家なき子

SANS FAMILLE

(上)

マロ Malot

楠山正雄訳




     生い立ち

 わたしはだった。
 でも八つの年まではほかの子どもと同じように、母親があると思っていた。それは、わたしがけばきっと一人の女が来て、やさしくだきしめてくれたからだ。
 その女がねかしつけに来てくれるまで、わたしはけっしてねどこにははいらなかった。冬のあらしがだんごのような雪をふきつけてまどガラスを白くするじぶんになると、この女の人は両手の間にわたしの足をおさえて、歌を歌いながらあたためてくれた。その歌のふし文句もんくも、いまにわすれずにいる。
 わたしが外へ出て雌牛めうしの世話をしているうち、急に夕立がやって来ると、この女はわたしをさがしに来て、あさの前かけで頭からすっぽりくるんでくれた。
 ときどきわたしはあそ仲間なかまとけんかをする。そういうとき、この女の人はじゅうぶんわたしの言い分を聞いてくれて、たいていの場合、やさしいことばでなぐさめてくれるか、わたしのかたをもってくれた。
 それやこれやで、わたしに物を言う調子、わたしを見る目つき、あまやかしてくれて、しかるにしてもやさしくしかる様子から見て、この女の人はほんとうの母親にちがいないと思っていた。
 ところでそれがひょんな事情じじょうから、この女の人が、じつはやしなおやでしかなかったということがわかったのだ。
 わたしの村、もっと正しく言えばわたしの育てられた村は――というのが、わたしには父親や母親という者がないと同様に、自分の生まれた村というものがなかったのだから――で、とにかくわたしが子どもの時代をごした村は、シャヴァノンという村で、それはフランスの中部地方でもいちばんびんぼうな村の一つであった。
 なにしろ土地がいたってやせていて、どうにもしようのない場所であった。どこを歩いてみても、すきくわのはいった田畑というものは少なくて、見わたすかぎりヒースやえにしだのほか、ろくにしげるもののない草原で、そのあれ地を行きつくすと、がさがさした砂地すなじの高原で、風にふきたわめられたやせ木立ちが、所どころひょろひょろと、いじけてよじくれたえだをのばしているありさまだった。
 そんなわけで、木らしい木を見ようとすると、おか見捨みすてて谷間へと下りて行かねばならぬ。その谷川にのぞんだ川べりにはちょっとした牧草ぼくそうもあり、空をつくようなかしの木や、ごつごつしたくりの木がしげっていた。
 その谷川の早いすえがロアール川の支流しりゅうの一つへ流れこんで行く、その岸の小さな家で、わたしは子どもの時代を送った。
 八つの年まで、わたしはこの家で男の姿すがたというものを見なかった。そのくせ、『おっかあ』とんでいた人はやもめではなかった。おっとというのは石工いしくであったが、このへんのたいていの労働者ろうどうしゃと同様パリへ仕事に行っていて、わたしが物心ものごころついてこのかた、つい一度も帰って来たことはなかった。ただおりふしこの村へ帰って来る仲間なかまの者に、便たよりをことづけては来た。
「バルブレンのおっかあ、こっちのもたっしゃだよ。相変あいかわらずかせいでいる、よろしく言ってくれと言って、このお金をあずけてよこした。数えてみてください」
 これだけのことであった。おっかあも、それだけの便たよりで満足まんぞくしていた。ご亭主ていしゅがたっしゃでいる、仕事もある、お金がもうかる――と、それだけ聞いて、満足まんぞくしていた。
 このご亭主ていしゅのバルブレンがいつまでもパリへ行っているというので、おかみさんとなかが悪いのだと思ってはならない。こうやって留守るすにしているのは、なにも気まずいことがあるためではない。パリに滞在たいざいしているのは仕事に引きめられているためで、やがて年を取ればまた村へ帰って来て、たんまりかせいで来たお金で、おかみさんと気楽にくらすつもりであった。
 十一月のある日のこと、もう日のくれに、見知らない一人の男がかきねの前に立ち止まった。そのときわたしは、門口かどぐちでそだをっていた。中にはいろうともしないで、かきねの上からぬっと頭を出してのぞきながら、その男はわたしに、「バルブレンのおっかあのうちはここかね」とたずねた。
 わたしは、「おはいんなさい」と言った。
 男はかどの戸をきいきい言わせながらはいって来て、のっそり、うちの前につっ立った。
 こんなよごれくさった男を見たことがなかった。なにしろ、頭のてっぺんから足のつま先まで板をったようにどろをかぶっていた。それも半分まだかわききらずにいた。よほど長いあいだ、悪い道をやって来たにちがいない。
 話し声を聞いて、バルブレンのおっかあはかけだして来た。そして、この男がしきいに足をかけようとするところへ、ひょっこり顔を出した。
「パリからことづかって来たが」と男は言った。
 それはごくなんでもないことばだったし、もうこれまでも何べんとなく、それこそ耳にたこのできるほど聞きれたものだったが、どうもそれが『ご亭主ていしゅはたっしゃでいるよ。相変あいかわらずかせいでいるよ』という、いつものことばとは、なんだかちがっていた。
「おやおや。ジェロームがどうかしましたね」
 と、おっかあは両手をもみながら声を立てた。
「ああ、ああ、どうもとんだことでね。ご亭主ていしゅはけがをしてね。だが気を落としなさんなよ。けがはけがだが命には別状べつじょうがない。だが、かたわぐらいにはなるかもしれない。いまのところ病院にはいっている。わたしはちょうど病室でとなり合わせて、今度国へ帰るについて、ついでにこれだけの事をことづけてくれとたのまれたのさ。ところで、ゆっくりしてはいられない。まだこれから三里(約十二キロ)も歩かなくてはならないし、もうおそくもなっているからね」
 でもおっかあは、もっとくわしい話が開きたいので、ぜひ夕飯ゆうはんを食べて行くようにと言ってたのんだ。道は悪いし、森の中にはおおかみが出るといううわさもある。あしたの朝立つことにしたほうがいい。
 男は承知しょうちしてくれた。そこでのすみにすわりこんで、はらいっぱい食べながら、事件じけんのくわしい話をした。バルブレンはくずれた足場の下にしかれて大けがをした。そのくせ、そこはだれも行く用事のない場所であったという証言しょうげんがあったので、建物たてもの請負人うけおいにんは一文の賠償金ばいしょうきんもしはらわないというのである。
「ご亭主ていしゅのどくな。運が悪かったのよ」
 と、男は言った。
「まったく、運が悪かったのよ。世間にはわざとこんなことをたねに、しこたませしめるずるい連中れんちゅうもあるのだが、おまえさんのご亭主ていしゅときては、一文にもならないのだからな」
「まったく運が悪い」と男はこのことばをくり返しながら、どろでつっぱり返っているズボンをかわかしていた。その口ぶりでは、手足の一本ぐらいたたきつぶされても、お金になればいいというらしかった。
「なんでもこれは、請負人うけおいにん相手あいてどって裁判所さいばんしょへ持ち出さなければうそだと、おれはすすめておいたよ」
 男は話のしまいに、こう言った。
「まあ。でも裁判さいばんなんということは、ずいぶんお金のることでしょう」
「そうだよ。だが勝てばいいさ」
 バルブレンのおっかあは、パリまで出かけて行こうかと思った。でも、それはずいぶんたいへんなことだった。道は遠いし、お金がかかる。
 そのあくる朝、わたしは村へ行ってぼうさんに相談そうだんした。ぼうさんは、まあ向こうへ行って役に立つかどうか、それがよくわかったうえにしないと、つまらないと言った。それでぼうさんが代筆だいひつをして、バルブレンのはいっている慈恵じけい病院の司祭しさいにあてて、手紙を出すことにした。その返事は二、三日して着いたが、バルブレンのおっかあは来るにはおよばない、だが、ご亭主ていしゅ災難さいなんを受けた相手あいてにかけ合うについて、入費にゅうひのお金を送ってもらいたいというのであった。
 それからいく日もいく週間もたった。ときおり手紙が届いて、そのたんびにもっと金を送れ金を送れと言って来る。いちばんおしまいには、これまでの手紙よりまたひどくなって、もう金がないなら、雌牛めうしのルセットを売っても、ぜひ金をこしらえろと言って来た。
 いなかで百姓ひゃくしょう仲間なかまにはいってくらした者でなければ、『雌牛を売れ』というこのことばに、どんなにつらい、悲しい思いがこもっているかわからない。百姓にとって、雌牛のありがたさは、一とおりのものではなかった。いかほどびんぼうでも、家内かないが多くても、ともかくも雌牛めうしってあるあいだは、えて死ぬことはないはずだ。
 それにうちの雌牛は、なによりなかよしのお友だちであった。わたしたちが話をしたり、その背中せなかをさすってキッスをしてやったりすると、それはよく聞き分けて、やさしい目でじっと見た。つまりわたしたちはおたがいにあいし合っていたと言えば、それでじゅうぶんだ。
 けれどもいまはその雌牛めうしとも、わたしたちはわかれなければならなかった。『雌牛を売る』それでなければ、もうご亭主ていしゅ満足まんぞくさせることはできなかった。
 そこでばくろう(馬売買の商人)がやって来て、細かく雌牛のルセットをいじくり回した。いじくり回しながらしじゅう首をふって、これはまるで役に立たない。ちちも出ないしバターも取れないと、さんざんなんくせをつけておいて、つまり引き取るには引き取るが、それもおっかあが正直な、いい人で気のどくだから、引き取ってやるのだというのであった。
 かわいそうに、ルセットも、自分がどうされるかさとったもののように、牛小屋から出るのをいやがって鳴き始めた。
「後ろへ回って、たたき出せ」とばくろうはわたしに言って、首の回りにかけていたむちをわたした。
「いいえ、そんなことをしてはいけない」とおっかあはさけんだ。
 それでルセットのはづな(馬の口につけて引くつな)をつかまえながら、やさしく言った。
「さあ、おまえ出ておくれ。ねえ、いいかい」
 ルセットはそれをこばむことができなかった。それで往来おうらいへ出ると、ばくろうはルセットを車の後ろにしばりつけた。馬がとことこかけだすと、ルセットはいやでもあとからついて行かなければならなかった。
 わたしたちはうちの中にはいったが、しばらくのあいだまだルセットの鳴き声が聞こえていた。
 もうちちもなければバターもない。朝は一きれのパン、ばんしおをつけたじゃがいものごちそうであった。
 雌牛めうしを売ってから四、五日すると、謝肉祭しゃにくさいが来た。一年まえのこの日には、バルブレンのおっかあが、わたしにどらきとげりんごのごちそうをこしらえてくれた。それでたくさんわたしが食べると、おっかあはごきげんで、にこにこしてくれた。
 けれどそのときはものころもがパンをとかすちちや、揚げ物の油のバターをくれるルセットがいた。
 もうルセットもいない、ちちもない、バターもない、これでは、謝肉祭しゃにくさいもなにもないと、わたしはつまらなそうにひとごとを言った。
 ところがおっかあはわたしをびっくりさせた。おっかあはいつも人から物をりることをしない人ではあったが、おとなりへ行ってちちを一ぱいもらい、もう一けんからバターを一かたまりもらって来て、わたしがお昼ごろうちへ帰って来ると、おっかあは大きななべにパンをあけていた。
「おや、パン粉」とわたしはそばへって言った。
「ああ、そうだよ」と、おっかあはにっこりしながら答えた。「上等なパン粉だよ、ごらん、ルミ、いいかおりだろう」
 わたしはこのパンをなんにするのか知りたいと思ったが、それをおしてたずねる勇気ゆうきがなかった。それにきょうが謝肉祭しゃにくさいだということを思い出させて、おっかあをふゆかいにさせたくなかった。
「パンでなにをこさえるのだったけね」とおっかあはわたしの顔を見ながら聞いた。
「パンさ」
「それからほかには」
「パンがゆ」
「それからまだあるだろう」
「だって……ぼく知らないや」
「なあに、おまえは知っていても、かしこい子だからそれを言おうとしないのだよ。きょうが謝肉祭しゃにくさいで、どらきをこしらえる日だということを知っていても、バターとおちちがないと思って、言いださずにいるのだよ。ねえ、そうだろう」
「だって、おっかあ」
「まあとにかく、きょうのせっかくの謝肉祭しゃにくさいを、そんなにつまらなくないようにしたつもりだよ。このはこの中をごらん
 わたしはさっそくふたをあけると、ちちとバターとたまどと、おまけにりんごが三つ、中にはいっていた。
 わたしがりんごをそぐ(小さく切る)と、おっかあはたまごこなぜてころもをしらえ、ちちを少しずつ混ぜていた。
 衣がすっかりれると、なべのまま、熱灰あつばいの上にのせた。それでどらきが焼け、げりんごが揚がるまでには、晩食ばんしょくのときまで待たなければならなかった。正直に言うと、わたしはそれからの一日が、それはそれは待ち遠しくって、何度も、何度も、おさらにかけたぬのを取ってみた。
「おまえ、ころもにかぜをひかしてしまうよ。そうするとうまくふくれないからね」とかの女はさけんだ。けれど、言うそばからそれはずんずんふくれて、小さなあわが上に立ち始めた。たまごちちがぷんとうまそうなにおいを立てた。
「そだを少し持っておいで」とおっかあが言った。「いい火をこしらえよう」
 とうとう明かりがついた。
「まきをの中へお入れ」
 かの女がこのことばを二度とくり返すまでもなく、わたしはさっきからこのことばの出るのをいまかいまかと待ちかまえていたのであった。さっそく赤いほのおがどんどんの中にえ上がり、この光が台所じゅうを明るくした。
 そのときおっかあは、げなべをくぎからはずして火の上にのせた。
「バターをお出し」
 ナイフの先でかの女はバターをくるみくらいの大きさに一きれ切ってなべの中へ入れると、じりじりとけ出してあわを立てた。
 もうしばらくこのにおいもかがなかった。まあ、そのバターのいいにおいといったら。
 わたしがそのじりじりこげるあまい音楽にむちゅうで聞きほれていたとき、裏庭うらにわでこつこつ人の歩く足音がした。
 せっかくのときにだれがじゃまに来たのだろう。きっとおとなりからまきをもらいに来たのだ。
 わたしはそんなことに気を取られるどころではなかった。ちょうどそのときバルブレンのおっかあが、大きな木のさじをはちに入れて、ころもを一さじ、おなべの中にあけていたのだもの。
 するとだれかつえでことことドアをたたいた。ばたんと戸が開け放された。
「どなただね」とおっかあはふり向きもしないでたずねた。
 一人の男がぬっとはいって来た。明るい火の光で、わたしはその男が大きなつえをかたわきについているのを見つけた。
「やれやれ、祭りのごちそうか。まあ、やるがいい」とその男はがさつな声で言った。
「おやおやまあ」とバルブレンのおっかあが、あわててさげなべを下にいてさけんだ。
「まあジェローム、おまえさんだったの」
 そのときおっかあはわたしのうでをって、戸口に立ちはだかったままでいた男の前へれて行った。
「おまえのとっつぁんだよ」


     養父ようふ

 おっかあはご亭主ていしゅにだきついた。わたしもそのあとから同じことをしようとすると、かれはつえをつき出してわたしを止めた。
「なんだ、こいつは……おめえいまなんとか言ったっけな」
「ええ、そう、でも……ほんとうはそうではないけれど……そのわけは……」
「ふん、ほんとうなものか。ほんとうなものか」
 かれはつえをふり上げたままわたしのほうへ向かって来た。思わずわたしは後じさりをした。
 なにをわたしがしたろう。なんのつみがあるというのだ。わたしはただだきつこうとしたのだ。
 わたしはおずおずかれの顔を見上げたが、かれはおっかあのほうをふり向いて話をしていた。
「じゃあ感心に謝肉祭しゃにくさいのおいわいをするのだな、まあけっこうよ。おれははらっているのだ。晩飯ばんめしはなんのごちそうだ」とかれは言った。
「どらきとりんごのものをこしらえているところですよ」
「そうらしいて。だが何里も遠道とおみちをかけて来た者に、まさかどらきでごめんをこうむるつもりではあるまい」
「ほかになんにもないんですよ。なにしろおまえさんが帰るとは思わなかったからね」
「なんだ、なんにもない。夕飯ゆうはんにはなにもないのか」とかれは台所を見回した。
「バターがあるぞ」
 かれは天井てんじょうをあお向いて見た。いつもしおぶたがかかっていたかぎが目にはいったが、そこにはもう長らくなんにもかかってはいなかった。ただねぎとにんにくが二、三本なわでしばってつるしてあるだけであった。
「ねぎがある」とかれは言って、大きなつえでなわをたたき落とした。「ねぎが四、五本にバターが少しあれば、けっこうなスープができるだろう。どらきなぞは下ろして、ねぎをなべでいためろ」
 どら焼きをなべから出してしまえというのだ。
 でも一言も言わずにバルブレンのおっかあはご亭主ていしゅの言うとおりに、急いで仕事に取りかかった。ご亭主はのすみのいすにこしをかけていた。
 わたしはかれがつえの先で追い立てた場所から、そのまま動きなかった。食卓しょくたく背中なかを向けたまま、わたしはかれの顔を見た。
 かれは五十ばかりの意地悪らしい顔つきをした、ごつごつした様子の男であった。その頭はけがをしたため、少し右のかたのほうへ曲がっていた。かたわになったので、よけいこの男の人相にんそうを悪くした。
 バルブレンのおっかあはまたおなべを火の上にのせた。
「おめえ、それっぱかりのバターでスープをこしらえるつもりか」とかれは言いながら、バターのはいったさらをつかんで、それをみんななべの中へあけてしまった。もうバターはなくなった……それで、もうどらきもなくなったのだ。
 これがほかの場合だったら、こんな災難さいなんに会えば、どんなにくやしかったかしれない。だが、わたしはもうどらきもりんごのものも思わなかった。わたしの心の中にいっぱいになっている考えは、こんなに意地の悪い男が、いったいどうしてわたしの父親だろうかということであった。
「ぼくのとっつぁん」――うっとりとわたしはこのことばを心の中でくり返した。
 いったい父親というものはどんなものだろう、それをはっきりと考えたことはなかった。ただぼんやり、それはつまり、母親の声の大きいのくらいに考えていた。ところが、いま天からって来たこの男を見ると、わたしはひじょうにいやだったし、こわらしかった(おそろしかった)。
 わたしがかれにだきつこうとすると、かれはつえでわたしをつきのけた。なぜだ。これがおっかあなら、だきつこうとする者をつきのけるようなことはしなかった。どうして、おっかあはいつだってわたしをしっかりとだきしめてくれた。
「これ、でくのぼうのようにそんな所につっ立っていないで、来て、さらでもならべろ」とかれは言った。
 わたしはあわててそのとおりにしようとして、あぶなくたおれそこなった。スープはでき上がった。バルブレンのおっかあはそれをさらに入れた。
 するとかれはばたから立ち上がって、食卓しょくたくの前にこしをかけて食べ始めた。合い間合い間には、じろじろわたしの顔を見るのであった。わたしはそれが気味が悪くって、食事がのどに通らなかった。わたしも横目でかれを見たが、向こうの目と出会うと、あわてて目をそらしてしまった。
「こいつはいつもこのくらいしか食わないのか」とかれはふいにこうたずねた。
「きっとおなかがいいんですよ」
「しょうがねえやつだなあ。こればかりしかはいらないようじゃあ」
 バルブレンのおっかあは話をしたがらない様子であった。あちらこちらとはたらき回って、ご亭主ていしゅのお給仕きゅうじばかりしていた。
「てめえ、はららねえのか」
「ええ」
「うん、じゃあすぐとこへはいってねろ。ねたらすぐねつけよ。早くしないとひどいぞ」
 おっかあはわたしに、なにも言わずに言うとおりにしろと目で知らせた。しかしこの警告けいこくを待つまでもなかった。わたしはひと言も口答えをしようとは思わなかった。
 たいていのびんぼう人の家がそうであるように、わたしたちの家の台所も、やはり寝部屋ねべやをかねていた。のそばには食事の道具がのこらずあった。食卓しょくたくもパンのはこもなべも食器しょっきだなもあった。そうして、部屋へやの向こうのかどが寝部屋であった。一方の角にバルブレンのおっかあの大きな寝台ねだいがあった。その向こうの角のくぼんだおし入れのような所にわたしの寝台があって、赤い模様もようのカーテンがかかっていた。
 わたしは急いでねまきに着かえて、ねどこにもぐりこんだ。けれど、とても目がくっつくものではなかった。わたしはひどくおどかされて、ひじょうにふゆかいであった。
 どうしてこの男がわたしのとっつぁんだろう。ほんとうにそうだったら、なぜ人をこんなにひどくあつかうのだろう。
 わたしは鼻をかべにつけたまま、こんなことを考えるのはきれいにやめて、言いつかったとおり、すぐねむろうとほねったがだめだった。まるで目がさえてねつかれない。こんなに目のさえたことはなかった。
 どのくらいたったかわからないが、しばらくしてだれかがわたしの寝台ねだいのそばにって来た。そろそろと引きずるような重苦しい足音で、それがおっかあでないということはすぐにわかった。
 わたしはほおの上に温かい息を感じた。
「てめえ、もうねむったのか」とするどい声が言った。
 わたしは返事をしないようにした。「ひどいぞ」と言ったおそろしいことばが、まだ耳の中でがんがん聞こえていた。
「ねむっているんですよ」とおっかあが言った。「あの子はとこにはいるとすぐに目がくっつくのだから、だいじょうぶなにを言っても聞こえやしませんよ」
 わたしはむろん、「いいえ、ねむっていません」と言わねばならないはずであったが、言えなかった。わたしはねむれと言いつけられた。それをまだねむらずにいた。わたしが悪かった。
「それでおまえさん、裁判さいばんのほうはどうなったの」とおっかあが言った。
「だめよ。裁判所ではおれが足場の下にいたのが悪いと言うのだ」そう言ってかれはこぶしで食卓しょくたくをごつんと打って、なんだかわけのわからないことを言って、しきりにののしっていた。
裁判さいばんには負けるし、金はなくなるし、かたわにはなるし、びんぼうがじろじろつらをねめつけて(にらみつけて)いる。それだけでもまだ足りねえつもりか、うちへ帰って来ればがきがいる。なぜおれが言ったとおりにしなかったのだ」
「でもできなかったもの」
孤児院こじいんれて行くことができなかったのか」
「だってあんな小さな子をてることはできないよ。自分のちちで育ててかわいくなっているのだもの」
「あいつはてめえの子じゃあねえのだ」
「そうさ。わたしもおまえさんの言うとおりにしようと思ったのだけれど、ちょうどそのとき、あの子が加減かげんが悪くなったので」
「加減が悪く」
「ああ、だからどうにもあすこへれては行けなかったのだよ。死んだかもしれないからねえ」
「だがよくなってから、どうした」
「ええ、すぐにはよくならなかったしね、やっといいと思うと、また病気になったりしたものだから。かわいそうにそれはひどくせきをして、聞いていられないようだった。うちのニコラぼうもそんなふうにして死んだのだからねえ。わたしがこの子を孤児院こじいんに送ればやっぱり死んだかもしれないよ」
「だが……あとでは」
「ああ、だんだんそのうちに時がたって、び延びになってしまったのだよ」
「いったいいくつになったのだ」
「八つさ」
「うん、そうか。じやあ、これからでもいいや。どうせもっと早く行くはずだったのだ。だが、いまじゃあ行くのもいやがるだろう」
「まあ、ジェローム、おまえさん、いけない……そんなことはしないでおくれ」
「いけない、なにがいけないのだ。いつまでもああしてうちにけると思うか」
 しばらく二人ともだまり返った。わたしは息もできなかった。のどの中にかたまりができたようであった。
 しばらくして.バルブレンのおっかあが言った。
「まあ、パリへ出て、おまえさんもずいぶん人がわったねえ。おまえさん、行くまえにはそんなことは言わない人だったがねえ」
「そうだったかもしれない。だが、パリへ行っておれの人が変わったかしれないが、そこはおれを半殺はんごろしにもした。おれはもうはたらくことはできない。もう金はない。牛は売ってしまった。おれたちの口をぬらすことさえおぼつかないのに、おたがいの子でもないがきをやしなうことができるか」
「あの子はわたしの子だよ」
「あいつはおれの子でもないが、きさまの子でもないぞ。それにぜんたい百姓ひゃくしょうの子どもじゃあない。びんぼう人の子どもじゃあない。きゃしゃすぎて物もろくに食えないし、手足もあれじゃあはたらけない」
「あの子は村でいちばん器量きりょうよしの子どもだよ」
「器量がよくないとは言いやしない。だがじょうぶな子ではないと言うのだ。あんなひょろひょろしたかたをしたこぞうが労働者ろうどうしゃになれると思うか。ありゃあ町の子どもだ。町の子どもをせきはないのだ」
「いいえ、あの子はいい子ですよ。りこうで、物がわかって、それでやさしいのだから、あの子はわたしたちのためにはたらいてくれますよ」
「だが、さし当たりは、おれたちがあいつのために働いてやらなければならない。それはまっぴらだ」
「もしかあの子のふた親が引き取りに来たらどうします」
「あいつのふた親だと。いったいあいつにはふた親があったのか。あればいままでにたずねて来そうなものだ。あいつのふた親が訪ねて来て、これまでの養育料よういくりょうをはらって行くなどと考えたのが、ずいぶんばかげきっていた。気ちがいじみていた。あの子がレースのへりつきのやわらかい産着うぶきを着ていたからといって、ふた親があいつを訪ねに来ると思うことができるか。それに、もう死んでいるのだ。きっと」
「いいや、そんなことはない。いつかたずねて来るかもしれない……」
「女というやつはなかなか強情ごうじょうなものだなあ」
「でも訪ねて来たら」
「ふん、そうなりゃ孤児院こじいんし向けてやる。だがもう話はたくさんだ。おれはあしたは村長さんの所へあいつをれて行って相談そうだんする。今夜はこれからフランスアの所へ行って来る。一時間ばかりしたら帰って来るからな」
 そのあいだにわたしはさっそく寝台ねだいの上で起き上がって、おっかあをんだ。
「ねえ、おっかあ」
 かの女はわたしの寝台のほうへかけてやって来た。
「ぼくを孤児院こじいんへやるの」
「いいえ、ルミぼう、そんなことはないよ」
 かの女はわたしにキッスをして、しっかりとうでにだきしめた。そうするとわたしもうれしくなって、ほおの上のなみだがかわいた。
「じゃあおまえ、ねむってはいなかったのだね」とかの女はやさしくたずねた。
「ぼく、わざとしたんじゃないから」
「わたしは、おまえをしかっているのではない。じゃあ、あの人の言ったことを聞いたろうねえ」
「ええ、あなたはぼくのおっかあではないんだって……そしてあの人もぼくのとっつぁんではないんだって」
 このあとのことばを、わたしは同じ調子では言わなかった。なぜというと、この婦人ふじんがわたしの母親でないことを知ったのはなさけなかったが、同時にあの男が父親でないことがわかったのは、なんだか得意とくいでうれしかった。このわたしの心の中の矛盾むじゅんはおのずと声にあらわれたが、おっかあはそれに気がつかないらしかった。
「まあわたしはおまえにほんとうのことを言わなければならないはずであったけれど、おまえがあまりわたしの子どもになりすぎたものだから、ついほんとうの母親でないとは言いだしにくかったのだよ。おまえ、ジェロームの言ったことをお聞きだったろう。あの人がおまえをある日パリのブルチュイー町の並木通なみきどおりで拾って来たのだよ。二月の朝早くのことで、あの人が仕事に出かけようとするとちゅうで、赤んぼうのごえを聞いて、おまえをある庭の門口かどぐちで拾って来たのだ。あの人はだれか人をぼうと思って見回しながら、声をかけると、一人の男が木のかげから出て来て、あわててにげ出したそうだよ。おまえ[#「おまえ」は底本では「おえ」]てた男が、だれか拾うか見届みとどけていたとみえる。おまえがそのとき、だれか拾ってくれる人が来たと感じたものか、あんまりひどくくものだから、ジェロームもそのまま捨てても帰れなかった。それでどうしようかとあの人もこまっていると、ほかの職人しょくにんたちもって来て、みんなはおまえを警察けいさつとどけることに相談そうだんを決めた。おまえはいつまでも泣きやまなかった。かわいそうに寒かったにちがいない。けれど、それから警察へれて行って、あたたかくしてあげてもまだいていた。それで今度はおなかがっているのだろうというので、近所のおかみさんをたのんでちちを飲ました。まあ、まったくおなかが減っていたのだよ。
 やっとおなかがいっぱいになると、みんなはの前へ連れて行って、着物をぬがしてみると、なにしろきれいなうすもも色をした子どもで、りっぱな産着うぶぎにくるまっていた。警部けいぶさんは、こりゃありっぱなうちの子をぬすんでてたものだと言って、その着物の細かいこと、子どもの様子などをいちいち書きめて、いつどういうふうにして拾い上げたかということまで書き入れた。それでだれか世話をする者がなければ、さしずめ孤児院こじいんへやらなければなるまいが、こんなりっぱなしっかりした子どもだ、これを育てるのはむずかしくはない。両親もそのうちきっとさがしに来るだろう。探し当てればじゅうぶんのお礼もするだろうから、と署長しょちょうさんがお言いなすった。このことばにひかれて、ジェロームはわたしが引き取りましょうと言ったのだよ。ちょうどそのじぶん、わたしは同い年の赤んぼうを持っていたから、二人の子どもを楽に育てることができた。ねえ、そういうわけで、わたしがおまえのおっかあになったのだよ」
「まあ、おっかあ」
「ああ、ああ、それで三月みつき目のすえにわたしは自分の子どもをくした。そこでわたしはいよいよおまえがかわいくなって、もう他人の子だなんという気がしなくなりました。でもジェロームは相変あいかわらずそれをわすれないでいて、三年目の末になっても、両親が引き取りに来ないというので、もうおまえを孤児院こじいんへやると言って聞かないのでこまったよ。だからなぜわたしがあの人の言うとおりにしなかった、と言われていたのをお聞きだったろう」
「まあ、ぼくを孤児院こじいんへなんかやらないでください」とわたしはさけんで、かの女にかじりついた。
「どうぞどうぞおっかあ、後生ごしょうだから孤児院へやらないでください」
「いいえ、おまえ、どうしてやるものか、わたしがよくするからね。ジェロームはそんなにいけない人ではないのだよ。あの人はあんまり苦労くろうをたくさんして、気むずかしくなっているだけなのだからね。まあ、わたしたちはせっせとはたらきましょう。おまえも働くのだよ」
「ええ、ええ、ぼくはしろということはなんでもきっとしますから、孤児院こいじんへだけはやらないでください」
「おお、おお、それはやりはしないから、その代わりすぐねむると言ってやくそくをおし。あの人が帰って来て、おまえの起きているところを見るといけないからね」
 おっかあはわたしにキッスして、かべのほうへわたしの顔を向けた。
 わたしはねむろうと思ったけれども、あんまりひどく感動させられたので、しずかにねむりの国にはいることができなかった。
 じゃあ、あれほどやさしいバルブレンのおっかあは、わたしのほんとうの母さんではなかったのか。するといったいほんとうの母さんはだれだろう。いまの母さんよりもっと優しい人かしら。どうしてそんなはずがありそうもない。
 だがほんとうの父さんなら、あのバルブレンのように、こわい目でにらみつけたり、わたしにつえをふり上げたりしやしないだろうと思った……。
 あの男はわたしを孤児院こじいんへやろうとしている。母さんにはほんとうにそれを引き止める力があるだろうか。
 この村に二人、孤児院から来た子どもがあった。この子たちは、『孤児院の子』とばれていた。首の回りに番号のはいったなまりふだをぶら下げていた。ひどいみなりをして、よごれくさっていた。ほかの子たちがみんなでからかって、石をぶつけたり、まよいぬを追って遊ぶように追い回したりした。迷い犬にだれも加勢かせいする者がないのだ。
 ああ、わたしはそういう子どものようになりたくない。首の回りに番号札を下げられたくない。わたしの歩いて行くあとから、『やいやい孤児院こじいんのがき、やいやい』と言ってののしられたくない。
 それを考えただけでも、ぞっと寒気さむけがして、歯ががたがた鳴りだす。わたしはねむることができなかった。やがてバルブレンも、また帰って来るだろう。
 でも幸せと、ずっとおそくまでかれは帰って来なかった。そのうちにわたしもとろろとねむがさして来た。


