小翠

蒲松齢

田中貢太郎訳




 王太常おうたいじょうは越人であった。少年の時、昼、ねだいの上で寝ていると、空が不意に曇って暗くなり、人きな雷がにわかに鳴りだした。一疋いっぴきの猫のようで猫よりはすこし大きな獣が入って来て、榻の下に隠れるように入って体を延べたり屈めたりして離れなかった。
 暫くたって雷雨がやんだ。榻の下にいた獣はすぐ出ていったが、出ていく時に好く見るとどうしても猫でないから、そこでふとこわくなって、次の室にいる兄を呼んだ。兄はそれを聞いて喜んでいった。
「弟はきっと、ひどくとうとい者になるだろう。これは狐が来て、雷霆らいていごうを避けていたのだ。」
 後、果して少年で進士になり、県令から侍御じぎょになった。その王は元豊げんぽうという子供を生んだが、ひどい馬鹿で、十六になっても男女の道を知らなかった。そこで郷党では王と縁組する者がなかった。王はそれを憂えていた。ちょうどその時、一人の女が少女をれて王の家へ来て、その少女を元豊の夫人にしてくれといった。王夫妻はその少女に注意した。少女はにっと笑った。その顔なりかたちなりが仙女せんじょのように美しかった。二人は喜んで名を訊いた。女は自分達の姓は、少女の名は小翠しょうすいで、年は十六であるといった。そこで少女を買い受ける金のことを相談した。すると女がいった。
「私と一緒にいると腹一ぱいたべることもできません。こうした大きなお宅に置いていただいて、下女下男を使って、おいしいものがたべられるなら、本人も満足ですし、私も安心します。金はいただかなくてよろしゅうございます。」
 王夫人はよろこんで小翠をもらい受けることにして厚くもてなした。女はそこで小翠にいいつけて、王と王夫人におじぎをさして、いいきかせた。
「このお二方は、今日からお前のお父さんお母さんだから、大事につかえなくてはいけないよ。私はひどく忙しいから、これから帰って、三、四日したらまた来るよ。」
 王は下男にいいつけて女を馬で帰そうとした。女は家はすぐ近いから、人手を煩わさなくても好いといって、とうとうそのまま帰っていった。小翠は悲しそうな顔もせずに、平気ではこの中からいろいろの模様を取り出していじっていた。
 王夫人は小翠を可愛がった。夫人は三、四日しても小翠の母親が来ないので、家はどこかといって訊いてみたが、小翠は知らなかった。それではどの方角からどうして来たかと訊いたが、それもいうことができなかった。
 王夫妻はとうとう外の室をかまえて、元豊と小翠を夫婦にした。親戚の者は王の家で貧乏人の子供を拾って来て新婦にするということを聞いて皆で笑っていたが、小翠の美しい姿を見て驚き、もうだれも何もいわないようになった。
 小翠は美しいうえにまたひどくりこうであった。能くしゅうとしゅうとめの顔色をつかえた。王夫妻もなみはずれて小翠を可愛がった。それでも二人は嫁が馬鹿なせがれを嫌いはしないかと思って恐れた。小翠はむやみに笑う癖があってよくいたずらをしたが、元豊を嫌うようなことはなかった。
 小翠は布を刺してまりをこしらえて毬蹴まりけりをして遊んだ。小さな皮靴を着けて、そのまりを数十歩の先に蹴っておいて、元豊をだましてはしっていって拾わした。元豊と婢はいつも汗を流して小翠のいうとおりになっていた。ある日、王がちょうどそこを通っていた。毬がぽんと音を立てて飛んで来て、いきなりその顔に中った。小翠と婢は一緒に逃げていった。元豊はまだ勢込んで奔っていってその毬を拾おうとした。王は怒って石を投げつけた。元豊はそこでつッぷしてきだした。
 王はそのことを夫人に告げた。夫人は小翠の室へいって小翠を責めた。小翠はただ首を垂れて微笑しながら手でこしかけの隅をむしりだした。夫人がいってしまうと小翠はもういたずらをはじめて、元豊の顔をべにおしろいでくまどって鬼のようにした。夫人はそれを見て、ひどく怒って、小翠を呼びつけて口ぎたなく叱った。小翠はつくえっかかりながら帯をいじって、平気な顔をして懼れもしなければまた何もいわなかった。夫人はどうすることもできないので、そこで元豊を杖でたたいた。元豊は大声をあげて啼き叫んだ。すると小翠が始めて顔の色を変えて膝を折ってあやまった。それで夫人の怒りもすぐ解けて元豊を敲くことをやめていってしまった。小翠は笑って泣いている元豊をれてへやへ入り、元豊の着物の上についた塵を払い、涙を拭き、敲かれた痕をもんでやったうえで、かしをやったので元豊はやっと笑い顔になった。
