弟橘姫様が
玉依姫様の
末裔――
御分霊を
受けた
御方であると
伺いましたので、
私の
姫をお
慕い
申す
心は
一層強まってまいりました。『
是非とも、
一度お
目にかかって、いろいろお
話を
承り、
又お
力添を
願わねばならぬ……。』――そう
考えると
矢も
楯もたまらぬようになり、とうとうその
旨を
竜宮界にお
願いすると、
竜宮界でも
大そう
歓ばれ、すぐその
手続きをしてくださいました。
私がこちらで
弟橘姫様にお
目通りすることになったのはこんな
事情からでございます。
竜宮界からかねて
詳しい
指図を
受けて
居りましたので、その
時の
私は
思い
切ってたった
一人で
出掛けました。
初対面のこと
故、
服装なども
失礼にならぬよう、
日頃好みの
礼装に、
例の
被衣を
羽織ました。
ヅーッと
何処までもつづく
山路……
大へん
高い
峠にかかったかと
思うと、
今度は
降り
坂になり、
右に
左にくねくねとつづらに
折れて、
時に
樹木の
間から
蒼い
海原がのぞきます。やがて
行きついた
所はそそり
立つ
大きな
巌と
巌との
間を
刳りとったような
狭い
峡路で、その
奥が
深い
深い
洞窟になって
居ります。そこが
弟橘姫様の
日頃お
好みの
御修行場で、
洞窟の
入口にはチャーンと
注連縄が
張られて
居りました。むろん
橘姫様はいつもここばかりに
引籠って
居られるのではないのです。
現世に
立派なお
祠があるとおり、こちらの
世界にも
矢張りそう
言ったものがあり、
御用があればすぐそちらへお
出ましになられるそうで……。
『
御免遊ばしませ……。』
口にこそ
出しませんが、
私は
心でそう
思って、
会釈して
洞窟の
内部へ
歩み
入りますと、
早くもそれと
察して
奥の
方からお
出ましになられたのは、
私が
年来お
慕い
申していた
弟橘姫様でございました。
打ち
見るところお
年齢はやっと二十四五、
小柄で
細面の、
大そう
美しい
御縹緻でございますが、どちらかといえば
少し
沈んだ
方で、きりりとやや
釣り
気味の
眼元には、すぐれた
御気性がよく
伺われました。
御召物は、これは
又私どもの
服装とはよほど
異いまして、
上衣はやや
広い
筒袖で、
色合いは
紫がかって
居りました、
下衣は
白地で、
上衣より二三
寸下に
延び、それには
袴のように
襞が
取ってありました。
頭髪は
頭の
頂辺で
輪を
造ったもので、ここにも
古代らしい
匂が
充分に
漂って
居りました。
又お
履物は
黒塗りの
靴見[#ルビの「みた」は底本では「み」]いなものですが、それは
木の
皮か
何ぞで
編んだものらしく、そう
重そうには
見えませんでした……。
『
私は
斯ういうものでございますが、
現世に
居りました
時から
深くあなた
様をお
慕い
申し、
殊に
先日乙姫さまから
委細を
承りましてから、
一層お
懐かしく、
是非一度お
目通りを
願わずには
居られなくなりました、
一向何事も
弁えぬ
不束者でございますが、これからは
末長くお
教えを
受けさせて
戴きとう
存じまする……。』
『かねて
乙姫様からのお
言葉により、あなたのお
出でを
心待ちにお
待ち
申して
居りました。』とあちら
様でも
大そう
歓んで
私を
迎えてくださいました。『
自分とて、ただ
少し
早くこちらの
世界へ
引移ったという
丈、これからはともどもに
手を
引き
合って、
修行することに
致しましょう。
何うぞこちらへ……。』
その
口数の
少ない、
控え
目な
物ごしが、
私には
何より
有難く
思われました。『
矢張り
歴史に
名高い
御方だけのことがある。』
私は
心の
中で
独りそう
感心しながら、
誘わるるままに
岩屋の
奥深く