     ヴィタリス親方の一座いちざ

 そのばん一晩、きっと孤児院こじいんれて行かれたゆめばかりを見ていたにちがいない。朝早く目を開いても、自分がいつもの寝台ねだいにねているような気がしなかった。わたしは目がめるとさっそく寝台にさわったり、そこらを見回したり、いろいろためしてみた。ああ、そうだ、わたしはやはりバルブレンのおっかあのうちにいた。
 バルブレンはその朝じゅう、なにもわたしに言わなかった。わたしはかれがもう孤児院こじいんへやる考えをてたのだと思うようになった。きっとバルブレンのおっかあが、あくまでわたしをうちにくことに決めたのであろう。
 けれどもお昼ごろになると、バルブレンがわたしに、ぼうしをかぶってついて来いと言った。
 わたしは目つきで母さんにすくいをもとめてみた。かの女もご亭主ていしゅに気がつかないようにして、いっしょに行けと目くばせした。わたしはしたがった。かの女は行きがけにわたしのかたをたたいて、なにも心配することはないからと知らせた。
 なにも言わずにわたしはかれについて行った。
 うちから村まではちょっと一時間の道であった。そのとちゅう、バルブレンはひと言もわたしに口をきかなかった。かれはびっこ引き引き歩いて行った。おりふしふり返って、わたしがついて来るかどうか見ようとした。
 どこへいったいわたしをれて行くつもりであろう。
 わたしは心の中でたびたびこの疑問ぎもんをくり返してみた。バルブレンのおっかあがいくらだいじょうぶだと目くばせして見せてくれても、わたしにはなにか一大事が起こりそうな気がしてならないので、どうしてにげ出そうかと考えた。
 わたしはわざとのろのろ歩いて、バルブレンにつかまらないようにはなれていて、いざとなればほりの中にでもとびこもうと思った。
 はじめはかれも、あとからわたしがとことこついて来るのて、安心していたらしかった。けれどもまもなく、かれはわたしの心の中を見破みやぶったらしく、いきなりわたしのうで首をとらえた。
 わたしはいやでもいっしょにくっついて歩かなければならなかった。
 そんなふうにして、わたしたちは村にはいった。すれちがう人がみんなふり返って目をまるくした。それはまるで、山犬がつなで引かれて行くていさいであった。
 わたしたちが村の居酒屋いざかやの前を通ると、入口に立っていた男がバルブレンに声をかけて、中にはいれと言った。バルブレンはわたしの耳をって、先にわたしを中へつっこんでおいて、自分もあとからはいって、ドアをぴしゃりと立てた。
 わたしはほっとした。
 そこは危険きけんな場所とは思われなかった。それにせんからわたしは、この中がいったいどんな様子になっているのだろうと思っていた。
 旅館りょかん御料理おんりょうりカフェー・ノートルダーム。中はどんなにきれいだろう。よく赤い顔をした人がよろよろ中から出て来るのをわたしは見た。表のガラス戸は歌を歌う声や話し声で、いつもがたがたふるえていた。この赤いカーテンの後ろにはどんなものがあるのだろうと、いつもふしぎに思っていた。それをいま見ようというのである……
 バルブレンはいま声をかけた亭主ていしゅと、食卓しょくたくに向かい合ってこしをかけた。わたしはばたにこしをかけてそこらを見回した。
 わたしのいたすぐ向こうのすみには、白いひげを長く生やしたせいの高い老人ろうじんがいた。かれはきみょうな着物を着ていた。わたしはまだこんな様子の人を見たことがなかった。
 長いかみをふっさりとかたまでらして、緑と赤の羽根はねでかざったねずみ色の高いフェルトぼうをかぶっていた。ひつじの毛皮の毛のほうを中に返して、すっかりからだに着こんでいた。その毛皮服にはそではなかったが、かたの所に二つ大きなあなをあけて、そこから、もとは録色だったはずのビロードのそでをぬっと出していた。ひつじの毛のゲートルをひざまでつけて、それをおさえるために、赤いリボンをぐるぐる足に巻きつけていた。
 かれは長ながといすの上に横になって、下あごを左の手にささえて、そのひじを曲げたひざの上にのせていた。
 わたしは生きた人で、こんなしずかな落ち着いた様子の人を見たことがなかった。まるで村のお寺の聖徒せいとぞうのようであった。
 老人ろうじんの回りには三びきの犬が、かたまってねていた。白いちぢれ毛のむく犬と、黒い毛深いむく犬、それにおとなしそうなくりくりした様子のはい色の雌犬めすいぬが一ぴき。白いむく犬は巡査じゅんさのかぶる古いかぶとぼうをかぶって、皮のひもをあごの下にゆわえつけていた。
 わたしがふしぎそうな顔をしてこの老人ろうじんを見つめているあいだに、バルブレンと居酒屋いざかや亭主ていしゅひくい声でこそこそ話をしていた。わたしのことを話しているのだということがわかった。
 バルブレンはわたしをこれから村長のうちへれて行って、村長から孤児院こじいんに向かって、わたしをうちへく代わりに養育料よういくりょう請求せいきゅうしてもらうつもりだと言った。
 これだけを、やっとあの気のどくなバルブレンのおっかあがおっといて承諾しょうだくさせたのであった。けれどわたしは、そうしてバルブレンがいくらかでも金がもらえれば、もうなにも心配することはないと思っていた。
 その老人ろうじんはいつかすっかりわきで聞いていたとみえて、いきなりわたしのほうに指さしして、耳立つほどの外国なまりでバルブレンに話しかけた。
「その子どもがおまえさんのやっかい者なのかね」
「そうだよ」
「それでおまえさんは孤児院こじいん養育料よういくりょうをしはらうと思っているのかね」
「そうとも。この子は両親がなくって、そのためにおれはずいぶん金を使わされた。おかみからいくらでもはらってもらうのは当たり前だ」
「それはそうでないとは言わない。だが、物は正しいからといってきっとそれが通るものとはかぎらない」
「それはそうさ」
「それそのとおり。だからおまえさんがのぞんでおいでのものも、すらすらと手にはいろうとはわたしには思えないのだ」
「じゃあ孤児院こじいんへやってしまうだけだ。こちらでやしないたくないものを、なんでも養えという法律ほうりつはないのだ」
「でもおまえさんははじめにあの子を養いますといって引き受けたのだから、そのやくそくは守らなければならない」
「ふん、おれはこの子をやしないたくないのだ。だからどのみちどこへでもやっかいばらいをするつもりでいる」
「さあ、そこで話だが、やっかいばらいをするにも、手近なしかたがあると思う」老人ろうじんはしばらく考えて、「おまけに少しは金にもなるしかたがある」と言った。
「そのしかたを教えてくれれば、おれは一ぱい買うよ」
「じゃあさっそく一ぱい買うさ。もう相談そうだんは決まったから」
「だいじょうぶかえ」
「だいじょうぶよ」
 老人ろうじんは立ち上がって、バルブレンの向こうにせきをしめた。ふしぎなことには、老人が立ち上がると、ひつじの毛皮服がむずむず動いて、むっくり高くなった。たぶん、もう一ぴき犬をうでの下にかかえているのだとわたしは思った。
 この人たちは、いったいわたしをどうしようというのだろう。わたしの心臓しんぞうがまたはげしく打ち始めた。わたしはちっとも老人ろうじんから目をはなすことができなかった。
「おまえさんはこの子のためにだれか金を出さない以上いじょう、自分のうちにいてやしなっていることはいやだという、それにちがいないのだろう」
「それはそのとおりだ……そのわけは……」
「いや、わけはどうでもよろしい。それはわたしにかかわったことではない。それでもうこの子がらないというのなら、すぐわたしにください。わたしが引き受けようじゃないか」
「おや、おまえさんはこの子を引き受けると言うのかね」
「だっておまえさんはこの子をほうり出したいんだろう」
「おまえさんにこんなきれいな子をやるのかえ。この子は村でもいちばんかわいい子だ。よく見てくれ」
「よく見ているよ」
「ルミ、ここへ来い」
 わたしは食卓しょくたくに進みった。ひざはふるえていた。
「これこれぼうや、こわがることはないよ」と老人ろうじんは言った。
「さあ、よく見てくれ」とバルブレンは言った。
「わたしはこの子をいやな子だとは言いやしない。またそれならばしいとも言わない。こっちは化け物は欲しくはないのだ」
「いやはや、こいつがいっそ二つ頭の化け物か、または一寸法師いっすんぼうしででもあったなら……」
「だいじにして孤児院こじいんにやりはしないだろう。香具師やしに売っても見世物に出しても、その化け物のおかげでお金もうけができようさ。だが子どもは一寸法師でもなければ、化け物でもない。だから見世物にすることはできない。この子はほかの子どもと同じようにできている。なんの役にも立たない」
「仕事はできるよ」
「いや、あまりじょうぶではないからなあ」
「じょうぶでないと、とんでもない話だ。……だれにだって負けはしないのだ。あの足を見なさい。あのとおりしっかりしている。あれよりすらりとした足を見たことがあるかい……」
 バルブレンはわたしのズボンをまくり上げた。
「やせすぎている」と老人ろうじんは言った。
「それからうでを見ろ」とバルブレンはつづけた。
「うでも同様だ。――まあこれでもいいが、苦しいことや、つらいことにはたえられそうもない」
「なに、たえられない。ふん、手でさわって調べてみるがいい」
 老人ろうじんはやせこけた手で、わたしの足にさわってみながら、頭をふったり、顔をしかめたりした。
 このまえ、ばくろうが来たときも、こんなふうであったことを、わたしは見て知っていた。その男もやはり牛のからだを手でさわったりつねったりしてみて、頭をふった。この牛はろくでもない牛だ、とても売り物にはならない、などと言ったが、でも牛を買ってれて行った。
 この老人ろうじんもたぶんわたしを買って連れて行くだろう。ああバルブレンのおっかあ。バルブレンのおっかあ。
 不幸にもここにはおっかあはいなかった。だれもわたしの味方になってくれる者がなかった。
 わたしが思い切った子なら、なあにきのうはバルブレンも、わたしを弱い子で、手足がか細くて役に立たぬと非難ひなんしたのではないかと言ってやるところであった。でもそんなことを言ったら、どなりつけられて、げんこをいただくに決まっているから、わたしはなにも言わなかった。
「まあつまり当たり前の子どもさね。それはそうだが、やはり町の子だよ。百姓ひゃくしょう仕事にはたしかに向いてはいないようだ。ためしに畑をやらしてごらん、どれほどつづくかさ」
「十年は続くよ」
「なあにひと月もつづくものか」
「まあ、このとおりだ。よく見てくれ」
 わたしは食卓しょくたくのはしの、ちょうどバルブレンと老人ろうじんの間にすわっていたものだから、あっちへつかれ、こっちへおされて、いいようにこづき回された。
「さあ、まずこれだけの子どもとして」と老人ろうじん最後さいごに言った。「つまりわたしが引き受けることにしよう。もちろん買い切るのではない、ただりるのだ。そのちんに年に二十フラン出すことにしよう」
「たった二十フラン」
「どうして高すぎると思うよ。それも前ばらいにするからね。ほんとうの金貨きんかを四まいにぎったうえに、やっかいばらいができるのだからね」と老人ろうじんは言った。
「だがこの子をうちにけば、孤児院こじいんから毎月十フランずつくれるからな」
「まあくれてもせいぜい七フランか十フランだね。それはよくわかっているよ。だがその代わり食べさせなければならないからね」
「その代わりはたらきもするさ」
「おまえさんがほんとにこの子が働けると思うなら、なにも追い出したがることはないだろう。ぜんたいを引き取るというのは、その養育料よういくりょうをはらってもらうためではない、はたらかせるためなのだ。それから金を取り上げこそすれ、給金きゅうきんなしの下男げなん下女げじょに使うのだ。だからそれだけの役に立つものなら、おまえさんはこの子をうちにくところなのだ」
「とにかく、毎月十フランはもらえるのだから」
「だが孤児院こじいんで、いや、そんならこの子はおまえさんにはあずけない、ほかへ預けると言ったらどうします。つまりなんにもおまえさんは取れないではないか。わたしのほうにすればそこはたしかだ。おまえさんの苦労くろうはただ金を受け取るために、手を出しさえすればいいのだ」
 老人ろうじんはかくしをさぐって、なめし皮の財布さいふを引き出した。その中から四まい金貨きんかをつかみ出して、食卓しょくたくの上にならべ、わざとらしくチャラチャラ音をさせた。
「だが待てよ」とバルブレンが言った。「いつかこの子のふた親が出てくるかもしれない」
「それはかまわないじゃないか」
「いや、育てた者の身になればなにもかまわなくはないさ。またそれを思わなければ、はじめっからだれが世話をするものか」
「それを思わなければはじめっからだれが世話をするものか」――このことばで、わたしはいよいよバルブレンがきらいになった。なんという悪い人間だろう。
「なるほど、だがこの子のふた親がもう出て来ないだろうとあきらめたからこそ、おまえさんもこの子をほうり出そうと言うのだろう。ところで、どうかしたひょうしでこののちそのふた親が出て来たとして、それはおまえさんの所へこそまっすぐに行こうが、わたしの所へは来ないだろう。だれもわたしを知らないのだから」と老人ろうじんは言った。
「でもおまえさんがそのふた親を見つけ出したらどうする」
「なるほどそういう場合には、わたしたちで利益りえきを分けるのだね。ところで、ひとつ、きばってさしあたり三十フラン分けてあげようよ」
「四十フランにしてもらおう」
「いいや、この子の使い道はそこいらが相応そうおう値段ねだんだ」
「おまえさん、この子をなんに使おうというのだ。足といえばこのとおりしっかりしたいい足をしているし、うでといえばこのとおりりっぱないいうでをしている。いま言ったことをどこまでもくり返して言うが、この子をいったいどうしようというのだ」
 そのとき老人ろうじんはあざけるようにバルブレンの顔を見て、それからちびちびコップをした。
「つまりわたしの相手あいてになってもらうのだ。わたしは年を取ってきたし、夜なんぞはまことにさびしくなった。くたびれたときなんぞ、子どもがそばにいてくれるといいおとぎになるのだ」
「なるほど、それにはこの子の足はじゅうぶんたっしゃだから」
「おお、それだけではだめだ。この子はまたおどりをおどって、はね回って、遠い道を歩かなければならない。つまりこの子はヴィタリス親方の一座いちざの役者になるのだ」
「その一座はどこにある」
「もうご推察すいさつあろうが、そのヴィタリス親方はわたしだ。さっそくここで一座をお目にかけよう」
 こう言ってかれはひつじの毛皮服のふところを開けて、左のうでにおさえていたきみょうな動物を引き出した。それが、さっきからたびたび毛皮を下から持ち上げた動物であったのだ。だがそれは想像そうぞうしたように、犬ではなかった。
 わたしはこのきみょうな動物を生まれてはじめて見たとき、なんと名のつけようもなかった。
 わたしはびっくりしてながめていた。
 それは金筋きんすじをぬいつけた赤い服を着ていたが、うでと足はむき出しのままであった。実際じっさいそれは人間と同じうでと足で、前足ではなかった。黒い毛むくじゃらの皮をかぶっていて、白くももも色でもなかった。にぎりこぶしぐらいの大きさの黒い頭をして、たてにつまった顔をしていた。横へ向いた鼻のあなが開いていて、くちびるが黄色かった。けれどもとりわけわたしをおどろかしたのは、くちゃくちゃとくっついている二つの目で、それはかがみのようにぴかぴかと光った。
「いやあ、みっともないさるだな」とバルブレンがさけんだ。
 ああ、さるか。わたしはいよいよ大きな目を開いた。それではこれがさるであったのか。わたしはまださるを見たことはなかったが、話には聞いていた。じゃあこの子どものようなちっぽけな動物が、さるだったのか。
「さあ、これが一座いちざ花形はながたで」とヴィタリス親方が言った。「すなわちジョリクール君であります。さあさあジョリクール君」と動物のほうを向いて、「お客さまにおじぎをしないか」
 さるは指をくちびるに当てて、わたしたちに一人一人キッスをあたえるまねをした。
「さて」とヴィタリスはことばをつづけて、白のむく犬のほうに手をさしのべた。「つぎはカピ親方が、ご臨席りんせき貴賓諸君きひんしょくん一座いちざのものをご紹介しょうかい申しあげる光栄こうえいを有せられるでしょう」
 このまぎわまでぴくりとも動かなかった白のむく犬が、さっそくとび上がって、後足で立ちながら、前足をむねの上で十文字に組んで、まず主人に向かってていねいにおじきをすると、かぶっている巡査じゅんさのかぶとぼうが地べたについた。
 敬礼けいれいがすむとかれは仲間なかまのほうを向いて、かたっぽの前足でやはり胸をおさえながら、片足かたあしをさしのべて、みんなそばにるように合図をした。
 白犬のすることをじっと見つめていた二ひきの犬は、すぐに立ち上がって、おたがいに前足を取り合って、交際社会(社交界)の人たちがするようにおごそかに六歩前へ進み、また三足あとへもどつて、代わりばんこにご臨席りんせき貴賓諸君きひんしょくんに向かっておじぎをした。
 そのときヴィタリス親方が言った。
「この犬の名をカピと言うのは、イタリア語のカピターノをつめたので、犬の中のかしらということです。いちばんかしこくって、わたしの命令めいれいを代わってほかのものにつたえます。その黒いむく毛のわかいハイカラさんは、ゼルビノこうですが、これは優美ゆうびという意味で、よく様子をごらんなさい、いかにもその名前のとおりだ。さてあのおしとやかなふうをした歌い雌犬めすいぬはドルス夫人ふじんです。あの子はイギリスだねで、名前はあの子のやさしい気だてにちなんだものだ。こういうりっぱな芸人げいにんぞろいで、わたしは国じゅうを流して回ってくらしを立てている。いいこともあれば悪いこともある、まあ何事もそのときどきの回り合わせさ。おおカピ……」
 カピとばれた犬は前足を十文字に組んだ。
「カピ、あなた、ここへ来て、ぎょうぎのいいところをお目にかけてください。わたしはこの貴人きじんたちにいつもていねいなことばを使っています――さあ、この玉のようなまるい目をしてあなたを見てござる小さいお子さんに、いまは何時だか教えてあげてください」
 カピは前足をほどいて、主人のそばへ行って、ひつじの毛皮服のふところを開け、そのかくしをさぐって大きな銀時計を取り出した。かれはしばらく時計をながめて、それから二声しっかり高く、ワンワンとほえた。それから、今度は三つ小声でちょいとほえた。時間は二時四十五分であった。
「はいはい、よくできました」とヴィタリスは言った。「ありがとうございます、カピさん。それで今度は、ドルス夫人ふじんになわとびおどりをお願いしてもらいましょうか」
 カピはまた主人のかくしをさぐって一本のつなを出し、軽くゼルビノに合図をすると、ゼルビノはすぐにかれの真向まむかいにをしめた。カピがなわのはしをほうってやると、二ひきの犬はひどくまじめくさって、それを回し始めた。
 つなの運動が規則きそく正しくなったとき、ドルスはの中にとびこんで、やさしい目で主人を見ながら軽快けいかいにとんだ。
「このとおりずいぶんりこうです」と老人ろうじんは言った。「それもくらべるものができるとなおさらりこうが目立って見える。たとえばここにあれらと仲間なかまになって、ばかの役をつとめる者があれば、いっそうそれらの値打ねうちがわかるのだ。そこでわたしはおまえさんのこの子どもがしいというのだ。あの子にばかの役を務めてもらって、いよいよ犬たちのりこうを目立たせるようにするのだ」
「へえ、この子がばかつとめるのかね」とバルブレンが口を入れた。
 老人ろうじんは言った。「ばかの役を務めるには、それだけりこうな人間が入りようなのだ。この子なら少ししこめばやってのけよう。さっそくためしてみることにします。この子がじゅうぶんりこうな子なら、わたしといっしょにいればこの国ばかりか、ほかの国ぐにまで見て歩けることがわかるはずだ。だがこのままこの村にいたのでは、せいぜい朝からばんまで同じ牧場ぼくじょうで牛やひつじの番人をするだけだ。この子がわからない子だったら、いてじだんだをふむだろう。そうすればわたしはれては行かない。それで孤児院こじいんに送られて、ひどくはたらかされて、ろくろく食べる物も食べられないだろう」
 わたしも、そのくらいのことがわかるだけにはかしこかった。それにこの親方のお弟子でしたちはとぼけていてなかなかおもしろい。あれらといっしょに旅をするのは、ゆかいだろう。だがバルブレンのおっかあは……おっかあにわかれるのはつらいなあ……
 でもそれをいやだと言ってみたところで、バルブレンのおっかあとこの先いることはできない。やはり孤児院こじいんに送られなければならない。
 わたしはほんとになさけなくなって、目にいっぱいなみだをうかべていた。するとヴィタリス老人ろうじんが軽くなみだの流れ出したほおをつついた。
「ははあおこぞうさん、大さわぎをやらないのはわけがわかっているのだな。小さいむね思案しあんをしているのだな。それであしたは……」
「ああ、おじさん、どうぞぼくをおっかあの所へいてください。どうぞ置いてください」とわたしはさけんだ。
 カピが大きな声でほえたので、じゃまされてわたしはそれから先が言えなかった。そのとたん犬はジョリクールのすわっていた食卓しょくたくのほうへとび上がった。れいのさるはみんながわたしのことで気を取られているすきをねらって、す早く酒をいっぱいついである主人のコップをつかんで、飲みそうとしたのだ。けれどもカピは目早くそれを見つけて止めたのであった。
「ジョリクールさん」とヴィタリスがきびしい声で言った。「あなたは食いしんぼうのうえにどろぼうです。あそこのすみに行ってかべのほうを向いていなさい。ゼルビノさん、あなたは番をしておいでなさい。動いたらぶっておやり。さてカピさん、あなたはいい犬です。前足をお出しなさい。握手あくしゅをしましょう」
 さるは息づまったような鳴き声を出して、すごすごすみのほうへ行った。幸せな犬は得意とくいな顔をして前足を主人に出した。
「さて」と老人ろうじんはことばをついで、「先刻せんこくの話にもどりましょう。ではこの子に三十フラン出すことにしよう」
「いや、四十フランだ」
 そこでおし問答が始まった。だが老人ろうじんはまもなくやめて、「子どもにはおもしろくない話です。外へ出て遊ばせてやるがよろしい」と言った。そうしてバルブレンに目くばせをした。
「よし、じゃあうらへ行っていろ。だがにげるな。にげるとひどい目に会わせるから」
 バルブレンがこう言うと、わたしはそのとおりにするほかはなかった。それで裏庭へ出るには出たが、遊ぶ気にはなれない。大きな石にこしをかけて考えこんでいた。
 あの人たちはわたしのことを相談そうだんしている。どうするつもりだろう。
 心配なのと寒いのとでわたしはふるえていた。二人は長いあいだ話していた。わたしはすわって待っていたが、かれこれ一時間もたってバルブレンがうらへ出て来た。
 かれは一人であった。あのじいさんにわたしを手わたすつもりでれて来たのだな。
「さあ帰るのだ」とかれは言った。
 なに、うちへ帰る。――そうするとバルブレンのおっかあにわかれないでもすむのかな。
 わたしはそう言ってたずねたかったけれども、かれがひどくきげんが悪そうなのでえんりょした。
 それで……だまってうちのほうへ歩いた。
 けれどもうちまで行き着くまえに、先に立って歩いていたバルブレンはふいに立ち止まった。そうして乱暴らんぼうにわたしの耳をつかみながらこう言った。
「いいかきさま、ひと言でもきょう聞いたことをしゃべったらひどい目に会わせるから。わかったか」


     おっかあの家

「おや」とバルブレンのおっかあはわたしたちを見て言った。「村長さんはなんと言いましたえ」
「会わなかったよ」
「どうして会わなかったのさ」
「うん、おれはノートルダームで友だちに会った。外へ出るともうおそくなった。だからあしたまた行くことにした」
 それではバルブレンは犬をれたじいさんと取り引きをすることはやめたとみえる。
 うちへ帰える道みちもわたしはこれがこの男の手ではないかとうたがっていたが、いまのことばでそのうたがいは消えて、ひとまず心が落ち着いた。またあした村へ行って村長さんをたずねるというのでは、きっとじいさんとのやくそくはできなかったにちがいない。
 バルブレンにはいくらおどかされても、わたしは一人にさえなったら、おっかあにきょうの話をしようと思っていたが、とうとうバルブレンはそのばん一晩じゅううちをはなれないので話す機会きかいがなかった。
 すごすごねどこにもぐりながら、あしたは話してみようと思っていた。
 けれどそのあくる日起き上がると、おっかあの姿すがたが見えない。わたしがそのあとを追ってうちじゅうをくるくる回っているのを見て、なにをしているとバルブレンは聞いた。
「おっかあ」
「ああ、それなら村へ行った。昼過ひるすぎでなければ帰るものか」
 おっかあはまえのばん、村へ行く話はしなかった。それでなぜというわけはないが、わたしは心配になってきた。わたしたちが昼過ぎから出かけるというのに、どうして待っていないのだろう。わたしたちの出かけるまえにおっかあは帰って来るかしらん。
 なぜというしっかりしたわけはないのだが、わたしはたいへんおどおどしだした。
 バルブレンの顔を見るとよけいに心配がもるばかりであった。その目つきからにげるためにわたしはうら野菜畑やさいばたけへかけこんだ。
 畑といってもたいしたものではなかった。それへなんでもうちで食べる野菜物やさいもののこらずじゃがいもでもキャベツでも、にんじんでも、かぶでも作りこんであった。それはちょっとの空き地もなかったのであるが、それでもおっかあはわたしに少し地面をのこしておいてくれたので、わたしはそこへ雌牛めうしいながら野でつんで来た草や花を、ごたごた植えこんだ。わたしはそれを『わたしの畑』とんでだいじにしていた。
 わたしがいろいろな草花を集めては、植えつけたのは去年の夏のことであった。それがをふくのはこの春のことであろう。早ざきのものでも冬の終わるのを待たなければならなかった。これからつづいておいおい芽を出しかけている。
 もう黄ずいせんもつぼみを黄色くふくらましていたし、リラの花も芽を出していた。さくらそうもしわだらけな葉の中からかわいいつぼみをのぞかせている。
 どんな花がさくだろう。
 それを楽しみにして、わたしは毎日出てみた。
 それからまたわたしのだいじにしていた畑の一部には、だれかにもらっためずらしい野菜やさいを植えている。それは村でほとんど知っている者のない『きくいも』というものであった。なんでもいい味のもので、じゃがいもと、ちょうせんあざみと、それからいろいろの野菜やさいをいっしょにした味がするのであった。わたしはそっとこの野菜をじょうずに作って、おっかあをおどろかそうと思っていた。ただの花だと思わせておいて、そっと実のなったところを引きぬいて、ないしょで料理りょうりをして、いつも同じようなじゃがいもにあきあきしているおっかあに食べさせて、『まあルミ、おまえはなんて器用きような子だろう』と感心させてやろう。
 こんなことを思い思いこのときも、まだが出ないかと思って、たねのまいてある地べたに鼻をくっつけて調べていた。ふと気がつくとバルブレンがかんしゃく声でびたてているので、びっくりしてうちへはいった。まあどうだろう。おどろいたことには、の前にヴィタリス老人ろうじんと犬たちが立っているではないか。
 すぐとわたしはバルブレンがわたしをどうするつもりだということがわかった。老人がやはりわたしをれて行くのだ。それをおっかあがじゃましないように村へ出してやったのだ。
 もうバルブレンになにを言ってみてもむだだということがわかっているから、わたしはすぐと老人ろうじんのほうへかけった。
「ああ、ぼくをれて行かないでください。後生ごしょうですから、連れて行かないでください」とわたしはしくしくきだした。
 すると老人ろうじんやさしい声で言った。「なにさ、ぼうや、わたしといればつらいことはないよ。わたしは子どもをぶちはしない。仲間なかまには犬もいる。わたしと行くのがなぜ悲しい」
「おっかあが……」
「どうせきさまはここにはけないのだ」とバルブレンはあらあらしく言って、耳をった。
「このだんなについて行くか、孤児院こじいんへ行くか、どちらでもいいほうにしろ」
「いやだいやだ、おっかあ、おっかあ」
「やい、それだとおれはどうするか見ろ」とバルブレンがさけんだ。「思うさまひっぱたいて、このうちから追い出してくれるぞ」
「この子は母親にわかれるのを悲しがっているのだ。それをぶつものではない。やさしい心だ。いいことだ」
「おまえさんがいたわると、よけいほえやがる」
「まあ、話を決めよう」
 そう言いながら、老人ろうじんは五フランの金貨きんかを八まいテーブルの上にのせた。バルブレンはそれをさらいこむようにしてかくしに入れた。
「この子の荷物は」と老人が言った。
「ここにあるさ」とバルブレンが言って、青いもめんのハンケチで四すみをしばったつつみをわたした。
 中にはシャツが二まいと、あさのズボンが一着あるだけであった。
「それではやくそくがちがうじゃないか。着物があるという話だったが、これはぼろばかりだね」
「こいつはほかにはなにもないのだ」
「この子に聞けば、きっとそうではないと言うにちがいないが、そんなことをあらそっているひまがない。もう出かけなければならないからな。さあおいで、こぞうさん、おまえの名はなんと言うんだっけ」
「ルミ」
「そうか、よしよし、ルミ。つつみを持っておいで。先へおいで、カピ。さあ、行こう、進め」
 わたしは哀訴あいそするように両手を老人ろうじんに出した。それからバルブレンにも出した。けれども二人とも顔をそむけた。しかも、老人はわたしのうで首をつかまえようとした。
 わたしは行かなければならない。
 ああ、このうちにもおわかれだ。いよいよそのしきいをまたいだとき、からだを半分そこへのこして行くようにわたしは思った。
 なみだをいっぱい目にうかべて[#「うかべて」は底本では「うがべて」]わたしは見回したが、手近にはだれもわたしに加勢かせいしてくれる者がなかった。往来おうらいにもだれもいなかった。牧場ぼくじょうにもだれもいなかった。
 わたしはつづけた。
「おっかあ、おっかあ」
 けれどだれもそれに答える者はなかった。わたしの声はすすりきの中に消えてしまった。
 わたしは老人ろうじんについて行くほかはなかった。なにしろうで首をしっかりおさえられているのだから。
「さようなら、ごきげんよう」とバルブレンがさけんだ。
 かれはうちの中へはいった。
 ああ、これでおしまいである。
「さあ、行こう、ルミ、進め」と老人ろうじんが言って。わたしのひじをおさえた。
 わたしたちはならんで歩いた。幸せとかれはそう早く歩かなかった。たぶんわたしの足に合わせて歩いてくれたのであろう。
 わたしたちは坂を上がって行った。ふり返るとバルブレンのおっかあのうちがまだ見えたが、それはだんだんに小さく小さくなっていった。この道はたびたび歩いた道だから、もうしばらくはうちが見えて、それから最後さいごの四つ角を曲がるともう見えなくなることをわたしはよく知っていた。行く先は知らない国である。後ろをふり返ればきょうの日まで幸福な生活を送ったうちがあった。おそらく二度とそれを見ることはないであろう。
 幸い坂道は長かったが、それもいつか頂上ちょうじょうに来た。
 老人ろうじんはおさえた手をゆるめなかった。
「少し休ましてくださいな」とわたしは言った。
「うん、そうだなあ」とかれは答えた。
 かれはやっとわたしをはなしてくれた。
 けれどカピに目くばせをすると、犬もそれをさとった様子がわたしには見えた。
 それですぐと、ひつじいの犬のように、一座いちざの先頭からはなれてわたしのそばへって来た。
 わたしがにげ出しでもすれば、すぐにかみついてくるにちがいない。
 わたしは草深い小山の上に登ってこしをかけると、犬も後ろについていた。
 わたしはなみだにくもった目で、バルブレンのおっかあのうちをさがした。
 下には谷があって、所どころに森や牧場ぼくじょうがあった。それからはるか下にいままでいたうちが見えた。黄色いささやかなけむりが、そこのけむり出しからまっすぐに空へ立ちのぼって、やがてわたしたちのほうへなびいて来た。
 気のまよいか、そのけむりはうちのかまどのそばでかぎれたかしの葉のにおいがするようであった。
 それは遠方でもあり、下のほうになってはいたが、なにもかもはっきり見えた。ただなにかがたいへん小さく見えたのは言うまでもない。
 ちりづかの植えにうちの太っためんどりがかけ回っていたが、いつものように大きくは見えなかった。うちのめんどりだということを知っていなかったら、小さなはとだと思ったかもしれない。うちの横には、わたしが馬にしていつも乗った曲がったなしの木が、小川のこちらには、わたしが水車をしかけようとして大さわぎをしてきずきかけたほりわりが見えた。まあ、その水車にはずいぶんひまをかけたが、とうとう回らなかった。わたしの畑も見えた。ああ、わたしのだいじな畑が。
 わたしの花がさいてもだれが見るだろう。わたしの『きくいも』をだれが食べるだろう。きっとそれはバルブレンだ。あの悪党あくとうのバルブレンだ。
 もう一あし往来おうらいへ出れば、わたしの畑もなにもかもかくれてしまうのだ。
 ふと村からわたしのうちのほうへ通う往来の上に、白いボンネットが見えて、木の間にちらちら見えたりかくれたりしていた。
 それはずいぶん遠方であったから、ぽっちり白く、春のちょうちょうのように見えただけであった。
 けれど目よりも心はするどくものを見るものだ。わたしは、それがバルブレンのおっかあであることを知った。たしかにおっかあだ、とわたしは思いこんでいた。
「さて出かけようか」と老人ろうじんが言った。
「ああ、いいえ、後生ごしょうですからも少し」
「じゃあ話とはちがって、おまえは、から(ぜんぜん)、足がだめだな。もうつかれてしまったのか」
 わたしは答えなかった。ただながめていた。
 やはりそれはバルブレンのおっかあであった。それはおっかあのボンネットであった。水色の前だれであった。足早に、気がせいているように、うちに向かって行くのであった。
 白いボンネットはまもなくうちの前に着いた。戸をおし開けて、急いで庭にはいって行った。
 わたしはすぐにとび上がって、土手の上に立ち上がった。そばにいたカピがおどろいてとびついて来た。
 おっかあはいつまでもうちの中にはいなかった。まもなく出て来て、両うでを広げながら、あちこちと庭の中をかけ回っていた。
 かの女はわたしをさがしているのだ。
 わたしは首を前にばして、ありったけの声でさけんだ。
「おっかあ、おっかあ」
 けれどもそのさけび声は空に消えてしまった、小川の水音に消されてしまった。
「どうしたのだ。おまえ、気がちがったのか」とヴィタリスは言った。
 わたしは答えなかった。わたしの目はまたバルブレンのおっかあをじっと見ていた。けれども向こうではわたしが上にいるとは知らないから、あお向いては見なかった。そうして庭をぐるぐる回って、往来おうらいへ出て、きょろきょろしていた。
 もっと大きな声でわたしはさけんだ。けれども、はじめの声と同様にむだであった。
 そのうち老人ろうじんもやっとわかったとみえて、やはり土手に登って来た。かれもまもなく白いボンネットを見つけた。
「かわいそうに、この子は」とかれはそっとひとごとを言った。
「おお、わたしを帰してください」と、わたしはいまのやさしいことばにって、ごえを出した。
 けれどもかれはわたしの手首をおさえて、土手を下りて往来おうらいへ出た。
「さあ、だいぶ休んだから、もう出かけるのだ」と、かれは言った。
 わたしはぬけ出そうともがいたけれども、かれはしっかりわたしをおさえていた。
「さあカピ、ゼルビノ」と、かれは犬のほうを見ながら言った。
 二ひきの犬がぴったりわたしにくっついた。カピは後ろに、ゼルビノは前に。
 二足ふたあし三足みあし行くと、わたしはふり向いた。
 わたしたちはもう坂の曲がり角を通りこした。もう谷も見えなければ家も見えなくなった。ただ遠いかなたに遠山とおやまがうすく青くかすんでいた。てしもない空の中にわたしの目はあてどなくまようのであった。


     とちゅう

 四十フラン出して子どもを買ったからといって、その人はおにでもなければ、その子どもの肉を食べようとするのでもなかった。ヴィタリス老人ろうじんはわたしを食べようというよくもなかったし、子どもを買ったが、その人は悪人ではなかった。
 わたしはまもなくそれがわかった。
 ちょうどロアール川とドルドーニュ川と、二つの谷を分かった山の頂上ちょうじょうで、かれはふたたびわたしの手首をにぎった。その山を南へ下り始めて十五分も行ったころ、かれは手をはなした。
「まああとからぽつぽつおいで。にげることはむだだよ。カピとゼルビノがついているからな」
 わたしたちはしばらくだまって歩いていた。
 わたしはふとため息を一つした。
「わしにはおまえの心持ちはわかっているよ」と老人ろうじんは言った、「きたいだけお泣き。だがまあ、これがおまえのためにはいいことだということを考えるようにしてごらん。あの人たちはおまえのふた親ではないのだ、おっかあはおまえにやさしくはしてくれたろう。それでおまえもいていたから、それでそんなに悲しく思うのだろう。けれどもあの人は、ご亭主ていしゅがおまえをうちにきたくないと言えば、それを止めることはできなかったのだ。それにあの男だって、なにもそんなに悪い男というのでもないかもしれない。あの男はからだを悪くして、もうほかの仕事ができなくなっている。かたわのからだでは食べてゆくだけにほねれるのだ。そのうえおまえをやしなっていては、自分たちがえて死ななければならないと思っているのだ。そこでおまえにひとつ心得こころえてもらいたいことがある。世の中は戦争せんそうのようなもので、だれでも自分の思うようにはゆかないものだということだ」
 そうだ、老人ろうじんの言ったことはほんとうであった。とうと経験けいけんから出た訓言くんげん(教訓)であった。でもその訓言よりももっと力強い一つの考えしか、わたしはそのとき持っていなかった。それは『わかれのつらさ』ということであった。
 わたしはもう二度とこの世の中で、いちばんきだった人に会うことができないのだ。こう思うとわたしは息苦しいように感じた。
「まあ、わたしの言ったことばをよく考えてごらん。おまえはわたしといれば不幸ふしあわせなことはないよ」と老人ろうじんは言った。「孤児院こいじんなどへやられるよりはいくらましだかしれない。それで言っておくが、おまえはにげ出そうとしてもだめだよ。そんなことをすれば、あのとおりの広野原ひろのはらだ。カピとゼルビノがすぐとおまえをつかまえるから」
 こう言ってかれは目の前のあれた高原こうげんを指さした。そこにはやせこけたえにしだが、風のまにまに波のようにうねっていた。
 にげ出す――わたしはもうそんなことをしようとは思わなかった。にげていったいどこへわたしは行こう。
 このせいの高い老人ろうじんは、ともかく親切しんせつな主人であるらしい。
 わたしは一息にこんなに歩いたことはなかった。ぐるりに見るものはあれた土地と小山ばかりで、村を出たらば向こうはどんなに美しかろうと思ったほど、この世界は美しくはなかった。
 老人ろうじんはジョリクールをかたの上に乗せたり、背嚢はいのうの中に入れたりして、しじゅう規則きそく正しく、大またに歩いていた。三びきの犬はあとからくっついて来た。
 ときどき老人はかれらにやさしいことばをかけていた。フランス語で言うこともあったし、なんだかわからないことばで言うこともあった。
 かれも犬たちもくたびれた様子がなかった。だがわたしはつかれた。足を引きずって、この新しい主人にくっついて歩くのがせいいっぱいであった。けれども休ませてくれとは言いだしなかった。
「おまえがくたびれるのは木のくつのせいだよ」とかれは言った。「いずれユッセルへ着いたらくつを買ってやろう」
 このことばはわたしに元気をつけてくれた。わたしはしじゅうくつが欲しいと思っていた。村長のむすこも、はたごやのむすこもくつを持っていた。それだから日曜というとかれらはお寺へ来て石のろうかをすべるように走った。それをわれわれほかのいなかの子どもは、木ぐつでがたがた、耳の遠くなるような音をさせたものだ。
「ユッセルまではまだ遠いんですか」
「ははあ、本音ほんねをふいたな」とヴィタリスがわらいながら言った。「それではくつがしいんだな。よしよし、わたしはやくそくをしよう。それも大きなくぎをそこに打ったやつをなあ。それからビロードの半ズボンとチョッキとぼうしも買ってやる。それでなみだが引っこむことになるだろう。なあ、そうしてもらおうじゃないか。そしてあと六マイル(約四十キロ)歩いてくれるだろうなあ」
 そこにくぎを打ったくつ、わたしは得意とくいでたまらなかった。くつをはくことさええらいことなのに、おまけにくぎを打ってある。わたしは悲しいこともわすれてしまった。
 くぎを打ったくつ、ビロードの半ズボンに、チョッキに、ぼうし。
 まあバルブレンのおっかあがわたしを見たらどんなにうれしがるだろう。どんなに得意とくいになるだろう。
 けれども、なるほどくつとビロードがこれから六マイル歩けばもらえるというやくそくはいいが、わたしの足はそんな遠方まで行けそうにもなかった。
 わたしたちが出かけたときに青あおと晴れていた空が、いつのまにか黒い雲にかくれて、細かい雨がやがてぽつぽつ落ちて来た。
 ヴィタリスはそっくりひつじの毛皮服にくるまっているので、雨もしのげたし、さるのジョリクールも、一しずく雨がかかるとさっそくかくれににげこんだ。けれども犬とわたしはなんにもかぶるものがないので、まもなくほねまで通るほどぬれた。でも犬はぬれてもときどきしずくをふり落とすくふうもあったが、わたしはそんなことはできなかった。下着までじくじくにぬれ通って、骨までえきっていた。
「おまえ、じきかぜをひくか」と主人は聞いた。
「知りません。かぜをひいたおぼえがないから」
「それはたのもしいな。だがこのうえぬれて歩いてもしようがないことだから、少しでも早くこの先の村へ行って休むとしよう」
 ところがこの村には一けんも宿屋やどやというものはなかった。当たり前の家ではじいさんのこじきの、しかも子どもに三びきの犬まで引きれて、ぬれねずみになった同勢どうぜいをとめようという者はなかった。
「うちは宿屋やどやじゃないよ」
 こう言ってどこでも戸を立てきった。わたしたちは一けん一けん聞いて歩いて、一けん一けんことわられた。
 これから四マイル(約六キロ)ユッセルまで一休みもしないで行かなければならないのか。暗さは暗し、雨はいよいよつめたく骨身ほねみに通った。ああ、バルブレンのおっかあのうちがこいしい。
 やっとのことで一けんの百姓家ひゃくしょうやがいくらか親切があって、わたしたちを納屋なやにとめることを承知しょうちしてくれた。でもねるだけはねても、明かりをつけることはならないという言いわたしであった。
「おまえさん、マッチを出しなさい。あしたたつとき返してあげるから」とその百姓家ひゃくしょうやの主人はヴィタリス老人ろうじんに言った。
 それでもとにかく、風雨をふせぐ屋根だけはできたのであった。
 老人ろうじん食料しょくりょうなしに旅をするような不注意ふちゅういな人ではなかった。かれは背中せなかにしょっていた背嚢はいのうから一かたまりのパンを出して、四きれにちぎった。
 さてこのときわたしははじめて、かれがどういうふうにして、仲間なかま規律きりつを立てているかということを知った。さっきわれわれが一けん一けん宿やどさがして歩いたとき、ゼルビノがある家にはいったが、さっそくかけ出して来たとき、パンの切れを口にくわえていた。そのとき老人ろうじんはただ、
「よしよし、ゼルビノ……今夜はおぼえていろ」とだけ言った。
 わたしはもうゼルビノのどろぼうをしたことはわすれて、ヴィタリスがパンを切る手先をぼんやり見ていた。ゼルビノはしかしひどくしょげていた。
 ヴィタリスとわたしはとなり合ってジョリクールをまん中にいて、二つあるわらのたばの上、かれ草のたばの上にこしをかけて、三びきの犬はその前にならんでいた。カピとドルスは主人の顔をじっと見つめているのに、ゼルビノは耳を立ててしっぽを足の間に入れて立っていた。
 老人ろうじん命令めいれいするような調子で言った。「どろぼうは仲間なかまをはずれて、すみに行かなければならんぞ。夕食なしにねむらなければならんぞ」
 ゼルビノはせきを去って、指さされたほうへすごすご出て行った。それでかれ草のんである下にもぐりこんで、姿すがたが見えなくなったが、その下で悲しそうにくんくんいている声が聞こえた。
 老人ろうじんはそれからわたしにパンを一きれくれて、自分の分を食べながら、ジョリクールとカピとドルスに、小さく切って分けてやった。
 どんなにわたしはバルブレンのおっかあのスープがこいしくなったろう。それにバターはなくっても、あたたかいの火がどんなにいい心持ちであったろう。夜着の中に鼻をつっこんでねた小さな寝台ねだいがこいしいな。
 もうすっかりくたびれきって、足は木ぐつですれていたんだ。着物はぬれしょぼたれているので、つめたくってからだがふるえた。夜中になってもねむるどころではなかった。
「歯をがたがた言わせているね。おまえ寒いか」と老人ろうじんが言った。
「ええ、少し」
 わたしはかれが背嚢はいのうを開ける音を聞いた。
「わたしは着物もたんとないが、かわいたシャツにチョッキがある。これを着てまぐさの下にもぐっておいで。じきにあたたかになってねむられるよ」
 でも老人ろうじんが言ったようにそうじき暖かにはならなかった。わたしは長いあいだわらのとこの上でごそごそしながら、苦しくってねむられなかった。もうこれから先はいつもこんなふうにくらすのだろうか。ざあざあ雨のる中を歩いて、寒さにふるえながら、物置ものおきの中にねて、夕食にはたった一きれのかたパンを分けてもらうだけであろうか。スープもない。だれもかわいがってくれる者もない。だきしめてくれる者もない。バルブレンのおっかあももうないのだ。
 わたしの心はまったく悲しかった。なみだが首を流れ落ちた。
 そのときふとあたたかい息が顔の上にかかるように思った。
 わたしは手をばすと、カピのやわらかい毛が手にさわった。かれはそっと草の上を音のしないように歩いて、わたしの所へやって来たのだ。わたしのにおいをやさしくかぎ回る息が、わたしのほおにもかみにもかかった。
 この犬はなにをしようというのであろう。
 やがてかれはわたしのすぐそばのわらの上にころげて、それはごくしずかにわたしの手をなめ始めた。
 わたしもうれしくなって、わらのとこの上に半分起き返って、犬の首を両うでにかかえて、そのつめたい鼻にキッスした。かれはわずか息のつまったようなごえを立てたが、やがて手早く前足をわたしの手にあずけて、じつとおとなしくしていた。
 わたしはつかれも悲しみもわすれた。息苦しいのどがからっとして、息がすうすうできるようになった。ああ、わたしはもう一人ではなかった。わたしには友だちがあった。


