櫻をばなど寢處にはせぬぞ、
花にねぬ春の鳥の心よ。
花にねぬ春の鳥の心よ。
花にねぬこれもたぐひか鼠の巣。
ばせを
この集には前集『獨絃哀歌』に續ぎて、三十六年の夏より今年に至るまでの諸作を載せたり。
『夏まつり』は最も舊くして、『五月靄』は最近の作なり。
『
斧』にはこたび引説數行を添へて表面の筋を略敍したり。われはこれを公にしたる當時、世人の看て以て頗る解し難しと爲したるを意外に感じき。引説の如きは蛇足のみ。またこの引説は文字以外の義に及ぼさず、自讃に陷らむとするを憂ふればなり。
* * *
詩形の研究は或は世の非議を免かれざらむ。既に自然及人生に對する感觸結想に於て曩日と異るものあらば、そが表現に新なる方式を要するは必然の勢なるべし。夏漸く近づきて春衣を棄てむとするなり。然るに舊慣ははやくわが胸中にありて、この新に就かむとするを厭へり。革新の一面に急激の流れあるは、この染心を絶たむとする努力の遽に外に逸れて出でたるなり。かの音節、格調、措辭、造語の新意に適はむことを求むると共に、邦語の制約を寛うして近代の幽致を寓せ易からしめむとするは、詢に已み難きに出づ。これあるが爲に晦澁の譏を受くるは素よりわが甘んずるところなり。
視聽等の諸官能は常に鮮かならざるべからず、生意を保たざるべからず。然らずば胸臆沈滯して、補綴の外、踏襲の外、あるは激勵呼號の外、遂に文學なからむとす。
「自然」を識るは「我」を識るなり。譬へば「自然」は豹の斑にして、「我」は豹の瞳子の如きか。「自然」は死豹の皮にあらざれば徒らに讌席に敷き難く、「我」はまた冷然たる他が眼にあらざれば決して空漠の見を容れず。「われ」に生き「自然」に輝きて、一箇の靈豹は詩天の苑に入らむとするなり。
視聽等はまた相交錯して、近代人の情念に雜り、ここに銀光の音あり、ここに嚠喨の色あり。
心眼といひ心耳といふと雖も、われ等は靈の香味をも嗅味の諸官に感ずることあり。嗅味を稱して卑官といふは官能の痛切を知らざるものの言ならむか。
時としては諸官能倦じ眠りて、ひとり千歳を廢墟に埋もれし古銅の花瓶の青緑紺碧に匂ふが如きを覺ゆることあり。或は「朱を看て碧と成し」て美を識ることあり。
一花を辨ぜずして詩を作るは謬れり。情熱に執して愛の靜光を愛せざるも亦謬れり。
これをわが文學に見るに、平安朝の女流に清少あり、新たに享けたる感觸を寫すに精しくして幽趣を極む。かの五月の山里をありくに澤水のいと青く見えわたるを敍したる筆のすゑに、『蓬の車におしひしがれたるが輪のまひたちたるに近うかかへたる香もいとをかし。』といへる如きは、清新のにほひ長しへに朽ちざるものなり。元祿期には芭蕉出でて、隻句に玄致を寓せ、凡を錬りて靈を得たり。わが文學中最も象徴的なるもの。白罌粟は時雨の花にして、鴨の聲ほのかに白く、亡母の白髮を拜しては涙ぞ熱き秋の霜を悲しみ、或は椎の花の心をたづねよといひ、或は花のあたりのあすならふを指す。「古池」に禪意ありといひ、「木槿」に教戒ありと解するは、珠玉を以て魚目と混ずるなり。
このごろ文壇に散文詩の目あり、その作るところのもの、多くは散漫なる美文に過ぎず。ボドレエル、マラルメ等の手に成りたるは果してかくの如きものか。思ふに俳文の上乘なるもののうちには、却てこの散文詩に値するものありて、かの素堂の『簔蟲の説』の類、蓋しこれなるべし。
わが文學は溌溂の氣を失はずして、此等古文古句の殘れるあり。われ等の無爲にして陳腐のうちに
するをゆるさず。
物徂徠曰く、『萬古神奇悉在陳腐中、天不能舍鶯花而別爲春』と言は奇警なれども、こは自然の富を以て匱しとするに似たり。
また曰く、『其爲人拗、不師古、專而自用、喜快心、惡
釀、喜放心、惡拘束……天生此一種人物、以轉盛※[#「走にょう+多」、U+8D8D、218-上-30]衰、破醇就漓』と、莊重の辭、晩季の風詢に此の如きもありしならむ。然れども今日の評家、或は識者にして、この言を爲して、新に境地を拓かむとするものに擬するあらば奈何。そはたまたま隆運の萌芽を解せざるに因る。隆運は將に雲蒸飛騰せむとす。われ等は幸にこの日に會ひて、却て舊見を持する舊人の多きをあやしむものなり。
『夏まつり』は最も舊くして、『五月靄』は最近の作なり。
『

