獨絃哀歌

蒲原有明




哀調の譯者に獻ず





例言


一、この小册子に蒐めたる詩稿は曾て「太陽」「明星」其他二三の雜誌に載せて公にしたるものなり、ここに或は數句或は數節改刪して出せり。
一、諸篇中「小鳥」「星眸」等の如きは最も舊く、其他多くは一昨年の秋このかたの作なり。ただ「靈鳥の歌」のみ未だ公にせざりしものこれを最近の作となす。
一、詩形に就ては多少の考慮を費せり、されどこれを以て故らに異を樹てむとするにはあらず。
一、表紙及挿畫は友人山下幽香氏の手を煩したり。
明治卅六年四月
著者しるす

獨絃哀歌

 (十五首)
附載三首


あだならまし


道なき低き林のながきかげに
君さまよひの歌こそなほ響かめ、――
歌ふは胸の火高く燃ゆるがため、
迷ふは世のみち倦みて行くによるか。
星影ほしかげ夜天やてん宿しゆくにかがやけども
時劫じごふ激浪おほなみ刻む柱見えず、
ましてやしなへ起き伏すれいの野のべ
み入るさびしさいかで人傳へむ。

君今いのちのかよひ馳せゆくとき
夕影ゆふかげたちまち動き涙涸れて、
短かきせいの泉は盡き去るとも、
はたして何をか誇り知りきとなす。
聖なるめぐみにたよるそれならずば
胸の火歌聲うたごゑともにあだならまし。


聖菜園


こころのかてをわがとる菜園さいゑんこそ
はえなき思ひ日毎ひごとに耕すなれ。
ある時ひくき緑はここに燃えて
身はまた夢見ごこちにわづらふとも
時には恐怖おそれに沈むかなしき
地獄の大風おほかぜ強く吹きすさみて、
ここにぞ生ふる命の葉は皆枯れ、
歡樂よろこび冀願ねがひもあだに消え去るとも、
ああただかの花草や、(はねなくして
ささやく鳩にも似るか、)そのにほひに
涸れにし泉ふたたび流れそそぎ、
ああまた荒れにし土の豐かなる時、
盡きせぬ愛の花草讃めたたへて
聖菜園のつとめに獨りゆかむ。


薔薇のおもへる


黄金の朝明あさあけこそはおもしろけれ、
狹霧に匂ひてさらばさきぬべきか。
嘆かじ、ひとり立てどもわが爲めいま
おもふに光ぞ照らす、さにあらずや。
嘆かじ、秋にのこりて立ちたれども、
小徑こみちを、(さなり薔薇のこの通ひ路、)
世にまた戀にゆめみるものの二人、――
嗚呼今靜かにさらばさきぬべきか。

少女は清き涙に手さへふるへ、
をのこは遠きわかれを惜みなげく、
あまりに痛きささやき霜に似たり。
かたみのこれよ花かと摘まれむとき
おとなく色にうつるもわりなきかな、
二人を知らで過ぎ行く、――將た嘆かじ。


別離


別離わかれといふに微笑ほほゑむ君がゑまひ、
わかるるせめてのきはにそは何ゆゑ。
にほへるおもわの罪か、世も、ねがひも、
希望のぞみも、かつてかがやくその光に、
のいろ澄める深淵ふかぶちその流に、
はなやぐこわねのあやに、――かつてたよ
わが身のそのさち限りあらざりしを、
ああなど君がゑまひに罪あるべき。

白日はくじつ薔薇さうびの花に射かへすとき、
亂るる影さへもなく紅なる
色こそ君が面わに照りゆらめ。
げにはた常住とはのゑまひや、嫉き花の
榮あるたはぶれとしもおもひ消して、
さらばよ戀の花園、さらばよ君。


靜かに今見よ


靜かに今見よ、園の白壁しらかべにぞ
やなぎの一つ樹枝こえだの影うつれる。
その影忽ち滅えぬ、――かの蒼波あをなみ
かくこそ海原闇き底にひそめ、
影また漸くあかす光の
まばゆく白く纒ふをながめいれば、
かつちかつ浮び來るそのきそひに
滿ちまた涸れゆくこころとどめかねつ。

運命深きわだちあと傳へて
見えざる車響けば、宴樂うたげにほひ、
歌聲むも束の間、おもへばげに
こは世に痛き鞭笞しもとや壁なるかげ――
むちうて、いましむなしく見えなせども
花園榮なき日にもこは無窮とこしへ