進み
入りました。
私自身も
山の
修行場へ
移るまでは、
矢張り
岩屋住いをいたしましたが、しかし、ここはずっと
大がかりに
出来た
岩屋で
[#「岩屋で」は底本では「岩屋て」]、
両側も
天井ももの
凄いほどギザギザした
荒削りの
巌になって
居ました。しかし
外面から
見たのとは
違って、
内部はちっとも
暗いことはなく、ほんのりといかにも
落付いた
光りが、
室全体に
漲って
居りました。『これなら
精神統一がうまくできるに
相違ない。』
餅屋は
餅屋と
申しますか、
私は
矢張りそんなことを
考えるのでした。
ものの二
丁ばかりも
進んだ
所が
姫の
御修行の
場所で、
床一面に
何やらふわっとした、
柔かい
敷物が
敷きつめられて
居り、そして
正面の
棚見たいにできた
凹所が
神床で、
一つの
円い
御神鏡がキチンと
据えられて
居るばかり、
他には
何一つ
装飾らしいものは
見当りませんでした。
私達は
神床の
前面に、
左と
右に
向き
合って
座を
占めました。その
頃の
私は
最う
大分幽界の
生活に
慣れて
来ていましたものの、
兎に
角自分より
千年あまりも
以前に
帰幽せられた、
史上に
名高い
御方と
斯うして
膝を
交えて
親しく
物語るのかと
思うと、
何[#ルビの「なに」は底本では「なは」]やら
夢でも
見て
居るように
感じられて
仕方がないのでした。
私達の
間には、それからそれへと、
物語がとめどなくはずみました。
霊の
因縁と
申すものはまことに
不思議な
力を
有っているものらしく、これが
初対面であり
乍ら、
相互の
間の
隔ての
籬はきれいに
除り
去られ、さながら
血を
分けた
姉妹のように、
何も
彼もすっかり
心の
底を
打ち
明けたのでございました。
私というものは
御覧の
通り
何の
取柄もない、
短かい
生涯を
送ったものでございますが、それでも
弟橘姫様は
私の
現世時代の
浮沈に
対して
心からの
同情を
寄せて、
親身になってきいてくださいました。『あなたも
随分苦労をなさいました……。』そう
言って、
私の
手を
執って
涙を
流された
時は、
私は
忝いやら、
難有いやらで
胸が
一ぱいになり、われを
忘れて
姫の
御膝に
縋りついて
了いました。
が、そんな
話はただ
私だけのことで、あなた
方には
格別面白くも、
又おかしくもございますまいが、ただ
其折[#ルビの「そのおり」は底本では「おのおり」]弟橘姫様御自身の
口づから
漏された
遠き
昔の
思い
出話――これはせめてその
一端なりとここでお
伝えして
置きたいと
存じます。
何にしろ
日本の
歴史を
飾る
第一の
花形といえば、
女性では
弟橘姫様、
又男性では
大和武尊様でございます。このお
二人にからまる
事蹟が
少しでも
現世の
人達に
伝わることになれば、
私の
拙き
通信にも
初めて
幾らかの
意義が
加わる
訳でごさいます。
私にとりてこんな
冥加至極なことはございませぬ。
尤も
私の
申上ぐるところが
果して
日本の
古い
書物に
載せてあることと
合っているか、いないか、それは
私にはさっぱり
判りませぬ。
私はただ
自分が
伺いましたままをお
伝えする
丈でございますから、その
点はよくよくお
含みの
上で
取拾して
戴き
度う
存じます。
それからもう
一つ
爰でくれぐれもお
断りして
置きたいのは、
私がお
取次ぎすることが、
決して
姫御自身のお
言葉そのままでなく、ただ
意味だけを
[#「意味だけを」は底本では「意味だげを」]伝えることでございます。
当時の
言語は
含蓄が
深いと
申しますか、そのままではとても
私どもの
腑に
落ちかぬるところがあり、
私としては、
不躾と
知りつつも、
何度も