     初舞台はつぶたい

 そのあくる日は早く出発した。
 空は青あおと晴れて、夜中のから風がぬかるみをかわかしてくれた。小鳥が林の中でおもしろそうにさえずっていた。三びきの犬はわたしたちの回りにもつれていた。ときどきカピが後足で立ち上がって、わたしの顔を見ては二、三度つづけてほえた。かれの心持ちはわたしにはわかっていた。
「元気を出せ、しっかり、しっかり」
 こう言っているのであった。
 かれはりこうな犬であった。なんでもわかるし、人にわからせることも知っていた。この犬ののふり方にはたいていの人のしたや口で言う以上いじょう頓知とんち能弁のうべんがふくまれていた。わたしとカピの間にはことばはらなかった。はじめての日からおたがいの心持ちはわかっていた。
 わたしはこれまで村の外には出たことがなかったし、はじめて町を見るのはなにより楽しみであった。
 でもユッセルの町は子どもの目にそんなに美しくはなかったし、それに町のとうや古い建物たてものなどよりも、もっと気になるのはくつ屋の店であった。
 老人ろうじんがやくそくをしたくぎを打ったくつのある店はどこだろう。
 わたしたちがユッセルの古い町を通って行ったとき、わたしはきょろきょろそこらを見回した。ふと老人は市場いちばの後ろの一けんの店にはいった。店の外に古い鉄砲てっぽうだの、金モールのへりのついた服だの、ランプだの、さびたかぎだのがつるしてあった。
 わたしたちは三段だんほど段を下りてはいってみると、それはもう屋根がふけてからのち、太陽の光がついぞ一度もさしこまなかったと思われる大きな部屋へやにはいった。
 くぎを打ったくつなんぞを、どうしてこんな気味の悪い所で売っているだろう。
 けれども老人ろうじんにはわかっていた。それでまもなくわたしは、これまでの木ぐつの十倍ばいも重たい、くぎを打ったくつをはくことになった。うれしいな。
 老人のなさけはそれだけではなかった。かれはわたしに水色ビロードの上着と、毛織けおりのズボンと、フェルトぼうしまで買ってくれた。かれのやくそくしただけの品はのこらずそろった。
 まあ、あさの着物のほか着たことのなかったわたしにとって、ビロードの服のめずらしかったこと。それにくつは。ぼうしは。わたしはたしかに世界じゅうでいちばん幸福な、いちばん気前のいい大金持ちであった。ほんとうにこの老人ろうじんは世界じゅうでいちばんいい人でいちばんなさけ深い人だと思われた。
 もっともそのビロードは油じみていたし、毛織けおりのズボンはかなりやぶれていた。それにフェルトぼうしのフェルトもしたたか雨によごれて、もとの色がなんであったかわからないくらいであった。けれどもわたしはむやみにうれしくって、品物のよしあしなどはわからなかった。
 ところで宿屋やどやに帰ってから、さっそくこのきれいな着物を着たいとあせっていたわたしをびっくりさせもし、つまらなくもさせたことは、老人ろうじんがはさみでそのズボンのすそをわたしのひざの長さまで切ってしまったことであった。
 わたしは丸い目をしてかれの顔を見た。
「これはおまえをほかの子どもと同じように見せないためだよ。フランスではおまえはイタリアの子どものようなふうをするのだ。イタリアではフランスの子どものようなふうをするのだ」とかれは説明せつめいした。
 わたしはいよいよびっくりしてしまった。
「わたしたちは芸人げいにんだろう。なあ。それだから当たり前の人のようなふうをしてはならないのだ。われわれがここらのいなかの人間のようなふうをして歩いたら、だれが目をつけると思うか。わたしたちはどこでも立ち止まれば、回りに人を集めなければならない。困ったことには、なんでもていさいを作るということが、この世の中でかんじんなことなのだよ」
 こういうわけで、わたしは朝まではフランスの子どもであったが、そのばんはもうイタリアの子どもになっていた。
 ズボンはやっとひざまでとどいた。老人ろうじんはくつ下にひもをぬいつけて、フェルトぼうしの上にはいっぱいに赤いリボンをむすびつけた。それから毛糸の花でおかざりをした。
 わたしはほかの人がどう思うかは知らないが、正直に言えば自分ながらなかなかりっぱになったと思った。親友のカピも同じ考えであったから、しばらくわたしの顔をじっと見て、満足まんぞくしたふうで前足を出した。
 わたしはカピの賛成さんせいたのでうれしかった。それというのが、わたしが着物を着かえている最中さいちゅうれいのジョリクールめが、わたしのまん前にべったりすわって、大げさな身ぶりで、さんざんひとのするとおりのまねをして、すっかり仕度ができると、今度はおしりに手を当て、首をちぢめて、あざけるようにわらったので、一方にそういう実意のある賛成者さんせいしゃのできたのがよけいにうれしかったのである。
 いったいさるが笑うか笑わないかということは、学問上の問題だそうだ。わたしは長いあいだジョリクールとなかよくくらしていたが、かれはたしかに笑った。しかもどうかすると人をばかにしたわらかたをしたものだ。もちろんかれは人間のようには笑わなかった。けれどもなにかおもしろいことがあると、口を曲げて、目をくるくるやって、あのしっぽをす早くはたらかせる。そうしてまっ黒な目はぴかぴか光って、火花がとび出すかと思われた。
「さあ仕度ができたら」と最後さいごにぼうしを頭にかぶると老人ろうじんが言った。「わたしたちはいよいよ仕事にかからなければならない。あしたはいちの立つ日だから、おまえは初舞台はつぶたいつとめなければならない」
 初舞台。初舞台とはどんなことだろう。
 老人ろうじんはそこで、この初舞台というのは、三びきの犬とジョリクールを相手あいて芝居しばいをすることだと教えてくれた。
「でもぼく、どうして芝居しばいをするのか知りません」と、わたしはおどおどしながらさけんだ。
「それだから、わたしが教えてあげようというのだよ。教わらなけりゃわかりゃしない。この動物どももいっしょうけんめい自分の役をけいこしたものだ。カピが後足で立つのでも、ドルスがなわとびの芸当げいとうをやるのでも、みんなけいこをしておぼえたのだ。ずいぶんほねれたことではあったが、その代わりごらん、あのとおりかしこくなっている。おまえも、これからいろいろの役を覚えるためにはよほど勉強がる。とにかく仕事にかかろう」
 これまでわたしは仕事といえば、畑にくわを入れるとか、石を切るとか、木をかるとかいうほかにはないように思っていた。
「さてわたしたちのやる狂言きょうげんは、『ジョリクールの家来、一名とんだあほうの取りちがえ』というのだ。それはこういうすじだ。ジョリクール氏はこれまで一人家来を使っていた。それはカピという名前で、ジョリクール氏はこの家来に満足まんぞくしていたのだが、年を取ったのでひまを取ろうとする。それでカピは主人にひまを取るまえに、代わりの家来を見つけるやくそくをする。さてその後がまの家来というのは、犬ではなくって子どもなのだ。ルミと名乗るいなかの子どもなのだ」
「やあ、ぼくと同じ名前の……」
「いや、同じ名前ではない、それがおまえなんだ。おまえはジョリクールの所へ奉公口ほうこうぐちさがしにいなかから出て来たのだ」
「おさるに家来はないでしょう」
「そこが芝居しばいだよ。さておまえはいきなり村からとび出して来た。それでおまえの新しい主人はおまえをあほうだと思う」
「おお、ぼく、そんなこといやです」
「人がわらいさえすれば、そんなことはどうでもいいじゃないか。さておまえははじめてこのだんなの所へ家来になってやって来た。そして食事のテーブルごしらえを言いつけられる。それ、ちょうどそこに、芝居しばいに使うテーブルがある。さあ、仕度におかかり」
 このテーブルの上には、おさらに、コップに、ナイフが一本、フォークが一本、白いテーブルかけが一まいいてあった。
 どうしてこれだけのものをならべようか。
 わたしはそれを考えて、両手をつき出してテーブルによっかかって、ぽかんと口を開けたまま、なにから手をつけていいか困っていると、親方は両手を打って、はらをかかえてわらいだした。
「うまいうまい。それこそ本物だ」とかれはさけんだ。「わたしがせんに使っていた子どもは狡猾こうかつそうな顔つきで、どうだ、あほうのまねはうまかろうと言わないばかりであった。おまえのはそれがいかにも自然しぜんでいい。どうしてすばらしいものだ」
「でもぼく、どうしていいのかわからないんです」
「それだからそんなにうまくやれるのだ。おまえに芝居しばいがわかるとかえって、いま思っているようなことをわざとするようになるだろう。なんでもいまのどうしていいかわからずにこまっている心持ちをわすれないようにしてやれば、いつも上出来だよ。つまり役の性根しょうねは、さると人間が、主人と家来と身分を取りかえたついでに、ばかをりこうと取りかえて、とんだあほうの取りちがえ、これが芝居しばいのおかしいところなのだ」
 『ジョリクールの家来』は大芝居おおしばいというのではなかったから、二十分より長くはつづかなかった。ヴィタリスはわたしたちにたびたびそれをくり返させた。わたしは主人がずいぶんしんぼう強いのでおどろいた。これまで村でよく動物をしこむところを見たが、ひどくしかったり、ぶったりしてやっとしこむのであった。ずいぶんけいこは長くやったが、親方は一度もおこったこともなければ、しかったこともなかった。
「さあ、もう一度やり直しだ」とかれはきびしい声で言って、いけないところを直した。「カピ、それはいけません。ジョリクール、気をつけないとしかりますぞ」
 これがすべてであった。しかしそれでじゅうぶんであった。
 わたしを教えながらかれは言った。「なんでもけいこには犬をお手本にするがいい。犬とさるとを比べてごらん。ジョリクールはなるほどはしっこいし、ちえもあるけれども、注意もしないし、従順じゅうじゅんでもないのだ。かれは教えられたことはわけなくおぼえるが、すぐそれをわすれてしまう。それにかれは言われたことをわざとしない。かえってあべこべなことをしたがる。それはこの動物の性質せいしつだ。だからわたしはあれに対してはおこらない。さるは犬と同じ良心りょうしんを持たない。あれには義務ぎむということばの意味がわかっていない。それが犬におとるところだ。わかったかね」
「ええ」
「おまえはりこうで注意深い子だ。まあなんによらずすなおに、自分のしなければならないことをいっしょうけんめいにするのだ。それを一生おぼえておいで」
 こういう話をしているうち、わたしは勇気ゆうきをふるい起こして、芝居しばいのけいこのあいだなによりわたしをびっくりさせたことについてかれに質問しつもんした。どうしてかれが犬やさるやわたしに対してあんなにしんぼう強くやれるのであろうか。
 かれはにっこりわらった。「おまえは百姓ひゃくしょうたちの仲間なかまにいて、手あらく生き物を取りあつかっては、言うことを聞かないとぼうでぶつようなところばかり見てきたのだろう。だがそれは大きなまちがいだよ。手あらくあつかったところでいっこう役に立たない。やさしくしてやればたいていはうまくゆくものだ。だからわたしは動物たちに優しくするようにしている。むやみにぶてばかれらはおどおどするばかりだ。ものをこわがるとちえがにぶる。それに教えるほうでかんしゃくを起こしては、ついいつもの自分とはちがったものになる。それではいまおまえに感心されたようなしんぼう力は出なかったろう。他人を教えるものは自分を教えるものだということがこれでわかる。わたしが動物たちに教訓きょうくんをあたえるのは、同時にわたしがかれらから教訓を受けることになるのだ。わたしはあれらのちえを進めてやったが、あれらはわたしの品性ひんせいを作ってくれた」
 わたしはわらった。それがわたしにはきみょうに思われた。でもかれはなおつづけた。
「おまえはそれをきみょうだと思うか。犬が人間に教訓きょうくんさずけるのはきみょうだろう。だがこれはほんとうだよ。
 すると主人が犬をしこもうと思えば、自分のことをかえりみなければならない。そのいぬを見れば主人の人がらもわかるものだ。悪人の飼っている犬はやはり悪ものだ。強盗ごうとうの犬はどろぼうをする。ばかな百姓ひゃくしょうが飼い犬はばかで、もののわからないものだ。親切な礼儀れいぎ正しい人は、やはり気質きしつのいい犬を飼っている」
 わたしはあしたおおぜいの前にあらわれるということを思うと、むねがどきどきした。犬やさるはまえからもう何百ぺんとなくやりつけているのだから、かえってわたしよりえらかった。わたしがうまく役をやらなかったら、親方はなんと言うだろう。見物はなんと言うだろう。
 わたしはくよくよ思いながらうとうとねいった。そのゆめの中で、おおぜいの見物が、わたしがなんてばかだろうと言って、はらをかかえてわらうところを見た。
 あくる日になると、いよいよわたしは心配でおどおどしながら、芝居しばいをするはずのさかり場まで行列を作って行った。
 親方が先に立って行った。せいの高いかれは首をまっすぐに立て、むねを前へつき出して、おもしろそうにふえでワルツをふきながら、手足で拍子ひょうしをとって行った。その後ろにカピがつづいた。イギリスの大将たいしょう軍服ぐんぷくをまねた金モールでへりをとった赤い上着を着、鳥の羽根はねでかざったかぶとをかぶったジョリクールがその背中せなかにいばって乗っていた。
 ゼルビノとドルスが、ほどよくはなれてそのあとに続いた。
 わたしがしんがりをつとめていた。わたしたちの行列は親方の指図どおり適当てきとうな間をへだてて進んだので、かなり人目に立つ行列になった。
 なによりも親方のふくするどいふえのにひかれて、みんなうちの中からかけ出して来た。とちゅうの家のまどという窓はカーテンが引き上げられた。
 子どもたちのれがあとからかけてついて来た。やがて広場に着いたじぶんには、わたしたちの行列に、はるか多い見物の行列がつながって、たいした人だかりであった。
 わたしたちの芝居小屋しばいごやはさっそくできあがった。四本の木になわをむすび回して、その長方形のまん中にわたしたちは陣取じんどったのである。
 番組の第一は犬のえんじるいろいろな芸当げいとうであった。わたしは犬がなにをしているかまるっきりわからなかった。わたしはもう心配で心配で自分の役を復習ふくしゅうすることにばかり気を取られていた。わたしが記憶きおくしていたことは、親方がふえをそばへき、ヴァイオリンを取り上げて、犬のおどりに合わせてひいたことで、それはダンス曲であることもあれば、しずかな悲しい調子の曲であることもあった。なわりの外に見物はぞろぞろ集まっている。わたしはこわごわ見回すと、数知れないひとみの光がわたしたちの上に集まっていた。
 一番の芸当げいとうが終わると、カピが歯の間にブリキのぼんをくわえて、お客さまがたの間をぐるぐる回りを始めた。見物の中でぜにを入れない者があると、立ち止まって二本の前足をこのけちんぼうなお客のかくしに当てて、三度ほえて、それから前足でかくしを軽くたたいた。それを見るとみんなわらいだして、うれしがってときの声を上げた。
 じょうだんや、嘲笑ちょうしょうのささやきがそこここに起こった。
「どうもりこうな犬じゃないか。あいつは金を持っている人といない人を知っている」
「そら、ここに手をかけた」
「出すだろうよ」
「出すもんか」
「おじさんから遺産いさんをもらったくせに、けちな男だなあ」
 さてとうとう銀貨ぎんかが一まいおくふかいかくしの中からほり出されて、ぼんの中にはいることになった。そのあいだ親方は一ごんもものは言わずに、カピのぼんを目で見送りながら、おもしろそうにヴァイオリンをひいた。まもなくカピが得意とくいらしくぼんにいっぱいお金を入れて帰って来た。
 いよいよ芝居しばいの始まりである。
「さてだんなさまがたおよびおくさまがたに申し上げます」
 親方は、片手かたてゆみ、片手にヴァイオリンを持って、身ぶりをしながら口上こうじょうべだした。
「これより『ジョリクールの家来。一名とんだあほうの取りちがえ』と題しまするゆかいな喜劇きげきをごらんにいれたてまつります。わたくしほどの芸人げいにんが、手前みそに狂言きょうげん功能こうのうをならべたり、一座いちざの役者のちょうちん持ちをして、自分からひんを下げるようなことはいたしませぬ。ただ一ごん申しますることは、どうぞよくよくお目止められ、お耳止められ、お手拍子てびょうしごかっさいのご用意をねがっておくことだけでございます。はじまり」
 親方はゆかいな喜劇きげきだと言ったが、じつはだんまりの身ぶり狂言きょうげんにすぎなかった。それもそのはずで、立役者たてやくしゃの二人まで、ジョリクールも、カピもひと言も口はきけなかったし、第三の役者のわたしもふた言とは言うことがなかった。
 けれども見物に芝居しばいをよくわからせるために、親方は芝居の進むにつれて、かどかどを音楽入りで説明せつめいした。
 そこでたとえばいさましい戦争せんそうの曲をひきながら、かれはジョリクール大将たいしょうが登場を知らせた。大将はインドの戦争でたびたび功名こうみょうあらわして、いまの高い地位ちいにのぼったのである。これまで大将はカピという犬の家来を一人使っていたが、出世していてお金が取れて、ぜいたくができるようになったので、人間の家来をかかえようと思っている。長いあいだ動物が人間の奴隷どれいであったけれども、それがあべこべになるときが来たのである。
 家来の来るのを待つあいだに、大将は葉巻はまきをふかしながらあちこちと歩き回る。見物の顔にかれがたばこのけむりをふっかけるふうといったら、見物みものであった。なかなか来ないのでじれて、人間がかんしゃくを起こすときのように目玉をくるくる回し始める。くちびるをかむ。じだんだをふむ。三度目にじだんだをふんだときに、わたしがカピにれられて舞台ぶたいあらわれることになる。
 わたしが役をわすれていれば犬が教えてくれるはずになっていた。
 やがてころ合いのじぶんに、かれは前足をわたしのはうへ出して、大将たいしょうがわたしを紹介しょうかいした。
 大将たいしょうはわたしを見ると、がっかりしたふうで両手を上げた。なんだ、これがわざわざれて来た家来かい。それからかれは歩いて来て、わたしの顔をぶえんりょにながめた。そうしてかたをそびやかしながら、わたしの回りを歩き回っていた。その様子がそれはこっけいなので、だれもふき出さずにはいられなかった。見物がなるほど、このさるはわたしをあほうだと思っているなとなっとくする。そうして見物もやはりわたしをあほうだと思いこんでしまう。
 芝居しばいがまたいかにもわたしのあほうさのそこが知れないようにできていた。することなすことにさるはかしこかった。
 いろいろとわたしを試験しけんをしてみたすえ大将たいしょうはかわいそうになって、とにかく朝飯あさめしべさせることにする。かれはもう朝飯の仕度のできているテーブルを指さして、わたしにすわれといって合図をした。
「大将の考えでは、この家来にまあなにか食べるものでも食べさしたら、これほどあほうでもなくなるだろうというのですが、さて、どんなものでしょうか」と、ここで親方が口上こうじょうをはさんだ。
 わたしは小さなテーブルに向かってこしをかけた。テーブルの上には食器しょっきがならんで、さらの上にナプキンがいてあった。このナプキンをわたしはどうすればいいのだろう。
 カピがその使い方を手まねで教えてくれた。しばらくしげしげとながめたあとで、わたしはナプキンで鼻をかんだ。
 そのとき大将たいしょうはらをかかえて大笑おおわらいをした。そうしてカピはわたしのあほうにあきれ返って、四つ足ででんぐり返しを打った。
 わたしはやりそこなったことがわかったので、またナプキンをながめて、それをどうすればいいかと考えていた。
 やがて思いついたことがあって、わたしはそれをまるいてネクタイにした。大将たいしょうがもっとわらった。カピがまたでんぐり返しを打った。
 そのうちとうとうがまんがしきれなくなって、大将がわたしをいすから引きずり下ろして、自分が代わりにこしをかけて、わたしのためにならべられている朝飯あさめしを食べだした。
 ああ、かれのナプキンをあつかうことのうまいこと。いかにも上品に軍服ぐんぷくのボタンのあなにナプキンをはさんでひざの上に広げた。それからパンをさいて、お酒を飲む優美ゆうびなしぐさといったらない。けれどいよいよ食事がすんで、かれが小ようじを言いつけて、器用きように歯をせせって(つついて)見せたとき、れるほど大かっさいがほうぼうに起こって、芝居しばいはめでたくまいおさめた。
「なんというあほうな家来だろう。なんというかしこいさるだろう」
 宿屋やどやに帰る道みち、親方はわたしをほめてくれた。わたしはもうりっぱな喜劇役者きげきやくしゃになって、主人からおほめのことばをいただいて、得意とくいになるほどになったのである。


     読み書きのけいこ

 ヴィタリス親方の小さな役者の一座いちざは、どうしてなかなかたっしゃぞろいにはちがいなかったが、その曲目はそうたくさんはなかったから、長く同じ町にいることはできなかった。
 ユッセルに着いて三日目には、また旅に出ることになった。
 今度はどこへ行くのだろう。
 わたしはもう大胆だいたんになって、こう質問しつもんを親方に発してみた。
「おまえはこのへんのことを知っているか」と、かれはわたしの顔を見ながら言った。
「いいえ」
「じゃあなぜ、どこへ行くと言って聞くのだ」
「知りたいと思って」
「なにを知りたいのだ」
 わたしはなんと答えていいかわからないので、だまっていた。
「おまえは本を読むことを知っているか」
 かれはしばらく考え深そうにわたしの顔を見て、こうたずねた。
「いいえ」
「本にはこれからわたしたちが旅をして行く土地の名やむかしあったいろいろなことが書いてある。一度もそこへ来たことがなくっても、本を読めばまえから知ることができる。これから道みち教えてあげよう。それはおもしろいお話を聞かせてもらうようなものだ」
 わたしはまるっきりものを知らずに育った。もっともたったひと月村の学校に行ったことがあった。けれどその月じゅうわたしは一度も本を手に持ったことはなかった。わたしがここに話をしている時代には、フランスに学校のあることをじまんにしない村がたくさんあった。よし学校の先生のいる所でも、その人はなんにも知らないか、さもなければなにかほかに仕事があって、あずかった子どもの世話をろくろくしない者が多かった。
 わたしたちの村の学校の先生がやはりそれであった。それは先生がものを知らないというのではないが、わたしが学校に行っているひと月じゅうかれはただの一をすら教えなかった。かれはほかにすることがあった。その先生は商売がくつ屋であった。いやだれもそこから皮のくつを買う者がなかったから、ほんとうは木ぐつ屋だと言ったほうがいい。かれは一日こしかけにこしをかけて木ぐつにするけやきやくるみの木をけずっていた。そういうわけでわたしはなにも学校では教わらなかったし、ABCアベセをすら教わらなかった。
「本を読むってむずかしいことでしょうか」
 わたしはしばらく考えながら歩いて、こう聞いた。
「頭のにぶい者にはむずかしいが、それよりも習いたい気のない者にはもっとむずかしい。おまえの頭はにぶいかな」
「ぼくは知りません。けれども教えてくだされば習いたいと思います」
「よしよし、考えてみよう。まあ、ゆっくり教えてあげよう。たっぷりひまはあるからね」
 たっぷりひまがあるからゆっくりやろう。なぜすぐに始めないのだろう。わたしは本を読むことを習うのがどんなにむずかしいか知らなかった。もう本を開ければすぐに中に書いてあることがわかるように思っていた。
 そのあくる日歩いて行くとちゅう、親方はこしをかがめて、ほこりをかぶった板きれを拾い上げた。
「はら、これがおまえの習う本だ」とかれは言った。
 なにこの板きれが本だとは。わたしはじょうだんを言っているのだろうと思って、かれの顔を見た。けれどかれはいっこうにまじめな顔をしていた。わたしは木ぎれをじっと見た。
 それはうでぐらい長さがあって、両手をならべたくらいはばがあった。そのうえには字も絵も書いてはなかった。
 わたしはからかわれるような気がした。
「あすこの木のかげへ行って休んでからにしよう。そこでどういうふうにわたしがこれを使って、本を読むことを教えるか、話してあげよう」と親方は言って、わたしのびっくりしたような顔をわらいながら見た。
 わたしたちは木のかげへ来ると、背嚢はいのうを地べたに下ろして、そろそろひなぎくのさいている青草の上にすわった。ジョリクールはくさりをいてもらったので、さっそく木の上にかけ上がって、くるみを落とすときのように、こちらのえだからあちらのえだをゆすぶってさわいでいた。犬たちはくたびれて回りにまるくなっていた。
 親方はかくしからナイフを出して、いまの板きれの両側りょうがわをけずって、同じ大きさの小板を十二本こしらえた。
「わたしはこの一本一本の板に一つずつの字をほってあげる」とかれはわたしの顔を見ながら言った。わたしはじっとかれから目を放さなかった。「おまえはこの字を形でおぼえるのだ。それを一目見てなんだということがわかれば、それをいろいろに組み合わせてことばにするけいこをするのだ。ことばが読めるようになれば、本を習うことができるのだ」
 やがてわたしのかくしはその小さな木ぎれでいっぱいになった。それでABCアベセの字をおぼえるのにひまはかからなかったけれども、読むことを覚えるのはべつの仕事であった。なかなか早くはいかないので、ときにはなぜこんなものを教わりたいと言いだしたかと思って、後悔こうかいした。でもこれは、わたしがなまけ者でもなく、負けおしみが強かったからである。
 わたしに字を教えながら親方は、それをいっしょにカピにも教えてみようかと思い立った。犬は時計から時間をさがし出すことをおぼえたくらいだから、文字を覚えられないことはなかった。それでカピとわたしは同級生になって、いっしょにけいこを始めた。犬はもちろん口で言えないから、木ぎれがのこらず草の上にまきらされると、かれは前足で、言われた文字をその中から拾い出して来なければならなかった。
 はじめはわたしもカピよりはずっと進歩が早かった。けれどわたしは理解りかいこそ早かったが、物覚ものおぼえは、犬のほうがよかった。犬は一度物を教わると、いつもそれを覚えてわすれることがなかった。わたしがまちがうと親方はこう言うのである。
「カピのはうが先に読むことを覚えるよ、ルミ」
 そう言うとカピはわかったらしく、得意とくいになってしっぽをふった。
 そこでわたしはくやしくなって気を入れて勉強した。それで犬がやっと自分の名前の四つの字を拾い出してつづることしかできないのに、わたしはとうとう本を読むことをおぼえた。
「さて、おまえはことばを読むことは覚えたが、どうだね、今度はを読むことを覚えては」と親方が言った。
「譜を読むことをおぼえると、あなたのように歌が歌えますか」とわたしは聞いた。
「ああ。そうするとおまえもわたしのように歌が歌いたいと思うのかい」と親方が答えた。
「とてもそんなによくはできそうもないと思いますけれども、少しは歌いたいと思います」
「じゃあわたしが歌を歌うのを聞くのはきかい」
「ええ、わたしは、なによりそれが好きです。それはうぐいすの歌よりずっと好きです。けれどもまるでうぐいすの歌とはちがいますね。あなたが歌っておいでになると、ぼくは歌のとおりにきたくなることもあるし、わらいたくなることもあります。ばかだと思わないでください。あなたがしずかにさびしい歌をお歌いになると、わたしはまたバルブレンのおっかあの所へ帰ったような気がするのです。目をふさいで聞いていると、またうちにいるおっかあの姿すがたが目にうかびますけれども、歌はイタリア語だからわかりません」
 わたしはあお向いてかれを見た。かれの目にはなみだがあふれていた。そのときわたしはことばを切って、
「気にさわったのですか」とたずねた。
 かれは声をふるわせながら言った。「いいや、気にさわるなんということはないよ。それどころかおまえは、わたしを遠い子どもだったむかしにもどしてくれた。そうだ、ルミや、わたしは歌を教えてあげよう。そうしておまえはなさけ深いたちだから、やはりその歌で人を泣かせることもできるし、人にほめられるようにもなるだろう」
 かれは言いかけてふとやめた。わたしはかれがそのとき、そのうえに言うことをこのまないらしいのがわかった。わたしにはかれがそんなに悲しく思うわけがわからなかった。でもあとになって、それはある悲しい事情じじょうからはじめてわかった。いずれわたしの話の進んだとき、それを言うおりがあるであるう。
 そのあくる日、かれは小さく木を切って文字を作ったと同様に音譜おんぷをこしらえた。
 音譜はABCアベセより入りくんでいた。今度は習うのにもいっそうほねれたし、たいくつでもあった。あれほど犬に対してしんぼうのいい親方も、一度ならずわたしにはかんにんのを切ったこともあった。かれはさけんだ。
畜生ちくしょうに対しては、かわいそうな、口のきけないものだと思ってがまんするけれど、おまえではまったく気ちがいにさせられる」と、こうかれは言って、芝居しばいのように両手を空に上げて、急にまた下に下ろして、はげしくももを打った。
 自分がおもしろいと思うと、まねをしてはおもしろがっているジョリクールは、今度も主人の身ぶりをまねていた。毎日わたしのけいこのときに、さるはいつもそばにいるので、わたしがつかえでもすると、そのたんびにがっかりした様子をして、かれが両うでを空に上げて、また下に下ろしては、ももを打つところを見ると、わたしはしょげずにはいられなかった。
「ごらん、ジョリクールまでが、おまえをばかにしている」と親方がさけんだ。
 わたしが思い切った子なら、さるがばかにしているのは生徒せいとばかりではなく、先生までもばかにしているのだと言ってやりたかった。けれども失礼しつれいだと思ったし、こわさもこわいのでえんりょして、心のうちでそう思うだけで満足まんぞくした。
 とうとう何週間もけいこをつづけて、わたしは親方が書いた紙から、曲を読むことができるようになった。もう親方も、両手を空に上げなかった。それどころかかえって、歌うたんびにほめてくれて、この調子でたゆまずやってゆけば、きっとえらい歌うたいになれると言ってくれた。
 むろんこれだけのけいこが一日でできあがるはずはなかった。何週間のあいだ何か月のあいだ、わたしのかくしはいつも小さな木ぎれで、いっぱいになっていた。
 しかし、わたしの課業かぎょうは学校にはいっている子どものそれのように、規則きそく正しいものではなかった。親方が課業をさずけてくれるのは、そのひまな時間だけであった。
 毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、収入しゅうにゅうのある機会きかいを見つけしだい、そこで止まって芝居しばいをうたなければならなかった。犬たちやジョリクールに役々の復習ふくしゅうをもさせなければならなかった。朝飯あさめし昼飯ひるめしもてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、休憩きゅうけいの時間で、木の根かたや、小砂利こじゃりの山の上や、または芝生しばふなり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべるつくえが代わりになった。
 この教育法きょういくほうはふつうの子どもの受けるそれとは、少しもたところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた宿題しゅくだいをやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。
 けれど、勉強に使う時間のあるなしよりも、もっとたいせつなものがあった。それはその仕事に専念せんねんするということであった。さずかった課業かぎょうおぼえるのは、覚えるためについやされる時間ではなくって、それは覚えたいと思う熱心ねっしんであった。
 幸いにわたしは、ぐるりに起こる出来事に心をうばわれることなしに、むちゅうに勉強のできるたちであった。もしそのじぶんわたしが、部屋へやの中にじこもって、両手で耳をふさいで、目を本にはりつけたようにしているのでなければ、勉強のできない生徒せいとのようであったら、わたしになにができたろう、なにもできはしない。なぜというに、わたしには、閉じこもる部屋もなかった。往来おうらい沿って前へ前へと進みながら、ときどきもうつまずいてたおれそうになるほどいたい足の先を、見つめ見つめしてゆかなければならなかった。
 だんだんわたしはおかげでいろんなことをおぼえた。と同時に親方のさずけてくれた課業かぎょう以上いじょう有益ゆうえきな長い旅行をした。わたしがバルブレンのおっかあの所にいたじぶんには、ごくやせっぽちな子どもであった。みんながわたしを見て言ったことばで、その様子はよくわかる。「町の子どもだ」と、バルブレンは言ったし、「ひどくひょろひょろした手足の子だ」と親方は言った。
 ところが親方のあとについて、広い青空の下に困難こんなんな生活をつづけているあいだに、わたしの手足は強くなり、肺臓はいぞう発達はったつし、皮膚ひふあつくなり、ちょうどかぶとをかぶったように寒さをも暑さをもしのぐことができるようになった。
 こうして、このつらいお弟子でし修業しゅぎょうのおかげで、わたしは少年時代に、たいていの困難こんなんに打ち勝ってゆく力をやしなうことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。


     山こえて谷こえて

 わたしたちはフランスの中央ちゅうおうの一部、たとえばローヴェルニュ、ル・ヴレー、ル・リヴァレー、ル・ケルシー、ル・ルーエルグ、レ・セヴェンネ、ル・ラングドックというような土地土地をめぐって歩いた。
 わたしたちの流行はしごく簡単かんたんであった。どこでもかまわずまっすぐに出かけて行って、あまりびんぼうでない町だと見ると、まず行列を作る用意を始めて、犬たちに着物を着せかえてやり、ドルスのかみにくしを入れてやる。カピが老兵ろうへいの役をやっているときは、目の上に包帯ほうたいをしてやる。最後さいごにいやがるジョリクールに大将たいしょう軍服ぐんぷくを着せる。これがなによりいちばんやっかいな仕事であった。なぜというにこのさるは、これが仕事にかかるまえぶれだということを知りすぎるほど知っていて、なんでも着物を着させまいとするために、それはおかしな芸当げいとうを考え出すのであった。そこでわたしはしかたがないからカピを加勢かせいんで来て、二人がかりでどうやらこうやらおさえつけて、言うことを聞かせるのであった。
 さて一座いちざのこらずの仕度ができあがると、ヴィタリス親方はれいのふえでマーチをふきながら村の中へはいって行く。
 そこでわれわれのあとからついて来る群衆ぐんしゅうの数が相応そうおうになると、さっそく演芸えんげいを始めるが、ほんの二、三人気まぐれなやかしのお客だけだとみると、わざわざ足を止める値打ねうちもないので、かまわずずんずん進んで行く。
 一つの町に五、六日もつづけて滞留たいりゅういているようなときには、カピがついていさえすれば、親方はわたしを一人手放して外へ出してくれた。親方はつまりわたしをカピにあずけたのである。
「おまえは同じ年ごろの子どもがたいがい学校に行っている時代に、ひょんなことからフランスの国じゅうを歩く回り合わせになっているのだ」と親方はあるときわたしに言った。「だから学校へ行く代わりに、自分で目を開いて、よくものを見ておぼえるのだ。見てわからないものがあったら、かまわずにわたしに質問しつもんするがいい。わたしだってなんでも知っているわけではないが、一とおりおまえの知りたい心を満足まんぞくさせるだけのことはできるだろう。わたしもいまのような人間でばかりはなかった。かなりむかしはいろいろほかの気のきいたことも知っていた」
「どんなことを」
「それはまたいつか話そうよ。ただまあ、むかしから犬やさるの見世物師みせものしでもなかったことだけ知ってもらえばよい。なんでも人間は心がけしだいで、いちばんひく位置いちからどんなにも高い位置いちに上ることができる。これもおぼえていてもらいたい。それでおまえが大きくなったとき、どうかまあ、気のどくな旅の音楽師おんがくしが自分をやしなおやの手から引きさらって行ったときには、つらくもこわくも思ったようなものも、つまりそれがよかったのだと思って、よろこんでくれるときがあればいいと思うのだ。まあ、こうして境遇きょうぐうわるのが、つまりはおまえのために悪くはないかもしれないのだからな」
 いったいこの親方はもとはなんであったろう、わたしは知りたいと思った。
 さてわたしたちはだんだんめぐりめぐって行って、ローヴェルニュからケルシーの高原にはいった。これはおそろしくだだっ広くってあれていた。小山が波のようにうねっていて、開けた土地もなければ、大きな樹木じゅもくもなかったし、人通りはごく少なかった。小川もなければ池もない。所どころ水がかれきって、石ばかりの谷川が目にはいるだけであった。その原っぱのまん中にバスチード・ミュラーという小さな村があった。わたしたちはこの村のある宿屋やどや物置ものおきに一夜をごした。
「そうだ、この村だったよ」とヴィタリス親方が言った。「しかもこの同じ宿屋だったかもしれないが、のちに何万という軍勢ぐんぜいひきいる大将たいしょうがここで生まれたのだ。はじめはうまやのこぞうから身を起こして、公爵こうしゃくがなり、のちには王さまになった。名前をミュラーと言った。みんながその人を英雄えいゆうんで、この村をもその名前で呼ぶことになった。わたしはその男を知っていた。たびたびいっしょに話をしたこともあった」
 わたしもさすがにことばをはさまずにはいられなかった。
「うまやのこぞうだったときにですか」
「いいや」と親方はわらいながら答えた。「もう王さまだったじぶんにだよ。今度はじめてわたしはこの地方にやって来たのだ。わたしはその男が王さまだったナポリの宮殿きゅうでんで知り合いになったのだ」
「あなたは王さまと知り合いなのですか」
 わたしのこういった調子は少しこっけいであったとみえて、親方はさもゆかいそうにわらいだした。
 わたしたちはうまやの戸の前のこしかけにこしをかけて、昼間の太陽のぬくもりのまだのこっているかべに背中せなかをおしつけていた。われわれの頭の上におっかぶさっている大きないちじくの木の中で夕ぜみが鳴いていた。母屋おもやの屋根の上には、いま出たばかりの満月まんげつしずかに青空に上がっていた。その日は昼間こげるように暑かったので、それがいっそう心持ちよく思われた。
「おまえ、とこにはいりたいか」と親方はたずねた。「それともミュラー王の話でもしてもらいたいと思うか」
「ああ、どうぞそのお話をしてください」
 そこで親方はわたしとこしかけの上にいるあいだ、長物語をしてくれた。親方が話をしているうちに、だんだん青白い月の光がななめにさしこんできた。わたしはむちゅうになって耳を立てた。両方の目をすえてじっと親方の顔を見ていた。
 わたしはまえにこんなむかし物語などを聞いたことがなかった。だれがそんな話をして聞かせよう。バルブレンのおっかあはとても話すわけがない。かの女はそんな話は少しも知らなかった。かの女はシャヴァノンで生まれて、たぶんはそこで死ぬのだろう。かの女の心は目で見るかぎりをこえて先へは行かなかった。それもアンドゥーズ山のいただきから見晴らす地平線上にかぎられていた。
 わたしの親方は王さまに会ったことがある。その王さまはかれと話をした。いったいこの親方はわかいときなんであったろう。それがどうしてこの年になって、いまのような身の上になったのだろう……
 わたしの、活発に鋭敏えいびんはたらおさな想像そうぞう好奇心こうきしんは、この一つのことにばかりはたらいた。


     七里ぐつをはいた大男

 南部地方の高原のかわききった土地をはなれてのち、わたしたちは、いつも青あおとした谷間の道を通って、旅をつづけた。これはドルドーニュ川の谷で、わたしたちは毎日少しずつこの谷を下りて行った。なにしろこの地方は土地がゆたかで、住民じゅうみんしたがって富貴ふうきであったから、わたしたちの興行こうぎょうの度数もしぜん多くなり、れいのカピのおぼんの中へもなかなかたくさんのお金が投げこまれた。
 ふと空中に、ふうわりとちょうどきりの中にくもの糸でつり下げられたように、橋が一つ、大きな川の上にかかっていた。川はその下にごくおだやかに流れていた――これはキュブザックの橋で、川はドルドーニュ川であった。
 あれた町が一つ、そこには古いおほりもあり、岩屋もあり、とうもあった。修道院しゅうどういんのあれたへいの中には、せみが雑木ぞうきの中で、そこここに止まって鳴いていた――これはセンテミリオン寺であった。
 けれどそれもこれもみんなわたしの記憶きおくの中でこんがらがって、ぼやけてしまっているが、そののちほどなく、ひじょうに強い印象いんしょうをあたえた景色けしきあらわれた。それは今日でもありありと、全体のうきぼりがさながら目の前に現れるくらいあざやかであった。
 わたしたちはあるごくびんぼうな村に一夜を明かして、あくる日夜の明けないうちから出発した。長いあいだわたしたちは、ほこりっぽい道を歩いて来て、両側りょうがわにはしじゅうぶどう畑ばかりを見て来たのが、ふと、それはあたかも目をさえぎっていた窓かけがぱらりと落ちたように、眼界がんかいが自由に開けた。
 大きな川が一つ、わたしたちのそのとき行き着いたおかのぐるりをゆるやかに流れていた。この川のはるか向こうに不規則ふきそくにゆがんだ地平線までは、大都市の屋根や鐘楼しょうろうつづいてらばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の真上まうえに黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの河岸かし通りに沿って数知れない船が停泊ていはくして、林のようにならんだ帆柱ほばしらや、帆づなや、それにいろいろの色のはたを風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびくどうや鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、河岸かし通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。
「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。
 わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。
 なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。
 しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。
 つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い興味きょうみをわたしの心にひき起こした。
 いくそうかの船はをいっぱいにって、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。最後さいごにもう一つ、帆柱ほばしらもなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空にきながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。
「ちょうどいまが満潮まんちょうだ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。
「長い航海こうかいから帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになっているだろう。あすこへは港をはなれて行く船がある。川のまん中にいる船が満潮にかじを向けるようなふうに、いかりの上でくるくる回っている。けむりの雲の中を走って行く船は引き船だ」
 わたしにとってはなんということばであろう。なんという目新しい事実であろう。
 わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思った質問しつもんの百分の一に答えるだけのひまもなかった。
 これまでわたしたちはけっしてとちゅうの町で長逗留ながとうりゅうをすることはなかった。なぜというに、しじゅう見物をかえる必要ひつようから、しぜん毎日興行こうぎょうの場所をもえなければならなかった。それに『名高いヴィタリス親方の一座いちざ』の役者では、狂言きょうげん芸題げいだいをいろいろにかえてゆく自由がきかなかった。『ジョリクールの家来』『大将たいしょうの死』『正義せいぎ勝利しょうり』『下剤げざいをかけた病人』、そのほか三、四しゅ芝居しばいをやってしまえば、もうおしまいであった。それで一座いちざの役者のげい種切たねぎれであった。そこでまた場所をえて、まだ見ない見物の前で、これらの狂言きょうげんを、相変あいかわらず、『下剤をかけた病人』か、『正義の勝利』をやらなければならなかった。
 しかし、ボルドーは大都会である。見物は容易よういに入れかわったし、場所さえ変えると毎日三、四回の興行こうぎょうをすることができた。それでもカオールに行ったときのように、『いつでも同じことばかりだ』とどなられるようなことはなかった。
 ボルドーを打ち上げてから、わたしたちはポーへ行かなければならなかった。そのとちゅうでは大きなさばくをこえなければならなかった。さばくはボルドーの町の門からピレネーの連山れんざんまでつづいていて、『ランド』という名でばれていた。
 もうわたしもおとぎ話にあるわかいはつかねずみのように、見るもの聞くものが驚嘆きょうたん恐怖きょうふたねになるというようなことはなかった。それでもわたしはこの旅行のはじめから、親方をわらわせるような失敗しっぱいえんじて、ポーに着くまで、そのためなぶられどおしになぶられるほかはなかった。
 わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川沿岸えんがんの土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道はつま先下がりに下がっていった。もうぶどう畑もなければ、牧場ぼくじょうもない。果樹園かじゅえんもない、ただまつ灌木かんぼくの林があるだけであった。やがて人家もだんだん少なくなり、だんだんみすぼらしくなった。とうとうわたしたちは大きな高原のまん中にいた。所どころ高低こうていはあっても、日のとどくかぎり野原であった。畑地はたちもなければ森もない、遠方から見るとただ一色のねずみ色の土地であった。道の両側りょうがわがうす黒いこけや、しなびきった灌木かんぼくや、いじけたえにしだでおおわれていた。
「わたしたちはランドの中に来たのだ」と親方が言った。「このさばくのまん中まで行くには二十里か二十五里(八十キロか百キロ)行かなければならない。しつかり足に元気をつけるのだぞ」
 元気をつけなければならないのは足だけではなかった。頭にも、むねにも、元気をつけなければならなかった。なぜといって、もう終わる時のないように広いさばくの道を歩いて行くとき、だれでもばんやりして、わけのわからない悲しみと、がっかりしたような心持ちにむねがふさがるのであった。
 そののちもわたしはたびたび海上の旅をしたが、いつも大洋のまん中でかげ一つ見えないとき、わたしはやはりこの無人むじんの土地で感じたとおりの言いようもない悲しみを、また経験けいけんしたことがあった。
 大洋の中にいると同様に、わたしたちの日は遠い秋霧あきぎりの中に消えている地平線までとどいていた。ひたすら広漠こうばく単調たんちょうが広がっている灰色はいいろの野のほかに、なにも目をさえぎるものがなかった。
 わたしたちは歩きつづけた。でも機械的きかいてきにときどきぐるりと見回すと、やはりいつまでも同じ場所に立ち止まったまま、少しも進んでいないように思われた。目に見える景色けしきはいつでも同じことであった。相変あいかわらずの灌木かんぼく、相変わらずのえにしだ、相変わらずのこけであった。風がふくとやわらかなわらびの葉がなよなよと動いて、まるで波の走るように高くひくく走った。
 ずいぶん長いあいだをおいて、たまさか、わたしたちはちょいとした森を通りぬけることがあったが、その森はふつうの森のように、とちゅうのきょうをそえるようなものではなかった。いつもまつの木の森で、そのえだはこずえまで風に打ち落とされていた。みきに長く、深いきずがえぐれていた。その赤い傷口からすきとおったまつやにのなみだが流れ出していた。風が傷口からふきこむと、いかにも悲しそうな音楽をそうして、この気のどくなまつがみずからいたみをうったえる声のように聞かれた。
 わたしたちは朝から歩きつづけていた。親方は夜までにはどこかとまれる村に着くはずだと言っていた。けれど夜になっても、その村らしいものは見えなかったし、人家に近いことを知らせるけむりも上がらなかった。
 わたしはくたびれたし、ねむたかった。わたしたちは前途ぜんとはただ原っぱを見るだけであった。
 親方もやはりくたびれていた。かれは足を止めて道ばたに休もうとした。
 わたしはそれよりも、左手にあった小山に登って、村の火が見えるかどうか見たいと思った。
 わたしはカピをんだが、カピもやはりくたびれていたので、呼んでも聞こえないふりをしていた。これはいつでも言うことを聞きたくないときにカピのやることであった。
「おまえ、こわいのか」とヴィタリスは言った。
 この質問しつもんがすぐにわたしを奮発ふんぱつさして、一人で行く気を起こさせた。
 夜はすっかりれまくを下ろした。月もなかった。空の上には星の光がうすもやの中にちらちらしていた。歩いて行くと、そこらのさまざまな物がぼんやりした光の中できみょうな幽霊ゆうれいじみた形をしているように見えた。野生のえにしだが、頭の上にぬっと高くびて、まるでわたしのほうへ向かって来るように見えた。上へ登れば登るほどいばらや草むらはいよいよ深くなって、わたしの頭をこして、上でもつれ合っていた。ときどきわたしはその中をくぐってぬけて行かなければならなかった。
 けれどわたしはぜひも頂上ちょうじょうまで登らなければならないと決心した。でもやっとのこと登ってみれば、どちらを見ても明かりは見えなかった。ただもうきみょうな物の形と、大きな樹木じゅもくが、いまにもわたしをつかもうとするようにうでをばしているだけであった。
 わたしは耳を立てて、犬の声か、雌牛めうしのうなり声でも聞こえはしないかと思ったが、ただもうしんとしずまり返っていた。
 どうかして聞き取ろうと思うから、耳をすませて、自分の立てる息の音さええんりょをして、わたしはしばらくじっと立っていた。
 ふとわたしはぞくぞく身ぶるいがしだした。このさびしい、人気ひとけのない荒野原あらのはらしずけさが、わたしをおびやかしたのであった。なんにわたしはおびえたのであったか、たぶんあまりしずかなことが……夜が……とにかく言いようのない恐怖きょうふがわたしの心にのしかかるようにしたのであった。わたしの心臓しんぞうは、まるでそこになにか危険きけんがせまったようにどきついた。
 わたしはこわごわあたりを見回した。するとそのとき、遠方に大きな姿すがたをしたものが木の中で動いているのを見た。それといっしょにわたしは木のえだのがさがさいう音を聞いた。
 わたしは無理むりに、それは自分の気のまよいだと思いこもうとした。きっとそれは木のえだか灌木かんぼくのかげかなんぞだったのだ。
 けれど、そのとき風は、木の葉を動かすほどの軽い風もふいてはいなかった。はげしい風でふかれるか、だれかがさわらないかぎり動くはずはなかったのである。
「だれかしら」
 いや、この自分のほうを目ざしてやって来る大きな影法師かげぼうしが人間であるはずがなかった――わたしのまだ知らないなにかのけものか、またはおそろしい大きな夜鳥か、大きなばけぐもが木の上をとびこえて来るのだ。なんにしてもたしかなことは、この化け物はおそろしく長い足をしていて、ばかばかしく早く飛んで来るということであった。
 それを見るとわたしはあわてて、あとをも見ずに、足にまかせて小山をかけ下りて、ヴィタリスのいる所までにげようとした。
 けれどきみょうなことに、登るときだけに早くわたしの足が進まなかった。わたしはいばらや、雑草ざっそうのやぶの中にころがって、二足ごとにひっかかれた。
 ちくちくするいばらの中からはい出して、わたしはふと後ろをふり向いてみた。怪物かいぶつはいよいよ近くにせまっていた。もういまにも頭の上にとびかかりそうになっていた。
 運よく野原はそういばらがなかったので、いままでよりは、早くかけだすことができた。
 でもわたしがありったけの速力そくりょくで、競争きょうそうしても、その怪物かいぶつはずんずん追いぬこうとしていた。もう後ろをふり返る必要ひつようはなかった。それがわたしのすぐ背中せなかにせまっていることはわかっていた。
 わたしは息もつけなかった。競争でつかれきっていた。ただはあすう、はあすう言っていた。しかし最後さいご大努力だいどりょくをやって、わたしはころげこむように親方の足もとにかけこんだ。三びきの犬はあわててはね起きて、大声でほえた。わたしはやっと二つのことばをくり返した。
「化け物が、化け物が」
 犬たちのけたたましいほえ声よりも高く、はちきれそうな大笑おおわらいの声を聞いた。それと同時に親方は両手でわたしのかたをおさえて、無理むりに顔を後ろにふり向けた。
「おばかさん」とかれはさけんで、まだ笑いやめなかった。「まあよく見なさい」
 そういうことばよりも、そのけたたましいわらこえがわたしを正気に返らせた。わたしは片目かためずつ開けてみた。そうして親方の指さすほうをながめた。
 あれほどわたしをおどかした怪物かいぶつはもう動かなくなって、じつと往来おうらいに立ち止まっていた。
 その姿すがたを見ると、正直の話わたしはまたふるえだした。けれど今度はわたしも親方や犬たちのそばにいるのだ。草やぶのしげった中にひとりぼっちいるのではなかった……わたしは思い切って目を上げて、じっとその姿を見つめた。
 けものだろうか。
 人だろうか。
 人のようでもあって、胴はあるし、頭も両うでもあった。
 けものらしくもある。けれどもかぶっていた毛むくじゃらな身の皮と、それをのせているらしい二本の長細いすねは、それらしい。
 夜はいよいよ暗かったが、この黒い影法師かげぼうしは星明かりにはっきりと見えた。
 わたしはしばらく、それがなんだかまだわからずにいたのであったが、親方はやがてその影法師に向かって話をしかけた。
「まだ村にはよほど遠いでしょうか」と、かれはていねいにたずねた。
 話をしかけるところから見れば人間だったか。
 だがそれは返事はしないで、ただ黙った。その笑い声は鳥の鳴き声めいていた。
 するとけものかな。
 主人はやはり問いをつづけた。
 こうなると、それが今度口をきいて返事をしたら、やはり人間にちがいなかった。
 ところでわたしのびっくりしたことには、その怪物かいぶつは、この近所には人家はないが、ひつじ小屋は一けんあるから、そこへれて行ってやろうと言った。
 おやおや、口がきけるのに、なぜけものような前足があるのだろう。
 わたしに勇気ゆうきがあったら、その男のそばへ行って、どんなふうに前足ができているか見て来るところであったろうが、わたしはまだ少しこわかった。そこで背嚢はいのうをしょい上げてひと言も言わずに親方のあとについて行った。
「これでおまえ、正体がわかったろう」と親方は言って、道みち歩きながらもわらっていた。
「でもぼくはまだなんだかわかりません。じやあこのへんには大男がいるのですか」
「そうさ。竹馬に乗っていれば大男にも見えるさ」
 そこでかれはわたしに説明せつめいしてくれた。砂地すなじ沼沢しょうたくか多いランド地方の人は、沼地ぬまちを歩くとき水にぬれないように、竹馬に乗って歩くというのであった。なんてわたしはばかだったのであろう。
「これでこのへんの人が、七里ぐつをはいた大男になって、子どもをこわがらせたわけがわかったろうね」