 小翠は戸を閉めて、また元豊を扮装ふんそうさして項羽こううにしたて、呼韓耶単于こかんやぜんうをこしらえ、自分はきれいな着物を着て美人に扮装して帳下の舞を舞った。またある時は王昭君おうしょうくんに扮装して琵琶をいた。その戯れ笑う声が毎日のようにやかましく室の中から漏れていたが、王は馬鹿な悴が可愛いので嫁を叱ることができなかった。そこで聞かないようなふりをして、そのままにしてあった。
 同じまちに王と同姓の給諌きゅうかんの職にいる者がいた。王侍御の家とは家の数で十三、四軒隔っていたが、はじめから仲がわるかった。その時は三年毎に行うことになっている官吏の治績を計って、功のある者は賞し、過のある者は罰する大計の歳に当っていたが、王給諌は王侍御の河南道を監督していることをみきらって、中傷ちゅうしょうしようとした。王侍御はそのくわだてを知ってひどく心配したがどうすることもできなかった。ある夜王侍御が早く寝た。小翠は衣冠束帯いかんそくたいして宰相に扮装したうえに、白い糸でたくさんなつくりひげまでこしらえ、二人の婢に青い着物を着せて従者に扮装さして、うまやの馬を引きだして家を出、作り声をしていった。
「王先生にお目にかかろう。」
 馬を進めて王給諌の門口までいったが、そこでむちをあげて従者をたたいていった。
「わしは王侍御にお目にかかるのじゃ、王給諌に逢うのじゃない。あっちへいけ。」
 そこで馬を回して帰った。そして家の門口へ来たところで、門番はほんとうの宰相と思ったので、奔っていって王侍御に知らした。王侍御は急いで起きて迎えに出てみると、小翠であったからひどく怒って夫人にいった。
「人が、わしのあらをさがしている時じゃないか。これでは家庭がおさまらないということで中傷せられる。わしのわざわいも遠くはない。」
 夫人は怒って小翠の室へ走り込んでいってせめののしった。小翠はただ馬鹿のように笑うのみで弁解しなかった。夫人はますます怒ったがまさか敲くこともできないし、また出そうにも家がないので出すこともできなかった。夫妻は嫁をうらみもだえて一晩中睡らなかった。
 その当時宰相は権勢が非常に盛んであったが、その風采ふうさいは小翠の扮装にそっくりであったから、王給諌も小翠を真の宰相と思った。そこでしばしば王侍御の門口へ人をやってさぐらしたが、夜半になっても宰相の帰っていく気配がなかった。王給諌はそこで宰相と王侍御とが何かもくろんでいると思ったので不安になり、翌日早朝、王侍御に逢って訊いた。
「昨夜宰相があなたの所へいったのですか。」
 王侍御は王給諌がいよいよ自分を中傷しようとするしたがまえだと思ったので、じると共にひどく恐れて、はっきりと返事をすることができなかった。王給諌の方では王侍御が言葉を濁すのは確かに宰相がいって何かもくろんでいるから、王侍御を弾劾だんがいしてはかえって危険であると思って、弾劾することはとうとうやめてしまい、それから王侍御に交際を求めていくようになった。王侍御はその情を知って心に喜んで、そしてひそかに夫人にいいつけて、小翠に行いを改めるように勧めさした。小翠は笑ってうなずいた。
 翌年になって宰相は官を免ぜられた。ちょうどその時、秘密の手紙を王侍御に送って来た者があったが、それが誤って王給諌の許へ届いた。王給諌はひどく喜んで、その秘密の手紙を種に王侍御を恐喝きょうかつして金を取るつもりで、先ず王侍御と仲の善い者にその手紙を持っていかして一万の金を仮らした。王侍御はそれを拒んで金を出さなかった。そこで王給諌が自分で王侍御の家へ出かけていった。王侍御は王給諌に逢おうと思って客の前へ着てゆくずきんうわぎをさがしたが、二つとも見つからないので、すぐ出ることが[#「出ることが」は底本では「出ることか」]できなかった。