何度も
問いかえして、やっとここまで
取りまとめたのでございます。で、
多少は
私のきき
損ね、
思い
違いがないとも
限りませぬから、その
点も
何卒充分にお
含み
下さいますよう……。
『あなた
様の
御生立を
伺わして
戴き
度う
存じまするが……。』
機会を
見て
私はそう
切り
出しました。すると
姫はしばらく
凝乎と
考え
込まれ、それから
漸く
唇を
開かれたのでございました。――
『いかにも
遠い
昔のこと、
所の
名も
人の
名も、
急には
胸に
浮びませぬ。――
私の
生れたところは
安芸の
国府、
父は
安藝淵眞佐臣……
代々この
国の
司を
承って
居りました。
尤も
父は
時の
帝から
召し
出され、いつもお
側に
仕える
身とて、
一年の
大部は
不在勝ち、
国元にはただ
女小供が
残って
居るばかりでございました……。』
『
御きょうだいもおありでございましたか。』
『
自分は
三人のきょうだいの
中の
頭、
他は
皆男子でございました。』
『いつもお
国元のみにお
暮らしでございましたか?』
『そうのみとも
限りませぬ。
偶には
父のお
伴をして
大和にのぼり、
帝のお
目通りをいたしたこともございます……。』
『アノ
大和武尊様とも
矢張り
大和の
方でお
目にかかられたのでございまするか?』
『そうではありませぬ……。
国元の
館で
初めてお
目にかかりました……。』
山間の
湖水のように
澄み
切った、
気高い
姫のお
顔にも、さすがにこの
時は
情思の
動きが
薄い
紅葉となって
散りました。
私は
構わず
問いつづけました。――
『
何卒その
時の
御模様をもう
少しくわしく
伺わせていただく
訳にはまいりますまいか? あれほどまでに
深い
深い
夫婦の
御縁が、ただかりそめの
事で
結ばれる
筈はないと
存じますが……。』
『さァ……
何所から
話の
糸口を
手繰り
出してよいやら……。』
姫はしばらくさし
俯いて
[#「俯いて」は底本では「腑いて」]考え
込んで
居られましたが、その
中次第にその
堅い
唇が
少しづつ
綻びてまいりました。お
話の
前後をつづり
合わせると、
大体それは
次ぎのような
次第でございました……。
それはたしかに、ある
年の
夏の
初、
館の
森に
蝉時雨が
早瀬を
走る
水のように、
喧しく
聞えている、
暑い
真昼過ぎのことであったと
申します――
館の
内部は
降って
湧いたような
不時の
来客に、
午睡する
人達もあわててとび
起き、
上を
下への
大騒ぎを
演じたのも
道理、その
来客と
申すのは、
誰あろう、
時の
帝の
珍の
皇子、
当時筑紫路から
出雲路にかけて
御巡遊中の
小碓命様なのでございました。
御随行の
人数は
凡そ五六十
人、いずれも
命の
直属の
屈強の
武人ばかりでございました。
序でにちょっと
附け
加えて
置きますが、その
頃命の
直属の
部下と
申しますのは、いつもこれ
位の
小人数でしかなかったそうで、いざ
戦闘となれば、
何れの
土地に
居られましても、
附近の
武人どもが、
後から
後から
馳せ
参じて
忽ち
大軍になったと
申します。『わざわざ
遠方からあまたの
軍兵を
率いて
御出征になられるようなことはありませぬ……。』
橘姫はそう
仰っしゃって
居られました。
何所へまいるにもいつも
命の
御随伴をした
橘姫がそう
申されることでございますから、よもやこれに
間違はあるまいと
存じます。
それは
兎に
角、
不意の
来客としては五六十
人はなかなかの
大人数でございます。ましてそれが
日本国中にただ
一人あって、
二人とはない、
軍の
神様の
御同勢とありましては
大へんでございます。
恐らく
森の
蝉時雨だって、ぴったり
鳴き
