愛國百人一首に關聯して

齋藤茂吉




      ○
 選定の結果、數萬といふ資料の歌がただ百首になるのであるから、實に澤山の推薦歌が選に漏れたことになり、殘念至極であるけれども、これは大方君子の海容をねがはねばならない。
 選についての感想を問はれたが、自分としては特に申すことはない。ただその一、二を強ひて申すなら、萬葉集で、遣唐使隨行員の一人の母の作、『旅びとのやどりせむ野に霜ふらば吾が子はぐくめ天の鶴むら』の選ばれたのはたいへん氣持がよかつた。この歌はまことに純粹でよい歌だが愛國歌といふ上からは、どうなるか知らんと心配してゐたが、選定に入つたのはまことに氣持がよい。それから、紀清人の『天の下すでにおほひて降る雪の光を見れば貴くもあるか』といふ歌の選ばれたのもまたさうである。この歌も愛國歌といふ字面にこだはればどうかと思ふのであるが、作者の作歌動機をつきつめて行けば愛國の心に到るのであつて、これの選に入つたのも嬉しかつた。
 本居宣長の『さしいづるこの日の本の光よりこま唐土も春を知るらむ』、玉鉾百首中の歌などが落ちて結局、『しきしまのやまと心を人問はば朝日ににほふ山櫻花』が選定せられたのは、單にその場の群集心理に支配せられたといはうより、この歌の純粹性がその結論に導いたともいふことが出來るやうであつた。また宣長のこの歌が選ばれれば、眞淵の、『うらうらとのどけき春の心よりにほひいでたる山ざくら花』や、『唐土の人に見せばやみ吉野の吉野の山の山櫻花』が選に入つてもよささうに思はれるが、『大御田のみなわもひぢもかきたれてとるやさ苗は我が君の爲』の選ばれたのは、農業増産に關係ある佳作であるので、委員は互に意識してこの歌を選定したのも一見識といふべきである。
 それから、徳川末期志士の歌が隨分選に入つたのも當然といふべくまことに喜ばしいことであつた。それから吉田松陰の『やむにやまれぬ大和魂』が殆ど決定してゐたのが最後になつて『とどめ置かまし大和魂』になつたのも熟慮の末になつた結果である。頼三樹三郎の『我が罪は』の歌も殆ど決定したが最後になつて落ちたのも道理があつた。
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 愛國百人一首上代の部は記紀の歌には種々と檢考を經た結果一首も選定なく、萬葉集の歌からといふことになつた。萬葉集の歌も互に周到な意見が取交され、例へば、
おほきみは神にしませば赤駒のはらばふ田井を京師となしつ (大伴御行)
皇は神にしませば天雲のいかづちの上にいほりせるかも (柿本人麻呂)
の二つとも豫選に入り、二つとも選定の價値あるもので、年代からいへば御行の方が先であるし上二句は同一であるといふやうなことで、二つとも選定しようといふ意見もあつたが、歌數の關係で人麻呂の方を採ることになつた。
 それから、選定した人麻呂の歌も、限定せられた愛國の概念からいふと、いろいろと議論もあるかも知れぬが、人麻呂の眞實純粹な奉歸一天皇の精神があらはれたものであるから、愛國歌の一つとして立派なものだといふことが出來るといふ結論になつた。
 さういふ風にして選定せられた萬葉集の歌は、いづれも立派で、皇國民として是非愛誦し、カルタといふ心身行爲に伴つておのづから暗誦し、心中に染み込むやうになつて欲しい歌ばかりである。
 すなはち、防人今奉部與曾布の、『今日よりは顧みなくて』の歌、海犬養岡麻呂の、『御民吾生ける驗あり』の歌も、防人丈部人麻呂の、『大君の命かしこみ磯に觸り』の歌も、山上憶良の、『士やも空しかるべき萬代に』の歌も、それから、高橋蟲麻呂の『千萬の軍なりとも言擧せず』の歌も、皆滿場一致で選定せられた。
 それから、大伴家持の歌には愛國的な歌もほかにあるが『天皇すめろぎの御代榮えむと東なるみちのく山にくがね花咲く』の選ばれたのは、大東亞戰爭を祝福する意味があり、無限なる鑛業發展を暗指してまことに喜ばしい歌であつた。その他、『旅人の宿りせむ野に霜ふらば吾が子羽ぐくめ天の鶴群』といふ遣唐使使人母の歌は萬國に比類なき皇國精神の母性愛を表はしたものとして選ばれたのもまことに嬉しいことであつた。日本の母の母性愛は實に愛國精神の根源の一つだからである。
 かくの如くにして選定せられた萬葉集の歌は二十三首ばかりである。して見れば百人一首中の約四分の一を占め、從來の小倉百人一首に萬葉歌人のものとして入つてゐる和歌の數首に過ぎないのに比して、非常なる相違と謂はねばならない。
 これは取りも直さず、皇國民一般の心理を反映したものと解釋すべく、あからさまには愛國云々とは云はぬものでも、純眞にして一こくなる上代皇國民の心の精華としての萬葉集が、一般に親しまれる大氣運に向ひつつあることを立證するものである。同時に大東亞戰爭大勝利のさきがけをなすものとして、歡喜至極である。





底本:「齋藤茂吉全集 第十四卷」岩波書店
   1975(昭和50)年7月18日発行
初出:(前半)「東京日日新聞」
   1942(昭和17)年11月21日
   (後半)「東京朝日新聞」
   1942(昭和17)年11月21日
入力:しだひろし
校正:染川隆俊
2010年9月4日作成
2011年4月22日修正
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