ジャンチイイの石切り場
わたしたちはやがて人通りの多い
往来へ出たが、歩いているあいだ親方はひと言も言わなかった。まもなくあるせまい
小路へはいると、かれは往来の
捨て
石にこしをかけて、たびたび
額を手でなで上げた。それは
困ったときによくかれのするくせであった。
「いよいよ
慈善家の世話になるほうがよさそうだな」とかれは
独り
言のように言った。「だがさし当たりわたしたちは一
銭の金も、一かけのパンもなしに、パリのどぶの中に
捨てられている……おまえおなかがすいたろう」とかれはわたしの顔を見上げながらたずねた。
「わたしはけさいただいた小さなパンだけで、あれからなにも食べませんでした」
「かわいそうにおまえは今夜も夕食なしにねることになるのだ。しかもどこへねるあてもないのだ」
「じゃあ、あなたはガロフォリのうちにとまるつもりでしたか」
「わたしはおまえをあそこへとめるつもりだった。それであれが冬じゅうおまえを
借りきる代わりに、二十フランぐらいは出そうから、それでわしもしばらくやってゆくつもりだった。けれどあの男があんなふうに子どもらをあつかう様子を見ては、おまえをあそこへは
置いて行けなかった」
「ああ、あなたはほんとにいい人です」
「まあ、たぶんこの年を取って
固くなった
流浪人の心にも、まだいくらか
若い時代の意気が
残っているとみえる。この年を取った流浪人はせっかく
狡猾に
胸算用を立てても、まだ心の
底に残っている若い血がわき立って、いっさいを引っくり返してしまうのだ……さてどこへ行こうか」とかれはつぶやいた。
もうだいぶおそくなって、ひどく寒さが
加わってきた。北風がふいてつらい
晩が来ようとしていた。長いあいだ、親方は石の上にすわっていた。カピとわたしはだまってその前に立って、なんとか決心のつくまで待っていた。とうとうかれは立ち上がった。
「どこへ行くんです」
「ジャンチイイ。そこでいつかねたことがある石切り場を見つけることにしよう。おまえつかれているかい」
「ぼくはガロフォリの所で休みました」
「わたしは休まなかったので、どうもつらい。あまり
無理はできないが、行かなければなるまい。さあ前へ進め、子どもたち」
これはいつもわたしたちが出発するとき、犬やわたしに向かって用いるかれの上きげんな合図であった。けれど今夜はそれをいかにも悲しそうに言った。
いまわたしたちはパリの町の中をさまよい歩いていた。夜は暗かった。ちらちら風にまばたきながら、ガス
燈がぼんやり
往来を
照らしていた。一足ごとにわたしたちは氷のはったしき石の上ですべった。親方がしじゅうわたしの手を引いていた。カピがわたしたちのあとからついて来た。しじゅうかわいそうな犬は立ち止まって、ふり返っては、はきだめの中を
探して、なにか
骨でもパンくずでも見つけようとした。ああ、ほんとにそれほど
腹を
減らしているのだ。けれどはきだめは雪が
固くこおりついていて、
探しても、むだであった。耳をだらりと下げたままかれはとぼとぼとわたしたちに追い着いて来た。
大通りをぬけて、たくさんの
小路小路を出ると、またたくさんの大通りがあった。わたしたちは歩いて歩いて歩き
続けた。たまたま会う
往来の人がびっくりしてわたしたちをじろじろ見た。それはわたしたちの身なりのためであったか、わたしたちがとぼとぼ歩いて行くつかれきった様子が、かれらの注意をひいたのであろうか。行き会う
巡査もふり向いてわたしたちを見送った。
ひと言も口をきかずに親方は歩いた。かれの
背中はほとんど
二重に曲がっていたが、寒いわりにかれの手はわたしの手の中でかっかとしていた。かれはふるえていたように思われた。ときどきかれが立ち止まって、しばらくわたしの
肩によりかかるようにするときには、かれのからだ全体がふるえて、いまにもくずれるように感じた。いつもならわたしはかれに問いかけることはしなかったが、今夜こそはしなければならないと感じた。それにわたしは、どれほどかれを
愛しているかを語りたい
燃えるような
希望を、いや少なくとも、なにかかれのためにしてやりたい希望を持っていた。
「あなたはご病気なんでしょう」かれがまた立ち止まったとき、わたしは言った。
「どうもそうではないかと思うよ。とにかくわたしはひじょうにつかれている。この寒さがわたしの年を取ったからだにはひどくこたえる。わたしはいいねどこと
炉の前で
夕飯を食べたい。だがそれはゆめだ。さあ、前へ進め、子どもたち」
前へ進め。わたしたちは町を後にした。わたしたちは
郊外へ出ていた。もう
往来の人も
巡査も
街燈も見えない。ただ
窓明かりがそこここにちらちらして、頭の上には黒ずんだ青空に二、三点星が光っているだけであった。いよいよはげしくあらくふきまくる風が着物をからだに
巻きつけた。幸いと向かい風ではなかったが、でもわたしの上着のそでは
肩の所までぼろばろに
破れていたから、そのすきから風はえんりょなくふきこんで、
骨まで通るような寒気が身にこたえた。
暗かったし、
往来はしじゅうたがいちがいに入り組んでいたが、親方は
案内を知っている人のようにずんずん歩いた。それでわたしも
迷うことはないとしっかり
信じて、ついて行った。するととつぜんかれは立ち止まった。
「おまえ、森が見えるかい」とかれはたずねた。
「そんなものは見えません」
「大きな黒いかたまりは見えないかい」
わたしは返事をするまえに四方を見回した。木も家も見えなかった。どこもかしこもがらんと打ち開いていた。風のうなるほかになんの物音も聞こえなかった。
「わたしがおまえだけに目が見えるといいのだがなあ。ほら、あちらを見てくれ」かれは右の手を前へさし
延べた。わたしはそっけなくなにも見えないとは言いかねて、返事をしなかったので、かれはまたよぼよぼ歩き出した。
二、三分だまったまま
過ぎた。そのときかれはもう一度立ち止まっては、また森が見えないかとたずねた。ばくぜんとした
恐怖に声をふるわせながら、わたしはなにも見えないと答えた。
「おまえこわいものだから目が落ち着かないのだ。もう一度よくご
覧」
「ほんとうです。森なんか見えません」
「広い道もないかい」
「なんにも見えません」
「道をまちがえたかな」
わたしはなにも言えなかった。なぜならわたしはどこにいるのかもわからなかったし、どこへ行くのだかもわからなかったから。
「もう五分ばかり歩いてみよう。それでも森が見えなかったら、ここまで引っ返して来よう。ことによると道をまちがえたかもわからん」
わたしたちが道に
迷ったことがわかると、もうからだになんの力も
残らないように思われた。親方はわたしのうでを
引っ
張った。
「さあ」
「ぼくはもう歩けません」
「いやはや、おまえはわたしがおまえをしょって行けると思うかい。わたしはすわったらもう二度と立ち上がることはできないし、そのまま寒さにこごえて死んでしまうだろうと思うからだ」
わたしはかれについて歩いた。
「道に深い車の
輪のあとがついてはいないか」
「いいえ、なんにも」
「じゃあ引っ返さなきゃならない」
わたしたちは引っ返した。今度は風に向かうのである。それはむちのようにぴゅうと顔を打った。わたしの顔は火で
焼かれるように思われた。
「車の
輪のあとを見たら言っておくれ。左のほうへ分かれる道をとって行かなければならない」と親方は力なく言った。「それが見えたら言っておくれ。そこの四つ角に円い頭のような形のいばらがある」
十五分ばかりわたしたちは風と
争いながら歩み
続けた。しんとした夜の
沈黙の中でわたしたちの足音がかわいた
固い土の上でさびしくひびいた。もうふみ出す力はほとんどなかったが、でも親方を引きずるようにしたのはわたしであった。どんなにわたしは左のほうを心配してはながめたろう。暗いかげの中でわたしはふと小さな赤い
灯を見つけた。
「ほら、ご
覧なさい、明かりが」とわたしは指さしながら言った。
「どこに」
親方は見た。その明かりはほんのわずかの
距離にあったが、かれにはなにも見えなかった。わたしはかれの
視力がだめになったことを知った。
「その明かりがなにになろう」とかれは言った。「それはだれかの仕事場の
机にともっているランプか、死にかかっている病人のまくらもとの
灯だ。わたしたちはそこへ行って戸をたたくわけにはいかない。遠くいなかへ出れば、夜になって
宿をたのむこともできよう。けれどこうパリの近くでは……このへんで宿をたのむことはできない。さあ」
二足三足行くとわたしは横へはいる道を見つけたように思った。ちょうどいばらのやぶらしく思われる黒いかたまりもあった。わたしは先へ急いで行くために親方の手を放した。
往来には深いわだちのあとが
残っていた。
「ほら、ここに
輪のあとがある」とわたしはさけんだ。
「手をお貸し。わたしたちは
救われた」と親方が言った。「ご
覧、今度は森が見えるだろう」
わたしはなにか黒いものが見えたので、森が見えるように思うと言った。
「五分のうちにそこまで行ける」とかれはつぶやいた。
わたしたちはとぼとぼ歩いた。けれどこの五分間が
永遠のように思われた。
「車の
輪のあとはどちらにあるね」
「右のほうにあります」
「石切り場の入口は左のほうだよ。わたしたちは気がつかずに通り
過ぎてしまったにちがいない。あともどりするほうがいいだろう」
「
輪のあとはどうしても左のほうにはついていません」
「ではまたあともどりだ」
もう一度わたしたちはあともどりをした。
「森が見えるか」
「ええ、左手に」
「それから車の
輪のあとは」
「もうありません」
「わたしは目が見えなくなったかしらん」と親方は
低い声で言って、両手を目に当てた。「森についてまっすぐにおいで。手を
貸しておくれ」
「おや、へいがあります」
「いいや、それは石の山だよ」
「いいえ、
確かにへいです」
親方は、一足はなれて、ほんとうにわたしの言ったとおりであるか、
試してみようとした。かれは両手をさし
延べてへいにさわった。
「そうだ、へいだ」とかれはつぶやいた。「入口はどこだ。車の
輪のあとのついた道を
探してごらん」
わたしは地べたに身をかがめて、へいの
角の所まで
残らずさわってみたが、入口はわからなかった。そこでまたヴィタリスの立っている所までもどって、今度は向こうの
側をさわってみた。
結果は同じことであった。入口もなければ門もなかった。
「なにもありません」とわたしは言った。
情けないことになった。
疑いもなく親方は思いちがいをしていた。たぶんここには石切り場などはないのだ。ヴィタリスはしばらくゆめの中をたどっているように、ぼんやりつっ立っていた。カピはがまんができなくなってほえ始めた。
「もっと先を見ましょうか」とわたしは聞いた。
「いや石切り場にへいが
建ったのだ」
「へいが建った」
「そうだ、入口をふさいでしまったのだ。中へはいることはできなくなったのだ」
「へえ、じゃあ」
「どうするって。もうわからなくなった。ここで死ぬのさ」
「まあ親方……」
「そうだ。おまえは死にはしない。おまえはまだ
若いのだから。さあ歩こう。まだ歩けるかい」
「おお、でもあなたは」
「いよいよ行けなくなったら、
老いぼれ
馬のようにたおれるだけさ」
「どこへ行きましょう」
「パリへもどるのだ。
巡査に出会ったら、
警察へ
連れて行ってもらうのだ。わたしはそれをしたくなかったが、おまえをこごえ死にさせることはできない。さあ、おいで、ルミ。さあ、前へ進め、子どもたち、元気を出せ」
わたしたちはもと来た道をまた引っ返した。何時であったかわたしはまるでわからない。なんでも何時間も何時間も長い長いあいだそれはのろのろと歩いた。きっと十二時か一時にもなったろう。空は
相変わらずどんよりしてすこしばかり星が出ていた。その出ていたすこしばかりの星もいつもよりはずっと小さいように思われて、風の
勢いは強くなるばかりであった。
往来の家は
戸閉まりをしっかりしていた。そこに、夜着にくるまってねむっている人たちも、わたしたちが外でどんなに寒い目に会っているか、知っていたら、わたしたちのためにそのドアを開けてくれたろうと思われた。
親方はただのろのろ歩いた。息がだんだんあらくなって、長い道をかけた人のようにせいせい言っていた。わたしが話しかけると、かれはだまっていてくれという合図をした。
わたしたちはもう野原をぬけて、いまは町に近づいていた。そこここのへいとへいとの間にガス
燈がちらちらしていた。親方は立ち止まったとき、かれがいよいよ力のつきたことをわたしは知った。
「一けんどこかのうちをたたきましょうか」とわたしはたずねた。
「いいや、入れてくれはしないよ。このへんに住んでいるのは植木屋だ。朝早く市場へみんな出かけるのだ。この
時刻にどうして起きてうちへ入れてくれるものか。さあ行こう」
しかし意地は
張っても、からだの力はまったくつきていた。しばらくしてまたかれは立ち止まった。
「すこし休まなければ」とかれは力なく言った。「わたしはもう歩けない」
さくで大きな花園を
囲った家があった。その門のそばの
積みごえの山にかけてあるたくさんのわらを、風が
往来のさくの根かたにふきつけていた。
「わたしはここにすわろう」と親方が言った。
「でもすわれば、今度立ち上がることができなくなるとおっしゃったでしょう」
かれは返事をしなかった。ただわたしに手まねをして、門の前にわらを
積み上げるようにと言った。このわらのしとねの上にかれはすわるというよりばったりたおれた。かれの歯はがたがた鳴って、全身がひどくふるえた。
「もっとわらを持っておいで」とかれは言った。「わらをたくさんにして風を
防ごう」
まったく風がひどかった。寒さばかりではなかった。わたしは集められるだけありったけのわらを集めて親方のわきにすわった。
「しっかりわたしにくっついておいで」とかれは言った。「カピをひざに乗せておやり。からだのぬくみでおまえもいくらか温かくなるだろう」
親方ほどの
経験を
積んだ人がいまの場合こんなまねをすればこごえて死んでしまうことはわかりきっているのに、その
危険を平気でおかすということは、もう正気ではなかつた
証拠であった。
実際久しいあいだの
心労と
老年に、この
最後の
困苦が
加わって、かれはもう自分を
支える力を
失っていた。自分でもどれほどひどくなっているか、かれは知っていたろうか。わたしがかれのそばにぴったりはい
寄ったときに、かれは
身をかがめてわたしにキッスした。これがかれがわたしにあたえた二度目のキッスであった。そしてああ、それが
最後のキッスであった。
わたしは親方にすり
寄ったと思うと、もう目がくっついたように思った。わたしは目を開けていようと
努めたができなかった。うでをつねっても、肉にはなんの感じもなかった。わたしがひざを立てたその間にもぐって、カピはもうねむっていた。風はわらのたばを木からかれ葉をはらうようにわたしたちの頭にふきつけた。
往来には人ひとりいなかった。わたしたちのぐるりには死の
沈黙があった。
この
沈黙がわたしをおびえさせた。なにをわたしはこわがっているのだ。わたしはわからなかったが、とりとめもない
恐怖がのしかかってきた。わたしはここで死にかけているように思った。そう思うとたいへん悲しくなった。
わたしはシャヴァノンを思い出した。かわいそうなバルブレンのおっかあを思い出した。わたしはかの女をもう一度見ることなしに、わたしたちの小さな家や、わたしの小さな花畑を見ることなしに死ななければならないのだ……。
するうちわたしはもう寒くはなくなった。わたしはいつか自分の小さな花畑に帰って来たように思った。太陽はかがやいていて、それはずいぶん
暖かかった。
きくいもが金の花びらを開いていた。小鳥がこずえの中やかきねの上で鳴いていた。そうだ、そうしてバルブレンのおっかあがさざ波を立てている小川へ出て、いま
洗ったばかりの
布を外へ
干している。
わたしはシャヴァノンをはなれて、アーサとミリガン
夫人といっしょに白鳥号に乗っている。
やがてまた目が
閉じた。心が重たくなったように思った。そしてもうなにも
覚えてはいなかった。
リーズ
目を
覚ますとわたしは
寝台の上にいた。大きな
炉のほのおがわたしのねむっている
部屋を
照らした。わたしはついぞこの部屋を見たことがなかった。わたしを取り
巻いて寝台のそばに立っている人たちの顔も知らなかった。そこにねずみ色の
背広を着て、木のくつをはいた男と、三、四人の子どもがいた。その中でことに目についたのは六つばかりの小さな女の子で、それはすばらしく大きな目がいまにもものを言うかと思うように、いかにも生き生きとかがやいていた。
わたしはひじで起き上がった。みんながそばへ
寄って来た。
「ヴィタリスは」とわたしはたずねた。
「あの子は父さんを
探しているのだよ」と、子どもたちの中でいちばん
総領らしいのが言った。
「あの人は父さんではありません。親方です」とわたしは言った。「どこへ行きました。カピはどこにいますか」
ヴィタリスがほんとうの父親であったなら、たぶんこの人たちもえんりょしいしいこの知らせを
伝えたかもしれない。けれどその人はほんの親方というだけであったと知ると、かれらはいきなり事実を打ち明けて聞かしてくれた。
みんなの話では、あの気のどくな親方は死んだのであった。わたしたちがつかれきってたおれたその門の中に住んでいた植木屋が見つけたのであった。あくる朝早く、かれのむすこが
野菜や花を持って市場へ出かけようとするときに、かれらはわたしたちがいっしょにしもの上に
固まって、すこしばかりのわらをかぶってねむっていたのを見つけた。ヴィタリスはもう死んでいた。わたしも死ぬところであったのを、カピが
胸の所へはいって来て、わたしの
心臓を
温かにしていてくれたために、かすかな
気息が
残っていた。かれらはわたしたちをうちの中に運び入れて、子どもたちの一人の温かい
寝台の上にねかしてくれたのである。それから六時間ほど、まるで死んだようになってねていたが、血のめぐりがついてくると、
呼吸も強く出るようになった。そうしてとうとう目を
覚ましたのであった。
わたしはからだもたましいもまったくしびれきったようになっていたが、このときはもうかれらの話を聞いてわかるだけに
覚めていたのであった。
ああ、ヴィタリスは死んでしまったのである。
この話をしてくれたのは、ねずみ色の
背広を着た人であった。この人の話をしているあいだ、びっくりした目をして、じつとわたしを見つめていた女の子は、ヴィタリスが死んだと聞いて、わたしがいかにもがっかりしたふうをしたのを見つけると、そこを立って父のそばへ行き、
片手を父のうでにかけ、片手でわたしのほうを指さしながらなにか話をした。話といっても、ふつうのことばでなく、ただ
優しい、しおらしい
嘆息の声のようなものであった。
それにかの女の身ぶりと目つきとは、べつにことばの助けを
借りる
必要のないほどじゅうぶんにものを言って、そこによけい
自然な
情愛がふくまれているようであった。
アーサと
別れてこのかた、わたしはつい一度もこんなに取りすがりたいような、親切のこもった、ことばに言えない
情味を感じたことはなかった。それはちょうど、バルブレンのおっかあが、いつもキッスするまえにわたしをながめるときのような感じであった。ヴィタリスが死んで、わたしは世の中に
置き去りにされたが、でももう
独りぼっちではない、という気がした。わたしを
愛してくれる者が、まだそばにいるような気持ちがした。
「ああ、そうだ、リーズの言うとおりだ。こりゃああの子も聞くのがつらいだろうが、やはりほんとうのことは言わねばならぬ。わたしたちが言わないでも、
巡査が話すだろうから」
お父さんはむすめのほうへ向きながら言った。そうしてなお話を
続けながら、
警察に
届けたことや、巡査がヴィタリスを運んで行ったことや、わたしを長男のアルキシーの
寝台にねかしたことなどを
残らず話してくれた。この話のすむのを待ちかねて、
「それからカピは――」とわたしは聞いた。
「なに、カピ」
「ええ。犬です」
「知らないよ。いなくなったよ」
「あの犬はたんかについて行ったよ」と子どもたちの一人が言った。「バンジャメン、おまえ見たかい」
「ぼくよく知ってるよ」ともう一人の子が答えた。「あの犬は
釣台のあとからついて行った。首を
垂れてときどきたんかにとび上がった。下にいろと言われると、犬はなんだかおそろしい声でうなったり、ほえたりした」
かわいそうなカピ。役者であったじぶん、あの犬は何度ゼルビノのお
葬式を送るまねをしたであろう。それはどんなにまじめくさった子どもでも、あの犬の悲しい様子を見ては
笑わずにはいられなかった。カピが
泣けば泣くほど見物はよけい笑った。
植木屋と子どもたちはわたしを一人
置いて出て行った。まったくどうしていいか、どうしようというのかわからずに、わたしは起き上がって、着物を着かえた。わたしのハープはねむっていた
寝台のすそに
置いてあった。わたしは
肩に負い皮をかけて、家族のいる
部屋へと出かけて行った。わたしはなんでも出かけて行かなければならない気がするが、さてどこへ行こうか。ねどこにいるうちはそんなに弱っているとも思わなかったが、起きてみるともう立つことが苦しかった。わたしはいすにすがって、やっと
転がらないょうに、からだを
支えなければならなかった。うちの人たちは
炉の前の
食卓に向かって、キャベツのスープをすすっていた。そのにおいがわたしにとってはあんまりであった。わたしはゆうべなんにも食べなかったことをはげしく思い出した。わたしは気が遠くなるように思って、よろよろしながら
炉ばたのいすにこしを落とした。
「おまえさん、気分がよくないか」と植木屋がたずねた。
わたしはかれに、どうも具合の悪いことを話した。そうしてしばらく火のそばへ
置いてくれとたのんだ。
でもわたしの
欲していたのは火ではなかった。それは食物であった。わたしはうちの者がスープを
吸うところをながめて、だんだん気が遠くなるように思えた。わたしがかまわずにやるなら一ぱいくださいと言うところであったが、ヴィタリスはわたしにこじきはするなと教えた。わたしはかれらにおなかが
減っているとは言いださなかった。なぜだろう。わたしはひもじゅうございますと言うよりは、なにも食べずに死んでしまうほうがよかった。
あの目にきみょうな
表情を持った女の子は――名前をリーズと
呼ばれていたが、わたしの向こうにこしをかけていた。この子はなにも言わずに、じっとわたしのほうを見つめていたが、ふと
食卓から立ち上がって、一ぱいスープのはいっているおさらをわたしの所へ持って来て、ひざの上に
置いた。もうものを言うこともできなかったので、かすかにわたしは首をうなずかせて、お
礼を言った。よし、わたしがものを言えたとしても、父親が口をきかせるひまをあたえなかった。
「おあがり」とかれは言った。「リーズが持って行ったのは、
優しい心でしたのだからね。もっと
欲しければまだあるよ」
もっと欲しいかと言うのか。一ぱいのスープはみるみる
吸われてしまった。わたしがスープを下に
置くと、前に立ってながめていたリーズがかわいらしい
満足のため息をした。それからかの女はわたしの小ざらを取って、また父の所へ一ぱい入れてもらいに行った。いっぱいにしてもらうと、かの女はかわいらしい
笑顔をしながら、また持って来た。それがあんまりかわいらしいので、
腹は
減っていても、わたしは小ざらを取ることを
忘れて、じっとその顔に見とれたくらいであった。二はい目の小ざらもさっそく
初めのと同様になくなった。もう子どもたちもくちびるをゆがめて
微笑するくらいではすまなくなった。みんなはいっぱい口を開けて
笑いだしてしまった。
「どうもおまえ、なかなかいけるねえ。まったく」とかの女の父親が言った。
わたしはたいへんはずかしかった。けれどもそのうちわたしは食いしんぼうと思われるよりもほんとうの話を打ち明けてしたほうがいいと思ったので、じつはゆうべ
晩飯を食べなかったことを話した。
「それではお昼は」
「お昼もやはり食べません」
「では親方は」
「あの人も、やはりどちらも食べませんでした」
「ではあの人は寒さばかりでなく、
飢えて死んだのだ」
熱いスープがわたしに元気をつけてくれた。わたしは立ち上がって、出かけようとした。
「おまえさん、どうするのだ」と父親がたずねた。
「おいとまいたします」
「どこへ行く」
「わかりません」
「パリにだれか友だちか
親類でもあるのかい」
「いいえ」
「
宿はどこだね」
「宿はありません。ついきのうこの町へ来たばかりです」
「ではなにをしようというのだね」
「ハープをひいたり、歌を歌ったりして、すこしのお金をもらいます」
「パリでかい。おまえさん、それよりかいなかのご両親の所へ帰ったほうがいいだろう。ご両親はどこに住んでいなさる」
「わたしには両親がありません」
「あのひげの白いじいさんは、父さんではないというじゃないか」
「ええ、ほかにも父さんはありません」
「母さんは」
「母さんもありません」
「おじさんか、おばさんか、
親類は」
「なにもありません」
「どこから来たのだね」
「親方はわたしを
養母の
夫の手から買ったのです。あなたがたは親切にしてくだすったし、ぼくは心からありがたく思っています。ですからおいやでなければ、わたしは日曜日にここへもどって来て、あなたがたのおどりに合わせてハープをひいてあげましょう」
こう言いながらわたしは戸口のほうへ行きかけたが、ほんの二足三足で、すぐあとからわたしについて来たリーズが、わたしの手を取ってハープを指さした。
「あなた、いまひいてもらいたいの」と、わたしはかの女に
笑いかけながらたずねた。かの女はうなずいて手をたたいた。
「うん。ひいてやっておくれ」とかの女の父親は言った。
わたしはハープをひく元気はなかったけれど、このかわいらしい女の子のためにいちばんかわいらしいワルツをひいてやらずにはいられなかった。
はじめかの女は大きな美しい目をじっとわたしに向けて聞いていたが、やがて足で
拍子を合わせ始めた。するうち、うれしそうに
食堂の中をおどり歩いた。かの女の兄弟たちはその様子をだまってながめていた。かの女の父親もうれしがっていた。ワルツがすむと、子どもはやって来て、わたしにかわいらしいおじぎをした。そして指でハープを打って「アンコール」(もう一つ)という心持ちを
示した。
わたしはこの子のためには一日でもひいていてやりたかったが、父親はもうそれだけおどればたくさんだと言った。そこでワルツや
舞踏曲の代わりに、わたしはヴィタリスが教えてくれたナポリ
小唄を歌った。リーズはわたしの向こうへ来て立って、あたかも歌のことばをくり返しているようにくちびるを動かした。するとかの女はくるりとふり向いて、
泣きながら父親のうでの中にとびこんだ。
「それで音楽はけっこう」と父親が言った。
「リーズはばかじゃないか」とバンジャメンと
呼ばれた兄弟があざけるように言った。「はじめはおどりをおどって、今度は
泣くんだもの」
「あの子はあんたのようにばかではないわ」と
総領の
姉が小さい妹をいたわるようにのぞきこみながら答えた。
「この子にはよくわかったのだよ……」
リーズが父親のひざの上で
泣いているあいだにわたしはまたハープを
肩にかけて行きかけた。
「おまえさん、どこへ行く」と植木屋がたずねた。
「おいとまいたします」
「おまえさん、やはり
芸人でやっていくつもりかい」
「でもほかにすることがありませんから」
「旅でかせぐのはつらいだろう」
「だってうちがありませんから」
「それはそうだろうが、夜というものがあるからね」
「それは、わたしだって
寝台にねたいし、火にも当たりたいと思います」
「火に当たったり寝台にねるには、それそうとう
働かなければならないが、おまえはどうだね。このうちにいて働く気はないか。なかなか楽な仕事ではないが、それは朝もずいぶん早くから起きて、まる一日働かなければならないけれど、ただおまえがゆうべ出会ったような目にはけっして二度と出会う気づかいはなかろうよ。おまえはねどこも、食べ物も
得られるし、自分で
働いてそれを得たという
満足もあろうというものだ。それでおまえがわしが考えているようにいい子どもであるなら、同じうちの者にして、いっしょにくらしてゆきたいとも思っているのだよ」
リーズがふり返って、なみだの中からわたしをながめてにっこりした。
わたしはいま聞いたことをほとんど
信ずることができなかった。わたしはただ植木屋をながめていた。
するとリーズが、父親のひざからとんで来て、わたしの手を取った。
「うん、どうだね、おまえ」と父親がたずねた。
家族だ。わたしは家族を持つようになった。わたしは
独りぼっちではなくなるのだ。いいゆめよ。今度は消えずにいてくれ。
わたしが四、五年いっしょにくらして、ほとんど父親のようであった人は死んだ。なつかしい、
優しいカピは、わたしがあれほど
愛した
仲間でもあり友だちでもあったカピは、いなくなった。わたしはなにもかもおしまいになったと思っていた。ところへこのいい人がわたしを自分の家族にしてやると言ってくれた。
わたしのために新しい
生涯がまた始まるのだ。かれはわたしに食べ物と
宿をあたえると言ったが、それよりももっとわたしにうれしかったのは、このうちの中の生活がやはりわたしのものになるということであった。この男の子たちはわたしの兄弟になるであろう。このかわいらしいリーズはわたしの妹になるであろう。わたしはもうみなし子ではなくなるであろう。わたしの子どもらしいゆめの中で、いつかわたしも父親と母親を見つけるかもしれないと思ったこともあった。けれど兄弟や妹を持とうとは考えなかった。それがわたしにあたえられようとしているのだ。わたしはさっそくハープの負い皮を
肩からはずした。
「おお、それでこの子の返事がわかった」とお父さんが
笑いながら言った。「わたしはおまえの顔つきで、どんなにおまえが
喜んでいるかわかる。もうなにも言うことは
要らない。そのハープをかべにおかけ。いつかおまえがここにあきたら、またそれを下ろして
好きなほうへ行くがよろしい。けれどおまえもつばめのように、とび出して行く
季節を
選ばなければならない。まあ、冬のさ中に出て行くのだけはおよし」
わたしの新しい家庭の場所はグラシエール、うちの名はアッケン家、植木屋が商売で、ピエール・アッケンというのがお父さんで、アルキシーに、バンジャメンという二人の男の子、それから女の子はエチエネットに、うちじゅうでいちばん小さいリーズでこれが家族
残らずであった。
リーズはおしであった。生まれつきのおしではなかったが、四度目の
誕生日をむかえるすこしまえに、病気でものを言う力を
失った。この
不幸は、でも幸せとかの女のちえを
損ないはしなかった。その反対にかの女のちえはなみはずれた
程度に
発達した。かの女はなんでもわかるらしかった。でもその
愛らしくって、活発で
優しい
気質が、うちじゅうの者に
好かれていた。それで病身の子どもにありがちのうちじゅうのきらわれ者になるようなことのないばかりか、リーズのいるために、うちじゅうがおもしろくくらしている。むかしは
貴族の家の長子に生まれると
福分を一人じめにすることができたが、今日の
労働者の家庭では、
総領はいちばん重い
責任をしょわされる。母親が
亡くなってから、エチエネットが家庭の母親であった。かの女は早くから学校をやめさせられ、うちにいてお
料理をこしらえたり、お
裁縫をしたり、父親や兄弟たちのために
家政を取らなければならなかった。かれらはみんなかの女がむすめであり、
姉であることを
忘れきって、女中の仕事をするのばかり
見慣れていた。いくらひどく使っても出て行く心配もなければ、
不平を言う気づかいもない
重宝な女中であった。かの女が外へ出ることはめったになかったし、けっしておこったこともなかった。リーズをうでにかかえてベンニーの手を引きながら、朝は暗いうちから起きて、父親の
朝飯をこしらえ、夜はおそくまでさらを
洗ったりなどをしてからでなくては、とこにはいらなかったから、かの女はまるで子どもでいるひまがなかった。十四だというのにかの女の顔はきまじめにしずんでいた。それは年ごろのむすめの顔ではなかった。
わたしはハープをかべにかけてから、ゆうべ出会った出来事をぽつぽつ話しだした。石切り場にねむろうとして
失敗して、それからあとの始末を一とおり話しかけて、やっと五分たつかたたないうちに、
園に向かっているドアを引っかく音が聞こえた。それから悲しそうにくんくん鳴く声がした。
「カピだ。カピだ」わたしはさけんですぐとび上がった。
けれどもリーズがわたしより早かった。かの女はもうかけ出してドアを開けていた。
カピがわたしにとびかかって来た。わたしはかれをうでにかかえた。小さな
喜びのほえ声をたてて、全身をふるわせながら、かれはわたしの顔をなめた。
「するとカピは……」とわたしはたずねた。わたしの問いはすぐに
了解された。
「うん、むろんカピもいっしょにおくよ」とお父さんが言った。
カピはわたしたちの言っていることがわかったというように、地べたにとび下りて、前足を
胸に
置いておじぎをした。それが子どもたち、とりわけリーズを
笑わせた。で、よけいかれらを
喜ばせるために、わたしはカピに、いつもの
芸をすこしして見せろと
望んだ。けれどもかれはわたしの言いつけに
従う気がなかった。かれはわたしのひざの上にとび上がって顔をなめ始めた。
それからとび下りて、わたしの上着のそでを引き始めた。
「あの犬はわたしを外へ
連れ出そうというのです」
「おまえの親方の所へ行こうというのだよ」
親方を引き取って行った
巡査は、わたしが
暖まって正気づいたら、聞きたいことがあると言ったそうだ。その巡査がいつ来るか、あやふやであった。
でもわたしは早く
報告を聞きたいと思った。たぶん親方はみんなの思ったように死んではいないのだ。たぶん親方はまだ生きて帰れるのだ。
わたしの心配そうな顔を見て、お父さんはわたしを
警察へ
連れて行ってくれた。
警察へ行くとわたしは長ながと
質問された。けれどわたしはいよいよ気のどくな親方がまったく死んだという
宣告を聞くまでは、なにも申し立てようとはしなかった。わたしは知っているだけのことは
述べたが、それはほんのわずかのことであった。わたし自身については、せいぜい両親のないこと、親方が前金で
養母の
夫に金をはらってわたしをやとったこと、それだけしか言えなかった。
「それでこれからは……」
署長がたずねた。
「わたくしどもでこの子を引き取ろうと思います」とわたしの新しい友人がことばをはさんだ。
「それをお
許しくださいますならば」
署長は
喜んでわたしをかれの手に
委任すると言った。そのうえその親切な心がけをほめた。
自分のことはそれでいいとして、今度は親方のことを言わなければならなかった。でもまったくなんにも知らないのが事実であった。
ただ一つわからないことは、
最後の
興行のとき、どこかの
夫人が
天才だと言っておどろいたこと、それからガロフォリがむかしの名前をどうとか言いだして、かれをおどしたことであった。
けれど親方があれほどかくしていたことを死んだのちにあばき立てることはいらない。でもそうは思いながら、事に
慣れた
警官の前で子どもがかくしおおせるものではなかった。かれらはわけなくわなにかけて、かくしたいと思うことをずんずん言わせてしまうのである。わたしの場合がやはりそれであった。
署長はさっそくわたしから、ガロフォリについてなにもかもかぎ出してしまった。
「この子をガロフォリというやつの所へ
連れて行くよりほかにしかたがない」と、かれは部下の一人に言った。「一度この子の言うルールシーヌ
街へ
連れて出れば、すぐその家を見つけるよ。きみはこの子といっしょに行って、その男を
尋問してくれたまえ」
わたしたち三人――
巡査とお父さんとわたしは、いっしょに出かけた。
署長が言ったように、わたしはわけなくその家を見つけた。わたしたちは四階へ上がって行った。マチアはもう見えなかった。
警官の顔を見て、それから
見覚えのあるわたしを見つけると、ガロフォリは青くなって、ぎょっとしたようであった。けれどみんなの来たのは、ヴィタリスのことをたずねるためであったことがわかると、かれはすぐに落ち着いた。
「やれやれ、じいさん、死にましたか」とかれは言った。
「おまえはその
老人を知っているだろう」
「はい」
「じゃああの老人について知っていることを
残らず話してくれ」
「なんでもないことでございます。あの男の名前はヴィタリスではございません。本名はカルロ・バルザニと申しました。あなたがいまから三十五年か四十年まえにイタリアにおいででしたら、あの男についてご
承知だったでしょう。それはほんの名前を言うだけで、どんな人物だということは
残らずおわかりになったでしょう。カルロ・バルザニと言えばそのころでいちばん有名な歌うたいでした。かれはナポリ、ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ロンドン、それからパリでも歌いました。どこの
大劇場もたいした
成功でした。やがてふとしたことからかれはりっぱな声が出なくなりました。もう歌うたいの中でいちばんえらい者でいることができなくなると、かれは自分の
偉大な名声に
相応しない下等な劇場に出て、歌を歌って、だんだん
評判をうすくすることをしませんでした。その代わりかれはまるっきり自分を世間の目からくらまして、
全盛時代にかれを知っていた人びとからかくれるようにしました。けれどもかれも生きなければなりません。かれはいろいろの
職業に手を出してみましたが、どれもうまくいきません。そこでとうとう犬を
慣らして、
大道の
見世物師にまで落ちることになりました。けれどいくらなり下がってもやはり
気位が高く、これが有名なカルロ・バルザニのなれの
果てだということを世間に知られるくらいなら、はずかしがって死んだでしょう。わたしがあの男の
秘密を知ったのは、ほんのぐうぜんのことでした」
これが長いあいだ心にかかっていた秘密の正体であった。
気のどくなカルロ・バルザニ。なつかしいヴィタリス親方。
植木屋
そのあくる日ヴィタリスをほうむらなければならなかった。アッケン
氏はわたしをお
葬式に
連れて行くやくそくをした。
けれどその日わたしは起き上がることができなかった。夜のうちにひじょうに具合が悪くなった。ひどい
熱が出て、はげしい寒けを感じた。わたしの
胸の中は、小さなジョリクールがあの
晩木の上で
過ごしたとき受けたと同様、
焼きつくやうな
熱気を感じた。
実際わたしは胸にはげしい
衝(焼きつくような感じ)を感じた。病気は
肺炎であった。それはすなわちあの
晩気のどくな親方とわたしがこの
家の
門口にこごえてたおれたとき、寒気のために受けたものであった。
でもこの
肺炎のおかげで、わたしはアッケン家の人たちの親切、とりわけてエチエネットの
誠実をしみじみ知ったのであった。びんぼうなうちではめったに医者を
呼ぶということはないが、わたしの
容態がいかにも重くって心配であったので、わたしのため
特別に、
習慣のためいつか当たり前になっていた
規則を
破ってくれた。呼ばれて来た医者は長い
診察をしたり、細かい容態を聞いたりするまでもなく、いきなり病院へ送れと言いわたした。
なるほどこれはいちばん
簡単で、手数がかからなかった。でもこの父さんは
承知しなかった。
「ですがこの子はわたしのうちの門口でたおれたんですから、病院へはやらずに、やはりわたしどもが
看病しなければなりません」とかれは言った。
医者はこの
因縁論に対して、いろいろうまいことばのかぎりをつくして
説いたが、
承知させることができなかった。かれはわたしをどうしても看病しなければならないと考えた。そしてまったく看病してくれた。
こうしてあり
余る仕事のあるうえ、エチエネットにはまた一つ、
看護婦の役が
増えた。でもセン・ヴェンサン・ド・ポールの
尼さんがするように、親切にしかも
規則正しく
看護してくれて、けっしてかんしゃく一つ起こさないし、なに一つ手落ちなしにしてくれた。かの女が家事のためにどうしてもついていられないときには、リーズが代わってくれた。たびたび
熱にうかされながら、わたしは
寝台のすそで
不安心らしい大きな目をわたしに向けているかの女を見た。熱にうかされながらわたしはかの女を自分の
守護天使であるように思って、天使に向かって話をするように、自分の
望みや
願いをかの女に打ち明けた。このときからわたしは
我知らずかの女を、なにか後光に
包まれた人間
以上のものに思うようになり、それが白い大きなつばさをしょってはいないで、やはりわれわれただの人間と同様にしていることをふしぎに思ったりした。
わたしの病気は長かったし、重かった。
快くなってはたびたびあともどりをしたので、ほんとうの両親でもいやきがさしたかもしれなかった。でもエチエネットはどこまでもがまん強く
誠実をつくしてくれた。いく
晩かわたしは
肺臓が
痛んで、息がつまるように思われて、ねむられないことがあった。それでアルキシーとバンジャメンが代わりばんこに、
寝台のそばにつききりについていてくれた。
ようようすこしずつ
治りかけてきた。でも長い重病のあとであったから、すこしでもうちの外に出るには、グラシエールの
牧場が青くなり始めるまで待たなければならなかった。
そこで用のないリーズがエチエネットの代わりになって、ビエーヴル川の岸のほうへわたしを
散歩に
連れて行ってくれた。
真昼の日ざかりに、わたしたちはうちを出て、カピを先に立てて、手を組みながらそろそろと歩いた。その年の春は
暖かで、
日和がよかった。少なくともわたしは暖かな心持ちのいい
記憶を持っている。だから同じことであった。
このへんはラ・メーゾン・ブランシュとグラシエールの間にある土地で、パリの人にはあまり知られていなかった。このへんに小さな谷があるということだけはぼんやり知られていたが、その谷に
注ぐ川はビエーヴル川であるから、この谷はパリの
郊外ではいちばんきたない
陰気な所だと言いもし、
信じられもしていた。だがそんなことはまるでなかった。うわさほど悪い所ではなかった。ビエーヴル川と言えば、たいてい人がセン・マルセルの
場末で、工場地になっているというので、頭からきたない所と決めてしまうのであるが、ヴェリエールやリュンジには
自然のおもむきがあった。少なくともわたしのいたじぶんには、やなぎやポプラが青あおとしげっている下を水が流れていた。その両岸には緑の
牧場が、人家や庭のある小山のほうまでだんだん上りに
続いていた。春は草が青あおとしげって、白い小ぎくが
碧玉をしきつめたもうせんの上に白い星をちりばめていたし、
芽出しやなぎやポプラの
若木からはねっとりとやにが流れていた。そうして
うずらや、
こまどりや、
ひわやなんぞの鳥が、ここはまだいなかで、町ではないというように歌を歌っていた。
これがわたしの見た小さな谷の
景色であった――その後ずいぶん
変わったが――それでもわたしの受けた
印象はあざやかに
記憶に
残っていて、ついきのうきょうのように思われる。わたしに絵がかけるなら、このポプラの林の一
枚の葉をも
残すことなしにえがき出したであろう――また大きなやなぎの木を、頭の先の青くなった、とげのあるさんざしといっしょにかいたであろう。それはやなぎのかれたような
幹の間に根を
張っていた。また
砲台の
傾斜地をわたしたちはよく
片足で楽にすべって下りた――それもかきたい。あの風車といっしょに
うずらが
丘の絵もかきたい――セン・テレーヌ寺の庭に
群がっていたせんたく女もえがきたい。それから川の水をよごれくさらせていた
製革工場もかきたい――
もちろんこういう
散歩のおり、リーズはものは言えなかったが、きみょうなことに、わたしたちはなにもことばの
必要はなかった。わたしたちはおたがいにものを言うことなしに、
了解し合っているように思われた。
そのうちにわたしにも、みんなといっしょに