王給諌は長く待っていたが王侍御が出て来ないので、これは王侍御が傲慢ごうまんで出て来ないだろうと思って、腹を立てて帰ろうとした。と、元豊が天子の着るような袞竜こんりょうの服を着、旒冕そべんをつけて、室の中から一人の女にし出されて出て来た。王給諌はひどくおどろくと共に、王侍御を陥れる材料がいながらにして見つかったので、笑顔をして元豊をそばへ呼んで、だましてその服と冕を脱がせ、風呂敷に包んでいってしまった。王侍御は急いで出て来たが、客がもう帰っていないので、訊いてみるとその事情が解った。王侍御はふるえあがって顔色が土のようになった。彼は大声を出していていった。
「もうたすからない。大変なことになった。」
 王侍御はに指をさして、我が一族が誅滅ちゅうめつせられることは、この陽を見るよりも明らかであるといった。王侍御は小翠を殺しても飽きたらないと思った。彼は夫人と杖を持って小翠の室へいった。小翠はもうそれを知って扉を閉めて、二人が何といってののってもそのままにしてけなかった。王侍御は怒って斧で扉を破った。小翠は笑いを含んだ声でいった。
「お父様、どうか怒らないでください。私がおりますから。罪があれば私一人が受けます。どんなことがあっても御両親をまぎぞえ[#「まぎぞえ」はママ]にはいたしません。お父様がそんなことをなさるのは、私を殺して人の口をふさごうとなさるのですか。」
 王侍御もそこで止めてしまった。家へ帰った王給諌は上疏じょうそして王侍御が不軌ふきはかっているといって、元豊から剥ぎとった服と冕を証拠としてさし出した。天子は驚いてそれを調べてみると、旒冕そべん糜藁きびわらしんで編んだもので、袞竜こんりょうの服は敗れた黄ろな風呂敷ふろしきであった。天子は王給諌が人をいるのを怒った。また元豊を召したところで、ひどい馬鹿であったから、笑っていった。
「これで天子になれるのか。」
 そこでその事件を法司の役人にわたした。その時王給諌はまた王侍御の家にあやしい人がいるとうったえた。法司の役人は王侍御の家の奴婢を呼び出して厳重に詮議をしたがそれにも異状がなかった。ただお転婆てんばの嫁と馬鹿な悴とが毎日ふざけているということが解った。隣家について詮議をしても他に違ったことをいう者がなかった。そこで裁判が決定して、王給諌は雲南うんなん軍にやられた。
 王侍御はそれから小翠を不思議な女だと思いだした。また母親が久しく来ないので人でないかもわからないと思って、夫人にそれを訊かした。小翠はただ笑うのみで何もいわなかった。二度目にまた問いつめると小翠は口に袂をやって笑いをこらえながら、
「私は玉皇ぎょくこうむすめです、母は知りません。」
 といってほんとうのことはいわなかった。それから間もなく王侍御は京兆尹けいちょういんに抜擢せられた。年はもう五十あまりになっていた。王はいつも孫のないのをうれえていた。小翠は王の家へ来てからもう三年になっていたが、元豊とは夜よるねだいを別にしていた。夫人はその時から元豊の榻をとりあげて、小翠の榻に同寝ともねさせるようにした。
 ある日、小翠は室で湯あみをしていた。元豊がそれを見て一緒に湯あみをしようとした。小翠は笑い笑いそれを止めて、湯あみをすまし、その後で熱い煮たった湯をかめに入れて、元豊の着物を脱ぎ、婢に手伝わして伴れていってその中へ入れた。元豊は湯気にされて苦悶しながら大声を出して出ようとした。小翠は出さないばかりかやぐを持って来てそのうえからかけた。
 間もなく元豊は何もいわなくなった。衾をとって見るともう死んでいた。小翠は平気で笑いながら元豊のしかばねきあげてとこの上に置き、体をすっかり拭いて乾かし、またそれによぎを着せた。夫人は元豊の死んだことを聞いて、泣きさけびながら入って来て罵った。
「この気ちがい、なぜ私の子供を殺した。」
 小翠は笑っていった。
「こんな馬鹿な子供は、ない方がいいじゃありませんか。」
 夫人はますます怒って、小翠にむしゃぶりついて自分の首を小翠の首にくっつけるようにした。婢達はなだめなだめ曳き別けようとした。そうしてやかましくいってるうちに、一人の婢がいった。
「若旦那様がうなってますよ。」