* * *
詩形の研究は或は世の非議を免かれざらむ。既に自然及人生に對する感觸結想に於て曩日と異るものあらば、そが表現に新なる方式を要するは必然の勢なるべし。夏漸く近づきて春衣を棄てむとするなり。然るに舊慣ははやくわが胸中にありて、この新に就かむとするを厭へり。革新の一面に急激の流れあるは、この染心を絶たむとする努力の遽に外に逸れて出でたるなり。かの音節、格調、措辭、造語の新意に適はむことを求むると共に、邦語の制約を寛うして近代の幽致を寓せ易からしめむとするは、詢に已み難きに出づ。これあるが爲に晦澁の譏を受くるは素よりわが甘んずるところなり。
視聽等の諸官能は常に鮮かならざるべからず、生意を保たざるべからず。然らずば胸臆沈滯して、補綴の外、踏襲の外、あるは激勵呼號の外、遂に文學なからむとす。
「自然」を識るは「我」を識るなり。譬へば「自然」は豹の斑にして、「我」は豹の瞳子の如きか。「自然」は死豹の皮にあらざれば徒らに讌席に敷き難く、「我」はまた冷然たる他が眼にあらざれば決して空漠の見を容れず。「われ」に生き「自然」に輝きて、一箇の靈豹は詩天の苑に入らむとするなり。
視聽等はまた相交錯して、近代人の情念に雜り、ここに銀光の音あり、ここに嚠喨の色あり。
心眼といひ心耳といふと雖も、われ等は靈の香味をも嗅味の諸官に感ずることあり。嗅味を稱して卑官といふは官能の痛切を知らざるものの言ならむか。
時としては諸官能倦じ眠りて、ひとり千歳を廢墟に埋もれし古銅の花瓶の青緑紺碧に匂ふが如きを覺ゆることあり。或は「朱を看て碧と成し」て美を識ることあり。
一花を辨ぜずして詩を作るは謬れり。情熱に執して愛の靜光を愛せざるも亦謬れり。
これをわが文學に見るに、平安朝の女流に清少あり、新たに享けたる感觸を寫すに精しくして幽趣を極む。かの五月の山里をありくに澤水のいと青く見えわたるを敍したる筆のすゑに、『蓬の車におしひしがれたるが輪のまひたちたるに近うかかへたる香もいとをかし。』といへる如きは、清新のにほひ長しへに朽ちざるものなり。元祿期には芭蕉出でて、隻句に玄致を寓せ、凡を錬りて靈を得たり。わが文學中最も象徴的なるもの。白罌粟は時雨の花にして、鴨の聲ほのかに白く、亡母の白髮を拜しては涙ぞ熱き秋の霜を悲しみ、或は椎の花の心をたづねよといひ、或は花のあたりのあすならふを指す。「古池」に禪意ありといひ、「木槿」に教戒ありと解するは、珠玉を以て魚目と混ずるなり。
このごろ文壇に散文詩の目あり、その作るところのもの、多くは散漫なる美文に過ぎず。ボドレエル、マラルメ等の手に成りたるは果してかくの如きものか。思ふに俳文の上乘なるもののうちには、却てこの散文詩に値するものありて、かの素堂の『簔蟲の説』の類、蓋しこれなるべし。
わが文學は溌溂の氣を失はずして、此等古文古句の殘れるあり。われ等の無爲にして陳腐のうちに


物徂徠曰く、『萬古神奇悉在陳腐中、天不能舍鶯花而別爲春』と言は奇警なれども、こは自然の富を以て匱しとするに似たり。
また曰く、『其爲人拗、不師古、專而自用、喜快心、惡