浮世の戀


冀願ねがひは強きちからにあげられつゝ
ひまなき吐息といきにきざすそのおもひも、
知らずや、はじめはこの世荒野のそと、
やすみのかげにこぼれしかなしき種子。
その種子きのふゑがきし夢をゆめみ、
今日しも燃ゆる火とこそ生ひたちけれ、
祕めしは深き焔のせいなりしか、
誰かはもとのこころを知りつくさむ。

花草かくて生ひたち匂ひなせば、
ああまたたはぶれの鳥何日しかみ、
花の芽ぬきて飛びゆく、――戀かいまし、
いとよきさちのみはやくみ去る時
胸には殘る面かげ、――消しがたきは
ふるへて、たへぬ眼のうるほひ。


よきしほ


よきしほ流れてゆきて歸りねば、
むなしき行方ゆくへ見やるもかひなからむ、――
戀する二人ふたりが胸こそただ浪だて、
占問うらどひささやくやすみ世にまたなし。
手に手をその後くますゆふべとも、
しのべる命さみしき香のみこめて、
言はむの彼はおもひを洩らしにくく
聽かむのこれは冀願ねがひをはや忌ままし。

あめ白き光のめぐれる日に
ここには物みなつるあとぞ暗き、――
戀せし二人が一人、嗚呼ああそのまま
いづれかけゆくくいのあわだつとき、
沈むは瑪瑙めなうの、瑠璃の戀の小壺、
とざすは闇よ、――永遠とはなる大海原。


蓮華幻境


わがむね池水いけみづたたへ、ときとしては
精魂たましひここに紅蓮ぐれんの華とぞふ、
しのびに君よ、この岸かの水際みぎは
幻影まぼろしふかき生命いのちの香をたづねよ。
このときおとかすかに大蓮華だいれんぐわ
蕾の夢さめ、人をなつかしみて
『かなたへ、君よ南へ、緑の國、
情の日のあやおほき空の下へ。』――

聲音こわねもかくいと熱くさそひなせば、
君はたせめていなまじ――『さらば彼處かしこ
※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)ほのほの愛のこころの故里へぞ。』――
ふたたび、嗚呼また三度語るを聽け、
『樂園涅槃ねはんの土のにほふところ
歡樂よろこび盡きぬ種子たねこそ常花とこはなひらけ。』


草やま


草やま草葉くさばみどりに匂ひなびき、
かがやく日ざしおほひて、絶間なくも
靜かに夢見うかるる身にし添へば、
ああわがこの身さながら空しき影。
空しきかげやわが身のこころのそこ、
光に融けゆくおもひいと樂しく
ねむりのより歸れるみちすがらに、
片ゑみさもなつかしき花を得たり。

わが日よ、高羽たかは焔にめぐりちね、
草山ひとつ縁の渾沌はじめよりぞ
見よ今わかれし姿さちあらずや、
しべしたしみふかき花よ――少女、
ゆらめく胸に抱けば、こはわが世の
いかなる戀か、嗚呼またわれは夢む。


君も過ぎぬ


にはかにわが身かはりぬ、否さらずば
聲なき歡樂よろこび手をば高くあげて、
『見よこの過ぎ行く影を、いざ』とすか、
遷轉せんてん無窮むきゆうの夢ぞ卷きてひらく。
流るるこの甃石いしだたみ、都大路、
酒の香、きねいろあやみだれうかぶ、――
あやしや此處にもしばし彼の自然しぜん
高嶺たかねの、大野おほのの力こもりぬらし。

嗚呼喧噪けんさうの巷も今し見れば、
往きかふ人影ひとかげ淡き光帶びて
あかつき朝日纒へる雲に似たり。
※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)らふたき人よ、この時かしこを君、
極熱ごくねつ豐麗ほうれいつちしばしきて
花草匂ふがごとく君も過ぎぬ。

十一

頼るは愛よ――一


爭鬩あらそひ絶間なき世の海のほとり
をぐらきとばりはおちぬ、いかにかせむ。
うしほは寂しく沈み、濤は暮れて、
の音今こそ朽ちめ、嗚呼わが日の
生命いのちはえよなやみよ逝き果つるや、
つひにはこの身の罪の淨めがたく
回憶おもひでしげき荊棘いばらみちくだり、
常闇とこやみつきぬ苛責せめにやさまよふべき。