 夫人は喜んで泣くことをやめて元豊をでた。元豊はかすかに息をしていたが、びっしょり大汗をかいて、それが※(「ころもへん+因」、第4水準2-88-18)しとねまで濡らしていた。食事する位の時間をおいて汗がやんだところで、元豊は忽ち目をぱっちりけて四辺を見た。そして家の人をじっと見たが、見おぼえがないようなふうであった。元豊はいった。
「私は、これまでのことを思ってみるに、すべて夢のようです。どうしたのでしょう。」
 夫人はその言葉がはっきりして今までの馬鹿でないから、ひどく不思議に思った。父の前へれていって試めしてみたが、生れかわったようになっているので、不思議な宝を得たように大喜びをした。そこで夫人は元豊から取りあげてあったねだいもとの処へかえして、更めて寝床をしつらえて注意していた。元豊は自分の室へ入ると婢を出した。朝早くいってのぞいてみると榻を空にして小翠の室にいっていた。それから元豊の病気は二度と起らなかった。元豊と小翠は夫婦の間がいたって和合して、影の形に随うがようであった。
 一年あまりして王は給諌の党から弾劾だんがいせられて免官になった。王の家に一つの玉瓶ぎょくへいがあった。広西中丞ちゅうじょうが小さな過失があって譴責けんせきを受けた時に賄賂わいろとして贈って来たものであった。それは千金の価があった。王はそれを出して当路とうろの者に賄賂に贈ろうとしていた。小翠はそれが好きで平生いじっていたが、ある日それを取りおとして砕いてしまった。小翠は自分のあやまちじて王夫妻の前へいってあやまった。王はちょうど免官になって不平な際であったから怒って口をとがらしてののしった。小翠も怒って元豊の所へいっていった。
「私があなたの家をすくったことは、一つのかめ位ではありません。なぜすこしは私の顔もたててくれないのです。私は、今、あなたにほんとうのことをいいます。私は人ではありません。私の母が雷霆らいていごうに遭って、あなたのお父様の御恩を受けましたし、また私とあなたは、五年の夙分しゅくぶんがありましたから、母が私をよこして、御恩返しをしたのです。もう私達の宿願は達しました。私がこれまで罵られ、はずかしめられてもいかなかったのは、五年の愛がまだたなかったからですが、こうなってはもうすこしもいることはできません。」
 小翠は威張って出ていった。元豊は驚いて追っかけたがもうどこへいったか見えなかった。王は茫然ぼうぜんとした。そして後悔したがおっつかなかった。元豊は室へ入って、小翠の化粧の道具を見て、またしても小翠にいかれたのが悲しくなって、泣き叫んで死のうとまで思った。彼は寝ても睡られず食事をしても味がなかった。彼は日に日に痩せていった。王はひどく心配して、急に後妻を迎えてその悲しみを忘れさせようとしたが、元豊はどうしても忘れなかった。そこで上手な画工えかきに小翠の像を画かして、夜も昼もそれにいのっていた。
 ほとんど二年位してのことであった。元豊はわけがあって他村へいって夜になって帰っていた。円い明るい月が出ていた。村のはずれに王の家の亭園があった。元豊は馬でそのへいの外を通っていたが、中から笑い声が聞えるので、馬をとどめ、従者にくらをしっかり捉えさしてその上にあがって見た。そこには二人の女郎むすめが戯れていた。ちょうどその時月に雲がかかったので、どんな者とも見わけることができなかった。ただ一方のみどりの着物を着た女のいう声が聞えた。
「お前をここからいだすわよ。」
 すると一方のあかい着物を着た女がいった。
「あなたは、私の家の庭にいながら、だれを逐いだすというのです。」
 翠の着物の女はいった。
「お前はお嫁になることもできないで、おんだされたのをじないの。まだ人の家の財産を自分の所有ものにしているつもりなの。」
 紅い着物の女はいった。
「姉さんは、ひとりぼっちでいる者に勝とうとしているのですね。」
 その紅い着物の女の声を聴くとひどく小翠に似ているので、急いで大声でいった。
「小翠、小翠。」
 翠の着物の女はいってしまった。いく時紅い着物の女にいった。
「暫く喧嘩するのを待とうね。お前の男が来たのだから。」