働けるだけじょうぶになる日が来た。わたしはその仕事を始める日を待ちかねていた。それはわたしのためにこれだけつくしてくれた親切な友だちに、こちらからもなにかしてやりたいと思っていたからであった。わたしはこれまで仕事らしい仕事をしたことがなかった。長い
流浪の旅はつらいものではあるが、どうでもこれだけ仕上げなければというように、いっしょうけんめい
張りこんでする仕事はなにもなかった。けれど今度こそわたしは、じゅうぶんに
働かなければならないと感じた。少なくともぐるりにいる人たちをお手本にして、元気を出さなければならないと思った。このごろはちょうど
においあらせいとうがパリの市場に出始める
季節であった。それには赤いのもあり、白いのもあり、むらさき色のもあって、その色によって分けられて、いくつかのフレームに入れられてあった。白は白、赤は赤、同じ色のフレームが一列にならんでみごとであった。夕方フレームのふたをするじぶんには、花から立つかおりが風にふくれていた。
わたしにあてがわれた仕事はまだ弱よわしい子どもの力に
相応したものであった。毎朝しもが消えると、わたしはガラスのフレームを開けなければならなかった。夜になって寒くならないうちにまたそれを閉めなければならなかった。昼のうちはわらのおおいで日よけをしてやらなければならなかった。これはむずかしい仕事ではなかったが、一日ひまがかかった。なにしろ何百というガラスを毎日二度ずつ動かさなければならなかった。
このあいだリーズは
灌水に使う
水上げ
機械のそばに立っていた。そして皮のマスクで目をかくされた
老馬のココットが、回しつかれて足が
働かなくなると、かの女は小さなむちをふるって馬をはげましていた。兄弟の一人はこの機械が引き上げたおけを返す、もう一人の兄弟はお父さんの
手伝いをする。こんなふうにしててんでに自分の仕事を持っていて、むだに時間を
費すものはなかった
わたしは村で
百姓の
働くところを見たこともあるが、ついぞパリの近所の植木屋のような
熱心なり
勇気なり
勤勉なりをもって
働いていると思ったことはなかった。
実際ここではみんないっしょうけんめい、朝は日の出まえから起き、
晩は日がくれてあとまでいっぱいの時間を使いきってのちに
寝台に休むのである。わたしはまた土地を
耕したことがあったが、
勤労によって土地にまるで
休憩をあたえないまでに
耕作し
続けるということを知らなかった。だからアッケンのお父さんのうちはわたしにとってはりっぱな学校であった。
わたしはいつまでも温室のフレームばかりには使われていなかった、元気が
回復してきたし、自分もなにか地の上にまいてみるということに
満足を感じてきた。その
種が
芽を出すのを見るのが、いっそうの満足であった。これはわたしの仕事であった。わたしの
財産、わたしの
創造であった。だからよけいわたしに
得意な感じを起こさせた。
それで自分がどういう仕事に
適当しているかがわかった。わたしはそれをやってみせた。そのうえよけいわたしをゆかいにしたことは、まったくこれでは
骨折りのかいがあると感じ
得たことであった。
この新しい生活はなかなかわたしには苦しかったが、しかしこれまでの
浮浪人の生活と
似ても似つかない
労働の生活が
案外早くからだに
慣れた。これまでのように自由気ままに旅をして、なんでも大道を前へ前へと進んで行くほかに
苦労のなかったのに引きかえて、いまは花畑の
囲いの中に
閉じこめられて、朝から
晩まであらっぽく
働かなければならなかった。
背中にはあせにぬれたシャツを着、両手に
如露を持って、ぬかるみの道の中を、
素足で歩かなければならなかった。でもぐるりのほかの人たちも、同じようにあらっぽい
労働をしていた。お父さんの如露はわたしのよりもずっと重かったし、そのシャツはわたしたちのそれよりも、もっとびっしょりあせにぬれていた。みんな平等であるということは、
苦労の中の大きな楽しみであった。そのうえわたしはもうまったく
失ったと思ったものを
回復した。それは家族の生活であった。わたしはもう
独りぼっちではなかった。世の中に
捨てられた子どもではなかった。わたしには自分の
寝台があった。わたしはみんなの集まる
食卓に自分の
席を持っていた。昼間ときどきアルキシーやバンジャメンがわたしにげんこつをみまうこともあったが、わたしはなんとも思わなかった。またわたしが打ち返しても、かれらはなんとも思わなかった。そうして
晩になれば、みんなスープを取り
巻いて、また兄弟にも友だちにもなるのであった。
ほんとうを言うと、わたしたちは
働いてつかれるということはなかった。わたしたちにも
休憩の時間も遊ぶ時間もあった。むろんそれは短かったが、短いだけよけいゆかいであった。
日曜の午後には家についているぶどうだなの下にみんな集まった。わたしはその週のあいだかけっぱなしにしておいた
例のハープを
外して持って来る。そうして四人の兄弟
姉妹におどりをおどらせる。だれもかれもダンスを習った者はなかったが、アルキシーとバンジャメンは一度ミルコロンヌで
婚礼の
舞踏会へ行って、コントルダンスのしかただけ多少
正確に
記憶していた。その記憶がかれらの手引きであった。かれらはおどりつかれると、わたしに歌のおさらいをさせる。そうしてわたしのナポリ
小唄はいつも決まって、リーズの心を動かさないことはないのであった。
このおしまいの一
節を歌うとき、かの女の目はなみだにぬれないことはなかった。
そのとき気をまぎらすために、わたしはカピと
道化芝居をやるのであった。カピにとってもこの日曜日は休日であった。その日はかれにむかしのことを思い出させた。それで一とおり役目を終わると、かれはいくらでもくり返してやりたがった。
二年はこんなふうにして
過ぎた。お父さんはわたしをよくさかり場や、波止場や、マドレーヌやシャトードーやの花市場へ
連れて行ったり、よく花を分けてやる花作りの家に連れて行ったので、わたしもすこしずつパリがわかりかけてきた。そうしてそこはわたしが
想像したように大理石や黄金の町ではなかったが、あのとき
初めてシャラントンやムフタール
区からはいって来たとき見て早飲みこみに思ったようなどろまみれの町でもないことがわかった。わたしは
記念碑を見た。その中へもはいってみた。波止場通り、大通りをも、リュクサンプールの公園をも、チュイルリの公園をも、シャンゼリゼーをも、歩いてみた。
銅像も見た。
群衆の人波にもまれて、感心して立ち止まったこともあった。これで大都会というものがどんなふうにできあがっているかという考えがほぼできてきた。
幸いにわたしの教育はただ目で見る物から受けただけではなかった。パリの
町中を
散歩したりかけ歩いたりするついでに、ぐうぜん
覚えるだけではなかった。このお父さんはいよいよ
自前で植木屋を開業するまえに植物園の畑で
働いていた。そこには学者たちがいて、かれにしぜん、物を読んで
覚えたいという
好奇心を起こさせた。それでいく年かのあいだためた金を書物を買うために使ったし、その本を読むために休みの時間を
費した。けれど
結婚して子どもができてからは、休みの時間がごくまれになった。なによりもその日その日のパンをもうけなければならなかった。しぜん書物からはなれたが、
捨てられたわけでもなく、売りはらわれたわけでもなかった。わたしが
初めてむかえた冬はたいへん長かったし、花畑の仕事はほとんど中止同様に、少なくとも何か月のあいだの仕事はひまであった。それでわたしたちは
炉を
囲んで、いっしょにくらす
晩などには、そういう古い本をたんすから引き出して、めいめいに分けて読んだ。それはたいてい植物学の本か植物の
歴史のほかには、
航海に
関係した本であった。アルキシーとバンジャメンはお父さんの学問の
趣味を受けついでいなかったから、せっかく本を開けても三、四ページもめくるとすぐいねむりを始めるのであった。わたしはしかしそんなにねむくはなかったし、ずっと本が
好きだったので、いよいよねどこにはいらなければならない時間まで読んでいた。こうなるとヴィタリスの手ほどきをしてくれた
利益がむだにはならなかった。わたしはねながらそれを
独り
言に言って、かれのことをありがたく思い出していた。
わたしがものを学びたいという
望みは、はしなくお父さんに、自分もむかし本を買うために毎朝
朝飯のお金を二スー
倹約したむかしを思い出させた。それでたんすの中にあった書物のほかの本までパリからわざわざ買って来てくれた。その書物の
選び
方はでたらめか、さもなければ
表題のおもしろいものをつかみ出して来るにすぎなかったが、やはり書物は書物であった。これはそのじぶん
秩序もなく、わたしの心にはいっては来たが、いつまでも消えることはなかった。それはわたしに
利益を
残した。いいところだけが残った。なんでも本を読むのは利益だということは、ほんとうのことである。
リーズは本を読むことを知らなかったが、わたしが一時間でもひまがあれば、本と首っぴきをしているのを見て、なにがそんなにおもしろいのだろう、そのわけを知りたがっていた。
初めのうちはかの女も自分と遊ぶじゃまになるので、本を取り上げたが、それでもやはりわたしが本のほうへ心をひかれる様子を見て、今度は本を読んで聞かせてくれと言いだした。これがわたしたちのあいだの新しい
結び
目になった。いったいこの子の
性質はいつも物わかりがよくって、つまらない遊びごとやじょうだんごとには身のはいらないほうであったから、やがてわたしが読んで聞かせることに楽しみを感じもし、心の
養いをえるようになった。
何時間もわたしたちはこうやって
過ごした。かの女はわたしの前にすわって、本を読んでいるわたしから目をはなさずにいた。たびたびわたしは自分にわからないことばなり
句なりにぶつかると、ふとやめてかの女の顔を見た。そういうときわたしたちはかなりしばらく考え出すために休む。それを考えてもやはりわからないとき、かの女はあとをと言いたいような身ぶりをしてあとを読む合図をする。わたしはかの女にまた絵をかくことを教えた。まあやっと図画とでもいうようなことを教えた。これは長いことかかったし、なかなかむずかしかったがどうやら
目的を
達しかけた。むろんわたしはりっぱな先生ではなかった。でもわたしたちは力を合わせて、やがて先生と
生徒の美しい
協力一致から、ほんとうの天才
以上のものができるようになった。かの女はなにをかこうとしたか人にもわかるようなもののかけたとき、どんなにうれしがったであろう。アッケンのお父さんはわたしをだいて、
笑いながら言った。
「そらね、わたしがおまえを引き取ったのはずいぶんいいじょうだんであった。リーズはいまにきっとおまえにお礼を言うよ」
「いまに」とかれが言ったのは、やがてかの女が口がきけるようになってということであった。なぜならだれもかの女が口がきけるようになろうとは思わなかったが、お医者たちはいまはだめでもいつか、なにかひょっとした機会で口がきけるようになるだろうと言った。
なるほどかの女はわたしが歌を歌ってやると、やはりさびしそうな身ぶりで「いまにね」とそういう心持ちを
現した。かの女は自分にもハープをひくことを教えてくれと
望んだ。もうさっそくかの女の指はずんずんわたしのするとおりに動くことができた。もちろんかの女は歌を歌うことを学ぶことはできなかった、これをひじょうに
残念がっていた。たびたびわたしはかの女の目になみだが流れているのを見た。それがかの女の心の苦しみを語っていた。でも
優しい
快活な
性質からその苦しみはすぐに消えた。かの女は目をふいて、しいて
微笑をふくみながら、こう言うのであった。
「いまにね」
アッケンのお父さんには、
養子のようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、わたしは、またしてもわたしの生活を引っくり返すような
事件はもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それはわたしというものが、長く幸福にくらしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって、自分の
望んでもいない出来事のためにまたもや
変わった生活にとびこまなければならなくなるのであった。
一家の
離散
このごろわたしは一人でいるとき、よく考えては
独り
言を言った。
「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも
長続きしそうもない」
でもなぜ
不幸が来なければならないか、それをまえから
予想することはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることは
疑うことのできない事実のように思われてきた。
そう思うと、わたしはたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その
不幸をどうにかしてさけるようにいっしょうけんめいになるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、わたしがこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の
過失から来ると思って、
反省するようになったからである。
でもほんとうは、わたしの過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思い
過ごしであったが、
不幸が来るという考えはちっともまちがいではなかった。
わたしはまえに、お父さんが
においあらせいとうの
栽培をやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに
容易で、パリ
近在の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、四、五月ごろになると、これがさかんにパリの市場に持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、
芽生えのうちから葉の形で
八重と
一重を見分けて、一重を
捨てて八重を
残すことであった。この
鑑別のできる植木屋さんはごくわずかで、その人たちが家の
秘法にして他へもらさないことにしてあるので、植木屋
仲間でも、
特別にそういう人をたのんで花を見分けてもらわなければならなかった。それでたのまれた人はほうぼうの花畑を
巡回して歩いて、いろいろと注意をあたえるのであった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて
熟練のほまれの高い一人であった。それでその
季節にはほうぼうからたのまれて、うちにいることが少なかった。そしてこの季節が、わたしたちとりわけエチエネットにとって、いちばん悪いときであった。なぜというと、お父さんは一けん一けん回って歩くうちに、ほうぼうでお酒を飲ませられて、夜おそく帰るじぶんには、まっかな顔をして、
舌も回らないし、手足もぶるぶるふるえていた。
そんなとき、エチエネットは、どんなにおそくなっても、きっとねずに待っていた。わたしがまだねいらずにいるか、または帰って来る足音で目を
覚ましたときには、
部屋の中から二人の話し声をはっきり聞いた。
「なぜおまえはねないんだ」とお父さんは言った。
「お父さんがご用があるといけないと思って」
「なんだと。そんなことを言って、このおじょうさんの
憲兵が、わたしを
監視するつもりだろう」
「でもわたしが起きていなかったら、だれとお話しなさるおつもり」
「おまえ、わたしがまっすぐに歩けるか見てやろうと思っているんだな。よし、この
行儀よくならんだしき石を一つ一つふんで、子どもの
寝部屋まで行けるかどうか、かけをしようか」
不器用な足音が台所じゅうをしばらくがたつかせると、やがてまた
静かになった。
「リーズはごきげんかい」とお父さんは言った。
「ええ。よくねていますわ。どうかお静かに」
「だいじょうぶさ。わたしはまっすぐに歩いているのだ。なにしろおじょうさんたちがやかましいから、お父さんもせいぜいまっすぐに歩かなくてはならぬ。リーズは、わたしが
夕飯のときいなかったのを見て、なんとか言いはしなかったかい」
「リーズはお父さんの
席を、なんだか見ていました」
「なんだ、わしの席を見ていたと」
「ええ」
「何べんもかい。何べんぐらい見ていた」
「それはたびたび」
「それからどうしていたね」
「『お父さんはいらっしゃらないのね』と言いたいような目つきをしていました」
「じゃあリーズは、わたしがそこにいないのはなぜだとたずねたろう。そしておまえは、わたしがお友だちのうちに行っていると答えたろう」
「いいえ、なんにもたずねませんでした。わたしもなにも言いませんでした。あの子はでもお父さんの行っていらっしゃる所をようく知っていますよ」
「なに、あの子が知ってるって。あの子が……もう早くからねこんでいるかい」
「いいえ、つい十五分ほどまえねたばかりです。お父さんのお帰りを待ちかねていたようです」
「で、おまえはどう思っていたえ」
「わたしはリーズが、お父さんのお帰りのところを見なければいいと思っていました」
しばらく
沈黙が
続いた。
「エチエネット、おまえはいい子だ。あすはわたしはルイソーのうちへ行く。わたしはちかって
夕飯にはきっと帰る。おまえが待っていてくれるのが気のどくだし、リーズが心配しいしいねるのがかわいそうだから」
だがやくそくも
誓言もいっこう役には立たなかった。かれはちっとも早く帰ったことはなかった。一ぱいでもお酒がのどにはいったら、もうめちゃめちゃであった。うちの中でこそ、リーズがご
本尊だが、外の風に当たるともう
忘れられてしまった。
でもこんなことはしじゅうではなかった。レセンプラージュの
季節がすむと、もうお父さんは外へ出ようとも思わない。むろん一人で
居酒屋へ行く人ではなかった。そんなむだな時間を持つ人ではなかった。
においあらせいとうの
季節がすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年じゅうむだに土地の遊んでいるひまはなかった。一つの花を売ってしまうとほかの花を売り出す仕度をしなければならなかった。セン・ピエールだの、セン・マリだの、セン・ルイだの、そういう年じゅうの
祝い
日にはおびただしい花が町へ出る。ピエールだの、マリだの、ルイだのと
呼ばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういう
祝い
日には、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくってお
祝いをしなければならない人が
限りなく多かった。
だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。
往来のすみずみ、家いえの
石段、そのほかちょっとした店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。
アッケンのお父さんは、
においあらせいとうの
季節がすむと、七月、八月の
祝い
日の用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、セン・ルイの
大祝日があるので、これを当てこんで何千本という
えぞぎく、フクシア、
きょうちくとうなどを温室や
温床にはいりきらないほどしこんでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこにうでの
要るのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、
確かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという
失敗はなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、
えぞぎくの花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ
石灰乳をガラスのフレームにぬった
温床の下で、フクシアや
きょうちくとうがさきかけていた。うじゃうじゃと
固まって草むらになっているものもあれば、頭から
根元まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の
覚めるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも
満足らしく、もみ手をしながら、うっとりながめ入っていた。
「ことしは天気がいいなあ」
こうかれはむすこたちをふり返って言っていた。
かれはくちびるに
微笑をたたえて、
胸の中では、これだけ売ればいくらになるという
勘定をしていた。
ここまでするには、みんなずいぶん
骨を
折った。一時間と
休憩するひまなしに
働いたし、日曜日でも休まなかった。でももうとうげはこしたし、すっかり売り出しの
準備ができあがったので、そのほうびとして、八月五日の日曜日の夕方、わたしたち
残らずうちそろってアルキュエイまで、お父さんの友人で、やはり植木屋
仲間のうちへごちそうを食べに行くことが決定されていた。カピも一行の一人になるはずであった。わたしたちは四時まで
働くことにして、仕事がすんだところで、門に
錠をかって、アルキュエイまで行くことになった。
晩食は八時にできるはずであった。晩食がすんでわたしたちはすぐうちへ帰ることにした。ねどこにはいるのがおそくならないように、月曜の朝にはいつでも
働けるように、元気よく早くから起きられるようにしなければならなかった。それで四時二、三分まえにわたしたちはみんな仕度ができた。
「さあ、みんな行こう」とお父さんがゆかいらしくさけんだ。「わたしは門にかぎをかけるから」
「来い、カピ」
リーズの手を取って、わたしは走りだした。カピはうれしそうにはねながらついて来た。また旅かせぎに出るのだと思ったのかもしれない。この犬は旅がやはり
好きであった。こうしてうちにいては、思うようにわたしにかまってはもらえなかった。
わたしたちは日曜日の晴れ着を着て、ごちそうになりに行く仕度をしていたので、なかなかきれいであった。わたしたちが通るとふり返って見る人たちもあった。わたしは自分がどんなふうに見えるかわからなかったけれど、リーズは水色の服に、ねずみ色のくつをはいて、このうえなく活発なかわいらしいむすめであった。
時間が知らないまにずんずん
過ぎていった。
わたしたちは庭の
にわとこの木の下でごちそうを食べていた。するとちょうどおしまいになりかけたとき、わたしたちの一人が、ずいぶん空が暗くなったと言いだした。
雲がどんどん空の上に
固まって出て来た。
「さあ、子どもたち、早くうちへ帰らなければいけない」とお父さんが言った。
「もう」みんなはいっしょにさけんだ。
リーズは口はきけなかったが、やはり帰るのはいやだという身ぶりをした。
「さあ行こう」とお父さんがまた言った。「風が出たらガラスのフレームは
残らず引っくり返される」
これでもうだれも
異議を申し立てなかった。わたしたちはみんなフレームの
値打ちを知っていた。それが植木屋にどれほどだいじなものかわかっていた。風がうちのフレームをこわしたら、それこそたいへんなことであった。
「わたしはバンジャメンとアルキシーを
連れて先へ急いで行く」とお父さんが言った。
「ルミはエチエネットと、リーズを連れてあとから来るがいい」
かれらはそのままかけだした。エチエネットとわたしはリーズを連れてそろそろ後からついて行った。だれももう
笑う者はなかった。空がだんだん暗くなった。あらしがどんどん来かけていた。
砂けむりがうずを
巻いて上がった。砂が目にはいるので、わたしたちは後ろ向きになって、両手で目をおさえなければならなかった。空にいなずまがひらめいて、はげしいかみなりが鳴った。
エチエネットとわたしがリーズの手を
引っ
張った。わたしたちはもっと早くかの女を引っ張ろうと
試みたが、かの女はわたしたちと歩調を合わせることは
困難であった。あらしの来るまえにうちへ帰れようか。お父さんとバンジャメンとアルキシーはあらしの起こるまえにうちに着いたろうか。かれらがガラスのフレームを
閉めるひまさえあれば、風が下からはいって引っくり返すことはないであろう。
雷鳴がはげしくなった。雲がいよいよ深くなって、もうほとんど夜のように思われた。
風に雲のふきはらわれたとき、その深い
銅色の
底が見えた。雲はやがて雨になるであろう。
がらがら鳴り
続ける
雷鳴の中に、ふと、ごうっというひどいひびきがした。一
連隊の
騎兵があらしに追われてばらばらとかけてでも来るような音であった。
とつぜんばらばらとひょうが
降って来た。はじめすこしばかりわたしたちの顔に当たったと思ううちに、石を投げるように
降って来た。それでわたしたちはかけ出して大きな門の下のトンネルに
避難しなければならなかった。ひょうの夕立ち。たちまち道はまっ白に冬のようになった。ひょうの大きさははとの
卵ぐらいあった、落ちるときには耳の遠くなるような音を立てた。もうしじゅうガラスのこわれる音が聞こえた、ひょうが屋根から
往来へすべり落ちるとともに、屋根やえんとつのかわらや石板やいろんなものがこわれて落ちた。
「ああ、これではガラスのフレームも」とエチエネットがさけんだ。
わたしも同じ考えを持った。
「お父さんはたぶんまに合ったでしょうね」
「ひょうの
降るまえに着いたにしても、ガラスにむしろをかぶせるひまはなかったでしょう。なにもかもこわれてしまったでしょうよ」
「ひょうは所どころまばらに落ちるものだそうですよ」と、わたしはまだそれでも
無理に
希望をかけようとして言った。
「おお、それにはあんまりうちが近すぎます。もしうちの庭にここと同じだけ
降ったら、父さんはお気のどくなほど
大損になってしまいます。父さんはこの花を売って、いくらお金をもうけてどうするという細かい
勘定をしていらしったのだからそれはずいぶんお金が
要るようよ」
わたしはガラスのフレームが百
枚千八百フランもすることを聞いていた。植木や
種物を
別にしても、五、六百もあるフレームをひょうがこわしたらなんという
災難であろう。どのくらいの
損害であろう。
わたしはエチエネットにたずねてみたかったけれど、おたがいの話はまるで聞こえなかったし、かの女も話をする気がないらしかった。かの女は
絶望の
表情で、自分のうちの
焼け落ちるのを目の前に見ている人のように、ひょうの
降るのをながめていた。
おそろしい夕立ちはほんのわずか
続いた。急にそれが始まったように、急にやんだ。たぶん五、六分しか
続かなかった、雲がパリのほうへ走って、わたしたちは
避難所を出ることができた。ひょうが
往来に深く
積もっていた。リーズはうすいくつで、その上を歩くことができなかったから、わたしは
背中に乗せてしょって行った。
宴会へ行くときにあれほど
晴れ晴れとしていたかの女のかわいらしい顔は、いまは悲しみにしずんで、なみだがほおを
伝っていた。
まもなくわたしたちはうちに着いた。大きな門があいていて、わたしたちはすぐと花畑の中にはいった。
なんというありさまであろう。ガラスというガラスは
粉ごなにこわれていた。花とガラスのかけらとひょうがいっしょに
固まって、あれほど美しかった花畑に
降り
積もっていた。なにもかもめちゃめちゃにこわされた。
お父さんはどこへ行ったのだろう。
わたしたちはかれを
探した。やっとかれを大きな温室の中で発見した。その温室のガラス戸は
残らずこわれていた。かれは地べたをうずめているガラスのかけらの中にいた(手車の上にこしをかけてというよりは、がっかりしてこしをぬかしていた。アルキシーとバンジャメンはそのそばにだまって立っていた。
「ああ、子どもたち、かわいそうに」と、かれはわたしたちがガラスのかけらの上をみしみし歩く音に気がついて、こうさけんだ。
かれはリーズをだいてすすり
泣きを始めた。かれはなにもほかに言わなかった。なにを言うことができようぞ。これはおそろしい
結果であった。しかもそのあとの結果はもっともっとおそろしかった。
わたしはまもなくそれをエチエネットから聞いた。
十年まえかれらの父親はこの花畑を買って、自分で家を
建てた。かれに土地を売った男は植木屋として
必要な
材料を買う金をもやはりかれに
貸していた。その
金額は十五年の
年賦で、毎年しはらうはずであった。その男はしかもこの植木屋が
支払いの
期限をおくらせて、おかげで土地も家も材料までも自分の手に取り返す
機会ばかりをねらっていた。もちろんすでに受け取った十年分の支払い
金額は、ふところに
納めたうえのことであった。
これはその男にとっては
相場をやるようなもので、かれは十五年の期限のつきないまえにいつか植木屋が
証文どおりにいかなくなるときの来ることを
望んでいた。この相場はよし当たらないでも
債権者のほうに
損はなかった。万一当たればそれこそ
債務者にはひどい
危険であった。ところがひょうのおかげでその日はとうとう来たのだ。さてこれからは、どうなることやら。
わたしたちはそれを長く心配するひまはなかった。
証文の
期限が切れたあくる日――この金はこの
季節の花の売り上げでしはらわれるはずであったから――全身まっ黒な
服装をした一人の
紳士がうちへ来て、
印をおした紙をわたした。これは
執達吏であった。かれはたびたび来た。あまりたびたび来たので、しまいにはわたしたちの名前を覚えるほどになった。
「ごきげんよう、エチエネットさん。いよう、ルミ。いよう、アルキシー」
こんなことを言って、かれはわたしたちに
例の
印をおした紙を、お友だちのような顔をしてにこにこしながらわたした。
「みなさん、さよなら。また来ますよ」
「うるさいなあ」
お父さんはうちの中に落ち着いていなかった。いつも外に出ていた。かれはどこへ行くか、ついぞ話したことがなかった。たぶん
弁護士を
訪問するか、
裁判所へ行ったのかもしれなかった。
裁判所というとわたしはおそろしかった。ヴィタリスも裁判所へ行った。そしてその
結果はどうであったか。
そしてその結果をお父さんは待ちかねていた。冬の半分は
過ぎた。温室を
修理することも、ガラスのフレームを新しく買うこともできないので、わたしたちは
野菜物やおおいの
要らないじょうぶな花を作っていた。これはたいしたもうけにはならなかったが、なにかの足しにはなった。これだってわたしたちの仕事であった。
ある
晩お父さんはいつもよりよけいしずんで帰って来た。
「子どもたち」とかれは言った。「もうみんなだめになったよ」
かれは子どもたちになにかだいじなことを言いわたそうとしているらしいので、わたしはさけて
部屋を出ようとした。かれは手まねでわたしを引き止めた。
「ルミ、おまえもうちの人だ」とかれは悲しそうに言った。「おまえはなにかがよくわかるほどまだ大きくなってはいないが、めんどうの起こっていることは知っていよう。みんなお聞き、わたしはおまえたちと
別れなければならない」
ほうぼうから一つのさけび声と苦しそうな
泣き声が起こった。
リーズは父親の首にうでを
巻きつけた。かれはかの女をしっかりとだきしめた。
「ああ、おまえたちと
別れるのはまったくつらい」とかれは言った。「けれど
裁判所から
支払いをしろという
命令を受けた。でもわたしは金がないのだから、このうちにあるものは
残らず売らなければならない。それでも足りないので、わたしは五年のあいだ
懲役に行かねばならない。わたしは自分の金ではらうことができないから、自分のからだと自由でそれをはらわなければならない」
わたしたちはみんな
泣きだした。
「そう、悲しいことだ」とかれはおろおろ声で
続けた。「けれど人は
法律に向かってはなにもしえない。
弁護士の言うところでは、むかしはどうしてこんなことではすまなかった。
貸し
主は
借り
手のからだをいくつかに
切り
刻んで、貸し主のうちで
欲しいと思う者がそれを分けて取る
権利があったそうだ。わたしはただ五年のあいだ
刑務所にいればいいのだからね。ただそのあいだにおまえたちはどうなるだろう。それが心配でたまらない」
悲しい
沈黙が
続いた。
「わたしが決めたとおりにするのがいちばんいいことなのだ」とお父さんは続けた。
「ルミ、おまえはいちばん学者なのだから、妹のカトリーヌの所へ手紙を書いて、事がらをくわしく
述べて、すぐに来てくれるようにたのんでおくれ。カトリーヌおばさんは、なかなかもののわかった人だから、どうすればいちはんいいか、うまく決めてくれるだろう」
わたしが手紙を書くのはこれが
初めてでなかなか
骨が
折れた。それはひじょうに
痛ましいことであったが、わたしたちはまだひと
筋の
希望を持っていた。わたしたちはみんななにも知らない子どもであった。カトリーヌおばさんが来てくれるということ、かの女が
実際家であるということは、なにごとをもよくしてくれるであろうといふ
希望を持たせた。
けれどかの女は思ったほど早くは来てくれなかった。四、五日ののちお父さんがちょうど友だちの一人を
訪問に出かけようとすると、ぱったり
巡査に出会った。かれは巡査たちとうちへもどって来た。かれはひじょうに青い顔をしていた。子どもたちにさようならを言いに来たのであった。
「おまえ、そんなに力を落としなさんな」と、かれをつかまえに来た巡査の一人が言った。「
借金のために
牢にはいるのは、おまえが思うほどおそろしいものではない。向こうへ行けばなかなかいい人間がいるよ」
わたしは庭にいた二人の子どもを
呼びに行った。帰ってみると、小さいリーズはすすり
泣きをしてお父さんの両手にだかれていた。
巡査の一人がこしをかがめて、お父さんの耳になにかささやいたが、なにを言ったかわたしには聞こえなかった。
「そうです。そうしなければなりませんね」とお父さんは言って、思い切ってリーズを下に
置いた。でもかの女は父親の手にからみついてはなれなかった。それからかれはエチエネット、アルキシー、バンジャメンと
順々にキッスして、リーズをねえさんの手に
預けた。
わたしはすこしはなれて立っていたが、かれはわたしのほうへ
寄って来て、ほかの者と同様に
優しくキッスした。
これで
巡査はかれを
連れて行った。わたしたちはみんな台所のまん中に
泣きながら立っていた。だれ一人ものを言う者はなかった。
カトリーヌおばさんは一
時間おくれてやって来た。わたしたちはまだはげしく泣いていた。いちばん
気丈なエチエネットすら今度の大波にはすっかり足をさらわれた。わたしたちの
水先案内が海に落ちたので、あとの子どもたちはかじを
失って、波のまにまにただようほかはなかった。
ところでカトリーヌおばさんはなかなかしっかりした
婦人であった。もとはパリの
街で
乳母奉公をして、十年のあいだに五か所も
勤めた。世の中のすいもあまいもよく知っていた。わたしたちはまたたよりにする
目標ができた。教育もなければ、
資産もないいなか女としてかの女にふりかかった
責任は重かった。びんぼうになった一家の
総領はまだ十六にならない。いちばん下はおしのむすめであった。
カトリーヌおばさんは、ある
公証人のうちに
乳母をしていたことがあるので、かの女はさっそくこの人を
訪ねて
相談をした。そこでこの人が助言して、わたしたちの
運命を決めることになった。それからかの女は
監獄へ行って、お父さんの意見も聞いた。そんなことに一週間かかって、
最後にわたしたちを集めて、取り決めた次第を言って聞かした。
リーズはモルヴァンのかの女のうちへ行って
養われることになった。アルキシーはセヴェンヌ山のヴァルスで
鉱夫を
勤めているおじの所へ行く。バンジャメンはセン・カンテンで植木屋をしているもう一人のおじの所へ行く。そしてエチエネットはシャラント県のエナンデ海岸にいるおばの所へ行くことになった。
わたしはこういう取り計らいをわきで聞きながら、自分の番になるのを待っていた。ところがカトリーヌおばさんはそれで話をやめてしまって、とうとうわたしのことは話が出ずにしまった。
「ではぼくは……」とわたしは言った。
「だっておまえはこのうちの人ではないもの」
「ぼくはあなたがたのために
働きます」
「おまえさんはこのうちの人ではないよ」
「わたしがどんなに
働けるか、アルキシーにでもバンジャメンにでもたずねてください。わたしは仕事が
好きです」
「それからスープをこしらえるのもうまいや」
「おばさん、あの子はうちの人です。そうです、うちの人です」という声がほうぼうから起こった。リーズが前へ出て来て、おばさんの前で手を合わせた。それはことばで言う
以上の意味を表していた。
「まあまあ、かわいそうに」と、カトリーヌおばさんは言った。「おまえがあの子をいっしょに
連れて行きたがっていることはわかっている。けれど世の中というものはいつも思うようにはならないものなのだよ。おまえはわたしのめいだから、おまえをうちへ連れて行って、おじさんにいやな顔をされても、わたしは『でも
親類だから』と言って通してしまうつもりだ。ほかのセン・カンテンのおじさんにしても、ヴァルスのおじさんにしても、エナンデのおばさんにしても、そのとおりだろうよ。やっかいだと思っても、親類なら
養ってくれるだろう。けれど他人ではそうはゆかない。一つうちの者だけでも、
腹いっぱい食べるだけのパンはむずかしいのだからね」
わたしはもうなにも言うことがないように思った。かの女の言ったことはもっともすぎることであった。わたしはうちの者ではなかった。わたしはなにも
求めることもできない。なにもたのむこともできない。それをすればこじきになる。
でもわたしはみんなを
好いていたし、みんなもわたしを好いていた。
みんな兄弟でもあり、
姉妹でもあった。カトリーヌおばさんは決心したことはすぐ実行する
性質であった。わたしたちにはあしたいよいよお
別れをすることを言いわたしてねどこへはいらせた。
わたしたちが
部屋へはいるか、はいらないうちに、みんなはわたしを取り
巻いた。リーズは
泣きながらわたしにからみついた。そのときわたしはかれら兄弟がおたがいに
別れて行く悲しみをまえにひかえながら、かれらの思っていてくれるのはわたしのことだということがわかった。かれらはわたしが
独りぼっちだといって気のどくがった。わたしはそのときほんとうにかれらの兄弟であるように感じた。そこでふと一つの考えが心にうかんだ。
「聞いてください」とわたしは言った。「おばさんやおじさんがたがわたしにご用はなくっても、あなたがたがどこまでもわたしをうちの者に思ってくださることはわかりました」
「そうだそうだ、きみはいつまでもぼくたちの兄弟だ」と三人がいっしょにさけんだ。
もの言えないリーズはわたしの手をしめつけて、あの大きな美しい目で見上げた。
「ねえ、ぼくは兄弟です。だからその
証拠を見せましょう」と、わたしは力を入れて言った。
「きみはいったいどこに行くつもりだ」とバンジャメンが言った。
「ペルニュイの所に仕事があるのよ。わたしあした行って話をしてみましょうか」とエチエネットが聞いた。
「ぼくは
奉公はしたくありません。奉公するとパリにじっとしていなければならないし、そうすると二度ともうあなたがたに会うことができません。ぼくはまたひつじの毛皮服を着て、ハープをくぎからはずして、
肩にかついで、セン・カンテンからヴァルスへ、ヴァルスからエナンデへ、エナンデからドルジーへと、あなたがたのこれから行く先ざきへたずねて行きましょう。わたしはあなたがたみなさんに、一人ひとり代わりばんこに会って、ほうぼうの
便りを持って行きましょう。そうすればぼくの
仲立ちでみんないっしょに集まっているようなものです。ぼくはいまでも歌だってダンスの
節だって
忘れてはいません。自分がくらしてゆくだけのお金は取れます」
みんなの顔がかがやいた。わたしはかれらがわたしの考えを聞いてそんなにも
喜んでくれたのでうれしかった。長いあいだわたしたちは話をして、それからエチエネットは一人ひとりねどこへはいらせた。けれどその
晩はだれもろくろくねむる者はなかった。とりわけわたしはひと
晩ねむれなかった。
あくる日夜が明けると、リーズはわたしを庭へ
連れ出した。
「ぼくに言いたいことがあるの」とわたしはたずねた。
かの女は何度もうなずいた。
「わたしたちが
別れて行くのがいやなんでしょう。それは言うまでもない。あなたの顔でわかっている。ぼくだってまったく悲しいんだ」
かの女は手まねをして、なにか言いたいことがほかにあるという意味を
示した。
「十五日たたないうちに、ぼくはあなたの行くはずのドルジーへ
訪ねて行きますよ」
かの女は首をふった。
「ぼくがドルジーへ行くのがいやなんですか」
わたしたちがおたがいに
了解しい合うために、わたしはそのうえにいろいろ問いを重ねていった。かの女はうなずいたり、首をふったりして答えた。かの女はわたしにドルジーへ来てはもらいたいが、しかしそれより先に
兄さんや
姉さんのほうへ行ってもらいたい意味を、指を三方に向けてさとらせた。
「あなたはぼくがいちばん先にヴァルスへ行き、それからエナンデ、それからセン・カンテンというふうに行ってもらいたいのでしょう」
かの女はにっこりしてうなずいた。わたしがわかったのがうれしそうであった。
「なぜさ」
こう聞くと、かの女はくちびると手を、とりわけ目を動かして、なぜそう
望むか、そのわけを
説明した。それは先に
姉さんや
兄さんたちの所へ行ってもらえば、ドルジーへ来るときにはほうぼうの
便りを持って来てくれることができるからというのであった。
かれらは八時にたたなければならなかった。カトリーヌおばさんはみんなを乗せる馬車を言いつけて、なにより先に
刑務所へ行って、父親にさようならを言うこと、それからてんでに荷物を持って
別々の汽車に乗るために、別々の
停車場に
別れて行くという
手順を決めた。
七時ごろ今度はエチエネットがわたしを庭へ
連れ出した。
「ルミ、わたしあなたにほんのお形見をあげようと思うの」とかの女は言った。「この小ばこを
納めてください。わたしのおじさんがくれたものだから。中には糸と
針とはさみがはいっています。旅をして歩くと、こういうものが入り用なのよ。なにしろわたしがそばにいて、着物のほころびを直したり、ボタンをつけたりしてあげることができないのだからねえ。それでわたしのはさみを使うときにはわたしたちみんなのことを思い出してください」
エチエネットがわたしと話をしているあいだ、アルキシーがそばをぶらついていた。かの女がわたしを
置いて、うちの中へはいると、かれはやって来て、
「ねえ、ルミ」とかれは言いだした。「ぼくは五フランの
銀貨を二つ持っている。一つあげよう。きみがもらってくれると、ぼくはずいぶんうれしいんだ」
わたしたち五人のうちで、アルキシーはたいへん金をだいじにする子であった。わたしたちはいつもかれの
欲張りをからかっていた。かれは一スー、二スーと
貯金してしじゅう貯金の
高を
勘定していた。かれは一スーずつためては新しい十スー、二十スーの
銀貨とかえてだいじに持っていた。そういうかれの申し出は、わたしを心から感動させた。わたしは
断りたかったけれど、かれはきらきらする銀貨をわたしの手に
無理ににぎらせた。わたしはだいじにしている
宝が分けてくれようというかれの
友情がひじょうに強いものであることを知った。
バンジャメンもわたしを
忘れはしなかった。かれはやはりわたしにおくり物をしようと思った。かれはわたしにナイフをくれて、それと
交換に、一スー
請求した。なぜなら、ナイフは
友情を切るものだから。
時間はかまわずずんずんたっていった。いよいよわたしたちの
別れる時間が来た。
リーズはぼくのことをなんと思っているだろう。馬車がうちの前に近づいて来たときに、リーズがまたわたしに庭までついて来いという手まねをした。
「リーズ」とかの女のおばさんが
呼んだ。