止んだことでございましょう。ただその
際何より
好都合であったのは、
姫の
父君が
珍らしく
国元へ
帰って
居られたことで、
御自身采配を
振って
家人を
指図し、
心限りの
歓待をされた
為めに、
少しの
手落もなかったそうでございます。それについて
姫は
少しくお
言葉を
濁して
居られましたが、
何うやら
小碓命様のその
日の
御立寄は
必らずしも
不意打ではなく、かねて
時の
帝から
御内命があり、
言わば
橘姫様とお
見合の
為めに、それとなくお
越しになられたらしいのでございます。
何れにしても
姫はその
夕、
両親に
促がされ、
盛装してお
側にまかり
出で、
御接待に
当[#ルビの「あた」は底本では「あて」]られたのでした。『
何分にも
年若き
娘のこととて
恥かしさが
先立ち、
格別のお
取持もできなかった……。』
姫はあっさりと、ただそれっきりしかお
口には
出されませんでしたが、
何やらお
二人の
間を
維いだ、
切っても
切れぬ
固い
縁の
糸は、その
時に
結ばれたらしいのでございます。
実際又何れの
時代をさがしても、この
御二人ほどお
似合の
配偶はめったにありそうにもございませぬ。
申すもかしこけれど、お
婿様は百
代に
一人と
言われる、すぐれた
御器量の
日の
御子、
又お
妃は、しとやかなお
姿の
中に
凛々しい
御気性をつつまれた
絶世の
佳人、このお
二人が
一と
目見てお
互にお
気に
召さぬようなことがあったら、それこそ
不思議でございます。お
年輩も、たしか
命はその
時御二十四、
姫は
御十七、どちらも
人生の
花盛りなのでございました。
これは
余談でございますが、
私がこちらの
世界で
大和武尊様に
御目通りした
時の
感じを、ここでちょっと
申上げて
置きたいと
存じます。あんな
武勇絶倫の
御方でございますから、お
目にかからぬ
中は、どんなにも
怖い
御方かと
存じて
居りましたが、
実際はそれはそれはお
優さしい
御風貌なのでございます。むろん
御筋骨はすぐれて
逞しうございますが、
御顔は
色白の、
至ってお
奇麗な
細面、そして
少し
釣気味のお
目元にも、
又きりりと
引きしまったお
口元にも、
殆んど
女性らしい
優さしみを
湛えて
居られるのでございます。『
成るほどこの
方なら
少女姿に
仮装られてもさして
不思議はない
筈……。』
失礼とは
存じながら
私はその
時心の
中でそう
感じたことでございました。
それはさて
置き、
命はその
際は
二晩ほどお
泊りになって、そのままお
帰りになられましたが、やがて
帝のお
裁可を
仰ぎて
再び
安芸の
国にお
降り
遊ばされ、その
時いよいよ
正式に
御婚儀を
挙げられたのでございました。
尤も
軍務多端の
際とて、その
式は
至って
簡単なもので、ただ
内輪でお
杯事をされただけ、
間もなく
新婚の
花嫁様をお
連れになって
征途に
上られたとのことでございました。『
斯ういう
場合であるから
何所へまいるにも、そちを
連れる。』
命はそう
仰せられたそうで、
又姫の
方でも、いとしき
御方と
苦労艱難を
共にするのが
女の
勤めと、
固く
固く
覚悟されたのでした。
幾年かに
跨る
賊徒征伐の
軍の
旅路に、さながら
影の
形に
伴う
如く、ただの一
日として
脊の
君のお
側を
離れなかった
弟橘姫の
涙ぐましい
犠牲の
生活は、
実にその
時を
境界として
始められたのでした。
或る
年の
冬は
雪沓を
穿いて、
吉備国から
出雲国への、
国境の
険路を
踏み
越える。
又或る
年の
夏には
焼くような
日光を
浴びつつ
阿蘇山の
奥深くくぐり
入りて
賊の
巣窟をさぐる。その
外言葉につくせぬ
数々の
難儀なこと、
危険なことに
