「ケルトの薄明」より

THE CELTIC TWILIGHT

ウィリアム・バトラー・イエーツ William Butler Yeats

芥川龍之介訳




       ※(ローマ数字1、1-13-21) 宝石を食ふもの

 平俗な名利の念を離れて、暫く人事の匆忙を忘れる時、自分は時として目ざめたるまゝの夢を見る事がある。或は模糊たる、影の如き夢を見る。或は歴々として、我足下の大地の如く、個体の面目を備へたる夢を見る。其模糊たると、歴々たるとを問はず、夢は常に其赴くが儘に赴いて、我意力は之に対して殆ど其一劃を変ずるの権能すらも有してゐない。夢は夢自らの意志を持つて居る。そして彼方此方と揺曳えうえいして、其意志の命ずるまゝに、われとわが姿を変へるのである。
 一日、自分は隠々として、胸壁をめぐらした無底の大坑を見た。坑は漆々然として暗い。胸壁の上には無数の猿がゐて、掌に盛つた宝石を食つてゐる。宝石は或は緑に、或は紅に輝く。猿は飽く事なき饑を以て、ひたすらに食を貪るのである。
 自分は、自分がケルト民族の地獄を見たのを知つた。己自身の地獄である。芸術の士の地獄である。自分は又、貪婪どんらん止むを知らざる渇望を以て、美なる物を求め奇異なる物を追ふ人々が、平和と形状とを失つて、遂には無形と平俗とに堕する事を知つた。
 自分は又他の人々の地獄をも見た事がある。其一つの中で、ピイタアと呼ばるゝ幽界の霊を見た。顔は黒く唇は白い。奇異なる二重の天秤のさらの上に、見えざる「影」の犯した悪行と、未行はれずして止んだ善行とをはかつてゐるのである。自分には天秤のさらの上り下りが見えた。けれ共ピイタアの周囲に群つてゐる多くの「影」は遂に見る事が出来なかつた。
 自分は其外に又、ありとあらゆる形をした悪魔の群を見た。魚のやうな形をしたのもゐる。蛇のやうな形をしたのもゐる。猿のやうな形をしたのもゐる。犬のやうな形をしたのもゐる。それが皆、自分の地獄にあつたやうな、暗い坑のまはりに坐つてゐる。そして坑の底からさす天空の、月のやうな反射をぢつと眺めてゐるのである。

       ※(ローマ数字2、1-13-22) 三人のオービユルンと悪しき精霊等

 幽暗の王国には、無量の貴重な物がある。地上に於けるよりも、更に多くの愛がある。地上に於けるよりも、更に多くの舞踏がある。そして地上に於けるよりも、更に多くの宝がある。太初、大塊は恐らく人間の望を充たす為に造られたものであつた。けれ共、今は老来して滅落の底に沈んでゐる。我等が他界の宝を盗まうとしたにせよ、それが何の不思議であらう。
 自分の友人の一人が或時、スリイヴ、リイグに近い村にゐた事がある。或日其男がカシエル、ノアと呼ぶ砦の辺を散歩してゐると、一人の男が砦へ来て地を掘り始めた。憔悴した顔をして、髪には櫛の目もはいつてゐない。衣服はぼろぼろに裂けて下つてゐる。自分の友人は、傍に仕事をしてゐた農夫に向つて、あの男は誰だと訊ねた。「あれは三代目のオービユルンです」と農夫が答へた。
 それから五六日経つて、かう云ふ話をきいた。多くの宝が異教の行はれた昔から此砦の中に埋めてある。そして悪い精霊フエアリイの一群が其宝を守つてゐる。けれ共何時か一度、其宝はオービユルンの一家に見出されて其物になる筈になつてゐる。がさうなる迄には三人のオービユルン家のものが、其宝を見出して、そして死なゝければならない。二人は既にさうした。第一のオービユルンは掘つて掘つて、遂に宝の入れてある石棺を一目見た。けれ共たちまち、大きな、毛深い犬のやうなものが山を下りて来て、彼をずたずたに引裂いてしまつた。宝は翌朝、再深く土中に隠れて又と人目にかゝらないやうになつて仕舞つた。それから第二のオービユルンが来て、又掘りに掘つた。とう/\ひつを見つけたので、蓋を擡げて中の黄金きんが光つてゐるのまで見た。けれ共次の瞬間に何か恐しい物を見たので、発狂すると其まゝ狂ひ死に死んでしまつた。そこで宝も亦土の下へ沈んでしまつたのである。第三のオービユルンは今掘つてゐる。彼は、自分が宝を見出す刹那に何か恐しい死方をすると云ふ事を信じてゐる。けれ共又呪が其時に破れて、それから永久にオービユルン家のものが昔に変らぬ富貴になると云ふ事も信じてゐる。
 近隣の農夫の一人は嘗て此宝を見た。其農夫は草の中に兎の脛骨の落ちてゐるのを見つけた。取上げてみると穴が明いてゐる。其穴を覗いて見ると、地下に山積してある黄金きんが見えた。そこで、急いで家へ鋤をとりに帰つたが、又砦へ来てみると、今度は何うしてもさつきそれを見た場所を見つける事が出来なかつた。