かの女はそれには返事をしないで急いでかけ出して行った。かの女は庭のすみに一本
残っていた大きなベンガルばらの前に立ち止まって、一えだ
折った。それからわたしのほうを向いてそのえだを二つにさいた。その両方にばらのつぼみが一つずつ開きかけていた。
くちびるのことばは目のことばに
比べては小さなものである。目つきに比べて、ことばのいかに
冷たく、
空虚であることよ。
「リーズ、リーズ」とおばさんがさけんだ。
荷物はもう馬車の中に
積みこまれていた。
わたしはハープを下ろして、カピを
呼んだ。わたしのむかしに返ったおなじみの
姿を見ると、かれはうれしがって、とび上がって、ほえ回った。かれは花畑の中に
閉じこめられているよりも、広い大道の自由を
愛した。
みんなは馬車に乗った。わたしはリーズをおばさんのひざに乗せてやった。わたしはそこに半分目がくらんだようになって立っていた。するとおばさんが
優しくわたしをおしのけて、ドアを
閉めた。
「さようなら」
馬事は動きだした。
もやの中でわたしはリーズが
窓ガラスによって、わたしに手をふっているのを見つけた。やがて馬車は町の角を曲がってしまった。見えるものはもう
砂けむりだけであった。わたしはハープによりかかって、カピが足の下でからみ回るままに
任せた。ぼんやり
往来に立ち止まって目の前にうず
巻いているほこりをながめていた。たって行ったあとのうちを
閉めてかぎを家主にわたしてくれることをたのまれた
隣家の人がそのときわたしに声をかけた。
「おまえさん、そこで一日立っているつもりかね」
「いいえ、もう行きます」
「どこへ行くつもりだ」
「どこへでも、足の向くほうへ」
「おまえさん、ここにいたければ」と、かれはたぶん気のどくに思っているらしく、こう言った。「わたしの所へ
置いてあげよう。けれど
給金ははらえないよ。おまえさんはまだ一人前ではないからなあ。いまにすこしはあげられるようになるかもしれない」
わたしはかれに
感謝したが、「いいえ」と答えた。
「そうか。じゃあかってにおし。わたしはただおまえさんのためにと思っただけだ。さようなら。
無事で」
かれは行ってしまった。馬車は遠くなった。うちは
閉ざされた。
わたしはハープのひもを
肩にかけた。カピはすぐ気がついて立ち上がった。
「さあ行こう、カピ」
わたしは二年のあいだ住み
慣れて、いつまでもいようと思ったうちから目をそらして、はるかの
前途を
望んだ。
日はもう高く上っていた。空は青あおと晴れて――
気候は
暖かであった。気のどくなヴィタリス
老人とわたしが、つかれきってこのさくのそばでたおれた、あの寒い
晩とはたいへんなちがいであった。
こうしてこの二年間はほんの休息であった。わたしはまた自分の道を進まなければならなかった。けれどもこの休息がわたしにはずいぶん役に立った。それがわたしに力をあたえた。
優しい友だちを作ってくれた。
わたしはもう世界で
独りぼっちではなかった。この世の中にわたしは
目的を持っていた。それはわたしを
愛し、わたしが愛している人たちのために、役に立つこと、なぐさめになることであった。
新しい
生涯がわたしの前に開けていた。
前へ。
前へ
前へ。世界はわたしの前に開かれた。北でも南でも東でも西でも、自分の行きたいままの方角へわたしは向かって行くことができる。それはもう子どもは子どもでも、わたしは自分白身の主人であった。
いよいよ
流浪の旅を始めるまえに、わたしはこの二年のあいだ父親のように
優しくしてくれた人に会いたいと思った。カトリーヌおばさんは、みんながかれに「さようなら」を言いに行くときに、わたしをいっしょに
連れて行くことを
好まなかったが、わたしはせめて一人になったいまでは、行ってかれに会うことができるし、会わなければならないと思った。
借金のために
刑務所にはいったことはなくても、その話をこのごろしじゅうのように聞かされていたのでその場所ははっきりわかっていた。わたしはよく知っているラ・マドレーヌ
寺道をたどって行った。カトリーヌおばさんも、子どもたちも、お父さんに会えたのだから、わたしもきっと会うことが
許されるであろう。わたしはお父さんの子どもも同様であったし、お父さんもわたしをかわいがっていた。
でも思い切って
刑務所の中へはいって行くのがちょっとちゅうちょされた。だれかがわたしをじっと
監視しているように思われた。もう、一度そのドアの中へ、おそろしいドアの中へ
閉めこまれたが
最後、二度と出されることがないように思われた。
刑務所から出て来ることは
容易でないとわたしは考えていた。しかしそこへはいるのも容易でないことを知らなかった。さんざんひどい目に会って、わたしはそれを知った。
でも力も落とさず、それから引っ返してしまおうとも思わずに待っていたおかげで、わたしはやっと面会を
許されることになった。かねて思っていたのとちがい、わたしは
格子もさくもないそまつな
応接室に通された。お父さんは出て来た。でもくさりなどに
結わえられてはいなかった。
「ああ、ルミや、わたしはおまえを待っていた」と、わたしが面会所にはいるとかれは言った。
「わたしは、カトリーヌおばさんがおまえをいっしょに
連れて来なかったので、こごとを言ってやったよ」
わたしはこのことばを聞くと、朝からしょげていたことも
忘れて、すっかりうれしくなった。
「カトリーヌおばさんは、ぼくをいっしょに
連れて来ようとしなかったのです」
わたしはうったえるように言った。
「いや、そういうわけでもなかったのだろう。なかなか思うとおりにはならないものだよ。ところでおまえがこれから一人でくらしを立ててゆこうとしていることもわたしはようく知っているのだがね。どうもわたしの
妹婿のシュリオだって、おまえに仕事を見つけてやることはできないだろうしね。シュリオはニヴェルネ
運河の
水門守をしているのだが、知ってのとおり植木
職人の世話を水門守にしてもらうのは
無理だからね。それにしても、子どもたちの話では、おまえはまた
旅芸人になると言っているそうだが、おまえもう、あの寒さと
空腹で死にかけたことを
忘れたのかえ」
「いいえ、忘れません」
「でも、あのときはまだしも、おまえは
独りぼっちではなかった。めんどうを見る親方があった。それもいまはないし、おまえぐらいの年ごろで一人ぼっちいなかへ出るということは、いいことだとは思われない」
「カピもいっしょです」
このときカピは自分の名を聞くと、いつものように、(はい、ここにおります、ご用ならお役に立ちましょう)というように一声ほえた。
「うん、カピはよい犬だ。しかしやっぱり犬は犬だからな。おまえはいったいどうしてくらしを立てるつもりなのだ」
「わたしが歌を歌ったり、カピが
芝居をしたりして」
「しかしカピ一人ぼっちで、芝居はできやしないだろう」
「いえ、わたしはカピに
芸をしこみます。そうだろう、ね、カピ。おまえ、なんでもわたしの
望むものを習うだろう」
カピは前足で
胸をたたいた。
「ルミ、おまえがよく考えたら、やはり
職を見つけることにするだろうよ。もうおまえも一かどの
職人だ。
流浪するよりもそのほうがましだし、だいいち、あれはなまけ者のすることだ」
「ええ、もちろんわたしはなまけ者ではありません。わたしはお父さんといっしょにならできるだけ
働きます。そしていつでもお父さんといっしょにいたいと思っています。でもほかの人のうちで働くのはいやなんです」
もちろん、たった一人、大道ぐらしを
続けてゆくことの
危険なことはよくわかっていた。それはさんざん、つらい
経験もしている。そうだ、人びとがわたしのように
流浪の生活を送って、あの犬たちがおおかみに食べられた夜や、ジャンチイイの石切り場のあの
晩のような目に会ったり、あれほどひもじいめをしたり、ヴィタリス親方が
刑務所に入れられて、一スーももうけることができず、村から村へと追い立てられたりしたようなことに出会ったら、だれだってあすはまっ暗やみ、
現在さえも
不安心でたまらないのが当たり前だ。
危険な、みじめな、
浮浪人の生活をわたしは自分が送ってきたことも
忘れはしないのだ。だがいまそれをやめたら、わたしはいったいどうしていいかわからないではないか。それにもう一つ、旅に出るについて決心を
固くするものがあった。いまさらよそのうちに
奉公するよりも、わたしにはこの
流浪の旅がずっと自由で気楽なばかりでなく、エチエネットや、アルキシーやバンジャメン、それからリーズとしたやくそくを
果たすためにもこの旅行を思いとどまることはできなかったのだ。どうしてこのことはあの人たちを
見捨てないかぎり、やめられないのだ。もっともエチエネットやアルキシーやバンジャメンからは、手紙が書けるので手続も来ようが、リーズといえば、書くことも知らないのだから、ここであの子のことをわたしが
忘れてしまえば、もうかの女はなにもかも世界の様子がわからなくなってしまうのだ。
「では、お父さんは、お子さんたちの
便りを、わたしが持って来るのがおいやなのですか」とわたしはたずねてみた。
「なるほどみんなの話では、おまえは子どもたちの所へ一人ひとり
訪ねて行ってくれるということだが、それはありがたいが、といって、わたしたち自分のことばかり考えているわけにはゆかない。それよりかまずおまえのためを考えなければならないのだよ」
「では、わたしだってお父さんのおっしゃるとおりにして、自分の身の上の
危険をおそれて、今度の計画をやめてしまえば、やはり自分のことばかり考えて、あなたのことも、それからリーズのことも考えなくてもいいということになりますよ」
お父さんはしばらくわたしの顔をながめていたが、急にわたしの両手を取った。
「まあ、よくおまえ、言っておくれだ。おまえはほんとうに
真心がある」
わたしはかれの首にうでをかけた。そのうち、さようならを言う時間が来た。しばらくのあいだかれはだまってわたしをおさえていた。やがていきなりかれはチョッキのかくしを
探って、大きな銀時計を引き出した。
「さあ、おまえ、これをあげる」とかれは言った。「これをわたしの形見に持っていてもらいたい。たいした
値打ちのものではない。値打ちがあればわたしはとうに売ってしまったろう。時間も
確かではない。いけなくなったらげんこでたたきこわしてもいい。でもこれがわたしの持っているありったけだ」
わたしはこんなりっぱなおくり物を
断ろうと思ったけれど、かれはそれをわたしのにぎった手に
無理におしこんだ。
「ああ、わたしは時間を知る
必要はないのだ。時間はずいぶんゆっくりゆっくりたってゆく。それを
勘定していたら、死んでしまう。さようなら、ルミや。いつでもいい子でいるように、
覚えておいで」
わたしはひじょうに悲しかった。どんなにあの人はわたしに
優しくしてくれたであろう。わたしは
別れてのち長いあいだ
刑務所のドアの回りをうろうろした。ぼんやりわたしはそのまま夜まででも立ち止まっていたかもしれなかったが、ふとかくしにある
固い
丸いものが手にさわった。わたしの時計であった。
ありったけのわたしの悲しみはしばらくのあいだ
忘れられた。わたしの時計だ。自分の時計で時間を知ることができるのだ。わたしは時間を見るために、それを引き出した。昼だ。それは昼であろうと、十時であろうと、十一時であろうと、たいしたことではなかった。でもわたしは昼であるということがたいそううれしかった。それがなぜだか言うのはむずかしい。けれどそういうわけであった。わたしの時計がそう知らせてくれる。なんということだ。わたしにとって時計は
相談をしたり、話のできる親友であると思われた。
「時計君、何時だね」
「十二時ですよ、ルミさん」
「おやおや。ではあれをしたり、これをしたりするときだ。いいことをおまえは教えてくれた。おまえが言ってくれなければ、ぼくは
忘れるところだったよ」
わたしのうれしいのにまぎれて、カピがほとんどわたしと同様に
喜んでいてくれることに気がつかなかった。かれはわたしのズボンのすそを
引っ
張って、たびたびほえた。かれがほえ
続けたときわたしは
初めて、かれに注意を向けてやらなければならなかった。
「カピ、なんの用だい」とわたしはたずねた。かれはわたしの顔をながめた。けれどわたしはかれの意味が
解けなかった。かれはしばらく待っていたが、やがてわたしの前に来て、時計を入れたかくしの上に前足をのせて立った。かれはヴィタリス親方といっしょに
働いていたじぶんと同じように、「ご
臨席の
貴賓諸君」に時間を申し上げる用意をしていたのであった。
わたしは時計をかれに見せた。かれはしばらく思い出そうと
努めるように、しっぽをふりながらそれを、ながめたが、やがて十二
度ほえた。かれは
忘れてはいなかった。わたしたちはこの時計でお金を取ることができる。これはわたしがあてにしていなかったことであった。
前へ進め、子どもたち。わたしは
刑務所に
最後の目をくれた。そのへいの後ろにはリーズの父親が
閉じこめられているのだ。
それからずんずん進んで行った。なによりもわたしに入り用なものは、フランスの地図であった。
河岸通りの本屋へ行けば、それの
得られることを知っていたので、わたしは川のほうへ足を向けた。やっとわたしは十五スーで、ずいぶん黄色くなった地図を見つけた。
わたしはそれでパリを去ることができるのであった。すぐわたしはそれをすることに決めた。わたしは二つの道の一つを
選ばなければならなかった。わたしはフォンテンブローへの道を選んだ。リュウ・ムッフタールの通りへ来かかると、山のような
記憶が
群がって起こった。ガロフォリ、マチア、リカルド、
錠前のかかったスープなべ、むち、ヴィタリス
老人、あの気のどくな
善良な親方。わたしをこじきの親分へ
貸すことをきらったために、死んだ人。
お寺のさくの前を通ると、子どもが一人かべによっかかっているのを見た。その子はなんだか
見覚えがあるように思った。
確かにそれはマチアであった。大きな頭の、大きな目の、
優しい、いじけた目つきの子どものマチアであった。けれどかれはちっとも大きくはなっていなかった。わたしはよく見るためにそばへ
寄った。ああそうだ、そうだ、マチアであった。
かれはわたしを
覚えていた。かれの青ざめた顔はにっこり
笑った。
「ああ、きみだね」とかれは言った。「きみは
先に白いひげのおじいさんとガロフォリのうちへ来たね。ちょうどぼくが病院へ行こうとするまえだった。ああ、あれからぼくはどんなにこの頭でなやんだろう」
「ガロフォリはまだきみの親方なのかい」
かれは返事をするまえにそこらを見回して、それから声をひそめて言った。
「ガロフォリは
刑務所にはいっているよ。オルランドーを打ち
殺したので
連れて行かれたのだ」
わたしはこの話を聞いてぎょっとした。でもわたしはガロフォリが刑務所に入れられたと聞いてうれしかった。
初めてわたしは、あれほどおそろしいものに思いこんでいた刑務所が、これはなるほど役に立つものだと考えた。
「それでほかの子どもたちは」とわたしはたずねた。
「ああ、ぼくは知らないよ。ガロフォリがつかまったときには、ぼくはいなかった。ぼくが病院から出て来ると、ぼくは病気で、もうぶっても役に立たないと思って、あの人はわたしを手放したくなった。そこであの人はわたしを二年のあいだガッソーの
曲馬団へ売った。前金で金をはらってもらったのだ。きみはガッソーの曲馬を知っているかい。知らない。うん、それはたいした曲馬団ではないけれど、やはり曲馬は曲馬さ。そこでは子どもを、かたわの子どもを使うのだ。それでガロフォリがぼくをガッソーへ売ったのだ。ぼくはこのまえの月曜までそこにいたが、ぼくの頭がはこの中にはいるには大きすぎるというので、追い出された。
曲馬団を出るとぼくはガロフォリのうちへもどったが、うちはすっかり
閉まっていた。近所の人に聞いて様子がすっかりわかった。ガロフォリが
刑務所へ行ってしまうと、ぼくはどこへ行っていいか、わからない」
「それにぼくは金を持たない」とかれはつけ
加えて言った。「ぼくはきのうから一きれのパンも食べない」
わたしも金持ちではなかったけれど、気のどくなマチアにやるだけのものはあった。わたしがツールーズへんをいまのマチアのように
飢えてうろうろしていたじぶん、一きれのパンでもくれる人があったら、わたしはどんなにその人の幸福をいのったであろう。
「ぼくが帰って来るまで、ここに待っておいでよ」とわたしは言った。わたしは町の角のパン屋までかけて行って、まもなく一
斤買って帰って、それをかれにあたえた。かれはがつがつして、見るまに食べてしまった。
「さて」とわたしは言った。「きみはどうするつもりだ」
「ぼくはわからない。ぼくはヴァイオリンを売ろうかと思っていたところへきみが声をかけた。ぼくはそれと
別れるのがこんなにいやでなかったら、とうに売っていたろう。ぼくのヴァイオリンはぼくの持っているありったけのもので、悲しいときにも、一人いられる場所が見つかると、自分一人でひいていた。そうすると空の中にいろんな美しいものが、ゆめの中で見るものよりももっと美しいものが見えるんだ」
「なぜきみは
往来でヴァイオリンをひかないのだ」
「ひいてみたけれど、なにももらえなかった」
ヴァイオリンをひいて一文ももらえないことを、どんなによくわたしも知っていたことであろう。
「きみはいまなにをしているのだ」とかれはたずねた。
わたしはなぜかわからなかった。けれどそのときの
勢いで、こっけいなほらをふいてしまった。
「ぼくは
一座の親方だよ」とわたしは
高慢らしく言った。
それは
真実ではあったが、その真実はずっとうそのほうに近かった。わたしの一座はたったカピ一人だけだった。
「おお、きみはそんなら……」とマチアが言った。
「なんだい」
「きみの
一座にぼくを入れてくれないか」
かれをあざむくにしのびないので、わたしはにっこりしてカピを指さした。
「でも一座はこれだけだよ」とわたしは言った。
「ああ、なんでもかまうものか。ぼくがもう一人の
仲間になろう。まあどうかぼくを
捨てないでくれたまえ。ぼくは
腹が
減って死んでしまう」
腹が減って死ぬ。このことばがわたしのはらわたの
底にしみわたった。腹が減って死ぬということがどんなことだか、わたしは知っている。
「ぼくはヴァイオリンをひくこともできるし、でんぐり返しをうつこともできる」と、マチアがせかせか息もつかずに言った。「なわの上でおどりもおどれるし、歌も歌える。なんでもきみの
好きなことをするよ。きみの家来にもなる。言うことも聞く。金をくれとは言わない。食べ物だけあればいい。ぼくがまずいことをしたらぶってもいい。それはやくそくしておく。ただたのむことは頭をぶたないでくれたまえ。これもやくそくしておいてもらわなければならない。なぜならぼくの頭はガロフォリがひどくぶってから、すっかりやわらかくなっているのだ」
わたしはかわいそうなマチアが、そんなことを言うのを聞くと、声を上げて
泣きだしたくなった。どうしてわたしはかれを
連れて行くことをこばむことができよう。
腹が
減って死ぬというのか。でも、わたしといっしょでも、やはり腹が減って死ぬかもしれない場合がある――わたしはそうかれに言ったが、かれは聞き入れようともしなかった。
「ううん、ううん」とかれは言った。「二人いれば
飢え
死にはしない。一人が一人を助けるからね。持っている者が持っていない者にやれるのだ」
わたしはもうちゅうちょしなかった。わたしがすこしでも持っていれば、わたしはかれを助けなければならない。
「うん、よし、それでわかった」とわたしは言った。
そう言うと、かれはわたしの手をつかんで、心から
感謝のキッスをした。
「ぼくといっしょに来たまえ」とわたしは言った。「家来ではなく、
仲間になろう」
ハープを
肩にかけると、わたしは
号令をかけた。
「前へ進め」
十五分たつと、わたしたちはパリを後に
見捨てた。
わたしがこの道を通ってパリを出るのは、バルブレンのおっかあに会いたいためであった。どんなにたびたびわたしはかの女に手紙を書いてやって、かの女を思っていること、ありったけの心をささげてかの女を
愛していることを、言ってやりたかったかしれなかったが、
亭主のバルブレンがこわいので、わたしは思いとどまった。もしバルブレンが手紙をあてにわたしを見つけたら、つかまえてまたほかの男に売りわたすかもしれなかった。かれはおそらくそうする
権利があった。わたしは
好んでバルブレンの手に落ちる
危険をおかすよりも、バルブレンのおっかあから
恩知らずの子どもだと思われているほうがましだと思った。
でも手紙こそ書き
得なかったが、こう自由の身になってみれば、わたしは行って会うこともできよう。わたしの
一座にマチアもはいっているので、わたしはいよいよそうしようと心を決めた。なんだかそれがわけなくできそうに思われた。わたしは先にかれを一人出してやって、かの女が一人きりでいるか見せにやる。それからわたしが近所に来ていることを話して、会いに行ってもだいじょうぶか、それのわかるまで待っている。それでバルブレンがうちにいれば、マチアからかの女にどこか安心な場所へ来るようにたのんで、そこで会うことができるのである。
わたしはこのくわだてを考えながら、だまって歩いた。マチアもならんで歩いていた。かれもやはり深く考えこんでいるように思われた。
ふと思いついて、わたしは自分の
財産をマチアに見せようと思った。カバンのふたを開けて、わしは草の上に財産を広げた。中には三
枚のもめんのシャツ、くつ下が三足、ハンケチが五枚、みんな品のいい物と、少し使ったくつが一足あった。
マチアは
驚嘆していた。
「それからきみはなにを持っている」とわたしはたずねた。
「ぼくはヴァイオリンがあるだけだ」
「じゃあ分けてあげよう。ぼくたちは
仲間なんだから、きみにはシャツ二
枚と、くつ下二足にハンケチを三枚あげよう。だがなんでも二人のあいだに
仲よく分けるのがいいのだから、きみは一時間ぼくのカバンを持ちたまえ。そのつぎの一時間はぼくが持つから」
マチアは品物をもらうまいとした。けれどわたしはさっそく、自分でもひどくゆかいな、
命令のくせを出して、かれに「おだまり」と命令した。
わたしはエチエネットの小ばこと、リーズのばらを入れた小さなはこをも広げた。マチアはそのはこを開けて見たがったが、開けさせなかった。わたしはそのふたをいじることすら
許さずに、カバンの中にまたしまいこんでしまった。
「きみはぼくを
喜ばせたいと思うなら」とわたしは言った。「けっしてはこにさわってはいけない。……これはたいじなおくり物だから」
「ぼくはけっして開けないとやくそくするよ」とかれはまじめに言った。
わたしはまたひつじの毛の服を着て、ハープをかついだが、そこに一つむずかしい問題があった。それはわたしのズボンであった。
芸人が長いズボンをはくものではないように思われた。
公衆の前へ
現れるには、短いズボンをはいて、その上にくつ下をかぶさるようにはいて、レースをつけて、色のついたリボンを
結ぶものである。長いズボンは植木屋にはけっこうであろうが……いまはわたしは芸人であった。そうだ、わたしは半ズボンをはかなければならない。わたしはさっそくエチエネットの道具ばこからはさみを出した。
わたしがズボンのしまつをしているうち、ふとわたしは言った。
「きみはどのくらいヴァイオリンをひくか、聞かせてもらいたいな」
「ああ、いいとも」
かれはひき始めた。そのあいだわたしは思い切ってはさみの先をズボンのひざからすこし上の所へ当てた。わたしは
布を切り始めた。
けれどこれはチョッキと上着とおそろいにできた、ねずみ地のいいズボンであった。アッケンのお父さんがそれをこしらえてくれたとき、わたしはずいぶん
得意であった。けれどいま、それを短くすることをいけないこととは思わない。かえってりっぱになると思っていた。
初めはわたしもマチアのほうに気がはいらなかった。ズボンを切るのにいそがしかったが、まもなくはさみを動かす手をやめて、耳をそこへうばわれていた。マチアはほとんどヴィタリス親方ぐらいにうまくひいた。
「だれがきみにヴァイオリンを教えたの」とわたしは手をたたきながら聞いた。
「だれも。ぼくは一人で
覚えた」
「だれかきみに音楽のことを話して聞かした人があるかい」
「いいえ、ぼくは耳に聞くとおりをひいている」
「ぼくが教えてあげよう、ぼくが」
「きみはなんでも知っているの。では……」
「そうさ、ぼくはなんでも知っているはずだ。
座長だもの」
わたしはマチアに、自分もやはり音楽家であることを見せようとした。わたしはハープをとり、かれを感動させようと思って、名高い
小唄を歌った。すると
芸人どうしのするようにかれはわたしにおせじを言った。かれはりっぱな
才能を持っていた。わたしたちはおたがいに
尊敬し合った。わたしは
背嚢のふたを
閉めると、マチアが代わってそれを
肩にのせた。
わたしたちはいちばんはじめの村に着いて
興行をしなければならなかった。これがルミ
一座の
初おめみえのはずであった。
「ぼくにその歌を教えてください」とマチアが言った。「ぼくたちはいっしょに歌おう。もうじきにヴァイオリンで合わせることができるから。するとずいぶんいいよ」
確かにそれはいいにちがいなかった。それでくれるものをたっぷりくれなかったら、「ご
臨席の
貴賓諸君」は、石のような心を持っているというものだ。
わたしたちが
最初の村を通り
過ぎると、大きな
百姓家の門の前へ出た。中をのぞくとおおぜいの人が晴れ着を着てめかしこんでいた。そのうちの二、三
人は
襦珍(しゅすの織物)のリボンを結んだ花たばを持っていた。
ご
婚礼であった。わたしはきっとこの人たちがちょっとした音楽とおどりを
好くかもしれないと思った。そこで
背戸へはいって、まっ先に出会った人に
勧めてみた。その人は赤い顔をした、大きな、人のよさそうな男であった。かれは高い白えりをつけて、プレンス・アルベール服を着ていた。かれはわたしの問いに答えないで、客のほうへ向きながら、口に二本の指を当てて、それはカピをおびえさせたほどの高い口ぶえをふいた。
「どうだね、みなさん、音楽は」とかれはさけんだ。「楽師がやって来ましたよ」
「おお、音楽音楽」といっしょの声が聞こえた。
「カドリールの列をお作り」
おどり手はさっそく庭のまん中に集まった。マチアとわたしは荷馬車の中に
陣取った。
「きみはカドリールがひけるか」と心配してわたしはささやいた。
「ああ」
かれはヴァイオリンで二、三
節調子を合わせた。運よくわたしはその
節を知っていた。わたしたちは助かった。マチアとわたしはまだいっしょにやったことはなかったが、まずくはやらなかった。もっともこの人たちはたいして音楽のいい悪いはかまわなかった。
「おまえたちのうち、コルネ(小ラッパ)のふける者があるかい」と赤い顔をした大男がたずねた。
「ぼくがやれます」とマチアは言った。「でも
楽器を持っていませんから」
「わしが行って
探して来る。ヴァイオリンもいいが、きいきい言うからなあ」
わたしはその日一日で、マチアがなんでもやれることがわかった。わたしたちは休みなしに
晩までやった。それにはわたしは平気であったが、かわいそうにマチアはひどく弱っていた。だんだんわたしはかれが青くなって、たおれそうになるのを見た。でもかれはいっしょうけんめいふき
続けた。幸いにかれが気分が悪いことを見つけたのは、わたし一人ではなかった。花よめさんがやはりそれを見つけた。
「もうたくさんよ」とかの女は言った。「あの小さい子は、つかれきっていますわ。さあ、みんな
楽師たちにやるご
祝儀をね」
わたしはぼうしをカピに投げてやった。カピはそれを口で受け取った。
「どうかわたくしどもの
召使いにお
授けください」とわたしは言った。
かれらはかっさいした。そしてカピがおじぎをするふうを見て、うれしがっていた。かれらはたんまりくれた。花むこさまはいちばんおしまいに
残ったが、五フランの
銀貨をぼうしに落としてくれた。ぼうしは金貨でいっぱいになった。なんという幸せだ。
わたしたちは夕食に
招待された。そして
物置きの中でねむる場所をあたえてもらった。
あくる朝この親切な
百姓家を出るとき、わたしたちには二十八フランの
資本があった。
「マチア、これはきみのおかげだよ」とわたしは
勘定したあとで言った。「ぼく一人きりでは
楽隊は
務まらないからねえ」
二十八フランをかくしに入れて、わたしたちは福々であった。コルベイユへ着くと、わたしはさし当たりなくてならないと思う品を二つ三つ買うことができた。第一はコルネ、これは古道具屋で三フランした。それからくつ下に
結ぶ赤リボン、
最後にもう一つの
背嚢であった。代わりばんこに重い背嚢をしょうよりも、てんでんが軽い背嚢をしじゅうしょっているほうが楽であった。
「きみのような、人をぶたない親方はよすぎるくらいだ」とマチアがうれしそうに
笑いながら言った。
わたしたちのふところ具合がよくなったので、わたしは少しも早く、バルブレンのおっかあの所に向かって行こうと決心した。わたしはかの女におくり物を用意することができた。わたしはもう金持ちであった。なによりもかよりも、かの女を幸福にするものがあった。それはあのかわいそうなルセットの代わりになる
雌牛をおくってやることだ。わたしが雌牛をやったら、どんなにかの女はうれしがるだろう。どんなにわたしは
得意だろう。シャヴァノンに着くまえに、わたしは雌牛を買う。そしてマチアがたづなをつけて、すぐとバルブレンのおっかあの
背戸へ引いて行く。
マチアはこう言うだろう。「
雌牛を持って来ましたよ」
「へえ、雌牛を」とかの女は目を
丸くするだろう。「まあおまえさんは人ちがいをしているんだよ」
こう言ってかの女はため息をつくだろう。
「いいえ、ちがやしません」とマチアが答えるだろう。「あなたはシャヴァノン村のバルブレンのおばさんでしょう。そらおとぎ話の中にあるとおり、『王子さま』があなたの所へこれをおくり物になさるのですよ」
「王子さまとは」
そこへわたしが
現れて、かの女をだき
寄せる。それからわたしたちはおたがいにだき合ってから、どら
焼きとりんごの
揚げ
物をこしらえて、三人で食べる。けれどバルブレンにはやらない。ちょうどあの
謝肉祭の日にあの男が帰って来て、わたしたちのフライなべを引っくり返して、自分のねぎのスープに、せっかくのバターを入れてしまったときのように意地悪くしてやる。なんというすばらしいゆめだろう。でもそれをほんとうにするには、まず
雌牛から買わなければならない。
いったい雌牛はどのくらいするだろう。わたしはまるっきり見当がつかない。きっとずいぶんするにちがいない。でもまだ……わたしはたいして大きな雌牛は
欲しくなかった。なぜなら太っていればいるほど、雌牛は
値段が高いから。それに大きければ大きいほど
雌牛は食べ物がよけい
要るだろう。わたしはせっかくのおくり物が、バルブレンのおっかあのやっかいになってはならないと思う。さしあたりだいじなことは、雌牛の
値段を知ることであった。いや、それよりもわたしの
欲しいと思う
種類の雌牛の値段を知ることであった。幸いにわたしたちはたびたびおおぜいの
百姓やばくろうに行く先の村むらで出会うので、それを知るのはむずかしくはなかった。わたしはその日
宿屋で出会った
初めの男にたずねてみた。
かれはげらげら
笑いだした、
食卓をどんとたたいた。それからかれは宿屋のおかみさんを
呼んだ。
「この小さな
楽師さんは、
雌牛の
価が聞きたいというのだ。たいへん大きなやつでなくて、ごくじょうぶで、
乳をたくさん出すのだそうだ」
みんなは
笑った。でもわたしはなんとも思わなかった。
「そうです、いい乳を出して、あんまり食べ物を食べないのです」とわたしは言った。
「そうしてその
雌牛はたづなに引かれて道を歩くことをいやがらないものでなくってはね」
かれは一とおり
笑ってしまうと、今度はわたしと話し合う気になって、事がらをまじめにあつかい始めた。かれはちょうど注文の品を持っていた。それはうまい
乳を――
正銘のクリームを出すいい
雌牛を持っていた――しかもそれはほとんど物を食べなかった。五十エクー出せばその雌牛はわたしの手にはいるはずであった。
初めこそこの男に話をさせるのが
骨が
折れたが、一度始めだすと今度はやめさせるのが
困難であった。やっとわたしたちはその
晩おそく、とにかくねに行くことができた。わたしはこの男から聞いたことを
残らずゆめに見ていた。
五十エクー――それは百五十フランであった。わたしはとてもそんなばくだいな金を持ってはいなかった。ことによってわたしたちの幸運がこの先
続けば、一スー一スーとたくわえて百五十フランになることがあるかもしれない。けれどそれにはひまがかかった。そうとすればわたしたちはなによりまずヴァルセへ行ってバンジャメンに会う。その道にできるだけほうぼうで
演芸をして歩こう。それから帰り道に金ができるかもしれないから、そのときシャヴァノンへ行って、王子さまの
雌牛のおとぎ
芝居を
演じることにしよう。
わたしはマチアにこのくわだてを話した。かれはこれになんの
異議をも
唱えなかった。
「ヴァルセへ行こう」とかれは言った。「ぼくもそういう所へは行って見たいよ」
煤煙の町
この旅行はほとんど三月かかったが、やっとヴァルセの村はずれにかかったときに、わたしたちはむだに日をくらさなかったことを知った。わたしのなめし皮の
財布にはもう百二十八フランはいっていた。バルブレンのおっかあの
雌牛を買うには、あとたった二十二フラン足りないだけであった。
マチアもわたしと同じくらい
喜んでいた。かれはこれだけの金をもうけるために、自分も
働いたことにたいへん
得意であった。
実際かれのてがらは大きかった。かれなしには、カピとわたしだけで、とても百二十八フランなんという金高の集まりようはずがなかった。これだけあれば、ヴァルセからシャヴァノンまでの間に、あとの足りない二十二フランぐらいはわけなく得られよう。
わたしたちが、ヴァルセに着いたのは午後の三時であった。きらきらした太陽が晴れた空にかがやいていたが、だんだん町へ近くなればなるほど空気が黒ずんできた。天と地の間に
煤煙の雲がうずを
巻いていた。
わたしはアルキシーのおじさんがヴァルセの
鉱山で
働いていることは知っていたが、いったい
町中にいるのか、外に住んでいるのか知らなかった。ただかれがツルイエールという鉱山で働いていることだけ知っていた。
町へはいるとすぐわたしはこの
鉱山がどのへんにあるかたずねた。そしてそれはリボンヌ川の左のがけの小さな谷で、その谷の名が鉱山の名になっていることを教えられた。この谷は町と同様ふゆかいであった。
鉱山の
事務所へ行くと、わたしたちはアルキシーのおじさんのガスパールのいる所を教えられた。それは山から川へ
続く曲がりくねった町の中で、鉱山からすこしはなれた所にあった。
わたしたちがその家に行き着くと、ドアによっかかって二、三人、近所の人と話をしていた
婦人が、
坑夫のガスパールは六時でなければ帰らないと言った。
「おまえさん、なんの用なの」とかの女はたずねた。
「わたしはおいごさんのアルキシー君に会いたいのです」
「ああ、おまえさん、ルミさんかえ」とかの女は言った。「アルキシーがよくおまえさんのことを言っていたよ。あの子はおまえさんを待っていたよ」こう言ってなお、「そこにいる人はだれ」と、マチアを指さした。
「ぼくの友だちです」
この女はアルキシーのおばさんであった。わたしはかの女がわたしたちをうちの中へ
呼び入れて休ませてくれることと思った。わたしたちはずいぶんほこりをかぶってつかれていた。けれどかの女はただ、六時にまた来ればアルキシーに会える、いまはちょうど
鉱山へ行っているところだからと言っただけであった。
わたしはむこうから申し出されもしないことを、こちらから
請求する
勇気はなかった。
わたしたちはおばさんに礼を
述べて、ともかくなにか食べ物を食べようと思って、パン屋を
探しに町へ行った。「わたしはマチアがさぞ、なんてことだ」と思っているだろうと考えて、こんな
待遇を受けたのがきまり悪かった。こんなことなら、なんだってあんな遠い道をはるばるやって来たのであろう。
これではマチアが、わたしの友人に対してもおもしろくない感じを持つだろうと思われた。これではリーズのことを話しても、わたしと同じ
興味で聞いてはくれないだろうと思った。でもわたしはかれがひじょうにリーズを
好いてくれることを
望んでいた。
おばさんがわたしたちにあたえた
冷淡な
待遇は、わたしたちにふたたびあのうちへもどる
勇気を
失わせたので、六時すこしまえにマチアとカピとわたしは、
鉱山の入口に行って、アルキシーを待つことにした。
わたしたちはどの
坑道から
工夫たちが出て来るか教えてもらった。それで六時すこし
過ぎに、わたしたちは坑道の暗いかげの中に、小さな明かりがぽつりぽつり見え始めて、それがだんだんに大きくなるのを見た。工夫たちは手に手にランプを持ちながら、一日の仕事をすまして、日光の中に出て来るのであった。かれらはひざがしらが
痛むかのように、重い足どりでのろのろと出て来た。わたしはそののちに、地下の
坑道のどん
底まではしごを下りて行ったとき、それがどういうわけだかはじめてわかった。かれらの顔はえんとつそうじのようにまっ黒であった。かれらの服とぼうしは石炭のごみをいっぱいかぶっていた。やがてみんなは
点燈所にはいって、ランプをくぎに引っかけた。
ずいぶん注意して見ていたのであるが、やはり向こうから見つけてかけ
寄って来るまで、わたしたちはアルキシーを見つけなかった。もうすこしでかれを見つけることなしにやり
過ごしてしまうところであった。
実際頭から足までまっ黒くろなこの少年に、あのひじの所で
折れたきれいなシャツを着て、カラーの前を大きく開けて白い
膚を見せながら、いっしょに花畑の道をかけっこしたむかしなじみのアルキシーを見いだすことは
困難であった。
「やあ、ルミだよ」とかれはそばに
寄りそって歩いていた四十ばかりの男のほうを向いてさけんだ。その人はアッケンのお父さんと同じような、親切な
快活な顔をしていた。二人が兄弟であることを思えば、それはふしぎではなかった。わたしはすぐそれがガスパールおじさんであることを知った。
「わたしたちは長いあいだおまえさんを待っていたよ」とかれはにっこりしながら言った。
「パリからヴァルセまではずいぶんありましたよ」とわたしは
笑い返しながら言った。
「おまけにおまえさんの足は短いからな」とかれは笑いながら言い返した。
カピもアルキシーを見ると、うれしがっていっしょうけんめいそのズボンのすそを
引っ
張って、お
喜びのごあいさつをした。このあいだわたしはガスパールおじさんに向かって、マチアがわたしの
仲間であること、そしてかれがだれよりもコルネをうまくふくことを話した。
「おお、カピ君もいるな」とガスパールおじさんが言った。「おまえ、あしたはゆっくり休んで行きなさい。ちょうど日曜日で、わたしたちにもいいごちそうだ。なんでもアルキシーの話ではあの犬は学校の先生と役者をいっしょにしたよりもかしこいというじゃないか」
わたしはおばさんに対して気持ち悪く感じたと同じくらいこのガスパールおじさんに対しては気持ちよく感じた。
「さあ、子どもどうし話をおしよ」とかれはゆかいそうに言った。「きっとおたがいにたんと話すことが
積もっているにちがいない。わたしはこのコルネをそんなにじょうずにふく
若い
紳士とおしゃべりをしよう」
アルキシーはわたしの旅の話を聞きたがった。わたしはかれの仕事の様子を知りたがった。わたしたちはおたがいにたずね合うのがいそがしくって、てんでに
相手の返事が待ちきれなかった。
うちに着くと、ガスパールおじさんはわたしたちを
晩飯に
招待してくれることになった。この招待ほどわたしをゆかいにしたものはなかった。なぜならわたしたちはさっきのおばさんの
待遇ぶりで、がっかりしきっていたから、たぶん
門口で
別れることになるだろうと、道みちも思っていたからであった。
「さあ、ルミさんとお友だちのおいでだよ」おじさんはうちへはいりかけながらどなった。
しばらくしてわたしたちは夕食の
食卓にすわった。食事は長くはかからなかった。なぜなら
金棒引きであるこのおばさんは、その
晩ごくお
軽少のごちそうしかしなかった。ひどい
労働をする
坑夫は、でもこごと一つ言わずに、このお軽少な夕食を食べていた。かれはなによりも平和を
好む、
事なかれ
主義の男であった。かれはけっしてこごとを言わなかった。言うことがあれば、おとなしい、
静かな調子で言った。だから夕食はじきにすんでしまった。
ガスパールおばさんはわたしに、
今晩はアルキシーといっしょにいてもいいと言った。そしてマチアにはいっしょに行ってくれるなら、パン
焼き
場にねどこをこしらえてあげると言った。
その
晩それから
続いてその夜中の大部分、アルキシーとわたしは話し明かした。アルキシーがわたしに話したいちいちがきみょうにわたしを
興奮させた。わたしはもとからいつか一度
鉱山の中にはいってみたいと思っていた。
でもあくる日、わたしの
希望をガスパールおじさんに話すと、かれはたぶん
連れて行くことはできまい、なんでも
炭坑で
働いている者のほかは、よその人を入れないことになっているからと言った。
「だがおまえ、
坑夫になりたいと思えばわけのないことだ」とかれは言った。「ほかの仕事に
比べて悪いことはないよ。大道で歌を歌うよりよっぽどいいぜ。アルキシーといっしょにいることもできるしな。なんならマチアさんにも仕事をこしらえてやる。だがコルネをふくほうではだめだよ」
わたしは、ヴァルセに長くいるつもりはなかった。自分の
志すことはほかにあった。それでついわたしの
好奇心を
満たすことなしに、この町を去ろうとしていたとき、ひょんな
事情から、わたしは
坑夫のさらされているあらゆる
危険を知るようになった。
運搬夫
ちょうどわたしたちがヴァルセをたとうとしたその日、大きな石炭のかけらが、アルキシーの手に落ちて、
危なくその指をくだきかけた。いく日かのあいだかれはその手に
絶対の
安静をあたえなければならなかった。ガスパールおじさんはがっかりしていた。なぜならもうかれの車をおしてくれる者はなかったし、かれもしたがってうちにぶらぶらしていなければならなくなったからである。でもそれはかれにはひどく具合の悪いことであった。
「じゃあぼくで代わりは
務まりませんか」とかれが代わりの子どもをどこにも
求めかねて、ぼんやりうちに帰って来たとき、わたしは言った。
「どうも車はおまえには重たすぎようと思うがね」とかれは言った。「でもやってみてくれようと言うなら、わたしは大助かりさ。なにしろほんの五、六日使う子どもを
探すというのはやっかいだよ」
この話をわきで聞いていたマチアが言った。
「じゃあ、きみが
鉱山に行っているうち、ぼくはカピを
連れて出かけて行って、
雌牛のお金の足りない分をもうけて来よう」
明るい野天の下で三月くらしたあいだに、マチアはすっかり人が
変わっていた。かれはもうお寺のさくにもたれかかっていたあわれな青ざめた子どもではなかった。ましてわたしが
初めて
屋根裏の
部屋で会ったとき、スープなべの
見張りをして、
絶えず気のどくな
痛む頭を両手でおさえていた化け物のような子ではなかった。マチアはもうけっして
頭痛がしなかった。けっしてみじめではなかったし、やせこけても、悲しそうでもなかった。美しい太陽と、さわやかな空気がかれに
健康と元気をあたえた。旅をしながらかれはいつも上きげんに
笑っていたし、なにを見てもそのいいところを見つけて、楽しがっていた。かれなしにはわたしはどんなにさびしくなることであろう。
わたしたちはずいぶん
性質がちがっていた。たぶんそれでかえって
性が合うのかもしれなかった。かれは
優しい、明るい
気質を持っていた。すこしもものにめげない、いつもきげんよく
困難に打ちかってゆく気風があった。わたしには学校の先生のようなしんぼう気がなかったから、かれは物を読むことや音楽のけいこをするときにはよくけんかをしそうにした。わたしはずいぶんかれに対して
