「お困りのようだな。お入り。」
「有難うございます。」
山は喜んで老人についてゆき、
「わしは、あんたがお困りのようだから、お泊めはしたが、わしの家は食物を売ったり、飲物を
老人はそういってから入っていった。そして、間もなく足の短い
「どうか、どうか、おかまいくださらんように。どうかお休みください。」
暫くすると一人の女が出て来て仕度をしてくれた。老人は女の方をちょっと見ていった。
「これが家の
見ると年は十六、七で、綺麗でほっそりしていて、それで愛嬌があった。山には年のいかない弟があってまだ結婚していないので、こういうのをもらいたいものだと思った。そこで老人の故郷や
「わしは、
「お婿さんは何という方です。」
「まだ
山は喜んだ。そのうちに肴がごたごたと並んだが、旅館のこんだてに似ていた。食事が終ってから山はおじぎをしていった。
「旅をしておりますと、どんな方に御厄介になるかも解りません。ほんとうに御世話をかけました。この御恩は決して忘れません、ほんとにあなたのお蔭です。そのうえ、だしぬけに、こんなことを申しましてはすみませんが、私に三郎という弟があります。十七になりますが、書物も読み、商売をさしても、それほど馬鹿ではありません。どうかお嬢さんと縁組をさしていただきたいですが。貧乏人ですけれども。」
老人は喜んでいった。
「わしもこの家は、借りておる。もしそうなれば、一軒借りて移っていってもいい。そうするなら
山はすべてそれを承諾した。そこで起って礼をいった。老人も
朝になって鶏が鳴いた。老人は起きて来て、山に顔を洗わして食事をさした。山はすっかり仕度して金を出した。
「これはすこしですが、食物代にとってください。」
老人はどうしてもとらなかった。
「一晩の宿じゃないか、金をもらうわけがない。それに婚礼の約束をした間柄じゃないか。」
山はそこで一家の者と別れて、一ヵ月あまり旅をして返って来た。そして村から一里あまり離れた所へいったところで、老婆が一人の女を
「あんたは
山はいった。
「そうですよ。」
老婆は悲しそうな顔をしていった。
「お爺さんは、崩れかかった
そこで二人は林の中へ入っていったが、暫くたってやっと帰って来た。日が暮れて途はもう真暗であった。三人は一緒にその暗い中をいったが、老婆は将来のたよりないことを話して泣いた。山もまた心を動かされた。老婆はいった。
「この土地は人情がよくないから、親のない子や
そのうちに家へ着いた。老婆は
「あんたがもう帰って来る時分だと思って、持っている粟は皆売ったが、それでもまだ二十石あまり残っておる。遠くては持ってゆけないから、ここから四、五里もいくと、村の中の第一ばんめの門に、
そこで嚢の粟を山にわたした。山は驢を曳いていって戸を
山が帰る間もなく二人の男が五
山はやがて家へ帰って両親にその事情を話した。両親もひどく喜んだ。そこで別邸を老婆の住居にして、吉日を
阿繊は
「兄さんにおっしゃってください。また西の道を通ることがあっても、私達母子のことを口に出さないようにって。」
三、四年して
ある日、山は商用で旅行して、
「そりゃお客さん、何かの間違いでしょう。東隣は私の兄の別宅で、三年ほど前に貸してあった者が、時とすると怪しいことがあったので、引移して
それを聞いて山はひどく不思議に思った。しかしまだそれほど深くは信じなかった。主人はまたいった。
「あの家は、せんに十年空いてて、よう入る者がなかったが、ある日、家の後の牆が傾いたもんだから、兄がいってみると、大きな猫のような鼠がはさまれてて、尻尾は牆の内でまだ動いていたので、急いで帰って来て、皆を呼んでいってみると、もういなかったのだ。皆がそれが怪しいことをしてたろうといったのだよ。その後十日あまりして、また入っていってためしたが、ひっそりしてもう何もなかったよ。それからまた一年あまりしてから、やっと人がいるようになったのだよ。」
山はますます不思議に思って、家へ帰って両親にそっと話し、どうも阿繊は人であるまいと思って、三郎のために心配したが、三郎は初めとすこしもかわらずに阿繊を愛した。
「私は、あなたの所へまいりましてから、数年になりますが、まだ一度だって悪いことをしたことがありませんのに、この頃は人並に待遇せられません。どうか私に離縁状をください。そして、あなたは自分で良い奥さんをおもらいなさい。」
そういって阿繊は泣いた。三郎はいった。
「私の気持ちは、お前がよく知ってくれているはずだ。お前が家へ来てくれてから、家は日増に繁昌して来た。皆これはお前が福を持って来てくれたものだといって喜んでいる。だれがお前のことを悪くいうものか。」
阿繊はいった。
「あなたの気持ちは好く解っております。ただ他の人の口がやかましいので、すてられはしないかと心配するのです。」
三郎は一生懸命になってなだめたので、阿繊もそれからは何もいわなかったが、山はどうしても
ある夜、阿繊は老婆のぐあいが悪いからといって、三郎に暇をもらって看病にいったので、夜明けに三郎がいってみた。老婆の室は空になって老婆も阿繊もいなかった。三郎はひどく
そのうちにまた数年たった。奚家は日に日に貧しくなって来た。そこで家の者が、皆阿繊を思いだした。三郎の弟に
「この前にも聞いたが、隣で泣声がするが、あれはどうした人だね。」
すると主人がいった。
「二、三年前、
「何という苗字だろう。」
「
嵐は驚いていった。
「それは僕の
そこで、いって扉を叩いた。と、内にいた人が起って来て扉を隔てていった。
「あなたはどなたです。私の家には男の方に知りあいはないのですが。」
「ねえさん、開けてください。私は弟の嵐ですよ。」
女はそれを聞くとかんぬきを抜いて扉を開けた。嵐が入っていくと、阿繊はひとりみの苦しさを訴えた。嵐はいった。
「三郎兄さんは、あなたをひどく思っているのです。夫婦ですもの、仲違い位はありますよ。なぜこんなに遠くまで逃げるのです。」
そこで
「私は人あつかいをせられないので、とうとう母と隠れたのです。今、返っていったなら、いやな顔をせられるのでしょう。もしまた帰るとなれば、
嵐はそこで帰って三郎に知らした。三郎は昼夜兼行でいって阿繊に逢った。二人は顔を見合わして泣いた。翌日二人は出発することにして
「そんなことは心配ありませんよ。」
といって三郎を
「こんな物をもらっても仕方がない。金をもらおう。」
といった。繊はためいきしていった。
「それが私の罪障ですから。」
そこで阿繊は謝のことを話した。三郎は怒って訴えようとした。陸氏はそれをとめて、粟を村の者に別け、その金をあつめて謝に払って、車で二人を送り帰した。
三郎は家へ帰って事実を両親に知らし、兄の山と別居した。阿繊は自分の金を出して、たくさんの倉を建てさせた。家の中には僅かばかりの蓄えもないので皆が怪しんでいたが、一年あまりしてみると倉の中は一ぱいになっていた。そこで幾年もたたないうちに大金持ちになった。そして、山は貧乏に苦しんでいた。阿繊は両親を自分の家へ呼んで養い、兄の山にも金や粟をやってたすけたが、それがなれて常のこととなった。三郎は喜んでいった。
「お前は旧悪を思わないという方だよ。」
阿織はいった。
「兄さんはあなたを可愛がっていらっしゃるのですわ。兄さんがなかったなら、どうしてあなたを知ることができたでしょう。」
その後はまた何の怪しいこともなかった。