遇われましたそうで、
歳月の
経つと
共に、そのくわしい
記憶は
次第に
薄れては
行っても、その
時胸にしみ
込んだ、
感じのみは
今も
魂の
底から
離れずに
居るとの
仰せでございました。
こんな
苦しい
道中のことでございますから、
御服装などもそれはそれは
質素なもので、
足には
藁沓、
身には
筒袖、さして
男子の
旅装束と
相違していないのでした。なれども、
姫は
最初から
心に
固く
覚悟して
居られることとて、ただの一
度も
愚痴めきたことはお
口に
出されず、それにお
体も、かぼそいながら
至って
御丈夫であった
為め、一
行の
足手纏[#ルビの「あしてまと」は底本では「てあしまと」]いになられるようなことは
決してなかったと
申すことでございます。
かかる
艱苦の
旅路の
裡にありて、
姫の
心を
支うる
何よりの
誇りは、
御自分一人がいつも
命のお
伴と
決って
居ることのようでした。『
日本一の
日の
御子から
又なきものに
愛しまれる……。』そう
思う
時に、
姫の
心からは一
切の
不満、一
切の
苦労が
煙のように
消えて
了うのでした。
当時の
習慣でございますから、むろん
命の
御身辺には
夥多の
妃達がとりまいて
居られました。それ
等の
中には
橘姫よりも
遥かに
家柄の
高いお
方もあり、
又縹緻自慢の、それはそれは
艶麗な
美女も
居ないのではないのでした。が、それ
等は
言わば
深窓を
飾る
手活の
花、
命のお
寛ぎになられた
折の
軽いお
相手にはなり
得ても、いざ
生命懸けの
外のお
仕事にかかられる
時には、きまり
切って
橘姫にお
声がかかる。これでは『
仮令死んでも……。』という
考が
橘姫の
胸の
奥深く
刻み
込まれた
筈でございましょう。
だんだん
伺って
見ると、
数限りもない
御一
代中で、
最大の
御危難といえば、
矢張り、あの
相摸国での
焼打だったと
申すことでございます。
姫はその
時の
模様丈は
割合にくわしく
物語られました。――
『あの
時ばかりは、いかに
武運に
恵まれた
御方でも、
今日が
御最後かと
危まれました。
自分は
命のお
指図で、
二人ばかりの
従者にまもられて、とある
丘の
頂辺に
避けて、
命の
御身の
上を
案じわびて
居りましたが、その
中四
方から
急にめらめらと
燃え
拡がる
野火、やがて
見渡す
限りはただ一
面の
火の
海となって
了いました。
折から
猛しい
疾風さえ
吹き
募って、
命のくぐり
入られた
草叢の
方へと、
飛ぶが
如くに
押し
寄せて
行きます。その
背後は一
帯の
深い
沼沢で、
何所へも
退路はありませぬ。もうほんの
一と
煽りですべては
身の
終り……。そう
思うと
私はわれを
忘れて、
丘の
上から
駆け
降りようと
[#「駆け降りようと」は底本では「騙け降りようと」]しましたが、その
瞬間、
忽ちゴーッと
耳もつぶれるような
鳴動と
共に、
今までとは
異って、
西から
東へと
向きをかえた一
陣の
烈風、あなやと
思う
間もなく、
猛火は
賊の
隠れた
反対の
草叢へ
移ってまいりました……。その
時たちまち、
右手に
高く、
御秘蔵の
御神剣を
打り
翳し、
漆の
黒髪を
風に
靡かせながら、
部下の
軍兵どもよりも十
歩も
先んじて、
草原の
内部から
打って
出でられた
命の
猛き
御姿、あの
時ばかりは、
女子の
身でありながら
覚えず
両手を
空にさしあげて、
声を
限りにわあッと
叫んで
了いました……。
後で
御伺いすると、あの
場合、
命が
御難儀を
脱れ
得たのは、
矢張りあの
御神剣のお
蔭だったそうで、
燃ゆる
火の
中で
命がその
御鞘を
払われると
同時に、
風向きが
急に
変ったのだと