     裁判所さいばんしょ

 ポー市にはゆかいな記憶きおくがある。そこは冬ほとんど風のふかない心持ちのいい休み場であった。
 わたしたちはそこに冬じゅういた。金もずいぶんたくさん取れた。お客はたいてい子どもたちであったから、同じ演芸えんげいを何度も何度もくり返してやってもあきることがなかった。金持ちの子どもたちで、多くはイギリス人とアメリカ人の子どもであった。ぽちゃぽちゃとかわいらしく太った男の子、それに、大きなやさしい、ドルスの目のような美しい目をした女の子たちであった。そういう子どもたちのおかげでわたしはアルバートだのハントリだのという菓子かしの味をおぼえた。なぜというに子どもたちはいつでもかくしにいっぱいお菓子をつめこんで来ては、ジョリクールと犬とわたしに分けてくれたからであった。
 けれども春が近くなるにしたがって、お客の数はだんだん少なくなった。芝居しばいがすむと一人ずつまた二人ずつ、子どもたちはやって来て、ジョリクールとカピとドルスに握手あくしゅをして行った。みんなさようならを言いに来たのであった。そこでわたしたちもまたなつかしい冬の休息所を見捨みすてて、またもやれない漂泊ひょうはくの旅に出て行かなければならなかった。それはいく週間と知らない長いあいだ、谷間をぬけ山をこえた。いつもピレネー連山れんざんのむらさき色のみねを横に見た。それはうずたかくもり上がった雲のかたまりのように見えていた。
 さてあるばんわたしたちは川に沿ったゆたかな平野の中にある大きな町に着いた。赤れんがのみっともない家が多かった。とんがった小砂利こじゃりをしきつめた往来おうらいが、一日十二マイル(約十九キロ)も歩いて来た旅行者の足をなやました。親方はわたしに、ここがツールーズの町だと言って、しばらくここに滞留たいりゅうするはずだと話した。
 れいによってそこに着いていちばんはじめにすることは、あくる日の興行こうぎょうにつごうのいい場所をさがすことであった。
 つごうのいい場所はけっして少なくはなかったが、とりわけ植物園の近傍きんぼう(近所)のきれいな芝生しばふには、大きな樹木じゅもくが気持ちのいいかげを作っていて、そこへ広い並木道なみきみちがほうぼうから集まっていた。その並木道の一つで第一回の興行こうぎょうがすることにした。すると初日しょにちからもう見物の山をきずいた。
 ところで不幸ふこうなことに、わたしたちが仕度をしているあいだ、巡査じゅんさが一人そばに立っていて、わたしたちの仕事を不快ふかいらしい顔で見ていた。その巡査はおそらく犬がきらいであったか、あるいはそんな所にわれわれの近寄ちかよることをふつごうと考えたのか、ひどくふきげんでわたしたちを追いはらおうとした。
 追いはらわれるままにわたしたちはすなおに出て行けばよかったかもしれなかった。わたしたちは巡査にたてをつくほどの力はないのであったが、しかし親方はそうは思わなかった。
 かれはたかが犬をれていなかを興行こうぎょういて回る見世物師みせものし老人ろうじんではあったが、ひじょうに気位きぐらいが高かったし、権利けんり思想しそうをじゅうぶんに持っていたかれは、法律ほうりつにも警察けいさつ規律きりつにもそむかないかぎりかえって警察から保護ほごを受けなければならないはずだと考えた。
 そこで巡査じゅんさが立ちのいてくれと言うと、かれはそれを拒絶きょぜつした。
 もっとも親方はひじょうにていねいであった。親方があまりはげしくおこらないとき、または他人をすこし愚弄ぐろう(ばかにする)しかけるときするくせで、まったくかれはそのイタリア風の慇懃いんぎん(ばかていねい)を極端きょくたんもちいていた。ただ聞いていると、かれはなにか高貴こうき有力ゆうりょくな人物と応対おうたいしているように思われたかもしれなかった。
権力けんりょくを代表せられるところの閣下かっかよ」とかれは言って、ぼうしをぬいでていねいに巡査じゅんさにおじぎをした。「閣下はたして、右の権力より発動しまするところのご命令めいれいをもって、われわれごときあわれむべき旅芸人たびげいにんが、公園においていやしき技芸ぎげいえんじますることを禁止きんしせられようと言うのでございましょうか」
 巡査じゅんさの答えは、議論ぎろん必要ひつようはない、ただだまってわたしたちは服従ふくじゅうすればいいというのであった。
「なるほど」と親方は答えた。「わたくしはただあなたがいかなる権力けんりょくによって、このご命令めいれいをお発しになったか、それさえ承知しょうちいたしますれば、さっそくおおせつけに服従ふくじゅういたしますことを、つつしんで誓言せいごんいたしまする」
 この日は巡査じゅんさ背中せなかを向けて行ってしまった。親方はぼうしを手に持ってこしを曲げたまま、にやにやしながら、はたいて退しりぞてきに向かって敬礼けいれいした。
 けれどその翌日よくじつも、巡査はまたやって来た。そうしてわたしたちの芝居小屋しばいごやかこいのなわをとびこえて、興行こうぎょうなかばにかけこんで来た。
「この犬どもに口輪くちわをはめんか」と、かれはあらあらしく親方に向かって言った。
「犬に口輪をはめろとおっしゃるのでございますか」
「それは法律ほうりつの命ずるところだ。きさまは知っているはずだ」
 このときはちょうど『下剤げざいをかけた病人』という芝居しばいをやっている最中さいちゅうでツールーズでははじめての狂言きょうげんなので、見物もいっしょうけんめいになっていた。
 それで巡査じゅんさ干渉かんしょうに対して、見物がこごとを言い始めた。
「じゃまをするない」
芝居しばいをさせろよ、おまわりさん」
 親方はそのときまず見物のさわぐのをとどめて、さて毛皮のぼうしをぬぎ、そのかざりの羽根はねが地面のすなと、すれすれになるほど、三度まで大げさなおじぎを巡査じゅんさに向かってした。
権力けんりょくを代表せられる令名れいめい高き閣下かっかは、わたくしの一座いちざ俳優はいゆうどもに、口輪くちわをはめろというご命令めいれいでございますか」
 とかれはたずねた。
「そうだ。それもさっそくするのだ」
「なに、カピ、ゼルビノ、ドルスに口輪くちわをはめろとおっしゃるか」親方は巡査じゅんさに向かって言うよりも、むしろ見物に対して聞こえよがしにさけんだ。「さてさてこれは皮肉なお考えですな。なぜと申せば、音に名高き大先生たるカピぎみが、鼻の先に口輪をかけておりましては、どうして不幸ふこうなるジョリクールが服すべき下剤げざいの調合を命ずることができましょう。物もあろうに口輪くちわなどとは、氏が医師いしたる職業しょくぎょうがふさわしからぬ道具であります」
 この演説えんぜつが見物をいっせいにわらわした。子どもたちの黄色い声に親たちのにごった声も交じった。親方はかっさいを受けると、いよいよ図に乗ってべんつづけた。
「さてまたかの美しき看護婦かんごふドルスじょうにいたしましても、ここに権力けんりょく残酷ざんこくなる命令めいれいを実行いたしましたあかつきには、いかにしてあの巧妙こうみょうなる弁舌べんぜつをもって、病人にすすめてよくその苦痛くつうやわらぐる下剤げざいを服用させることができましょうや。賢明けんめいなる観客諸君かんきゃくしょくんのご判断はんだんをあおぎたてまつります」
 見物人の拍手はくしゅかっさいとわらごえで、しかしその答えはじゅうぶんであった。みんなは親方に賛成さんせいして巡査じゅんさ嘲弄ちょうろうした。とりわけジョリクールがかげでしかめっつらをするのをおもしろがっていた。このさるは『権力けんりょくが代表せられる令名れいめい高き閣下かっか』の真後まうしろにをかまえてこっけいなしかめっ面をして見せていた。巡査じゅんさは両うでを組んで、それからまた放して、げんこつをこしに当てて、頭を後ろにらせていた。そのとおりをさるはやっていた。見物人らはおかしがって、きゃっきゃっと言っでいた。
 巡査はそのときふとなにをおもしろがっているのか見ようとして後ろをふり向いた。するとしばらくのあいださると人間とはたがいににらみ合わなければならなくなった。どちらが先に目をふせるか問題であった。
 群衆ぐんしゅうはおもしろがって金切り声を上げていた。
「きさまのいぬがあすも口輪くちわをしていなかったらすぐきさまを拘引こういんする。それだけを言いわたしておく」
「さようなら閣下かっか。ごきげんよろしゅう。いずれ明日」と親方は言って頭を下げた。
 巡査じゅんさが大またに出て行くと、親方はこしをほとんど地べたにつくほどに曲げて、からかいづら敬礼けいれいしていた。そして芝居しばいつづけてえんぜられた。
 わたしは親方が犬の口輪くちわを買うかと思っていたけれども、かれはまるでそんな様子はなかった。そのばんは巡査とけんかをしたことについては一ごんの話もなしにぎた。
 わたしはとうとうがまんがしきれなくなって、こちらからきりだした。
「あしたもしカピが芝居しばい最中さいちゅうに、口輪くちわを食い切るようなことがあるといけませんから、まえからそれをはめておいてらしてやらないでもいいでしょうか。わたしたちはカピによくはめているように教えこむことができるでしょう」
「おまえはあれらの小さな鼻の上にそんな物をのせたいとわたしが思っているというのか」
「でも巡査じゅんさがやかましく言いますから」
「おまえはんのいなかの子どもだな。百姓ひゃくしょうらしくおまえは巡査をこわがっているのか。心配するなよ。わたしはあしたうまい具合に取り計らって、巡査がわたしをつかまえることのできないようにするし、そのうえ犬がふゆかいな目に会わないようにしてやるつもりだ。それに見物も少しはうれしがるだろう。この巡査じゅんさはおかげでわたしたちによけいな金もうけをさせてくれることになるだろう。おまけにあいつは、わたしがあいつのためにしくんでおいた芝居しばい道化役どうけやくえんじることになるだろう。さてあしたは、おまえはあそこへジョリクールだけをれて行くのだ。おまえはなわりをして、ハーブで二、三回ひくのだ。やがておおぜい見物が集まって来れば、巡査じゅんさめさっそくやって来るだろう。そこへわたしは犬をれてあらわれることにする。それから茶番が始まるのだ」
 わたしはそのあくる日一人で行きたいことは少しもなかったけれども、親方の言うことには服従ふくじゅうしなければならないと思った。
 さてわたしはいつもの場所へ出かけて、かこいのなわを回してしまうと、さっそく曲をひき始めた。見物はぞろぞろほうぼうから集まって来て、なわりの外にむらがった。
 このごろではわたしもハープをひくことをおぼえたし、なかなかじょうずに歌も歌った。とりわけわたしはナポリ小唄こうたおぼえて、それがいつも大かっさいをはくした。けれどもきょうだけは見物がわたしの歌をほめるために来たのでないことはわかっていた。
 きのう巡査じゅんさとの争論そうろんを見物した人たちはのこらず出て来たし、おまけに友だちまでって来た。いったいツールーズの土地でも巡査はきらわれ者になっていた。それで公衆こうしゅうはあのイタリア人のじいさんがどんなふうにやるか。「閣下かっか、いずれ明日」と言ったてぜりふの意味がなんであったか、それを知りたがっていたのである。
 それで見物の中には、わたしがジョリクールと二人だけなのを見て、わたしの歌っている最中さいちゅう口を入れて、イタリアのじいさんは来るのかと言ってたずねる者もあった。
 わたしはうなずいた。
 親方は来ないで、先に巡査じゅんさがやって来た。ジョリクールがまっ先にかれを見つけた。
 かれはさっそくげんこつをこしの上に当てて、こっけいないばりくさった様子で、大またに歩き回った。群衆ぐんしゅうはかれの道化芝居どうけしばいをおかしがって手をたたいた。
 巡査はこわい目つきをしてわたしをにらみつけた。
 いったいこの結末けつまつはどうなるだろう。わたしは少し心配になってきた。ヴィタリス親方がいてくれれば、巡査じゅんさに答えることもできよう。巡査がわたしに立ちのけと命令めいれいしたら、わたしはなんと言えばいいのだ。
 巡査じゅんさはなわりの外を行ったり来たりしていた。それもわたしのそばを通るときには、なんだかかたごしにわたしをにらみつけるようにした。それでいよいよわたしは気が気でなかった。
 ジョリクールは事件じけんの重大なことを理解りかいしなかった。そこでおもしろ半分なわりの中で巡査じゅんさとならんで歩きながら、その一挙一動いっきょいちどうを身ぶりおかしくまねていた。おまけにわたしのそばを通るときには、やはり巡査のするように首を曲げて、かたごしににらみつけた。その様子がいかにもこっけいなので、見物はなおのことどっとわらった。
 わたしはあんまりやりすぎると思ったから、ジョリクールをせた。けれどもかれはとても言うことを聞くどころではなかった。わたしがつかまえようとすると、ちょろちょろにげ出して、す早く身をかわしては、相変あいかわらずとことこ歩いていた。
 どうしてそんなことになったかわからなかったが、たぶん巡査じゅんさはあんまりはらを立てて気がちがったのであろう。なんでもわたしがさるをけしかけているように思ったとみえて、いきなりなわりの中へとびこんで来た。
 と思うまにかれはとびかかって来て、ただ一打ちでわたしを地べたの上にたたきたおした。
 わたしが目を開いて起き上がろうとすると、ヴィタリス老人ろうじんはどこからとび出して来たものか、もうそこに立っていた。かれはちょうど巡査じゅんさのうでをおさえたところであった。
「わたしはあなたがその子どもを打つことを止めます。なんというひきょうなまねをなさるのです」とかれはさけんだ。
 しばらくのあいだ二人の人間はにらみ合って立っていた。
 巡査じゅんさはおこってむらさき色になっていた。
 親方はどうどうとした様子であった、かれはれいの美しいしらが頭をまっすぐに上げて、その顔には憤慨ふんがい威圧いあつ表情ひょうじょうがうかべていた。その顔つきを見ただけで巡査を地の下にもぐりこませるにはじゅうぶんであった。
 けれどもかれはどうして、そんなことはしなかった。かれは両うでを広げて親方ののど首をつかまえて、乱暴らんぼうに前へおし出した。
 ヴィタリス親方はよろよろとしてたおれかけたが、す早く立ち直って、平手で巡査のうで首を打った。
 親方はがんじょうな人ではあったが、なんといっても老人ろうじんであった。巡査じゅんさのほうは年も若いし、もっとがんじょうであった。このけんかがどうなるか、長くは取っ組めまいと、わたしははらはらしていた。
 けれども取っ組むまでにはならなかった。
「あなたはどうしようというのです」
「わたしといっしょに来い」と巡査じゅんさは言った。「拘引こういんするのだ」
「なぜあの子を打ったのです」と親方は質問しつもんした。
「よけいなことを言うな。ついて来い」
 親方は返事をしないで、わたしのほうをふり向いた。
宿屋やどやへ帰っておいで」とかれは言った。「犬といっしょに待っておいで。あとで口上こうじょうで言ってこすから(ことずてをするから)」
 かれはそのうえもうなにも言う機会きかいがなかった。巡査じゅんさはかれを引きずって行った。
 こんなふうにして、親方が余興よきょうにしくんだ狂言きょうげんはあっけなく結末けつまつがついた。
 犬たちははじめ主人のあとについて行こうとしたけれども、わたしがび返すと、服従ふくじゅうらされているので、かれらはわたしのほうへもどって来た。気をつけてみるとかれらは口輪くちわをはめていた。けれどもそれはふつうの金あみや金輪かなわではなくって、ただ細い絹糸きぬいとを二、三本、鼻の回りにむすびつけて、あごの下にふさをらしてあった。白いカピは赤い糸をむすんでいた。黒いゼルビノは白い糸を結んでいた。そうしてねずみ色のドルスは水色の糸を結んでいた。気のどくな親方はこんなふうにして、いかめしい権力けんりょく命令めいれいぎゃく喜劇きげきたね利用りようしようとしていたのである。
 群衆ぐんしゅうはさっそくってしまった。二、三人ひまじんのこっていまの事件じけんろんじ合っていた。
「あのじいさんがもっともだよ」
「いや、あの男がまちがっている」
「なんだって巡査じゅんさは子どもを打ったのだ。子どもはなにもしやしなかった。ひと言だって口をききはしなかった」
「とんだ災難さいなんさ。巡査に反抗はんこうしたことを証明しょうめいすれば、あのじいさんは刑務所けいむしょへやられるだろう、きっと」
 わたしはがっかりして宿屋やどやへ帰った。
 わたしはこのころでは毎日だんだんと親方がきになっていた。わたしたちは朝からばんまでいっしょにくらしてきた。どうかすると夜から朝までも同じわらのねどこにねむっていた。どんな父親だって、かれがわたしに見せたようなとどいた注意をその子どもに見せることはできなかった。かれはわたしに字を読むことも、計算することも教えてくれたし、歌を歌うことも教えてくれた。長い流浪るろうの旅のあいだに、かれはこのことあのことといろいろにしこんでくれた。たいへん寒い日には、毛布もうふを半分わけてくれたし、暑い日にはいつもわたしの代わりに荷物をかついでくれた。それから食事のときでもかれはけっして、自分がいい所を食べて悪い所をわたしにくれるというようなことはしなかった。それどころか、かれはいい所も悪い所も同じように分けてくれた。なるほどときどきはわたしがいやなほど、ひどく乱暴らんぼうに耳をることもあったけれど、わたしに過失かしつがあれば、それもしかたがなかった。一ごんで言えばわたしはかれをあいしていたし、かれはわたしを愛していた。
 だからこのわかれはわたしにはなによりつらいことであった。
 いつまたいっしょになれるだろうか。
 いったいどのくらい牢屋ろうやへ入れておくつもりなのだろう。
 そのあいだわたしはどうしたらいいだろう。どうして生きてゆこう。
 ヴィタリス親方はいつもからだにかねをつけている習慣しゅうかんであった。それがられて行くときになにもわたしにいて行くひまがなかった。
 わたしはかくしに五、六スーしか持っていなかった。それだけでジョリクールと犬とわたしの食べるだけの物が買えようか。
 わたしはそれから二日のあいだ、宿屋やどやから外へ出る気にもならずに、ぼんやりくらしてしまった。さるも犬もやはりすっかりしょげきっていた。
 やっとのことで三日目に一人の男が親方の手紙をとどけて来た。その手紙によると、親方はこのつぎの土曜日に、警察権けいさつけん反抗はんこうし、かつ巡査じゅんさに手向かいをしたとが裁判さいばんを受けるはずになっていた。
「わたしがかんしゃくを起こしたのは悪かった」と手紙に書いてあった。「とんだ災難さいなんまねいたがいまさらいたしかたもない。裁判所さいばんしょへ来てごらん、教訓きょうくんになることがあるであろう」
 こういって、それからなお二、三の注意を書きそえて、自分に代わって犬やさるたちをかわいがってくれるようにと書いてあった。
 わたしが手紙を読んでいるあいだ、カピがわたしの両足の間にはいって、鼻を手紙にこすりつけて、くんくんやっていた。かれがをふる具合で、わたしはかれがこの手紙が主人から来たことを知っていると思った。この三日のあいだにかれが少しでもうれしそうな様子を見せたのはこれがはじめてであった。
 わたしは土曜日の朝早く裁判所さいばんしょに行って、いの一番に傍聴席ぼうちょうせきにはいった。巡査じゅんさとのけんかを目撃もくげきした人たちの多くがやはり来ていた。わたしは裁判所に出るのがなんだかこわかったので、大きなストーブのかげにはいってかべにくっついて、できるだけ小さくからだをちぢめていた。
 どろぼうをして拘引こういんされた男や、けんかをしてつかまった男がはじめに裁判さいばんを受けた。弁護人べんごにん無罪むざいっていたけれど、それはみんな有罪ゆうざい宣告せんこくされた。
 いちばんおしまいに親方が引き出された。かれは二人の憲兵けんぺいの間にはさまってこしかけにかけていた。
 はじめにかれがなにを言ったか、人びとがかれになにをたずねたか、わたしはひじょうに興奮こうふんしきっていたのでよくわからなかった。
 わたしはただじっと親方を見ていた。
 かれはしらが頭を後ろにらせて、まっすぐに立っていた。かれははじて苦んでいるように見えた。裁判官さいばんかん尋問じんもんを始めた。
「おまえは、おまえを拘引こういんしようとした警官けいかんを何回も打ったことを承認しょうにんするか」と、裁判官は言った。
「何回も打ちはいたしません、閣下かっか」と親方は言った。「わたしはただ一度手を上げました。わたくしはいつもの演芸えんげいをいたしまする場所にまいりますと、ちょうど警官がわたくしのれています子どもを地の上に打ちたおすところを見たのでございます」
「その子はおまえの子ではないだろう」
「はい、しかしわたくしの実子同様にかわいがっております。それで警官けいかんがかれを打ちますところを見て、わたしはかっととりのぼせまして、警官が打とうとする手をおさえました」
「おまえは警官を打ったろう」
警官けいかんがわたくしに向かって手をあげましたから、わたくしはもはや警官としてではない、通常の人としてこれに向かってのであります。まったくいかりに乗じた結果けっかであります」
「おまえぐらいの年輩ねんぱいでいかりに乗ずるということはないはずだ」
「そうです。そういうはずはないのですが、人はおうおう不幸ふこうにして過失かしつにおちいりやすいのです」
 巡査じゅんさはそれから自分の言い分を申し立てた。それは打たれたことよりも、より多く自分が嘲弄ちょうろう(あざける)された事実についてであった。
 親方の目はそのあいだ部屋へやの中をさがすようであった。それはわたしがいるかどうか探しているのだということがわかっていたから、わたしは思い切ってかくれ場所からとび出して、おおぜいの中をおし分けながら、前へ出て、いちばん前の列の、かれのせきに近い所へ出た。かれのさびしい顔はわたしを見るとかがやきだした。わたしの目にもなみだがあふれ出した。
 まもなく裁判さいばんは決まった。かれは二か月の禁固きんこと、百フランの罰金ばっきんしょせられることになった。
 ああ、二か月の禁固きんこ
 ドアは開かれた。なみだにぬれた目の中からわたしは、かれが憲兵けんぺいのあとからついて行くのを見た。ドアはその後ろからばたんとざされた。ああ、二か月のわかれ。
 どこへわたしは行こう。


