泣菫氏が近業一篇を読みて

蒲原有明




 穉態を免れず、進める蹤を認めずと言はるる新詩壇も、ここに歳華改りて、おしなべてが浴する新光を共にせむとするか、くさぐさの篇什一々に数へあげむは煩はしけれど、めづらしき歌ごゑ殊にたへなるは、秀才泣菫氏が近作、「公孫樹下にたちて」と題せる一篇なるべし。はしがきによりて窺へば、氏が黄塵の繁務を避けて、美作の晩秋たまさかに骨肉の語らひ甘かりし折の逍遙に、この一連珠玉の傑品あり。「ああ日は彼方」と調べそめし開語すでになみならぬ勢整ひて、戦ひのにはに臨める古勇士の一投足に似たり。やがて一篇の主題たる公孫樹の雄姿を描きては
ここには長きその影を
肩に浴びたる銀杏の樹
天つ柱か高らかに
青きみ空に聳えたる
謂はば白羽の神の子が
陣に立てるに似たりけり
とありて、白日荘麗の観おもはず俗念一掃の清興を仰がしむ。
 遽かに雲影みだれ飛ぶ美作の高原、黒尾峠を吹きめぐるは那義山の谿にこもれる初嵐といふなるに
「死」の如冷えし手をあげて
来りて幹に攻めよれば
見よ金色の肩ゆらぎ
卑しきものの逆らひに
犠牲となる葉を見よと
嘲笑するどよめきに
あらこぼるるよ乱るるよ
千枝悉く傾けて
嵐にそそぐ美しさ
雄々しさ清さ勇ましさ
げにも金色の肩のゆらぎには、うち誦する折の聯想いちはやく胸に浮びて、激越高調の琴声に刀、槍の響を伝へ、軍神電撃の令犯し難き叙事詩の境をまのあたりにするが如し。
大空はしる雲の白き額うつぶすと言ひては、下の邦なる争ひの急なるを愁ひ、大樹も梢あらはに黄葉落尽のさまを譬へて素足真白き女の神の引照比喩頗る精彩あり。第三節に移りては詩想とみに凝り、多少の感慨主張は鋒鋩を露はし来りて、憤激の辞気は千歳癒えざる霊木の背の創に染み、とはに新らしき闘ひにしも慣れよ、その撓まぬ心のおごりこそわが世の栄なれ、幸なれと、急調に奏で了るあたり、奔湍のほとばしり壮なりとも称ふべきか。島崎藤村氏が落梅集には「常盤樹」の歌ありて、「常盤樹の枯れざるは百千の草の落つるより痛ましきかな」の悲壮声深く、恰も狭霧とざす大海のどよもしに似たりとおぼゆるに、またここには
銀杏よ汝常盤樹の
神の恵みの緑葉を
霜に誇るに比べては
何等自然の健児ぞ
の鉄案洵に摧き難かり。つづいて奇警の句、
われら願はく小狗の
乳の滴りに媚ぶる如
心弱くも平和の
小さき名をば呼ばざらむ
に至りては、声調措辞、泣菫氏が特技を観るべし。
 私かにおもふに、全篇晶潔透明の趣なく、雅醇のむねに欠くるところありと雖も、こは恐らく泣菫氏が敢てなさざる末技なるべきか。毎詩必ず豊麗はこれあり、ややもすれば詞致雑揉に過ぎ、多彩の筆路、時として流滑の調を失ふと言ふは、評家の定議なれども、この篇の如きは、「ゆく春」集中「石彫獅子の賦」と類を同うし、強て彫琢を用ゐずして才藻富贍の裡、自から素朴の香高きもの。されどいつも感憤の大声ことごとしげなるには、ゆかしみ薄きここちす。嶺南の詩人レオバルヂが落葉のうたと言ふを読むに、きのふの秋風、けふの野分、われや卑しき槲の落葉の、深き岡部の森より野草しぼむほとりに吹き送られぬ。今また何処に徂かむ、風の誘ひのまにまに恐れなく悩みなくてあらまし、いづれもおなじさだめの行方に随はむ、かしこ薔薇の枯葉飄りゆくよ、またかしこ桂の落葉と、簡素にして幽趣掬するに余りあるこれ等の詩句には、幾代竭きざる情こもれりとおぼしく、わづらひ多き此世に命さだめなき身を寄せて、捉らへ難き歓楽を慕ひつくすあはれは
ああ名と恋と歓楽の
夢の脆きにまがふ世に
など説くにも勝りたらずや、いかに。
(第弐明星 第弐号 明治三十五年二月)





底本:「蒲原有明論考」明治書院
   1965(昭和40)年3月5日初版発行
初出:「第弐明星 第弐号」
   1902(明治35)年2月
入力:広橋はやみ
校正:小林繁雄
2010年12月8日作成
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