明治三十八年五月
著者識
日の
殘りたる、
こぼれたる、誰かひろひし、
かくて世は過ぎてもゆくか。
あなあはれ、日の
月の宮――にほひの奧を、
かくて
たはやすく誰か答へむ。
過ぎ去りて、われ人知らぬ
束の間や、そのひまびまは、
光をば闇に刻みて
やしなひのこれやその露、
そを棄てて
星
えしれざる
いづこぞと誰か定めむ、
いかばかりたづねわぶとも、
底ふかく
ひとつ
新しきいのちのほとり、
あふれちる雫むすばむ。
靜かにさめしたましひの
ゆふべにねむる花なれば
贈らむすべはなけれども、
わが戀ふる人、君をこそ、
君が眼をこそ慕ひ咲け。
いかにひらきてたましひの
花となりけむ知らねども、
この曉の水を出で、
さだめもすでにつたなしや。
高き
光みがける
垂れてかからむすべもなく、
底ひもわかぬ
浪に流るるひもすがら、
君にむかひて咲けるのみ。
靜かにひらく花なれど
花の
夕ばえ小島
すがたはあらで、さびしくも
ゆらぎてたてる花の
いにしへ
いまだ焔と燃えし時、
火の
いつか
それにも似たるたましひの花。
朝なり、やがて
ぬるくにほひて、
ながすに似たり。しら壁に――
いちばの
朝なり、濕める川の靄。
川の
たゆたにゆらぐ壁のかげ、
あかりぬ、暗きみなぞこも。――
ちからさかおすにごりみづ。
流るゝよ、ああ、
いきふきむすか、靄はまた
をりをりふかき
消えては青く朽ちゆけり。
こは
水ぎはほそり、こはふたり、――
花か、草びら、――
あせしすがたや、きしきしと
わたれば嘆く橋の板。
いまはのいぶきいとせめて、
靄はあしたのおくつきに
あげしほ
あやにうごめき、
瑠璃の
かくてくれなゐ、――はしためは
たてり、
青ものぐるま、いくつ、――はた、
かせぎの人ら、――ものごひの
朝なり、影は色めきて、
かくて日もさせにごり川、――
朝なり、すでにかがやきぬ、
市ばの
小引――
こは昔春のさかりの
百合姫の夏のみかどに
傳へたる遺曲のひとつ。
そを見れば
日も朽ちぬ
花姫の中にもわけて、
うるはしく、すぐれて清き
そのすがた。嗚呼そのかみや、
いかなれば折ふしごとの
移りゆく夢の
その底にさかりのかげを
あともなく
倒れにき、
しらみゆく星とあらけぬ、
姫が身もいつ
いづくにか埋もれはてし。
殘りたる

碎け墜ち、墜ちて聲なき
日のひかりさしそひぬれど、
『あな、暗し、ものう』といひて、
焔なき
うらぶれて迷ふ
かなたには唇あせて
にほひなき姿はづるや、
衰へてたどる
そのかみはともに
よろこびにあくがれし友、――
歌うたひ、琴
大宮の春を
『柳かげくづをれはてて、
おもひでも、今か、
ほのかには聞けど、南に
百合姫の
ああ、されど、つかれたる身に
行く路のなどしも遠き。
さはやかにいかで、
悲しみに
伏しまろび、
すすり泣く、あはれ、袁杼理子。
大羽子よ、いかにと見れば
愁ひある
『
まのあたり
いとせめて
歌はまし、いざと思へど、
あやなくに玉の緒みだる。
今にして
夢にいり、こころに
たそがるる
また更に
『
むかへむ』と大羽子いへば、
袁杼理子は『この世の
聲あはせ、手を
たちまちに
をののけるこころしづめて
『百合姫の
もろ聲にあやしみあへど、
こだまさへ傳へぬ眞やみ。
影青き月のむくろを
かき載せし
水のごとめぐりたゆたひ、
浮ぶとも、沈むともなく
消えてゆくそれにも似たり。
ややあれば
立ちつくす
そぞろかに、
こは昔、
霞
ややあれば影はかがやき、
あふぎ見るそのまじろぎの
束のまを、にほひ浮べる
日の光ここにあつまり、
まなざしはをぐらき森に
『百合姫か、夏のみかどの
君か』とぞ二人よりそひ、
姫が踏む土にくちづけ、
つかれたる身をもわすれぬ。
海ちかき山あひの風
吹きおこるおとなひおぼえ、
歌のこゑ、それかと聞ゆ、――
『ますらをよ、とく漕ぎかへれ、
海の
君をひく白波の手の
なきにしもあらぬこの世や。』
『少女子よ、しのびて待て』と
答ふらむ
大羽子は魂もあくがれ、
袁杼理子は夢かとまどひ、
闇の戸にふるる時しも、
嗚呼、ここに
『
かくてこそ二つの影は
とこしへに沈みゆきけれ、
歌もなく、なげきもあらず、
春もなく、夏もなき世に。
ひとつびとつに君も見よ
露ありて、すがりゆらめきぬ。
(ああ、くるる
その露のたまひとつびとつ
(くるるの音はきしめきぬ。)
水はよどみて、
かをれる朝を、魂と身と、――
身やわれ、魂や君か、そも。
(くるるはひびく、なめらかに。)
水を忘れし水草の
花かも君は、――げにしばし
戀をはなれし戀の花。
(見よ、くるる
われからならぬ
(くるるをめぐる火のしらべ。)
あやしの森の濃く青き
(聞きね、くるるのくろがねを。)
わが名をも、いざ、君も問へ、
君が
(ああ、くるる
銘器『今宵のあるじ』は友の家に珍藏する古銅の花瓶なり
花のつゆしづきて、
みどりなる
さびや、いとうるはし。
たとふれば
さきぬべき
その青き
こだいなる花がめ、
花にこそ
人にこそさかりの
人の世は、ああ、これ
『
ここにしてしをるる
にほひ、日にまた
よろこびの、愁ひの
そのおもに殘せる
いと古き花がめ、
花の
あるじ』、――ああ、まらうど。
わがおもひ――
ほこり
よろめけるさまにも似たり。
たまたまはかたへに
『
かかる時、あはれ、ふたたび、
おぼゆるは
ちからづき、
よみがへり、
やや
おぼゆるは、さもあれ、更に
わが

