家なき子

SANS FAMILLE

(下)

マロ Malot

楠山正雄訳




     ジャンチイイの石切り場

 わたしたちはやがて人通りの多い往来おうらいへ出たが、歩いているあいだ親方はひと言も言わなかった。まもなくあるせまい小路こうじへはいると、かれは往来のいしにこしをかけて、たびたびひたいを手でなで上げた。それはこまったときによくかれのするくせであった。
「いよいよ慈善家じぜんかの世話になるほうがよさそうだな」とかれはひとごとのように言った。「だがさし当たりわたしたちは一せんの金も、一かけのパンもなしに、パリのどぶの中にてられている……おまえおなかがすいたろう」とかれはわたしの顔を見上げながらたずねた。
「わたしはけさいただいた小さなパンだけで、あれからなにも食べませんでした」
「かわいそうにおまえは今夜も夕食なしにねることになるのだ。しかもどこへねるあてもないのだ」
「じゃあ、あなたはガロフォリのうちにとまるつもりでしたか」
「わたしはおまえをあそこへとめるつもりだった。それであれが冬じゅうおまえをりきる代わりに、二十フランぐらいは出そうから、それでわしもしばらくやってゆくつもりだった。けれどあの男があんなふうに子どもらをあつかう様子を見ては、おまえをあそこへはいて行けなかった」
「ああ、あなたはほんとにいい人です」
「まあ、たぶんこの年を取ってかたくなった流浪人るろうにんの心にも、まだいくらかわかい時代の意気がのこっているとみえる。この年を取った流浪人はせっかく狡猾こうかつ胸算用むなざんようを立てても、まだ心のそこに残っている若い血がわき立って、いっさいを引っくり返してしまうのだ……さてどこへ行こうか」とかれはつぶやいた。
 もうだいぶおそくなって、ひどく寒さがくわわってきた。北風がふいてつらいばんが来ようとしていた。長いあいだ、親方は石の上にすわっていた。カピとわたしはだまってその前に立って、なんとか決心のつくまで待っていた。とうとうかれは立ち上がった。
「どこへ行くんです」
「ジャンチイイ。そこでいつかねたことがある石切り場を見つけることにしよう。おまえつかれているかい」
「ぼくはガロフォリの所で休みました」
「わたしは休まなかったので、どうもつらい。あまり無理むりはできないが、行かなければなるまい。さあ前へ進め、子どもたち」
 これはいつもわたしたちが出発するとき、犬やわたしに向かって用いるかれの上きげんな合図であった。けれど今夜はそれをいかにも悲しそうに言った。
 いまわたしたちはパリの町の中をさまよい歩いていた。夜は暗かった。ちらちら風にまばたきながら、ガスとうがぼんやり往来おうらいらしていた。一足ごとにわたしたちは氷のはったしき石の上ですべった。親方がしじゅうわたしの手を引いていた。カピがわたしたちのあとからついて来た。しじゅうかわいそうな犬は立ち止まって、ふり返っては、はきだめの中をさがして、なにかほねでもパンくずでも見つけようとした。ああ、ほんとにそれほどはららしているのだ。けれどはきだめは雪がかたくこおりついていて、さがしても、むだであった。耳をだらりと下げたままかれはとぼとぼとわたしたちに追い着いて来た。
 大通りをぬけて、たくさんの小路こうじ小路を出ると、またたくさんの大通りがあった。わたしたちは歩いて歩いて歩きつづけた。たまたま会う往来おうらいの人がびっくりしてわたしたちをじろじろ見た。それはわたしたちの身なりのためであったか、わたしたちがとぼとぼ歩いて行くつかれきった様子が、かれらの注意をひいたのであろうか。行き会う巡査じゅんさもふり向いてわたしたちを見送った。
 ひと言も口をきかずに親方は歩いた。かれの背中せなかはほとんど二重ふたえに曲がっていたが、寒いわりにかれの手はわたしの手の中でかっかとしていた。かれはふるえていたように思われた。ときどきかれが立ち止まって、しばらくわたしのかたによりかかるようにするときには、かれのからだ全体がふるえて、いまにもくずれるように感じた。いつもならわたしはかれに問いかけることはしなかったが、今夜こそはしなければならないと感じた。それにわたしは、どれほどかれをあいしているかを語りたいえるような希望きぼうを、いや少なくとも、なにかかれのためにしてやりたい希望を持っていた。
「あなたはご病気なんでしょう」かれがまた立ち止まったとき、わたしは言った。
「どうもそうではないかと思うよ。とにかくわたしはひじょうにつかれている。この寒さがわたしの年を取ったからだにはひどくこたえる。わたしはいいねどことの前で夕飯ゆうはんを食べたい。だがそれはゆめだ。さあ、前へ進め、子どもたち」
 前へ進め。わたしたちは町を後にした。わたしたちは郊外こうがいへ出ていた。もう往来おうらいの人も巡査じゅんさ街燈がいとうも見えない。ただ窓明まどあかりがそこここにちらちらして、頭の上には黒ずんだ青空に二、三点星が光っているだけであった。いよいよはげしくあらくふきまくる風が着物をからだにきつけた。幸いと向かい風ではなかったが、でもわたしの上着のそではかたの所までぼろばろにやぶれていたから、そのすきから風はえんりょなくふきこんで、ほねまで通るような寒気が身にこたえた。
 暗かったし、往来おうらいはしじゅうたがいちがいに入り組んでいたが、親方は案内あんないを知っている人のようにずんずん歩いた。それでわたしもまようことはないとしっかりしんじて、ついて行った。するととつぜんかれは立ち止まった。
「おまえ、森が見えるかい」とかれはたずねた。
「そんなものは見えません」
「大きな黒いかたまりは見えないかい」
 わたしは返事をするまえに四方を見回した。木も家も見えなかった。どこもかしこもがらんと打ち開いていた。風のうなるほかになんの物音も聞こえなかった。
「わたしがおまえだけに目が見えるといいのだがなあ。ほら、あちらを見てくれ」かれは右の手を前へさしべた。わたしはそっけなくなにも見えないとは言いかねて、返事をしなかったので、かれはまたよぼよぼ歩き出した。
 二、三分だまったままぎた。そのときかれはもう一度立ち止まっては、また森が見えないかとたずねた。ばくぜんとした恐怖きょうふに声をふるわせながら、わたしはなにも見えないと答えた。
「おまえこわいものだから目が落ち着かないのだ。もう一度よくごらん
「ほんとうです。森なんか見えません」
「広い道もないかい」
「なんにも見えません」
「道をまちがえたかな」
 わたしはなにも言えなかった。なぜならわたしはどこにいるのかもわからなかったし、どこへ行くのだかもわからなかったから。
「もう五分ばかり歩いてみよう。それでも森が見えなかったら、ここまで引っ返して来よう。ことによると道をまちがえたかもわからん」
 わたしたちが道にまよったことがわかると、もうからだになんの力ものこらないように思われた。親方はわたしのうでをった。
「さあ」
「ぼくはもう歩けません」
「いやはや、おまえはわたしがおまえをしょって行けると思うかい。わたしはすわったらもう二度と立ち上がることはできないし、そのまま寒さにこごえて死んでしまうだろうと思うからだ」
 わたしはかれについて歩いた。
「道に深い車ののあとがついてはいないか」
「いいえ、なんにも」
「じゃあ引っ返さなきゃならない」
 わたしたちは引っ返した。今度は風に向かうのである。それはむちのようにぴゅうと顔を打った。わたしの顔は火でかれるように思われた。
「車ののあとを見たら言っておくれ。左のほうへ分かれる道をとって行かなければならない」と親方は力なく言った。「それが見えたら言っておくれ。そこの四つ角に円い頭のような形のいばらがある」
 十五分ばかりわたしたちは風とあらそいながら歩みつづけた。しんとした夜の沈黙ちんもくの中でわたしたちの足音がかわいたかたい土の上でさびしくひびいた。もうふみ出す力はほとんどなかったが、でも親方を引きずるようにしたのはわたしであった。どんなにわたしは左のほうを心配してはながめたろう。暗いかげの中でわたしはふと小さな赤いを見つけた。
「ほら、ごらんなさい、明かりが」とわたしは指さしながら言った。
「どこに」
 親方は見た。その明かりはほんのわずかの距離きょりにあったが、かれにはなにも見えなかった。わたしはかれの視力しりょくがだめになったことを知った。
「その明かりがなにになろう」とかれは言った。「それはだれかの仕事場のつくえにともっているランプか、死にかかっている病人のまくらもとのだ。わたしたちはそこへ行って戸をたたくわけにはいかない。遠くいなかへ出れば、夜になって宿やどをたのむこともできよう。けれどこうパリの近くでは……このへんで宿をたのむことはできない。さあ」
 二足三足行くとわたしは横へはいる道を見つけたように思った。ちょうどいばらのやぶらしく思われる黒いかたまりもあった。わたしは先へ急いで行くために親方の手を放した。往来おうらいには深いわだちのあとがのこっていた。
「ほら、ここにのあとがある」とわたしはさけんだ。
「手をお貸し。わたしたちはすくわれた」と親方が言った。「ごらん、今度は森が見えるだろう」
 わたしはなにか黒いものが見えたので、森が見えるように思うと言った。
「五分のうちにそこまで行ける」とかれはつぶやいた。
 わたしたちはとぼとぼ歩いた。けれどこの五分間が永遠えいえんのように思われた。
「車ののあとはどちらにあるね」
「右のほうにあります」
「石切り場の入口は左のほうだよ。わたしたちは気がつかずに通りぎてしまったにちがいない。あともどりするほうがいいだろう」
のあとはどうしても左のほうにはついていません」
「ではまたあともどりだ」
 もう一度わたしたちはあともどりをした。
「森が見えるか」
「ええ、左手に」
「それから車ののあとは」
「もうありません」
「わたしは目が見えなくなったかしらん」と親方はひくい声で言って、両手を目に当てた。「森についてまっすぐにおいで。手をしておくれ」
「おや、へいがあります」
「いいや、それは石の山だよ」
「いいえ、たしかにへいです」
 親方は、一足はなれて、ほんとうにわたしの言ったとおりであるか、ためしてみようとした。かれは両手をさしべてへいにさわった。
「そうだ、へいだ」とかれはつぶやいた。「入口はどこだ。車ののあとのついた道をさがしてごらん」
 わたしは地べたに身をかがめて、へいのかどの所までのこらずさわってみたが、入口はわからなかった。そこでまたヴィタリスの立っている所までもどって、今度は向こうのがわをさわってみた。結果けっかは同じことであった。入口もなければ門もなかった。
「なにもありません」とわたしは言った。
 なさけないことになった。うたがいもなく親方は思いちがいをしていた。たぶんここには石切り場などはないのだ。ヴィタリスはしばらくゆめの中をたどっているように、ぼんやりつっ立っていた。カピはがまんができなくなってほえ始めた。
「もっと先を見ましょうか」とわたしは聞いた。
「いや石切り場にへいがったのだ」
「へいが建った」
「そうだ、入口をふさいでしまったのだ。中へはいることはできなくなったのだ」
「へえ、じゃあ」
「どうするって。もうわからなくなった。ここで死ぬのさ」
「まあ親方……」
「そうだ。おまえは死にはしない。おまえはまだわかいのだから。さあ歩こう。まだ歩けるかい」
「おお、でもあなたは」
「いよいよ行けなくなったら、いぼれうまのようにたおれるだけさ」
「どこへ行きましょう」
「パリへもどるのだ。巡査じゅんさに出会ったら、警察けいさつれて行ってもらうのだ。わたしはそれをしたくなかったが、おまえをこごえ死にさせることはできない。さあ、おいで、ルミ。さあ、前へ進め、子どもたち、元気を出せ」
 わたしたちはもと来た道をまた引っ返した。何時であったかわたしはまるでわからない。なんでも何時間も何時間も長い長いあいだそれはのろのろと歩いた。きっと十二時か一時にもなったろう。空は相変あいかわらずどんよりしてすこしばかり星が出ていた。その出ていたすこしばかりの星もいつもよりはずっと小さいように思われて、風のいきおいは強くなるばかりであった。往来おうらいの家は戸閉とじまりをしっかりしていた。そこに、夜着にくるまってねむっている人たちも、わたしたちが外でどんなに寒い目に会っているか、知っていたら、わたしたちのためにそのドアを開けてくれたろうと思われた。
 親方はただのろのろ歩いた。息がだんだんあらくなって、長い道をかけた人のようにせいせい言っていた。わたしが話しかけると、かれはだまっていてくれという合図をした。
 わたしたちはもう野原をぬけて、いまは町に近づいていた。そこここのへいとへいとの間にガスとうがちらちらしていた。親方は立ち止まったとき、かれがいよいよ力のつきたことをわたしは知った。
「一けんどこかのうちをたたきましょうか」とわたしはたずねた。
「いいや、入れてくれはしないよ。このへんに住んでいるのは植木屋だ。朝早く市場へみんな出かけるのだ。この時刻じこくにどうして起きてうちへ入れてくれるものか。さあ行こう」
 しかし意地はっても、からだの力はまったくつきていた。しばらくしてまたかれは立ち止まった。
「すこし休まなければ」とかれは力なく言った。「わたしはもう歩けない」
 さくで大きな花園をかこった家があった。その門のそばのみごえの山にかけてあるたくさんのわらを、風が往来おうらいのさくの根かたにふきつけていた。
「わたしはここにすわろう」と親方が言った。
「でもすわれば、今度立ち上がることができなくなるとおっしゃったでしょう」
 かれは返事をしなかった。ただわたしに手まねをして、門の前にわらをみ上げるようにと言った。このわらのしとねの上にかれはすわるというよりばったりたおれた。かれの歯はがたがた鳴って、全身がひどくふるえた。
「もっとわらを持っておいで」とかれは言った。「わらをたくさんにして風をふせごう」
 まったく風がひどかった。寒さばかりではなかった。わたしは集められるだけありったけのわらを集めて親方のわきにすわった。
「しっかりわたしにくっついておいで」とかれは言った。「カピをひざに乗せておやり。からだのぬくみでおまえもいくらか温かくなるだろう」
 親方ほどの経験けいけんんだ人がいまの場合こんなまねをすればこごえて死んでしまうことはわかりきっているのに、その危険きけんを平気でおかすということは、もう正気ではなかつた証拠しょうこであった。実際じっさいひさしいあいだの心労しんろう老年ろうねんに、この最後さいご困苦こんくくわわって、かれはもう自分をささえる力をうしなっていた。自分でもどれほどひどくなっているか、かれは知っていたろうか。わたしがかれのそばにぴったりはいったときに、かれはをかがめてわたしにキッスした。これがかれがわたしにあたえた二度目のキッスであった。そしてああ、それが最後さいごのキッスであった。
 わたしは親方にすりったと思うと、もう目がくっついたように思った。わたしは目を開けていようとつとめたができなかった。うでをつねっても、肉にはなんの感じもなかった。わたしがひざを立てたその間にもぐって、カピはもうねむっていた。風はわらのたばを木からかれ葉をはらうようにわたしたちの頭にふきつけた。往来おうらいには人ひとりいなかった。わたしたちのぐるりには死の沈黙ちんもくがあった。
 この沈黙ちんもくがわたしをおびえさせた。なにをわたしはこわがっているのだ。わたしはわからなかったが、とりとめもない恐怖きょうふがのしかかってきた。わたしはここで死にかけているように思った。そう思うとたいへん悲しくなった。
 わたしはシャヴァノンを思い出した。かわいそうなバルブレンのおっかあを思い出した。わたしはかの女をもう一度見ることなしに、わたしたちの小さな家や、わたしの小さな花畑を見ることなしに死ななければならないのだ……。
 するうちわたしはもう寒くはなくなった。わたしはいつか自分の小さな花畑に帰って来たように思った。太陽はかがやいていて、それはずいぶんあたたかかった。きくいもが金の花びらを開いていた。小鳥がこずえの中やかきねの上で鳴いていた。そうだ、そうしてバルブレンのおっかあがさざ波を立てている小川へ出て、いまあらったばかりのぬのを外へしている。
 わたしはシャヴァノンをはなれて、アーサとミリガン夫人ふじんといっしょに白鳥号に乗っている。
 やがてまた目がじた。心が重たくなったように思った。そしてもうなにもおぼえてはいなかった。


     リーズ

 目をますとわたしは寝台ねだいの上にいた。大きなのほのおがわたしのねむっている部屋へやらした。わたしはついぞこの部屋を見たことがなかった。わたしを取りいて寝台のそばに立っている人たちの顔も知らなかった。そこにねずみ色の背広せびろを着て、木のくつをはいた男と、三、四人の子どもがいた。その中でことに目についたのは六つばかりの小さな女の子で、それはすばらしく大きな目がいまにもものを言うかと思うように、いかにも生き生きとかがやいていた。
 わたしはひじで起き上がった。みんながそばへって来た。
「ヴィタリスは」とわたしはたずねた。
「あの子は父さんをさがしているのだよ」と、子どもたちの中でいちばん総領そうりょうらしいのが言った。
「あの人は父さんではありません。親方です」とわたしは言った。「どこへ行きました。カピはどこにいますか」
 ヴィタリスがほんとうの父親であったなら、たぶんこの人たちもえんりょしいしいこの知らせをつたえたかもしれない。けれどその人はほんの親方というだけであったと知ると、かれらはいきなり事実を打ち明けて聞かしてくれた。
 みんなの話では、あの気のどくな親方は死んだのであった。わたしたちがつかれきってたおれたその門の中に住んでいた植木屋が見つけたのであった。あくる朝早く、かれのむすこが野菜やさいや花を持って市場へ出かけようとするときに、かれらはわたしたちがいっしょにしもの上にかたまって、すこしばかりのわらをかぶってねむっていたのを見つけた。ヴィタリスはもう死んでいた。わたしも死ぬところであったのを、カピがむねの所へはいって来て、わたしの心臓しんぞうあたたかかにしていてくれたために、かすかな気息きそくのこっていた。かれらはわたしたちをうちの中に運び入れて、子どもたちの一人の温かい寝台ねだいの上にねかしてくれたのである。それから六時間ほど、まるで死んだようになってねていたが、血のめぐりがついてくると、呼吸こきゅうも強く出るようになった。そうしてとうとう目をましたのであった。
 わたしはからだもたましいもまったくしびれきったようになっていたが、このときはもうかれらの話を聞いてわかるだけにめていたのであった。
 ああ、ヴィタリスは死んでしまったのである。
 この話をしてくれたのは、ねずみ色の背広せびろを着た人であった。この人の話をしているあいだ、びっくりした目をして、じつとわたしを見つめていた女の子は、ヴィタリスが死んだと聞いて、わたしがいかにもがっかりしたふうをしたのを見つけると、そこを立って父のそばへ行き、片手かたてを父のうでにかけ、片手でわたしのほうを指さしながらなにか話をした。話といっても、ふつうのことばでなく、ただやさしい、しおらしい嘆息たんそくの声のようなものであった。
 それにかの女の身ぶりと目つきとは、べつにことばの助けをりる必要ひつようのないほどじゅうぶんにものを言って、そこによけい自然しぜん情愛じょうあいがふくまれているようであった。
 アーサとわかれてこのかた、わたしはつい一度もこんなに取りすがりたいような、親切のこもった、ことばに言えない情味じょうみを感じたことはなかった。それはちょうど、バルブレンのおっかあが、いつもキッスするまえにわたしをながめるときのような感じであった。ヴィタリスが死んで、わたしは世の中にき去りにされたが、でももうひとりぼっちではない、という気がした。わたしをあいしてくれる者が、まだそばにいるような気持ちがした。
「ああ、そうだ、リーズの言うとおりだ。こりゃああの子も聞くのがつらいだろうが、やはりほんとうのことは言わねばならぬ。わたしたちが言わないでも、巡査じゅんさが話すだろうから」
 お父さんはむすめのほうへ向きながら言った。そうしてなお話をつづけながら、警察けいさつとどけたことや、巡査がヴィタリスを運んで行ったことや、わたしを長男のアルキシーの寝台ねだいにねかしたことなどをのこらず話してくれた。この話のすむのを待ちかねて、
「それからカピは――」とわたしは聞いた。
「なに、カピ」
「ええ。犬です」
「知らないよ。いなくなったよ」
「あの犬はたんかについて行ったよ」と子どもたちの一人が言った。「バンジャメン、おまえ見たかい」
「ぼくよく知ってるよ」ともう一人の子が答えた。「あの犬は釣台つりだいのあとからついて行った。首をれてときどきたんかにとび上がった。下にいろと言われると、犬はなんだかおそろしい声でうなったり、ほえたりした」
 かわいそうなカピ。役者であったじぶん、あの犬は何度ゼルビノのお葬式そうしきを送るまねをしたであろう。それはどんなにまじめくさった子どもでも、あの犬の悲しい様子を見てはわらわずにはいられなかった。カピがけば泣くほど見物はよけい笑った。
 植木屋と子どもたちはわたしを一人いて出て行った。まったくどうしていいか、どうしようというのかわからずに、わたしは起き上がって、着物を着かえた。わたしのハープはねむっていた寝台ねだいのすそにいてあった。わたしはかたに負い皮をかけて、家族のいる部屋へやへと出かけて行った。わたしはなんでも出かけて行かなければならない気がするが、さてどこへ行こうか。ねどこにいるうちはそんなに弱っているとも思わなかったが、起きてみるともう立つことが苦しかった。わたしはいすにすがって、やっところがらないょうに、からだをささえなければならなかった。うちの人たちはの前の食卓しょくたくに向かって、キャベツのスープをすすっていた。そのにおいがわたしにとってはあんまりであった。わたしはゆうべなんにも食べなかったことをはげしく思い出した。わたしは気が遠くなるように思って、よろよろしながらばたのいすにこしを落とした。
「おまえさん、気分がよくないか」と植木屋がたずねた。
 わたしはかれに、どうも具合の悪いことを話した。そうしてしばらく火のそばへいてくれとたのんだ。
 でもわたしのほっしていたのは火ではなかった。それは食物であった。わたしはうちの者がスープをうところをながめて、だんだん気が遠くなるように思えた。わたしがかまわずにやるなら一ぱいくださいと言うところであったが、ヴィタリスはわたしにこじきはするなと教えた。わたしはかれらにおなかがっているとは言いださなかった。なぜだろう。わたしはひもじゅうございますと言うよりは、なにも食べずに死んでしまうほうがよかった。
 あの目にきみょうな表情ひょうじょうを持った女の子は――名前をリーズとばれていたが、わたしの向こうにこしをかけていた。この子はなにも言わずに、じっとわたしのほうを見つめていたが、ふと食卓しょくたくから立ち上がって、一ぱいスープのはいっているおさらをわたしの所へ持って来て、ひざの上にいた。もうものを言うこともできなかったので、かすかにわたしは首をうなずかせて、おれいを言った。よし、わたしがものを言えたとしても、父親が口をきかせるひまをあたえなかった。
「おあがり」とかれは言った。「リーズが持って行ったのは、やさしい心でしたのだからね。もっとしければまだあるよ」
 もっと欲しいかと言うのか。一ぱいのスープはみるみるわれてしまった。わたしがスープを下にくと、前に立ってながめていたリーズがかわいらしい満足まんぞくのため息をした。それからかの女はわたしの小ざらを取って、また父の所へ一ぱい入れてもらいに行った。いっぱいにしてもらうと、かの女はかわいらしい笑顔えがおをしながら、また持って来た。それがあんまりかわいらしいので、はらっていても、わたしは小ざらを取ることをわすれて、じっとその顔に見とれたくらいであった。二はい目の小ざらもさっそくはじめのと同様になくなった。もう子どもたちもくちびるをゆがめて微笑びしょうするくらいではすまなくなった。みんなはいっぱい口を開けてわらいだしてしまった。
「どうもおまえ、なかなかいけるねえ。まったく」とかの女の父親が言った。
 わたしはたいへんはずかしかった。けれどもそのうちわたしは食いしんぼうと思われるよりもほんとうの話を打ち明けてしたほうがいいと思ったので、じつはゆうべ晩飯ばんめしを食べなかったことを話した。
「それではお昼は」
「お昼もやはり食べません」
「では親方は」
「あの人も、やはりどちらも食べませんでした」
「ではあの人は寒さばかりでなく、かつえて死んだのだ」
 あついスープがわたしに元気をつけてくれた。わたしは立ち上がって、出かけようとした。
「おまえさん、どうするのだ」と父親がたずねた。
「おいとまいたします」
「どこへ行く」
「わかりません」
「パリにだれか友だちか親類しんるいでもあるのかい」
「いいえ」
宿やどはどこだね」
「宿はありません。ついきのうこの町へ来たばかりです」
「ではなにをしようというのだね」
「ハープをひいたり、歌を歌ったりして、すこしのお金をもらいます」
「パリでかい。おまえさん、それよりかいなかのご両親の所へ帰ったほうがいいだろう。ご両親はどこに住んでいなさる」
「わたしには両親がありません」
「あのひげの白いじいさんは、父さんではないというじゃないか」
「ええ、ほかにも父さんはありません」
「母さんは」
「母さんもありません」
「おじさんか、おばさんか、親類しんるいは」
「なにもありません」
「どこから来たのだね」
「親方はわたしを養母ようぼおっとの手から買ったのです。あなたがたは親切にしてくだすったし、ぼくは心からありがたく思っています。ですからおいやでなければ、わたしは日曜日にここへもどって来て、あなたがたのおどりに合わせてハープをひいてあげましょう」
 こう言いながらわたしは戸口のほうへ行きかけたが、ほんの二足三足で、すぐあとからわたしについて来たリーズが、わたしの手を取ってハープを指さした。
「あなた、いまひいてもらいたいの」と、わたしはかの女にわらいかけながらたずねた。かの女はうなずいて手をたたいた。
「うん。ひいてやっておくれ」とかの女の父親は言った。
 わたしはハープをひく元気はなかったけれど、このかわいらしい女の子のためにいちばんかわいらしいワルツをひいてやらずにはいられなかった。
 はじめかの女は大きな美しい目をじっとわたしに向けて聞いていたが、やがて足で拍子ひょうしを合わせ始めた。するうち、うれしそうに食堂しょくどうの中をおどり歩いた。かの女の兄弟たちはその様子をだまってながめていた。かの女の父親もうれしがっていた。ワルツがすむと、子どもはやって来て、わたしにかわいらしいおじぎをした。そして指でハープを打って「アンコール」(もう一つ)という心持ちをしめした。
 わたしはこの子のためには一日でもひいていてやりたかったが、父親はもうそれだけおどればたくさんだと言った。そこでワルツや舞踏曲ぶとうきょくの代わりに、わたしはヴィタリスが教えてくれたナポリ小唄こうたを歌った。リーズはわたしの向こうへ来て立って、あたかも歌のことばをくり返しているようにくちびるを動かした。するとかの女はくるりとふり向いて、きながら父親のうでの中にとびこんだ。
「それで音楽はけっこう」と父親が言った。
「リーズはばかじゃないか」とバンジャメンとばれた兄弟があざけるように言った。「はじめはおどりをおどって、今度はくんだもの」
「あの子はあんたのようにばかではないわ」と総領そうりょうあねが小さい妹をいたわるようにのぞきこみながら答えた。
「この子にはよくわかったのだよ……」
 リーズが父親のひざの上でいているあいだにわたしはまたハープをかたにかけて行きかけた。
「おまえさん、どこへ行く」と植木屋がたずねた。
「おいとまいたします」
「おまえさん、やはり芸人げいにんでやっていくつもりかい」
「でもほかにすることがありませんから」
「旅でかせぐのはつらいだろう」
「だってうちがありませんから」
「それはそうだろうが、夜というものがあるからね」
「それは、わたしだって寝台ねだいにねたいし、火にも当たりたいと思います」
「火に当たったり寝台にねるには、それそうとうはたらかなければならないが、おまえはどうだね。このうちにいて働く気はないか。なかなか楽な仕事ではないが、それは朝もずいぶん早くから起きて、まる一日働かなければならないけれど、ただおまえがゆうべ出会ったような目にはけっして二度と出会う気づかいはなかろうよ。おまえはねどこも、食べ物もられるし、自分ではたらいてそれを得たという満足まんぞくもあろうというものだ。それでおまえがわしが考えているようにいい子どもであるなら、同じうちの者にして、いっしょにくらしてゆきたいとも思っているのだよ」
 リーズがふり返って、なみだの中からわたしをながめてにっこりした。
 わたしはいま聞いたことをほとんどしんずることができなかった。わたしはただ植木屋をながめていた。
 するとリーズが、父親のひざからとんで来て、わたしの手を取った。
「うん、どうだね、おまえ」と父親がたずねた。
 家族だ。わたしは家族を持つようになった。わたしはひとりぼっちではなくなるのだ。いいゆめよ。今度は消えずにいてくれ。
 わたしが四、五年いっしょにくらして、ほとんど父親のようであった人は死んだ。なつかしい、やさしいカピは、わたしがあれほどあいした仲間なかまでもあり友だちでもあったカピは、いなくなった。わたしはなにもかもおしまいになったと思っていた。ところへこのいい人がわたしを自分の家族にしてやると言ってくれた。
 わたしのために新しい生涯しょうがいがまた始まるのだ。かれはわたしに食べ物と宿やどをあたえると言ったが、それよりももっとわたしにうれしかったのは、このうちの中の生活がやはりわたしのものになるということであった。この男の子たちはわたしの兄弟になるであろう。このかわいらしいリーズはわたしの妹になるであろう。わたしはもうみなし子ではなくなるであろう。わたしの子どもらしいゆめの中で、いつかわたしも父親と母親を見つけるかもしれないと思ったこともあった。けれど兄弟や妹を持とうとは考えなかった。それがわたしにあたえられようとしているのだ。わたしはさっそくハープの負い皮をかたからはずした。
「おお、それでこの子の返事がわかった」とお父さんがわらいながら言った。「わたしはおまえの顔つきで、どんなにおまえがよろこんでいるかわかる。もうなにも言うことはらない。そのハープをかべにおかけ。いつかおまえがここにあきたら、またそれを下ろしてきなほうへ行くがよろしい。けれどおまえもつばめのように、とび出して行く季節きせつえらばなければならない。まあ、冬のさ中に出て行くのだけはおよし」
 わたしの新しい家庭の場所はグラシエール、うちの名はアッケン家、植木屋が商売で、ピエール・アッケンというのがお父さんで、アルキシーに、バンジャメンという二人の男の子、それから女の子はエチエネットに、うちじゅうでいちばん小さいリーズでこれが家族のこらずであった。
 リーズはおしであった。生まれつきのおしではなかったが、四度目の誕生日たんじょうびをむかえるすこしまえに、病気でものを言う力をうしなった。この不幸ふこうは、でも幸せとかの女のちえをそこないはしなかった。その反対にかの女のちえはなみはずれた程度ていど発達はったつした。かの女はなんでもわかるらしかった。でもそのあいらしくって、活発でやさしい気質きしつが、うちじゅうの者にかれていた。それで病身の子どもにありがちのうちじゅうのきらわれ者になるようなことのないばかりか、リーズのいるために、うちじゅうがおもしろくくらしている。むかしは貴族きぞくの家の長子に生まれると福分ふくぶんを一人じめにすることができたが、今日の労働者ろうどうしゃの家庭では、総領そうりょうはいちばん重い責任せきにんをしょわされる。母親がくなってから、エチエネットが家庭の母親であった。かの女は早くから学校をやめさせられ、うちにいてお料理りょうりをこしらえたり、お裁縫さいほうをしたり、父親や兄弟たちのために家政かせいを取らなければならなかった。かれらはみんなかの女がむすめであり、あねであることをわすれきって、女中の仕事をするのばかり見慣みなれていた。いくらひどく使っても出て行く心配もなければ、不平ふへいを言う気づかいもない重宝ちょうほうな女中であった。かの女が外へ出ることはめったになかったし、けっしておこったこともなかった。リーズをうでにかかえてベンニーの手を引きながら、朝は暗いうちから起きて、父親の朝飯あさめしをこしらえ、夜はおそくまでさらをあらったりなどをしてからでなくては、とこにはいらなかったから、かの女はまるで子どもでいるひまがなかった。十四だというのにかの女の顔はきまじめにしずんでいた。それは年ごろのむすめの顔ではなかった。
 わたしはハープをかべにかけてから、ゆうべ出会った出来事をぽつぽつ話しだした。石切り場にねむろうとして失敗しっぱいして、それからあとの始末を一とおり話しかけて、やっと五分たつかたたないうちに、そのに向かっているドアを引っかく音が聞こえた。それから悲しそうにくんくん鳴く声がした。
「カピだ。カピだ」わたしはさけんですぐとび上がった。
 けれどもリーズがわたしより早かった。かの女はもうかけ出してドアを開けていた。
 カピがわたしにとびかかって来た。わたしはかれをうでにかかえた。小さなよろこびのほえ声をたてて、全身をふるわせながら、かれはわたしの顔をなめた。
「するとカピは……」とわたしはたずねた。わたしの問いはすぐに了解りょうかいされた。
「うん、むろんカピもいっしょにおくよ」とお父さんが言った。
 カピはわたしたちの言っていることがわかったというように、地べたにとび下りて、前足をむねいておじぎをした。それが子どもたち、とりわけリーズをわらわせた。で、よけいかれらをよろこばせるために、わたしはカピに、いつものげいをすこしして見せろとのぞんだ。けれどもかれはわたしの言いつけにしたがう気がなかった。かれはわたしのひざの上にとび上がって顔をなめ始めた。
 それからとび下りて、わたしの上着のそでを引き始めた。
「あの犬はわたしを外へれ出そうというのです」
「おまえの親方の所へ行こうというのだよ」
 親方を引き取って行った巡査じゅんさは、わたしがあたたまって正気づいたら、聞きたいことがあると言ったそうだ。その巡査がいつ来るか、あやふやであった。
 でもわたしは早く報告ほうこくを聞きたいと思った。たぶん親方はみんなの思ったように死んではいないのだ。たぶん親方はまだ生きて帰れるのだ。
 わたしの心配そうな顔を見て、お父さんはわたしを警察けいさつれて行ってくれた。
 警察へ行くとわたしは長ながと質問しつもんされた。けれどわたしはいよいよ気のどくな親方がまったく死んだという宣告せんこくを聞くまでは、なにも申し立てようとはしなかった。わたしは知っているだけのことはべたが、それはほんのわずかのことであった。わたし自身については、せいぜい両親のないこと、親方が前金で養母ようぼおっとに金をはらってわたしをやとったこと、それだけしか言えなかった。
「それでこれからは……」署長しょちょうがたずねた。
「わたくしどもでこの子を引き取ろうと思います」とわたしの新しい友人がことばをはさんだ。
「それをおゆるしくださいますならば」
 署長しょちょうよろこんでわたしをかれの手に委任いにんすると言った。そのうえその親切な心がけをほめた。
 自分のことはそれでいいとして、今度は親方のことを言わなければならなかった。でもまったくなんにも知らないのが事実であった。
 ただ一つわからないことは、最後さいご興行こうぎょうのとき、どこかの夫人ふじん天才てんさいだと言っておどろいたこと、それからガロフォリがむかしの名前をどうとか言いだして、かれをおどしたことであった。
 けれど親方があれほどかくしていたことを死んだのちにあばき立てることはいらない。でもそうは思いながら、事にれた警官けいかんの前で子どもがかくしおおせるものではなかった。かれらはわけなくわなにかけて、かくしたいと思うことをずんずん言わせてしまうのである。わたしの場合がやはりそれであった。
 署長しょちょうはさっそくわたしから、ガロフォリについてなにもかもかぎ出してしまった。
「この子をガロフォリというやつの所へれて行くよりほかにしかたがない」と、かれは部下の一人に言った。「一度この子の言うルールシーヌまちれて出れば、すぐその家を見つけるよ。きみはこの子といっしょに行って、その男を尋問じんもんしてくれたまえ」
 わたしたち三人――巡査じゅんさとお父さんとわたしは、いっしょに出かけた。
 署長しょちょうが言ったように、わたしはわけなくその家を見つけた。わたしたちは四階へ上がって行った。マチアはもう見えなかった。警官けいかんの顔を見て、それから見覚みおぼえのあるわたしを見つけると、ガロフォリは青くなって、ぎょっとしたようであった。けれどみんなの来たのは、ヴィタリスのことをたずねるためであったことがわかると、かれはすぐに落ち着いた。
「やれやれ、じいさん、死にましたか」とかれは言った。
「おまえはその老人ろうじんを知っているだろう」
「はい」
「じゃああの老人について知っていることをのこらず話してくれ」
「なんでもないことでございます。あの男の名前はヴィタリスではございません。本名はカルロ・バルザニと申しました。あなたがいまから三十五年か四十年まえにイタリアにおいででしたら、あの男についてご承知しょうちだったでしょう。それはほんの名前を言うだけで、どんな人物だということはのこらずおわかりになったでしょう。カルロ・バルザニと言えばそのころでいちばん有名な歌うたいでした。かれはナポリ、ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ロンドン、それからパリでも歌いました。どこの大劇場だいげきじょうもたいした成功せいこうでした。やがてふとしたことからかれはりっぱな声が出なくなりました。もう歌うたいの中でいちばんえらい者でいることができなくなると、かれは自分の偉大いだいな名声に相応そうおうしない下等な劇場に出て、歌を歌って、だんだん評判ひょうばんをうすくすることをしませんでした。その代わりかれはまるっきり自分を世間の目からくらまして、全盛時代ぜんせいじだいにかれを知っていた人びとからかくれるようにしました。けれどもかれも生きなければなりません。かれはいろいろの職業しょくぎょうに手を出してみましたが、どれもうまくいきません。そこでとうとう犬をらして、大道だいどう見世物師みせものしにまで落ちることになりました。けれどいくらなり下がってもやはり気位きぐらいが高く、これが有名なカルロ・バルザニのなれのてだということを世間に知られるくらいなら、はずかしがって死んだでしょう。わたしがあの男の秘密ひみつを知ったのは、ほんのぐうぜんのことでした」
 これが長いあいだ心にかかっていた秘密の正体であった。
 気のどくなカルロ・バルザニ。なつかしいヴィタリス親方。