たよるは、頼るは愛よ、君によりて
僅かに過ぎ片野路かたのぢ、荒磯べの
はかなきせいの旅人さちやしばし、
希望のぞみ瑞木みづきあやふ蔭に入りき。――
夢かは、うつ狹霧さぎりのこの世去らば
かの空かがやききそふ君が光。

十二

頼るは愛よ――二


その時わが身はここに、此處ここは星の
幾重かめぐれるみちほかなるべき。
にそが黄金環こがねわかぎ虚空みそらのみち
いつしか踰えこそ來つれ、(かく夢みて
夕暮ひとりまどへり)おふけなくも
胸には人の世さわぐ浪のおとの
なほかのゆらぎ傳へて、身にははやく
眞白き照妙魂てるたへたまの聖なるきぬ

たよるは、頼るは愛よ、君によりて
つちなる愁を去らむ、彼處かしこにては
僅かに夢に見えつるそのまこと
まばゆきけふぞあめにて解き知るなる、――
見よここ永生えいせいみやく精氣せいきみちて
時劫じごふのすすみ老いせぬ愛のかげ。

十三

頼るは愛よ――三


何ゆゑ泣きし涙と今また問ふ、――
知れりやなれよ、かつては世のくらさに
しをれしにほひの夢よ、――ありしその日
短かき歡樂よろこびあかぬちぎりのすゑ。
ちたる影や紀念かたみ花小草はなをぐさよ、
回憶おもひで――そはいと深き林なれば、
黒羽くろは懊惱なやみさまよふ彼の日にわが
が身のうへにかけにし涙のそれ。

さこそは、さこそはつらき露なりけめ、
涙や、しほや、――さはあれ高き愛の
涓滴したたりそれぞとなれもたのみけむか。――
小草よ花よ、今日こそたたへまつれ、
わびしき暗とかげとのへだてちて
この岸光あふるるあめの泉。

十四

運命


運命かれをしも今とらへなせば
苦惱なやみ畏怖おそれ双輪もろわたかく響く、
運命また彼をしも弄べば
嫉妬ねたみの影のいたみぞ癒えがたきや。
人の世短かきせいの旅やどりに
踏みゆくみちぞ荒野のくさし、
誘惑まどはしここにめば、あぢきなくも
泯滅ほろび犧牲にへとも知らで迷ひいるか。

『祈れよわが手下さむ。』ただこれのみ――
死はこれ運命の手か誰か知らむ、
(嗚呼聽く祈祷いのりの聲よ)世はやみなる。
罪知るゆふべよここに惑へる身の
うちなるたま疾風あらし行方ゆくへいづこ、
いのちの火もまたほろぶ彼やいかに。

十五

『天平の面影』

(藤島武二氏筆)

きしは千載ちとせか、ちりか、わが手弱女たをやめ
まなざしふかくにほふは何のさがぞ、
世はまた日に歸り來て、しづけささめ、
常久とこひさ君が華にぞあくがれよる。
束の間虚空そらにめぐりて疾風はやち
嗚呼その隙にしも人滅ぶといふ、――
いたみそ、くに妙音よきねなみ白銀しろがね
傳ふる君がいのちは窮りなし。

いざ君かなでよ箜篌くごう、――青水沼あをみぬま
高草村たかくさむらも、げにこれ新大路にひおほぢや、――
頑鑛あらがねもまた藝術たくみ慈相じさうのかげ、
豪華さかえ禮讃らいさんや、はた、戀や、歌や、――
そは皆君が手にこそ、桐若樹きりわかぎ
むらさき夏に潤ふ律調しらべの園。

    ○

みやうじやう

(キイツ)

明星みやうじやう、君が節操みさをにわれあえなむ――
夜天やてんに高く寂しうかかり照らし
かきはのまぶた※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みひらき、かの自然の
たゆまずねぬ隱者いんじやのそのさまもて、
人住む世の磯めぐり淨禮きよめおこな
聖僧ひじりのわざりすすめる海まもらひ、
はたまた連峰みねみね澤野さはの雪降り敷く
かのにひやはら被衣かつぎるそれならねど、――

否、さもあれ、とこみさを常久とこひさにぞ、
※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)らふたき君がりたる胸小枕
とこしへやはら浪だつそれを觸れむ、
とこしへうまし惱みにこころさめて、
時より時に聽かばやそがやさ呼息、
なさけもうつつ、さてしも夢に死なむ