無理を言ったが、一度もかれはおこった顔を見せなかった。
こういうわけで、わたしが
鉱山に下りて行くあいだ、マチアとカピが町はずれへ出かけて、音楽と
芝居の
興行をして、それでわたしたちの
財産を
増やすという、やくそくができあがった。わたしはカピに向かってこの計画を言い聞かせると、かれはよくわかったとみえて、さっそく
賛成の意をほえてみせた。
あくる日、ガスパールおじさんのあとにくっついて、わたしは深いまっ暗な
鉱山に下りて行った。かれはわたしにじゅうぶん気をつけるように言い聞かせたが、その
警告の
必要はなかった。もっとも昼の光をはなれて地の
底へはいって行くということには、ずいぶんの
恐怖と心配がないではなかった。ぐんぐん
坑道を下りて行ったとき、わたしは思わずふりあおいだ。すると、長い黒いえんとつの先に見える昼の光が、白い玉のように、まっ暗な星のない空にぽっつりかがやいている月のように見えた。やがて大きな黒いやみが目の前に大きな口を開いた。下の
坑道にはほかの
坑夫がはしご
段を下りながら、ランプをぶらぶらさげて行くのが見えた。わたしたちはガスパールおじさんが
働いている二
層目の小屋に着いた。車をおす役に使われているのは、ただ一人「先生」と
呼ばれている人のほかは、
残らず男の子であった。この人はもうかなりのおじいさんで、
若いじぶんには
鉱山で
大工の仕事をしていたが、あるとき
過って指をくだいてからは、手についた
職を
捨てなければならなかったのであった。
さて
坑にはいってまもなく、わたしは
坑夫というものが、どういう人間で、どんな生活をしているものだかよく知ることになった。
洪水
それはこういうことからであった。
運搬夫になって、四、五日してのち、わたしは車をレールの上でおしていると、おそろしいうなり声を聞いた。その声はほうぼうから起こった。
わたしの
初めの感じはただおそろしいというだけであって、ただ助かりたいと思う心よりほかになにもなかったが、いつもものにこわがるといっては
笑われていたのを思い出して、ついきまりが悪くなって立ち止まった。
爆発だろうか、なんだろうか、ちっともわからなかった。
ふと何百というねずみが、一
連隊の
兵士の走るように、すぐそばをかけ出して来た。すると地面と
坑道のかべにずしんと当たるきみょうな音が聞こえて、水の走る音がした。わたしはガスパールおじさんのほうへかけてもどった。
「水が
鉱坑にはいって来たのです」とわたしはさけんだ。
「ばかなことを言うな」
「まあ、お聞きなさい。あの音を」
そう言ったわたしの様子には、ガスパールおじさんにいやでも仕事をやめて耳を立てさせるものがあった。物音はいよいよ高く、いよいよものすごくなってきた。
「いっしょうけんめいかけろ。
鉱坑に水が出た」とかれがさけんだ。
「先生、先生」とわたしはさけんだ。
わたしたちは
坑道をかけ下りた。
老人もいっしょについて来た。水がどんどん上がって来た。
「おまえさん先へおいでよ」とはしご
段まで来ると老人は言った。
わたしたちはゆずり合っている場合ではなかった。ガスパールおじさんは先に立った。そのあとへわたしも
続いて、それから「先生」が上がった。はしご
段のてっぺんに行き着くまえに大きな水がどっと上がって来てランプを消した。
「しっかり」とガスパールおじさんがさけんだ。わたしたちははしごの横木にかじりついた。でもだれか下にいる人がほうり出されたらしかった、たきの
勢いがどっどっとなだれのようにおして来た。
わたしたちは第一
層にいた。水はもうここまで来ていた。ランプが消えていたので、明かりはなかった。
「いよいよだめかな」と「先生」は
静かに言った。「おいのりを
唱えよう、こぞうさん」
このしゅんかん、七、八人のランプを持った
坑夫がわたしたちの方角へかけて来て、はしご
段に上がろうと
骨を
折っていた。
水はいまに
規則正しい波になって、
坑の中を走っていた。気ちがいのような
勢いでうずをわかせながら、
材木をおし流して、
羽のように
軽くくるくる回した。
「
通気竪坑にはいらなければだめだ。にげるならあすこだけだ。ランプを
貸してくれ」と「先生」が言った。
いつもならだれもこの
老人がなにか言っても、からかう
種にはしても、まじめに気を
留める者はなかったであろうが、いちばん強い人間もそのときは
精神を
失っていた。それでしじゅうばかにしてした老人の声に、いまはついて行こうとする気持ちになっていた。ランプがかれにわたされた。かれはそれを持って先に立ちながら、いっしょにわたしを
引っ
張って行った。かれはだれよりもよく
鉱坑のすみずみを知っていた。水はもうわたしのこしまでついていた。「先生」はわたしたちをいちばん近い
竪坑に
連れて行った。二人の
坑夫はしかしそれは
地獄へ
落ちるようなものだと言って、はいるのをこばんだ。かれらはろうかをずんずん歩いて行った。わたしたちはそれからもう二度とかれらを見なかった。
そのとき耳の遠くなるようなひどい物音が聞こえた。
大津波のうなる音、木のめりめりさける音、
圧搾された空気の
爆発する音、すさまじいうなり声がわたしたちをおびえさせた。
「
大洪水だ」と一人がさけんだ。
「
世界の終わりだ」
「おお、神様お助けください」
人びとが
絶望のさけび声を立てるのを聞きながら、「先生」は平気な、しかしみんなを
傾聴させずにおかないような声で言った。
「しっかりしろ。みんな、ここにしばらくいるうちに、仕事をしなければならない。こんなふうにみんなごたごた
固まっていても、しかたがない。ともかくからだを落ち着ける
穴をほらなければならない」
かれのことばはみんなを落ち着かせた。てんでに手やランプのかぎで土をほり始めた。この仕事は
困難であった。なにしろわたしたちがかくれた
竪坑はひどい
傾斜になっていて、むやみとすべった。しかも足をふみはずせば下は一面の水で、もうおしまいであった。
でもどうやらやっと足だまりができた。わたしたちは足を止めて、おたがいの顔を見ることができた。みんなで七人、「先生」とガスパールおじさんに、三人の坑夫のパージュ、コンプルー、ベルグヌー、それからカロリーという車おしのこぞう、それにわたしであった。
鉱山の物音は同じはげしさで
続いた。このおそろしいうなり声を
説明することばはなかった。いよいよわれわれの
最後のときが来たように思われた。
恐怖に気がくるったようになって、わたしたちはおたがいに
探るように
相手の顔を見た。
「鉱山の
悪霊が
復しゅうをしたのだ」と一人がさけんだ。
「上の川に
穴があいて、水がはいって来たのでしょう」とわたしはこわごわ言ってみた。
「先生」はなにも言わなかった。かれはただ
肩をそびやかした。それはあたかもそういうことはいずれ昼間くわの木のかげで、ねぎでも食べながら
論じてみようというようであった。
「
鉱山の
悪霊なんというのはばかな話だ」とかれは
最後に言った。「鉱山に
洪水が来ている。それは
確かだ。だがその洪水がどうして起こったかここにいてはわからない……」
「ふん、わからなければだまっていろ」とみんながさけんだ。
わたしたちはかわいた土の上にいて、水がもう
寄せて来ないので、すっかり気が強くなり、だれも
老人に耳をかたむけようとする者がなかった。さっき
危険の場合に
示した
冷静沈着のおかげで、急にかれに加わった
権威はもう
失われていた。
「われわれはおぼれて死ぬことはないだろう」とかれはやがて
静かに言った。「ランプの
灯を見なさい。ずいぶん心細くなっているではないか」
「
魔法使いみたいなことを言うな。なんのわけだ、言ってみろ」
「おれは
魔法使いをやろうというのではない。だがおぼれて死ぬことはないだろう。おれたちは気室の中にいるのだ。その
圧搾空気で水が上がって来ないのだ。出口のないこの
竪坑はちょうど
潜水鐘(潜水器)が
潜水夫の役に立つと同じりくつになっているのだ。空気が竪坑にたくわえられていて、それが水のさして来る力をせき止めているのだ。そこでおそろしいのは空気のくさることだ……水はもう一
尺(約三〇センチ)も上がっては来ない。
鉱山の中は水でいっぱいになっているにちがいない」
「マリウスはどうしたろう」
「
鉱坑は水でいっぱいになっている」と言った「先生」のことばで、パージュは三
層目で
働いていた一人むすこのことを思い出した
「おお、マリウス、マリウス」とかれはまたさけんだ。
なんの返事もなかった。こだまも聞こえなかった。かれの声はわれわれのいる
坑の外にはとおらなかった。マリウスは助かったろうか。百五十人がみんなおぼれたろうか。あまりといえばおそろしいことだ。百五十人は少なくとも坑の中にはいっていた。そのうちいく
人竪坑に上がったろうか。わたしたちのようににげ場を見つけたろうか。
うすぼんやりしたランプの光が心細くわたしたちのせまいおりを
照らしていた。
生きた
墓穴
いまや
鉱坑の中には
絶対の
沈黙が
支配していた。わたしたちの足もとにある水はごく
静かに、さざ波も立てなかった。さらさらいう音もしなかった。鉱坑は水があふれていた。この
破りがたいしずんだ重い沈黙が、
初め水があふれ出したとき聞いたおそろしいさけび声よりも、もっと心持ちが悪かった。
わたしたちは生きながらうずめられて、地の下百尺(約三〇メートルだが、ここでは深いという意味)の
墓の中にいるのであった。わたしたちはみんなこの場合の
恐怖を感じていた。「先生」すらもぐんなりしていた。
とつぜんわたしたちは手に
温かいしずくの落ちるのを感じた。それはカロリーであった……かれはだまって
泣いていた。ふとそのとき引きさかれるようなさけび声が聞こえた。
「マリウス。ああ、せがれのマリウス」
空気は息苦しく重かった。わたしは息がつまるように感じた。耳のはたにぶつぶついう音がした、わたしはおそろしかった。水も、やみも、死も、おそろしかった。
沈黙がわたしを
圧迫した。
わたしたちの
避難所のでこぼこした、ぎざぎざなかべが、いまにも落ちて、その下におしつぶされるような気がしてこわかった。わたしはもう二度とリーズに会うことができないであろう。アーサにも、ミリガン
夫人にも、それから
好きなマチアにも。
みんなはあの小さいリーズにわたしの死んだことを
了解させることができるであろうか。かの女の兄たちや
姉さんからの
便りをつい持って行ってやることができなかったことを了解させることができようか。それから気のどくなバルブレンのおっかあは……。
「どうもおれの考えでは、だれもおれたちを
救うくふうはしていないらしい」とガスパールおじさんはとうとう
沈黙を
破って言った。「ちっとも音が聞こえない」
「おまえさん、
仲間のことをどうしてそんなふうに考えられるかね」と「先生」は
熱くなってさけんだ。「いつの
鉱山の
椿事でも、
仲間がおたがいに助け合わないことはなかった。一人の
坑夫のことだって、あの二十人百人の
仲間がけっして
見殺しにはしないじゃないか。おまえさん、それはよく知っているくせに」
「それはそうだよ」とガスパールおじさんがつぶやいた。
「思いちがいをしてはいけないよ。みんなもこちらへ
近寄ろうとしていっしょうけんめいやっているのだ。それには二つしかたがある……一つはこのおれたちのいる下まで、トンネルをほるのだ。もう一つは水を
干すのだ」
人びとはその仕事を仕上げるにどのくらいかかるかというとりとめのない
議論を始めた。
結局少なくともこの
墓の中にこの後八日ははいっていなければならないことに意見が
一致した。八日。わたしも
坑夫が二十四日も
穴の中に
閉じこめられた話は聞いたが、でもそれは「話」であるが、このほうは
真実であった。いよいよそれが、どういうことであるか、すっかりわかると、もう回りの人の話なんぞは耳にはいらなかった。わたしはぼんやりした。
また
沈黙が
続いた。みんなは考えにしずんでいた。そんなふうにして、どのくらいいたか知らないが、ふとさけび声が聞こえた。
「ポンプが動いている」
これはいっしょの声で言われた。いまわたしたちの耳に当たった音は、電流でさわられでもしたように感じた。わたしたちはみんな立ち上がった。ああ、われわれは
救われよう。
カロリーはわたしの手を取って
固くにぎりしめた。
「きみはいい人だ」とかれは言った。
「いいや、きみこそ」とわたしは答えた。
でもかれはわたしがいい人であることをむちゅうになって
主張した。かれの様子は酒に
酔っている人のようであった。またまったくそうであった。かれは
希望に
酔っていたのだ。
けれどわたしたちは空に美しい太陽をあおぎ、地に楽しく歌う小鳥の声を聞くまでに、長いつらい苦しみの日を送らなければならなかった。いったいもう一度日の目を見ることができるだろうか。そう思って苦しい
不安の日をこの先送らなければならなかった。わたしたちはみんなひじょうにのどがかわいていた。パージュが水を取りに行こうとした。けれど「先生」はそのままにじっとしていろと言った。かれはわたしたちのせっかく
積み上げた石炭の土手がかれのからだの重みでくずれて、水の中に落ちるといけないと気づかったのであった。
「ルミのほうが身が軽い。あの子に長ぐつを
貸しておやり。あの子なら、行って水を取って来られるだろう」とかれは言った。
カロリーの長ぐつがわたされた。わたしはそっと土手を下りることになった。
「ちょいとお待ち」と「先生」が言った。「手を
貸してあげよう」
「おお、でもだいじょうぶですよ。先生」とわたしは答えた。「ぼくは水に落ちても泳げますから」
「わたしの言うとおりにおし」とかれは言い
張った。「さあ、手をお持ち」
かれはしかしわたしを助けようとしたはずみに足をふみはずしたか、足の下の石炭がくずれたか、つるり、
傾斜の上をすべって、まっ
逆さまに暗い水の中に落ちこんだ。かれがわたしに見せるつもりで持っていたランプは、
続いて
転がって見えなくなった。
たちまちわたしは暗黒の中に投げこまれた。そこにはたった一つの
灯しかなかったのであった。みんなの中から同じさけび声が起こった。幸いにわたしはもう水にとどく
位置に下りていた。
背中で土手をすべりながら、わたしは
老人を
探しに水の中にはいった。
ヴィタリス親方と
流浪していたあいだに、わたしは泳ぐことも、水にはいることも
覚えた。わたしはおかの上と同様、水の中でも楽に
働けた。だがこのまっ暗な
穴の中で、どうして見当をつけよう。わたしは水にはいったとき、それを少しも考えなかった。わたしはただ老人がおぼれたろうと、そればかり考えた。どこをわたしは見ればいいか、どちらのそばへ泳いで行けばいいか、わたしは
困っていると、ふとしっかり
肩をつかまえられたように感じた。わたしは水の中に引きこまれた、足を強くけって、わたしは水の
面へ出た。手はまだ肩をつかんでいた。
「しっかりおしなさい、先生」とわたしはさけんだ。「首を上に上げていれば助かりますよ」
助かると。どうして二人とも助かるどころではなかった。わたしはどちらへ泳いでいいかわからなかった。
「ねえ、だれか、声をかけてください」とわたしはさけんだ。
「ルミ、どこだ」
こう言ったのはガスパールおじさんの声であった。
「ランプをつけてください」
ランプが暗やみの中から
探り出されて、すぐに明かりがついた、わたしはただ手をのばせば土手にさわることができた。
片手で石炭のかけらをつかんで、わたしは
老人を引き上げた。もう、少しで
危ないところであった。
かれはもうたくさんの水を飲んでいて、半分
人事不省であった。わたしはかれの頭をうまく水の上に上げてやったので、どうにかかれは上がって来た。
仲間はかれの手を取って引き上げる。わたしは後からおし上げた。わたしはそのあとで今度は自分がはい上がった。
このふゆかいな出来事で、しばらくわたしたちの気を転じさせたが、それがすむとまた
圧迫と
絶望におそわれた。それとともに死が近づいたという考えがのしかかってきた。
わたしはひじょうにねむくなった。この場所はねるのにつごうのいい場所ではなかった。じきに水の中に
転がり落ちそうであった。すると「先生」はわたしの
危なっかしいのを見て、かれの
胸にわたしの頭をつけて、わたしのからだをうででおさえてくれた。かれはたいしてしっかりおさえてはいなかったが、わたしが落ちないだけにはじゅうぶんであった。わたしはそこで母のひざにねむる子どものようにねむった。
わたしが半分目が
覚めて身動きすると、かれはただきつくなった自分のうでの
位置を変えた。そして自分は動かずにすわっていた。
「お休み、ぼうや」とかれはわたしの上にのぞきこんでささやいた。「こわいことはない。わたしがおさえていてあげるからな」
それでわたしは
恐怖なしにねむった。かれがけっして手をはなさないことをわたしはよく知っていた。
救助
わたしたちは
時間の
観念がなくなった。そこに二日いたか、六日いたか、わからなかった。意見がまちまちであった。もうだれも
救われることを考えてはいなかった。死ぬことばかりが心の中にあった。
「先生、おまえの言いたいことを言えよ」とベルグヌーがさけんだ。「おまえ水をかい出すにどのくらいかかるか、
勘定していたじゃないか。だがとてもまに合いそうもないぜ。おれたちは
空腹か
窒息で死ぬだろう」
「しんぼうしろよ」と「先生」が答えた。「おれたちは食べ物なしにどれくらい生きられるか知っている。それでちゃんと勘定がしてあるのだ。だいじょうぶ、まに合うよ」
このしゅんかん、大きなコンプルーが声を立ててすすり
泣きを始めた。
「神様の
罰だ」とかれはさけんだ。「おれは
後悔する。おれは後悔する。もしここから出られたら、おれはいままでした悪事のつぐないをすることをちかう。もし出られなかったら、おまえたち、おれのために神様におわびをしてくれ。おまえたちはあのヴィダルのおっかあの時計をぬすんで、五年の
宣告を受けたリケを知っているか……だがおれがそのどろぼうだった。ほんとうはおれがとったのだ。それはおれの
寝台の下にはいっている……おお……」
「あいつを水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーがさけんだ。
「じゃあ、おまえは
良心に
罪をしょわせたまま神様の前に出るつもりか」と先生がさけんだ。「あの男に
懺悔させろ」
「おれは懺悔する、おれは懺悔する」と
大力のコンプルーが、子どもよりもっといくじなく
泣いた。
「水の中にほうりこめ。水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーが、「先生」 の後ろに
丸くなっていた
罪人にとびかかって行きそうにした。
「おまえたち、この男を水の中にほうりこみたいなら、おれもいっしょにほうりこめ」
「ううん、ううん」やっとかれらは水の中に罪人をほうりこむだけはしないことにしたが、それには一つの
条件がついた。罪人はすみっこにおしやられて、だれも口をきいてもいけないし、かまってもやるまいというのだった。
「そうだ、それが相当だ」と「先生」が言った。「それが公平な
裁きだ」
「先生」のことばはコンプルーに下された
判決のように思われたので、それがすむとわたしたちはみんないっしょに、できるだけ遠くはなれて、この悪い事をした人間との間に空き地をこしらえた。数時間のあいだ、かれは悲しみに打たれて、
絶えずくちびるを動かしながら、こうつぶやいているように思われた。
「おれはくい
改める。おれはくい改める」
やがてパージュとベルグヌーがさけびだした。
「もうおそいや、もうおそいや。きさまはいまこわくなったのでくい改めるのだ。きさまは一年まえにくい改めなければならなかったのだ」
かれは苦しそうに、ため息をついていた。けれどまだくり返していた。
「おれはくい
改める。おれはくい改める」
かれはひどい
熱にかかっていた。かれの全身はふるえて、歯はがたがた鳴っていた。
「おれはのどがかわいた」とかれは言った。「その長ぐつを
貸してくれ」
もう長ぐつに水はなかった。わたしは立ち上がって取りに行こうとした。けれどそれを見つけたパージュがわたしを
呼び止めた。同時にガスパールおじさんがわたしの手をおさえた。
「もうあいつにはかまわないとやくそくしたのだ」とかれは言った。
しばらくのあいだ、コンプルーはのどがかわくと言い
続けた。わたしたちがなにも飲み物をくれないとみて、かれは自分で立ち上がって、水のほうへ行きかけた。
「あいつ石炭がらをくずしてしまうぞ」
「まあ、自由だけは
許してやれ」と「先生」が言った。
かれはわたしがさっき
背中で下へすべって行ったのを見ていた。それで自分もそのとおりをやろうとしたが、わたしの身が軽いのとちがって、かれはなみはずれて重かった。それで後ろ向きになるやいなや、石炭の土手が足の下でくずれて、両足をのばし、両手は
空をつかんだまま、かれはまっ暗な
穴の中に落ちこんだ。
水はわたしたちのいる所まではね上がった。わたしは下りて行くつもりでのぞきこんだが、ガスパールおじさんと「先生」がわたしの手を両方からおさえた。
半分死んだように、
恐怖にふるえがら、わたしは
席にもどった。
時間が
過ぎていった。元気よくものを言うのは「先生」だけであった。けれどそれもわたしたちのしずんでいるのがとうとうかれの
精神をもしずませた。わたしたちの
空腹はひじょうなものであったから、しまいにはぐるりにあるくさった木まで食べた。まるでけもののようであった。カロリーが中でもいちばん
腹をすかした。かれは
片っぽの長ぐつを切って、しじゅうなめし皮のきれをかんでいた。
空腹がどんなどん
底のやみにまでわたしたちを
導くかということを見て、正直の話、わたしははげしい
恐怖を感じだした。ヴィタリス
老人は、よく
難船した人の話をした。ある話では、なにも食べ物のないはなれ島に
漂着した船乗りが、船のボーイを食べてしまったこともある。わたしは
仲間がこんなにひどい
空腹に
責められているのを見て、そういう運命がわたしの上にも向いて来やしないかとおそれた。「先生」と、ガスパールおじさんだけはわたしを食べようとは思えなかったが、パージュとカロリーと、ベルグヌーは、とりわけベルグヌーは長ぐつの皮を食い切るあの大きな白い歯で、ずいぶんそんなことをしかねないと思った。
一度こんなこともあった。わたしが半分うとうとしていると、「先生」がゆめを見ているように、ほとんどささやくような声で言っていることを聞いてびっくりした。かれは雲や風や太陽の話をしていた。するとパージュとベルグヌーが、とんきょうな様子でかれとおしゃべりを始めた。まるで
相手の返事をするのをおたがいに待たないのであった。ガスパールおじさんはかれらの
変な様子には気がつかないようであった。この人たちは気がちがったのではないかしら。それだとどうしよう。
ふと、わたしは明かりをつけようと思った。油を
倹約するため、わたしたちはぜひ入り用なときだけ明かりをつけることにしていたのである。
明かりを見ると、はたしてかれらはやっと
意識をとりもどしたらしかった。わたしはかれらのために水を取りに行った。もういつかしら水はずんずん引いていた。
しばらくしてかれらはまたみょうなふうに話をしだした。わたし自身も心持ちがなんだかぼんやりとりとめなく
乱れていた。いく時間も、あるいはいく日も、わたしたちはおたがいにとんきょうなふうでおしゃべりをし
続けていた。そののちしばらくするとわたしたちは落ち着いた。で、ベルグヌー
[#「ベルグヌー」は底本では「ベリグヌー」]は、いよいよ死ぬなら、そのまえにわれわれは
書置きを
残して行こうと言った。
わたしたちはまたランプをつけた。ベルグヌーがみんなのために
代筆した。そしててんでんがその紙に
署名をした。わたしは犬とハープをマチアにやることにした。アルキシーにはリーズの所へ行って、わたしの代わりにかの女にキッスをしてチョッキのかくしにはいっている
干からびたばらの花を送ってもらいたいという
希望を書いた。ああ、なつかしいリーズ……。
しばらくしてわたしはまた土手をすべり下りた。すると水が
著しく
減っているのを見た。わたしは急いで
仲間の所へかけもどって、もうはしご
段の所まで泳いで行けること、それから
救助に来た人たちにどの方角ににげていいか聞くことができると
告げた。「先生」はわたしの行くことを止めた。けれどわたしは言い
張った。
「行っといで、ルミ。おれの時計をやるぞ」とガスパールおじさんがさけんだ。
「先生」はしばらく考えて、わたしの手を取った。
「まあおまえの考えどおりやってごらん」とかれは言った。「おまえは
勇気がある。わたしはおまえができそうもないことをやりかけているとは思うが、そのできそうもないことが
案外成功することは、これまでもないことではなかったのだから。ささ、おれたちにキッスをおし」
わたしは「先生」とガスパールおじさんにキッスをした。それから着物をぬぎ
捨てて、水の中にとびこんだ。
とびこむまえにわたしは言った。
「みんなでしじゅう声を立てていてください。その声で見当をつけるから」
坑道の屋根の下の空き地が、自由にからだの
働けるだけ広かろうかとわたしはあやぶんでいた。これは
疑問であった。少し泳いでみて、そっと行けば行かれることがわかった。ほうぼうの
坑道の出会う場所のそう遠くないことを、わたしは知っていた。けれどわたしは用心しなければならなかった。一度道をまちがえると、それなり
迷ってしまう
危険があった。坑道の屋根やかべは道しるべにはならなかった。地べたにはレールというもっと
確かな道しるべがあった。これについて行けば、たしかにはしご段を見つけることができた。しじゅうわたしは足を下へやって、鉄のレールにさわりながら、またそっと上へうき上がった。後ろには
仲間の声が聞こえるし、足の下にはレールがあるので、わたしは道を迷わなかった。後ろの声がだんだん遠くなると、上のポンプの音が高くなった。わたしはぐんぐん進んで行った。ありがたい、もうまもなく日の光が見えるのだ。
坑道のまん中をまっすぐに行きながら、わたしはレールにさわるために、右のほうへ曲がらなければならなかった。すこし行ってから、また水をくぐって、レールにさわりに行った。そこにはレールがなかった。坑道の右左と行ったが、やはりレールはなかった……。
わたしは道をまちがえたのだ。
仲間の声はかすかなつぶやきのように聞こえていた。わたしは深い息を
吸いこんで、またとびこんだが、やはり
成功しなかった。レールはなかった。
わたしはちがった
層にはいったのだ。知らないうちわたしは後もどりしたにちがいない。でもみんな
呼ばなくなったのはどうしたのだろう。呼んでいるのかもしれないが、わたしには聞こえなかった。この
冷たい、まっ暗な水の中で、どちらへどう向いていいか、わたしは
迷った。
するととつぜんまた声が聞こえた。わたしはやっとどちらの道を曲がっていいかわかった。後へ十二ほどぬき手を切って、わたしは右のほうへ曲がった。それから左へ曲がったが、かべだけしか見つからなかった。レールはどこだろう。わたしが正しい
層へ出ていることは
確かであった。
そのときふとわたしは、レールが
津波のために持って行かれたことを確かめた。わたしはもう道しるべがなくなった。そういうわけでは、わたしのくわだてをとげるわけにはゆかない。
わたしはいやでも引っ返さなければならなかった。
わたしは急いで声をあてに
避難所のほうへ泳ぎ帰った。だんだん近づくと、
仲間の声が
先よりもずっとしっかりして、力がはいっているように思われた。わたしはすぐ
竪坑の入口に着いた。わたしはすぐ声をかけた。
「帰っておいで、帰っておいで」と「先生」がさけんだ。
「道がわからなかった」とわたしはさけんだ。
「かまわないよ。もうトンネルができかけている。みんなこちらの声を聞いた。こちらでも向こうの声が聞こえる。じきに話ができるだろう」
わたしはすぐとおかに上がって耳を立てた。つるはしの音と、
救助のために
働いている人たちの
呼び声がかすかに、しかしひじょうにはっきりと聞こえて来た。このゆかいな
興奮が
過ぎると、わたしはこごえていることを感じた。わたしに着せる
暖かい着物が
別にないので、みんなはわたしを石炭がらの中へ首までうずめた。そしてガスパールおじさんと「先生」がわたしを暖めるために、その上によけい高く
積んだ。
もうまもなく
救助の人たちがトンネルをぬけて、水について来ることをわたしたちは知った。けれどもこうなってから
幽閉の
最後の時間がこのうえなく苦しかった。つるはしの音はやまなかったし、ポンプはしじゅう動いていた。ふしぎにだんだん
救い出される時間が近づくほど、わたしたちはいくじがなくなった。わたしはふるえながら、石炭がらの中に横になっていたが、寒くはなかった。わたしたちは口をきくことができなかった。
とつぜん
坑道の水の中に音がした。頭をふり向けて、わたしは大きな光がこちらにさすのを見た。
技師はおおぜいの人の先に立っていた。かれはいちばん先に上がって来た。かれはひと言も言わないうちにわたしをだいた。
もうわたしの正気は
失われかけていた。ちょうどきわどいところであった。けれどまだ運ばれて行くという
意識だけはあった。わたしは
救助員たちが水をくぐって出て行ったあとで、
毛布に
包まれた。わたしは目を
閉じた。
また目を開くと昼の光であった。わたしたちは大空の下に出たのだ。同時にだれかとびついて来た。それはカピであった。わたしが
技師のうでにだかれていると、ただ一とびでかれはとびかかって来た。かれはわたしの顔を二度も三度もなめた。そのときわたしの手を取る者があった。わたしはキッスを感じた。それからかすかな声でつぶやくのを聞いた。
「ルミ。おお、ルミ」
それはマチアであった。わたしはかれににっこりしかけた。それからそこらを見回した。
おおぜいの人がまっすぐに、二列になってならんでいた。それはだまり返った
群集であった。さけび声を立てて、わたしたちを
興奮させてはならないと言つけられたので、かれらはだまっていたが、この顔つきはくちびるの代わりにものを言っていた。いちばん前の列に、なんだか白い
法衣と
錦襴のかざりが日にかがやいているのをわたしは見た。これはぼうさんたちで、
鉱山の口へ来て、わたしたちの
救助のためにおいのりをしてくれたのであった。わたしたちが運び出されると、かれらは
砂の中にひざまでうずめてすわっていた。
二十本のうでがわたしを受け取ろうとしてさし
延べられた。けれど
技師はわたしを放さなかった。かれはわたしを
事務所へ
連れて行った。そこにはわたしたちをむかえる
寝台ができていた。
二日ののち、わたしはマチアと、アルキシーと、カピを
連れて、村の
往来を歩いていた。そばへ来て、目になみだをうかべながら、わたしの手をにぎる者もあった。顔をそむけて行く者もあった。そういう人たちは
喪服をつけていた。かれらはこの親もない家もない子が
救われたのに、なぜかれらの父親やむすこが、まだ
鉱山の中でいたましい死がいになって、暗い水の中をただよっているのであろうか、それを悲しく思っていたのであろう。
音楽の先生
坑の中にいるあいだに、わたしはお友だちができた。あのおそろしい
経験をおたがいにし合った
仲間が一つに
結ばれた。ガスパールおじさんと「先生」は、とりわけたいそうわたしが
好きになった。
技師も
災難をともにはしなかったが、自分が
骨を
折って
危ういところを
救い出した子どもということで、わたしに親しんだ。かれはわたしをそのうちへ
招待した。わたしはかれのむすめに
坑の中で起こったことを
残らず話してやらなければならなかった。
だれもわたしをヴァルセへ引き止めたがった。
技師は、わたしが
望むなら、
事務所で仕事を見つけてやると言った。ガスパールおじさんも
鉱山でしじゅうの仕事をこしらえようと言った。かれはわたしが
坑へ帰ることがごく
自然なように思っているらしかった。かれ自身はもうまもなく、
毎日危険をおかすことに
慣れた人の見せるようなむとんちゃくさで、また
坑へはいって行った。でもわたしはもうそこへ帰って行く気はしなかった。
鉱山はひじょうにおもしろかった。それを見たということはたいへんゆかいであったけれど、そこへ帰って行こうとはゆめにも思わなかった。
それよりもわたしはいつも頭の上に大空を、それは雪をいっぱい持った大空でも、いただいていたかった。野外の生活がわたしにはずっと
性に合っていた。そう言ってわたしはかれらに話した。だれもおどろいていた。とりわけ「先生」がおどろいていた。カロリーはとちゅうで出会うと、わたしを「やあ、ひよっこ」と
呼んだ。
みんながわたしをヴァルセに止めたがって、いろいろ
勧めているあいだ、マチアはひどくぼんやりして考えこむようになった。そのわけをたずねると、かれはいつも、なになんでもないと打ち消していた。
いよいよ三日のうちにここを立つことをわたしがかれに話したとき、かれは
初めてこのごろふさいでいたわけを語った。
「ああ、ぼくはきみがここにこのまま
残って、ぼくを
捨てるだろうと思ったから」とかれは言った。
わたしはかれをちょいと打った。それはわたしを
疑わないように、
訓戒してやるためであった。
マチアはいまではもう自分で自分の身を立てることができるようになっていた。わたしが
鉱山にはいっていたあいだ、かれは十八フランもうけた。かれはこのたいそうな金をわたしにわたすとき、ひどく
得意であった。なぜならわたしたちがまえから持っている百二十八フランに
加えれば、
残らずで百四十六フランになるからであった。
例の「王子さまの
雌牛」はもう四フランあれば買えるのであった。
前へ進め、子どもたち。
荷物を
背中へ
結びつけてわたしたちは出発した。カピが
喜んで、ほえて、
砂の中を
転げていた。
マチアは、
雌牛を買うまでにもう少しお
金をこしらえようと言った。金が多いだけいい雌牛が買えるし、雌牛がよければ、よけいバルブレンのおっかあがうれしがるであろう。
パリからヴァルセに来るとちゅう、わたしはマチアに読書と、
初歩の
楽典を
授け始めた。この
課業を今度も
続けてした。わたしもむろんいい先生ではなかったし、マチアもあまりいい
生徒であるはずがなかった。この課業は
成功ではなかった。たびたびわたしはおこって、ばたんと本を
閉じながら、かれに、「おまえはばかだ」と言った。
「それはほんとうだよ」とかれはにこにこしながら言った。「ぼくの頭はぶつとやわらかいそうだ。ガロフォリがそれを見つけたよ」
こう言われると、どうおこっていられよう。わたしは
笑いだしてまた
課業を
続けた。けれどもほかのことはとにかく、音楽となると、
初めからかれはびっくりするような進歩をした。おしまいにはもうわたしの手におえないことを
白状しなければならなくなったほど、かれはむずかしい
質問を出して、わたしを
当惑させた。でもこの白状はわたしをひどくしょげさした。わたしはひじょうに
高慢な先生であった。だから
生徒の質問に答えることができないのが
情けなかった。しかもかれはけっしてわたしを
容赦しはしなかった。
「ぼくはほんとうの先生に教わろう」とかれは言った。「そうしてぼく、質問を
残らず聞いて来よう」
「なぜ、きみはぼくが
鉱山にいるうち、ほんとうの先生から教えてもらわなかった」
「でもぼくはその先生に、きみの金からお礼を出さなければならなかったから」
わたしはマチアが、そんなふうに「ほんとうの先生」などと言うのがしゃくにさわっていた。けれどわたしのばかな
虚栄心はかれのいまのことばを聞くと、すうとけむりのように消えて行かなければならなかった。
「きみは人がいいなあ」とわたしは言った。「ぼくの金はきみの金だ。やはりきみがもうけてくれたのだ。きみのほうがたいていぼくよりもよけいもうけている。きみは
好きなだけけいこを受けるがいい。ぼくもいっしょに習うから」
さてその先生は、われわれの
要求する「ほんとうの先生」は、いなかにはいなかった。それは大きな町にだけいるようなりっぱな
芸術家であった。地図を開けてみて、このつぎの大きな町は、マンデであることがわかった。
わたしたちがマンデに着いたのは、もう夜であった。つかれきっていたので、その
晩はけいこには行かれないと決めた。わたしたちは
宿屋のおかみさんに、この町にいい音楽の先生はいないかと聞いた。かの女はわたしたちがこんな
質問を出したので、ずいぶんびっくりしたと言った。わたしたちはエピナッソー
氏を知っているべきはずであった。
「ぼくたちは遠方から来たのです」とわたしは言った。
「ではずいぶん遠方から来たんですね、きっと」
「イタリアから」とマチアが答えた。
そう聞くと、かの女はもうおどろかなかった。なるはどそんな遠方から来たのでは、エピナッソー先生のことを聞かなかったかもしれないと言った。
「その先生はたいへんおいそがしいんですか」とわたしはたずねた。そういう名高い音楽家では、わたしたちのようなちっぽけなこぞう二人に、たった一度のけいこなどめんどうくさがってしてくれまいと気づかった。
「ええ、ええ、おいそがしいですとも。おいそがしくなくってどうしましょう」
「あしたの朝、先生が会ってくださるでしょうか」
「それはお金さえ持って行けば、だれにでもお会いになりますよ……むろん」
わたしたちはもちろん、それはわかっていた。
その
晩ねに行くまえ、わたしたちはあしたこの有名な先生にたずねようと思っている
質問の
箇条を
相談した。マチアは
求めていた「ほんとうの音楽の先生」を見つけたので、うれしがってこおどりしていた。
つぎの朝、わたしたちは――マチアはヴァイオリン、わたしはハープと、てんでんの
楽器を持って、エピナッソー先生を
訪ねて行くことにした。わたしたちはそういう有名な人を
訪ねるのに犬を
連れて行く
法はないと思ったから、カピは
置いて行くことにして、
宿屋の馬小屋につないでおいた。
さて宿屋のおかみさんが、先生の住まいだと教えてくれたうちの前へ来たとき、わたしたちは、おやこれはまちがったと思った。なぜなら、そのうちの前には小さな
真ちゅうの
看板が二
枚ぶら下がっていて、それがどうしたって音楽の先生の看板ではなかった。そのうちはどう見ても
床屋の店のていさいであった。わたしたちは通りかかった一人の人に向かって、エピナッソー先生のうちを教えてくださいとたのんだ。
「それそこだよ」とその男は言って、床屋の店を指さした。
だがつまり先生が
床屋と
同居していないはずもなかった。わたしたちは中へはいった。店ははっきり二つに仕切られていた。右のほうには
はけだの、
くしだの、クリームのつぼだの、
理髪用のいすだのが
置いてあった。左のほうのかべやたなにはヴァイオリンだの、コルネだの、トロンボンだの、いろいろの
楽器がかけてあった。
「エピナッソーさんはこちらですか」とマチアがたずねた。
小鳥のように、ちょこちょこした、気の
利いた小男が、一人の男の顔をそっていたが、「わたしがエピナッソーだよ」と答えた。
わたしはマチアに目配せをして、
床屋さんの音楽家なんか、こちらの
求めている人ではない。こんな人に
相談をしても、せっかくの金がむだになるだけだという意味を飲みこませようとしたが、かれは知らん顔をして、もったいぶった様子で一つのいすにこしをかけた。
「そのかたがそれたら、ぼくの
髪をかってもらえますか」とかれはたずねた。
「ああ、よろしいとも。なんなら、顔もそってあげましょう」
「ありがとう」とマチアが答えた。わたしはかれのあつかましいのに、どぎもをぬかれた。かれは目のおくからわたしをのぞいて、「そんな
困った顔をしないで見ておいで」という様子をした。
そのお客がすんでしまうと、エピナッソー
氏は、タオルをうでにかけて、マチアの
髪をかる用意をした。
「ねえ、あなた」と、
床屋さんがかれの首に
布を
巻きつけるあいだにマチアが言った。「音楽のことで友だちとぼくにわからないことがあるんです。なんでもあなたは名高い音楽家だと聞いていましたから、二人の
争論をあなたにうかがったら、なんとか
判断していただけるかと思うのです」
「なんですね、それは」
そこでわたしはマチアの考えていることがわかった。まず先に、かれはわたしたちの
質問にこの
床屋さんの音楽家が答えることができるか
試そうとした。いよいよできるようだったら、かれは
散髪の代で、音楽の
講義を聞くつもりであった。
マチアは
髪をかってもらっているあいだ、いろいろ質問を発した。床屋さんの音楽家はひどくおもしろがって、かれに向けられるいちいちの質問を、ずんずんゆかいそうに答えた。
わたしたちが出かけようとしたとき、かれはマチアに、ヴァイオリンで、なにかひいてごらんと言った。マチアは一曲ひいた。
「いやあ、それでもきみは、音楽の調子がわからないと言うのかい」と
床屋さんは手をたたきながら言った。そしてむかしから知り合って
愛している子どもに対するようになつかしそうな目で、マチアを見た。
「これはふしぎだ」
マチアは
楽器の中からクラリネットを
選んで、それをふいた。それからコルネをふいた。
「いやあ、この子は
神童だ」とエピナッソー
氏はおどり上がって
喜んだ。「おまえさん、わたしの所にいれば、大音楽家にしてあげるよ。朝はお客の顔をそるけいこをする。あとは一日音楽をやることにする。わたしが
床屋だから、音楽がわからないと思ってはいけない。だれだって毎日のくらしは立てなければならない」
わたしはマチアの顔を見た。なんとかれは答えるであろう。わたしは友だちをなくさなければならないか。わたしの
仲間を、わたしの兄弟を
失わなければならないか。
「マチア、よくきみのためを考えたまえよ」とわたしは言ったが、声はふるえていた。
「なに、友だちを
捨てる」と、かれは自分のうでをわたしのうでにかけながらさけんだ。「そんなことができるものか。でも先生、やはりあなたのご親切はありがたく思っていますよ」
エピナッソー
氏はそれでもまだ
勧めていた。そしていまにかれをパリの音楽学校へ出す
方法を立てる、そうすればかれは
確かにりっぱな音楽家になると言った。
「なに、友だちを
捨てる、それはどうしたってできません」
「そう、それでは」と
床屋さんは
残念そうに答えた。「わたしが一
冊本をあげよう。わからないことはそれで知ることができる」こう言ってかれは一つの引き出しから、音楽の
理論を書いた本を出した。その本は古ぼけて
破れていた。けれどそんなことはかまうことではない。ペンを取ってこしをかけて、かれはその第一ページにこう
記した。
「かれが有名になったとき、なおマンデの
床屋を
記憶するであろうその子におくる」
マンデにはほかにも音楽の先生があるかどうか、わたしは知らないけれど、このエピナッソー
氏がたった一人知っている人で、しかも一生
忘れることのできない人であった。
王子さまの
雌牛
わたしはマンデに着くまえにもむろんマチアを
愛していたけれど、その町を去るときにはもっともっとかれを愛していた。わたしは
床屋さんの前でかれが「なに、友だちを
捨てる」とさけんだとき、どんな感じがしたか、ことばで語ることはできなかった。
わたしはかれの手をとって強くにぎりしめた。
「マチア、もう死ぬまではなれないよ」とわたしは言った。
「ぼくはとうからそれはわかっていた」とかれはあの大きな黒い目で、わたしににこにこ
笑いかけながら答えた。
なんでもユッセルでさかんな
家畜市があるということを聞いたので、わたしたちはそこへ行って、
雌牛を買うことに決めた。それはシャヴァノンへ行く道であった。わたしたちは道みち通る町ごとに村ごとに音楽をやって、ユッセルに着いたじぶんには、二百四十フランも金が集まっていた。わたしたちはこれだけの金をためるには、それこそできるだけの
倹約をしなければならなかった。でもマチアはわたし同様
雌牛を買うことに
熱心であった。かれは白い牛を買いたがった。わたしはあのルセットのお形見に、茶色の牛をと思っていた。わたしたちはしかし、どちらにしても、ごくおとなしくって、
乳をたくさん出す牛を買うことに意見が