     植木屋


 そのあくる日ヴィタリスをほうむらなければならなかった。アッケンはわたしをお葬式そうしきれて行くやくそくをした。
 けれどその日わたしは起き上がることができなかった。夜のうちにひじょうに具合が悪くなった。ひどいねつが出て、はげしい寒けを感じた。わたしのむねの中は、小さなジョリクールがあのばん木の上でごしたとき受けたと同様、きつくやうな熱気ねっきを感じた。
 実際じっさいわたしは胸にはげしい※(「火+欣」、第3水準1-87-48)きんしょう(焼きつくような感じ)を感じた。病気は肺炎はいえんであった。それはすなわちあのばん気のどくな親方とわたしがこの門口かどぐちにこごえてたおれたとき、寒気のために受けたものであった。
 でもこの肺炎はいえんのおかげで、わたしはアッケン家の人たちの親切、とりわけてエチエネットの誠実せいじつをしみじみ知ったのであった。びんぼうなうちではめったに医者をぶということはないが、わたしの容態ようだいがいかにも重くって心配であったので、わたしのため特別とくべつに、習慣しゅうかんのためいつか当たり前になっていた規則きそくやぶってくれた。呼ばれて来た医者は長い診察しんさつをしたり、細かい容態を聞いたりするまでもなく、いきなり病院へ送れと言いわたした。
 なるほどこれはいちばん簡単かんたんで、手数がかからなかった。でもこの父さんは承知しょうちしなかった。
「ですがこの子はわたしのうちの門口でたおれたんですから、病院へはやらずに、やはりわたしどもが看病かんびょうしなければなりません」とかれは言った。
 医者はこの因縁論いんねんろんに対して、いろいろうまいことばのかぎりをつくしていたが、承知しょうちさせることができなかった。かれはわたしをどうしても看病しなければならないと考えた。そしてまったく看病してくれた。
 こうしてありあまる仕事のあるうえ、エチエネットにはまた一つ、看護婦かんごふの役がえた。でもセン・ヴェンサン・ド・ポールのあまさんがするように、親切にしかも規則きそく正しく看護かんごしてくれて、けっしてかんしゃく一つ起こさないし、なに一つ手落ちなしにしてくれた。かの女が家事のためにどうしてもついていられないときには、リーズが代わってくれた。たびたびねつにうかされながら、わたしは寝台ねだいのすそで不安心ふあんしんらしい大きな目をわたしに向けているかの女を見た。熱にうかされながらわたしはかの女を自分の守護天使しゅごてんしであるように思って、天使に向かって話をするように、自分ののぞみやねがいをかの女に打ち明けた。このときからわたしは我知われしらずかの女を、なにか後光につつまれた人間以上いじょうのものに思うようになり、それが白い大きなつばさをしょってはいないで、やはりわれわれただの人間と同様にしていることをふしぎに思ったりした。
 わたしの病気は長かったし、重かった。こころよくなってはたびたびあともどりをしたので、ほんとうの両親でもいやきがさしたかもしれなかった。でもエチエネットはどこまでもがまん強く誠実せいじつをつくしてくれた。いくばんかわたしは肺臓はいぞういたんで、息がつまるように思われて、ねむられないことがあった。それでアルキシーとバンジャメンが代わりばんこに、寝台ねだいのそばにつききりについていてくれた。
 ようようすこしずつなおりかけてきた。でも長い重病のあとであったから、すこしでもうちの外に出るには、グラシエールの牧場ぼくじょうが青くなり始めるまで待たなければならなかった。
 そこで用のないリーズがエチエネットの代わりになって、ビエーヴル川の岸のほうへわたしを散歩さんぽれて行ってくれた。真昼まひるの日ざかりに、わたしたちはうちを出て、カピを先に立てて、手を組みながらそろそろと歩いた。その年の春はあたたかで、日和ひよりがよかった。少なくともわたしは暖かな心持ちのいい記憶きおくを持っている。だから同じことであった。
 このへんはラ・メーゾン・ブランシュとグラシエールの間にある土地で、パリの人にはあまり知られていなかった。このへんに小さな谷があるということだけはぼんやり知られていたが、その谷にそそぐ川はビエーヴル川であるから、この谷はパリの郊外こうがいではいちばんきたない陰気いんきな所だと言いもし、しんじられもしていた。だがそんなことはまるでなかった。うわさほど悪い所ではなかった。ビエーヴル川と言えば、たいてい人がセン・マルセルの場末ばすえで、工場地になっているというので、頭からきたない所と決めてしまうのであるが、ヴェリエールやリュンジには自然しぜんのおもむきがあった。少なくともわたしのいたじぶんには、やなぎやポプラが青あおとしげっている下を水が流れていた。その両岸には緑の牧場ぼくじょうが、人家や庭のある小山のほうまでだんだん上りにつづいていた。春は草が青あおとしげって、白い小ぎくが碧玉へきぎょくをしきつめたもうせんの上に白い星をちりばめていたし、芽出めだしやなぎやポプラの若木わかぎからはねっとりとやにが流れていた。そうしてうずらや、こまどりや、ひわやなんぞの鳥が、ここはまだいなかで、町ではないというように歌を歌っていた。
 これがわたしの見た小さな谷の景色けしきであった――その後ずいぶんわったが――それでもわたしの受けた印象いんしょうはあざやかに記憶きおくのこっていて、ついきのうきょうのように思われる。わたしに絵がかけるなら、このポプラの林の一まいの葉をものこすことなしにえがき出したであろう――また大きなやなぎの木を、頭の先の青くなった、とげのあるさんざしといっしょにかいたであろう。それはやなぎのかれたようなみきの間に根をっていた。また砲台ほうだい傾斜地けいしゃちをわたしたちはよく片足かたあしで楽にすべって下りた――それもかきたい。あの風車といっしょにうずらおかの絵もかきたい――セン・テレーヌ寺の庭にむらがっていたせんたく女もえがきたい。それから川の水をよごれくさらせていた製革せいかく工場もかきたい――
 もちろんこういう散歩さんぽのおり、リーズはものは言えなかったが、きみょうなことに、わたしたちはなにもことばの必要ひつようはなかった。わたしたちはおたがいにものを言うことなしに、了解りょうかいし合っているように思われた。
 そのうちにわたしにも、みんなといっしょにはたらけるだけじょうぶになる日が来た。わたしはその仕事を始める日を待ちかねていた。それはわたしのためにこれだけつくしてくれた親切な友だちに、こちらからもなにかしてやりたいと思っていたからであった。わたしはこれまで仕事らしい仕事をしたことがなかった。長い流浪るろうの旅はつらいものではあるが、どうでもこれだけ仕上げなければというように、いっしょうけんめいりこんでする仕事はなにもなかった。けれど今度こそわたしは、じゅうぶんにはたらかなければならないと感じた。少なくともぐるりにいる人たちをお手本にして、元気を出さなければならないと思った。このごろはちょうどにおいあらせいとうがパリの市場に出始める季節きせつであった。それには赤いのもあり、白いのもあり、むらさき色のもあって、その色によって分けられて、いくつかのフレームに入れられてあった。白は白、赤は赤、同じ色のフレームが一列にならんでみごとであった。夕方フレームのふたをするじぶんには、花から立つかおりが風にふくれていた。
 わたしにあてがわれた仕事はまだ弱よわしい子どもの力に相応そうおうしたものであった。毎朝しもが消えると、わたしはガラスのフレームを開けなければならなかった。夜になって寒くならないうちにまたそれを閉めなければならなかった。昼のうちはわらのおおいで日よけをしてやらなければならなかった。これはむずかしい仕事ではなかったが、一日ひまがかかった。なにしろ何百というガラスを毎日二度ずつ動かさなければならなかった。
 このあいだリーズは灌水かんすいに使う水上みずあ機械きかいのそばに立っていた。そして皮のマスクで目をかくされた老馬ろうばのココットが、回しつかれて足がはたらかなくなると、かの女は小さなむちをふるって馬をはげましていた。兄弟の一人はこの機械が引き上げたおけを返す、もう一人の兄弟はお父さんの手伝てつだいをする。こんなふうにしててんでに自分の仕事を持っていて、むだに時間をついやすものはなかった
 わたしは村で百姓ひゃくしょうはたらくところを見たこともあるが、ついぞパリの近所の植木屋のような熱心ねっしんなり勇気ゆうきなり勤勉きんべんなりをもってはたらいていると思ったことはなかった。実際じっさいここではみんないっしょうけんめい、朝は日の出まえから起き、ばんは日がくれてあとまでいっぱいの時間を使いきってのちに寝台ねだいに休むのである。わたしはまた土地をたがやしたことがあったが、勤労きんろうによって土地にまるで休憩きゅうけいをあたえないまでに耕作こうさくつづけるということを知らなかった。だからアッケンのお父さんのうちはわたしにとってはりっぱな学校であった。
 わたしはいつまでも温室のフレームばかりには使われていなかった、元気が回復かいふくしてきたし、自分もなにか地の上にまいてみるということに満足まんぞくを感じてきた。そのたねを出すのを見るのが、いっそうの満足であった。これはわたしの仕事であった。わたしの財産ざいさん、わたしの創造そうぞうであった。だからよけいわたしに得意とくいな感じを起こさせた。
 それで自分がどういう仕事に適当てきとうしているかがわかった。わたしはそれをやってみせた。そのうえよけいわたしをゆかいにしたことは、まったくこれでは骨折ほねおりのかいがあると感じたことであった。
 この新しい生活はなかなかわたしには苦しかったが、しかしこれまでの浮浪人ふろうにんの生活とても似つかない労働ろうどうの生活が案外あんがい早くからだにれた。これまでのように自由気ままに旅をして、なんでも大道を前へ前へと進んで行くほかに苦労くろうのなかったのに引きかえて、いまは花畑のかこいの中にじこめられて、朝からばんまであらっぽくはたらかなければならなかった。背中せなかにはあせにぬれたシャツを着、両手に如露じょろを持って、ぬかるみの道の中を、素足すあしで歩かなければならなかった。でもぐるりのほかの人たちも、同じようにあらっぽい労働ろうどうをしていた。お父さんの如露はわたしのよりもずっと重かったし、そのシャツはわたしたちのそれよりも、もっとびっしょりあせにぬれていた。みんな平等であるということは、苦労くろうの中の大きな楽しみであった。そのうえわたしはもうまったくうしなったと思ったものを回復かいふくした。それは家族の生活であった。わたしはもうひとりぼっちではなかった。世の中にてられた子どもではなかった。わたしには自分の寝台ねだいがあった。わたしはみんなの集まる食卓しょくたくに自分のせきを持っていた。昼間ときどきアルキシーやバンジャメンがわたしにげんこつをみまうこともあったが、わたしはなんとも思わなかった。またわたしが打ち返しても、かれらはなんとも思わなかった。そうしてばんになれば、みんなスープを取りいて、また兄弟にも友だちにもなるのであった。
 ほんとうを言うと、わたしたちははたらいてつかれるということはなかった。わたしたちにも休憩きゅうけいの時間も遊ぶ時間もあった。むろんそれは短かったが、短いだけよけいゆかいであった。
 日曜の午後には家についているぶどうだなの下にみんな集まった。わたしはその週のあいだかけっぱなしにしておいたれいのハープをはずして持って来る。そうして四人の兄弟姉妹しまいにおどりをおどらせる。だれもかれもダンスを習った者はなかったが、アルキシーとバンジャメンは一度ミルコロンヌで婚礼こんれい舞踏会ぶとうかいへ行って、コントルダンスのしかただけ多少正確せいかく記憶きおくしていた。その記憶がかれらの手引きであった。かれらはおどりつかれると、わたしに歌のおさらいをさせる。そうしてわたしのナポリ小唄こうたはいつも決まって、リーズの心を動かさないことはないのであった。
 このおしまいの一せつを歌うとき、かの女の目はなみだにぬれないことはなかった。
 そのとき気をまぎらすために、わたしはカピと道化芝居どうけしばいをやるのであった。カピにとってもこの日曜日は休日であった。その日はかれにむかしのことを思い出させた。それで一とおり役目を終わると、かれはいくらでもくり返してやりたがった。
 二年はこんなふうにしてぎた。お父さんはわたしをよくさかり場や、波止場や、マドレーヌやシャトードーやの花市場へれて行ったり、よく花を分けてやる花作りの家に連れて行ったので、わたしもすこしずつパリがわかりかけてきた。そうしてそこはわたしが想像そうぞうしたように大理石や黄金の町ではなかったが、あのときはじめてシャラントンやムフタールからはいって来たとき見て早飲みこみに思ったようなどろまみれの町でもないことがわかった。わたしは記念碑きねんひを見た。その中へもはいってみた。波止場通り、大通りをも、リュクサンプールの公園をも、チュイルリの公園をも、シャンゼリゼーをも、歩いてみた。銅像どうぞうも見た。群衆ぐんしゅうの人波にもまれて、感心して立ち止まったこともあった。これで大都会というものがどんなふうにできあがっているかという考えがほぼできてきた。
 幸いにわたしの教育はただ目で見る物から受けただけではなかった。パリの町中まちなか散歩さんぽしたりかけ歩いたりするついでに、ぐうぜんおぼえるだけではなかった。このお父さんはいよいよ自前じまえで植木屋を開業するまえに植物園の畑ではたらいていた。そこには学者たちがいて、かれにしぜん、物を読んでおぼえたいという好奇心こうきしんを起こさせた。それでいく年かのあいだためた金を書物を買うために使ったし、その本を読むために休みの時間をついやした。けれど結婚けっこんして子どもができてからは、休みの時間がごくまれになった。なによりもその日その日のパンをもうけなければならなかった。しぜん書物からはなれたが、てられたわけでもなく、売りはらわれたわけでもなかった。わたしがはじめてむかえた冬はたいへん長かったし、花畑の仕事はほとんど中止同様に、少なくとも何か月のあいだの仕事はひまであった。それでわたしたちはかこんで、いっしょにくらすばんなどには、そういう古い本をたんすから引き出して、めいめいに分けて読んだ。それはたいてい植物学の本か植物の歴史れきしのほかには、航海こうかい関係かんけいした本であった。アルキシーとバンジャメンはお父さんの学問の趣味しゅみを受けついでいなかったから、せっかく本を開けても三、四ページもめくるとすぐいねむりを始めるのであった。わたしはしかしそんなにねむくはなかったし、ずっと本がきだったので、いよいよねどこにはいらなければならない時間まで読んでいた。こうなるとヴィタリスの手ほどきをしてくれた利益りえきがむだにはならなかった。わたしはねながらそれをひとごとに言って、かれのことをありがたく思い出していた。
 わたしがものを学びたいというのぞみは、はしなくお父さんに、自分もむかし本を買うために毎朝朝飯あさめしのお金を二スー倹約けんやくしたむかしを思い出させた。それでたんすの中にあった書物のほかの本までパリからわざわざ買って来てくれた。その書物のえらかたはでたらめか、さもなければ表題ひょうだいのおもしろいものをつかみ出して来るにすぎなかったが、やはり書物は書物であった。これはそのじぶん秩序ちつじょもなく、わたしの心にはいっては来たが、いつまでも消えることはなかった。それはわたしに利益りえきのこした。いいところだけが残った。なんでも本を読むのは利益だということは、ほんとうのことである。
 リーズは本を読むことを知らなかったが、わたしが一時間でもひまがあれば、本と首っぴきをしているのを見て、なにがそんなにおもしろいのだろう、そのわけを知りたがっていた。はじめのうちはかの女も自分と遊ぶじゃまになるので、本を取り上げたが、それでもやはりわたしが本のほうへ心をひかれる様子を見て、今度は本を読んで聞かせてくれと言いだした。これがわたしたちのあいだの新しいむすになった。いったいこの子の性質せいしつはいつも物わかりがよくって、つまらない遊びごとやじょうだんごとには身のはいらないほうであったから、やがてわたしが読んで聞かせることに楽しみを感じもし、心のやしないをえるようになった。
 何時間もわたしたちはこうやってごした。かの女はわたしの前にすわって、本を読んでいるわたしから目をはなさずにいた。たびたびわたしは自分にわからないことばなりなりにぶつかると、ふとやめてかの女の顔を見た。そういうときわたしたちはかなりしばらく考え出すために休む。それを考えてもやはりわからないとき、かの女はあとをと言いたいような身ぶりをしてあとを読む合図をする。わたしはかの女にまた絵をかくことを教えた。まあやっと図画とでもいうようなことを教えた。これは長いことかかったし、なかなかむずかしかったがどうやら目的もくてきたっしかけた。むろんわたしはりっぱな先生ではなかった。でもわたしたちは力を合わせて、やがて先生と生徒せいとの美しい協力一致きょうりょくいっちから、ほんとうの天才以上いじょうのものができるようになった。かの女はなにをかこうとしたか人にもわかるようなもののかけたとき、どんなにうれしがったであろう。アッケンのお父さんはわたしをだいて、わらいながら言った。
「そらね、わたしがおまえを引き取ったのはずいぶんいいじょうだんであった。リーズはいまにきっとおまえにお礼を言うよ」
「いまに」とかれが言ったのは、やがてかの女が口がきけるようになってということであった。なぜならだれもかの女が口がきけるようになろうとは思わなかったが、お医者たちはいまはだめでもいつか、なにかひょっとした機会で口がきけるようになるだろうと言った。
 なるほどかの女はわたしが歌を歌ってやると、やはりさびしそうな身ぶりで「いまにね」とそういう心持ちをあらわした。かの女は自分にもハープをひくことを教えてくれとのぞんだ。もうさっそくかの女の指はずんずんわたしのするとおりに動くことができた。もちろんかの女は歌を歌うことを学ぶことはできなかった、これをひじょうに残念ざんねんがっていた。たびたびわたしはかの女の目になみだが流れているのを見た。それがかの女の心の苦しみを語っていた。でもやさしい快活かいかつ性質せいしつからその苦しみはすぐに消えた。かの女は目をふいて、しいて微笑びしょうをふくみながら、こう言うのであった。
「いまにね」
 アッケンのお父さんには、養子ようしのようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、わたしは、またしてもわたしの生活を引っくり返すような事件じけんはもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それはわたしというものが、長く幸福にくらしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって、自分ののぞんでもいない出来事のためにまたもやわった生活にとびこまなければならなくなるのであった。


     一家の離散りさん

 このごろわたしは一人でいるとき、よく考えてはひとごとを言った。
「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも長続ながつづきしそうもない」
 でもなぜ不幸ふこうが来なければならないか、それをまえから予想よそうすることはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることはうたがうことのできない事実のように思われてきた。
 そう思うと、わたしはたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その不幸ふこうをどうにかしてさけるようにいっしょうけんめいになるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、わたしがこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の過失かしつから来ると思って、反省はんせいするようになったからである。
 でもほんとうは、わたしの過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思いごしであったが、不幸ふこうが来るという考えはちっともまちがいではなかった。
 わたしはまえに、お父さんがにおいあらせいとう栽培さいばいをやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに容易よういで、パリ近在きんざいの植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、四、五月ごろになると、これがさかんにパリの市場に持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、芽生めばえのうちから葉の形で八重やえ一重ひとえを見分けて、一重をてて八重をのこすことであった。この鑑別かんべつのできる植木屋さんはごくわずかで、その人たちが家の秘法ひほうにして他へもらさないことにしてあるので、植木屋仲間なかまでも、特別とくべつにそういう人をたのんで花を見分けてもらわなければならなかった。それでたのまれた人はほうぼうの花畑を巡回じゅんかいして歩いて、いろいろと注意をあたえるのであった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて熟練じゅくれんのほまれの高い一人であった。それでその季節きせつにはほうぼうからたのまれて、うちにいることが少なかった。そしてこの季節が、わたしたちとりわけエチエネットにとって、いちばん悪いときであった。なぜというと、お父さんは一けん一けん回って歩くうちに、ほうぼうでお酒を飲ませられて、夜おそく帰るじぶんには、まっかな顔をして、したも回らないし、手足もぶるぶるふるえていた。
 そんなとき、エチエネットは、どんなにおそくなっても、きっとねずに待っていた。わたしがまだねいらずにいるか、または帰って来る足音で目をましたときには、部屋へやの中から二人の話し声をはっきり聞いた。
「なぜおまえはねないんだ」とお父さんは言った。
「お父さんがご用があるといけないと思って」
「なんだと。そんなことを言って、このおじょうさんの憲兵けんぺいが、わたしを監視かんしするつもりだろう」
「でもわたしが起きていなかったら、だれとお話しなさるおつもり」
「おまえ、わたしがまっすぐに歩けるか見てやろうと思っているんだな。よし、この行儀ぎょうぎよくならんだしき石を一つ一つふんで、子どもの寝部屋ねべやまで行けるかどうか、かけをしようか」
 不器用ぶきような足音が台所じゅうをしばらくがたつかせると、やがてまたしずかになった。
「リーズはごきげんかい」とお父さんは言った。
「ええ。よくねていますわ。どうかお静かに」
「だいじょうぶさ。わたしはまっすぐに歩いているのだ。なにしろおじょうさんたちがやかましいから、お父さんもせいぜいまっすぐに歩かなくてはならぬ。リーズは、わたしが夕飯ゆうはんのときいなかったのを見て、なんとか言いはしなかったかい」
「リーズはお父さんのせきを、なんだか見ていました」
「なんだ、わしの席を見ていたと」
「ええ」
「何べんもかい。何べんぐらい見ていた」
「それはたびたび」
「それからどうしていたね」
「『お父さんはいらっしゃらないのね』と言いたいような目つきをしていました」
「じゃあリーズは、わたしがそこにいないのはなぜだとたずねたろう。そしておまえは、わたしがお友だちのうちに行っていると答えたろう」
「いいえ、なんにもたずねませんでした。わたしもなにも言いませんでした。あの子はでもお父さんの行っていらっしゃる所をようく知っていますよ」
「なに、あの子が知ってるって。あの子が……もう早くからねこんでいるかい」
「いいえ、つい十五分ほどまえねたばかりです。お父さんのお帰りを待ちかねていたようです」
「で、おまえはどう思っていたえ」
「わたしはリーズが、お父さんのお帰りのところを見なければいいと思っていました」
 しばらく沈黙ちんもくつづいた。
「エチエネット、おまえはいい子だ。あすはわたしはルイソーのうちへ行く。わたしはちかって夕飯ゆうはんにはきっと帰る。おまえが待っていてくれるのが気のどくだし、リーズが心配しいしいねるのがかわいそうだから」
 だがやくそくも誓言せいごんもいっこう役には立たなかった。かれはちっとも早く帰ったことはなかった。一ぱいでもお酒がのどにはいったら、もうめちゃめちゃであった。うちの中でこそ、リーズがご本尊ほんぞんだが、外の風に当たるともうわすれられてしまった。
 でもこんなことはしじゅうではなかった。レセンプラージュの季節きせつがすむと、もうお父さんは外へ出ようとも思わない。むろん一人で居酒屋いざかやへ行く人ではなかった。そんなむだな時間を持つ人ではなかった。
 においあらせいとう季節きせつがすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年じゅうむだに土地の遊んでいるひまはなかった。一つの花を売ってしまうとほかの花を売り出す仕度をしなければならなかった。セン・ピエールだの、セン・マリだの、セン・ルイだの、そういう年じゅうのいわにはおびただしい花が町へ出る。ピエールだの、マリだの、ルイだのとばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういういわには、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくっておいわいをしなければならない人がかぎりなく多かった。
 だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。往来おうらいのすみずみ、家いえの石段いしだん、そのほかちょっとした店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。
 アッケンのお父さんは、においあらせいとう季節きせつがすむと、七月、八月のいわの用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、セン・ルイの大祝日だいしゅくじつがあるので、これを当てこんで何千本というえぞぎく、フクシア、きょうちくとうなどを温室や温床おんしょうにはいりきらないほどしこんでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこにうでのるのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、たしかなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという失敗しっぱいはなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
 この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、えぞぎくの花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
 温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ石灰乳せっかいにゅうをガラスのフレームにぬった温床おんしょうの下で、フクシアやきょうちくとうがさきかけていた。うじゃうじゃとかたまって草むらになっているものもあれば、頭から根元ねもとまで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目のめるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも満足まんぞくらしく、もみ手をしながら、うっとりながめ入っていた。
「ことしは天気がいいなあ」
 こうかれはむすこたちをふり返って言っていた。
 かれはくちびるに微笑びしょうをたたえて、むねの中では、これだけ売ればいくらになるという勘定かんじょうをしていた。
 ここまでするには、みんなずいぶんほねった。一時間と休憩きゅうけいするひまなしにはたらいたし、日曜日でも休まなかった。でももうとうげはこしたし、すっかり売り出しの準備じゅんびができあがったので、そのほうびとして、八月五日の日曜日の夕方、わたしたちのこらずうちそろってアルキュエイまで、お父さんの友人で、やはり植木屋仲間なかまのうちへごちそうを食べに行くことが決定されていた。カピも一行の一人になるはずであった。わたしたちは四時まではたらくことにして、仕事がすんだところで、門にじょうをかって、アルキュエイまで行くことになった。晩食ばんしょくは八時にできるはずであった。晩食がすんでわたしたちはすぐうちへ帰ることにした。ねどこにはいるのがおそくならないように、月曜の朝にはいつでもはたらけるように、元気よく早くから起きられるようにしなければならなかった。それで四時二、三分まえにわたしたちはみんな仕度ができた。
「さあ、みんな行こう」とお父さんがゆかいらしくさけんだ。「わたしは門にかぎをかけるから」
「来い、カピ」
 リーズの手を取って、わたしは走りだした。カピはうれしそうにはねながらついて来た。また旅かせぎに出るのだと思ったのかもしれない。この犬は旅がやはりきであった。こうしてうちにいては、思うようにわたしにかまってはもらえなかった。
 わたしたちは日曜日の晴れ着を着て、ごちそうになりに行く仕度をしていたので、なかなかきれいであった。わたしたちが通るとふり返って見る人たちもあった。わたしは自分がどんなふうに見えるかわからなかったけれど、リーズは水色の服に、ねずみ色のくつをはいて、このうえなく活発なかわいらしいむすめであった。
 時間が知らないまにずんずんぎていった。
 わたしたちは庭のにわとこの木の下でごちそうを食べていた。するとちょうどおしまいになりかけたとき、わたしたちの一人が、ずいぶん空が暗くなったと言いだした。くもがどんどん空の上にかたまって出て来た。
「さあ、子どもたち、早くうちへ帰らなければいけない」とお父さんが言った。
「もう」みんなはいっしょにさけんだ。
 リーズは口はきけなかったが、やはり帰るのはいやだという身ぶりをした。
「さあ行こう」とお父さんがまた言った。「風が出たらガラスのフレームはのこらず引っくり返される」
 これでもうだれも異議いぎを申し立てなかった。わたしたちはみんなフレームの値打ねうちを知っていた。それが植木屋にどれほどだいじなものかわかっていた。風がうちのフレームをこわしたら、それこそたいへんなことであった。
「わたしはバンジャメンとアルキシーをれて先へ急いで行く」とお父さんが言った。
「ルミはエチエネットと、リーズを連れてあとから来るがいい」
 かれらはそのままかけだした。エチエネットとわたしはリーズを連れてそろそろ後からついて行った。だれももうわらう者はなかった。空がだんだん暗くなった。あらしがどんどん来かけていた。すなけむりがうずをいて上がった。砂が目にはいるので、わたしたちは後ろ向きになって、両手で目をおさえなければならなかった。空にいなずまがひらめいて、はげしいかみなりが鳴った。
 エチエネットとわたしがリーズの手をった。わたしたちはもっと早くかの女を引っ張ろうとこころみたが、かの女はわたしたちと歩調を合わせることは困難こんなんであった。あらしの来るまえにうちへ帰れようか。お父さんとバンジャメンとアルキシーはあらしの起こるまえにうちに着いたろうか。かれらがガラスのフレームをめるひまさえあれば、風が下からはいって引っくり返すことはないであろう。
 雷鳴らいめいがはげしくなった。雲がいよいよ深くなって、もうほとんど夜のように思われた。
 風に雲のふきはらわれたとき、その深いあかがね色のそこが見えた。雲はやがて雨になるであろう。
 がらがら鳴りつづける雷鳴らいめいの中に、ふと、ごうっというひどいひびきがした。一連隊れんたい騎兵きへいがあらしに追われてばらばらとかけてでも来るような音であった。
 とつぜんばらばらとひょうがって来た。はじめすこしばかりわたしたちの顔に当たったと思ううちに、石を投げるようにって来た。それでわたしたちはかけ出して大きな門の下のトンネルに避難ひなんしなければならなかった。ひょうの夕立ち。たちまち道はまっ白に冬のようになった。ひょうの大きさははとのたまごぐらいあった、落ちるときには耳の遠くなるような音を立てた。もうしじゅうガラスのこわれる音が聞こえた、ひょうが屋根から往来おうらいへすべり落ちるとともに、屋根やえんとつのかわらや石板やいろんなものがこわれて落ちた。
「ああ、これではガラスのフレームも」とエチエネットがさけんだ。
 わたしも同じ考えを持った。
「お父さんはたぶんまに合ったでしょうね」
「ひょうのるまえに着いたにしても、ガラスにむしろをかぶせるひまはなかったでしょう。なにもかもこわれてしまったでしょうよ」
「ひょうは所どころまばらに落ちるものだそうですよ」と、わたしはまだそれでも無理むり希望きぼうをかけようとして言った。
「おお、それにはあんまりうちが近すぎます。もしうちの庭にここと同じだけったら、父さんはお気のどくなほど大損おおぞんになってしまいます。父さんはこの花を売って、いくらお金をもうけてどうするという細かい勘定かんじょうをしていらしったのだからそれはずいぶんお金がるようよ」
 わたしはガラスのフレームが百まい千八百フランもすることを聞いていた。植木や種物たねものべつにしても、五、六百もあるフレームをひょうがこわしたらなんという災難さいなんであろう。どのくらいの損害そんがいであろう。
 わたしはエチエネットにたずねてみたかったけれど、おたがいの話はまるで聞こえなかったし、かの女も話をする気がないらしかった。かの女は絶望ぜつぼう表情ひょうじょうで、自分のうちのけ落ちるのを目の前に見ている人のように、ひょうのるのをながめていた。
 おそろしい夕立ちはほんのわずかつづいた。急にそれが始まったように、急にやんだ。たぶん五、六分しかつづかなかった、雲がパリのほうへ走って、わたしたちは避難所ひなんじょを出ることができた。ひょうが往来おうらいに深くもっていた。リーズはうすいくつで、その上を歩くことができなかったから、わたしは背中せなかに乗せてしょって行った。宴会えんかいへ行くときにあれほどれ晴れとしていたかの女のかわいらしい顔は、いまは悲しみにしずんで、なみだがほおをつたっていた。
 まもなくわたしたちはうちに着いた。大きな門があいていて、わたしたちはすぐと花畑の中にはいった。
 なんというありさまであろう。ガラスというガラスはこなごなにこわれていた。花とガラスのかけらとひょうがいっしょにかたまって、あれほど美しかった花畑にもっていた。なにもかもめちゃめちゃにこわされた。
 お父さんはどこへ行ったのだろう。
 わたしたちはかれをさがした。やっとかれを大きな温室の中で発見した。その温室のガラス戸はのこらずこわれていた。かれは地べたをうずめているガラスのかけらの中にいた(手車の上にこしをかけてというよりは、がっかりしてこしをぬかしていた。アルキシーとバンジャメンはそのそばにだまって立っていた。
「ああ、子どもたち、かわいそうに」と、かれはわたしたちがガラスのかけらの上をみしみし歩く音に気がついて、こうさけんだ。
 かれはリーズをだいてすすりきを始めた。かれはなにもほかに言わなかった。なにを言うことができようぞ。これはおそろしい結果けっかであった。しかもそのあとの結果はもっともっとおそろしかった。
 わたしはまもなくそれをエチエネットから聞いた。
 十年まえかれらの父親はこの花畑を買って、自分で家をてた。かれに土地を売った男は植木屋として必要ひつよう材料ざいりょうを買う金をもやはりかれにしていた。その金額きんがくは十五年の年賦ねんぷで、毎年しはらうはずであった。その男はしかもこの植木屋が支払しはらいの期限きげんをおくらせて、おかげで土地も家も材料までも自分の手に取り返す機会きかいばかりをねらっていた。もちろんすでに受け取った十年分の支払い金額きんがくは、ふところにおさめたうえのことであった。
 これはその男にとっては相場そうばをやるようなもので、かれは十五年の期限のつきないまえにいつか植木屋が証文しょうもんどおりにいかなくなるときの来ることをのぞんでいた。この相場はよし当たらないでも債権者さいけんしゃのほうにそんはなかった。万一当たればそれこそ債務者さいむしゃにはひどい危険きけんであった。ところがひょうのおかげでその日はとうとう来たのだ。さてこれからは、どうなることやら。
 わたしたちはそれを長く心配するひまはなかった。証文しょうもん期限きげんが切れたあくる日――この金はこの季節きせつの花の売り上げでしはらわれるはずであったから――全身まっ黒な服装ふくそうをした一人の紳士しんしがうちへ来て、いんをおした紙をわたした。これは執達吏しったつりであった。かれはたびたび来た。あまりたびたび来たので、しまいにはわたしたちの名前を覚えるほどになった。
「ごきげんよう、エチエネットさん。いよう、ルミ。いよう、アルキシー」
 こんなことを言って、かれはわたしたちにれいいんをおした紙を、お友だちのような顔をしてにこにこしながらわたした。
「みなさん、さよなら。また来ますよ」
「うるさいなあ」
 お父さんはうちの中に落ち着いていなかった。いつも外に出ていた。かれはどこへ行くか、ついぞ話したことがなかった。たぶん弁護士べんごし訪問ほうもんするか、裁判所さいばんしょへ行ったのかもしれなかった。
 裁判所というとわたしはおそろしかった。ヴィタリスも裁判所へ行った。そしてその結果けっかはどうであったか。
 そしてその結果をお父さんは待ちかねていた。冬の半分はぎた。温室を修理しゅうりすることも、ガラスのフレームを新しく買うこともできないので、わたしたちは野菜物やさいものやおおいのらないじょうぶな花を作っていた。これはたいしたもうけにはならなかったが、なにかの足しにはなった。これだってわたしたちの仕事であった。
 あるばんお父さんはいつもよりよけいしずんで帰って来た。
「子どもたち」とかれは言った。「もうみんなだめになったよ」
 かれは子どもたちになにかだいじなことを言いわたそうとしているらしいので、わたしはさけて部屋へやを出ようとした。かれは手まねでわたしを引き止めた。
「ルミ、おまえもうちの人だ」とかれは悲しそうに言った。「おまえはなにかがよくわかるほどまだ大きくなってはいないが、めんどうの起こっていることは知っていよう。みんなお聞き、わたしはおまえたちとわかれなければならない」
 ほうぼうから一つのさけび声と苦しそうなき声が起こった。
 リーズは父親の首にうでをきつけた。かれはかの女をしっかりとだきしめた。
「ああ、おまえたちとわかれるのはまったくつらい」とかれは言った。「けれど裁判所さいばんしょから支払しはらいをしろという命令めいれいを受けた。でもわたしは金がないのだから、このうちにあるものはのこらず売らなければならない。それでも足りないので、わたしは五年のあいだ懲役ちょうえきに行かねばならない。わたしは自分の金ではらうことができないから、自分のからだと自由でそれをはらわなければならない」
 わたしたちはみんなきだした。
「そう、悲しいことだ」とかれはおろおろ声でつづけた。「けれど人は法律ほうりつに向かってはなにもしえない。弁護士べんごしの言うところでは、むかしはどうしてこんなことではすまなかった。ぬしのからだをいくつかにきざんで、貸し主のうちでしいと思う者がそれを分けて取る権利けんりがあったそうだ。わたしはただ五年のあいだ刑務所けいむしょにいればいいのだからね。ただそのあいだにおまえたちはどうなるだろう。それが心配でたまらない」
 悲しい沈黙ちんもくつづいた。
「わたしが決めたとおりにするのがいちばんいいことなのだ」とお父さんは続けた。
「ルミ、おまえはいちばん学者なのだから、妹のカトリーヌの所へ手紙を書いて、事がらをくわしくべて、すぐに来てくれるようにたのんでおくれ。カトリーヌおばさんは、なかなかもののわかった人だから、どうすればいちはんいいか、うまく決めてくれるだろう」
 わたしが手紙を書くのはこれがはじめてでなかなかほねれた。それはひじょうにいたましいことであったが、わたしたちはまだひとすじ希望きぼうを持っていた。わたしたちはみんななにも知らない子どもであった。カトリーヌおばさんが来てくれるということ、かの女が実際家じっさいかであるということは、なにごとをもよくしてくれるであろうといふ希望きぼうを持たせた。
 けれどかの女は思ったほど早くは来てくれなかった。四、五日ののちお父さんがちょうど友だちの一人を訪問ほうもんに出かけようとすると、ぱったり巡査じゅんさに出会った。かれは巡査たちとうちへもどって来た。かれはひじょうに青い顔をしていた。子どもたちにさようならを言いに来たのであった。
「おまえ、そんなに力を落としなさんな」と、かれをつかまえに来た巡査の一人が言った。「借金しゃっきんのためにろうにはいるのは、おまえが思うほどおそろしいものではない。向こうへ行けばなかなかいい人間がいるよ」
 わたしは庭にいた二人の子どもをびに行った。帰ってみると、小さいリーズはすすりきをしてお父さんの両手にだかれていた。巡査じゅんさの一人がこしをかがめて、お父さんの耳になにかささやいたが、なにを言ったかわたしには聞こえなかった。
「そうです。そうしなければなりませんね」とお父さんは言って、思い切ってリーズを下にいた。でもかの女は父親の手にからみついてはなれなかった。それからかれはエチエネット、アルキシー、バンジャメンと順々じゅんじゅんにキッスして、リーズをねえさんの手にあずけた。
 わたしはすこしはなれて立っていたが、かれはわたしのほうへって来て、ほかの者と同様にやさしくキッスした。
 これで巡査じゅんさはかれをれて行った。わたしたちはみんな台所のまん中にきながら立っていた。だれ一人ものを言う者はなかった。
 カトリーヌおばさんは一時間じかんおくれてやって来た。わたしたちはまだはげしく泣いていた。いちばん気丈きじょうなエチエネットすら今度の大波にはすっかり足をさらわれた。わたしたちの水先案内みずさきあんないが海に落ちたので、あとの子どもたちはかじをうしなって、波のまにまにただようほかはなかった。
 ところでカトリーヌおばさんはなかなかしっかりした婦人ふじんであった。もとはパリのまち乳母奉公うばぼうこうをして、十年のあいだに五か所もつとめた。世の中のすいもあまいもよく知っていた。わたしたちはまたたよりにする目標もくひょうができた。教育もなければ、資産しさんもないいなか女としてかの女にふりかかった責任せきにんは重かった。びんぼうになった一家の総領そうりょうはまだ十六にならない。いちばん下はおしのむすめであった。
 カトリーヌおばさんは、ある公証人こうしょうにんのうちに乳母うばをしていたことがあるので、かの女はさっそくこの人をたずねて相談そうだんをした。そこでこの人が助言して、わたしたちの運命うんめいを決めることになった。それからかの女は監獄かんごくへ行って、お父さんの意見も聞いた。そんなことに一週間かかって、最後さいごにわたしたちを集めて、取り決めた次第を言って聞かした。
 リーズはモルヴァンのかの女のうちへ行ってやしなわれることになった。アルキシーはセヴェンヌ山のヴァルスで鉱夫こうふつとめているおじの所へ行く。バンジャメンはセン・カンテンで植木屋をしているもう一人のおじの所へ行く。そしてエチエネットはシャラント県のエナンデ海岸にいるおばの所へ行くことになった。
 わたしはこういう取り計らいをわきで聞きながら、自分の番になるのを待っていた。ところがカトリーヌおばさんはそれで話をやめてしまって、とうとうわたしのことは話が出ずにしまった。
「ではぼくは……」とわたしは言った。
「だっておまえはこのうちの人ではないもの」
「ぼくはあなたがたのためにはたらきます」
「おまえさんはこのうちの人ではないよ」
「わたしがどんなにはたらけるか、アルキシーにでもバンジャメンにでもたずねてください。わたしは仕事がきです」
「それからスープをこしらえるのもうまいや」
「おばさん、あの子はうちの人です。そうです、うちの人です」という声がほうぼうから起こった。リーズが前へ出て来て、おばさんの前で手を合わせた。それはことばで言う以上いじょうの意味を表していた。
「まあまあ、かわいそうに」と、カトリーヌおばさんは言った。「おまえがあの子をいっしょにれて行きたがっていることはわかっている。けれど世の中というものはいつも思うようにはならないものなのだよ。おまえはわたしのめいだから、おまえをうちへ連れて行って、おじさんにいやな顔をされても、わたしは『でも親類しんるいだから』と言って通してしまうつもりだ。ほかのセン・カンテンのおじさんにしても、ヴァルスのおじさんにしても、エナンデのおばさんにしても、そのとおりだろうよ。やっかいだと思っても、親類ならやしなってくれるだろう。けれど他人ではそうはゆかない。一つうちの者だけでも、はらいっぱい食べるだけのパンはむずかしいのだからね」
 わたしはもうなにも言うことがないように思った。かの女の言ったことはもっともすぎることであった。わたしはうちの者ではなかった。わたしはなにももとめることもできない。なにもたのむこともできない。それをすればこじきになる。
 でもわたしはみんなをいていたし、みんなもわたしを好いていた。
 みんな兄弟でもあり、姉妹しまいでもあった。カトリーヌおばさんは決心したことはすぐ実行する性質せいしつであった。わたしたちにはあしたいよいよおわかれをすることを言いわたしてねどこへはいらせた。
 わたしたちが部屋へやへはいるか、はいらないうちに、みんなはわたしを取りいた。リーズはきながらわたしにからみついた。そのときわたしはかれら兄弟がおたがいにわかれて行く悲しみをまえにひかえながら、かれらの思っていてくれるのはわたしのことだということがわかった。かれらはわたしがひとりぼっちだといって気のどくがった。わたしはそのときほんとうにかれらの兄弟であるように感じた。そこでふと一つの考えが心にうかんだ。
「聞いてください」とわたしは言った。「おばさんやおじさんがたがわたしにご用はなくっても、あなたがたがどこまでもわたしをうちの者に思ってくださることはわかりました」
「そうだそうだ、きみはいつまでもぼくたちの兄弟だ」と三人がいっしょにさけんだ。
 もの言えないリーズはわたしの手をしめつけて、あの大きな美しい目で見上げた。
「ねえ、ぼくは兄弟です。だからその証拠しょうこを見せましょう」と、わたしは力を入れて言った。
「きみはいったいどこに行くつもりだ」とバンジャメンが言った。
「ペルニュイの所に仕事があるのよ。わたしあした行って話をしてみましょうか」とエチエネットが聞いた。
「ぼくは奉公ほうこうはしたくありません。奉公するとパリにじっとしていなければならないし、そうすると二度ともうあなたがたに会うことができません。ぼくはまたひつじの毛皮服を着て、ハープをくぎからはずして、かたにかついで、セン・カンテンからヴァルスへ、ヴァルスからエナンデへ、エナンデからドルジーへと、あなたがたのこれから行く先ざきへたずねて行きましょう。わたしはあなたがたみなさんに、一人ひとり代わりばんこに会って、ほうぼうの便たよりを持って行きましょう。そうすればぼくの仲立なかだちでみんないっしょに集まっているようなものです。ぼくはいまでも歌だってダンスのふしだってわすれてはいません。自分がくらしてゆくだけのお金は取れます」
 みんなの顔がかがやいた。わたしはかれらがわたしの考えを聞いてそんなにもよろこんでくれたのでうれしかった。長いあいだわたしたちは話をして、それからエチエネットは一人ひとりねどこへはいらせた。けれどそのばんはだれもろくろくねむる者はなかった。とりわけわたしはひとばんねむれなかった。
 あくる日夜が明けると、リーズはわたしを庭へれ出した。
「ぼくに言いたいことがあるの」とわたしはたずねた。
 かの女は何度もうなずいた。
「わたしたちがわかれて行くのがいやなんでしょう。それは言うまでもない。あなたの顔でわかっている。ぼくだってまったく悲しいんだ」
 かの女は手まねをして、なにか言いたいことがほかにあるという意味をしめした。
「十五日たたないうちに、ぼくはあなたの行くはずのドルジーへたずねて行きますよ」
 かの女は首をふった。
「ぼくがドルジーへ行くのがいやなんですか」
 わたしたちがおたがいに了解りょうかいしい合うために、わたしはそのうえにいろいろ問いを重ねていった。かの女はうなずいたり、首をふったりして答えた。かの女はわたしにドルジーへ来てはもらいたいが、しかしそれより先にあにさんやあねさんのほうへ行ってもらいたい意味を、指を三方に向けてさとらせた。
「あなたはぼくがいちばん先にヴァルスへ行き、それからエナンデ、それからセン・カンテンというふうに行ってもらいたいのでしょう」
 かの女はにっこりしてうなずいた。わたしがわかったのがうれしそうであった。
「なぜさ」
 こう聞くと、かの女はくちびると手を、とりわけ目を動かして、なぜそうのぞむか、そのわけを説明せつめいした。それは先にあねさんやあにさんたちの所へ行ってもらえば、ドルジーへ来るときにはほうぼうの便たよりを持って来てくれることができるからというのであった。
 かれらは八時にたたなければならなかった。カトリーヌおばさんはみんなを乗せる馬車を言いつけて、なにより先に刑務所けいむしょへ行って、父親にさようならを言うこと、それからてんでに荷物を持って別々べつべつの汽車に乗るために、別々の停車場ていしゃじょうわかれて行くという手順てじゅんを決めた。
 七時ごろ今度はエチエネットがわたしを庭へれ出した。
「ルミ、わたしあなたにほんのお形見をあげようと思うの」とかの女は言った。「この小ばこをおさめてください。わたしのおじさんがくれたものだから。中には糸とはりとはさみがはいっています。旅をして歩くと、こういうものが入り用なのよ。なにしろわたしがそばにいて、着物のほころびを直したり、ボタンをつけたりしてあげることができないのだからねえ。それでわたしのはさみを使うときにはわたしたちみんなのことを思い出してください」
 エチエネットがわたしと話をしているあいだ、アルキシーがそばをぶらついていた。かの女がわたしをいて、うちの中へはいると、かれはやって来て、
「ねえ、ルミ」とかれは言いだした。「ぼくは五フランの銀貨ぎんかを二つ持っている。一つあげよう。きみがもらってくれると、ぼくはずいぶんうれしいんだ」
 わたしたち五人のうちで、アルキシーはたいへん金をだいじにする子であった。わたしたちはいつもかれの欲張よくばりをからかっていた。かれは一スー、二スーと貯金ちょきんしてしじゅう貯金のたか勘定かんじょうしていた。かれは一スーずつためては新しい十スー、二十スーの銀貨ぎんかとかえてだいじに持っていた。そういうかれの申し出は、わたしを心から感動させた。わたしはことわりたかったけれど、かれはきらきらする銀貨をわたしの手に無理むりににぎらせた。わたしはだいじにしているたからが分けてくれようというかれの友情ゆうじょうがひじょうに強いものであることを知った。
 バンジャメンもわたしをわすれはしなかった。かれはやはりわたしにおくり物をしようと思った。かれはわたしにナイフをくれて、それと交換こうかんに、一スー請求せいきゅうした。なぜなら、ナイフは友情ゆうじょうを切るものだから。
 時間はかまわずずんずんたっていった。いよいよわたしたちのわかれる時間が来た。
 リーズはぼくのことをなんと思っているだろう。馬車がうちの前に近づいて来たときに、リーズがまたわたしに庭までついて来いという手まねをした。
「リーズ」とかの女のおばさんがんだ。
 かの女はそれには返事をしないで急いでかけ出して行った。かの女は庭のすみに一本のこっていた大きなベンガルばらの前に立ち止まって、一えだった。それからわたしのほうを向いてそのえだを二つにさいた。その両方にばらのつぼみが一つずつ開きかけていた。
 くちびるのことばは目のことばにくらべては小さなものである。目つきに比べて、ことばのいかにつめたく、空虚くうきょであることよ。
「リーズ、リーズ」とおばさんがさけんだ。
 荷物はもう馬車の中にみこまれていた。
 わたしはハープを下ろして、カピをんだ。わたしのむかしに返ったおなじみの姿すがたを見ると、かれはうれしがって、とび上がって、ほえ回った。かれは花畑の中にじこめられているよりも、広い大道の自由をあいした。
 みんなは馬車に乗った。わたしはリーズをおばさんのひざに乗せてやった。わたしはそこに半分目がくらんだようになって立っていた。するとおばさんがやさしくわたしをおしのけて、ドアをめた。
「さようなら」
 馬事は動きだした。
 もやの中でわたしはリーズがまどガラスによって、わたしに手をふっているのを見つけた。やがて馬車は町の角を曲がってしまった。見えるものはもうすなけむりだけであった。わたしはハープによりかかって、カピが足の下でからみ回るままにまかせた。ぼんやり往来おうらいに立ち止まって目の前にうずいているほこりをながめていた。たって行ったあとのうちをめてかぎを家主にわたしてくれることをたのまれた隣家りんかの人がそのときわたしに声をかけた。
「おまえさん、そこで一日立っているつもりかね」
「いいえ、もう行きます」
「どこへ行くつもりだ」
「どこへでも、足の向くほうへ」
「おまえさん、ここにいたければ」と、かれはたぶん気のどくに思っているらしく、こう言った。「わたしの所へいてあげよう。けれど給金きゅうきんははらえないよ。おまえさんはまだ一人前ではないからなあ。いまにすこしはあげられるようになるかもしれない」
 わたしはかれに感謝かんしゃしたが、「いいえ」と答えた。
「そうか。じゃあかってにおし。わたしはただおまえさんのためにと思っただけだ。さようなら。無事ぶじで」
 かれは行ってしまった。馬車は遠くなった。うちはざされた。
 わたしはハープのひもをかたにかけた。カピはすぐ気がついて立ち上がった。
「さあ行こう、カピ」
 わたしは二年のあいだ住みれて、いつまでもいようと思ったうちから目をそらして、はるかの前途ぜんとのぞんだ。
 日はもう高く上っていた。空は青あおと晴れて――気候きこうあたたかであった。気のどくなヴィタリス老人ろうじんとわたしが、つかれきってこのさくのそばでたおれた、あの寒いばんとはたいへんなちがいであった。
 こうしてこの二年間はほんの休息であった。わたしはまた自分の道を進まなければならなかった。けれどもこの休息がわたしにはずいぶん役に立った。それがわたしに力をあたえた。やさしい友だちを作ってくれた。
 わたしはもう世界でひとりぼっちではなかった。この世の中にわたしは目的もくてきを持っていた。それはわたしをあいし、わたしが愛している人たちのために、役に立つこと、なぐさめになることであった。
 新しい生涯しょうがいがわたしの前に開けていた。
 前へ。