その
その骨に
しづやかに
かくてわが
たとふれば、こはこれひくき
ひとしづく焔と照れば
その影を、
あふぎ見れば、さすがに
みたみらが
つらなりて
ここにてはなよびの花の
しぼむらむ憂ひなり、はた
つかれなり、うまし
もつ手よりすべらむ日なり、
ただ
さらば、今、慣れぬさかひに。
なべての樹にまさる
南の
なべての
今の日いやしめる
なよびは花むろに、
弱きは盡きて、ここ
さやぎを知るや、いさ、
わが胸。)あぶら
くゆれる、そを
ひとりか
けだかき
枝より、貝の葉の
碎けしそれか、
思へばしづかなり
思へば
かの
おくつき、
浪
ものうかるさまや、
ちからなく
いく
さがあしきこの
うるはしき
いやさらに、かくてものうげ。
はたくらきこの日よそほひ
かざらむの
眞帆ぞ、ああ、喘ぎはためく。
底にごる
あだ矢こそ飛ばめ、この時。
もたらしし光けおされ、
わきがたし眞帆と
いづこにか
まばゆかるま闇のおくが。
かの
つながれ行きてぞ
ああ、また罪の芽やどす
清きを、わかき熱きを
かかる世、かかる身をこそ、われ等
再び
まことや、君がかへたる口づけには
夏の日、
また見る、姫が
新たにきのふ
かがやき
姫神かつては
その
(
夕暮『秋』はしばしがひま、やさしき
あな、姫、――
にほふや――裾ふみたがへ
おぼゆるこの思ひをば、人には、今、
いかにか説きもつくさむ。雲やうやう
ただよふ姫が歌ごゑ。風あふぎて
わが
やけにしものを、うるほひ
げによろこびなり、君が胸のにほひ。
夢さへ
かがやく
帆あげて沖にそひゆく
樂しや、さあれうれたし、
火ともす

きのふの『ねたみ』は
送りし『愛』は涙の友なり、ああ、
『おもひ』は
ただ聞く、
をぐらきまむしの
ひしめき溢るるさやぎ、――
あだ人きほへる
舞ひ
かくしも聞くと、わが身にあやし『おもひ』
やどりて眠り、埋れて耳たつれば、
惱みてわれは
いつける愛の
ねたみや、
忽ち燃えそふ戀のこれや
消えゆく影あり、しばし日の
まだきに
わが世に、ふたたび、姿さそはまほし。
さはあれ
まことの戀の
君のやひと目、光にしづく
『こころ』を、いで、こは
そは
人見て、なほ
ましろき『
照らせしわが身みながら

こがねの
照りては、また
色なる
したしみねぶる
南の夢にや
あだめく世のくろがみに添ひなむとて。
たをやめ、をみな、ここには
輝く
おとろへおとなふ
ああ、
なかばにねびて傾き沈むを見む、――
はかなし、
わが身をはじめ
わが手の
星は星なる
鴿は
頸をさらにあぐるとき、
白きつばさの
かくても
やうやうなづむそのさまや、
いざ、
燃ゆるこころの火のつばさ、
それにはあらね、
ああ、今、姫よ、――飛びうつる
その眞白羽の君が鴿。
ささげておもふ、
これや溢れむ神の水――
鳥は鳥とて
人は人とてものおもふ。
この曲は材をギル氏(W. W. Gill)が編せる「南太平洋諸島の神話及歌謠」(Miths and Song from South Pucific.[#「Miths and Song from South Pucific.」はママ])中、「泉の精」(The Fairy of the Fountain.)と題せる一章に採れり。ラロトンガ(Rarotonga)の傳説なり。泉の名をヴァイティピ(Vaitipi)といふ。滿月の後、この泉より出でて、椰樹芭蕉の葉かげに遊ぶ水精の女あり、酋長アティ(Ati)、一夜人に命じて禽を捕ふるが如くして、この女を拉し來らしむ。女はこれより懷孕せり。嘆きて曰く、「腹部を剖きて子を出し、おのが亡骸をば土に埋めよ」と。既にして子を産みぬ。また曰く、「人界にて一子を設くる時、水國の母は悉く死なむ」と。アティはこの後、女の手を執りて、共に泉底に下らむとしてえせず。とこしなへに水精の女とわかれぬ。
わがこの曲は南國の王の水精の女と共に泉に下らむとするを、未だその女の子を産まぬ前、臨月の苦悶時におきぬ。
わがこの曲は南國の王の水精の女と共に泉に下らむとするを、未だその女の子を産まぬ前、臨月の苦悶時におきぬ。
『
南の宮の
まよひ、なげきに堪へかねて、
(嗚呼うたかたや、
惜しむとき、消ゆるとき。)
『何處へいまし出でゆく』と、
南の國の王なれど
今はまどひの園のくさ。
(嗚呼うたかたや、
浮ぶとて、痛むとて。)
姫はこのとき
きざはしひとつ
大君あふぎためらへば
日は
(嗚呼うたかたや、
ためらへど、とどむれど。)
姫が棄てたる
姫が
(嗚呼うたかたや、
匂ふとも、棄つるとも。)
『
姫をひかへて問ひよれば、
かがやきいでし
垂れなす姫が
(嗚呼うたかたや、
問ひよれば、垂れなせば。)
『ことに身ごもる姫が身の
いづこへひとり出でゆく』と、
責むれば暗き
ふかき
(嗚呼うたかたや、
燃ゆるとや、責むるとや。)
『
ちぎりをいかにおもへりや、
姫よ』と、王のかく言へば、
姫は『今こそ語らめ』と。
(嗚呼うたかたや、
今はこそ、さらばこそ。)
王は
姫は『今こそ語らめ』と。
(嗚呼うたかたや、
語らめと、また更に。)
おもひに姫の沈むとき、
鈴は
(嗚呼うたかたや、
浮びいで、沈み去り。)
あるひは鈴の
多麻姫、王のすそに伏し、
(嗚呼うたかたや、
姫はうちいづ、『君が手に
わが手をそへて