     船の上

 わたしが重たい心で、赤い目をふきふき宿屋やどやに帰ると、ちょうど亭主ていしゅが庭に出ていた。
 わたしは犬のいる所へ行こうとしてその前を通ると、かれはわたしを引き止めた。
「どうだ、親方は」とかれは言った。
有罪ゆうざい宣告せんこくを受けました」
「どのくらい」
「二か月の禁固きんこです」
罰金ばっきんはどのくらい」
「百フラン」
「二か月……百フラン」かれは二、三度くり返した。
 わたしはずんずん行こうとした。するとかれはまた引き止めた。
「その二か月のあいだおまえはどうするつもりだ」
「ぼくはわかりません」
「おや、おまえわからないと。おまえ、とにかく自分も食べて、犬やさるに食べ物を買ってやるお金がなければなるまい」
「いいえ、ないのです」
「じゃあ、おまえはわたしがやしなってくれると思っているのか」
「いいえ、わたしはだれのやっかいになろうとも思いません」
 それはまったくであった。わたしはだれのやっかいにもなるつもりはなかった。
「おまえの親方はこれまでも、もうずいぶんわたしにりがある」とかれは言った。「わたしは二か月のあいだ金をはらってもらえるかどうかわからずに、おまえをとめておくことはできない。出て行ってもらわなければならないのだ」
「出て行く。どこへ行ったらいいでしょう」
「それはわたしの知ったことではない。わたしはおまえのおやじでも親方でもなんでもないからな。どうしておまえの世話をしてやれよう」
 しばらくのあいだわたしは目がくらくらとした。亭主ていしゅの言うことはもっともであった。どうしてかれがわたしの世話をしてくれよう。
「さあ、犬とさるをれて出て行ってくれ。親方の荷物はあずかっておく。親方が刑務所けいむしょから出て来れば、いずれここへるだろうし、そのときこちらの始末しまつもつけてもらおう」
 このことばから、ある考えがわたしの心にうかんだ。
「いずれそのときはお勘定かんじょうをはらうことになるでしょうから、それまでわたしをいてはくださいませんか。その勘定にわたしのぶんもくわえてはらえばいいでしょう」
「おやおや、おまえの親方は二日分の食料しょくりょうぐらいははらえるかもしれんが、二か月などはとてもとてもだ。そりやあまるでべつな話だよ」
「わたしはいくらでも少なく食べますから」
「だが、犬もいればさるもいる。いけないいけない。出て行ってくれ。どこかいなかで仕事を見つけて、金をもらって歩けばいいのだ」
「でも親方が刑務所けいむしょから出て来たときに、どうしてわたしをさがすでしょう。きっとこちらへたずねて来るにちがいありません」
「だからおまえもその日にここへ帰って来ればいいのだ」
「それでもし手紙がとどいたら」
「手紙は取っておいてやるよ」
「でもわたしが返事を出さなかったら……」
「まあいつまでもうるさいな。急いで出て行ってくれ。五分間の猶予ゆうよをやる。五分たってわたしが帰って来ても、まだここにいれば承知しょうちしないから」
 わたしはこの男と言い合うのはむだだということを知っていた。わたしは出て行かなければならなかった。
 わたしは犬とジョリクールをれにうまやへ行った。それからかたにハープをしょって、宿やどを出た。
 わたしは大急ぎで町を出なければならなかった。なぜというに、犬に口輪くちわがはめてないのだから、巡査じゅんさにとがめられてもなんと答えようもなかった。わたしには金がないといおうか、それはまったくであった。わたしはかくしにたった十一スーしか持たなかった。それだけでは口輪を買うにも足りなかった。巡査がわたしを拘引こういんするかもしれない。親方もわたしも二人とも刑務所けいむしょに入れられたら、犬やさるはどうなるだろう。わたしは自分の位置いち責任せきにんを感じていた。
 わたしが足早に歩いて行くと、犬たちが顔を上げてながめた。その様子をどう見ちがえようもなかった。かれらははらっていた。
 わたしの背嚢はいのうに乗っていたジョリクールは、しじゅうわたしの耳をって無理むりに自分の顔を見させようとした。わたしが顔を向けると、かれはせっせとはらをかいて見せた。
 わたしもやはり腹がすいていた。わたしたちは朝飯あさめしを食べなかった。わたしの持っている十一スーでは昼食と晩食ばんしょくを食べるには足りなかった。そこでわたしたちは一食で両方兼帯けんたいの昼食を食べて、満足まんぞくしなければならなかった。
 わたしたちは巡査じゅんさに出っくわさないように、少しでも急いで市中をはなれなければならなかったから、どの道をどう行くなんていうことはかまわなかった。どの道を歩いても同じことであった。どこへ行っても食べるには金がるし、宿屋やどやへとまれば宿銭やどせんを取られる。それにねむる場所を見つけるくらいはたいしたことではなかった。このごろのあたたかい季節きせつではわたしたちは野天にねむることができた。
 さしせまっているのは食物だ。
 一休みもせずに、わたしたちは二時間ばかり歩きつづけたあとで、やっと立ち止まることができた。そのあいだ犬たちはたのむような目つきでしじゅうわたしの顔を見た。ジョリクールは耳をって、えずおなかをさすっていた。
 とうとう、わたしはここまで来ればもうなにもこわがることはないと思うところまで来てしまった。わたしはすぐそこにあったパン屋にとびこんだ。
 わたしは一斤半きんはんパンを切ってくれと言った。
「おまえさん、二斤におしなさいな。二斤のパンはどうしてもりますよ」とおかみさんは言った。「それでもそれだけの同勢どうぜいにはたっぷりとは言えない。かわいそうに、畜生ちくしょうにはじゅうぶん食べさしておやんなさい」
 おお、どうして、むろんわたしの同勢にはたっぷりではなかった。けれどもわたしの財布さいふにはたっぷりすぎた。
 パンは一きん五スーであった。二斤買えば十スーになる。わたしはあしたどうなるかわからないのに、手もとを使いきるのはりこうなことではなかった。わたしはおかみさんに打ち明けて一斤半でたくさんだというわけを話して、それ以上いじょうらないようにていねいにたのんだ。
 わたしは両うでにしっかりパンをかかえて店を出た。犬たちがうれしがって回りをとび回った。ジョリクールがかみってうれしそうにくっくっとわらった。
 わたしたちはそこから遠くへは行かなかった。
 まっ先に目に当たった道ばたの木の下でわたしはハープをみきによせかけて、草の上にすわった。犬たちはわたしの向こうにすわった。カピはまん中に、ドルスとゼルビノはその両わきにすわった。くたびれていないジョリクールは、きょろきょろとうの目たかの目で、なんでもまっ先に一きれせしめようとねらっていた。
 パンを同じ大きさに分けるのはむずかしい仕事であった。わたしはできるだけ同じ大きさにして、五きれにパンを切った。そのうえいくつかの小さなきれに割って一きれずつめいめいに分けた。
 わたしたちよりずっと少食だったジョリクールはわりがよかった。それでかれがすっかり満腹まんぷくしてしまったとき、わたしたちはやはりはらがすいていた。わたしはかれのぶんから三きれ取って背嚢はいのうの中にかくして、あとで犬たちにやることにした。それからまだ少しのこっていたので、わたしはそれを四つにちぎって、てんでに一きれずつ分けた。それが食後のお菓子かしであった。
 このごちそうがけっして食後の卓上演説たくじょうえんぜつ必要ひつようとするほどりっぱなものではなかったのはもちろんであるが、わたしは食事がすんだところで、いまがちょうど仲間なかまの者に二言三言いいわたす機会だと感じた。わたしはしぜんかれらの首領しゅりょうではあったが、この重大な場合に当たって、かれらに死生をともにすることをのぞむだけの威望いぼうりないことを感じていた。
 カピはおそらくわたしの意中をさっしたのであろう。それでかれはその大きなりこうそうな目を、じつとわたしの日の上にすえてすわっていた。
「さて、カピ、それからドルスも、ゼルビノも、ジョリクールも、みんなよくお聞き。わたしはおまえたちに悲しい知らせをつたえなければならないのだよ。わたしたちはこれから二か月も親方に会うことができないのだよ」
「ワウ」とカピがほえた。
「これは親方のためにもこまったことだし、わたしたちのためにも困ったことなのだ。なぜといって、わたしたちはなにもかも親方にたよっていたのだから、それがいま親方がいなくなれば、わたしたちにはだいいちお金がないのだ」
 この金ということばを言いだすと、カピはよく知っていて、後足で立ち上がって、ひょこひょこ回り始めた。それはいつも『ご臨席りんせき貴賓諸君きひんしょくん』から金を集めて回るときにすることであった。
「ああ、おまえは芝居しばいをやれというのだね。カピ」とわたしは言った。「それはいい考えだが、どこまでわたしたちにできるだろうか。そこが考えものだよ。うまくゆかない場合には、わたしたちはもうたった三スーしか持っていない。だからどうしても食べずにいるほかはない。そういうわけだから、ここはたいせつなときだと思って、おまえたちはみんなおとなしくぼくの言うことを聞いてくれなければだめだ。そうすればおたがいの力でなにかできるかもしれない。おまえたちはみんなしていっしょうけんめい、ぼくを助けてくれなければならない。わたしたちはおたがいにたより合ってゆきたいと思うのだ」
 こういったわたしのことばが、のこらずかれらにわかったろうとはわたしも言わないが、だいたいの趣意しゅいは飲みこめたらしかった。かれらは同じ考えになってはいた。かれらは親方のいなくなったについて、そこになにか大事件だいじけんが起こったことを知っていた。それでその説明せつめいをわたしから聞こうとしていた。かれらがわたしの言って聞かせたのこらずを理解りかいしなかったとしても、すくなくともわたしがかれらの身の上を心配してやっていることには満足まんぞくしていた。それでおとなしくわたしの言うことに身を入れて聞いて、満足まんぞくの意味を表していた。
 いやお待ちなさい。なるほどそれも、犬の仲間なかまだけのことで、ジョリクールには、いつまでもじっとしていることがのぞめなかった。かれは一分間と一つ事に心を向けていることができなかった。わたしの演説えんぜつはじめの部分だけはかれも殊勝しゅしょうらしくたいへん興味きょうみを持って傾聴けいちょうしていたが、二十とことばを言わないうちに、かれは一本の木の上にとび上がって、わたしたちの頭の上のえだにぶら下がり、それからつぎのえだへととび回っていた。カピが同じやり方でわたしを侮辱ぶじょくしたならば、わたしの自尊心じそんしんはずいぶんきずつけられたにちがいなかった。けれどもジョリクールがどんなことをしようと、わたしはけっしておどろかなかった。かれはずいぶん頭の空っぽな、軽はずみなやつだった。
 けれどそうはいうものの、少しはふざけたいのもかれとして無理むりはなかった。わたしだってやはり同じことをしたかったと思う。わたしもやはりおもしろ半分木登りをしてみたかった。けれどもわたしの現在げんざい位置いちの重大なことが、わたしにそんな遊びをさせなかった。
 しばらく休んだあとで、わたしは出発の合図をした。わたしたちはどうせ、どこかただでとまる青天井あおてんじょうの下を見つけさえすればいいのだから、なにより、あしたの食べ物を買うぜにをいくらかでももうけることが、さし当たっての問題であった。
 小一時間ばかり歩くと、やがて一つの村が見えてきた。
 びんぼう村らしくって、あまりみいりの多いことはのぞめないが、村が小さければ巡査じゅんさに出会うことも少なかろうと考えた。
 わたしはさっそく一座いちざ服装ふくそうととのえて、できるだけりっぱな行列を作りながら、村へはいって行った。運悪くわたしたちはあのふえがなかったし、そのうえヴィタリス親方のりっぱなどうどうとした風采ふうさいがなかった。軍楽隊ぐんがくたい隊長たいちょうのようなりっぱな様子でかれはいつも人目をひいていた。わたしにはせいの高いという利益りえきもないし、あのりっぱなしらが頭も持たなかった。それどころかわたしはちっぽけで、やせっぽちで、そのうえひどくやつれた心配そうな顔をしていたにちがいなかった。
 行列の先に立って歩きながら、わたしは右左をきょろきょろ見回して、わたしたちがどういう効果こうかを村の人たちにあたえているか、見ようとした。ごくわずか――となさけないけれど言わなければならなかった。だれ一人あとからついて来る者もなかった。
 ちょっとした広場のまん中にいずみがあって、木かげがこんもりしている所を見つけると、わたしはハープを下ろしてワルツを一曲ひき始めた。曲はゆかいな調子であったし、わたしの指も軽く動いた。けれどもわたしの心は重かった。
 わたしはゼルビノとドルスに向かって、いっしょにワルツをおどるように言いつけた。かれらはすぐ言うことを聞いて、拍子ひょうしに合わせてくるくる回り始めた。
 けれどもだれ一人出て来て見ようとする者もなかった。そのくせ家の戸口では五、六人の女がものをしたり、おしゃべりをしているのを見た。
 わたしはひきつづけた。ゼルビノとドルスはおどりつづけた。
 一人ぐらい出て来る者があるだろう。一人来ればまた一人、だんだんあとから出て来るにちがいなかった。
 わたしはあくまでひきつづけた。ゼルビノとドルスもくるくるじょうずに回っていた。けれども村の人たちはてんでこちらをふり向いて見ようともしなかった。
 けれどもわたしはがっかりしまいと決心した。わたしはいっしょうけんめいハープの糸が切れるほどはげしくひいた。
 ふと一人、ごく小さい子がはじめて、うちの中からちょこちょことかけ出して、わたしたちのほうへやって来た。
 きっと母親があとからついて来るであろう。その母親のあとから、仲間なかまが出て来るだろう。そうして見物ができれば、少しのお金が取れるであろう。
 わたしは子どもをおびえさせまいと思って、まえよりはしずかにひいた。そうして少しでもそばへせようとした。両手をばして、片足かたあしずつよちよち上げて、かれは歩いて来た。もう二足か三足で、子どもはわたしたちの所へ来る。ふと、そのしゅんかん母親はふり向いた。きっと子どもの姿すがたの見えないのを見て、びっくりするにちがいない。
 でもかの女はやっと子どもの行くえを見つけると、わたしの思ったようにすぐあとからかけては来ないで自分のほうへび返した。すると子どもはおとなしくふり返って母親のほうへ帰って行った。
 きっとこのへんの人は、ダンスも音楽もかないのだ。きっとそんなことであった。
 わたしはゼルビノとドルスを休ませて、今度は、わたしのきな小唄こうたを歌い始めた。わたしはこんなにいっしょうけんめいになったことはなかった。
 二せつ目の終わりになったとき、背広せびろを着て、ラシャのぼうしをかぶった男が目にはいった。その男はわたしのほうへ歩いて来るらしかった。
 とうとうやって来たな。
 わたしはそう思って、いよいよむちゅうになって歌った。
「これこれこぞう、ここでなにをしている」と、その男はどなった。
 わたしはびっくりして歌をやめた。ぽかんと口を開いたまま、そはへって来るその男をぼんやりながめた。
「なにをしているというのだ」
「はい、歌を歌っています」
「おまえはここで歌を歌う許可きょかたか」
「いいえ」
「ふん、じやあ行け。行かないと拘引こういんするぞ」
「でも、あなた……」
「あなたとはなんだ、農林監察官のうりんかんさつかんを知らないか。出て行け、こじきこぞうめ」
 ははあ、これが農林監察官か。わたしは親方の見せたお手本で、警官けいかん監察官かんさつかん反抗はんこうすると、どんな目に会うかわかっていた。わたしはかれに二度と命令めいれいをくり返させなかった。わたしは急いでわき道へにげだした。
 こじきこぞうか、ひどい言いぐさだ。わたしはこじきはしなかった。わたしは歌を歌ったまでだ。
 五分とたたないうちに、わたしはこの人情にんじょうのない、そのくせいやに監視かんしの行きとどいている村をはなれた。
 犬たちはかしられて、すごすごあとからついて来た。きっとつまらない目に会ったことを知っていた。
 カピはしじゅうわたしたちの先頭に立って歩いていた。ときどきふり向いてはれいのりこうそうな目で、いったいどうしたのですと言いたそうに見えた。ほかのものがかれの位置いちかれたのだったら、きっとわたしにそれをたずねたであろうけれども、カピはそんな無作法ぶさほうをするには、あんまりよくしつけられていた。
 かれはふに落ちないのを、いっしょうけんめいがまんしているふうを見せるだけで満足まんぞくしていた。
 ずっと遠くこの村からはなれたとき、わたしははじめてかれらに(止まれ)という合図をした。それで三びきの犬はわたしの回りにを作った。そのまん中にはカピがじっとわたしに目をすえていた。
 わたしはかれらがわからずにいることを、ここで説明せつめいしてやらなければならなかった。「わたしたちは興行こうぎょう許可きょかていないから、追い出されたのだよ」とわたしは言った。
「へえ、それではどうしましょう」と、カピは首を一ふりふってたずねた。
「だからわたしたちは今夜はどこか野天でねむって、晩飯ばんめしなしに歩くのだ」
 晩飯ばんめしということばに、みんないちどにほえた。わたしはかれらに三スーのぜにを見せた。
「知ってるとおり、わたしの持っているのはこれだけだ。今夜この三スーを使ってしまえば、あしたの朝飯あさめしになにものこらない。きょうはとにかく少しでも食べたのだから、これはあしたまでとっておくほうがいいようだ」こう言って、わたしは三スーをまたかくしに入れた。
 カピとドルスはあきらめたように首を下げた。けれどもそれほどすなおでなかったし、そのうえ大食らいであったゼルビノは、いつまでもぶうぶううなっていた。わたしはこわい目をしてかれを見たが、がなかった。
「カピ、ゼルビノに言ってお聞かせ。あれはわからないようだから」と、わたしは忠実ちゅうじつなカピに言った。
 カピはさっそく前足でゼルビノをたたいた。それはいかにも二ひきの犬の間に言い合いが始まっているように見えた。言い合いというようなことばを犬に使うのは少し無理むりだと言うかもしれないが、動物だってたしかにその仲間なかまに通用する特別とくべつなことばがあった。犬だけで言えば、かれらは話すことを知っているだけではない、読むことも知っていた。かれらが鼻を高く空に向けたり、顔を下げて地べたをかいだり、やぶや石の上をかぎ回ったりするところをごらんなさい。ふとかれらはとある草むらの前で立ち止まる。またはかべの前で立ち止まって、しばらくはじっと目をすえている。わたしたちが見てはその上になにもないが、犬はわたしたちの理解りかいしないふしぎな文字で書かれた、いろいろの変わったことをそこに読み分けるのである。
 カピがゼルビノに言ったこともわたしにはわからなかった。なぜと言うに、犬には人間のことばがわかっても、人間はかれらのことばを理解りかいしないのだ。わたしがただ見たところでは、ゼルビノは道理に耳をかたむけることをこばんだ。なんでも三スーのお金をすぐに使ってしまえと言いったようであった。カピははらを立てて歯をむき出すと、少しおくびょう者のゼルビノはすごすごだまってしまった。だまるということばにも少し説明せつめいるが、ここではころりと横になることを言うのである。
 そこでのこったのは今夜の宿やどの問題だけだ。
 時候じこうはよし、あたたかい、いい天気であった。だから青天井あおてんじょうの下にねむることはさしてむずかしいことではなかった。ただこのへんに悪いおおかみでもいるようなら、それをさけるようにすればよかった。おおかみよりもおそろしい農林監察官のうりんかんさつかんからさけることもさらに必要ひつようであった。
 わたしたちは白い道の上をずんずんまっすぐに進んで行った。山のはしに落ちかけた赤い夕日の最後さいごの光が空から消えるころまで、宿やどもとめて歩きつづけたが、まだ見つからなかった。
 もう善悪ぜんあくなしに、どうでもとまらなければならなかった。やっと林の間に出た。そこここに大きなこうがんころがっていた。この場所はずいぶんあれたさびしい所であったが、それよりいい場所は見つからなかった。それに花こう岩の中にはいってねむれば、しめっぽい夜風をふせぐたしにもなろうと思った。ここでわたしたちというのは、さるのジョリクールとわたし自身のことを言うので、犬たちは外でねむったところでかぜをひく気づかいもなかった。わたしは自分のからだをだいじにしなければならなかった。わたしのしょっている責任せきにんは重かった。わたしが病気になったらわたしたちみんなどうなるだろう。またわたしがジョリクールの看病かんびょうをしなければならないようだったら、今度はわたしがどうなるだろう。
 わたしたちは石の間にほらあなのような所を見つけた。そこにはまつの落ち葉がたまっていた。これで、上には風をふせぐ屋根があり、下にはしいてねるふとんができた。これはひじょうに具合がよかった。足りないのは食べ物ばかりであった。わたしはおなかのすいていることを考えまいとつとめた。ことわざにも言うではないか、『ねむるのは食べるのだ』と。
 いよいよ横になるまえに、わたしはカピにばんをたのむと言った。するとこの忠実ちゅうじつな犬はわたしたちといっしょにまつ葉の上でねむろうとはしないで、わたしの野営地やえいちの入口に、歩哨ほしょうのように横になっていた。わたしはカピが番をしてくれればだれも案内あんないなしに近づけないと思ったから、落ち着いてねむることができた。
 でもこれだけは心配はなかったが、すぐにはねむりつけなかった。ジョリクールはわたしの上着の中にくるまって、そばでぐっすりねむっていた。ゼルビノとドルスは、わたしの足もとでからだをのばしていた。けれどもわたしの心配はからだのつかれよりも大きかった。
 この旅行の第一日は悪かった。あくる日はどんなであろう。わたしははらったし、のどがかわいていた。それでいてたった三スーしか持っていなかった。あしたいくらかでももうけなかったら、どうしてみんなに食べ物を買ってやることができよう。それに口輪くちわはどうしよう。これから歌を歌う許可きょかは、いったいどうしたらいいだろう。ゆるしてくれるだろうか。さもないとわたしたちはみんな、やぶの中でおなかがって死んでしまうだろう。
 こういうみじめな、あわれっぽい疑問ぎもんを心の中でくり返しくり返しするうちに、わたしは暗い空の上にかがやいている星を見た。そよとの風もなかった。どこもかしこもしんとしていた。木の葉のそよぐ音もしない。鳥の鳴く声もしない。街道かいどうを車のとろとろと通る音もしない。目のとどかぎりは青白い空が広がっていた。わたしたちはひとりぼっちであった。世の中からてられていた。
 なみだは目の中にあふれた。バルブレンのおっかあはどうしたろう。気のどくなヴィタリスは。
 わたしはうつぶしになって、顔を両手でかくして、しくしくいていた。するとふと、かすかな息がかみにふれるように思った。わたしはあわててふり向いた。そのひょうしに大きなやわらかなしたがなみだにあふれたわたしのほおをなめた。それはカピが、わたしの泣き声を聞きつけて、あのわたしの流浪るろうはじめての日にしてくれたように、今度もわたしをなぐさめに来てくれたのである。
 両手でわたしはかれの首をおさえて、そのしめった鼻にキッスした。かれは二、三度おしころしたような悲しそうな鼻声を出した。それがわたしといっしょにいてくれるもののように思われた。
 わたしはねむって目がめてみると、もうすっかり明るくなっていた。カピはわたしの前にすわったままじっとわたしを見ていた。小鳥が林の中で歌を歌っていた。遠方のお寺で朝の祈祷きとうのかねが鳴っていた。太陽はもう空の上に高く上って、つかれた心とからだをなぐさめる光を心持ちよく投げかけていた。
 わたしたちはかねのを目当てに歩き出した。そこには村があって、パン屋もきっとあるにそういなかった。昼食も夕食もなしにねどこにはいれば、だれにだって空腹くうふくが『おはよう』を言いに来る。わたしは思い切って、三スーを使ってしまう決心をした。そのあとではどうなるか、それはそのときのことにしよう。
 村に着くと、パン屋がどこだと聞く必要ひつようもなかった。わたしたちの鼻がすぐにその店にれて行ってくれた。においをかぎつけるわたしの感覚かんかくは、もう犬に負けずにするどかった。遠方からわたしは温かいパンの、うまそうなにおいをかぎつけた。
 一斤五スーするパンを三スーではたんとは買えなかった。わたしたちはてんでんに、ほんの小さなきれを分け合った。それで朝飯あさめしもあっけなくすんでしまった。
 わたしたちはきょうこそいくらかでももうけなければならなかった。わたしは村の中を歩いて、どこか芝居しばいにつごうのいい場所を見つけようとした。それに村の人びとの顔色を見て、てきか味方かさぐろうとした。
 わたしの考えはすぐに芝居を始めようというのではなかった。それには時間があまり早すぎた。けれどいい場所が見つかれば、昼ごろ帰って来て、わたしたちの運命を決する機会きかいをとらえるつもりであった。
 わたしがこの考えに心をうばわれていると、ふとだれか後ろからとんきょうな声を上げる者があった。あわててわたしがふり向くと、ゼルビノがわたしのほうへ向かってかけて来る。そのあとから一人のおばあさんが追っかけて来るのを見た。もうすぐ何事が起こったかということはわかった。わたしがほかへ気を取られているすきをねらって、ゼルビノは一けんの家にかけこんで、肉を一きれぬすみだしたのであった。かれはえものを歯の間にくわえたまま、にげ出して来たのであった。
「どろぼう、どろぼう」とおばあさんはさけんだ。「そいつをつかまえておくれ。そいつらみんなつかまえておくれ」
 おばあさんのこう言うのを聞いて、わたしはとにかく自分にもつみがある。いやすくなくともゼルビノの犯罪はんざい責任せきにんがあると感じた。そこでわたしはかけ出した。もしおばあさんがぬすまれた肉の代価だいか請求せいきゅうじたら、なんと言うことができよう。どうして金をはらうことができよう。それでわたしたちがつかまえられれば、きっと刑務所けいむしょに入れられるだろう。
 わたしがにげ出して行くのを見て、ドルスとカピもさっそくわたしのれいにならった。かれらはわたしのかかとについて走った。ジョリクールはわたしのかたに乗ったまま、落ちまいとしてしっかり首にかじりついた。
 だれかほかの者もさけんでいた。待て、どろぼう……そしてほかの人たちも仲間なかまになって追っかけていた。けれどもわたしたちはどんどんかけた。恐怖きょうふがわたしたちの速力そくりょくを進めた。わたしはドルスがこんなに早く走るのを見たことがなかった。かの女の足はほとんど地べたについていなかった。横町を曲がって、野原をつっ切って、まもなくわたしたちは追っ手をはるかぬいてしまった。けれどもやはりどんどんかけつづけて、いよいよ息がつけなくなるまで止まらなかった。わたしたちは少なくとも三マイル(約五キロ)も走った。ふり返って見るともうだれも追っかけて来なかった。カピとドルスはやはりわたしのすぐ後について来た。ゼルビノは遠くにはなれていた。たぶんぬすんだ肉を食べるので手間を取ったのであろう。
 わたしはかれをんだ。けれどもかれはひどい刑罰けいばつに会うことを知りすぎるほど知っていた。そこでわたしのほうへはって来ないで、できるだけ早くかけ出したのである。かれはえていた。それだから肉をぬすんだのだ。けれどもわたしはそれを口実こうじつとしてゆるすことはできなかった。かれはぬすみをした。わたしが仲間なかまの間に規律きりつたもとうとすれば、つみおかしたものはばっせられなければならない。それをしなかったら、つぎの村へ行って、今度はドルスが同じ事をするであろう。そうなるとカピまでが誘惑ゆうわくに負けないとは言えぬ。
 わたしはゼルビノに対し、公然刑罰こうぜんけいばつくわえなければならなかった。けれどもそれをするためにはかれをつかまえなければならなかった。それはたやすいことではなかった。
 わたしはカピのほうへ向いた。
「行ってゼルビノをさがしておいで」とわたしは重おもしく言った。
 かれはさっそく言いつけられたとおりするために出て行った。けれどもいつものような元気のないことをわたしは見た。かれの顔つきを見ていると、憲兵けんぺいとしてかれはわたしの言いつけをたすよりも、弁護人べんごにんとしてゼルビノをかばってやりたいように見えた。
 わたしはかれが囚人しゅうじんれて帰って来るのを、べんべんとこしかけて待つほかはなかった。気ちがいじみたかけっこをしたあとで、休息するのがうれしかった。わたしたちが休んだ所はちょうどこんもりした木かげと、両側りょうがわに広びろと野原の開けた、堀割ほりわりの岸であった。ツールーズを出てはじめて、青あおした、すずしいいなか道に出たのだ。
 一時間たったが、犬たちは帰って来なかった。わたしはそろそろ心配になりだしたとき、やっとカピがひとりぼっち首をうなだれたまま帰って来た。
「ゼルビノはどうした」
 カピはおどおどした様子で、平伏へいふくした。わたしはかれのかたっぽの耳から血の出ているのを見た。わたしはそれで様子をさとった。ゼルビノはこの憲兵けんぺいたたかいをしかけてきたのである。わたしはカピがそうして、いやいやわたしの命令めいれいしたがいながらも、ゼルビノとの格闘かくとうにわざと負けてやったことがわかった。そしてそのため自分もやはりしかられるものと覚悟かくごしているらしく思われた。
 わたしはかれをしかることができなかった。わたしはしかたがないから、ゼルビノが自分から帰って来るときを待つことにした。わたしはかれがおそかれ早かれ後悔こうかいして帰って来て、刑罰けいばつを受けるだろうと思っていた。
 わたしは一本の木の下に、手足をふみのばしてよこになった。ジョリクールはしっかりとうでにだいていた。それはこのさるまでがゼルビノと仲間なかまになる気を起こすといけないと思ったからであった。ドルスとカピはわたしの足の下でねむっていた。時間がたった。ゼルビノは出て来なかった。とうとうわたしもうとうととねむりこけた。
 四、五時間たってわたしは目を覚ました。日かげでもう時刻のよほどたったことがわかったが、それは日かげを見て知るまでもなかった。わたしの胃ぶくろは一きれのパンを食べてからもうひさしい時間のたつことをわめきたてていた。それに二ひきの犬とジョリクールの顔つきだけでも、かれらのえきっていることはわかった。カピとドルスはなさけない目つきをして、じっとわたしを見つめた。ジョリクールはしかめっつらをしていた。
 でもやはりゼルビノは帰ってはいなかった。
 わたしはかれをびたてたり、口ぶえをふいたりしたけれどもむだであった。たぶんごちそうをせしめたので、すっかりはらがふくれて、どこかのやぶの中にころがって、ゆっくり消化させているのであろう。
 やっかいなことになってきた。わたしがここを立ち去れば、ゼルビノはわたしたちを見つけることができないから、そのまま行くえ知れずになってしまう。かといってここにこのままいては、少しでも食べ物を買うお金をもうける機会きかいがまるでなかった。
 わたしたちの空腹くうふくはいよいよやりきれなくなってきた。犬たちは哀願あいがんするような目つきをたえずわたしに向けた。そしてジョリクールはおなかをさすって、おこって、きゃっきゃっとさけんでいた。
 それでもゼルビノはまだ帰って来なかった。もう一度わたしはカピをやって、なまくらものの行くえをさがさせた。けれども三十分たってから、やはりカピだけひとりぼんやり帰って来た。
 どうしたらいいであろう。
 ゼルビノはつみおかしたが、またかれの過失かしつのためにわたしたちはこんなひどい目に会わされることになったのであるが、かれをふりてることはできなかった。三びきの犬を満足まんぞくれて帰らなかったら、親方はなんと言うであろう。それになんといっても、わたしはあのいたずら者のゼルビノをかわいがっていた。
 わたしはばんがたまで待つ決心をした。けれどなにもせずにいることはできるものではなかった。わたしたちはなにかしていればきっとこれほどひどい空腹くうふくがこたえないであろうと思った。
 わたしはなにか気をまぎらすことを考え出したなら、さし当たりこれほどひもじい思いをわすれるかもしれない。
 なにをしたらよかろう。
 わたしはこの問題をいろいろ考え回した。そのときわたしが思い出したのは、ヴィタリス親方がいつか言ったことに、軍隊ぐんたいが長い行軍こうぐん疲労ひろうしきると、楽隊がくたいがそれはゆかいな曲を演奏えんそうする、それで兵隊へいたいの疲労をわすれさせるようにするというのであった。
 そうだ。わたしがなにかゆかいな曲をハープでひいたら、きっと空腹くうふくを忘れることができるかもしれない。わたしたちはみんなひどく弱りきっている。でもなにかゆかいな曲をひいたら、かわいそうな二ひきの犬たちも、ジョリクールといっしょにおどりだして、時間が早くぎるかもしれない。
 わたしは二本の木によせかけておいた楽器がっきを取り上げて、堀割ほりわりのほうに背中せなかを向けながら、動物たちの列を作ってならばせ、ダンス曲をひき始めた。
 はじめのうちは、犬もさるもダンスをする気にもなれないらしかった。かれらの欲望よくぼうは食べ物のほかになかった。そのいじらしい様子を見ると、わたしのむねいたんだ。けれどもかわいそうに、かれらも空腹くうふくわすれなければならなかった。わたしはいよいよ調子を高く早くとひいた。すると少しずつだんだんに、音楽がその偉力いりょくあらわしてきた。かれらはおどりだした。わたしはひきつづけた。
「うまい」――ふとわたしはすみきった子どもの声でこうさけぶのを聞いた。その声はすぐ後ろから聞こえた。わたしはあわててふり向いた。
 一せきの遊船ゆうせん堀割ほりわりの中に止まっていた。その小舟こぶねっている二ひきの馬は、向こう岸に休んでいた。それはきみょうな小舟であった。わたしはまだこんなふうな船を見たことはなかった。
 それは堀割にうかんでいるふつうの船にくらべて、ずっとたけが短かった。そして水面からわずか高い甲板かんぱんの上には、ガラスしょうじをたてきった船室があり、その前にはきれいなろうかがあって、つたの葉でおおわれていた。
 そこには二人、人がいた。一人はまだわか貴婦人きふじんで、美しい、そのくせ悲しそうな顔をしていた。もう一人はわたしぐらいの年ごろの男の子で、これはあお向けにねているらしかった。
「うまい」と声をかけたのは、あきらかにこの子どもであった。
 わたしはかれらを見つけて、一度はたいへんびっくりしたが、落ち着くと、わたしはぼうしを取って、かれらの賞賛しょうさん感謝かんしゃの意をひょうした。
「あなたはお楽しみにやっておいでなのですか」と、貴婦人きふじんは外国なまりのあるフランス語で言った。
「わたしは犬をしこんでいるのです。それに……自分の気晴らしにも」
 子どもはなにか言った。婦人はそのほうにのぞきこんだ。
「あなた、まだやってもらえますか」と、そのとき貴婦人きふじんはこちらを向いて言った。
 なにかやってくれるか。やらなくってどうするものか。こういうところへ来てくれたお客のために、どうしてやらずにいられよう。わたしはそれを二度と言われるまでも待たなかった。
「ダンスにしましょうか。喜劇きげきにしましょうか」とわたしは聞いた。
「ああ、喜劇だ、喜劇だ」と子どもがさけんだ。
 けれども貴婦人きふじんは口をはさんで、「まあ先にダンスを」と言った。
「ダンスはだって短すぎるもの」と子どもは言った。
「お客さまのおのぞみとございましたら、ダンスのあとでちがった番組をいろいろとりかえてごらんにいれましょう」
 これはうちの親方の使う口上こうじょうの一つであった。わたしはなるべくかれと同じようなしかつめらしい言い方でやろうとつとめた。だがなおよく考えると、喜劇きげき所望しょもうしてくれなかったことは結局けっきょくありがたかった。なぜといって、どうそれをやるかくふうがつかなかった。ゼルビノという役者が一まい足りないばかりではない、芝居しばいをするには衣装いしょうも道具もなかった。
 とにかくわたしはハープを取り上げて、まずワルツの第一せつをひいた。カピは前足でドルスのこしをだいて、じょうずに拍子ひょうしを取りながらおどり回った。つぎにジョリクールが一人でおどって、それからそれとわたしたちは順々じゅんじゅんに番組を進めていった。もう少しもくたびれたとは思わなかった。かわいそうな動物どもは、やがて昼飯ひるめし報酬ほうしゅうの出ることを知って、いっしょうけんめいにやった。わたしもそのとおりであった。
 するととつぜん、みんながいっしょになってダンスをしている最中さいちゅうに、ゼルビノがやぶのかげから出て来た。そして仲間なかまがそのそばを通ると、かれはずうずうしくもその仲間に割りこんで来た。
 ハープをひきひき役者たちの監督かんとくをしながら、わたしはときどき子どものほうを見た。かれはわたしたちの演技えんぎにひじょうなゆかいを感じているらしく見えたが、からだを少しも動かさなかった。寝台ねだいの上にあお向いたまま、ただ両手を動かして拍手はくしゅかっさいした。半身不随はんしんふずいなのかしら、板の上にりつけられたように見えた。
 いつのまにか風で船が岸にふきつけられていたので、いまは子どもをはっきり見ることができた。かれは金茶色のかみをしていた。顔色は青白くて、すきとおった皮膚ひふのもとにひたい青筋あおすじすら見えるほどであった。その顔つきには病人の子どもらしい、おとなしやかな、悲しそうな表情ひょうじょうがあった。
「あなたがたのお芝居しばいのさじきりょうがいかほどですね」と、貴婦人きふじんはたずねた。
「おなぐさみに相応そうおうしただいだけいただきます」
「じゃあ、お母さま、たんとおやりなさい」と子どもが言った。かれはそのうえなにかわたしにわからないことばでつけくわえていた。すると貴婦人きふじんは、
「アーサがお仲間なかまの役者たちをそばで見たいと言うのですよ」と言った。
 わたしはカピに目くはせをした。大喜おおよろこびでかれは船の中へとびこんで行った。
「それから、ほかのは」とアーサとばれたこの子どもはさけんだ。
 ゼルビノとドルスがカピのれいにならった。
「それからおさるは」
 ジョリクールもわけなくとびこむことができたろう。でもわたしは安心がならなかった。一度船に乗ったら、きっとなにか貴婦人きふじんの気にいらないような悪さをするかもしれなかった。
「おさるは気があらいの」と貴婦人はたずねた。
「いいえ、そうではありませんが、なかなか言うことを聞きませんから、失礼しつれいでもあるといけないと思います」
「おや、それではあなた、れておいでなさい」
 こう言って貴婦人きふじんはかじのほうに立っていた男に合図をした。この人は出て来て、へさきから岸に板をわたした。
 かたにハープをかけて、ジョリクールをうでにだいたまま、わたしは板をわたった。
「おさるだ。おさるだ」とアーサはさけんだ。その子どもを貴婦人きふじんはアーサとんでいた。
 わたしはかれのそばへ寄って、かれがジョリクールをなでたりさすったりしているとき、わたしは注意してその様子を見た。実際じっさいにかれは一まいの板に皮でからだをむすびつけられていた。
「あなた、お父さんはあるの」と貴婦人きふじんはたずねた。
「いえ、いまはひとりぼっちです」
「いつまで」
「二か月のあいだ」
「二か月ですって、まあかわいそうに、あなたぐらいの年ごろに、どうして独りぼっちき去りにされるようなことになったの」
「そんな回り合わせになったのです」
「あなたの親方さんはふた月のあいだにたんとお金を持って帰れと言いつけたのではないのですか。そうでしょう」
「いいえ、おくさん、親方はわたしになにも言いつけはしません。ただい一座いちざののものといっしょに、そのあいだ食べてゆかれさえすればそれでいいんです」
「それで、どれだけお金が取れましたか」
 わたしは答えようとしてちゅうちょした。わたしはこの美しい婦人ふじんの前では一種いっしゅのおそれを感じたけれども、貴婦人きふじんはひじょうに親切に話しかけてくれたし、その声はいかにもやさしかったから、わたしはほんとうのことを打ち明ける決心をした。またそれをしてならない理由はなにもなかった。
 そこでわたしは貴婦人きふじんに向かって、ヴィタリスとわたしがわかれたいちぶしじゅうを話した。ヴィタリス親方がわたしを保護ほごするために、刑務所けいむしょれて行かれたこと、それから親方がいなくなってから、金を取ることができなくなった次第を話した。
 わたしが話をしているあいだ、アーサは犬と遊んでいたが、わたしの言ったことばはよく耳に止めていた。
「じゃあきみたち、みんなずいぶんおなかがすいているだろう」とかれは言った。
 このことばを動物たちはよく知っていて、犬はよろこんでほえ始めるし、ジョリクールははげしくおなかをこすった。
「ああ、お母さま」とアーサがさけんだ。
 貴婦人きふじんは聞き知らないことばで、半分開けたドアのすきから頭を出しかけていた女中に、なにか二言三言いった。まもなく女中は食物をのせたテーブルを運んで来た。
「おかけ」と貴婦人は言った。
 わたしは言われるままにさっそく、ハープをわきへいて、テーブルの前のいすにこしをかけた。犬たちはわたしの回りに列を作ってならんだ。ジョリクールはわたしのひざの上でおどっていた。
「きみの犬はパンを食べるの」とアーサはたずねた。
「パンを食べるどころですか」
 わたしが一きれずつ切ってやると、かれらはむさぼるようにして見るまにたいらげてしまった。
「それからおさるは」とアーサは言った。
 けれども、ジョリクールのことで気をもむ必要ひつようもなかった。わたしが犬にやっているあいだ、かれは横合いから肉入りのパンを一きれさらって、テーブルの下にもぐって、息のつまるほどほおばっていた。
 わたし自身もパンを食べた。ジョリクールのようにのどにはつまらせなかったけれど、同じようにがつがつして、もっとたくさんほおばった。
「かわいそうに、かわいそうに」と貴婦人きふじんは言った。
 アーサはなにも言わなかったが、大きな目を見張みはってわたしたちをながめていた。わたしたちのよく食べるのにびっくりしたのであろう。わたしたちはてんでんにはらをすかしきっていた。肉をぬすんで少しははらにこたえのあるはずのゼルビノまでが、がつがつしていた。
「きみはぼくたちに会わなかったら、きょうの昼飯ひるめしはどうするつもりだったの」とアーサがたずねた。
「なにを食べるか当てがなかったのです」
「じゃああしたは」
「たぶんあしたはまた運よく、きょうのようなお客さまにどこかで会うだろうと思います」
 アーサはわたしとの話を打ち切って、そのとき母親のほうにふり向いた。しばらくのあいだかれらは外国語で話をしていた。かれはなにかをもとめているらしかったが、それを母親ははじめのうち承知しょうちしたがらないように見えた。
 するうち、ふと子どもはくるりと向き返った。かれのからだは動かなかった。
「きみはぼくたちといっしょにいるのはいやですか」とかれはたずねた。
 わたしはすぐ返事はしないで、顔だけ見ていた。わたしはこのだしぬけの質問しつもんにめんくらわされていた。
「この子があなたがたにいっしょにいてくださればいいと言っているのですよ」と貴婦人きふじんがくり返した。
「この船にですか」
「そうですよ。この子は病気で、この板にからだをゆわえつけていなければならないのです。それで昼間のうち少しでもゆかいにくらせるように、こうして船こ乗せて外へ出るのです。それであなたがたの親方が監獄かんごくにはいっておいでのあいだ、よければここにわたしたちといっしょにいてください。あなたのその犬とおさるが毎日げいをしてくれば、アーサとわたしが見物になってあげる。あなたはハープをひいてくれるでしょう。それであなたはわたしたちにつとめてくれることになるし、わたしたちはわたしたちで、あなたがたのお役に立つこともありましょう」
 船の上で。わたしはまだ船の上でくらしたことがなかったが、それはわたしのひさしいのぞみであった。なんといううれしいこと。わたしは幸福に心のくらむような感じがした。なんという親切な人たちだろう。わたしはなんと言っていいかわからなかった。
 わたしは貴婦人きふじんの手を取ってキッスした。
「かわいそうに」とかの女はやさしく言った。
 かの女はわたしのハープを聞きたいと言った。そのくらい手軽ななぐさみですむことなら、わたしはどうかして、自分がどんなにありがたく思っているか見せたいと思った。
 わたしは楽器がっきを手に取って、船のへさきのほうへ行って、しずかにひきはじめた。
 貴婦人きふじんはふとくちびるに小さなぎん呼子よぶこぶえを当てて、するどいを出した。
 わたしはなぜ貴婦人がふえをふいたのであろうと思って、ちょいと音楽をやめた。それはわたしのひき方が悪いからであったか、それともやめろという合図であったか。
 自分の身の回りに起こるどんな小さなことも見のがさないアーサは、わたしの不安心ふあんしんらしい様子を見つけた。
「お母さまは馬を行かせるために、ふえをふいたんだよ」とかれは言った。
 まったくそのとおりであった。馬に引かれた小舟こぶねは、そろそろときしをはなれて、堀割ほりわりしずかな波を切ってすべって行った。両側りょうがわには木があった。後ろにはしずんで行く夕日のななめな光線が落ちた。
「ひきたまえな」とアーサが言った。
 頭をちょっと動かしてかれは母親にそばに来いという合図をした。かれは母親の手を取って、しっかりにぎった。わたしはかれらのために、親方の教えてくれたありったけの曲をひいた。


     最初さいしょの友だち

 アーサの母親はイギリス人であった、名前をミリガン夫人ふじんと言った。後家ごけさんで、アーサは一人っ子であった。少なくとも生きているただ一人の子どもだと考えられていた。なぜというに、かの女はふしぎな事情じじょうのもとに、長男をなくした。
 その子は生まれて六月むつき目に人にさらわれてしまった。それからどうしたかかいもく行くえがわからなかった。もっともその子がかどわかされたころ、ちょうどミリガン夫人ふじんはじゅうぶんの探索たんさくをすることのできない境遇きょうぐうであった。かの女のおっとは死にかかっていたし、なによりもかの女自身がひどくわずらって、身の回りにどんなことが起こっているか、まるっきりわからずにいた。かの女が意識いしきを取り返したときには、夫は死んでいたし、赤子はいなくなっていた。かの女の実の弟に当たるジェイムズ・ミリガンはイギリスはもちろん、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリアとほうぼうに子どもをさがさせたが、結局けっきょく行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの財産ざいさん相続そうぞくするつもりでいた。
 ところがやはり、ジェイムズ・ミリガンは、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、夫人ふじんおっとの死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。
 けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン財産ざいさん相続そうぞくすることになるであろう。
 そう思ってかれはあてにして待っていた。
 けれども医者の予言よげんはなかなか実現じつげんされなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎなやまいという病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の看護かんごの力であった。
 最後さいごの病は腰疾ようしつ(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだをゆわえつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は気鬱きうつと空気の悪いために死ぬかもしれない。
 そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の景色けしきは、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。
 もちろんこのイギリスの貴婦人きふじんとむすこについて、わたしはこれだけのことをのこらず、はじめての日にいたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。
 わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが部屋へやと定められた船室がどんなものであるかということだけであった。
 わたしは高さ七しゃく(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九〜一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな部屋へやにおもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。
 その船室に備えつけたたった一つの道具は、衣装いしょう戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。寝台ねだいとふとんとまくらと毛布もうふとがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、はけくしやいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな寝台ねだいにねむることをどんなにわたしはよろこんだであろう。生まれてはじめてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうにかたくって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス老人ろうじんとわたしはたいていしき物なしでねむった。木賃宿きちんやどにあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。
 わたしはあくる朝早く起きた。一座いちざ連中れんじゅう一晩ひとばんどんなふうにごしたか知りたかったからである。
 見るとかれらはみんなまえのばん入れてやった所にいて、このきれいな小舟こぶねはもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは片目かためを開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。
 わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度はらを立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室にれて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんをしめしていたのであった。
 わたしはなぜかれを甲板かんぱんの上にいて行かなければならなかったか、そのわけを説明せつめいすることができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。
 はじめはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気がわりやすい性質せいしつだけに、なにかほかのことに考えがうつって、手まねで、よし、外へ散歩さんぽれて行くなら、かんべんしてやろうという意をしめした。
 甲板かんぱんをそうじしていた男が、気軽に板をわたしてくれたので、わたしは部下をれて野原へ出た。
 犬とかけっこしたり、ジョリクールをからかったり、ほりをとんだり、木登りをしたりして遊んでいるうちに時間がたった。帰ってみると、馬ははこやなぎの木につながれて、すっかり仕度ができていて、小舟こぶねはいつでも出発するようになっていた。
 わたしたちがみんな船の上に乗ってしまうと、まもなく船をつないだ大づなはかれて、船頭はかじを、御者ぎょしゃづなを取った。引きづなの滑車かっしゃがぎいぎい鳴って、馬は引き船の道をカッパカッパ歩きだした。
 これでも動いているかと思うはどしずかに船は水の上をすべって行った。そこに聞こえるものは小鳥の歌と、船に当たる水の音、それから馬の首につけたすずのチャランチャランだけであった。
 所どころ水はこい緑色に見えてたいへん深いようであった。そうかと思うと水晶すいしょうのようにすみきっていて、水のそこできらきら光る小石だの、ビロードのような水草をすかして見ることができた。
 わたしが水の中をじっとのぞきこんでいると、だれかがわたしの名前をんだ。それはアーサであった。かれはれいの板に乗せられて運び出されていた。
「きみ、よくねられたかい、野原にねむるよりも」とかれはたずねた。わたしは半分、ミリガン夫人ふじんにあいさつするように、ていねいによくねむられたことを話した。
「犬は」アーサが聞いた。
 わたしはかれらをんだ。かれらはジョリクールといっしょにかけて来た。このさるはいつも芝居しばいをやらされると思うときするように、しかめっつらをしていた。
 ミリガン夫人ふじんはむすこを日かげにいて、自分もそのそばにすわった。
「それでは、あちらへ犬とさるをれて行ってください。わたしたちは課業かぎょうがありますから」とかの女は言った。
 わたしは連中れんじゅうれてへさきのほうへ退しりぞいた。
 あの気のどくな病人の子どもに、どんな課業かぎょうができるのだろう。
 わたしはかれの母親が手に本を持って、むすこに課業をさずけけているのを見た。
 かれはそれをおぼえるのがなかなか困難こんなんであるらしく見えた。しじゅう母親はやさしくめていたが、同時になかなか手ごわかった。
「いいえ」とかの女は最後さいごに言った。「アーサ、あなたはまるでおぼえていません」
「ぼく、できません。お母さま、ぼく、ほんとにできないんです」とかれはくように、言った。「ぼく病気なんです」
「あなたの頭は病気ではありません。アーサ、病人だからといって、だんだんばかになるような子をわたしはきません」
 これはずいぶん残酷ざんこくなようにわたしには思われた。けれどかの女はあくまでやさしい親切な調子で言った。
「なぜ、あなたはわたしにこんななさけない思いをさせるでしょう。あなたが習いたがらないのが、どんなにわたしには悲しいかわかるでしょう」
「ぼく、できません、お母さま、ぼくできないんです」こう言ってかれはきだした。
 けれどもミリガン夫人ふじんは子どものなみだに負かされはしなかった。そのくせかの女はひじょうに感動して、ますます悲しそうになっていた。
「わたしもけさあなたをルミや犬たちと遊ばせてあげたいのだけれど、すっかりお話をおぼえるまでは遊ばせることはできません」こう言ってかの女は本をアーサにわたして、一人き去りにしたまま向こうへ行った。
 わたしの立っていた所までかれのごえが聞こえた。
 あれほどまでにあいしているらしい母親がどうしてこのかわいそうな子どもにこれほど厳格げんかくになれるのであろう。アーサのおぼえられないのは病気のせいなのだ。かの女はやさしいことば一つかけないではいってしまうのであろうか。
 しばらくたってかの女はもどって来た。
「もう一度二人でやってみましょうね」とかの女は優しく言った。
 かの女は子どものわきにこしをかけて、本を手に取って、『おおかみと小ひつじ』というお話を読み始めた。アーサはその読み声について文句もんくをくり返した。
 三度はじめからしまいまで読み返して、それから本をアーサに返して、あとは一人で習うように言いつけて、船の中にはいってしまった。
 わたしはアーサのくちびるの動くのを見た。
 かれはたしかにいっしょうけんめい勉強していた。
 けれどもまもなく目を本からはなした。かれのくちびるは動かなくなった。かれの目はきょろきょろとあてもなくまよったが、本にはもどって来なかった。
 ふとかれの目はわたしの目を見つけた。
 わたしは課業かぎょうつづけてやるようにかれに目くばせした。かれは注意を感謝かんしゃするように微笑びしょうした。そしてまた本を読み始めた。けれどもまえのようにやはりかれは考えを一つに集めることができなかった。かれの目は川のこちらの岸から向こう岸へとまよい始めた。ちょうどそのとき一のかわせみが矢のように早く船の上をかすめて、青い光をひらめかしながら飛んだ。
 アーサは頭を上げてその行くえを見送った。鳥が行ってしまうと、かれはわたしのほうをながめた。
「ぼく、これがおぼえられない」とかれは言った。「でもぼく、おぼえたいんだ」
 わたしはかれのそばへ行った。
「この話はそんなにむずかしくはありませんよ」とわたしは言った。
「うん、むずかしい。……たいへんむずかしいんだ」
「ぼくにはずいぶんやさしいと思えますよ。あなたのお母さまが読んでいらっしゃるときに聞いていて、ぼくはたいていおぼえました」
 かれはそれをしんじないように微笑びしょうした。
「言ってみましょうか」
「できるもんか」
「やってみましょうか。本を持っていらっしゃい」
 かれはまた本を取り上げた。わたしはその話を暗唱あんしょうし始めた。わたしはほとんど完全かんぜんおぼえていた。
「やあきみ、知っているの」
「そんなによくは知りません。けれどこのつぎのときまでには、一つもちがえずに言えるでしょう」
「どうしておぼえたの」
「あなたのお母さまが読んでいらっしゃるあいだ、ぼくは聞いていました。ただいっしょうけんめいに、そこらの物を見向したりなんぞせずに、聞いていたのです」
 かれは顔を赤くした、そして目をそらした。
「ぼくもきみのようにやってみよう」とかれは言った。「けれど一々のことばをどうしてそうおぼえたか、言って聞かしてくれたまえ」
 わたしはそれをどう説明せつめいしていいかわからなかった。そんなことを考えてみたことはなかった。けれどやれるだけは説明してみた。
「このお話はなんの話でしょう」とわたしは言った。「ひつじのことでしょう。ねえ、だからなにより先にぼくはひつじのことを考えました。それからひつじはなにをしているか考えます。『多くのひつじは安全なおりの中で住んでいました』というのだから、ひつじがおりの中で安心してころがってねむっているところが見えてきます。そういうふうに目にうかべるとわすれません」
「そうだそうだ」とかれは言った。「ぼくは見えるよ。黒いひつじだの、白いひつじだの、おりも、格子こうしも見える」
「ひつじの番をするのはなんですか」
「犬さ」
「ひつじがおりの中にいて番をしないですむとき、犬はなにをするでしょう」
「なんにも仕事はない」
「では犬はねむってもいいでしょう。ですから、『犬はねむっていました』と言うのです」
「そうだ。わけはない」
「ええ、わけはないのですとも、今度はほかのことにうつります。では犬といっしょに番をするのはだれです」
「ひつじいさ」
「その犬やひつじ飼いは、ひつじがだいじょうぶだと思うとなにをしていたでしょう」
「犬は、ねむっていたのさ、ひつじ飼いは、遠くのほうへ行って、ほかのひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいた」
「あなたはそれが見えますか」
「ええ」
「どこにいます」
「にれの木のかげに」
「一人ですか」
「いいえ、近所のひつじいといっしょに」
「そらひつじやおりや犬やひつじ飼いのことを考えてごらんなさい。それができれば、このお話のはじめのほうは暗唱あんしょうができるでしょう」
「ええ」
「やってごらんなさい」
「多くのひつじは安全なおりの中におりましたから、犬はみなねむっていました。ひつじ飼いも大きなにれの木のかげに、近所のひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいました。――おぼえていた、おぼえていた、まちがいはなかった」
 アーサは両手を打ってさけんだ。
「あともそういうふうにして覚えたらどうです」
「そうだな、きみといっしょにやればきっと覚えられる。ああ、お母さまがどんなによろこぶだろう」
 アーサはやがてお話のこらずを心の目にうかべるようになった。わたしはできるだけ一々の細かい話を説明せつめいした。かれがすっかり興味きょうみを持ってきたときに、わたしたちはいっしょに文句もんくをさらった。そして十五分あとでは、かれはすっかり卒業そつぎょういていた。
 やがて母親は出て来たが、わたしたちがいっしょにいるのでふきげんらしかった。かの女はわたしたちが遊んでいたと思った。けれどアーサはかの女に口をきかせるいとまをあたえなかった。
「ぼく、おぼええました」とかれはさけんだ。「ルミが教えてくれました」
 ミリガン夫人ふじんは、びっくりしてわたしの顔を見た。けれどかの女がわけを問うさきに、アーサは『おおかみと小ひつじ』のお話を暗唱あんしょうしだした。わたしはミリガン夫人の顔を見た。かの女の美しい顔は微笑びしょうにほころびた。そのうちわたしはかの女の目になみだがうかんだと思った。けれどかの女はあわててむすこのほうをのぞきこんで、そのからだに両うでをかけた。かの女がいていたかどうかたしかではなかった。
「ことばには意味がないのだから、目に見える事がらを考えなければいけないのです。ルミはぼくにふえをふいているひつじいだの、犬だのひつじだの、それからおおかみだのを考えさせてくれました。おまけにひつじ飼いのふいていたふしまで聞こえるようになりました。お母さま、ぼく、歌を歌ってみましょうか」
 こう言ってかれは、イギリス語の悲しいような歌を歌った。
 今度こそミリガン夫人ふじんはほんとうにいていた。なぜならかの女がせきを立ったとき、わたしはアーサのほおがかの女のなみだでぬれているのを見た。そのとき夫人ふじんはわたしのそばにって、わたしの手を自分の手の中におさえて、やさしくしめつけた。
「あなたはいい子です」とかの女は言った。
 わたしがこのちょいとした出来事を長ながと書くにはわけがある。ゆうべまではわたしも宿やどなしのこぞうで、一座いちざの犬やさるたちをれて、船のそばへやって来て、病人の子どもをなぐさめるだけの者であった。けれどこの課業かぎょうのことから、わたしは犬やさるから引きはなされて、病人の子どもの相手あいてになり、ほとんど友だちになったのである。
 もう一つ言っておかなければならないことがある。それはずっとあとで知ったことであるが、ミリガン夫人ふじん実際じっさいこのむすこの物覚ものおぼえの悪いこと、もっと正しく言えばなにも物を覚えないことを知って、ふさぎきっていた。病人の子ではあっても、勉強はさせておきたいと夫人は思った。それには病気が長びくだろうから、いまのうち物を習う習慣しゅうかんをつけておいて、いつか回復かいふくしたとき、むだになった時間を取り返すことができるようにしたいと考えたのであった。
 ところがその日までもかの女はそれが思うようにならないでいた。アーサはけっして勉強することをいやだとは言わなかったが、注意と熱心ねっしんがまるでがけていた。書物を手にのせればいやとは言わずに受け取った。手はよろこんでそれを受け取ろうとして開いたが、心はまるで開かなかった。ただもう機械きかいのように動いて、しいて頭におしこまれたことばをくうにくり返しているというだけであった。
 そういうわけでむすこに失望しつぼうした母親の心には、のない物思いがあった。
 だから、アーサがいまたった半時間でお話をおぼえて、一時をちがえず暗唱あんしょうして聞かせるのを聞いたとき、かの女のうれしさというものはなかった。それはもっともなわけであった。
 わたしはいま思い出しても、この船の上で、ミリガン夫人ふじんやアーサとごしたあのじぶんが、少年時代でいちばんゆかいなときであったと思う。
 アーサはわたしにあつ友情ゆうじょうせていた。わたしのほうでもわざとでなしに、また気のどくという同情どうじょうからでなしに、しぜんとかれを兄弟のように思っていた。二人はけんか一つしたことはなかった。かれにはかれのような身分にありがちないばったところはみじんもなかった。わたしのほうも少しもひけめは感じなかった。またひけめを感じなければならないなどと思ったことすらなかった。
 これはきっとわたしが子どもで、世の中を知らないためであったろう。しかしそれにはたしかに、ミリガン夫人ふじんとどいた親切のおかげもあった。かの女はたいてい自分の子どものようにしてわたしに話しかけた。
 それにこの船の旅がわたしにはじつにおもしろかった。一時間とたいくつしたこともなければ、つかれたと思うこともなかった。朝からばんまでわたしの心はいつも充実じゅうじつしきっていた。
 鉄道ができて以来いらい、フランス南部地方の運河うんがを見に来る人もなければ、知る人すらないようになったが、でもこれはやはりフランス名物の一つであった。
 わたしたちはローラゲーのヴィーフランシュから、アヴィニオンヌまで行って、アヴィニオンヌからノールーズの岩まで行った。ノールーズにはこの運河の開鑿者かいさくしゃであるリケの記念碑きねんひが、大西洋たいせいように注ぐ水と地中海ちちゅうかいに落ちる水とが分かれる分水嶺ぶんすいれいいただきてられてあった。
 それからわたしたちは水車の町であるカステルノーダリを下って、中世の都会であったカルカッソンヌへ、それから貯水溝ちょすいこうのめずらしいフスランヌの閘門こうもん(船を高低の差のある水面に上げたり下ろしたりするしかけのある水門)をぬけてベジエールに下った。
 おもしろい所ではわたしたちはたいそうゆっくり船を進めた。けれど景色けしきがつまらなくなると馬は引き船の道を早足にとっとっとかけた。
 いつどこでとまって、いつまでにどこまでへ着かなければならないということもなかった。毎日同じ決まった食事の時間に露台ろだいの上に集まって、しずかに両岸の景色けしきをながめながら食事をした。日がしずむと船は止まった。日がのぼると船はまた動き出した。
 雨でもると、わたしたちは船室の中にはいって、いきおいよくえた火を取りいてすわる。病人の子どもがかぜをひかないためであった。そういうとき、ミリガン夫人ふじんはわたしたちに本を読んで聞かせたり、画帳を見せたり、美しいお話をして聞かせたりした。
 それから夜、晴れた日には、わたしには一つ役目があった。船が止まったときわたしはハープをおかに持って下りて、少し遠くはなれた木のかげにこしをかける。それから木のえだのしげった中にかくれて、いっしょうけんめいにひいたり、歌を歌ったりするのである。しずかなばんなど、アーサは、だれがひいているか見えないようにして、遠くの音楽を聞くことをこのんだ。そこでわたしがアーサのきな曲をひくと、かれは「アンコール」(もっと)と声をかける。それでわたしは同じ曲を二度くり返してひくのである。
 それはバルブレンのおっかあのばたに育ち、ヴィタリス老人ろうじんとほこりっぽい街道かいどう流浪るろうして歩いたいなか育ちの少年にとっては思いがけない美しい生活であった。
 あの気のどくな養母ようぼがこしらえてくれたしおのじゃがいもと、ミリガン夫人ふじん料理番りょうりばんのこしらえるくだもの入りのうまいお菓子かしやゼリーやクリームやまんじゅうとくらべると、なんというそういであろう。
 あのヴィタリス親方のあとからとぼとぼくっついて、ぬまのような道や、横なぐりの雨や、こげつくような太陽の中を歩き回るのと、この美しい小舟こぶねの旅と比べては、なんというそういであろう。
 料理りょうりはうまかった。そうだ、まったくすばらしかった。はららないし、くたびれもしないし、暑すぎもせず、寒すぎもしなかった。けれどほんとうに正直なことを言えば、わたしがいちばん深く感じたのは、この夫人ふじんと子どもの、めずらしい親切と愛情あいじょうであった。
 二度もわたしはわたしのあいしていた人たちから引きはなされた。最初さいしょはなつかしいバルブレンのおっかあから、それからヴィタリス親方から、わたしは犬とさるといっしょに空腹くうふくで、みじめなままてられた。
 そこへ美しい夫人ふじんがわたしと同じ年ごろの子どもをれてあらわれた。わたしをむかえて、まるでわたしが兄弟ででもあるようにあつかってくれた。
 たびたびわたしはアーサが寝台ねだいゆわえつけられて、青い顔をしてねむっているところを見ると、わたしはかれをうらやんだ。健康けんこうと元気にちたわたしが、かえって病人の子どもをうらやんだ。
 それはわたしがうらやむのは、この子を引きつつんでいるぜいたくではなかった。美しい小舟こぶねではなかった。それはかれの母親であった。ああ、どのくらいわたしは自分の母親をしがっているだろう。
 かれの母はいつでもかれにキッスした。そして、かれはいつでもしたいときに、両うでにかの女をだくことができた。そのやさしい夫人ふじんの手はたまたまわたしに向けられることもあっても、わたしからは思い切ってそれにさわりないのではないか。わたしは自分にキッスしてくれる母親、わたしがキッスすることのできる母親を持たないことを悲しいと思った。
 あるいはいつかまたわたしもバルブレンのおっかあには会うことがあるかもしれない。それはどんなにかうれしいことであろう。でもわたしはもうかの女を母親とぶことはできない。なぜならかの女はわたしのほんとうの母親ではないのだから。
 わたしはひとりぼっちだった。わたしはいつでも独りぼっちでいなければならない……だれの子どもでもないのだ。
 わたしはもうこの世の中は、そうなんでも思うようになる所でないことを知るだけに大きくなっていた。それでわたしは母親もないし、家族もないから、友だちでもあればどんなにうれしいだろうと思っていた。だからこの小舟こぶねに来て、わたしは幸福であった。ほんとうに幸福であった。けれど、ああ、それは長くつづけることはできなかった。わたしがまたむかしの生活に返る日はおいおいに近づいていた。