    ○

戀のながめ

(ロセッティ)

何日いついと君をよく見む、わが戀人、
白日まひるをわがせい香案つくゑ――君が
そのおも、そのまのあたり、君によりて
知りし愛の祈祷いのりをいつく時か、
さらずば黄昏たそがれ、(われらただ二人ふたりや、)
くちづけみつに、ささやきよく語りて、
夕かげつつむ朧の君が姿、
わがたま君がたまのみ目戍まもるときか。

嗚呼君わが戀、これよりながく見ずば
が身を、つちにはおつる影もたえて、
泉にやどすまなざしそれもなくば、――
いかにか響くわが夕山ゆふやまもと
希望のぞみ墜葉おちば滅ぶるくがうづしほ、
滅びもはてぬ死のはね疾風あらし

    ○

希望

(ロセッティ)

あだなる冀願ねがひ、あだなる悔とつひに
手をとり死にゆきて皆あだなる時、
忘るる間なき苦痛いたみを何なぐさめ、
忘られがたきをなどか忘れしめむ。
平和やすきはなほひがたきかくれ水か、
精魂たましひさらずばただ緑野みどりののべ、
いのちの甘き泉のしぶきがもと
つゆむ華の護符まもりきえましや。

嗚呼わがかしこむたまの、黄金こがねみ空
聖經せいきやうしべにひもどく花のかひ
常世とこよのみめぐみひそみうかがふとき、
嗚呼はたあだし密偈みつげのあらずもがな、
唯かの一つ「希望のぞみ」の名だにあらば、――
ただそのことのみぞ、さば足りなむ。

靈鳥のうた


のみの手あらば鑿をり力をこめよ、
いと知らば絃をけかし。
ああさは問ひそ、
   『何處より來しかの鳥』と。

昨日きのふ閃電いなづま雲をき、けふ日は燃ゆれ、
ひとたび來てはいはほを去らず。
ああまた説きそ、
   『などか飛ばざるかの鳥』と。

鳥の姿はさやかにて、緑の珠の
その種子たねはなけるに似たり。
あああやしみそ、
   『世にめづらしきかの鳥』と。

鳥のひとみは、一日もしあらばその日に
よみがへり照る人ののかげ。
あああやぶみそ、
   『何のしるしかかの鳥』と。

獨り友なく大峰おほみねよそほひうかび、
また尾羽をはかへあしたもあらず。
ああゆびさしそ、
   『眠るかかくもかの鳥』と。

鳴音なくねは聽かず何日いつかまた鳴なむ聲か、
鳥はもだしてひとりしめり。
ああ嘲りそ、
   『命絶えしかかの鳥』と。

翅はされど(そ言へる)輝きみちて、
一夜ひとよまぼろし峰をめぐれり。
ああ疑ひそ、
   『夢にも似たるかの鳥』と。

ゆらぎを胸に覺えなばゆらぎをつつめ、
ふたたびこの世鳥は歸らじ。
ああかなしみそ、
   『何處に消えしかの鳥』と。

佐太大神


加賀神崎即有窟、高一十丈許、周五百二歩許、東西北通。
○所謂佐太大神之所産生處也、所産生臨時、弓箭亡坐、爾時御祖神魂命之御子、枳佐加比比賣命、願吾御子麻須羅神御子座者、所亡弓箭出來願坐、爾時角弓箭、隨水流出、爾時所産御子詔、此者非吾弓箭詔而、擲廢給、又金弓箭流出來、即待取之坐而、闇鬱窟哉詔而射通坐、即御祖支佐加比比賣命社坐此處、今人此窟邊行時、必聲※[#「石+滴のつくり」、U+25550、210-中-11]※(「石+盍」、第4水準2-82-51)而行、若密行者、神現而飄風起、行船者必覆也。
出雲風土記

こころ愁ひあれば枳佐加比比賣きさかひひめ
涙もいと熱くひとり迷へり、
天なる神魂かむむすび御祖みおやをしのび、
暗きうしほめぐる海のいはや
嘆くとき聲あり、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

愁ひに堪へかねて枳佐加比比賣、――
『あはれすべきかな、蒼海原あをうなばら
あやしき調しらべる神こそ知らめ、
失せつる生弓箭いくゆみや浪やかくせる。』
この時聲はまた、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

いともみにくたまは浪に動き、
大海原まさにどよみわたりて、
飄風あらし空より落ち、雲うち亂れ、
うしほは火の如く渚に燃えぬ。
聲はまたこの時、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