(嗚呼うたかたや、
手に手とか、香と香。)
姫はまたいふ、『
姫が
水にゆらるる
(嗚呼うたかたや、
夜の聲、花の聲。)
またいふ、『
さびしくひとり歸らむ』と、
その言ふふしをあやしみて、
王は『いづこへ歸るとか。』
(嗚呼うたかたや、
うちわびて、あやしみて。)
『水より
泉の底に
君は南の國の王、
わが身もとより水の
(嗚呼うたかたや、
水の精、水の泡。)
姫はまたいふ、『
さきの
かの
(嗚呼うたかたや、
さきの夜と、けふの日と。)
王はかこちぬ、『げにさなり、
かの日に
姫はまたいふ、『
(嗚呼うたかたや、
夜の宴樂、日の王座。)
さてしも、王が前にして、
『嗚呼
かの
ひざまづきてぞ姫のいふ。
(嗚呼うたかたや、
愛慾と、驕樂と。)
姫はまたいふ、『大宮の
ひかりこめたるかの
泉をいでし
(嗚呼うたかたや、
祈より、泉より。)
見よ、今、姫がひざまづく
(嗚呼うたかたや、
影の
姫はまたいふ、『かの
われを泉に見たまへり。』
(嗚呼うたかたや、
かの
『そのとき
わが弓とりて
『嗚呼、その日より宮のうち、――
この身もとより水の精。』
(嗚呼うたかたや、
姫はまたいふ、『
かかりて月の滿つるごと、
みごもりみちぬ
(嗚呼うたかたや、
滿ちてもゆくか
泉の底の
日として聽かぬ日ぞなき』と。
(嗚呼うたかたや、
かの
『水の國なる
人の世に來て、人の子を
(嗚呼うたかたや、
姫はささやく、『
泉のくにの血に
(嗚呼うたかたや、
たふれ朽ち、輾りおち。)
またいふ、『かくて
かへりて罪を重ねじ』と、
その言の葉のあと
王は『われこそともなはめ。』
(嗚呼うたかたや、
重ねじと、離れじと。)
南の國の大足日
多麻姫の手を手にとらし、
きざはし
(嗚呼うたかたや、
手をとらし、
花は泉の戸のしるし、
二人うかがふ水の國。
(嗚呼うたかたや、
水の國、戀の園。)
王は
『いざ、この水をとことはに
かつぎてゆかむ水の底、――
今こそ棄つれ日の王座』
(嗚呼うたかたや、
束の間を、とことはを。)
姫は
衣の
(嗚呼うたかたや、
孔雀ぶね、戀の魚。)
たちまち青き水の
王が身もまた沈みゆく、
王はとぢたる
ひとたび姫がすがた見つ。
(嗚呼うたかたや、
姫かそも、泡かそも。)
その手を王はとりたれど、
泉ゆらゆら湧き
姫が
くだけちり
(嗚呼うたかたや、
湧きのぼり、碎けちり。)
王はこのとき
まろび去るとぞおぼえたる、
今また深き水を出で
耳には姫の聲を
(嗚呼うたかたや、
姫のこゑ、ふかき水。)
泉のくちにうかびいで、
めざめし王が髮をわけ、
姫はうちいづ、『かなしくも
水には
(嗚呼うたかたや、
慣れぬさま、王が髮。)
姫はまたいふ、『
水の
日の
いざ』と、いひさし
(嗚呼うたかたや、
そのゑまひ、このねがひ。)
姫はほほゑみ
ひとりうかがふ王が
たとへば、沈む水の
(嗚呼うたかたや、
惜しむとき、消ゆるとき。)
女のうたへる
緑のかげとおもひしは
みづからなせる惱みのかげ。
つかれのやみに
泉は鳴りて、しろがねの
あだなる野ぢのすずしさは
天津みそらも
つかれなやみの
みどりのかげを遠く去りて、
ただ君が手の
そのかげに入り、あくがれゆかむ。
女のうたへる
つちかひ
ああ、それさへもことわりや、
琴は
憂をこめていたはれば、
ここにわが
うつしてさくか夢の花。
みどりの浪と流れ去り、
緒琴に
こよひ短かき
夢のみだれか、まぼろしの
まよひか、うつつ、つちかふと
見しはをゆびのすががきか、
ああ
『君がこよひの物のねの
なにゆゑかくはせまりぬ』と、
問ふ人ありて肩おさへ、
問ふ人ありて手をとるも、
『こよひわが
朽ちゆく琴のにほひにて、
あやしき花の面影を
見き』と、さながらいかで答へむ。
艶なる
月にきえぎえうつろひぬ、
なほ、
朧のかげはゆらめきぬ、
たとへば浪のうねうねを
春は
照らしぬ、
月にはうかぶ月の
ああ、
風は
人と草との舞のあや――
ほのに
いつく
春に、こよひは、をみなごの
よき名をささげまつらむよ。
戀のみぞ知る深き夜の
あだしごころのえこそわかたね。