一致した。
わたしたちは二人とも、なにを
目標に
雌牛のよしあしを見分けるか知らなかったから、
獣医の世話になることにした。わたしたちはよく牛を買うときに
詐欺に会う話を聞いていた。そういう
危険をおかしたくはなかった。獣医をたのむことはよけいな
費えではあろうけれど、どうもほかにしかたがなかった。ある人は、ごく安い
値段で一ぴき買って帰ってみると、しっぽがにせものであったことがわかったという話も聞いた。またある人はごくじょうぶそうな、どこからみてもたくさん
乳を出しそうな
雌牛を買ったが、二十四時間にコップに二はいの
乳しか
採れなかったという話もある。ばくろうのやるちょいとした手品で、
雌牛はさもたくさん乳を出しそうに見せかけることができた。
マチアはにせもののしっぽだけならなにも心配することはないと言った。なぜなら売り手といよいよ
相談を始めるまえに、ありったけの力で
雌牛のしっぽに一つずつぶら下がってみればわかるのだからと言った。でもそれがほんとうのしっぽであったら、きっとおなかか頭をうんとひどくけとばされるだろうと言うと、かれの
空想はすこしよろめいた。
ユッセルに着いたのは五、六年ぶりであった。あれはヴィタリス親方といっしょで、ここで
初めてくぎで止めたくつを買ってくれたのであった。ああ、そのときここから出かけた六人のうち、
残っているのは、たったカピとわたしだけであった。
わたしたちは町に着いて、あのときヴィタリスや犬ととまったことのある
宿屋に荷物を
預けて、すぐ
獣医を
探し始めた。やがて一人見つけたが、その人は、わたしたちが
欲しいという
雌牛の様子を話して、いっしょに行って買ってくれるようにと言うと、それをひどくおもしろいことに思ったらしかった。
「でもぜんたいおまえたち子ども二人で、
雌牛をなんにするのだね。お金は持っているのかい」とかれはたずねた。
わたしたちはそこで、どのくらい金を持っているか、それをどうしてもうけたかということ、それからわたしが子どものとき世話になったシャヴァノン村のバルブレンのおっかあにおくり物をしておどろかせるつもりだということを話した。かれはするとひじょうに親切らしい
熱心を顔に見せて、あした七時に市場へ行って会おうとやくそくした。それでお礼はと言って聞くと、かれはまるっきりそんな物を受け取ることをこばんだ。そして笑いながらわたしたちを送り出して、その時間にはきっと市場へ行くようにと言った。
そのあくる日夜明けから町はごたごたにぎわっていた。わたしたちのとまっている
部屋から、馬車や荷車が下の
往来のごろごろした石の上をきしって行くのが聞こえた。
雌牛はうなるし、ひつじは鳴く。
百姓は
家畜にどなりつけたり、てんでんにじょうだんを言い合ったりしていた。
わたしたちはいきなり頭から着物をひっかぶって、六時には市場に着いた。
獣医が来るまえに、
選り取っておこうと思ったからである。
なんという美しい
雌牛であろう……いろんな色、いろんな形をしていた。太ったのもあれば、やせたのもあり、子牛を
連れたのもあった。馬もいたし、大きな太ったぶたは地べたに
穴をほっていた。小さなぽちゃぽちゃした赤んぼうのぶたは、いまにも生きながら皮をはがれでもするようにぶうぶう鳴いていた。
でもわたしたちは
雌牛よりほかには目にははいらなかった。それはみんな落ち着いて、おとなしく草を食べていた。かれらはまぶたをばちばち動かすだけで、わたしたちがしつっこく
検査するままに
任せていた。一時間もかかって調べたのち、わたしたちは十七頭気にいったのを見つけた。その一つ一つにちがった
特質があった。色の赤いのもあったし、白いのもあった。もちろんそんなことがいちいちマチアとわたしとの間に
議論をひき起こした。やがて
獣医がやって来た。わたしたちは
好きな
雌牛をかれに見せた。
「ぼくはこれがいいと思います」とマチアは白い雌牛を指さしながら言った。
「ぼくはあのほうがいいと思います」とわたしは赤い雌牛を指さして言った。
獣医はしかしその両方の前を知らん顔で通り
過ぎて、わたしたちのやりかけた
争論を中止させた。そして第三の
雌牛に向かった。この牛はほっそりしたすねをして、赤い
胴に茶色の耳とほおをして、目は黒くふちをとって、口の回りに白い
輪がはいっていた。
「これがおまえさんたちのお
望みの牛だ」と
獣医が言った。
まったくこれはすばらしかった。マチアとわたしは、今度こそなるほどこれがいちばんいいと思った。
獣医はその
雌牛のはづな(口につけて引くつな)をおさえていたにぶい顔の
百姓に、その雌牛の
値段はいくらかとたずねた。
「三百フラン」とその男は答えた。
わたしたちのくちびるは下に下がった。ああ三百フラン。わたしは
獣医に向かって、ほかの牛に
移らなければという手まねをした。かれはまたかけ合ってみせるという合図をした。そのときはげしい
談判が獣医と
百姓の間に始まった。わたしたちのかけ合い人は百七十フランまで
値切った。百姓は二百八十フランまでまけた。この
値段まで下げてくると、獣医は
雌牛をもっと
批評的に調べ始めた。この雌牛は足が弱かったし、首が短すぎたし、
角が長すぎた。
肺臓が小さくって、
乳首の形が悪かった。どうしてこれではたんと乳は出まい。
百姓はわたしたちが
雌牛のことをそんなにくわしく批評するので、きっと世話もよく行き
届くだろうから、二百五十フランにまけてあげようと言った。
そうなるとわたしたちは心配になり始めた。マチアもわたしも、ではろくでもない牛にちがいないと思った。
「もっとほかのを見ましょう」とわたしは
獣医の手をおさえて言った。それを聞くと、
百姓は十フランまけた。それからだんだんにせり下げて、二百十フランまできて、そこで止まった。獣医はわたしのひじをついて、いま
雌牛の悪口を言ったのは、本気ではない。ほんとうはすばらしい牛だという意をさとらせた。でも二百十フランはわたしたちにとってはたいした金であった。
そのあいだにマチアは
雌牛の後ろへ行って、そのしっぽから一本長い毛を引きぬいた。すると牛はおこって、かれをけりつけた。これでわたしの考えが決まった。
「二百十フランで買おう」わたしは
事件が
解決したと思って、そう言いながら牛のはづなを取ろうとした。
「おまえさん、つなを持って来たか」と
百姓は言った。「わしは牛は売るがはづなは売らないぞ」こう言ってかれは、せっかくおなじみになったのだから、
特別ではづなを六十スーで売ってやると言った。はづなは入り用であったから、もうあとそれでわたしのふところには二十スーしか
残らないと思いながら、六十スー出した。それで二百十三フランを数えて、それから手を出そうとした。
「おまえさん、なわを持っているか」と
百姓は言った。「わしははづなは売っても、なわは売らないぞ」
それで
最後の二十スーも消えてしまった。
これで
雌牛はとうとうわたしたちの手にわたった。けれどわたしたちは牛に食べ物を買ってやるにも、自分が食べるにも、一スーの金ももう
残らなかった。
獣医にはていねいに世話になった礼を言って、手をにぎってさようならを言った。そして
宿屋に帰ると、
雌牛をうまやにつないだ。
きょうは町に市場があるので、ひどくにぎわって、ほうぼうから人が集まってもいたから、マチアとわたしは
別べつに出かけて、いくらお金ができるか、やってみることに
相談を決めた。
その夕方、マチアは四フラン。わたしは三フランと五十サンチーム持って帰った。七フラン五十サンチームのお金で、わたしたちはまたお金持ちになった。女中にたのんで
雌牛の
乳をしぼってもらったので、夕食には
牛乳があった。これほどうまいごちそうを、わたしたちは味わったことはなかった。わたしたちは
乳のいいのにめちゃめちゃにのぼせ上がってしまって、食事がすむとさっそくうまやへ出かけて、わたしたちの
宝物をだいてやりに行った。
雌牛はいかにも
優しくしてもらったのがうれしいらしく、その返礼にわたしたちの顔をなめた。
わたしたちは
雌牛をキッスしたり、雌牛からキッスされて感じるゆかいさを人一
倍感じるわけがあった。それにはマチアもわたしも、これまでけっして人からちやほやされすぎたことがなかったということを
記憶してもらわなければならない。わたしたちの生まれ合わせは、ほかのあまやかされて
育った子どもたちが、あんまり多いキッスにへいこうしてそれをさけなければならないのとは、大ちがいであった。
そのあくる朝、わたしたちは太陽といっしょに起きて、シャヴァノン村に向かって出発した。わたしはマチアがあたえてくれた助力に、どれほど
感謝していたであろう。かれなしには、わたしはけっしてこんな大金をためることはできなかった。わたしはかれに
雌牛を引いて行く楽しみをあたえようと思った。そこでかれはたいへん
得意らしく雌牛のつなを引いて行くと、わたしはあとからついて行った。かの女はひじょうにりっぱに見えた。それは
大様にすこしゆれながら、自分で自分の
値打ちを知っているけものらしく歩いていた。わたしは雌牛をくたびれさせないようにしたいと思ったので、その
晩おそくシャヴァノンに着くことはよして、それよりもあしたの朝早く行く計画にした。ところがそのうちにこういうことが起こった。
わたしはその
晩、むかし
初めてヴィタリス親方ととまって、カピが悲しそうなわたしを見てそばへ来てねてくれた、あの村にとまることにした。
この村にはいるまえにわたしたちはきれいな青い草の生えた所に来た。荷物をほうり出してわたしたちはそこで休むことにした。わたしたちは
雌牛をみぞの中に放してやった。
初めはなわで引いていようと思ったが、この雌牛はたいへんすなおで、草を食べることによく
慣れているようであったので、わたしはしばらくつなを牛の角に
巻きつけて、そのそばにこしをかけて
晩飯を食べ始めた。もちろんわたしたちは雌牛よりずっとまえに食べてしまった。そこでさんざん雌牛を感心してながめたあとで、これからなにをしようというあてもないので、わたしたちはしばらく遊んでいた。それがすんでも牛はまだ食べていた。わたしがそばへ行くと、
雌牛は草の中に
固く首をつっこんでいて、まだ
腹が
減っているというようであった。
「すこし待ってやりたまえ」とマチアが言った。
「だってきみ、雌牛は一日だって食べているんだぜ」とわたしは答えた。
「まあ、しばらく待ってやりたまえ」
わたしたちはもう
背嚢と
楽器をしょったが、まだ牛はやめなかった。
「ぼくは牛のためにコルネをふいてやる」と、じっとしていられないマチアが言った。「ガッソーの曲馬には、音楽の
好きな
雌牛がいたよ」
かれはゆかいなマーチをふき始めた。
初めの音で、雌牛は頭を上げた。するととつぜんわたしがかれの角にとびかかってつなをおさえるまもないうちに、かの女はとっとっとかけ出した。わたしたちはいっしょうけんめい、止まれ、止まれと
呼びながら、あとから追っかけた。わたしはカピに牛を止めるように声をかけた。だがだれでも
万能ということはできない。
牛飼い、馬飼いの犬なら鼻づらにとびついたであろうが、カピは牛の足にとびついた。
牛はとうとうわたしたちが通って来た
最後の村までかけもどった。道はまっすぐであったから、遠方でもその
姿を見ることができた。おおぜいの人が通り道をふさいでつかまえようとしているのも見えた。わたしたちは牛を
見失う気づかいはないと思ったので、すこし
速力をゆるめた。こうなるとしなければならないことは、牛を止めてくれた人たちから、それを受け取ることであろう。
わたしたちがそこへ着いたとき、おおぜいの人間がもう集まっていた。そしてわたしたとが考えていたように、すぐに牛をわたしてはくれないで、どうして牛を手に入れたか、どこから牛をとって来たかをたずねた。
かれらはわたしたちが牛をぬすんだこと、そして牛は持ち主の所へかけて帰ろうとしたのだということを
主張いた。かれらはほんとうのことがわかるまで、わたしたちは
牢屋へ行かなければならないと
宣告した。牢屋と言われたばかりで、わたしは青くなって、どもり始めた。おまけにさんざんかけて息が切れていたので、ひと言もものが言えなかった。そこへちょうど
巡査がやって来た。二言三言で全体の
事件が
説明された。それを聞いてもいっこうはっきりしないことであったから、とにかくかれは
雌牛を
預かること、それがわたしたちのものだというあかしの立つまで、わたしたちを
拘留することに決めた。村じゅうが行列を作って、わたしたちのあとに
続いて、ちょうど
警察署をかねていた町の役場までつながった。やじうまがわたしたちをつついたり白い歯を見せたり、ありったけひどい名前で
呼んだりした。
巡査が
保護してくれなかったら、かれらはひどい
大罪人でもあるように、わたしたちを
私刑に行なったかもしれなかった。
役場を
預かっている人で、
典獄(刑務所の役人)と
代理執行官をかねていた人は、わたしたちを
牢に入れることを
好まなかった。わたしはなんという親切な人だろうと思ったけれど、
巡査はあくまでわたしたちを
拘留しなけばならないと言った。そこで典獄は二重になっているドアに、大きなかぎをつっこんで、わたしたちを
牢に入れてしまった。中へはいってはじめて、なぜ
典獄がわたしたちを中へ入れることをおっくうがったかそのわけがわかった。かれはねぎをこの中へ
干しておいた。それがどのこしかけにも
置いてあった。かれはそれをみんなすみっこに
積み
重ねた。わたしたちはからだじゅう
捜索されて、金もマッチもナイフも取り上げられた。それからその
晩は
閉じこめられることになった。
「ぼくをぶってくれたまえ」とわたしたちだけになると、マチアが
情けなさそうに言いだした。
「ぼくの耳をぶつか、どうでも気のすむようにしてくれたまえ」
「ぼくも
雌牛のそばで、コルネをふかせるなんて、大きなばかだった」とわたしも答えた。
「ああ、ぼくはそれをずいぶん悪いことに思っている」かれはおろおろ声で言った。「かわいそうな雌牛、王子さまの雌牛」とかれは
泣き始めた。
そのときわたしはかれに、これはそんなにむずかしいことではないわけを話してなぐさめようとした。
「ぼくたちは
雌牛を買ったあかしを
立てればいいのだ。ユッセルの
獣医の所へ使いをやればいい……あの人が
証人になってくれる」
「でもそれを買った金までもぬすんだものだと言われたら」とかれは言った。「わたしたちはそれをもうけた
証拠がない。運悪くゆくと、みんなはどこまでも
罪人だと思うだろう」
これはまったくであった。
それにさしあたりだれか牛を
養ってくれるだろうかと、マチアががっかりして言った。
「まあ、みんなが牛は養っていてくれるだろうよ」
「あしたたずねられたら、なんと言うつもりだ」とマチアが聞いた。
「ほんとうのことを言うさ」
「そうなれば、あの人たちはきみをバルブレンの手にわたすだろう。バルブレンのおっかあが一人きりだったら、あの人に向かってわたしたちの言うことがうそかどうか聞こうとする。そうなればもうあの人の
不意を
驚かすことができなくなる」
「おやおや」
「きみはバルブレンのおっかあとは長いあいだ
別れている。あの人がもう死んでしまって、いないとも
限らない」
このおそろしい考えだけはついぞこれまでわたしも起こしたことがなかった。でもヴィタリス
老人も死んだ……わたしはかの女までも
亡くしたかもわからない、という考えが、どうしてこれまで起こらなかったろう。
「なぜきみはそれを先に言わなかった」とわたしは言った。
「だってつごうのいいじぶんには、そんな考えは起こらなかったからさ。ぼくはきみの
雌牛をバルブレンのおっかあにおくるという考えでずいぶんうれしくなっていた。あの人がどんなに
喜ぶだろうと思うと、死んでいるかもしれないなんていう考えはてんで起こらなかった」
こう何事につけても悪いはうばかり見るのは、この暗い
部屋のせいにちがいなかった。
「それから」とマチアはとび上がって、両うでをふり上げながら言った。「バルブレンのおっかあが死んで、あのこわいバルブレンのほうが生きていて、そこへぼくたちが行ったら、きっと
雌牛を取り上げて自分のものにしてしまうだろう」
午後おそくなって、ドアが開かれ、白いひげを生やした
老紳士が
拘留所にはいって来た。
「こら
悪党ども、このかたに答えするのだぞ」といっしょについて来た
典獄が言った。
「それでよろしい」と
紳士は言った。この人は
検事であった。「わしは自分でこの子を
尋問する」
こう言ってかれは指でわたしをさし
示した。
「きみはもう一人の子を
預かっていてもらいたい。そのほうはあとで調べるから」
わたしは
検事と二人になった。じっとわたしの顔を見つめながらかれは、わたしが
雌牛をぬすんだとがで
告発されていることを
告げた。
わたしはかれに
雌牛をユッセルの市場で買ったことを話して、買うときに世話をしてくれた
獣医の名前を言った。
「それは調べることにしよう」とかれは答えた。「さてなんの
必要でその雌牛を買ったのだ」
わたしは、それを
養母へ
愛情のしるしとしておくるつもりであったと言った。
「その女の名は」とかれはたずねた。
「シャヴァノン村のバルブレンのおかみさん」とわたしは答えた。
「ああ、五、六年まえパリで
災難に会った
石工の
家内だな。それも知っている。調べさせよう」
「まあでも……」
わたしはすっかり
困ってしまった。わたしの
当惑を見つけて、
検事は
厳しく問いつめた。そこでわたしは、
検事がもしバルブレンのおかみさんを調べることになると、せっかくの
雌牛がちっとも
不意ではなくなること、しかも不意のおくり物でおどろかすというのがわたしたちの第一の
目的であったことを
告げた。
けれどこんなことでまごまごしている
最中に、バルブレンのおっかあのまだ生きていることを知って、わたしは大きな
満足を感じた。そのうえわたしに向けられた
質問のあいだに
亭主のバルブレンがすこしまえパリに帰ってしまったことをも知った。これはわたしをゆかいにした。するうちにとうとうマチアがおそれていた
質問が出て来た。
だがどうして
雌牛を買うだけの金を
得たか。
わたしはパリからヴァルセまで、それからヴァルセからユッセルまで、一スー一スーとこれだけの金を
積みたてたことを
説明した。
「でもおまえ、ヴァルセではなにをしていた」とかれはたずねた。
それからわたしは、いやでもかれに
鉱山の
椿事を話さなければならなかった。
「ではおまえたち二人のうち、どちらがルミだ」とかれは声を
優しくしてたずねた。
「ぼくです」とわたしは答えた。
「それがほんとうなら、おまえはその
事件がどうして起こったか言ってみよ。わたしはその事件を
残らず新聞で読んでいる。わたしをあざむくことはできないぞ。おまえがまったくルミであるか、ないか、わたしにはわかる。用心しなさい」
わたしはかれがわたしたちに対してひじょうに
優しい心持ちになっていることを見ることができた。わたしはかれに
鉱山での
経験をくわしく語った。
話をしてしまうと、わたしはほとんど優しくなっていたかれの
態度から、すぐにもわたしたちを
放免してくれるかと思った。けれどもそうはしないで、かれはわたしを一人心配なまま
部屋に
残して出て行った。しばらくしてかれは、マチアを
連れてもどって来た。
「わたしはユッセルへ、おまえの話の
真偽を
確かめさせにやる」とかれは言った。「幸いそれが
真実なら、あしたは放免してやる」
「それから
雌牛は」とマチアは心配そうにたずねた。
「おまえたちに返してやる」
「ぼくの言うのはそうではないんです」とマチアが答えた。「だれか
雌牛に食べ物をやっていますか。
乳をしぼっていますか」
「まあ、心配しなさんな」と
検事が言った。
マチアは
満足して、にっこり
笑った。
「ああ、では
雌牛の乳をしぼったら、ぼくたちも
晩にすこしいただけないでしょうか」とかれはたずねた。
「それはいいとも」
わたしたち二人だけになると、わたしはマチアに、ほとんど自分たちが
拘留されていることを
忘れさせるほどのえらい
報告をした。
「バルブレンのおっかあは生きているし、バルブレンはパリへ行っている」とわたしは言った。
「ああ、では『王子さまの
雌牛』もいばって乗りこめるわけだね」
かれはうれしがっておどりをおどったり、歌を歌いだした。かれの元気につりこまれて、わたしはかれの手をつかまえた。カピはそのときまですみっこに
静かに考えこんで
転がっていたが、はね上がって後足で立ちながら、わたしたちの間に
割りこんで来た。それからは三人いっしょになってめちゃくちゃにおどり回ったので、
典獄なにが始まったかと思って、とびこんで来た。たぶんねぎが気になったのであろう。かれはわたしたちにやめろと言ったが、さっきまでの様子とはだいぶ
変わっていた。その様子でわたしはもうたいしたことはないとさとった。そのうえもう一つの
証拠には、しばらくたつとかれは大きなはちに
牛乳を入れて持って来た。わたしたちの
雌牛の
乳である。しかもそれだけではなかった。かれは白パンの大きな切れと
冷たい子牛の肉を持って来て、これは
検事さんからの
届け
物だと言った。
どうして、こうなると
牢屋もそんなに悪い所ではなかった。ただでごちそうを食べさせて、とめてくれるのだもの。
バルブレンのおっかあ
そのあくる朝早く、
検事はあのわれわれのお友だちの
獣医君といっしょにやって来た。獣医君はなんでもわたしたちが
放免になるのを
見届けたいといって、わざわざやって来てくれたのであった。
いよいよわたしたちが出て行くときに、
検事は一
枚、お役所の
印をおした紙をくれた。
「そら、これをあげるからね」とかれは言った。「どうも
手形も持たないでいなかを歩くなんというのはとんだばかな子どもたちだ。わたしは市長にたのんで、おまえたちにこの
旅行券を出してもらった。なんでもこれからは、これだけ見せればおまえたちは
保護してもらえる。ではごきげんよう、子どもたち」
わたしはかれと
握手した。それから
獣医君とも握手した。
わたしたちはみじめなざまで村へはいったが、今度はいばって出て行くのであった。
雌牛のつなを引きながら、首を高く上げて歩いて、戸口に立ってわたしたちを見ている村のやつらを
肩の上から見てやった。
わたしは雌牛をつかれさせたくなかったが、きょうはどうしてもシャヴァノンまで急いで行かなければならないので、わたしたちはせかせか歩き出した。もう
晩がた近く、わたしたちはむかしのうちに着きかけていた。
マチアはどら
焼きを食べたことがなかった。そこでわたしは着いたらさっそくこしらえて食べさせるやくそくをして、とちゅうでバターを一ポンドと
麦粉を二ポンドに、
卵を十二買いこんだ。
わたしたちはいよいよ、
初めてヴィタリス親方が、わたしを休ませてくれた場所に着いたので、わたしはあのときこれが
見納めだと思ったその場所から、バルブレンのおっかあのうちをもう一度見下ろすことができた。
「つなを持っていてくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
一とびでわたしはこしかけの上に乗った。谷の中の
景色にはなにも
変わったものはなかった。それはそっくり同じに見えた。けむりまで同じようにえんとつから上がっていた。そのけむりがわたしたちのほうへなびいて来ると、かしの葉のにおいがすっと鼻をかすめたように思われた。
わたしはこしかけからとび下りて、マチアをだきしめた。カピがわたしにとびついて来た。わたしは二人をいっしょにして、
固く固くしめつけた。
「さあ、こうなれば少しでも早く行こうよ」とわたしはさけんだ。
「
情けないことだなあ」とマチアがため息をついた。「このけものさえ音楽が
好きなら、どんなにもどうどうと、
凱旋の曲を
奏しながらはいって行けるのだけれど」
わたしたちが
往来の曲がり角まで行くと、バルブレンのおっかあが小屋から出て来て、村の往来の方角へ向かって行くのを見つけた。どうしよう。わたしたちはかの女にいきなり
不意討ちを食わせるくわだてをしていた。わたしたちはなにかほかのしかたを考えなければならなくなった。ドアにはいつでもかけ金だけかかっていることを知っていたので、わたしたちは
雌牛を牛小屋につないで、ずんずんうちの中にはいって行くことにした。小屋の中はまきがいっぱいはいっていた。そこでわたしたちはそれをすみに
積み上げて、ルセットの代わりに
連れて来た雌牛を入れた。
それからわたしたちがうちの中にはいると、わたしはマチアに言った。
「じゃあ、それではぼくはこの
炉ばたにこしをかけよう。するとはいって来てぼくのここにいるのを見つけるからね。門を開けるときりきりという音がするから、そのとききみはカピといっしょにかくれたまえ」
わたしはむかしいつも冬の
晩になるとすわったそのいすの上にかけた。わたしはできるだけ小さく見えるように、
背中を
丸くしていた。こうして少しでもあのバルブレンのおっかあのかわいいルミに近い様子を作ろうとした。わたしのすわっている所から門はよく見えた。わたしは門のほうに気を取られて見ていた。
なにも
変わってはいなかった。なにかが同じ場所にあった。わたしのこわした
窓ガラスにはまだ小さな紙がはりつけてあった。それがすすと年代で黒茶けていた。
ふとわたしは白いボンネットを見つけた。門はきりきりと開いた。
「きみ、早くかくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
わたしは自分をよけい小さく小さくした。ドアが開いて、バルブレンのおっかあがはいって来た。はいると、かの女は目を
丸くしてわたしを見た。
「どなたですえ」とかの女はびっくりしてたずねた。
わたしは返事をしないで、かの女のほうを見た。かの女はわたしを見返した。ふとかの女はふるえだした。
「おやおや、おまえさん、ルミだね」とかの女はつぶやいた。
わたしはとび上がって、かの女を両うででおさえた。
「おっかあ」
「おお、ぼうや、ぼうや」これがかの女の言ったすべてであった。かの女はわたしの
肩に頭をのせていた。
数分間たって、わたしたちはやっと感動をおさえることができた。わたしはかの女のなみだをふいてやった。
「まあ、おまえ、なんて大きくおなりだろうねえ」うでいっぱいにわたしをおさえてみてかの女はこうさけんだ。「おまえ、ずいぶん大きくおなりだし、じょうぶそうになったねえ。ええ、ルミ」
息をつめた鼻声で、マチアの
寝台の下にいることを思い出したわたしは、かれを
呼んだ。かれはのこのこはい出して来た。
「マチアです」とわたしは言った。「ぼくの兄弟のね」
「おお、ではおまえ、ご両親にお会いかえ」とかの女はさけんだ。
「いいや、これはぼくの
仲よしです。でもほんとうの兄弟同様なんです。それからこれがカピです」とかの女がマチアとあいさつをすますとわたしはこうつけ加えた。「さあ、カピターノ、ご主人さまのお母さんにごあいさつしろ」
カピは後足で立って、もったいらしくバルブレンのおっかあにおじぎをした。かの女は
腹をかかえて
笑った。これでかの女のなみだはすっかり消えてしまった。マチアはわたしに向かっていよいよ
不意討ちにとりかかれという合図をした。
「さあ、行って庭がどんなふうになっているか見て来よう」とわたしは言った。
「わたしはおまえさんの花畑はそっくりそのままにしておいたよ」とかの女は言った。「いつかおまえがまた帰って来るだろうと思ったからねえ」
「ぼくのきくいもを食べましたか」
「ああ、おまえはわたしに
不意討ちを食わせるつもりで、あれを植えたんだね。おまえはいつも人をびっくりさせることが
好きだったから」
いよいよそのしゅんかんが来た。
「牛小屋はルセットがいなくなってから、そのままになっているの」とわたしはたずねた。
「いいえ。あすこにはこのごろまきがはいっているよ」
そうかの女が言うころには、わたしたちはもう牛小屋に着いていた。わたしはドアをおし開けた。するとさっそくおなかの
減っていた
雌牛が「もう」と鳴きだした。
「雌牛だよ。まあ、牛小屋に雌牛がさ」とバルブレンのおっかあがさけんだ。
マチアとわたしはぷっとふき出した。
「これも
不意討ちさ」とわたしがさけんだ。「でもきくいもよりかずっといいでしょう」
かの女はぽかんとした顔をして、わたしをながめた。
「ええ、これがおくり物ですよ。ぼくはあの小さな
迷子の子どもに、あれほど
優しくしてくれたおっかあの所へ、
空っ
手では帰れなかった。これがルセットの代わりです。マチアとぼくとでもうけたお金でそれを買って来たのです」
「まあ、ねえ」とかの女はさけんで、わたしたち二人にキッスした。
かの女はいまおくり物を
検査するために、小屋の中へはいって行った。一つ一つ見つけては、かの女は
歓喜のさけび声を立てた。
「なんというりっぱな
雌牛でしょうね」とかの女はさけんだ。しばらくするとかの女はとつぜんふり向いた。
「まあおまえ、いまではきっとたいしたお金持ちなんだね」
「お金持ちですとも」とマチアが
笑った。「ぼくたちはかくしに五十八スー
残っています」
わたしは
乳おけを取りにうちへかけて行った。そしてうちの中にいるあいだにバターと
卵と
麦粉を
食卓が上にならべて、それから小屋までかけてもどった。乳おけに美しいあわの立つ乳が七分目まであふれているのを見たときに、どんなにかの女は
喜んだであろう。
それからかの女は食卓の上にどら
焼きをこしらえる仕度のできあがっているのを見ると、また大喜びをした。そのどら焼きを死ぬほど食べたがっている人がいるのだとわたしは言った。
「ではおまえさんたちはバルブレンさんがパリへ行ったことを知っていたにちがいないね」とかの女は言った。わたしはそこで、それを知ったわけを話した。
「どうしてあの人が行ったか、話してあげよう」とかの女は意味ありげにわたしの顔をながめて言った。
「まあ先にどら
焼きを食べようよ」とわたしは言った。「あの人のことは言わないことにしよう。ぼくはあの人が四十フランでぼくを売ったことを
忘れない。あの人がこわいんで、あの人がまたぼくを売るのがこわいんで、ぼくはここへ様子を知らせることをがまんしていたのだ」
「ああ、きっとそれはそうだと思うよ」とかの女は言った。「でもバルブレンさんのことを悪くお言いでないよ」
「まあ、どら
焼きを食べようよ」とわたしはかの女にぶら下がりながら言った。
わたしたちはみんなでさっそく
材料をこなし始めた。そしてまもなく、マチアとわたしはどら焼きに
舌つづみをを打った。マチアはこんなうまいものを食べたことはないと言った。わたしたちが一さらを
平らげると、すぐにつぎのさらにかかった。カピもおすそわけにあずかりに来た。バルブレンのおっかあは、犬にどら焼きをやるなんてもったいないと言ったが、わたしたちはカピが
一座の
主な役者で、そのうえ天才であることを
説明して、なんによらずだいじにあつかっているのだと言い聞かした。
やがてマチアがあしたの朝使うまきを取りに出て行ったあいだに、かの女はバルブレンがなぜパリへ行ったか話して聞かせた。
「おまえの家族の人たちがおまえを
探しているのだよ」とかの女はほとんど聞こえないほどの小声で言った。「バルブレンがパリへ出かけたのは、そのためなのだよ。あの人はおまえを探しているのだよ」
「ぼくの家族」とわたしはさけんだ。「おお、わたしにも家族があるのですか。話してください。
残らず。ねえ、おっかあ。バルブレンのおっかあ」
このときふとわたしはこわくなってきた。わたしは自分の一家がほんとうに自分を探していることを
信じなかった。バルブレンはまたわたしを売るために、わたしを探そうとしているのだ。今度こそわたしは売られるものか。
こう言ってわたしはバルブレンのおっかあにその心配を話した。けれどかの女はそうではない、わたしの一家がわたしを
探しているのだと言った。
それからかの女はいつか一人の
紳士がこのうちへやって来て、外国のなまりのあることばで話をして、いく年かまえパリで拾った赤子はどうしたかとバルブレンにたずねたことを話した。するとバルブレンはその人に、ぜんたいそれになんの用があるのだと言ったそうだ。この返事はいかにもバルブレンのしそうな返事であった。
「ほら、パン
焼き
場から、台所で言っていることはなんでも聞こえるだろう」とバルブレンのおっかあが言った。「二人がおまえさんの話をしているときわたしはむろん聞いていた。わたしはもっとそばに
寄って、そこでまきを
折っていた。
『おや、だれかいますね』とその
紳士はバルブレンに言ったよ。
『ええ、います。なあに
家内ですよ』とあの人は答えた。すると、そのお客は『台所はたいへんむし暑いからいっそ外へ出て話しましょう』と言った。二人は出かけて行って、三時間あとでバルブレンだけが一人で帰って来た。わたしはあの人からなにかを
残らず聞き出そうとしたが、あの人がやっと言ったことは、さっきのお客がおまえを
探していること、でもその人はおまえのお父さんではないこと、それから百フラン、お金をくれたことだけだった。たぶんあの人はそののちもっともらったろう。そういうことがあるし、あの人がおまえさんを拾ったときりっぱな着物をおまえさんが着ていたというから、おまえさんので両親はきっとお金持ちにちがいないと思うのだよ。それからジェロームはパリへ行って来ると言ってね」とかの女は
続けた。「おまえさんをやとい入れた
音楽師を
訪ねるためにね。あの音楽師がおまえさんを
連れて行ったときの話では、ルールシーヌ
街のガロフォリという男にあてて手紙をやれば着くと言っていたそうだよ」
「それで、バルブレンさんが出かけてから、なにか
便りがありましたか」とわたしはたずねた。
「いいえ、ひと言も」とかの女は言った。「わたしはあの人が町のどこに住んでいるかも知らないよ」
ちょうどそこへマチアがはいって来た。わたしは
興奮しながら、かれに向かって、わたしにうちのあること、両親がわたしを
探していることを話した。かれはわたしのために
喜ぶとは言ったが、わたしだけのゆかいと興奮をともに分けて感じているとは見えなかった。
古い友だちと新しい友だち
わたしはその
晩すこししかねむらなかった。バルブレンのおっかあはわたしに、パリへ向けてたつこと、そして着いたらすぐにバルブレンを見つけて、せっかく少しでも早くわたしを見つけようとしている両親も
喜ばせてやることを
勧めた。わたしはかの女と五、六日ここに
過ごしたいと
望んでいたが、でもかの女の言うことももっともだと思った。
わたしはしかし行くまえにリーズに会いに行かなければならない。それには
運河に
沿って行ってパリへ行けるのだから、してできないことはなかった。リーズのおじさんは水門の番人をしていて、
河岸の小屋に住んでいるのだから、そこへとまってかの女に会うことはできる。
わたしはその日一日バルブレンのおっかあとくらした。夕方わたしたちは、いまにわたしがお金持ちになったら、かの女になにをしてやろうかということを話し合った。かの女は
欲しい物をなんでも持たなければならない。わたしにお金ができれば、どんな
望みだってかなえてやれないということはないであろう。
「でもおまえがびんぼうでいるあいだにくれた
雌牛は、お金持ちになったときくれられるどんな物よりもわたしにはずっとうれしいだろうよ」とかの女はほくほくしながら言った。
そのあくる日、
好きなバルブレンのおっかあに
優しいさようならを言ってから、わたしたちは
運河の岸についで歩き出した。
マチアはたいへん考えこんでいた。そのわけをわたしは知っていた。かれはわたしにお金持ちの両親ができることを悲しがっていた。それがわたしたちの
友情に
変化を起こすとでも思ったらしかった。わたしはかれに、そうなれば学校へ行って、いちばんえらい先生について音楽を勉強することができるのだからと言ったが、かれは悲しそうに頭をふった。わたしはかれが兄弟としていっしょのうちに住むようになること、わたしの両親もわたしの友だちのことだからそっくりわたし同様に
愛してくれるだろうと思ったということを話したが、まだかれは首をふっていた。
しかしさしあたりわたしはまだそのお金持ちの両親の金を使うまでにならないので、通りすがりの村むらで、食べ物を買うお金を取らなければならなかった。それにリーズにおくり物を買ってやるお金も少しこしらえたかった。バルブレンのおっかあはあの
雌牛を、わたしがお金持ちになってからなにをもらったよりもずっとありがたいと言ったが、きっときっとリーズもこのおくり物と同じように考えるだろうと思った。わたしはかの女に人形をやろうと思った。幸い人形は
雌牛のように高くはなかった。わたしたちが通ったつぎの村で、わたしは美しい
髪の
毛と、青い目をしたかわいらしい人形をかの女のために買った。
運河の岸を歩きながら、わたしはたびたびミリガン
夫人と、アーサと、それからかれらの美しい
小舟のことを思い出していた。その小舟に
運河の上で出会いはしないかと思っていたが、でもわたしたちはついにそれを見なかった。
とうとうある日の夕方、わたしたちはリーズの住んでいるうちを遠方から見る所まで来た。それは木のしげった中にあった。きりでかすんだ中にあるらしかった。大きな
炉の明かりに
照らされた
窓を見ることもできた。だんだんとそばに近づくに
従って、赤みを持った光が、わたしたちの通り道に投げられた。わたしの
心臓はとっとっと打った。わたしはかれらがそのうちの中で
夕飯を食べている
姿を見ることができた。ドアと
窓は
閉じられていたが、窓にはカーテンがなかったから、わたしは中をのぞきこんで、リーズがおばさんのそばにすわっているところを見た。わたしはマチアとカピに
静かにするように合図をして、それから
肩からハープを下ろして、それを地べたの上に
置いた。
「ああ、なるほど」とマチアがささやいた。「セレナードをやるか。なるほどうまい考えだ」
わたしは
例のナポリ
小唄の第一
節をひいた。声でさとられてはいけないと思って歌は歌わなかった。わたしはひきながら、リーズのほうを見た。かの女は急いで顔を上げたが、その目はかがやいていた。
それからわたしは歌い始めた。かの女はいすからとび下りて、戸口へかけて来た。まもなくかの女はわたしのうでにだかれていた。
カトリーヌおばさんがそれから出て来て、わたしたちを
夕飯に
呼んでくれた。リーズは急いで
食卓の上におさらを二つならべた。
「おいやでなければ」とわたしは言った。「もう一
枚おさらを出してください。ぼくたちはもう一人かわいらしいお友だちを
連れて来ました」
こう言ってわたしは
背嚢から人形を出して、リーズのおとなりのいすにのせた。そのときのかの女の目つきをわたしはけっして
忘れることはできない。
バルブレン
パリへ行くのを急ぎさえしなかったら、わたしはリーズの所にしばらく足を止めていたであろう。わたしたちはおたがいにあれほどたくさん言うことがあって、しかもおたがいのことばではずいぶんわずかしか言えなかった。かの女は手まねでおじさんとおばさんがどんなに
優しく自分にしてくれるか、船に乗るのがどんなにおもしろいかということを話した。わたしはかの女にアルキシーの
働いている
鉱山で
危なく死にかけたこと、わたしのうちの者がわたしを
探していることを話した。それがためパリへも急いで行かなければならないし、エチエネットの所へ会いに行くことができなくなったことを話した。
もちろん話は、たいていお金持ちらしいわたしのうちのことであった。そうしてお金ができたときに、わたしのしようと思ういろいろなことであった。わたしはかの女の父親と、
兄さんや
姉さんたちをとりわけかの女を幸福にしてやりたいと思った。リーズはマチアとちがってそれを
喜んでいた。かの女はお金さえあれば、たいへん幸福になるにちがいないと
信じきっていた。だってかの女の父親はただ
借金を返すお金さえあったなら、あんな
不幸な目に会わなかったにちがいないではないか。
わたしたちはみんなで――リーズとマチアとわたしと三人に、人形とカピまでお
供に
連れて、長い
散歩をした。わたしはこの五、六日ひじょうに幸福であった。夕方まだあまりしめっぽくならないうちは家の前に、それからきりが深くなってからは
炉の前にすわった。わたしはハープをひいて、マチアはヴァイオリンかコルネをやった。リーズはハープを
好いていたので、わたしはたいへん
得意になった。時間がたって、わたしたちが
別々にねどこへ行かなければならないときになると、わたしは、かの女のためにナポリ
小唄をひいて歌った。
でもわたしたちはまもなく
別れて
別の道を行かなければならなかった。わたしはかの女にじき帰って来ると言った。かの女に
残したわたしの
最後のことばは、
「ぼくは今度来るとき、四頭引きの馬車で来て、リーズちゃんを
連れて行くよ」というのであった。
そうしてかの女もわたしを
信じきって、あたかもむちをふるって馬を追うような身ぶりをした。かの女もまたわたしと同様に、わたしの
富とわたしの馬や馬車を目にうかべることができるのであった。
わたしはパリへ行くのでいっしょうけんめいであったから、マチアのために食べ物を買うお金を集めるのに、ときどき足を止めるだけであった。もう
雌牛を買うことも、人形を買うこともいらなかった。お金持ちの両親の所へお金を持って行ってやる
必要もなかった。
「取れるだけは取って行こうよ」とマチアは言って、
無理にわたしがハープを
肩からはずさなければならないようにした。「だってパリへ行っても、すぐにバルブレンが見つかるかどうだかわからないからねえ。そうなると、きみはあの
晩、
空腹で死にそうになったことを
忘れていると言われてもしかたがないよ」
「おお、ぼくは忘れはしない」とわたしは軽く言った。「でもきっとあの人は見つかるよ。待っていたまえ」
「ああ、でもあの日、きみがぼくを見つけたとき、お寺のかべにどんなふうによりかかっていたか、ぼくは
忘れない。ああ、ぼくはパリで
飢えて苦しむのだけはもうつくづくいやだよ」
「ぼくの両親のうちへ行けば、その代わりにたんとごちそうが食べられるよ」とわたしは答えた。
「うん。まあ、なんでも、もう一ぴき
雌牛を買うつもりで
働こうよ」とマチアは聞かなかった。
これはいかにももっともな
忠告であったが、わたしはもうこれまでと同じに
精神を打ちこんで歌を歌わなくなったことを
白状しなければならない。バルブレンのおっかあのために
雌牛を買い、またはリーズのために人形を買うお金を取るということは、まるっきりそれとはちがったことであった。
「きみはお金持ちになったら、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますますわたしはゆかいになった。そうしてマチアはますます
陰気になった。
わたしたちはどんなにしても
別れないと言いきっているのに、どうしてまだかれが悲しそうにしているのか、わたしはわからなかった。とうとうわたしたちはパリの大門に着いたとき、かれはいまでもどんなにガロフォリをこわがっているか、もしあの男に会ったらまたつかまえられるにちがいないという話をした。
「きみはバルブレンをどんなにこわがっていたか。それを思ったら、どんなにぼくがガロフォリをこわがっているかわかるだろう。あの男が
牢屋から出ていればきっとぼくをつかまえるにちがいない。ああ、この
情けない頭、かわいそうな頭、あの男はどんなにそれをひどくぶったことだろう。そうすればあの男はきっとぼくたちを引き分けてしまう。むろんあの人はきみをも子分にして使いたいであろうが、それをきみには
無理にも
強いることができないが、ぽくに対してはそうする
権利があるのだ。あの人はぼくのおじだからね」
わたしはガロフォリのことはなにも考えていなかった。
わたしはマチアと
相談をして、バルブレンのおっかあがそこへ行けば、バルブレンを見つけるかもしれないと言ったいろいろの場所へ行くことにした。それからわたしはリュー・ムッフタールへ行こう。それからノートル・ダーム寺の前でわたしたちは会うことにしよう。
わたしたちはもう二度と会うことがないようなさわぎをして