       ※(ローマ数字3、1-13-23) 女王よ、矮人わいじんの女王よ、我来れり

 或夜、一生を車馬の喧噪から遠ざかつて暮した中年の男と、其親戚の若い娘と、自分との三人が、遠い西の方の砂浜を歩いてゐた。此娘は野原の上、家畜の間に動く怪し火の一つをも見逃さない能力があると云はれてゐる女であつた。自分たちは「忘れやすき人々」の事を話した。「忘れやすき人々」とは時として、精霊フエアリイの群に与へらるゝ名前である。話なかばに、自分たちは、精霊の出没する場所として名高い、黒い岩の中にある浅い洞窟へ辿りついた。濡れた砂の上には、洞窟の反影が落ちてゐる。
 自分は其娘に何か見えるかと聞いた。それは自分が「忘れやすき人々」に訊ねやうと思ふ事を、沢山持つてゐたからである。娘は数分の間静に立つてゐた。自分は彼女が、目ざめたる夢幻に陥つて行くのを見た。冷な海風も今は彼女を煩はさなければ、懶い海のつぶやきも今は彼女の注意をみださない。
 自分は其時、声高く大なる精霊たちの名を呼んだ。彼女は直に岩の中で遠い音楽の声が聞えると云つた。それから、がやがやと人の語りあふ声や、恰も見えない楽人を賞讃するやうに、足を踏鳴らす音が、きこえると云つた。それ迄、もう一人のつれは、二三間はなれた所を、あちこちと歩いてゐたが、此時自分たちの側を通りながら、急に、「何処か岩の向ふで、小供の笑ひ声が聞えるから、きつと邪魔がはいりませう」とかう云つた。けれ共、此処には自分たちの外に誰もゐない。これは彼の上にも亦、此処の精霊が既に其魅力を投げ始めてゐたのである。
 忽、彼の夢幻は娘によつて更につよめられた。彼女は、どつと人々の笑ふ声が、楽声や、がやがやした話し声や、足音にまぢつて聞えはじめたと云つた。それから又、今は前よりも深くなつたやうに見える洞窟から流れ出る明い光と、紅の勝つた、さま/″\の色の衣裳を着て、何やら分らぬ調子につれて踊つてゐる侏人こびとの一群とが見えると云つた。
 自分は彼女に侏人の女王を呼んで、自分たちと話しをさせるやうに命じた。けれ共彼女の命令には何の答も来なかつた。そこで自分は自ら声高く其語を繰り返した。すると忽、美しい、せいの高い女が洞窟から出て来た。此時には、自分も亦既に夢幻の一種に陥つてゐたのである。此夢幻の中にあつては空華と云ひ鏡花と云ふ一切のものが、厳として犯す可からざる真を体して来る。自分は、其女の黄金の飾がかすかにきらめくのも、黒ずんだ髪にさしてゐる、ほの暗い花も見ることが出来た。
 自分は娘に、此丈の高い女王に話して其とも人たちを、本来の区劃に従つて、整列させるやうに云ひつけた。それは自分が、彼等を見度かつたからであつた。けれ共、矢張又前のやうに自分は此命令を自ら繰返さなければならなかつた。
 すると、其もの共が洞窟から出て来た。そして、もし自分の記憶が誤らないならば、四隊を作つて整列した。其一隊は手に手に山秦皮樹やまとねりこの枝を持つてゐる。もう一隊は、蛇の鱗で造つたやうに見える首環をかけてゐた。けれ共、彼等の衣裳は自分の記憶に止つてゐない。それは自分があのかがやく女に心を奪はれてゐたからである。