     前へ

 前へ。世界はわたしの前に開かれた。北でも南でも東でも西でも、自分の行きたいままの方角へわたしは向かって行くことができる。それはもう子どもは子どもでも、わたしは自分白身の主人であった。
 いよいよ流浪るろうの旅を始めるまえに、わたしはこの二年のあいだ父親のようにやさしくしてくれた人に会いたいと思った。カトリーヌおばさんは、みんながかれに「さようなら」を言いに行くときに、わたしをいっしょにれて行くことをこのまなかったが、わたしはせめて一人になったいまでは、行ってかれに会うことができるし、会わなければならないと思った。借金しゃっきんのために刑務所けいむしょにはいったことはなくても、その話をこのごろしじゅうのように聞かされていたのでその場所ははっきりわかっていた。わたしはよく知っているラ・マドレーヌ寺道じみちをたどって行った。カトリーヌおばさんも、子どもたちも、お父さんに会えたのだから、わたしもきっと会うことがゆるされるであろう。わたしはお父さんの子どもも同様であったし、お父さんもわたしをかわいがっていた。
 でも思い切って刑務所けいむしょの中へはいって行くのがちょっとちゅうちょされた。だれかがわたしをじっと監視かんししているように思われた。もう、一度そのドアの中へ、おそろしいドアの中へめこまれたが最後さいご、二度と出されることがないように思われた。
 刑務所けいむしょから出て来ることは容易よういでないとわたしは考えていた。しかしそこへはいるのも容易でないことを知らなかった。さんざんひどい目に会って、わたしはそれを知った。
 でも力も落とさず、それから引っ返してしまおうとも思わずに待っていたおかげで、わたしはやっと面会をゆるされることになった。かねて思っていたのとちがい、わたしは格子こうしもさくもないそまつな応接室おうせつしつに通された。お父さんは出て来た。でもくさりなどにわえられてはいなかった。
「ああ、ルミや、わたしはおまえを待っていた」と、わたしが面会所にはいるとかれは言った。
「わたしは、カトリーヌおばさんがおまえをいっしょにれて来なかったので、こごとを言ってやったよ」
 わたしはこのことばを聞くと、朝からしょげていたこともわすれて、すっかりうれしくなった。
「カトリーヌおばさんは、ぼくをいっしょにれて来ようとしなかったのです」
 わたしはうったえるように言った。
「いや、そういうわけでもなかったのだろう。なかなか思うとおりにはならないものだよ。ところでおまえがこれから一人でくらしを立ててゆこうとしていることもわたしはようく知っているのだがね。どうもわたしの妹婿いもうとむこのシュリオだって、おまえに仕事を見つけてやることはできないだろうしね。シュリオはニヴェルネ運河うんが水門守すいもんもりをしているのだが、知ってのとおり植木職人しょくにんの世話を水門守にしてもらうのは無理むりだからね。それにしても、子どもたちの話では、おまえはまた旅芸人たびげいにんになると言っているそうだが、おまえもう、あの寒さと空腹くうふくで死にかけたことをわすれたのかえ」
「いいえ、忘れません」
「でも、あのときはまだしも、おまえはひとりぼっちではなかった。めんどうを見る親方があった。それもいまはないし、おまえぐらいの年ごろで一人ぼっちいなかへ出るということは、いいことだとは思われない」
「カピもいっしょです」
 このときカピは自分の名を聞くと、いつものように、(はい、ここにおります、ご用ならお役に立ちましょう)というように一声ほえた。
「うん、カピはよい犬だ。しかしやっぱり犬は犬だからな。おまえはいったいどうしてくらしを立てるつもりなのだ」
「わたしが歌を歌ったり、カピが芝居しばいをしたりして」
「しかしカピ一人ぼっちで、芝居はできやしないだろう」
「いえ、わたしはカピにげいをしこみます。そうだろう、ね、カピ。おまえ、なんでもわたしののぞむものを習うだろう」
 カピは前足でむねをたたいた。
「ルミ、おまえがよく考えたら、やはりしょくを見つけることにするだろうよ。もうおまえも一かどの職人しょくにんだ。流浪るろうするよりもそのほうがましだし、だいいち、あれはなまけ者のすることだ」
「ええ、もちろんわたしはなまけ者ではありません。わたしはお父さんといっしょにならできるだけはたらきます。そしていつでもお父さんといっしょにいたいと思っています。でもほかの人のうちで働くのはいやなんです」
 もちろん、たった一人、大道ぐらしをつづけてゆくことの危険きけんなことはよくわかっていた。それはさんざん、つらい経験けいけんもしている。そうだ、人びとがわたしのように流浪るろうの生活を送って、あの犬たちがおおかみに食べられた夜や、ジャンチイイの石切り場のあのばんのような目に会ったり、あれほどひもじいめをしたり、ヴィタリス親方が刑務所けいむしょに入れられて、一スーももうけることができず、村から村へと追い立てられたりしたようなことに出会ったら、だれだってあすはまっ暗やみ、現在げんざいさえも不安心ふあんしんでたまらないのが当たり前だ。危険きけんな、みじめな、浮浪人ふろうにんの生活をわたしは自分が送ってきたこともわすれはしないのだ。だがいまそれをやめたら、わたしはいったいどうしていいかわからないではないか。それにもう一つ、旅に出るについて決心をかたくするものがあった。いまさらよそのうちに奉公ほうこうするよりも、わたしにはこの流浪るろうの旅がずっと自由で気楽なばかりでなく、エチエネットや、アルキシーやバンジャメン、それからリーズとしたやくそくをたすためにもこの旅行を思いとどまることはできなかったのだ。どうしてこのことはあの人たちを見捨みすてないかぎり、やめられないのだ。もっともエチエネットやアルキシーやバンジャメンからは、手紙が書けるので手続も来ようが、リーズといえば、書くことも知らないのだから、ここであの子のことをわたしがわすれてしまえば、もうかの女はなにもかも世界の様子がわからなくなってしまうのだ。
「では、お父さんは、お子さんたちの便たよりを、わたしが持って来るのがおいやなのですか」とわたしはたずねてみた。
「なるほどみんなの話では、おまえは子どもたちの所へ一人ひとりたずねて行ってくれるということだが、それはありがたいが、といって、わたしたち自分のことばかり考えているわけにはゆかない。それよりかまずおまえのためを考えなければならないのだよ」
「では、わたしだってお父さんのおっしゃるとおりにして、自分の身の上の危険きけんをおそれて、今度の計画をやめてしまえば、やはり自分のことばかり考えて、あなたのことも、それからリーズのことも考えなくてもいいということになりますよ」
 お父さんはしばらくわたしの顔をながめていたが、急にわたしの両手を取った。
「まあ、よくおまえ、言っておくれだ。おまえはほんとうに真心まごころがある」
 わたしはかれの首にうでをかけた。そのうち、さようならを言う時間が来た。しばらくのあいだかれはだまってわたしをおさえていた。やがていきなりかれはチョッキのかくしをさぐって、大きな銀時計を引き出した。
「さあ、おまえ、これをあげる」とかれは言った。「これをわたしの形見に持っていてもらいたい。たいした値打ねうちのものではない。値打ちがあればわたしはとうに売ってしまったろう。時間もたしかではない。いけなくなったらげんこでたたきこわしてもいい。でもこれがわたしの持っているありったけだ」
 わたしはこんなりっぱなおくり物をことわろうと思ったけれど、かれはそれをわたしのにぎった手に無理むりにおしこんだ。
「ああ、わたしは時間を知る必要ひつようはないのだ。時間はずいぶんゆっくりゆっくりたってゆく。それを勘定かんじょうしていたら、死んでしまう。さようなら、ルミや。いつでもいい子でいるように、おぼえておいで」
 わたしはひじょうに悲しかった。どんなにあの人はわたしにやさしくしてくれたであろう。わたしはわかれてのち長いあいだ刑務所けいむしょのドアの回りをうろうろした。ぼんやりわたしはそのまま夜まででも立ち止まっていたかもしれなかったが、ふとかくしにあるかたまるいものが手にさわった。わたしの時計であった。
 ありったけのわたしの悲しみはしばらくのあいだわすれられた。わたしの時計だ。自分の時計で時間を知ることができるのだ。わたしは時間を見るために、それを引き出した。昼だ。それは昼であろうと、十時であろうと、十一時であろうと、たいしたことではなかった。でもわたしは昼であるということがたいそううれしかった。それがなぜだか言うのはむずかしい。けれどそういうわけであった。わたしの時計がそう知らせてくれる。なんということだ。わたしにとって時計は相談そうだんをしたり、話のできる親友であると思われた。
「時計君、何時だね」
「十二時ですよ、ルミさん」
「おやおや。ではあれをしたり、これをしたりするときだ。いいことをおまえは教えてくれた。おまえが言ってくれなければ、ぼくはわすれるところだったよ」
 わたしのうれしいのにまぎれて、カピがほとんどわたしと同様によろこんでいてくれることに気がつかなかった。かれはわたしのズボンのすそをって、たびたびほえた。かれがほえつづけたときわたしははじめて、かれに注意を向けてやらなければならなかった。
「カピ、なんの用だい」とわたしはたずねた。かれはわたしの顔をながめた。けれどわたしはかれの意味がけなかった。かれはしばらく待っていたが、やがてわたしの前に来て、時計を入れたかくしの上に前足をのせて立った。かれはヴィタリス親方といっしょにはたらいていたじぶんと同じように、「ご臨席りんせき貴賓諸君きひんしょくん」に時間を申し上げる用意をしていたのであった。
 わたしは時計をかれに見せた。かれはしばらく思い出そうとつとめるように、しっぽをふりながらそれを、ながめたが、やがて十二たびほえた。かれはわすれてはいなかった。わたしたちはこの時計でお金を取ることができる。これはわたしがあてにしていなかったことであった。
 前へ進め、子どもたち。わたしは刑務所けいむしょ最後さいごの目をくれた。そのへいの後ろにはリーズの父親がじこめられているのだ。
 それからずんずん進んで行った。なによりもわたしに入り用なものは、フランスの地図であった。河岸かし通りの本屋へ行けば、それのられることを知っていたので、わたしは川のほうへ足を向けた。やっとわたしは十五スーで、ずいぶん黄色くなった地図を見つけた。
 わたしはそれでパリを去ることができるのであった。すぐわたしはそれをすることに決めた。わたしは二つの道の一つをえらばなければならなかった。わたしはフォンテンブローへの道を選んだ。リュウ・ムッフタールの通りへ来かかると、山のような記憶きおくむらがって起こった。ガロフォリ、マチア、リカルド、錠前じょうまえのかかったスープなべ、むち、ヴィタリス老人ろうじん、あの気のどくな善良ぜんりょうな親方。わたしをこじきの親分へすことをきらったために、死んだ人。
 お寺のさくの前を通ると、子どもが一人かべによっかかっているのを見た。その子はなんだか見覚みおぼえがあるように思った。
 たしかにそれはマチアであった。大きな頭の、大きな目の、やさしい、いじけた目つきの子どものマチアであった。けれどかれはちっとも大きくはなっていなかった。わたしはよく見るためにそばへった。ああそうだ、そうだ、マチアであった。
 かれはわたしをおぼえていた。かれの青ざめた顔はにっこりわらった。
「ああ、きみだね」とかれは言った。「きみはせんに白いひげのおじいさんとガロフォリのうちへ来たね。ちょうどぼくが病院へ行こうとするまえだった。ああ、あれからぼくはどんなにこの頭でなやんだろう」
「ガロフォリはまだきみの親方なのかい」
 かれは返事をするまえにそこらを見回して、それから声をひそめて言った。
「ガロフォリは刑務所けいむしょにはいっているよ。オルランドーを打ちころしたのでれて行かれたのだ」
 わたしはこの話を聞いてぎょっとした。でもわたしはガロフォリが刑務所に入れられたと聞いてうれしかった。はじめてわたしは、あれほどおそろしいものに思いこんでいた刑務所が、これはなるほど役に立つものだと考えた。
「それでほかの子どもたちは」とわたしはたずねた。
「ああ、ぼくは知らないよ。ガロフォリがつかまったときには、ぼくはいなかった。ぼくが病院から出て来ると、ぼくは病気で、もうぶっても役に立たないと思って、あの人はわたしを手放したくなった。そこであの人はわたしを二年のあいだガッソーの曲馬団きょくばだんへ売った。前金で金をはらってもらったのだ。きみはガッソーの曲馬を知っているかい。知らない。うん、それはたいした曲馬団ではないけれど、やはり曲馬は曲馬さ。そこでは子どもを、かたわの子どもを使うのだ。それでガロフォリがぼくをガッソーへ売ったのだ。ぼくはこのまえの月曜までそこにいたが、ぼくの頭がはこの中にはいるには大きすぎるというので、追い出された。曲馬団きょくばだんを出るとぼくはガロフォリのうちへもどったが、うちはすっかりまっていた。近所の人に聞いて様子がすっかりわかった。ガロフォリが刑務所けいむしょへ行ってしまうと、ぼくはどこへ行っていいか、わからない」
「それにぼくは金を持たない」とかれはつけくわえて言った。「ぼくはきのうから一きれのパンも食べない」
 わたしも金持ちではなかったけれど、気のどくなマチアにやるだけのものはあった。わたしがツールーズへんをいまのマチアのようにえてうろうろしていたじぶん、一きれのパンでもくれる人があったら、わたしはどんなにその人の幸福をいのったであろう。
「ぼくが帰って来るまで、ここに待っておいでよ」とわたしは言った。わたしは町の角のパン屋までかけて行って、まもなく一きん買って帰って、それをかれにあたえた。かれはがつがつして、見るまに食べてしまった。
「さて」とわたしは言った。「きみはどうするつもりだ」
「ぼくはわからない。ぼくはヴァイオリンを売ろうかと思っていたところへきみが声をかけた。ぼくはそれとわかれるのがこんなにいやでなかったら、とうに売っていたろう。ぼくのヴァイオリンはぼくの持っているありったけのもので、悲しいときにも、一人いられる場所が見つかると、自分一人でひいていた。そうすると空の中にいろんな美しいものが、ゆめの中で見るものよりももっと美しいものが見えるんだ」
「なぜきみは往来おうらいでヴァイオリンをひかないのだ」
「ひいてみたけれど、なにももらえなかった」
 ヴァイオリンをひいて一文ももらえないことを、どんなによくわたしも知っていたことであろう。
「きみはいまなにをしているのだ」とかれはたずねた。
 わたしはなぜかわからなかった。けれどそのときのいきおいで、こっけいなほらをふいてしまった。
「ぼくは一座いちざの親方だよ」とわたしは高慢こうまんらしく言った。
 それは真実しんじつではあったが、その真実はずっとうそのほうに近かった。わたしの一座はたったカピ一人だけだった。
「おお、きみはそんなら……」とマチアが言った。
「なんだい」
「きみの一座いちざにぼくを入れてくれないか」
 かれをあざむくにしのびないので、わたしはにっこりしてカピを指さした。
「でも一座はこれだけだよ」とわたしは言った。
「ああ、なんでもかまうものか。ぼくがもう一人の仲間なかまになろう。まあどうかぼくをてないでくれたまえ。ぼくははらって死んでしまう」
 腹が減って死ぬ。このことばがわたしのはらわたのそこにしみわたった。腹が減って死ぬということがどんなことだか、わたしは知っている。
「ぼくはヴァイオリンをひくこともできるし、でんぐり返しをうつこともできる」と、マチアがせかせか息もつかずに言った。「なわの上でおどりもおどれるし、歌も歌える。なんでもきみのきなことをするよ。きみの家来にもなる。言うことも聞く。金をくれとは言わない。食べ物だけあればいい。ぼくがまずいことをしたらぶってもいい。それはやくそくしておく。ただたのむことは頭をぶたないでくれたまえ。これもやくそくしておいてもらわなければならない。なぜならぼくの頭はガロフォリがひどくぶってから、すっかりやわらかくなっているのだ」
 わたしはかわいそうなマチアが、そんなことを言うのを聞くと、声を上げてきだしたくなった。どうしてわたしはかれをれて行くことをこばむことができよう。はらって死ぬというのか。でも、わたしといっしょでも、やはり腹が減って死ぬかもしれない場合がある――わたしはそうかれに言ったが、かれは聞き入れようともしなかった。
「ううん、ううん」とかれは言った。「二人いればにはしない。一人が一人を助けるからね。持っている者が持っていない者にやれるのだ」
 わたしはもうちゅうちょしなかった。わたしがすこしでも持っていれば、わたしはかれを助けなければならない。
「うん、よし、それでわかった」とわたしは言った。
 そう言うと、かれはわたしの手をつかんで、心から感謝かんしゃのキッスをした。
「ぼくといっしょに来たまえ」とわたしは言った。「家来ではなく、仲間なかまになろう」
 ハープをかたにかけると、わたしは号令ごうれいをかけた。
「前へ進め」
 十五分たつと、わたしたちはパリを後に見捨みすてた。
 わたしがこの道を通ってパリを出るのは、バルブレンのおっかあに会いたいためであった。どんなにたびたびわたしはかの女に手紙を書いてやって、かの女を思っていること、ありったけの心をささげてかの女をあいしていることを、言ってやりたかったかしれなかったが、亭主ていしゅのバルブレンがこわいので、わたしは思いとどまった。もしバルブレンが手紙をあてにわたしを見つけたら、つかまえてまたほかの男に売りわたすかもしれなかった。かれはおそらくそうする権利けんりがあった。わたしはこのんでバルブレンの手に落ちる危険きけんをおかすよりも、バルブレンのおっかあから恩知おんしらずの子どもだと思われているほうがましだと思った。
 でも手紙こそ書きなかったが、こう自由の身になってみれば、わたしは行って会うこともできよう。わたしの一座いちざにマチアもはいっているので、わたしはいよいよそうしようと心を決めた。なんだかそれがわけなくできそうに思われた。わたしは先にかれを一人出してやって、かの女が一人きりでいるか見せにやる。それからわたしが近所に来ていることを話して、会いに行ってもだいじょうぶか、それのわかるまで待っている。それでバルブレンがうちにいれば、マチアからかの女にどこか安心な場所へ来るようにたのんで、そこで会うことができるのである。
 わたしはこのくわだてを考えながら、だまって歩いた。マチアもならんで歩いていた。かれもやはり深く考えこんでいるように思われた。
 ふと思いついて、わたしは自分の財産ざいさんをマチアに見せようと思った。カバンのふたを開けて、わしは草の上に財産を広げた。中には三まいのもめんのシャツ、くつ下が三足、ハンケチが五枚、みんな品のいい物と、少し使ったくつが一足あった。
 マチアは驚嘆きょうたんしていた。
「それからきみはなにを持っている」とわたしはたずねた。
「ぼくはヴァイオリンがあるだけだ」
「じゃあ分けてあげよう。ぼくたちは仲間なかまなんだから、きみにはシャツ二まいと、くつ下二足にハンケチを三枚あげよう。だがなんでも二人のあいだになかよく分けるのがいいのだから、きみは一時間ぼくのカバンを持ちたまえ。そのつぎの一時間はぼくが持つから」
 マチアは品物をもらうまいとした。けれどわたしはさっそく、自分でもひどくゆかいな、命令めいれいのくせを出して、かれに「おだまり」と命令した。
 わたしはエチエネットの小ばこと、リーズのばらを入れた小さなはこをも広げた。マチアはそのはこを開けて見たがったが、開けさせなかった。わたしはそのふたをいじることすらゆるさずに、カバンの中にまたしまいこんでしまった。
「きみはぼくをよろこばせたいと思うなら」とわたしは言った。「けっしてはこにさわってはいけない。……これはたいじなおくり物だから」
「ぼくはけっして開けないとやくそくするよ」とかれはまじめに言った。
 わたしはまたひつじの毛の服を着て、ハープをかついだが、そこに一つむずかしい問題があった。それはわたしのズボンであった。芸人げいにんが長いズボンをはくものではないように思われた。公衆こうしゅうの前へあらわれるには、短いズボンをはいて、その上にくつ下をかぶさるようにはいて、レースをつけて、色のついたリボンをむすぶものである。長いズボンは植木屋にはけっこうであろうが……いまはわたしは芸人であった。そうだ、わたしは半ズボンをはかなければならない。わたしはさっそくエチエネットの道具ばこからはさみを出した。
 わたしがズボンのしまつをしているうち、ふとわたしは言った。
「きみはどのくらいヴァイオリンをひくか、聞かせてもらいたいな」
「ああ、いいとも」
 かれはひき始めた。そのあいだわたしは思い切ってはさみの先をズボンのひざからすこし上の所へ当てた。わたしはきれを切り始めた。
 けれどこれはチョッキと上着とおそろいにできた、ねずみ地のいいズボンであった。アッケンのお父さんがそれをこしらえてくれたとき、わたしはずいぶん得意とくいであった。けれどいま、それを短くすることをいけないこととは思わない。かえってりっぱになると思っていた。はじめはわたしもマチアのほうに気がはいらなかった。ズボンを切るのにいそがしかったが、まもなくはさみを動かす手をやめて、耳をそこへうばわれていた。マチアはほとんどヴィタリス親方ぐらいにうまくひいた。
「だれがきみにヴァイオリンを教えたの」とわたしは手をたたきながら聞いた。
「だれも。ぼくは一人でおぼえた」
「だれかきみに音楽のことを話して聞かした人があるかい」
「いいえ、ぼくは耳に聞くとおりをひいている」
「ぼくが教えてあげよう、ぼくが」
「きみはなんでも知っているの。では……」
「そうさ、ぼくはなんでも知っているはずだ。座長ざちょうだもの」
 わたしはマチアに、自分もやはり音楽家であることを見せようとした。わたしはハープをとり、かれを感動させようと思って、名高い小唄こうたを歌った。すると芸人げいにんどうしのするようにかれはわたしにおせじを言った。かれはりっぱな才能さいのうを持っていた。わたしたちはおたがいに尊敬そんけいし合った。わたしは背嚢はいのうのふたをめると、マチアが代わってそれをかたにのせた。
 わたしたちはいちばんはじめの村に着いて興行こうぎょうをしなければならなかった。これがルミ一座いちざはつおめみえのはずであった。
「ぼくにその歌を教えてください」とマチアが言った。「ぼくたちはいっしょに歌おう。もうじきにヴァイオリンで合わせることができるから。するとずいぶんいいよ」
 たしかにそれはいいにちがいなかった。それでくれるものをたっぷりくれなかったら、「ご臨席りんせき貴賓諸君きひんしょくん」は、石のような心を持っているというものだ。
 わたしたちが最初さいしょの村を通りぎると、大きな百姓家ひゃくしょうやの門の前へ出た。中をのぞくとおおぜいの人が晴れ着を着てめかしこんでいた。そのうちの二、三にん襦珍しゅちん(しゅすの織物)のリボンを結んだ花たばを持っていた。
 ご婚礼こんれいであった。わたしはきっとこの人たちがちょっとした音楽とおどりをくかもしれないと思った。そこで背戸せどへはいって、まっ先に出会った人にすすめてみた。その人は赤い顔をした、大きな、人のよさそうな男であった。かれは高い白えりをつけて、プレンス・アルベール服を着ていた。かれはわたしの問いに答えないで、客のほうへ向きながら、口に二本の指を当てて、それはカピをおびえさせたほどの高い口ぶえをふいた。
「どうだね、みなさん、音楽は」とかれはさけんだ。「楽師がやって来ましたよ」
「おお、音楽音楽」といっしょの声が聞こえた。
「カドリールの列をお作り」
 おどり手はさっそく庭のまん中に集まった。マチアとわたしは荷馬車の中に陣取じんどった。
「きみはカドリールがひけるか」と心配してわたしはささやいた。
「ああ」
 かれはヴァイオリンで二、三せつ調子を合わせた。運よくわたしはそのふしを知っていた。わたしたちは助かった。マチアとわたしはまだいっしょにやったことはなかったが、まずくはやらなかった。もっともこの人たちはたいして音楽のいい悪いはかまわなかった。
「おまえたちのうち、コルネ(小ラッパ)のふける者があるかい」と赤い顔をした大男がたずねた。
「ぼくがやれます」とマチアは言った。「でも楽器がっきを持っていませんから」
「わしが行ってさがして来る。ヴァイオリンもいいが、きいきい言うからなあ」
 わたしはその日一日で、マチアがなんでもやれることがわかった。わたしたちは休みなしにばんまでやった。それにはわたしは平気であったが、かわいそうにマチアはひどく弱っていた。だんだんわたしはかれが青くなって、たおれそうになるのを見た。でもかれはいっしょうけんめいふきつづけた。幸いにかれが気分が悪いことを見つけたのは、わたし一人ではなかった。花よめさんがやはりそれを見つけた。
「もうたくさんよ」とかの女は言った。「あの小さい子は、つかれきっていますわ。さあ、みんな楽師がくしたちにやるご祝儀しゅうぎをね」
 わたしはぼうしをカピに投げてやった。カピはそれを口で受け取った。
「どうかわたくしどもの召使めしつかいにおさずけください」とわたしは言った。
 かれらはかっさいした。そしてカピがおじぎをするふうを見て、うれしがっていた。かれらはたんまりくれた。花むこさまはいちばんおしまいにのこったが、五フランの銀貨ぎんかをぼうしに落としてくれた。ぼうしは金貨でいっぱいになった。なんという幸せだ。
 わたしたちは夕食に招待しょうたいされた。そして物置ものおきの中でねむる場所をあたえてもらった。
 あくる朝この親切な百姓家ひゃくしょうやを出るとき、わたしたちには二十八フランの資本もとでがあった。
「マチア、これはきみのおかげだよ」とわたしは勘定かんじょうしたあとで言った。「ぼく一人きりでは楽隊がくたいつとまらないからねえ」
 二十八フランをかくしに入れて、わたしたちは福々であった。コルベイユへ着くと、わたしはさし当たりなくてならないと思う品を二つ三つ買うことができた。第一はコルネ、これは古道具屋で三フランした。それからくつ下にむすぶ赤リボン、最後さいごにもう一つの背嚢はいのうであった。代わりばんこに重い背嚢をしょうよりも、てんでんが軽い背嚢をしじゅうしょっているほうが楽であった。
「きみのような、人をぶたない親方はよすぎるくらいだ」とマチアがうれしそうにわらいながら言った。
 わたしたちのふところ具合がよくなったので、わたしは少しも早く、バルブレンのおっかあの所に向かって行こうと決心した。わたしはかの女におくり物を用意することができた。わたしはもう金持ちであった。なによりもかよりも、かの女を幸福にするものがあった。それはあのかわいそうなルセットの代わりになる雌牛めうしをおくってやることだ。わたしが雌牛をやったら、どんなにかの女はうれしがるだろう。どんなにわたしは得意とくいだろう。シャヴァノンに着くまえに、わたしは雌牛を買う。そしてマチアがたづなをつけて、すぐとバルブレンのおっかあの背戸せどへ引いて行く。
 マチアはこう言うだろう。「雌牛めうしを持って来ましたよ」
「へえ、雌牛を」とかの女は目をまるくするだろう。「まあおまえさんは人ちがいをしているんだよ」
 こう言ってかの女はため息をつくだろう。
「いいえ、ちがやしません」とマチアが答えるだろう。「あなたはシャヴァノン村のバルブレンのおばさんでしょう。そらおとぎ話の中にあるとおり、『王子さま』があなたの所へこれをおくり物になさるのですよ」
「王子さまとは」
 そこへわたしがあらわれて、かの女をだきせる。それからわたしたちはおたがいにだき合ってから、どらきとりんごのものをこしらえて、三人で食べる。けれどバルブレンにはやらない。ちょうどあの謝肉祭しゃにくさいの日にあの男が帰って来て、わたしたちのフライなべを引っくり返して、自分のねぎのスープに、せっかくのバターを入れてしまったときのように意地悪くしてやる。なんというすばらしいゆめだろう。でもそれをほんとうにするには、まず雌牛めうしから買わなければならない。
 いったい雌牛はどのくらいするだろう。わたしはまるっきり見当がつかない。きっとずいぶんするにちがいない。でもまだ……わたしはたいして大きな雌牛はしくなかった。なぜなら太っていればいるほど、雌牛は値段ねだんが高いから。それに大きければ大きいほど雌牛めうしは食べ物がよけいるだろう。わたしはせっかくのおくり物が、バルブレンのおっかあのやっかいになってはならないと思う。さしあたりだいじなことは、雌牛の値段ねだんを知ることであった。いや、それよりもわたしのしいと思う種類しゅるいの雌牛の値段を知ることであった。幸いにわたしたちはたびたびおおぜいの百姓ひゃくしょうやばくろうに行く先の村むらで出会うので、それを知るのはむずかしくはなかった。わたしはその日宿屋やどやで出会ったはじめの男にたずねてみた。
 かれはげらげらわらいだした、食卓しょくたくをどんとたたいた。それからかれは宿屋のおかみさんをんだ。
「この小さな楽師がくしさんは、雌牛めうしが聞きたいというのだ。たいへん大きなやつでなくて、ごくじょうぶで、ちちをたくさん出すのだそうだ」
 みんなはわらった。でもわたしはなんとも思わなかった。
「そうです、いい乳を出して、あんまり食べ物を食べないのです」とわたしは言った。
「そうしてその雌牛めうしはたづなに引かれて道を歩くことをいやがらないものでなくってはね」
 かれは一とおりわらってしまうと、今度はわたしと話し合う気になって、事がらをまじめにあつかい始めた。かれはちょうど注文の品を持っていた。それはうまいちちを――正銘しょうめいのクリームを出すいい雌牛めうしを持っていた――しかもそれはほとんど物を食べなかった。五十エクー出せばその雌牛はわたしの手にはいるはずであった。はじめこそこの男に話をさせるのがほねれたが、一度始めだすと今度はやめさせるのが困難こんなんであった。やっとわたしたちはそのばんおそく、とにかくねに行くことができた。わたしはこの男から聞いたことをのこらずゆめに見ていた。
 五十エクー――それは百五十フランであった。わたしはとてもそんなばくだいな金を持ってはいなかった。ことによってわたしたちの幸運がこの先つづけば、一スー一スーとたくわえて百五十フランになることがあるかもしれない。けれどそれにはひまがかかった。そうとすればわたしたちはなによりまずヴァルセへ行ってバンジャメンに会う。その道にできるだけほうぼうで演芸えんげいをして歩こう。それから帰り道に金ができるかもしれないから、そのときシャヴァノンへ行って、王子さまの雌牛めうしのおとぎ芝居しばいえんじることにしよう。
 わたしはマチアにこのくわだてを話した。かれはこれになんの異議いぎをもとなえなかった。
「ヴァルセへ行こう」とかれは言った。「ぼくもそういう所へは行って見たいよ」


     煤煙ばいえんの町

 この旅行はほとんど三月かかったが、やっとヴァルセの村はずれにかかったときに、わたしたちはむだに日をくらさなかったことを知った。わたしのなめし皮の財布さいふにはもう百二十八フランはいっていた。バルブレンのおっかあの雌牛めうしを買うには、あとたった二十二フラン足りないだけであった。
 マチアもわたしと同じくらいよろこんでいた。かれはこれだけの金をもうけるために、自分もはたらいたことにたいへん得意とくいであった。実際じっさいかれのてがらは大きかった。かれなしには、カピとわたしだけで、とても百二十八フランなんという金高の集まりようはずがなかった。これだけあれば、ヴァルセからシャヴァノンまでの間に、あとの足りない二十二フランぐらいはわけなく得られよう。
 わたしたちが、ヴァルセに着いたのは午後の三時であった。きらきらした太陽が晴れた空にかがやいていたが、だんだん町へ近くなればなるほど空気が黒ずんできた。天と地の間に煤煙ばいえんの雲がうずをいていた。
 わたしはアルキシーのおじさんがヴァルセの鉱山こうざんはたらいていることは知っていたが、いったい町中まちなかにいるのか、外に住んでいるのか知らなかった。ただかれがツルイエールという鉱山で働いていることだけ知っていた。
 町へはいるとすぐわたしはこの鉱山こうざんがどのへんにあるかたずねた。そしてそれはリボンヌ川の左のがけの小さな谷で、その谷の名が鉱山の名になっていることを教えられた。この谷は町と同様ふゆかいであった。
 鉱山こうざん事務所じむしょへ行くと、わたしたちはアルキシーのおじさんのガスパールのいる所を教えられた。それは山から川へつづく曲がりくねった町の中で、鉱山からすこしはなれた所にあった。
 わたしたちがその家に行き着くと、ドアによっかかって二、三人、近所の人と話をしていた婦人ふじんが、坑夫こうふのガスパールは六時でなければ帰らないと言った。
「おまえさん、なんの用なの」とかの女はたずねた。
「わたしはおいごさんのアルキシー君に会いたいのです」
「ああ、おまえさん、ルミさんかえ」とかの女は言った。「アルキシーがよくおまえさんのことを言っていたよ。あの子はおまえさんを待っていたよ」こう言ってなお、「そこにいる人はだれ」と、マチアを指さした。
「ぼくの友だちです」
 この女はアルキシーのおばさんであった。わたしはかの女がわたしたちをうちの中へび入れて休ませてくれることと思った。わたしたちはずいぶんほこりをかぶってつかれていた。けれどかの女はただ、六時にまた来ればアルキシーに会える、いまはちょうど鉱山こうざんへ行っているところだからと言っただけであった。
 わたしはむこうから申し出されもしないことを、こちらから請求せいきゅうする勇気ゆうきはなかった。
 わたしたちはおばさんに礼をべて、ともかくなにか食べ物を食べようと思って、パン屋をさがしに町へ行った。「わたしはマチアがさぞ、なんてことだ」と思っているだろうと考えて、こんな待遇たいぐうを受けたのがきまり悪かった。こんなことなら、なんだってあんな遠い道をはるばるやって来たのであろう。
 これではマチアが、わたしの友人に対してもおもしろくない感じを持つだろうと思われた。これではリーズのことを話しても、わたしと同じ興味きょうみで聞いてはくれないだろうと思った。でもわたしはかれがひじょうにリーズをいてくれることをのぞんでいた。
 おばさんがわたしたちにあたえた冷淡れいたん待遇たいぐうは、わたしたちにふたたびあのうちへもどる勇気ゆうきうしなわせたので、六時すこしまえにマチアとカピとわたしは、鉱山こうざんの入口に行って、アルキシーを待つことにした。
 わたしたちはどの坑道こうどうから工夫こうふたちが出て来るか教えてもらった。それで六時すこしぎに、わたしたちは坑道の暗いかげの中に、小さな明かりがぽつりぽつり見え始めて、それがだんだんに大きくなるのを見た。工夫たちは手に手にランプを持ちながら、一日の仕事をすまして、日光の中に出て来るのであった。かれらはひざがしらがいたむかのように、重い足どりでのろのろと出て来た。わたしはそののちに、地下の坑道こうどうのどんそこまではしごを下りて行ったとき、それがどういうわけだかはじめてわかった。かれらの顔はえんとつそうじのようにまっ黒であった。かれらの服とぼうしは石炭のごみをいっぱいかぶっていた。やがてみんなは点燈所てんとうしょにはいって、ランプをくぎに引っかけた。
 ずいぶん注意して見ていたのであるが、やはり向こうから見つけてかけって来るまで、わたしたちはアルキシーを見つけなかった。もうすこしでかれを見つけることなしにやりごしてしまうところであった。
 実際じっさい頭から足までまっ黒くろなこの少年に、あのひじの所でれたきれいなシャツを着て、カラーの前を大きく開けて白いはだを見せながら、いっしょに花畑の道をかけっこしたむかしなじみのアルキシーを見いだすことは困難こんなんであった。
「やあ、ルミだよ」とかれはそばにりそって歩いていた四十ばかりの男のほうを向いてさけんだ。その人はアッケンのお父さんと同じような、親切な快活かいかつな顔をしていた。二人が兄弟であることを思えば、それはふしぎではなかった。わたしはすぐそれがガスパールおじさんであることを知った。
「わたしたちは長いあいだおまえさんを待っていたよ」とかれはにっこりしながら言った。
「パリからヴァルセまではずいぶんありましたよ」とわたしはわらい返しながら言った。
「おまけにおまえさんの足は短いからな」とかれは笑いながら言い返した。
 カピもアルキシーを見ると、うれしがっていっしょうけんめいそのズボンのすそをって、およろこびのごあいさつをした。このあいだわたしはガスパールおじさんに向かって、マチアがわたしの仲間なかまであること、そしてかれがだれよりもコルネをうまくふくことを話した。
「おお、カピ君もいるな」とガスパールおじさんが言った。「おまえ、あしたはゆっくり休んで行きなさい。ちょうど日曜日で、わたしたちにもいいごちそうだ。なんでもアルキシーの話ではあの犬は学校の先生と役者をいっしょにしたよりもかしこいというじゃないか」
 わたしはおばさんに対して気持ち悪く感じたと同じくらいこのガスパールおじさんに対しては気持ちよく感じた。
「さあ、子どもどうし話をおしよ」とかれはゆかいそうに言った。「きっとおたがいにたんと話すことがもっているにちがいない。わたしはこのコルネをそんなにじょうずにふくわか紳士しんしとおしゃべりをしよう」
 アルキシーはわたしの旅の話を聞きたがった。わたしはかれの仕事の様子を知りたがった。わたしたちはおたがいにたずね合うのがいそがしくって、てんでに相手あいての返事が待ちきれなかった。
 うちに着くと、ガスパールおじさんはわたしたちを晩飯ばんめし招待しょうたいしてくれることになった。この招待ほどわたしをゆかいにしたものはなかった。なぜならわたしたちはさっきのおばさんの待遇たいぐうぶりで、がっかりしきっていたから、たぶん門口かどぐちわかれることになるだろうと、道みちも思っていたからであった。
「さあ、ルミさんとお友だちのおいでだよ」おじさんはうちへはいりかけながらどなった。
 しばらくしてわたしたちは夕食の食卓しょくたくにすわった。食事は長くはかからなかった。なぜなら金棒引かなぼうひきであるこのおばさんは、そのばんごくお軽少けいしょうのごちそうしかしなかった。ひどい労働ろうどうをする坑夫こうふは、でもこごと一つ言わずに、このお軽少な夕食を食べていた。かれはなによりも平和をこのむ、ことなかれ主義しゅぎの男であった。かれはけっしてこごとを言わなかった。言うことがあれば、おとなしい、しずかな調子で言った。だから夕食はじきにすんでしまった。
 ガスパールおばさんはわたしに、今晩こんばんはアルキシーといっしょにいてもいいと言った。そしてマチアにはいっしょに行ってくれるなら、パンにねどこをこしらえてあげると言った。
 そのばんそれからつづいてその夜中の大部分、アルキシーとわたしは話し明かした。アルキシーがわたしに話したいちいちがきみょうにわたしを興奮こうふんさせた。わたしはもとからいつか一度鉱山こうざんの中にはいってみたいと思っていた。
 でもあくる日、わたしの希望きぼうをガスパールおじさんに話すと、かれはたぶんれて行くことはできまい、なんでも炭坑たんこうはたらいている者のほかは、よその人を入れないことになっているからと言った。
「だがおまえ、坑夫こうふになりたいと思えばわけのないことだ」とかれは言った。「ほかの仕事にくらべて悪いことはないよ。大道で歌を歌うよりよっぽどいいぜ。アルキシーといっしょにいることもできるしな。なんならマチアさんにも仕事をこしらえてやる。だがコルネをふくほうではだめだよ」
 わたしは、ヴァルセに長くいるつもりはなかった。自分のこころざすことはほかにあった。それでついわたしの好奇心こうきしんたすことなしに、この町を去ろうとしていたとき、ひょんな事情じじょうから、わたしは坑夫こうふのさらされているあらゆる危険きけんを知るようになった。


     運搬夫うんぱんふ

 ちょうどわたしたちがヴァルセをたとうとしたその日、大きな石炭のかけらが、アルキシーの手に落ちて、あぶなくその指をくだきかけた。いく日かのあいだかれはその手に絶対ぜったい安静あんせいをあたえなければならなかった。ガスパールおじさんはがっかりしていた。なぜならもうかれの車をおしてくれる者はなかったし、かれもしたがってうちにぶらぶらしていなければならなくなったからである。でもそれはかれにはひどく具合の悪いことであった。
「じゃあぼくで代わりはつとまりませんか」とかれが代わりの子どもをどこにももとめかねて、ぼんやりうちに帰って来たとき、わたしは言った。
「どうも車はおまえには重たすぎようと思うがね」とかれは言った。「でもやってみてくれようと言うなら、わたしは大助かりさ。なにしろほんの五、六日使う子どもをさがすというのはやっかいだよ」
 この話をわきで聞いていたマチアが言った。
「じゃあ、きみが鉱山こうざんに行っているうち、ぼくはカピをれて出かけて行って、雌牛めうしのお金の足りない分をもうけて来よう」
 明るい野天の下で三月くらしたあいだに、マチアはすっかり人がわっていた。かれはもうお寺のさくにもたれかかっていたあわれな青ざめた子どもではなかった。ましてわたしがはじめて屋根裏やねうら部屋へやで会ったとき、スープなべの見張みはりをして、えず気のどくないたむ頭を両手でおさえていた化け物のような子ではなかった。マチアはもうけっして頭痛ずつうがしなかった。けっしてみじめではなかったし、やせこけても、悲しそうでもなかった。美しい太陽と、さわやかな空気がかれに健康けんこうと元気をあたえた。旅をしながらかれはいつも上きげんにわらっていたし、なにを見てもそのいいところを見つけて、楽しがっていた。かれなしにはわたしはどんなにさびしくなることであろう。
 わたしたちはずいぶん性質せいしつがちがっていた。たぶんそれでかえってしょうが合うのかもしれなかった。かれはやさしい、明るい気質きしつを持っていた。すこしもものにめげない、いつもきげんよく困難こんなんに打ちかってゆく気風があった。わたしには学校の先生のようなしんぼう気がなかったから、かれは物を読むことや音楽のけいこをするときにはよくけんかをしそうにした。わたしはずいぶんかれに対して無理むりを言ったが、一度もかれはおこった顔を見せなかった。
 こういうわけで、わたしが鉱山こうざんに下りて行くあいだ、マチアとカピが町はずれへ出かけて、音楽と芝居しばい興行こうぎょうをして、それでわたしたちの財産ざいさんやすという、やくそくができあがった。わたしはカピに向かってこの計画を言い聞かせると、かれはよくわかったとみえて、さっそく賛成さんせいの意をほえてみせた。
 あくる日、ガスパールおじさんのあとにくっついて、わたしは深いまっ暗な鉱山こうざんに下りて行った。かれはわたしにじゅうぶん気をつけるように言い聞かせたが、その警告けいこく必要ひつようはなかった。もっとも昼の光をはなれて地のそこへはいって行くということには、ずいぶんの恐怖きょうふと心配がないではなかった。ぐんぐん坑道こうどうを下りて行ったとき、わたしは思わずふりあおいだ。すると、長い黒いえんとつの先に見える昼の光が、白い玉のように、まっ暗な星のない空にぽっつりかがやいている月のように見えた。やがて大きな黒いやみが目の前に大きな口を開いた。下の坑道こうどうにはほかの坑夫こうふがはしごだんを下りながら、ランプをぶらぶらさげて行くのが見えた。わたしたちはガスパールおじさんがはたらいている二そう目の小屋に着いた。車をおす役に使われているのは、ただ一人「先生」とばれている人のほかは、のこらず男の子であった。この人はもうかなりのおじいさんで、わかいじぶんには鉱山こうざん大工だいくの仕事をしていたが、あるときあやまって指をくだいてからは、手についたしょくてなければならなかったのであった。
 さてこうにはいってまもなく、わたしは坑夫こうふというものが、どういう人間で、どんな生活をしているものだかよく知ることになった。