ああ、今なえし
にほふは姫か、びやくえの
花の

盡きざる
消えせぬ
あるひはこれか。
夢こそひかり、ひまなく
まぼろしうごく、
こは
星かと
わが身をさそふ。
その手の燭を、
しばしは掩へ。――ああ世に
わが身ぞ
ちりひぢ

ほほゑみ、光、まぼろし、
『時』のたはふれ、
束のまなりき、これさへ、
やがては
花の
黄なる
したたるひまを、
夢か、花ぞの、――とく知りぬ
その園ぬちに
すがたを、われは。
あこやの貝の日はしんじゆ、
それかとまがふかがやきの
かぎろひわたり、花草は
浪としぶきぬ、いかなれば
かくもむなしき、石人の
見れば眞白き石ごとに
姫神、
嗚呼
今、
みくるま前を、今、なびき、
しりへに
右に、ひだりに、
かげにこの時。
このときいとど花草は
浪とみだれぬ、
ほのほのあらしまろがりて
ゆくにか、あはれうらがなし、
わが
あやしさかひに。
こころはここにつながれて、
身は沈みゆく
あたりさりあへずわれは聽く、
光に朽つる石人の
『
くぐもる
まぼろし、夢の
嗚呼
あまき露うけむ、
君がゑみ
花とさくその日。
胸に蒸す
にほひ
君がゑみ
眞晝かがやける。
あやしうも
あでに、
ほこりには似じな。
わが戀の
たとへ、また、(
わがこころ
ここに、なほ、清き
水盤の
花のつゆうけむ。
夏に添ふ
花やあまりりす、
君がゑみ
花とさくその日。
みづぐさ青み、夏川の
(
水のとばりの奧ふかく
ゆららに洩るる姫が髮。
(妖のこれ
いのりて更にまじろがず、
伏してながむる水の
いかなる姫か、ひもすがら、
(妖のこれ妖か)
いかなる姫が
河浪のこゑ、水のこゑ、
(妖のこれはかなさか)
こゑごゑ溢れあざわらふ、
『花のおもては見がたし』と。
(妖のこれその望み)
水のとばりのさはりなく
いつかは、清き面影を。
姫がくろ髮、ひもすがら
(妖のこれそのちから)
夢とも消えで、はてのはて
にほひにこもる姫が
さあれ、
(妖のこれそのをはり)
姫にひかれて、
夢のむすめ、とこをとめの
いづくはあれ、ともなひゆけ。
夢のむすめ、
いましが手の、われ左に、
右には花。――ひかる瑠璃の
花のかげにつつみて
月日の瀬にめぐる

夢のむすめ、古りにし
ああ、何ゆゑ舞ひかがやく。
たのしきこの
いましに、
夢のむすめ、にほひの姫、
風にも似つその黒髮、
その
かの
夢のむすめ、嗚呼さはあれ、
われをかへせ再び世に、
いましが胸むなしきまを
うつつの世にわれや
知るや、その根いだきそへば
瑪瑙の
ここにひとり
夢のむすめ、うつつにいざ、
いましもまたうつつの姫、
いでやかしこ、夏にあふれ、
秋にしづくまことの日に。
(青木繁氏作品)
あらぶる巨獸 の牙 の、角 のひびき、――
(色あや今音 にたちぬ。)否、潮 の
あふるるちからの羽 ぶり、――はた、さながら
自然の不壞 にうまれしもののきほひ。
すなどり人 らが勁 き肩たゆまず、
よろこびなるや、たまたまその姿は
天なる爐 を出でそめし星に似たり。
かれらが海はとこしへ瑠璃 聖殿 、
わたづみ境 を領 らす。さればこの日
手に手にくはし銛 とる神の眷屬 、