     

 旅の日数ひかずのたつのは早かった。親方が刑務所けいむしょから出て来る日がずんずん近づいていた。船がだんだんツールーズから遠くなるにしたがって、わたしはこの考えに心を苦しめられていた。
 船の旅はこのうえなくおもしろかった。なんの苦労くろうもなければ、心配もなかった。これがせっかく水の上を気楽に通って来た道を、今度は足でとぼとぼ歩いて帰らなけれはならないときがじき来るのだ。
 これはたまらなくおもしろくないことであった。そうなればもう寝台ねだいもなければ、クリームもない。お菓子かしもなけれは、テーブルを取りいた楽しい夜会もなくなるのだ。
 でもそれよりもこれよりもいちばんつらいのは、ミリガン夫人ふじんとアーサとにわかれることであった。わたしはこの人たちの友情ゆうじょうからはなれなければならないであろう。そのつらさはバルブレンのおっかあに別れたときと同じことであろう。
 わたしはある人びとをしたったり、その人びとからかわいがられると、もう一生その人たちといっしょにくらしたいと思う。それがあいにくいつもじきその人たちとわかれなければならないようになる。いわばちょうどその人たちと別れるために、あいし愛されたりするようなものであった。
 このごろの楽しい生活のあいだに、ただ一つこの心痛しんつうがわたしの心をくもらせた。
 ある日とうとうわたしは思い切って、ミリガン夫人ふじんに、ツールーズへ帰るにはどのくらいかかるだろうと聞いた。親方が刑務所けいむしょから出る日に、わたしは刑務所の戸口で待っていようと思ったのである。
 アーサはわたしが帰って行くという話を聞くと、急にさけびだした。
「帰っちゃいやだ、ルミ。行ってしまってはいやだ」
 かれはすすりきをしていた。
 わたしはかれに、自分がヴィタリス親方のものになっていること、かれが金を出して両親からわたしをりていること、用のあるときいつでも帰って行かなければならないことを話した。
 わたしは両親のことを話した。けれどもそれがほんとうの父親でも母親でもないことは話さなかった。わたしは自分がであることをはじに思った――往来おうらいで拾われた子どもだということを白状はくじょうすることをはじに思った。わたしは孤児院こじいんの子どもというものがどんなにあなどられるものであるか知っていた。世の中でであるということほどいやなことがあろうとは、わたしには思えなかった。それをミリガン夫人ふじんやアーサに知られることをこのまなかった。それを知られたら、あの人たちはわたしをきらうようになるだろう。
「お母さま、ルミはどうしても止めておかなければだめですよ」とアーサは言いつづけた。
「わたしもルミをここへ止めておくことはたいへんけっこうだと思うけれど」とミリガン夫人ふじんは答えた。「わたしたちはずいぶんあの子がきなのだからね。でもこれには二つやっかいなことがある。第一にはルミがいたがっているかどうか……」
「ああ、それはいますとも、いますとも」とアーサがさけんだ。「ねえルミ、行きたかないねえ、ツールーズへなんか」
「第二には」と、ミリガン夫人ふじんがかまわずつづけた。「この子の親方が手放すだろうか、どうかということですよ」
「ルミが先です。ルミが先です」とアーサは言いった。
 ヴィタリスはいい親方であった。かれがわたしにものを教えてくれたことに対しては、わたしはひじょうに感謝かんしゃしていた。けれどもかれとくらすのと、アーサとこうしてくらすのとではとても比較ひかくにはならなかった。同時に親方に持つ尊敬そんけいと、ミリガン夫人ふじんとその病身の子どもに対して持つ愛着あいちゃくとは比較にはならなかった。わたしはこういう外国人を、世話になった親方よりありがたいものに思うのはまちがっていると感じていた。けれどもそれはそのとおりにちがいなかった。わたしはミリガン夫人とアーサを心からあいしていた。
「ルミがわたしたちの所にいても、いいことばかりはないでしょう」とミリガン夫人ふじんつづけた。
「この船にだって遊び半分ではいられません。ルミもやはりあなたと同じようにたくさん勉強をしなければなりません。とても青空の下で旅をして回るような自由な境涯きょうがいではないでしょう」
「ああ、ぼくの思っていることがおわかりでしたら……」とわたしは言いかけた。
「ほらほらね、お母さま」とアーサが口を出した。
「ではわたしたちがこれからしなければならないことは」とミリガン夫人ふじんが言った。「この子の親方の承諾しょうだくを受けることです。わたしはまあ手紙をやってここへ来てもいようにたのんでみましょう。こちらからツールーズへは行かれないからね。わたしは汽車賃きしゃちんを送ってあげて、なぜこちらから汽車に乗って行かれないか、そのわけをよく書いてあげましょう。つまりこちらへぶことになるのだが、たぶん承知しょうちしてくださることだろうと思うから、それで相談そうだんしたうえで、親方がこちらの申し出を承知してくだされば、今度はあなたのご両親と相談することにしましょう。むろんだまっていることはできないからね」
 この最後さいごのことばで、わたしの美しいゆめはやぶれた。
 両親に相談そうだんする。そうしたらかれらはわたしが内証ないしょうにしようとしていることをすぐ言いたてるだろう。わたしがだということを言いたてるだろう。
 ああ。そうなればアーサもミリガン夫人ふじんもわたしをきらうようになるだろう。
 まあ自分の父親も母親も知らない子どもが、アーサの友だちであったか。
 わたしはミリガン夫人の顔をまともにながめた。なんと言っていいか、わたしはわからなかった。かの女はびっくりしてわたしの顔を見た。わたしがどうしたのか、かの女はたずねようとしたが、わたしはそれに答えもできずにいた。たぶん親方が帰って来るという考えに気が転倒てんとうしていると考えたらしく、かの女はそのうえしいては問わなかった。
 幸いにじきねむる時間が来たので、アーサからいつまでもふしぎそうな目で見られずにすんだ。やっと心配しながら自分の部屋へやに一人じこもることができた。これはわたしが白鳥号に乗り合わせて以来いらいはじめてのふゆかいなばんであった。それはおそろしくふゆかいな、長い熱病ねつびょうをわずらったような心持ちであった。わたしはどうしたらいいだろう。なんと言えばいいのだ。
 たぶん親方はわたしを手放さないであろう。それなればかれらはどうしたってほんとうのことは知らずにいよう。かれらは、わたしのだということを知らずにすむだろう。素性すじょうを知られることについてのわたしの羞恥しゅうち恐怖きょうふがあまりひどかったので、もうアーサ母子おやこわかれても、しかたがない。ヴィタリスがなんでも自分といっしょに来いと主張しゅちょうすることを希望きぼうし始めたくらいであった。そうなれば少なくともかれらはこののちわたしを思い出すたんびにいやな気がしないであろう。
 それから三日たってミリガン夫人ふじんはヴィタリスに送った手紙の返事を受け取った。かれは夫人の文意をよくくんで、向こうから来てかの女に会おうと言って来た。つぎの土曜日の二時の汽車で、セットへ着くはずにするからと言って来た。わたしは犬たちとジョリクールをれて、かれに会いに停車場ていしゃじょうまで行くことをゆるされた。
 その朝になると、犬たちはなにかわったことでも起こると思ったか、ひどくはしゃいでいた。ジョリクールだけは知らん顔をしていた。わたしはひじょうに興奮こうふんしていた。きょうこそわたしの運命が決められる日であった。わたしに勇気ゆうきがあったら、親方にたのんでだということをミリガン夫人ふじんに言ってもらわないようにたのむことができたであろう。けれどもわたしはかれに対してすら『』ということばを口に出して言うことができないような気がしていた。わたしは犬をひもでつないで、ジョリクールは上着の下に入れて、停車場ていしゃじょうかたすみに立って待っていた。わたしは身の回りに起こっていることはほとんど目にはいらなかった。汽車の着いたことを知らせてくれたのは犬であった。かれらは主人のにおいをかぎつけた。
 ふとわたしのおさえているひもを前に引くものがあった。わたしはうっかり見張みはりをゆるめていたので、かれらはぬけ出したのであった。ほえながらかれらは前へとび出した。わたしはかれらが親方にとびかかるのを見た。ほかの二ひきにくらべてははげしくしかもしたたかにカピが、いきなり主人のうでにとびかかった。ゼルビノとドルスがその足にとびかかった。
 親方はわたしを見つけると、手早くカピをどけて、両うでをわたしのからだに投げかけた。はじめてかれはわたしにキッスした。
「ああよく無事ぶじでいてくれた」とかれはたびたび言った。
 親方はこれまでわたしにつらくはなかったが、こんなふうにやさしくはなかった。わたしはそれにれていなかった。それでわたしは感動して、思わずなみだが目の中にあふれた。それにいまのわたしの心持ちはたやすく物に動かされるようになっていた。わたしはかれの顔をながめた。刑務所けいむしょにはいっているまにかれはひじょうに年を取った。背中せなかも曲がったし、顔は青いし、くちびるに血のはなかった。
「ルミ、わたしはわったろう。なあ」とかれは言った。「刑務所けいむしょはけっしてゆかいな所ではなかった。それに苦労くろうというものは、たちの悪い病気のようなものだ。けれどもう出て来ればだいじょうぶだ。これからはよくなるだろう」
 それから話の題をえてかれは言いつづけた。
「わたしの所へ手紙をこしたおくさんのことを話しておくれ。どうしてそのおくさんと知り合いになったのだ」
 わたしはここで、どうして白鳥号に乗って堀割ほりわりをこいでいたミリガン夫人ふじんとアーサに出会ったか、それからわたしたちの見たこと、したことについてくわしく話した。わたしは自分でもなにを言っているのかわからないほど、のべつまくなしに話をした。こうしてわたしは親方の顔を見ると、これからわかれてミリガン夫人ふじんの所にいたいと言いだす気にはなれなかった。
 わたしたちはまだ話のすっかりすまないうちに、ミリガン夫人のとまっているホテルに着いた。親方は夫人が手紙でなんと書いて来たか、それは言わなかったから、わたしはかの女の申し出がどんなものであるかなんにも知らなかった。
「そのおくさんはわたしを待っていられるのかな」と、わたしたちがホテルにはいったときにかれは言った。
「ええ、ぼくがいまおくさんの部屋へや案内あんないしましょう」とわたしは言った。
「それにはおよばないよ」とかれは答えた。「わたしは一人で上がって行く。おまえはここでジョリクールや、犬たちといっしょにわたしを待っておいで」
 わたしは、いつでもかれに従順じゅうじゅんであったけれども、この場合はかれといっしょにミリガン夫人ふじんの部屋に行くことが、わたしとしてむろん正当でもあり自然しぜんなことだと思っていた。けれども手まねでかれがわたしのくちびるに出かかっていることばをおさえると、わたしはいやいや犬やさるといっしょに下にのこっていなければならなかった。
 どうしてかれはミリガン夫人と話をするのにわたしのいることをこのまなかったか。わたしはこの質問しつもんを心の中でくり返しくり返したずねた。それでもまだ明快めいかいな答えがられずに考えこんでいたときにかれはもどって来た。
「行っておくさんに、さようならを言っておいで」とかれはことば短に言った。「わたしはここで待っていてやる。あと十分のうちにたつのだから」
 わたしはかみなりに打たれたような気がした。
「それ」とかれは言った。「おまえはわたしの言ったことがわからないか。なにを気のぬけた顔をして立っている。早くしないか」
 かれはまだこんなふうにあらっぽくものを言ったことがなかった。機械的きかいてきにわたしは服従ふくじゅうして、立ち上がった。なにがなんだかわからないような顔をしていた。
「あなたはおくさんになんとお言いに……」二足三足行きかけてわたしは問いかけた。
「わたしはおまえがなくてならないし、おまえにもわたしは必要ひつようなのだ。したがってわたしはおまえに対するわたしの権利けんりてることはできませんと言ったのさ。行って来い。いとまごいがすんだらすぐ帰れ……」
 わたしは自分がだったという考えばかりに気を取られていたから、わたしがこれですぐに立ち去らなければならないというのは、きっと親方がわたしの素性すじょうを話したからだとばかり思っていた。
 ミリガン夫人ふじん部屋へやにはいると、アーサがなみだを流している。そのそばに母の夫人がりそっているところを見た。
「ルミ、きみ行ってはいやだよ。ねえ、ルミ、行かないと言ってくれたまえ」とかれはすすりきをした。
 わたしはものが言えなかった。ミリガン夫人ふじんがわたしの代わりに答えた。つまりわたしがいま親方に言われたとおりにしなければならないことを、アーサに言って聞かせた。
「親方さんにお願いしましたが、あなたをこのままわたしたちにくださることを承知しょうちしてくださいませんでした」とミリガン夫人ふじんは、いかにも悲しそうな声で言った。
「あの人は悪い人だ」とアーサがさけんだ。
「いいえ、あの人は悪い人ではありません」とミリガン夫人は言った。「あの人にはあなたがだいじで手放せないわけがあるのです。それにあの人はあなたをかわいがっていられる……あの人はああいう身分の人のようではない、どうしてりっぱな口のきき方をなさいました。おことわりになる理由としてあの人の言われたのは――そう、こうです、――わたしはあの子をあいしている、あの子もわたしを愛している。わたしがあれにさずけている世間の修業しゅぎょうは、あれにとって、あなたがたといるよりもずっといい、はるかにいいのだ。あなたはあれに教育を授けてくださるでしょう。それはほんとうだ。なるほどあなたはあれのちえをやしなってはくださるだろう、だがあれの人格じんかくは作れません。それを作ることのできるのは人生の艱難かんなんばかりです。あれはあなたの子にはなれません。やはりわたしの子どもです。それはどれほどあれにとって居心地いごこちがよかろうとも、あなたの病身のお子さんのおもちゃになっているよりは、はるかにましです。わたしもできるだけあの子どもを教えるつもりですから――とこうお言いになるのですよ」
「でもあの人、ルミの父さんでもないくせに」とアーサはさけんだ。
「それはそうです。でもあの人はルミの主人です。ルミはあの人のものです。さし当たりルミはあの人にしたがうほかはありません。この子の両親が親方さんにお金でしたのですから。でもわたしはご両親にも手紙を書いて、やれるだけはやってみましょう」
「ああ、いけません。そんなことをしてはいけません」とわたしはさけんだ。
「それはどういうわけです」
「いいえ、どうかよしてください」
「でもそのほかにしかたがないんですもの」
「ああ、どうぞよしてください」
 ミリガン夫人ふじんが両親のことを言いださなかったなら、わたしは親方がくれた十分の時間以上いじょうをさようならを言うためについやしたであろう。
「ご両親たちはシャヴァノンにいるんでしょう」とミリガン夫人はたずねた。
 それには答えないで、わたしはアーサのほうへ行って、両うでをかれのからだに回して、しばらくはしっかりだきしめていた。それからかれの弱いうでからのがれて、わたしはふり向いてミリガン夫人ふじんに手をさしべた。
「かわいそうに」と、かの女はわたしのひたいにキッスしながらつぶやいた。
 わたしは戸口へかけて行った。
「アーサ、わたしはいつまでもあなたをあいします」とわたしは言って、こみ上げて来るなみだを飲みこんだ。「おくさん、わたしはけっしてけっしてあなたをわすれません」
「ルミ、ルミ……」とアーサがさけんだ。その後のことばはもう聞こえなかった。
 わたしは手早くドアをじて外に出た。一分間ののち、わたしはヴィタリスといっしょになっていた。
「さあ出かけよう」とかれは言った。
 こうしてわたしは最初さいしょの友だちからわかれた。


     ふぶきとおおかみ

 またわたしは親方のあとについていたかたにハープをむすびつけたまま、雨がっても、日がりつけても、ちりやどろにまみれて、旅から旅へ毎日流浪るろうして歩かなければならなかった。広場であほうの役をえんじて、わらったりいたりして見せて、「ご臨席りんせき貴賓諸君きひんしょくん」のごきげんをとりむすばなければならなかった。
 長い旅のあいだ再三さいさんわたしは、アーサやその母親や白鳥号のことを考えて足が進まないことがあった。きたならしい村にはいると、わたしはあのきれいな小舟こぶねの船室をどんなに思い出したろう。それに木賃宿きちんやどのねどこのどんなにかたいことであろう。(もう二度とアーサとも遊べないし、その母親のやさしい声も聞くことはできない)それを考えるだけでもおそろしかった。
 これほど深い、しつっこい悲しみの中で、うれしいことには、一つのなぐさめがあった。それは親方がまえよりはずっと優しく、温和になったことであった。
 かれのわたしに対する様子はすっかりわっていた。かれはわたしの主人というより以上いじょうのものであるように感じた。もうたびたび思い切って、かれにだきつきたいと思うほどのことがあった。それほどにわたしは愛情あいじょうもとめていた。けれどもわたしにはそれをする勇気ゆうきがなかった。親方はそういうふうになれなれしくすることをゆるさない人であった。
 はじめは恐怖きょうふがわたしをかれから遠ざけたけれど、このごろはなんとは知れないが、ぼんやりと、いわば尊敬そんけい感情かんじょうがかれとわたしをへだてていた。
 わたしがいよいよ村の家を出るじぶんには、ふつうのびんぼうな階級かいきゅうの人たちと同じように親方を見ていた。わたしは世間なみの人からかれを区別くべつすることができずにいたが、ミリガン夫人ふじんと二か月くらしたあいだに、わたしの目は開いたし、ちえも進んだ。よく気をつけて親方を見ると、態度たいどでも様子でも、かれにはひじょうに高貴こうきなところがあるように見えた。かれの様子にはミリガン夫人のそれを思い出させるところがあった。
 そんなときわたしは、ばかな、親方はたかが犬やさるの見世物師みせものしというだけだし、ミリガン夫人ふじん貴婦人きふじんである、それがかよったところがあるはずがないと思った。
 だがそう思いながら、よくよく見ると、わたしの目がまちがわないことがたしかになった。親方はそうなろうと思えば、ミリガン夫人が貴婦人であると同様に紳士しんしになることができた。ただちがうことは、ミリガン夫人がいつでも貴婦人であるのに反して、親方がある場合だけ紳士であるということであった。でも一度そうなれば、それはりっぱな紳士になりきって、どんな向こう見ずな、どんな乱暴らんぼうな人間でも、その威勢いせいにおされてしまうのであった。
 だからもともと向こう見ずでも、乱暴でもなかったわたしは、よけい威勢に打たれて、言いたいことも言いずにしまった。それは向こうからやさしいことばでさそい出してくれるときでもそうであった。
 セットをたってからのち、しばらくわたしたちはミリガン夫人ふじんのことや、白鳥号に乗っていたあいだのことを口に出すことをしなかった。けれどもだんだんとそれが話のたねになるようになって、まず親方がいつも話の口を切った。そうしてそれからは一日も、ミリガン夫人の名前の口にのぼらない日はないようになった。
「おまえはいていたのだね、あのおくさんを」と親方が言った。「そうだろう、それはわたしもわかっている。あの人は親切であった。まったくおまえには親切であった。そのおんわすれてはならないぞ」
 そのあとでかれはいつも言い足した。
「だがしかたがなかったのだ」
 こう言う親方のことばを、はじめはわたしもなんのことだかわからなかった。するうちだんだんそれは、ミリガン夫人ふじんがそばへきたいという申し出をこばんだことをさして言うのだとわかった。
 親方がしかたがなかったと言ったとき、こういう考えになっていたのはたしかであった。そのうえこのことばの中には後悔こうかいた心持ちがふくまれていたように思われた。かれはアーサのそばにわたしをのこしておきたいと思ったのであろう。けれどそれはできないことだったというのである。
 でもなぜかれがミリガン夫人ふじんの申し出を承知しょうちすることができなかったか、よくはわからなかったし、あのとき夫人がくり返し言って聞かしてくれた説明も、あまりよくはわからずにしまったが、親方が後悔こうかいしているということがわかって、わたしは心のそこ満足まんぞくした。
 もうこれでは親方も承知しょうちしてくれるだろう。そうしてこれはわたしにとって大きな希望きぼう目標もくひょうになった。
 それにしても、なぜ白鳥号には出会わないのであろう。
 それはローヌ川を上って行くはずであった。そうしてわたしたちはその川の岸に沿って歩いていた。
 それで歩きながらわたしの目は両側りょうがわかぎっているおかや、豊饒ほうじょうな田畑よりも、よけい水の上に注がれていた。
 わたしたちがアルルとか、タラスコンとか、アヴィニオン、モンテリマール、ヴァランス、ツールノン、ヴィエンヌなど、という町に着いたときに、いちばん先にわたしの行ってみるのは、波止場はとばか橋の上で、そこから川の上流を見たり、下流を見たり、わたしの目は白鳥号をさがした。遠方に半分、深いきりにかくれてぼんやりした船のかげでも見つけると、それが白鳥号であるかないか、見分けられるほど大きくなるのを待つのであった。
 でもそれはいつも白鳥号ではなかった。
 ときどきわたしは思い切って船頭に聞いてみた。わたしのさがす美しい船の模様もようを話して、そういう船を見なかったかとたずねた。でもかれらはけっしてそういう船の通るのを見たことがなかった。
 このごろでは親方も、わたしをミリガン夫人ふじんにわたそうと決心していた。少なくともわたしにはそう想像そうぞうされたから、もはやわたしの素性すじょうげたり、バルブレンのおっかあに手紙をやったりされるおそれがなくなった。そのほうの事件じけんは親方とミリガン夫人との間の相談そうだんでうまくまとめてくれるだろう。そう思って、わたしの子どもらしいゆめでいろいろに事件を処理しょりしてみた。ミリガン夫人はわたしをそばにきたいと言うだろう。親方はわたしに対する権利けんりてることを承知しょうちしてくれるだろう。それでいっさい事ずみだ。
 わたしたちは何週間もリヨンに滞在たいざいしていた。そのあいだひまさえあればいく度もわたしはローヌ川と、ソーヌ川の波止場はとばに行ってみた。おかげでエーネー、チルジット、ラ・ギョッチエール、ロテル・デューなどという橋のことは、生えぬきのリヨン人同様によく知っていた。
 しかしやはりわからなかった。とうとう白鳥号を見つけることはできなかった。
 わたしたちはとうとうリヨンを去らなければならなかった。そしてディジョンに向かった。それでわたしはもうミリガン夫人ふじんに二度と会う希望きぼうてなければならなかった。それはリヨンでフランス全国の地図を調べてみたが、どうしても白鳥号がロアール川に出るには、これより先へ川を上って行くことのできないことを知ったからであった。船はシャロンのほうへわかれて行ったのであろう。そう思ってわたしたちはシャロンに着いたが、やはり船を見ることなしにまた進まなければならなかった。これがわたしの夢想むこう結末けつまつであった。
 いよいよいけなくなったことは、冬がいまや目近まぢかにせまってきたことであった。わたしたちは目も見えないような雨とみぞれの中をみじめに歩き回らなければならなかった。夜になってわたしたちがきたない宿屋やどやかまたは物置ものお小屋ごやにつかれきってたどり着くと、もうはだまで水がしみ通って、わたしたちはとても笑顔えがおをうかべてねむる元気はなかった。
 ディジョンをたってから、コートドールの山道をこえたときなどは、雨にぬれてほねまでもこおる思いをした。ジョリクールなどは、わたしと同様いつもなさけない悲しそうな顔をしていた。よけい意地悪くなっていた。
 親方の目的もくてきは少しでも早くパリへ行き着くことであった。それは冬のあいだ芝居しばいをして回れるのはパリだけであった。わたしたちはもうごくわずかの金しか得られなかったので、汽車に乗ることもできなかった。
 道みちの町や村でも、日和ひよりのつごうさえよければ、ちょっとした興行こうぎょうをやって、いくらかでも収入しゅうにゅうをかき集めて、出発するようにした。寒さと雨とで苦しめられながら、でもシャチヨンまではどうにかしてやって来た。
 シャチヨンをたってから、つめたい雨のったあとで、風は北にわった。
 もういく日かしめっぽい日がつづいたあとでは、わたしたちも顔にかみつくようにぶつかる北風を、いっそ気持ちよく思っていたが、まもなく空は大きな黒い雲でおおわれて、冬の日はすっかりかくれてしまった。大雪の近づいていることがわかっていた。
 わたしたちがちょっとした大きな村に着くまではまだ雪にもならなかった。でも親方は、なんでもトルアの町へ早く行こうとあせっていた。そこは大きい町だから、ひじょうに悪い天気で五、六にち逗留とうりゅうしても、少しは興行こうぎょうつづけて回る見こみがあった。「早くとこにおはいり」とそのばん宿屋やどやに着くと親方は言った。「あしたはなんでも早くからたつのだ……だが雪にりこめられてはたまらないなあ」
 でもかれはすぐにはとこにはいらなかった。台所ののすみにこしをかけて、さむさでひどく弱っているジョリクールをあたためていた。さるは毛布もうふにくるまっていても、やはり苦しがって、うめき声をやめなかった。
 あくる日の朝、わたしは言いつけられたとおり早く起きた。まだ夜が明けてはいなかった。空はまっ暗な雲がひくれて、星のかげ一つ見えなかった。ドアを開けると、はげしい風がえんとつにふき入って、あぶなくゆうべはいの中にうずめたほだ火をまい上げそうにした。
 宿屋やどや亭主ていしゅは親方の顔を見て、
「わたしがあなただったら、きょうは出るどころではありません。いまにひどいふぶきになりますぜ」
「わたしは急いでいるのだ」と親方は答えた。「その大ふぶきの来るまえにトルアまで行きたいと思っている」
「六、七里(約二十四〜二十八キロ)もありますよ。一時間やそこらで行けるものですか」
 でもかまわずわたしたちは出発した。
 親方はジョリクールをしっかりからだにだきしめて、自分の温かみを少しでも分けてやろうとした。犬はかたいこちこちな道を歩くのをうれしがって、先に立ってかけた。親方はデイジョンでわたしにひつじの毛皮服を買ってくれたので、わたしは毛を裏にしてしっかり着こんだ。これがこがらしでべったりからだにふきつけられていた。
 わたしたちは口を開くのがひどくふゆかいだったので、だまりこんで歩きながら、少しでもあたたまろうとして急いだ。
 もう夜明けの時間をよほどぎていたが、空はまだまっ暗であった。東のほうに白っぽいおびのようなものが雪の間に流れてはいたが、太陽は出て来そうもなかった。
 野景色のげしきを見わたすと、いくらか物がはっきりしてきた。葉をふるった木も見えるし、灌木かんぼくや小やぶの中でかれっ葉ががさがさ風に鳴っていた。
 往来おうらいにも畑にも出ている人はなかった。車の音も聞こえないし、むちの鳴る音も聞こえなかった。
 ふと北の空に青白いすじが見えたが、だんだん大きくなってこちらのほうへ向かって来た。そのときわたしたちはきみょうながあがあいうささやき声のような音を聞いた。それはがんか野の白鳥のさけび声であったろう。この気ちがいじみた鳥のれは、わたしたちの頭の上をんだと思うと、もう北から南のほうへおもしろそうにかけって行った。かれらが遠い空の中に見えなくなると、やわらかな雪片せっぺんしずかに落ちて来た。それは空中を遊び歩いているように見えた。
 わたしたちが通って行く道は喪中もちゅうのようにしずんでさびしかった。あれきって陰気いんきな野原の上にただ北風のはげしいうなり声が聞こえた。雪片が小さなちょうちょうのように目の前にちらちらした。えずくるくる回って、地べたに着くことがなかった。
 わたしたちはまた少ししか歩いてはいなかった。雪のるまえにトルアに着くということは、むずかしいことに思われた。けれどわたしは心配しなかった。雪が降りだせば風がやんで、かえって寒さもゆるむだろうと思った。
 わたしはまだ雪風というものがどんなものだかよく知らなかった。
 しかしまもなくそれがほんとうにわかった。しかもわたしにはけっしてわすれることのできないものであった。
 雲が東北からむくむく集まって来た。そこの空にかすかな明るみが見えたと思うと、やがて雲のふところが開いて、どんどん大きな雪のかたまりが落ちて来た。もう空中をちょうちょうのようにはまわなかった。ふんぷんとすばらしいいきおいでって来て、わたしたちの目鼻を開けられないようにした。
「とてもトルアまではだめだ。なんでもうちを見つけしだい休むことにしよう」と親方が言った。
 わたしは親方がそう言うのを聞いてうれしかったけれども、いったいうまく休むうちが見つかるであろうか。まだそこらが白くならないまえにわたしが見ておいたかぎりでは、一けんもうちは見えなかった。そればかりではない。おいおい村に近づいているという気配も見えなかった。
 わたしたちの前には底知そこしれぬ黒い森が横たわっていた。わたしたちをつつんでいる両側りょうがわ丘陵きゅうりょうもやはり深い森であった。
 雪はいよいよはげしくってきた。わたしたちはだまって歩いた。親方はおまけにひつじの毛皮服を持ち上げて、ジョリクールが楽に息のできるようにしてやった。ただときどき首を左右に動かさなければ息ができなかった。
 犬たちももう先に立ってかけることができなかった。かれらはわたしたちのかかとについて歩いて、早く休むうちをもとめたがっているような顔をしていたが、それをあたえてやることができなかった。
 道はいっこうにはかどらなかった。わたしたちはとぼとぼほねって歩いた。目を開けてはいられなかった。じくじくぬれた着物がこおりついたまま歩いて行った。もう深い森の中にはいっていたが、まっすぐな道で、わたしたちはさえぎるもののないあらしにふきさらされていた。そのうち風はいくらかしずまったが、雪のかたまりはますます大きくなって、みるみるもった
 わたしは親方がなにかさがものをするように、おりおり左のほうへ目を注ぐのを見たが、かれはなにも言わなかった。なにをかれは見つけようとするのであろう。
 わたしは長い道の向こうばかりまっすぐに見ていた。この森がもうほどなくおしまいになって、人家があらわれてきはしないかというのぞみをかけていた。
 だが目のとどかぎ両側りょうがわは雪にうずまった林であった。前はもう二、三間(四〜五メートル)先が雪でぼんやりくもっていた。
 わたしはこれまであたたかい台所のまどガラスに雪のるところを見ていた。その暖かい台所がどんなにかはるか遠いゆめの世界のように思われることであろう。
 でもやはり行くだけは行かなければならなかった。わたしたちの足はだんだん深く雪の中にもぐりこんだ。そのときふと、なにも言わずに親方が左手を指さした。なるほど、わたしはぼんやりと、空き地の中に堀立小屋ほったてごやのようなものを見た。
 わたしたちはその小屋に通う道をさがさなければならなかった。でも雪がもう深くなって、道という道をうずめてしまったので、これは困難こんなんな仕事であった。わたしたちはやぶの中をかけ回って、みぞをこえて、やっとのことで小屋へ行く道を見つけて中へはいることができた。
 その小屋は丸太まるたやしばをつかねてつくったもので、屋根も木のえだのたばをみ重ねて、雪が間から流れこまないようにかたくなわでしめてあった。
 犬たちはうれしがって、元気よく先に立ってかけこんだ、ほえながらたびたびかわいた土の上をほこりを立ててころまわっていた。
 わたしたちの満足まんぞくもかれらにおとらず大きかった。
「こういう森の中の木を切ったあとには、きこりの小屋があるはずだと思っていた」と親方が言った。「もういくら雪がってもかまわないぞ」
「そうですとも。雪なんかいくらでも降れだ」とわたしは大いばりで言った。
 わたしは戸口――というよりも小屋に出入しゅつにゅうするあなというほうが適当てきとうで、そこにはドアもまどもなかったが――そこまで行って、わたしは上着とぼうしの雪をはらった。せっかくのかわいた部屋へやをぬらすまいと思ったからである。
 わたしたちの宿やど構造こうぞうはしごく簡単かんたんであった。そなえつけの家具も同様で、土の山と、二つ三つ大きな石がいすの代わりにいてあるだけであった。それよりもありがたかったのは、部屋のすみに赤れんがが五、六まい、かまどの形にんであったことである。なによりもまず火をやさなければならぬ。
 なによりも火がいちばんのごちそうだ。
 さてまきだが、このうちでそれを見つけることは困難こんなんではなかった。
 わたしたちはただかべや屋根からまきを引きぬいて来ればよかった。それはわけなくできた。
 まもなくたき火の赤いほのおがえんえんと立った。むろん小屋はけむりでいっぱいになったが、そんなことはいまの場合かまうことではなかった。わたしたちのほっしているのは火とねつであった。
 わたしは両手をついて、はらばいになって火をふいた。犬は火のぐるりをゆうゆうと取りいて、首をのばして、ぬれた背中せなかを火にかざしていた。
 ジョリクールはやっと親方の上着の下からのぞくだけの元気が出て、用心深く鼻の頭を外に向けてそこらをながめ回した。安全な場所であることをたしかめて満足まんぞくしたらしく、急いで地べたにとび下りて、たき火の前のいちばん上等な場所を占領せんりょうして、二本の小さなふるえる手を火にかざした。
 親方は用心深い、経験けいけんんだ人であるから、その朝わたしが起き出すまえに道中の食料しょくりょうつつんでおいた。パンが一本とチーズのかけであった。わたしたちはみんな食物を見て満足まんぞくした。
 なさけないことにわたしたちはごくわずかしか分けてもらえなかった。それはいつまでここにいなければならないかわからないので、親方がいくらか晩飯ばんめしのこしておくほうが確実かくじつだと考えたからであった。
 わたしはわかったが、しかし犬にはわからなかった。それでかれらはろくろく食べもしないうちにパンが背嚢はいのうおさめられるのを見ると、前足を主人のほうに向けて、そのひざがしらを引っかいた。目をじっと背嚢につけて、中の物をぜひ開けさせようといろいろの身ぶりをやった。けれども親方はまるでかまいつけなかった。
 背嚢はとうとう開かれなかった。犬はあきらめてねむる決心をした。カピははいの中に鼻をつっこんでいた。わたしもかれらのれいにならおうと考えた。けさは早かった。いつやむか、見当のつかない雪を見てくよくよしているよりも、白鳥号に乗って、ゆめの国にでも遊んだほうが気がいている。
 わたしはどのくらいねむったか知らなかった。目がめると雪がやんでいた。わたしは外をながめた。雪はひじょうに深かった。無理むりに出て行けばひざの上までうずまりそうであった。
 何時だろう。
 わたしはそれを親方にたずねることができなかった。なぜなられいのカピが時間をしめした大きな銀時計は売られてしまった。かれは罰金ばっきん裁判さいばん費用ひようをはらうためにありったけの金を使ってしまった。そしてディジョンでわたしの毛皮服を買うときに、その大きな時計も売ってしまったのであった。
 時計を見ることができないとすれば、日の加減かげんで知るほかはないが、なにぶんどんよりしているので、何時だか時間を推量すいりょうするのが困難こんなんであった。
 なんの物音も聞こえなかった。雪はあらゆる生物の活動をそれなりこおらせてしまったように思われた。
 わたしは小屋の入口に立っていると、親方のぶ声が聞こえた。
「これから出て行けると思うかな」とかれはたずねた。
「わかりません。あなたのいいようにしたいと思います」
「そうか、わたしはここにいるほうがいいと思う。まあまあ屋根はあるし、たき火もあるのだから」
 それはほんとうであったが、同時にわたしは食物のないことを思い出した。けれどもわたしはなにも言わなかった。
「どうせまた雪はってくるよ。とちゅうで雪に会ってはたまらない。夜はよけい寒くなる。今夜はここでくらすほうが無事ぶじだ。足のぬれないだけでもいいじゃないか」
 そうだ。わたしたちはこの小屋に逗留とうりゅうするほかはない。ぶくろのひもをかたくしめておく、それだけのことだ。
 夕飯ゆうはんに親方がのこりのパンを分けた。おやおや、もうわずかしかなかった。すぐに食べられてしまった。わたしたちはくずものこさず、がつがつして食べた。このつましい晩食ばんしょくがすんだとき、犬はまたさっきのようにあとねだりをするだろうと思っていたが、かれらはまるでそんなことはしなかった。今度もわたしは、どのくらいかれらがりこうであるか知った。
 親方がナイフをズボンのかくしにしまうと、これは食事のすんだ知らせであったから、カピは立ち上がって、食物を入れたふくろのにおいをかいだ。それから前足をふくろにのせてこれにさわってみた。この二重の吟味ぎんみで、もうなにも食物ののこっていないことがわかった。それでかれはたき火の前の自分のせきに帰って、ゼルビノとドルスの顔をながめた。その顔つきはあきらかにどうもしんぼうするほかはないよという意味をしめしていた。そこでかれはあきらめたというように、ため息をついて全身を長ながとのばした。
「もうなにもない。ねだってもだめだよ」かれはこれを大きな声で言ったと同様、はっきりと仲間なかまの犬たちに会得えとくさしていた。
 かれの仲間なかまはこのことばを理解りかいしたらしく、これもやはりため息をつきながらたき火の前にすわった。けれどゼルビノのため息はけっしてほんとうにあきらめたため息ではなかった。おなかのっているうえに、ゼルビノはひじょうに大食らいであった。だからこれはかれにとっては大きな犠牲ぎせいであった。
 雪がまたずんずんりだしていた。ずいぶんしつっこく降っていた。わたしたちは白い地べたのしき物が高く高くふくれ上がって、しまいに、小さな若木わかぎ灌木かんぼくがすっかりうずまってしまうのを見た。夜になっても、大きな雪片せっぺんがなお暗い空からほの明るい地の上にしきりなしに落ちていた。
 わたしたちはいよいよここへねむるとすれば、なによりいちばんいいことは、できるだけ早くねつくことであった。わたしは昼間火でかわかしておいた毛皮服にくるまってまくらの代わりにした。平ったい石に頭をのせて、たき火の前に横になった。
「おまえはねむるがいい」親方が言った。「わたしのねむる番になればおまえを起こすから。この小屋ではけものもなにも心配なことはないが、二人のうち一人は起きていて、火の消えないように番をしなければならない。用心してかぜをひかないように気をつけなければいけない。雪がやむとひどい寒さになるからな」
 わたしはさっそくねむった。親方がまたわたしを起こしたときには、夜はだいぶふけていた。たき火はまだえていた。雪はもうってはいなかった。
「今度はわたしのねむる番だ」と親方が言った。「火が消えたら、ここへこのとおりたくさんっておいたまきをくべればいい」
 なるほどかれはたき火のわきに小えだをたくさんみ上げておいた。わたしよりずっと少ししかねむれない親方は、わたしがいちいちかべからまきをぬくたんびに音を立てて目をまさせられることをいやがった。それでわたしはかれのこしらえておいてくれたまきの山から取っては、そっと音を立てずに火にくべれはよかった。
 たしかにこれはかしこいやり方ではあったけれど、なさけないことに親方は、これがどんな意外な結果けっかを生むかさとらなかった。
 かれはいまジョリクールを自分の外とうですっかりくるんだまま、たき火の前にからだをのばした。まもなくしだいに高く、しだいに規則きそく正しいいびきで、よくねいったことが知れた。
 そのときわたしはそっと立ち上がって、つま先で歩いて、外の様子がどんなだか、入口まで出て見た。
 草もやぶも木もみんな雪にうまっていた。日のとどくかぎりどこも目がくらむような白色であった。空にはぽつりぽつり星の光がきらきらしていた。それはずいぶん明るい光ではあったが、木の上に青白い光を投げているのは雪の明かりであった。もうずっと寒くなっていた。ひどくこおっていた。すきまからはいる空気は氷のようであった。喪中もちゅうにいるようなしずけさの中に、雪の表面のこおりつく音がいく度となく聞こえた。
「ああ、この森のおくで雪の中にうめられてわたしたちはどうすればいいのだ。この雪と寒さの中で、この小屋でもなかったらどうなったであろう」
 わたしはそっと音のしないように出たのであったが、やはり犬たちを起こしてしまった。中でもゼルビノは起き上がってわたしについて来た。夜の荘厳そうごんはかれにとってなんでもなかった。かれはしばらく景色けしきをながめたが、やがてたいくつして外へ出て行こうとした。
 わたしはかれに中にはいるように命令めいれいした。ばかな犬よ。このおそろしい寒さの中でうろつき回るよりは、あたたかいたき火のそばにおとなしくしていたほうがどのくらいいいか知れない。かれは不承不承ふしょうぶしょうにわたしの言うことを聞いたが、しかしひどくふくれっつらをして、目をじっと入口に向けていた。よほどしつっこい、いったん思い立ったことをわすれない犬であった。
 わたしは、まっ白な夜をながめながらまだ二、三分そこに立っていた。それは美しい景色けしきではあったし、おもしろいと思ったが、なんとも言えないさびしさを感じた。むろん見まいと思えば目をふさいで中にはいって、そのさびしい景色を見ずにいることはできるのだが、白いふしぎな景色がわたしの心をとらえたのであった。
 とうとうわたしはまたたき火のそばへ帰って、二、三本まきをたがいちがいに火の上に組み合わせて、まくらの代わりにした石の上にこしをかけた。
 親方はおだやかにねむっていた。犬たちとジョリクールもまたねむっていた。ほのおが火の中から上って、ぴかぴか火花をらしながら屋根のほうまでき上がった。ぱちぱちいうたき火のほのおの音だけが夜の沈黙ちんもくやぶるただ一つの音であった。
 長いあいだわたしは火をながめていたけれど、だんだん我知われしらずうとうとし始めた。わたしが外へ出てまきをこしらえる仕事でもしていたら、日をましていられたかもしれなかったが、なにもすることもなくって火にあたっているので、たまらなくねむくなってきた。そのくせしょっちゅう自分ではいっしょうけんめい目をましているつもりになっていた。
 ふとはげしいほえ声にわたしは目が覚めて、とび上がった。まっ暗であった。わたしはかなり長いあいだねむったらしく、火はほとんどえかかっていた。もう小屋の中にほのおが光ってはいなかった。
 カピはけたたましくほえたてていた。けれどふしぎなことにゼルビノの声もドルスの声もしなかった。
「どうした。どうした」と親方が目をましてさけんだ。
「知りません」
「おまえはねむっていたのだな。火も消えている」
 カピは入口までかけ出して行ったが、外へとび出そうとはしなかった。出口でウウ、ウウ、ほえていた。
「どうした。どうしたというんだろう」わたしは今度は自分にたずねた。
 カピのほえ声に答えて、二声三声、すごい悲しそうなうなり声が聞こえた。それはドルスの声だとわかった。そのうなり声は小屋の後ろから、しかもごく近い距離きょりから聞こえて来た。
 わたしは外へ出ようとした。けれど親方はわたしのかたに手をのせて引き止めた。
「まあまきをくべなさい」かれは命令めいれいの調子で言った。
 言いつけられたとおりにわたしがしていると、かれは火の中から一本小えだを引き出して、火をふき消して、えている先をいた。
 かれはそのたいまつを手に持った。
「さあ、行って見て来よう」とかれは言った。「わたしのあとについておいで。カピ、先へ行け」
 外へ出ようとすると、はげしいほえ声が聞こえた。カピはこわがって、あとじさりをして、わたしたちの間に身をすくめた。
「おおかみだ。ゼルビノとドルスはどこへ行ったろう」
 なにをわたしが言えよう。二ひきの犬はわたしのねむっているあいだに出て行ったにちがいない。ゼルビノはわたしがねつくのを待って、ぬけ出して行った。そしてドルスが、そのあとについて行ったのだ。
 おおかみがかれらをくわえたのだ。親方が犬のことをたずねたとき、かれの声にはその恐怖きょうふがあった。
「たいまつをお持ち」とかれは言った。「あれらを助けに行かなければならない」
 村でわたしはよくおおかみのおそろしい話を開いていた。でもわたしはちゅうちょすることはできなかった。わたしはたいまつを取りにかけて帰って、また親方のあとにつづいた。
 けれども外には犬も見えなければおおかみも見えなかった。雪の上にただ二ひきの犬の足あとがぽつぽつのこっていた。わたしたちはその足あとについて小屋の回りを歩いた。するとややはなれて雪の中でなにかけものがころがり回ったようなあとがあった。
「カピ、行って見て来い」と親方は言った。同時にかれはゼルビノとドルスをせるをふいた。
 けれどこれに答えるほえ声は聞こえなかった。森の中の重苦しい沈黙ちんもくやぶる物音はさらになかった。カピは言いつけられたとおりにかけ出そうとはしないで、しっかりとわたしたちにくっついていた。いかにも恐怖きょうふにたえない様子であった。いつもはあれほど従順じゅうじゅんでゆうかんなカピが、もう足あとについてそれから先へ行くだけの勇気ゆうきがなかった。わたしたちの回りだけは雪がきらきら光っていたが、それから先はただどんよりと暗かった。
 もう一度親方はをふいて、まよいぬを呼びたてた。でもそれに答える声はなかった。わたしは気が気でなかった。
「ああ、かわいそうなドルス」親方はわたしの心配しきっていることをすっぱり言った。
「おおかみがつかまえて行ったのだ。どうしてあれらを放してやったのだ」
 そう、どうして――そう言われて、わたしは答えることばがなかった。
「行ってさがして来なければ」とわたしはしばらくして言った。
 わたしは先に立って行こうとしたけれど、かれはわたしを引き止めた。
「どこへ探しに行くつもりだ」とかれはたずねた。
「わかりません、ほうぼうを」
「この暗がりでは、どこに行ったかわかるものではない。この雪の深い中で……」
 それはほんとうであった。雪がわたしたちのひざの上までもっていた。わたしたちの二本のたいまつをいっしょにしても、暗がりをらすことはできなかった。
「ふえをふいても答えないとすると、遠方へ行ってしまっているのだ」とかれは言った。
「わたしたちは、むやみに進むことはならない。おおかみはわれわれにまでかかって来るかもしれない。今度は自分を守ることができなくなる」
 かわいそうな犬どもを、その運命うんめいのままにまかせるということは、どんなになさけないことであったろう。
 ――われわれの二人の友だち、それもとりわけわたしにとっての友だちであった。それになによりこまったことは、それがわたしの責任せきにんだということであった。わたしはねむりさえしなかったら、かれらも出て行きはしなかった。
 親方は小屋に帰って行った。わたしはそのあとにつづきながら、一足ごとにふり返っては、立ち止まって耳を立てた。
 雪のほかにはなにも見えなかった。なんの声も聞こえなかった。
 こうしてわたしたちが、小屋にはいると、もう一つびっくりすることがわたしたちを待っていた。火の中に投げこんでおいたえだはいきおいよくえ上がって、小屋のすみずみの暗い所までらしていた。けれどもジョリクールはどこへ行ったか見えなかった。かれの着ていた毛布もうふはたき火の前にぬぎててあった。けれどかれは小屋の中にはいなかった。親方もわたしもんだ。けれどかれは出て来なかった。
 親方の言うには、かれの目をましたときには、さるはわきにいた。だからいなくなったのは、わたしたちが出て行ったあとにちがいなかった。えているたいまつを雪のもった地の上にくっつけるようにして、その足あとを見つけ出そうとした。でもなんの手がかりもなかった。
 どこかたばねたまきのかげにでもかくれているのではないかと思って、わたしたちはまた小屋へ帰って、しばらくさがし回った。いく度もいく度も同じすみずみを探した。
 わたしは親方のかたに上って、屋根にいてあるえだたばの中を探してみた。二度も三度もんでみた。けれどもなんの返事もなかった。
 親方はぷりぷりかんしゃくを起こしているようであった。わたしはがっかりしていた。
 わたしは親方に、おおかみがかれまでも取って行ったのではないかとたずねた。
「いいや」とかれは言った。「おおかみは小屋の中までははいっては来なかっただろう。ゼルビノとドルスは外へ出たところをくわえられたかと思うが、この中までははいって来られまい。たぶんジョリクールはこわくなって、わたしたちの外に出ているあいだにどこへかかくれたにちがいない。それをわたしは心配するのだ。このひどい寒さでは、きっとかぜをひくであろう。寒さがあれにはなによりくのだから」
「じゃあどんどんさがしてみましょうよ」
 わたしたちはまたそこらを歩き回った。けれどまるでむだであった。
「夜の明けるまで待たなければならない」と親方が言った。
「どのくらいで明けるでしょう」
「二時間か三時間だろう」
 親方は両手で頭をおさえてたき火の前にすわっていた。
 わたしはそれをじゃまする勇気ゆうきがなかった、わたしはかれのわきにつっ立って、ただときどき火の中にえだをくべるだけであった。一、二度かれは立ち上がって戸口へ行って、空をながめてはじっと耳をかたむけたが、また帰って来てすわった。
 わたしはかれがそんなふうにだまって悲しそうにしていられるよりも、かまわずわたしにおこりつけてくれればいいと思った。
 三時間はのろのろぎた。その長いといったら、とても夜がおしまいになる時がないのかと思われた。
 でも星の光がいつか空からうすれかけていた。空がだんだん明るく、夜が明けかかっていた。けれども明け方に近づくにしたがって、寒さはいよいよひどくなった。戸口からはいって来る風がほねまでこおるようであった。
 これでジョリクールを見つけたとしても、かれは生きているだろうか。
 見つけ出す希望きぼうがほんとにあるだろうか。
 きょうもまた雪がりださないともかぎらない。
 でも雪はもう来なかった。そして空にばら色の光がさして、きょうの好天気こうてんき予告よこくするようであった。
 すっかり明るくなって、樹木じゅもくの形がはっきり見えるようになった。親方もわたしもがっかりして、ぼうをかかえて小屋を出た。
 カピはもうゆうべのようにびくついてはいないようであった。目をしっかり親方にすえたまま、いつでも合図しだいでかけ出す仕度をしていた。
 わたしたちが下を向いてジョリクールの足あとをさがし回っていると、カピが首を上に上げてうれしそうにほえ始めた。かれはわたしたちに地べたではなく、上を見ろといって合図をしたのであった。
 小屋のわきの大きなかしの木のまたで、わたしたちはなにか黒い小さなもののうごめく姿すがたを見つけた。
 これがかわいそうなジョリクールであった。夜中に犬のほえる声におびえて、かれはわたしたちが出ているまに、小屋の屋根によじ上った。そしてそこから一本のかしの木のてっべんに登って、そこを安全な場所と思って、わたしたちのぶ声にも答えず、じっとからだをかがめてすわっていたのであった。
 かわいそうな弱い動物。かれはこごえてしまったにちがいない。
 親方がかれをやさしくんだ。かれは動かなかった。わたしたちはかれがもう死んでいると思った。
 数分間親方はかれをつづけさまに呼んだ。けれどさるはもう生きているもののようではなかった。
 わたしの心臓しんぞう後悔こうかいいたんだ。どれほどひどくばっせられたことだろう。
 わたしはつぐないをしなければならない。
「登ってつかまえて来ましょう」とわたしは言った。
あぶないよ」
「いいえ、だいじょうぶです。わけなくできますよ」
 それはほんとうではなかった。それは危険きけんでむずかしい仕事であった。大きなこの木は氷と雪をかぶっているので、それはずいぶん困難こんなんな仕事であった。
 わたしはごく小さかったじぶんから木登りをすることを習った。それでこのじゅつには熟練じゅくれんしていた。わたしはとび上がって、いちばん下のえだにとびついた。そして木のえだをすけて雪が落ちて日の中にはいって来たが、でもどうやら木のみきをよじて、いちばんしっかりしたえだに手がかかった。ここまで登れば、あとは足をふみはずさないように気をつければよかった。
 わたしは登りながら、やさしくジョリクールに話しかけた。かれは動かないで、目だけ光らせてわたしを見ていた。
 わたしはほとんど手のとどく所へ来て、手をのばしてつかまえようとした。するとひょいとかれはほかのえだにとびついてしまった。
 わたしはそのえだまでかれを追っかけたけれど、人間のなさけなさ、子どもであっても、木登りはさるにはかなわなかった。
 これでさるの足が雪でぬれていなかったら、とてもかれをつかまえることはできそうもなかった。かれは足のぬれることをこのまなかった。それでじきにわたしをからかうのがいやになって、えだからえだへととび下りて、まっすぐに主人のかたにとび下りた。そして上着のうらにかくれた。
 ジョリクールを見つけるのはたいへんなことであったがそれだけではすまなかった。今度は犬をさがさなければならなかった。
 もうすっかり昼になっていた。わけなくゆうべの出来事のあとをたどることができた。雪の中でわたしたちは犬の死んだことがわかった。
 わたしたちは十けん(約十八メートル)ばかりかれらの足あとをつけることができた。かれらはつづいて小屋からぬけ出した。ドルスが、ゼルビノのあとにぞくいた。
 それからほかのけものの足あとが見えた。一方にはおおかみどもは犬にとびかかって、はげしくたたかったしるしがのこっていた。こちらにはおおかみがえものをつかんでゆっくり食べて歩いて行った足あとが残っていた。もうそこには、そこここに赤い血が雪の上にこぼれているほかには、犬のあとはなにも残っていなかった。
 かわいそうな二ひきの犬は、わたしのねむっているあいだに死にに行ったのであった。
 でもわたしたちはできるだけ早く帰って、ジョリクールを温めてやらなければならなかった。わたしたちは小屋へ帰った。親方がさるの足と手を持って、赤んぼうをおさえるようにして、たき火にかざすと、わたしは毛布もうふを温めて、その中へころがす仕度をした。けれども毛布ぐらいでは足りなかった。かれは湯たんぽと温かい飲み物をもとめていた。
 親方とわたしはたき火のそばにすわって、だまってまきのえるのをながめた。
「かわいそうに、ゼルビノは。かわいそうに、ドルスは」
 わたしたちは代わりばんこにこんなことばをつぶやいた。はじめに親方が、つぎにはわたしが。
 あの犬たちは、楽しいにつけ苦しいにつけ、わたしたちの友だちであり、道連みちづれであった。そしてわたしにとっては、わたしのさびしい身の上にとっては、このうえないなぐさめであった。
 わたしがしっかり見張みはりをしなかったことは、どんなにくやしいことだったろう。おおかみはそうすれば小屋までせめては来なかったろうに。火の光におそれて遠方に小さくなっていたであろうに。
 どうにかしていっそ親方がひどくわたしをしかってくれればよかった。かれがわたしを打ってくれればよかった。
 けれどかれはなにも言わなかった。わたしの顔を見ることすらしなかった。かれは火の上に首をうなだれたまま、おそらく犬がなくなって、これからどうしようか考えているようであった。