『さはあれ、うるほへるたい園生そのふ
光の種子は裂け神の御裔みすゑ
れまさむあが御子みこ益荒男ますらをならば、
失せにし生弓箭のあらはれよ』と、
祷る時聲また、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

海しばし靜まり、浪より浪、
沖邊より磯邊に流るる弓箭。――
祈祷いのりに伏し沈む枳佐加比比賣の
きよせい宿やどりこの時ひらけ、
いみじき聲高く、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

嗚呼生れましにける佐太の御神、
たけくかたき光は海にかがやき、
浪よりあらはれしつのの弓箭の
『こはわがものならじねよ、』とらす
御聲みこゑはくもりなく、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

海また平らぎて、浪より浪、
沖邊より磯邊に寄せ來る弓箭、
黄金こがねの裝ひかがやき流れ、
高潮たかじほみだれうつやみうつれど、
御聲はまたさらに、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

嗚呼あめ御裔みすゑ御子みこ大神おほがみ
この時浪間より流れいでける
黄金こがね生弓いくゆみたかく手握たにぎたし、
かがやく黄金御征矢こがねみそや弓筈ゆはずにつがひ、
窟戸いはやどにたたして、――
  『暗きかも、暗きかも、
  嗚呼暗きかもこの窟。』

こころ歡びぬれば枳佐加比比賣、
あが御子みこむる時弓絃ゆづる響きて、
征矢射通いとほしゆけばあめあふれ、
大海おほうみ華のごとひるがへりけり。
さて御聲みこゑさはやかに、
  『光あれ荒磯邊、
  佐太大神さだのおほかみわれたてり。』