ましろき
浮べて世にも
さてしも
たをやめしのべば花の
朽ちせぬ光のべたるみ
なつかし、
言の葉
曉、夕と移る物がたりの
三十六年十月
日は照りぬ、
そしらぬけはひ、――
日は今雲に舞ひうかぶ、
よしさもあれや
そしらぬけはひ、――
それゆゑに君を戀ふ。
そしらぬけはひ、――
また花さきぬ花あやめ、
わりなくも君、
そしらぬけはひ、――
君やかく、君やなぞ。
著莪すでに、
また花あやめ
すでにしをれき、
百合こそさかめ、
そしらぬけはひ、――
君はただひとり行く。
百合さきぬ、
そしらぬけはひ、――
百合はにほひて
君が
おもかげ似たり
わがゑし園の百合。
君はなぞ
そしらぬけはひ、――
百合はくづれぬ、みなづきの
戀やみながら
あだなるねがひ、
あだなる日われひとり。
午後四時まへ――
冬の日、影うすく
垂れたり、銀行の
戸は今とざしごろ、
あふれし人すでに
去り、この
さだめや、戸ざしころ――
いつかは
かくてぞいやはてに
あき
身の、足たづたづと
出でゆくそびらより、
傳へぬ、こは
きらめく
惱みの岸
輝く波のこゑ。
見よ、
星なり、
一ぢやう、おひめある
ともがら(われもまた)
嗚呼、その
煙は
ながれぬ、霜の
弓かとひくく
底なるいぶきか
うづまき去るかなた、
ねびてぞ
夕ぞらよどむとき、
靜かに、
まろびてゆくに似たらず。
見よ、今
「
その
いさ、かの
うるはし花こそこもれ。――
かからむ花はまた
世になし、ひらめくひかり

強き
鳥
ひびきよ、かぎろひけぶる
ただなか、
ゆく時こころ伏せざる、――
道にか、高き
三十八年三月
かわくとて垂るる
露もなき葉ずゑの眼もて
家根の草かくて乾くか、
夏はこれさかりのみやこ、
棟と軒、甍と瓦、
蒸されつつ人はひそめり。
かの瓦照りてたはむれ、
この甍やけてほほゑむ、
人の世はそのかげに、――今、
ただ
にほひのみ、(さればぞ
光あれ)人はいつより
ちりづかのかげの
家根の草つひにかわきか
かわくとも、これや
髮おほひ
きえてゆく
○
掩ひねわが身のうへを、
うまいよ、あくがれそれも。
いま、われ
今、また
そのかげこころに滅えぬ……
ああうらがなしきしらべ。
こわねもひそめて、
(ヱルレエヌ)
○
はた
うつら
たそがるる
ややに
ちさき
よわき音に啼く鳥もあり。
いつくしき、やはらこの秋、
かなしともなくて、うるはし、
なしのまま
(おなじく)
○
ながむる月青く、
枝ごとに
たゆたふ
ああ、あくがれごこち。
柳の木のふたつ
なみだち、かつ嘆く、
ひとつは
ひとつは河みづの
鏡の深き底……
夢みて夢をわれら。
むりやうの
しととに降るや、白き
影に
移らざれ、『時』のまどけさや。
(おなじく)
金の屏風の
光琳もやう、花もやう。
花は紫、かきつばた
水もあやなる
塵だにすゑぬしめやかさ。
顏もそろひし
見ればとりどり水草の
祭の浪に
それとはかはる身だしなみ、
清らやここの
ことし十五の初夏と
うちそやさるる娘まゆ、
かひな、肩つき、たをやかに
をどりのふりの裾さばき。
をりもをりとて
眉ねすこしくうちひそめ、
そむけがほなるそのけはひ。
十五初夏、くろがみの
さなそむけそよ花の顏、
慕ひよる
しばしの
手をとるひまもなからずや。
君を慕ふがわかさにて
君を慕ひて
われや
聲張りあぐるこころ
そのすがた見てくらぶれば
戀にふさはぬわが思。
君を慕ひて、よろこびの
夏の日ざかり人ごみの
なかにまぎれて立てるとき、
たとへば、君が
夏は
むかしおぼゆる
水の
われも
おなじゆかりの
神の祭の日に
ふたり手をとるこのえにし。
戀はわが
眞ひるは人め
かけつらねたる
いざいざ戀の神の道。
二人
みやこの土もよろこばむ。
ふたり歌はむ
なかばを君にゆづらまし。
いざいざ戀の神の道、
夜の
三十六年六月
(夫の伊佐奈、妻の止利)
夫の伊佐奈、妻の止利といふは海山に親しき名を擇びたるに過ぎず。伊佐奈は海の人なり、壯時橘の樹蔭に蜑の少女を慕ひて、戀の敵なるその友を殺せり。されど少女の意は彼に嚮はずして、亡き人の後を逐ひて海に沈みき。伊佐奈はこれより山中にさまよひ、迅雷の一夜、端しなくも宿りし家の女と相結ぶに至る。妻の止利といふはこの女なり。海の紀念なる珊瑚と眞珠とは止利が念珠を飾れり。唯橘の實を祕して、私かに門邊に埋めおきぬ。橘は芽ざしてより既に四十年を經たれども、未だ曾て花さかず實らず。こはまた宛ら伊佐奈の胸中なり。海知らぬ止利が嫉妬はこの祕密に萌して、婚後一年、伊佐奈が携へ來し妖鏡を偸見して、始めて鏡裏に海波橘樹を窺ひ、白影漸く凝りては少女が姿を知り、少女が手を執る夫を嫉みぬ。たまたま尼僧來りて鏡をとれば、妖影消えて、ただ剃髮したる少女を見たり。尼僧は懺悔の功徳を言へり。伊佐奈はなほ祕密を持して老齡に達しぬ。橘を咀はむといひて手に斧を取り、止利と相對し、夫の斧を下さむとするを妻とどめ、「來む歳ぞ實らむ、やよ待て」と言はしむ。伊佐奈はこの時はじめて胸中を洩らしぬ。白き少女の影は遽かに止利の眼を遮りて、夫が咀ひの言葉に答へず。斧は下りて、橘は根より僵れ、伊佐奈も亦呼息絶えたり。この中鏡のことはわが邦の傳説に據りたり。もと夫が鏡裏に見るは亡き父の面影なり。果樹を咀ふは今もなほ所々に行はるる古來の習俗なり。
『
しわみたる
夫の伊佐奈、翁と――
『さもあらば
『
あきはてぬ、この
『
『嗚呼、わが
日のつやも
『わかき日を
ただ戀し、われは
『戀の舟――それのみならじ。』
『なほ
は、は。』と
海がたり、また磯がたり。』
『
磯の
『
はや
海がたり、また磯がたり、
海を見ぬおのれも飽きぬ。』
『
底をしもとめざるひまに。』
『
眞帆あげて
『げにさなり。』『
かしこには
『げにさなり、されどまた、』『ああ、
けふこそはわが海がたり
はや聞きて、はや飽きてあれ、
その海を。
『かしこには鴎てふ鳥、――
『
『さればまた
ふしぶしもつばらに知りぬ。』
『それこそは、止利、
えうもなき
ごくらくの
『さな言ひそ、わが
海の人、伊佐奈は海の
『その
『その銛を何とか知れる。』
『
わすれたり
みのらざる