     洪水こうずい

 それはこういうことからであった。
 運搬夫うんぱんふになって、四、五日してのち、わたしは車をレールの上でおしていると、おそろしいうなり声を聞いた。その声はほうぼうから起こった。
 わたしのはじめの感じはただおそろしいというだけであって、ただ助かりたいと思う心よりほかになにもなかったが、いつもものにこわがるといってはわらわれていたのを思い出して、ついきまりが悪くなって立ち止まった。爆発ばくはつだろうか、なんだろうか、ちっともわからなかった。
 ふと何百というねずみが、一連隊れんたい兵士へいしの走るように、すぐそばをかけ出して来た。すると地面と坑道こうどうのかべにずしんと当たるきみょうな音が聞こえて、水の走る音がした。わたしはガスパールおじさんのほうへかけてもどった。
「水が鉱坑こうこうにはいって来たのです」とわたしはさけんだ。
「ばかなことを言うな」
「まあ、お聞きなさい。あの音を」
 そう言ったわたしの様子には、ガスパールおじさんにいやでも仕事をやめて耳を立てさせるものがあった。物音はいよいよ高く、いよいよものすごくなってきた。
「いっしょうけんめいかけろ。鉱坑こうこうに水が出た」とかれがさけんだ。
「先生、先生」とわたしはさけんだ。
 わたしたちは坑道こうどうをかけ下りた。老人ろうじんもいっしょについて来た。水がどんどん上がって来た。
「おまえさん先へおいでよ」とはしごだんまで来ると老人は言った。
 わたしたちはゆずり合っている場合ではなかった。ガスパールおじさんは先に立った。そのあとへわたしもつづいて、それから「先生」が上がった。はしごだんのてっぺんに行き着くまえに大きな水がどっと上がって来てランプを消した。
「しっかり」とガスパールおじさんがさけんだ。わたしたちははしごの横木にかじりついた。でもだれか下にいる人がほうり出されたらしかった、たきのいきおいがどっどっとなだれのようにおして来た。
 わたしたちは第一そうにいた。水はもうここまで来ていた。ランプが消えていたので、明かりはなかった。
「いよいよだめかな」と「先生」はしずかに言った。「おいのりをとなえよう、こぞうさん」
 このしゅんかん、七、八人のランプを持った坑夫こうふがわたしたちの方角へかけて来て、はしごだんに上がろうとほねっていた。
 水はいまに規則きそく正しい波になって、こうの中を走っていた。気ちがいのようないきおいでうずをわかせながら、材木ざいもくをおし流して、はねのようにかるくくるくる回した。
通気竪坑つうきたてこうにはいらなければだめだ。にげるならあすこだけだ。ランプをしてくれ」と「先生」が言った。
 いつもならだれもこの老人ろうじんがなにか言っても、からかうたねにはしても、まじめに気をめる者はなかったであろうが、いちばん強い人間もそのときは精神せいしんうしなっていた。それでしじゅうばかにしてした老人の声に、いまはついて行こうとする気持ちになっていた。ランプがかれにわたされた。かれはそれを持って先に立ちながら、いっしょにわたしをって行った。かれはだれよりもよく鉱坑こうこうのすみずみを知っていた。水はもうわたしのこしまでついていた。「先生」はわたしたちをいちばん近い竪坑たてこうれて行った。二人の坑夫こうふはしかしそれは地獄じごくちるようなものだと言って、はいるのをこばんだ。かれらはろうかをずんずん歩いて行った。わたしたちはそれからもう二度とかれらを見なかった。
 そのとき耳の遠くなるようなひどい物音が聞こえた。大津波おおつなみのうなる音、木のめりめりさける音、圧搾あっさくされた空気の爆発ばくはつする音、すさまじいうなり声がわたしたちをおびえさせた。
大洪水だいこうずいだ」と一人がさけんだ。
世界せかいの終わりだ」
「おお、神様お助けください」
 人びとが絶望ぜつぼうのさけび声を立てるのを聞きながら、「先生」は平気な、しかしみんなを傾聴けいちょうさせずにおかないような声で言った。
「しっかりしろ。みんな、ここにしばらくいるうちに、仕事をしなければならない。こんなふうにみんなごたごたかたまっていても、しかたがない。ともかくからだを落ち着けるあなをほらなければならない」
 かれのことばはみんなを落ち着かせた。てんでに手やランプのかぎで土をほり始めた。この仕事は困難こんなんであった。なにしろわたしたちがかくれた竪坑たてこうはひどい傾斜けいしゃになっていて、むやみとすべった。しかも足をふみはずせば下は一面の水で、もうおしまいであった。
 でもどうやらやっと足だまりができた。わたしたちは足を止めて、おたがいの顔を見ることができた。みんなで七人、「先生」とガスパールおじさんに、三人の坑夫のパージュ、コンプルー、ベルグヌー、それからカロリーという車おしのこぞう、それにわたしであった。
 鉱山の物音は同じはげしさでつづいた。このおそろしいうなり声を説明せつめいすることばはなかった。いよいよわれわれの最後さいごのときが来たように思われた。恐怖きょうふに気がくるったようになって、わたしたちはおたがいにさぐるように相手あいての顔を見た。
「鉱山の悪霊あくりょうふくしゅうをしたのだ」と一人がさけんだ。
「上の川にあながあいて、水がはいって来たのでしょう」とわたしはこわごわ言ってみた。
「先生」はなにも言わなかった。かれはただかたをそびやかした。それはあたかもそういうことはいずれ昼間くわの木のかげで、ねぎでも食べながらろんじてみようというようであった。
鉱山こうざん悪霊あくりょうなんというのはばかな話だ」とかれは最後さいごに言った。「鉱山に洪水こうずいが来ている。それはたしかだ。だがその洪水がどうして起こったかここにいてはわからない……」
「ふん、わからなければだまっていろ」とみんながさけんだ。
 わたしたちはかわいた土の上にいて、水がもうせて来ないので、すっかり気が強くなり、だれも老人ろうじんに耳をかたむけようとする者がなかった。さっき危険きけんの場合にしめした冷静沈着れいせいちんちゃくのおかげで、急にかれに加わった権威けんいはもううしなわれていた。
「われわれはおぼれて死ぬことはないだろう」とかれはやがてしずかに言った。「ランプのを見なさい。ずいぶん心細くなっているではないか」
魔法使まほうつかいみたいなことを言うな。なんのわけだ、言ってみろ」
「おれは魔法使まほうつかいをやろうというのではない。だがおぼれて死ぬことはないだろう。おれたちは気室の中にいるのだ。その圧搾空気あっさくくうきで水が上がって来ないのだ。出口のないこの竪坑たてこうはちょうど潜水鐘せんすいしょう(潜水器)が潜水夫せんすいふの役に立つと同じりくつになっているのだ。空気が竪坑にたくわえられていて、それが水のさして来る力をせき止めているのだ。そこでおそろしいのは空気のくさることだ……水はもう一しゃく(約三〇センチ)も上がっては来ない。鉱山こうざんの中は水でいっぱいになっているにちがいない」
「マリウスはどうしたろう」
鉱坑こうこうは水でいっぱいになっている」と言った「先生」のことばで、パージュは三そう目ではたらいていた一人むすこのことを思い出した
「おお、マリウス、マリウス」とかれはまたさけんだ。
 なんの返事もなかった。こだまも聞こえなかった。かれの声はわれわれのいるこうの外にはとおらなかった。マリウスは助かったろうか。百五十人がみんなおぼれたろうか。あまりといえばおそろしいことだ。百五十人は少なくとも坑の中にはいっていた。そのうちいくにん竪坑たてこうに上がったろうか。わたしたちのようににげ場を見つけたろうか。
 うすぼんやりしたランプの光が心細くわたしたちのせまいおりをらしていた。


     生きた墓穴はかあな

 いまや鉱坑こうこうの中には絶対ぜったい沈黙ちんもく支配しはいしていた。わたしたちの足もとにある水はごくしずかに、さざ波も立てなかった。さらさらいう音もしなかった。鉱坑は水があふれていた。このやぶりがたいしずんだ重い沈黙が、はじめ水があふれ出したとき聞いたおそろしいさけび声よりも、もっと心持ちが悪かった。
 わたしたちは生きながらうずめられて、地の下百尺(約三〇メートルだが、ここでは深いという意味)のはかの中にいるのであった。わたしたちはみんなこの場合の恐怖きょうふを感じていた。「先生」すらもぐんなりしていた。
 とつぜんわたしたちは手にあたたかいしずくの落ちるのを感じた。それはカロリーであった……かれはだまっていていた。ふとそのとき引きさかれるようなさけび声が聞こえた。
「マリウス。ああ、せがれのマリウス」
 空気は息苦しく重かった。わたしは息がつまるように感じた。耳のはたにぶつぶついう音がした、わたしはおそろしかった。水も、やみも、死も、おそろしかった。沈黙ちんもくがわたしを圧迫あっぱくした。
 わたしたちの避難所ひなんじょのでこぼこした、ぎざぎざなかべが、いまにも落ちて、その下におしつぶされるような気がしてこわかった。わたしはもう二度とリーズに会うことができないであろう。アーサにも、ミリガン夫人ふじんにも、それからきなマチアにも。
 みんなはあの小さいリーズにわたしの死んだことを了解りょうかいさせることができるであろうか。かの女の兄たちやあねさんからの便たよりをつい持って行ってやることができなかったことを了解させることができようか。それから気のどくなバルブレンのおっかあは……。
「どうもおれの考えでは、だれもおれたちをすくうくふうはしていないらしい」とガスパールおじさんはとうとう沈黙ちんもくやぶって言った。「ちっとも音が聞こえない」
「おまえさん、仲間なかまのことをどうしてそんなふうに考えられるかね」と「先生」はあつくなってさけんだ。「いつの鉱山こうざん椿事ちんじでも、仲間なかまがおたがいに助け合わないことはなかった。一人の坑夫こうふのことだって、あの二十人百人の仲間なかまがけっして見殺みごろしにはしないじゃないか。おまえさん、それはよく知っているくせに」
「それはそうだよ」とガスパールおじさんがつぶやいた。
「思いちがいをしてはいけないよ。みんなもこちらへ近寄ちかよろうとしていっしょうけんめいやっているのだ。それには二つしかたがある……一つはこのおれたちのいる下まで、トンネルをほるのだ。もう一つは水をすのだ」
 人びとはその仕事を仕上げるにどのくらいかかるかというとりとめのない議論ぎろんを始めた。結局けっきょくすくなくともこのはかの中にこの後八日ははいっていなければならないことに意見が一致いっちした。八日。わたしも坑夫こうふが二十四日もあなの中にじこめられた話は聞いたが、でもそれは「話」であるが、このほうは真実しんじつであった。いよいよそれが、どういうことであるか、すっかりわかると、もう回りの人の話なんぞは耳にはいらなかった。わたしはぼんやりした。
 また沈黙ちんもくつづいた。みんなは考えにしずんでいた。そんなふうにして、どのくらいいたか知らないが、ふとさけび声が聞こえた。
「ポンプが動いている」
 これはいっしょの声で言われた。いまわたしたちの耳に当たった音は、電流でさわられでもしたように感じた。わたしたちはみんな立ち上がった。ああ、われわれはすくわれよう。
 カロリーはわたしの手を取ってかたくにぎりしめた。
「きみはいい人だ」とかれは言った。
「いいや、きみこそ」とわたしは答えた。
 でもかれはわたしがいい人であることをむちゅうになって主張しゅちょうした。かれの様子は酒にっている人のようであった。またまったくそうであった。かれは希望きぼうっていたのだ。
 けれどわたしたちは空に美しい太陽をあおぎ、地に楽しく歌う小鳥の声を聞くまでに、長いつらい苦しみの日を送らなければならなかった。いったいもう一度日の目を見ることができるだろうか。そう思って苦しい不安ふあんの日をこの先送らなければならなかった。わたしたちはみんなひじょうにのどがかわいていた。パージュが水を取りに行こうとした。けれど「先生」はそのままにじっとしていろと言った。かれはわたしたちのせっかくみ上げた石炭の土手がかれのからだの重みでくずれて、水の中に落ちるといけないと気づかったのであった。
「ルミのほうが身が軽い。あの子に長ぐつをしておやり。あの子なら、行って水を取って来られるだろう」とかれは言った。
 カロリーの長ぐつがわたされた。わたしはそっと土手を下りることになった。
「ちょいとお待ち」と「先生」が言った。「手をしてあげよう」
「おお、でもだいじょうぶですよ。先生」とわたしは答えた。「ぼくは水に落ちても泳げますから」
「わたしの言うとおりにおし」とかれは言いった。「さあ、手をお持ち」
 かれはしかしわたしを助けようとしたはずみに足をふみはずしたか、足の下の石炭がくずれたか、つるり、傾斜けいしゃの上をすべって、まっさかさまに暗い水の中に落ちこんだ。かれがわたしに見せるつもりで持っていたランプは、つづいてころがって見えなくなった。
 たちまちわたしは暗黒の中に投げこまれた。そこにはたった一つのしかなかったのであった。みんなの中から同じさけび声が起こった。幸いにわたしはもう水にとどく位置いちに下りていた。背中せなかで土手をすべりながら、わたしは老人ろうじんさがしに水の中にはいった。
 ヴィタリス親方と流浪るろうしていたあいだに、わたしは泳ぐことも、水にはいることもおぼえた。わたしはおかの上と同様、水の中でも楽にはたらけた。だがこのまっ暗なあなの中で、どうして見当をつけよう。わたしは水にはいったとき、それを少しも考えなかった。わたしはただ老人がおぼれたろうと、そればかり考えた。どこをわたしは見ればいいか、どちらのそばへ泳いで行けばいいか、わたしはこまっていると、ふとしっかりかたをつかまえられたように感じた。わたしは水の中に引きこまれた、足を強くけって、わたしは水のおもてへ出た。手はまだ肩をつかんでいた。
「しっかりおしなさい、先生」とわたしはさけんだ。「首を上に上げていれば助かりますよ」
 助かると。どうして二人とも助かるどころではなかった。わたしはどちらへ泳いでいいかわからなかった。
「ねえ、だれか、声をかけてください」とわたしはさけんだ。
「ルミ、どこだ」
 こう言ったのはガスパールおじさんの声であった。
「ランプをつけてください」
 ランプが暗やみの中からさぐり出されて、すぐに明かりがついた、わたしはただ手をのばせば土手にさわることができた。片手かたてで石炭のかけらをつかんで、わたしは老人ろうじんを引き上げた。もう、少しであぶないところであった。
 かれはもうたくさんの水を飲んでいて、半分人事不省じんじふせいであった。わたしはかれの頭をうまく水の上に上げてやったので、どうにかかれは上がって来た。仲間なかまはかれの手を取って引き上げる。わたしは後からおし上げた。わたしはそのあとで今度は自分がはい上がった。
 このふゆかいな出来事で、しばらくわたしたちの気を転じさせたが、それがすむとまた圧迫あっぱく絶望ぜつぼうにおそわれた。それとともに死が近づいたという考えがのしかかってきた。
 わたしはひじょうにねむくなった。この場所はねるのにつごうのいい場所ではなかった。じきに水の中にころがり落ちそうであった。すると「先生」はわたしのあぶなっかしいのを見て、かれのむねにわたしの頭をつけて、わたしのからだをうででおさえてくれた。かれはたいしてしっかりおさえてはいなかったが、わたしが落ちないだけにはじゅうぶんであった。わたしはそこで母のひざにねむる子どものようにねむった。
 わたしが半分目がめて身動きすると、かれはただきつくなった自分のうでの位置いちを変えた。そして自分は動かずにすわっていた。
「お休み、ぼうや」とかれはわたしの上にのぞきこんでささやいた。「こわいことはない。わたしがおさえていてあげるからな」
 それでわたしは恐怖きょうふなしにねむった。かれがけっして手をはなさないことをわたしはよく知っていた。


     救助きゅうじょ

 わたしたちは時間じかん観念かんねんがなくなった。そこに二日いたか、六日いたか、わからなかった。意見がまちまちであった。もうだれもすくわれることを考えてはいなかった。死ぬことばかりが心の中にあった。
「先生、おまえの言いたいことを言えよ」とベルグヌーがさけんだ。「おまえ水をかい出すにどのくらいかかるか、勘定かんじょうしていたじゃないか。だがとてもまに合いそうもないぜ。おれたちは空腹くうふく窒息ちっそくで死ぬだろう」
「しんぼうしろよ」と「先生」が答えた。「おれたちは食べ物なしにどれくらい生きられるか知っている。それでちゃんと勘定がしてあるのだ。だいじょうぶ、まに合うよ」
 このしゅんかん、大きなコンプルーが声を立ててすすりきを始めた。
「神様のばちだ」とかれはさけんだ。「おれは後悔こうかいする。おれは後悔する。もしここから出られたら、おれはいままでした悪事のつぐないをすることをちかう。もし出られなかったら、おまえたち、おれのために神様におわびをしてくれ。おまえたちはあのヴィダルのおっかあの時計をぬすんで、五年の宣告せんこくを受けたリケを知っているか……だがおれがそのどろぼうだった。ほんとうはおれがとったのだ。それはおれの寝台ねだいの下にはいっている……おお……」
「あいつを水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーがさけんだ。
「じゃあ、おまえは良心りょうしんつみをしょわせたまま神様の前に出るつもりか」と先生がさけんだ。「あの男に懺悔ざんげさせろ」
「おれは懺悔する、おれは懺悔する」と大力たいりきのコンプルーが、子どもよりもっといくじなくいた。
「水の中にほうりこめ。水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーが、「先生」 の後ろにまるくなっていた罪人ざいにんにとびかかって行きそうにした。
「おまえたち、この男を水の中にほうりこみたいなら、おれもいっしょにほうりこめ」
「ううん、ううん」やっとかれらは水の中に罪人をほうりこむだけはしないことにしたが、それには一つの条件じょうけんがついた。罪人はすみっこにおしやられて、だれも口をきいてもいけないし、かまってもやるまいというのだった。
「そうだ、それが相当だ」と「先生」が言った。「それが公平なさばきだ」
「先生」のことばはコンプルーに下された判決はんけつのように思われたので、それがすむとわたしたちはみんないっしょに、できるだけ遠くはなれて、この悪い事をした人間との間に空き地をこしらえた。数時間のあいだ、かれは悲しみに打たれて、えずくちびるを動かしながら、こうつぶやいているように思われた。
「おれはくいあらためる。おれはくい改める」
 やがてパージュとベルグヌーがさけびだした。
「もうおそいや、もうおそいや。きさまはいまこわくなったのでくい改めるのだ。きさまは一年まえにくい改めなければならなかったのだ」
 かれは苦しそうに、ため息をついていた。けれどまだくり返していた。
「おれはくいあらためる。おれはくい改める」
 かれはひどいねつにかかっていた。かれの全身はふるえて、歯はがたがた鳴っていた。
「おれはのどがかわいた」とかれは言った。「その長ぐつをしてくれ」
 もう長ぐつに水はなかった。わたしは立ち上がって取りに行こうとした。けれどそれを見つけたパージュがわたしをび止めた。同時にガスパールおじさんがわたしの手をおさえた。
「もうあいつにはかまわないとやくそくしたのだ」とかれは言った。
 しばらくのあいだ、コンプルーはのどがかわくと言いつづけた。わたしたちがなにも飲み物をくれないとみて、かれは自分で立ち上がって、水のほうへ行きかけた。
「あいつ石炭がらをくずしてしまうぞ」
「まあ、自由だけはゆるしてやれ」と「先生」が言った。
 かれはわたしがさっき背中せなかで下へすべって行ったのを見ていた。それで自分もそのとおりをやろうとしたが、わたしの身が軽いのとちがって、かれはなみはずれて重かった。それで後ろ向きになるやいなや、石炭の土手が足の下でくずれて、両足をのばし、両手はくうをつかんだまま、かれはまっ暗なあなの中に落ちこんだ。
 水はわたしたちのいる所まではね上がった。わたしは下りて行くつもりでのぞきこんだが、ガスパールおじさんと「先生」がわたしの手を両方からおさえた。
 半分死んだように、恐怖きょうふにふるえがら、わたしはせきにもどった。
 時間がぎていった。元気よくものを言うのは「先生」だけであった。けれどそれもわたしたちのしずんでいるのがとうとうかれの精神せいしんをもしずませた。わたしたちの空腹くうふくはひじょうなものであったから、しまいにはぐるりにあるくさった木まで食べた。まるでけもののようであった。カロリーが中でもいちばんはらをすかした。かれはかたっぽの長ぐつを切って、しじゅうなめし皮のきれをかんでいた。空腹くうふくがどんなどんぞこのやみにまでわたしたちをみちびくかということを見て、正直の話、わたしははげしい恐怖きょうふを感じだした。ヴィタリス老人ろうじんは、よく難船なんせんした人の話をした。ある話では、なにも食べ物のないはなれ島に漂着ひょうちゃくした船乗りが、船のボーイを食べてしまったこともある。わたしは仲間なかまがこんなにひどい空腹くうふくめられているのを見て、そういう運命がわたしの上にも向いて来やしないかとおそれた。「先生」と、ガスパールおじさんだけはわたしを食べようとは思えなかったが、パージュとカロリーと、ベルグヌーは、とりわけベルグヌーは長ぐつの皮を食い切るあの大きな白い歯で、ずいぶんそんなことをしかねないと思った。
 一度こんなこともあった。わたしが半分うとうとしていると、「先生」がゆめを見ているように、ほとんどささやくような声で言っていることを聞いてびっくりした。かれは雲や風や太陽の話をしていた。するとパージュとベルグヌーが、とんきょうな様子でかれとおしゃべりを始めた。まるで相手あいての返事をするのをおたがいに待たないのであった。ガスパールおじさんはかれらのへんな様子には気がつかないようであった。この人たちは気がちがったのではないかしら。それだとどうしよう。
 ふと、わたしは明かりをつけようと思った。油を倹約けんやくするため、わたしたちはぜひ入り用なときだけ明かりをつけることにしていたのである。
 明かりを見ると、はたしてかれらはやっと意識いしきをとりもどしたらしかった。わたしはかれらのために水を取りに行った。もういつかしら水はずんずん引いていた。
 しばらくしてかれらはまたみょうなふうに話をしだした。わたし自身も心持ちがなんだかぼんやりとりとめなくみだれていた。いく時間も、あるいはいく日も、わたしたちはおたがいにとんきょうなふうでおしゃべりをしつづけていた。そののちしばらくするとわたしたちは落ち着いた。で、ベルグヌー[#「ベルグヌー」は底本では「ベリグヌー」]は、いよいよ死ぬなら、そのまえにわれわれは書置かきおきをのこして行こうと言った。
 わたしたちはまたランプをつけた。ベルグヌーがみんなのために代筆だいひつした。そしててんでんがその紙に署名しょめいをした。わたしは犬とハープをマチアにやることにした。アルキシーにはリーズの所へ行って、わたしの代わりにかの女にキッスをしてチョッキのかくしにはいっているからびたばらの花を送ってもらいたいという希望きぼうを書いた。ああ、なつかしいリーズ……。
 しばらくしてわたしはまた土手をすべり下りた。すると水がいちじるしくっているのを見た。わたしは急いで仲間なかまの所へかけもどって、もうはしごだんの所まで泳いで行けること、それから救助きゅうじょに来た人たちにどの方角ににげていいか聞くことができるとげた。「先生」はわたしの行くことを止めた。けれどわたしは言いった。
「行っといで、ルミ。おれの時計をやるぞ」とガスパールおじさんがさけんだ。
 「先生」はしばらく考えて、わたしの手を取った。
「まあおまえの考えどおりやってごらん」とかれは言った。「おまえは勇気ゆうきがある。わたしはおまえができそうもないことをやりかけているとは思うが、そのできそうもないことが案外あんがい成功せいこうすることは、これまでもないことではなかったのだから。ささ、おれたちにキッスをおし」
 わたしは「先生」とガスパールおじさんにキッスをした。それから着物をぬぎてて、水の中にとびこんだ。
 とびこむまえにわたしは言った。
「みんなでしじゅう声を立てていてください。その声で見当をつけるから」
 坑道こうどうの屋根の下の空き地が、自由にからだのはたらけるだけ広かろうかとわたしはあやぶんでいた。これは疑問ぎもんであった。少し泳いでみて、そっと行けば行かれることがわかった。ほうぼうの坑道こうどうの出会う場所のそう遠くないことを、わたしは知っていた。けれどわたしは用心しなければならなかった。一度道をまちがえると、それなりまよってしまう危険きけんがあった。坑道の屋根やかべは道しるべにはならなかった。地べたにはレールというもっとたしかな道しるべがあった。これについて行けば、たしかにはしご段を見つけることができた。しじゅうわたしは足を下へやって、鉄のレールにさわりながら、またそっと上へうき上がった。後ろには仲間なかまの声が聞こえるし、足の下にはレールがあるので、わたしは道を迷わなかった。後ろの声がだんだん遠くなると、上のポンプの音が高くなった。わたしはぐんぐん進んで行った。ありがたい、もうまもなく日の光が見えるのだ。
 坑道こうどうのまん中をまっすぐに行きながら、わたしはレールにさわるために、右のほうへ曲がらなければならなかった。すこし行ってから、また水をくぐって、レールにさわりに行った。そこにはレールがなかった。坑道の右左と行ったが、やはりレールはなかった……。
 わたしは道をまちがえたのだ。
 仲間なかまの声はかすかなつぶやきのように聞こえていた。わたしは深い息をいこんで、またとびこんだが、やはり成功せいこうしなかった。レールはなかった。
 わたしはちがったそうにはいったのだ。知らないうちわたしは後もどりしたにちがいない。でもみんなばなくなったのはどうしたのだろう。呼んでいるのかもしれないが、わたしには聞こえなかった。このつめたい、まっ暗な水の中で、どちらへどう向いていいか、わたしはまよった。
 するととつぜんまた声が聞こえた。わたしはやっとどちらの道を曲がっていいかわかった。後へ十二ほどぬき手を切って、わたしは右のほうへ曲がった。それから左へ曲がったが、かべだけしか見つからなかった。レールはどこだろう。わたしが正しいそうへ出ていることはたしかであった。
 そのときふとわたしは、レールが津波つなみのために持って行かれたことを確かめた。わたしはもう道しるべがなくなった。そういうわけでは、わたしのくわだてをとげるわけにはゆかない。
 わたしはいやでも引っ返さなければならなかった。
 わたしは急いで声をあてに避難所ひなんじょのほうへ泳ぎ帰った。だんだん近づくと、仲間なかまの声がせんよりもずっとしっかりして、力がはいっているように思われた。わたしはすぐ竪坑たてこうの入口に着いた。わたしはすぐ声をかけた。
「帰っておいで、帰っておいで」と「先生」がさけんだ。
「道がわからなかった」とわたしはさけんだ。
「かまわないよ。もうトンネルができかけている。みんなこちらの声を聞いた。こちらでも向こうの声が聞こえる。じきに話ができるだろう」
 わたしはすぐとおかに上がって耳を立てた。つるはしの音と、救助きゅうじょのためにはたらいている人たちのび声がかすかに、しかしひじょうにはっきりと聞こえて来た。このゆかいな興奮こうふんぎると、わたしはこごえていることを感じた。わたしに着せるあたたかい着物がべつにないので、みんなはわたしを石炭がらの中へ首までうずめた。そしてガスパールおじさんと「先生」がわたしを暖めるために、その上によけい高くんだ。
 もうまもなく救助きゅうじょの人たちがトンネルをぬけて、水について来ることをわたしたちは知った。けれどもこうなってから幽閉ゆうへい最後さいごの時間がこのうえなく苦しかった。つるはしの音はやまなかったし、ポンプはしじゅう動いていた。ふしぎにだんだんすくい出される時間が近づくほど、わたしたちはいくじがなくなった。わたしはふるえながら、石炭がらの中に横になっていたが、寒くはなかった。わたしたちは口をきくことができなかった。
 とつぜん坑道こうどうの水の中に音がした。頭をふり向けて、わたしは大きな光がこちらにさすのを見た。技師ぎしはおおぜいの人の先に立っていた。かれはいちばん先に上がって来た。かれはひと言も言わないうちにわたしをだいた。
 もうわたしの正気はうしなわれかけていた。ちょうどきわどいところであった。けれどまだ運ばれて行くという意識いしきだけはあった。わたしは救助員きゅうじょいんたちが水をくぐって出て行ったあとで、毛布もうふつつまれた。わたしは目をじた。
 また目を開くと昼の光であった。わたしたちは大空の下に出たのだ。同時にだれかとびついて来た。それはカピであった。わたしが技師ぎしのうでにだかれていると、ただ一とびでかれはとびかかって来た。かれはわたしの顔を二度も三度もなめた。そのときわたしの手を取る者があった。わたしはキッスを感じた。それからかすかな声でつぶやくのを聞いた。
「ルミ。おお、ルミ」
 それはマチアであった。わたしはかれににっこりしかけた。それからそこらを見回した。
 おおぜいの人がまっすぐに、二列になってならんでいた。それはだまり返った群集ぐんしゅうであった。さけび声を立てて、わたしたちを興奮こうふんさせてはならないと言つけられたので、かれらはだまっていたが、この顔つきはくちびるの代わりにものを言っていた。いちばん前の列に、なんだか白い法衣ころも錦襴きんらんのかざりが日にかがやいているのをわたしは見た。これはぼうさんたちで、鉱山こうざんの口へ来て、わたしたちの救助きゅうじょのためにおいのりをしてくれたのであった。わたしたちが運び出されると、かれらはすなの中にひざまでうずめてすわっていた。
 二十本のうでがわたしを受け取ろうとしてさしべられた。けれど技師ぎしはわたしを放さなかった。かれはわたしを事務所じむしょれて行った。そこにはわたしたちをむかえる寝台ねだいができていた。
 二日ののち、わたしはマチアと、アルキシーと、カピをれて、村の往来おうらいを歩いていた。そばへ来て、目になみだをうかべながら、わたしの手をにぎる者もあった。顔をそむけて行く者もあった。そういう人たちは喪服もふくをつけていた。かれらはこの親もない家もない子がすくわれたのに、なぜかれらの父親やむすこが、まだ鉱山こうざんの中でいたましい死がいになって、暗い水の中をただよっているのであろうか、それを悲しく思っていたのであろう。


     音楽の先生

 こうの中にいるあいだに、わたしはお友だちができた。あのおそろしい経験けいけんをおたがいにし合った仲間なかまが一つにむすばれた。ガスパールおじさんと「先生」は、とりわけたいそうわたしがきになった。
 技師ぎし災難さいなんをともにはしなかったが、自分がほねってあやういところをすくい出した子どもということで、わたしに親しんだ。かれはわたしをそのうちへ招待しょうたいした。わたしはかれのむすめにこうの中で起こったことをのこらず話してやらなければならなかった。
 だれもわたしをヴァルセへ引き止めたがった。技師ぎしは、わたしがのぞむなら、事務所じむしょで仕事を見つけてやると言った。ガスパールおじさんも鉱山こうざんでしじゅうの仕事をこしらえようと言った。かれはわたしがこうへ帰ることがごく自然しぜんなように思っているらしかった。かれ自身はもうまもなく、毎日まいにち危険きけんをおかすことにれた人の見せるようなむとんちゃくさで、またこうへはいって行った。でもわたしはもうそこへ帰って行く気はしなかった。鉱山こうざんはひじょうにおもしろかった。それを見たということはたいへんゆかいであったけれど、そこへ帰って行こうとはゆめにも思わなかった。
 それよりもわたしはいつも頭の上に大空を、それは雪をいっぱい持った大空でも、いただいていたかった。野外の生活がわたしにはずっとしょうに合っていた。そう言ってわたしはかれらに話した。だれもおどろいていた。とりわけ「先生」がおどろいていた。カロリーはとちゅうで出会うと、わたしを「やあ、ひよっこ」とんだ。
 みんながわたしをヴァルセに止めたがって、いろいろすすめているあいだ、マチアはひどくぼんやりして考えこむようになった。そのわけをたずねると、かれはいつも、なになんでもないと打ち消していた。
 いよいよ三日のうちにここを立つことをわたしがかれに話したとき、かれははじめてこのごろふさいでいたわけを語った。
「ああ、ぼくはきみがここにこのままのこって、ぼくをてるだろうと思ったから」とかれは言った。
 わたしはかれをちょいと打った。それはわたしをうたがわないように、訓戒くんかいしてやるためであった。
 マチアはいまではもう自分で自分の身を立てることができるようになっていた。わたしが鉱山こうざんにはいっていたあいだ、かれは十八フランもうけた。かれはこのたいそうな金をわたしにわたすとき、ひどく得意とくいであった。なぜならわたしたちがまえから持っている百二十八フランにくわえれば、のこらずで百四十六フランになるからであった。れいの「王子さまの雌牛めうし」はもう四フランあれば買えるのであった。
 前へ進め、子どもたち。
 荷物にもつ背中せなかむすびつけてわたしたちは出発した。カピがよろこんで、ほえて、すなの中をころげていた。
 マチアは、雌牛めうしを買うまでにもう少しおかねをこしらえようと言った。金が多いだけいい雌牛が買えるし、雌牛がよければ、よけいバルブレンのおっかあがうれしがるであろう。
 パリからヴァルセに来るとちゅう、わたしはマチアに読書と、初歩しょほ楽典がくてんさずけ始めた。この課業かぎょうを今度もつづけてした。わたしもむろんいい先生ではなかったし、マチアもあまりいい生徒せいとであるはずがなかった。この課業は成功せいこうではなかった。たびたびわたしはおこって、ばたんと本をじながら、かれに、「おまえはばかだ」と言った。
「それはほんとうだよ」とかれはにこにこしながら言った。「ぼくの頭はぶつとやわらかいそうだ。ガロフォリがそれを見つけたよ」
 こう言われると、どうおこっていられよう。わたしはわらいだしてまた課業かぎょうつづけた。けれどもほかのことはとにかく、音楽となると、はじめからかれはびっくりするような進歩をした。おしまいにはもうわたしの手におえないことを白状はくじょうしなければならなくなったほど、かれはむずかしい質問しつもんを出して、わたしを当惑とうわくさせた。でもこの白状はわたしをひどくしょげさした。わたしはひじょうに高慢こうまんな先生であった。だから生徒せいとの質問に答えることができないのがなさけなかった。しかもかれはけっしてわたしを容赦ようしゃしはしなかった。
「ぼくはほんとうの先生に教わろう」とかれは言った。「そうしてぼく、質問をのこらず聞いて来よう」
「なぜ、きみはぼくが鉱山こうざんにいるうち、ほんとうの先生から教えてもらわなかった」
「でもぼくはその先生に、きみの金からお礼を出さなければならなかったから」
 わたしはマチアが、そんなふうに「ほんとうの先生」などと言うのがしゃくにさわっていた。けれどわたしのばかな虚栄心きょえいしんはかれのいまのことばを聞くと、すうとけむりのように消えて行かなければならなかった。
「きみは人がいいなあ」とわたしは言った。「ぼくの金はきみの金だ。やはりきみがもうけてくれたのだ。きみのほうがたいていぼくよりもよけいもうけている。きみはきなだけけいこを受けるがいい。ぼくもいっしょに習うから」
 さてその先生は、われわれの要求ようきゅうする「ほんとうの先生」は、いなかにはいなかった。それは大きな町にだけいるようなりっぱな芸術家げいじゅつかであった。地図を開けてみて、このつぎの大きな町は、マンデであることがわかった。
 わたしたちがマンデに着いたのは、もう夜であった。つかれきっていたので、そのばんはけいこには行かれないと決めた。わたしたちは宿屋やどやのおかみさんに、この町にいい音楽の先生はいないかと聞いた。かの女はわたしたちがこんな質問しつもんを出したので、ずいぶんびっくりしたと言った。わたしたちはエピナッソーを知っているべきはずであった。
「ぼくたちは遠方から来たのです」とわたしは言った。
「ではずいぶん遠方から来たんですね、きっと」
「イタリアから」とマチアが答えた。
 そう聞くと、かの女はもうおどろかなかった。なるはどそんな遠方から来たのでは、エピナッソー先生のことを聞かなかったかもしれないと言った。
「その先生はたいへんおいそがしいんですか」とわたしはたずねた。そういう名高い音楽家では、わたしたちのようなちっぽけなこぞう二人に、たった一度のけいこなどめんどうくさがってしてくれまいと気づかった。
「ええ、ええ、おいそがしいですとも。おいそがしくなくってどうしましょう」
「あしたの朝、先生が会ってくださるでしょうか」
「それはお金さえ持って行けば、だれにでもお会いになりますよ……むろん」
 わたしたちはもちろん、それはわかっていた。
 そのばんねに行くまえ、わたしたちはあしたこの有名な先生にたずねようと思っている質問しつもん箇条かじょう相談そうだんした。マチアはもとめていた「ほんとうの音楽の先生」を見つけたので、うれしがってこおどりしていた。
 つぎの朝、わたしたちは――マチアはヴァイオリン、わたしはハープと、てんでんの楽器がっきを持って、エピナッソー先生をたずねて行くことにした。わたしたちはそういう有名な人をたずねるのに犬をれて行くほうはないと思ったから、カピはいて行くことにして、宿屋やどやの馬小屋につないでおいた。
 さて宿屋のおかみさんが、先生の住まいだと教えてくれたうちの前へ来たとき、わたしたちは、おやこれはまちがったと思った。なぜなら、そのうちの前には小さなしんちゅうの看板かんばんが二まいぶら下がっていて、それがどうしたって音楽の先生の看板ではなかった。そのうちはどう見ても床屋とこやの店のていさいであった。わたしたちは通りかかった一人の人に向かって、エピナッソー先生のうちを教えてくださいとたのんだ。
「それそこだよ」とその男は言って、床屋の店を指さした。
 だがつまり先生が床屋とこや同居どうきょしていないはずもなかった。わたしたちは中へはいった。店ははっきり二つに仕切られていた。右のほうにははけだの、くしだの、クリームのつぼだの、理髪用りはつようのいすだのがいてあった。左のほうのかべやたなにはヴァイオリンだの、コルネだの、トロンボンだの、いろいろの楽器がっきがかけてあった。
「エピナッソーさんはこちらですか」とマチアがたずねた。
 小鳥のように、ちょこちょこした、気のいた小男が、一人の男の顔をそっていたが、「わたしがエピナッソーだよ」と答えた。
 わたしはマチアに目配せをして、床屋とこやさんの音楽家なんか、こちらのもとめている人ではない。こんな人に相談そうだんをしても、せっかくの金がむだになるだけだという意味を飲みこませようとしたが、かれは知らん顔をして、もったいぶった様子で一つのいすにこしをかけた。
「そのかたがそれたら、ぼくのかみをかってもらえますか」とかれはたずねた。
「ああ、よろしいとも。なんなら、顔もそってあげましょう」
「ありがとう」とマチアが答えた。わたしはかれのあつかましいのに、どぎもをぬかれた。かれは目のおくからわたしをのぞいて、「そんなこまった顔をしないで見ておいで」という様子をした。
 そのお客がすんでしまうと、エピナッソーは、タオルをうでにかけて、マチアのかみをかる用意をした。
「ねえ、あなた」と、床屋とこやさんがかれの首にぬのきつけるあいだにマチアが言った。「音楽のことで友だちとぼくにわからないことがあるんです。なんでもあなたは名高い音楽家だと聞いていましたから、二人の争論そうろんをあなたにうかがったら、なんとか判断はんだんしていただけるかと思うのです」
「なんですね、それは」
 そこでわたしはマチアの考えていることがわかった。まず先に、かれはわたしたちの質問しつもんにこの床屋とこやさんの音楽家が答えることができるかためそうとした。いよいよできるようだったら、かれは散髪さんぱつの代で、音楽の講義こうぎを聞くつもりであった。
 マチアはかみをかってもらっているあいだ、いろいろ質問を発した。床屋さんの音楽家はひどくおもしろがって、かれに向けられるいちいちの質問を、ずんずんゆかいそうに答えた。
 わたしたちが出かけようとしたとき、かれはマチアに、ヴァイオリンで、なにかひいてごらんと言った。マチアは一曲ひいた。
「いやあ、それでもきみは、音楽の調子がわからないと言うのかい」と床屋とこやさんは手をたたきながら言った。そしてむかしから知り合ってあいしている子どもに対するようになつかしそうな目で、マチアを見た。
「これはふしぎだ」
 マチアは楽器がっきの中からクラリネットをえらんで、それをふいた。それからコルネをふいた。
「いやあ、この子は神童しんどうだ」とエピナッソーはおどり上がってよろこんだ。「おまえさん、わたしの所にいれば、大音楽家にしてあげるよ。朝はお客の顔をそるけいこをする。あとは一日音楽をやることにする。わたしが床屋とこやだから、音楽がわからないと思ってはいけない。だれだって毎日のくらしは立てなければならない」
 わたしはマチアの顔を見た。なんとかれは答えるであろう。わたしは友だちをなくさなければならないか。わたしの仲間なかまを、わたしの兄弟をうしなわなければならないか。
「マチア、よくきみのためを考えたまえよ」とわたしは言ったが、声はふるえていた。
「なに、友だちをてる」と、かれは自分のうでをわたしのうでにかけながらさけんだ。「そんなことができるものか。でも先生、やはりあなたのご親切はありがたく思っていますよ」
 エピナッソーはそれでもまだすすめていた。そしていまにかれをパリの音楽学校へ出す方法ほうほうを立てる、そうすればかれはたしかにりっぱな音楽家になると言った。
「なに、友だちをてる、それはどうしたってできません」
「そう、それでは」と床屋とこやさんは残念ざんねんそうに答えた。「わたしが一さつ本をあげよう。わからないことはそれで知ることができる」こう言ってかれは一つの引き出しから、音楽の理論りろんを書いた本を出した。その本は古ぼけてやぶれていた。けれどそんなことはかまうことではない。ペンを取ってこしをかけて、かれはその第一ページにこうしるした。
「かれが有名になったとき、なおマンデの床屋とこや記憶きおくするであろうその子におくる」
 マンデにはほかにも音楽の先生があるかどうか、わたしは知らないけれど、このエピナッソーがたった一人知っている人で、しかも一生わすれることのできない人であった。