     ジョリクール

 夜明けまえの予告よこくはちがわなかった。
 日がきらきらかがやきだした。その光線は白い雪の上に落ちて、まえのばんあれほどさびしくどんよりしていた森が、きょうは目がくらむほどのまばゆさをもってかがやき始めた。
 たびたび親方はかけ物の下に手をやって、ジョリクールにさわっていたが、このあわれな小ざるはいっこうに温まってこなかった。わたしがのぞきこんでみると、かれのがたがた身ぶるいをする音が聞こえた。
 かれの血管けっかんの中の血がこおっていたのである。
「とにかく村へ行かなければならない。さもないとジョリクールは死ぬだろう。すぐたつことにしよう」
 毛布もうふはよく温まっていた。それで小ざるはその中にくるまれて、親方のチョッキの下のすぐむねに当たる所へ入れられた。わたしたちの仕度ができた。
 小屋を出て行こうとして、親方はそこらを見回しながら言った。
「この小屋にはずいぶん高い宿代やどだいをはらった」
 こう言ったかれの声はふるえた。
 かれは先に立って行った。わたしはその足あとにつづいた。わたしたちが二、三げん(四〜六メートル)行くと、カピをんでやらなければならなかった。かわいそうな犬。かれは小屋の外に立ったまま、いつまでも鼻を、仲間なかまがおおかみにとられて行った場所に向けていた。
 大通りへ出て十分間ほど行くと、とちゅうで馬車に会った。その御者ぎょしゃはもう一時間ぐらいで村に出られると言った。これで元気がついたが、歩くことは困難こんなんでもあり苦しかった。雪がわたしのこしまでついた。
 たびたびわたしは親方にジョリクールのことをたずねた。そのたんびにかれは、小ざるはまだふるえていると言った。
 やっとのことでわたしたちはきれいな村の白屋根を見た。わたしたちはいつも上等な宿屋やどやにとまったことはなかった。たいてい行っても追い出されそうもない、同勢どうぜいのこらずとめてくれそうな木賃宿きちんやどを選んだ。
 ところが今度は親方がきれいな看板かんばんのかかっている宿屋へはいった。ドアが開いていたので、わたしはきらきら光る赤銅あかのなべがかかって、そこから湯気のうまそうに上っている大きなかまどを見ることができた。ああ、そのスープが空腹くうふくな旅人にどんなにうまそうににおったことであろう。
 親方はれいのもっとも『紳士しんし』らしい態度たいどを用いて、ぼうしを頭にのせたまま、首を後ろにあお向けて、宿屋やどや亭主ていしゅにいいねどことあたたかい火をもとめた。はじめは宿屋の亭主もわたしたちに目をくれようともしなかった。けれども親方のもっともらしい様子がみごとにかれを圧迫あっぱくした。かれは女中に言いつけて、わたしたちを一間ひとまへ通すようにした。
「早くねどこにおはいり」と親方は女中が火をたいている最中さいちゅうわたし言った。わたしはびっくりしてかれの顔を見た。なぜねどこにはいるのだろう。わたしはねどこなんかにはいるよりも、すわってなにか食べたほうがよかった。
「さあ早く」
 でも親方がくり返した。
 服従ふくじゅうするよりほかにしかたがなかった。寝台ねだいの上には鳥の毛のふとんがあった。親方がそれをわたしのあごまで深くかけた。
「少しでも温まるようにするのだ」とかれは言った。「おまえが温まれば温まるほどいいのだ」
 わたしの考えでは、ジョリクールこそわたしなんぞよりは早く温まらなければならない。わたしのほうは、いまではもうそんなに寒くはなかった。
 わたしがまだ毛のふとんにくるまってあったまろうとほねっているとき、親方はジョリクールをまるくして、まるできにして食べるかと思うほど火の上でくるくる回したので、女中はすっかりびっくりした。
「あったまったか」と親方はしばらくしてわたしにたずねた。
「むれそうです」
「それでいい」かれは急いで寝台ねだいのそばに来て、ジョリクールをねどこにつっこんで、わたしのむねにくっつけて、しっかりだいているようにと言った。かわいそうな小ざるは、いつもなら自分のきらいなことをされると反抗はんこうするくせに、もういまはなにもかもあきらめていた。かれは見向きもしないで、しっかりだかれていた。けれどもかれはもうつめたくはなかった。かれのからだはけるようだった。
 台所へ出かけて行った親方は、まもなくあまくしたぶどう酒を一ぱい持って帰って来た。かれはジョリクールに二さじ三さじ飲ませようとこころみたけれど、小ざるはを食いしばっていた。かれはぴかぴかする目でわたしたちを見ながら、もうこのうえ自分をめてくれるなとたのむような顔をしていた。それからかれはかけ物の下からかたうでを出して、わたしたちのほうへさしべた。
 わたしはかれの思っていることがわからなかった。それでふしぎそうに親方の顔を見ると、こう説明せつめいしてくれた。
 わたしがまだ来なかったじぶん、ジョリクールは肺炎はいえんにかかったことがあった。それでかれのうでにはりをさして出血させなければならなかった。今度病気になったのを知ってかれはまた刺絡しらく(血を出すこと)してもらって、せんのようによくなりたいと思うのであった。
 かわいそうな小ざる。親方はこれだけの所作しょさで深く感動した。そしてよけい心配になってきた。ジョリクールが病気だということはあきらかであった。しかもひじょうに悪くって、あれほどきな砂糖さとう入りのぶどう酒すらも受けつけようとはしないのであった。
「ルミ、ぶどう酒をお飲み。そしてとこにはいっておいで」と親方が言った。「わたしは医者をんで来る」
 わたしもやはり砂糖入りのぶどう酒が好きだということを白状はくじょうしなければならない。それにわたしはたいへんはらっていた。それで二度と言いつけられるまも待たず、一息にぶどう酒を飲んでしまうと、また毛ぶとんの中にもぐりこんだ。からだの温かみに、酒まではいって、それこそほとんど息がつまりそうであった。
 親方は遠くへは行かなかった。かれはまもなく帰って来た。金ぶちのめがねをかけた紳士しんし――お医者をれて来た。さるだと聞いては医者が来てくれないかと思って、ヴィタリスは病人がなんだということをはっきり言わなかった。それでわたしがとこの中にはいって、トマトのような赤い顔をしていると、医者はわたしの額が手を当てて、すぐ「充血じゅうけつだ」と言った。
 かれはよほどむずかしい病人にでも向かったようなふうで首をふった。
 うっかりしてまちがえられて、血でも取られてはたいへんだと思って、わたしはさけんだ。
「まあ、ぼくは病人ではありません」
「病人でない。どうして、この子はうわごとを言っている」
 わたしは少し毛布もうふを上げて、ジョリクールを見せた。かれはその小さな手をわたしの首にきつけていた。
「病人はこれです」とわたしは言った。
「さるか」とかれはさけんで、おこった顔をして親方に向かった。「きみはこんな日にさるをみせにわたしをれ出したか」
 親方はなかなか容易よういなことでまごつくような、まのぬけた男ではなかった。ていねいにしかもれいおおふうな様子で、医者を引き止めた。それからかれは事情じじょう説明せつめいして、ふぶきの中にじこめられたことや、おおかみにこわがってジョリクールがかしの木にとび上がったこと、そこで死ぬほどこごえたことを話した。
「病人はたかがさるにすぎないのですが、しかしなんという天才でありますか。われわれにとってどれほどだいじな友だちであり、仲間なかまでありますか。どうしてこれほどのふしぎな才能さいのうを持った動物をただの獣医じゅういやなどにまかされるものではない。村の獣医というものはばかであって、その代わりどんな小さな村でも、医師といえば学者だということはだれだって知っている。医師の標札ひょうさつの出ているドアのびりんをおせば、知識ちしきがあり慈愛じさい深い人にかならず会うことができる。さるは動物ではあるが、博物学者はくぶつがくしゃしたがえば、かれらはひじょうに人類じんるいに近いので、病気などは人もさるも同じようにあつかわれると聞いている。のみならず学問上の立場から見ても、人とさるがどうちがうか、研究してみるのも興味きょうみのあることではないでしょうか」
 こういうふうにかれて、医者は行きかけていた戸口からもどって来た。
 ジョリクールはたぶんこのめがねをかけた人が医者だということをさとったとみえて、またうでをつき出した。
「ほらね」と親方がさけんだ。「あのとおり刺絡しらくしていただくつもりでいます」
 これで医者の足が止まった。
「ひじょうにおもしろい。なかなかおもしろい実験じっけんだ」とかれはつぶやいた。
 一とおり診察しんさつして、医者はかわいそうなジョリクールが今度もやはり肺炎はいえんにかかっていることをげた。医者はさるの手を取って、その血管けっかんに少しも苦しませずにランセット(針)をさしこんだ。ジョリクールはこれできっとなおると思った。刺絡しらくをすませて、医者はいろいろと薬剤やくざいにそえて注意をあたえた。わたしはもちろんとこの中にはいってはいなかった。親方の言いつけにしたがって、看護婦かんごふつとめていた。
 かわいそうなジョリクール。かれは自分を看護してくれるのでわたしをいていた。かれはわたしの顔を見てさびしくわらった。かれの顔つきはひじょうにやさしかった。
 いつもあれほど、せっかちで、かんしゃく持ちで、だれにもいたずらばかりしていたかれが、それはもうおとなしく従順じゅうじゅんであった。
 その後毎日、かれはいかにわたしたちをなつかしがっているかをしめそうとつとめた。それはこれまでたびたびかれのいたずらの犠牲ぎせいであったカピに対してすらそうであった。
 肺炎はいえんのふつうの経過けいかとして、かれはまもなくせきをし始めた、この発作ほっさのたびごとに小さなからだがはげくふるえるので、かれはひどくこれを苦しがった。
 わたしの持っていたありったけの五スーで、わたしはかれに麦菓子むぎがしを買ってやった。けれどこれはよけいかれを悪くした。
 かれのするどい本能ほんのうで、かれはまもなくせきをするたんびにわたしが麦菓子をくれることに気がついた。かれはそれをいいことにして、自分のたいへんきな薬をもらうために、しじゅうせきをした。それでこの薬はかれをよけい悪くした。
 かれのこのくわだてをわたしが見破みやぶると、もちろん麦菓子むぎがしをやることをやめたが、かれは弱らなかった。まずかれは哀願あいがんするような目つきでそれをもとめた。それでくれないと見ると、かれはとこの上にすわって両手をむねの上に当てたまま、からだをゆがめて、ありったけの力でせきをした。かれのひたい青筋あおすじがにょきんととび出して、なみだが目から流れた。そしてのどのつまるまねをするのが、しまいには本物になって、もう自分でおさえることができないほどはげしくせきこんだ。
 わたしはいつも親方が一人で出て行ったあと、ジョリクールといっしょに宿屋やどやのこっていた。ある朝かれが帰って来ると、宿やど亭主ていしゅがとどこおっている宿料しゅくりょう要求ようきゅうしたことを話した。かれがわたしに金の話をしたのはこれがはじめてであった。かれがわたしの毛皮服を買うために時計を売ったということはほんのぐうぜんにわたしの聞き出したことであって、そのほかにはかれのふところ具合がどんなに苦しいか、ついぞ打ち明けてもらったことはなかったが、今度こそかれはもうわずか五十スーしかふところにのこっていないことを話した。
 こうなってただ一つのこった手だてとしては、今夜さっそく一興行こうぎょうやるほかにないとかれは考えていた。
 ゼルビノもドルスもジョリクールもいない興行。まあ、そんなことができることだろうか、とわたしは思った。
 それができてもできなくても、どう少なく見積みつもってもすぐ四十フランという金をこしらえなければならないとかれは言った。ジョリクールの病気はなおしてやらなければならないし、部屋へやには火がなければならないし、薬も買わなければならないし、宿やどにもはらわなければならない。いったんりている物を返せば、あとはまたしてもくれるだろう。
 この村で四十フラン。この寒空といい、こんなあわれない一座いちざでなにができよう。
 わたしが、ジョリクールといっしょに宿やどに待っているあいだに親方がさかり場で一けん見世物小屋を見つけた。なにしろ野天のてん興行こうぎょうするなんということはこの寒さにできない相談そうだんであった。かれは広告こうこくのびらを書いて、ほうぼうにはり出したり、二、三まいの板でかれは舞台ぶたいをこしらえたりした。そして思い切ってのこりの五十スーでろうそくを買うと、それを半分に切って、明かりを二ばいに使うくふうをした。
 わたしたちの部屋へやまどから見ていると、かれは雪の中を行ったり来たりしていた。わたしはどんな番組をかれが作るか、心配であった。
 わたしはすぐにこの問題をくことができた。というのは、そのとき村の広告屋こうこくやが赤いぼうしをかぶってやって来て、宿屋やどやの前に止まった。たいこをそうぞうしくたたいたあとで、かれはわれわれの番組を読み上げた。
 その口上こうじょうを聞いていると、よくもきまりが悪くないと思われるほど親方は思い切って大げさなふいちょうをした。なんでも世界でもっとも高名な芸人げいにんが出る――それはカピのことであった――それから『希世きせいの天才なる少年歌うたい』が出る。その天才はわたしであった。
 それはいいとして、この山勘口上やまかんこうじょうで第一におもしろいことは、この興行こうぎょうに決まった入場料にゅうじょうりょうのなかったことであった。われわれは見物の義侠心ぎきょうしん信頼しんらいする。見物はのこらず見て聞いてかっさいをしたあとで、いくらでもおこころざししだいにはらえばいいというのである。
 これがわたしにはとっぴょうしもなくだいたんなやり方に思われた。だれがわたしたちをかっさいする者があろう。カピはたしかに高名になってもいいだけのことはあったけれど、わたしが……わたしが天才だなどとは、どこをおせばそんなが出るのだ。
 たいこの音を聞くと、カピはほえた。ジョリクールはちょうどひじょうに悪かった最中さいちゅうであったが、やはり起き上がろうとした。たいこの音とカピのほえ声を聞くと、芝居しばいの始まる知らせであるということをさとったようであった。
 わたしは無理むりにかれをねどこにおしもどさなければならなかった。するとかれはれいのイギリスの大将たいしょう軍服ぐんぷく――金筋きんすじのはいった赤い上着とズボン、それから羽根はねのついたぼうしをくれという合図をした。かれは両手を合わせてひざをついて、わたしにたのみ始めた。いくらたのんでも、なにもしてもらえないとみると、かれはおこって見せた。それからとうとうしまいにはなみだをこぼしていた。かれに向かって、今夜芝居しばいするなんという考えをてなければならないことを納得なっとくさせるには、たいへんな手数のかかることがわかっていた。それよりもかくれて出て行くほうがいいとわたしは思った。
 親方が帰って来ると、かれはわたしにハープをしょったり、いろいろ興行こうぎょうに入りようなものを用意するように言いつけた。それがなんの意味だということを知っているジョリクールは、今度は親方に向かって請求せいきゅうを始めた。かれは自分の希望きぼうを表すために苦しい声をしばり出したり、顔をしかめたり、からだを曲げたりするよりいいことはなかった。かれのほおにはほんとうになみだが流れていたし、親方の手におしつけたのは心からのキッスであった。
「おまえも芝居しばいがしたいのか」と親方はたずねた。
「そうですとも」とジョリクールのからだ全体がさけんでいるように思われた。かれは自分がもう病人でないことをしめすために、とび上がろうとした。でもわたしたちは外へかれをれ出せば、いよいよかれをころすほかはないことをよく知っていた。
 わたしたちはもう出て行く時刻じこくになった。出かけるまえにわたしは長く持つようにいい火をこしらえて、ジョリクールを毛布もうふの中にすっかりくるんだ。かれはまたさけんで、できるだけの力でわたしをだきしめた。やっとわたしたちは出発した。
 雪の中を歩いて行くと、親方はわたしに今夜はしっかりやってもらいたいということを話した。もちろん一座いちざおもな役者たちがいなくなっていては、いつものようにうまくいくはずはなかったが、カピとわたしとでおたがいにいっしょうけんめいにやれるだけはやらなければならなかった。なにしろ四十フラン集めなければならなかった。
 四十フラン。おそろしいことであった。できない相談そうだんであった。
 親方はいろいろなことを用意しておいたので、わたしたちがすべきいっさいのことはろうそくの火をつけることであった。けれどこれはむやみにつけてしまうこともできない。見物がいっぱいになるまではひかえなければならない。なにしろ芝居しばいのすむまでに明かりがおしまいになるかもしれないのであった。
 わたしたちがいよいよ芝居小屋にはいったとき、広告屋こうこくやはたいこをたたいて、最後さいごにもう一度村の往来おうらいを一めぐりめぐり歩いていた。
 カピとわたしの仕度ができてから、わたしは外へ出て、柱の後ろに立って見物の来るのを待っていた。
 たいこの音はだんだん高くなった。もうそれはさかり場に近くなって、ぶつぶつ言う人の声も聞こえた。たいこのあとからは子どもがおおぜい調子を合わせてついて来た。たいこを打ちやめることなしに、広告屋こうこくや芝居小屋しばいごやの入口にともっている二つの大きなかがり火のまん中に位置いちをしめた。こうなると見物はただ、中にはいって場席ばせきを取れば、芝居しばいは始められるのであった。
 おやおや、いつまで見物の行列は手間を取ることであろう。それでも戸口のたいこはゆかいそうにどんどん鳴りつづけていた。村じゅうの子どもはのこらず集まっているにちがいなかった。けれど四十フランの金をくれるものは子どもではなかった、ふところの大きい、物おしみをしない紳士しんしが来てくれなければならなかった。
 とうとう親方は始めることに決心した。でも小屋はとてもいっぱいになるどころではなかった。それでもわたしたちはろうそくというやっかいな問題があるので、このうえ長くは待てなかった。
 わたしはまずまっ先にあらわれて、ハープにつれて二つ三つ歌を歌わなければならなかった。正直に言えばわたしが受けたかっさいはごく貧弱ひんじゃくだった。わたしは自分を芸人げいにんだとはちっとも思ってはいなかったけれど、見物のひどい冷淡れいたんさがわたしをがっかりさせた。わたしがかれらをゆかいにしえなかったとすると、かれらはきっとふところを開けてはくれないであろう。わたしはわたしが歌った名誉めいよのためではなかった。それはあわれなジョリクールのためであった。ああ、わたしはどんなにこの見物を興奮こうふんさせ、かれらを有頂天うちょうてんにさせようとねがっていたことだろう……けれども見物席けんぶつせきはがらがらだったし、その少ない見物すら、わたしを『希世きせいの天才』だと思っていないことは、わかりすぎるほどわかっていた。
 でもカピは評判ひょうばんがよかった。かれはいく度もアンコールを受けた。カピのおかげで興行こうぎょうれるようなかっさいで終わった。かれらは両手をたたいたばかりでなく、足拍子あしびょうしをふみ鳴らした。
 いよいよ勝負の決まるときが来た。カピはぼうしを口にくわえて、見物の中をどうどうめぐりし始めた。そのあいだわたしは親方の伴奏ばんそうでイスパニア舞踏ぶとうをおどった。カピは四十フラン集めるであろうか。見物に向かってはありったけのにこやかな態度たいどを示しながら、この問題がしじゅうわたしのむねを打った。
 わたしは息が切れていた。けれどカピが帰って来るまではやめないはずであったから、やはりおどりつづけた。かれはあわてなかった。一まい銀貨ぎんかももらえないとみると、前足を上げてその人のかくしをたたいた。
 いよいよかれが帰って来そうにするのを見て、もうやめてもいいかと思ったけれど、親方はやはりもっとやれという目くばせをした。
 わたしはおどりつづけた。そして二足三足カピのそばへ行きかけて、ぼうしがいっぱいになっていないことを見た。どうしていっぱいになるどころではなかった。
 親方はやはりみいりの少ないのを見ると、立ち上がって、見物に向かって頭を下げた。
紳士しんしならびに貴女きじょがた。じまんではございませんが、本夕ほんせきはおかげさまをもちまして、番組どおりとどこおりなくえんじ終わりましたとぞんじます。しかしまだろうそくの火もえつきませんことゆえ、みなさまのおこのみにまかせ、今度は一番てまえが歌を歌ってお聞きに入れようと思います。いずれ一座いちざのカピじょうはもう一度おうかがいにつかわしますから、まだご祝儀しゅうぎをいただきませんかたからも、今度はたっぷりいただけますよう、まえもってご用意をねがいたてまつります」
 親方はわたしの先生ではあったが、わたしはまだほんとうにかれの歌うのを開いたことはなかった。いや、少なくともそのばん歌ったように歌うのを開いたことがなかった。かれは二つの歌をえらんだ。一つはジョセフの物語で、一つはリシャール獅子王ししおうの歌であった。
 わたしはほんの子どもであったし、歌のじょうずへたを聞き分ける力がなかったが、親方の歌はみょうにわたしを動かした。かれの歌を聞いているうちに、目にはなみだがいっぱいあふれたので、舞台ぶたいのすみに引っこんでいた。
 そのなみだのきりの中から、わたしは、前列のこしかけにすわっていたわかいおくさんがいっしょうけんめい手をたたいているのを見た。わたしはまえから、この人が一人、今夜小屋に集まった百姓ひゃくしょうたちとちがっていることを見つけた。かの女はわかい美しい貴婦人きふじんで、そのりっぱな毛皮の上着だけでもこの村一番の金持ちにちがいないとわたしは思った。かの女はいっしょに子どもをれていた。その子もむちゅうでカピにかっさいしていた。ひじょうによくているところを見れば、それはかの女のむすこであった。
 はじめの歌がすむと、カピはまたどうどうめぐりをした。ところがそのおくさんはぼうしの中になにも入れなかったのを見て、わたしはびっくりした。
 親方が第二の曲をすませたとき、かの女は手招てまねきをしてわたしをんだ。
「わたし、あなたの親方さんとお話ししたいんですがね」とかの女は言った。
 わたしはびっくりした。(そんなことよりもなにかぼうしの中へ入れてくれればいい)とわたしは思った。カピはもどって来た。かれは二度目のどうどうめぐりでまえよりももっとわずか集めて来た。
「あの婦人ふじんがなにか用があると言うのか」と親方がたずねた。
「あなたにお話がしたいそうです」
「わたしはなにも話すことなんかない」
「あの人はなにもカピにくれませんでした。きっといまそれをくれようというんでしょう」
「じゃあ、カピをやってもらわせればいい。わたしのすることではない」
 そうは言いながら、かれは行くことにして、犬をれて行った。わたしもかれらのあとにつづいた。そのとき一人のぼく(下男)が出て来て、ちょうちんと毛布もうふを持って来た。かれは婦人ふじんと子どものわきに立っていた。
 親方は冷淡れいたん婦人ふじんにあいさつをした。
「おじゃまをしてすみませんでした。けれどわたくし、おいわいを申し上げたいと思いました」
 でも親方は一ごんも言わずに、ただ頭を下げた。
「わたくしも音楽の道の者でございますので、あなたの技術ぎじゅつの天才にはまったく感動いたしました」
 技術の天才。うちの親方が。大道の歌うたい、犬使いの見世物師みせものしが。わたしはあっけにとられた。
「わたしのようないぼれになんの技術ぎじゅつがありますものか」とかれは冷淡れいたんに答えた。
「うるさいやつとおぼしめすでしょうが」と婦人ふじんはまた始めた。
「なるほどあなたのようなまじめなかたの好奇心こうきしん満足まんぞくさせてあげましたことはなによりです」とかれは言った。「犬使いにしては少し歌が歌えるというので、あなたはびっくりしておいでだけれど、わたしはむかしからこのとおりの人間ではありませんでした。これでもわかいじぶんにはわたしは……いや、ある大音楽家の下男げなんでした。まあおうむのように、わたしは主人の口まねをしておぼえたのですね。それだけのことです」
 婦人ふじんは答えなかった。かの女は親方の顔をまじまじと見た。かれもつぎほのないような顔をしていた。
「さようなら、あなた」とかの女は外国なまりで言って、「あなた」ということばに力を入れた。
「さようなら。それからもう一度今夜味わわせていただいた、このうえないゆかいに対してお礼を申し上げます」こう言ってカピのほうをのぞいて、ぼうしに金貨きんかを一まい落とした。
 わたしは親方がかの女を戸口まで送って行くだろうと思ったけれど、かれはまるでそんなことはしなかった。そしてかの女がもう答えない所まで遠ざかると、わたしはかれがそっとイタリア語で、ぶつぶこごとを言っているのを聞いた。
「あの人はカピに一ルイくれましたよ」とわたしは言った。そのときかれはあぶなくわたしにげんこを一つくれそうにしたけれど、上げた手をわきへらした。
「一ルイ」とかれはゆめからさめたように言った。「ああ、そうだ、かわいそうに、ジョリクールはどうしたろう。わたしはわすれていた。すぐ行ってやろう」
 わたしはそうそうに切り上げて、宿やどへ帰った。
 わたしはまっ先に宿屋やどやのはしごを上がって部屋へやへはいった。火は消えてはいなかったが、もうほのおは立たなかった。
 わたしは手早くろうそくをつけた。ジョリクールの声がちっともしないので、わたしはびっくりした。
 やがてかれが陸軍大将りくぐんたいしょう軍服ぐんぷくを着て、手足をいっぱいにつっぱったまま、毛布もうふの上に横になっているのを見た。かれはねむっているように見えた。
 わたしはからだをかがめて、やさしくかれの手を取って引き起こそうとした。
 その手はもうつめたかった。
 親方がそのとき部屋にはいって来た。
 わたしはかれのほうを見た。
「ジョリクールがつめたいんですよ」とわたしは言った。
 親方はそばへ来て、やはりとこの上にのぞきこんだ。
「死んだのだ」とかれは言った。「こうなるはずであった。ルミや、おまえをミリガン夫人ふじんの所から無理むりれて来たのは悪かった。わたしはばっせられたのだ。ゼルビノ、ドルス、それから今度はジョリクール……だがこれだけではすむまいよ」