たゆたひて、『ああただ
橘もかの日のかたみ。』
『
むなしかる夢や。』『さな、さな、
『
橘を、――むかしのかたみ――
『げに
『
この
橘の花さく見むと、
花にほひ、
『橘はにほはざりきな、
海の
谷あひの日影をわびて、
わがごとく年をへしのみ。』
『
迷ひ
この山にいかづち
『
えうなくば人を
『
かの
えにしこそ
『そのをりにわが
三つぞ、ああ、白きは
海の月、赤きは
これや日か、海の月と日。』
妻の止利は『げにその二つ
今もかくる

山の
『そのひとつ
この
橘のこれぞ
芽ざしし日、はじめて告げぬ。』
『などや、
埋めしは胸のひめごと、
『花もなく、また
來む年ぞ
浪の
『くだけちるにほひを知らむ、――
海ちかき
浪洗ふ
『

橘の根をうたむとき、
しばし待て、やよと
『何ゆゑとわが
あやまたず
橘となだめて言ひね。』

ほほゑまず、はたまじろがず。
橘をうたむとあげし
さび斧は、やよ
止利のまだ言ひもあへぬに
手をおくと
海を
『
『
古かがみ
海戀ひし、母の渚べ。』
ささやきか、――『ああ、父のかげ、
母のさま、――映りしは何、
浪の夢、磯のまぼろし。』
まぼろしのその古鏡
『われはげに、われは嫉みぬ、
『
影なりし。』『
浪ぞゆく、
ふくよかに海は
『海はげに
『やがてまた青き
青葉こそもとの橘。』
『その
あらはなる
『
『そは知らじ、その手弱女の
手をとりて、いましは涙、
そのをりよ、(ああ嫉きかな。)
尼君はここに
『尼の君鏡見すかし、――
たをやめは
あな
『ああ、懺悔。』『その古かがみ
尼君の寺にをさめし
その日より
孔雀、
『古鏡さもあらばあれ、
この
わが
戀がたき――
『その銛を、星のごとくに
射てもゆくその銛を、止利、』――
『その銛を何とか知れる。』
『たをやめは彼が
われは、ああ、いかに、
『
さあれ戀し、戀の古里、
たちばなの青き
籬みち、母の渚べ。』
あやしみぬ、更に嫉みぬ、
その海を、手弱女を。――
伊佐奈いふ、『

『橘をいざ咀はなむ、
さきにわが契りおきつる
言の葉を、妻の止利、いひね。』
ささやくと
橘は根より
あなや斧、あなや橘、
花もなく、つひに
『あなや
(明治三十八年七月刊)