     王子さまの雌牛めうし

 わたしはマンデに着くまえにもむろんマチアをあいしていたけれど、その町を去るときにはもっともっとかれを愛していた。わたしは床屋とこやさんの前でかれが「なに、友だちをてる」とさけんだとき、どんな感じがしたか、ことばで語ることはできなかった。
 わたしはかれの手をとって強くにぎりしめた。
「マチア、もう死ぬまではなれないよ」とわたしは言った。
「ぼくはとうからそれはわかっていた」とかれはあの大きな黒い目で、わたしににこにこわらいかけながら答えた。
 なんでもユッセルでさかんな家畜市かちくいちがあるということを聞いたので、わたしたちはそこへ行って、雌牛めうしを買うことに決めた。それはシャヴァノンへ行く道であった。わたしたちは道みち通る町ごとに村ごとに音楽をやって、ユッセルに着いたじぶんには、二百四十フランも金が集まっていた。わたしたちはこれだけの金をためるには、それこそできるだけの倹約けんやくをしなければならなかった。でもマチアはわたし同様雌牛めうしを買うことに熱心ねっしんであった。かれは白い牛を買いたがった。わたしはあのルセットのお形見に、茶色の牛をと思っていた。わたしたちはしかし、どちらにしても、ごくおとなしくって、ちちをたくさん出す牛を買うことに意見が一致いっちした。
 わたしたちは二人とも、なにを目標もくひょう雌牛めうしのよしあしを見分けるか知らなかったから、獣医じゅういの世話になることにした。わたしたちはよく牛を買うときに詐欺さぎに会う話を聞いていた。そういう危険きけんをおかしたくはなかった。獣医をたのむことはよけいなついえではあろうけれど、どうもほかにしかたがなかった。ある人は、ごく安い値段ねだんで一ぴき買って帰ってみると、しっぽがにせものであったことがわかったという話も聞いた。またある人はごくじょうぶそうな、どこからみてもたくさんちちを出しそうな雌牛めうしを買ったが、二十四時間にコップに二はいのちちしかれなかったという話もある。ばくろうのやるちょいとした手品で、雌牛めうしはさもたくさん乳を出しそうに見せかけることができた。
 マチアはにせもののしっぽだけならなにも心配することはないと言った。なぜなら売り手といよいよ相談そうだんを始めるまえに、ありったけの力で雌牛めうしのしっぽに一つずつぶら下がってみればわかるのだからと言った。でもそれがほんとうのしっぽであったら、きっとおなかか頭をうんとひどくけとばされるだろうと言うと、かれの空想くうそうはすこしよろめいた。
 ユッセルに着いたのは五、六年ぶりであった。あれはヴィタリス親方といっしょで、ここではじめてくぎで止めたくつを買ってくれたのであった。ああ、そのときここから出かけた六人のうち、のこっているのは、たったカピとわたしだけであった。
 わたしたちは町に着いて、あのときヴィタリスや犬ととまったことのある宿屋やどやに荷物をあずけて、すぐ獣医じゅういさがし始めた。やがて一人見つけたが、その人は、わたしたちがしいという雌牛めうしの様子を話して、いっしょに行って買ってくれるようにと言うと、それをひどくおもしろいことに思ったらしかった。
「でもぜんたいおまえたち子ども二人で、雌牛めうしをなんにするのだね。お金は持っているのかい」とかれはたずねた。
 わたしたちはそこで、どのくらい金を持っているか、それをどうしてもうけたかということ、それからわたしが子どものとき世話になったシャヴァノン村のバルブレンのおっかあにおくり物をしておどろかせるつもりだということを話した。かれはするとひじょうに親切らしい熱心ねっしんを顔に見せて、あした七時に市場へ行って会おうとやくそくした。それでお礼はと言って聞くと、かれはまるっきりそんな物を受け取ることをこばんだ。そして笑いながらわたしたちを送り出して、その時間にはきっと市場へ行くようにと言った。
 そのあくる日夜明けから町はごたごたにぎわっていた。わたしたちのとまっている部屋へやから、馬車や荷車が下の往来おうらいのごろごろした石の上をきしって行くのが聞こえた。雌牛めうしはうなるし、ひつじは鳴く。百姓ひゃくしょう家畜かちくにどなりつけたり、てんでんにじょうだんを言い合ったりしていた。
 わたしたちはいきなり頭から着物をひっかぶって、六時には市場に着いた。獣医じゅういが来るまえに、り取っておこうと思ったからである。
 なんという美しい雌牛めうしであろう……いろんな色、いろんな形をしていた。太ったのもあれば、やせたのもあり、子牛をれたのもあった。馬もいたし、大きな太ったぶたは地べたにあなをほっていた。小さなぽちゃぽちゃした赤んぼうのぶたは、いまにも生きながら皮をはがれでもするようにぶうぶう鳴いていた。
 でもわたしたちは雌牛めうしよりほかには目にははいらなかった。それはみんな落ち着いて、おとなしく草を食べていた。かれらはまぶたをばちばち動かすだけで、わたしたちがしつっこく検査けんさするままにまかせていた。一時間もかかって調べたのち、わたしたちは十七頭気にいったのを見つけた。その一つ一つにちがった特質とくしつがあった。色の赤いのもあったし、白いのもあった。もちろんそんなことがいちいちマチアとわたしとの間に議論ぎろんをひき起こした。やがて獣医じゅういがやって来た。わたしたちはきな雌牛めうしをかれに見せた。
「ぼくはこれがいいと思います」とマチアは白い雌牛を指さしながら言った。
「ぼくはあのほうがいいと思います」とわたしは赤い雌牛を指さして言った。
 獣医じゅういはしかしその両方の前を知らん顔で通りぎて、わたしたちのやりかけた争論そうろうを中止させた。そして第三の雌牛めうしに向かった。この牛はほっそりしたすねをして、赤いどうに茶色の耳とほおをして、目は黒くふちをとって、口の回りに白いがはいっていた。
「これがおまえさんたちのおのぞみの牛だ」と獣医じゅういが言った。
 まったくこれはすばらしかった。マチアとわたしは、今度こそなるほどこれがいちばんいいと思った。獣医じゅういはその雌牛めうしのはづな(口につけて引くつな)をおさえていたにぶい顔の百姓ひゃくしょうに、その雌牛の値段ねだんはいくらかとたずねた。
「三百フラン」とその男は答えた。
 わたしたちのくちびるは下に下がった。ああ三百フラン。わたしは獣医じゅういに向かって、ほかの牛にうつらなければという手まねをした。かれはまたかけ合ってみせるという合図をした。そのときはげしい談判だんぱんが獣医と百姓ひゃくしょうの間に始まった。わたしたちのかけ合い人は百七十フランまで値切ねぎった。百姓は二百八十フランまでまけた。この値段ねだんまで下げてくると、獣医は雌牛めうしをもっと批評的ひひょうてきに調べ始めた。この雌牛は足が弱かったし、首が短すぎたし、つのが長すぎた。肺臓はいぞうが小さくって、乳首ちちくびの形が悪かった。どうしてこれではたんと乳は出まい。
 百姓ひゃくしょうはわたしたちが雌牛めうしのことをそんなにくわしく批評するので、きっと世話もよく行きとどくだろうから、二百五十フランにまけてあげようと言った。
 そうなるとわたしたちは心配になり始めた。マチアもわたしも、ではろくでもない牛にちがいないと思った。
「もっとほかのを見ましょう」とわたしは獣医じゅういの手をおさえて言った。それを聞くと、百姓ひゃくしょうは十フランまけた。それからだんだんにせり下げて、二百十フランまできて、そこで止まった。獣医はわたしのひじをついて、いま雌牛めうしの悪口を言ったのは、本気ではない。ほんとうはすばらしい牛だという意をさとらせた。でも二百十フランはわたしたちにとってはたいした金であった。
 そのあいだにマチアは雌牛めうしの後ろへ行って、そのしっぽから一本長い毛を引きぬいた。すると牛はおこって、かれをけりつけた。これでわたしの考えが決まった。
「二百十フランで買おう」わたしは事件じけん解決かいけつしたと思って、そう言いながら牛のはづなを取ろうとした。
「おまえさん、つなを持って来たか」と百姓ひゃくしょうは言った。「わしは牛は売るがはづなは売らないぞ」こう言ってかれは、せっかくおなじみになったのだから、特別とくべつではづなを六十スーで売ってやると言った。はづなは入り用であったから、もうあとそれでわたしのふところには二十スーしかのこらないと思いながら、六十スー出した。それで二百十三フランを数えて、それから手を出そうとした。
「おまえさん、なわを持っているか」と百姓ひゃくしょうは言った。「わしははづなは売っても、なわは売らないぞ」
 それで最後さいごの二十スーも消えてしまった。
 これで雌牛めうしはとうとうわたしたちの手にわたった。けれどわたしたちは牛に食べ物を買ってやるにも、自分が食べるにも、一スーの金ももうのこらなかった。獣医じゅういにはていねいに世話になった礼を言って、手をにぎってさようならを言った。そして宿屋やどやに帰ると、雌牛めうしをうまやにつないだ。
 きょうは町に市場があるので、ひどくにぎわって、ほうぼうから人が集まってもいたから、マチアとわたしはべつべつに出かけて、いくらお金ができるか、やってみることに相談そうだんを決めた。
 その夕方、マチアは四フラン。わたしは三フランと五十サンチーム持って帰った。七フラン五十サンチームのお金で、わたしたちはまたお金持ちになった。女中にたのんで雌牛めうしちちをしぼってもらったので、夕食には牛乳ぎゅうにゅうがあった。これほどうまいごちそうを、わたしたちは味わったことはなかった。わたしたちはちちのいいのにめちゃめちゃにのぼせ上がってしまって、食事がすむとさっそくうまやへ出かけて、わたしたちの宝物たからものをだいてやりに行った。雌牛めうしはいかにもやさしくしてもらったのがうれしいらしく、その返礼にわたしたちの顔をなめた。
 わたしたちは雌牛めうしをキッスしたり、雌牛からキッスされて感じるゆかいさを人一ばい感じるわけがあった。それにはマチアもわたしも、これまでけっして人からちやほやされすぎたことがなかったということを記憶きおくしてもらわなければならない。わたしたちの生まれ合わせは、ほかのあまやかされてそだった子どもたちが、あんまり多いキッスにへいこうしてそれをさけなければならないのとは、大ちがいであった。
 そのあくる朝、わたしたちは太陽といっしょに起きて、シャヴァノン村に向かって出発した。わたしはマチアがあたえてくれた助力に、どれほど感謝かんしゃしていたであろう。かれなしには、わたしはけっしてこんな大金をためることはできなかった。わたしはかれに雌牛めうしを引いて行く楽しみをあたえようと思った。そこでかれはたいへん得意とくいらしく雌牛のつなを引いて行くと、わたしはあとからついて行った。かの女はひじょうにりっぱに見えた。それは大様おおようにすこしゆれながら、自分で自分の値打ねうちを知っているけものらしく歩いていた。わたしは雌牛をくたびれさせないようにしたいと思ったので、そのばんおそくシャヴァノンに着くことはよして、それよりもあしたの朝早く行く計画にした。ところがそのうちにこういうことが起こった。
 わたしはそのばん、むかしはじめてヴィタリス親方ととまって、カピが悲しそうなわたしを見てそばへ来てねてくれた、あの村にとまることにした。
 この村にはいるまえにわたしたちはきれいな青い草の生えた所に来た。荷物をほうり出してわたしたちはそこで休むことにした。わたしたちは雌牛めうしをみぞの中に放してやった。はじめはなわで引いていようと思ったが、この雌牛はたいへんすなおで、草を食べることによくれているようであったので、わたしはしばらくつなを牛の角にきつけて、そのそばにこしをかけて晩飯ばんめしを食べ始めた。もちろんわたしたちは雌牛よりずっとまえに食べてしまった。そこでさんざん雌牛を感心してながめたあとで、これからなにをしようというあてもないので、わたしたちはしばらく遊んでいた。それがすんでも牛はまだ食べていた。わたしがそばへ行くと、雌牛めうしは草の中にかたく首をつっこんでいて、まだはらっているというようであった。
「すこし待ってやりたまえ」とマチアが言った。
「だってきみ、雌牛は一日だって食べているんだぜ」とわたしは答えた。
「まあ、しばらく待ってやりたまえ」
 わたしたちはもう背嚢はいのう楽器がっきをしょったが、まだ牛はやめなかった。
「ぼくは牛のためにコルネをふいてやる」と、じっとしていられないマチアが言った。「ガッソーの曲馬には、音楽のきな雌牛めうしがいたよ」
 かれはゆかいなマーチをふき始めた。
 はじめの音で、雌牛は頭を上げた。するととつぜんわたしがかれの角にとびかかってつなをおさえるまもないうちに、かの女はとっとっとかけ出した。わたしたちはいっしょうけんめい、止まれ、止まれとびながら、あとから追っかけた。わたしはカピに牛を止めるように声をかけた。だがだれでも万能ばんのうということはできない。牛飼うしかい、馬飼いの犬なら鼻づらにとびついたであろうが、カピは牛の足にとびついた。
 牛はとうとうわたしたちが通って来た最後さいごの村までかけもどった。道はまっすぐであったから、遠方でもその姿すがたを見ることができた。おおぜいの人が通り道をふさいでつかまえようとしているのも見えた。わたしたちは牛を見失みうしなう気づかいはないと思ったので、すこし速力そくりょくをゆるめた。こうなるとしなければならないことは、牛を止めてくれた人たちから、それを受け取ることであろう。
 わたしたちがそこへ着いたとき、おおぜいの人間がもう集まっていた。そしてわたしたとが考えていたように、すぐに牛をわたしてはくれないで、どうして牛を手に入れたか、どこから牛をとって来たかをたずねた。
 かれらはわたしたちが牛をぬすんだこと、そして牛は持ち主の所へかけて帰ろうとしたのだということを主張しゅちょういた。かれらはほんとうのことがわかるまで、わたしたちは牢屋ろうやへ行かなければならないと宣告せんこくした。牢屋と言われたばかりで、わたしは青くなって、どもり始めた。おまけにさんざんかけて息が切れていたので、ひと言もものが言えなかった。そこへちょうど巡査じゅんさがやって来た。二言三言で全体の事件じけん説明せつめいされた。それを聞いてもいっこうはっきりしないことであったから、とにかくかれは雌牛めうしあずかること、それがわたしたちのものだというあかしの立つまで、わたしたちを拘留こうりゅうすることに決めた。村じゅうが行列を作って、わたしたちのあとにつづいて、ちょうど警察署けいさつしょをかねていた町の役場までつながった。やじうまがわたしたちをつついたり白い歯を見せたり、ありったけひどい名前でんだりした。巡査じゅんさ保護ほごしてくれなかったら、かれらはひどい大罪人だいざいにんでもあるように、わたしたちを私刑しけいに行なったかもしれなかった。
 役場をあずかっている人で、典獄てんごく(刑務所の役人)と代理執行官だいりしっこうかんをかねていた人は、わたしたちをろうに入れることをこのまなかった。わたしはなんという親切な人だろうと思ったけれど、巡査じゅんさはあくまでわたしたちを拘留こうりゅうしなけばならないと言った。そこで典獄は二重になっているドアに、大きなかぎをつっこんで、わたしたちをろうに入れてしまった。中へはいってはじめて、なぜ典獄てんごくがわたしたちを中へ入れることをおっくうがったかそのわけがわかった。かれはねぎをこの中へしておいた。それがどのこしかけにもいてあった。かれはそれをみんなすみっこにかさねた。わたしたちはからだじゅう捜索そうさくされて、金もマッチもナイフも取り上げられた。それからそのばんじこめられることになった。
「ぼくをぶってくれたまえ」とわたしたちだけになると、マチアがなさけなさそうに言いだした。
「ぼくの耳をぶつか、どうでも気のすむようにしてくれたまえ」
「ぼくも雌牛めうしのそばで、コルネをふかせるなんて、大きなばかだった」とわたしも答えた。
「ああ、ぼくはそれをずいぶん悪いことに思っている」かれはおろおろ声で言った。「かわいそうな雌牛、王子さまの雌牛」とかれはき始めた。
 そのときわたしはかれに、これはそんなにむずかしいことではないわけを話してなぐさめようとした。
「ぼくたちは雌牛めうしを買ったあかしをてればいいのだ。ユッセルの獣医じゅういの所へ使いをやればいい……あの人が証人しょうにんになってくれる」
「でもそれを買った金までもぬすんだものだと言われたら」とかれは言った。「わたしたちはそれをもうけた証拠しょうこがない。運悪くゆくと、みんなはどこまでも罪人ざいにんだと思うだろう」
 これはまったくであった。
 それにさしあたりだれか牛をやしなってくれるだろうかと、マチアががっかりして言った。
「まあ、みんなが牛は養っていてくれるだろうよ」
「あしたたずねられたら、なんと言うつもりだ」とマチアが聞いた。
「ほんとうのことを言うさ」
「そうなれば、あの人たちはきみをバルブレンの手にわたすだろう。バルブレンのおっかあが一人きりだったら、あの人に向かってわたしたちの言うことがうそかどうか聞こうとする。そうなればもうあの人の不意ふいおどろかすことができなくなる」
「おやおや」
「きみはバルブレンのおっかあとは長いあいだわかれている。あの人がもう死んでしまって、いないともかぎらない」
 このおそろしい考えだけはついぞこれまでわたしも起こしたことがなかった。でもヴィタリス老人ろうじんも死んだ……わたしはかの女までもくしたかもわからない、という考えが、どうしてこれまで起こらなかったろう。
「なぜきみはそれを先に言わなかった」とわたしは言った。
「だってつごうのいいじぶんには、そんな考えは起こらなかったからさ。ぼくはきみの雌牛めうしをバルブレンのおっかあにおくるという考えでずいぶんうれしくなっていた。あの人がどんなによろこぶだろうと思うと、死んでいるかもしれないなんていう考えはてんで起こらなかった」
 こう何事につけても悪いはうばかり見るのは、この暗い部屋へやのせいにちがいなかった。
「それから」とマチアはとび上がって、両うでをふり上げながら言った。「バルブレンのおっかあが死んで、あのこわいバルブレンのほうが生きていて、そこへぼくたちが行ったら、きっと雌牛めうしを取り上げて自分のものにしてしまうだろう」
 午後おそくなって、ドアが開かれ、白いひげを生やした老紳士ろうしんし拘留所こうりゅうしょにはいって来た。
「こら悪党あくとうども、このかたに答えするのだぞ」といっしょについて来た典獄てんごくが言った。
「それでよろしい」と紳士しんしは言った。この人は検事けんじであった。「わしは自分でこの子を尋問じんもんする」
 こう言ってかれは指でわたしをさししめした。
「きみはもう一人の子をあずかっていてもらいたい。そのほうはあとで調べるから」
 わたしは検事けんじと二人になった。じっとわたしの顔を見つめながらかれは、わたしが雌牛めうしをぬすんだとがで告発こくはつされていることをげた。
 わたしはかれに雌牛めうしをユッセルの市場で買ったことを話して、買うときに世話をしてくれた獣医じゅういの名前を言った。
「それは調べることにしよう」とかれは答えた。「さてなんの必要ひつようでその雌牛を買ったのだ」
 わたしは、それを養母ようぼ愛情あいじょうのしるしとしておくるつもりであったと言った。
「その女の名は」とかれはたずねた。
「シャヴァノン村のバルブレンのおかみさん」とわたしは答えた。
「ああ、五、六年まえパリで災難さいなんに会った石工いしく家内かないだな。それも知っている。調べさせよう」
「まあでも……」
 わたしはすっかりこまってしまった。わたしの当惑とうわくを見つけて、検事けんじきびしく問いつめた。そこでわたしは、検事けんじがもしバルブレンのおかみさんを調べることになると、せっかくの雌牛めうしがちっとも不意ふいではなくなること、しかも不意のおくり物でおどろかすというのがわたしたちの第一の目的もくてきであったことをげた。
 けれどこんなことでまごまごしている最中さいちゅうに、バルブレンのおっかあのまだ生きていることを知って、わたしは大きな満足まんぞくを感じた。そのうえわたしに向けられた質問しつもんのあいだに亭主ていしゅのバルブレンがすこしまえパリに帰ってしまったことをも知った。これはわたしをゆかいにした。するうちにとうとうマチアがおそれていた質問しつもんが出て来た。
 だがどうして雌牛めうしを買うだけの金をたか。
 わたしはパリからヴァルセまで、それからヴァルセからユッセルまで、一スー一スーとこれだけの金をみたてたことを説明せつめいした。
「でもおまえ、ヴァルセではなにをしていた」とかれはたずねた。
 それからわたしは、いやでもかれに鉱山こうざん椿事ちんじを話さなければならなかった。
「ではおまえたち二人のうち、どちらがルミだ」とかれは声をやさしくしてたずねた。
「ぼくです」とわたしは答えた。
「それがほんとうなら、おまえはその事件じけんがどうして起こったか言ってみよ。わたしはその事件をのこらず新聞で読んでいる。わたしをあざむくことはできないぞ。おまえがまったくルミであるか、ないか、わたしにはわかる。用心しなさい」
 わたしはかれがわたしたちに対してひじょうにやさしい心持ちになっていることを見ることができた。わたしはかれに鉱山こうざんでの経験けいけんをくわしく語った。
 話をしてしまうと、わたしはほとんど優しくなっていたかれの態度たいどから、すぐにもわたしたちを放免ほうめんしてくれるかと思った。けれどもそうはしないで、かれはわたしを一人心配なまま部屋へやのこして出て行った。しばらくしてかれは、マチアをれてもどって来た。
「わたしはユッセルへ、おまえの話の真偽しんぎたしかめさせにやる」とかれは言った。「幸いそれが真実しんじつなら、あしたは放免してやる」
「それから雌牛めうしは」とマチアは心配そうにたずねた。
「おまえたちに返してやる」
「ぼくの言うのはそうではないんです」とマチアが答えた。「だれか雌牛めうしに食べ物をやっていますか。ちちをしぼっていますか」
「まあ、心配しなさんな」と検事けんじが言った。
 マチアは満足まんぞくして、にっこりわらった。
「ああ、では雌牛めうしの乳をしぼったら、ぼくたちもばんにすこしいただけないでしょうか」とかれはたずねた。
「それはいいとも」
 わたしたち二人だけになると、わたしはマチアに、ほとんど自分たちが拘留こうりゅうされていることをわすれさせるほどのえらい報告ほうこくをした。
「バルブレンのおっかあは生きているし、バルブレンはパリへ行っている」とわたしは言った。
「ああ、では『王子さまの雌牛めうし』もいばって乗りこめるわけだね」
 かれはうれしがっておどりをおどったり、歌を歌いだした。かれの元気につりこまれて、わたしはかれの手をつかまえた。カピはそのときまですみっこにしずかに考えこんでころがっていたが、はね上がって後足で立ちながら、わたしたちの間にりこんで来た。それからは三人いっしょになってめちゃくちゃにおどり回ったので、典獄てんごくなにが始まったかと思って、とびこんで来た。たぶんねぎが気になったのであろう。かれはわたしたちにやめろと言ったが、さっきまでの様子とはだいぶわっていた。その様子でわたしはもうたいしたことはないとさとった。そのうえもう一つの証拠しょうこには、しばらくたつとかれは大きなはちに牛乳ぎゅうにゅうを入れて持って来た。わたしたちの雌牛めうしちちである。しかもそれだけではなかった。かれは白パンの大きな切れとつめたい子牛の肉を持って来て、これは検事けんじさんからのとどものだと言った。
 どうして、こうなると牢屋ろうやもそんなに悪い所ではなかった。ただでごちそうを食べさせて、とめてくれるのだもの。


     バルブレンのおっかあ

 そのあくる朝早く、検事けんじはあのわれわれのお友だちの獣医じゅうい君といっしょにやって来た。獣医君はなんでもわたしたちが放免ほうめんになるのを見届みとどけたいといって、わざわざやって来てくれたのであった。
 いよいよわたしたちが出て行くときに、検事けんじは一まい、お役所のいんをおした紙をくれた。
「そら、これをあげるからね」とかれは言った。「どうも手形てがたも持たないでいなかを歩くなんというのはとんだばかな子どもたちだ。わたしは市長にたのんで、おまえたちにこの旅行券りょこうけんを出してもらった。なんでもこれからは、これだけ見せればおまえたちは保護ほごしてもらえる。ではごきげんよう、子どもたち」
 わたしはかれと握手あくしゅした。それから獣医君じゅういくんとも握手した。
 わたしたちはみじめなざまで村へはいったが、今度はいばって出て行くのであった。雌牛めうしのつなを引きながら、首を高く上げて歩いて、戸口に立ってわたしたちを見ている村のやつらをかたの上から見てやった。
 わたしは雌牛をつかれさせたくなかったが、きょうはどうしてもシャヴァノンまで急いで行かなければならないので、わたしたちはせかせか歩き出した。もうばんがた近く、わたしたちはむかしのうちに着きかけていた。
 マチアはどらきを食べたことがなかった。そこでわたしは着いたらさっそくこしらえて食べさせるやくそくをして、とちゅうでバターを一ポンドと麦粉むぎこを二ポンドに、たまごを十二買いこんだ。
 わたしたちはいよいよ、はじめてヴィタリス親方が、わたしを休ませてくれた場所に着いたので、わたしはあのときこれが見納みおさめだと思ったその場所から、バルブレンのおっかあのうちをもう一度見下ろすことができた。
「つなを持っていてくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
 一とびでわたしはこしかけの上に乗った。谷の中の景色けしきにはなにもわったものはなかった。それはそっくり同じに見えた。けむりまで同じようにえんとつから上がっていた。そのけむりがわたしたちのほうへなびいて来ると、かしの葉のにおいがすっと鼻をかすめたように思われた。
 わたしはこしかけからとび下りて、マチアをだきしめた。カピがわたしにとびついて来た。わたしは二人をいっしょにして、かたく固くしめつけた。
「さあ、こうなれば少しでも早く行こうよ」とわたしはさけんだ。
なさけないことだなあ」とマチアがため息をついた。「このけものさえ音楽がきなら、どんなにもどうどうと、凱旋がいせんの曲をそうしながらはいって行けるのだけれど」
 わたしたちが往来おうらいの曲がり角まで行くと、バルブレンのおっかあが小屋から出て来て、村の往来の方角へ向かって行くのを見つけた。どうしよう。わたしたちはかの女にいきなり不意討ふいうちを食わせるくわだてをしていた。わたしたちはなにかほかのしかたを考えなければならなくなった。ドアにはいつでもかけ金だけかかっていることを知っていたので、わたしたちは雌牛めうしを牛小屋につないで、ずんずんうちの中にはいって行くことにした。小屋の中はまきがいっぱいはいっていた。そこでわたしたちはそれをすみにみ上げて、ルセットの代わりにれて来た雌牛を入れた。
 それからわたしたちがうちの中にはいると、わたしはマチアに言った。
「じゃあ、それではぼくはこのばたにこしをかけよう。するとはいって来てぼくのここにいるのを見つけるからね。門を開けるときりきりという音がするから、そのとききみはカピといっしょにかくれたまえ」
 わたしはむかしいつも冬のばんになるとすわったそのいすの上にかけた。わたしはできるだけ小さく見えるように、背中せなかまるくしていた。こうして少しでもあのバルブレンのおっかあのかわいいルミに近い様子を作ろうとした。わたしのすわっている所から門はよく見えた。わたしは門のほうに気を取られて見ていた。
 なにもわってはいなかった。なにかが同じ場所にあった。わたしのこわしたまどガラスにはまだ小さな紙がはりつけてあった。それがすすと年代で黒茶けていた。
 ふとわたしは白いボンネットを見つけた。門はきりきりと開いた。
「きみ、早くかくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
 わたしは自分をよけい小さく小さくした。ドアが開いて、バルブレンのおっかあがはいって来た。はいると、かの女は目をまるくしてわたしを見た。
「どなたですえ」とかの女はびっくりしてたずねた。
 わたしは返事をしないで、かの女のほうを見た。かの女はわたしを見返した。ふとかの女はふるえだした。
「おやおや、おまえさん、ルミだね」とかの女はつぶやいた。
 わたしはとび上がって、かの女を両うででおさえた。
「おっかあ」
「おお、ぼうや、ぼうや」これがかの女の言ったすべてであった。かの女はわたしのかたに頭をのせていた。
 数分間たって、わたしたちはやっと感動をおさえることができた。わたしはかの女のなみだをふいてやった。
「まあ、おまえ、なんて大きくおなりだろうねえ」うでいっぱいにわたしをおさえてみてかの女はこうさけんだ。「おまえ、ずいぶん大きくおなりだし、じょうぶそうになったねえ。ええ、ルミ」
 息をつめた鼻声で、マチアの寝台ねだいの下にいることを思い出したわたしは、かれをんだ。かれはのこのこはい出して来た。
「マチアです」とわたしは言った。「ぼくの兄弟のね」
「おお、ではおまえ、ご両親にお会いかえ」とかの女はさけんだ。
「いいや、これはぼくのなかよしです。でもほんとうの兄弟同様なんです。それからこれがカピです」とかの女がマチアとあいさつをすますとわたしはこうつけ加えた。「さあ、カピターノ、ご主人さまのお母さんにごあいさつしろ」
 カピは後足で立って、もったいらしくバルブレンのおっかあにおじぎをした。かの女ははらをかかえてわらった。これでかの女のなみだはすっかり消えてしまった。マチアはわたしに向かっていよいよ不意討ふいうちにとりかかれという合図をした。
「さあ、行って庭がどんなふうになっているか見て来よう」とわたしは言った。
「わたしはおまえさんの花畑はそっくりそのままにしておいたよ」とかの女は言った。「いつかおまえがまた帰って来るだろうと思ったからねえ」
「ぼくのきくいもを食べましたか」
「ああ、おまえはわたしに不意討ふいうちを食わせるつもりで、あれを植えたんだね。おまえはいつも人をびっくりさせることがきだったから」
 いよいよそのしゅんかんが来た。
「牛小屋はルセットがいなくなってから、そのままになっているの」とわたしはたずねた。
「いいえ。あすこにはこのごろまきがはいっているよ」
 そうかの女が言うころには、わたしたちはもう牛小屋に着いていた。わたしはドアをおし開けた。するとさっそくおなかのっていた雌牛めうしが「もう」と鳴きだした。
「雌牛だよ。まあ、牛小屋に雌牛がさ」とバルブレンのおっかあがさけんだ。
 マチアとわたしはぷっとふき出した。
「これも不意討ふいうちさ」とわたしがさけんだ。「でもきくいもよりかずっといいでしょう」
 かの女はぽかんとした顔をして、わたしをながめた。
「ええ、これがおくり物ですよ。ぼくはあの小さな迷子まいごの子どもに、あれほどやさしくしてくれたおっかあの所へ、からでは帰れなかった。これがルセットの代わりです。マチアとぼくとでもうけたお金でそれを買って来たのです」
「まあ、ねえ」とかの女はさけんで、わたしたち二人にキッスした。
 かの女はいまおくり物を検査けんさするために、小屋の中へはいって行った。一つ一つ見つけては、かの女は歓喜かんきのさけび声を立てた。
「なんというりっぱな雌牛めうしでしょうね」とかの女はさけんだ。しばらくするとかの女はとつぜんふり向いた。
「まあおまえ、いまではきっとたいしたお金持ちなんだね」
「お金持ちですとも」とマチアがわらった。「ぼくたちはかくしに五十八スーのこっています」
 わたしはちちおけを取りにうちへかけて行った。そしてうちの中にいるあいだにバターとたまご麦粉むぎこ食卓しょくたくが上にならべて、それから小屋までかけてもどった。乳おけに美しいあわの立つ乳が七分目まであふれているのを見たときに、どんなにかの女はよろこんだであろう。
 それからかの女は食卓の上にどらきをこしらえる仕度のできあがっているのを見ると、また大喜びをした。そのどら焼きを死ぬほど食べたがっている人がいるのだとわたしは言った。
「ではおまえさんたちはバルブレンさんがパリへ行ったことを知っていたにちがいないね」とかの女は言った。わたしはそこで、それを知ったわけを話した。
「どうしてあの人が行ったか、話してあげよう」とかの女は意味ありげにわたしの顔をながめて言った。
「まあ先にどらきを食べようよ」とわたしは言った。「あの人のことは言わないことにしよう。ぼくはあの人が四十フランでぼくを売ったことをわすれない。あの人がこわいんで、あの人がまたぼくを売るのがこわいんで、ぼくはここへ様子を知らせることをがまんしていたのだ」
「ああ、きっとそれはそうだと思うよ」とかの女は言った。「でもバルブレンさんのことを悪くお言いでないよ」
「まあ、どらきを食べようよ」とわたしはかの女にぶら下がりながら言った。
 わたしたちはみんなでさっそく材料ざいりょうをこなし始めた。そしてまもなく、マチアとわたしはどら焼きにしたつづみをを打った。マチアはこんなうまいものを食べたことはないと言った。わたしたちが一さらをたいらげると、すぐにつぎのさらにかかった。カピもおすそわけにあずかりに来た。バルブレンのおっかあは、犬にどら焼きをやるなんてもったいないと言ったが、わたしたちはカピが一座いちざおもな役者で、そのうえ天才であることを説明せつめいして、なんによらずだいじにあつかっているのだと言い聞かした。
 やがてマチアがあしたの朝使うまきを取りに出て行ったあいだに、かの女はバルブレンがなぜパリへ行ったか話して聞かせた。
「おまえの家族の人たちがおまえをさがしているのだよ」とかの女はほとんど聞こえないほどの小声で言った。「バルブレンがパリへ出かけたのは、そのためなのだよ。あの人はおまえを探しているのだよ」
「ぼくの家族」とわたしはさけんだ。「おお、わたしにも家族があるのですか。話してください。のこらず。ねえ、おっかあ。バルブレンのおっかあ」
 このときふとわたしはこわくなってきた。わたしは自分の一家がほんとうに自分を探していることをしんじなかった。バルブレンはまたわたしを売るために、わたしを探そうとしているのだ。今度こそわたしは売られるものか。
 こう言ってわたしはバルブレンのおっかあにその心配を話した。けれどかの女はそうではない、わたしの一家がわたしをさがしているのだと言った。
 それからかの女はいつか一人の紳士しんしがこのうちへやって来て、外国のなまりのあることばで話をして、いく年かまえパリで拾った赤子はどうしたかとバルブレンにたずねたことを話した。するとバルブレンはその人に、ぜんたいそれになんの用があるのだと言ったそうだ。この返事はいかにもバルブレンのしそうな返事であった。
「ほら、パンから、台所で言っていることはなんでも聞こえるだろう」とバルブレンのおっかあが言った。「二人がおまえさんの話をしているときわたしはむろん聞いていた。わたしはもっとそばにって、そこでまきをっていた。
『おや、だれかいますね』とその紳士しんしはバルブレンに言ったよ。
『ええ、います。なあに家内かないですよ』とあの人は答えた。すると、そのお客は『台所はたいへんむし暑いからいっそ外へ出て話しましょう』と言った。二人は出かけて行って、三時間あとでバルブレンだけが一人で帰って来た。わたしはあの人からなにかをのこらず聞き出そうとしたが、あの人がやっと言ったことは、さっきのお客がおまえをさがしていること、でもその人はおまえのお父さんではないこと、それから百フラン、お金をくれたことだけだった。たぶんあの人はそののちもっともらったろう。そういうことがあるし、あの人がおまえさんを拾ったときりっぱな着物をおまえさんが着ていたというから、おまえさんので両親はきっとお金持ちにちがいないと思うのだよ。それからジェロームはパリへ行って来ると言ってね」とかの女はつづけた。「おまえさんをやとい入れた音楽師おんがくしたずねるためにね。あの音楽師がおまえさんをれて行ったときの話では、ルールシーヌまちのガロフォリという男にあてて手紙をやれば着くと言っていたそうだよ」
「それで、バルブレンさんが出かけてから、なにか便たよりがありましたか」とわたしはたずねた。
「いいえ、ひと言も」とかの女は言った。「わたしはあの人が町のどこに住んでいるかも知らないよ」
 ちょうどそこへマチアがはいって来た。わたしは興奮こうふんしながら、かれに向かって、わたしにうちのあること、両親がわたしをさがしていることを話した。かれはわたしのためによろこぶとは言ったが、わたしだけのゆかいと興奮をともに分けて感じているとは見えなかった。


     古い友だちと新しい友だち

 わたしはそのばんすこししかねむらなかった。バルブレンのおっかあはわたしに、パリへ向けてたつこと、そして着いたらすぐにバルブレンを見つけて、せっかく少しでも早くわたしを見つけようとしている両親もよろこばせてやることをすすめた。わたしはかの女と五、六日ここにごしたいとのぞんでいたが、でもかの女の言うことももっともだと思った。
 わたしはしかし行くまえにリーズに会いに行かなければならない。それには運河うんが沿って行ってパリへ行けるのだから、してできないことはなかった。リーズのおじさんは水門の番人をしていて、河岸かしの小屋に住んでいるのだから、そこへとまってかの女に会うことはできる。
 わたしはその日一日バルブレンのおっかあとくらした。夕方わたしたちは、いまにわたしがお金持ちになったら、かの女になにをしてやろうかということを話し合った。かの女はしい物をなんでも持たなければならない。わたしにお金ができれば、どんなのぞみだってかなえてやれないということはないであろう。
「でもおまえがびんぼうでいるあいだにくれた雌牛めうしは、お金持ちになったときくれられるどんな物よりもわたしにはずっとうれしいだろうよ」とかの女はほくほくしながら言った。
 そのあくる日、きなバルブレンのおっかあにやさしいさようならを言ってから、わたしたちは運河うんがの岸についで歩き出した。
 マチアはたいへん考えこんでいた。そのわけをわたしは知っていた。かれはわたしにお金持ちの両親ができることを悲しがっていた。それがわたしたちの友情ゆうじょう変化へんかを起こすとでも思ったらしかった。わたしはかれに、そうなれば学校へ行って、いちばんえらい先生について音楽を勉強することができるのだからと言ったが、かれは悲しそうに頭をふった。わたしはかれが兄弟としていっしょのうちに住むようになること、わたしの両親もわたしの友だちのことだからそっくりわたし同様にあいしてくれるだろうと思ったということを話したが、まだかれは首をふっていた。
 しかしさしあたりわたしはまだそのお金持ちの両親の金を使うまでにならないので、通りすがりの村むらで、食べ物を買うお金を取らなければならなかった。それにリーズにおくり物を買ってやるお金も少しこしらえたかった。バルブレンのおっかあはあの雌牛めうしを、わたしがお金持ちになってからなにをもらったよりもずっとありがたいと言ったが、きっときっとリーズもこのおくり物と同じように考えるだろうと思った。わたしはかの女に人形をやろうと思った。幸い人形は雌牛めうしのように高くはなかった。わたしたちが通ったつぎの村で、わたしは美しいかみと、青い目をしたかわいらしい人形をかの女のために買った。
 運河うんがの岸を歩きながら、わたしはたびたびミリガン夫人ふじんと、アーサと、それからかれらの美しい小舟こぶねのことを思い出していた。その小舟に運河うんがの上で出会いはしないかと思っていたが、でもわたしたちはついにそれを見なかった。
 とうとうある日の夕方、わたしたちはリーズの住んでいるうちを遠方から見る所まで来た。それは木のしげった中にあった。きりでかすんだ中にあるらしかった。大きなの明かりにらされたまどを見ることもできた。だんだんとそばに近づくにしたがって、赤みを持った光が、わたしたちの通り道に投げられた。わたしの心臓しんぞうはとっとっと打った。わたしはかれらがそのうちの中で夕飯ゆうめしを食べている姿すがたを見ることができた。ドアとまどじられていたが、窓にはカーテンがなかったから、わたしは中をのぞきこんで、リーズがおばさんのそばにすわっているところを見た。わたしはマチアとカピにしずかにするように合図をして、それからかたからハープを下ろして、それを地べたの上にいた。
「ああ、なるほど」とマチアがささやいた。「セレナードをやるか。なるほどうまい考えだ」
 わたしはれいのナポリ小唄こうたの第一せつをひいた。声でさとられてはいけないと思って歌は歌わなかった。わたしはひきながら、リーズのほうを見た。かの女は急いで顔を上げたが、その目はかがやいていた。
 それからわたしは歌い始めた。かの女はいすからとび下りて、戸口へかけて来た。まもなくかの女はわたしのうでにだかれていた。
 カトリーヌおばさんがそれから出て来て、わたしたちを夕飯ゆうめしんでくれた。リーズは急いで食卓しょくたくの上におさらを二つならべた。
「おいやでなければ」とわたしは言った。「もう一まいおさらを出してください。ぼくたちはもう一人かわいらしいお友だちをれて来ました」
 こう言ってわたしは背嚢はいのうから人形を出して、リーズのおとなりのいすにのせた。そのときのかの女の目つきをわたしはけっしてわすれることはできない。