申すことでございます。
右の
御神剣と
申すのは、あれは
前年わざわざ
伊勢へ
参られた
時に、
姨君から
授けられた
世にも
尊い
御神宝で、
命はいつもそれを
錦の
袋に
納めて、
御自身の
肌身につけて
居られました。
私などもただ一
度しか
拝まして
戴いたことはございませぬ……。』
これが
大体姫のお
物語りでございます。その
際命には、
火焔の
中に
立ちながらも、しきりに
姫の
身の
上を
案じわびられたそうで、その
忝ない
御情意はよほど
深く
姫の
胸にしみ
込んで
居るらしく、こちらの
世界に
引移って、
最う千
年にも
余るというのに、
今でも
当時を
想い
出せば、
自ずと
涙がこぼれると
言って
居られました。
かくまで
深いお
二人の
間でありながら、お
児様としては、
若建王と
呼ばれる
御方がただ
一人――それも
旅から
旅へといつも
御不在勝ちであった
為めに、
御自分の
御手で
御養育はできなかったと
申すことでございました。つまり
橘姫の
御一
生はすべてを
脊の
君に
捧げつくした、
世にも
若々しい
花の一
生なのでございました。
私が
伺った
橘姫のお
物語の
中には、まだいろいろお
伝えしたいことがございますが、とても一
度に
語りつくすことはできませぬ。
何れ
又良い
機会がありましたら
改めてお
漏しすることとして、ただあの
走水の
海で
御入水遊ばされたお
話だけは、
何うあっても
省く
訳にはまいりますまい。あれこそはひとりこの
御夫婦の
御一
代を
飾る、
尤も
美しい
事蹟であるばかりでなく、
又日本の
歴史の
中での
飛び
切りの
美談と
存じます。
私は
成るべく
姫のお
言葉そのままをお
取次ぎすることに
致します。
『わたくし
達が
海辺に
降り
立ったのはまだ
朝の
間のことでございました。
風は
少し
吹いて
居りましたが、
空には一
点の
雲もなく、五六
里もあろうかと
思わるる
広い
内海の
彼方には、
総の
国の
低い
山々が
絵のようにぽっかりと
浮んで
居りました。その
時の
私達の
人数はいつもよりも
小勢で、かれこれ四五十
名も
居ったでございましょうか。
仕立てた
船は二
艘、どちらも
堅牢な
新船でございました。
『一
同が
今日の
良き
船出を
寿ぎ
合ったのもほんの
束の
間、やや一
里ばかりも
陸を
離れたと
覚しき
頃から、
天候が
俄かに
不穏の
模様に
変って
了いました。
西北の
空からどっと
吹き
寄せる
疾風、
見る
見る
船はグルリと
向きをかえ、
人々は
滝なす
飛沫を一ぱいに
浴びました。それにあの
時の
空模様の
怪しさ、
赭黒い
雲の
峰が、
右からも
左からも、もくもくと
群がり
出でて
満天に
折り
重なり、
四辺はさながら
真夜中のような
暗さに
鎖されたと
思う
間もなく、
白刃を
植えたような
稲妻が
断間なく
雲間に
閃き、それにつれてどっと
降りしきる
大粒の
雨は、さながら
礫のように
人々の
面を
打ちました。わが
君をはじめ、一
同はしきりに
舟子達を
励まして、
暴れ
狂う
風浪と
闘いましたが、やがて
両三
人は
浪に
呑まれ、
残余は
力つきて
船底に
倒れ、
船はいつ
覆るか
判らなくなりました。すべてはものの
半刻と
経たぬ、ほんの
僅かの
間のことでございました。
『かかる
場合にのぞみて、
人間の
依むところはただ
神業ばかり……。
私は一
心不乱に、
神様にお
祈祷をかけました。
船のはげしき
[#「はげしき」は底本では「はげじき」]動揺につれて、
幾度となく
投げ
出さるる
私の
躯――それでも
私はその
都度起き
上りて、
手を
合せて、
熱心に
祈りつづけました。と、
忽ち
私の
耳にはっきりとした
一つの
