私の家の

ある時、野良か餘所の飼かどちらか知れぬが、牝猫が座敷に上つて來て、しきりに媚を呈するので別に追ひやることもせずに置いた。部屋には雜然と古雜誌が積んであつたし、書棚も碌に整理が出來ずごぢやごぢやになつてゐたし、床の間にはその時、ひとから箱書を二つばかり頼まれて掛軸を箱から出してその傍に置いてあつたりして、一口に云ふと雜多雜然といふ形状にあつた。その牝猫がその部屋に來て古雜誌のあたりをしきりに歩いてゐた。妙なことをするとおもつてゐると、床の間に行つた。行つたかとおもつた殆ど瞬間に、掛軸を入れる桐の箱の中に、音をさせて小便をした。そして餘勢で軸の一部分も濡れ、怒るの怒らないのと云つたところでもう間に合はなかつた。私はその牝猫を自動車に乘せて郊外の方に棄てさせた。
五六年前にもなるか、家ダニが蔓延して困つたことがある。家ダニは鼠の幼いのにたかるといふので鼠の巣を片附けさせたが、この家ダニは猫にもたかつた。露西亞猫の三代目かになつてゐたのを飼つてゐたのに、家ダニがたかり、癢いと見えて爪で掻いたりすると血を吸つて赤くなつたのが幾つも落ちた。そこで、この猫は少し惜しかつたけれども、やはり自動車に乘せて郊外に棄てさせた。
それから、もう一つ、これもいい猫であつたがそのころ家ダニがたかつたので、はじめのうちはリゾフオルムなどを微温湯に溶かして、それに浴させてゐたが、どうしても退治が出來ぬので、棄てさせた。この二つは幼い時から育てたので、行儀もおぼえてゐたので惜しかつた。
それから、家の


猫といふ動物は、主人の顏も好くおぼえないと謂はれて居る。道の上などで主人に會つても逃げるといふやうなありさまである。私は人の顏をよく忘れて、『お見それ申す』といつた場合が從來も能くあつたが、このごろは餘計にひどくなつた。哲學者のMさんには巴里以來、それから東京でも數囘逢つてゐるのに、ある機會に二三囘お見それ申した。美學者のKさんにも獨逸でも逢つて居るし仙臺でも逢つて居るが東京での機會には忘れて挨拶をしなかつた。そんなことを思ふとおどおどしてかなはない。
猫はおなじ畜生でも犬とは大にその趣を異にしてゐる。家の外に於て猫に犬の十分一も愛想よくさせるのは並大抵のことではない。さうおもふと私は畜生ならば犬的でなくて猫的である。而してこの聯想はいつも私をして憂鬱ならしめ、猫をしていやな動物として印象せしめる。(昭和十五年十月)