     バルブレン

 パリへ行くのを急ぎさえしなかったら、わたしはリーズの所にしばらく足を止めていたであろう。わたしたちはおたがいにあれほどたくさん言うことがあって、しかもおたがいのことばではずいぶんわずかしか言えなかった。かの女は手まねでおじさんとおばさんがどんなにやさしく自分にしてくれるか、船に乗るのがどんなにおもしろいかということを話した。わたしはかの女にアルキシーのはたらいている鉱山こうざんあぶなく死にかけたこと、わたしのうちの者がわたしをさがしていることを話した。それがためパリへも急いで行かなければならないし、エチエネットの所へ会いに行くことができなくなったことを話した。
 もちろん話は、たいていお金持ちらしいわたしのうちのことであった。そうしてお金ができたときに、わたしのしようと思ういろいろなことであった。わたしはかの女の父親と、あにさんやあねさんたちをとりわけかの女を幸福にしてやりたいと思った。リーズはマチアとちがってそれをよろこんでいた。かの女はお金さえあれば、たいへん幸福になるにちがいないとしんじきっていた。だってかの女の父親はただ借金しゃっきんを返すお金さえあったなら、あんな不幸ふこうな目に会わなかったにちがいないではないか。
 わたしたちはみんなで――リーズとマチアとわたしと三人に、人形とカピまでおともれて、長い散歩さんぽをした。わたしはこの五、六日ひじょうに幸福であった。夕方まだあまりしめっぽくならないうちは家の前に、それからきりが深くなってからはの前にすわった。わたしはハープをひいて、マチアはヴァイオリンかコルネをやった。リーズはハープをいていたので、わたしはたいへん得意とくいになった。時間がたって、わたしたちが別々べつべつにねどこへ行かなければならないときになると、わたしは、かの女のためにナポリ小唄こうたをひいて歌った。
 でもわたしたちはまもなくわかれてべつの道を行かなければならなかった。わたしはかの女にじき帰って来ると言った。かの女にのこしたわたしの最後さいごのことばは、
「ぼくは今度来るとき、四頭引きの馬車で来て、リーズちゃんをれて行くよ」というのであった。
 そうしてかの女もわたしをしんじきって、あたかもむちをふるって馬を追うような身ぶりをした。かの女もまたわたしと同様に、わたしのとみとわたしの馬や馬車を目にうかべることができるのであった。
 わたしはパリへ行くのでいっしょうけんめいであったから、マチアのために食べ物を買うお金を集めるのに、ときどき足を止めるだけであった。もう雌牛めうしを買うことも、人形を買うこともいらなかった。お金持ちの両親の所へお金を持って行ってやる必要ひつようもなかった。
「取れるだけは取って行こうよ」とマチアは言って、無理むりにわたしがハープをかたからはずさなければならないようにした。「だってパリへ行っても、すぐにバルブレンが見つかるかどうだかわからないからねえ。そうなると、きみはあのばん空腹くうふくで死にそうになったことをわすれていると言われてもしかたがないよ」
「おお、ぼくは忘れはしない」とわたしは軽く言った。「でもきっとあの人は見つかるよ。待っていたまえ」
「ああ、でもあの日、きみがぼくを見つけたとき、お寺のかべにどんなふうによりかかっていたか、ぼくはわすれない。ああ、ぼくはパリでえて苦しむのだけはもうつくづくいやだよ」
「ぼくの両親のうちへ行けば、その代わりにたんとごちそうが食べられるよ」とわたしは答えた。
「うん。まあ、なんでも、もう一ぴき雌牛めうしを買うつもりではたらこうよ」とマチアは聞かなかった。
 これはいかにももっともな忠告ちゅうこくであったが、わたしはもうこれまでと同じに精神せいしんを打ちこんで歌を歌わなくなったことを白状はくじょうしなければならない。バルブレンのおっかあのために雌牛めうしを買い、またはリーズのために人形を買うお金を取るということは、まるっきりそれとはちがったことであった。
「きみはお金持ちになったら、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますますわたしはゆかいになった。そうしてマチアはますます陰気いんきになった。
 わたしたちはどんなにしてもわかれないと言いきっているのに、どうしてまだかれが悲しそうにしているのか、わたしはわからなかった。とうとうわたしたちはパリの大門に着いたとき、かれはいまでもどんなにガロフォリをこわがっているか、もしあの男に会ったらまたつかまえられるにちがいないという話をした。
「きみはバルブレンをどんなにこわがっていたか。それを思ったら、どんなにぼくがガロフォリをこわがっているかわかるだろう。あの男が牢屋ろうやから出ていればきっとぼくをつかまえるにちがいない。ああ、このなさけない頭、かわいそうな頭、あの男はどんなにそれをひどくぶったことだろう。そうすればあの男はきっとぼくたちを引き分けてしまう。むろんあの人はきみをも子分にして使いたいであろうが、それをきみには無理むりにもいることができないが、ぽくに対してはそうする権利けんりがあるのだ。あの人はぼくのおじだからね」
 わたしはガロフォリのことはなにも考えていなかった。
 わたしはマチアと相談そうだんをして、バルブレンのおっかあがそこへ行けば、バルブレンを見つけるかもしれないと言ったいろいろの場所へ行くことにした。それからわたしはリュー・ムッフタールへ行こう。それからノートル・ダーム寺の前でわたしたちは会うことにしよう。
 わたしたちはもう二度と会うことがないようなさわぎをしてわかれた。わたしはこちらの方角へ、マチアは向こうの方角へ向かった。わたしはバルブレンがせんに住んでいた場所の名をいろいろ紙に書きつけておいた。それを一つ、一つ、たずねて行った。ある木賃宿きちんやどでは、かれは四年前そこにいたが、それからはいなくなったと言った。その宿屋やどや亭主ていしゅは、あいつには一週間の宿料しゅくりょうしがあるから、あの悪党あくとう、どうかしてつかまえてやりたいと言っていた。
 わたしはすっかり気落ちがしていた。もうわたしのたずねる所は一か所しかのこっていなかった。それはあの料理屋りょうりやであった。そのうちをやっている男は、もう長いあいだあの男の顔を見ないといったが、ちょうど食卓しょくたくにすわって食べていたお客の一人が声をかけて、うん、あの男なら、近ごろオテル・デュ・カンタルにとまっていたと言ってくれた。
 オテル・デュ・カンタルへ行くまえにわたしはガロフォリのうちへ行って、あの男の様子を見てマチアになにかおみやげを持って帰りたいと思った。そこの裏庭うらにわへ行くと、はじめて行ったときと同様、あのじいさんがドアの外へきたないぼろをぶら下げているのを見た。
 じいさんは返事はしないで、わたしの顔を見て、それからせきをし始めた。その様子で、わたしはガロフォリについてなんでも知っていることをよく向こうにわからせないうちは、この男からなにも聞き出すことができないことをさとった。
「おまえさん、あの人がまだ刑務所けいむしょにはいっているというのではあるまい」とわたしはさけんだ。「だってあの人はもうよほどまえに出て来たはずではないか」
「ええ、あの人はまた三か月食らったのだよ」
 ガロフォリがまた三か月刑務所にはいっている。マチアはほっと息をつくであろう。
 わたしはできるだけ早く、このおそろしい路地ろじをぬけ出して、オテル・デュ・カンタルへ急いで行った。わたしは希望きぼう歓喜かんきむねにいっぱいたたみこまれて、もうすっかりバルブレンのことをよく思いたい気になっていた。バルブレンという男がいなかったなら、わたしは赤んぼうのとき、寒さとえのために死んでいたかもしれなかった。なるほどあの男はわたしをバルブレンのおっかあの手からはなして、よその人の手に売りわたしたにはちがいなかった。でもあのときはあの人もわたしに対してべつに愛情あいじょうもなかったし、たぶんお金のためにいやいやそれをしたのかしれなかった。とにかくわたしが両親を見つけるまでになったのは、あの人のおかげであった。だからもう、あの人に対してけっして悪意を持ってはならないはずであった。
 わたしはまもなくオテル・デュ・カンタルに着いた、オテル(旅館)というのは名ばかりのひどい木賃宿きちんやどであった。
「バルブレンという人に会いたいのです。シャヴァノン村から来た人です」とわたしは写字机しゃじづくえに向かっていたきたならしいばあさんに向かって言った。かの女は、ひどいつんぼで、いま言ったことをもう一度くり返してくれと言った。
「バルブレンという人を知っていますか」とわたしはどなった。
 そうするとかの女は大あわてにあわてて両手を空へ上げた。そのいきおいがえらかったので、ひざに乗っかっていたねこが、びっくりしてとび下りた。
「おやおや、おやおや」とかの女はさけんだ。「おまえさんが、あの人のたずねていなすった子どもかい」
「おお、あなた、知っているの」とわたしはむちゅうになってさけんだ。「ではバルブレンさんは」
「死にましたよ」と、かの女は簡潔かんけつに答えた。わたしはハープにひょろひょろとなった。
「なに、死んだ」とわたしはかの女に聞こえるほどの大きな声でさけんだ。わたしはくらくらとした。いまはどうして両親を見つけよう。
「おまえさんがみんなのさがしていなさる子どもだね。そうだ、おまえさんにちがいない」とばあさんはまた言った。
「ええ、ええ、ぼくがその子です。ぼくのうちはどこです。わかりませんか」
「わたしはいま言っただけしか知りませんよ」
「バルブレンさんが、わたしの両親のことをなんとか言っていませんでしたか。おお、話してください」とわたしはせがむように言った。
 かの女は天に向かって、高く両うでを上げた。
「ねえ、話してください。なんです。それは」
 このしゅんかん、女中のようなふうをした女が出て来た。オテル・デュ・カンタルの女主人はかの女のほうへ向いた。
「たいへんなことではないか。この子どもさんは、このわかだんなは、バルブレンさんがあれほど言っていなすったご当人だとよ」
「でもバルブレンにぼくのうちのことをあなたに話しませんでしたか」とわたしはたずねた。
「それは聞きましたよ――百度もね。なんでもたいへん、お金持ちのうちだそうですねえ、わかだんな」
「それでどこに住んでいるのです。名前はなんというのです」
「それについてはバルブレンさんは、なにも話をしませんでしたよ。あの人はきみょうな人でしたよ。あの人は自分一人でお礼をのこらずもらうつもりでいたのですよ」
「なにか書き物をいては行きませんでしたか」
「いいえ、ただあの人がシャヴァノン村から来たということを書いたものだけです。その紙でも見つけなかったら、あの人のおかみさんの所へ死んだ知らせを出すこともできないところでしたよ」
「まあ、あなたは知らせてやりましたか」
「むろん、どうしてさ」
 わたしはこのばあさんから、なにも知ることができなかった。わたしはしょんぼり戸口のほうへ向かった。
「おまえさん、どこへ行きなさる」とかの女はたずねた。
「友だちの所へ帰ります」
「ははあ、お友だちがありますか。それはパリにいるの」
「ぼくたちはけさはじめてパリへ来たんです」
「へえ、あなたがたは、とまる所がなければ、まあこのうちへおいでなさいな。じゅうぶんお世話もするし、正直なうちですよ。そのおまえさんのおうちの人も、バルブレンさんから返事の来るのを待ちかねなすったら、きっとこのうちへ聞きに来るでしょう。そうすればおまえさんを見つけるはずだ。わたしの言うのはおまえさんのためですよ。お友だちはいくつになんなさる」
「ぼくよりすこし小さいんです」
「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」
 オテル・デュ・カンタルは、わたしもおよそ知っているかぎりでいちばんきたならしい宿屋やどやの一つであった。わたしはかなりきたない宿屋やどやをいくつか見ていた。
 でもこのばあさんの言ってくれることは考え直す値打ねうちがあった。それにわたしたちはききらいをしてはいられなかった。わたしはまだりっぱなパリ風のやしきに住んでいる自分の家族を見つけなかった。なるほどこうなると道みち集められるだけの金を集めておきたい、とマチアの言ったのはもっともであった。わたしたちのかくしに十七フランの金がなかったらどうしよう。
「友だちとわたしとで部屋へやだいはいくらです」とわたしはたずねた。
「一日十スーです。たいしたことではないさ」
「なるほど。じゃあばんにまた来ます」
「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」とかの女は後ろから声をかけた。
 夜のまくが下りた。街燈がいとうはともっていた。わたしは長いこと歩いてノートル・ダームのお寺へ行って、マチアに会うことにした。わたしは元気がすっかりなくなっていた。ひどくつかれて、そこらのものはのこらず陰気いんきに思われた。この光と音のあふれた大きなパリでは、わたしはまるっきりひとりぼっちであることをしみじみ感じた。わたしはこんなふうでいつか自分の親類しんるいを見つけることができるであろうか。いつかほんとの父親と、ほんとの母親に会うことになるであろうか。
 やがてお寺へ来たが、マチアを待ち合わせるにはまだ二時間早かった。わたしは今晩こんばんいつもよりよけいにかれの友情ゆうじょう必要ひつようを感じた。わたしはあんなにゆかいな、あんなに親切な、あれほど友人としてたのもしいかれに会うことにただ一つの楽しい希望きぼうを持った。
 七時すこしまえにわたしはあわただしいほえ声を聞いた。するとかげからカピがとび出した。かれはわたしのひざにとびついて、やわらかいしめったしたでなめた。わたしはかれを両うでにだきしめて、そのつめたい鼻にキッスした。マチアがまもなく姿すがたあらわした。二言三言でわたしはバルブレンの死んだこと、自分の家族を見つけるのぞみのなくなったことをげた。
 するとかれはわたしのほっしていたありったけの同情どうじょうをわたしにそそいだ。かれはどうにかしてわたしをなぐさめようと努力どりょくした。そして失望しつぼうしてはいけないと言った。かれはいっしょになって、まじめに両親をさがし出すことのできるようにしようと、心からちかった。
 わたしたちはオテル・デュ・カンタルへ帰った。


     捜索そうさく

 そのあくる朝バルブレンのおっかあの所へ手紙を出して、不幸ふこうのおくやみを言って、かの女のおっとくなるまえに、なにか便たよりがあったかたずねてやった。
 その返事にかの女は、夫が病院から手紙をこして、もしよくならなかったら、ロンドンのリンカーン・スクエアで、グレッス・アンド・ガリーといううちへあてて手紙を出すように言って来たことをげた。それはわたしをさがしている弁護士べんごしであった。なおかれはかの女に向かって、自分がたしかに死んだと決まるまでは、手をつけてはならないとことづけて来たそうである。
「じゃあぼくたちはロンドンへ行かなければならない」とわたしが手紙を読んでしまうとマチアが言った。この手紙は村のぼうさんが代筆だいひつをしたものであった。「その弁護士べんごしがイギリス人だというなら、きみの両親もイギリス人であることがわかる」
「おお、ぼくはそれよりもリーズやなんかと同じ国の人間でありたい。だがぼくがイギリス人なら、ミリガン夫人ふじんやアーサと同じことになるのだ」
「ぼくはきみがイタリア人であればよかったと思う」とマチアが言った。
 それから数分間のうちにわたしたちの荷物はすっかり荷作りができて、わたしたちは出発した。
 パリからボローニュまで道みちおもな町で足を止めて、八日がかりでやっとボローニュに着いたとき、ふところには三十二フランあった。わたしたちはそのあくる日ロンドンへ行く貨物船かもつせんに乗った。
 なんというひどい航海こうかいであったろう、かわいそうに、マチアはもう二度と海へは出ないと言い切った。やっとのことで、テムズ川を船が上って行ったとき、わたしはかれにたのむようにして、起き上がって外のふしぎな景色けしきを見てくれといった。けれどもかれは、今後も後生ごしょうだから一人うっちゃっておいてくれとたのんだ。
 とうとう機関きかんが運転を止めて、いかりづなはおかに投げられた。そしてわたしたちはロンドンに上陸じょうりくした。
 わたしはイギリス語をごくわずかしか知らなかったが、マチアはガッソーの曲馬団きょくばだんでいっしょにはたらいていたイギリス人から、たんとことばを教わっていた。
 上陸するとすぐ巡査じゅんさに向かって、リンカーン・スクエアへ行く道を聞いた。それはなかなか遠いらしかった。たびたびわたしたちは道にまよったと思った。けれどももう一度たずねてみて、やはり正しい方向に向かって歩いていることを知った。とうとうわたしたちはテンプル・バーに着いた。それから二、三歩行けばリンカーン・スクエアへ着くのであった。
 いよいよグレッス・アンド・ガリー事務所じむしょの戸口に立ったとき、わたしはずいぶんはげしく心臓しんぞう鼓動こどうした。それでしばらくマチアに気のしずまるまで待ってもらわねばならなかった。マチアが書記にわたしの名前と用事をべた。
 わたしたちはすぐとこの事務所の主人であるグレッス私室ししつへ通された。幸いにこの紳士しんしはフランス語を話すので、わたしは自身かれと語ることができた。かれはわたしに向かってこれまでの細かいことをいちいちたずねた。わたしの答えはまさしくわたしがかれのたずねる少年であることをたしかめさせたので、かれはわたしに、ロンドンに住んでいるわたしの一家のあること、そしてさっそくそこへわたしを送りつけてやるということを話した。
「ぼくにはお父さんがあるんですか」とわたしは、やっと「お父さん」ということばを口に出した。
「ええ、お父さんばかりではなく、お母さんも、男のご兄弟も、女のご姉妹きょうだいもあります」とかれは答えた。
「へえ」
 かれはベルをおした。書記が出て来ると、かれはその人にわたしたちの世話をするように言いつけた。
「おお、わすれていました」とグレッスが言った。「あなたの名字みょうじはドリスコルで、あなたのお父上の名前は、ジョン・ドリスコル氏です」
 グレッス氏のみにくい顔はこのましくなかったが、わたしはそのときよほどかれにとびついてだきしめようと思った。しかしかれはその時間をあたえなかった。かれの手はすぐに戸口をさした。で、わたしたちは書記について外へ出た。


     ドリスコル家

 往来おうらいへ出ると、書記は辻馬車つじばしゃんで、わたしたちに中へとびこめと言いつけた。きみょうな形の馬車で、上からかぶさっているほろの後ろについたはこに、御者ぎょしゃがこしをかけていた。あとでこれがハンサム馬車というものだということを知った。
 マチアとわたしはカピを間にはさんですみっこにだき合っていた。書記が一人であとのせき占領せんりょうしていた。マチアはかれが御者ぎょしゃに向かって、ベスナル・グリーンへ馬車をやれと言いつけているのを聞いた。御者はそこまで馬車をやることをあまりこのまないように見えた。マチアとわたしは、きっとそこは遠方なせいであろうと思った。
 わたしたち二人はグリーン(緑)というイギリス語がどういう意味だか知っていた。ベスナル・グリーンはきっとわたしの一家の住んでいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、そのやしきはきっと町はずれにあるのだと思った。グリーンということばから考えると、それはいなかにあるにちがいないと思われた。でも馬車から見るあたりの景色けしきはいっこうにいなからしい様子にはならなかった。わたしたちはひどくごみごみした町へはいった。まっ黒などろが馬車の上にはね上がった。それからわたしたちはもっとひどいびんぼう町のはうへ曲がって、ときどき御者ぎょしゃも道がわからないのか、馬車を止めた。
 とうとうかれはすっかり馬車を止めてしまった。ハンサムの小窓こまどを中に、グレッス・アンド・ガリーの書記さんと、こまりきった御者ぎょしゃとの間におし問答が始まった。なんでもマチアが聞いたところでは、御者はもうとても道がわからないと言って、書記にどちらの方角へ行けばいいか、たずねているのであった。書記は自分もこんなどろぼう町へなんかこれまで来たことがなかったからわからないと答えた。わたしたちはこの「どろぼう」ということばが耳に止まった。すると書記はいくらか金を御者ぎょしゃにやって、わたしたちに馬車から下りろと言った。御者はわたされた賃金ちんぎんを見て、ぶつぶつ言っていたが、やがてくるりと方向をえて馬車を走らせて行った。
 わたしたちはいまイギリス人が「ジン酒の宮殿きゅうでん」とんでいる酒場の前の、ぬかるみの道に立った。案内あんないの先生はいやな顔をしてそこらを見回して、それからその「ジン酒の宮殿きゅうでん」の回転ドアを開けて中へはいった。わたしたちはあとにつづいた。わたしたちはこの町でもいちばんひどい場所にいるのであったが、またこれほどぜいたくな酒場も見なかった。そこには金ぶちのわくをはめたかがみがどこにもここにもはめてあって、ガラスの花燭台はなしょくだいと、銀のようにきらきら光るりっぱな帳場があった。けれどもそこにいっぱい集まっている人たちは、どれもよごれたぼろをかぶった人たちであった。
 案内者あんないしゃれいのりっぱな帳場の前についであった一ぱいの酒をがぶ飲みにして、それから給仕きゅうじの男に自分の行こうとする場所の方角を聞いた。たしかにかれはもとめた返事をたらしく、また回転ドアをおして外へ出た。わたしたちはすぐあとについて出た。
 通りはいよいよせまくなって、こちらのうちから向こうのうちへ物干ものほしのつなが下がって、きたならしいぼろがかけてあった。その戸口にこしをかけていた女たちは、青い顔をして、よれよれな髪のかたの上までだらしなくかかっていた。子どもたちはほとんど裸体らたいで、たまたま二、三人着ているのも、ほんのぼろであった。路地ろじにはぶたが、たまり水にぴしゃぴしゃ鼻面はらづらをつけて、そこからはくさったようなにおいがぷんと立った。
 案内者あんないしゃはふと立ち止まった。かれは道をうしなったらしかった。けれどちょうどそのとき一人の巡査じゅんさが出て来た。書記がかれに話すと、巡査は自分のあとからついて来いと言った……わたしたちは巡査について、もっとせまい往来おうらいを歩いた。最後さいごにわたしたちはある広場に立ち止まった。
 そのまん中には小さな池があった。
「これがレッド・ライオン・コートだ」と巡査じゅんさは言った。なぜわたしたちはここで止まったのであろう。わたしの両親がこんな所に住んでいるものであろうか。巡査は一けんの木小屋のドアをたたいた。案内人あんないにんはかれに礼を言っていた。ではわたしたちは着いたのだ。マチアはわたしの手を取って、やさしくにぎりしめた。わたしもかれの手をにぎった。わたしたちはおたがいに了解りょうかいし合った。わたしはゆめの中をたどっているような気がしていると、ドアが開いて、わたしたちはいきおいよく火のえている部屋へやにはいった。
 その火の前の大きな竹のいすに、白いひげを生やした老人ろうじんがこしをかけていた。その頭にはすっぽり黒いずきんをかぶっていた。一つのつくえに向かい合って四十ばかりの男と、六つばかり年下の女がこしをかけていた。かの女はむかしはなかなか色が白かったらしいなごりをとどめていたが、いまでは色つやもぬけて、様子はそわそわ落ち着かなかった。それから四人子どもがいた――男の子が二人、女の子が二人――みんな女親にてなかなか色白であった。いちばん上の男の子は十一ばかりで、いちばん下の女の子は三つになるかならないようであった。
 わたしは書記がその人になんと言っていたのかわからなかった。ただドリスコルという名前が耳に止まった。それはわたしの名字みょうじだとさっき弁護士べんごしが言った。
 みんなの目はマチアとわたしに向けられた。ただ赤んぼうの女の子だけがカピに目をつけていた。
「どちらがルミだ」と主人はフランス語でたずねた。
「ぼくです」とわたしは言って、一足前へ進んだ。
「では来て、お父さんにキッスをおし」
 わたしはまえからこのしゅんかんのことをゆめのように考えては、きっともうそのときは幸福にむねがいっぱいになりながら、父親のうでにとびついてゆくだろうと想像そうぞうしていた。けれどいまはまるでそんな感じは起こらなかった。でもわたしは進んで行って父親にキッスした。
「さあ」とかれは言った。「おまえのおじいさんも、お母さんも、弟や妹たちもいるよ」
 わたしはまず母親の所へ行って、両うでをからだにかけた。かの女はわたしにキッスをさせた。けれどわたしの愛情あいじょうにはむくいてくれなかった。かの女はただわたしにわからないことを二言三言いった。
「おじいさんと握手あくしゅをおし」と父親が言った。「そっとおいでよ。中気ちゅうきなのだから」
 わたしはまた弟たちや、女の姉妹きょうだいと握手した。小さい子をうでにだき上げようとしたが、かの女はすっかりカピに気を取られていて、わたしをおしのけた。わたしはむなしくそここことめぐって歩いて、しまいには自分に腹立はらだたしくなった。
 なぜやっとのことで自分のうちを見つけたのに、すこしもうれしく感じることができないのか。わたしは父親に母親に、兄弟に、祖父そふまである。わたしはこのしゅんかんをどんなにのぞんでいたろう。わたしもほかの子どもと同様に、自分のものとんであいし愛されるうちを持つことを考えて、そのよろこびに気がくるいそうになったことがあった……それがいま自分の一家をふしぎそうにながめるばかりで、心のうちにはなにも言うことがない。一言いちごん愛情あいじょうのことばが出て来ないのである。わたしはけものなのであろうか。わたしがもし両親をこんなびんぼうな小屋でなく、りっぱなごてんの中で見いだしたなら、もっと深い愛情が起こったであろうか。わたしはそれを考えてはずかしく思った。
 そう思ってわたしはまた母親のそばへって、両うでをかけてしたたかかの女のくちびるにキッスした。まさしくかの女はなんのつもりで、わたしがこんなことをするのかわからなかった。だからわたしのキッスを返そうとはしないで、きょときょとした様子でわたしの顔をながめた。それからおっと、すなわちわたしの父親のほうへ向いてかたをそびやかした。そしてなにかわたしにわからないことを言うと、夫はふふんとわらった。かの女の冷淡れいたんと、わたしの父親の嘲笑ちょうしょうとがふかくわたしの心をきずつけた。
 わたしの愛情あいじょうはそんなふうにして受け取らるべきものでないとわたしは思った。
「あれはだれだ」と父親はマチアを指さしながら聞いた。わたしはかれに向かってマチアがいちばんなかのいい友だちであって、ずいぶん世話になっていることを話した。
「よしよし」と父親は言った。「あの子もうちにとまって、いなかを見物するがよかろう」
 わたしはマチアの代わりに答えようとしたが、かれが先に口をきいた。
「それはぼくもけっこうです」とかれはさけんだ。
 わたしの父親はなぜバルブレンがいっしょに来ないかとたずねた。わたしはかれにバルブレンの死んだことをげた。かれはそれを聞いてよろこんでいるようであった。かれはそのとおりを母親にくり返して言うと、かの女もやはり喜んでいるようであった。どうしてこの二人は、バルブレンの死んだことをよろこんでいるのか。
「おまえは、わたしたちが十三年もおまえをたずねなかったことをふしぎに思っているかもしれない」と父親が言った。「しかも急にまた思い出したように出かけて行って、おまえを赤んぼうのじぶん拾った人をたずねたのだからなあ」
 わたしはかれに自分のたいへんおどろいたこと、それからそれまでの様子をくわしく聞きたいことを話した。
「ではばたへおいで。のこらず話してあげるから」
 わたしはかたから背嚢はいのうを下ろして、すすめられたいすにこしをかけた。わたしがぬれてどろをかぶった足を炉にのばすと、祖父そふはうるさい古ねこが来たというように、つんと向こうを向いてしまった。
「おかまいでない」と父親は言った。「あのじいさんはだれも火の前に来ることをいやがるのだ。けれどおまえ、寒ければかまわないよ」
 わたしはこんなふうに老人ろうじんに対して口をきくのを聞いてびっくりした。わたしはいすの下に足を引っこめた。そのくらいな心づかいはしなければならなとわたしは考えた。
「おまえはこれからわたしの総領そうりょうむすこだ」と父親が言った。「母さんと結婚けっこんして一年たっておまえは生まれたのさ。わたしがいまの母さんと結婚けっこんするとき、そのまえからてっきり自分と結婚するものと思っていたあるわかいむすめがもう一人あった。それが結婚のできなかったくやしまぎれに、生まれて六つき目のおまえをぬすみ出して行った。わたしたちはほうぼうおまえをさがしたが、パリより遠くへはどうにも行けなかった。わたしたちはおまえが死んだものと思っていたが、つい三つきまえ、このぬすんだ女が死んでね。死にぎわにわたしに悪事を白状はくじょうしたのだ。わたしはさっそくフランスへ出かけて行って、おまえがてられた地方の警察けいさつから、はじめておまえがシャヴァノン村のバルブレンという石屋のうちにやしなわれていることを聞いた。わたしはバルブレンをさがして、今度その人からおまえがヴィタリスという旅の音楽師おんがくしにやとわれて行ったこと、フランスの町じゅうを歩き回っていることを聞いた。わたしはいつまでもあちらに逗留とうりゅうしてもいられないので、バルブレンにいくらかお金をやって、おまえをさがすようにたのんだ。そうしてわかりしだいグレッス・アンド・ガリーへそう言ってこすようにした。わたしはあのバルブレンにここの住まいを知らせておかなかったというわけは、わたしたちは冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いているのだからね。わたしたちの商売は旅商人たびあきんどなのだよ。まあそんなふうにして、十三年目におまえがわたしたちの所へ帰って来たというわけだ。おえはわたしたちのことばがわからないのだから、はじめはすこしきまりが悪いかもしれないが、じきにイギリス語をおぼえて、兄弟たちと話ができるようになるだろう。それはもうわけなく慣れるよ」
 そうだ、もちろんわたしはかれらに慣れなければならない。かれらはわたしの一家の者ではないか。それはりっぱなきぬ産着うぶぎ想像そうぞうしたところと、目の前の事実とはこのとおりちがっていた。でもそれがなんだ。愛情あいじょうとみよりもはるかにたっとい。わたしがあこがれていたのは金ではない、ただ愛情である。愛情がしかったのだ。家族が、うちが、欲しかったのだ。
 わたしの父親がこの話をしているあいだに、かれらは晩餐ばんさん食卓しょくたくをこしらえた。にくの大きな一節ひとふしばれいしょをそえたものが、食卓のまん中にかれた。
「おまえたち、はらっているか」と父親がマチアとわたしに向かってたずねた。マチアは白い歯を見せた。
「うん、つくえにおすわり」
 しかしせきに着くまえに、かれは祖父そふの竹のゆりいすを食卓しょくたくに向けた。それから自分のせきをしめながら、かれはにくを切り始めた。背中せなかを火に向けて、みんなに一つずつ、大きな切れといもを分けた。
 わたしはいい境遇きょうぐうの中に育ったわけではないが、兄弟たちの食卓しょくたく行儀ぎょうぎがひどく悪いことは目についた。かれらはたいてい指で肉をつかんで食べて、がつがつ食いいたり、父母の気がつかないようにしゃぶったりした。祖父そふにいたっては自分の前ばかりに気を取られて、自由の片手かたてでしじゅうさらから口へがつがつ運んでいた。そのふるえる指先から肉を落とすと、兄弟たちはどっとわらった。
 わたしたちは食事がすんでから、そのばんばたに集まってくらすことと思っていた。けれども父親は友だちが来るからと言って、わたしたちにねどこに行くことを命じた。マチアとわたしに手まねをして、かれはろうそくを持って先に立ちながら、食事をした部屋へやの外にあるうまやへれて言った。そのうまやには荷台まで大きな屋台つき馬車があった。かれはその一つのドアを開けると中に小さな寝台ねだい二つ重なっていてあるのを見た。
「ほら、これがおまえたちのねどこだ」とかれは言った。「まあ、おやすみ」
 これがわたしの家族からこの夜はじめてわたしの受けた歓迎かんげいであった。


     りっぱすぎる父母

 父親はろうそくをいて行ったが、車には外からじょうをさした。わたしたちはいつものようにおしゃべりはしないで、できるだけ早くねどこの中へもぐった。
「おやすみ、ルミ」とマチアが言った。
「おやすみ」
 マチアはわたしと同じように、もうなにもものを言いたがらなかった。わたしはかれがだまっていてくれるのがうれしかった。わたしたちはろうそくをふき消したが、とてもねむれそうには思えなかった。わたしはせま苦しい寝台ねだいの中で、たびたび起き返っては、これまでの出来事を思いめぐらした。わたしは上の寝台にいるマチアがやはり落ち着かずに、しじゅうねがえりばかりしている音を聞いた。かれもやはりわたしと同様、ねむることができなかった。
 いく時間かぎた。だんだん夜がふけるにしたがって、とりとめもない恐怖きょうふがわたしを圧迫あっぱくした。わたしは不安ふあんに感じたが、なぜわたしが、そう感じたのかわからない。なにをわたしはおそれているのか。このロンドンのびんぼう町で馬車小屋の中にとまることがこわいのではない。これまでの流浪生活るろうせいかつで、いくたびわたしは今夜よりも、もっとたよりない夜を明かしたことがあったであろう。わたしは現在げんざいあらゆる危険きけんから庇護ひごされていることはわかっているのに、恐怖きょうふがいよいよつのって、もうふるえが出るまでになっている。
 時間はだんだんたっていった。ふとうまやの向こうの、往来おうらいに向かったドアの開く音がした。それから五、六たびいて規則きそく正しいノックが聞こえた。やがて明かりが馬車の中にさしこんだ。わたしはびっくりしてあわててそこらを見回した。わたしの寝台ねだいのわきにねむっていたカピは、うなり声を立てて起き上がった。わたしはそのときその明かりが馬車の小窓こまどからはいって来ることを知った。その小窓はわたしたちの寝台ねだいの向こうについていたのを、さっきはカーテンがかかっていたのでとこにはいるとき気がつかなかったのであった。この窓の上部はマチアの寝台ねだいに近く、下部はわたしの寝台に近かった。カピがうちじゅうを起こしてはいけないと思って、わたしはかれの口に手を当てて、それから外をながめた。
 すると父親がうまやにはいって来て、しずかにこうがわのドアを開けた。そして二人、かたに重い荷をせおった男を外からび入れて、やはり用心深い様子で、またドアをめた。それからかれはくちびるに指を当てて、ちょうちんを持った片手あたてでわたしたちのねむっている事に指さしをした。わたしはほとんどそんな心配はりませんと言って、声をかけようとしたが、もうマチアがよくねむっていると思ったから、それを起こすまいと思って、そっとだまっていた。
 父親はそのとき二人の男に手伝てつだって荷物のひもをほどかせて、やがて見えなくなったが、まもなく母親をれてもどって来た。かれのいないあいだに二人の男は荷物のふうを開いた。中にはぼうしと下着とくつ下に手ぶくろなどがあった。まさしくこの男たちは両親の所へ品物を売りに来た商人であった。父親はいちいち品物を手に取って、ちょうちんの明かりで調べて、それを母親にわたすと、母親は小さなはさみで、正札しょうふだを切り取って、かくしの中に入れた。これがわたしにはきみょうに思えたし、それとともに、売り買いをするのにこんな真夜中まよなかの時間をえらんだということもふしぎであった。
 母親が品物を調べているあいだに、父親は商人に小声で話をしていた。わたしがもうすこしイギリス語を知っていたら、たぶんかれの言ったことばがわかったであろうが、わたしの聞きたかぎりでは、ポリスメン(巡査じゅんさ)ということだけであった。それはたびたびくり返して言ったので、そのためわたしの耳にも止まったのであった。
 のこらずの品物がていねいに書きめられたとき、両親と二人の男がうちの中にはいった。そしてわたしたちの車はまた暗黒あんこくのうちにかれた。かれらはたしかに勘定かんじょうをするために、うちの中にはいったのであった。わたしは自分の見たことがごく当たり前のことであるとしんじようとしたが、いくらそうのぞんでも、そう信ずることできなかった。
 なぜあの両親に会いに来た二人の男が、ほかのドアからはいって来なかったのであろうか。なぜかれらはなにか戸の外で聞くもののあることをおそれるかのように、小声で巡査じゅんさの話をしていたのであったか。なぜ母親は品物を買ったあとで、正札しょうふだを切り取ったのであろうか。わたしはこの考えをとりのけることができなかった。しばらくして明かりがまた馬車の中へさしこんで来た。わたしは今度はついわれ知らず外をながめた。わたしは自分では見てはならないと思っていたが、でも……わたしは見た。わたしは自分では知らずにいるほうがいいと思ったが、でも……わたしは知ってしまった。
 父親と母親と二人だけであった。母親が手早く品物の荷作りをするまに、父親はうまやのすみをはいた。かれがかわいたすなをもり上げたそばに、落としのドアがあった。かれはそれを引き上げた。そのときもう母親は荷物にすっかりなわをかけておいたので、父親はそれを受け取って、落としから下のあなへ下ろした。母親はそばでちょうちんを見せていた。それからかれは落としのドアをめて、またその上にすなをはきせた。その砂の上に二人はわらくずをまきらしてうまやのゆかのほかの部分と同じようにした。そうしておいてかれらは出て行った。
 かれらがそっとドアをめたしゅんかんに、マチアがねどこの中で動いたこと、まくらの上であお向けになったことをわたしは見たように思った。かれは見たかしら。わたしはそれを思い切って聞けなかった。頭から足のつま先までわたしはやあせをかいていた。わたしはこのありさまでまる一晩ひとばんかれた。にわとりが夜明けを知らせた。そのときやっとわたしはまぶたをふさいだ。
 そのあくる朝わたしたちの車の戸を開けるかぎの音がしたので、わたしは目をました。きっと父親がもう起きる時間だと言いに来たのであろうと思って、わたしはかれを見ないように目を閉じた。
「きみの弟だったよ」とマチアが言った。「ドアのかぎを開けて出て行ったよ」
 わたしたちは着物を着た。マチアはわたしによくねむれたかとも聞かなかった。わたしもかれに質問しつもんしなかった。一度かれがわたしのほうを見たように思ったから、わたしは目をそらせた。
 わたしたちは台所まで行った。けれども父親も母親もそこにはいなかった。祖父そふれいの大きないすにこしをかけて、もうゆうべからすわったなりいるように、火の前にがんばっていた。そうしていちばん上の妹のアンニーというのが、食卓しょくたくをふいていた、いちばん上の弟のアレンが部屋へやをはいていた。わたしはかれらのそばへって「おはよう」と言ったが、かれらはわたしには目もくれないで、仕事をつづけていた。
 わたしは祖父そふのほうへ行ったが、かれはわたしを見てそばへはせつけなかった。そうしてまえのばんのようにわたしのほうにつばをはきかけた。それでわたしは行きかけて立ち止まった。
「聞いてくれたまえよ」とわたしはマチアに言った。「いつ、父さんや母さんは出て来るのだか」
 マチアはわたしの言ったとおりにした。すると祖父そふはわたしたちの一人がイギリス語を話したので、すこしきげんを直したように見えた。
「なんだと言うのだね」とわたしは言った。
「きみの父さんは一日よそへ出て帰らない。母さんはねむっている。それで出たければ外へぼくたちが出てもいいというのだ」
「たったそれだけしか言わないの」とわたしはこの翻訳ほんやくがたいへん簡単かんたんすぎると思って言った。
 マチアはまごついたようであった。
「そのほかのことばはよくわかったか、どうだか知らない」とかれは言った。
「ではわかったと思うだけ言いたまえ」
「なんでもあの人は、ぼくたちも町でなにか商売でもして、一もうけして来るがいい。ただめしを食われてはやりきれない、というようなことを言っていたと思う」
 祖父そふはかれの言ったことを、マチアが説明せつめいして聞かしているとさとったものらしく、中気ちゅうきでないほうの手でなにかをかくしにおしこもうとするような身ぶりをして、それから目配せをして見せた。
「出かけよう」とわたしはすぐに言った。
 二、三時間のあいだわたしたちはそこらを歩き回ったが、道にまよってはいけないと思って遠くへは行かなかった。ベスナル・グリーンは夜見るよりも昼見るとさらにひどい所であった。マチアとわたしは、ほとんど口をきかなかった。ときどきかれはわたしの手をにぎりしめた。
 わたしたちがうちへ帰ったとき、母親はまだ部屋へやから出て来なかった。開け放したドアのすきからわたしはかの女がつくえの上につっぷしているのを見た。かの女は病気なのだと思ったが、わたしは話をすることができないから、代わりにキッスしようと思って、そばへかけて行った。
 するとかの女はふらふらする頭を持ち上げて、わたしのほうをながめたが、顔は見なかった。かの女のあつい息の中には、ぷんとジン酒のにおいがした。わたしは後ずさりをした。かの女の頭はまた下がって、つくえの上にぐったりとなった。
「ジンに当たったのだよ」と祖父そふは言って、歯をむき出した。
 わたしはそのほうは見向きもせずにじっと立ちどまった。からだが石になったように感じた。どのくらいそうして立っていたか知らなかった。ふとわたしはマチアのほうを向いた。かれは両眼りょうがんになみだをいっぱいうかべて、わたしを見ていた。わたしはかれに合図をして、また二人でうちを出た。
 長いあいだわたしたちはおたがいの手を組み合ってならんで歩きながら、何も言わずに、どこへ行こうという当てもなしに、まっすぐに歩いた。
「ルミ、きみはどこへ行くつもりだ」とかれはとうとう心配そうにたずねた。
「ぼくは知らない。どこかへとだけしか言えない。マチア、ぼくはきみと話がしたい。だがこの人ごみの中では話もできない」
 わたしたちはそのとき、いつか広い町へ出ていた。そのはずれには公園があった。わたしたちはそこまでかけて行って、こしかけにこしをかけた。
「ねえ、マチア、ぼくがどんなにきみをあいしているか、知ってるだろう。だから今度ぼくがうちの人たちに会いに来るとき、いっしょにきみに来てもらったのは、きみのためを思ったことだったのだ。きみはぼくがなにをたのんでも、ぼくの友情ゆうじょううたがいはしないだろうねえ」とわたしは言った。
「ばかなことを言いたまえ」とかれは無理むりわらって言った。
「きみはぼくをきださせまい思って、そんなふうに笑うのだね」とわたしは答えた。「ぼくはきみといっしょにいるときに、泣けないなら、いつ泣くことができよう。でも……おお……マチア、マチア」
 わたしは両うでをなつかしいマチアの首にかけて、ほろほろなみだをこぼした。わたしはこんなになさけなく思ったことはなかった。わたしがこの広い世界にひとりぼっちであったじぶん、かえってわたしはこのしゅんかんほどに不幸ふこうだとは感じなかった。わたしはすすりきをしてしまったあとで、やっと気を落ち着けることができた。わたしがマチアを公園にれて来たのは、かれのあわれみをもとめるためではなかった。それはわたしのためではなかった。かれのためであった。
「マチア」とわたしは思い切って言った。「きみはフランスへ帰らなければならないよ」
「きみをてて、どうして」
「ぼくはきみがそう答えるだらうと思っていた。それを聞いてぼくはうれしい。ああ、きみがぼくといっしょにいたいというのは、まったくうれしい。けれどマチア、きみはすぐにフランスへ帰らなければならないよ」
「なぜさ、そのわけを言いたまえ」
「だって……ねえ、マチア、こわがってはいけないよ。きみはゆうべねむったかい。きみは見たかい」
「ぼくはねむらなかったよ」とかれは答えた。
「するときみは見た……」
「ああのこらず」
「そうしてきみはそのわけがわかったか」
「あの品物が、だいをはらったものでないことはわかるよ。だって、きみのお父さんは、あの男たちに母屋おもやのドアをたたかないで、うまやのドアをたたいたというのでおこっていた。するとあの二人は巡査じゅんさ見張みはりをしているからと言っていたもの」
「それできみは行かなければならないことがよくわかったろう」とわたしは言った。
「ぼくが行かなければならないなら、きみだって行かなければならない。それはぼくにだって、きみにだって、いいはずがないもの」「パリでガロフォリに会ったとして、あの人が無理むりにきみをれ帰ろうとしたら、きみはきっと、ぼくに一人でわかれて行ってくれと言うと思うよ。ぼくはただきみが自分でもするだろうと思うことをするだけだ」
 かれは答えなかった。
「きみはフランスへ帰らなければいけない」とわたしは言いった。「リーズの所へ行ってぼくがやくそくしたことも、あの子の父親のためにしてやることも、みんなできなくなったわけを話してくれたまえ。ぼくはあの子に、なによりもぼくのすることはあの人の借金しゃっきんをはらってやることだと言った。きみはあの子にそれのできなくなったわけを話してくれたまえ。それからバルブレンのおっかあの所へも行ってくれたまえ。ただうちの人たちは思ったほど金持ちではなかったとだけ言ってくれたまえ。金のないということはなにもはずかしいことではないのだから。でもそのほかのことは言わないでくれたまえ」
「きみがぼくに行けと言うのは、あの人たちがびんぼうだからというのではない。だからぼくは行かない」とマチアは強情ごうじょうに答えた。「ぼくはゆうべ見たところでそれがなんだかわかった。きみはぼくの身の上をあんじているのだ」
「マチア、それを言わないでくれ」
「きみはいつか、ぼくまでがだいのはらってない品物の正札しょうふだを切り取るようなことになるといけないと心配しているのだ」
「マチア、マチア、よしたまえ」
「ねえ、きみがぼくのために心配するなら、ぼくはきみのために心配する。ぼくたち二人で出かけよう」
「それはとてもできない。ぼくの両親はきみにとってはなんでもないが、ぼくには父親と母親だ。ぼくはあの人たちといっしょにいなければならない。あれはぼくの家族なのだから」
「きみの家族だって。あのどろぼうをする男が、きみの父親だって。あの飲んだくれ女が、きみの母親だって」
「マチア、それまで言わずにいてくれ」とわたしはこしかけからとび上がってさけんだ。「きみはぼくの父親や母親のことをそんなふうに言っているが、ぼくはやはりあの人たちを尊敬そんけいしなければならない。あいさなければならない」
「そうだ。それがきみのうちの人なら、そうしなければ。だが……あの人たちは」
「きみ、あんなにたくさん証拠しょうこのあるのをわすれたかい」
「なにがさ、きみは父さんにも母さんにもてはいない。あの子どもたちはみんな色が白いが、きみは黒い。それにぜんたいどうしてあの人たちが子どもをさがすためにそんなにたくさんの金が使えたろうか。そういういろいろのことを集めてみると、ぼくの考えでは、きみはドリスコル家の人ではない。きみはバルブレンのおっかあの所へ手紙をやって、きみが拾われたときの産着うぶぎがどんなふうであったか、たずねてみたらどうだ。それからきみがお父さんといまんでいるあの人に子どもがぬすまれたとき着ていた着物のくわしいことを聞かせてもらいたまえ。それまではぼくは動かないよ」
「でももしきみの気のどくな頭が、そのために一つ食らったらどうする」
「なあに友だちのためならぶたれても、そんなにつらくはないよ」とかれはわらいながら言った。