囁き、『これは
海神の
怒り……
今日限り
命の
生命を
奪る……。』
覚えずはっとして
現実にかえれば、
耳に
入るはただすさまじき
[#「すさまじき」は底本では「すまじき」]浪の
音、
風の
叫び――が、
精神を
鎮めると
又もや
右の
怪しき
囁きがはっきりと
耳に
聞えてまいります……。
『二
度、三
度、五
度……
幾度くりかえしてもこれに
間違のないことが
判った
時に、
私はすべてを
命に
打ち
明けました。
命は
日頃の、あの
雄々しい
御気性とて「
何んの
愚かなこと!」とただ一
言に
打ち
消して
了われましたが、ただいかにしても
打ち
消し
得ないのは、いつまでも
私の
耳にきこゆるあの
不思議の
囁きでございました。
私はとうとう一
存で、
神様にお
縋りしました。「
命は
御国にとりてかけがえのない、
大切の
御身の
上……
何卒この
数ならぬ
女の
生命を
以て
命の
御生命にかえさせ
玉え……。」二
度、三
度この
祈りを
繰りかえして
居る
内に、
私の
胸には
年来の
命の
御情思がこみあげて、
私の
両眼からは
涙が
滝のように
溢れました。一
首の
歌が
自ずと
私の
口を
突いて
出たのもその
時でございます。
真嶺刺し、
相摸の
小野に、
燃ゆる
火の、
火中に
立ちて、
問いし
君はも……。
『
右の
歌を
歌い
終ると
共に、いつしか
私の
躯は
荒れ
狂う
波間に
跳って
居りました、その
時ちらと
拝したわが
君のはっと
愕かれた
御面影――それが
現世での
見納めでございました。』
× × × ×
橘姫の
御物語は
一と
先ずこれにて
打ち
切りといたしますが、ただ
私として、ちょっとここで
申添えて
置きたいと
思いますのは、
海神の
怒りの
件でございます。
大和武尊さまのような、あんな
御立派なお
方が、
何故なれば
海神の
怒りを
買われたか?――これは
恐らくどなたも
御不審の
点かと
存じまするが、
実は
私もこれにつきて、
指導役のお
爺さんにその
訳を
伺ったことがあるのでございます。その
時お
爺さんは
斯う
答えられました。――
『それは
斯ういう
次第じゃ。すべて
物には
表と
裏とがある。
命が
日本国にとりて
並びなき
大恩人であることはいうまでもなけれど、しかし
殺された
賊徒の
身になって
見れば、
命ほど、
世にも
憎いものはない。
命の
手にかかって
滅ぼされた
賊徒の
数は
何万とも
知れぬ。で、それ
等が一
団の
怨霊となって
隙を
窺い、たまたま
心よからぬ
海神の
援けを
獲て、あんな
稀有の
暴風雨をまき
起したのじゃ。あれは
人霊のみでできる
仕業でなく、
又海神のみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかったであろう。たまたま
斯うした
二つの
力が
合致したればこそ、あのような
災難が
急に
降って
湧いたのじゃ。
当時の
橘姫にはもとよりそうした
詳しい
事情の
判ろう
筈もない。
姫があれをただ
海神の
怒りとのみ
感じたのはいささか
間違って
居るが、それはそうとして、あの
場合の
姫の
心胸にはまことに
涙ぐましい
真剣さが
宿っていた。あれほどの
真心が
何ですぐ
神々の
御胸に
通ぜぬことがあろう。それが
通じたればこそ
大和武尊には
無事に、あの
災難を
切りぬけることが
出来たのじゃ。
橘姫は
矢張り
稀に
見るすぐれた
御方じゃ。』
私はこの
説明が
果してすべてを
尽しているか
否かは
存じませぬ。ただ
皆さまの
御参考までに、
私の
伺ったところを
附け
加えて
置くだけでございます。
あまり
面会談ばかりつづいたようでございますから、
今度は
少し
模様をかえて、その