 紅い着物の女がもう来た。思ったとおりそれは小翠であった。元豊はうれしくてたまらなかった。小翠を垣の上にのぼらして、手をかしておりてこさした。小翠はいった。
「二年お目にかからないうちに、ひどくお痩せになりましたね。」
 元豊は小翠の手を握って泣いた。そして思いつめていたということをいった。小翠はいった。
「私もよくそれを知っていたのですが、ただお宅へは帰れないものですから、今、姉と遊んでましたが、またこうしてお目にかかるのも、因縁ですね。」
 元豊は小翠をれて帰ろうとしたが、小翠はきかなかった。それではこの亭園にいてくれというと承知した。そこで従者をやって夫人に知らした。夫人は驚いてかごに乗ってゆき、かぎけて亭に入った。小翠ははしっていって迎えた。夫人は小翠の手をって涙を流し、つとめて前のあやまちを謝した。
「もし、前のことを気にかけないでいてくれるなら、一緒に帰っておくれでないかね。私も年をとったし。」
 小翠ははげしい言葉でそれを断った。夫人はそこで田舎の荒れた寂しい亭園に二人でいるのは不便だろうと思って、多くの奴婢をつけておこうとした。女はいった。
「私はそんなたくさんな人の顔を見るのはいやです。ただ前の二人の婢と、外に年とった下男を一人、門番によこしてくださいまし。その外には一人も必要がありません。」
 夫人は小翠のいうなりになって、元豊に頼んでその亭園の中で静養さすことにし、毎日食物を送ってよこした。
 小翠はいつも元豊に、別に結婚せよと勧めたが、元豊は承知しなかった。
 一年あまりして小翠の容貌や音声がだんだん変って来た。元豊はいつかかした小翠の像を出して見くらべた。が、別の人のようであるからひどく怪しんだ。女はいった。
「私は今と昔とどうなっているのです。」
 元豊はいった。
「今も美しいことは美しいが、昔に較べると及ばないようだな。」
 小翠はいった。
「それは私が年とったからでしょう。」
 元豊はいった。
「二十歳あまりで、どうして急に年をとるものかね。」
 小翠は笑ってその画をいた。元豊はそれを焚かすまいとしたが、もうあらあらと燃えてしまった。
 ある日小翠は元豊に話していった。
「昔、お宅にいる時に、お母様が私を死ぬるような目に逢わせましたから、私にはもう子供が生れません。今、御両親がお年を召していらっしゃるのに、あなたが一人ぼっちでは、私に子供はできないし、あなたの血統がたえるようなことがあっては大変です。お宅へ奥さんをお連れになって、御両親のお世話をさし、あなたは両方の間を往来なさるなら、不便なこともないじゃありませんか。」
 元豊はそれをもっともだと思った。そこでゆいのう鍾太史しょうたいしの家へ納れて婚約を結んだ。その結婚の式が近くなったところで、小翠は新婦のために衣装から履物までこしらえて送ったが、その日になって新婦が元豊の家の門を入ると、その容貌から言語挙動まで、そっくり小翠のようになって、すこしもかわらなかった。元豊はひどく不思議に思って亭園へいって見た。小翠はもうどこへかいっていった所が解らなくなっていた。婢に訊くと婢はあかてふきを出していった。
「奥さんは、ちょっとお里へお帰りになるとおっしゃって、これをあなたにおあげしてくれと申しました。」
 元豊が巾をあけてみると※(「王+夬」、第3水準1-87-87)ぎょくけつを一枚結びつけてあった。元豊はもう心に小翠が二度と返って来ないということを知った。そこでとうとう婢を伴れて家に帰った。元豊はすこしの間も小翠を忘れることはできなかったが、幸いに小翠そっくりの新婦の顔を見ると小翠を見るようで心が慰められた。そこで元豊は始めて鍾氏との結婚を小翠があらかじめ知っていて、先ずその容貌を変えて、他日の思いを慰めてくれるようにしてくれてあったということを悟った。





底本:「聊斎志異」明徳出版社
   1997(平成9)年4月30日初版発行
底本の親本:「支那文学大観 第十二巻(聊斎志異)」支那文学大観刊行会
   1926(大正15)年3月発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について