別れた。わたしはこちらの方角へ、マチアは向こうの方角へ向かった。わたしはバルブレンが
先に住んでいた場所の名をいろいろ紙に書きつけておいた。それを一つ、一つ、
訪ねて行った。ある
木賃宿では、かれは四年前そこにいたが、それからはいなくなったと言った。その
宿屋の
亭主は、あいつには一週間の
宿料の
貸しがあるから、あの
悪党、どうかしてつかまえてやりたいと言っていた。
わたしはすっかり気落ちがしていた。もうわたしの
訪ねる所は一か所しか
残っていなかった。それはあの
料理屋であった。そのうちをやっている男は、もう長いあいだあの男の顔を見ないといったが、ちょうど
食卓にすわって食べていたお客の一人が声をかけて、うん、あの男なら、近ごろオテル・デュ・カンタルにとまっていたと言ってくれた。
オテル・デュ・カンタルへ行くまえにわたしはガロフォリのうちへ行って、あの男の様子を見てマチアになにかおみやげを持って帰りたいと思った。そこの
裏庭へ行くと、
初めて行ったときと同様、あのじいさんがドアの外へきたないぼろをぶら下げているのを見た。
じいさんは返事はしないで、わたしの顔を見て、それからせきをし始めた。その様子で、わたしはガロフォリについてなんでも知っていることをよく向こうにわからせないうちは、この男からなにも聞き出すことができないことをさとった。
「おまえさん、あの人がまだ
刑務所にはいっているというのではあるまい」とわたしはさけんだ。「だってあの人はもうよほどまえに出て来たはずではないか」
「ええ、あの人はまた三か月食らったのだよ」
ガロフォリがまた三か月刑務所にはいっている。マチアはほっと息をつくであろう。
わたしはできるだけ早く、このおそろしい
路地をぬけ出して、オテル・デュ・カンタルへ急いで行った。わたしは
希望と
歓喜が
胸にいっぱいたたみこまれて、もうすっかりバルブレンのことをよく思いたい気になっていた。バルブレンという男がいなかったなら、わたしは赤んぼうのとき、寒さと
飢えのために死んでいたかもしれなかった。なるほどあの男はわたしをバルブレンのおっかあの手からはなして、よその人の手に売りわたしたにはちがいなかった。でもあのときはあの人もわたしに対してべつに
愛情もなかったし、たぶんお金のためにいやいやそれをしたのかしれなかった。とにかくわたしが両親を見つけるまでになったのは、あの人のおかげであった。だからもう、あの人に対してけっして悪意を持ってはならないはずであった。
わたしはまもなくオテル・デュ・カンタルに着いた、オテル(旅館)というのは名ばかりのひどい
木賃宿であった。
「バルブレンという人に会いたいのです。シャヴァノン村から来た人です」とわたしは
写字机に向かっていたきたならしいばあさんに向かって言った。かの女は、ひどいつんぼで、いま言ったことをもう一度くり返してくれと言った。
「バルブレンという人を知っていますか」とわたしはどなった。
そうするとかの女は大あわてにあわてて両手を空へ上げた。その
勢いがえらかったので、ひざに乗っかっていたねこが、びっくりしてとび下りた。
「おやおや、おやおや」とかの女はさけんだ。「おまえさんが、あの人のたずねていなすった子どもかい」
「おお、あなた、知っているの」とわたしはむちゅうになってさけんだ。「ではバルブレンさんは」
「死にましたよ」と、かの女は
簡潔に答えた。わたしはハープにひょろひょろとなった。
「なに、死んだ」とわたしはかの女に聞こえるほどの大きな声でさけんだ。わたしはくらくらとした。いまはどうして両親を見つけよう。
「おまえさんがみんなの
探していなさる子どもだね。そうだ、おまえさんにちがいない」とばあさんはまた言った。
「ええ、ええ、ぼくがその子です。ぼくのうちはどこです。わかりませんか」
「わたしはいま言っただけしか知りませんよ」
「バルブレンさんが、わたしの両親のことをなんとか言っていませんでしたか。おお、話してください」とわたしはせがむように言った。
かの女は天に向かって、高く両うでを上げた。
「ねえ、話してください。なんです。それは」
このしゅんかん、女中のようなふうをした女が出て来た。オテル・デュ・カンタルの女主人はかの女のほうへ向いた。
「たいへんなことではないか。この子どもさんは、この
若だんなは、バルブレンさんがあれほど言っていなすったご当人だとよ」
「でもバルブレンにぼくのうちのことをあなたに話しませんでしたか」とわたしはたずねた。
「それは聞きましたよ――百度もね。なんでもたいへん、お金持ちのうちだそうですねえ、
若だんな」
「それでどこに住んでいるのです。名前はなんというのです」
「それについてはバルブレンさんは、なにも話をしませんでしたよ。あの人はきみょうな人でしたよ。あの人は自分一人でお礼を
残らずもらうつもりでいたのですよ」
「なにか書き物を
置いては行きませんでしたか」
「いいえ、ただあの人がシャヴァノン村から来たということを書いたものだけです。その紙でも見つけなかったら、あの人のおかみさんの所へ死んだ知らせを出すこともできないところでしたよ」
「まあ、あなたは知らせてやりましたか」
「むろん、どうしてさ」
わたしはこのばあさんから、なにも知ることができなかった。わたしはしょんぼり戸口のほうへ向かった。
「おまえさん、どこへ行きなさる」とかの女はたずねた。
「友だちの所へ帰ります」
「ははあ、お友だちがありますか。それはパリにいるの」
「ぼくたちはけさ
初めてパリへ来たんです」
「へえ、あなたがたは、とまる所がなければ、まあこのうちへおいでなさいな。じゅうぶんお世話もするし、正直なうちですよ。そのおまえさんのおうちの人も、バルブレンさんから返事の来るのを待ちかねなすったら、きっとこのうちへ聞きに来るでしょう。そうすればおまえさんを見つけるはずだ。わたしの言うのはおまえさんのためですよ。お友だちはいくつになんなさる」
「ぼくよりすこし小さいんです」
「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」
オテル・デュ・カンタルは、わたしもおよそ知っている
限りでいちばんきたならしい
宿屋の一つであった。わたしはかなりきたない
宿屋をいくつか見ていた。
でもこのばあさんの言ってくれることは考え直す
値打ちがあった。それにわたしたちは
好ききらいをしてはいられなかった。わたしはまだりっぱなパリ風のやしきに住んでいる自分の家族を見つけなかった。なるほどこうなると道みち集められるだけの金を集めておきたい、とマチアの言ったのはもっともであった。わたしたちのかくしに十七フランの金がなかったらどうしよう。
「友だちとわたしとで
部屋の
代はいくらです」とわたしはたずねた。
「一日十スーです。たいしたことではないさ」
「なるほど。じゃあ
晩にまた来ます」
「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」とかの女は後ろから声をかけた。
夜のまくが下りた。
街燈はともっていた。わたしは長いこと歩いてノートル・ダームのお寺へ行って、マチアに会うことにした。わたしは元気がすっかりなくなっていた。ひどくつかれて、そこらのものは
残らず
陰気に思われた。この光と音のあふれた大きなパリでは、わたしはまるっきり
独りぼっちであることをしみじみ感じた。わたしはこんなふうでいつか自分の
親類を見つけることができるであろうか。いつかほんとの父親と、ほんとの母親に会うことになるであろうか。
やがてお寺へ来たが、マチアを待ち合わせるにはまだ二時間早かった。わたしは
今晩いつもよりよけいにかれの
友情の
必要を感じた。わたしはあんなにゆかいな、あんなに親切な、あれほど友人としてたのもしいかれに会うことにただ一つの楽しい
希望を持った。
七時すこしまえにわたしはあわただしいほえ声を聞いた。するとかげからカピがとび出した。かれはわたしのひざにとびついて、やわらかいしめった
舌でなめた。わたしはかれを両うでにだきしめて、その
冷たい鼻にキッスした。マチアがまもなく
姿を
現した。二言三言でわたしはバルブレンの死んだこと、自分の家族を見つける
望みのなくなったことを
告げた。
するとかれはわたしの
欲していたありったけの
同情をわたしに
注いだ。かれはどうにかしてわたしをなぐさめようと
努力した。そして
失望してはいけないと言った。かれはいっしょになって、まじめに両親を
探し出すことのできるようにしようと、心からちかった。
わたしたちはオテル・デュ・カンタルへ帰った。
捜索
そのあくる朝バルブレンのおっかあの所へ手紙を出して、
不幸のおくやみを言って、かの女の
夫の
亡くなるまえに、なにか
便りがあったかたずねてやった。
その返事にかの女は、夫が病院から手紙を
寄こして、もしよくならなかったら、ロンドンのリンカーン・スクエアで、グレッス・アンド・ガリーといううちへあてて手紙を出すように言って来たことを
告げた。それはわたしを
探している
弁護士であった。なおかれはかの女に向かって、自分が
確かに死んだと決まるまでは、手をつけてはならないとことづけて来たそうである。
「じゃあぼくたちはロンドンへ行かなければならない」とわたしが手紙を読んでしまうとマチアが言った。この手紙は村のぼうさんが
代筆をしたものであった。「その
弁護士がイギリス人だというなら、きみの両親もイギリス人であることがわかる」
「おお、ぼくはそれよりもリーズやなんかと同じ国の人間でありたい。だがぼくがイギリス人なら、ミリガン
夫人やアーサと同じことになるのだ」
「ぼくはきみがイタリア人であればよかったと思う」とマチアが言った。
それから数分間のうちにわたしたちの荷物はすっかり荷作りができて、わたしたちは出発した。
パリからボローニュまで道みち
主な町で足を止めて、八日がかりでやっとボローニュに着いたとき、ふところには三十二フランあった。わたしたちはそのあくる日ロンドンへ行く
貨物船に乗った。
なんというひどい
航海であったろう、かわいそうに、マチアはもう二度と海へは出ないと言い切った。やっとのことで、テムズ川を船が上って行ったとき、わたしはかれにたのむようにして、起き上がって外のふしぎな
景色を見てくれといった。けれどもかれは、今後も
後生だから一人うっちゃっておいてくれとたのんだ。
とうとう
機関が運転を止めて、いかりづなはおかに投げられた。そしてわたしたちはロンドンに
上陸した。
わたしはイギリス語をごくわずかしか知らなかったが、マチアはガッソーの
曲馬団でいっしょに
働いていたイギリス人から、たんとことばを教わっていた。
上陸するとすぐ
巡査に向かって、リンカーン・スクエアへ行く道を聞いた。それはなかなか遠いらしかった。たびたびわたしたちは道に
迷ったと思った。けれどももう一度たずねてみて、やはり正しい方向に向かって歩いていることを知った。とうとうわたしたちはテンプル・バーに着いた。それから二、三歩行けばリンカーン・スクエアへ着くのであった。
いよいよグレッス・アンド・ガリー
事務所の戸口に立ったとき、わたしはずいぶんはげしく
心臓が
鼓動した。それでしばらくマチアに気の
静まるまで待ってもらわねばならなかった。マチアが書記にわたしの名前と用事を
述べた。
わたしたちはすぐとこの事務所の主人であるグレッス
氏の
私室へ通された。幸いにこの
紳士はフランス語を話すので、わたしは自身かれと語ることができた。かれはわたしに向かってこれまでの細かいことをいちいちたずねた。わたしの答えはまさしくわたしがかれのたずねる少年であることを
確かめさせたので、かれはわたしに、ロンドンに住んでいるわたしの一家のあること、そしてさっそくそこへわたしを送りつけてやるということを話した。
「ぼくにはお父さんがあるんですか」とわたしは、やっと「お父さん」ということばを口に出した。
「ええ、お父さんばかりではなく、お母さんも、男のご兄弟も、女のご
姉妹もあります」とかれは答えた。
「へえ」
かれはベルをおした。書記が出て来ると、かれはその人にわたしたちの世話をするように言いつけた。
「おお、
忘れていました」とグレッス
氏が言った。「あなたの
名字はドリスコルで、あなたのお父上の名前は、ジョン・ドリスコル氏です」
グレッス氏のみにくい顔は
好ましくなかったが、わたしはそのときよほどかれにとびついてだきしめようと思った。しかしかれはその時間をあたえなかった。かれの手はすぐに戸口をさした。で、わたしたちは書記について外へ出た。
ドリスコル家
往来へ出ると、書記は
辻馬車を
呼んで、わたしたちに中へとびこめと言いつけた。きみょうな形の馬車で、上からかぶさっているほろの後ろについたはこに、
御者がこしをかけていた。あとでこれがハンサム馬車というものだということを知った。
マチアとわたしはカピを間にはさんですみっこにだき合っていた。書記が一人であとの
席を
占領していた。マチアはかれが
御者に向かって、ベスナル・グリーンへ馬車をやれと言いつけているのを聞いた。御者はそこまで馬車をやることをあまり
好まないように見えた。マチアとわたしは、きっとそこは遠方なせいであろうと思った。
わたしたち二人はグリーン(緑)というイギリス語がどういう意味だか知っていた。ベスナル・グリーンはきっとわたしの一家の住んでいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、そのやしきはきっと町はずれにあるのだと思った。グリーンということばから考えると、それはいなかにあるにちがいないと思われた。でも馬車から見るあたりの
景色はいっこうにいなからしい様子にはならなかった。わたしたちはひどくごみごみした町へはいった。まっ黒などろが馬車の上にはね上がった。それからわたしたちはもっとひどいびんぼう町のはうへ曲がって、ときどき
御者も道がわからないのか、馬車を止めた。
とうとうかれはすっかり馬車を止めてしまった。ハンサムの
小窓を中に、グレッス・アンド・ガリーの書記さんと、
困りきった
御者との間におし問答が始まった。なんでもマチアが聞いたところでは、御者はもうとても道がわからないと言って、書記にどちらの方角へ行けばいいか、たずねているのであった。書記は自分もこんなどろぼう町へなんかこれまで来たことがなかったからわからないと答えた。わたしたちはこの「どろぼう」ということばが耳に止まった。すると書記はいくらか金を
御者にやって、わたしたちに馬車から下りろと言った。御者はわたされた
賃金を見て、ぶつぶつ言っていたが、やがてくるりと方向を
変えて馬車を走らせて行った。
わたしたちはいまイギリス人が「ジン酒の
宮殿」と
呼んでいる酒場の前の、ぬかるみの道に立った。
案内の先生はいやな顔をしてそこらを見回して、それからその「ジン酒の
宮殿」の回転ドアを開けて中へはいった。わたしたちはあとに
続いた。わたしたちはこの町でもいちばんひどい場所にいるのであったが、またこれほどぜいたくな酒場も見なかった。そこには金ぶちのわくをはめた
鏡がどこにもここにもはめてあって、ガラスの
花燭台と、銀のようにきらきら光るりっぱな帳場があった。けれどもそこにいっぱい集まっている人たちは、どれもよごれた
ぼろをかぶった人たちであった。
案内者は
例のりっぱな帳場の前についであった一ぱいの酒をがぶ飲みにして、それから
給仕の男に自分の行こうとする場所の方角を聞いた。
確かにかれは
求めた返事を
得たらしく、また回転ドアをおして外へ出た。わたしたちはすぐあとについて出た。
通りはいよいよせまくなって、こちらのうちから向こうのうちへ
物干しのつなが下がって、きたならしい
ぼろがかけてあった。その戸口にこしをかけていた女たちは、青い顔をして、よれよれな髪の
毛が
肩の上までだらしなくかかっていた。子どもたちはほとんど
裸体で、たまたま二、三人着ているのも、ほんの
ぼろであった。
路地にはぶたが、たまり水にぴしゃぴしゃ
鼻面をつけて、そこからはくさったようなにおいがぷんと立った。
案内者はふと立ち止まった。かれは道を
失ったらしかった。けれどちょうどそのとき一人の
巡査が出て来た。書記がかれに話すと、巡査は自分のあとからついて来いと言った……わたしたちは巡査について、もっとせまい
往来を歩いた。
最後にわたしたちはある広場に立ち止まった。
そのまん中には小さな池があった。
「これがレッド・ライオン・コートだ」と
巡査は言った。なぜわたしたちはここで止まったのであろう。わたしの両親がこんな所に住んでいるものであろうか。巡査は一けんの木小屋のドアをたたいた。
案内人はかれに礼を言っていた。ではわたしたちは着いたのだ。マチアはわたしの手を取って、
優しくにぎりしめた。わたしもかれの手をにぎった。わたしたちはおたがいに
了解し合った。わたしはゆめの中をたどっているような気がしていると、ドアが開いて、わたしたちは
勢いよく火の
燃えている
部屋にはいった。
その火の前の大きな竹のいすに、白いひげを生やした
老人がこしをかけていた。その頭にはすっぽり黒いずきんをかぶっていた。一つの
机に向かい合って四十ばかりの男と、六つばかり年下の女がこしをかけていた。かの女はむかしはなかなか色が白かったらしいなごりをとどめていたが、いまでは色つやもぬけて、様子はそわそわ落ち着かなかった。それから四人子どもがいた――男の子が二人、女の子が二人――みんな女親に
似てなかなか色白であった。いちばん上の男の子は十一ばかりで、いちばん下の女の子は三つになるかならないようであった。
わたしは書記がその人になんと言っていたのかわからなかった。ただドリスコルという名前が耳に止まった。それはわたしの
名字だとさっき
弁護士が言った。
みんなの目はマチアとわたしに向けられた。ただ赤んぼうの女の子だけがカピに目をつけていた。
「どちらがルミだ」と主人はフランス語でたずねた。
「ぼくです」とわたしは言って、一足前へ進んだ。
「では来て、お父さんにキッスをおし」
わたしはまえからこのしゅんかんのことをゆめのように考えては、きっともうそのときは幸福に
胸がいっぱいになりながら、父親のうでにとびついてゆくだろうと
想像していた。けれどいまはまるでそんな感じは起こらなかった。でもわたしは進んで行って父親にキッスした。
「さあ」とかれは言った。「おまえのおじいさんも、お母さんも、弟や妹たちもいるよ」
わたしはまず母親の所へ行って、両うでをからだにかけた。かの女はわたしにキッスをさせた。けれどわたしの
愛情には
報いてくれなかった。かの女はただわたしにわからないことを二言三言いった。
「おじいさんと
握手をおし」と父親が言った。「そっとおいでよ。
中気なのだから」
わたしはまた弟たちや、女の
姉妹と握手した。小さい子をうでにだき上げようとしたが、かの女はすっかりカピに気を取られていて、わたしをおしのけた。わたしはむなしくそここことめぐって歩いて、しまいには自分に
腹立たしくなった。
なぜやっとのことで自分のうちを見つけたのに、すこしもうれしく感じることができないのか。わたしは父親に母親に、兄弟に、
祖父まである。わたしはこのしゅんかんをどんなに
望んでいたろう。わたしもほかの子どもと同様に、自分のものと
呼んで
愛し愛されるうちを持つことを考えて、その
喜びに気がくるいそうになったことがあった……それがいま自分の一家をふしぎそうにながめるばかりで、心のうちにはなにも言うことがない。
一言の
愛情のことばが出て来ないのである。わたしはけものなのであろうか。わたしがもし両親をこんなびんぼうな小屋でなく、りっぱなごてんの中で見いだしたなら、もっと深い愛情が起こったであろうか。わたしはそれを考えてはずかしく思った。
そう思ってわたしはまた母親のそばへ
寄って、両うでをかけてしたたかかの女のくちびるにキッスした。まさしくかの女はなんのつもりで、わたしがこんなことをするのかわからなかった。だからわたしのキッスを返そうとはしないで、きょときょとした様子でわたしの顔をながめた。それから
夫、すなわちわたしの父親のほうへ向いて
肩をそびやかした。そしてなにかわたしにわからないことを言うと、夫はふふんと
笑った。かの女の
冷淡と、わたしの父親の
嘲笑とが
深くわたしの心を
傷つけた。
わたしの
愛情はそんなふうにして受け取らるべきものでないとわたしは思った。
「あれはだれだ」と父親はマチアを指さしながら聞いた。わたしはかれに向かってマチアがいちばん
仲のいい友だちであって、ずいぶん世話になっていることを話した。
「よしよし」と父親は言った。「あの子もうちにとまって、いなかを見物するがよかろう」
わたしはマチアの代わりに答えようとしたが、かれが先に口をきいた。
「それはぼくもけっこうです」とかれはさけんだ。
わたしの父親はなぜバルブレンがいっしょに来ないかとたずねた。わたしはかれにバルブレンの死んだことを
告げた。かれはそれを聞いて
喜んでいるようであった。かれはそのとおりを母親にくり返して言うと、かの女もやはり喜んでいるようであった。どうしてこの二人は、バルブレンの死んだことを
喜んでいるのか。
「おまえは、わたしたちが十三年もおまえをたずねなかったことをふしぎに思っているかもしれない」と父親が言った。「しかも急にまた思い出したように出かけて行って、おまえを赤んぼうのじぶん拾った人を
訪ねたのだからなあ」
わたしはかれに自分のたいへんおどろいたこと、それからそれまでの様子をくわしく聞きたいことを話した。
「では
炉ばたへおいで。
残らず話してあげるから」
わたしは
肩から
背嚢を下ろして、
勧められたいすにこしをかけた。わたしがぬれてどろをかぶった足を炉にのばすと、
祖父はうるさい古ねこが来たというように、つんと向こうを向いてしまった。
「おかまいでない」と父親は言った。「あのじいさんはだれも火の前に来ることをいやがるのだ。けれどおまえ、寒ければかまわないよ」
わたしはこんなふうに
老人に対して口をきくのを聞いてびっくりした。わたしはいすの下に足を引っこめた。そのくらいな心づかいはしなければならなとわたしは考えた。
「おまえはこれからわたしの
総領むすこだ」と父親が言った。「母さんと
結婚して一年たっておまえは生まれたのさ。わたしがいまの母さんと
結婚するとき、そのまえからてっきり自分と結婚するものと思っていたある
若いむすめがもう一人あった。それが結婚のできなかったくやしまぎれに、生まれて六
月目のおまえをぬすみ出して行った。わたしたちはほうぼうおまえを
探したが、パリより遠くへはどうにも行けなかった。わたしたちはおまえが死んだものと思っていたが、つい三
月まえ、このぬすんだ女が死んでね。死にぎわにわたしに悪事を
白状したのだ。わたしはさっそくフランスへ出かけて行って、おまえが
捨てられた地方の
警察から、
初めておまえがシャヴァノン村のバルブレンという石屋のうちに
養われていることを聞いた。わたしはバルブレンを
探して、今度その人からおまえがヴィタリスという旅の
音楽師にやとわれて行ったこと、フランスの町じゅうを歩き回っていることを聞いた。わたしはいつまでもあちらに
逗留してもいられないので、バルブレンにいくらかお金をやって、おまえを
探すようにたのんだ。そうしてわかりしだいグレッス・アンド・ガリーへそう言って
寄こすようにした。わたしはあのバルブレンにここの住まいを知らせておかなかったというわけは、わたしたちは冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いているのだからね。わたしたちの商売は
旅商人なのだよ。まあそんなふうにして、十三年目におまえがわたしたちの所へ帰って来たというわけだ。おえはわたしたちのことばがわからないのだから、はじめはすこしきまりが悪いかもしれないが、じきにイギリス語を
覚えて、兄弟たちと話ができるようになるだろう。それはもうわけなく慣れるよ」
そうだ、もちろんわたしはかれらに慣れなければならない。かれらはわたしの一家の者ではないか。それはりっぱな
絹の
産着で
想像したところと、目の前の事実とはこのとおりちがっていた。でもそれがなんだ。
愛情は
富よりもはるかに
貴い。わたしがあこがれていたのは金ではない、ただ愛情である。愛情が
欲しかったのだ。家族が、うちが、欲しかったのだ。
わたしの父親がこの話をしているあいだに、かれらは
晩餐の
食卓をこしらえた。
焼き
肉の大きな
一節に
ばれいしょをそえたものが、食卓のまん中に
置かれた。
「おまえたち、
腹が
減っているか」と父親がマチアとわたしに向かってたずねた。マチアは白い歯を見せた。
「うん、
机におすわり」
しかし
席に着くまえに、かれは
祖父の竹のゆりいすを
食卓に向けた。それから自分の
席をしめながら、かれは
焼き
肉を切り始めた。
背中を火に向けて、みんなに一つずつ、大きな切れといもを分けた。
わたしはいい
境遇の中に育ったわけではないが、兄弟たちの
食卓の
行儀がひどく悪いことは目についた。かれらはたいてい指で肉をつかんで食べて、がつがつ食い
欠いたり、父母の気がつかないようにしゃぶったりした。
祖父にいたっては自分の前ばかりに気を取られて、自由の
利く
片手でしじゅうさらから口へがつがつ運んでいた。そのふるえる指先から肉を落とすと、兄弟たちはどっと
笑った。
わたしたちは食事がすんでから、その
晩は
炉ばたに集まってくらすことと思っていた。けれども父親は友だちが来るからと言って、わたしたちにねどこに行くことを命じた。マチアとわたしに手まねをして、かれはろうそくを持って先に立ちながら、食事をした
部屋の外にあるうまやへ
連れて言った。そのうまやには荷台まで大きな屋台
付馬車があった。かれはその一つのドアを開けると中に小さな
寝台二つ重なって
置いてあるのを見た。
「ほら、これがおまえたちのねどこだ」とかれは言った。「まあ、おやすみ」
これがわたしの家族からこの夜
初めてわたしの受けた
歓迎であった。
りっぱすぎる父母
父親はろうそくを
置いて行ったが、車には外から
錠をさした。わたしたちはいつものようにおしゃべりはしないで、できるだけ早くねどこの中へもぐった。
「おやすみ、ルミ」とマチアが言った。
「おやすみ」
マチアはわたしと同じように、もうなにもものを言いたがらなかった。わたしはかれがだまっていてくれるのがうれしかった。わたしたちはろうそくをふき消したが、とてもねむれそうには思えなかった。わたしはせま苦しい
寝台の中で、たびたび起き返っては、これまでの出来事を思いめぐらした。わたしは上の寝台にいるマチアがやはり落ち着かずに、しじゅうねがえりばかりしている音を聞いた。かれもやはりわたしと同様、ねむることができなかった。
いく時間か
過ぎた。だんだん夜がふけるに
従って、とりとめもない
恐怖がわたしを
圧迫した。わたしは
不安に感じたが、なぜわたしが、そう感じたのかわからない。なにをわたしはおそれているのか。このロンドンのびんぼう町で馬車小屋の中にとまることがこわいのではない。これまでの
流浪生活で、いく
度わたしは今夜よりも、もっとたよりない夜を明かしたことがあったであろう。わたしは
現在あらゆる
危険から
庇護されていることはわかっているのに、
恐怖がいよいよつのって、もうふるえが出るまでになっている。
時間はだんだんたっていった。ふとうまやの向こうの、
往来に向かったドアの開く音がした。それから五、六
度間を
置いて
規則正しいノックが聞こえた。やがて明かりが馬車の中にさしこんだ。わたしはびっくりしてあわててそこらを見回した。わたしの
寝台のわきにねむっていたカピは、うなり声を立てて起き上がった。わたしはそのときその明かりが馬車の
小窓からはいって来ることを知った。その小窓はわたしたちの
寝台の向こうについていたのを、さっきはカーテンがかかっていたのでとこにはいるとき気がつかなかったのであった。この窓の上部はマチアの
寝台に近く、下部はわたしの寝台に近かった。カピがうちじゅうを起こしてはいけないと思って、わたしはかれの口に手を当てて、それから外をながめた。
すると父親がうまやにはいって来て、
静かに
向こう
側のドアを開けた。そして二人、
肩に重い荷をせおった男を外から
呼び入れて、やはり用心深い様子で、またドアを
閉めた。それからかれはくちびるに指を当てて、ちょうちんを持った
片手でわたしたちのねむっている事に指さしをした。わたしはほとんどそんな心配は
要りませんと言って、声をかけようとしたが、もうマチアがよくねむっていると思ったから、それを起こすまいと思って、そっとだまっていた。
父親はそのとき二人の男に
手伝って荷物のひもをほどかせて、やがて見えなくなったが、まもなく母親を
連れてもどって来た。かれのいないあいだに二人の男は荷物の
封を開いた。中にはぼうしと下着とくつ下に手ぶくろなどがあった。まさしくこの男たちは両親の所へ品物を売りに来た商人であった。父親はいちいち品物を手に取って、ちょうちんの明かりで調べて、それを母親にわたすと、母親は小さなはさみで、
正札を切り取って、かくしの中に入れた。これがわたしにはきみょうに思えたし、それとともに、売り買いをするのにこんな
真夜中の時間を
選んだということもふしぎであった。
母親が品物を調べているあいだに、父親は商人に小声で話をしていた。わたしがもうすこしイギリス語を知っていたら、たぶんかれの言ったことばがわかったであろうが、わたしの聞き
得たかぎりでは、ポリスメン(
巡査)ということだけであった。それはたびたびくり返して言ったので、そのためわたしの耳にも止まったのであった。
残らずの品物がていねいに書き
留められたとき、両親と二人の男がうちの中にはいった。そしてわたしたちの車はまた
暗黒のうちに
置かれた。かれらは
確かに
勘定をするために、うちの中にはいったのであった。わたしは自分の見たことがごく当たり前のことであると
信じようとしたが、いくらそう
望んでも、そう信ずることできなかった。
なぜあの両親に会いに来た二人の男が、ほかのドアからはいって来なかったのであろうか。なぜかれらはなにか戸の外で聞くもののあることをおそれるかのように、小声で
巡査の話をしていたのであったか。なぜ母親は品物を買ったあとで、
正札を切り取ったのであろうか。わたしはこの考えをとりのけることができなかった。しばらくして明かりがまた馬車の中へさしこんで来た。わたしは今度はつい
我知らず外をながめた。わたしは自分では見てはならないと思っていたが、でも……わたしは見た。わたしは自分では知らずにいるほうがいいと思ったが、でも……わたしは知ってしまった。
父親と母親と二人だけであった。母親が手早く品物の荷作りをするまに、父親はうまやのすみをはいた。かれがかわいた
砂をもり上げたそばに、落としのドアがあった。かれはそれを引き上げた。そのときもう母親は荷物にすっかりなわをかけておいたので、父親はそれを受け取って、落としから下の
穴へ下ろした。母親はそばでちょうちんを見せていた。それからかれは落としのドアを
閉めて、またその上に
砂をはき
寄せた。その砂の上に二人はわらくずをまき
散らしてうまやのゆかのほかの部分と同じようにした。そうしておいてかれらは出て行った。
かれらがそっとドアを
閉めたしゅんかんに、マチアがねどこの中で動いたこと、まくらの上であお向けになったことをわたしは見たように思った。かれは見たかしら。わたしはそれを思い切って聞けなかった。頭から足のつま先までわたしは
冷やあせをかいていた。わたしはこのありさまでまる
一晩置かれた。にわとりが夜明けを知らせた。そのときやっとわたしはまぶたをふさいだ。
そのあくる朝わたしたちの車の戸を開けるかぎの音がしたので、わたしは目を
覚ました。きっと父親がもう起きる時間だと言いに来たのであろうと思って、わたしはかれを見ないように目を閉じた。
「きみの弟だったよ」とマチアが言った。「ドアのかぎを開けて出て行ったよ」
わたしたちは着物を着た。マチアはわたしによくねむれたかとも聞かなかった。わたしもかれに
質問しなかった。一度かれがわたしのほうを見たように思ったから、わたしは目をそらせた。
わたしたちは台所まで行った。けれども父親も母親もそこにはいなかった。
祖父は
例の大きないすにこしをかけて、もうゆうべからすわったなりいるように、火の前にがんばっていた。そうしていちばん上の妹のアンニーというのが、
食卓をふいていた、いちばん上の弟のアレンが
部屋をはいていた。わたしはかれらのそばへ
寄って「おはよう」と言ったが、かれらはわたしには目もくれないで、仕事を
続けていた。
わたしは
祖父のほうへ行ったが、かれはわたしを見てそばへは
寄せつけなかった。そうしてまえの
晩のようにわたしのほうにつばをはきかけた。それでわたしは行きかけて立ち止まった。
「聞いてくれたまえよ」とわたしはマチアに言った。「いつ、父さんや母さんは出て来るのだか」
マチアはわたしの言ったとおりにした。すると
祖父はわたしたちの一人がイギリス語を話したので、すこしきげんを直したように見えた。
「なんだと言うのだね」とわたしは言った。
「きみの父さんは一日よそへ出て帰らない。母さんはねむっている。それで出たければ外へぼくたちが出てもいいというのだ」
「たったそれだけしか言わないの」とわたしはこの
翻訳がたいへん
簡単すぎると思って言った。
マチアはまごついたようであった。
「そのほかのことばはよくわかったか、どうだか知らない」とかれは言った。
「ではわかったと思うだけ言いたまえ」
「なんでもあの人は、ぼくたちも町でなにか商売でもして、一もうけして来るがいい。ただ
飯を食われてはやりきれない、というようなことを言っていたと思う」
祖父はかれの言ったことを、マチアが
説明して聞かしているとさとったものらしく、
中気でないほうの手でなにかをかくしにおしこもうとするような身ぶりをして、それから目配せをして見せた。
「出かけよう」とわたしはすぐに言った。
二、三時間のあいだわたしたちはそこらを歩き回ったが、道に
迷ってはいけないと思って遠くへは行かなかった。ベスナル・グリーンは夜見るよりも昼見るとさらにひどい所であった。マチアとわたしは、ほとんど口をきかなかった。ときどきかれはわたしの手をにぎりしめた。
わたしたちがうちへ帰ったとき、母親はまだ
部屋から出て来なかった。開け放したドアのすきからわたしはかの女が
机の上につっぷしているのを見た。かの女は病気なのだと思ったが、わたしは話をすることができないから、代わりにキッスしようと思って、そばへかけて行った。
するとかの女はふらふらする頭を持ち上げて、わたしのほうをながめたが、顔は見なかった。かの女の
熱い息の中には、ぷんとジン酒のにおいがした。わたしは後ずさりをした。かの女の頭はまた下がって、
机の上にぐったりとなった。
「ジンに当たったのだよ」と
祖父は言って、歯をむき出した。
わたしはそのほうは見向きもせずにじっと立ちどまった。からだが石になったように感じた。どのくらいそうして立っていたか知らなかった。ふとわたしはマチアのほうを向いた。かれは
両眼になみだをいっぱいうかべて、わたしを見ていた。わたしはかれに合図をして、また二人でうちを出た。
長いあいだわたしたちはおたがいの手を組み合ってならんで歩きながら、何も言わずに、どこへ行こうという当てもなしに、まっすぐに歩いた。
「ルミ、きみはどこへ行くつもりだ」とかれはとうとう心配そうにたずねた。
「ぼくは知らない。どこかへとだけしか言えない。マチア、ぼくはきみと話がしたい。だがこの人ごみの中では話もできない」
わたしたちはそのとき、いつか広い町へ出ていた。そのはずれには公園があった。わたしたちはそこまでかけて行って、こしかけにこしをかけた。
「ねえ、マチア、ぼくがどんなにきみを
愛しているか、知ってるだろう。だから今度ぼくがうちの人たちに会いに来るとき、いっしょにきみに来てもらったのは、きみのためを思ったことだったのだ。きみはぼくがなにをたのんでも、ぼくの
友情を
疑いはしないだろうねえ」とわたしは言った。
「ばかなことを言いたまえ」とかれは
無理に
笑って言った。
「きみはぼくを
泣きださせまい思って、そんなふうに笑うのだね」とわたしは答えた。「ぼくはきみといっしょにいるときに、泣けないなら、いつ泣くことができよう。でも……おお……マチア、マチア」
わたしは両うでをなつかしいマチアの首にかけて、ほろほろなみだをこぼした。わたしはこんなに
情けなく思ったことはなかった。わたしがこの広い世界に
独りぼっちであったじぶん、かえってわたしはこのしゅんかんほどに
不幸だとは感じなかった。わたしはすすり
泣きをしてしまったあとで、やっと気を落ち着けることができた。わたしがマチアを公園に
連れて来たのは、かれのあわれみを
求めるためではなかった。それはわたしのためではなかった。かれのためであった。
「マチア」とわたしは思い切って言った。「きみはフランスへ帰らなければならないよ」
「きみを
捨てて、どうして」
「ぼくはきみがそう答えるだらうと思っていた。それを聞いてぼくはうれしい。ああ、きみがぼくといっしょにいたいというのは、まったくうれしい。けれどマチア、きみはすぐにフランスへ帰らなければならないよ」
「なぜさ、そのわけを言いたまえ」
「だって……ねえ、マチア、こわがってはいけないよ。きみはゆうべねむったかい。きみは見たかい」
「ぼくはねむらなかったよ」とかれは答えた。
「するときみは見た……」
「ああ
残らず」
「そうしてきみはそのわけがわかったか」
「あの品物が、
代をはらったものでないことはわかるよ。だって、きみのお父さんは、あの男たちに
母屋のドアをたたかないで、うまやのドアをたたいたというのでおこっていた。するとあの二人は
巡査が
見張りをしているからと言っていたもの」
「それできみは行かなければならないことがよくわかったろう」とわたしは言った。
「ぼくが行かなければならないなら、きみだって行かなければならない。それはぼくにだって、きみにだって、いいはずがないもの」「パリでガロフォリに会ったとして、あの人が
無理にきみを
連れ帰ろうとしたら、きみはきっと、ぼくに一人で
別れて行ってくれと言うと思うよ。ぼくはただきみが自分でもするだろうと思うことをするだけだ」
かれは答えなかった。
「きみはフランスへ帰らなければいけない」とわたしは言い
張った。「リーズの所へ行ってぼくがやくそくしたことも、あの子の父親のためにしてやることも、みんなできなくなったわけを話してくれたまえ。ぼくはあの子に、なによりもぼくのすることはあの人の
借金をはらってやることだと言った。きみはあの子にそれのできなくなったわけを話してくれたまえ。それからバルブレンのおっかあの所へも行ってくれたまえ。ただうちの人たちは思ったほど金持ちではなかったとだけ言ってくれたまえ。金のないということはなにもはずかしいことではないのだから。でもそのほかのことは言わないでくれたまえ」
「きみがぼくに行けと言うのは、あの人たちがびんぼうだからというのではない。だからぼくは行かない」とマチアは
強情に答えた。「ぼくはゆうべ見たところでそれがなんだかわかった。きみはぼくの身の上を
案じているのだ」
「マチア、それを言わないでくれ」
「きみはいつか、ぼくまでが
代のはらってない品物の
正札を切り取るようなことになるといけないと心配しているのだ」
「マチア、マチア、よしたまえ」
「ねえ、きみがぼくのために心配するなら、ぼくはきみのために心配する。ぼくたち二人で出かけよう」
「それはとてもできない。ぼくの両親はきみにとってはなんでもないが、ぼくには父親と母親だ。ぼくはあの人たちといっしょにいなければならない。あれはぼくの家族なのだから」
「きみの家族だって。あのどろぼうをする男が、きみの父親だって。あの飲んだくれ女が、きみの母親だって」
「マチア、それまで言わずにいてくれ」とわたしはこしかけからとび上がってさけんだ。「きみはぼくの父親や母親のことをそんなふうに言っているが、ぼくはやはりあの人たちを
尊敬しなければならない。
愛さなければならない」
「そうだ。それがきみのうちの人なら、そうしなければ。だが……あの人たちは」
「きみ、あんなにたくさん
証拠のあるのを
忘れたかい」
「なにがさ、きみは父さんにも母さんにも
似てはいない。あの子どもたちはみんな色が白いが、きみは黒い。それにぜんたいどうしてあの人たちが子どもを
探すためにそんなにたくさんの金が使えたろうか。そういういろいろのことを集めてみると、ぼくの考えでは、きみはドリスコル家の人ではない。きみはバルブレンのおっかあの所へ手紙をやって、きみが拾われたときの
産着がどんなふうであったか、たずねてみたらどうだ。それからきみがお父さんといま
呼んでいるあの人に子どもがぬすまれたとき着ていた着物のくわしいことを聞かせてもらいたまえ。それまではぼくは動かないよ」
「でももしきみの気のどくな頭が、そのために一つ食らったらどうする」
「なあに友だちのためならぶたれても、そんなにつらくはないよ」とかれは
笑いながら言った。
カピの
罪
わたしたちは
晩までレッド・ライオン・コートへ帰らなかった。父親と母親はわたしたちのいなかったことをなにも言わなかった。
夕飯のあとで父親は二
脚のいすを
炉のそばへ
引き
寄せた。すると
祖父からぐずぐず言われた。それからかれは、わたしたちがフランスにいたころ、食べるだけのお金が取れていたか、わたしから聞き出そうとした。
「ぼくたちは食べるだけのものを取っただけではありません。
雌牛を一頭買うだけのお金を取ったのです」とマチアはきっぱりと言った。そのついでにかれはその雌牛でどういうことが起こったか話した。
「おまえたちはなかなかりこうなこぞうだ」と父親が言った。「どのくらいできるかやっておみせ」
わたしはハープを取って一曲ひいたが、ナポリ
小唄ではなかった。マチアはヴァイオリンで一曲、コルネで一曲やった。中でコルネのソロが、ぐるりへ
輪になって集まった子どもたちからいちばんかっさいを受けた。
「それからカピ、あれもなにかできるか」と父親がたずねた。「あれも自分の食いしろをかせぎ出さなければならん」
わたしはカピの
芸にはひどくじまんであったから、かれにありったけの芸をやらした。
例によってかれは
大成功をした。
「おや、この犬はりっぱな金もうけになるぞ」と父親がさけんだ。
わたしはこの
賞賛でたいへんうれしくなって、カピに教えれば、教えたいと思うことはなんでも
覚えることをかれに話した。父親はわたしの言ったことをイギリス語に
翻訳した。そのうえわたしの言ったほかになにかつけ
加えて言ったらしく、みんなを
笑わせた。
祖父はたびたび目をぱちくりやって、「どうもえらい犬だ」と言った。
「だからわたしはマチアにも、いっしょにこのうちにいてくれるかと言いだしたわけさ」と父親が言った。
「ぼくはルミといつまでもいたいのです」とマチアが答えた。
「なるほど。それではわたしから申し出すことがあるが」と父親が言った。「わたしたちは金持ちではないから、みんながいっしょに
働いているのだ。夏になるとわたしたちはいなかを旅をして回って、子どもらは、向こうから買いに来てくれない人たちの所へ品物を持って売りに行くのだ。けれども冬になると、たんとすることがなくなるのだ。ところでおまえとルミにはこれから町へ出て音楽をやってもらおう。クリスマスが近いんだから、すこしは金ができるだろう。そこでネッドとアレンがカピを
連れて行って、
芸をやって
笑わせるのだ。そういうふうなことにすれば、うまく
仕事がふり分けられるというものだ」
「カピはぼくとでなければ
働きません」とわたしはあわてて言った。わたしはこの犬と
別れることはがまんできなかった。
「なあにあれはアレンや、ネッドとじきに仕事をすることを
覚えるよ」と父親が言った。「そういうふうにしてよけい金を取るようにするのだ」
「おお、ぼくたちもカピといっしょのほうがよけい金が取れるのです」とわたしは言い
張った。 .