     カピのつみ

 わたしたちはばんまでレッド・ライオン・コートへ帰らなかった。父親と母親はわたしたちのいなかったことをなにも言わなかった。夕飯ゆうめしのあとで父親は二きゃくのいすをのそばへせた。すると祖父そふからぐずぐず言われた。それからかれは、わたしたちがフランスにいたころ、食べるだけのお金が取れていたか、わたしから聞き出そうとした。
「ぼくたちは食べるだけのものを取っただけではありません。雌牛めうしを一頭買うだけのお金を取ったのです」とマチアはきっぱりと言った。そのついでにかれはその雌牛でどういうことが起こったか話した。
「おまえたちはなかなかりこうなこぞうだ」と父親が言った。「どのくらいできるかやっておみせ」
 わたしはハープを取って一曲ひいたが、ナポリ小唄こうたではなかった。マチアはヴァイオリンで一曲、コルネで一曲やった。中でコルネのソロが、ぐるりへになって集まった子どもたちからいちばんかっさいを受けた。
「それからカピ、あれもなにかできるか」と父親がたずねた。「あれも自分の食いしろをかせぎ出さなければならん」
 わたしはカピのげいにはひどくじまんであったから、かれにありったけの芸をやらした。れいによってかれは大成功だいせいこうをした。
「おや、この犬はりっぱな金もうけになるぞ」と父親がさけんだ。
 わたしはこの賞賛しょうさんでたいへんうれしくなって、カピに教えれば、教えたいと思うことはなんでもおぼえることをかれに話した。父親はわたしの言ったことをイギリス語に翻訳ほんやくした。そのうえわたしの言ったほかになにかつけくわえて言ったらしく、みんなをわらわせた。祖父そふはたびたび目をぱちくりやって、「どうもえらい犬だ」と言った。
「だからわたしはマチアにも、いっしょにこのうちにいてくれるかと言いだしたわけさ」と父親が言った。
「ぼくはルミといつまでもいたいのです」とマチアが答えた。
「なるほど。それではわたしから申し出すことがあるが」と父親が言った。「わたしたちは金持ちではないから、みんながいっしょにはたらいているのだ。夏になるとわたしたちはいなかを旅をして回って、子どもらは、向こうから買いに来てくれない人たちの所へ品物を持って売りに行くのだ。けれども冬になると、たんとすることがなくなるのだ。ところでおまえとルミにはこれから町へ出て音楽をやってもらおう。クリスマスが近いんだから、すこしは金ができるだろう。そこでネッドとアレンがカピをれて行って、げいをやってわらわせるのだ。そういうふうなことにすれば、うまく仕事しごとがふり分けられるというものだ」
「カピはぼくとでなければはたらきません」とわたしはあわてて言った。わたしはこの犬とわかれることはがまんできなかった。
「なあにあれはアレンや、ネッドとじきに仕事をすることをおぼえるよ」と父親が言った。「そういうふうにしてよけい金を取るようにするのだ」
「おお、ぼくたちもカピといっしょのほうがよけい金が取れるのです」とわたしは言いった。                         .
「もういい」と父親が手短に言った。「わたしがこうと言えばきっとそうするのだ。口返答をするな」
 わたしはもうそのうえ言わなかった。そのばんとこにはいると、マチアがわたしの耳にささやいた。
「さあ、あしたはいよいよバルブレンのおっかあの所へ手紙をやるのだよ」
 こう言ってかれは寝台ねだいにとび上がった。
 しかし、そのあくる朝わたしは、カピにいやでも因果いんがを言いふくめなければならなかった。わたしはかれをうでにだいて、そのつめたい鼻にやさしくキッスしながら、これからしなくてはならないことを言って聞かした。かわいそうな犬よ。どんなにかれはわたしの顔をながめたか、どんなに耳を立てていたか、わたしはそれからアレンの手にひもをわたして、犬は二人の子どもにおとなしく、しかしがっかりした様子でついて行った。
 父親はマチアとわたしをロンドンの町中へれて行った。きれいな家や、白いしき石道のあるりっぱな往来おうらいがあった。ガラスのようにぴかぴか光る馬車がすばらしい馬に引かれて、その上にこなをふりかけたかつらをかぶった大きな太った御者ぎょしゃが乗っていた。
 わたしたちがレッド・ライオン・コートへもどったのは、もうおそかった。ウェストエンドからベスナル・グリーンまでの距離きょりはかなり遠いのである。わたしはまたカピを見てどんなにうれしく思ったろう。かれはどろまみれになっていたが、上きげんであった。わたしはあんまりうれしかったから、かわいたわらでかれのからだをよくかいてやったうえ、わたしのひつじの毛皮にくるんで、いっしょにとこの中に入れてねかしてやった。
 こんなふうにして五、六日ぎていった。マチアとわたしはべつな道を行くと、カピとネッドとアレンがほかの方角へ行った。
 するとある日の夕方、父親が「あしたはおまえたちがカピをれて行ってもいい、二人の子どもにはうちで少しさせることがあるから」と言った。マチアとわたしはひじょうによろこんで、いっしょうけんめいやってたくさんの金を取って帰れば、これからはしじゅうわたしたちに犬をつけて出すようになるだろうというもくろみを立てた。ぜひともカピを返してもらわなければならない。わたしたち三人は一人だってけてはならないのだ。
 わたしたちは朝早くカピをごしごしあらってやって、くしを入れてやって、それから出かけた。
 運悪くわたしたちのもくろみどおりには運ばないで、深いきりがまる二日のあいだロンドンにれこめていた。そのきりの深いといっては、つい二足三足前がやっと見えるくらいであった。このきりのまくの中でたまたまわたしたちのやっている音楽に耳を止めている人も、もうすぐそばのカピの姿すがたを見なかった。これはわたしたちの仕事にはじつにやっかいなことであった。でもこのきりのおかげを、もう二、三分あとでは、どれほどこうむらなければならないことであったか、それだけはまるで考えもつかなかった。
 わたしたちはいちばん人通りの多い町の一つを通って行くと、ふとカピがいっしょにいないことを発見した。この犬はいつだって、わたしたちのあとにぴったりついて来るのであったから、これはめずらしいことであった。わたしはあとから追いつけるようにかれを待っていた。ある暗い路地口ろじぐちに立って、なにしろわずかの距離きょりしか見えなかったから、そっと口ぶえをふいた。わたしはかれがぬすまれたのではないかと心配し始めたとき、かれは口に毛糸のくつ下を一足くわえてかけてやって来た。前足をわたしに向けてかれは一声ほえながらそのくつ下をささげた。かれはもっともむずかしいげいの一つをやりとげたときと同様に、得意とくいらしくわたしの賞賛しょうさんもとめていた。これはほんの二、三秒の出来事であった。わたしは開いた口がふさがらなかった、するとマチアは片手かたてでくつしたをつかんで、片手かたてでわたしを路地口ろじぐちからった。
「早く歩きたまえ。だが、かけてはいけない」とかれはささやいた。
 かれはしばらくしてわたしに言うには、しき石の上でかれのわきをかけて通った男があって、「どろぼうはどこへ行った、つかまえてやるぞ」と言いながら行ったというのである。わたしたちは路地ろじの向こうの出口から出て行った。
「きりが深くなかったら、ぼくたちはあぶなくどろぼうのつみ拘引こういんされるところだったよ」とマチアは言った。しばらくのあいだ、わたしはほとんど息をつめて立っていた。うちの人たちはわたしの正直なカピにどろぼうをはたらかせたのだ。
「カピをしっかりおさえていたまえ」とわたしは言った。「うちへ帰ろう」
 わたしたちは急いで歩いた。
 父親と母親はつくえの前にこしをかけて、せっせと品物をしまいこんでいた。
 わたしはいきなりくつ下をほうり出した。アレンとネッドはぷっとふきだした。
「さあ、これがくつ下です」とわたしは言った。「あなたがたはぼくの犬をどろぼうにしましたね。ぼくは人のなぐさみに使うために犬をれて行ったのだと思っていました」
 わたしはふるえていて、ほとんど口がきけなかった。でもこのときはどしっかりした決心をしたことはなかった。
「うん、なぐさみのほかに使ったら」と父親は反問した。「おまえ、どうするつもりだ。聞きたいものだね」
「ぼくはカピの首になわをきつけて、これほどかわいい犬ですけれど、ぼくはあいつを水にしずめてしまいます。わたしは自分がどろぼうにされたくないと同様、カピをどろぼうにはしてもらいたくないのです。いつかわたしがどろぼうにならなければならないようなことがあれば、わたしは犬といっしょにすぐ水にしずんでしまいます」
 父親はわたしの顔をしげしげと見ていた。わたしはかれがよっぽどわたしを打とうとしかけたと思った。かれの目は光った。でもわたしはたじろがなかった。
「おお、ではよしよし」とかれは思い返して言った。「またそういうことのないように、おまえ、これからは自分でカピをれて歩くがいい」


     ごまかし

 わたしは二人の子どもにげんこつを見せていた。わたしはかれらにものを言うことはできなかったが、でもかれらはわたしの様子で、このうえわたしの犬をどうにかすれば、わたしにひどい目に会うであろうと思った。わたしはカピを保護ほごするためには、かれら二人とたたかうつもりでいた。
 その日からうちじゅうの者はのこらず、大っぴらでわたしに対して憎悪ぞうおを見せ始めた。祖父そふはわたしがそばにると、腹立はらだたしそうにつばをはいてばかりいた。男の子と上の妹はかれらにできそうなあらゆるいたずらをした。父親と母親はわたしを無視むしして、いてもいない者のようにあつかった。そのくせ毎晩まいばんわたしから金を取り立てることはわすれなかった。
 こうしてわたしがイギリスへ上陸じょうりくしたとき、あれほどの愛情あいじょうを感じていた全家族はわたしに背中せなかを向けた。たった一人赤んぼうのケートが、わたしのかまうことをゆるした。でもそれすら、かくしにかの女のためのキャンデーか、みかんの一つ持ち合わせないときには、冷淡れいたんにそっぽを向いてしまった。
 わたしははじめマチアの言ったことを耳に入れようとはしなかったが、だんだんすこしずつ、わたしはまったくこのうちの者ではないのではないかとうたがい始めた。わたしはかれらに対してこれほどひどくされるようなことはなにもしなかった。
 マチアはわたしがそんなにがっかりしているのを見て、ひとごとのように言った。
「ぼくはバルブレンのおっかあから、早くどんな着物をきみが着ていたか言ってこすといいと思うがなあ」
 とうとうやっとのことで、手紙が来た。れいのとおりお寺のぼうさんが代筆だいひつをしてくれた。それにはこうあった。
「小さいルミよ。お手紙を読んでおどろきもし、悲しみもしました。バルブレンの話と、あなたが拾われたとき着ていた着物から、あなたがよほどお金持ちのうちに生まれたこととわたしは思っていました。その着物はそのままそっくり、しまってありますから、いちいち言うことはわけのないことです。あなたはフランスの赤子のように、おくるみにくるまってはいませんでした。イギリスの子どものように、長い上着と下着を着ていました。白いフランネルの上着にたいそうしなやかなあさの服を重ね、白いきぬでふちを取って、美しい白の縫箔ぬいはくをしたカシミアの外とうを着ていました。またかわいらしいレースのボンネットをかむり、それから小さいきぬのばらの花のついた白い毛糸のくつ下をはいていました。それにはどれもしるしはありませんが、はだにつけていたフランネルの上着にはしるしがありました。でもその印はていねいに切り取られていました。さて、ルミ、あなたにご返事のできることはこれだけですよ。やくそくをしなすったりっぱなおくり物のできないことをにやむことはありません。あなたの貯金ちょきんで買ってくれた雌牛めうしは、わたしにとっては世界じゅうのおくり物のこらずもらったと同様です。よろこんでください。雌牛もたいそうじょうぶで、相変あいかわらずいいちちを出しますから。このごろではごく気楽にくらしています。その雌牛を見るたんびにあなたとあなたのお友だちのマチアのことを思い出さないことはありません。ときどきはお便たよりをこしてください。あなたはほんとにやさしい、いい子です。どうかせっかくうちを見つけたのだから、おうちのみなさんがあなたをかわいがるようにと、そればかりのぞんでいます。ではごきげんよろしゅう。
あなたの養母ようぼ
バルブレンの後家ごけより」
 なつかしいバルブレンのおっかあ。かの女は自分がわたしをあいしたようにだれもわたしを愛さなくてはならないと思っているのだ。
「あの人はいい人だ」とマチアは言った。「じつにいい人だ。ぼくのことも思っていてくれる。さあ、これでドリスコルさんがどう言うか、見たいものだ」
「父さんは品物の細かいことはわすれているかもしれない」
「どうして子どもがかどわかされたとき着ていた着物を、親がわすれるものか。だってまたそれを見つけるのは着物が手ががりだもの」
「とにかくなんと言うか、聞いて、それから考えることにしよう」
 わたしがぬすまれたとき、どんな着物を着ていたか、これを父親にたずねるのは容易よういなことではなかった。なんの下心なしにぐうぜんこの質問しつもんを発するなら、それはいたって簡単かんたんなことであろう。ところが事情じじょうがそういうわけでは、わたしはおくびょうにならずにはいられなかった。
 さてある日、つめたいみぞれがって、いつもより早くうちへ引き上げて来たとき、わたしは両うでに勇気ゆうきをこめて、長らく心にかかっている問題の口を切った。
 わたしの質問しつもんを受けると、父親はじっとわたしの顔を見つめた。けれどわたしはこの場合できそうに思っていた以上いじょうだいたんに、かれの顔を見返した。するとかれはにっこりした。その微笑びしょうにはどことなくとげとげしいざんこくな様子が見えたが、でも微笑は微笑であった。
「おまえがぬすまれて行ったとき」とかれはそろそろと話しだした。「おまえはフランネルの服とあさの服と、レースのボンネットに、白い毛糸のくつ下と、それから白い縫箔ぬいはくのあるカシミアの外とうを着ていた。その着物のうち二まいまでは、エフデー、すなわちフランシス・ドリスコルの頭字かしらじがついていたが、それはおまえをぬすんだ女が切り取ってしまったそうだ。そのわけは、そうすれば手がかりがないと思ったからだ。なんならおまえの洗礼証書せんれいしょうしょをしまっておいたから、それを見せてあげよう」
 かれは引き出しをさぐって、すぐと一枚の大きな紙を出して、わたしに手わたしをした。
「よかったらマチアに翻訳ほんやくさせください」とわたしは最後さいご勇気ゆうきをふるって言った。
「いいとも」
 マチアがそれをできるだけよく翻訳した。それで見ると、わたしは八月二日の木曜日に生まれたらしい。そしてジョン・ドリスコルおよびそのつまマーガレット・グランデのむすこであった。
 この上の証拠しょうこをどうしてもとめることができようか。
「これはみんなもっともらしい」とそのばん車の中に帰ると、マチアは言った。「でもどうして旅商人たびあきんど風情ふぜいが、その子どもにレースのボンネットや、縫箔ぬいはくの外とうを着せるだけの金があったろう。旅商人たびあきんどというものは、そんなに金のあるものではないさ」
「旅商人だから、そんな品物をたやすく手に入れることができたのだろう」
 マチアは口ぶえをふきふき首をふっていた。それからまた小声で言った。
「きみはあのドリスコルの子どもではないが、ドリスコルがぬすんで来た子どもなのだ」
 わたしはこれに答えようとしたが、かれはもうずんずん寝台ねだいの上にはい上がっていた。


     アーサのおじさん――ジェイムズ・ミリガン

 わたしがマチアの位置いちであったなら、おそらくかれと同様な想像そうぞうをしたかもしれなかったが自分の位置としてわたしはそんな考えを持つのはまちがっていると感じた。ドリスコルがわたしの父親だということは、もはやうたが余地よちなく証明しょうめいされた。わたしはそれをマチアと同じ立場からながめることができなかった。かれは疑いる……けれどわたしはうたぐってはならない。かれがなんでも自分の思うことを、わたしにしんじさせようとつとめると、わたしはかれにだまっていろと言い聞かせた。けれどもかれはなかなか頑強がんきょうで、その強情ごうじょうにいつも打ち勝つことは困難こんなんであった。
「なぜきみだけ色が黒くって、うちのほかの人たちは色が白いのだ」とかれはくり返して、その点を問いつめようとした。
「どうしてびんぼう人がやわらかなレースや、縫箔ふいはくを赤んぼうに着せることができたか」これがもう一つたびたびくり返される質問しつもんであった。するとわたしはこちらからぎゃく反問はんもんして、わずかにこれに答えることができた。あの人たちにとってわたしが子でないならば、なぜぼくを捜索そうさくしたか。なぜバルブレンや、グレッス・アンド・ガリーに金をやったか。
 マチアはわたしの反問はんもんに返事ができなかったけれども、かれはけっして承服しょうふくしようとはしなかった。
「ぼくらは二人でフランスへ帰るのがいいと思う」とかれはすすめた。
「そんなことができるものか」
「きみは一家といっしょにいるのが義務ぎむだと言うのかい。でもこれがきみの一家だろうか」
 こういうおし問答の結果けっかは、一つしかなかった。それはわたしをいままでよりもよけい不幸ふこうにしただけであった。うたがうということはどんなにおそろしいことであろう。でもいくら疑うまいと思ってもわたしは疑った。わたしが自分にはうちがないと思って、あれほど悲しがっていていたじぶん、こうしてうちができた今日かえってこれほどの失望しつぼうにおちいろうとはだれが思ったろう。どうしたらわたしはほんとうのことがわかるだろう。そう考えて、いよいよむねにせまってくるとき、わたしは歌を歌って、おどりをおどって、わらって、しかめっつらでもするほかはなかった。
 ある日曜日のことであった。父親はきょうは用があるからうちにいろとわたしに言いわたした。かれはマチアだけを一人外へ出した。ほかの者もみんな出て行った。祖父そふだけが一人、二階にのこっていた。わたしは父親と一時間ばかりいたが、やがてドアをたたく音がして、いつもうちへ父親をたずねて来る人とは、まるでちがった紳士しんしがはいって来た。かれは五十才ぐらいの年輩ねんぱいで、流行のすいを集めた身なりをしていた。犬のようなまっ白なとんがった歯をして、わらうときにはそれをかみしめようとでもするようにくちびるをあとへ引っこめた。かれはしじゅうわたしのほうをふり向いてみながら、イギリス語でわたしの父に話しかけた。
 それからしばらくして、かれはほとんどなまりのないフランス語で話し始めた。
「これがきみの話をした子どもか」とかれは言った。「なかなかじょうぶそうだね」
「だんなにごあいさつしろ」と父親がわたしに言った。
「ええ、ぼくはごくじょうぶです」
 こうわたしはびっくりして答えた。
「おまえは病気になったことはなかったか」
「一度肺炎はいえんをやりました」
「はあ、それはいつだね」
「三年まえです。ぼくは一晩ひとばん寒い中でねました。いっしょにいた親方はこごえて死にましたし、ぼくは肺炎になりました」
「それからからだの具合はなんともないか」
「ええ」
「つかれることはないか、ねあせは出ないか」
「ええ。つかれるのはたくさん歩いたからです。けれどほかに具合の悪いところはありません」
 かれはそばへってわたしのうでにさわった。それから頭を心臓しんぞうにすりつけた。今度は背中せなかむねにさわって、大きく息をしろと言った。かれはまたせきをしろとも言った。それがすむと、かれは長いあいだわたしの顔を見た。そのときわたしはかれがかみつこうとするのだと思ったほど、かれの歯はおそろしいわらがおのうちに光った。しばらくしてかれは父親といっしょに出て行った。
 これはなんのわけだろう。あの人はわたしをやとい入れるつもりなのかしら。わたしはマチアともカピともわかれなければならないのかしら。いやだ。わたしはだれの家来にもなりたくない。ましてはじめっからきらっているあんな人の所へなんか行くものか。
 父親は帰って来て、「行きたければ外へ出てもいい」とわたしに言った。わたしはれいのうまやの車の中へはいって行った。するとそこにマチアがいたので、どんなにびっくりしたろう。かれはそのとき指をくちびるに当てた。
「うまやのドアを開けたまえ」とかれは小声で言った。「ぼくはそっとあとから出て行くからね。ぼくがここにいたことを知られてはいけない」
 わたしはけむにかれて、言われるとおりにした。
「きみはいま父さんの所へ来た人がだれだか、知ってるかい」とかれは往来おうらいへ出ると、目の色をえてたずねた。「あれがジェイムズ・ミリガンだよ。きみの友だちのおじさんだよ」
 わたしはしき石道のまん中に行って、ぽかんとかれの顔をながめた。かれはわたしのうでをつかまえてあとからった。
「ぼくは一人ぼっちで出かける気にならなかった」とかれはつづけた。「だからねむるつもりであすこへはいった。だがぼくはねむれずにいた。するうちきみの父さんと一人の紳士しんしがうまやの中へはいって来た。その人たちの言うことをのこらずぼくは聞いたのだ。はじめはぼくも聞く耳を立てるつもりではなかったが、のちにはそれをしずにいられないようになった。
『どうして、岩のようにじょうぶだ』とその紳士しんしが言った。『十人に九人までは死ぬものだが、あれは肺炎はいえん危険きけんを通りこして来た』
『おいごさんはどうですね』ときみの父さんがたずねた。
『だんだんよくなるよ。三月みつきまえも医者がまたさじを投げた。だが母親がまたすくった。いや、あれはふしぎな母親だよ。ミリガン夫人ふじんという女は』
 ぼくがこの名前を聞いたとき、どうしてまどに耳をくっつけずにはいられたと思うか。
『ではおいごさんがよくなるのでは、あなたの仕事はむだですね』ときみの父さんがことばをつづけた。
『さしあたりはまずね』ともう一人が答えた。『だがアーサがこのうえ生きようとは思えない。それができれば奇跡きせきというものだ。おれは奇跡を心配しない。あれが死ねば、あの財産ざいさん相続人そうぞくにんはおれのほかにはないのだ』
『ご心配なさいますな。わたしが見ています』とドリスコルさんが言った。
『ああ、おまえにまかせておくよ』とミリガンが答えた」
 これがマチアの話すところであった。
 マチアのこの話を聞きながら、わたしのはじめの考えは、父親にすぐたずねてみることであったが、立ち聞きをされたことを知らせるのは、かしこいしかたではなかった。ミリガンは父親と打ち合わせる仕事があるとすれば、たぶんまたうちへ来るだろう。このつぎは向こうで顔を知らないマチアが、あとをつけることもできる。
 それから二、三日ののち、マチアはぐうせん往来おうらいで、以前いぜんガッソーの曲馬団きょくばだんで知り合いになったイギリス人のボブに出会った。わたしはとちゅうでかれがマチアにあいさつするところを見て、ひじょうになかのいいことがわかった。
 かれはまたすぐとカピやわたしがきになった。その日からわたしたちはこの国に一人、しっかりした友だちができた。かれはその経験けいけんとちえで、のちに困難こんなんにおちいった場合、わたしたちのひじょうな力になったのであった。


     マチアの心配

 春の来るのはおそかったが、とうとう一家がロンドンを去る日が来た。馬車がぬりかえられて、商品がみこまれた。そこにはぼうし、かたかけ、ハンケチ、シャツ、膚着はだぎ耳輪みみわ、かみそり、せっけん、おしろい、クリーム、なんということなしにいろいろなものがまれた。
 馬車はもういっぱいになった。馬が買われた。どこからどうして買ったか、わたしは知らなかったが、いつのまにか馬が来ていた。それでいっさい出発の用意ができた。
 わたしたちは、いったい祖父そふといっしょにうちにのこるのか、一家とともに出かけるのか、知らずにいた。けれど父親はわたしたちが音楽でなかなかいい金を取るのを見て、まえのばんわたしたちにかれについて行って音楽をやれと言いわたした。
「ねえ、フランスへ帰ろうよ」とマチアはすすめた。「いまがいいしおどきだ」
「なぜイギリスを旅行して歩いてはいけないのだ」
「なぜならここにいると、きっとなにか始まるにちがいないから。それにフランスへ行けば、ミリガン夫人ふじんとアーサを見つけるかもしれない。アーサが加減かげんが悪いのだと、夫人ふじんはきっと船に乗せて来るだろう。もうだんだん夏になってくるから」
 でもわたしはかれに、どうしてもこのままいなければならないと言った。
 その日わたしたちは出発した。その午後かれらがごくわずかの値打ねうちしかない品物を売るところを見た。わたしたちはある大きな村に着くと、馬車は広場に引き出されていた。その馬車の横側よこがわひくくなっていて、買い手のよくをそそるように美しく品物がならんでいた。
値段ねだんを見てください。値段を見てください」と父親はさけんだ。「こんな値段はどこへ行ったってあるものじゃありません。まるで売るんじゃない。ただあげるのだ。さあさあ」
「あいつはどろぼうして来たにちがいない」
 品物の値段ねだんづけを見た往来おうらいの人がちょいちょいこう言っているのをわたしは聞いた。かれらがもしそのとき、そばでわたしがきまり悪そうな顔をしているのを見たら、いよいよ推察すいさつの当たっていることを知ったであろう。
 かれらはしかしわたしに気がつかなかったとしても、マチアは気がついていた。
「いつまできみはこれをしんぼうしていられるのだ」とかれは言った。
 わたしはだまっていた。
「フランスへ帰ろうよ」とかれはまたすすめた。「なにか起こる。もうすぐになにか起こるとぼくは思う。おそかれ早かれ、ドリスコルさんが、こう品物を安売りするところを見れば、巡査じゅんさがやって来るのはわかっている。そうなればどうする」
「おお、マチア……」
「きみが目をふさいでいれば、ぼくはいよいよ大きく目をあいていなければならない。ぼくたちは二人ともつかまえられる。なにもしなくっても、どうしてその証拠しょうこを見せることができよう。ぼくたちはげんにあの人がこの品物を売ってた金で、三度のものを食べているのではないか」
 わたしはついにそこまでは考えなかった。こう言われて、いきなり顔をまっこうからなぐりつけられたように思った。
「でもぼくたちはぼくたちで自分の食べ物を買う金は取っている」と、わたしはどもりながら弁護べんごしようとした。
「それはそうだ。けれどぼくたちはどろぼうといっしょに住まっていた」と、マチアはこれまでよりはいっそう思い切った調子で答えた。「それでもし、ぽくたちが牢屋ろうやへやられればもう、きみのほんとうのうちの人をさがすこともできなくなるだろう。それにミリガン夫人ふじんにも、あのジェイムズ・ミリガンに気をつけるように言ってやりたい。あの人がアーサにどんなことをしかねないか、きみは考えないのだ。まあ行けるうちに少しも早く行こうじゃないか」
「まあもう二、三日考えさしてくれたまえ」とわたしは言った。
「では早くしたまえ。大男退治たいじのジャックは肉のにおいをかいだ――ぼくは危険きけんのにおいをかぎつけている」
 こんなふうにしてえきれずにいるうちに、とうとうぐうぜんの事情じじょうが、わたしに思い切ってできなかったことをさせることになった。それはこうであった。
 わたしたちがロンドンを立ってから数週間あとであった。父親は競馬けいばのあるはずの町で、屋台店の車を立てようとしていた。マチアとわたしは商売のほうになにも用がないので、町からかなりへだたっていた競馬場けいばじょうを見に行った。
 イギリスの競馬場のぐるりには、たいてい市場が立つことになっていた。いろいろ種類しゅるいのちがう香具師やしや、音楽師おんがくしや、屋台店が二、三日まえから出ていた。
 わたしたちはあるテント小屋こやで、たき火の上に鉄びんがかかっている所を通りぎると、曲馬団きょくばだんでマチアの友だちであったボブを見つけた。かれはまたわたしたちを見つけたので、たいそうよろこんでいた。かれは二人の友だちといっしょに競馬場けいばじょうへ来て、力持ちの見世物を出そうとしているところであった。そのためある音楽師おんがくしを二、三人やくそくしたが、まぎわになってだめになったので、あしたの興行こうぎょう失敗しっぱいになるのではないかと心配していたところであった。かれの仕事にはにぎやかな人寄ひとよせの音楽がなければならなかった。
 わたしたちはそこでかれの手伝てつだいをしてやろうということになった。一座いちざができて、わたしたち五人の間に利益りえきを分けることになった。そのうえカピにもいくらかやることにした。ボブはカピが演芸えんげいの合い間にげいをして見せてくれることをのぞんでいた。わたしたちはやくそくができて、あくる日決めた時間に来ることを申し合わせた。
 わたしが帰ってこのもくろみを父に話すと、かれはカピはこちらで入用だから、あれはやられないと言った。わたしはかれらがまた人の犬をなにか悪事に使うのではないかとうたがった。わたしの目つきから、父はもうわたしの心中を推察すいさつした。
「ああ、いや、なんでもないことだよ」とかれは言った。「カピはりっぱな番犬だ。あれは馬車のわきへかなければならん。きっとおおぜい回りへたかって来るだろうから、品物をかすめられてはならない。おまえたち二人だけで行って、友だちのボブさんと一かせぎやって来るがいい。たぶんおまえのほうは夜おそくまですむまいと思うから、そのときは『大がしの宿屋やどや』で待ち合わせることにしよう。あしたはまた先へたって行くのだから」
 わたしたちはそのまえのばん『大がしの宿屋』で夜を明かした。それは一マイル(約一・六キロ)はなれたさびしい街道かいどうにあった。その店はなにか気のゆるせない顔つきをした夫婦ふうふがやっていた。その店を見つけるのはごくわけのないことであった。それはまっすぐな道であった。ただいやなことは、一日つかれたあとで、かなりな道のりを歩いて行かなければならないことであった。でも父親がこう言えば、わたしは服従ふくじゅうしなければならなかった。それでわたしは宿屋やどやで会うことをやくそくした。
 そのあくる日、カピを馬車にわえつけて番犬において、わたしはマチアと競馬場けいばじょうへ急いで行った。
 わたしたちは行くとさっそく、音楽を始めて、夜までつづけた。わたしの指は何千というはりでさされたように、ちくちくいたんだし、かわいそうなマチアはあんまりいつまでもコルネをふいて、ほとんど息が出なくなった。
 もう夜中をぎていた。いよいよおしまいの一番をやるときに、かれらが演芸えんげいに使っていた大きな鉄のぼうがマチアの足に落ちた。わたしはかれのほねがくじけたかと思ったが、運よくそれはひどくぶっただけであった。骨はすこしもくじけなかったが、やはり歩くことはできなかった。
 そこでかれはそのばんボブといっしょにとまることになった。わたしはあくる日ドリスコルの一家の行く先を知らなければならないので、一人「大がしの宿屋やどや」へ行くことにした。その宿屋へわたしが着いたときは、まっくらであった。馬車があるかと思って見回したが、どこにもそれらしいものは見えなかった。二つ三つあわれな荷車のほかに、目にはいったものは大きなおりだけで、そのそばへると野獣やじゅうのほえ声がした。ドリスコル一家の財産ざいさんであるあのごてごてと美しくぬりたてた馬車はなかった。わたしは宿屋やどやのドアをたたいた。亭主ていしゅはドアを開けて、ランプの明かりをまともにわたしの顔にさし向けた。かれはわたしを見覚みおぼえていたが、中へ入れてはくれないで、両親はもうルイスへ向けて立ったから、急いであとを追っかけろと言って、もうすこしでもぐずぐずしてはいられないとせきたてた。それでぴしゃりとドアを立てきってしまった。
 わたしはイギリスに来てから、かなりうまくイギリス語を使うことをおぼえた。わたしはかれの言ったことが、はっきりわかったが、ぜんたいそのルイスがどこらに当たるのか、まるっきり知らなかった。よしその方角を教わったにしても、わたしは行くことはできなかった。マチアをいて行くことはできなかった。
 わたしはいたい足をいやいや引きずって競馬場けいばじょうに帰りかけた。やっと苦しい一時間ののち、わたしはボブの車の中でマチアとならんでねむっていた。
 あくる朝ボブはルイスへ行く道を教えてくれたので、わたしは出発する用意をしていた。わたしはかれが朝飯あさはんのお湯をわかすところを見ながら、ふと目を火からはなして外をながめると、カピが一人の巡査じゅんさられて、こちらへやって来るのであった。どうしたということであろう。
 カピがわたしを見つけたしゅんかん、かれはひもをぐいと引っ張った。そして巡査の手からのがれてわたしのほうへとんで来て、うでの中にだきついた。
「これはおまえの犬か」と巡査じゅんさがたずねた。
「そうです」
「ではいっしょに来い。おまえを拘引こういんする」
 かれはこう言って、わたしのえりをつかんだ。
「この子を拘引するって、どういうわけです」とボブが火のそばからとんで来てさけんだ。
「これはおまえの兄弟か」
「いいえ、友だちです」
「そうか。ゆうべ、おとなと子どもが二人、セント・ジョージ寺へどろぼうにはいった。かれらははしごをかけて、まどからはいった。この犬がそこにいて番をしていた。ところが犯行はんこう中おどろかされて、あわてて窓からにげ出したが、犬を寺へいて行った。この犬を手がかりにして、どろぼうはたしかに見つかると思っていた。ここに一人いた。今度はそのおやじだが、そいつはどこにいる」
 わたしはひと言も言うことができなかった。この話を聞いていたマチアは、車の中から出て来て、びっこをひきひきわたしのそばにった。ボブは巡査じゅんさに、この子が罪人ざいにんであるはずがない、なぜならゆうべ一時までいっしょにいたし、それから「大がしの宿屋やどや」へ行って、そこの主人と話をして、すぐここへ帰って来たのだからと言った。
「寺へはいったのは一時十五分ぎだった」と巡査じゅんさが言った。「するとこの子がここを出たのは一時だから、それから仲間なかまに会って、寺へ行ったにちがいない」
「ここから町までは十五分以上いじょうかかります」とボブが言った。
「なに、かければ行けるさ」と巡査が答えた。「それに、こいつが一時にここを出たというたしかな証拠しょうこがあるか」
「わたしが証人しょうにんです。わたしはちかいます」とボブがさけんだ。
 巡査じゅんさかたをそびやかした。
「まあ子どもが判事はんじの前へ出て、自分で陳述ちんじゅつするがいい」とかれは言った。
 わたしが引かれて行くときに、マチアはわたしの首にうでをかけた。それはあたかも、わたしをだこうとしたもののようであったが、マチアにはほかの考えがあった。
「しっかりしたまえ」とかれはささやいた。「ぼくたちはきみを見捨みすてはしないよ」
「カピを見てやってくれたまえ」とわたしはフランス語で言った。けれど巡査じゅんさはことばを知っていた。
「おお、どうして」とかれは言った。「この犬はわしがあずかる。この犬のおかげできさまを見つけたのだ。もう一人もこれで見つかるかもしれない」
 巡査じゅんさ手錠てじょうをかわれて、わたしはおおぜいの目の前を通って行かなければならなかった。けれどこの人たちはわたしがまえにつかまったときの、フランスの百姓ひゃくしょうのように、はずかしめたりののしったりはしなかった。この人たちはたいてい巡査に敵意てきいを持っていた。かれらはジプシー族や浮浪者ふろうしゃであった。どれも宿やどなしの浮浪人であった。
 今度拘引こういんされた留置場りゅうちじょうにはねぎがころがしてはなかった。これこそほんとうの牢屋ろうやで、まどには鉄のぼうがはめてあって、それを見ただけで、もうどうでもにげ出したいという気を起こさせた。部屋へやにはたった一つのこしかけと、ハンモックがあるだけであった。わたしはこしかけにぐったりたおれて、頭を両手にうずめたまま、長いあいだじっとしていた。マチアとボブは、よし、ほかの仲間なかま加勢かせいをたのんでも、とてもここからわたしをすくい出すことはできそうもなかった。わたしは立ち上がってまどの所へ行った。鉄の格子こうしはがんじょうで、目が細かかった。かべは三じゃく(約一メートル)もあつみがあった。下のゆかは大きな石がしきつめてあった。ドアは厚い鉄板をかぶせてあった。どうしてにげるどころではなかった。
 わたしはカピがお寺にいたという事実に対して、自分の無罪むざい証拠しょうこだてることができるであろうか。マチアとボブとは、わたしが現場げんじょうにいなかったという証人しょうにんになって、わたしを助けることができようか。かれらがこれを証明しょうめいすることさえできたら、あのあわれな犬が、わたしのためにつごう悪く提供ていきょうした無言むごんの証明があるにかかわらず、放免ほうめんになるかもしれない。看守かんしゅが食べ物を持って来たとき、わたしは判事はんじの前へ出るのは、手間がとれようかと聞いた。わたしはそのときまで、イギリスでは、拘引こういんされたあくる日、裁判所さいばんしょばれるということを知らなかった。親切な人間らしい看守は、きっとそれはあしただろうと言った。
 わたしは囚人しゅうじんれの食べ物の中に、よく友だちからの内証ないしょうのことづけを見つけるという話を聞いていた。わたしは食べ物に手がつかなかったが、ふと思いついて、パンをり始めた。わたしは中になにも見つけなかった。パンといっしょについていたじゃがいもをもこなごなにくずしてみたが、ごくちっぽけな紙きれをも見つけなかった。
 わたしはそのばんねむられなかった。つぎの朝看守かんしゅは水のはいったかめと金だらいを持って、わたしの部屋へやにはいって来た。かれは顔をあらいたければ洗えと言って、これから判事はんじの前へ出るのだから、身なりをきれいにすることはそんにはならないと言った。しばらくしてまた看守かんしゅはやって来て、あとについて来いと言った。わたしたちはいくつかろうかを通って、小さなドアの前へ来ると、かれはそのドアを開けた。
「おはいり」とかれは言った。
 わたしのはいった部屋へやはたいへんせま苦しかった。おおぜいのわやわやいうつぶやきをも聞いた。わたしのこめかみはぴくぴく波を打って、ほとんど立っていることができないくらいであったが、そこらの様子を見ることはできた。
 部屋は大きなまどと、高い天井てんじょうがあって、りっぱなかまえであった。判事はんじは高い台の上にこしをかけていた。その前のすぐ下には、ほかの三人の裁判官さいばんかんがこしをかけていた。そのそばにわたしは法服ほうふくを着て、かつらをかぶった紳士しんしといっしょにならんだ。これがわたしの弁護士べんごしであることを知って、わたしはおどろいた。どうして弁護士ができたろう。どこからこの人はやって来たのだろう。
 証人しょうにんせきには、ボブと二人の仲間なかま、「大がしの宿屋やどや」の亭主ていしゅ、それからわたしの知らない二、三人の人がいた。それからこうがわには五、六人の人の中に、わたしを拘引こういんした巡査じゅんさを見つけた。検事けんじは二言三言で、罪状ざいじょう陳述ちんじゅつした。セント・ジョージ寺で窃盗事件せっとうじけんがあった。どろぼうはおとなと子どもで、はしごを登ってはいるために、まどをこわした。かれらは外へばんの犬をいた。一時十五分ぎにおそい通行人が寺の明かりを見つけて、すぐに寺男を起こした、五、六人、人が寺へかけつけると、犬ははげしくほえて、どろぼうは犬をあとにのこしたまま、まどからにげた。犬のちえはおどろくべきものであった。つぎの朝その犬を巡査じゅんさ競馬場けいばじょうれて行った。そこでかれはすぐと主人を認識にんしきした。それはすなわちげん囚人席しゅうじんせきにいる子どもにほかならなかった。なお一人の共犯者きょうかんしゃに対しては、追跡ついせき中であるからほどなく捕縛ほばく手続てつづきをするはずである。
 わたしのために言われたことはいたってわずかであった。わたしの友人たちはわたしが現場げんじょうがいなかったという証言しょうげんをしたけれども、検事けんじは、いや、寺へ行って共犯者きょうはんしゃに出会って、それから「大がしの宿屋やどや」へかけて行く時間はじゅうぶんあったと言った。わたしはそれからどうして犬が一時十五分ごろ寺にいたか、その理由をべろと言われた。わたしは犬はまる一日自分のそばにいなかったのだから、それをなんとも言うことはできないし、わたしはなにも知らないと申し立てた。
 わたしの弁護士べんごしは、犬がその日のうちに寺にまよいこんで、寺男が戸をめたとき、中へ閉めこまれたものであるということを証拠しょうこてようとつとめた。かれはわたしのためにできるだけのことをしてくれたが、その弁護は力が弱かった。
 そのとき判事はんじはしばらくわたしを郡立刑務所ぐんりつけいむしょへ送っておいて、いずれ巡回裁判じゅんかいさいばんの回って来るまで待つことにしようと言いわたした。
 巡回裁判。わたしはこしかけにたおれた。おお、なぜわたしはマチアの言うことを聞かなかったのであろう。


