もうそろそろ体に汗のにじみ出るころであつたから、五月を過ぎてゐたとおもふ。途中で買つた医学の古書をば重々と両脇にかかへて、維也納のシユテフアン寺のなかに入つて行つた。それは疲れた体を休め、汗をも収めるつもりであつたのだが、両脇に書物の包をかかへてゐるために、向うの祷卓のところまで行つて、それから帽子を脱がうとおもひ、寺の中のうすぐらい陰気な石の床上を歩いて行つた。いまだ卓までは十数歩もあらうかとおもはれたころに、ひとりの男がつかつかと来て、『帽子をおとりなさい』といふ刹那に僕の帽子をば床上におとした。
そのとき僕はどう思慮したか、殆ど思慮のいとまもなく小走に走って行つて、重い書物をば卓のうへに置いた。
それからむらむらと憤怒の心が起つて溜まらぬので、彼の男を二たび見つけて、何かの形で突かかつてやらねばならぬといふ気がした。
然るに僕はさうしなかつた。陰気な寺の中の薄明が怒の行動に抑制を加へたと見えて、しばらく額に手を当ててゐたが、僕は静かに行つて床上におとされた自分の帽子を取つて来た。それからそこの卓に小一時間も休んでゐた。心に湧いてくる事は、今してゐる教室の為事の内容などで、帽子をおとした彼の男に対する残念な心などは不思議にうすらいでゐた。
小一時間もそこに休んで、二たび書物を両脇にかかへて寺を出た。その時帽子のつばのところを口でくはへて来た。二度咎められては困ると思つたのである。そんなことがあつた。
シユテフアン寺の出口のところに立ってゐる老いさらぼひた媼の乞丐に書物の包を持つてゐてもらつた。それから帽子を二たび冠り、老媼の乞丐に札一枚呉れてまた書物の包を両脇にかかへて寺を出た。
薄ぐらい寺の中から出て来ると、維也納の澄んだ空から差す日光はまばゆいほどである。鋪道をしばらく歩いてくるうちに、もう体に汗のにじみ出るのをおぼえる。
道の左側に絵葉書店があつて、店頭にあらゆる葉書を飾つてゐるのをながめて居たところが、先ほどのことが気にかかり出して、ゐても立つても居られなくなつた。さればと謂つてその憤怒をばどういふ行為として追ひやらうか、その方便が分からない。僕は差向き、Dienstmann を呼んで書物の包をば宿に届けさせた。そして茫然としてしばらく街頭をながめてゐた。Dienstmann といふのは、嘗て森鴎外が豊前小倉に「伝便」が居るといつてはじめて文章に書いたあれである。
茫然としてゐる僕に、ヴイ・ザ・ヴイを歩く一人の清痩な娘が目についた。娘は僕を一瞥微笑して、それから見向もせずに歩いて行つた。その娘のことを留学生どもは、「喪章」と呼んでゐたのは、その時分静かな佳い顔をしたその娘が、帽に黒の紗を垂らしながら珈琲店の隅にゐて、日本人の留学生ともつつましい話を取交はしたといふことから名づけた名である。
墺太利が戦に敗れて、ひどく困つてゐたころである。清痩な「喪章」を見ると、脱帽のことで起つた僕の憤怒の心がいつか静まつた。「喪章」は、その頃はもはや黒い紗を帽からはづして晴々とした顔をしてゐた。
維也納の滞在も、間もなく年を越すころになつた。僕は某区の
僕は、つつましやかに、脱帽し、あいて居た席に腰かけて、気を落付かせようとした刹那に、前の方から一人の男がつかつかと来て、『どうぞ帽子をおかぶり下さい』と云つた。
僕は、驚いたが、左様した。恐らくはたで見たら、僕の顔が赤くなつてゐたに相違ない。
この殿堂内では、脱帽しないで、帽子をかぶるものだといふことを隣人が話してくれた。