「もういい」と父親が手短に言った。「わたしがこうと言えばきっとそうするのだ。口返答をするな」
わたしはもうそのうえ言わなかった。その
晩とこにはいると、マチアがわたしの耳にささやいた。
「さあ、あしたはいよいよバルブレンのおっかあの所へ手紙をやるのだよ」
こう言ってかれは
寝台にとび上がった。
しかし、そのあくる朝わたしは、カピにいやでも
因果を言いふくめなければならなかった。わたしはかれをうでにだいて、その
冷たい鼻に
優しくキッスしながら、これからしなくてはならないことを言って聞かした。かわいそうな犬よ。どんなにかれはわたしの顔をながめたか、どんなに耳を立てていたか、わたしはそれからアレンの手にひもをわたして、犬は二人の子どもにおとなしく、しかしがっかりした様子でついて行った。
父親はマチアとわたしをロンドンの町中へ
連れて行った。きれいな家や、白いしき石道のあるりっぱな
往来があった。ガラスのようにぴかぴか光る馬車がすばらしい馬に引かれて、その上に
粉をふりかけたかつらをかぶった大きな太った
御者が乗っていた。
わたしたちがレッド・ライオン・コートへもどったのは、もうおそかった。ウェストエンドからベスナル・グリーンまでの
距離はかなり遠いのである。わたしはまたカピを見てどんなにうれしく思ったろう。かれはどろまみれになっていたが、上きげんであった。わたしはあんまりうれしかったから、かわいたわらでかれのからだをよくかいてやったうえ、わたしのひつじの毛皮にくるんで、いっしょにとこの中に入れてねかしてやった。
こんなふうにして五、六日
過ぎていった。マチアとわたしは
別な道を行くと、カピとネッドとアレンがほかの方角へ行った。
するとある日の夕方、父親が「あしたはおまえたちがカピを
連れて行ってもいい、二人の子どもにはうちで少しさせることがあるから」と言った。マチアとわたしはひじょうに
喜んで、いっしょうけんめいやってたくさんの金を取って帰れば、これからはしじゅうわたしたちに犬をつけて出すようになるだろうというもくろみを立てた。ぜひともカピを返してもらわなければならない。わたしたち三人は一人だって
欠けてはならないのだ。
わたしたちは朝早くカピをごしごし
洗ってやって、くしを入れてやって、それから出かけた。
運悪くわたしたちのもくろみどおりには運ばないで、深いきりがまる二日のあいだロンドンに
垂れこめていた。そのきりの深いといっては、つい二足三足前がやっと見えるくらいであった。このきりのまくの中でたまたまわたしたちのやっている音楽に耳を止めている人も、もうすぐそばのカピの
姿を見なかった。これはわたしたちの仕事にはじつにやっかいなことであった。でもこのきりのおかげを、もう二、三分あとでは、どれほどこうむらなければならないことであったか、それだけはまるで考えもつかなかった。
わたしたちはいちばん人通りの多い町の一つを通って行くと、ふとカピがいっしょにいないことを発見した。この犬はいつだって、わたしたちのあとにぴったりついて来るのであったから、これはめずらしいことであった。わたしはあとから追いつけるようにかれを待っていた。ある暗い
路地口に立って、なにしろわずかの
距離しか見えなかったから、そっと口ぶえをふいた。わたしはかれがぬすまれたのではないかと心配し始めたとき、かれは口に毛糸のくつ下を一足くわえてかけてやって来た。前足をわたしに向けてかれは一声ほえながらそのくつ下をささげた。かれはもっともむずかしい
芸の一つをやりとげたときと同様に、
得意らしくわたしの
賞賛を
求めていた。これはほんの二、三秒の出来事であった。わたしは開いた口がふさがらなかった、するとマチアは
片手でくつ
下をつかんで、
片手でわたしを
路地口から
引っ
張った。
「早く歩きたまえ。だが、かけてはいけない」とかれはささやいた。
かれはしばらくしてわたしに言うには、しき石の上でかれのわきをかけて通った男があって、「どろぼうはどこへ行った、つかまえてやるぞ」と言いながら行ったというのである。わたしたちは
路地の向こうの出口から出て行った。
「きりが深くなかったら、ぼくたちは
危なくどろぼうの
罪で
拘引されるところだったよ」とマチアは言った。しばらくのあいだ、わたしはほとんど息をつめて立っていた。うちの人たちはわたしの正直なカピにどろぼうを
働かせたのだ。
「カピをしっかりおさえていたまえ」とわたしは言った。「うちへ帰ろう」
わたしたちは急いで歩いた。
父親と母親は
机の前にこしをかけて、せっせと品物をしまいこんでいた。
わたしはいきなりくつ下をほうり出した。アレンとネッドはぷっとふきだした。
「さあ、これがくつ下です」とわたしは言った。「あなたがたはぼくの犬をどろぼうにしましたね。ぼくは人のなぐさみに使うために犬を
連れて行ったのだと思っていました」
わたしはふるえていて、ほとんど口がきけなかった。でもこのときはどしっかりした決心をしたことはなかった。
「うん、なぐさみのほかに使ったら」と父親は反問した。「おまえ、どうするつもりだ。聞きたいものだね」
「ぼくはカピの首になわを
巻きつけて、これほどかわいい犬ですけれど、ぼくはあいつを水にしずめてしまいます。わたしは自分がどろぼうにされたくないと同様、カピをどろぼうにはしてもらいたくないのです。いつかわたしがどろぼうにならなければならないようなことがあれば、わたしは犬といっしょにすぐ水にしずんでしまいます」
父親はわたしの顔をしげしげと見ていた。わたしはかれがよっぽどわたしを打とうとしかけたと思った。かれの目は光った。でもわたしはたじろがなかった。
「おお、ではよしよし」とかれは思い返して言った。「またそういうことのないように、おまえ、これからは自分でカピを
連れて歩くがいい」
ごまかし
わたしは二人の子どもにげんこつを見せていた。わたしはかれらにものを言うことはできなかったが、でもかれらはわたしの様子で、このうえわたしの犬をどうにかすれば、わたしにひどい目に会うであろうと思った。わたしはカピを
保護するためには、かれら二人と
戦うつもりでいた。
その日からうちじゅうの者は
残らず、大っぴらでわたしに対して
憎悪を見せ始めた。
祖父はわたしがそばに
寄ると、
腹立たしそうにつばをはいてばかりいた。男の子と上の妹はかれらにできそうなあらゆるいたずらをした。父親と母親はわたしを
無視して、いてもいない者のようにあつかった。そのくせ
毎晩わたしから金を取り立てることは
忘れなかった。
こうしてわたしがイギリスへ
上陸したとき、あれほどの
愛情を感じていた全家族はわたしに
背中を向けた。たった一人赤んぼうのケートが、わたしのかまうことを
許した。でもそれすら、かくしにかの女のためのキャンデーか、みかんの一つ持ち合わせないときには、
冷淡にそっぽを向いてしまった。
わたしははじめマチアの言ったことを耳に入れようとはしなかったが、だんだんすこしずつ、わたしはまったくこのうちの者ではないのではないかと
疑い始めた。わたしはかれらに対してこれほどひどくされるようなことはなにもしなかった。
マチアはわたしがそんなにがっかりしているのを見て、
独り
言のように言った。
「ぼくはバルブレンのおっかあから、早くどんな着物をきみが着ていたか言って
寄こすといいと思うがなあ」
とうとうやっとのことで、手紙が来た。
例のとおりお寺のぼうさんが
代筆をしてくれた。それにはこうあった。
「小さいルミよ。お手紙を読んでおどろきもし、悲しみもしました。バルブレンの話と、あなたが拾われたとき着ていた着物から、あなたがよほどお金持ちのうちに生まれたこととわたしは思っていました。その着物はそのままそっくり、しまってありますから、いちいち言うことはわけのないことです。あなたはフランスの赤子のように、おくるみにくるまってはいませんでした。イギリスの子どものように、長い上着と下着を着ていました。白いフランネルの上着にたいそうしなやかな
麻の服を重ね、白い
絹でふちを取って、美しい白の
縫箔をしたカシミアの外とうを着ていました。またかわいらしいレースのボンネットをかむり、それから小さい
絹のばらの花のついた白い毛糸のくつ下をはいていました。それにはどれも
印はありませんが、
膚につけていたフランネルの上着には
印がありました。でもその印はていねいに切り取られていました。さて、ルミ、あなたにご返事のできることはこれだけですよ。やくそくをしなすったりっぱなおくり物のできないことを
苦にやむことはありません。あなたの
貯金で買ってくれた
雌牛は、わたしにとっては世界じゅうのおくり物
残らずもらったと同様です。
喜んでください。雌牛もたいそうじょうぶで、
相変わらずいい
乳を出しますから。このごろではごく気楽にくらしています。その雌牛を見るたんびにあなたとあなたのお友だちのマチアのことを思い出さないことはありません。ときどきはお
便りを
寄こしてください。あなたはほんとに
優しい、いい子です。どうかせっかくうちを見つけたのだから、おうちのみなさんがあなたをかわいがるようにと、そればかり
望んでいます。ではごきげんよろしゅう。
あなたの養母
バルブレンの後家より」
なつかしいバルブレンのおっかあ。かの女は自分がわたしを
愛したようにだれもわたしを愛さなくてはならないと思っているのだ。
「あの人はいい人だ」とマチアは言った。「じつにいい人だ。ぼくのことも思っていてくれる。さあ、これでドリスコルさんがどう言うか、見たいものだ」
「父さんは品物の細かいことは
忘れているかもしれない」
「どうして子どもがかどわかされたとき着ていた着物を、親が
忘れるものか。だってまたそれを見つけるのは着物が手ががりだもの」
「とにかくなんと言うか、聞いて、それから考えることにしよう」
わたしがぬすまれたとき、どんな着物を着ていたか、これを父親にたずねるのは
容易なことではなかった。なんの下心なしにぐうぜんこの
質問を発するなら、それはいたって
簡単なことであろう。ところが
事情がそういうわけでは、わたしはおくびょうにならずにはいられなかった。
さてある日、
冷たいみぞれが
降って、いつもより早くうちへ引き上げて来たとき、わたしは両うでに
勇気をこめて、長らく心にかかっている問題の口を切った。
わたしの
質問を受けると、父親はじっとわたしの顔を見つめた。けれどわたしはこの場合できそうに思っていた
以上だいたんに、かれの顔を見返した。するとかれはにっこりした。その
微笑にはどことなくとげとげしいざんこくな様子が見えたが、でも微笑は微笑であった。
「おまえがぬすまれて行ったとき」とかれはそろそろと話しだした。「おまえはフランネルの服と
麻の服と、レースのボンネットに、白い毛糸のくつ下と、それから白い
縫箔のあるカシミアの外とうを着ていた。その着物のうち二
枚までは、
F・
D、すなわちフランシス・ドリスコルの
頭字がついていたが、それはおまえをぬすんだ女が切り取ってしまったそうだ。そのわけは、そうすれば手がかりがないと思ったからだ。なんならおまえの
洗礼証書をしまっておいたから、それを見せてあげよう」
かれは引き出しを
探って、すぐと一枚の大きな紙を出して、わたしに手わたしをした。
「よかったらマチアに
翻訳させください」とわたしは
最後の
勇気をふるって言った。
「いいとも」
マチアがそれをできるだけよく翻訳した。それで見ると、わたしは八月二日の木曜日に生まれたらしい。そしてジョン・ドリスコルおよびその
妻マーガレット・グランデのむすこであった。
この上の
証拠をどうして
求めることができようか。
「これはみんなもっともらしい」とその
晩車の中に帰ると、マチアは言った。「でもどうして
旅商人風情が、その子どもにレースのボンネットや、
縫箔の外とうを着せるだけの金があったろう。
旅商人というものは、そんなに金のあるものではないさ」
「旅商人だから、そんな品物をたやすく手に入れることができたのだろう」
マチアは口ぶえをふきふき首をふっていた。それからまた小声で言った。
「きみはあのドリスコルの子どもではないが、ドリスコルがぬすんで来た子どもなのだ」
わたしはこれに答えようとしたが、かれはもうずんずん
寝台の上にはい上がっていた。
アーサのおじさん――ジェイムズ・ミリガン
氏
わたしがマチアの
位置であったなら、おそらくかれと同様な
想像をしたかもしれなかったが自分の位置としてわたしはそんな考えを持つのはまちがっていると感じた。ドリスコル
氏がわたしの父親だということは、もはや
疑う
余地なく
証明された。わたしはそれをマチアと同じ立場からながめることができなかった。かれは疑い
得る……けれどわたしは
疑ってはならない。かれがなんでも自分の思うことを、わたしに
信じさせようと
努めると、わたしはかれにだまっていろと言い聞かせた。けれどもかれはなかなか
頑強で、その
強情にいつも打ち勝つことは
困難であった。
「なぜきみだけ色が黒くって、うちのほかの人たちは色が白いのだ」とかれはくり返して、その点を問いつめようとした。
「どうしてびんぼう人がやわらかなレースや、
縫箔を赤んぼうに着せることができたか」これがもう一つたびたびくり返される
質問であった。するとわたしはこちらから
逆に
反問して、わずかにこれに答えることができた。あの人たちにとってわたしが子でないならば、なぜぼくを
捜索したか。なぜバルブレンや、グレッス・アンド・ガリーに金をやったか。
マチアはわたしの
反問に返事ができなかったけれども、かれはけっして
承服しようとはしなかった。
「ぼくらは二人でフランスへ帰るのがいいと思う」とかれは
勧めた。
「そんなことができるものか」
「きみは一家といっしょにいるのが
義務だと言うのかい。でもこれがきみの一家だろうか」
こういうおし問答の
結果は、一つしかなかった。それはわたしをいままでよりもよけい
不幸にしただけであった。
疑うということはどんなにおそろしいことであろう。でもいくら疑うまいと思ってもわたしは疑った。わたしが自分にはうちがないと思って、あれほど悲しがって
泣いていたじぶん、こうしてうちができた今日かえってこれほどの
失望におちいろうとはだれが思ったろう。どうしたらわたしはほんとうのことがわかるだろう。そう考えて、いよいよ
胸にせまってくるとき、わたしは歌を歌って、おどりをおどって、
笑って、しかめっ
面でもするほかはなかった。
ある日曜日のことであった。父親はきょうは用があるからうちにいろとわたしに言いわたした。かれはマチアだけを一人外へ出した。ほかの者もみんな出て行った。
祖父だけが一人、二階に
残っていた。わたしは父親と一時間ばかりいたが、やがてドアをたたく音がして、いつもうちへ父親を
訪ねて来る人とは、まるでちがった
紳士がはいって来た。かれは五十才ぐらいの
年輩で、流行の
粋を集めた身なりをしていた。犬のようなまっ白なとんがった歯をして、
笑うときにはそれをかみしめようとでもするようにくちびるをあとへ引っこめた。かれはしじゅうわたしのほうをふり向いてみながら、イギリス語でわたしの父に話しかけた。
それからしばらくして、かれはほとんどなまりのないフランス語で話し始めた。
「これがきみの話をした子どもか」とかれは言った。「なかなかじょうぶそうだね」
「だんなにごあいさつしろ」と父親がわたしに言った。
「ええ、ぼくはごくじょうぶです」
こうわたしはびっくりして答えた。
「おまえは病気になったことはなかったか」
「一度
肺炎をやりました」
「はあ、それはいつだね」
「三年まえです。ぼくは
一晩寒い中でねました。いっしょにいた親方はこごえて死にましたし、ぼくは肺炎になりました」
「それからからだの具合はなんともないか」
「ええ」
「つかれることはないか、ねあせは出ないか」
「ええ。つかれるのはたくさん歩いたからです。けれどほかに具合の悪いところはありません」
かれはそばへ
寄ってわたしのうでにさわった。それから頭を
心臓にすりつけた。今度は
背中と
胸にさわって、大きく息をしろと言った。かれはまたせきをしろとも言った。それがすむと、かれは長いあいだわたしの顔を見た。そのときわたしはかれがかみつこうとするのだと思ったほど、かれの歯はおそろしい
笑い
顔のうちに光った。しばらくしてかれは父親といっしょに出て行った。
これはなんのわけだろう。あの人はわたしをやとい入れるつもりなのかしら。わたしはマチアともカピとも
別れなければならないのかしら。いやだ。わたしはだれの家来にもなりたくない。まして
初めっからきらっているあんな人の所へなんか行くものか。
父親は帰って来て、「行きたければ外へ出てもいい」とわたしに言った。わたしは
例のうまやの車の中へはいって行った。するとそこにマチアがいたので、どんなにびっくりしたろう。かれはそのとき指をくちびるに当てた。
「うまやのドアを開けたまえ」とかれは小声で言った。「ぼくはそっとあとから出て行くからね。ぼくがここにいたことを知られてはいけない」
わたしはけむに
巻かれて、言われるとおりにした。
「きみはいま父さんの所へ来た人がだれだか、知ってるかい」とかれは
往来へ出ると、目の色を
変えてたずねた。「あれがジェイムズ・ミリガン
氏だよ。きみの友だちのおじさんだよ」
わたしはしき石道のまん中に行って、ぽかんとかれの顔をながめた。かれはわたしのうでをつかまえてあとから
引っ
張った。
「ぼくは一人ぼっちで出かける気にならなかった」とかれは
続けた。「だからねむるつもりであすこへはいった。だがぼくはねむれずにいた。するうちきみの父さんと一人の
紳士がうまやの中へはいって来た。その人たちの言うことを
残らずぼくは聞いたのだ。はじめはぼくも聞く耳を立てるつもりではなかったが、のちにはそれをしずにいられないようになった。
『どうして、岩のようにじょうぶだ』とその
紳士が言った。『十人に九人までは死ぬものだが、あれは
肺炎の
危険を通りこして来た』
『おいごさんはどうですね』ときみの父さんがたずねた。
『だんだんよくなるよ。
三月まえも医者がまたさじを投げた。だが母親がまた
救った。いや、あれはふしぎな母親だよ。ミリガン
夫人という女は』
ぼくがこの名前を聞いたとき、どうして
窓に耳をくっつけずにはいられたと思うか。
『ではおいごさんがよくなるのでは、あなたの仕事はむだですね』ときみの父さんがことばを
続けた。
『さしあたりはまずね』ともう一人が答えた。『だがアーサがこのうえ生きようとは思えない。それができれば
奇跡というものだ。おれは奇跡を心配しない。あれが死ねば、あの
財産の
相続人はおれのほかにはないのだ』
『ご心配なさいますな。わたしが見ています』とドリスコルさんが言った。
『ああ、おまえに
任せておくよ』とミリガン
氏が答えた」
これがマチアの話すところであった。
マチアのこの話を聞きながら、わたしの
初めの考えは、父親にすぐたずねてみることであったが、立ち聞きをされたことを知らせるのは、かしこいしかたではなかった。ミリガン
氏は父親と打ち合わせる仕事があるとすれば、たぶんまたうちへ来るだろう。このつぎは向こうで顔を知らないマチアが、あとをつけることもできる。
それから二、三日ののち、マチアはぐうせん
往来で、
以前ガッソーの
曲馬団で知り合いになったイギリス人のボブに出会った。わたしはとちゅうでかれがマチアにあいさつするところを見て、ひじょうに
仲のいいことがわかった。
かれはまたすぐとカピやわたしが
好きになった。その日からわたしたちはこの国に一人、しっかりした友だちができた。かれはその
経験とちえで、のちに
困難におちいった場合、わたしたちのひじょうな力になったのであった。
マチアの心配
春の来るのはおそかったが、とうとう一家がロンドンを去る日が来た。馬車がぬりかえられて、商品が
積みこまれた。そこにはぼうし、
肩かけ、ハンケチ、シャツ、
膚着、
耳輪、かみそり、せっけん、おしろい、クリーム、なんということなしにいろいろなものが
積まれた。
馬車はもういっぱいになった。馬が買われた。どこからどうして買ったか、わたしは知らなかったが、いつのまにか馬が来ていた。それでいっさい出発の用意ができた。
わたしたちは、いったい
祖父といっしょにうちに
残るのか、一家とともに出かけるのか、知らずにいた。けれど父親はわたしたちが音楽でなかなかいい金を取るのを見て、まえの
晩わたしたちにかれについて行って音楽をやれと言いわたした。
「ねえ、フランスへ帰ろうよ」とマチアは
勧めた。「いまがいいしおどきだ」
「なぜイギリスを旅行して歩いてはいけないのだ」
「なぜならここにいると、きっとなにか始まるにちがいないから。それにフランスへ行けば、ミリガン
夫人とアーサを見つけるかもしれない。アーサが
加減が悪いのだと、
夫人はきっと船に乗せて来るだろう。もうだんだん夏になってくるから」
でもわたしはかれに、どうしてもこのままいなければならないと言った。
その日わたしたちは出発した。その午後かれらがごくわずかの
値打ちしかない品物を売るところを見た。わたしたちはある大きな村に着くと、馬車は広場に引き出されていた。その馬車の
横側は
低くなっていて、買い手の
欲をそそるように美しく品物がならんでいた。
「
値段を見てください。値段を見てください」と父親はさけんだ。「こんな値段はどこへ行ったってあるものじゃありません。まるで売るんじゃない。ただあげるのだ。さあさあ」
「あいつはどろぼうして来たにちがいない」
品物の
値段づけを見た
往来の人がちょいちょいこう言っているのをわたしは聞いた。かれらがもしそのとき、そばでわたしがきまり悪そうな顔をしているのを見たら、いよいよ
推察の当たっていることを知ったであろう。
かれらはしかしわたしに気がつかなかったとしても、マチアは気がついていた。
「いつまできみはこれをしんぼうしていられるのだ」とかれは言った。
わたしはだまっていた。
「フランスへ帰ろうよ」とかれはまた
勧めた。「なにか起こる。もうすぐになにか起こるとぼくは思う。おそかれ早かれ、ドリスコルさんが、こう品物を安売りするところを見れば、
巡査がやって来るのはわかっている。そうなればどうする」
「おお、マチア……」
「きみが目をふさいでいれば、ぼくはいよいよ大きく目をあいていなければならない。ぼくたちは二人ともつかまえられる。なにもしなくっても、どうしてその
証拠を見せることができよう。ぼくたちは
現にあの人がこの品物を売って
得た金で、三度のものを食べているのではないか」
わたしはついにそこまでは考えなかった。こう言われて、いきなり顔をまっこうからなぐりつけられたように思った。
「でもぼくたちはぼくたちで自分の食べ物を買う金は取っている」と、わたしはどもりながら
弁護しようとした。
「それはそうだ。けれどぼくたちはどろぼうといっしょに住まっていた」と、マチアはこれまでよりはいっそう思い切った調子で答えた。「それでもし、ぽくたちが
牢屋へやられればもう、きみのほんとうのうちの人を
探すこともできなくなるだろう。それにミリガン
夫人にも、あのジェイムズ・ミリガンに気をつけるように言ってやりたい。あの人がアーサにどんなことをしかねないか、きみは考えないのだ。まあ行けるうちに少しも早く行こうじゃないか」
「まあもう二、三日考えさしてくれたまえ」とわたしは言った。
「では早くしたまえ。大男
退治のジャックは肉のにおいをかいだ――ぼくは
危険のにおいをかぎつけている」
こんなふうにして
煮えきれずにいるうちに、とうとうぐうぜんの
事情が、わたしに思い切ってできなかったことをさせることになった。それはこうであった。
わたしたちがロンドンを立ってから数週間あとであった。父親は
競馬のあるはずの町で、屋台店の車を立てようとしていた。マチアとわたしは商売のほうになにも用がないので、町からかなりへだたっていた
競馬場を見に行った。
イギリスの競馬場のぐるりには、たいてい市場が立つことになっていた。いろいろ
種類のちがう
香具師や、
音楽師や、屋台店が二、三日まえから出ていた。
わたしたちはあるテント
張り
小屋で、たき火の上に鉄びんがかかっている所を通り
過ぎると、
曲馬団でマチアの友だちであったボブを見つけた。かれはまたわたしたちを見つけたので、たいそう
喜んでいた。かれは二人の友だちといっしょに
競馬場へ来て、力持ちの見世物を出そうとしているところであった。そのためある
音楽師を二、三人やくそくしたが、まぎわになってだめになったので、あしたの
興行は
失敗になるのではないかと心配していたところであった。かれの仕事にはにぎやかな
人寄せの音楽がなければならなかった。
わたしたちはそこでかれの
手伝いをしてやろうということになった。
一座ができて、わたしたち五人の間に
利益を分けることになった。そのうえカピにもいくらかやることにした。ボブはカピが
演芸の合い間に
芸をして見せてくれることを
望んでいた。わたしたちはやくそくができて、あくる日決めた時間に来ることを申し合わせた。
わたしが帰ってこのもくろみを父に話すと、かれはカピはこちらで入用だから、あれはやられないと言った。わたしはかれらがまた人の犬をなにか悪事に使うのではないかと
疑った。わたしの目つきから、父はもうわたしの心中を
推察した。
「ああ、いや、なんでもないことだよ」とかれは言った。「カピはりっぱな番犬だ。あれは馬車のわきへ
置かなければならん。きっとおおぜい回りへたかって来るだろうから、品物をかすめられてはならない。おまえたち二人だけで行って、友だちのボブさんと一かせぎやって来るがいい。たぶんおまえのほうは夜おそくまですむまいと思うから、そのときは『大がしの
宿屋』で待ち合わせることにしよう。あしたはまた先へたって行くのだから」
わたしたちはそのまえの
晩『大がしの宿屋』で夜を明かした。それは一マイル(約一・六キロ)はなれたさびしい
街道にあった。その店はなにか気の
許せない顔つきをした
夫婦がやっていた。その店を見つけるのはごくわけのないことであった。それはまっすぐな道であった。ただいやなことは、一日つかれたあとで、かなりな道のりを歩いて行かなければならないことであった。でも父親がこう言えば、わたしは
服従しなければならなかった。それでわたしは
宿屋で会うことをやくそくした。
そのあくる日、カピを馬車に
結わえつけて番犬において、わたしはマチアと
競馬場へ急いで行った。
わたしたちは行くとさっそく、音楽を始めて、夜まで
続けた。わたしの指は何千という
針でさされたように、ちくちく
痛んだし、かわいそうなマチアはあんまりいつまでもコルネをふいて、ほとんど息が出なくなった。
もう夜中を
過ぎていた。いよいよおしまいの一番をやるときに、かれらが
演芸に使っていた大きな鉄の
棒がマチアの足に落ちた。わたしはかれの
骨がくじけたかと思ったが、運よくそれはひどくぶっただけであった。骨はすこしもくじけなかったが、やはり歩くことはできなかった。
そこでかれはその
晩ボブといっしょにとまることになった。わたしはあくる日ドリスコルの一家の行く先を知らなければならないので、一人「大がしの
宿屋」へ行くことにした。その宿屋へわたしが着いたときは、まっくらであった。馬車があるかと思って見回したが、どこにもそれらしいものは見えなかった。二つ三つあわれな荷車のほかに、目にはいったものは大きなおりだけで、そのそばへ
寄ると
野獣のほえ声がした。ドリスコル一家の
財産であるあのごてごてと美しくぬりたてた馬車はなかった。わたしは
宿屋のドアをたたいた。
亭主はドアを開けて、ランプの明かりをまともにわたしの顔にさし向けた。かれはわたしを
見覚えていたが、中へ入れてはくれないで、両親はもうルイスへ向けて立ったから、急いであとを追っかけろと言って、もうすこしでもぐずぐずしてはいられないとせきたてた。それでぴしゃりとドアを立てきってしまった。
わたしはイギリスに来てから、かなりうまくイギリス語を使うことを
覚えた。わたしはかれの言ったことが、はっきりわかったが、ぜんたいそのルイスがどこらに当たるのか、まるっきり知らなかった。よしその方角を教わったにしても、わたしは行くことはできなかった。マチアを
置いて行くことはできなかった。
わたしは
痛い足をいやいや引きずって
競馬場に帰りかけた。やっと苦しい一時間ののち、わたしはボブの車の中でマチアとならんでねむっていた。
あくる朝ボブはルイスへ行く道を教えてくれたので、わたしは出発する用意をしていた。わたしはかれが
朝飯のお湯をわかすところを見ながら、ふと目を火からはなして外をながめると、カピが一人の
巡査に
引っ
張られて、こちらへやって来るのであった。どうしたということであろう。
カピがわたしを見つけたしゅんかん、かれはひもをぐいと引っ張った。そして巡査の手からのがれてわたしのほうへとんで来て、うでの中にだきついた。
「これはおまえの犬か」と
巡査がたずねた。
「そうです」
「ではいっしょに来い。おまえを
拘引する」
かれはこう言って、わたしのえりをつかんだ。
「この子を拘引するって、どういうわけです」とボブが火のそばからとんで来てさけんだ。
「これはおまえの兄弟か」
「いいえ、友だちです」
「そうか。ゆうべ、おとなと子どもが二人、セント・ジョージ寺へどろぼうにはいった。かれらははしごをかけて、
窓からはいった。この犬がそこにいて番をしていた。ところが
犯行中おどろかされて、あわてて窓からにげ出したが、犬を寺へ
置いて行った。この犬を手がかりにして、どろぼうは
確かに見つかると思っていた。ここに一人いた。今度はそのおやじだが、そいつはどこにいる」
わたしはひと言も言うことができなかった。この話を聞いていたマチアは、車の中から出て来て、びっこをひきひきわたしのそばに
寄った。ボブは
巡査に、この子が
罪人であるはずがない、なぜならゆうべ一時までいっしょにいたし、それから「大がしの
宿屋」へ行って、そこの主人と話をして、すぐここへ帰って来たのだからと言った。
「寺へはいったのは一時十五分
過ぎだった」と
巡査が言った。「するとこの子がここを出たのは一時だから、それから
仲間に会って、寺へ行ったにちがいない」
「ここから町までは十五分
以上かかります」とボブが言った。
「なに、かければ行けるさ」と巡査が答えた。「それに、こいつが一時にここを出たという
確かな
証拠があるか」
「わたしが
証人です。わたしはちかいます」とボブがさけんだ。
巡査は
肩をそびやかした。
「まあ子どもが
判事の前へ出て、自分で
陳述するがいい」とかれは言った。
わたしが引かれて行くときに、マチアはわたしの首にうでをかけた。それはあたかも、わたしをだこうとしたもののようであったが、マチアにはほかの考えがあった。
「しっかりしたまえ」とかれはささやいた。「ぼくたちはきみを
見捨てはしないよ」
「カピを見てやってくれたまえ」とわたしはフランス語で言った。けれど
巡査はことばを知っていた。
「おお、どうして」とかれは言った。「この犬はわしが
預かる。この犬のおかげできさまを見つけたのだ。もう一人もこれで見つかるかもしれない」
巡査に
手錠をかわれて、わたしはおおぜいの目の前を通って行かなければならなかった。けれどこの人たちはわたしがまえにつかまったときの、フランスの
百姓のように、はずかしめたりののしったりはしなかった。この人たちはたいてい巡査に
敵意を持っていた。かれらはジプシー族や
浮浪者であった。どれも
宿なしの浮浪人であった。
今度
拘引された
留置場にはねぎが
転がしてはなかった。これこそほんとうの
牢屋で、
窓には鉄の
棒がはめてあって、それを見ただけで、もうどうでもにげ出したいという気を起こさせた。
部屋にはたった一つのこしかけと、ハンモックがあるだけであった。わたしはこしかけにぐったりたおれて、頭を両手にうずめたまま、長いあいだじっとしていた。マチアとボブは、よし、ほかの
仲間の
加勢をたのんでも、とてもここからわたしを
救い出すことはできそうもなかった。わたしは立ち上がって
窓の所へ行った。鉄の
格子はがんじょうで、目が細かかった。かべは三
尺(約一メートル)も
厚みがあった。下のゆかは大きな石がしきつめてあった。ドアは厚い鉄板をかぶせてあった。どうしてにげるどころではなかった。
わたしはカピがお寺にいたという事実に対して、自分の
無罪を
証拠だてることができるであろうか。マチアとボブとは、わたしが
現場にいなかったという
証人になって、わたしを助けることができようか。かれらがこれを
証明することさえできたら、あのあわれな犬が、わたしのためにつごう悪く
提供した
無言の証明があるにかかわらず、
放免になるかもしれない。
看守が食べ物を持って来たとき、わたしは
判事の前へ出るのは、手間がとれようかと聞いた。わたしはそのときまで、イギリスでは、
拘引されたあくる日、
裁判所へ
呼ばれるということを知らなかった。親切な人間らしい看守は、きっとそれはあしただろうと言った。
わたしは
囚人が
差し
入れの食べ物の中に、よく友だちからの
内証のことづけを見つけるという話を聞いていた。わたしは食べ物に手がつかなかったが、ふと思いついて、パンを
割り始めた。わたしは中になにも見つけなかった。パンといっしょについていたじゃがいもをも
粉ごなにくずしてみたが、ごくちっぽけな紙きれをも見つけなかった。
わたしはその
晩ねむられなかった。つぎの朝
看守は水のはいったかめと金だらいを持って、わたしの
部屋にはいって来た。かれは顔を
洗いたければ洗えと言って、これから
判事の前へ出るのだから、身なりをきれいにすることは
損にはならないと言った。しばらくしてまた
看守はやって来て、あとについて来いと言った。わたしたちはいくつかろうかを通って、小さなドアの前へ来ると、かれはそのドアを開けた。
「おはいり」とかれは言った。
わたしのはいった
部屋はたいへんせま苦しかった。おおぜいのわやわやいうつぶやきをも聞いた。わたしのこめかみはぴくぴく波を打って、ほとんど立っていることができないくらいであったが、そこらの様子を見ることはできた。
部屋は大きな
窓と、高い
天井があって、りっぱな
構えであった。
判事は高い台の上にこしをかけていた。その前のすぐ下には、ほかの三人の
裁判官がこしをかけていた。そのそばにわたしは
法服を着て、かつらをかぶった
紳士といっしょにならんだ。これがわたしの
弁護士であることを知って、わたしはおどろいた。どうして弁護士ができたろう。どこからこの人はやって来たのだろう。
証人の
席には、ボブと二人の
仲間、「大がしの
宿屋」の
亭主、それからわたしの知らない二、三人の人がいた。それから
向こう
側には五、六人の人の中に、わたしを
拘引した
巡査を見つけた。
検事は二言三言で、
罪状を
陳述した。セント・ジョージ寺で
窃盗事件があった。どろぼうはおとなと子どもで、はしごを登ってはいるために、
窓をこわした。かれらは外へ
張り
番の犬を
置いた。一時十五分
過ぎにおそい通行人が寺の明かりを見つけて、すぐに寺男を起こした、五、六人、人が寺へかけつけると、犬ははげしくほえて、どろぼうは犬をあとに
残したまま、
窓からにげた。犬のちえはおどろくべきものであった。つぎの朝その犬を
巡査が
競馬場へ
連れて行った。そこでかれはすぐと主人を
認識した。それはすなわち
現に
囚人席にいる子どもにほかならなかった。なお一人の
共犯者に対しては、
追跡中であるからほどなく
捕縛の
手続きをするはずである。
わたしのために言われたことはいたってわずかであった。わたしの友人たちはわたしが
現場がいなかったという
証言をしたけれども、
検事は、いや、寺へ行って
共犯者に出会って、それから「大がしの
宿屋」へかけて行く時間はじゅうぶんあったと言った。わたしはそれからどうして犬が一時十五分ごろ寺にいたか、その理由を
述べろと言われた。わたしは犬はまる一日自分のそばにいなかったのだから、それをなんとも言うことはできないし、わたしはなにも知らないと申し立てた。
わたしの
弁護士は、犬がその日のうちに寺に
迷いこんで、寺男が戸を
閉めたとき、中へ閉めこまれたものであるということを
証拠立てようと
努めた。かれはわたしのためにできるだけのことをしてくれたが、その弁護は力が弱かった。
そのとき
判事はしばらくわたしを
郡立刑務所へ送っておいて、いずれ
巡回裁判の回って来るまで待つことにしようと言いわたした。
巡回裁判。わたしはこしかけにたおれた。おお、なぜわたしはマチアの言うことを聞かなかったのであろう。
ボブ
判事が子どもを
連れて寺へはいったどろぼうの
捕縛を待つために、わたしはとうとう
放免されなかった。かれらはそのときになって、わたしがその男の
共犯者であるかどうか
初めて決めようと言うのである。
かれらはただいま
追跡中であると
検事が言った。そうすると、わたしはその男とならんで、
囚人席に入れられて、
巡回裁判官の前に出る
恥辱と
苦痛をしのばなければならないのであろう。
その
晩日のくれかかるまえ、わたしははっきりとコルネの音を聞いた。マチアが来ているのだ。なつかしいマチアよ。かれはじきそばに来て、わたしのことを思っていることを知らそうとしたのであった。かれはまさしく
窓の外の
往来にいるのであった。わたしは足音とおおぜいのぶつぶつ言う声を聞いた。マチアとボブが、きっと
演芸を始めているのであった。
ふとわたしはよくとおる声で、「あした夜明けに」とフランス語で言う声を聞いた。わたしはそれがなんのことだか
確かにはわからなかった。とにかくあしたの夜明けにはしっかり気を
張っていなければならなかった。
暗くなるとさっそくわたしはハンモックにはいった。たいへんつかれてはいたけれど、ねこむにはなかなか手間がとれた。そのうちやっとぐっすりねこんだ。目が
覚めるともう夜中であった。星は暗い空にかがやいて、
沈黙がすべてを
支配していた。時計は三時を打った。わたしはこれで一時間、これで十五分と
勘定していた。かべによりかかりながら、じっと目を
窓に向けて、星が一つ一つ消えてゆくのをながめた。遠方には
鶏がときを作る声が聞こえた。もう明け方であった。
わたしはごく
静かに
窓を開けた。なにがそこにあったか。
相変わらず鉄の
格子と、高いかべが前にあった。わたしは出ることができない。けれどばかげた考えではあっても、わたしは自由になることを待ちもうけていた。
朝の風が耳がちぎれるように寒かったけれど、わたしは
窓のそばに立ち止まって、なにを見るということなしに見て、なにを聞くということなしに耳を立てた。
大きな白い雲が空にうかんだ。夜明けであった。わたしの
心臓ははげしく
鼓動した。
するとかべをがりがり引っかく音が聞こえた。でも足音をすこしも聞かなかった。わたしは耳をすませた。引っかく音が
続いた。ぬっと人の頭がかべの上に
現れた。うす暗い光の中にわたしはボブを見つけた。
かれは
鉄格子に顔をおしつけて、わたしを見た。
「
静かに」とかれはそっと言った。
かれはわたしに
窓からどけという合図をした。ふしぎに思いながら、わたしは
服従した。かれは
豆鉄砲を口に当ててふいた。かわいらしい
鉄砲玉が空をまって、わたしの足もとに落ちた。ボブの頭が消えた。
わたしは
弾丸をわしづかみにつかんだ。それはうすい紙をまめのように小さい玉に丸めたものであった。明かりがあんまり暗いので、なにが書いてあるか見えなかった。夜の明けるまで待たなければならなかった。わたしはそっと
窓を
閉めて、小さな紙玉を手に持ったまま、またハンモックに
転がった。光の来ることのどんなにおそいことぞ。やっとわたしはその紙に書いてある文字を読むことができた。それにはこうあった。
「あしたきみは汽車に乗せられて、
郡立刑務所へ送られるはずだ。
巡査が一人ついて行くことになっている。きみは汽車の戸口に近い所にいたまえ。よく
勘定していたまえ、四十五分目に汽車は
連結点の近くで
速力をゆるめる。そのときドアを開けてとびだしたまえ。左手の小山を登れば、われわれはそこに待っている。しつかりやれ。なによりもうまく前へとんで、足を下に着くことだ」
助かった。わたしは
巡回裁判の前に出ないですむ。ありがたい、マチア。それから、ボブ。マチアに
加勢してくれるボブはずいぶんいい人だ。かわいそうにマチア一人では、とてもこれだけできやしない。
わたしは書きつけを二度読み直した。汽車が出てから四十五分……左手の小山……汽車からとび下りるのはけんのんな仕事だ。でもそれをやり
損なって死んでも、したほうがいい。どろぼうの
宣告を受けて死ぬよりましだ。
わたしはまたもう一度書きつけを読んでから、それをくちゃくちゃにかんでしまった。
そのあくる日の午後、
巡査は
監房にはいって来て、すぐついて来いと言った。かれは五十
以上の男であった。わたしはかれがたいしてはしっこそうでないのを見て、まずよしと思った。
事件はボブが言ったように進んで行った。汽車は走り出した。わたしは汽車の戸口に
席をしめた。巡査はわたしの前にこしをかけた。車室の中はわたしたちだけであった。
「おまえはイギリス語がわかるか」と
巡査はたずねた。
「あまり早く言われなければわかります」とわたしは答えた。
「そうか。よし。それでは少しおまえに
相談がある」とかれは言った。「
法律をあなどらないようにしろ。まあどういうしだいの
事件だか、話してごらん。おまえに五シルリングやる。
牢の中で金を持っていればよけい気楽だ」
わたしはなにも
白状することがないと言おうとしたが、そう言うと
巡査をおこらせるだろうと思って、なにも言わなかった。
「まあ、よく考えてごらん」とかれは
続けた。「で、
刑務所へ行っても、向こうで、いちばん先に来た者に言わないで、わたしの所へそう言ってお
寄こし。おまえのことを心配している人間のあることは、つごうのいいことだし、わたしは