     ボブ

 判事はんじが子どもをれて寺へはいったどろぼうの捕縛ほばくを待つために、わたしはとうとう放免ほうめんされなかった。かれらはそのときになって、わたしがその男の共犯者きょうはんしゃであるかどうかはじめて決めようと言うのである。
 かれらはただいま追跡ついせき中であると検事けんじが言った。そうすると、わたしはその男とならんで、囚人席しゅうじんせきに入れられて、巡回裁判官じゅんかいさいばんかんの前に出る恥辱ちじょく苦痛くつうをしのばなければならないのであろう。
 そのばん日のくれかかるまえ、わたしははっきりとコルネの音を聞いた。マチアが来ているのだ。なつかしいマチアよ。かれはじきそばに来て、わたしのことを思っていることを知らそうとしたのであった。かれはまさしくまどの外の往来おうらいにいるのであった。わたしは足音とおおぜいのぶつぶつ言う声を聞いた。マチアとボブが、きっと演芸えんげいを始めているのであった。
 ふとわたしはよくとおる声で、「あした夜明けに」とフランス語で言う声を聞いた。わたしはそれがなんのことだかたしかにはわからなかった。とにかくあしたの夜明けにはしっかり気をっていなければならなかった。
 暗くなるとさっそくわたしはハンモックにはいった。たいへんつかれてはいたけれど、ねこむにはなかなか手間がとれた。そのうちやっとぐっすりねこんだ。目がめるともう夜中であった。星は暗い空にかがやいて、沈黙ちんもくがすべてを支配しはいしていた。時計は三時を打った。わたしはこれで一時間、これで十五分と勘定かんじょうしていた。かべによりかかりながら、じっと目をまどに向けて、星が一つ一つ消えてゆくのをながめた。遠方にはとりがときを作る声が聞こえた。もう明け方であった。
 わたしはごくしずかにまどを開けた。なにがそこにあったか。相変あいかわらず鉄の格子こうしと、高いかべが前にあった。わたしは出ることができない。けれどばかげた考えではあっても、わたしは自由になることを待ちもうけていた。
 朝の風が耳がちぎれるように寒かったけれど、わたしはまどのそばに立ち止まって、なにを見るということなしに見て、なにを聞くということなしに耳を立てた。
 大きな白い雲が空にうかんだ。夜明けであった。わたしの心臓しんぞうははげしく鼓動こどうした。
 するとかべをがりがり引っかく音が聞こえた。でも足音をすこしも聞かなかった。わたしは耳をすませた。引っかく音がつづいた。ぬっと人の頭がかべの上にあらわれた。うす暗い光の中にわたしはボブを見つけた。
 かれは鉄格子てつごうしに顔をおしつけて、わたしを見た。
しずかに」とかれはそっと言った。
 かれはわたしにまどからどけという合図をした。ふしぎに思いながら、わたしは服従ふくじゅうした。かれは豆鉄砲まめでっぽうを口に当ててふいた。かわいらしい鉄砲玉てっぽうたまが空をまって、わたしの足もとに落ちた。ボブの頭が消えた。
 わたしは弾丸だんがんをわしづかみにつかんだ。それはうすい紙をまめのように小さい玉に丸めたものであった。明かりがあんまり暗いので、なにが書いてあるか見えなかった。夜の明けるまで待たなければならなかった。わたしはそっとまどめて、小さな紙玉を手に持ったまま、またハンモックにころがった。光の来ることのどんなにおそいことぞ。やっとわたしはその紙に書いてある文字を読むことができた。それにはこうあった。
「あしたきみは汽車に乗せられて、郡立刑務所ぐんりつけいむしょへ送られるはずだ。巡査じゅんさが一人ついて行くことになっている。きみは汽車の戸口に近い所にいたまえ。よく勘定かんじょうしていたまえ、四十五分目に汽車は連結点れんけつてんの近くで速力そくりょくをゆるめる。そのときドアを開けてとびだしたまえ。左手の小山を登れば、われわれはそこに待っている。しつかりやれ。なによりもうまく前へとんで、足を下に着くことだ」
 助かった。わたしは巡回裁判じゅんかいさいばんの前に出ないですむ。ありがたい、マチア。それから、ボブ。マチアに加勢かせいしてくれるボブはずいぶんいい人だ。かわいそうにマチア一人では、とてもこれだけできやしない。
 わたしは書きつけを二度読み直した。汽車が出てから四十五分……左手の小山……汽車からとび下りるのはけんのんな仕事だ。でもそれをやりそこなって死んでも、したほうがいい。どろぼうの宣告せんこくを受けて死ぬよりましだ。
 わたしはまたもう一度書きつけを読んでから、それをくちゃくちゃにかんでしまった。
 そのあくる日の午後、巡査じゅんさ監房かんぼうにはいって来て、すぐついて来いと言った。かれは五十以上いじょうの男であった。わたしはかれがたいしてはしっこそうでないのを見て、まずよしと思った。
 事件じけんはボブが言ったように進んで行った。汽車は走り出した。わたしは汽車の戸口にせきをしめた。巡査はわたしの前にこしをかけた。車室の中はわたしたちだけであった。
「おまえはイギリス語がわかるか」と巡査じゅんさはたずねた。
「あまり早く言われなければわかります」とわたしは答えた。
「そうか。よし。それでは少しおまえに相談そうだんがある」とかれは言った。「法律ほうりつをあなどらないようにしろ。まあどういうしだいの事件じけんだか、話してごらん。おまえに五シルリングやる。ろうの中で金を持っていればよけい気楽だ」
 わたしはなにも白状はくじょうすることがないと言おうとしたが、そう言うと巡査じゅんさをおこらせるだろうと思って、なにも言わなかった。
「まあ、よく考えてごらん」とかれはつづけた。「で、刑務所けいむしょへ行っても、向こうで、いちばん先に来た者に言わないで、わたしの所へそう言っておこし。おまえのことを心配している人間のあることは、つごうのいいことだし、わたしはよろこんでおまえの加勢かせいをしてやる」
 わたしはうなずいた。
「ドルフィンさんと言ってお聞き。おまえ、名前をおぼえたろうなあ」
「ええ」
 わたしはドアによりかかっていた。まどはあいていて、風がふきこんだ。巡査じゅんさはあまり風がはいると言って、こしかけのまん中へせきうつした。わたしの左の手がそっと外へ回ってハンドルを回した。右の手でわたしはドアをつかんだ。数分間たった。汽笛が鳴って速力そくりょくがゆるんだ。
 いよいよだいじなしゅんかんが来た。わたしは急いてドアをおし開けて、できるだけ遠くへとんだ。運よく前へ出していたわたしの手が草にさわった。でも震動しんどうはずいぶんひどかったから、わたしは人事不省じんじふせいで地べたにころがった。わたしが正気に返ったとき、わたしはまだ汽車の中にいると思った。わたしはまだ運ばれているように感じたのであった。そこらを見回して、わたしは馬車の中に転がっていることを知った。きみょうだ。わたしのほおはしめっていた。やわらかなあたたかいしたが、わたしをなめていた。少しふり向くと、一ぴきの黄色い、みっともない犬がわたしの顔をのぞきこんでいた。マチアがわたしのそばにひざをついていた。
「きみは助かったよ」とかれは言って、犬をおしのけた。
「ぼくはどこにいるんだ」
「きみは馬車の中だよ。ボブが御者ぎょしゃをしている」
「どうだな」とボブが御者台から声をかけた。「手足が動かせるか」
 わたしは手足をのばして、かれの言うとおりにした。
「よし」とマチアは言った。「どこもくじきやしない」
「どうしたんだ」
「きみはぼくらの言ったとおりに、汽車からとび下りた。だが震動しんどうで目が回って、みぞの中にころがりこんだ。きみがいつまでも来ないから、ボブが馬車を下りて、小山をかけ下りて、きみをうでにひっかかえて帰って来た。ぼくらはきみが死んだと思ったよ。まったく心配したよ」
 わたしはかれの手をさすった。
「それから巡査じゅんさは」とわたしは聞いた。
「汽車はあのまま進んだ。止まらなかった」
 わたしの目はまた、そばでわたしをながめている、みにくい黄色い犬の上に落ちた。
 それはカピにていた。でもカピは白かった。
「なんだね、この犬は」とわたしはたずねた。
 マチアが答える間もないうちに、そのみっともない小さな動物はわたしの上にとびかかった。はげしくなめ回して、くんくん鳴いていた。
「カピだよ。絵の具でめたのだよ」とマチアがわらいながらさけんだ。
「染めた、どうして」
「だって見つからないようにさ」
 ボブとマチアが馬車の中にうまくわたしをかくすようにくふうしてくれているあいだに、わたしは、いったいこれからどこへ行くのだとたずねた。
「リツル・ハンプトンへ」とマチアが言った。「そこへ行けば、ボブのにいさんが船を持っていて、ノルマンデーからバターとたまごを運んで、フランスの海岸を回っているのだ。ぼくらはなにからなにまでボブの世話になった。ぼくのようなちっぽけな者が、一人でなにができよう。汽車からとび下りるくふうもボブが考えたのだ」
「それからカピは。カピをうまく取り返したのはだれだ」
「ぼくだよ。だが、ぼくらが犬を交番から取りもどしたあとで、見つからないように黄色く絵の具をぬったのはボブだった。判事はんじはあの巡査じゅんさを気がいていると言った。だがカピをれて行かれるのは、あんまり気が利いたと言えない。もっともカピはぼくのにおいをかぎつけて、ほとんど一人で出て来た。ボブは犬どろぼうのじゅつを知っているのだ」
「それからきみの足は」
「よくなったよ。たいていよくなったよ。じつはぼくは足のことを考えているひまがなかった」
 夜になりかかっていた。わたしたちはまだ長い道を行かなければならなかった。
「きみはこわいか」とわたしがだまってころがっていると、マチアがたずねた。
「いや、こわくはない」とわたしは答えた。「だってぼくはつかまるとは思わないから。でもにげ出すということがつみになりやしないかと思うのだ。それが気になるのだ」
「ボブもぼくも、きみを巡回裁判じゅんかいさいばんに出すぐらいなら、なにをしてもいいと思ったからな」
 あれから、汽車が止まったところで、巡査じゅんさがさっそく捜索そうさくにかかることはたしかなので、わたしたちはいっしょうけんめい馬を走らせた。わたしたちの通って行く村は、ひじょうにしずかであった。明かりがただ二つ三つまどに見えた。マチアとわたしは毛布もうふの下にもぐった。しばらくのあいだ寒い風がふいていた。くちびるにしたを当てると、しおからい味がした。ああ、わたしたちは海に近づいていた。
 まもなくわたしたちは、ときどき明かりのちらちらするのを見つけた。それが燈台とうだいであった。ふとボブは馬を止めて、馬車からとび下りながら、わたしたちに待っていろと言った。かれは兄弟の所へ行って、わたしたちをその船に乗せて、安全に向こう岸までわたれるか、様子を聞きに行ったのであった。
 ボブはひじょうに遠くへ行ったらしかった。わたしは口をきかなかった。すぐ間近の岸に、波のくだける音が聞こえた。マチアはふるえていた。わたしもふるえていた。
「寒いね」とかれはささやいた。わたしたちをふるえさせるのは寒さのためだけであったろうか。
 やがて往来おうらいに足音がした。ボブは帰って来た。わたしの運命が決められた。胴服どうふくを着て油じみたぼうしをかぶったぶこつな顔つきの船乗りが、ボブといっしょに来た。
「これがぼくの兄貴あにきだ」とボブが言った。「きみたちを船に乗せて行ってくれるはずだ。そこでぼくはここでおわかれとしよう。だれもぼくがきみをここへれて来たことを知るはずがないよ」
 わたしはボブに礼を言おうとしたが、かれは手短に打ち切った。わたしはかれの手をにぎった。
「それは言いっこなしだ」とかれは軽く言った。「きみたち二人は、このあいだのばんぼくを助けてくれた。いいことをすればいいむくいがあるさ。それでぼくもマチアの友だちを助けてあげることができたのだから、自分でもゆかいだ」
 わたしたちはボブの兄弟のあとについて、いくつかれ曲がったしずかな通りを通って、波止場はとばに着いた。かれはひと言も口をきくことなしに、一そうの小さい帆船はんせんを指さした。二、三分でわたしたちは甲板かんぱんの上にいた。かれはわたしたちに下の小さな船室にはいれと言った。
「二時間すれば船を出す」とかれは言った。「そこにはいって、音のしないようにしておいで」
 でもわたしたちはもうふるえてはいなかった。わたしたちはまっ暗な中でかたをならべてすわっていた。


     白鳥号

 ボブの兄弟が立ち去ったあと、しばらくのあいだわたしたちは、ただ風の音と、キールにぶつかる波の音を聞くだけであった。やがて足音が上の甲板かんぱんに聞こえて、滑車かっしゃが回りだした。が上げられて、やがて急に一方にかしいだ。動き始めたと思うまもなく、船はあらい海の上へぐんぐんすべり出した。
「マチア、気のどくだね」とわたしはかれの手を取った。
「かまわないよ。助かったのだから」とかれは言った。「船にったってなんだ」
 そのあくる日、わたしは船室と甲板かんぱんの間に時間をごした。マチアは一人うっちゃっておいてもらいたがった。とうとう船長が、あれがバルフルールだと指さしてくれたとき、わたしは急いで船室に下りて、かれにいい知らせをつたえようとした。
 もう、バルフルールに着いたときは、夕方おそくなっていたので、ボブの兄弟はわたしたちによければ今夜一晩ひとばん船の中でねて行ってもいいと言った。
「おまえさんがまたイギリスへ帰りたいと思うときには」とそのあくる朝、わたしたちがさようならを言って、かれの骨折ほねおりを感謝かんしゃすると、こう言った。「エクリップス号は毎火曜日ここから出帆しゅっぱんするのだから、おぼえておいで」
 これはうれしい好意こういであったが、マチアにもわたしにも、てんでん、この海を二度とわたりたくない……ともかくも、ここしばらくはわたりたくないわけがあった。
 運よくわたしたちのかくしには、ボブの興行こうぎょう手伝てつだってもうけたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。マチアはボブに二十七フランを、わたしたちの逃亡とうぼうのためにほねってくれた礼にやりたいと思ったが、かれは一スーの金も受け取らなかった。
「さてどちらへ出かけよう」わたしはフランスへ上陸じょうりくするとこう言った。
運河うんがについて行くさ」とマチアはすぐに答えた。「ぼくは考えがあるのだ。ぼくはきっと白鳥号がこの夏は運河に出ていると思うよ。アーサが悪いのだからね。ぼくはきっと見つかるはずだと思うよ」とかれは言い足した。
「でもリーズやほかの人たちは」とわたしは言った。
「ぼくたちはミリガン夫人ふじんさがしながら、あの人たちにも会える。運河うんがをのぼって行きながらとちゅう止まってリーズをたずねることができる」
 わたしたちは持って来た地図で、いちばん近い川をさがすと、それはセーヌ川であることがわかった。
「ぼくたちはセーヌ川をのぼって行って、とちゅう岸で会う船頭にかたっぱしから白鳥号を見たかたずねようじやないか。きみの話では、その船はだいぶなみの船とはちがうようだから、見ればおぼえているだろうよ」
 これからおそらくつづくかもしれない長い旅路たびじにたつまえに、わたしはカピのからだをあらってやるため、やわらかい石けんを買った。わたしにとっては、黄色いカピは、カピではなかった。わたしたちは代わりばんこにカピをつかまえては、かれがいやになるまでよく洗ってやった。でもボブの絵の具は上等な絵の具で、洗ってやってもやはり黄色かった。だがいくらか青みをもってはきた。それでかれをもとの色に返すまでには、ずいぶんたびたびせっけんよくをやった。幸いノルマンデーは小川の多い地方であったから、毎日わたしたちは根気よく行水をつかってやった。
 わたしたちはある朝小山の上に着いた。わたしたちの前途ぜんとに当たって、セーヌ川が大きな曲線を作って流れているのを見た。それから進んで行って、わたしたちは会う人ごとにたずね始めた。あのろうかのついた美しい船の白鳥号を見たことはないか――だれもそれを見た者はなかった。きっと夜のうちに通ってしまったのかもしれなかった。わたしたちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい結果けっかられなかった。でもわたしたちは失望しつぼうしないで、一人ひとりたずねながらずんずん進んだ。
 行く道みち食べ物を買う金を取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの郊外こうがいへ着くまでは五日間かかった。
 幸いシャラントンに着くと、まもなくどの方角に向かっていいか見当がついた。さっそくれいのだいじな質問しつもんを出すと、はじめてわたしたちは待ちもうけていた返答を受け取った。白鳥号にた大きな遊山船ゆさんぶねが、この道を通ったが、左のほうへ曲がって、セーヌ川をずんずん上って行った、というのであった。
 わたしたちは岸の近くに下りてみた。マチアは船頭たちの中で舞踏曲ぶとうきょくをやることになったので、たいへんはしゃぎきっていた。とつぜんダンスをやめて、ヴァイオリンを持って、マチアは気ちがいのように凱旋がいせんマーチをひいた。かれがひいているまに、わたしはその船を見たという男によくたずねた。うたがいもなくそれは白鳥号であった。なんでもそれはふた月ほどまえ、シャラントンを通って行った。
 ふた月か。なんという遠い話であろう。だがなにをちゅうちょすることがあろう。わたしたちにも足がある。向こうも二ひきのいい馬の足がある。でもいつか追い着くであろう。ひまのかかるのはかまったことではない。なによりだいじな、しかもふしぎなことは、白鳥号がとうとう見つかったということであった。
「ねえ、まちがってはいなかった」とマチアがさけんだ。
 わたしに勇気ゆうきがあれば、マチアに向かって、わたしがひじょうに大きな希望きぼうを持っていることを打ち明けたかもしれない。けれどわたしは自分の心を自分自身にすら細かく解剖かいぼうすることができなかった。わたしたちはもういちいち立ち止まって人に聞く必要ひつようはなかった。白鳥号がわたしたちの先に立って進んで行く。わたしたちはただセーヌ川について行けばいいのだ。わたしたちは道みちリーズのいる近所を通りかけていた。わたしはかの女がその家のそばの岸を船の通るとき、見ていなかったろうかとうたがった。
 夜になっても、わたしたちはけっしてつかれたとは言わなかった。そしてあくる朝は早くから出かける仕度をしていた。
「ぼくを起こしてくれたまえ」とねむることのきなマチアは言った。
 それでわたしが起こすと、かれはすぐにとび起きた。
 倹約けんやくするためにわたしたちは荒物屋あらものやで買ったゆでたまごと、パンを食べた。でもマチアはうまいものはたいへんこのんでいた。
「どうかミリガン夫人ふじんが、そのタルトをうまくこしらえる料理番りょうりばんをまだ使っているといいなあ」とかれは言った。「あんずのタルトはきっとおいしいにちがいない」
「きみはそれを食べたことがあるかい」
「ぼくはりんごのタルトを食べたことはあるが、あんずのタルトは知らない。見たことはあるよ。あの黄色いジャムの上にいっぱいくっついている、白い小さなものはなんだね」
「はたんきょうさ」
「へええ」こう言ってマチアはまるでタルトを一口にうのみにしたように口を開いた。
 水門にかかって、わたしたちは白鳥号の便たよりを聞いた。だれもあの美しい小舟こぶねを見たし、あの親切なイギリスの婦人ふじんと、甲板かんぱんの上のソファにねむっている子どものことを話していた。
 わたしたちはリーズの家の近くに来た。もう二日、それから一日、それからあとたった二、三時間というふうに近くなってきた。やがてその家が見えてきた。わたしたちはもう歩いてはいられない。かけ出した。どこへわたしたちが行くかわかっているらしいカピは、先に立っていきおいよく走った。かれはわたしたちの来たことをリーズに知らせようとしたのであった。かの女はわたしたちをむかえに来るだろう。
 けれどもわたしたちがその家に着いたとき、戸口には知らない女の人が一人立っているだけであった。
「シュリオのおかみさんはどうしました」とわたしはたずねた。
 しばらくのあいだかの女は、ばかなことを聞くよ、と言わないばかりに、わたしたちの顔をながめた。
「あの人はもうここにはいませんよ」とやっとかの女は言った。「エジプトに行っていますよ」
「なにエジプトへ」
 マチアとわたしはあきれて顔を見合わせた。わたしたちはほんとうにエジプトのある位置いちをよくは知らなかったが、それはぼんやりごくごく遠い海をこえて向こうのほうだと思っていた。
「それからリーズはどうしたでしょう。知っていますか」
「ああ、小さなおしのむすめだね。そう、あの子は知っているよ。あの子はイギリスのおくさんと船に乗って行きましたよ」
「へえ、リーズが白鳥号に」
 ゆめを見ているのではないか。マチアとわたしはまた顔を見合った。
「おまえさん、ルミさんかい」とそのとき女はたずねた。
「ええ」
「まあ、シュリオさんは、水で死にましたよ……」
「ええ、水で死んだ」
「そう、あの人は水門に落ちて、くぎにひっかかって死んだのだ。それから気のどくなおかみさんはどうしていいかわからずにいた。するとあの人がせんにおよめに来るまえに奉公ほうこうしていたおくさんが、エジプトへ行くというので、そのおくさんにたのんで子どもの乳母うばにしてもらった。そうなるとリーズはどうしていいかわからずにこまっていたところへ、イギリスのおくさんと病身の子どもが船に乗って運河うんがを下りて来た。そのおくさんと話をしているうち、おくさんはいつもひとりぼっちでたいくつしているむすこさんのあそ相手あいてさがしているところなので、リーズをもらって行って、教育してみようと言ったのさ。おくさんの言うのには、この子を医者にみせたら、おしがなおっていつか口がきけるようになろうということだからと言った。それでいよいよたって行くときに、リーズがおばさんに、もしおまえさんがここへたずねて来たら、こうこう言ってくれということづけをたのんで行ったそうだ。それだけですよ」
 わたしはなんと言おうか、ことばの出ないほどおどろいた。でもマチアはわたしのようにぼんやりはしなかった。
「そのイギリスのおくさんはどこへ行ったでしょう」
「スイスへね。リーズはわたしの所に向けて、おまえさんにあげるあて名を書いてこすはずだったが、まだ手紙は受け取らないよ」


     生きた証拠しょうこ

「さあ、進め、子どもたち」婦人ふじんに礼を言ってしまうと、マチアがこうさけんだ。
「こうなるとぼくたちがあとを追うのは、アーサとミリガン夫人ふじんだけではなく、リーズまでいっしょなのだ。なんという幸せだ。どういう回り合わせになるか、わかったものではないなあ」
 わたしたちはそれからまた白鳥号探索たんさくの旅をつづけた。ただ夜とまって、ときどきすこしの金を取るだけに足を止めた。
「スイスからはイタリアへ出るのだ」とマチアが感情かんじょうをこめて言った。「もしミリガン夫人ふじんを追いかけて行くうちに、ルッカまで出たら、ぼくの小さいクリスチーナがどんなにうれしがるだろうな」
 気のどくなマチア、かれはわたしのために、わたしのあいする人たちをさがすことにほねっている。しかもわたしはかれを小さな妹に会わせるためにはすこしも骨を折ってはいないのだ。
 リヨンで、わたしたちは、白鳥号の便たよりを聞いた。それはほんの六週間わたしたちよりまえにそこを通ったのであった。それではいよいよスイスまで行かないうちに追い着くかもしれないと思った。そのときはまだ、ローヌ川からジュネーヴの湖水までは船が通らないことを知らなかった。わたしたちはミリガン夫人ふじんがまっすぐに船でスイスへ行ったものと思っていた。
 するとそのつぎの町でふと白鳥号の姿すがたを遠くに見つけたとき、どんなにわたしはびっくりしたであろう。わたしたちは河岸かしについてかけ出した。どうしたということだ。小舟こぶねの上はどこもここもめきってあった。ろうかの上に花もなかった。アーサはどうかしたのかしらん。わたしたちはおたがいに同じようなしずみきった顔を見合わせながら立ち止まった。
 するとそのとき船をあずかっていた男がわたしたちに、イギリスのおくさんは病人の子どもと、おしの小むすめをれてスイスへ出かけたと言った。かれらは一人女中を連れて、馬車に乗って行った。あとの家来は荷物をはこびながら、つづいて行った。
 これだけ聞いて、わたしたちはまた息が出た。
「それでおくさんはどちらに行かれたのでしょう」とマチアがたずねた。
「おくさんはヴヴェーに別荘べっそうを持っておいでだ。だがどのへんだかわからない。なんでも夏はそこへ行ってくらすことになっているのだ」
 わたしたちはヴヴェーに向かって出発した。もう向こうはずんずん歩いて行く旅ではない、足を止めているのだから、ヴヴェーへ行ってさがせば、きっとわかる。
 こうしてわたしたちがヴヴェーに着いたときには、かくしに三スーの金と、かかとをすり切った長ぐつだけがのこった。でもヴヴェーは思ったように小さな村ではなかった。それはかなりな町で、ミリガン夫人ふじんはとか、病人の子どもとおしのむすめをれたイギリスのおくさんはとか言ってたずねたところで、いっこうばかげていることがわかった。ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの遊山場ゆさんばによくていた。いちばんいいしかたは、あの人たちが住んでいそうな家を一けん一けんさがして歩くことである。そしてそれはたいしてむずかしいことではないであろう。わたしたちはただ町まちで音楽をやって歩けばいいのだ。
 それで毎日こんよくほうぼうへ出かけて、演芸えんげいをやって歩いた。けれどまだミリガン夫人ふじんの手がかりはなかった。
 わたしたちは湖水から山へ、山から湖水へ、右左を見て、しじゅう往来おうらいの人の顔つきをのぞいたり、ことばを聞いて、返事をしてくれそうな人にたずねて歩いた。ある人はわたしたちを山の中腹ちゅうふくつくりかけた別荘べっそうへ行かせた。また一人は、その人たちは湖水のそばに住んでいると断言だんげんした。なるほど山の別荘に住んでいるのもイギリスのおくさんであった。湖水のそばに家を持っていたのもイギリスのおくさんであったが、わたしたちのたずねるミリガン夫人ふじんではなかった。
 ある日の午後、わたしたちはれいのとおり往来おうらいのまん中で音楽をやっていた。そこに大きな鉄の門のある家があった。母屋おもやそののおくに引っこんでっていた。前には石のかべがあった。わたしはありったけの高い声で歌を歌っていた。例のナポリの小唄こうたの第一せつを歌って第二節にかかろうとしていたとき、か細いきみょうな声で歌う声がした。だれだろう。なんというふしぎな声だろう。
「アーサじゃないかしら」とマチアが聞いた。
「いいや、アーサではない。ぼくはこれまであんな声を聞いたことがなかった」
 けれどそのうちカピがくんくん言い始めた。はげしい歓喜かんき表情ひょうじょうのありったけを見せて、かべに向かってとびかかっていた。
「だれが歌を歌っているのだ」と、わたしはもう自分をおさえることができなくなってさけんだ。
「ルミ」と、そのときそのきみょうなか細い声がさけんだ。いまのわたしのことばに返事をする代わりに、わたしの名前をんだのだ。
 マチアとわたしはかみなりに打たれたようにおたがいに顔を見合わせた。わたしたちがあっけにとられて、てんでんの顔を見合ったまま立っていると、かべの向こうにハンケチが一まいひらひらしているのが見えた。わたしたちはそこへかけ出して行った。わたしたちは、そのこうがわを取りいているかきねのそばまで行ってみて、はじめてハンケチをふっている人を見つけた。
「リーズだ」
 とうとうわたしたちはかの女を見つけた。もう遠くない所にミリガン夫人ふじんも、アーサもいるにちがいなかった。
「でもだれが歌を歌ったのだろう」
 これがマチアもわたしも、やっとことばが出るといきなり持ち出した質問しつもんであった。
「わたしよ」とリーズが答えた。
 リーズが歌っていた。リーズが話しかけていた。
 医者は、いつかリーズがかの女のことばを取り返すだろう、それはたぶんはげしい感動の場合だと言っていたが、わたしはそんなことができるはずがないと思っていた。でも目の前に奇跡きせきは行われた。そしてそれはわたしがかの女の所に来て、いつも歌いれたナポリ小唄こうたを歌うのを聞いて、はげしい感動を起こしたしゅんかんに、かの女がその声を回復かいふくしたことがわかった。わたしはそう思って、深く心を打たれたあまり、両手をばしてからだをまっすぐにした。
「ミリガン夫人ふじんはどこにいるの」とわたしはたずねた。「それからアーサは」
 リーズはくちびるを動かしたが、ほんの聞き取れない音を出しただけで、じれったくなって、いつもの手まねのことばになった。かの女はまだことばをほんとうに出すだけに器用きようしたはたらかなかった。
 かの女はそのときそのを指さした。そこにアーサが病人用のねいすにねているのを見た。そのそばに母の夫人ふじんがいた。そしてもう一つこちらには……ジェイムズ・ミリガンがいた。
 こわくなって、実際じっさい戦慄せんりつして、わたしはかきねの後ろにはいこんだ。リーズはわたしがなぜそんなことをするか、ふしぎに思ったにちがいない。そのときわたしは手まねをして、かの女に向こうへ行かせた。
「おいで、リーズ。それでないとぼくが、災難さいなんに会うから」とわたしは言った。「あした九時にここへおいで。一人でだよ。そのとき話してあげるから」
 かの女はしばらくちゅうちょしたが、やがて園へはいって行った。
「ぼくたちはミリガン夫人ふじんに話をするのをあしたまで待っていてはいけない」とマチアが言った。「こう言ううちもあの悪おじさんがアーサをころしかねない。あの人はまだぼくの顔は知らないのだから、ぼくはすぐにミリガン夫人ふじんに会いに行って話をする」
 マチアの言うところに道理があったので、わたしはかれを出してやった。わたしはしばらくのあいだ、少しはなれた大きなくりの木のかげに待っていることにした。
 わたしは長いあいだマチアを待った。十何度も、わたしはかれを出してやったのが、失敗しっぱいではなかったかとうたがった。
 やっとのことで、わたしはかれがミリガン夫人ふじんれてもどって来るのを見た。わたしはあわてて夫人のほうへかけて行って、わたしにし出された手をつかんで、その上にからだをかがめた。しかしかの女は両うでをわたしのからだに回して、こごみながらやさしくわたしのひたいにキッスした。
「まあ、どうおしだえ」と夫人ふじんはつぶやいた。
 夫人は美しい白い指で、わたしの額髪ひたいがみをなでて、長いあいだわたしの顔を見た。
「そうだそうだ」とかの女はやさしくひとごとをささやいた。
 わたしはあまり幸福で、ひと言もものが言えなかった。
「マチアとわたしは長いあいだお話をしましたよ」とかの女は言った。「でもわたしはあなたがどうしてドリスコルのうちへ行くようになったか、あなたの口から聞きたいと思うのですよ」
 わたしはかの女に問われるままに答えた。そしてかの女は、そのあいだときどき口をはさんで、所どころ要点ようてんたしかめるだけであった。わたしはこれほどの熱心ねっしんをもって話を聞いてもらったことがなかった。かの女の目はすこしもわたしからはなれなかった。
 わたしが話をしてしまったとき、かの女はしばらくだまって、わたしの顔を見つめていた。最後さいごにかの女は言った。
「これはなかなか重大なことだから、よく考えなければならない。けれどいまからあなたはアーサのお友だち……」
 こう言ってかの女はすこしちゅうちょしながら、「兄弟だと思ってください。二時間たったら、ザルプというホテルへ来てください。さしあたりそこに待っていてくれれば、だれか人をこしてそちらへ案内あんないさせますから。ではしばらくごめんなさいよ」
 ふたたび夫人ふじんはわたしにキッスした。そしてマチアと握手あくしゅをして、足早に歩いて行った。
「きみはミリガン夫人ふじんになにを話したのだ」とわたしはマチアに質問しつもんした。
「あの人がいまきみに言っただけのことさ。それからまだいろいろなことをね」とかれは答えた。
「ああ、あの人は親切なおくさんだね。りっぱなおくさんだね」
「アーサにも会ったかい」
「ほんの遠方から。でもりっぱな子どもだということはよくわかった」
 わたしはまだマチアに質問しつもんつづけた。けれどもかれは、何事もぼんやりとしか答えなかった。
 わたしたちは相変あいかわらずぼろぼろの旅仕度であったが、ホテルでは黒の礼服に白のネクタイをした給仕きゅうじ案内あんないをされた。かれはわたしたちを居間いまれて行った。わたしたちの寝部屋ねべやをわたしはどんなに美しいと思ったろう。そこには白い寝台ねだいがならんでいた。まどは湖水を見晴らす露台ろだいに向かって開いていた。給仕は「夕食にはなんでもおこのみのものを」と言った。そうして、よければ露台へ食卓しょくたくを出そうかとも言った。
「タルトがありますか」とマチアがたずねた。
「へえ、大黄だいおうのタルトでも、いちごのタルトでも、すぐりの実のタルトでも」
「よし。ではそのタルトをぜひ出してください」
「三しゅともみんな出しますか」
「むろん」
「それからお食事は。肉はなんにいたしましょう。野菜やさいは……」
 いちいちの口上こうじょうにマチアは目をまるくした。でもかれはいっこう閉口へいこうしたふうを見せなかった。
「なんでもいいように見計らってください」とかれは冷淡れいたんに答えた。
 給仕きゅうじはもったいぶって部屋へやを出て行った。
 そのあくる日ミリガン夫人ふじんは、わたしたちに会いに来た。かの女は洋服屋とシャツ屋をれて来た。わたしたちの服とシャツの寸法すんぽうを計らせた。ミリガン夫人は、リーズがまだ話をしようとつとめていることを話して、医者はもうじきなおると言っていると言った。それから一時間わたしたちの所にいて、またわたしにやさしくキッスし、マチアとかた握手あくしゅをして、出て行った。
 四日つづけてかの女は来た。そのたんびにだんだん優しくも、愛情あいじょうぶかくもなっていったが、やはりいくらかひかえ目にするところがあった。五日目に、わたしが白鳥号でおなじみになった女中が夫人ふじんの代わりに来て、ミリガン夫人ふじんがわたしたちを待ち受けている、もうおむかえの馬車がホテルの門口かどぐちに来ていると言った。マチアはさっそく一頭引きの馬車の上に、むかしから乗りつけている人のように乗りこんだ。カピもいっこうきまり悪そうなふうもなく中へとびこんで、ビロードのしとねの上にゆうゆうと上がりこんだ。
 馬車の道はわずかであった。あまりわずかすぎたと思った。わたしはゆめの中を歩いている人のように、ばかげた考えで頭の中がいっぱいであった。いや、すくなくともわたしの考えたことはばかげていたらしかった。わたしたちは客間に通された。ミリガン夫人ふじんと、アーサと、リーズがそこにいた。アーサは手をべた。わたしはかれのほうへかけ出して行って、それからリーズにキッスした。ミリガン夫人はわたしにキッスした。「やっとのことで」とかの女は言った。「あなたのものであるはずの位置いちに、あなたをくことができるようになりました」
 わたしはこう言われたことばの意味を話してもらおうと思って、かの女の顔を見た。かの女はドアのほうへって、それを開けた。そのときこそほんとうにびっくりするものがあらわれた。バルブレンのおっかあがはいって来た。その手には赤んぼうの着物、同じカシミアの外とう、レースのボンネット、毛糸のくつなどをかかえていた。かの女がこれらの品物をつくえくか置かないうちに、わたしはかの女をだきしめた。わたしがかの女にあまえているあいだに、ミリガン夫人ふじん召使めしつかいに何か言いつけた。そのときほんの、「ジェイムズ・ミリガン」という名を聞いただけであったが、わたしは青くなった。
「あなたはなにもこわがることはないのよ」とミリガン夫人ふじんやさしく言った。「ここへおいで。あなたの手をわたしの手におきなさい」
 ジェイムズ・ミリガンれいの白いとんがった歯をむき出して、にこにこしながらはいって来た。ところがわたしの顔を見ると、微笑びしょうがものすごい渋面じゅうめんになった。ミリガン夫人ふじんはかれにものを言うひまをあたえなかった。
「あなたにおいでをねがいましたのは」と、ミリガン夫人ふじんはやや声をふるわせながら言った。「長男がやっと見つかりましたので、あなたにお引き合わせしたいとぞんじまして」こう言ってかの女はわたしの手をにぎりしめた。
「でもあなたはもうこの子にはお会いくださいましたそうですね。この子をぬすんだ男の家で、この子にお会いになって、からだの具合をお調べになったそうですね」
「それはなんのことです」とジェイムズ・ミリガンが反問した。
「なんでもお寺へ盗賊とうぞくにはいったその男が、のこらず白状はくじょういたしましたそうです。その男はどういうふうにしてわたくしの赤んぼうをぬすみ出して、パリへれて行き、そこへてたか、その一部始終いちぶしじゅうべました。これがわたくしの子どもの着ておりました着物でございます。わたくしの子どもを育ててくれましたのは、この正直なおばあさんでございました。この手続をお読みになりたいとおぼしめしませんか。この着物を調べてごらんになりたいとおぼしめしませんか」
 ジェイムズ・ミリガンはわたしにとびかかって、しめころしてでもやりたいような顔をしたが、やがてくるりとかかとをふり向けた。そしてしきいぎわでかれはふり返って言った。
「いずれ法廷ほうていが、この子どもの作り話をどう聞くか、見てみましょうよ」
 わたしの母、もういまはそうんでもいいが、――母はそのときしずかに答えた。
「あなたが法廷へこの事件じけんをお持ち出しになるのはご随意ずいいです。わたくしはあなたがおっとのご兄弟でいらっしゃるために、わざとそれをさしひかえたのでございます」
 ドアはまった。そのとき、生まれてはじめてわたしは、母を、かの女がわたしにキッスしたようにキッスし返した。
「きみ、お母さんに、ぼくが秘密ひみつをよく守ったことを話してくれたまえ」とマチアがわたしのそばにって来てこう言った。
「ではきみはのこらず知っていたのか」
「わたしはマチアさんにそれをそっくり言わずにいるようにたのんでおいたのです」とわたしの母が言った。「それはあなたがわたしの子だということはわかっていたけれど、わたしもたしかな証拠しょうこをにぎりたかったから、バルブレンのおっかさんに、着物を持ってここまで来てもらったのです。こんなにしたうえで、つまりそれがまちがいだということになったら、どんなにつらい思いをするかしれないからね。わたしたちはこれだけの証拠のあるうえは、もう二度とわかれることはないのよ。あなたはこれからずっとあなたの母さんや弟といっしょにくらすのです」こう言ってマチアとリーズを指さしながら、「それから」と言いそえた。「あなたがまずしかったときおまえのあいしたこの人たちもね」


     家庭で

 いく年か、それはずいぶん長い月日が短くぎた。そのあいだしじゅう楽しい幸福な日がつづいた。わたしはいまでは、わたしの先祖せんぞからのやしきであるイギリスのミリガン・パークに住んでいる。
 うちのない子、よるべのない子、この世の中にてられ、わすれられて、運命のもてあそぶままに西に東にただよって、広い大海のまん中に、目標もくひょうになる燈台とうだいもなく、避難ひなんの港もなかったみなし子が、いまでは自分があいし愛される母親や兄弟があるだけではない、その国で名誉めいよのある先祖せんぞ名跡みょうせきをついで、ばくだいな財産ざいさん相続そうぞくする身の上になったのである。
 夜な夜な、物置ものおきやうまやの中、または青空の下の木のかげにねむったあわれな子どもが、いまは歴史れきし由緒ゆいしょの深い古城こじょうの主人であった。
 わたしが汽車からとび下りて、押送おうそう巡査じゅんさの手からのがれて船に乗った、あの海岸から西へ二十里(約八十キロ)へだたった所に、わたしの美しいしろはあった。
 このミリガン・パークの本邸ほんていに、わたしは母と、弟と、つまと、自分とで、家庭を作っていた。
 半年前からわたしは城内じょうない文庫ぶんこにこもって、わたしの長い少年時代の思い出を、せっせと書きつづっていた。わたしたちはちょうど長男のマチアのために洗礼式せんれいしきを上げようとしている。今夜わたしのやしきには貧窮ひんきゅうであった時代の友だちが集まって、いっしょに洗礼式せんれいしきいわおうとしている、わたしの書きつづった少年時代の思い出は一さつの本にできあがっていた。今夜集まる人たちに一冊ずつ分けるつもりである。
 これだけわたしのむかしの友だちの集まるということが、わたしのつまをおどろかした。かの女はこの一夜に、父親と、あねと、兄と、おばさんに会うはずであった。ただ母と弟にはまだ内証ないしょうにしてあった。もう一人このせきにだいじな人がけていた。それはあの気のどくなヴィタリス親方。
 親方の生きているあいだには、わたしはなにもこの人のためにしてやることができなかった。でもわたしは母にたのんで、この人のために大理石のはかきずかせた。その墓の上にはカルロ・バルザニの半身像はんしんぞうをすえさせた。その半身像の複製ふくせいはこうして書いているわたしの卓上たくじょうにあった。「思い出の記」を書いているも、わたしはたびたび目を上げてこの半身像をながめた。わたしの目はわけなくこの像にひきつけられた。わたしはこの人をけっしてわすれることができない。なつかしいヴィタリス親方を忘れることはできない。
 そう思っているとき、母が弟のうでにもたれかかって出て来た。弟のアーサはもうすっかりおとなになって、からだもじょうぶになって、いまではりっぱに母をだきかかえする人になっていた。母の後ろからすこしはなれて、フランスの百姓ひゃくしょう女のようなふうをした婦人ふじんが、白いむつき(おむつ)につつまれた赤子をだいてついて来た。これこそむかしのバルブレンのおっかあで、だいている子どもは、わたしのむすこのマチアであった。
 アーサがそのとき「タイムズ」新聞を一まい持って来て、ウィーンの通信記事つうしんきじを読めといって見せてくれた。それを見ると、いまは大音楽家になったマチアが、演奏会えんそうかいを一とおりすませたところで、とりわけウィーンでの大成功だいせいこうがかれをせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれないやくそくをたすため、ただちにイギリスに向かって出発のに着いたと書いてあった。わたしはそのうえ新聞記事をくどくどと読む必要ひつようがなかった。いまでこそ世間はかれを、ヴァイオリンのショパンだといってほめそやすが、わたしはとうからかれのめざましい成長発達せいちょうはったつ予期よきしていた。わたしと弟とかれと三人、同じ教師きょうしについて勉強していたじぶん、マチアは、ギリシャ語やラテン語こそいっこう進歩はしなかったが、音楽ではずんずん先生を凌駕りょうが(しのぐ)していた。こうなると、マンデの床屋とこやさん兼業けんぎょうの音楽家エピナッソー先生の予言よげんがなるほどとうなずかれた。
 そのとき、配達夫はいたつふが一通の電報でんぽう配達はいたつして来た。その文言もんごんにはこうあった。
「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに一ぱく。妹クリスチーナを同伴どうはん四時に行く。出むかえの馬車をたのむ。マチア」
 クリスチーナの名が出たので、わたしはアーサの顔を見た。するとかれはきまり悪そうに目をそらせた。アーサがマチアの妹のクリスチーナをあいしていることはわたしにはわかっていた。そしていつか、それがいますぐというのではなくとも、母がこの結婚けっこん承知しょうちすることはわかっていた。子どもの誕生たんじょうのおいわいばかりですむものではない。母はわたしの結婚にも反対しなかった。いまにそうするのが、つまりアーサのためだとわかれば、これにも反対するはずがなかった。
 リーズ、わたしの美しい美しいリーズがろうかを通って出て来て、わたしの母の頭に手をかけた。
「ねえ、お母さま」とかの女は言った。「あなたはうまくたくらみにかかっておいでなのですわ。それであなたに不意討ふいうちを食わせて、おどろかそうというのでしょう。
 それもおもしろいでしょう。でもわたしはちっともおどろきませんわ」
「おい、リーズ、そんなことを言っているうちに、だしぬけを食ってびっくりするなよ」とわたしは言った。そのとき外でがらがらと馬車の止まった音がした。
 一人、一人、お客が着くと、わたしとリーズは広間へ出てむかえた。アッケン、カトリーヌおばさん、エチエネット、それからたったいま植物採集しょくぶつさいしゅうの旅から帰ったばかりの有名な植物学者バンジャメン・アッケンの胴色どういろけた顔があらわれた。それから青年が一人、老人ろうじんが一人やって来た。今度の旅行はかれらにとって二重の興味きょうみがあった。というわけは、この人たちはわたしどもの招待しょうたいをすませると、ウェールズまで鉱山こうざん見物に出かけるはずになっていた。この青年のほうは鉱山の視察しさつをとげて、国にたんとみやげ話を持って帰って、かれがいまツルイエールの鉱山でしめている重い位置いちにいっそうのはくをつけようというのであったし、老人ろうじんのほうはこのごろヴァルセの町で鉱石収集こうせきしゅうしゅうをやって町で重んぜられているので、今度の調査ちょうさ結果けっかいっそう重大な発見をとげて帰ろうとするのであった。この老人ろうじんと青年というのは、言うまでもなく、ヴァルセ鉱山こうざんはたらいていた「先生」と、アルキシーとであった。
 リーズとわたしが来賓らいひんにあいさつをしていると、またがらがらと四輪馬車よりんばしゃが着いて、アーサとクリスチーナとマチアが中から出て来た。すぐそのあとにつづいて、一両の二輪馬車が着いた。気のいた顔つきの男が御者ぎょしゃをして、これと背中せなか合わせに一人、ぼろぼろの服を着た船乗りが乗っていた。たづなをひかえて御者をしているのは、このごろ金のできたボブで、いっしょに乗って来たのは、あのときわたしをイギリスの海岸からにがしてくれたボブの兄であった。
 さて洗礼式せいれいしきがすむと、マチアはわたしを窓際まどぎわまでれ出した。
「わたしたちはこれまで、知らないよその人のためにばかり音楽をやっていた。さあこの記念きねん席上せきじょうでわたしたちのあいする人びとのために音楽をやろうじやないか」とかれは言った。
「おい、マチア、きみは音楽のほかに楽しみのない男だね」とわたしはわらいながら言った。「きみの音楽のおかげで雌牛めうしをおどろかして、ひどい目に会ったっけなあ」
 マチアは歯をむき出して笑った。
 ビロードでがわったりっぱなはこから、売ったら二フランとはふめまいと思う古ぼけたヴァイオリンをマチアは取り出した。わたしもふくろの中から、むかしのハープを取り出した。雨にあらわれて、もとのぬり色ももう見分けることができなくなっていた。
「きみはきなナポリ小唄こうたを歌いたまえ」とマチアが言った。
「うん、この歌のおかげで、リーズは口がきけるようになったのだからなあ」
 こうわたしは言って、にっこりしながら、そばに立っていたつまをふり向いた。
 来賓らいひんはわたしたちのぐるりをいた。
 ふと一ぴきの犬がとび出して来た。
 大好だいすきなカピのじいさん、この犬はもうたいへん年を取って、耳が遠くなっていたが、視力しりょくはまだなかなかしっかりしていた。ねていたあたたかいしとねの上から、むかしなじみのハープを見つけると、「演芸えんげい」が始まると思ってはね起きて来た。歯ぐきの間には下ざらを一まいくわえていた。かれは「ご臨席りんせき来賓諸君らいひんしょくん」の間をどうどうめぐりするつもりでいた。
 かれはむかしのように、後足で立って歩こうとした。けれどもうそれだけの力がないので、まじめくさってぺったりすわったまま、前足でむねを打って、来賓にごあいさつをした。
 わたしたちの歌がおしまいになると、カピはいっしょうけんめい立ち上がって、「どうどうめぐり」を始めた。みんなが下ざらにいくらかずつほうりこむと、カピはほくほくしてそれをわたしの所へ持って帰った。これこそかれがこれまで集めたいちばんの金高であった。中には金貨きんかと銀貨ばかり――百七十フランはいっていた。
 わたしはむかししたように、かれのつめたい鼻にキッスした。するうち、子どもの時代の困窮こんきゅうが思い出して、ふとある考えがうかんだ。わたしはそこで来賓らいひんに向かって、この金はさっそくあわれな大道音楽師だいどうおんがくしのために救護所きゅうごしょ設立せつりつの第一回寄付金きふきんとしたいと宣言せんげんした。そのあとの寄付はわたしと母とですることにする。
「おくさん」とそのときマチアがわたしの母の手にキッスしながら言った。「わたしにもその慈善事業じぜんじぎょうのお手伝てつだいをさせてください。ロンドンで開くはずのわたしの演奏会えんそうかい第一夜の収入しゅうにゅうは、どうぞカピのさらの中へ入れさせてください」
 こう言うと、カピも「賛成さんせい」というように、一声高くウーとほえた。
(おわり)





底本:「家なき子(下)」春陽堂少年少女文庫、春陽堂
   1978(昭和53)年1月30日発行
※底本中、難解な語句の説明に使われた括弧内の文章は、割り注になっています。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について