     パリ入り

 まだパリからはよほどはなれていた。
 わたしたちは雪でうずまった道をどこまでも歩いて行かなければならなかった。朝からばんまで北風に顔を打たれながら、とぼとぼ歩いて行かなければならなかった。
 この長いさすらいの旅はどんなにつらかったろう。親方が先に立って歩く。つづいてわたし、その後からカピがついて来た。こうして一列になって、わたしたちは何時間も、何時間も、ひと言も口をきかずに、寒さで血ののなくなった顔をして、ぬれた足と空っぽなぶくろをかかえて歩きつづけた。とちゅうで行き会う人はふり返って、わたしたちの姿すがたが見た。まさしくかれらはきみょうに思ったらしかった。このじいさんは、子どもと犬をどこへれて行くのであろう。
 沈黙ちんもくはわたしにとって、つらくもあり悲しくも思われた。わたしはしきりと話をしたかったけれど、やっと口を切ると、親方はぷっつり手短に答えて、顔をふり向けもしなかった。うれしいことにカピはもっと人づき(人づき合い)がよかった。それでわたしが足を引きずり引きずり歩いて行くと、ときどきかれのぬくいしたが手にさわった。かれはあたかもお友だちのカピがここについていますよというように、やさしくなめてくれた。そこでわたしもさすり返してやった。わたしたちはおたがいに心持ちをさとり合った。おたがいにあいし合っていた。
 わたしにとっては、これがなによりのたよりであったし、カピもそれをせめてものなぐさめとしているらしかった。物に感ずる心は犬の心も子どもの心もさしてちがいがなかった。
 こうしてわたしがカピをかわいがってやると、カピもそれになぐさめられて、いくらかずつ仲間なかまをなくした悲しみをまぎらしてゆくようであった。でも習慣しゅうかんの力はえらいもので、ときどき立ち止まっては、一座いちざ仲間なかまが後から来るのを待ちうけるふうであった。それはかれが以前いぜん一座の部長であったとき、座員を前にやりごして、いちいち点呼てんこする習慣しゅうかんがあったからである。けれどそれもほんの数秒時間のことで、すぐ思い出すと、もうだれも後から来るはずがないと思ったらしく、すごすご後から追い着いて来て、ドルスもゼルビノも来ませんが、それでやはりちがってはいないのですというように親方をながめるのであった。その目つきには感情かんじょうとちえがあふれていて、見ていると、こちらも引き入れられるように思うのであった。
 こんなことは、ちっとも旅行をゆかいにするものではなかったが、わたしたちの気をまぎらすたねにはなった。
 行く先ざきの野面のづらはまっ白な雪でおおわれて、空には日の光も見えなかった。いつも青白いはい色の空であった。はたをうつ百姓ひゃくしょうのかげも見えなかった。馬のいななきも聞こえなければ、牛のうなりも聞こえなかった。ただ食にえたからすが、こずえの上で虫をさがしあぐねて悲しそうに鳴いていた。村で戸を開けているうちはなくって、どこもしんとしずまり返っていた。なにしろ寒気がひどいので、人間はのすみにちぢかまっているか、牛小屋や物置ものお小屋ごやでこそこそ仕事をしていた。
 でこぼこな、やたらにすべる道をまっしぐらにわたしたちは進んで行った。
 夜はうまややひつじ小屋で一きれのパン、晩飯ばんめしにはじつに少ない一きれのパンを食べてねむった。その一きれが昼飯と晩飯をかねていた。
 ひつじ小屋に明かすことのできるのは、中での楽しいばんであった。ちょうどひつじが子どもにちちを飲ませる時節じせつで、ひつじいのうちには、ひつじの乳をかってにしぼって飲むことをゆるしてくれる者もあった。でもわたしたちはひつじ飼いに向かっていきなり、はらって死にそうだとも話しえなかったけれど、親方はれいのうまい口調でそれとなしに、「この子どもはたいへんひつじのちちきなのですよ。それというのが赤子のじぶん飲みつけていたものですから、それでよけい子どものじぶんが思い出されるとみえます」というように言うのであった。この作り話のがいつもあるわけではなかったが、たまにそれが当たるといい一晩ひとばんごされた。そうだ、わたしはほんとにひつじのちちいていた。だからこれがもらえると、そのあくる日はずっと、元気になったように感じた。
 パリに近づくにしたがって、いなか道がだんだん美しくなくなるのが、きみょうに思われた。もう雪も白くはないし、かがやいてもいなかった。わたしはどんなにかパリをふしぎな国のように言い聞かされていたことであろう。そしてなにかとっぴょうしもないことが始まると思っていた。それがなんであるか、はっきりとは知らなかった。わたしは黄金の木や、大理石の町や玉でかざったご殿てんがそこにもここにもっていても、ちっともおどろきはしなかったであろう。
 われわれのようなびんぼう人がパリへ行って、いったいなにができるのであろう。わたしはしじゅうそれが気になりながら、それを親方に聞く勇気ゆうきがなかった。かれはずいぶんしずみきってふきげんらしかった。
 けれどある日とうとうかれのほうからわたしのほうへ近づいて来た。そしてかれのわたしを見る目つきで、このごろしじゅう知りたいと思っていたことを知ることができそうだと感じた。
 それはある大きな村から遠くない百姓家ひゃくしょうやにとまった朝のことであった。その村はブアシー・セン・レージェという名であることは、往来おうらい標柱ひょうちゅうでわかった。
 さてわたしたちは日の出ごろ宿やどをたって、別荘べっそうのへいに沿って、そのブアシー・セン・レージェの村を通りぬけて、とある坂の上にさしかかった。その坂のてっぺんから見下ろすと、目の前にはてしもなく大きな町が開けて、いちめんもうもうと立ち上がった黒けむりの中に、所どころ建物たてもののかげが見えた。
 わたしはいっしょうけんめい目を見張みはって、けむりやかすみの中にぼやけている屋根や鐘楼しょうろうとうなどのごたごたした正体を見きわめようとつとめていたとき、ちょうど親方がやって来た。ゆるゆると歩いて来ながら、いままでの話のあとをつづけるというふうで、
「これからわたしたちの身の上もわってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。
「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。
「うん」
 親方がそう言って指さしをしたとき、ちょうど日がかっとさして、ちらりと金色こんじきにかがやく光が目にはいったように思った。
 まったくそのとおりであった。やがて黄金の木を見つけるであろう。
「わたしたちはパリへ行ったらわかれようと思う」とかれはとつぜん言った。
 すぐに空はまたくらくなった。黄金の木は見えなくなった。わたしは親方に目を向けた。かれもまたわたしを見た。わたしの青ざめた顔色とふるえるくちびるとは、わたしの心の中のあらしをはっきりとあらわしていた。
「おまえ、心配しているとみえるね。悲しいか。わたしにはわかっているよ」
わかれるんですって」わたしはやっとつぶやいた。
「ああそうだよ。別れなければね」
 こう言ったかれの調子がわたしの目になみだをさそった。もうひさしくわたしはこんなやさしいことばを聞かなかった。
「ああ、あなたはじつにいい人です」とわたしはさけんだ。
「いや、いい子はおまえだよ。じつに親切ないい子だ。人間は一生にしみじみ人の親切を感ずるときがあるものだ。何事もよくいっているときには、だれが自分といっしょにいるか、ろくろく考えることなしに世の中を通って行く。けれど物事がちょいちょいうまくいかなくなり、悪いはめには落ちてくるし、とりわけ人間が年を取ってくると、だれかにたよりたくなるものだ。わたしがおまえにたよると聞いたら、びっくりするかもしれないが、でもそれはまったくだよ。ただおまえがわたしのことばを聞き、わたしをなぐさめてくれて、なみだを流してくれると、わたしはたまらないほどうれしい。わたしも不幸ふしあわせな人間であったよ」
 わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしはただかれの手をさすった。
「しかも不幸ふこうなことには、わたしたちはおたがいのあいだがだんだん近づいてこようというじぶんになって、わかれなければならないのだ」
「でもあなたはわたしをたった一人パリへてて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。
「いいや、けっしてそんなことはない。おまえはこの大きな町で自分一人なにができよう。わたしはおまえを捨てる権利けんりがないのだ。それはおぼえておいで。わたしはあのやさしいおくさんが、おまえを引き取って自分の子にして育てようというのを、聞かなかった。あの日からわたしはおまえのためにできるだけつくしてやる義務ぎむができたのだ。だがわたしはいまの場合、なにもしてやることができない。それでわたしはわかれるのがいちばんいいと考えたわけだ。それもほんのしばらくのあいだだ。わたしたちはこの時候じこうの悪い二、三か月だけもわかれているほうがいいのだ。カピのほかみんないなくなってしまった一座いちざでは、パリにいてもなにができよう」
 かれの名が出ると、かわいいカピはわたしたちのそばへやって来た。かれは前足を右の耳の所へ上げて、軍隊ぐんたい風の敬礼けいれいをして、それをむねいて、あたかもわたしたちはかれの誠実せいじつ信頼しんらいすることができるというようであった。親方は犬の頭にやさしく手を当てそれをおさえた。
「そうだよ。おまえは善良ぜんりょう忠実ちゅうじつな友だちだ。けれどなさけないことにはほかのものがいないでは、もうたいしたことはできないのだ」
「でもわたしのハープは……」
「わたしもおまえのような子どもが二人あれば、うまくゆくのだ。けれど老人ろうじんがたった一人、男の子をれたのでは、ろくなことはない。わたしはまだいくちたというのでもない。まあいっそめくらになるか、足のほねでもれてくれればいいのだ。だがまだわたしは人びとの足を止めさせ、目をつけさせるほどなさけないありさまにもなってはいない。それにおかみ救助きゅうじょを受けるようなはずかしいことはできない。そこでわたしはおまえを冬の終わりまで、ある親方の所へやろうと心を決めた。親方はおまえをほかの子どもたちの仲間なかまに入れてくれるだろう。そこでおまえはハープをひけばいいのだ」
「そうしてあなたは」とわたしはたずねた。
「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこをしてやる。わたしはただ広告こうこくをさえすればしいだけの弟子でしは集まるのだ。そこでそのあいだにゼルビノとドルスの代わりになる犬を二ひきしこもうと思う。それから春になってルミ、またいっしょに出かけようよ。まあ当分は勇気ゆうき忍耐にんたい必要ひつようだ。わたしたちはこれまでちょうどつごうの悪い、あい時節じせつばかり通って来た。春になればだんだん境遇きょうぐうも楽になる。そこでわたしはおまえをれて、ドイツとイギリスを回るつもりだ。そのうちおまえも大きくなるし、考えも進んでくる。わたしはおまえにたくさんのことを教えて、りっぱな人間にしてやる。わたしはそれをミリガン夫人ふじんとやくそくした。おまえにイギリス語を教えだしたのもそのわけだ。おまえはフランス語とイタリア語を話すことができる。これはおまえの年ごろの子どもとしてはえらいことだ。おまえはからだもじょうぶだし、どうしてこの先、運の開けるのぞみはじゅうぶんある」
 たぶん親方がこう言ってわたしのために計画してくれたことは、みんないちばんいいことにちがいなかった。けれどそのときにはわたしはただ二つのことだけしか考えられなかった。
 わたしたちはわかれなければならない。そしてわたしはよその親方の所へ行かなければならない。
 流浪るろうのあいだにわたしはいくたりかの親方に会ったが、いつもほうぼうからやとい入れて使っている子どもたちをひどく打ったりたたいたりする者が多かった。かれらはひじょうに残酷ざんこくであった。ひどく口ぎたなかったり、いつもっぱらっていた。わたしはそういうおそろしい人間の一人に使われなければならないのであろうか。
 それでもし運よく親切な親方に当たるとしても、これはまた一つの変化へんかであった。はじめが養母ようぼ、それから親方、それからまた一人――それはいつでもこうなのであろうか。わたしはいつまでもその人をあいして、その人といっしょにいることのできる相手あいてを見つけることができないのであろうか。
 だんだんわたしは親方に引きつけられるようになっていた。かれはほとんど父親というものはこんなものかとわたしに思わせた。
 でもわたしはほんとうの父親を持つことがないのだ。うちを持つことがないのだ。この広い世界に、いつもひとりぼっちなのだ。だれの子でもないのだ。
 わたしにも言うことはあった。だが親方は「勇気ゆうきを持て」とわたしにもとめた。わたしはこのうえかれに苦労くろうくわえることをのぞまなかった。けれどつらいことであった。かれとわかれるのはまったくつらいことであった。
 かれも重ねてわたしにきつかれるのがうるさいと思ったように、かまわずどんどん歩きだした。わたしは引きずられるようにして後につづいた。
 わたしはその後について行くと、まもなく橋をわたって川をこした。その橋はこのうえなくきたなくって、どろが深くもっていた。その上を黒い石炭くずのような雪がかぶさって、そこにふみこむとくるぶしまでずぶりとはいった。
 橋のたもとからは、村つづきでせまい宿場しゅくばがあった。村がつきると、また野原になって、野原にはこぎたない家がらばっていた。往来おうらいには荷車がしじゅう行ったり来たりしていた。わたしは、親方の右手にりそって歩いた。カピは後からついて来た。
 いよいよ野原がおしまいになって、わたしたちはてしのない長い町の中にはいった。両側りょうがわには見わたすかぎり家がてこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどにくらべては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家こいえばかりであった。
 雪がほうぼうにうず高くみ上げられていて、黒くかたまったかたまりの上に、はいやくさった野菜やさいや、いろいろのきたない廃物はいぶつが投げてられてあった。空気はいやなにおいにむせるようであった。その中を荷車がごろごろ通って行くが、人びとはそれをうまくかわしかわし歩いていた。
「ここはどこです」とわたしは言った。
「パリだよ」
 どこに大理石のうちがあるか。それから黄金の木が。そしてりっぱに着かざった人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方にわかれて……カピに別れて、この冬じゅうくらさなければならなかったのか。


     ルールシーヌまちの親方

 いま、わたしのぐるりをいているものは、気味の悪いものばかりであったが、わたしはいっしょうけんめい好奇こうきのの目を見張みはって新しい周囲しゅういを見回した。そのためにいまの身の上にさしせまっただいじのことはわすれるくらいであった。
 パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしのおさな夢想むそうとだんだんへだたるようになった。こおりついたみぞからは、なんともいえないくさいいきれが立っていた。雪と氷がいっしょにとけてかたまったいうす黒いどろが、荷車のにはねとばされて、そこらの小店のガラス戸に厚板あついたのようにへばりついていた。たしかにパリはボルドーにもおよばなかった。
 これまで通って来た町にくらべては、だいぶんりっぱな広い町で、いくらかきれいな店もならんだ通りを長いこと歩いて、親方はついと右へ曲がると、急にみすぼらしい町に出た。高い黒い家のならんだまん中に、れいのいやなにおいのするどぶがあった。たくさんある居酒屋いざかやの店先で、おおぜいの男女ががやがや言いながら、お酒を飲んでいた。
 町の角には、ルールシーヌまちと書いたふだが打ってあった。
 親方は案内あんないを知っているらしくせまい通りにこみ合う往来おうらいの人のれを分けて進んだ。わたしはそのそばにりそって歩いた。
「おい、気をつけて、わたしの姿すたが見失みうしなわないように」と親方が注意した。けれどかれの注意は必要ひつようがなかった。なぜといって、わたしはかれの後にくっついて歩いたうえ、おまけにかれの上着のすそをしっかりとおさえていたのであった。
 わたしたちは大きな路地をつっ切って、もう一日じゅう日の光がけっしてもれたことのないような、きたならしい、じめじめした一けんの家にはいった。それはこれまでわたしの見たかぎりのいちばんひどい家であった。
「ガロフォリさんはいるかね」と親方が、ランプの光で、ぼろをドアにぶら下げていた男にたずねた。
「知らねえや。上がって見て来い」とその男はうなった。「はしごだんのいちはんてっぺんだ。それおまえの鼻っ先に見えてるじゃないか」
「ガロフォリというのは、ルミ、おまえに話した親方だよ。ここが住まいだ」階段かいだんを上がりながら親方はこう言った。その階段かいだんあついどろがこちこちにもって、ややもするとすべって足を取られそうになった。まちといい、家といい、はしごだんといい、いよいよわたしを安心させる性質せいしつのものではなかった。いったい今度の親方というのはどんな男であろう。
 四階のてっぺんに上がって、ドアをたたくことなしに親方はすぐ前のドアをおし開けて、穀物倉こくもつぐらのような大きな屋根裏やねうら部屋へやにはいった。部屋のまん中はがらんとしていて、四方のかべにぐるりと寝台ねだいみんなで十二ならべてあった。一度は白かったことのあるかべと天井が、いまではけむりとすすとちりでよごれきって、なんとも知れない色をしていた。かべの上にはすみで人間の首だの、花や鳥だのが落書きしてあった。
「ガロフォリさん、いるのかい」と親方がたずねた。「あんまり暗くってだれも見えない。ヴィタリスだよ」
 かべにかけたうす暗いランプの明かりですかすと、部屋へやにはだれもいないらしかった。すると弱いのろのろした声が、親方のことばに答えた。
「ガロフォリさんは出かけましたよ。二時間ほどしなければ帰りませんよ」
 こう言いながら十三ばかりの子どもが出て来た。わたしはその子のきみょうな様子におどろいた。いまでもそのとき見たとおりを目にうかべることができる。いわば胴体どうたいがなくって、足からすぐ首が生えているように見えた。その大きな頭は、まるでつり合いもなにもとれていなかった。そんなふうなからだつきでけっしてりっぱとは言えなかったが、その顔にはしかしきみょうに人をひきつけるものがあった。悲しみとやさしみの表情ひょうじょう、そしてそれから……たよりなげな表情であった。かれの大きな目は同情どうじょうをふくんで、相手あいての目をひきつけずにはおかないのであった。
たしかに二時間すれば帰って来るのかね」と親方がたずねた。
「確かですよ。もう昼飯ひるめしの時間ですからね。ここで食べるのはガロフォリさんばかりですから」
「そうかい。もしそのまえに帰って来たら、ヴィタリスという人が来て、二時間たつとまた来ると言って帰ったと言ってください」
「かしこまりました」
 わたしも親方について行こうとすると、かれはわたしを止めた。
「おまえはここにおいで」とかれは言った。「少し休んでいるがいい」
「…………」
「おお、わたしは帰って来るよ」とかれはわたしの心配そうな顔つきを見て安心させるようにまた言った。わたしはれい服従ふくじゅう習慣しゅうかんから、それをいやとは言えなかった。
「きみはイタリア人かい」
 親方の重い足音がもうはしごだんの上に聞こえなくなったときに、イタリア語で子どもがたずねた。親方といっしょにいるあいだにわたしはイタリア語がぽつぽつわかっていたが、まだ自由には使えなかった。
「いいえ」と、わたしはフランス語で答えた。
「おやおや、つまらないなあ。きみがイタリアだといいんだがなあ」とかれは大きな目で見ながら、ほんとにつまらなそうに言った。
「きみはどこ」
「リュッカだよ。きみもそうだと、いろいろ聞きたいと思ったのだ」
「ぼくはフランス人です」
「そう、それはいいね」
「おや、きみはイタリア人よりも、フランス人のほうがきなの」
「おお、そうじゃない。ぼくがそれはいいねと言ったのは、きみのことを考えて言ったのだ。だってきみがイタリア人だったら、きっとガロフォリ親方に使われにここへやって来たのだろうから、そうすると気のどくだと思ってね」
「じゃあ、あの人悪い人なんですか」
 子どもは答えなかった。けれどわたしにあたえた目つきはことばよりも多くを語った。かれはこの話をつづけるのをこのまないようにのほうへ行った。炉のたなの上に大きななべがあった。わたしは火に当たろうと思ってそばへると、このなべがなんだかわった形をしているのに気がついた。なべのふたにはまっすぐなくだがつき出して、蒸気じょうきがぬけるようになっていた。そのふたはちょうつがいになっていて、一方にはじょうがかかっていた。
「なぜ錠ががかっているの」と、わたしはふしぎそうにたずねた。
「ぼくがスープを飲まないようにさ。ぼくはなべの番を言いつかっているけれど、親方はぼくを信用しんようしないのだ」
 わたしはほほえまずにはいられなかった。
 するとかれは悲しそうに言った。
「きみはわらうね。ぼくが食いしんぼだと思うからだろう。でもきっときみがぼくの境遇きょうぐうだったら、ぼくと同じことをしたかもしれないよ。ぼくはぶたではないけれど、はらっている。だからなべの口からスープのにおいがたてば、ますます腹が減ってくるのだ」
「ガロフォリさんはきみにじゅうぶん食べるものをくれないの」
「ああ、それがばつなんだ…」
「まあ……」
「そうだ。それにこれだけのことは話してもいい」と少年はつづけた。「きみももしあの人を親方に持つんだったら、心得こころえになることだからね。ぼくの名前はマチアと言うよ。ガロフォリはぼくのおじさんだ。ぼくの母さんはいるが、六人の子どもをかかえているし、たいへんびんぼうでくらしがたたないでいる。ガロフォリが去年来たとき、ぼくをいっしょにれて帰ったのさ。いったいぼくよりはつぎの弟のレオナルドを連れて行きたかったのだ。レオナルドはぼくとちがって器量きりょうがいいのだからね。お金をもうけるには不器量ぶきりょうではだめだよ。ぶたれるか、ひどく悪口を言われるだけだ。でもぼくの母さんはレオナルドがきで手ばなさないから、やはりぼくが来ることになったのだ。ああ、うちをはなれて、親兄弟や、小ちゃな妹にわかれるのはどんなにつらかったろう。
 ガロフォリ親方はこのうちへ子どもをたくさんいてあって、中にはえんとつそうじもあれば、紙くず拾いもある。はたらくだけの力のない者は町で歌を歌ったりこじきをしている。ガロフォリはぼくに二ひき小さな白いはつかねずみをくれて、それを往来おうらいで見世物に出させて、毎晩まいばん三十スー持って帰って来なければならないと言いわたした。三十スーに一スーでも不足ふそくがあれば、不足だけむちでぶたれるのだ。きみ、三十スーもうけるにはずいぶんほねれる。けれどぶたれるのはもっとつらい。とりわけガロフォリが自分で手を下ろすときはよけいいたいのだ。それでぼくは金を取るためいろんなことをしてみるが、よく不足なことがあった。たいていほかの子どもたちが夜帰って来て、決められた金を持って来たとき、ぼくは自分の分に足りないとガロフォリは気ちがいのようにおこった。もう一人仲間なかまにやはりはつかねずみの見世物を出す子どもがある。このほうは四十スーと決められているのだが、毎晩まいばんきっとそれだけの金を持って帰る。そんなときぼくはその子がどんなふうにして金をもうけるか見たいと思って、いっしょについて行った……」
 かれはことばを切った。
「それで」とわたしはたずねた。
「おお、見物のおくさんたちは決まってこう言うのだ。きれいな子のほうへおやりよ。みっともない子どものほうでなく、と。そのみっともない子どもというのはむろんぼくだった。そこでぼくはもうその子とは行かないことにした。ぶたれるのはいたいけれど、そんなことをしかもおおぜいの人の前で言われるのはもっとつらい。きみはだれからも、おまえはみにくいと言われたことがないから知るまい。だがぼくは……さてとうとうガロフォリは、ぶってもたたいてもぼくにはがないのをみて、ほかのしかたを考えた。それは毎晩まいばんぼくの晩飯ばんめしのいもをらすのだ。きさまの皮はいくらひっぱたいても平気でかたいが、ぶくろはひもじいだろうと言った。それはつらいが、でもぼくのねずみの見世物を見ている往来おうらいの人に向かって、どうか一スーください、くださらないと、今夜はおいもが食べられませんとは言われない。人はそんなことを言ったって、なにもくれるものではないよ」
「じゃあ、どうするとくれるの」
「それはきみ、だれだって自分の心を満足まんぞくさせるためにくれるのだ。なんでもなく人に物をくれるものではないよ。その子どもがかわいらしくって、きれいであるか、あるいはその人たちのくした子どものことを思い出させるとかいうならくれる。子どもはおなかがすいているからかわいそうだと思って、くれる者はない。ああ、こんなことで長いあいだにぼくは世の中の人の心持ちがわかってきた。ねえ、きょうは寒いじゃないか」
「ああ、ひどい寒さだね」
「ぼくはこじきをしてから、だんだん太れないで青くなった」と少年はつづいて言った。「ぼくはずいぶん青い顔をしている。それでぼくはたびたび人が、あのびんぼう人の子どもはいまにえて死ぬだろうと言っているのを聞いた。だが苦しそうな顔つきは、楽しそうな顔つきではできないことをしてくれる。その代わりひじょうにひもじい目をこらえなければならない。とにかくおかげでだんだんぼくを気のどくがる人が近所にできた。みんな、ぼくのもらいの少ないときにはパンやスープをめぐんでくれる。これはぼくのいちばんうれしいときで、ガロフォリにぶたれもしないし、晩飯ばんめしにいもがもらえなくっても、どこかでなにか昼飯ひるめしにもらって食べて来るから苦しいこともなかった。けれどある日ガロフォリが、ぼくが水菓子屋みずがしやにもらった一さらのスープを飲んでいるところを見つけると、なぜぼくがうちで晩飯ばんめしをもらわずに平気で出て行くか、そのわけをはじめて知った。それからはぼくにうちで留守番るすばんさせて、このスープの見張みはりを言いつけた。毎朝出て行くまえに肉と野菜やさいをなべに入れて、ふたにじょうをかってしまう。そしてぼくのすることはそのにえたつのを見るだけだ。ぼくはスープのにおいをかいでいる。だがそれだけだ。スープのにおいでははららない。どうしてよけい空腹くうふくになる。ぼくはずいぶん青いかい。ぼくはもう外へ出ないから、みんながそう言うのを聞かないし、ここにはかがみもないのだからわからない」
「きみはほかの人よりかよけい青いとは思えないよ」とわたしは言った。
「ああ、きみはぼくを心配させまいと思ってそう言うのだ。けれどぼくはもっともっと青くなって、早く病気になるほうがうれしいのだ。ぼくはひじょうに悪くなりたいのだ」
 わたしはあきれて、かれの顔をながめた。
「きみはわからないのだ」とかれはあわれむような微笑びしょうをふくんで言った。「ひどく加減かげんが悪くなればみんなが世話をしてくれる。さもなければ死なせてくれる。ぼくを死なせてくれればなにもかもおしまいだ。もうはららすこともないし、ぶたれることもないだろう。それにぼくたちは死ねば天にのぼって神様といっしょに住むことになるのだ。そうだ、そうなればぼくは天にのぼって、上から母さんや、クリスチーナを見下ろすことができる。神様にたのんで妹を不幸ふしあわせにしないようにしてもらうこともできる。だからぼくは病院へやられればうれしいと思うよ」
 病院――というとわたしはむやみにおそろしい所だと思いこんでいた。わたしはいなか道を旅をして来たあいだ、どんなに気分が悪く思うときでも、病院へやられるかもしれないと思い出すといつでも力が出て、無理むりにも歩いたものだった。マチアのこういうことばにわたしはおどろかずにはいられなかった。
「ぼくはいまではずいぶんからだの具合が悪くなっている。だがまだガロフォリのじゃまになるほど悪くはなっていない」と、かれは弱い、ひきずるような声で話をつづけた。「でもぼくはだんだん弱くなってきたよ。ありがたいことにガロフォリはまるっきりぶつことをやめずにいる。八日まえにもぼくの頭をうんとひどくぶった。おかげでこのとおりはれ上がった。見たまえ、この大きなこぶを。あいつはきのうぼくに、これはできものだと言った。そう言ったあの人の様子はなんだかまじめだった。おそろしくいたむのだ。夜になるとひどく目がくらんでまくらに頭をつけるとぼくはうなったりいたりする。それがほかの子どものじゃまになるのをガロフォリはひどくきらっている。だから二日か三日のうちにいよいよあの人もぼくを病院へやることに決めるだろうと思う。ぼくはせん慈恵病院じけいびょういんにいたことがある。お医者さんはかくしに安いお菓子かしをいつも入れているし、看護婦かんごふあまさんたちがそれはやさしく話をしてくれるよ。こう言うんだ。ぼうや、したをお出しとか、いい子だからねとかなんでもなにかしたいたんびに、『ああ、おしよ』と言ってくれる。それがうちにいる母さんと同じ調子なんだ。ぼくはどうも今度は病院へ行くほど悪くなっていると思う」
 かれはそばへって来て、大きな目でじっとわたしを見た。わたしはかれの前に真実しんじつをかくす理由はなかったが、しかしかれの大きなぎょろぎょろした目や、くぼんだほおや、血ののないくちびるがどんなにおそろしく見えるかということを、かれに語ることをこのまなかった。
「きみは病院へ行かなければならない。ずいぶん悪いと思うよ」
「いよいよかね」
 かれは足を引きずりながらのろのろ食卓しょくたくのほうへ行って、それをふき始めた。
「ガロフォリがまもなく帰って来る」とかれは言った。「ぼくたちはもう話をしてはいけない。もうこれだけぶたれているのだ。このうえよけいなぐられるのはそんだからね。なにしろこのごろいただくげんこはせんよりもずっとくからね。人間はなんでもれっこになるなんて言うが、それはお人よしの言うことだよ」
 びっこひきひきかれは食卓しょくたくの回りを回って、さらやさじならべた。勘定かんじょうすると二十まいさらがあった。そうするとガロフォリは二十人の子どもを使っているのだ。でも寝台ねだいは十二しか見えなかったから、かれらのある者は一つの寝台に二人ねむるのだ。それにとにかくなんという寝台であろう。なんというかけ物であろう。かけ物の毛布もうふはうまやから、もう古くなって馬が着てもあたたかくなくなったようなしろものを、持って来たにちがいない。
「どこでもこんなものかしら」と、わたしはあきれてたずねた。
「なにがさ」
「子どもをく所は、どこでもこんなかしら」
「そりゃ知らないがね、きみはここへは来ないほうがいいよ」と、少年は言った。「どこかほかへ行くようにしたまえ」
「どこへ」
「ぼくは知らない。どこでもかまわない。ここよりはいいからねえ」
 どこへといって、どこへわたしは行こう。――ぼんやり当てもなしに考えこんでいると、ドアがあいて、一人の子どもが部屋へやの中にはいって来た。かれは小わきにヴァイオリンをかかえて、手に大きな古材木ふるざいもくを持っていた。わたしはガロフォリのにたかれている古材木の出所と値段ねだんもわかったように思った。
「その木をくれよ」とマチアは子どものほうへって行った。けれど子どもは材木を後ろにかくした。
「ううん」とかれは言った。
「まきにするんだからおくれよ。するとスープがおいしくにえるから」
「きみはぼくがこれをスープをにるために持って来たと思うか。ぼくはきょうたった三十六スーしかもらえなかった。だからこの材木ざいもくをぶたれないおまじないにするのだ。これで四スーの不足ふそくの代わりになるだろう」
「やっぱりやられるよ。なんの足しになるものか。じゅんぐりにやられるんだ」
 マチアはそう機械的きかいてきに言って、あたかもこの子どももばっせられると思うのがかれに満足まんぞくをあたえるもののようであった。わたしはかれのやさしい悲しそうな目のうちに、けわしい目つきの表れたのを見ておどろいた。だれでも悪い人間といっしょにいると、いつかそれにてくるということは、わたしがのちに知ったことであった。
 一人一人子どもたちは帰って来た。てんでんにはいって来ると、ヴァイオリン、ハープ、ふえなど自分の楽器を寝台ねだいの上のくぎにかけた。音楽師おんがくしでなく、ただらしたけものの見世物をやる者は、小ねずみやぶたねずみをかごの中に入れた。
 それから重い足音がはしごだんにひびいて、ねずみ色の外とうを着た小男がはいって来た。これがガロフォリであった。
 はいって来るしゅんかん、かれはわたしに目をすえて、それはいやな目つきでにらめた。わたしはぞっとした。
「この子どもはなんだ」と、かれは言った。
 マチアはさっそくていねいにヴィタリス親方の口上こうじょうをかれにつたえた。
「ああ、じゃあヴィタリスが来たのか」とかれが言った。「なんの用だろう」
「わたしはぞんじません」とマチアが答えた。
「おれはきさまに言っているのではない。この子どもに話しているのだ」
「親方がいずれもどって来て、用事を自分で申し上げるでしょう」と、わたしは答えた。
「ははあ、このこぞうはことばの値打ねうちを知っている。らぬことは言わぬ。おまえはイタリア人ではないな」
「ええ、わたしはフランス人です」
 ガロフォリが部屋へやにはいって来たしゅんかん、二人の子どもがてんでんにかれの両わきにせきをしめた。そしてかれのことばの終わるのを待っていた。やがて一人がそのフェルトぼうをとって、ていねいに寝台ねだいの上にくと、もう一人はいすを持ち出して来た。かれらはこれを同じようなもったいらしさと、行儀ぎょうぎよさをもって、寺小姓てらこしょう和尚おしょうさんにかしずくようにしていた。ガロフォリがこしをかけると、もう一人の子どもがたばこをつめたパイプを持って来た。すると第四の子どもがマッチに火をつけてさし出した。
「いおうくさいやい。がきめ」とかれはさけんで、マッチをの中に投げこんだ。
 この罪人ざいにんはあわてて過失かしつをつぐなうために、もう一本のマッチをともして、しばらくやしてから主人にそれをささげた。けれどもガロフォリはそれを受け取ろうとはしなかった。
「だめだ。とんちきめ」とかれは言って、あらっぽく子どもをつきのけた。それからかれはもう一人の子どものほうを向いて、おせじわらいをしながら言った。
「リカルド、おまえはいい子だ。マッチをすっておくれ」
 この「いい子」はあわてて言いつけどおりにした。
「さて」とガロフォリは具合よくいすにおさまって、パイプをふかしながら言った。
「おこぞうさんたち、これから仕事だ。マチア、帳面だ」
 こう言われるまでもなく、子どもたちはガロフォリのまゆの動き方一つにも心を配っていた。そのうえにガロフォリがわざわざ口に出して用向きを言いつけてくれるのは、たいへんな好意こういであった。
 ガロフォリはマチアの持って来たあかじみた小さな帳面には目もくれなかった。はじめのいおうくさいマッチをつけた子どもに、来いと合図をした。
「おまえにはきのう一スーしてある。それをきょう持って来るやくそくだったが、いくら持って来たな」
 子どもは赤くなって、当惑とうわくを顔に表して、しばらくもじもじしていた。
「一スー足りません」とかれはやっと言った。
「はあ、おまえは一スー足りないのかね。それでいいのだね」
「きのうの一スーではありません。きょう一スー足りないのです」
「それで二スーになる。おれはきさまのようなやつを見たことがない」
「わたしが悪いんではないんです」
わけをしなさんな。規則きそくは知っているだろう。着物をぬぎなさい。きのうの分が二つ、きょうの分が二つ。合わせて四つ。それから横着おうちゃくばつに夕食のいもはやらない。リカルド、いい子や。おまえはいい子だから、気晴らしをさせてやろう。むちをお取り」
 二本目のマッチをつけた子どものリカルドが、かべから大きなむすのある皮ひもの二本ついた、の短いむちを下ろした。そのあいだに二スー足りない子どもは上着のボタンをはずしていた。やがてシャツまでぬいでからだをこしまであらわした。
「ちょっと待て」とガロフォリがいまいましい微笑びしょうを見せて言った。
「たぶんきさまだけではあるまい。仲間なかまのあるということはいつでもゆかいなものだし、リカルドにたびたび手数をかけずにすむ」
 子どもたちは親方の前に身動きもせずに立っていたが、かれの残酷ざんこくなじょうだんを開いて、みんな無理むりわらわされた。
「いちばん笑ったやつはいちばん足りないやつだ」とガロフォリが言った。「きっとそれにちがいない。いちばん大きな声で笑ったのはだれだ」
 みんなはれいの大きな材木ざいもくを持って、まっ先に帰って来た子どもを指さした。
「こら、きさまはいくら足りない」とガロフォリがせめた。
「わたしのせいではありません」
「わたしのせいではありませんなんかと言うやつは、一つおまけにぶってやろう。いくら足りないのだ」
「わたしは大きな材木を一本持って来ました。りっぱな材木です」
「それもなにかになる。だがパン屋へ行ってそのぼうでパンにかえてもらって来い。いくらにかえてくれるか。いくら足りないのだ。言ってみろ」
「わたしは三十六スー持って来ました」
「この悪者め、四スー足りないぞ。それでいて、そんなしゃあしゃあしたつらをして、おれの前につっ立っている。シャツをぬげ。リカルドや、だんだんおもしろくなるよ」
「でも材木ざいもくは」と子どもがさけんだ。
晩飯ばんめしの代わりにきさまにやるわ」
 この残酷ざんこくなじょうだんがばっせられないはずの子どもたちみんなをわらわせた。それからほかの子どもたちも一人一人勘定かんじょうをすました。リカルドがむちを手に持って立っていると、とうとう五人までの犠牲者ぎせいしゃが一列にかれの前にならべられることになった。
「なあ、リカルド」とガロフォリが言った。「おれはこんなところを見るといつも気分が悪くなるから、見ているのはいやだ。だが音だけは聞ける。その音でおまえのうでの力を聞き分けることができる。いっしょうけんめいにやれよ。みんなきさまたちのパンのためにはたらくのだ」
 かれはのほうへからだを向けた。それはあたかもかれがこういう懲罰ちょうばつを見ているにしのびないというようであった。
 わたしは一人すみっこに立って、いきどおりとおそれにふるえていた。これがわたしの親方になろうとする男なのである。わたしもこの男に言いつけられた物を持って帰らなければ、やはりリカルドに背中せなかを出さねばならなかった。ああ、わたしはマチアがあれほど平気で死ぬことを口にしているわけがわかった。
 ぴしり、第一のむちがふるわれて、はだに当たったとき、もうなみだがわたしの目にあふれ出した。わたしのいることはわすれられていたと思っていたけれど、それは考えちがいで、ガロフォリは目のおくからわたしを見ていた。
人情にんじょうのある子どもがいる」とかれはわたしを指さした。「あの子はきさまらのような悪党あくとうではない。きさまらは仲間なかまが苦しんでいるところを見てわらっている。この小さな仲間を手本にしろ」
 わたしは頭のてっぺんから足のつま先までふるえた。ああ、かれらの仲間か……。
 第二のむちをくって犠牲ぎせいはひいひいごえを立てた。三度目には引きさかれるようなさけび声を上げた。ガロフォリが手を上げた。リカルドはふり上げたむちをひかえた。わたしはガロフォリがさすがになさけを見せるのだと思ったが、そうではなかった。
「きさまらの泣き声を聞くのはおれにはどのくらいつらいと思う」とかれはねこなで声で犠牲ぎせいに向かって言いかけた。「むちがきさまらの皮をさくたんびにさけび声がおれのはらわたをつきやぶるのだ。ちっとはおれの苦しい心もさっして、気のどくに思うがいい。だからこれからごえを立てるたんびによけいに一つむちをくれることにするからそう思え。これもきさまらが悪いのだ。きさまらがおれに対してちっとでもなさけやおんを知っているなら、だまっていろ。さあ、やれ、リカルド」
 リカルドがむちをふり上げた。皮ひもは犠牲ぎせい背中せなかでくるくる回った。
「おっかあ。おっかあ」とその子どもがさけんだ。
 ありがたい。わたしはこのうえこのおそろしい呵責かしゃくを見ずにすんだ。なぜといってこのしゅんかんドアがあいて、ヴィタリス親方がはいって来たからである。
 人目でかれはなにもかも了解りょうかいした。かれははしごだんを上がりながらさけび声を聞いたので、すぐリカルドのそばにかけって、むちを手からうばった。それからガロフォリのほうへくるりと向いて、うで組みをしたままかれの前につっ立った。
 これはいかにもとっさのあいだに起こったので、しばらくはガロフォリもぽかんとしていた。けれどもすぐ気を取り直しておだやかに言った。
「どうもおそろしいようじゃないか。なにね、あの子どもは気がちがっているのだ」
「はずかしくはないか」ヴィタリスがさけんだ。
「それ見ろ、わたしもそういうことだ」とガロフォリがつぶやいた。
「よせ」とヴィタリス親方が命令めいれいした。「とぼけるなよ。おまえのことだ。子どもではない。こんな手向かいのできないかわいそうない子どもらをいじめるというのは、なんというひきょうなやり方だ」
「このいぼれめ。よけいな世話をくな」とガロフォリが急に調子をえてさけんだ。
警察けいさつものだぞ」とヴィタリスが反抗はんこうした。
「なに、きさま、警察でおどすのか」とガロフォリがさけんだ。
「そうだ」と、わたしの親方は乱暴らんぼう相手あいて気勢きせいにはちっともひるまないで答えた。
「ははあ」とかれはあざわらった。「そんなふうにおまえさんは言うのだな。よしよし、おれにも言うことがあるぞ。おまえのしたことはなにも警察けいさつ関係かんけいはないが、おまえさんに用のあるという人が世間にはあるのだ。おれがそれを言えば、おれが一度名前を言えば……はてはずかしがって頭をすぼめるのはだれだろうなあ。世間が知りたがっているその名前を言い回っただけでも、はじになる人がどこかにいるぞ」
 親方はだまっていた。はじだ。親方のはじだ。なんだろう。わたしはびっくりした。けれど考えるひまのないうちに、かれはわたしの手をった。
「さあ、行こう、ルミ」とかれは言った、そうして戸口までぐんぐんわたしを引っ張った。
「まあ、いいやな」ガロフォリが今度はわらいながらさけんだ。「きみ、話があって来たんだろう」
「おまえなんぞに言うことはなにもない」
 それなり、もうひと言も言わずに、わたしたちははしごだんを下りた。かれはまだしっかりわたしの手をおさえていた。なんというほっとした心持ちで、わたしはかれについて行ったろう。わたしは地獄じごくの口からのがれた。わたしが思いどおりにやれば、親方の首に両手をかけて、強く強くだきしめたところであったろう。
(つづく)





底本:「家なき子(上)」春陽堂少年少女文庫、春陽堂
   1978(昭和53)年1月30日発行
※底本中、難解な語句の説明に使われた括弧内の文章は、割り注になっています。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について