喜んでおまえの
加勢をしてやる」
わたしはうなずいた。
「ドルフィンさんと言ってお聞き。おまえ、名前を
覚えたろうなあ」
「ええ」
わたしはドアによりかかっていた。
窓はあいていて、風がふきこんだ。
巡査はあまり風がはいると言って、こしかけのまん中へ
席を
移した。わたしの左の手がそっと外へ回ってハンドルを回した。右の手でわたしはドアをつかんだ。数分間たった。汽笛が鳴って
速力がゆるんだ。
いよいよだいじなしゅんかんが来た。わたしは急いてドアをおし開けて、できるだけ遠くへとんだ。運よく前へ出していたわたしの手が草にさわった。でも
震動はずいぶんひどかったから、わたしは
人事不省で地べたに
転がった。わたしが正気に返ったとき、わたしはまだ汽車の中にいると思った。わたしはまだ運ばれているように感じたのであった。そこらを見回して、わたしは馬車の中に転がっていることを知った。きみょうだ。わたしのほおはしめっていた。やわらかな
温かい
舌が、わたしをなめていた。少しふり向くと、一ぴきの黄色い、みっともない犬がわたしの顔をのぞきこんでいた。マチアがわたしのそばにひざをついていた。
「きみは助かったよ」とかれは言って、犬をおしのけた。
「ぼくはどこにいるんだ」
「きみは馬車の中だよ。ボブが
御者をしている」
「どうだな」とボブが御者台から声をかけた。「手足が動かせるか」
わたしは手足をのばして、かれの言うとおりにした。
「よし」とマチアは言った。「どこもくじきやしない」
「どうしたんだ」
「きみはぼくらの言ったとおりに、汽車からとび下りた。だが
震動で目が回って、みぞの中に
転がりこんだ。きみがいつまでも来ないから、ボブが馬車を下りて、小山をかけ下りて、きみをうでにひっかかえて帰って来た。ぼくらはきみが死んだと思ったよ。まったく心配したよ」
わたしはかれの手をさすった。
「それから
巡査は」とわたしは聞いた。
「汽車はあのまま進んだ。止まらなかった」
わたしの目はまた、そばでわたしをながめている、みにくい黄色い犬の上に落ちた。
それはカピに
似ていた。でもカピは白かった。
「なんだね、この犬は」とわたしはたずねた。
マチアが答える間もないうちに、そのみっともない小さな動物はわたしの上にとびかかった。はげしくなめ回して、くんくん鳴いていた。
「カピだよ。絵の具で
染めたのだよ」とマチアが
笑いながらさけんだ。
「染めた、どうして」
「だって見つからないようにさ」
ボブとマチアが馬車の中にうまくわたしをかくすようにくふうしてくれているあいだに、わたしは、いったいこれからどこへ行くのだとたずねた。
「リツル・ハンプトンへ」とマチアが言った。「そこへ行けば、ボブのにいさんが船を持っていて、ノルマンデーからバターと
卵を運んで、フランスの海岸を回っているのだ。ぼくらはなにからなにまでボブの世話になった。ぼくのようなちっぽけな者が、一人でなにができよう。汽車からとび下りるくふうもボブが考えたのだ」
「それからカピは。カピをうまく取り返したのはだれだ」
「ぼくだよ。だが、ぼくらが犬を交番から取りもどしたあとで、見つからないように黄色く絵の具をぬったのはボブだった。
判事はあの
巡査を気が
利いていると言った。だがカピを
連れて行かれるのは、あんまり気が利いたと言えない。もっともカピはぼくのにおいをかぎつけて、ほとんど一人で出て来た。ボブは犬どろぼうの
術を知っているのだ」
「それからきみの足は」
「よくなったよ。たいていよくなったよ。じつはぼくは足のことを考えているひまがなかった」
夜になりかかっていた。わたしたちはまだ長い道を行かなければならなかった。
「きみはこわいか」とわたしがだまって
転がっていると、マチアがたずねた。
「いや、こわくはない」とわたしは答えた。「だってぼくはつかまるとは思わないから。でもにげ出すということが
罪になりやしないかと思うのだ。それが気になるのだ」
「ボブもぼくも、きみを
巡回裁判に出すぐらいなら、なにをしてもいいと思ったからな」
あれから、汽車が止まったところで、
巡査がさっそく
捜索にかかることは
確かなので、わたしたちはいっしょうけんめい馬を走らせた。わたしたちの通って行く村は、ひじょうに
静かであった。明かりがただ二つ三つ
窓に見えた。マチアとわたしは
毛布の下にもぐった。しばらくのあいだ寒い風がふいていた。くちびるに
舌を当てると、
塩からい味がした。ああ、わたしたちは海に近づいていた。
まもなくわたしたちは、ときどき明かりのちらちらするのを見つけた。それが
燈台であった。ふとボブは馬を止めて、馬車からとび下りながら、わたしたちに待っていろと言った。かれは兄弟の所へ行って、わたしたちをその船に乗せて、安全に向こう岸までわたれるか、様子を聞きに行ったのであった。
ボブはひじょうに遠くへ行ったらしかった。わたしは口をきかなかった。すぐ間近の岸に、波のくだける音が聞こえた。マチアはふるえていた。わたしもふるえていた。
「寒いね」とかれはささやいた。わたしたちをふるえさせるのは寒さのためだけであったろうか。
やがて
往来に足音がした。ボブは帰って来た。わたしの運命が決められた。
胴服を着て油じみたぼうしをかぶったぶこつな顔つきの船乗りが、ボブといっしょに来た。
「これがぼくの
兄貴だ」とボブが言った。「きみたちを船に乗せて行ってくれるはずだ。そこでぼくはここでお
別れとしよう。だれもぼくがきみをここへ
連れて来たことを知るはずがないよ」
わたしはボブに礼を言おうとしたが、かれは手短に打ち切った。わたしはかれの手をにぎった。
「それは言いっこなしだ」とかれは軽く言った。「きみたち二人は、このあいだの
晩ぼくを助けてくれた。いいことをすればいい
報いがあるさ。それでぼくもマチアの友だちを助けてあげることができたのだから、自分でもゆかいだ」
わたしたちはボブの兄弟のあとについて、いくつか
折れ曲がった
静かな通りを通って、
波止場に着いた。かれはひと言も口をきくことなしに、一そうの小さい
帆船を指さした。二、三分でわたしたちは
甲板の上にいた。かれはわたしたちに下の小さな船室にはいれと言った。
「二時間すれば船を出す」とかれは言った。「そこにはいって、音のしないようにしておいで」
でもわたしたちはもうふるえてはいなかった。わたしたちはまっ暗な中で
肩をならべてすわっていた。
白鳥号
ボブの兄弟が立ち去ったあと、しばらくのあいだわたしたちは、ただ風の音と、キールにぶつかる波の音を聞くだけであった。やがて足音が上の
甲板に聞こえて、
滑車が回りだした。
帆が上げられて、やがて急に一方にかしいだ。動き始めたと思うまもなく、船はあらい海の上へぐんぐんすべり出した。
「マチア、気のどくだね」とわたしはかれの手を取った。
「かまわないよ。助かったのだから」とかれは言った。「船に
酔ったってなんだ」
そのあくる日、わたしは船室と
甲板の間に時間を
過ごした。マチアは一人うっちゃっておいてもらいたがった。とうとう船長が、あれがバルフルールだと指さしてくれたとき、わたしは急いで船室に下りて、かれにいい知らせを
伝えようとした。
もう、バルフルールに着いたときは、夕方おそくなっていたので、ボブの兄弟はわたしたちによければ今夜
一晩船の中でねて行ってもいいと言った。
「おまえさんがまたイギリスへ帰りたいと思うときには」とそのあくる朝、わたしたちがさようならを言って、かれの
骨折りを
感謝すると、こう言った。「エクリップス号は毎火曜日ここから
出帆するのだから、
覚えておいで」
これはうれしい
好意であったが、マチアにもわたしにも、てんでん、この海を二度とわたりたくない……ともかくも、ここしばらくはわたりたくないわけがあった。
運よくわたしたちのかくしには、ボブの
興行を
手伝ってもうけたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。マチアはボブに二十七フランを、わたしたちの
逃亡のために
骨を
折ってくれた礼にやりたいと思ったが、かれは一スーの金も受け取らなかった。
「さてどちらへ出かけよう」わたしはフランスへ
上陸するとこう言った。
「
運河について行くさ」とマチアはすぐに答えた。「ぼくは考えがあるのだ。ぼくはきっと白鳥号がこの夏は運河に出ていると思うよ。アーサが悪いのだからね。ぼくはきっと見つかるはずだと思うよ」とかれは言い足した。
「でもリーズやほかの人たちは」とわたしは言った。
「ぼくたちはミリガン
夫人を
探しながら、あの人たちにも会える。
運河をのぼって行きながらとちゅう止まってリーズをたずねることができる」
わたしたちは持って来た地図で、いちばん近い川を
探すと、それはセーヌ川であることがわかった。
「ぼくたちはセーヌ川をのぼって行って、とちゅう岸で会う船頭に
片っぱしから白鳥号を見たかたずねようじやないか。きみの話では、その船はだいぶなみの船とはちがうようだから、見れば
覚えているだろうよ」
これからおそらく
続くかもしれない長い
旅路にたつまえに、わたしはカピのからだを
洗ってやるため、やわらかい石けんを買った。わたしにとっては、黄色いカピは、カピではなかった。わたしたちは代わりばんこにカピをつかまえては、かれがいやになるまでよく洗ってやった。でもボブの絵の具は上等な絵の具で、洗ってやってもやはり黄色かった。だがいくらか青みをもってはきた。それでかれをもとの色に返すまでには、ずいぶんたびたび
石けん
浴をやった。幸いノルマンデーは小川の多い地方であったから、毎日わたしたちは根気よく行水をつかってやった。
わたしたちはある朝小山の上に着いた。わたしたちの
前途に当たって、セーヌ川が大きな曲線を作って流れているのを見た。それから進んで行って、わたしたちは会う人ごとにたずね始めた。あのろうかのついた美しい船の白鳥号を見たことはないか――だれもそれを見た者はなかった。きっと夜のうちに通ってしまったのかもしれなかった。わたしたちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい
結果は
得られなかった。でもわたしたちは
失望しないで、一人ひとりたずねながらずんずん進んだ。
行く道みち食べ物を買う金を取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの
郊外へ着くまでは五日間かかった。
幸いシャラントンに着くと、まもなくどの方角に向かっていいか見当がついた。さっそく
例のだいじな
質問を出すと、
初めてわたしたちは待ちもうけていた返答を受け取った。白鳥号に
似た大きな
遊山船が、この道を通ったが、左のほうへ曲がって、セーヌ川をずんずん上って行った、というのであった。
わたしたちは岸の近くに下りてみた。マチアは船頭たちの中で
舞踏曲をやることになったので、たいへんはしゃぎきっていた。とつぜんダンスをやめて、ヴァイオリンを持って、マチアは気ちがいのように
凱旋マーチをひいた。かれがひいているまに、わたしはその船を見たという男によくたずねた。
疑いもなくそれは白鳥号であった。なんでもそれはふた月ほどまえ、シャラントンを通って行った。
ふた月か。なんという遠い話であろう。だがなにをちゅうちょすることがあろう。わたしたちにも足がある。向こうも二ひきのいい馬の足がある。でもいつか追い着くであろう。ひまのかかるのはかまったことではない。なによりだいじな、しかもふしぎなことは、白鳥号がとうとう見つかったということであった。
「ねえ、まちがってはいなかった」とマチアがさけんだ。
わたしに
勇気があれば、マチアに向かって、わたしがひじょうに大きな
希望を持っていることを打ち明けたかもしれない。けれどわたしは自分の心を自分自身にすら細かく
解剖することができなかった。わたしたちはもういちいち立ち止まって人に聞く
必要はなかった。白鳥号がわたしたちの先に立って進んで行く。わたしたちはただセーヌ川について行けばいいのだ。わたしたちは道みちリーズのいる近所を通りかけていた。わたしはかの女がその家のそばの岸を船の通るとき、見ていなかったろうかと
疑った。
夜になっても、わたしたちはけっしてつかれたとは言わなかった。そしてあくる朝は早くから出かける仕度をしていた。
「ぼくを起こしてくれたまえ」とねむることの
好きなマチアは言った。
それでわたしが起こすと、かれはすぐにとび起きた。
倹約するためにわたしたちは
荒物屋で買ったゆで
卵と、パンを食べた。でもマチアはうまいものはたいへん
好んでいた。
「どうかミリガン
夫人が、そのタルトをうまくこしらえる
料理番をまだ使っているといいなあ」とかれは言った。「あんずのタルトはきっとおいしいにちがいない」
「きみはそれを食べたことがあるかい」
「ぼくはりんごのタルトを食べたことはあるが、あんずのタルトは知らない。見たことはあるよ。あの黄色いジャムの上にいっぱいくっついている、白い小さなものはなんだね」
「はたんきょうさ」
「へええ」こう言ってマチアはまるでタルトを一口にうのみにしたように口を開いた。
水門にかかって、わたしたちは白鳥号の
便りを聞いた。だれもあの美しい
小舟を見たし、あの親切なイギリスの
婦人と、
甲板の上のソファにねむっている子どものことを話していた。
わたしたちはリーズの家の近くに来た。もう二日、それから一日、それからあとたった二、三時間というふうに近くなってきた。やがてその家が見えてきた。わたしたちはもう歩いてはいられない。かけ出した。どこへわたしたちが行くかわかっているらしいカピは、先に立って
勢いよく走った。かれはわたしたちの来たことをリーズに知らせようとしたのであった。かの女はわたしたちをむかえに来るだろう。
けれどもわたしたちがその家に着いたとき、戸口には知らない女の人が一人立っているだけであった。
「シュリオのおかみさんはどうしました」とわたしはたずねた。
しばらくのあいだかの女は、ばかなことを聞くよ、と言わないばかりに、わたしたちの顔をながめた。
「あの人はもうここにはいませんよ」とやっとかの女は言った。「エジプトに行っていますよ」
「なにエジプトへ」
マチアとわたしはあきれて顔を見合わせた。わたしたちはほんとうにエジプトのある
位置をよくは知らなかったが、それはぼんやりごくごく遠い海をこえて向こうのほうだと思っていた。
「それからリーズはどうしたでしょう。知っていますか」
「ああ、小さなおしのむすめだね。そう、あの子は知っているよ。あの子はイギリスのおくさんと船に乗って行きましたよ」
「へえ、リーズが白鳥号に」
ゆめを見ているのではないか。マチアとわたしはまた顔を見合った。
「おまえさん、ルミさんかい」とそのとき女はたずねた。
「ええ」
「まあ、シュリオさんは、水で死にましたよ……」
「ええ、水で死んだ」
「そう、あの人は水門に落ちて、くぎにひっかかって死んだのだ。それから気のどくなおかみさんはどうしていいかわからずにいた。するとあの人が
先におよめに来るまえに
奉公していたおくさんが、エジプトへ行くというので、そのおくさんにたのんで子どもの
乳母にしてもらった。そうなるとリーズはどうしていいかわからずに
困っていたところへ、イギリスのおくさんと病身の子どもが船に乗って
運河を下りて来た。そのおくさんと話をしているうち、おくさんはいつも
独りぼっちでたいくつしているむすこさんの
遊び
相手を
探しているところなので、リーズをもらって行って、教育してみようと言ったのさ。おくさんの言うのには、この子を医者にみせたら、おしが
治っていつか口がきけるようになろうということだからと言った。それでいよいよたって行くときに、リーズがおばさんに、もしおまえさんがここへ
訪ねて来たら、こうこう言ってくれということづけをたのんで行ったそうだ。それだけですよ」
わたしはなんと言おうか、ことばの出ないほどおどろいた。でもマチアはわたしのようにぼんやりはしなかった。
「そのイギリスのおくさんはどこへ行ったでしょう」
「スイスへね。リーズはわたしの所に向けて、おまえさんにあげるあて名を書いて
寄こすはずだったが、まだ手紙は受け取らないよ」
生きた
証拠
「さあ、進め、子どもたち」
婦人に礼を言ってしまうと、マチアがこうさけんだ。
「こうなるとぼくたちがあとを追うのは、アーサとミリガン
夫人だけではなく、リーズまでいっしょなのだ。なんという幸せだ。どういう回り合わせになるか、わかったものではないなあ」
わたしたちはそれからまた白鳥号
探索の旅を
続けた。ただ夜とまって、ときどきすこしの金を取るだけに足を止めた。
「スイスからはイタリアへ出るのだ」とマチアが
感情をこめて言った。「もしミリガン
夫人を追いかけて行くうちに、ルッカまで出たら、ぼくの小さいクリスチーナがどんなにうれしがるだろうな」
気のどくなマチア、かれはわたしのために、わたしの
愛する人たちを
探すことに
骨を
折っている。しかもわたしはかれを小さな妹に会わせるためにはすこしも骨を折ってはいないのだ。
リヨンで、わたしたちは、白鳥号の
便りを聞いた。それはほんの六週間わたしたちよりまえにそこを通ったのであった。それではいよいよスイスまで行かないうちに追い着くかもしれないと思った。そのときはまだ、ローヌ川からジュネーヴの湖水までは船が通らないことを知らなかった。わたしたちはミリガン
夫人がまっすぐに船でスイスへ行ったものと思っていた。
するとそのつぎの町でふと白鳥号の
姿を遠くに見つけたとき、どんなにわたしはびっくりしたであろう。わたしたちは
河岸についてかけ出した。どうしたということだ。
小舟の上はどこもここも
閉めきってあった。ろうかの上に花もなかった。アーサはどうかしたのかしらん。わたしたちはおたがいに同じようなしずみきった顔を見合わせながら立ち止まった。
するとそのとき船を
預かっていた男がわたしたちに、イギリスのおくさんは病人の子どもと、おしの小むすめを
連れてスイスへ出かけたと言った。かれらは一人女中を連れて、馬車に乗って行った。あとの家来は荷物を
運びながら、
続いて行った。
これだけ聞いて、わたしたちはまた息が出た。
「それでおくさんはどちらに行かれたのでしょう」とマチアがたずねた。
「おくさんはヴヴェーに
別荘を持っておいでだ。だがどのへんだかわからない。なんでも夏はそこへ行ってくらすことになっているのだ」
わたしたちはヴヴェーに向かって出発した。もう向こうはずんずん歩いて行く旅ではない、足を止めているのだから、ヴヴェーへ行って
探せば、きっとわかる。
こうしてわたしたちがヴヴェーに着いたときには、かくしに三スーの金と、かかとをすり切った長ぐつだけが
残った。でもヴヴェーは思ったように小さな村ではなかった。それはかなりな町で、ミリガン
夫人はとか、病人の子どもとおしのむすめを
連れたイギリスのおくさんはとか言ってたずねたところで、いっこうばかげていることがわかった。ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの
遊山場によく
似ていた。いちばんいいしかたは、あの人たちが住んでいそうな家を一けん一けん
探して歩くことである。そしてそれはたいしてむずかしいことではないであろう。わたしたちはただ町まちで音楽をやって歩けばいいのだ。
それで毎日
根よくほうぼうへ出かけて、
演芸をやって歩いた。けれどまだミリガン
夫人の手がかりはなかった。
わたしたちは湖水から山へ、山から湖水へ、右左を見て、しじゅう
往来の人の顔つきをのぞいたり、ことばを聞いて、返事をしてくれそうな人にたずねて歩いた。ある人はわたしたちを山の
中腹に
造りかけた
別荘へ行かせた。また一人は、その人たちは湖水のそばに住んでいると
断言した。なるほど山の別荘に住んでいるのもイギリスのおくさんであった。湖水のそばに家を持っていたのもイギリスのおくさんであったが、わたしたちのたずねるミリガン
夫人ではなかった。
ある日の午後、わたしたちは
例のとおり
往来のまん中で音楽をやっていた。そこに大きな鉄の門のある家があった。
母屋は
園のおくに引っこんで
建っていた。前には石のかべがあった。わたしはありったけの高い声で歌を歌っていた。例のナポリの
小唄の第一
節を歌って第二節にかかろうとしていたとき、か細いきみょうな声で歌う声がした。だれだろう。なんというふしぎな声だろう。
「アーサじゃないかしら」とマチアが聞いた。
「いいや、アーサではない。ぼくはこれまであんな声を聞いたことがなかった」
けれどそのうちカピがくんくん言い始めた。はげしい
歓喜の
表情のありったけを見せて、かべに向かってとびかかっていた。
「だれが歌を歌っているのだ」と、わたしはもう自分をおさえることができなくなってさけんだ。
「ルミ」と、そのときそのきみょうなか細い声がさけんだ。いまのわたしのことばに返事をする代わりに、わたしの名前を
呼んだのだ。
マチアとわたしはかみなりに打たれたようにおたがいに顔を見合わせた。わたしたちがあっけにとられて、てんでんの顔を見合ったまま立っていると、かべの向こうにハンケチが一
枚ひらひらしているのが見えた。わたしたちはそこへかけ出して行った。わたしたちは、
園の
向こう
側を取り
巻いているかきねのそばまで行ってみて、
初めてハンケチをふっている人を見つけた。
「リーズだ」
とうとうわたしたちはかの女を見つけた。もう遠くない所にミリガン
夫人も、アーサもいるにちがいなかった。
「でもだれが歌を歌ったのだろう」
これがマチアもわたしも、やっとことばが出るといきなり持ち出した
質問であった。
「わたしよ」とリーズが答えた。
リーズが歌っていた。リーズが話しかけていた。
医者は、いつかリーズがかの女のことばを取り返すだろう、それはたぶんはげしい感動の場合だと言っていたが、わたしはそんなことができるはずがないと思っていた。でも目の前に
奇跡は行われた。そしてそれはわたしがかの女の所に来て、いつも歌い
慣れたナポリ
小唄を歌うのを聞いて、はげしい感動を起こしたしゅんかんに、かの女がその声を
回復したことがわかった。わたしはそう思って、深く心を打たれたあまり、両手を
延ばしてからだをまっすぐにした。
「ミリガン
夫人はどこにいるの」とわたしはたずねた。「それからアーサは」
リーズはくちびるを動かしたが、ほんの聞き取れない音を出しただけで、じれったくなって、いつもの手まねのことばになった。かの女はまだことばをほんとうに出すだけに
器用に
舌が
働かなかった。
かの女はそのとき
園を指さした。そこにアーサが病人用のねいすにねているのを見た。そのそばに母の
夫人がいた。そしてもう一つこちらには……ジェイムズ・ミリガン
氏がいた。
こわくなって、
実際戦慄して、わたしはかきねの後ろにはいこんだ。リーズはわたしがなぜそんなことをするか、ふしぎに思ったにちがいない。そのときわたしは手まねをして、かの女に向こうへ行かせた。
「おいで、リーズ。それでないとぼくが、
災難に会うから」とわたしは言った。「あした九時にここへおいで。一人でだよ。そのとき話してあげるから」
かの女はしばらくちゅうちょしたが、やがて園へはいって行った。
「ぼくたちはミリガン
夫人に話をするのをあしたまで待っていてはいけない」とマチアが言った。「こう言ううちもあの悪おじさんがアーサを
殺しかねない。あの人はまだぼくの顔は知らないのだから、ぼくはすぐにミリガン
夫人に会いに行って話をする」
マチアの言うところに道理があったので、わたしはかれを出してやった。わたしはしばらくのあいだ、少しはなれた大きなくりの木のかげに待っていることにした。
わたしは長いあいだマチアを待った。十何度も、わたしはかれを出してやったのが、
失敗ではなかったかと
疑った。
やっとのことで、わたしはかれがミリガン
夫人を
連れてもどって来るのを見た。わたしはあわてて夫人のほうへかけて行って、わたしに
差し出された手をつかんで、その上にからだをかがめた。しかしかの女は両うでをわたしのからだに回して、こごみながら
優しくわたしの
額にキッスした。
「まあ、どうおしだえ」と
夫人はつぶやいた。
夫人は美しい白い指で、わたしの
額髪をなでて、長いあいだわたしの顔を見た。
「そうだそうだ」とかの女は
優しく
独り
言をささやいた。
わたしはあまり幸福で、ひと言もものが言えなかった。
「マチアとわたしは長いあいだお話をしましたよ」とかの女は言った。「でもわたしはあなたがどうしてドリスコルのうちへ行くようになったか、あなたの口から聞きたいと思うのですよ」
わたしはかの女に問われるままに答えた。そしてかの女は、そのあいだときどき口をはさんで、所どころ
要点を
確かめるだけであった。わたしはこれほどの
熱心をもって話を聞いてもらったことがなかった。かの女の目はすこしもわたしからはなれなかった。
わたしが話をしてしまったとき、かの女はしばらくだまって、わたしの顔を見つめていた。
最後にかの女は言った。
「これはなかなか重大なことだから、よく考えなければならない。けれどいまからあなたはアーサのお友だち……」
こう言ってかの女はすこしちゅうちょしながら、「兄弟だと思ってください。二時間たったら、ザルプというホテルへ来てください。さしあたりそこに待っていてくれれば、だれか人を
寄こしてそちらへ
案内させますから。ではしばらくごめんなさいよ」
ふたたび
夫人はわたしにキッスした。そしてマチアと
握手をして、足早に歩いて行った。
「きみはミリガン
夫人になにを話したのだ」とわたしはマチアに
質問した。
「あの人がいまきみに言っただけのことさ。それからまだいろいろなことをね」とかれは答えた。
「ああ、あの人は親切なおくさんだね。りっぱなおくさんだね」
「アーサにも会ったかい」
「ほんの遠方から。でもりっぱな子どもだということはよくわかった」
わたしはまだマチアに
質問し
続けた。けれどもかれは、何事もぼんやりとしか答えなかった。
わたしたちは
相変わらずぼろぼろの旅仕度であったが、ホテルでは黒の礼服に白のネクタイをした
給仕に
案内をされた。かれはわたしたちを
居間へ
連れて行った。わたしたちの
寝部屋をわたしはどんなに美しいと思ったろう。そこには白い
寝台がならんでいた。
窓は湖水を見晴らす
露台に向かって開いていた。給仕は「夕食にはなんでもお
好みのものを」と言った。そうして、よければ露台へ
食卓を出そうかとも言った。
「タルトがありますか」とマチアがたずねた。
「へえ、
大黄のタルトでも、いちごのタルトでも、すぐりの実のタルトでも」
「よし。ではそのタルトをぜひ出してください」
「三
種ともみんな出しますか」
「むろん」
「それからお食事は。肉はなんにいたしましょう。
野菜は……」
いちいちの
口上にマチアは目を
丸くした。でもかれはいっこう
閉口したふうを見せなかった。
「なんでもいいように見計らってください」とかれは
冷淡に答えた。
給仕はもったいぶって
部屋を出て行った。
そのあくる日ミリガン
夫人は、わたしたちに会いに来た。かの女は洋服屋とシャツ屋を
連れて来た。わたしたちの服とシャツの
寸法を計らせた。ミリガン夫人は、リーズがまだ話をしようと
努めていることを話して、医者はもうじき
治ると言っていると言った。それから一時間わたしたちの所にいて、またわたしに
優しくキッスし、マチアと
固い
握手をして、出て行った。
四日
続けてかの女は来た。そのたんびにだんだん優しくも、
愛情深くもなっていったが、やはりいくらかひかえ目にするところがあった。五日目に、わたしが白鳥号でおなじみになった女中が
夫人の代わりに来て、ミリガン
夫人がわたしたちを待ち受けている、もうおむかえの馬車がホテルの
門口に来ていると言った。マチアはさっそく一頭引きの馬車の上に、むかしから乗りつけている人のように乗りこんだ。カピもいっこうきまり悪そうなふうもなく中へとびこんで、ビロードのしとねの上にゆうゆうと上がりこんだ。
馬車の道はわずかであった。あまりわずかすぎたと思った。わたしはゆめの中を歩いている人のように、ばかげた考えで頭の中がいっぱいであった。いや、すくなくともわたしの考えたことはばかげていたらしかった。わたしたちは客間に通された。ミリガン
夫人と、アーサと、リーズがそこにいた。アーサは手を
差し
延べた。わたしはかれのほうへかけ出して行って、それからリーズにキッスした。ミリガン夫人はわたしにキッスした。「やっとのことで」とかの女は言った。「あなたのものであるはずの
位置に、あなたを
置くことができるようになりました」
わたしはこう言われたことばの意味を話してもらおうと思って、かの女の顔を見た。かの女はドアのほうへ
寄って、それを開けた。そのときこそほんとうにびっくりするものが
現れた。バルブレンのおっかあがはいって来た。その手には赤んぼうの着物、同じカシミアの外とう、レースのボンネット、毛糸のくつなどをかかえていた。かの女がこれらの品物を
机に
置くか置かないうちに、わたしはかの女をだきしめた。わたしがかの女にあまえているあいだに、ミリガン
夫人は
召使いに何か言いつけた。そのときほんの、「ジェイムズ・ミリガン」という名を聞いただけであったが、わたしは青くなった。
「あなたはなにもこわがることはないのよ」とミリガン
夫人は
優しく言った。「ここへおいで。あなたの手をわたしの手にお
置きなさい」
ジェイムズ・ミリガン
氏は
例の白いとんがった歯をむき出して、にこにこしながらはいって来た。ところがわたしの顔を見ると、
微笑がものすごい
渋面になった。ミリガン
夫人はかれにものを言うひまをあたえなかった。
「あなたにおいでを
願いましたのは」と、ミリガン
夫人はやや声をふるわせながら言った。「長男がやっと見つかりましたので、あなたにお引き合わせしたいとぞんじまして」こう言ってかの女はわたしの手をにぎりしめた。
「でもあなたはもうこの子にはお会いくださいましたそうですね。この子をぬすんだ男の家で、この子にお会いになって、からだの具合をお調べになったそうですね」
「それはなんのことです」とジェイムズ・ミリガン
氏が反問した。
「なんでもお寺へ
盗賊にはいったその男が、
残らず
白状いたしましたそうです。その男はどういうふうにしてわたくしの赤んぼうをぬすみ出して、パリへ
連れて行き、そこへ
捨てたか、その
一部始終を
述べました。これがわたくしの子どもの着ておりました着物でございます。わたくしの子どもを育ててくれましたのは、この正直なおばあさんでございました。この手続をお読みになりたいとおぼしめしませんか。この着物を調べてごらんになりたいとおぼしめしませんか」
ジェイムズ・ミリガン
氏はわたしにとびかかって、しめ
殺してでもやりたいような顔をしたが、やがてくるりとかかとをふり向けた。そしてしきい
際でかれはふり返って言った。
「いずれ
法廷が、この子どもの作り話をどう聞くか、見てみましょうよ」
わたしの母、もういまはそう
呼んでもいいが、――母はそのとき
静かに答えた。
「あなたが法廷へこの
事件をお持ち出しになるのはご
随意です。わたくしはあなたが
夫のご兄弟でいらっしゃるために、わざとそれをさしひかえたのでございます」
ドアは
閉まった。そのとき、生まれて
初めてわたしは、母を、かの女がわたしにキッスしたようにキッスし返した。
「きみ、お母さんに、ぼくが
秘密をよく守ったことを話してくれたまえ」とマチアがわたしのそばに
寄って来てこう言った。
「ではきみは
残らず知っていたのか」
「わたしはマチアさんにそれをそっくり言わずにいるようにたのんでおいたのです」とわたしの母が言った。「それはあなたがわたしの子だということはわかっていたけれど、わたしも
確かな
証拠をにぎりたかったから、バルブレンのおっかさんに、着物を持ってここまで来てもらったのです。こんなにしたうえで、つまりそれがまちがいだということになったら、どんなにつらい思いをするかしれないからね。わたしたちはこれだけの証拠のあるうえは、もう二度と
別れることはないのよ。あなたはこれからずっとあなたの母さんや弟といっしょにくらすのです」こう言ってマチアとリーズを指さしながら、「それから」と言いそえた。「あなたが
貧しかったときおまえの
愛したこの人たちもね」
家庭で
いく年か、それはずいぶん長い月日が短く
過ぎた。そのあいだしじゅう楽しい幸福な日が
続いた。わたしはいまでは、わたしの
先祖からのやしきであるイギリスのミリガン・パークに住んでいる。
うちのない子、よるべのない子、この世の中に
捨てられ、
忘れられて、運命のもてあそぶままに西に東にただよって、広い大海のまん中に、
目標になる
燈台もなく、
避難の港もなかったみなし子が、いまでは自分が
愛し愛される母親や兄弟があるだけではない、その国で
名誉のある
先祖の
名跡をついで、ばくだいな
財産を
相続する身の上になったのである。
夜な夜な、
物置きやうまやの中、または青空の下の木のかげにねむったあわれな子どもが、いまは
歴史に
由緒の深い
古城の主人であった。
わたしが汽車からとび下りて、
押送の
巡査の手からのがれて船に乗った、あの海岸から西へ二十里(約八十キロ)へだたった所に、わたしの美しい
城はあった。
このミリガン・パークの
本邸に、わたしは母と、弟と、
妻と、自分とで、家庭を作っていた。
半年前からわたしは
城内の
文庫にこもって、わたしの長い少年時代の思い出を、せっせと書きつづっていた。わたしたちはちょうど長男のマチアのために
洗礼式を上げようとしている。今夜わたしのやしきには
貧窮であった時代の友だちが集まって、いっしょに
洗礼式を
祝おうとしている、わたしの書きつづった少年時代の思い出は一
冊の本にできあがっていた。今夜集まる人たちに一冊ずつ分けるつもりである。
これだけわたしのむかしの友だちの集まるということが、わたしの
妻をおどろかした。かの女はこの一夜に、父親と、
姉と、兄と、おばさんに会うはずであった。ただ母と弟にはまだ
内証にしてあった。もう一人この
席にだいじな人が
欠けていた。それはあの気のどくなヴィタリス親方。
親方の生きているあいだには、わたしはなにもこの人のためにしてやることができなかった。でもわたしは母にたのんで、この人のために大理石の
墓を
築かせた。その墓の上にはカルロ・バルザニの
半身像をすえさせた。その半身像の
複製はこうして書いているわたしの
卓上にあった。「思い出の記」を書いている
間も、わたしはたびたび目を上げてこの半身像をながめた。わたしの目はわけなくこの像にひきつけられた。わたしはこの人をけっして
忘れることができない。なつかしいヴィタリス親方を忘れることはできない。
そう思っているとき、母が弟のうでにもたれかかって出て来た。弟のアーサはもうすっかりおとなになって、からだもじょうぶになって、いまではりっぱに母をだきかかえする人になっていた。母の後ろからすこしはなれて、フランスの
百姓女のようなふうをした
婦人が、白いむつき(おむつ)に
包まれた赤子をだいてついて来た。これこそむかしのバルブレンのおっかあで、だいている子どもは、わたしのむすこのマチアであった。
アーサがそのとき「タイムズ」新聞を一
枚持って来て、ウィーンの
通信記事を読めといって見せてくれた。それを見ると、いまは大音楽家になったマチアが、
演奏会を一とおりすませたところで、とりわけウィーンでの
大成功がかれをせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれないやくそくを
果たすため、ただちにイギリスに向かって出発の
途に着いたと書いてあった。わたしはそのうえ新聞記事をくどくどと読む
必要がなかった。いまでこそ世間はかれを、ヴァイオリンのショパンだといってほめそやすが、わたしはとうからかれのめざましい
成長発達を
予期していた。わたしと弟とかれと三人、同じ
教師について勉強していたじぶん、マチアは、ギリシャ語やラテン語こそいっこう進歩はしなかったが、音楽ではずんずん先生を
凌駕(しのぐ)していた。こうなると、マンデの
床屋さん
兼業の音楽家エピナッソー先生の
予言がなるほどとうなずかれた。
そのとき、
配達夫が一通の
電報を
配達して来た。その
文言にはこうあった。
「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに一
泊。妹クリスチーナを
同伴四時に行く。出むかえの馬車をたのむ。マチア」
クリスチーナの名が出たので、わたしはアーサの顔を見た。するとかれはきまり悪そうに目をそらせた。アーサがマチアの妹のクリスチーナを
愛していることはわたしにはわかっていた。そしていつか、それがいますぐというのではなくとも、母がこの
結婚を
承知することはわかっていた。子どもの
誕生のお
祝いばかりですむものではない。母はわたしの結婚にも反対しなかった。いまにそうするのが、つまりアーサのためだとわかれば、これにも反対するはずがなかった。
リーズ、わたしの美しい美しいリーズがろうかを通って出て来て、わたしの母の頭に手をかけた。
「ねえ、お母さま」とかの女は言った。「あなたはうまく
たくらみにかかっておいでなのですわ。それであなたに
不意討ちを食わせて、おどろかそうというのでしょう。
それもおもしろいでしょう。でもわたしはちっともおどろきませんわ」
「おい、リーズ、そんなことを言っているうちに、だしぬけを食ってびっくりするなよ」とわたしは言った。そのとき外でがらがらと馬車の止まった音がした。
一人、一人、お客が着くと、わたしとリーズは広間へ出てむかえた。アッケン
氏、カトリーヌおばさん、エチエネット、それからたったいま
植物採集の旅から帰ったばかりの有名な植物学者バンジャメン・アッケンの
胴色に
焼けた顔が
現れた。それから青年が一人、
老人が一人やって来た。今度の旅行はかれらにとって二重の
興味があった。というわけは、この人たちはわたしどもの
招待をすませると、ウェールズまで
鉱山見物に出かけるはずになっていた。この青年のほうは鉱山の
視察をとげて、国にたんとみやげ話を持って帰って、かれがいまツルイエールの鉱山でしめている重い
位置にいっそうの
箔をつけようというのであったし、
老人のほうはこのごろヴァルセの町で
鉱石収集をやって町で重んぜられているので、今度の
調査の
結果いっそう重大な発見をとげて帰ろうとするのであった。この
老人と青年というのは、言うまでもなく、ヴァルセ
鉱山で
働いていた「先生」と、アルキシーとであった。
リーズとわたしが
来賓にあいさつをしていると、またがらがらと
四輪馬車が着いて、アーサとクリスチーナとマチアが中から出て来た。すぐそのあとに
続いて、一両の二輪馬車が着いた。気の
利いた顔つきの男が
御者をして、これと
背中合わせに一人、ぼろぼろの服を着た船乗りが乗っていた。たづなをひかえて御者をしているのは、このごろ金のできたボブで、いっしょに乗って来たのは、あのときわたしをイギリスの海岸からにがしてくれたボブの兄であった。
さて
洗礼式がすむと、マチアはわたしを
窓際まで
連れ出した。
「わたしたちはこれまで、知らないよその人のためにばかり音楽をやっていた。さあこの
記念の
席上でわたしたちの
愛する人びとのために音楽をやろうじやないか」とかれは言った。
「おい、マチア、きみは音楽のほかに楽しみのない男だね」とわたしは
笑いながら言った。「きみの音楽のおかげで
雌牛をおどろかして、ひどい目に会ったっけなあ」
マチアは歯をむき出して笑った。
ビロードで
側を
張ったりっぱなはこから、売ったら二フランとはふめまいと思う古ぼけたヴァイオリンをマチアは取り出した。わたしもふくろの中から、むかしのハープを取り出した。雨に
洗われて、もとのぬり色ももう見分けることができなくなっていた。
「きみは
好きなナポリ
小唄を歌いたまえ」とマチアが言った。
「うん、この歌のおかげで、リーズは口がきけるようになったのだからなあ」
こうわたしは言って、にっこりしながら、そばに立っていた
妻をふり向いた。
来賓はわたしたちのぐるりを
取り
巻いた。
ふと一ぴきの犬がとび出して来た。
大好きなカピのじいさん、この犬はもうたいへん年を取って、耳が遠くなっていたが、
視力はまだなかなかしっかりしていた。ねていた
暖かいしとねの上から、むかしなじみのハープを見つけると、「
演芸」が始まると思ってはね起きて来た。歯ぐきの間には下ざらを一
枚くわえていた。かれは「ご
臨席の
来賓諸君」の間をどうどうめぐりするつもりでいた。
かれはむかしのように、後足で立って歩こうとした。けれどもうそれだけの力がないので、まじめくさってぺったりすわったまま、前足で
胸を打って、来賓にごあいさつをした。
わたしたちの歌がおしまいになると、カピはいっしょうけんめい立ち上がって、「どうどうめぐり」を始めた。みんなが下ざらにいくらかずつほうりこむと、カピはほくほくしてそれをわたしの所へ持って帰った。これこそかれがこれまで集めたいちばんの金高であった。中には
金貨と銀貨ばかり――百七十フランはいっていた。
わたしはむかししたように、かれの
冷たい鼻にキッスした。するうち、子どもの時代の
困窮が思い出して、ふとある考えがうかんだ。わたしはそこで
来賓に向かって、この金はさっそくあわれな
大道音楽師のために
救護所設立の第一回
寄付金としたいと
宣言した。そのあとの寄付はわたしと母とですることにする。
「おくさん」とそのときマチアがわたしの母の手にキッスしながら言った。「わたしにもその
慈善事業のお
手伝いをさせてください。ロンドンで開くはずのわたしの
演奏会第一夜の
収入は、どうぞカピのさらの中へ入れさせてください」
こう言うと、カピも「
賛成」というように、一声高くウーとほえた。
(おわり)