新鶯曲


法吉郷、郡家正西一十四里二百卅歩神魂命御子、宇武賀比比賣命、法吉鳥化而飛度、靜坐此處、故云法吉。
出雲風土記

わが姉うぐひす、いかなれば
野を、また谷を慕ふ身と、
鳥に姿をかへにけむ、
みどりは匂ふそのつばさ。

われは永劫とこしへ海の精、
きのふのむつみ身にしめて、
巖群いはむらなぎさおほ浪の
みだれに胸を洗はむか。

わが姉しばしふりかへり
北海きたうみ寒き磯を見よ、
こごえてつる雲のもと
ただあぢきなきこの恨。

われは悲愁かなしみつきがたく
いさごたふれ嘆くとき、
深きおもひもわたづみの
とよもしにこそかくれけれ。

わがあね、鶯、ほのかなる
ほほゑみほめて、世の人は
鳴く音しらべの汝がこゑに
愁ひ痛みも忘るべし。

われは迷へる海の精、
貝のからなる片葉かたはもて、
きのふぞ二人ふたり大神おほがみ
さゝげにけるを生藥いくぐすり、――

わが姉、鶯、なにすとて、
大虹おほにじふかきあやに照る
殼のさかづきうちすてて、
すてて惜まぬ歌の聲。

われは今なほ海の精、
がゆくへをば思ひやり、
いはほにのぼり、浪にぬれ、
夜もまた晝もかなしまむ。

鶯、鶯、わが姉よ、
春に遇ひたる樹間このまより、
しばしは荒き遠海とほうみ
昔をしのびいでよかし。

われは朽ちゆく海の精、
なげきのこゑも消ゆるまを、
いよいよ春に時めきて
がしらべこそ清からめ。

紫蘇


黄なる小草とみだれあひ、
紫蘇の葉枯るる色見れば、
なぞも野みちにたたずまれ、
かばかり胸の悲しきや。

わかれし人の面影の
ここにもうつるわりなさか、
それにもあらでかかる日に
かかる野みちのいたましき。

黄なる小草と、紫蘇の葉と、
この日この野に枯れみだれ、
日は秋に伏す路遠く
いづこより曳く愁なるらむ。

戀の園


『みだれてくらき深海ふかうみ
底にねむりし身もこよひ、』――
眞珠しんじゆ小百合さゆりの唇に
はじめてふれて、
   『君を戀ふ』と。

めどもふかく沈めつる
海はしんじゆの母なれど、
母をも棄ててこの園に
ああまた何ぞ、
   『君を戀ふ』と。

小百合は知るや、慕ひよる
ざしはあめにふさへども、
胸にはゆらぐ海のおと
うれひやいとど
   『君を戀ふ』と。

あふれて月は雲に入り、
雲は光にとくるとき、
小百合の園のえて
影ゆめふかげ、
   『君を戀ふ』と。

しんじゆの清き身ならずば
小百合なにかはくちづけの
あまきにほひもまじへじを、
さてもせつなげ、
   『君を戀ふ』と。

夜はひとやのやみならで
今宵こよひ月照る戀の園、
やすらひの戸もかげやけど、
きかずやあはれ、
   『君を戀ふ』と。

嗚呼沈みしも海のそこ、
戀ふるも深きこころには、
小百合なさけのくちづけも
あさきやさらに、
   『君を戀ふ』と。

戀の火焚けば雲もはた
濤もひとつの火のいぶき
光の干潟ひがた、――月もまた
わづらへどなほ、
   『君を戀ふ』と。

※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)ながれて戀にゆき、
おもひはもゆる身ぞこよひ、』――
眞珠小百合の花びらの
口にくちづけ、
   『君を戀ふ』と。