頃修行の
為めに
私がこちらで
探検に
参りました、
珍らしい
境地のお
話をすることにいたしましょう。こちらの
世界には、
現世とは
全く
異った、それはそれは
変ったものが
住んで
居るところがあるのでございます。それがあまりにも
飛び
離れ
過ぎていますので、あなた
方は
事によると
半信半疑、よもやとお
考えになられるか
存じませぬが、これが
事実であって
見れば、
自分の
考で
勝手に
手加減を
加える
訳にもまいりませぬ。あなた
方がそれを
受け
入れるか、
入れないかは
全く
別として、
兎も
角も
私の
眼に
映じたままを
率直に
述べて
見ることに
致します。
『
今日は
天狗の
修行場に
連れて
行く……。』
ある
日例の
指導役のお
爺さんが
私にそう
言われます。
私には
天狗などというものを
別に
見たいという
考もないのでございましたが、それが
修行の
為めとあればお
断りするのもドーかと
思い、
浮かぬ
気分で、
黙ってお
爺さんの
後について、
山の
修行場を
出掛けました。
いつもとは
異なり、その
日は
修行場の
裏山から、
奥へ
奥へ
奥へとどこまでも
険阻な
山路を
分け
入りました。こちらの
世界では、どんな
山坂を
登り
降りしても
格別疲労は
感じませぬが、しかし
何やらシーンと
底冷えのする
空気に、
私は
覚えず
総毛立って、
躯がすくむように
感じました。
『お
爺さま、ここはよほどの
深山なのでございましょう……
私はぞくぞくしてまいりました……。』
『
寒く
感ずるのは
山が
深いからではない。ここはもうそろそろ
天狗界に
近いので、一
帯の
[#「一帯の」は底本では「一体の」]空気が
自ずと
異って
来たのじゃ。
大体天狗界は
女人禁制の
場所であるから
汝にはあまり
気持が
宜しくあるまい……。』
『よもや
天狗さんが
怒って
私を
浚って
行くようなことはございますまい……。』
『その
心配は
要らぬ。
今日は
神界からのお
指図を
受けて
尋ねるのであるから、
立派なお
客様扱いを
受けるであろう。二
度と
斯うした
所に
来ることもあるまいから、よくよく
気をつけて
天狗界の
状況をさぐり、
又不審の
点があったら
遠慮なく
天狗の
頭目に
訊ねて
置くがよいであろう……。』
やがて
古い
古い
杉木立がぎっしりと
全山を
蔽いつくして、
昼尚お
暗い、とてもものすごい
所へさしかかりました。
私はますます
全身に
寒気を
感じ、
心の
中では
逃げて
帰りたい
位に
思いましたが、それでもお
爺さんが一
向平気でズンズン
足を
運びますので、
漸との
思いでついて
参りますと、いつしか一
軒の
家屋の
前へ
出ました。それは
丸太を
切り
組んで
出来た、やっと
雨露を
凌ぐだけの、
極めてざっとした
破屋で、
広さは
畳ならば二十
畳は
敷ける
位でございましょう。が、もちろん
畳は
敷いてなく、ただ
荒削りの
厚板張りになって
居りました。
『ここが
天狗の
道場じゃ。
人間の
世界の
剣術道場によく
似て
居るであろうが……。』
そんなことを
言ってお
爺さんは
私を
促して
右の
道場へ
歩み
入りました。
と
見ると、
室内には
白衣を
着た五十
余歳と
思わるる
一人の
修験者らしい
人物が
居て、
鄭重に
腰をかがめて
私達を
迎えました。
『
良うこそ……。かねてのお
達しで、あなた
方のお
出でをお
待ち
受けして
居りました。』
私は
直ちにこれが
天狗さんの
頭目であるな、と
悟りましたが、かねて
想像して
居たのとは
異って、
格別鼻が
高い
訳でもなく、ただ
体格が
普通人より
少し
大きく、
又眼の
色が
人を
射るように
強い
位の
相違で、そしてその
総髪