 自分は彼女に、是等の洞窟が此近傍で最、精霊の出没する所になつてゐるかどうかを、つれの娘に話してくれと願つた。彼女の唇は動いたが、答を聞きとる事は出来なかつた。自分は娘に手を、女王の胸に置けと命じた。さうしてからは、女王の云ふ事が娘によくわかつた。いや、此処が、最、精霊の集る所ではない。もう少し先きに、更に多く集る所がある。自分はそれから、精霊が人間をつれてゆくと云ふ事が真実ほんとうかどうか、真実ならば、精霊がつれて行つた霊魂の代りに、他の霊魂を置いてゆくと云ふ事があるかどうかを訊ねた。「我らは形をかへる」と云ふのが女王の答であつた。「あなた方の中で今までに人間に生まれた方がありますか。」「ある。」「来生以前にあなた方の中にゐたものを、私が知つてゐますか。」「知つてゐる。」「誰です。」「それを知る事はお前に許されてゐまい。」自分はそれから女王と其とも人とが、自分等の気分の劇化ドラマチゼーシヨンではないかどうかと訊ねた。「女王にはわかりません、けれ共精霊は人間に似てゐますし、又大抵人間のする事をするものだと云ひます」とかう自分の友だちが答へた。
 自分は女王に、まだ色々な事を訊ねた。女王の性質をきいたり、宇宙に於ける彼女の目的をきいたりしたのである。けれ共それは唯彼女を苦めたやうに思はれた。
 遂に女王は堪へきれなくなつたと見えて、砂の上にかう書いて見せた。――幻の砂である。足下に音を立ててゐる砂ではない。――「心づけよ、余りに多くわれらが上を知らむと求むるなかれ。」女王を怒らしたのを見て、自分は彼女の示してくれた事、話してくれた事を彼女に感謝した。そして又元の通り彼女を洞窟に帰らせた。暫してつれの娘が其夢幻から目ざめ、再此世の寒風を感じて、身ぶるひを始めた。
 自分は是等の事を出来得る限り正確に話すのである。そして又話を傷けるやうな、何等の理論をも之に加へない。畢竟ひつきやうするにすべての理論は、憐む可きものである。そして自分の理論の大部は既に久しい以前に其存在を失つて仕舞つてゐる。
 自分は、如何なる理論よりも、扉を啓く「象牙の門」の響を熱愛してゐる。そして又、其薔薇を撒く戸口をすぎたものゝみが、「角の門」の遠きかがやきを捕へ得る事を信じてゐる。われらがもし、占星者リリイがウインゾアの森に発した叫び―― REGINA, REGINA PIGMEORUM, VENI(女王よ。矮人の女王よ。我来れり。)の声をあげ、彼と共に神は夢に幼な児を訪れ給ふ事を記憶するなら、それは恐らくわれらの為に幸を齎すであらう。たけ高く、光まばゆき女王よ。願くは来りて、再、汝が黒める髪にかざせしほの暗き花を見せしめよ。





底本:「芥川龍之介全集 第一巻」岩波書店
   1995(平成7)年11月8日発行
初出:「新思潮 第一巻第三号」
   1914(大正3)年4月1日発行
※初出時の表題は、「「ケルトの薄明」より(イエーツ)」。署名は、柳川隆之介。
※原章題は、「宝石を食ふもの」が「The Eaters of Precious Stones」、「三人のオービユルンと悪しき精霊等」が「The Three O'Byrnes and the Evil Faeries」、「女王よ、矮人わいじんの女王よ、我来れり」が「Regina, Regina, Pigmeorum, Veni」。
入力:もりみつじゅんじ
校正:浅原庸子
2004年12月4日作成
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