歡樂


埋もれし去歳こぞ樹果このみ
その種子たねのせまき夢にも、
いかならむ呼息いきはかよひて
觸れやすき思ひにむる。

さめよ種子、うるほひは充つ、
さやかなる音をば聽かずや、
流れよるいのちの小川
涓滴したたりのみなもといでぬ。

夢みしは何のあやしみ――
身はうかぶ光のはてか、
ゆくすゑの梢ぞかなふ
琴のねの調のはえか。

うづもれし殼にはあれど、
なが胸の底にしもまた
歡樂よろこびを慕ひつくすと
あくがるるあゆみ響くや。

萌えいでてさらば一月
菫草すみれこそ君が友なれ、
ひたちて、やがてはある夜
眞白百合ましらゆり君に添はまし。

幻影


われただひとりたたずみて
聽けば寂しやささやきを、――
そは白き日のもらすなる
あめのささやき、遠海に。

かすかなれどもあきらかに、
しづかなれどもきらめきて、
輝く天のささやきの
きがたきかな、遠海に。

嗚呼高き虚空そら、遠き海、
際涯はてなきものの世にふたつ、
かたみにあぐるさかづき
光あふるる虹の色。

酌めるは何のうまざけぞ、
この世ならざる歡樂よろこび
まよはしまと眞白手ましらて
祕めてみけむ戀の酒。

眞晝まひるは滿ちてかがやけど、
誰か來りて白銀しろがね
天のひかりのささやきを
かの遠うみに慕ひよる。

そのささやきをきてこそ、
さてこそ星のいただきに、
かしこに百合の園ありて、
薫香かをりいかにと知るべけれ。

さてこそ、海はひるがへり、
うしほは華とみだれちり、
ゆたかにうかぶ※(「さんずい+區」、第3水準1-87-4)しほなわ
りしすがたもふべけれ。

幻影まぼろしなれば觸れがたく、
ただ華やかに身をめぐる、――
きしは、さても知りつるは
何ぞ、いかなる祕事ひめごとぞ。

さめてはすべて言ひがたし、
慕ふのみ、はた、忍ぶのみ、――
幻影まぼろしなればうつろひぬ、
眞晝もやがて傾きぬ。

に入れるかげ見れば
小甕をがめは浪に燃え浮び、
甕のおもてはかがやきて
火もてゑがける火の少女。

幻影まぼろしはげにここに盡き、
小甕は浪に沈むとき、
わが身――焔の琴の絃
火の小指をゆびもて誰かくべき。

さいかし


落葉林おちばばやしの冬の日に
さいかし一樹ひとき
    (さなりさいかし、)
その實は梢いと高く風にかわけり。

落葉林のかなたなる
里の少女は
    (さなりさをとめ、)
まなざし清きその姿なよびたりけり。

落葉林のこなたには
風に吹かれて、
    (さなりこがらし、)
吹かれて空にさいかしのさやこそさわげ。

さいかしの實の殼はち、
風にうらみぬ、――
    (さなりわびしや、)
『命は獨りおちゆきて拾ふすべなし。』

さいかしの實は枝に鳴り、
音もをかしく
    (さなりきけかし、)
墜ちたる殼の友の身をともらひ嘆く、――

『嗚呼世に盡きぬ命なく、
朽ちせぬ身なし。』――
    (さなりこの世や、)
人に知られでさいかしの實は鳴りにけり。

風おのづから彈きならす
小琴ならねど、
    (さなりひそかに、)
枝に縋れる殼の實のおもひかなしや。

わびしくみのる殼の種子たね
この日みだれて、
    (さなりすべなく)
には泣けども調なき愁ひをいかに。

かくて世にまたあらたなる
光あれども、
    (さなり光や、)
われは歎きぬさいかしの古き愁ひを。

星眸


昨日きのふ緑の蔭にして
ふたたび君と相見てき、
こはゆくりなさそのままに
邂逅めぐりあひつつ別れけり。

胸には淡く殘るとも
面影の花朽ちざらむ、
わかれきてこそいや慕へ、
名をだにしらぬ君なれど。

星眸まなざしのをやみなさ、――
雲にあふれて雲をいで、
光はけてふる
野に野の草をわたるごと。

星眸まなざしのをやみなさ、
たまたまやどすその影の
胸になやみの戸を照らし
ふかき園生の香に入れり。

夜こそ明けけれわかやかに、
ああ歡樂よろこびの日に遇はば、
高きその日は見ずもあれ、
光に添はむわがねがひ。

馨香にほひはされど驚きて
などかはそむく戀の花、
君おもかげの花なれど
あまりわびしき夢のかげ。

戀のながれのわれや水、
ながれて底に沈めども、
水泡みなわと浮び消えもせで
かの星眸まなざしのなほも殘れる。

小鳥


眞白き霜の曉に
香もなき枇杷びはの花に來て、
小鳥かなしきまなざしは
うすき日かげにただよへり。

小鳥よ、いましものうげに
鳴くは羽がひの冷ゆるとや、
冬かくまでにうらびて
なさけの園は遠しとや。

雪雲ゆきぐもとぢて風冴えぬ、――
鳴くねあはれのおとろへに、
よろこびかつてあかざりし
ふしのはなやぎ聽きわかず。

宴樂うたげの海も時來れば
醉のうしほの落つる間を、
干潟ひがたに拾ふうつせがひ
そのさかづきを誰か汲む。

女神手をとり野に引くと
ゆめみてさめし曉に、
などその夢のたのしくて、
この鳴く聲の悲しきや。

わが夢のにさまよひて
香もなき枇杷の花をみ、
氷雨ひさめのうつにまかせては
いたましきかな汝が姿。

光の歌


光は白き鳥となりて
輝く空の黎明あさあけに、
めざめてもなほ麗はしき
夢のつばさや。

曉星あかぼし清き天の園に
瑞木みづきは匂ふあや氣息いき
見よ雲もまた命ある
香にこそ染まれ。

世は新しき日にかへりぬ、
運命さだめの車いと暗き
わだちのあとも古歳ふるとせ
塵にかくれよ。

何處いづこに人は徂き果つとも、
この日めざめし天の戸の
光のさそひとことはに
われはたのまむ。

溶けたる瑠璃の高き淵に
雲は流れて注ぐ時、
焔うかべし朝のいろ、
朝のよろこび。

太虚みそら宮殿みや階段きざはし踏み、
きよき扉に手を寄せて、
權威ちからにかひらきけむ、
くるるぞ響く。

げに今白き鳥となりて
光はあめを離れけり、
天を離れてわか草の
野にこそ降れ。

名珠餘影


短詩飜譯の四くさをここにかかぐ。その一は鬼才ブレエキ作“Sun-Flower”にして、その二は作詩典雅をもてあらはれたるランドル七十五歳生誕日の翌某女友に遣れる述懷の詠なり。その三はダンテ、ロセッティ幽婉の傑作、わが愛誦措かざる“Sudden Light”の一篇、その四はクリスチナ、ロセッティの數多かる抒情の歌のうち“One Sea-Side Grave”と題せるを擇びつるなり。四章もと寸璧のかがやきことに著るしけれど、そのうるほひを傳へむことはむづかし。

一、ああ日ぐるまや

(ブレエキ)

ああひぐるまや、日のあゆみ
ひねもすかぞへ倦みつかれ、
旅ゆくみちのはてといふ
うまし黄金の國を趁ふ。

うらみうせつるますらをも、
雪衣ゆきぎぬかつぎきし子も
墓よりいでゝたづねよる
國へわれもといのる日ぐるま。

二、述懷

(ランドル)

爭はざりき、爭ふもやうなき世や、
めでしは自然しぜん、そをおきて藝術たくみのわざ、
雙手もろていのちの火にかざしぬくめしかど、
火ぞ沈む、嗚呼何日とてもかしまだたむ。

三、そのかみ

(ロセッティ)

そのかみここにはありけむ、
いつぞ、いかにと語りあへねど、
さながらなりや微草をぐさ
うましかをり、
嘆く浪の、磯めぐる燈火ともしびのかげ。

そのかみ君をも知りけむ、
いつの世ぞとはえもわかねども、
つばめさすかたうなじを君
さはかへすとき、
※(「巾+白」、第4水準2-8-83)かほぎぬおちぬ、――そは昔われこそ見つれ。

そのかみかくこそありけめ、
うづまく「時」のすがひゆく間や、
二人が戀はまた身に添ひ、
朽ちまじとさては
夜も日もおなじ歡樂よろこびにかへれるやいざ。

四、海邊の墓

(クリスチナ、ロセッティ)

おもひもいでず薔薇さうびさへ、
おもひもいでずうばらさへ、
さても麥刈つかれはて
積みし穗によりねぶるごと、
しかせむわれも黎明あしたまで。

寒きは寒き臘月らふげつの――
過ぎしはゆきし日のごとき
その間も一人われをおもふ、
世はみな忘れはつるとも
なほ一人のみわれを憶ふ。

獨語

破船の後――南海の孤島

海ぞわが戀、いかなれば
おもひかなしき、
    海ぞいのち、
見よ浪はあふれ、日こそ照らせ。

うかび來つれば身も船も
しぶきのしづく、――
    ああわたづみ、
しづくとくだけし船を見ずや。

さだめは土に歸る身も
海に就かまし、
    ただねがふは
海にほろび、土と朽ちじ。

飮まむか海のさかづきに
恐怖おそれ一夜ひとよ
    あらしと浪と
かげこき雲とにめる酒を。

ひとたびはわれら口づけし、
されどなほさむ、
    さちなの友、
船のみくだけて、なほながらふ。

酌まむかさらば浪熱く
とけしほのほを、――
    夢ふかかれ、
こゆかれその酒、そのあやしみ。

さちなのともよ、蔭もなき
珊瑚さんごの島ね、――
    日こそ燃ゆれ、
井をもとむれどもうしほきぬ。

かわきはやまず、うしほのみ、――
ただ海の水、
    いかにかせむ、
玳瑁たいまいきてうしほたる。

そこの小草をぐさくれなゐの
草の實すつる、
    ああこの時
などかはおそるる、こをでずや。

われこそさらば口づけめ、
なつかしの實や、
    知れわが身を、
はこれわが夢、わがまぼろし。

なさけはふかきうしほより
れる※(「さんずい+區」、第3水準1-87-4)あわしも、
    島根さんご
くれなゐの實とぞさはやどれる。

死よりもつよき戀とこそ
はやく聞きつれ、
    海のみなみ
かがやきぶるやこの草の實。

かつてはみしわがいのち、
花瓶はながめの水――
    花ははやく
世をばしぼみ去りて、――水は海に。

海ぞわが墓、ここにして
何かなげかむ、
    死のさかづき
戀のしたたりくんずるをや。

今またさしも寄りそふか
おもひのかげよ、――
    わが眞白手ましらて
いざこのさかづき飮みほしてむ。

わたづみの戀、海の日や、
照らせあふれよ、
    夢ふかかれ、
濃ゆかれこの酒、このあやしみ。

(明治三十六年五月刊)





底本:「日本現代文學全集 22 土井晩翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨集」講談社
   1968(昭和43)年5月19日初版発行
   1969(昭和44)年10月1日第2刷
底本の親本:「獨絃哀歌」白鳩社
   1903(明治36)年5月25日発行
初出:例言「獨絃哀歌」白鳩社
   1903(明治36)年5月
   獨絃哀歌 (十五首)「明星」
   1901(明治34)年8月
   靈鳥のうた「獨絃哀歌」白鳩社
   1903(明治36)年5月
   佐太大神「明星」
   1902(明治35)年
   新鶯曲「新聲」
   1902(明治35)年
   星眸「新聲」
   名珠餘影「明星」
   1902(明治35)年
※底本では副題のように見える「哀調の譯者に獻ず」は底本の親本ではページをあらためてページの左右中央に組まれています。
入力:広橋はやみ
校正:荒木恵一
2015年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

「石+滴のつくり」、U+25550    210-中-11


●図書カード